Quantcast
Channel: まにあっく懐パチ・懐スロ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 378

中山秀征と遭遇@聖路加国際病院(1999年3月)

$
0
0

以前、「タカラヅカ」絡みの記事を書いた際、かつて星組の娘役トップスターだった白城あやかさんと、タレントの中山秀征さんがご夫婦である事、そして私はこの二人と奇妙な「接点」がある事を、ほんの少しだけ触れた。

(コチラの記事)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/5e32b835a8ff56b635ee11195328e96d


このときは、「接点」の具体的な内容について、「需要があれば、詳しく追記する」としたものの、残念ながら需要は全くなかった(汗)。


ただ、折角の思い出を、このまま封印するのも何だかアレなので、たとえ需要は無くても記事にすることに決めた(笑)。




…という訳で、いきなりだが、話は1998年(平成10年)まで遡る。


この年の暮れ(12月)のある日、私は不運な「交通事故」に巻き込まれた。

確か、土曜の朝だったと思うが、地元のパチ屋に向かう為、住宅街の細い道を原付バイクで走行中、一時停止を無視して直進してきた一台の軽ワゴン(弁当配達)と、出会いがしらに「ドカーン」とぶつかってしまったのだ。


派手に接触して、空中にポーンと放り出された瞬間は、「俺の人生もこれまでかな…」と、一瞬覚悟した。ただ、そのまま道路の側壁に体がぶつかった時、不思議と強い衝撃を受けた感じはしなかった(若干、首に衝撃を受けたが…)。

おそらくは、側壁に体がぶつかった時の体勢が、ちょうど受け身を取る感じになっていて、ショックが和らいだのだろう。また、バイクのスピードがさほど出ていなかった事や、相手の軽ワゴンが坂をゆっくり上がってきたことも、幸いしたと思われる。こちらがフルフェイスのヘルメット着用だったのも、不幸中の幸いであった。


意識も十分はっきりしていて、「このまま死んだふりして倒れていたら、相手の運転手はさぞかし焦るだろうな」などと、冷静に考えていたくらいだ。実際、意識を失ったふりをして、その場に暫く倒れこんでいた(笑)。運転手の中年女性の悲鳴にも似た呼び声が、ヘルメット越しによく聞こえた。


当然のごとく、私は近くの総合病院へ救急搬送されたが、幸いにも軽度の「頸椎捻挫」で済み、治療の為にその病院に通う事となった。


だが、ここの担当医がムカつく野郎で、3回目くらいの診察の時、自分が頸椎の「後遺症」についてあれこれ質問すると、途端に不機嫌になって「そんなこと、まだ分からないでしょう!!」と酷く声を荒らげた。


おそらくは、私が「事故後の賠償金目当て」で、嘘の症状を騙っているとでも思ったのだろう。こちらは、大事な首の状態が不安だから、率直に聞いただけなのに…。

そんな理不尽な応対をした「ヤブ」医者に、心底腹が立つとともに、強い不信感を持った。


そこで、私は翌1999年(平成11年)1月に転院を決意。当時の職場(東京・丸の内)から通えるエリアにあった、築地の「聖路加国際病院」を紹介してもらった。言うまでも無く、かなり名の通った大病院である。


聖路加の整形外科の先生は、例の地元のヤブ医者とは大違いで、いつも低姿勢かつ親身になってくれたので、こちらも安心して治療に専念できた。
(最近は全くお世話になっていないが、今も聖路加病院に対するイメージは、非常に良い。)


その後、病院内にある「リハビリセンター」に、仕事の合間を縫って通う事となった。

当時、仕事が多忙な時期だったので、病院の往復にはタクシーを使う場合がほとんどだった。
(今回は、その「例外」を書くことになるが…)

リハビリ室では、専用の器具を使って首を牽引・固定して、さらに暖かいコルセットを首に巻く、「温熱治療」を毎回30分ほど行った。

このリハビリが実に気持ち良く、日ごろの仕事の疲れやストレスが、一気にすっ飛ぶほどだった。リハビリというよりは、むしろ「リラクゼーション」に感じられた。

また、私を担当した理学療法士の若い女性が、まことに可愛らしい方で、おまけに人柄も大変よろしく、たいそう居心地がよかった(笑)。

リハビリ終了後は、病院の上階にあった小さな喫茶コーナーで、「ざるそば」と「茶めし」のセットを食べてから、会計を済ませて会社に戻るのが、お決まりのパターンだった。

多分、病院内にはもっと大きな食堂もあった筈だが、どこにあるか皆目判らなかったので、たまたま見つけた静かな喫茶コーナーの片隅で、ひっそりと蕎麦を啜っていた。また、時には病院向いの「聖路加タワー」1階にある中華料理店で、ラーメンやチャーハンを食べたりもした。



さて、1999年(平成11年)3月のある日、いつものように会社を抜け出してタクシーで聖路加に向かい、気持ち良いリハビリを受けて、食事をとって会計を済ませて、いよいよ会社へ戻る段になった。

いつもなら、正面玄関から外に出て、ロータリーに停車中のタクシーに乗り込むのだが、この日は首の具合もだいぶ良く、急ぎの仕事も入っていなかったので、「たまには、近くの築地駅から地下鉄に乗って、のんびり戻ろう」と思い、いつもの正面玄関ではなく、反対側の「裏口」から病院の外に出た。

(「聖路加病院の裏口」というと、90年代半ばに起きた「とある出来事」と関連深いが、今回はできるだけ「楽しく」記事を書き進みたいので、「その事」には触れない。ピンと来た方も、どうかご協力願いたい。)



人気(ひとけ)の少ない裏口から外に出て帰ろうとすると、右手のスペースの一角に、何やらガヤガヤと、人だかりができているのが見えた。

「何かあったのかな?」と思って近づくと、マイクや録音機材などを手に持った20名ほどの男女が、一人の男性をグルッと取り囲んでいた。その男性の正面には、撮影用と思しきTVカメラも見えた。

「いったい、何事か?」と思い、人だかりの後ろから覗いて円陣の中心に目を向けると、なんと、いつもテレビで見ているタレント、中山秀征(秀ちゃん)の姿があった。


当時の秀ちゃんといえば、自分にとっては、やはり日テレ・土曜深夜の「DAISUKI」だったな。お気に入りの「パチンコ対決」がオンエアされる頻度が、だんだん少なくなっていた頃だが…。





どうやら、この日の秀ちゃんは、芸能レポーターや雑誌記者から、「囲み取材」を受けているようだった。そういえば、マイクを向けている女性も、名前こそ知らないが、どこか見覚えのある女性芸能レポーターに思えた。

特に規制線などもなく、さらに近づいて背後から様子を覗くと、マイクを向けられた秀ちゃんが、「お蔭様で…」「…元気です」「…嬉しいですね」などと、満面の笑みで答えていた。

(ビシッと髪型が決まった秀ちゃんを間近で見て、あらためて「芸能人ってカッコいいな」と思ったり…)


「あれ、秀ちゃん、何で今この病院にいるんだ?撮影で怪我したのか?」とも思ったが、次の瞬間、私はある事に「ピン」ときた。

「あ、これってもしかして、ついこのあいだ※秀ちゃんと結婚した、元・宝塚スターの白城あやかさんが、この病院でお子さんを出産したんじゃないの?」
※前年(1998年)6月、中山秀征さんと白城あやかさんがご結婚された。




そして、秀ちゃんと女性インタビュアーのやりとりをしばらく聞いていて、それは「確信」に変わった。


そう、私はこの日、リハビリテーションの帰り際、聖路加病院の裏口で、秀ちゃんの「出産報告インタビュー」に、たまたま出くわしたのだ。1999年3月18日、秀ちゃんとあやかさんの間に、お二人にとって初めてのお子さんとなる、ご長男が誕生したのだった。

そんな記念すべき日に、偶然にも、私は彼らと同じ「空間」で、幾ばくかの時を過ごした事になる。そう思うと、「赤の他人」とはいっても、妙に感慨深いものがあった。

おそらくその日、旦那さんである秀ちゃんは、奥様のあやかさんに病室でずっと付き添っていて、無事に出産したのを見届けた後、病院の裏口で囲み取材に応じたのだろう。

そこへ、同じ聖路加病院の裏口から出てきた私が、たまたま通りかかったという訳だ。

リハビリの日程、病院内で過ごした時間、そして、いつもと違う「裏口」を使ったことなど…多くの「偶然」が重なった結果といえよう。まさに、「不思議な巡り合わせ」という他はない。


まぁ、私の方は事故後の「リハビリ」で、かたや秀ちゃんは、幸せいっぱいの「出産報告」である。その日の状況には、まさに天と地ほどの開きがあったが…(笑)。貴重な場面に出くわした事に少し高揚しながら、日比谷線の築地駅まで歩いたことが懐かしい。


(16年前、治療とリハビリで使っていた、聖路加国際病院の診察券。たまたま手元に残っていた。)
※「St Luke’s」は、「聖路加」の英語名称。


まぁ、よくよく考えてみれば、当の秀ちゃんは、一般人である私の存在に気付くはずもなく、奥さんも病室にいらっしゃった訳だから、この話は彼らとの「接点」というより、単なる「一方的な思い出話」に過ぎない。それでも、こういった場面に立ち会った事の偶然性を思うにつけ、何か特別な親近感が湧いてくるのだ。私にとっては、これでも立派な「接点」である。




そんな訳で、今回は、90年代末の「記憶の小さな引き出し」を、久方ぶりに開けてみた。

おそらく、今回もあまり「需要」はないと思うが…個人的には満足のいく記事が書けたと思う。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 378

Trending Articles