Quantcast
Channel: まにあっく懐パチ・懐スロ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 378

デジタルコンビ(藤商事、権利モノ)

$
0
0
1995年(平成7年)に藤商事から登場した3回権利モノ「デジタルコンビ」

 


・賞球…7&15

・デジタル当選率…通常時1/59、高確率時1/5.9

・図柄(配列順)
 左デジ:A、B、C、1、D、E、F、3、G、H、J、5、K、L、P、7(16通り。英字はハズレ図柄)
 右デジ:1~8(8通り)
・当選図柄…11、33、55、77(4通り)
※表面上の確率は「4/(16×8)=1/32」だが、内部確率は「1/59」

・3つ穴クルーン(コンビクルーン)搭載(手前1穴、奥2穴)

・手前がV穴、奥はハズレ。V入賞率は平均「1/5~1/6」とされたが、各台のネカセやクセで変化。

・平均出玉…16R継続×3回権利で、約6000発

・ゲーム性(概要)
(1)盤面左のスタートチャッカー(スルー)通過で、センターのドットデジタル(2ケタ)が始動。
(2)「11」「33」「55」「77」停止で、デジタル上部ヤクモノのアタッカーが約5.8秒開放。
(3)ヤクモノ入賞→中央穴に1個を一時のみ貯留(残りは左右のハズレ穴に入る)。
(4)貯留解除後、デジタル下の三つ穴クルーンに落下。クルーンの手前穴入賞で、権利発生。
(5)権利発生後は右打ち。右回転体と下部アタッカーの連動で、出玉を増やす(16R継続)。
(6)1回目権利後、通常打ちに戻して、再びデジタルを揃える(デジタルは1/59から1/5.9にアップ)。
(7)デジタルが揃ったら、アタッカー入賞→クルーン手前入賞で権利獲得→右打ち。
(8)3回目権利も同様に消化。  
おおまかなゲーム性は、上記の通りである。
なお、Youtubeに貴重な実機動画が複数アップされているので、
興味ある方は、ぜひ検索して頂きたい。  

現役時に本機を打ったのは、小田急線・読売ランド前駅の
「パチンコランド」(現存)という店。

 
ここで同時期、変則3回権利の「ギンギラパラダイスV」(ニューギン)、一発タイプの普通機
「必殺機(大入)」(三星)、ドット変則3回権利「スイスイマリン」(マルホン)なども打った。  
それと、スロ4号機では、「スーパーへヴィメタルA」(サミー)、「ニューパルサー」(山佐)、
「ウィリーチャンプ」(エーアイ)、「マフィアX」(タイヨー)、「マスターダックII」(タイヨー)、
「ビガー」(パル工業)などを実践。そういえば、時期はややズレるが、「サクラ」(マックスアライド)、
「ジェイズビクトリー」(タイヨー)、「007SP」(高砂)を、ここで触ったことも覚えている。
いつ訪れても、ラインナップが「香ばしかった」なぁ(そして、出方も…以下自粛)。  
因みに、このホールは、1990年代前半の2号機、3号機時代も、大変お世話になった店だ。
「アラジン」(ニイガタ電子2-2)と「ビッグパルサー」(山佐2-2)が背中合わせのシマに、
しょっちゅう足を踏み入れていた(後に、アラジンはアラII、ビッパルはスープラに入替)。
パチの実践機会も多く、’90年の旧要件末期に同店で打った台は、シマ配置まで覚えている。
「スーパーブラザース」(西陣)、「スタジアム」(三洋)、「パチンコ大賞13」(西陣)、
「め組1番」(京楽)、「ノックアウトI」(三洋)などのハネモノ。「ダービー」(京楽)、
「ファンキー7」(西陣)、「パールセブン」(マルホン)といったデジパチ。そして、
一発台「ベータ」(ニューギン)に、古い権利モノ「スーパーロボット」(西陣)。
カネとヒマのある限り、これらを打ち倒した。

まさに、私の「青春」が詰まったパチ屋だから、当時のホームだった
新宿エリアと同様、思い入れは強い。今も営業していて、嬉しい限りだ。

なお、1994年には、この店で、NTV系のドラマ「家なき子」のロケも行われている。
(菅井きん演ずるスリの老婆が、ドル箱の上に置いた財布を、すず(安達祐実)に盗まれるシーン)

おっと、前置きが長くなったが…      本機は、文字通り「(2桁ドット)デジタル」と「コンビ(クルーン)」を使った、
二段階振り分けの権利モノ。デジタルとアナログが「融合」したゲーム性で、
ファンを魅了。但し、一撃6000発のギャンブル台ゆえ、ヘタに深追いすると
痛い目にも遭った。
 
デジタル回転中に流れる「森のくまさん」のユルい旋律。左に大当り図柄が止まると、
メロディが継続して「リーチ」となり、右デジ停止が近づくにつれて、スクロールも
BGMもスローに切り替わる。曲のワンフレーズが終わる頃、右デジは当り図柄に届くが、
1コマズレの惜しいパターンも多発。かと思えば、1コマ手前で一旦止って再始動したり、
1コマ先から戻りで当ったり、数コマ手前からスルっと再始動したりと、意外性もあった。
(再始動は当たり確定)


無論、デジタルが揃っただけではダメ。上部アタッカーからコンビクルーンに入賞後、
手前のV穴(手前)に入って、ようやく権利発生。デジタルが回らないと話にならないから、
盤面左の始動チャッカーの釘チェックは重要。また、クルーンのV穴入賞率はネカセやクセで
大きく変わる為、 奥のハズレ穴ばかりに入る「クセ悪」は、極力避ける必要があった。    

しかし、今思うと、当時の藤商事は、よく、この機種をこの名称で登場させたなぁ・・・と思う。  
だって、考えてもみて欲しい。


「コンビ」と聞けば、大半のファンが、かの一発台の名機「スーパーコンビ」(三共)を連想するハズ。
それくらい、「元祖コンビ」は一世を風靡した訳だし、ファンの心にも強く「刺さる」台だった。

(画像は「スーパーコンビII」。セルとセンターチューリップの色が違うが、
ゲージ構成もヤクモノの作りもゲーム性も、元祖スーパーコンビと同じ) 
天下横の命釘を抜け、三つ穴クルーンに飛び込んだ玉が、クルクル回って手前か奥に落ちる。
至ってシンプルなゲーム性に、多くのファンがシビれた事は、皆さんよくご承知であろう。  
そして、元祖スーパーコンビに端を発した「三共・コンビクルーン路線」は、その後も
「スーパーコンビII」(旧)、「スターライトI、II」(旧)、「スーパーリミットII」(旧)、
「メドレーI」(新)、「トリプルパワーI」(新)と形を変えながら、着実に受け継がれた。  (旧:旧要件機、新:新要件機)
してみれば、「スーパーコンビ」は、三共にとって、まさに「至宝」ともいえる存在。
もちろん、三共のみならず、業界全体やファンにとっても、記念碑的な機種といえる。  
それゆえ、「スーパーコンビ」という正式名称は勿論のこと、略称の「コンビ」でさえも、
業界やファンにとっては、何か特別な意味を持つ、重要な「キーワード」だったハズだ。  
事実、「コンビ」の名称に対しては、他メーカーもそれなりの「敬意」を払っていたようで、
80年代後半~90年代半ばの機種で、「コンビ」の名を冠するものは、あまり見当たらない。
(「コンビネーション」を含む機種はあるが)。   もちろん、三共以外の各社が、アツさ満点の「コンビクルーン」を取り入れた機種は多いが、
それとて、「コンビ」と名の付く機種は、皆無に等しい。やはり、三共への「リスペクト」だろう。  
だが、藤商事は、液晶主流だった1995年・秋、他社が自重した「コンビ」の名を、堂々と使用した。
しかも、元祖コンビの代名詞である「三つ穴・コンビクルーン」を、ゲーム性に大きく絡めた形で。
さらに、大当り中や2,3回目の権利中は、元祖コンビと同様、「静かな湖畔」のメロディが流れた。  
いずれも、元祖コンビの「オマージュ」とも取れるが、三共にとっては、「本家」を差し置いて、
大切な「コンビ」の名を他社が使った事に、忸怩たる思いが芽生えたとしても、不思議ではない。
まぁ、単なる「杞憂」に過ぎないかもしれないが…。  
さらにいえば、当時の三共は、本機とほぼ同時期、「スーパーコンビSP」(1995年)という
3回権利モノを出している。「SP」は、スーパーコンビの名を継いではいたが、液晶主体で、
「元祖コンビ」とは大きく趣が異なる。三つ穴クルーンも実物は非搭載で、2,3回目の権利時に、
液晶演出として出るのみ。確かに、演出は秀逸で、デキも非常に良かったが、肝心のクルーンが
「バーチャル」というのが、旧・一発台ファンから見れば残念であった。

(スーパーコンビSP…大当たり確率1/105、3回権利、出玉約6000発)  
対して、藤商事は「SP」とほぼ同時期に、コンビクルーンの「実物」を使い、機種名に
「コンビ」の名まで冠した三回権利モノで、本家・三共と渡り合っていたのだ。

一発台ファンにすれば、流行りの液晶に拘って後継機「SP」を出した「本家」三共よりも、
アナログな三つ穴クルーンを搭載した本機の方が、元祖コンビに「回帰」しているように見えた。
両機種が時期的にカブったのは偶然としても、三共にとっては、何とも「皮肉」な話である。    
そんな中、翌1996年の初夏、三共の関連会社である大同(DAIDO、現・ビスティ)から、
コンビクルーンを搭載した一発型の普通機「ミサイル7-7-6D」が登場して話題となった。  
(大同「ミサイル7-7-6D」)


一説では、「ミサイル」は保通協の検査クリア後、しばらく世に出ることなく、
倉庫の奥で眠っていたが、検定からだいぶ経った96年初夏、急遽発売に至ったという。

まぁ、「液晶過多」にファンが飽きてきた事で、「アナログ回帰」を図ったともとれるが、
私の考えは、単にそれだけが、ミサイル登場の理由とは思わない。自分の「仮説」はこうだ。  
ミサイルがこの時期デビューしたのは、前年、デジタルコンビで藤商事に出し抜かれた三共が、
「ウチが、コンビの本家だ!」と激しく対抗心を燃やして、「本家のプライド」を刺激された形で、
以前に保通協を通っていたストック状態のミサイルを、引っ張り出す気になったからではないか?

なお、この時は「大同」のリリースだったが、三共自身も、2000年登場の「CRスーパーコンビSP」で、
コンビクルーンへの「アナログ回帰」を図った(2桁デジタルとの融合で、藤商事に「逆対抗」した形)。


してみれば、’95年のデジタルコンビ登場が、名機「ミサイル7-7-6D」のデビューを
「誘発」したとも考えられる。何か、メーカー同士の「思惑」が垣間見えるようで、面白い。
まぁ、あくまでも「推測」の域を出ないが。    
だが、当の藤商事にも、本機のような(デジタル付き)コンビクルーンの台を出すのには、
キチンとした「根拠・理由」があったことを、申し添えておかねばなるまい。  
元祖スーパーコンビ登場から約1年後の1987年(昭和62年)、藤商事は、
アレンジ型一発台「シャトル21」を送り出した。大人気だったこの機種も、
本機と同じく「2桁デジタル」と「コンビクルーン」が特徴だったのだ。
(クルーン(奥穴)入賞でデジタルが回る為、本機とゲームの流れは逆だが)

  (藤商事「シャトル21」)

また、同社は、その後に出したアレンジ型の一発台「マーダー」や「コメット」でも、
やはり、デジタルとコンビクルーンの両者を採用。

さらに、新要件期にも、アレパチ「サンライズ」、連チャンアレパチ「エキサイト」、
2回権利モノ「サンセット」、連チャンデジパチ「クルクルセブン」などにおいて、
クルーンとデジタルの両者を取り入れている。
(本機以後だと、権利モノ「カリブ6」も両者を搭載)


(藤商事の連チャンアレパチ「エキサイト」)  
つまり、藤商事は、本機以前から、「コンビクルーンとデジタルを組み合わせた機種」を、
幾つも出していたのだ。 この「デジタルコンビ」も、シャトル21以来の「系譜」と位置付けても、何らおかしくはない。
本機のデジタル確率は「1/59」だが、これは、シャトル21の大当り確率「1/60.5」に極めて近い。
この点も、本機がシャトル21を意識した証左ではないか。
ともかくも、コンビクルーンは、本家の三共のみならず、
藤商事にとってもまた、昭和期からの重要なアイテムだった訳だ。
その集大成が、今回紹介した、デジタルコンビだったのかもしれない。
ただ、本機で「コンビ」というデリケートな名称を使ったことが、
当の三共を「刺激」した可能性は、大いにあろう。



まぁ、とりとめもなく、あれこれと書いたが、デジタルコンビ登場の経緯については、
藤商事には藤商事なりの主張が、三共にも三共なりの言い分があるだろうから、別に、
「どちらが良い、悪い」という類の話ではない。また、先述の通り、これらは私が勝手に
思い描いた「杞憂」である可能性も、大いにある(その場合、両社の方々、御免なさい)。


ただ、当時の流れを追っていくと、「デジタルコンビ」「スーパーコンビSP」
「ミサイル7-7-6D」という各機種の間に、奇妙な「関連性」「相関性」が
あるのではないか…と、今更ながらに思いを巡らせるのだ。


今回は、この辺で。    

Viewing all articles
Browse latest Browse all 378

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>