またまた「超・局地ネタ」で恐縮ですが…。
ここ最近の回顧記事では、かつて地元だった小田急線「読売ランド前駅」近くの
パチ屋「パチンコランド」に触れる機会が増えた。その際、現在の駅前の様子を
ストリートビューで見る事も多くなったが、私が知るかつての駅前とは、大きく
様相が変貌している事に気が付いた。まぁ、時代の流れなので、当然といえるが…。
ただ、「1975年~1995年」と20年以上お世話になった「思い出の地」が、
全く趣を異にしている現状に対しては、一抹の寂しさも覚える。
そこで今回、ストリートビュー画像を参考にしつつ、最も記憶に刺さる
「1980年代」当時の駅前の様子を、個人的な備忘録も兼ねて紹介したい。
まぁ、需要は極めて低いと思うが…。
※下記画像の著作権は、一部を除き、全てGoogleに帰属します
(C)Google
現在の駅舎。随分と立派になった。80年代はまだ木造で、
駅舎の大きさも半分程。木枠の改札に駅員が立ち、ハサミを
パチパチやっていた。改札を入って左の古いトイレも懐かしい。
一方、改札を出て左手(画像右奥)に、小田急の小さな売店と
赤電話、電話ボックスがあった。
駅改札を出て左の立ち食い「生そば箱根」。1980年代は、ここで
「ラピットナイン」(Rapidと書いてラピットと読ませたような…)
というハンバーガー屋が営業。日本女子大付属の学生など若者に人気も、
いつの間にかクローズ。私も小学生時分、駅近くの某・学習塾に行く途中、
ここを利用する機会が多かった。そういえば、その塾の夏期講習中、早々に
昼食を終えて悪友と教室で駆け回ってふざけていたら、弁当を食べ始めた
ばかりの女の子の机を倒してしまい、弁当を全部床にぶちまけてしまった。
その子はワンワンと泣いた訳だが、私と悪友でラピッドナインに出向いて、
ハンバーガーとジュースを買って、何とか許して貰った思い出がある。
因みに、ラピッドナインができる前(70年代後半)、同じ場所には
「小田急フローリスト」という花屋があった。
改札を出て右手のスーパー「オダキューOX」は、80年代当時も営業。
確か、以前のロゴマークは、「カタツムリ」だったような記憶もある。
一時期、1Fの窓際辺りに「万里庵(まりあん)」というラーメン店が
テナントで入っていた。入口手前の「京樽」(持ち帰り寿司店)も、
80年代から営業。京樽の左隣には、系列の焼き鳥屋「京鳥」も存在。
改札の正面にある喫茶ドトール。かつて、ここは「リイド書店」
という本屋だった。頻繁に利用したので、リイドのブックカバーが
自宅に無いか捜索したが見つからず。因みに、リイドが入る前は
「玉井寝具店」が営業(リイドができて「西生田商盛会」通りに移転)。
「リイド書店」のすぐ左側には、かつて「大塚書店」が存在した。
そう、読売ランド駅前は、改札前に2軒の本屋が並んでいたのだ。
こちらでも、コミックや学参なんかをよく買っていた。因みに、
左の白い螺旋階段を上がった2Fに、居酒屋「つぼ八」があった。
(平成初期の大学生時代に、地元の友人達とよく酒盛りした)
大塚書店が入る前、ここで「サーティーワンアイスクリーム」
が営業していた事もあるが、時代が早すぎたか、あえなく閉店。
(ここのチョコミントとバナナの「二段重ね」が好物だったが)
「大塚書店」の左隣(現・中川薬局)にあったのが、
「フジヤ」という文具・化粧品の店。品のいい感じの
お婆さんと、物腰の柔らかい娘さん(といっても割と
年配だった)の親子がやっていて、大いに重宝した。
「フジヤ」の左隣には、かつて「スペースセンター」という小さな
駅前のゲームセンターがあった。さらに左隣では、パンや菓子を
扱う個人商店「みのわ」が営業。現在は立派なビルに変わっており、
’80年代当時の古い面影は残っていない。
「みのわ」の左隣にあったのが、中華料理「大京園」。古くからある
老舗で、味にも定評があった。ただ、個人的に、ここのラーメンに乗った
チャーシューが大の苦手で(八角の漢方っぽい風味がダメだった…)、
細切り豚肉が大量に乗った「肉ソバ」や、野菜たっぷりの「五目そば」を
いつも注文した(ギョーザも付けて)。色白で温和な女将さんが懐かしい。
現在はマクドナルドの垢ぬけた建物になり、ずいぶんと趣が変わった。
「大京園」左隣の「横浜銀行」は、古くからここで営業。
パチとは切っても切れない所で、「パチンコランド」で
資金切れを起こした私は、必ずここのATMに駆け込んだ。
「横浜銀行」左隣の角地は、「山田家」というそば屋だった。
(そば屋といっても、ラーメンも食べられるのが特徴)
現在「山田家ビル」という立派な建物になったが、当時は
いかにも昭和然とした古い作りだったので、変貌ぶりに驚く。
「山田家」と路地を挟んで、真向いの角地にあったのが、
「ふじの酒店」という酒屋。現在「トーアホーム」という
不動産屋に変わっており、ふじのは「西生田商盛会」通りに移転。
また、画像左奥に見える緑色のアーケードの所には、かつて
「デュエット」というレコード(CD)店があり、よく利用した。
今も、当時の会員カードが手元に残っている。また、デュエットの
2Fには「スカイ」という狭い床屋があって、小学生時分に利用した。
(C)まにあっく懐パチ・懐スロ
「山田家」と「ふじの酒店」の間にある、細い路地。現在は
閑散とした雰囲気が漂うが、80年代当時は数多くの店舗が
所狭しと並んでいた。ストリートビューの関係で、路地に入った
画像は無いが、当時の状況をざっと紹介すると…
コチラから見て右側は、手前から「山田家」「ユウキ時計店」
「トロントベーカリー(パン屋)」「もーり(牛丼、とんかつ)」
という並びだった。さらに、「もーり」の隣の川沿いに、当時
「カネボウ食品」の社員寮なんかもあった。
路地の左側はさらに充実していて、手前から「ふじの酒店」
「大関青果店」「みねや寿司」「ドラッグストアめぐみ」
「龍王飯店(中華)」「ブティックらん(婦人服)」
「羅生門(喫茶・スナック)」「ロミオ(床屋)」「基礎英語教室」
「純手芸本店」という、何とも豪華な?ラインナップだった。
因みに、「基礎英語教室」ができる前、同じ場所で「やなぎ書房」という
小さな本屋が営業していた(70年代半ば~80年代初頭)。
駅前通りに戻って、踏切の前。ラーメンチェーン「東秀」のあった所は、
80年代中盤~後半、「入舟」というカラオケスナック(パブ)だった。
この場所は割と歴史があり、「入舟」になる前がレストラン「フルール」、
さらにその前は「ブックスプラザ尚文堂」という本屋がテナントで入った。
「入舟」が潰れた後に出来たのが、レンタルビデオチェーンの「日の丸」。
その後に入ったのが「東秀」。但し、東秀は既に閉店、現在は、
七輪炭火焼肉の店「遊輪」が営業している。
さて、駅改札前に戻ると、「リイド書店」のすぐ右隣には、
当時「富田屋」という魚屋があった。頑固そうなお婆さんと、
割とコワモテな感じの息子二人が、店を切り盛りしていた。
ザリガニやドジョウなど、淡水生物も取り扱っていたお店。
現在、その跡地では、ラーメンチェーン「日高屋」が営業。
「富田屋」の右隣、現在「かわしん」のビルがある所には、
当時「やぶ久」というそば屋があった。私も家族もここの
大ファンで、天ぷらそば、天ざる、カレー南蛮、天丼など、
どれをとっても美味かった記憶が残る。2Fで鰻を扱っており、
「肝焼き」を生まれて初めて食べたのが、此処の2Fであった。
「富田屋」の右隣は、1Fが老舗の酒屋「コロモヤ」で、同じ建物の2Fが
レストラン「ブルーメ」だった。ブルーメには、家族で定期的に通っていて、
「ジャーマンハンバーグ」や「サーロインステーキ」が好物だった。
ここの店員さんは、アクション俳優のブルース・リーに似ていた。
「コロモヤ」の右隣は「小島青果店」(八百屋)だった。
さらに右隣の角地「東亜商事」は、現在も営業を続ける老舗。
東亜商事の2Fに「セモリナ」という老舗パスタ屋があるが、
セモリナがオープンする前には、「グーグ」という名の
パスタ屋が入っていた(80年代半ば)。
「東亜商事」向いの角地には、「靴のイシイ」という靴屋があった。
小学校の上履きや体育用シューズなんかは、大抵ここで買っていた。
その左隣にあったのが、「コタニカメラ」という小さいカメラ屋。
カメラフィルムを現像していた時代、頻繁に利用した店だ。
「靴のイシイ」の右隣(オダキューOXの向い)には、かつて
「ピノキオ」という小さなおもちゃ屋があった。幼少期、ここで
親にミニカーをよく買って貰った。ただ、ピノキオは80年代前半に
潰れてしまったハズ。その後は、色んな店舗が「出ては入り」を
繰り返したが、どれもイマイチ記憶に残っていない。
「ピノキオ」右隣の電気店「コバヤシ」と、その右隣の床屋
「ハセガワ」は、昔からずっとやっている。移り変わりの
激しいこの界隈で、二店並んで健在なのは、嬉しい限りだ。
「ハセガワ」右隣は、とんかつの店「三九」(「ざんく」と読む)。
小さい店だが、サクサクのカツとたっぷりのキャベツ、それに
出汁の効いた味噌汁が美味しい地元の「名店」だった。
店の右にある小さな橋(ガード)を渡った先が「パチンコランド」。
画像では、「LAND」と書かれた四角い看板が見えるが、80年代は
もっと派手派手な、カラー電飾の円形ネオンだった(90年代も同じ)。
なお、「三九」は、現在、同じ通りにあるビルの2Fに移転した模様。
「三九」の真向かい、「パチンコランド」に続く橋を挟んだ角地は、
かつて「新光書房」という小さな本屋だった。この画像では草木が
生い茂って、店舗の姿がハッキリ確認できない(現在は更地となった模様)。
老夫婦が営むこの書店では、高校生時分、店頭に平積みされた
「お色気関係」の雑誌を、学校や塾の帰りによく買っていた。
(「GORO」「スコラ」「ザ・ベスト」など多数…)
その「新光書房」の右隣は、地元の不動産屋「ハウスランド」だった。
後に「ランド地所」となったが、現在は向ヶ丘遊園駅に移転した模様。
画像では、その跡地が「LA BONBONNERIE」という雑貨と
お菓子の店になっているが、現在も営業しているかは不明…。
ハウスランドの右隣では、80年代「スガハラベーカリー」
というパン屋が営業。当時、駅周辺にはパン屋が多かった。
「スガハラベーカリー」右隣のクリーニング店「つくば」は、
80年代当時も営業していた老舗だ。
「つくばクリーニング」右隣には、当時コインランドリー「マルエー」があった。
そして、マルエーの右隣が居酒屋「忠ちゃん」。その後、忠ちゃんは同じ通りの
別の建物に移転して、現在も営業を続ける。
小田急線下りホームの裏、川っぷちの角地では、当時
「渡辺生花店」という花屋が営業していた。2Fには、
「スナックアスカ」という小さな飲み屋があった。
現在、渡辺生花店は「西生田商盛会」通りに移転。
渡辺生花店の左隣、現在「忠ちゃん」がある場所では、
80年代当時、「双葉寿司」という寿司屋が営業。
「双葉寿司」の向いが「パチンコランド」だが、外観は大きく変わった。
画像の位置(手前)は現在駐車場だが、右手ガードレールのすぐ下に、
80年代当時「ゲームコーナーランド」というゲーセンがあった。私は、
このゲーセンに置いてあった「草野球」というアーケード野球ゲームが
得意で、友人と編み出した「攻略法」を使い、50円で延々遊び続ける
技を体得。また、タイトーの旅客機体感シミュレーションゲーム
「トップランディング」も大好きだった。
(コチラはサッパリ攻略できず、いつも序盤でゲームオーバー…)
「パチンコランド」の裏側にあるのが、「マイタウン西生田」という
ショッピングビル(現存)。かつて、この1Fに「まるこお」という
小さなスーパー(食品店)があった。その後、地元スーパーのチェーン
「ゆりストア」も入ったが、閉店(跡地はペットショップも入った)。
そういえば、ビルの2Fには、80年代前半「メルヘンハウス」という
ファンシーグッズと文具の店があり(女子に人気)、小・中学生時分、
香り付きの消しゴムやキャラクター入りのノート、それにイーグルサム
(ロス五輪のキャラ)のカンペンケースなどを買った記憶が残る。
「マイタウン西生田」向い、「双葉寿司」の左隣には、
かつて、老舗和菓子店「万福堂 栄月」があった。
「栄月」左隣の「才沢園茶舗」(お茶、海苔、たばこ)は、
80年代当時も営業しており、今も健在の様子。
「才沢園」の右隣、「美容室」のシャッターがある所は、
80年代当時「九州」という天ぷら店だった。その左隣に
家電店「クワシマ」があった(少し前までやっていた模様)。
「クワシマ」の左隣で80年代に営業していたのが、ペットショップ
「ニューパンダ」。昔、家で犬と金魚を飼っており、餌やグッズは
必ずここで購入した。その後、この店舗がクローズして、先述した
「マイタウン西生田」の1Fに移転したハズ。現在、ニューパンダ跡地には
近代的なマンションが建ち、かつての昭和チックな様子は見られない。
その「ニューパンダ」のすぐ左側にあったのが、
知る人ぞ知る、読売ランド前の名店「来々軒」。
昔ながらのラーメン屋。かつて、この店はドラマ
「どっこい大作」のロケ地にもなった。しかし、
現在は閉店。また一つ、ランドのシンボルが消えた。
「来々軒」の左隣には、「ミリオン」というスナックがあった。
場末感タップリの店で、いかにも怪しい雰囲気が漂っていた。
紫色のネオン看板が妖艶だった。だいぶ昔に閉店した筈だが、
画像では、当時の赤いアーケードが確認できる。
続いて、駅前のメインストリート、「西生田商盛会」通り。
まずは、駅の方から見て、左サイドにある店を紹介しよう。
先ほど紹介した角地の「東亜商事」の右隣、橋のたもとで
営業していたのが、家電ショップ「電化のマルエー」。
既に閉店しているが、当時の名残ともいえる店舗の看板が、
現在もストリートビューで確認できる。
コレ
橋を渡って反対側の「すずらん美容室」は、当時から営業。
かつて、母親がこの店の常連だったので、なじみ深い店。
「すずらん美容室」隣の洋菓子店「モンタナ」も、昔から続く老舗。
もう長い事、この店の味を堪能していない。バナナとチョコと生クリームと
スポンジケーキの「サンレモ」、洋酒のかかった大人のケーキ「サバラン」、
それに長方形のチョコレートケーキ「ダミエ」なんかが、特に好きだった。
「モンタナ」の右隣では、かつて「クロワッサン」
という小さなパン屋が営業していた。ここの
カレーパンが香ばしくて好きだったな。
「クロワッサン」の右隣に、かつて園芸店「苔石園(たいせきえん)」があった。
店頭に小さな盆栽をズラッと並べていたのが印象的。その後、花屋になったり、
小さな飲み屋になったりして、’90年頃に「養老乃瀧」が入るも、その後閉店。
「苔石園」隣の精肉店「肉の伊勢屋」は、古くから続く老舗。
国際的なソーセージの品評会で金賞を取った名店として有名。
80年代当時、店先で焼き鳥を焼いていたが、現在はどうかな。
伊勢屋の隣が、八百屋の「むさしや青果店」。コチラも老舗。
色黒のオヤジさんの人柄がよく、力士の「武蔵丸」に似ていた
記憶が残る(ムサシ繋がり)。現在は代替わりした模様。
「むさしや」右隣の老舗、「松川屋豆腐店」も健在の様子。
「松川屋」の右隣にあったのが「福寿司」。
現在の様子からは、寿司屋だった面影が無い。
但し、7年前のストリートビューだと、
「福寿司」時代の外観が何となく判る。
「福寿司」右隣の角地には、和菓子店「太平屋」があった。
「おおひらや」ではなく、「たいへいや」と読む。ここの
みたらし団子と柏餅は絶品だった。70~80年代当時、店頭に
アイスの冷凍ボックスが置いてあり、「宝石箱」「パピコ」
「ホームランバー」「パナップ」「ガリガリ君」などを買った。
ここの思い出深いエピソードというと、80年代前半、太平屋が
新装イベントを打って、タレントの「斉藤清六」を呼んだ事がある。
店の向いの小さな駐車場で、「ミニコンサート兼サイン会」を行った。
当時の清六さんの新アルバム「なんなんなんだ」の販売を兼ねたもの。
夏の暑い盛り、汗だくで、レコードのジャケットと同じバンダナ装で
熱唱する清六さん。破壊力抜群の歌唱力に圧倒され、親に頼んでLP購入。
コミカルで独特なサインの横に、似顔絵入りのスタンプを押して貰った。
(その時の汗がポトリと垂れたサイン色紙が、今も家のどこかにあるハズ)
そうそう、イベント中の清六さんが、太平屋の向いにある立ち食いそば
「豪ちゃん」を宣伝しようとして、「立ち食い豪ちゃん、ヨロシク!」
なんてステージで強調していたが、あの店は「そば屋」というよりも、
当時は「パチンコランド」の換金所として存在するような店だったから、
子供心に「何で、あんな店の宣伝をするのかな?」と思ったものだ。
この日、一度帰宅後、母親や弟と一緒に新宿に行く用があって、読売ランド前の
駅に行ったら、駅構内で、イベントを終えて帰路に就く清六さんと遭遇した。
そのまま千代田線直通の準急に乗り込み、清六さんと隣り合わせで、あれこれと
車内で会話したのが思い出深い。当時放映中のCM「白元 ホームチェイス」で
共演した女の人は誰か、といったことを質問した記憶がある(名前は忘れたが)。
その後、代々木上原駅で我々は降りたが、本当に気さくで感じの良い方だった。
(7年前のストリートビューを見ると、営業当時の姿が確認できる)
清六さんが「営業」を行った駐車場。当時、駐車場は左側だけの狭いスペースだったが、
今は随分と広くなった。駐車場が広がる前の80年代、画像右手には喫茶店の「伽羅」、
弁当屋「すしてりあ」(その前は電気屋「東信電気」)、そして「佐藤工務店」が存在。
(「すしてりあ」閉店後に弁当屋「キッチンはうす」が入るも、現在は別の場所に移転)
引き続き、「西生田商盛会」通り。今度は駅から見て右側にある店。
角地の「靴のイシイ」と隣の「コタニカメラ」は既に取り上げたので、
橋を渡ったこの辺りから紹介。茶色っぽい民家風の建物は、かつて
「阿部医院」という小さな病院だった。但し、80年代に入ってから
病院とちょっと異なる「医療研究・調査」的な施設に変わったハズ。
「阿部医院」の左隣は、80年代当時「ふくや」という和食店だった。
この店の2Fがお座敷になっていて、当時入っていた少年野球チームの
納会(年に一度ある)が、ふくやの2Fだった。「オムライス」と
「サイダー」が振る舞われる決まりで、優秀選手の表彰も行われた。
(自分も二回ほど貰った記憶アリ)
画像から、先述した「渡辺生花店」(駅ホームの裏にあった)が、
現在、ふくやの跡地に入っている事が確認できる。
「ふくや」の左隣は、現在「幸(ゆき)ドラッグ」という薬局だが、
’80年代当時も、やはり薬局だった。但し、店の名は「内藤薬局」。
店頭には、薬局らしい「象のキャラ」(佐藤製薬)が出ていた。
内藤薬局の左隣の角地では、80年代当時「橋本工務店」が営業。
木枠のガラス戸を手で横開きして入る、趣深い入口になっていた。
「橋本工務店」向かいの鮮魚店「魚滝」は、昔から営業する老舗。
右の路地を入った先が「パチンコランド」。途中に換金所があった。
今も、換金所の場所は同じだろうか。
「魚滝」隣の精肉店「肉の鳥武」も健在。ここも老舗。
伊勢屋と同様、当時は店頭で焼き鳥を焼いていた。
両店舗の「焼き鳥合戦」が、あの界隈の名物だった。
小さい頃、ここで日本ハムファイターズ(当時)の
試合の優待券を貰って、後楽園球場に出向いた記憶も。
「鳥武」左隣の白い建物。かつては、呑み屋「スナックあい」と
立ち食いそば「豪ちゃん」があった。豪ちゃんは、昭和~平成初期、
「パチンコランド」の換金所になっていた。カウンターの左奥に、
景品(現金)受け渡し用の、小さな窓口があったのだ。
また、4号機時代、ここに「スロットランド」というスロ屋があったが、
2000年代に閉店。マツヤ「パタッキー」や、山佐「花月」などを実戦。
「豪ちゃん」の左隣は、宝石・時計・メガネの専門店「ユウキ」。
80年代から営業していた老舗。元々、駅前の「山田家」を入った
路地に古くから店を構えていたが、80年代にこちらがオープン。
その後、路地の店がクローズして、コチラの店一本になったハズ。
「ユウキ」左隣の酒専門店「ふじの」。上述の通り、元々は
踏切そば「山田家」向いの角地にあったが(現「トーアホーム」)、
平成初期にコチラへ移転。その後、デイリーストアなどの
コンビニになった事もあるが、現在は酒屋として営業中。
「ふじの」の左側には、「玉井寝具店」という布団屋があった。
先述の通り、元々は「リイド書店」の位置で営業していたが、
リイドがオープンしてコチラに移転。現在、「西川寝具専門店」。
上記の商店街から、少し離れた位置にある銭湯「ヘルスよしの」。
昔からやっている老舗。かつては「よしの湯」という名前だった。
当時所属した少年野球チームの集合場所だったが、今は知らない。
かつての思い出…70年代の「よしの湯」だった頃、閉店後の夜、
入口脇のジュース自販機で100円の「不二家ネクター」を買ったら、
ボタンの購入ランプがまだ点灯中。そこで、もう一度ネクターの
ボタンを押したら、案の定、ガシャンと出てきた。しかもランプは消えない。
「これは儲けもの」と、ひたすらネクターのボタンを押し続けた。
この方法で10本タダで出した後、「ネクターばかりじゃ飽きる」と、
隣の「レモンスカッシュ」のボタンを押したら、ガシャンと一本出た後、
そこで購入ランプは消えて、うんともすんとも言わなくなってしまった。
あのまま色気を出さずに、ネクターのボタンだけをプッシュし続けたら、
一体、何本出てきたのだろう…。
ゴト師まがいの所業だが、30年以上昔で時効だから、許して下さいね。