1992年(平成4年)に西陣から登場した新要件デジパチ「ルーキーラッシュ」
左右上部の「リーチ」表示が懐かしい…(リーチ時にピカピカ点滅。ルーキーデルタ(シリーズ)、ニューメビウスV2、ルーキーパステル(シリーズ)、ハッピーシネマ、ニュートランプP5、花らんまん、ルーキーVXP-2、銀玉人生…当時の西陣台は、この表示付きのものが多かった)
★現金機
★赤色ドットデジタル(単色)
★賞球…7&15
★大当り確率…1/216
★大当り図柄…15種類(0~9の数字と、炎(トーチ)、カップ、馬、王冠、LOVEの5絵柄)
★最高16ラウンド継続
★出玉…約2400個
★意図的な保留連チャン・数珠連チャンは無し(ノーマル機)
★ヘソチャッカー(センター)は電チュータイプ(6回開き)
(888揃い)
同時期に出回った西陣の人気機種、「花鳥風月」や「パステルNo1」などと比べると、かなりのマイナー感が漂っていた本機。まぁ、当ブログで取り扱うには、絶好の台といえるが。
当時の西陣らしからぬ、「ツブの細かなドット(ドット数が多い)」を使っていたのが印象深い。
もともと、旧要件(1990年まで)の西陣ドットデジパチは、大粒のドットで数字・アルファベットを表した単純な図柄が多く、細かな図柄のデザインは、ほとんど見当たらなかった。そのテのドットデザインというと、京楽や三洋、大一といったメーカーが得意にしており、奥村の「ビルボード」や平和の「ブラボーセンチュリー」なども、やはり細かめのドットを使用していた。
一方の西陣デジパチといえば、「ファンキーセブン」(旧)のような派手な7セグ、「プレジデント」(旧)の円盤型ルーレット、「スーパールーレット」(旧)のセグ・ルーレット混合型、「アラシキング」(旧)のブロック液晶二段デジタル、「ルーキーデルタ」(新)の丸型セグ、「ニューメビウスV2」(新)のVFD画面など、特徴的なアイディアが多かった。しかし、こと「ドット(マトリクス)」に関しては、「リムジン165」※(旧)、「リムエイト」(旧)、「ラスベガス」(旧)など、オーソドックスなドットタイプ(リムジンはドットにメッセージが流れる特徴アリ)を立て続けに出していた。
※アタッカー開放時間「16.5秒」に因んだ機種名
一方の本機は、細かいドットの利点を生かして、チェスの「ナイト(馬)」を模した図柄や、京楽「ダービー」を思わせるカップ図柄など、5つのデザイン絵柄を採用(盤面イラストはギリシア神話調)。中には、「LOVE」の文字をあしらった風変わりな図柄もあり、西陣としては、かなり斬新なドットの試みだったといえよう。
1992年の夏頃、新宿・西口の「ジャンボ」(現存)というホールの1階隅に、1シマ5、6台だけ、ヒッソリ並んでいたのを覚えている。客付き良好の連チャン機「花鳥風月」とは違って、シマは常にガラガラ状態。いつの間か外されてしまった、「不遇の台」である。露骨な保留連や数珠連もなく、いたってノーマルな出方だった。確率「1/216」ゆえの、自力連チャンは期待できたが。
(新宿大ガード交差点「ジャンボ」…店名通り、設置台数の豊富さがウリだった。当時は1Fがパチ、地下がスロとハネモノ、デジパチ。スロの設置台は、スーバニ、コンチII、コンチIII)。
まぁ、そんな訳で不人気だった本機だが、西陣にとっての新たなドットスタイルが、後にヒットした「ミラクルフォースSP」(1993年)に繋がったのだから、意義深い「原点」の台ともいえよう。
(数珠連チャンの人気機種「ミラクルフォースSP」…兄弟機は小デジ確変付きの「P-2」)
★スタートチャッカー
本機にはスタートチャッカーが3つ存在。ヘソ(センター下段。通常よりも低い位置)と左右オトシの計三か所に、始動チャッカーがある。但し、両オトシの上部は風車とバラ釘でガードされており、メイン入賞口はヘソ(センター)であった。
さらに、そのヘソが「電チュー」である点も特徴的。電チュー閉鎖時も普通に入賞するが、電チュー内蔵の1ケタ小デジタルに「7」が出ると、約30秒間に0.9秒の電チュー開放を6回行い、ヘソ入賞をサポートする仕組みだ。
(ヘソは小デジ内蔵、電チュータイプ。矢印で示したGO(スルー)通過で、小デジが変動開始。)
だが、肝心の小デジ始動チャッカー(GOチャッカー)が、電チュー真下(アウト穴上部)の狭い隙間にあり、配置的にもゲージ的にも、非常に入賞しづらい欠点があった。道釘や命釘がよほど甘くなければ、ただの「お飾り」(たまに、思い出したように小デジが回る程度)になってしまう。一応、小デジにも4つの保留ランプが付いているが、満タンになることなど、ほぼなかった)。
★リーチ
リーチアクションはシンプルな部類。デジタル停止順は左⇒中⇒右で、リーチが掛かると右デジがスローに切り替わる。但し、右デジ移行コマ数が1周以内と短く、早い時はリーチ後たった3コマで止まる事もあった。再始動やSPリーチの類も無く、リーチはノーマルのみ。
ただ、こういった「一発勝負」で当否が決まるノーマルアクションは、「旧要件の名残」という感じで(変に引っ張らず、焦らさない「潔さ」があった)、決して嫌いではなかった。
★アタッカー
本機は、メインアタッカーにも、一風変わった特徴があった。アタッカーの位置が、通常の盤面下センターではなく、メインデジタルの「真下」に付いていたのだ。通常ヘソチャッカーがあるべき所に、メインアタッカーのVゾーンがあるという、変則的な構造をしていた。逆に、メインとなる始動チャッカー(及び左右オトシの始動チャッカー)は、アタッカーの下に付いていた。
しかも、アタッカーの形状が、いかにもハネモノチックな「ウィング型」。ガバッと左右に開くハネが、玉を沢山拾ってくれそうな気分になった。まぁ、実際は「FレジェンドI」ほど多くは拾わなかったが、アタッカーセンサーが奥にあって出玉は多め。1ラウンドで11~12個入る時もあって、2500個近く出る事もしばしば(当時、新要件機の出玉は約2300個程度)。
なお、Vゾーンは1個入賞でカバー(「OK」と書いてある)が閉じるタイプ(西陣らしいギミック)。何かの拍子で、Vゾーンに2個入ると連チャンする…といわれたりしたが(これも西陣デジパチでお決まりのネタだった)、裏付けは取れずじまい。まぁ、ガセ濃厚であろう。
★エビス先生とルーキーラッシュ
余談だが、1992年リリースのVHSビデオ「パチンコ電撃作戦!~激突!デジパチ攻略篇~」に、本機が登場。
(定価10094円…今ではあり得ない高値だが、この時代なら当たり前の価格設定)
この作品中、大のパチンコ好きで知られた漫画家の蛭子能収先生(当時45歳※)が、東上野の西陣ショールームで、新台のルーキーラッシュを試し打ちする香ばしいコーナーがある。
※当時のパチンコ必勝ガイド誌で、「とりあえずパチンコでも」という自伝・体験コラムも連載。
実戦中のエビスさん、西陣のベテラン担当者に「連チャン性はどうですか?」と「禁断」の質問を投げかけると、「まぁ、規則がございますが、ある程度は…偶然来ることも、モゴモゴモゴ…」と、やや歯切れ悪く(ゴマカシ気味に)答えるのが、何となく微笑ましい。本機はノーマルだったが、どうせなら、バリバリ連チャン機の「花鳥風月」(前回乱数がそのまま使われて連チャンする)とか、「パステルNo1」(謎の「5連チャン」が時折発生した)を打って、「どうして連チャンするんですか?」と、エビスさんに質問して欲しかった。
なお、エビス先生は、本機以外にも、東上野にあるメーカー3社のショールームで、当時の新台を実戦(奥村「ドリームランデブー3」、三共「F・マキシムIII」、太陽電子「ファンタジーSS」)。
(「888」が揃った瞬間)
(大当りファンファーレと共に、ドットのラッパが躍動する)
因みに、本作は他にも見所が多く、平成初期の「隠れた名作」との呼び声も高い(私の中で)。
MCは「横浜銀蝿」の翔。アシスタントはAV女優の岡咲ひとみ(時代を感じる…)。特設スタジオでの「デジパチ講座」をはじめ、杉作J太郎(本作を企画)と蛭子が司会進行の「パチンコ勝抜けクイズ」、覆面レスラー・獣神サンダーライガーとクイズの優勝者が対決する「デジパチ王座決定戦」(出玉勝負、機種は三共連チャン機「フィーバーマキシムEXIII」、ロケ地は「浅草ゲームセンターPart1」)、若き日のみうらじゅんがプロデュースする謎の「デジパチ攻略養成マシン」紹介など、B級テイスト満載の面白さとなっている。
また、関西芸人のけーすけ(当時は若手)が、要所で「オバカ発言」をして、司会の翔らにドツキやツッコミを喰らうのも、「お約束の芸人イジリ」という感じで楽しめる。
さらに、かつてパチ・スロ業界に色を添えた名物ホール「浅草ゲームセンター」(当時、Part1~3の3店舗が存在)のボディコン店員達(店長は女優の李星蘭)が、「セブン子クラブ」として黒のボディコン姿で出演している。
コチラは、惜しくも廃盤(絶版)扱いだが、オクやアマゾン等で、手に入れる機会があるかも…。
(敬称略)
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ルーキーラッシュ(西陣、デジパチ)
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