今回紹介する西陣「ニューナパーム」(1992年)は、90年代に出た新要件ハネモノの中でも、特にお気に入りだった台の1つ。勝敗不問で、台に触れば心地よかった個人的「名機」。
(サウンド面でも、「キューン」という感じの、耳に残り易い電子音を使っていた)
西陣「ニューナパーム」
1992年(平成4年)登場。賞球:7&13。最高15ラウンド継続。平均出玉:約900個
チャッカー開放時間…オトシ0.3秒、ヘソ0.7秒×2
コチラは兄弟機の「ニューナパームP2」
1992年登場。賞球7&13。最高15ラウンド継続。平均出玉600個。
チャッカー開閉時間は、ニューナパームとほぼ同じ。「オトシ0.4秒、ヘソ0.6秒×2」説もアリ
※「ニューナパーム」とニューナパームP2」の違いについて
盤面の違いは、見ての通り。チャッカー開閉時間についても、上で概説した。
賞球数はどちらも「7&13」だが、両者の戻しは微妙に違った。「ニューナパーム」はヤクモノが13個で、始動チャッカーその他の入賞口が7個。一方の「P2」は始動チャッカーが7個で、ヤクモノその他が13個。どちらも「チャッカー7、ヤクモノ13」と同じだが、天下や肩、左右の袖チューリップなど、「その他入賞口」の賞球数が異なる(ニューナパームは7個、P2が13個)。
また、大当り中の貯留システムにも違いアリ。「ニューナパーム」は途中の全ラウンドで貯留が働くが(6カウントorハネ14回開閉で貯留解除)、「P2」は8ラウンド及び9ラウンドで、ヤクモノの発射装置(⇒後述)が初めから作動する為、貯留を行わない。よって、P2は上記の2ラウンドでパンクが起きやすく、継続しても早いカウントでVに入る事があった為、平均出玉も少なめ。
★当時の実戦店…新宿・東南口「平和」(閉店)、高田馬場駅前「コスモ」(現存)、向ヶ丘遊園南口「銀座スター」(「銀座U-Style」として、現在も営業)
(C)フジテレビ
90年代の新宿「パチンコ平和」のネオン(青・赤・黄)が映り込んだ、貴重なシーン
(1993年公開、映画「眠らない街、新宿鮫(主演:真田広之)」より)
当時の高田馬場「コスモ」…当時、ハネモノと権利物は2F。地下がスロ、1Fがデジパチ。
かつての向ヶ丘遊園「銀座スター」…すぐそばの食堂「石川屋」のカレーは美味かった…。
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1990年(平成2年)10月の「風営法規則改正」を受けて、91年春からいわゆる「新要件機」が登場した事は、皆様ご承知の通りである。
ハネモノにあっても、従前の「賞球オール13(機種によっては異なる)、最大8ラウンドの継続、低投資で遊べるハネモノ」から、賞球7&15(チャッカー7個戻し、ヤクモノ15個戻しが基本)、最大15R継続の「荒いハネモノ」へと変わっていった。
新要件黎明期に出たニューモンロー(西陣)、サンダードラゴンGP(三共)、ニュートキオ(平和)、ニューヨーカー(平和)といった大量獲得タイプのハネモノは、「当たれば大きいが、投資も嵩む」という、まさにインフレ型。一介のバイト学生だった自分にとって、それまでハネモノに抱いていた「財布に優しい」といったイメージは、根底から覆された。むしろ、「ハネモノの皮を被った権利モノ」といった感覚さえ持った。
三共「サンダードラゴンGP」…ご存知、三共の初期・大量獲得ハネモノ。「ドツキ」攻略の餌食になった事でも知られる。
しかし、その後は「原点回帰」の動きも見せるようになった。初期の「出玉一辺倒」ではなく、ハネモノ本来の「投資抑えめ、玉の動き(アナログさ)を楽しむ」機種も、少なからず登場した。
個人的には、ブンブン丸(平和)、ジェットスピナー(平和)、ドラキュラ城(ニューギン)などが、「遊べる新要件ハネモノ」というイメージを強く持った代表だ(いずれも、ヤクモノは10個戻し)。
平和「ジェットスピナー」(1991年)…当りし易く、継続率も高いが、ラウンド開始後、早い段階でVに入ってしまう事が多かった為、完走しても出玉が少ないのが特徴だった。賞球オール10。
この「ニューナパーム」も、賞球こそ7&13だが、各所に工夫を凝らして作り込まれた役物は、いかにも「ハネモノ」らしい一台といえた。
西陣らしいオリジナリティに溢れつつ、旧要件・先行機の特徴を、随所に感じる事ができた。
⇒これは、その都度機種名を挙げて、例示したいと思う。
ヤクモノ内で上下動する「小羽根」、ヤクモノ左右奥の「発射装置」、そして存在感を見せつける中央の「タテ型回転盤」と、玉の挙動をランダムに「躍動」させる要素は満載だった。
通常時も大当り中も、玉の行方に注目して、ドキドキ感を存分に味わった事はいうまでもない。
(ヤクモノ内画像)
さて、本機で大当りするには、大別して二段階の「関門」を突破する必要があった。
ヤクモノは3層構造で、やや小さめの白いハネに拾われた玉は、中段ステージ左右の穴から、下段に落ちる。
下段には、上下動を繰り返す「小羽根」(ミニウィング)があり、上方から落下してきた玉を、一旦受け止めるクッションの役目を果たす。
この小羽根だが、旧要件ハネモノの名機「ファクトリー」(平和)を彷彿とさせた。
(平和「ファクトリー」(1989年)のヤクモノにも、常に上下動する小羽根があった)
小羽根は、内側を軸に、左右対称で上下動を繰り返している。その為、小羽根が上昇すると「V字」(山型)に、下降すると「ハの字」(谷型)になる(角度はそれ程大きくないが)。
また、小羽根の間には「OUT」と書かれたアウト穴があるが、これはハズレ穴である。
小羽根がV字の時(上昇時)に玉が落下すると、小羽根で一旦バウンドした玉は、そのまま内側(中央OUT穴)に向って落下、ハズれてしまう。
一方、小羽根が「ハの字」の時(下降)に玉がバウンドすれば、外側(両サイド)へと転がる。
この両サイドに流れた時がまさにチャンス。大当りの「第一関門」突破となる。
小羽根の上下動には一定の周期があって、チャンスとなるタイミングと、ノーチャンスのタイミングが存在した(これが「止打ち攻略」に繋がる⇒後述)。
ヘソ(2チャッカー)入賞時は、オトシ(0.3秒)より長い「0.7秒」の開放が2回あるので、ヤクモノ入賞のチャンスも大きい。しかも、1回目のハネ開閉時に小羽根が「Vの字」だったら、2回目は必ず「ハの字」(チャンス)になっている(タイミング上、そうなる)。逆に、1回目がハの字ならば、2回目はVの字(ノーチャンス)になる。つまり、2チャッカーに入った時、ヤクモノに2回とも入れば、どちらか1回は高確率で、小羽根の外側に転がる訳だ。これは、大きなチャンスであった。
因みに、小羽根が「水平」の時はどうかというと、OUT、サイドのどちらに跳ねるかは判らない。上からきた玉の勢い、落下角度により、いずれの方向にも跳ねる。左右ではなく、手前にバウンドする事もあるが、この場合はOUT穴に落ちてしまう。
こうした玉のバウンド方向は、小羽根の「現在位置」もさることながら、ヤクモノの「クセ」や「ネカセ」にも左右された。クセが良い台では、小羽根が水平気味でもサイドに流れる事があったし、ネカセが弱すぎる台は、ややハの字に下がり気味の位置でバウンドした玉が、勢い消えず手前に跳ねて、OUTに落ちたりした。
さて、小羽根で「外」に振り分けられた玉は、そのまま下段両脇(奥)に転がる。両サイドは玉を貯留するスペースになっており、この貯留スペースに一旦収まった玉は、すかさず内部に仕込まれた「発射装置」で、勢いよく「ポーン」と打ち上げられる仕組み。
(ヤクモノ画像の白い矢印を参照)。
本機の名称は「(ニュー)ナパーム」だが、これはベトナム戦争などで使用された、「ナパーム弾」に因んだものと思われる。その為、上述した「打ち上げ」アクションには、「爆弾を発射」という、やや物騒な意味合いも込められた可能性がある。
しかし、そもそもハネモノ自体、「ヒコーキ台」と呼ばれる頃から戦闘機がモチーフのものが多く(ゼロタイガーなど)、「戦闘」とは切っても切れない関係にあった。それでも、「アクティブな玉の動き」という点でみれば、大いに打ち手を満足させた。
(始動チャッカーの「01」(⇒オトシ)、「02」(⇒ヘソ)というロゴも、どこか戦争チックだった)
「貯留玉をポーンと弾き飛ばす」…アナログで豪快な動きは、同じ西陣の旧要件機「ドッカン島」などを思わせた。
西陣「ドッカン島13」(1990年)…貯留玉をアーチ左右に弾き飛ばす様は圧巻。
そうそう、三共の旧要件「グレートキャノンI」も、玉を豪快に跳ね飛ばす様子が印象に残る。
(三共「グレートキャノンI」(1989年)
かくして、発射装置から跳ね上がった玉は、上段で時計回りを続ける「タテ型回転盤」(垂直回転盤)にアプローチする。
この回転盤は「6穴」あって、大当り穴(V穴)は1つだけ。盤の中心に描かれた「V」マークが、ちょど正面を向いた時、真下(6時)の位置に来るのがV穴。回転盤の周期は、約4秒と早い。
回転盤上部からアプローチした玉は、そのまま穴には入らず、回転盤の前を通って落下。6時(真下)の位置で一旦止まり、接近してきた一穴へ収まる。この時、タイミング良くV穴が来ていれば、「第二段階」突破で大当りとなる。
こうした「回転盤」と、各穴に収まる「玉」の関係は、「水平回転盤」という違いはあるにせよ、同じ西陣の旧要件機「マッハシュート」譲りといえた。
また、「時計回りするタテ型回転盤」という点では、やはり西陣の旧要件ハネモノ「おジョーズランド」を思わせるものもあった。
西陣「マッハシュート13」(1989)…「エッジ」の利いた水平回転盤とサウンドが特徴。
西陣「おジョーズランド」(1990)…本機同様、タテ型の回転盤を採用。5穴でVは1つ。ヤクモノ内が左右非対称という、当時としては珍しい構造だった。
さらに、西陣の「タテ型・6穴回転盤」というと、本機の翌年に出た権利物のヒット機「ラプソディ」の回転盤とも、見事に繋がる。ラプソディと初対面した時は、「あ、ナパーム」と直感した。コチラの回転盤周期は、約7秒と遅めであった。
西陣・新要件権利モノ「ラプソディ」(1993)…天横からクルーン入賞⇒回転体のV穴入賞後、小デジが「77」なら10回権利で、20000発を楽に越えた。その他は2回権利で4000発。10回権利中の抽選時に再度「77」が出れば、さらに出玉が伸びる「爆裂仕様」であった。
こうした関門を突破して大当りになると、左右奥の発射装置にストッパーが働き、玉を複数貯留するようになる。但し、小羽根や回転盤の動きは、通常時と変わらない。
よって、大当り中も、小羽根が「ハの字」の時に跳ねた玉が、外側に転がって貯留される。
ヤクモノの入賞タイミングが悪いと、中央OUT穴にばかり流れて、貯留は減ってしまう。また、空振りが多い、寄りが悪いといった場合も、貯留は少なくなる。
大当り中、発射装置は、左右いずれも最大「3個」貯留が可能。4個目以降は落下する。
但し、ヤクモノ6カウント、又はハネ14回開閉で貯留は解除となり、発射装置は本来の「作動」を開始(貯留玉を上部に跳ね飛ばす)。よって、実際に貯留できるのは、左右合わせて5個まで(どちらかに3個、どちらかに2個)。
発射装置が「作動」すると、左右の貯留玉は、ポーン、ポーンと小気味よく、上の回転盤に向って連発して打ち上げられる。通常時と同じく、打ち上げ後、回転盤の6時(真下)の位置に来た玉は、各穴に1個づつ収まる。タイミング良くV穴が来れば、V継続となり、貯留が多ければ多い程、V穴への入賞率もアップする。但し、打ち上げのタイミング(V穴との位置関係)も重要だ。
貯留解除でVに決まらなかった場合、発射装置は引き続き作動を続ける。しかし、通常と同様、小羽根の「関門」を突破した場合に限り、1個づつ発射される為、Vに決まる確率は貯留後よりも圧倒的に下がる。やはり、貯留解除でビシッとVに決まる事が望ましい。
回転盤は6穴なので、5個の貯留があれば、Vに決めるのも、さほど難しくなかった。ただ、「6/6」ではなく「5/6」にしてある辺り、不確実で先の見えない「ハネモノらしさ」でもあった。跳ね上げタイミングの悪さや玉突きが原因で、全ての貯留がVを外す「不運」もあったのだ。
玉突きについていえば、左右の発射装置に複数貯留がある場合、貯留玉は連続してポンポン打ち上がるが、時折、玉突き現象を起こして、打ち上げのタイミングが遅れる事もあった。この「遅れ」が原因で、V穴に入るべきタイミングで玉が発射されなかったり、逆にハズレ濃厚のタイミングを回避したりという「イレギュラー」が起きた訳だ。
★小羽根と回転体の同調タイミングを狙った、「止打ち攻略」
上記した通り、本機での大当りには、玉がヤクモノに入った直後の「小羽根」の向き(「ハの字」か「V字」か)と、回転盤のV穴の位置関係が、重要なポイントであった。
小羽根はゆっくり上下動を繰り返しており、最初の位置に戻るまでの周期は「約9秒」。
一方、タテ型の6穴回転盤は、約4秒の周期となっている。
これをザックリ計算すると、「4×9=36秒」を両者の「共通周期」と捉える事もできる。
この共通周期を使って、大当りの期待が高い「ベストタイミング」でのみ玉を打ち出す、止め打ち攻略法が編み出された。「シンクロ打法」と呼ぶ攻略誌もあったな…手順は少し違うが。
具体的には、小羽根がハの字(チャンス)に下がり、かつ、回転盤のV穴が「6時」(真下)の位置よりもやや左に来た時を、「チャンスタイミング」とする。小羽根と回転盤のタイミングを目で追い、チャンスタイミングを掴んだら、その前後のみ玉を数発打ち出す。それ以外はストップボタンで打ち出し停止。こうすれば、少ない投資で大当りを狙える…という訳だ。
しかし、これは根気と辛抱を要する(待ち時間が長い…)、正直「疲れる」方法であった。
しかも、「チャンスタイミング」そのものが、台のクセによって微妙に異なったりもした。
さらに、「止め打ちお断り」で監視のキツイ店だと、すぐに店員チェックが飛んできた(馬場駅前の「コスモ」はチェックがキツかった)。それでも、打ち手の心持ちとホールの環境次第で、それなりの結果ももたらす「技」であった。
★故・田山幸憲プロ、かつてのネグラ…池袋「S店」(山楽)の設置機種(1993年4月現在)
「パチンコ必勝ガイド」(白夜書房発行)1993年6/20号掲載の「田山幸憲のパチプロ日記」を見ると、当時の田山さんのホームだった、池袋「S店」(山楽)の設置状況を確認できる。
で、そのラインナップを見ると、S店地下に「ナパーム」(ニューナパーム)があった事がわかる。以下は、その抜粋(1993年4月4日付けの「パチプロ日記」より)。
「一週間ほど前に、S店では一部台の入れ替えがあった。(中略)これを以て、地下の八シマのうち三シマがデジパチに置き換えられたことになる。台の配列は、景品場の方から見ると、左から順に、ブルーハワイ(デジパチ)、モンロー(ハネモノ)、カバ丸くん(ハネモノ)、玉ちゃん倶楽部(ハネモノ)、バイキングキッド(ハネモノ)、ナパーム(ハネモノ)、ミラージュ(デジパチ)、花鳥風月(デジパチ)と相成り、あたかもハネモノが両側からデジパチに侵略されて行く図式だ。S店よ、お前もか!の心境。」
田山さんが本来「拠り所」としていた地下ハネモノが、ジワジワとデジパチに取って代わられる様子が、端的に現れている(元々、S店地下はハネモノのみだった)。ハネモノが徐々に淘汰されるという傾向は、私の活動範囲(新宿、馬場、早稲田etc)でも確実に進んでいた。
因みに、先日、田山さんの追悼記事で取り上げた新要件ハネモノの「サーカスIII」(三洋)も、やはり93年4月の新台入替をもって、S店から撤去されている(撤去後のシマには、同じ三洋の連チャンデジパチ「ブルーハワイ」を1Fより移設)。
以後、田山さんのS店メイン機種は、「(ニュー)モンロー」と「カバ丸くん(P3)」のハネモノ二機種に減る(いずれも西陣)。
因みに、田山さんがニューナパームをS店で打ったとの記述は、日記の何処にも見当たらないが、92年2月24日の日記(パチンコ必勝ガイド1992年5月号掲載)には、以下の記述がある。
「今年の初めごろだったか、新要件ハネモノのピンボール(西陣)が姿を消した。代ってその後に入っているのは、同じ西陣の何とか言う新要件機。まだ一度も打った事ことがないので、名前すら分からない。」
恐らくは、この「名称不明」の新台こそ、ニューナパームではないだろうか(時期的に考えても)。
事実、92年3月分のパチプロ日記にある「ジグマの歩き方」という囲みページ(必勝ガイド1992年6月号掲載)には、当時のS店の「シマ見取り図」が載っている。これを見ると、地下にバイキングキッドや旧要件のMr.フォールと並んで、「ニューナパーム」がしっかり並んでいる。
但し、この3機種は、田山さんが普段チェックする事のあまりない「守備範囲外」のシマ。この時期の守備範囲のシマは、地下がサーカスIII、モンロー、パチンコ大賞、ビッグシューターで、1FがブラボークイーンとパラダイスIとなっていた。
なお、件の新装があった93年4月は、田山さんにとっての「S店末期」でもある。それから間もない93年4月30日には、長年通い続けた池袋S店に別れを告げて、翌5月からは、東急溝の口駅の改札を下り、JR南武線・武蔵溝ノ口駅改札前ロータリーまで出た先の「B店」(P.S.ビッグトップ)に、ネグラを移したのだった。
因みに、田山さんが池袋から用賀に転居した時期は、ネグラ替えよりも早い93年1月5日。
この日からネグラ替えまでの間、「電車通勤するパチプロ」として、用賀から池袋までの道のりを日々出向いていた事は、田山ファンなら誰もが知るところだろう…。
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ニューナパーム(西陣、ハネモノ)
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