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Channel: まにあっく懐パチ・懐スロ
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2001年11月のスロ実戦記

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今から14年前、2001年(平成13年)の古い手帳を久々に見返したところ、スロ4号機時代の立ち回りが、かなり断片的ではあるが、アレコレと書き込んであった。

まぁ、「10年ひと昔」という位だから、この程度のチョイ過去でも、今となっては随分と懐かしく感じる。


(平成13年11月のスロ実戦データより)

この時期(平成13年11月)は、丸の内の職場を「一身上の都合」で辞めた後で、貯金と失業保険とスロで食い繋いでいた、個人的に「混迷期」ともいえる頃だった。
(翌2002年に、町田「S」店で出会った沖スロのシオラー30で、安定した勝ちが見込めるようになり、人生唯一の「スロ専業期」を約2年過ごす。)

「大好きなスロで勝って、何とかしたい」と、日々もがいていた当時の「苦悩」が、乱雑な走り書きから、薄っすらと読み取れる(気がする…)。

ただ、直前まで「アフター5はパチ屋に直行。ホールへのタクシー通いも、何のその」という怠惰なスロリーマンだった為、負け当然のユルい立ち回りが、完全に抜け切っていない様子も見られる。

また、様々なホールに出向きたがる、生来の「ハシゴ好き」の性格も、立ち回りの随所に見て取れる。
(町田S店に腰を落ち着けた時期は、ある意味「奇跡」だった)

まぁ、今さら恥ずかしいとは思ったが…メモの内容をザッと書き起こしたので、興味ある方はご覧を。




                ★2001年(平成13年)11月のスロ実戦録★

⇒メモ帳には、スロマガ添付の「設定判別用カンペ」(ハナビ、SJP、ワードラ、キングジャック、シオサイ30、アレックス、ニューパルR、クランコなど)が、無造作に折り畳んで挟んであった。


何気に、お世話になる事の多かった「判別カンペ」。ビッグ後にクレジットを落す判別の他、ノーリセット機用の「SS(セルフサーチ)判別」も載っていた(この時は「バトルナイト」と「ホロQ」)。



H13.11.12(月) 有楽町「DUO(デュオ)」 ゲッターマウス 317番台(G数表示:520G)
5Kでビッグが食いつき、ハマリもなく順調に出玉を伸ばす。バケも多く高設定期待。だが、後半は異様にバケに偏って、出玉をジワジワ削られる。最後はビッグ間900G(バケ4)ハマってヤメ。873枚(4958P、B18R14)⇒換金14.5K(6枚交換)。その後、ゴルゴ13-2K、グランシエル-1K。
トータル収支=プラス6.5K


H13.11.13(火) 有楽町「DUO」 ゲッターマウス 317番台(朝イチから)
いきなり24Kハマって、初ボーナスはバケ。その後も、ノマレ⇒追加⇒単発を繰り返して、負債を増やす。最後はストレートで822Gハマって終了。マイナス38Kの爆死(何故、ここまで追ったのか…謎)。

そのまま山手線で恵比寿に移動。たまたま見つけた駅前の「パーラーエース」でスーパーリノを物色。カド2のG数表示が「980」で空いており、すかさず着席(ストック切れ?バケでリセットされないランプ?)。あっさり2Kで(1130G。2Kで150G回っているので、小役落ちが異様に良かったと思われる)初ビッグ。これが運良く7連(全てビッグ)まで伸びて、連チャン終了後、即ヤメ。2375枚⇒換金39.5K(6枚交換)。何とか大負けを免れる。
トータル収支=マイナス0.5K


H13.11.15(木) 赤坂見附「エスパス赤坂B館」 スーパーリノ カド3、台番不明(G数表示:708)
1K(730G)でビッグ。これが5連(全てビッグ)。連チャン即ヤメ。1640枚。その後、オアシス-4K、スーパーリノ-4K。最後はカブト1Kビッグ⇒途中ヤメ188枚。レシート2枚で計1828枚⇒換金36.5K(等価)。
トータル収支=プラス26.5K


H13.11.19(月) 赤坂見附「エスパス赤坂A館」 スーパーリノ 626番台(G数表示:580)
3K(680G)でビッグ。これが「BBBRRBB」7連チャン。62G回してヤメ。1879枚⇒換金37.5K(等価)。
その後、赤坂見附「サントロペ」でスーパーリノ-2K、キングパルサー-2K、サイバードラゴン+6K。
トータル収支=プラス36.5K


H13.11.20(火) 新宿歌舞伎町「エスパス1号店」
スーパーリノ 角3、台番不明(G数表示:230G、B6R4※)
1Kビッグも連チャンはバケ1のみ。60Gヤメ。419枚、換金8K(等価)。その後オアシスで+2K。
トータル収支=プラス9K


H13.11.21(水) 目黒「百万弗」
ハナハナ30 設定456札、台番不明(G数表示:649G)
7K(849G)でバケ。ノマレ後5Kでビッグ。29R、87Bと続くが、398単発ノマレ。追加19K(1047G)と大ハマリしてビッグ。連せず…持ちコイン204Gで再びビッグも、50Gでヤメ。425枚、換金8.5K(等価)。
目黒「ガイア」に移動。コンチ4X-3K、ゴルゴ13-1K、バクチョウ-1K、スーパーリノ+2Kと、負債を微妙に増やして終了。
トータル収支=マイナス25.5K


H13.11.22(木) 武蔵溝ノ口「ライジングサン」
エコトーフ-3K。直後、ハナビの970Gハマリ(B19R7)を見つけて、興味本位で少しだけ追ってみる。運良く1Kでビッグ!あれよあれよという間にボーナス回数が伸びる。判別結果は4以下。だが、全くハマらずB34R20まで伸びて(個人データはB15R13)、3319枚獲得⇒換金66K(等価)の快勝。
トータル収支=プラス62K


H13.11.23(金)祝日 新百合ヶ丘「ジアス」
スーパーリノ-1Kの後、オアシス左カド2に座る(G数表示:340)
1Kでビッグ。その後も180B、198R、21B、3B、65Bと、調子良く引く。100ゲーム回してヤメ。1275枚⇒換金25.5K(等価)。
トータル収支⇒22.5K

・H13.11.24(土) 新百合ヶ丘「ジアス」 オアシス プラス11K
・H13.11.25(日) 新百合ヶ丘「ジアス」 オアシス マイナス1K
・H13.11.26(月) 新百合ヶ丘「ジアス」 オアシス プラス8.5K

H13.11.27(火)~11.29(木) 名古屋遠征※ 名駅太閤口近く「ウィングレッド」
初日:移動&下見 2日目:シオサイ30 プラス50K 3日目:シオサイ30 プラス6.5K
2日間でプラス56.5K
※宿泊費15960円(ビジホ2泊)、交通費は行きが4830円(小田原⇒浜松⇒名古屋を鈍行で移動)、帰りの旅費はメモっておらず不明。ただ、必要経費をスロの勝ち額で賄ったのは間違いない。

H13.11.30(金) 赤坂「サントロペ」
キングパルサー カド2(台番不明) G数表示:720
7K(937G)でビッグ。30Rと2連するがノマレ。追加1K(380G)で再びビッグ。20B⇒30Rの3連。そのまま続行、586Gまで引っ張られてビッグ⇒20B⇒3Bの3連。128ヤメ。1055枚の換金20K(5.5枚)
トータル収支⇒プラス12K


⇒⇒実働13日間のトータル収支…プラス224K


改めてデータをチェックすると、この月は随分と「ヒキ」に助けられている感じがする(3K以内で初ボーナスが掛かり過ぎ…初期投資が非常に少ない)。

初っ端からゲッタマをしつこく追って酷い目に遭うが、その後はスーパーリノのハイエナ中心に、そこそこ結果も伴っている。なお、実戦エリアは、丸の内勤務時代に馴染み深かった有楽町や赤坂が中心だが、それ以外にも、都内・神奈川のそこかしこを、「放浪者」の如くウロついている(笑)。月の終わり頃には、思いついたように名古屋へ旅打ちを敢行。ほぼ運任せの台選びで、まさかのシオサイ2連勝を飾る(判別結果は4以下だったが…ここでもヒキに助けられた)。

それから、南武線・武蔵溝ノ口駅南口の「ライジングサン」(The Rising Sun)(改札を出て左手奥にあった店。駅構内の通路から入店できた。2008年クローズ)は、この2000年辺りから、頻繁に足を踏み入れていた事を思い出す。パチはほぼ打たず、ジャグラー、ハナビ辺りをよく追いかけた。
一時期、ここにはパイオニアの「カブト」が並んでいて、ボーナス回数や連チャンの履歴が、ノーマルとは思えぬほど凄い事になっていたが(どう考えても〇モノ)、理不尽なハマリを恐れて※、座るのを極力避けていた(シマも異様な熱気で、空き台も極端に少なかった)。その後、シマがガラガラになってようやく打ってみたが、すでにしてノーマル挙動に変わっていた(それでも十分楽しかったが)。
※裏モノを怖がっている割には、同じ溝の口「M」店で、2か月前の9月には「キングオブジャングル」のバリバリBモノを打ち、しっかり快勝(プラス30K)している。また、同じ「M」店では「赤光の剣」の裏モノ(REGから連チャンするヤツ)も平気な顔して打っていた。あのカブトの挙動には、KOJや赤光とは一味違った「怖さ」を感じたのかもしれない(あの心臓ドッキリ告知にビクついた…という意味ではない)。

なお、「ライジングサン」は、故・田山幸憲プロの「パチプロ日記」においても、「溝の口R店」として幾度か取り上げられた(「青葉台B店」(ビッグスペース青葉台)時代を参照。用賀から青葉台に向かう途中、溝の口駅ホームで一服しつつ急行待ちしている時、偶然R店のビルが目に入った…というくだり等)。
日記によれば、田山さんが以前ネグラにしていた「溝の口B店」(P.S.ビッグトップ)の後身の店が、実はR店(ライジングサン)だった、という事である(但し、店舗の所在地は異なるので、北口にあった「B店」閉店後、同じ経営者が南口に「R店」を立ち上げた、ということになる)。なお、R店の新規開店は1997年暮れ(日記による)。


半年ほど前、田山プロの命日(7月4日)を前に、池袋や桜新町といった「ネグラ」巡りをした事がある。
その際、東急・溝の口駅と南武線・武蔵溝ノ口駅を結ぶ連絡通路(デッキ)で、たまたま懐かしの「ライジングサン」の屋上看板が目に入って、思わずシャッターを切った(撮影日:2014年6月30日)。
この時、すでに閉店から5年半も経っていたが、店が入っていたビルの青い屋上看板だけは、そのまま残っていた(現在もあるかは不明)。因みに、こういった類を、私は「スロ世界遺産」と呼んでいる(笑)。


(参考画像)
(C)Google
武蔵溝ノ口駅・南口ロータリー前にあった「ライジングサン」跡地(2014年3月現在)。ビル屋上の青い看板ロゴも見える。このビルの1F~3Fが店舗になっていて、1Fと3Fがパチ、2Fがスロだった。2Fだか3Fの端っこの通路から、駅構内にそのまま出られる出口もあった。


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