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Channel: まにあっく懐パチ・懐スロ
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ローリングマシンI(三共、ハネモノ)

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1988年(昭和63年)に三共から登場した旧要件ハネモノ「ローリングマシンI」



★賞球オール13
★ハネ開放時間…オトシ0.45秒 ヘソ0.5秒×2
★最高8ラウンド継続(10カウント)
★大当り中のハネ開放回数…最大18回
★兄弟機…ローリングマシンII(ヘソがチューリップ)
★本機の影響を(少なからず)受けたと思われる台…マルホン「アドベンチャー」
(1991年登場、新要件ハネモノ)→コチラは、当時の流行りでヘソが電チューになっていた。




当時コインランドリーでみかけた「乾燥機」の如く、グルグル回る円形のヤクモノ。上下が逆転するカラクリ風のステージ。アナログだがダイナミックな挙動が、何とも楽しかった。出玉も比較的多めで、「勝負の早い台」といった印象も残る。


ただ、私がパチデビューした平成2年(1990年)、本機は既にして「古参」扱いだった。新宿、向ヶ丘遊園といった馴染みのエリアでは、あまり見かけた事がない。

(平成元年だと、新宿「ニューミヤコセンター」、向ヶ丘遊園「ニューギンザ」に設置との資料有り)。

「平成2年」というと、三共からは「スウィングI」「エンタープライズI」「スナイパーI」「うちのポチI、II」「ダンシングヒーローI、II」「道路工事I」「演歌道I、III」「レオパードI、II」「アークタンクI」「汽車ぽっぽII」「タコヤキSP、DX」「ナイトドラゴンVII」など、多くの旧要件ハネモノが立て続けに登場。いずれも、初心者時代から貪るように打った、懐かしの機種だ。

さらに、同社が前年(平成元年、1989年)リリースした「マジシャンI、II、III」「オールスターI、II」「アウトローI」「マジックカーペットI」「ドッキリマンSP、SPII」「スラッガーII」「ストライカーI、II」「ウォリアーII」「パワーフォークII」なども、引き続き活躍していた。特に、マジカペの人気は凄まじかった。

すなわち、三共一社に絞っても、この時期はハネモノの「充実期」だったといえる。ホールにとっては、旧台から新台に入れ替える、絶好の機会となった。

(なお、現在とは「新台入替」の意義が大きく異なる。当時の入替は、夕方開店の「短時間営業」が多く、「お祭り釘」の場合も多かった)。

本機の導入率はかなり高かったようだが、私が「パチ道」に入った「平成2年4月」でいえば、新台に入替済みの店も多かったと思われる。入替ペースが早めの新宿ならば、なおさらであろう。

それでも、池袋・西口「山楽」(田山プロ御用達の「S店」)や、渋谷・井の頭ガード下の「タイガー」、駒込駅近くの「銀玉会館」、小田急・本厚木駅そばの「ロイヤル」など、新台や準新台に混じって本機を残す店も、私の知る範囲では幾つも存在した。「新旧入り混じった、多彩なラインナップ」が、当時のハネモノシマなら普通の光景だった。


田山プロが長くネグラとした池袋「山楽」(地下にハネモノを設置)では、平成3年(10月25日)に、新要件機「ニュートキオ」(平和)に入替えられるまでの間、本機は田山さんにとって、旧要件ハネモノの「メイン機種」の1つだった(他にビッグシューター、ザ・拳法、スーパーレーシング、パチンコ大賞、うちのポチなど)。

本機と対峙した様子は、名著「パチプロ日記」でも繰り返し登場。「池袋時代の田山さん=ローリングマシン」と連想する方も多いだろう。

なお、田山さんは日記で、本機を「ローリングマシン」ではなく「ローリングマシーン」と呼んでいた。私も「マシーン」の方がしっくりくる派だが、メーカーは公式に「~マシン」としているので、記事タイトルはメーカーの表記にしたがった。

因みに、田山プロは同じ三共のハネモノ「スーパーレーシング」も、日記では単に「レーシング」と言っていた。また、パチンコ大賞には「オヤジ」の愛称をつけていた(笑)。


(参考)…平成元年10月・池袋S店(山楽)、田山プロ1週間の立ち回り(概要)

10月20日(金)…S店新装初日(午後五時開店)。上下合わせて16シマ中、入替はたった2シマ。旧台のレーシング(スーパーレーシング)503番台で1800個。4000円勝ち。
10月21日(土)…S店新装二日目(正午開店)。ローリングマシーン350番台、開始40分で終了。その後、レーシング516番台で3300個。16000円勝ち。退店後、ノガミと将棋。
10月22日(日)…S店新装三日目(十時開店)。ローリングマシーン325番台で苦労するも4400個終了。続いてローリングマシーン350番台で3500個。17000円勝ち。ソバケン達と居酒屋へ。
10月23日(月)…前日と同じローリングマシーン325番台。序盤ハマるも12時半終了。その後、ザ・拳法356番台で2000個。7000円勝ち。
10月24日(火)…ビッグシューター555番台で出した600個を持って、ローリングマシーン325番台に移動。トータル4000発となったのを確認してヤメ。9000円勝ち。自宅で日本シリーズ観戦。
10月25日(水)…ローリングマシーン320番台、11時半終了。続いて、レーシング517番台で3600個。さらに、レーシング387番台で3000個。25000円快勝。高校の同級生とウナギ屋。
10月26日(木)…シメシメルック。ザ・拳法366番台で揉まれた挙句、ギブアップ。背中のローリングマシーン335番台で1200個。日本シリーズ目当てで退店。3000円負け。
10月27日(金)…ローリングマシーン335番台、3400個出て引き。その後、ザ・拳法366番台で700個、その玉で同じザ・拳法の356番、ビッグシューター525番台、レーシング518台など打って1000個。パートのおばさんよりも労働時間が短い。7000円勝ち。

ハネモノは地下設置で4000個終了。2.5円交換。

※参考文献…「田山幸憲プロのパチプロ日記」
(白夜書房「パチンコ必勝ガイド」1990年1月号掲載)




さて、本機のゲーム性は、すでに大半の方がご存知だと思うが、一応、簡単に説明する。


盤面センター役物は、円形・可動型で、上下ステージからなる「二段構造」。

但し、「可動型」とはいっても、通常時は停止したままだ。


(役物・通常時)

「▲」マークが目印の上段ステージ。天井部には、玉を左・中・右に振り分ける、二本の突起がついている(田山さんは、この突起を「柱」と呼んだ)。

ハネに拾われた玉は、上段ステージを手前から奥へと転がり、(1)二本の突起の間(センター)、(2)突起の両脇(サイド)何れかのルートを通って、下段奥に落ちる。

一方の下段ステージは、手前の「★」マークが目印。やはり、上部に二枚の突起(仕切り)がある。上段センターから落下した玉は、この仕切り(上段より幅が狭い)の間を通って、下段中央を手前に転がる。サイドから落下した場合は、仕切りの外側を通る。Vゾーンは手前中央(★マーク真下。「COUNT」表示の上)にある為、左右ルートよりも、センタールートの方がVを射止め易い。

但し、センター経由でも、必ず大当りした訳ではない。下段の仕切りは「ハの字型」に開いており、仕切りの間を通過した玉でも、左右にバラつく事があった。反対に、上段ステージで左右両サイドに流れた玉も、下段で両側の壁にぶつかり、絶妙の角度で中央に戻って、Vを射止めることがあった。

さらに、本機は台毎の「クセ」の差も大きかった。センタールートだと9割がたVに決まるとか、下段の壁クッションでVにポンポン飛び込む「ヤクの名機」だと、多少釘がシブくても勝負になった。特に、ヤクモノが傾斜せずキッチリ「水平」に停止する台なら、V入賞率、継続率ともに高かったので有利だった。

もちろん、上記の特徴とは真逆の「クセ悪台」も存在した。普段から回転体が「右ズレ」「左ズレ」で傾いている台だと、センタールートがことごとくVを外して初当りが来づらく、ステージ上下がひっくり返った大当り中もパンクが多発した。それでも、釘さえ甘ければ、粘り強く打ち続けて予定終了まで持って行く事もあったから、当時のハネモノが「良心的」だった証拠といえよう。



首尾よく大当りすると、今まで静かに停止していた円形ヤクモノが、時計方向に回転を始める。

いよいよ、「ローリング」の本領発揮、という訳だ。

因みに、本機はチャッカー入賞時など、効果音が普段から「派手」だったが、Vを決めてからの一連のサウンドも非常に華やかで、むしろ五月蠅く感じられるほどだった。

大当り中は、回転するヤクモノに飛びこんだ玉が、慣性の法則でダイナミックに「躍動」しながら、最後は下段V方向を目指す。

但し、V穴の前(奥)には、プラスチックの突起(ストッパー)が付いている。この突起、通常時は下段ステージがあるお蔭で目立たないが、ヤクモノ全体が回転する大当り中は、V入賞を妨げる強力な「障壁」となった。

よって、ラウンド前半はV入賞率が低めだったが、その分、後半に継続しやすく(クセ悪台を除く)、この「後半主導」の動きが出玉アップにも一役買っていた。


ヤクモノ6カウント、或いはハネ10回開閉で、回転中のヤクモノは停止(音楽も変化)。但し、この時は、通常時と天底(上下)が逆転した状態で止まる。

すなわち、「★」マークの付いた方が上段で、「▼」マーク側が下段という具合だ。


役物(大当り中、6カウント停止後)

ステージの上下が「逆転」する事で、上段ステージ中央に向った玉は、ハの字型の仕切りの間を通って下段に落ちる。もちろん、両サイドにバラければ、仕切りの外側に流れる。

通常時、玉をバラつかせがちなハの字の仕切りも、ひっくり返って上段に来た時は、逆に玉を中央に寄せ易くした。さらに、その後の玉の挙動も安定した為、下段ステージでもブレずに直進する事が多く、Vにも決まり易かった(クセ悪台はパンク多発)。


このように、本機は回転体が止まったラウンド後半に、Vへ入り易い設計になっていた。その為、継続率は高めで出玉も多く、8R完走で1000個近く出る事もあった。立て続けにVが決まって完走すれば、短時間で打ち止め(3000個~4000個主流)まで持って行けた。

もちろん、先述したヤクモノの「クセ」の良し悪しも、継続率に大きく影響した。しかも、ヤクモノに玉を飛びこませるには、寄り釘の調整も重要だった。いくらヤクが良くても、中に入らなければ無意味である。さらに運が悪いと、ヤクモノ停止後、上段センターへ玉が行かず、あえなくパンクする事も。

なお、「ラウンド後半でVに入り易い」とはいっても、それは、ヤクモノの回転が完全に止まった後の話だ。普通に打ち続けて、回転が止まる前に7個目以降を入れれば、その分、パンク確率もアップしてしまう。

そこで、ヤクモノ5カウントの時点で「単発打ち」に切り替えて、6個目が入賞したら一旦打ち出しを停止。、回転体が完全に止まったのを確認してから再び打ち出せば、継続率はアップした。細かいが、こうした「小技」の積み重ねも大切だった。


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