1995年(平成7年)にパル工業から登場した4号機「ビガー」
★リール配列
ノーマルは打った事が無いから、ゲーム性は知らない。
だから、ノーマルのBR確率表も載せない(笑)。
今回の主眼は「連続チェリー前兆がアツかった」の一点。
(それに、当時の「個人的エピソード」を絡めた)
記事をご覧の方々にも、それが伝われば十分である。
因みに、チェリ連ビガーのゲーム性(解析)を、ご自身の
ブログで解説している方もおられる。もう9年前、ネットで
貴重な情報を供出されたその方に「敬意」を表して(他に
具体的な解析の数値が出ているサイトはない模様(その方の
ブログ情報をそのまま使っているようなサイトはあったが))、
本記事は解析値に触れない事にした。詳細を知りたい方は、
「ビガー、チェリー連、解析」でググると、一番上の候補に
出てくるハズ。今回記事では、「あえて」細かい解析数値に
触れていないので、是非ご了承、ご協力の程を。
さて、私は本機を目にすると、「運転免許証」をすぐに思い出す。
なぜなら、当時打っていたのが「自動車教習所」近くの店だから。
95年当時、私は普通免許を取るべく、川崎・宮前区にある
「M自動車学校」に通っていた。パチ・スロが好きなのは
相変わらずだったが、教習前にホールに寄っては、大事な
教習をすっぽかしてしまう危険が多分にあったので、極力
教習当日の勝負は避けていた。普段は、地元駅の近くから
送迎バスで教習所に出向き、予定の教習を受けたら、また
そそくさと送迎バスに乗り込み、真っすぐ帰還するという
「直行直帰」のスタイルをとっていた。
だが、ある日の教習を終えた後、急に悪い「遊びの虫」が
疼きだして、「折角だから近くのパチ屋に寄ってみよう」
と思い立った(まぁ、教習後なので問題は無いが)。
幸い、教習所から少し歩くと(といっても案外距離がある)、
東名川崎インター傍に「K」という大きなパチ屋があるのを
知っていたから、テクテク歩いて店まで向かった。因みに、
今はその教習所のすぐ近くに「D」という大型店もあるが、
当時はまだ開業前である。
交通量の多い尻手黒川線を下っていくと、20分程でK店着。
インター前に店があるのは前から知っていたが、入店は初。
中は広くて台数も多い。客もびっしり。やっぱり、東名の
インター近くの大型店は、地元ホールのひなびた雰囲気と
一味違うなと感心しつつ、スロットシマを物色していると…
そう、そこで初めて「ビガー」と対面したのだ。アメリカの
国旗を思わせる派手な下パネルに、「VIGOR」の横文字。
それがズラっと並んだシマはほぼ満席状態で、やたらと
「活気」が感じられる。独特のボーナスサウンドが響き、
頭上にドル箱を積み上げる客も多くいる。香ばしい…。
当時、馴染みの店でビガーを置くところはまだ無かったから、
「どんな台だろう」とワクワクしながら、空き台に速攻着席。
但し、「チェリー連(前兆)」の存在は、まだ知る由もない。
すると、3000円ほど突っ込んだ辺りでチェリーが出現する。
「そういえば、まだチェリーは一度も出てなかったな」位に
しか思わなかったが、次プレイもチェリー。そしてその次も。
ハズレも時折出るが、チェリーが妙に連発する。この時点で、
「あれ、何かおかしいぞ」と感じた。
※中リールもチェリーを狙えば、連チェで取れた
2号機や3号機なら、このテのチェリー連続が「等倍返し」の
ボーナス前兆となってもおかしくないが、4号機では禁止に
なったハズ。それでも、「ボーナスが入ったのか」と思って
BRを狙うが、チェリーは来るのにボーナスが揃う気配なし。
何だ、これは…ひょっとして?
妙な違和感を感じながらゲームを続行すると、そのうち
全くチェリーが落ちなくなる。おや?と思ってビッグを
狙ってもダメ。バケを目押ししても、やはり揃わない。
再び、何の変哲もない通常ゲームへと戻ってしまった。
あのチェリー集中は、いったい何だったのか…。
結局、その日は3回ほどチェリー集中を引いたものの、
全て「タネ無し」。ビッグは無論、バケさえ引けずに
終わる。ただ、自分で打って周りの挙動も見ていると、
チェリー連続でボーナスに繋がるのがハッキリ判った。
しかし、単なる「ガセ前兆」もあって安心はできない。
また、平均3~4000円ほどでチェリ連が「周期的」に
出るのも体感した。面白い、これ…「アレ」濃厚だが。
そんな風に「チェリ連ビガー」を打ち出してからは、
スロ勝負を避けていたハズの教習日が、逆に「ビガー
に会える日」として楽しみになってしまった。当時、
仕事の都合で、土・日の教習と平日のナイター教習が
主だった。流石に平日夜間の勝負は避けたが、土日の
昼までに教習が終わると、午後はたっぷり時間が空く。
尻手黒川道路沿いのラーメン屋で昼食を取ってから、
K店に出向いてビガーに着席。ただ、どんな展開でも、
夕方5時頃(休日、最終の送迎バスが出る時間)までに、
教習所に戻るようにしていた。まぁ、無料の送迎バスに
乗りたかっただけたが。ホールで万券を両替して勝負を
していたクセに、たかがバス代程度ケチっていたのは、
今思えば、随分と滑稽な気がする。
結局、K店のビガーとは、教習を終えるまでの約半年、
主に土・日の昼下がりから対峙していたが、この時の
実戦で多くの特徴を掴んだ(チェリ連ビガーの解析は、
まだどの雑誌にも出ていなかった時期である)。
(当時、実戦で掴んだ特性)
・チェリー前兆は「ボーナスorガセ」の2種類ある
・チェリー前兆には「周期」のようなものがある
・前兆は10P以上長引いたり、短いプレイですぐ終わったりする
・前兆中、チェリー以外(ハズレ、12枚、リプ)が出る事もある
・チェリーが絡むボーナスは必ずビッグ(⇔バケは前兆無)
・単発ビッグも多く、毎回必ず連チャンする訳ではない
・ショボ連と長めの連の2パターンある
・リプレイハズシがやたら効きまくる
・コイン持ちはさほど良くない
などなど
まぁ、自分は教習後に少ない空き台を見つけては、やみくもに
座る機会も多かったから、ビッグ単発やショボ連の繰り返しで
結構やられていた。運よく一撃2000枚も出れば、それだけで
十分満足と思い、収支がトントンならばサッサと帰っていた。
無論、好調な客は、早い初当りと長い連を絡めて、短時間で
頭上のドル箱を満タン、2箱、3箱…と増やしていた。それに
比べると、「アウェイ」の自分は明らかにヒキ弱であった。
まぁ、あの時は勝ち負けよりも「チェリー前兆がホンモノか
ガセか」のシンプルなゲーム性に、博打の「本質」を見る
気がして、すっかり「虜」になっていたのだ。
今回伝えたい内容は、これで大体書いた気がする。
そうそう、「ビガー=教習」と勝手に脳内変換されるので、
高速教習の帰り道、東名川崎で降りて緊張感から解放された
途端、気が緩んでしまった苦い記憶も蘇る。片側二車線の
尻手黒川道路(一般道)で、横に並走車がいるのを完全に
見落とし、いきなりそちら側に車線変更しようとしたのだ
(危なすぎ)。すかさず、隣の教官(故・東野英心似)に
ハンドルをグッと掴まれて、低い声で「路肩に寄って止まれ」
と言われた。無論、停車した車内でキツイお説教を食らった…。
正直、本記事を「物足りない」と感じる方も多いだろうが、
(特に解析、スペック面)今回はシンプルな内容でご容赦
願いたい。繰り返すが、詳細な解析内容を知りたい方は
「ビガー、チェリー連、解析」でググり、最上位ヒット
したブログ記事をぜひ参考にされたい。チェリ連Verの
仕組みがよく纏まっており、非常に判り易い記事である。
最後に、本機の代表的なリーチ目を紹介して終わる。
(主なリーチ目)
⇒前兆を経由するチェリー連Verの場合、ビッグのリーチ目は
「前兆がモノホンかガセか」を見極める材料の意味合いが大。
つまり、「いきなりビッグのリーチ目降臨」の機会があまり
ない為(レアケースでそうなる事はある)、リーチ目自体に
「不意を突かれる」のは、大半が「バケ」となる。それでも、
チェリー前兆から、以下に挙げる香ばしいビッグのリーチ目
が出れば「ビッグ確定、後は単発か連チャンか」と、脳から
汁が溢れ出たものである。
因みに、本機(ノーマル)は先行機「C51SP」とほぼ同スペック。
チェリ連ビガーも内部確率こそ違うが、リーチ目はC51SPと共通。
また、ビガー以降の後継機にも、このスタイルは受け継がれた。
(パワーボムなどは、右下がりのスベリテンパイもリーチ目)
あまりに有名なトリテンハズレ。
12枚役やリプが揃ったら無効…。
こちらもトリテンハズレだが、左のBARの真上の
赤7を引き込んでおらず、バケのリーチ目となる。
パルお得意「スベってボーナスがテンパイしたら
入り」のパターン。コチラは7テンなのでビッグ。
コチラは中リールのBARがスベってテンパイでバケ目。
中段単チェリーから、赤7斜めテンパイ⇒ビッグ
中リールと違い、左リールは成立したボーナス図柄を
最大限に引き込もうとして、引き込み範囲になくても
大きくスベってくる制御。よって、左が大スベリして
ボーナス図柄のない形が止まっても、リーチ目となる。
無論、ボーナス図柄が左上段に大きくスベッてくれば
入り目だ。
★おまけ(その1)…数年前、八王子のゲーセン「アドスロ八王子」に
出向いた折(直接的には、西陣の一発台「ジャスティ」と再会する為)、
久々にチェリ連ビガーを打ち感動、思わず撮影した画像がある。酷い
ピンボケで使い物にならないと思って、長い事しまってあったのだが、
この機会に「放出」したい(僅か3枚だが、陽の目を見せてやりたい)。
(下パネル撮影。一応、チェリーが揃ってます…)
(角チェ(上段連チェリー)接写…)
(一応、赤7が上段に揃ってます…この時は単発で終了)
★おまけ(その2)…今は亡きパル工業、過去の登場台をリストアップ
1986…ペガサス(1号機)
1987…ニューペガサス(1.5号機)
1989…F-1(2-1号機)
1989…ペガサスラビット(II)(2-2号機)
1990…ペガサスエクサ(3-1号機)
1992…ペガサス412(3-2号機)
1994…ペガサスワープG(4-1号機)
1994…ペガサスワープR(4-2号機)
1994…C51SP(4-3号機)
1995…ビガー(4-4号機)
1995…V10(4-5号機)
1995…パワーボム(4-6号機)
1995…パワーゴリラ(4-7号機)
1995…キングアロー(4-8号機)
1996…スフィンクス7(4-9号機)
1996…パル工業、日電協を脱会(解散)
機種名を羅列するだけで、なぜか目から滝汗が…
こうやって書いていたら、新宿西口「ジャンボ」の
地下(階段降りて目の前)で「V10」と初遭遇した
21年前の出来事を、久方ぶりに思い出した。記憶の
扉とは、不意に開くものだな…。
★おまけ(その3)…どうでもいい余談
当時「ビガーパンツ」という商品が流行ったが(説明略)、
あのビガーは「Bigger」(より大きな)ではなく、本機と
同じく「Vigor」(活力、精力、気力)という意味。ただ
それだけの(割と有名な)話である。
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ビガー(チェリー連)の記憶
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