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Channel: まにあっく懐パチ・懐スロ
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Youtube 90年代動画紹介(20)

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Youtube 90年代動画紹介(20)


今回は、コチラの「90年代ライル動画」をご紹介。

https://www.youtube.com/watch?v=fdK_lPo6SSI



1991年(平成3年)7月の高田馬場駅周辺をライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)が撮影した、大変貴重な映像だ。
(馬場といえば、以前にも、1990年の「ライル動画」を取り上げた事がある)
⇒過去記事はコチラ
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/9285ddc6c530cf4cd69c1b6628c236e1


’91年というと、私は重度の「スロ・パチ病」に罹っており、大学の講義もそっちのけで、通学路途中(小田急⇒遊園、登戸、下北沢など、山手線⇒新宿、新大久保、高田馬場など)の店に日参する、怠惰な日々を送っていた。

また、運よく大学まで辿り着いても、学校近くのパチ屋(早稲田通り「みよし」、新目白通り「三光堂」)に吸い込まれて、結局は授業をすっぽかす事も少なくなかった。


まぁ、「寝ても覚めてもスロとパチ」…そんな中毒症状の一年だった事を思い出す。


で、動画の撮影時期とされる「91年7月13日」は、確か大学の「前期試験」の時期だ。授業もろくすっぽ受けないまま、ぶっつけ本番で臨んだ教科も多かったので、当然、「撃沈」の連発だった。

大学5年間(訳あって1年多い)で、一番単位を多く落としたのが、この91年度(大学2年)である。

翌年3月には、自宅に郵送された成績通知を見た両親に、勘当寸前の「マジギレ」を喰らった。
(毎日、授業に出るフリをしてホールへ直行、という事実もバレた…)


なので、この時期の馬場界隈の映像を目にすると、懐かしさを覚えるのと同時に、胸の奥がほんのちょっとだけ、「チクッ」と痛むのだ。



まぁ、それはともかく…


’91年当時、高田馬場駅界隈では、計9軒のホールが営業。その大半が、メインストリートである「早稲田通り」に面していた。

即ち、「日拓・高田馬場本店」「国際センター」「コスモ」「白鳥会館(S)」「日拓ビッグポット(S)」「ダイナム」「日拓EO」「東陽会館」の各店だ。幾つかは既に閉店(「白鳥」はゲーセンに業態変更)。

現存するのは、日拓(現「エスパス日拓高田馬場本店」)、国際センター、コスモ、日拓EO(現「エスパス日拓高田馬場2」)、東陽会館(現「TOYO104」)の5店舗。まぁ、割と頑張っている方だろう。
((S)はパチスロ専門店)

さらに、当時は、駅前繁華街の「さかえ通り」で、「日拓ビッグプレイ(S)」(閉店)も営業。1F、2Fに名機「アニマル(勿論、バリバリ連チャン)」を置く名物ホールで、「ポコポコ、キューンキューン」目当てに、幾度も足を運んだ。なお、同じさかえ通りの「パチンコUSA」(後の「BBステーション」)は、まだ開業前である。





今回の動画を観察すると、ライルさんは、馬場の駅から、小滝橋方面に早稲田通り沿いを闊歩。なので、上記ホールのうち、「コスモ」「白鳥」「ダイナム」「EO」「東陽会館」の姿が確認できる(動画の前半)。参考までに、それらが映る箇所の「時系列」情報を、以下に記す。

なお、同じ早稲田通り沿いにあった日拓系のスロ専「ビッグポット」(閉店。跡地は現在「牛かつ あおな」)は、惜しくも映っていない。同店が入るビルは、2:50辺りで確認できる。)



★パチンコ「コスモ」のネオン…1:44~(当時は、地下にアラジン、ワイルドキャッツ、ムサシ)

★「立ち食いそば・白鳥」…1:44~(割と長く営業したが、右隣の「パチスロ白鳥」とセットになると、懐かしさ倍増。左隣の味噌ラーメン店も懐かしい。店名は忘れたが…)

★パチスロ「白鳥会館」…2:08~(2:12で、奇跡的に店内の様子が映る。実に貴重。当時は、「センチュリー21」中心の頃(ドリームセブンも設置)。その後、マジカルベンハー、スーパープラネット、アラジンII、スーパーバニーガール、ビッグバンも入る)

★パチンコ「ダイナム」…4:02(90年春、私が初めてパチンコを(本格的に)打った、思い出の店。三共ハネモノ「エンタープライズI」で6000円ほど勝った。なお、91年夏のスロのラインナップは、ビッグベンハーとセブンボンバー(新台)。パチは、新要件・3回権利物「エポック」(平和)など設置。ハネモノ無制限という、当時珍しい営業形態だった。)

★パチンコ「日拓EO(イオ)」…4:20~(宅急便の車ごしに、チラッと見える。5連アポロンが入ったのは、この年の暮れ)

★パチンコ「東陽会館」…4:52~(4:52でネオンがチラリ。5:07は店舗右の路地。5:08は店舗の入口とネオン。)
当時、東陽会館のスロは、「白鳥」と同じく「センチュリー21」がメイン。その後「スーパープラネット」と「ホールインワン」を導入。この店のホールインワンで、新装時に大勝ちした記憶も残る。
また、この時期の東陽は、上階が「ビリヤード場」になっていた(ゲーセンもあった)。4:52で「ビリヤード」のネオンが見える。何時だったか、ここの若い客が、ビリヤード台の隅に千円札を重ねて、映画「ハスラー」張りの勝負をしていた事もあったな。正直、いい雰囲気ではなかったが…)。



※パチ屋ではないが、5:55の裏路地(緑色の通学路)を奥に入った先に、「パチンコ必勝ガイド」でお馴染みの「白夜書房」(現・ガイドワークス)がある。
因みに、同誌1991年8月号(同年7月6日発売※)では、フィーバースパークGP,(三共)、フィーバーフラッシュSP(三共)、ルーキーデルタP-2(西陣)、バレリーナ(平和)、ターンバック(藤商事)、カクテルA(大一)、フィーバーチャレンジII(三共)、パラダイスI(奥村)、フルーツパンチ(大一)、サンダードラゴンGP(三共)、ニュートキオ(平和)、ワイルドキャッツ(アークテクニコ)、セブンボンバー(バルテック)などの記事を掲載。また、レギュラー執筆陣も、以下の如く豪華であった。

・田山幸憲(「パチプロ日記」池袋S店時代)
・石橋達也(13時間デスマッチ)
・安田一彦(自身の体験談「男がパチプロになる瞬間(とき)」)
・南伸坊(珍しい換金所を訪問する「景品交換所ルポ」)
・蛭子能収(パチンココラム「とりあえずパチンコでも」)
・山崎一夫(ホール実戦記「銀玉親方の某月某日」)
・杉田一夫(作曲家)(ハネモノBGMを楽譜で紹介する「パチンコのメロディー」)
・小田沃(業界ご意見番のページ「パチンコ・インサイド情報」)

※当時、パチンコ必勝ガイドは毎月7日発売(7日が休・祭日だと前日発売)。1992年11月1日号から、第1、第3木曜の月2回発売に。


これも余談だが、ガイドとは別のパチンコ攻略誌「パチンコファン」(日本文芸社)も、当時は、高田馬場の早稲田通り沿いに編集部があったと思う(「日拓EO」の近く)。コチラは、毎月17日発売。



※6:18からは、ボウリング場「シチズンボウル」やスケート場、テニス場などが入るスポーツ施設「シチズンプラザ」の様子が映る。
当時、私は大学のボウリングサークルに所属、普段の練習もここで行ったから、よく通った場所だ(なので、動画に映る早稲田通り沿い「高田馬場西商店街」も、よく覚えている)。
ただ、入部2年目のこの年、授業と同様、サークルもパチ・スロにかまけてサボる事が多くなり、この年をもって活動は停止。
6:25では、同サークルのたまり場だった「ハンバーガー ミニオン」(シチズン入口にあった)の看板がチラッと見える(6:27、入口沿いの右手ガラス張りの店がミニオン)。
7:08では、懐かしきシチズンボウルのレーンが映る。7:15で大時計が「午前11時」を示しており、ライルさんが午前中に馬場を訪問した事が判る。




(動画の中盤以降は、馬場界隈の住宅地や団地など、当時の町並みをライルさんが撮影)

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