その昔、「ドリームジャンボ1」という名のデジパチに魅入られて、
妙にハマった事がある。
(@新宿・西口ガード傍の、今はなき「ニューミヤコセンター」)
25年前の1991年(平成3年)に奥村遊機から登場した、
初期・新要件デジパチである。
「宝くじ」を思いっきり彷彿とさせる機種名だが、
「ドリーム」は、当時の奥村の冠名だったので、
同社のみに許されたネーミングなのかもしれない。
本機は、「ドットは3ケタ」の常識を覆した、斬新な機種である。
通常3つのドットが4つ…それだけで、独特の存在感があった。
ただ、正確に言えば、本機登場の数ヶ月前、藤商事から「ターンバック」という
4ケタドットのデジパチが既に出ており、本機は、その「二番煎じ」的な存在。
それでも、ターンバックと並ぶ「4ケタドットの双璧」として、ホールで異彩を放った。
「パチスロの波」が謳い文句だった、藤商事「ターンバック」(1991年、新要件機)。
朝一のモーニングや、大当り後の数珠連チャンなど、実に怪しい挙動を見せたが、
正式な解析データは、とうとう発表されなかった(当時、パチマガが数ヶ月追ったが、
最終結論を出さぬまま放置)。向ヶ丘遊園・北口の「銀座ホール」でよく打った。
同一図柄の4つ揃いで大当りだが、「3、7」に限り、図柄が3つ出ればOK。
藤商事だけに、「モード移行方式」を採用していた可能性が強いが…。
因みに、確率違いの後継機「ターンバック3」(1991年)も登場している。
因みに、本機と同時期、なんちゃって9ケタデジタル「ランバダ」(大一)も登場。
オーソドックスな3ケタドットから脱却した、奇抜なデジパチが数多く出た時期だ。
大一「ランバダ」(1991、新要件機)。南米のダンスを意識した機種名と、横一列の
9ケタドットが話題に。但し、左、中、右のデジタルは、常に数字が3つ揃って
「シンクロ」して動く為、実質的に3ケタドットと変わらない。「体感器ネタ」も発覚した。
さて、90年代初頭の奥村といえば、旧要件機(10ラウンド継続、オマケチャッカー付)の
「ドリームX」「ローリング7」「マーブルX」や、初期新要件機(16ラウンド、オマケなし)
「ドリームEX」「マーブルDX」「パラダイス1」「リバティI」など、同社の定番ともいえる
3ケタドット搭載のデジパチが、何処の店でも好評だった。
名機ドリームXの大ヒット以来、「奥村モナコ」のドットのウケは良好で、その後継機も
安定した人気を誇っていた。まさに、奥村の「黄金期」といえよう。
私自身、赤色ドット独特の「チープさ加減」が好みだったから、パチ屋のハシゴで
こういった機種を見つけては、時間とカネの許す限り、勝敗不問で打ち倒した。
本機も、ドットの形状自体は、従来の奥村モナコらしい「赤いツブツブドット」だが、
そのドットが通常より1個多く並ぶと、何だか特別な存在に思えた。
仮に、私が昭和期からパチっており、ニューギンの「ニュースノーバーズIV」や
「エキサイトキングII(V)」といった、4ケタデジタル台の実戦経験があったなら、
ターンバックや本機に対しても、多少の「免疫」が出来ていただろう。
まぁ、上記ニューギンの二機種は、ドットではなく、「7セグ」な訳だが…。
ニューギン、エキサイトキングII、1988年、旧要件機。
同一図柄の4つ揃いの他、「7」なら3つ出ればOK。
だが、私は平成初めの「90年4月」にパチデビューしたクチで、デジパチといえば
「3ケタ」というのが、もはや当たり前だと思っていた。それがドットなら、なおさらだ。
「一風変わったドット」というと、例えば1990年に登場した、旧要件の保留連チャン機
「フィーバーボルテックスII」(三共)は、センターの2ケタドットと外周ルーレットが特徴。
だが、この台にしても、「3つ揃いで大当り」とするゲーム性は、従来機と同じであった。
三共「フィーバーボルテックスII」1990年、旧要件機。
図柄が揃って、ドットに大当りメッセージが流れる約5.6秒間に
チャッカーへ入賞すれば、対応する保留玉が約1/2で連チャン。
体感器、腕時計の攻略ネタも、後に発覚した。
また、’90年秋には、大一が「マジックセブンD」という一風変わったデジパチを
リリース。ルーレット状に配した、3つのドットデジタルが独特な動きを見せたが、
あの台とて、大当りやハズレを決めるメインの部分は、3ケタの赤いドットだった。
大一「マジックセブンD」(1990、旧要件機)。左、右、下の各ドットデジタルが、
ルーレットよろしく、互い違いの方向に流れる。この動きに目が慣れないうちは、
「デジタル酔い」を起こす。向ヶ丘遊園・北口の「ニューギンザ」でよく勝負した。
スペックが異なる兄弟機「I」「A」も存在。
そんなドットデジパチの「固定概念」をひっくり返したのが、本機より一足先に出た、
4ケタドットのハシリといえる「ターンバック」であり、それに追随した本機である。
当時、異色だった4ケタドットの「引力」に、グイグイ引き寄せられた事を思い出す。
因みに、ドットデジパチではないが、旧要件時代の1990年には、ニューギンから
「エキサイト123」というデジパチも出ている。「6ケタデジタル」が揃って大当りするのは、
本機以上に「異色の存在」ともいえるが、ドットではなく「7セグ」なので、やや趣は異なる。
ニューギン「エキサイト123」 1990年、旧要件機。
最終10ラウンドに玉を10個入れない「ノット10打法」
(10やあらへんで打法)で保留連チャン率がアップ。
新宿・歌舞伎町コマ劇前の「ラスベガス」でよく打った。
さらに、ターンバックも本機も、ニュースノーバーズやエキサイトキングと同様、
図柄が4つ並ばなくても大当りとなる、特別なパターンが存在したから、一寸した
「お得感」も味わえた。
ターンバックは、「3」「7」の2図柄に限り、デジタル4か所のうち、何処でも3つ出れば
大当りとなる。この台は、4つのデジタルが「左端」⇒「右端」⇒「内側2つ」の順で
停止するから、両端のどちらかに3か7が出れば、自動的にリーチがかかる。
さらに、両端が3、7のゾロ目だと実質的に「トリプルリーチ」状態となるから、
いっそう期待感を煽った(この時、リーチサウンドも変化した)。
一方の本機は、ターンバックと異なり、4つのドットが、一番左から順に1つづつ停止。
図柄は、左側2つのデジタルが、「1~9」の数字のみ(9図柄)。
一方、右側2つのデジタルには、オールマイティ図柄の「当」も存在(10図柄)。
このオールマイティ図柄(当)こそ、本機の大きな特徴であった。
そして、大当りとなるのは、以下の4つのケースだ。
(1)4つのデジタルが、同数字で揃う。
(2)右から二番目のみ「当」で、残る3つが同数字。
(3)一番右のみ「当」で、残る3つが同数字。
(4)左2つが同数字で、右2つが「当」。
典型的な(1)の4つ揃いは、他機種にない華やかさ、豪華さがあって、
4つのデジタルが全て揃ったとき、独特の達成感や満足感を得られた。
また、左2つがゾロ目ならリーチとなるが、残る右2つのデジタルは、
リーチ図柄でも「当」でもOKだから、必然的に、リーチの期待感も倍増。
但し、これは、あくまでも「見かけ上」の期待感に過ぎず、内部では、
常に「1/225」という一般的な確率で、粛々と大当り抽選が行われた。
別に、「リーチが掛かったから当り易い」…という訳ではなかったのだ。
因みに、本機の大当りパターンをまとめると、
(1)同一数字が4つ並ぶ…9通り(「1111」~「9999」)
(2)※※当※のパターン…9通り(※は同数字。以下、同じ)
(3)※※※当のパターン…9通り
(4)※※当当のパターン…9通り
となるから、全部で「9×4=36通り」ある。
対して、出目の出現パターンは、「9×9×10×10=8100通り」なので、
表面上の大当り確率は、36/8100=1/225となる。
内部プログラム上の確率も、これと全く同じだ。
それから、「出玉」に関して言えば、本機の賞球数は「6&12」となっていた。
ヘソの戻しが「6個」で、アタッカーその他の入賞口が「12個戻し」だ。
なので、最高16ラウンド継続(10カウント)とはいっても、大当り時の出玉は、
せいぜい1900個と少なめだった(当時はアタッカー15個、出玉2350個が標準)。
また、意図的な保留連チャンや数珠連が仕込まれていた訳でもなく、
ノーマル機そのものの出方だった。たまに、数珠連めいた挙動も見せたが、
あくまでも、「自力」によるものだろう。
(ある時期、本機で「5連、10連」といった大連チャンを記録した…との噂が
名古屋方面から聞こえたきたのだが、真相は判らずじまいに終わった)
当時、出玉の少ないノーマル機で、大当り確率「1/225」というのは、決して
甘い数値ではなく、このテのスペックは、明らかに「無制限営業」向きだった。
この時代、一回交換やラッキーナンバー制の営業形態がまだ多く、無制限は、
今ほど多くなかった。勿論、地域によっては、無制限中心の所もあったが…。
件のニューミヤコは、残念ながら無制限ではなく、LN制で営業していたが、
その分、デジタルは良く回った印象が強い。まぁ、あの店が新宿らしからぬ
「優良店」だった事も、関係しているかもしれないが…。
甘釘台でマッタリとデジタルを回し、マッタリ当てる。結果、何度も大当りさせたが、
出玉は思ったほどに多くなく、収支もそこそこプラス…そんな感じの一台だった。
なお、同じ4ケタのドットでも、藤商事ターンバックは、連チャンとハマリのメリハリが、
遥かに大きく、波も荒い台だったから、本機のような「マッタリ感」とは程遠い。
(ターンバックの大当り確率は「1/210」と甘いが、ハマる時はハマった。
恐らく、「1/210」は、連チャン、ハマリをひっくるめての数値だろう。因みに、
後継機「ターンバック3」の確率は1/226と低め。)
おっと、書き忘れていたが、本機の数ヶ月後に出た兄弟機「ドリームジャンボ2」は、
賞球が「7&15」に変更されて、大当り時の出玉のボリューム感がアップ。しかも、
大当り確率が「1/220」と本機より若干甘くなった為、打ち手にすれば、「2」の方が
オイシイスペックだったといえよう。
ただ、私は、出玉の少ない「1」の方が、思い入れは断然強い。
(奥村「ドリームジャンボ2」 1991年、新要件機)
図柄やデジタルの動きは「1」と一緒。賞球と確率のみ
変更された(7&15、1/220)。
新要件初期のこの時期、ターンバックや本機が登場した事で、「4ケタデジタル」への
注目が再び強まった事は疑いない。
この動きにとりわけ刺激されたのが、「元祖4ケタデジタル」のニューギンであろう。
翌1992年には、旧要件の4ケタデジタルを大いに意識したドットデジパチ
「ニューエキサイトキングAW」をリリース。さらに同年、斬新な4ケタドラムの
「エキサイトビューティー」も送り出している。
ニューギン、ニューエキサイトキングAW(1992年、新要件機)
いわゆる2回ワンセット機。一度大当りすると、次回まで電チュー確率が大幅アップ。
右打ちで、持ち玉を減らさず(逆にジワジワと増えた)、次の大当りが期待出来た。
但し、デジタルの連続回転が途切れると、小デジの確変状態も終了してしまう。
さらに、大当り中にエラーを起こすと、大当りが延々と来ない「バグ」があった為、
故意にエラーを発生させた後、ひたすら右打ちによる電チュー入賞で玉を増やす、
破壊力抜群のエラー攻略法も発覚。兄弟機は「ニューエキサイトキング5」。
ニューギン「エキサイトビューティー」 1992年、新要件機。
ドラムの本家、三共に対抗したドラム機。お尻や乳など、奇抜な図柄でも話題に。
同一図柄の4つ揃いで大当りだが、「3、7、¥、$、?」の5図柄は、3つでOK。
保留連チャン機としても知られた。後継機は「エキサイトバトル」。