はじめに…
「釣られた」事を承知で書きますが、先日、少々悲しい事がありました。
あえてリンクは自重しますが…、レトロ・パチンコ情報を共有する某・掲示板(2ch)があり、私もいつも楽しみに拝見しておりました。
しかし先日、当ブログを「名指しで揶揄する」書き込みがありました。いわく、当ブログが、その掲示板の情報をネタ元にして記事をアップしているとか、長文やコピペばかりで、クソつまらないブログだとかいう内容でした。
この書き込みに対しては、反応も反響も反論もほとんどなかったのですが(同調する書き込みが1件あった)、そんな見方をしている人もいるのか…と、愕然とした気持ちになりました。
当ブログは、2011年8月の開設以来、多くのレトロパチ・スロ情報を発信してきました。
(一方、件の掲示板がスタートしたのは、それから2年半も経った2014年2月)
以来約4年に渡り、ネット情報が極端に少ない機種や、ほぼ情報が皆無なレトロネタについて、重点的に記事を作り続けて、今ではそれなりに充実した内容になったと思います。
確かに、情報の詰め込み過ぎで長文になる嫌いはありますが、ネット情報を単にコピペした安易な記事をアップしたことなど、只の一度もありません(動画リンク先を貼る事はありますが…)。
一つひとつの記事を作る度に、当時の記憶を必死に蘇らせるとともに、手元に1000点以上ある90年代の資料や文献をしらみつぶしにチェックして、出来る限り正確な情報発信を心がけて、必死に頑張ってきました。
そうした当ブログの記載内容は、今やネットでも、事ある毎に「情報元」として、多数引用されている事実があります。
件の某・掲示板でも、私が記事を上げた次の日になって、記事内容と全く被ったネタが書き込まれていたり、詳細不明な機種の質問に対する回答の書き込みに、当ブログの記事内容をそのまま使っていたり、記事のリンクが貼られたりする例が幾つもあって、「掲示板の皆さんも、このブログの情報を有効に利用してくれているんだな…」と、好意的に思っていました。
それが、今回の件で、逆にこちら側が「パクリ」を行っているかのように書き込まれた上、それを否定するような「援護射撃」も一切なく、少々ショックを受けました。
今まで4年、このブログが地道にやってきたことは、一体なんだったのかと…。
しかしまぁ、考えてみれば、「ネット」というものは、元来勝手なものです。情報が無ければ無いで「くれ、くれ」と盛んに要求するが、いざ情報が上がると、提供した人のことなどお構いなしに、あっさり自分たちの「所有物」にしてしまう…これが現実だと思います。また、それを承知の上で、ネット情報の拡充を目指すのが、当ブログの存在意義でもあります。
ただ、これだけの情報を発信し続ける事が、どれほど労力の要ることか、件の書き込みをした人はお判りなのでしょうか。一度、当ブログの過去記事を、「2011年8月分」から全て読み返してみて下さい。それでもまだ、「長文コピペだけの、つまらないブログ」と思われるのでしょうか?
正直、掲示板のクダラナイ書込みなど「黙殺」しようとも思いましたが、これまで当方が必死にやってきた事を「全否定」するような内容に対して、ひとこと、反論の機会を作らせて頂いた次第です。
まぁ、ネットには様々な考えの人がいますし、当ブログの存在を否定的に思う人も少なからずいる事は、重々承知しています。
また、「同族嫌悪」という言葉がある通り、同じようなものを好む相手に対しては、時として攻撃的になるケースもあるでしょう。
しかし、こんな心無い書込みがあったからといって、「ブログを止めよう」などというネガティブな思いは、毛頭ありません。
むしろ、「批判されるぐらい有名なブログになった」と喜ぶべきでしょうし、「つまらない」というヤツがいるならば、「ようし、もっと面白い記事を書いてやろう」と、発奮する気持ちにもなります。
さらに、拙記事にコメントをお寄せ下さる方々の存在も、ブログ継続の大きなモチベーションとなっております。皆様には、いつも貴重なコメントを頂き、感謝申し上げます。引き続き、当ブログとお付き合い頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。
…と、胸につかえたものを全て吐露した所で、平常運航に戻ります。
さて、今回紹介する機種は、こちら。
1992年(平成4年)秋に西陣から登場した現金機デジパチ「プリプリショットP-2」
★賞球…7&15
★大当り確率…1/220
★16ラウンド継続、出玉…約2400個
★図柄…1~9、ゴルフクラブ、カップ、旗、V(ボール)、ゴルフバッグ、$の15種類
★全15図柄中、「7」で当るとプラス5回の確変(小デジ)に突入。
★確変ループはなく、きっちり6回ワンセットで終了(最後の当りが7でも無効)。
★確変時の出玉…約14000個(クギ調整次第で減る事アリ。逆に止打ちで増える事もアリ)
★確変中は、小デジ確率が2/18(1/9)から16/18(8/9)にアップ(メイン確率は不変)
★小デジの開放時間…約3秒
★兄弟機…スーパー麻雀(盤面パーツが共通。確変機能無。保連アリ。大当り確率…1/224)
本機は「ゴルフ」をモチーフにしたデジパチで、メインデジタル上部では、若い女子ゴルファーの人形が、「エーイ」とドライバーを振っていた。確か、リーチ中は、このゴルファーがカタカタ動いた記憶アリ。兄弟機「スーパー麻雀」でも、同じ位置にいたオヤジキャラが、リーチ時に動いた筈だ。
流行り始めの液晶ではなく、オーソドックスな「ドットデジタル」を採用。リーチ時の右デジの動きに特徴があった。大当りすると、ドットには「ナイスイン」といったメッセージも流れたと記憶。
ゲーム性は、全15図柄のうち、数字の「7」で当ったときのみ、プラス5回の確変(小デジタル確率アップ)が付いてくるというモノ。いわゆる「フルパラ2(京楽の「フルーツパラダイス2」)」タイプの大量獲得型。ただ、大当り確率は1/220で、フルパラ2(1/235)よりも甘くなっていた。
当時、京楽のフルパラ2がヒットした事で、追随するメーカーも幾つか現れた。それについては、こちらの過去記事でも紹介した通り。よく言えば「時流に乗った」、悪く言えば「二番煎じ」な機種が、幾つも登場した訳だ。
本機の他には、宝島(京楽)、ペットショップ(まさむら)、エキサイトカップ3(ニューギン)、セーフティセブン(マルホン)、ワイワイファーム(京楽)といった所が挙げられよう。
まぁ、本家の京楽や、OEMのまさむらが出した各機種は、「二番煎じ」というよりも、「後継機」と呼ぶべきかもしれない。
さて、「プリプリ」ショットである。
粗めのドットの左・中デジタルがゾロ目でリーチが掛かると、一回り大きい右デジタルは、図柄が上から下に流れた後、左側にカクっと寄る「逆L字」の動きをしながら、ゆっくりスクロールする。そして、最終停止3~6コマ手前から、さらに速度を落として「逆N字」の動きに変わる。この二段階の右デジの動きが面白く、また、逆N字の動きに切り替わった時点で、最終停止する右出目を大まかだが予想できた。
なお、確変図柄の「7」でリーチが掛かった時は、通常と異なるリーチ音が鳴り、右デジの動きもいつもより大きなアクションになって、よりいっそう期待感を煽った。
さらに、通常時の右デジタルには独特の「移行法則」があった。連続回転中に限って、「前回右出目+2コマ~+4コマ」の範囲で移行する、という特徴があったのだ。
これはリーチ時も変わらない為、移行法則と矛盾する位置で右デジの動きが変わったら、その段階で大当りが確定する。但し、リーチが掛かった次の回転では、この法則がいったん崩れる。
また、確変中は通常時と移行パターンが違っていて、連続回転中の右出目は、「前回出目-6コマ~+1コマ」で移行する。さらに中出目も「前回―1コマ~+1コマ」の移行性が生じた(もちろん、連続回転中に限る)。
本機は、アタッカーが「ウィング式」(ハネモノを彷彿とさせる形)だったのも特徴。寄りクギの状態にもよるが、玉の拾いは総じて良好だった。また、アタッカーセンサーが奥まっていた為、10カウントでも11個拾うケースは多く、2400個を超える出玉が期待できた。アタッカーのVゾーンは、玉が1個入ると閉じるという、当時の西陣お得意の作りになっていた。
なお、本機に意図的な連チャン性はなく、確変中もメインデジタルの内部確率は変わらない。当然、確変中に大きくハマる事もあった。
当時、このプリプリショットを打っていたのが、新宿・東南口の「平和」(閉店)というホールだ。
店内の左半分がパチンコで、右半分がスロットのシマだった。本機の背中のシマには「本家」のフルパラ2も置いてあり(その隣には兄弟機「フルパラ1」があった)、フルパラ2で不調な時、確率が甘い方の本機で、逆転を狙ったりした。
在りし日の「平和」(店舗改装前、1992年当時の入口)
「平和」での実戦では、新装時期に、確変の初当りをたった1回だけ引いた事を覚えている。
ただ、その貴重な確変時が最悪で、新装にしては小デジの回り(スルー)があまりに悪く、玉減りが酷くストレスのたまる展開だった事も思い出す。それに、止め打ちしたら、中年の店員に速攻で注意されたんだった。だったら、新装時のクギ調整くらい、ちゃんとやれってんだ(今さら怒ってもしょうがないが)。6回ワンセット終了時では、大当り1回分くらい玉減りしていた筈だ。まぁ、スルーや電チュー付近の釘をロクにチェックせず、適当に座ると痛い目にあう…という好例(爆)。
その後の実戦では、単発当りこそ何度も引いたものの、遂に確変とは再会できずじまいだった。それでも、「1/220」の当りが数珠っぽく続いて、無難に勝ちを収める事も少なくなかった。
(当時、本機のシマは「奇数のみ継続」のLN制で営業していた)。
因みに、本機が設置されていた92年末~93年初め頃、新宿「平和」のハネモノシマには、「ミスターフォール」や「パチンコ大賞」といった、西陣の旧要件ハネモノが並んでいた。すでに、新宿界隈のハネモノは「新要件一色」だったが(ハネモノ自体、設置が減っていた)、引き続き旧要件ハネモノの「名機」を打てる貴重な店だった。財布に余裕のない時などは、ここのハネモノシマでお世話になったから、「恩義」も多い。
そうそう、ここのコンチIでは、やたらと「お座り一発(千円)ビッグ」を引いたっけ(連チャンなしの即逃げパターンばかり)。ここは、メダルが10円玉風な茶色で、箱はハネモノ用の小箱。正直、あまりドカンと出る雰囲気ではなかった。とりあえず、1000円で引き易いだけ(笑)。単なる偶然だろうが、自分にとっては「自力モーニング」がよく発動する店だった(笑)。
新宿「平和」は、時が進んで2000年辺りにおいても「穴場」的存在で、CR機ばかりの当時にあって、現金機のフィーバークイーンIIや、エキサイトジャック2、野球拳、ビバシティーなどを、長らく置いていた(クギはさすがにキツかったが…)。そうそう、新宿のFクイーンIIといえば、歌舞伎町(さくら通り)にも「トップス」という長期設置店があったな。
一昨年、惜しくも閉店してしまった「平和」。私にとっては、永遠に心に残り続けるホールだ。