★石橋達也の13時間デスマッチ★
1990年(平成2年)1月~1991年(平成3年)9月にかけて、主力誌の「パチンコ必勝ガイド」(白夜書房)で連載されていた、ホールでの実戦企画。「ボーダー理論」の石橋達也プロ(後にライバル誌「パチンコ攻略マガジン」に移籍するが、当時はガイド誌専属ライター)が実戦を担当した。
毎回、あらかじめ決められた勝負機種で、前日にホール下見を行い、翌日の朝一から閉店まで13時間ぶっ続けで打ち通して、プラス収支を目指す…という内容(ガチンコもの)だった。
当時、ガイド誌では故・田山幸憲プロの「パチプロ日記」が絶大な支持を得ていたが、石橋プロの実戦コーナーも非常に人気が高かった。他にも、銀玉親方こと山崎一夫氏の「銀玉親方の某月某日」や、漫画家・南伸坊氏の「景品交換所ルポ」、こちらも漫画家・蛭子能収さんの「私のパチンコ史」など、クセのある「オッサン」たちが繰り広げる、香ばしい連載コーナー満載であった。
で、今回は、その人気連載「13時間デスマッチ」の第1回から最終回までの流れを、簡単にまとめてみた。皆さんの「記憶の扉」を開く一助となれば、幸いである。
もともと石橋プロは、「13時間デスマッチ」が連載される以前から、ガイド誌において、デジパチ新機種を1000回転まわして大当り回数や連チャン、スランプグラフなどを紹介する、「石橋達也の1000回勝負」という囲み欄を担当していた。
その石橋氏が、初めて「13時間デスマッチ」という名の企画に出たのが、別冊(ヒコーキ台を紹介する図鑑)での平和「ザ・トキオ」対戦であった。実戦ホールは高田馬場「東陽会館」で、収支は惜しくもマイナスだった。これは単発モノで終わったが、1990年1月号からは、ガイド誌の新連載として正式にスタート。
回数 掲載号 対戦機種 実戦ホール 収支(円)
1回 (1990-1) マジックカーペットI 東陽会館(高田馬場) +35070
2回 (1990-2) (欠番のため不明…)
3回 (1990-3) ブロードウェイI 東陽会館(高田馬場) -20000
4回 (1990-4) ファンキーセブン ニューシスコ(赤羽) +19000
5回 (1990-5) 魔界組 大和会館(大和市) +700
6回 (1990-6) グレートキャノンI ニュークラウン(東京・綾瀬) +21800
7回 (1990-7) タックル※ 大都会(名古屋) +55000
8回 (1990-8) サイクロン あたりや(大阪・心斎橋) -21200
(9回~18回は「試練の10番勝負」)
9回 (1990-9) FレクサスIVD 奴センター(新潟・古町) -11000
(やっこ)
10回(1990-10) パチンコ大賞13 胡子センター(広島・八丁堀) -13000
(えびす)
11回(1990-11) FボルテックスII マンハッタン(福岡・天神) +42300
12回(1990-12) FフラッシュI ミリオン2(神戸・三宮) +42000
(以後、単独での勝負から、ゲストとの「収支対決」に変更)
回数 掲載号 対戦者 対戦機種 対戦ホール 収支
13回(1991-1) 安田一彦 石橋:アラシキング アラジン(仙台) +47000
安田:FボルテックスII 同 -10500
14回(1991-2) なし 道路工事I ダイナム(高田馬場) +15000
15回(1991-3) 大熊剛弘 石橋:FボルテックスII/コスモII くいーぷ(日ノ出町) +52000
(クマちゃん先生)大熊:マジック7I/センチュリーB プリンス(日ノ出町) +3000
16回(1991-4) 東堂直樹 石橋:パールセブン スターホール(上野) +52400
(読者) 東堂:ブラボーエクシード/ ニューセンチュリー/
マーブルX/アラシキング スターホール/グッドラック -29200
17回(1991-5) 伊藤芳孝 石橋:ジョーカー※ サンポーホール(大阪・天神橋) -17000
伊藤:フルーツパンチ 同 +83700
18回(1991-6) 大下洋一 石橋:パラダイスI 山楽会館(池袋) +55900
(後の飛鳥一平)大下:ルーキーデルタ 同 +17000
(「試練の10番勝負」を終えて一旦「完結」を迎えるも、2か月後に再度「復活」)
19回(1991-8) 岩口氏 石橋:バトルロイヤル※ オメガ(京都・四条) +74900
(メーカー勤務)岩口:ウルトラセブン 同 -5300
20回(1991-9) 根本歩※ 石橋:エポック/バレリーナ/ 第三新効(群馬・高崎) +1500
ブラボーエクセディア
根本:パールセブン/ ニュー名門(群馬・高崎) +6200
第20回をもって、「石橋達也の13時間デスマッチ」は終了。翌・91年10月号より、「サバイバル・旅打ち」(所持金は10万。東京を出発した後、移動先のパチ屋で必要経費を稼ぎながら、ゴールの京都を目指すという、ガチンコ旅打ち企画)が開始される。緒戦の江古田から、川崎⇒横浜(軍資金切れで再スタート)⇒鶴見⇒横浜⇒静岡⇒浜松⇒豊橋⇒名古屋と移動して、各地で熱戦を繰り広げた石橋プロ。だが、思うように収支は伸ばせず、途中の名古屋でリタイヤ。惜しくも、ゴールには至らなかった(「サバイバル旅打ち」最終回は、ガイド誌92年5月号)。
(参考)
※タックル…(太陽電子、アレパチ)
※ジョーカー…(マルホン、旧要件デジパチ)
※バトルロイヤル…(豊丸、2回権利物)
※根本歩…1991年、西陣「ラスベガス」で、腕時計を使って大当りを狙う「兜町打法」を編み出し、「月間オリ攻大賞」受賞。石橋プロとの対戦後、同年11月から同誌の攻略ライターとなる。
(前記事に関する「追記」)2015.6.13
前記事のコメ欄で話題が出た、「金角・銀角」のゲーセン企画について
これは、必勝ガイド誌91年1月号(石橋―安田対決と同じ号)の「銀玉共和国」(お笑いの要素を多分に含んだ情報・投稿ページ。「パチバカ天国と地獄」の「原型」といえる)に載っていた、「ゲーセンパチンコ熱闘4時間」ですね(現物確認済み)。
足立区の読者T氏(たこ八郎似の若者)が、地元のボーリング場(東武・竹ノ塚※「フジボール」)に「パンティの出るパチンコ」があるから、ぜひ(金角・銀角の)2人に攻略して欲しいと投稿。
両氏が現地に赴いて実戦したところ、6000円の投資で景品(パンティ)を3枚をゲットしました。
件のパチンコ台ですが、「オープンスカイ」という謎の羽根物(メーカー不明、ゲーセン用?)。
ゲーム性は、オトシ・ヘソどちらに入ってもハネが18回開き、その間に8回V入賞すると景品が出てくる…とあります。
紹介されていた攻略のポイントとしては、(1)人がつぎ込んだ後、不思議とバネが良くなるので、ハイエナ戦法が効果絶大、(2)台を後ろに寝かせるとハネの開閉がスローになる、(3)滅多に入らない右チューリップに玉が入ると、連チャンの前触れ…の3点が挙げられています。しかし、結果的には6000円も使って景品3個だけなので、本当に「攻略」なのかアヤシイ所です(笑)。
※原文は「所ノ塚」でしたが、おそらくは「竹ノ塚」の誤植と思われます。
(追記、ここまで)
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石橋達也の13時間デスマッチ(1990~1991)
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