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CR星占い2(高尾、CRデジパチ)

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1995年(平成7年)に高尾から登場したCRデジパチ
「CR星占い2」について、少々回顧したい。





★星占い(星座)がモチーフ

★賞球:5&15

★大当り確率:1/383(確変中は1/55)

★カラー液晶画面搭載

★デジタル停止順:左⇒中⇒右

★図柄
・左・中デジ:1~12(星座)、星付き3、星付き7
・右デジ:1~12(星座)、星無し3、星無し7、星
(各デジタルには、ハズレ図柄が1つアリ)

★最高16R継続

★出玉:約2400発

★確変突入率:1/3(2回ループ)
(平均継続回数:4.75回)





高尾のカラー液晶デジパチ第1弾といえば、1994年~95年にかけてリリースされた
「スーパーベビー」シリーズ(現金機「スーパーベビー」(1994年)、CR機「CR
スーパーベビー2」(1995年))が思い出される。コミカルで愛らしい赤ちゃんが
主役の台は、明確に女性ファンを意識していた。その後続シリーズで登場したのが、
今回紹介する「CR星占い2」である(正確に言えば、現金機の「星占い」が先発で、
現金機に遅れてデビューしたのがCR版の本機。なお、現金機には「星占いDX」と
いう兄弟機も存在した)。やはり女性が好きな「星占い」「星座」がモチーフの、
何ともメルヘン全開だった液晶マシン。だが、乙女チックなその外観とは裏腹に、
フルスペック機ならではの爆発力と波の荒さがウリであった。また、確変中には
止打ちで出玉が増える「技」も利いた。しかし、その完成度の高さに比べると、
当初はある程度出回ったものの、その後は今イチ設置が伸び悩んだ。さらには、
同時期、主力各社が次々と類似スペックの爆裂CR機を送り出した事もあって、
次第に存在感が薄れていった感じだ。ある意味で、登場タイミングの悪かった
「悲運の一台」ではあるまいか。



本機の図柄について説明すれば、1~12の図柄は対応する月の「星座」に因んだ
キャラクターの絵柄だった。「1」は「水がめを持った女性」(1月⇒水がめ座)、
「2」は「人魚」(2月⇒うお座)、「3」は「羊と女性」(3月⇒おひつじ座)、
「4」なら「牛」(4月⇒おうし座)…といった具合である。どれも可愛らしい
アニメ調のデザインで、「スーパーベビー」同様、若い女性ファンにアピール
していた。

また、これら12星座図柄以外にも、左、中デジには「星付き3」「星付き7」の
2図柄(星座の3、7とは別図柄)が用意されていた。西陣「球界王」シリーズの
「数字とボールの図柄」を彷彿とさせるW図柄で、リーチの組合わせが多くなる。
「3・3」「7・7」のテンパイでリーチとなるのは勿論、左に「3」、中に「7」と
並んでも、「星のテンパイ」でリーチ扱いとなる。一方、右デジには「星無しの3」
「星無しの7」「星図柄」が配されており、「3・3」のリーチは右デジが「3」でも
「星」でも大当り。これは「7・7」も同様で、どちらも実質的にはダブルリーチだ。
無論、「7・3」「3・7」の変則リーチなら、右に星が止まれば大当り。

これら「星付き3」「星付き7」絡みで大当りした場合、+2回の確変に突入する
(確変ループ有)。具体的にいえば、

「3・3・3」
「7・7・7」
「3・3・星」
「7・7・星」
「3・7・星」
「7・3・星」

の6パターンで当れば、確変となる仕組みだった。全18通りの組合わせの内、
6図柄が確変だから、突入率(継続率)は1/3。いわゆるフルスペック仕様で、
ツボにハマった時の爆裂度は特筆すべきものがあった。CRスーパーベビー2の
確変突入率は2/15(2回ループ)だったので、後続機で一気にパワーアップを
果たした格好だ。その分、大当り確率は1/256(CRスーパーベビー2)から
1/383と大きく低下した訳だが…。



リーチパターンは大別して4つ。(1)左⇒中とテンパイして、右デジが低速気味に
スクロールする「ノーマルリーチ」。(2)ノーマルで一旦停止後、右デジが再び
動き出して超スローで進む「再始動リーチ」、(3)ノーマル途中で右デジに星が
出現、各図柄と星が交互に反転しながら落下していく「星降るリーチ」。そして
(4)ノーマルの途中でBGMが変わり、「ラッキーチャンス」の表示と星占いの
メッセージ(星マーク付き)が出現する「占いリーチ」である。どのパターンも
当る可能性があるが、期待できたのは「星降る」「占い」の2つ。特に、後者は
星マークの数(3~5個出現)によって大当り期待度が変化、5個なら超高確率で
大当りした。なお、どのリーチも、1コマズレでハズれた後、高速で再始動する
二段階(1周)パターンがあって、この場合は鉄板。他にも1コマ戻りで大当り、
リーチアクション無しでのビタ揃いなど、右デジの多彩な動きが魅力であった。



確変中は大当り確率が1/383⇒1/55にアップする為、ハマらずに次の大当りを
獲得可能。また、確変中は小デジの当選率も通常の1/11⇒1/1.1に10倍アップ
するので、頻繁に電チューが開く。さらに、電チューには入賞個数制限がなく、
規定時間(4秒)以内なら、いくら飛び込んでも電チューは閉じない。適当に
打っても玉増えが期待できた上に、キッチリと止め打ちすれば、さらなる出玉
増加に繋がった。労力を惜しまずに小技を使う者にとっては、有難い電チュー
性能といえた。なお、止め打ちのタイミングをはかる場合、盤面風車ランプの
点滅回数を数えて数発打ち出す手順が、実戦的かつ効果的だった。



本機はフルスペックのCR機だが、同シリーズの現金機も複数登場している。
CRよりも先に出たのが、現金機「星占い」。大当り確率1/205のノーマル
タイプで、W図柄が無い代わりに、各デジタルに単独の「星図柄」が存在。
また、現金機には「星占いDX」という後発の兄弟機も。星占いより確率が
僅かに低い1/210で、やはり単独の星図柄が存在。DXは「3」「7」「星」の
リーチで外れたり、12星座の図柄でリーチが掛かって、右デジに「3」「7」
「星」の何れかが止まって外れたりすると、「小当り」扱いでアタッカーが
0.4秒開く。ただ、開放時間が短すぎるので、ノーマル機と大差なかった。


高尾「星占い」(1995)



高尾「星占いDX」(1995)


一方のCR機では、本機に続いて(兄弟機ではないが)「CRあっちむいてほい2」
(確変突入7/15)や「CRレディースナイパー2」(確変突入1/3)などの液晶
デジパチが同社から登場。さらに1996年初頭には、本機のリメイク版である
「CR夢」もデビューした。ただ、SANKYO(「CRFダウンタウン劇場」etc)、
平和(「CR RYU-OH」etc)、三洋(「CR大工の源さん」)など、同時期に
出回った他社の人気台に押されて、人気は今一つに終わった。


高尾「CR夢」(1996年)
内部スペックは本機と同じ




(高尾「CR星占い2」の項、了)



プチマーメイド(北電子、4号機)

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1997年(平成9年)に北電子から登場した4号機
「プチマーメイド」(A-400)


★ボーナス確率




★払い出し

赤7・赤7・赤7/人魚・人魚・人魚
⇒15枚+Big Bonus

赤7・赤7・BAR/BAR・BAR・BAR
⇒15枚+Reg Bonus

タコ・タコ・タコ⇒15枚

サメ・サメ・サメ⇒8枚

チェリー⇒2枚

貝・貝・貝⇒Replay(6枚+Jac in)



「人魚(マーメイド)」をモチーフにした完全告知機。下パネルの
人魚姫の女の子が、やたら可愛かった印象アリ。時系列的にいえば、
初代ジャグラーの次にリリースされた台。「BR成立プレイでランプ
点灯(点滅)による後告知」という北電子4号機の一貫した姿勢は、
本機もしっかりと受け継いでいた(無論、キングオブザタイガーの
ような不完全告知も存在したが…)。リール左下にある小さな貝殻
ランプ(CHANCEランプ)がペカリと点灯するシンプルな後告知。
だが、その単純明快さが、却って多くのファンの心を掴んだ格好だ。
赤7ビッグ、人魚ビッグそれぞれファンファーレが異なり、何れも
味のあるサウンドで完成度も高かった。


思えば、同社は4号機第1弾「クリエイター7」以来、地道に後告知の
機種を出し続けていたが、モーニングサービス(開店前、シマの数台
(時には全台)にボーナスを仕込んでおく客寄せサービス)が主流と
なっていた時期は、モーニング台を悟られないように、告知ランプを
断線して対処する店が多かった。その為、北電子台がその「本領」を
発揮できずに、シマでくすぶっているケースもまま見られた。しかし、
1996年にモーニングが禁止されると、告知ランプの存在価値は一気に
高まっていった。無論、地域や店によっては、禁止後もモーニングを
普通に続けていたりしたが、1996年を境に、モーニングを実施する
店の数は目に見えて減少していく。


そんなタイミングで登場したのが、初代「ジャグラー」(1997年)で
ある。リール左下の「GOGOランプ」がペカッと光るシンプル告知が
ファンを魅了して、爆発的ヒットを飾った。そのジャグラーに続いて
送り出された本機。ジャグラーのコンセプトを巧く受け継ぎ、やはり
各地で人気を博した。とりわけ、流行りの技術介入機についていけない
年配層とか、可愛さを好む女性ファンなどに好評だった。私などは普段、
技術介入機をメインにしていたが、のんびり気ままに気分転換したい…
なんて時、まさにうってつけの一台だった。



従来の北電子台は「ボーナス(シングル除く)図柄が2つ(7とBARなど)」
というのが定番だったが、本機は同社初の「3種類のボーナス図柄」を採用
(赤7、タコ、BAR)。初代ジャグラーとは違い、バケとなる組み合わせが
「7・7・BAR」と「BAR×3」の2通りあった(ジャグラーのバケは「BAR・
BAR・7」のみ。「BAR×3」はビッグ)。人魚がモチーフなので、上述の
タコをはじめ、サメや貝など海洋生物がらみの図柄も目立った(ストップ
ランプはカニ)。この流れは、後継機の「大漁2」にも引き継がれている
(⇒鯛、海藻、サメ、イカの図柄など)。


元祖ジャグラーと比して、ボーナス図柄を引き込み易い制御だった本機。
「ボーナス一直線型」のリーチ目出現に伴って告知ランプが点灯する
パターンは、前機以上に増えた。これを良しとするか否かは打ち手次第
といえたが、リーチ目視認とランプ点灯のタイムラグがほとんど無かった
ので、ランプ主体で遊技する限り、気にはならなかった。一方、違反覚悟で
ランプ断線でモーニングを入れるような店は、依然としてリーチ目の存在が
重要だった。また、ランプが生きている店でも、ハマリ時にあえてランプを
千円札やテレカなどで隠して、リーチ目を楽しんだりできた。なお、中・右
リールでは、ボーナス図柄の代わりにチェリーが代用図柄になった(⇒NGと
なるチェリーもあるが)。



それから、先程からたびたび紹介している「タコ」について。瑞穂の
「タコスロ」を意識したのか、ドヘタな打ち手を「タコ」と皮肉って
いたのかは知らないが、このタコが重要な存在であった。なぜなら、
通常時に左・中リールでタコがテンパイした場合、タコかボーナスが
成立しているサインとなったからである。即ち、タコテンパイ時は、
右でタコを狙って外れれば、その時点で「入り」となった訳だ。但し、
右リールにはタコを引き込めないNGポイントがあったので、正確に
目押しして外れることが条件となる。


当時、本機とよく対峙したのは、東京・有楽町の「UNO」という店。
当時、職場が丸の内にあった関係で、昼休みに足を延ばして短時間
勝負を挑んだり、仕事終りにマッタリ打ったりしていた。ノーマル
なのに北電子特有の(なんて書くと「オカルトだ」と非難されそう
だが…)「波の荒さ」が如実に出るケースも多く、ビッグの連打で
速攻1箱ゲットして、「ヒット&アウェイ」で勝ち逃げする機会が
少なくなかった。時間に限りのあるサラリーマンにとって、何気に
重宝する台だったと思う。ただ、いつだったかアフター5の対戦時、
不調にも拘らず「一度はランプを光らせたい」と意地になり粘って
しまい、バケも引けずに4万以上ストレートでやられた記憶が残る。
バラエティ的な少ない設置台数だったので、他台に移るチャンスも
意思も生まれなかったのが敗因だろう。似たような「ボロ負け」を、
町田「さくら屋」のジャグラーV新装時にも経験したことを思い出す
(この時は、台数はそこそこあったが、満席で移動できずにアツく
なってしまった…確か、事前予約した台で9万ほど負けたハズ)


これは余談になるが、北電子の過去の名機を振り返ると、それぞれの
台を触りに通った、「想い出のホール」というのが首都圏各地にある。
店のハシゴやプチ遠征などを特に好んだ私にとって、北電子の歴史は、
そのまま自身のスロ歴にも重なる。以下は、それをリスト化したもの
(需要があるかといえば、甚だ疑問であるが…自己満足みたいなもの)

(3号機以前)
・ニューキャスター(1.5)…ぱちんこ遊園(向ヶ丘遊園)
・ガリバー2(2-1)…ぱちんこ遊園
・ガリバースペシャル(2-2)…オデヲン(新宿コマ劇前)
・スーパーコップ(3-1)…ぱちんこ遊園
・アポロン(3-2)…日拓チェーン(新宿、馬場、渋谷)

(4号機)
・クリエイター7…ミラージュα(溝の口)
・サーカス3…メトロ(新宿東口)
・ジャグラー…ジアス(新百合ヶ丘)
・プチマーメイド…UNO(有楽町)
・タイリョウ2…スーパースター(町田)
・ダイノ2…モモタロウ(町田)
・レジェンダ…マルハンパチンコタワー(渋谷)
・北の湯777…三光(自由が丘)
・ジャグラーV…さくら屋(町田)
・キングオブザタイガー…ルモンド(天王町)
・メキシカンCT…大野屋008(蒲田)
・ワンダーレビュー2…さくら屋
・月光仮面…さくら屋



★本機の沖スロ(30φ)Verについて

「プチマーメイド30」
⇒BR確率、払い出し、図柄配列やパネルデザインは本機と
共通だが、フラグ告知のシステムが異なる。30φの場合は、
第3停止後の告知ではなくて、レバーオン時に告知ランプが
光る「先告知」仕様。また、告知ランプが点滅ならビッグ、
点灯ならバケと、光り方でフラグ判別が可能になっていた。


★5号機について

つい最近、同名のリメイク版5号機が登場したようだが、
既に現役を引退してホール事情には全く詳しくない為、
ここでの説明は控えさせて頂く。各自、お調べ下さい。



(北電子4号機「プチマーメイド」の項、了)

大漁2(北電子、4号機)

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1997年(平成9年)に北電子から登場した
4号機「大漁2」(タイリョウ2)」(A-400)



★ボーナス確率



★払い出し


波を模した赤7、ピンクの鯛、白波の立ったBAR、海藻
(ワカメ)、サメ、イカなど、海にまつわる図柄ばかり。



当時、ジャグラー⇒プチマーメイド⇒大漁2と北電子が立て続けに
香ばしい後告知の台を登場させた流れは、今でもよく覚えている。
本機については、それまで「ぺカッと点灯」が定番の告知ランプを、
あえて「点滅」に切り替えてきた辺りに、同社の強い「チャレンジ
精神」を感じた(プチマーメイド沖スロ版「プチマーメイド30」も
REG時にランプが点滅(沖スロらしく、レバオン時に告知))。


前機種(プチマーメイド)と同様「海」をモチーフにしていたが、
本機の主役はピンクの「鯛」。なぜ鯛を採用したかは知らないが、
「ダジャレ」の類を好んだといわれる当時の北電子(ジャグラーの
リプレイ図柄⇒「再」プレイ⇒サイの如く)だから、「タイリョウ」
の「タイ」と魚の「鯛」をシャレで絡めたのかもしれない(未確認)。
ひょっとすると、下パネル左右に鯛がいるのも、「鯛」が「両」方に
いる=「鯛両」⇒タイリョウ、というシャレだったのかも…(未確認)。


やたらと耳に刺さるBGM…特に、JACゲーム中の民謡チックな和風
メロディーは、シンプルな構成ながらも「名曲」「名調子」の域に
達していたと思う(あの音は死ぬまで忘れる事がないであろう…)。
ビッグ小役ゲーム中のノンビリした旋律も秀逸。赤BIG、鯛BIG
いずれのファンファーレにも、和テイストな独特の味があった。


そして、本機最大の特徴といえば、ボーナス告知時の「ランプ点滅」
だろう。第3停止後、リール窓左下のCHANCEランプ(灯台ランプ)
が明滅を繰り返せばボーナス確定。初期・4号機から一貫して「点灯」
だった告知パターンを「点滅」へとシフトしたのは、先程も触れたが
北電子にとってはある意味で挑戦だったハズ(コロンブスの卵だが)。
「伝統」と「進化」を両立させた同社の姿勢を、大いに評価したい。
実際、この点滅告知は多くのファンに受け入れられて、本機は長く
人気機種でありつづけた。


ただ、このランプを見て思い出すのが、本機を打ち始めて間もない時期、
告知ゲームで「見逃し」をするケースがしばしばあった事。伝わりづらい
かもしれないが…北電子の後告知を打つ時、己の視線は定期的にリールと
告知ランプの間を行ったり来たりする。しかも、ブン回している場合など、
「第3リール停止」⇒「すかさず視線を左下に一瞬だけ移動」⇒「ランプ
確認」⇒「変化が無ければ即ベット⇒再びリールに視線を戻す」といった
単純作業を、延々と繰り返している。その際、左下のランプに視線を移す
時間が短かすぎると、明滅のちょうど「滅(消える)」のタイミングで
ランプを目視してしまい、「入ってない」と思って即ベット⇒リールに
視線を戻した後、あらためてランプを確認してみたら、ピッカピッカと
点滅していた…という経験が少なからずあったのだ(伝わりにくいな…)。
時間にすれば、ほんの一瞬のタイムラグだが、いわば「自力の次プレイ
告知」とでもいうべき、瞬間的な錯覚(ミス)である。この点、先行機
サーカス、クリ7、ジャグ、プチマーメイドは全て「点灯」だったから、
ランプに視線をやった時に、告知を見逃す事などほぼなかった(まぁ、
サーカスやクリ7の全盛期は、告知ランプ自体を切る店も多かったが…)。
このテの錯覚・ミスを防ぐには、第3停止後に告知ランプを「チラ見」
する時間を、先行機より少し長めにする必要があった。以上は個人的な
「クセ」なので、ピンとこない方も多いとは思うが…。なお、後発機の
「レジェンダ」も点滅告知を採用していたが、大漁2で慣れていたので、
特に違和感もなく告知を察知できた。


リーチ目については、シンプルな「ボーナス図柄の一直線型」が基本。
但し、出目よりも告知ランプ主体の台だったから、リーチ目は「脇役」。
それでも、左リールに7、鯛、BAR停止時、中リールにボーナス図柄が
ズルリとスベッてテンパイしたり、右リールのボーナス図柄が最大限に
スベって一直線の鉄板目を作ったりと、スベリの香ばしさにシビれたり
した(ボーナス図柄の引込みがやたら良かったのだ)。なお、一直線を
作った際、右リールが赤7だとビッグ確定、BARならバケ確、鯛だとBR
共通という、フラグ判別に絡んだ分かり易い特性も持ち合わせていた。


ハズシ効果はさほど高くないが、回数を重ねるとジワジワ効いてきた。
手順は様々だが一例を挙げれば、1、2回目の小役ゲームは順押し適当
押し(より完璧を目指すならチェリー海藻目押し)。3回目に入ったら
中⇒右or右⇒中の順で押して、メインのサメ(7枚)がテンパイしたら
左は上下を海藻に挟まれたBAR狙い。一方、リプレイが下段受けなら、
左にチェリー付きの赤7を枠内に狙って、リプレイ上段受けなら鯛を
左上段or枠上に鯛を狙って、それぞれリプレイをハズす。但し、残り
12Gから順押しに戻す。


本機と最初に出会ったのは、新宿、馬場や小田急の沿線といった
馴染みのエリアではなくて、東京・月島駅近くの「アクア90」と
いう初見のパチ屋であった。この時期、丸の内に勤めながら某・
国家試験に挑んでいた私。仕事終りや休日など、専門の予備校が
主催する「答案練習会」によく参加していた。ある時、答練会の
参加者を対象にした、小規模の勉強会が月島で行われる事になり、
自分も参加を決めた。で、勉強会の大事な初日(確か、日曜日と
思ったが)、気合を入れて月島まで出向いたのだが、予定よりも
1時間ほど早く駅についてしまった。土地勘の全くない駅周辺を
ぶらついていた時、ふと目に入ってきたのが、件の「アクア90」
だったのだ。約1時間、ここで時間を潰してから勉強会に行こうと
思って(←全く気合が入ってないw)混雑した店内をうろつくと、
見慣れない赤い筐体の台がズラリと並んでいた。愛嬌ある魚に波、
そして「大漁」と大書きされた下パネルに、何とも言えぬ魅力を
感じた私。まるで釣り餌に誘われる魚の如く、グイグイッと引き
寄せられるように腰を下ろした。この時、偶然座った一台が好調
そのもので、両ボーナスを面白いように引いて、僅か1時間弱で
2000枚近く出るオイシイ展開。とうとう勉強会の時間が迫って
きたが、「こんな高設定濃厚台をみすみす捨てるなど、あまりに
勿体ない」という悪魔のささやきに負けてしまい、ヤメずに打ち
続けた。その後、揉みはありつつも好調な展開は続き、結局3箱
(約4500枚)出して終了。店を出たのは夜9時頃、打ち始めから
8時間以上も経っていた。大事な勉強会をハナからサボってしまい、
バツが悪くなってそれ以降、参加する事は無かった(答案練習会は
引き続き通い続けたが…)。なので、本機の事を想うたび、当時の
そうした「愚行」もセットで思い出してしまうのだ(当時27歳…)。


そうそう、大漁2といえば町田の「スーパースター」(閉店)という
店でもよく打った。ここの2Fに「タンゴブラザー」や「エイトマン」
「ツインサーファー」といった露骨に「アレ」な台が並んでいたが、
ビビりの私はそんな激しい台にはあまり手を出せず(たまに触る程度)、
本機やタイムクロスなどのマイルドなタイプを好んだ。マイルドとは
いっても、大漁2はプチマーメイドよりビッグ偏向のスペックになって
おり、好調時にはポンポンと短い間隔でビッグが小気味よく連続して、
出玉がグーンと伸びたりした。それでも、基本はマッタリと打ちつつ
灯台の点滅を待つ流れ。向こうのシマではツインサーファーの常連が
目を血走らせている。それを遠目に、コチラはカワイイ鯛達と戯れる…
殺伐としがちな店の中でキラリと光る、「癒し」の存在だったと思う。
また打ちたいな、大漁2…。


※後継機(4号機)
「ニュータイリョウ」(2001)
(告知は成立後1/4⇒リーチ目の重要性up。SP演出搭載)
⇒町田「さくら屋」で実戦

※後継機(5号機)
「豊漁」(2008)
(打ったかな…引退後だったかな)
「大漁2」(2013)
(完全に当ブログの守備範囲外)



(北電子4号機「大漁2」の項、了)

元祖パチンコ物語・温泉珍道中(1994年)

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(C)ケイエスエス、ビデオチャンプ 1994.2




90年代パチンコ映画レビュー

「元祖パチンコ物語・温泉珍道中」

(1994年2月28日リリース)

出演:財津一郎、中原早苗、新藤栄作、桜金造、新藤恵美、麻生真宮子ほか

監督:坂下正尚

製作:ビデオチャンプ、ケイエスエス

企画:アルゴ・ピクチャーズ、シネウェーブ

制作:ヒーロー、シネウェーブ



(あらすじ)

恩田国松(財津)はパチンコ店「マツヤ」の会長。パチンコに対する強い愛情と
篤い人情を武器に、自身の店を一代で有名なチェーンにまで発展させた。現在は
息子の良介(新藤栄作)に社長の椅子を譲り、自身は会長に退いて半隠居の身。
その国松は無類の女好きで、妻の昌代(中原)には叱られてばかり。悠々自適の
日々…と行きたいが、肝心の財布の紐を昌代と良介に握られていては、女遊びも
自由にできない。良介が新たな店舗を作りたいというと、「地元のライバル店に
仁義を通してやる」などと上手い事を言って、必要経費の名目で小遣いをせびる
のが精いっぱい。そんな国松は、ある日馴染みだった美人芸者の桃奴(麻生)と
久々に再会。当然、女好きの「本領」を発揮して、妻に内緒で温泉旅行へと誘う。
それをいぶかしがる昌代に、「メーカー本社に出向いて、今度入れる新台を確認
してくる」と誤魔化す。だが、昌代も女の勘で夫の浮気を疑い、良介を工場へと
出向かせる。さらに、国松が置き忘れた温泉旅行のパンフレットを偶然見つけて、
不貞を確信。ベテラン店長の丸山(桜)を連れて、現地へ乗り込む。何とかして
見つからぬように逃げ続ける国松だったが、ついに桃奴とのツーショット現場を
昌代と良介に抑えられてしまう。窮地に陥る国松。さらに、社長、店長共に店を
留守にしている間、凄腕の女パチプロ・栄子(新藤恵美)率いるプロ軍団に店を
荒らされてしまう。果たして、国松は自身のピンチを乗り切れるのか、そして、
マツヤの命運や如何に…?




1990年代は、パチンコ・パチスロの大きなブームに乗って、多くのパチ・スロ
映画作品(ビデオ)が製作された。中でも、間部洋一氏原作の「パチンコ物語」
シリーズはよく知られており、本作含めて10作がリリースされている※。ただ、
シリーズ第一作目の松竹映画「パチンコ物語」に出演した、財津一郎、中原早苗、
桜金造などの「キーパーソン」を起用しているのは、初代と本作を含めて計4作
しかない(後の二つは「二代目パチンコ物語・一発勝負必勝篇(1991年)及び
「元祖パチンコ物語・駅前戦争(1994年)」)。本作のタイトルに「元祖」と
明記してあるのは、原作者共通のコンテンツが多く存在した中、初代の配役を
出来うる限り引き継いだ、「正統の後継作品」というアピールではないか。

※90年代前半リリースされた、間部洋一氏原作の映像作品
「パチンコ物語」シリーズ一覧

・パチンコ物語(1990年、古尾谷雅人、財津一郎)
・二代目パチンコ物語・一発勝負必勝篇(1991年、美木良介、財津一郎)
・大阪パチンコ物語・浪花の勝負師(1992年、長原成樹、長江健次)
・パチンコ物語・裏ワザ大勝負!(1992年、榊原利彦)
・新パチンコ物語・マル秘デジパチ攻略法(1993年、風見しんご)
・パチンコ物語番外篇・パチスロ一攫千金(1993年、勝俣州和)
・新パチンコ物語・パチプロVS伝説の釘師(1993年、西川弘志)
・元祖パチンコ物語・温泉珍道中(1994年、財津一郎、新藤栄作)
・新パチンコ物語・壊滅!闇のゴト師軍団(1994年、西川弘志)
・元祖パチンコ物語・駅前戦争(1994年、財津一郎)



’90年の初代「パチンコ物語」では、初代オーナー国松と故・古尾谷雅人演ずる
二代目社長が、プリペイドカード導入など経営方針を巡り親子で対立する構図が
赤裸々に描かれた。まさに、新旧経営者のぶつかり合いという、パチンコ業界が
直面していたシビアな問題がテーマだった訳だが、本作は打って変わってユルい
展開の連続。女好きなパチ屋のオーナーと長年連れ添った妻が、浮気騒動を巡り
ドタバタ劇を繰り広げるコメディー全開の内容だ。故に、財津のコメディアンと
してのパワーや実力も随所に見て取れる。パチンコに縁遠くても、純粋な「娯楽
作品」として大いに楽しめるハズだ。ホール内で知り合ったスナックの美人ママ
(春井ユカ)がヒモ付きだと判って「ヒッジョーに、寂しィ~」と嘆いてみたり、
温泉地で浮気がバレかけて「ヒッジョーにマズイ」と唸ったりと、お馴染みの
「財津節」をたびたび披露。また、自身がCMに出ていた「こてっちゃん」を
食べる朝食の場面では、「朝っぱらからこてっちゃんか、うん、うめぇや」と
アドリブとも思えるコミカルな台詞で笑いを誘う。


配役については、主演の財津は勿論、脇を固めるメンバーも実力派、個性派揃いで
注目に値する。国松(財津)と昌代(中原早苗)の夫婦漫才的なやりとり(昌代は
国松を「お父ちゃん」、国松は昌代を陰で「マシュマロ(白くて太っているから)」
と呼ぶ)が何とも小気味よく、国松と店長・丸山(桜金造)との絡みも、お互いに
コメディアン出身だからこそ成し得る、絶妙のテンポとタイミングで痛快だ。父・
国松と対照的に真面目が取り柄の良介役には、NHK朝ドラ「心はいつもラムネ色」
に主演した新藤栄作を起用。国松が浮気の口実に使ったパチンコメーカー「桐生」
(モデルは明らかに西陣)の責任者・田川伸吉を、往年の喜劇俳優、故・平凡太郎
が演じた。さらに、パチプロ軍団の女リーダー栄子を好演したのが、ボウリングを
テーマにしたドラマ「美しきチャレンジャー」に主演した、実力派女優の新藤恵美。
レトロパチンコ的観点からは、国松の浮気相手、桃奴(ももやっこ)の役を演じた
麻生真宮子(あそうまみこ)を起用した点も見逃せない。昭和期に西陣がデジパチ
「キャプテンルーキー」を世に送り出した際、イメージキャラクターを務めたのが
彼女だからだ(「麻生真美子とキャプテン」の頃に)。



それから、この時代のパチンコ作品は、ストーリー自体を楽しめるのは勿論だが、
当時出回った台が作品のあちこちに映り込んでいて、90年代パチンコの映像資料
としても大いに価値がある。本作も同様で、計75分の映像中、いたる所で往年の
「名機」の盤面、サウンド等が確認できる。以下、その抜粋(気づいた順に記載
してある為、順不同)。

・フィーバーオールセブンII(SANKYO、デジパチ)
・綱取物語(平和、デジパチ)
・春一番(西陣、デジパチ)
・フィーバーガールズI(SANKYO、デジパチ)
・ザ・忍者(京楽、デジパチ)
・エキサイトグランプリγ(ニューギン、デジパチ)
・獅子舞SVA(西陣、ハネモノ)
・球界王(西陣、デジパチ)
・パックンザウルスP-2(西陣、ハネモノ)
・アルファキング7(西陣、権利モノ)
・花鳥風月(西陣、デジパチ)
・ドラキュラ城(ニューギン)
・アニバーサリーI(大一)
・ニューヨーカー(平和)
など

※社長の良介が桐生の工場に出向いた際、当時の新台「球界王」に
関する機種説明を、メーカー責任者の田川(平凡太郎)から受ける
シーン(ボールリーチ、ランナーリーチの解説等)も面白い。また、
当時の製造工程も映っていて、背中に「SOPHIA」のロゴが入った
Tシャツを着たソフィアの技術者が、人気デジパチ「花鳥風月」や
権利モノ「アルファキング7」を組み立てる場面などが登場する。
今となっては貴重な場面だ。



本作のロケ地となったパチ屋だが、基本的には東急・中目黒駅そばの
「マツヤ本店」が使われている(作品中でも「マツヤ」の名称のまま
登場するが、これは主人公・恩田国松の「松」の字にも掛かっている)。
但し、ラストの近くで、良介が父の国松にハッパをかけられて、栄子
率いるプロ軍団を強気で追い出す場面のみ、東急・大岡山駅「ジャンボ」
(閉店)店内がロケ地になっている(但し、事務所と店外のシーンは
マツヤ)。また、正式なクレジットはないが、国松と浮気相手の桃奴が
仲睦まじく温泉街のパチ屋のチューリップ台で戯れる場面は、知る人ぞ
知る熱海の名店「トキワホール」が撮影地である(同店店長の故・山口
政夫氏も、カウンターに佇む店長役として、ほんの一瞬だが映っている)。
なお、パチ屋ではないが、箱根・仙石原にある老舗旅館の「仙郷楼」が、
国松らの温泉旅行の宿泊地として登場する(「桐生の温泉宿」の設定で)。



★キャスト

財津一郎、中原早苗、新藤栄作、桜金造、新藤恵美、麻生真宮子、
平凡太郎、重松収、高松誠、松本南美、佐藤幸雄、竜川誠、染谷勝利、
宮崎豊、林田和久、本城丸裕、澤井映里、寺田はるひ、阿南敦子、
岡本諭子、小貫加恵、春井ユカ


★スタッフ

監督:坂下正尚
企画:末吉博彦、アルゴ・ピクチャーズ、シネウェーブ
製作:ビデオチャンプ、ケイエスエス
制作:ヒーロー、シネウェーブ
原作:間部洋一
脚本:奥村俊雄
プロデューサー:吉田晴彦、伊藤靖浩、玉盛正陽
撮影:川﨑龍治
照明:小中健二郎
録音:武進
美術:宮野雅人
編集:神谷信武
記録:牧野千恵子
助監督:畠山典久
製作担当:小宮慎二
撮影助手:菊地亘
照明助手:原田洋明、山口賢二
録音助手:山口晃二、羽生研司
装飾:長谷川圭一
小道具:岩本一成、堀尾憲明
メイク:山上綾子
衣装:浜崎洋
演技事務:増田悟司
選曲:山川繁
効果:脇坂孝行
整音:中田裕章
編集助手:中川毅彦、小林由加子
ネガ編集:大橋まさみ
助手:加藤佳恵
スチール:奥川彰
製作進行:大沢忠生
プロデューサー補:桐山京子


★撮影協力:
・大岡山ジャンボ
・中目黒マツヤ
・ピラミデ(六本木)
・芦之湯フラワーセンター
・箱根駒ケ岳ロープウェイ
・仙郷楼(箱根)
・池上通信機


★衣装協力:
・ミキラメール
・サンローズ
・不二服飾
・愛ZECRA


★協力:
・報映産業
・東京現像所
・光映新社
・PLP
・山崎美術
・東宝コスチューム
・イトナガオフィス
・共映
・映広


★製作協力:オフィス点




(「元祖パチンコ物語・温泉珍道中」の項、了)

グッドマン(岡崎産業、4号機)

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1999年(平成11年)に岡崎産業から登場した4号機の

「グッドマン」(Aタイプ)について少々書いてみたい。


★ボーナス確率





★払い出し


・赤7・赤7・赤7/緑3・緑3・緑3…15枚+Big Bonus

・赤7・赤7・黒5/緑3・緑3・黒5…15枚+Reg Bonus

・よしお・よしお・赤7(又は黒5)…Big中のみ15枚

・ベル・ベル・ベル…10枚

・チェリー…2枚

・プラム・プラム・プラム…Replay(3+Jacin)

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


1998年春、岡崎産業が旧・尚球社から社名変更した頃にデビュー

したのが、皆さんもよくご存知の元祖「スーパージャックポット」

である。4号機第1弾「ジャックポットII」の名を継承しつつも、

「第3停止後、甲高い効果音(よく「キュインキュインキュイン」

と表すが、当時の私には「パイン・パイン・パイン」と聴こえた)

+7セグでボーナス完全告知」というシンプルで斬新、なおかつ

打ち手のハートにズップリと刺さるゲーム性が大変に好評だった。

そのSJPに続いて同年秋に出た「トラッド」は、効果音+7セグの

基本演出に「7セグ再始動(3(バケ)⇒7(Big))」という新たな

特性を追加。やはり判り易いゲーム性がファンの心をガッチリ掴み、

息の長い人気機種となった。まさに「1998年」という同社にとって

節目の時期に登場した上記2機種は、記念碑的な「名機」といえよう。

その翌年、1999年春に各ホールへ出回り始めたのが本機だが、SJPや

トラッド最大のウリである後告知を踏襲。さらに、新たな演出も多く

採用した、個性溢れるマシンであった。シリーズ化に繋がったSJPや

トラッドと比べて、本機の注目度はさほど高くなかったかもしれない。

だが、ゲーム性そのものは、決してSJPやトラッドに引けを取らない、

魅力的で打ち込み甲斐のある一台だったと思う。

 

 

とりわけ、本機の存在感を増す要因として、リール図柄やパネル等に

描かれたメインキャラクター「よしお」の果たした役割は大きかった。

「グッドマン」⇒GOOD(良い)MAN(男)⇒良男⇒よしお、という

意味合いだったと思うが(というか、攻略誌などでは普通によしおと

呼んでいたが、それが正式名称なのかどうか知らない)、林家ぺーも

顔負けのド派手なピンク衣装に身を包み、左手に「3」、右手に「5」

を持ち、シルクハットに「7」を冠したエキセントリックすぎる風貌。

一度見ただけで脳裏に焼き付くほど、強烈なオーラを放った。因みに、

彼の職業は「マジシャン」という設定だったハズ。どことなく、ダウ〇

タ〇ンの浜ちゃ〇に似ていた感も…。

 

 

一方、設定1でも「1/273」というビッグ確率の高さも、特筆すべき点で

あろう。まさにSJPの「1/269」に通じる甘い数値。まぁ、その分帳尻を

合わせる如く、JACゲームの払い出し枚数は1枚少ない14枚(SJPと同じ)

に減っており、ビッグ獲得枚数もハズシを駆使して370枚程に抑えられて

いた訳だが…それでも、高確率が生み出すビッグの連打は、本機の一つの

「味」であった。設定4以上のビッグ確率が「1/241」で共通というのも

SJPを踏襲していたが、本機はバケ確率を甘めにする事で、ストレートの

大ハマリを喰らいづらい仕様となっていた。

 

 

先輩格のSJPやトラッドは、何れも「成立ゲームの第3停止後、後告知で

ボーナス察知」というのがゲーム性の根幹をなしていた。成立ゲームの

第3停止前にボーナス確定と判るケースは、鉄板二確の「リプレイ中段

テンパイ」や「スイカとリプの平行テンパイ」が停止した時ぐらい。まぁ、

「ぐらい」とは書いたが、この中段リプテンや平行テンパイはいずれも、

打っていて大いにシビれる瞬間だった。 

 

一方の本機は、従来通り第3停止後に告知発生する他に、第1又は第2停止の

段階でボーナスの「入り」を察知する機会が少なくなかった。即ち、様々な

タイミングでボーナスを確信できた訳で、告知タイミングの「時間的幅」が

SJPやトラッドよりも広くなっていた。それと同時に、「リプハズレ=入り」

のお馴染みの特性も、しっかり引き継いでいた。まさに、「伝統と進化」を

併せ持った、奥行きあるゲーム性だったといえよう。

 

その一確や二確について具体的に書くと、左リールに「赤7・よしお・緑3」

がドーンと降臨すれば、その時点で一確(SJPやトラッドは、こうした明快な

一確目を持たない)。また、左「よしお・緑3・よしお」停止時、中リールの

中段に「よしお」が降臨する「よしおクロステンパイ」の形も二リール確定。

また、「上段リプ、中段赤7」の平行テンパイも、嬉しい二確目となる。

 

さらに、本機で初採用された新演出「センターチャンス機能」により、二確の

快感をより多く味わう事が可能であった。センターチャンスは、レバオン時に

効果音が鳴って、リール窓左のベットランプ(1MEDAL~3MEDALS)が点滅

する事でスタート。左リールの上部には、赤文字で「CENTER CHANCE」と

表示されており、中段左右に「CHANCE」と書かれていた。本機の左リールが

特別の意味合いを持つ示唆だったいえよう。この時、左の中段にボーナス図柄

(赤7又は緑3)が停止すれば、筐体のトップランプが全灯してチャンス継続。

さらに、第2停止の時点でランプが非消灯なら、ボーナス確定となる(同時に

「パイン・パイン・パイン!」の告知音)。即ち、第三リールが停止する前に

ボーナスを察知⇒二確の瞬間である。この時、トップランプの点灯パターンで

BRの判別も可能。三分割されたトップランプの中央が光ればBig、両サイドが

点灯すればRegである。第2リールでボーナス確定の場合、第3停止後7セグが

変動してBRの別を表示。セグが「3」か「7」で停止すればビッグ、「5」が

止まればバケだ。7セグは普通に変動⇒停止する他、一旦「5」で停止した後、

再始動するパターンも複数存在。ビッグ確定となる再始動のパターンもアリ。

 

一方、効果音発生時に左中段にボーナス図柄が止まらなかったり、点灯中の

トップランプが第二停止時に消えたりしても、チャンスはある。その場合も、

第3停止後に「パイン」音と共に7セグが始動すれば、問答無用でボーナス。

「最後の最後まで判らない、諦めてはいけない」。チャンス演出で打ち手を

適度に煽りながら、「捨てゲーム」無く楽しめた。但し、本機は完全後告知

なので、第3停止後に何の反応も無い場合、残念ながらボーナスは非成立。

 

 

完全告知仕様ではあるが、判り易い「リーチ目」にも味があった。先述の

一確(7・よしお・3)や二確(よしおクロス)は告知前にアツくなれたし、

リプテンハズレや、ボーナス図柄の一直線型、0枚役「よしお」の一直線型

など、何気にインパクトが大きかった。センターチャンス演出発生時限定の

一確や二確も存在するなど、打てば打つほど味わいの深さに気付かされた。

 

 

技術介入性については、通常時こそ適当打ちで問題無かったが、ビッグ中は

JAC当選で14枚しか払い出されない為、ハズシ不使用では平均350枚弱しか

取れない。一方、ハズシ駆使なら+20枚程の上乗せが望めたが、リプレイが

上段受けになると、配列上及び制御上、ハズシは不可能となっていた。但し、

中押しして、中リール中段リプレイ停止時のみ右中段に赤7をビタで狙えば、

リプを中段(or下段)受けに限定し易い。ハズシは、左のテンパイラインに

「下にリプレイの付いたよしお」狙い(切れ目の7が通り過ぎたら押す感じ)。

一方、中押しでベルが中リール中段に止まったら、左枠内に切れ目の赤7を

狙って、右適当(ベルはメイン役、10枚の払い出し)。残り9Gから順押し。

なお、15枚役とチェリーは低確率の為、狙わずともよい。

 

 

★当時の設置店

・京王線・府中駅「ターゲット」

・小田急線・相模大野駅「エンジェル」

・JR中央線・阿佐ヶ谷駅「パルコ」

など

 

★後継機について

グッドマンM(2000年登場)

本機の大量獲得Verとして登場(2000年のパチンコ・パチスロ産業フェアに

出展された台)。ビッグ中に15枚役の「コイン・コイン・赤7(黒5)」が

揃い易い仕様(但し、要目押し)。「3」図柄が緑からピンクへ変更となり、

通常時のメイン小役も青リンゴに。なお、Mは「ミラクル」の意味とのこと。

そういや、同社(尚球社時代)の3-1号機「ミラクル」にも、リンゴ図柄が

あったっけ…。

 

 

(岡崎産業「グッドマン」の項、了)

「ダービー」(京楽、旧要件デジパチ)画像あれこれ

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以前、埼玉・蕨のレトロパチンコパチスロゲーセン「殿堂・蕨店」に

京楽の旧要件デジパチ「ダービー」(1990年)が導入された時、大変

懐かしくなって同店を訪問、画像を何枚か撮影させて頂いた。それを

画像ファイルにしまったまま、暫く放置してあった事に気付いたので、

この機会に陽の目を見させてやる事にする。なお、同機の詳細スペック

については、コチラの過去記事などを参照のこと。

 

ドットデジタルの接写。今日は9月9日なので、こんな出目からスタート。

「大穴」の大当り図柄も郷愁を誘う。当時の京楽といえばドットだった。

 

続いて盤面の画像。台枠や上皿に違和感を感じた方、鋭いです。

 

上皿と下皿。実はこれ、盤面自体は旧要件「ダービー」のものだが、

台枠(上皿、下皿含む)については、新要件機「サファリ3」(1991年)

以降に採用された新枠(プロモデル枠…だったか)が代用されているのだ。

本来の「旧枠」は、もう少しエッジの効いた赤っぽい枠であった。

 

盤面上部センターの「DERBY」ロゴ。兄弟機「ダービー2」にも上部にロゴが

入っていたが、字体は全く異なる(躍動感ある初代ダービーのロゴデザインに

対して、ダービー2のロゴは落ち着いた書体である)。

 

盤面右上の賞球数表示。そう、この時代のデジパチといえば、13&7(7&13)が

基本であった。ヘソに入れば7個の戻しがあるのが、当時のデフォである(無論、

6個戻しとか8個戻しとか、例外はあったが)。投資軽減に直結するこの仕様、今

考えてみれば、何とも財布に優しい良心的なスペックではないだろうか。なお、

アタッカー入賞時は13個の戻しがある。

 

 盤面センター下部のメインアタッカー。競馬がモチーフという事で、競馬のスタート

ゲート(「OPEN GATE」の表示)と馬のマークがポイント。これは兄弟機ダービー2

にもそのまま引き継がれた(新要件版ダービー3では「OPEN」及び「OVER RUN」の

表記に変更)。

 

アタッカー左脇の「オマケチャッカー」。この時代の旧要件デジパチは、大当りで

アタッカーが開くと、両サイドのおまけに流れてプラスアルファの出玉が得られた。

アタッカーだけでは13発×10カウント×10ラウンドで1300個しか出ない訳だが、

オマケがあるお陰で、2000発とか2500発とか3000発とかそれ以上とか、兎も角

釘次第でドル箱てんこ盛りの出玉に繋がった(因みに、本機の大当り確率は1/225)。

無論、「釘」が重要なファクター。店の胸先三寸で、幾らでも出玉を調整できた。

アタッカーに入賞し易くして、おまけ自体に玉が向かいづらい調整や、両サイドに

玉は流れるが、オマケ手前でこぼれ易くする調整など様々。私がダービーを普段

打っていた地元店の場合、一回交換がメインで、平均出玉は2600~2800個程度。

一方、上野の某店で兄弟機ダービー2を打った時は、初代ダービーよりアタッカー

開放時間が長いクセに、出玉はたったの1900発だった。無制限営業の代わりに

オマケの釘を辛くして、出玉を少なくしていたのだ(他に、換金率を高くして

出玉を減らす店なども存在)。因みに、このチャッカーは「START」の表記が

ある通り、入賞するとデジタルが始動(機種によっては始動チャッカーでない

タイプも)。一般的な釘調整でも通常時にたびたび入賞することがあったし、

店側が調整を誤ると、普段からオマケに入賞しまくり、幾ら打ってもデジタル

ブン回り、かつ玉の減らない(時には増える)「お宝台」と化したり…。

 

同じくオマケチャッカー。コチラはアタッカーの右サイド。釘調整によっては、

玉を当たり前のように左サイドに流すより、右打ちで右側のオマケを狙う方が、

大幅に出玉が増えたりした。但し、あまり欲張るとアタッカーに玉が流れずに

パンクしたり…。

 

 

盤面右下の証紙類。一番上に貼ってあるのが、台の製造番号(上段)と識別記号(下段)。

「B-F-G」とあるのは、最初の英文字がメーカーで、次が製造年、最後が製造月である。

この場合、Bは「京楽」を意味し、Fは「平成2年」(昭和60年が起点の「A」)、Gが

「7月」(1月が「A」)。即ち、このダービーは、「京楽が平成2年7月に製造した」と

いう事になる。因みに、当方所有の新要件版後継機、「ダービー3」の証紙を確認すると…

 

 

コチラは「B-G-C」。Bは京楽、Gは平成3年、Cは3月。つまり京楽が平成3年3月に製造。

ダービー3がホールに出回り始めたのが新要件初期の平成3年4~5月だから、時期的にも

ピッタリ符合する。

 

「666」で大当りした瞬間。本機のリーチはノーマルのみで、

左中がテンパイすると、右は速度をやや落としてスクロール

するのみ。ただ、リーチの瞬間、自動音声で「リーチ!」と

発するのが面白かった。そして、停止する時は当りでもハズレ

でもいきなりビタッと止まる。したがって、大当りの瞬間は、

個人差こそあれ誰もが「不意を突かれた」ような感覚を覚える。

この不意打ちが、実に気持ち良かったのだ。スーパーリーチで

長時間盛り上げるサービスこそないが(後続機のニュートランプ

カード2が業界初のSPリーチ搭載機)、後腐れのない、実に潔い

デジタルの動きだったと思う。しかも、本機の場合、大当りした

瞬間に大当り図柄がパッと小さく切り替わって、バニーガールの

ビッグ時でもお馴染みのファンファーレに続いて、「ラッキー!

大当り!ヤッタネ!」の自動音声で祝福。この一瞬の感動を味わう

べく、日ごろダービーを打ち続けていたようなところもある。また、

大当り中のビゼー「カルメン」の軽快な調べ(「がんばれベアーズ」

のテーマ曲と同じ)にも、心が躍ったものである。

 

数字以外の大当り図柄は、先述の「大穴」の他、蹄鉄、優勝カップ、$、馬の5つ。

画像の馬図柄も、なにげに記憶に刺さり易いデザインだった。因みに、ダービー

にはデジタルが連続回転をしている時、右デジにとある移行法則が存在。それは、

前回の右出目に対して、次回右出目が「+4~プラス6コマ」で止まるというもの。

この法則はリーチ時も変わらなかったから、これ利用して大当りの判別が出来た。

ダービーのリーチは、右デジが1周前後で止まる事が多い(6コマ以内で速攻停止

する事もあったが)。したがって、連続回転中にリーチが掛かった場合、それが

ハズレであれば、右デジは法則通り、リーチ開始から1周前後した辺りで、前回

右出目+4~6コマの図柄で必ず止まる。即ち、リーチ図柄が約一周して、ハズレ

リーチで本来停止すべき右出目を超えた瞬間、大当りと確信できた。法則崩れを

察知してから実際に当るまで、ほんの僅かのタイムラグしかなかったが、慣れると

案外簡単に判別できた。「自分一人が周囲よりも一瞬早く大当りに気付く」事で、

人知れず優越感に浸る事が出来た訳だ。なお、連続回転が途切れたり、リーチが

外れた次の回転では、法則が一旦崩れる。

 

ダービーといえば、「馬」のデモ画面を忘れる訳には行かない。デジタルが

停止してから3分間放置すると、出目が表示された状態から、馬が走る画面に

パッと変わる。今となっては大した演出ではないが、当時はこういう細かい

「芸」に感心したものだ。そして、皆さんもよくご存知の「ボンカレー打法」。

ハマリ時、意図的に台をデモ画面に切り替えてから打ち出すと、大当りし易く

なるという噂が、攻略誌(「必勝ガイド」誌が最初だったか…)の読者情報を

皮切りに流行り出したのだった。本機の内部抽選方式から、そのような攻略は

オカルトの域を出なかった訳だが、実際、デモに戻してからすぐ当る話もよく

聞いたし、一部地域ではボンカレー攻略が仕込まれたハウス物があったという

情報も出てきたりして、何かとファンの攻略意欲をかきたてる存在だった事は

間違いない。

 

 

 

という訳で、それぞれの画像にあれこれコメントをつけさせてもらったが、

画像も尽きたので、今回はこの辺で終りにしたい。本記事でダービーの事を

久々に思い出された方、興味を持たれた方は、冒頭でリンクを貼った過去

記事も、ぜひともご覧頂きたい。では。

 

 

(「京楽ダービー画像あれこれ」の項、了)

 

 

広島東洋カープ、リーグ優勝おめでとうございます

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プロ野球セ・リーグ。広島東洋カープが2年連続のリーグ制覇を達成しましたね。

 

古くからファンを続ける一人として、これほど嬉しいことはありません。最高です。

緒方監督、選手やスタッフの皆様、そしてファンの皆様、本当に有難うございます。

そして、自らもカープファンとして、心から「おめでとうございます」の言葉を

贈りたいです。本当に良かった。強かった。チーム力が、頭一つ抜きんでていた。

 

2年連続のリーグ優勝は、チームとして実に「37年ぶり」の快挙となります。

ひところ低迷期もあったカープでしたが、若手選手が実力をグイグイつけていき、

年を追うごとに選手層も厚みを増していった感じです。そして、エルドレッドや

ジョンソンを始めとする外国人選手の活躍。さらにベテランや中堅も見事に機能

して、チームとしての歯車が巧くかみ合い、それがここ数年で結実したという

感じがしますね。今後しばらくは、現在のようなカープ最強時代が続くのでは

ないでしょうか。穴らしき穴が見つかりません。しいて言えば投手力の安定性を

増すことでしょうか。

 

ところで37年前の昭和55年、カープはチーム初のリーグ連覇を成し遂げました。

野手では山本浩二、衣笠祥雄、水谷実雄、高橋慶彦、ジム・ライトル、水沼史郎、

木下富雄といった主力級メンバーが活躍。一方の投手陣も、福士敬章、山根和夫、

北別府学、池谷公二郎、江夏豊などが台頭。今振り返っても、実に錚々たる布陣。

それを適材適所に配して見事な采配を振るう、名将・古場竹識監督の辣腕も光り

ました。まさに、第一次カープ黄金期ともいえる主役たちでしたね。打ってよし、

守ってよし、走って良し、投げてよしで安定した強さを見せつけ、周囲の誰もが

認める「最強」の時代を築きました。

 

それまでミーハーな巨人ファンだった在京(神奈川)の私も、この「赤ヘル旋風」の

影響を大いに受けて、この1980年をもってカープファンに「鞍替え」したクチです。

当時は小学3年生ごろ。それまで愛用していた真っ黒なジャイアンツ帽を脱ぎ捨てて、

地元オダキューOXの2F、階段脇のスタンドに掛けてあった赤い広島帽(バッジ付)を、

母にせがんで買って貰ったのです。因みに、このオダキューの2Fは婦人服なども置いて

あって、当時かなりのマセガキだった自分は、服や下着を着けたマネキン人形を下から

覗き込み、女性店員に思いっきり注意された事があります(全く自慢にならないね)。

 

ただ、学校でカープ帽を被る同級生は意外と少なくて、正直言ってやや浮いていました。

「カープ旋風、赤ヘル旋風」といっても、それはやはり地元・広島が中心の現象であり、

その余波が我々の住む首都圏エリアの大人世代や高校生、中学生に届いていましたけど、

我々のような小学低学年世代だと、巨人や西武、日ハムといった人気選手を多く擁する

在京チームが、まだ人気の中心でしたからね。近鉄とか阪急の帽子を被る子も多かった。

クラスで一人だけカープ帽で浮いていた私ですが…あ、一人じゃなかったな。もう一人、

同級生で仲の良かった女の子のUさんも、毎日カープ帽で登校してました。でも、彼女は

熱心な広島ファンという訳ではなくて、お兄さんの「おさがり」を被っていただけですが。

彼女とはやたらウマがあう感じで、同じカープ帽を被っていた連帯感もあって、卒業まで

仲良しでしたね。恋愛うんぬんではなくて、気のおけない友人でした。6年間同じクラス

だったなぁ、Uさん。卒業以来全然会ってないけど、元気でいるかな。足の速い子だった。

 

それはともかく、この時代の強いカープに強い憧れを抱いていた私。普段はTV画面を

通して試合の応援をしていましたが、どうしても生でゲームを見たい気持ちが沸いて、

カープの試合に連れて行ってくれるよう、父に頼み込んだ事があります。1981年の話。

その甲斐あって、同年6月某日、後楽園球場で行われた巨人-広島戦に、家族で観戦に

訪れたのです。まだ、東京ドームなんてなかった頃の水道橋。いつもは少数派で多少

気後れ感のあったカープ帽も、この時ばかりは誇らしげに被ったことを思い出します。

人生初の「生カープ」、ドキドキしました。陣取ったのは、3塁側内野応援席(レフト

スタンドの近く)。ただ、今とはちょっと状況が違って、在京のカープファンはまだ

それほど多くはなくて、スタンドも「広島ファンでギッシリ」ではなかったのです。

周りを見ると、内野も外野も巨人ファンばかりの状況。やはり在京で肩身は狭かった。

 

それを露骨に象徴していたのが、試合開始前の時間に行われた「応援合戦」です。

この時代、試合が始まる前にファン同士で相手チームをディスりあう、いわゆる

「ヤジコール」の応酬というのを必ずやっていたんですね。昭和テイストですな。

しかも、ただ無秩序に野次るのではなく、「ドドン、ドドン、ドンドンドン!」

という太鼓や手拍子の調子に合わせて、リズムよくヤジの文句をぶつけるのです。

まぁ、分かり易く言えば、「お前の、母ちゃん、でーべーそー」のリズムですな。

格調高い表現を使えば、「七五調」。まぁ、思いっきり格調は低かったけどね。

 

で、これをライトスタンド⇒レフトスタンドの順で、延々と叫び合った訳です。

一応「野次る中にも礼儀あり」で、先攻⇒後攻と互いに順番を守っていました。

互いの悪口を言うのですから険悪なムードになる気もしますが、当時決して

そんな感覚はなくて、逆に微笑ましい程の一体感が両スタンドにありました。

 

もちろん、この試合でもカープの応援団側から、ライトスタンドに向かって

様々なヤジを飛ばしましたが、残念ながら、全ての内容は覚えていません。

それでも、ワンフレーズだけ、36年経った今でも記憶に刺さっているのが、

「巨人の ハッピは よーしのやー!巨人のハッピは よーしのや~!!」

というヤジ。これを、近くで指揮する応援団長のお兄さんの言われるがまま、   声をからさんばかりに、一塁側の巨人ファンに向かって怒鳴ってましたね。
通訳すると、オレンジ色したジャイアンツ応援団のハッピ(法被)が、牛丼の   吉野家の店員の格好に似ている…という風に、相手をからかった訳ですな。   しかし、すかさずライトスタンドのジャイアンツ大応援団から帰ってきたのが、
「聞こえない!聞こえない!!」の大合唱(「ドドンガドン!」のリズムで)。   ネタはまあまあだったが、元気が無さすぎた…。まぁ、圧倒的に数では負けて   ましたからね…それに、試合前なので客の入りが少なくて、コチラの応援団の   頭数が十分に揃っていなかった。ライトスタンドの方は巨人ファンで最初から   超満員だったけどね。まぁ、この応援合戦では、試合前に完全に決着がついて   しまった感じでした。子供ながらに、随分悔しい思いをしたのを覚えています。     しかし、肝心の試合ではカープが投手、打線とも大変好調で、先発のエース   山根和夫が投打にわたる大活躍を見せて(糸を引くような右中間の2塁打   とか打ったんだよな。カッコ良かったな、山根…)、見事8-2でカープの   快勝となりました。ヤジでヤラれた分、嬉しかったなぁ。巨人・先発の   浅野投手をガンガン打ち込み引きずり降ろすなど、会心の勝利でしたね。     そういえば、当時のカープには「高橋」姓の選手が二人いたんですけど   (野手の高橋慶彦と投手の高橋里志)、後楽園のセンター電光掲示板の   打順表示には、高橋(慶)ではなく「高橋よ」とひらがなで表記されて   いたんです。子供ながらに「「よ」とはなんだ、「よ」とは。僕は高橋   慶彦選手のファンなんだ、ちゃんと「慶」と書け!」と勝手にムカついて   ました。細かいドット表示の効かなかった当時ならではの出来事ですが、   あれは手抜きにしか見えなかったな…。高橋よ。       それにしても、ホントあの頃のカープは強かったな。まさに、その再来が   今という時期もしれません。エルドレッドに当時のライトルが重なったり…。   (左右逆ですけどね。顔も全然違うけど、存在感という意味では似ている)。   後は、今の「緒方時代」が出来るだけ長く続いて、いずれ「古葉」越えを   果たして貰いたい、なんて期待しています。まずはCSを無事突破、そして   来たる日本シリーズでは念願の日本一に向け、邁進して下さい。ガンバレ、   広島東洋カープ。

 

 

では、今回はこの辺で。駄文、長文失礼しました。

 

(広島東洋カープ、リーグ優勝おめでとうございますの項、了)

 

ピンクレディー(マルホン、デジパチ)

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1992年(平成4年)にマルホンから登場した

現金機デジパチ「ピンクレディー」について。 

 

 

(基本スペック、実戦店)

★賞球:7&15

★大当り確率:1/235

★大当り図柄:0~9、A、H、Pの各三つ揃い(13通り)

★デジタル停止順:左⇒右⇒中

★最高16ラウンド継続

★出玉:約2300個

★連チャン性:アリ(保4連、連チャン率:約15%)

★当時の実戦店:新宿西口「ジャンボ」、渋谷「日拓」など

 

 

 1991年(平成3年)の新要件初期におけるマルホンデジパチというと、

小デジ確変機能付「ウルトラセブン」に代表されるようなドラム機と、

「スーパーダイヤ」「ウィンク」などに見られる巨大な7セグ(LED)

デジタルという「二大柱」が主流であった。特に後者は、デジタル部が

リーチ中に後方傾斜したり(ウィンクなど)、デジタルの円形ヤクモノ

全体がリーチ時にグルリと大回転したりと(リバース2、リバースセブン

など)、何かと趣向を凝らしたタイプが多かった。また、どのタイプも

けたたましいサウンドや派手なランプの点滅など、視覚・聴覚に激しく

うったえるものが大半を占めた。この「マルホンデジパチ二大路線」は

91年新要件に始まった事ではなく、ドラムは旧要件機「クールセブン」

「スーパーターボ」など、7セグは同じく旧要件機の「パールセブン」

「オリンパス2」「キャスター」「ロータリーセブン」などの流れを

受けたものである。派手な効果音やランプ点滅も、旧要件マルホンの

「伝統」を引き継いでいた。

 

 

その後、平和「麻雀物語」の大ヒットに呼応するかのように、1992年には

カラー液晶モニタを採用した「スーパービジョン」や「ゴールドビジョン」

「カラービジョン」といった液晶デジパチを相次ぎリリース(発色や彩色は

かなり派手だったが、図柄の形状はカラー液晶を使った割にはシンプルとも

思える、7セグ調のデザインだった)。

マルホン「スーパービジョン」のデジタル画面

 

一方、権利モノにおいては、92年に「フォーミュラー」「ミラクルショット」

「ウィンダムX(Z)」「マジカル」「キングM」などのドットデジタル機が

続々と発売された。「権利モノ=ドット」の流れは、その後も「ダブルゲーム」

「びっくりマン」「チャイナタウン」「ソルジャー」など同社の爆連権利モノに

継承された。なお、デジパチにおいても「ミステリーハウス」や「サイドセブン」

「ロックンビート」「マンボウくん」など、この時代にはドットデジタルモノが

多数存在。やはり旧要件「レーサー2」「パーラー2」といったドットデジパチの

「系譜」といえるが、ドットのデザインは大きく進化。また、7セグやドラムと

比べて、ドットはマルホン新要件初期の主流とはいえなかったから、1992年を

契機として、「マルホンドット路線」が一気に開花したことになる。

 

 

一方で、従来のデカデジ路線には多少の変更も加えられ、デジタルのサイズを

やや小さくする代わりに、分離・独立した各デジタルが、従来よりも立体的で

派手なアクションを行う機種が数多く出始めた。やはり1992年に発売された

「アクションズーム」「ハッピーズーム」「スーパーズーム」そして今回紹介

する「ピンクレディー」などの7セグ(LED)各機種は、その代表格といえる

「セーフティーセブン」「サイドワインダー」なども同タイプの7セグ採用)。

それまでの新要件マルホン7セグ台は、デジタルのヤクモノの動きに特徴が

あるタイプが多かったとはいっても、大きな7セグ自体は似たり寄ったりの

感もあり、新台リリースされる度に「ワンパターン」とか「二番煎じ」など

批判されたりもした。そんなマンネリを払拭すべく、デジタルサイズよりも

ヤクモノとしてのデジタルアクションに重きを置いたのが、’92年における

同社の路線変更の特色とはいえまいか。

 

 

当時のマルホンデジパチは、世の「連チャンブーム」の勢いを多分に受けて、

仕組まれた連チャン、とりわけ保4の意図的な連が仕込まれた機種が少なく

なかった。上述した「スーパービジョン」「ハッピーズーム」「アクション

ズーム」は、何れも保4連率25%以上を誇る、強力な保留連チャン機だった

(それゆえ「販売自粛」という憂き目にもあった訳だが…)。本機も、その

流れを汲む保4連を特徴とするが、連チャン率は先行機よりもトーンダウン、

約15%に抑えられていた。それでも、初当り約7回に1度の割合でダブルが

期待できた訳で、時にはトリプル、フォース…と伸びるケースもあったから、

当人のヒキ次第で短時間の箱積みも可能なスペックといえた。

 

 

ところで、今さらながら本機の「盤面」に注目すると、最上部に横書きされた

「ようこそ いらっしゃいませ♥」のメッセージや、その左横に描かれている

メイドチックな若い女性二人組のイラスト、さらにデジタル下の両サイドに

佇むビキニのギャル(コチラもペア)が、存在感を強烈にアピールしていた。

機種名の「ピンクレディー」は、今さら説明するまでも無い事だが、70年代

大活躍した人気アイドルデュオの名前と同一だったから(⇒正確に言うなら、

アイドルの方は「ピンク・レディー」とセンターに「中黒」が存在したが…)、

ビキニのイラストなどはその象徴といえる(タイアップ機ではなかったハズ

だが)。また、メイド姿のイラストも、件のアイドルデュオが70年代に出演

したグリコ「ラブリーチョコ」のCMで着用した衣装が、ちょうど似たような

イメージの「萌え系」(←今風の表現を使うなら)コスチュームだったので、

そのCMを意識したイラストだった可能性はあろう。さらに、1990年代前半、

可愛らしいメイドの衣装に身を包んだ女性店員が特徴の、「アンナミラーズ」

という飲食チェーン店が男性客にウケて大流行していた。そんな時代背景が、

件のイラストに影響を与えたかもしれない。

 

 

但し、本機には、上掲の盤面と大きく異なる「セル違い」も存在した。コチラは

アイドルとか萌え系と縁遠い感じの、どちらかといえば地味でオーソドックスな

デザインだった。ホール側の嗜好に応え易いよう、メーカーがあらかじめ複数の

セルを用意していたという事か。実際、このセル違いは販売好調で「新セル」と

して出た訳ではなく、発売開始の段階から両方のセルが発表されていた。まぁ、

関東⇔関西など、エリア別に異なるセルを導入する予定だったかもしれないが…。

 

マルホン「ピンクレディー」(セル違い)

 

 

続いて本機のデジタルの動きについて説明すると、左、中、右とそれぞれ

分離独立して透明のプラケースに収まった立体的な7セグデジタルは、左⇒

右⇒中の順で停止。左右がテンパイすると、左右デジタルは後方に下がり、

横向きでギュイギュイと半回転を開始する。「振動アクション」とも表現

できる個性的な往復運動で打ち手を煽った。同時に、中デジは横回転では

なく「前後動」を繰り返して図柄がスクロール。この「縦横」の立体的で

奥行ある動きが特徴だった。また、同社お得意の「キンキンサウンド」も

健在で、リーチ時はシマ中に甲高い効果音が響き渡った。SPリーチは存在

しないが、リーチそのものがド派手でスペシャルな扱いだったといえよう。

大当り中も、左右デジタルと中デジタルが交互に前後動を行ったりして、

打ち手を魅了。その大当り後には保4連の期待…となれば、テンションが

上がらないハズがなかった。スーパービジョンほど露骨な保連はなかった

ものの、「1/235」という初当り確率にしては、そこそこの連をカマして

くれた記憶も残る。

 

 

保4連チャンの詳細なシステムは、残念ながら当方把握していない。ただ、

当時のマルホン連チャンデジパチが軒並み保4連を特徴とした事から見て、

各機種とも共通のプログラムを使っていた可能性がある。一例を挙げれば、

大当り消化中、ある契機で保4乱数が大当り値に強制的に書き換えられる、

典型的な「上書き連チャン」方式だったかもしれない。なお、大当り確率が

同じ1/235の「スーパービジョン」は一発判定方式を採用しており、本機も

これと同じ抽選プログラムだった可能性は否定できない。この点、引き続き

調査検証を継ける。

 

 

なお、本機は連続回転中に限って、通常時の左デジタルに移行法則が存在。

前回停止の左出目に対して、次回左出目が同一か+1コマor+2コマで停止

する特性があった。連続回転させてこの法則が崩れた場合、大当りが確定。

地味だが、確実な大当り判別法といえた。

 

 

平和「ブラボーキングダム」「ブラボーミリオンSP」、SANKYO「フィーバー

レジェンドI」「フィーバーパワフルIII」、西陣「花鳥風月」「パーラーキング」、

太陽電子「ファンタジーセブン」、豊丸「王将百番」「ピカイチ天国」など、

各メーカーとも「華」のある連チャンデジパチを多数送り出していた時期。

それだけに、同時期リリースされた本機の存在感が希釈化されてしまった感は

否めない。ただ、あらためて振り返ると、本機をはじめ、この時代のマルホン

デジパチには独特な魅力を感じる隠れた名機が意外に多く、「もっと打ち込んで

おけば…」と、個人的に悔やむ機会も多い。発売から35年経ってのレビューだが、

記事を通して、味わい満点だった90年代前半のマルホンに想いを馳せて頂けたら

有難い限りだ。

  

 

 (マルホン「ピンクレディー」の項、了)


ボンバーガール(豊丸、権利物)

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1993年(平成5年)に豊丸から登場した「ボンバーガール」
(新要件・3回権利物)


★赤色ブロック(ドット)デジタル採用

★賞球:7&15

★大当り確率:
・通常時:1/310
・2,3回目権利中:1/31※
(※メーカー発表値。但し、内部確率はさらに高いハズ)

★デジタル停止順:左⇒中⇒右

★図柄:
・左、中デジ⇒0~9の数字(10図柄)
・右デジ⇒0~9の数字と、オールマイティの「H」(11図柄)

★大当り図柄:
000~999のゾロ目。左・中ゾロ目+右デジHでもOK
(計20通り)

★出玉:3回権利消化で約6500~7000個

★意図的な連チャン:無し

★当時の主な設置店
新宿・西口「アラジン」など

★ゲーム性
(1)左肩スルー通過orヘソ入賞でメインデジタル変動
(2)000~999のゾロ目(右デジHでも可)停止で当選
(3)ヘソ下の電チューが5.8秒開放
(4)電チュー2個以上入賞で権利発生
(5)権利発生後は右打ちに切り替える
(6)右上回転体と右下アタッカーの連動で出玉増(16R)
(7)2,3回目権利時はデジタル超高確率、すぐ当たる。




今思えば、ずいぶんと盤面イラストのインパクトが強い台だったな…。


いわゆる「セクシー路線」のデザインだが、当時多く出回ったその系統の
機種の中でも、1、2を争うお色気度ではなかっただろうか。ただ、女性の
顔の造作が私の好みとかけ離れていたのが、個人的に残念な点ではあった。


本機の始動チャッカーは左肩とヘソの2か所。ヘソに入れば7個の賞球が
得られたが、さほど入賞率は良くなかった。メインの始動チャッカーは
左肩の方だ。コチラはスルーで戻しがない為、投資スピードは速かった。
まぁ、当時の権利モノといえば、戻し無しが当たり前とも言えたが…。


左と中の図柄は0~9の10個しかないので、表面上のリーチ確率は1/10。
ただ、内部的にはもう少し低かった印象も残る。また、右デジタルには
オールマイティー図柄の「H」が配されており、000、111などの他に、
33H、55Hなどでも大当りとなる。必然的に、右デジにはチャンスが
2回あって興奮度もアップするが、あくまでも表面上のものにすぎず、
実際は普通にハズれまくった。リーチアクションはシンプル。ロング、
スーパーの類は一切ない。左・中テンパイで右デジが速度を落として
暫く進むだけである。


デジタルが揃ってもすぐ大当りとはならず、ヘソ下の電チューが開放、
ここに2個以上入賞させるのが条件。電チューに入った1個目の玉は、
電チュー下の権利発生ヤクモノの右側(OUT穴)に流れて、2つ目が
左側(LUCKY穴)へと向かう仕組み。したがって、電チュー1個入賞
では権利発生とならないが、その場合も、救済措置としてデジタルの
確率が大幅にアップする為、パンクに泣かされる事はなかった。


2、3回目の権利時、表向きはデジタル確率が10倍アップの1/31と
されていたが、実際は1/5~1/6くらいの超・高確率で抽選されて
いたと思われる(詳細な解析資料が手元にない為、実戦時の挙動で
判断せざるを得ない)。権利中のハマリによる打ち込みの心配など
皆無に近く、3回権利消化時の出玉も6500~7000発と多かった。


攻略に関しては、導入当初は特段の噂も無かったが、設置開始から
数か月すると「永久連チャン打法が可能」との話題が持ち上がった。
3回目の権利中、1~14Rまで普通に右打ちで消化。15Rは回転体に
玉が乗った瞬間に打ち出し停止。アタッカーが開いたら、2、3発
打ち出してノーカウントエラー回避(この時、回転体に玉が乗って
しまうと、15~16Rの間に行う攻略手順が使えなくなるので失敗)。
アタッカー入賞を確認したら通常打ちに戻して、デジタルを回す。
3回目権利中はデジタルが超高確率なので、リーチが掛かった瞬間、
大当りを見越してすかさず右打ち、最終16Rを消化する。消化後に
運よくデジタルが揃ったら通常打ちに戻して、ヘソ下の電チューに
玉を2個入れればダブル成功…となる訳だ。さらに、このネタとは
別に、3回目の権利獲得後、右打ちをせずにデジタルを回し続ける
攻略法も存在。この時、デジタルが再度揃って電チューに2個以上
入れるとパンクとなるが、内部では1回目の権利が終わった状態と
なり、高確率状態が2回分残るので、実質的に連チャン獲得という
ものであった。理論的には、運さえ良ければ永久連チャン可能な
攻略法だが、残念なことに私が上記手順を知った時には設置店が
既に見当らず、一度も試す機会がなかった…。



そうそう、当時「ボンバーガール(BOMBER GIRL)」といえば、
前年の1992年に織田哲郎がリリースしたソウルフルなナンバーが
有名だが(近藤房之助も参加)、本機も大当りになると、あの曲と
しか思えないノリノリのBGMが流れてきて楽しかったな。同じ頃、
豊丸は爆裂連チャンの一般電役「ヤングマン」も登場させていて、
妙に歌謡曲チックな名前の台が続いた格好だ。



(豊丸「ボンバーガール」の項、了)


ルクソール(サミー、4号機)

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今回取り上げる台は、2000年(平成12年)にサミーから
登場した懐かしの4号機「ルクソール」(A-400)である。


☆ボーナス確率表



☆払い出し表





赤7(セブン)、青ビッグ(女神)、ダイヤ(15枚)、
アヌビス(8枚)、チェリー(3枚)、リプレイ、
ルクソール(0枚)




パチスロメーカーの老舗サミーと、主力ゲームソフトメーカーの
テクモ(現在はコーエーテクモゲームスに統合)のタイアップに
より生まれた本機。テクモといえば、モグモグ風林火山や賞金首、
スーパーブラックジャック、十字架など、2000年代初頭の4号機
時代から「ネット(NET)」と共同開発をしていた事で有名だが、
その最初のパートナーとなったのは、ネットでなくサミー。即ち、
本機がテクモにとっての「パチスロ業界参入・第一弾」となる。


「ルクソール」はエジプトの地名で、ルクソール神殿や王家の谷など、
数多くの遺跡がある場所。かつて栄えたエジプト文明の中心地として、
その名を広く知られる。本機も、その古代エジプトがモチーフであり、
図柄に「アヌビス」(頭が犬で体が人という、古代エジプトの神)を
採用したり、壁画チックなデザインをパネルや図柄にあしらったりと、
独特な世界観が随所に見られた。演出面も秀逸で、7セグデジタルと
各リールの3連図柄が織りなす「ルクソールチェック」や、リールの
バックライトが様々に光って期待感を煽るピラミッドフラッシュなど、
打ち手を飽きさせない、適度に凝った作りになっていた。



本機との出会いは、2000年初頭の東京・町田。原町田界隈の
メインストリート沿いで営業する、「ガイアEAST」の薄暗い
地下フロアだった(本機をこの店以外で実戦して経験は無い)。
当時、町田駅ではガイアが「WEST」「EAST」と2店舗営業。
先にオープンしたのはWESTの方(「原町田センター」という
老舗のパチ屋が過去にあった場所)。2000年グランドオープン
初日、整理券を持って開店待ちの長い列に並んだのを覚えている
(現在、跡地はグラン・サイバーカフェバグース町田ANNEX店)。
その後暫くして、WESTと同じ通り沿いの角地にEASTがオープン。
2FがスロットフロアのWESTとは違って、EASTは地下がスロット。
階段を降りたすぐ目の前にある大花火のシマが盛況で、出玉状況も
良かった記憶が。ただ、大量獲得よりもA-400をマッタリ打つのを
好んだ私は、本機やアイスストーリー、或いはドンちゃん2辺りに
腰を下ろす機会が多かった。また、本機は演出面でも楽しめたから、
勝ち負け度外視で付き合っていた感じもする。そうそう、EASTで
勝負した後、すぐ傍のラーメン屋「ぎょうてん屋」で中盛ラーメン
(太麺、麺柔らかめ、味濃いめ、油少なめ)を頼むのが定番だった。



現役時に使っていた「ガイア町田」のロボカード。これは
先にオープンしたWESTの方だ(見づらいが、住所表示を
「原町田6-21-26」とすべき所を、「6-21-6」と誤って
書いてある)。残念ながら、本機を実戦していたEASTの
ロボカードは、手元に残っていなかった。


この時代は町田に出向く機会が非常に多く、ガイアEAST以外にも同系列の
ガイアWEST(「リアルボルテージ2」「タイムクロス」「キュロゴス」)、
或いはモモタロウ(「ダイノ2」「玉緒でポン」「クランキーコンドル」)、
エースゾーン(「キャッツアイ」)、ピア(PIA)(「ビッグボーダー」
「カウントダウンファイアー」「大江戸桜吹雪2」「エキゾースト」「キス」)、
ゴードン(「アラベスクR」)、スーパースター(「エイトマン」「タンゴブラザー」
「大漁2」「ビートザドラゴン」「タイムクロス」)、さくら屋(ハイハイシオサイ30)
など、駅周辺に点在する各ホールに入り浸った(カッコ内はその店でよく打った機種)。
ピアの隣のバカラ(旧ナポリ)のガラガラなシマで、高砂「ロッキー」(カカカカ・
カモ~ンの台)をのんびり打ったり、北口のダイマツで香ばしいリズムボーイズと
勝負してみたり、かつて若者ファンに人気だったスロ専・レインボー(旧TAC5)が
見る影もないほどに閑古鳥が鳴いていたりと、あの当時の様々な状況を思い出す。
2002年に大和横丁のスロ専・さくら屋に居を定めて、沖スロ「シオラー30」を
メインに、人生最初で最後の「専業生活」を送ったのは、過去記事でも繰り返し
紹介した通りである。



★3連図柄と「ルクソールチェック」



さて、本機の大きな特徴は、金色の派手な「ルクソール」図柄が3つ並んだ、
「3連図柄」が各リールに1か所づつ配されていた点だろう。ルクソールは
0枚役扱いで払い出しはないが、枠内にビシッと3連が止まればボーナスの
期待度はアップした(演出非発生時、左3連はリーチ目)。ルクソール図柄が
とりわけ活躍したのが、先程も触れた「ルクソールチェック」という演出の
発生時である。レバオンでリール右の7セグが変動して、0~9の数字で停止。
全リール停止後、リール上のルクソール図柄の総数と7セグの数字を比べて、
7セグよりも図柄の数が多ければ(同数でも可)、ボーナス確定となる演出。
例えば、デジタルに「5」が出ている時、ルクソール図柄が5個以上止まって
いれば確定となる。したがって、ルクソールチェック発生時は、全リールに
3連図柄を目押しして、なるべく多くルクソールを出しておけば、それだけ
期待が膨らんだ訳だ。また、デジタルの数字は小さいほどアツく、「0」で
停止すればその時点でボーナス。さらに、一旦停止したデジタルが再始動を
見せる「逆転パターン」もあったりと、趣向を凝らしたアクションであった。


因みに、ルクソールチェック時はリール制御が通常時と変化する為、
普段ならばリーチ目扱いになる強い形でも、平気でガセったりした。
例えば、左に3連ルクソールがズドンと降臨したら、演出非発生なら
文句なしの1リール確定目となったが、ルクソールチェック発生時は
普通にガセった訳だ。但し、デジタルに「3」以下の数が出ていれば、
左に3連ルクソールが止まった時点で、文句なしの鉄板。



★ピラミッドフラッシュ

ルクソールチェックと並んで特筆すべき点が、全リール停止後に
しばしば発生する「ピラミッドフラッシュ」と呼ばれるリールの
フラッシュ演出であった。レバオン時にリールの照明が消えると、
全リール停止後、バックライトが様々な形で光る演出へと繋がる。
最終的に、バックライトでピラミッドを完成させればボーナス確定。
フラッシュパターンは全部で6通りもあって(復活パターンを含めて
9通り)、派手なフラッシュのパターンほど期待できた。ライトが
斜めに走る「メテオ」、3本の光が斜めに走る「メテオストリーム」、
上から下に光が動く「フォール」、リール全体を光がグルリと回る
「トルネード」、リール窓をウネウネと動き回るような「ドラゴン
スネーク」。さらに、ボーナス確定のプレミアムフラッシュも用意
されていた。ピラミッドフラッシュが完成すると、リール窓右上の
告知ランプが必ず点灯する仕組み(告知ランプは、通常時いきなり
つくパターンも)。



★主なリーチ目

















(※制御の変わるルクソールチェック演出時は除く)



★リプレイハズシ

(1)1、2回目の小役ゲームは順押し。全リール、取りこぼしのある
15枚役(ダイヤ)を狙う(8枚役のアヌビスは、取りこぼし無し)。

(2)3回目は逆押し。右リール「赤7・アヌビス・リプレイ」をビタ。

・右が3コマスベって「リプ・ダイヤ・赤7」停止⇒Jacin
⇒中適当押し。リプ上段受けは左「ダイヤ・チェリー・女神」狙い。
下段受けなら左枠内に「3連図柄」を狙って、リプレイを外す。
・右が4コマスベって「アヌビス・リプ・ダイヤ」停止⇒Jacin
⇒中を適当押し。必ず中段受けになるので、左は3連ルクソールの
1コマ下のアヌビスをテンパイラインにビタ狙いでリプレイを外す。
・その他の停止パターンは小役orハズレ
⇒右にダイヤが止まらなければ中適当。左に3連図柄狙い
⇒右にダイヤが止まったら中もダイヤ狙い、左はチェリー付きで
ない赤7の下のダイヤをテンパイラインに狙う。

(3)残り9Gから順押し。

※ハズシ効果はプラス約25枚。




(サミー「ルクソール」の項、了)

CR星占い2(高尾、CRデジパチ)

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1995年(平成7年)に高尾から登場したCRデジパチ
「CR星占い2」について、少々回顧したい。





★星占い(星座)がモチーフ

★賞球:5&15

★大当り確率:1/383(確変中は1/55)

★カラー液晶画面搭載

★デジタル停止順:左⇒中⇒右

★図柄
・左・中デジ:1~12(星座)、星付き3、星付き7
・右デジ:1~12(星座)、星無し3、星無し7、星
(各デジタルには、ハズレ図柄が1つアリ)

★最高16R継続

★出玉:約2400発

★確変突入率:1/3(2回ループ)
(平均継続回数:4.75回)





高尾のカラー液晶デジパチ第1弾といえば、1994年~95年にかけてリリースされた
「スーパーベビー」シリーズ(現金機「スーパーベビー」(1994年)、CR機「CR
スーパーベビー2」(1995年))が思い出される。コミカルで愛らしい赤ちゃんが
主役の台は、明確に女性ファンを意識していた。その後続シリーズで登場したのが、
今回紹介する「CR星占い2」である(正確に言えば、現金機の「星占い」が先発で、
現金機に遅れてデビューしたのがCR版の本機。なお、現金機には「星占いDX」と
いう兄弟機も存在した)。やはり女性が好きな「星占い」「星座」がモチーフの、
何ともメルヘン全開だった液晶マシン。だが、乙女チックなその外観とは裏腹に、
フルスペック機ならではの爆発力と波の荒さがウリであった。また、確変中には
止打ちで出玉が増える「技」も利いた。しかし、その完成度の高さに比べると、
当初はある程度出回ったものの、その後は今イチ設置が伸び悩んだ。さらには、
同時期、主力各社が次々と類似スペックの爆裂CR機を送り出した事もあって、
次第に存在感が薄れていった感じだ。ある意味で、登場タイミングの悪かった
「悲運の一台」ではあるまいか。



本機の図柄について説明すれば、1~12の図柄は対応する月の「星座」に因んだ
キャラクターの絵柄だった。「1」は「水がめを持った女性」(1月⇒水がめ座)、
「2」は「人魚」(2月⇒うお座)、「3」は「羊と女性」(3月⇒おひつじ座)、
「4」なら「牛」(4月⇒おうし座)…といった具合である。どれも可愛らしい
アニメ調のデザインで、「スーパーベビー」同様、若い女性ファンにアピール
していた。

また、これら12星座図柄以外にも、左、中デジには「星付き3」「星付き7」の
2図柄(星座の3、7とは別図柄)が用意されていた。西陣「球界王」シリーズの
「数字とボールの図柄」を彷彿とさせるW図柄で、リーチの組合わせが多くなる。
「3・3」「7・7」のテンパイでリーチとなるのは勿論、左に「3」、中に「7」と
並んでも、「星のテンパイ」でリーチ扱いとなる。一方、右デジには「星無しの3」
「星無しの7」「星図柄」が配されており、「3・3」のリーチは右デジが「3」でも
「星」でも大当り。これは「7・7」も同様で、どちらも実質的にはダブルリーチだ。
無論、「7・3」「3・7」の変則リーチなら、右に星が止まれば大当り。

これら「星付き3」「星付き7」絡みで大当りした場合、+2回の確変に突入する
(確変ループ有)。具体的にいえば、

「3・3・3」
「7・7・7」
「3・3・星」
「7・7・星」
「3・7・星」
「7・3・星」

の6パターンで当れば、確変となる仕組みだった。全18通りの組合わせの内、
6図柄が確変だから、突入率(継続率)は1/3。いわゆるフルスペック仕様で、
ツボにハマった時の爆裂度は特筆すべきものがあった。CRスーパーベビー2の
確変突入率は2/15(2回ループ)だったので、後続機で一気にパワーアップを
果たした格好だ。その分、大当り確率は1/256(CRスーパーベビー2)から
1/383と大きく低下した訳だが…。



リーチパターンは大別して4つ。(1)左⇒中とテンパイして、右デジが低速気味に
スクロールする「ノーマルリーチ」。(2)ノーマルで一旦停止後、右デジが再び
動き出して超スローで進む「再始動リーチ」、(3)ノーマル途中で右デジに星が
出現、各図柄と星が交互に反転しながら落下していく「星降るリーチ」。そして
(4)ノーマルの途中でBGMが変わり、「ラッキーチャンス」の表示と星占いの
メッセージ(星マーク付き)が出現する「占いリーチ」である。どのパターンも
当る可能性があるが、期待できたのは「星降る」「占い」の2つ。特に、後者は
星マークの数(3~5個出現)によって大当り期待度が変化、5個なら超高確率で
大当りした。なお、どのリーチも、1コマズレでハズれた後、高速で再始動する
二段階(1周)パターンがあって、この場合は鉄板。他にも1コマ戻りで大当り、
リーチアクション無しでのビタ揃いなど、右デジの多彩な動きが魅力であった。



確変中は大当り確率が1/383⇒1/55にアップする為、ハマらずに次の大当りを
獲得可能。また、確変中は小デジの当選率も通常の1/11⇒1/1.1に10倍アップ
するので、頻繁に電チューが開く。さらに、電チューには入賞個数制限がなく、
規定時間(4秒)以内なら、いくら飛び込んでも電チューは閉じない。適当に
打っても玉増えが期待できた上に、キッチリと止め打ちすれば、さらなる出玉
増加に繋がった。労力を惜しまずに小技を使う者にとっては、有難い電チュー
性能といえた。なお、止め打ちのタイミングをはかる場合、盤面風車ランプの
点滅回数を数えて数発打ち出す手順が、実戦的かつ効果的だった。



本機はフルスペックのCR機だが、同シリーズの現金機も複数登場している。
CRよりも先に出たのが、現金機「星占い」。大当り確率1/205のノーマル
タイプで、W図柄が無い代わりに、各デジタルに単独の「星図柄」が存在。
また、現金機には「星占いDX」という後発の兄弟機も。星占いより確率が
僅かに低い1/210で、やはり単独の星図柄が存在。DXは「3」「7」「星」の
リーチで外れたり、12星座の図柄でリーチが掛かって、右デジに「3」「7」
「星」の何れかが止まって外れたりすると、「小当り」扱いでアタッカーが
0.4秒開く。ただ、開放時間が短すぎるので、ノーマル機と大差なかった。


高尾「星占い」(1995)



高尾「星占いDX」(1995)


一方のCR機では、本機に続いて(兄弟機ではないが)「CRあっちむいてほい2」
(確変突入7/15)や「CRレディースナイパー2」(確変突入1/3)などの液晶
デジパチが同社から登場。さらに1996年初頭には、本機のリメイク版である
「CR夢」もデビューした。ただ、SANKYO(「CRFダウンタウン劇場」etc)、
平和(「CR RYU-OH」etc)、三洋(「CR大工の源さん」)など、同時期に
出回った他社の人気台に押されて、人気は今一つに終わった。


高尾「CR夢」(1996年)
内部スペックは本機と同じ




(高尾「CR星占い2」の項、了)


プチマーメイド(北電子、4号機)

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1997年(平成9年)に北電子から登場した4号機
「プチマーメイド」(A-400)


★ボーナス確率




★払い出し

赤7・赤7・赤7/人魚・人魚・人魚
⇒15枚+Big Bonus

赤7・赤7・BAR/BAR・BAR・BAR
⇒15枚+Reg Bonus

タコ・タコ・タコ⇒15枚

サメ・サメ・サメ⇒8枚

チェリー⇒2枚

貝・貝・貝⇒Replay(6枚+Jac in)



「人魚(マーメイド)」をモチーフにした完全告知機。下パネルの
人魚姫の女の子が、やたら可愛かった印象アリ。時系列的にいえば、
初代ジャグラーの次にリリースされた台。「BR成立プレイでランプ
点灯(点滅)による後告知」という北電子4号機の一貫した姿勢は、
本機もしっかりと受け継いでいた(無論、キングオブザタイガーの
ような不完全告知も存在したが…)。リール左下にある小さな貝殻
ランプ(CHANCEランプ)がペカリと点灯するシンプルな後告知。
だが、その単純明快さが、却って多くのファンの心を掴んだ格好だ。
赤7ビッグ、人魚ビッグそれぞれファンファーレが異なり、何れも
味のあるサウンドで完成度も高かった。


思えば、同社は4号機第1弾「クリエイター7」以来、地道に後告知の
機種を出し続けていたが、モーニングサービス(開店前、シマの数台
(時には全台)にボーナスを仕込んでおく客寄せサービス)が主流と
なっていた時期は、モーニング台を悟られないように、告知ランプを
断線して対処する店が多かった。その為、北電子台がその「本領」を
発揮できずに、シマでくすぶっているケースもまま見られた。しかし、
1996年にモーニングが禁止されると、告知ランプの存在価値は一気に
高まっていった。無論、地域や店によっては、禁止後もモーニングを
普通に続けていたりしたが、1996年を境に、モーニングを実施する
店の数は目に見えて減少していく。


そんなタイミングで登場したのが、初代「ジャグラー」(1997年)で
ある。リール左下の「GOGOランプ」がペカッと光るシンプル告知が
ファンを魅了して、爆発的ヒットを飾った。そのジャグラーに続いて
送り出された本機。ジャグラーのコンセプトを巧く受け継ぎ、やはり
各地で人気を博した。とりわけ、流行りの技術介入機についていけない
年配層とか、可愛さを好む女性ファンなどに好評だった。私などは普段、
技術介入機をメインにしていたが、のんびり気ままに気分転換したい…
なんて時、まさにうってつけの一台だった。



従来の北電子台は「ボーナス(シングル除く)図柄が2つ(7とBARなど)」
というのが定番だったが、本機は同社初の「3種類のボーナス図柄」を採用
(赤7、タコ、BAR)。初代ジャグラーとは違い、バケとなる組み合わせが
「7・7・BAR」と「BAR×3」の2通りあった(ジャグラーのバケは「BAR・
BAR・7」のみ。「BAR×3」はビッグ)。人魚がモチーフなので、上述の
タコをはじめ、サメや貝など海洋生物がらみの図柄も目立った(ストップ
ランプはカニ)。この流れは、後継機の「大漁2」にも引き継がれている
(⇒鯛、海藻、サメ、イカの図柄など)。


元祖ジャグラーと比して、ボーナス図柄を引き込み易い制御だった本機。
「ボーナス一直線型」のリーチ目出現に伴って告知ランプが点灯する
パターンは、前機以上に増えた。これを良しとするか否かは打ち手次第
といえたが、リーチ目視認とランプ点灯のタイムラグがほとんど無かった
ので、ランプ主体で遊技する限り、気にはならなかった。一方、違反覚悟で
ランプ断線でモーニングを入れるような店は、依然としてリーチ目の存在が
重要だった。また、ランプが生きている店でも、ハマリ時にあえてランプを
千円札やテレカなどで隠して、リーチ目を楽しんだりできた。なお、中・右
リールでは、ボーナス図柄の代わりにチェリーが代用図柄になった(⇒NGと
なるチェリーもあるが)。



それから、先程からたびたび紹介している「タコ」について。瑞穂の
「タコスロ」を意識したのか、ドヘタな打ち手を「タコ」と皮肉って
いたのかは知らないが、このタコが重要な存在であった。なぜなら、
通常時に左・中リールでタコがテンパイした場合、タコかボーナスが
成立しているサインとなったからである。即ち、タコテンパイ時は、
右でタコを狙って外れれば、その時点で「入り」となった訳だ。但し、
右リールにはタコを引き込めないNGポイントがあったので、正確に
目押しして外れることが条件となる。


当時、本機とよく対峙したのは、東京・有楽町の「UNO」という店。
当時、職場が丸の内にあった関係で、昼休みに足を延ばして短時間
勝負を挑んだり、仕事終りにマッタリ打ったりしていた。ノーマル
なのに北電子特有の(なんて書くと「オカルトだ」と非難されそう
だが…)「波の荒さ」が如実に出るケースも多く、ビッグの連打で
速攻1箱ゲットして、「ヒット&アウェイ」で勝ち逃げする機会が
少なくなかった。時間に限りのあるサラリーマンにとって、何気に
重宝する台だったと思う。ただ、いつだったかアフター5の対戦時、
不調にも拘らず「一度はランプを光らせたい」と意地になり粘って
しまい、バケも引けずに4万以上ストレートでやられた記憶が残る。
バラエティ的な少ない設置台数だったので、他台に移るチャンスも
意思も生まれなかったのが敗因だろう。似たような「ボロ負け」を、
町田「さくら屋」のジャグラーV新装時にも経験したことを思い出す
(この時は、台数はそこそこあったが、満席で移動できずにアツく
なってしまった…確か、事前予約した台で9万ほど負けたハズ)


これは余談になるが、北電子の過去の名機を振り返ると、それぞれの
台を触りに通った、「想い出のホール」というのが首都圏各地にある。
店のハシゴやプチ遠征などを特に好んだ私にとって、北電子の歴史は、
そのまま自身のスロ歴にも重なる。以下は、それをリスト化したもの
(需要があるかといえば、甚だ疑問であるが…自己満足みたいなもの)

(3号機以前)
・ニューキャスター(1.5)…ぱちんこ遊園(向ヶ丘遊園)
・ガリバー2(2-1)…平和(新宿東南口)、ぱちんこ遊園
・ガリバースペシャル(2-2)…オデヲン(新宿コマ劇前)
・スーパーコップ(3-1)…ぱちんこ遊園
・アポロン(3-2)…日拓チェーン(新宿、馬場、渋谷)

(4号機)
・クリエイター7…ミラージュα(溝の口)
・サーカス3…メトロ(新宿東口)
・ジャグラー…ジアス(新百合ヶ丘)
・プチマーメイド…UNO(有楽町)
・タイリョウ2…スーパースター(町田)、アクア90(月島)
・ダイノ2…モモタロウ(町田)
・レジェンダ…マルハンパチンコタワー(渋谷)、有楽町UNO
・北の湯777…三光(自由が丘)
・ジャグラーV…さくら屋(町田)
・キングオブザタイガー…ルモンド(天王町)、エルニド(渋谷)
・メキシカンCT…大野屋008(蒲田)
・ワンダーレビュー2…さくら屋
・月光仮面…さくら屋



★本機の沖スロ(30φ)Verについて

「プチマーメイド30」
⇒BR確率、払い出し、図柄配列やパネルデザインは本機と
共通だが、フラグ告知のシステムが異なる。30φの場合は、
第3停止後の告知ではなくて、レバーオン時に告知ランプが
光る「先告知」仕様。また、告知ランプが点滅ならビッグ、
点灯ならバケと、光り方でフラグ判別が可能になっていた。


★5号機について

つい最近、同名のリメイク版5号機が登場したようだが、
既に現役を引退してホール事情には全く詳しくない為、
ここでの説明は控えさせて頂く。各自、お調べ下さい。



(北電子4号機「プチマーメイド」の項、了)

大漁2(北電子、4号機)

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1997年(平成9年)に北電子から登場した
4号機「大漁2」(タイリョウ2)」(A-400)



★ボーナス確率



★払い出し


波を模した赤7、ピンクの鯛、白波の立ったBAR、海藻
(ワカメ)、サメ、イカなど、海にまつわる図柄ばかり。



当時、ジャグラー⇒プチマーメイド⇒大漁2と北電子が立て続けに
香ばしい後告知の台を登場させた流れは、今でもよく覚えている。
本機については、それまで「ぺカッと点灯」が定番の告知ランプを、
あえて「点滅」に切り替えてきた辺りに、同社の強い「チャレンジ
精神」を感じた(プチマーメイド沖スロ版「プチマーメイド30」も
REG時にランプが点滅(沖スロらしく、レバオン時に告知))。


前機種(プチマーメイド)と同様「海」をモチーフにしていたが、
本機の主役はピンクの「鯛」。なぜ鯛を採用したかは知らないが、
「ダジャレ」の類を好んだといわれる当時の北電子(ジャグラーの
リプレイ図柄⇒「再」プレイ⇒サイの如く)だから、「タイリョウ」
の「タイ」と魚の「鯛」をシャレで絡めたのかもしれない(未確認)。
ひょっとすると、下パネル左右に鯛がいるのも、「鯛」が「両」方に
いる=「鯛両」⇒タイリョウ、というシャレだったのかも…(未確認)。


やたらと耳に刺さるBGM…特に、JACゲーム中の民謡チックな和風
メロディーは、シンプルな構成ながらも「名曲」「名調子」の域に
達していたと思う(あの音は死ぬまで忘れる事がないであろう…)。
ビッグ小役ゲーム中のノンビリした旋律も秀逸。赤BIG、鯛BIG
いずれのファンファーレにも、和テイストな独特の味があった。


そして、本機最大の特徴といえば、ボーナス告知時の「ランプ点滅」
だろう。第3停止後、リール窓左下のCHANCEランプ(灯台ランプ)
が明滅を繰り返せばボーナス確定。初期・4号機から一貫して「点灯」
だった告知パターンを「点滅」へとシフトしたのは、先程も触れたが
北電子にとってはある意味で挑戦だったハズ(コロンブスの卵だが)。
「伝統」と「進化」を両立させた同社の姿勢を、大いに評価したい。
実際、この点滅告知は多くのファンに受け入れられて、本機は長く
人気機種でありつづけた。


ただ、このランプを見て思い出すのが、本機を打ち始めて間もない時期、
告知ゲームで「見逃し」をするケースがしばしばあった事。伝わりづらい
かもしれないが…北電子の後告知を打つ時、己の視線は定期的にリールと
告知ランプの間を行ったり来たりする。しかも、ブン回している場合など、
「第3リール停止」⇒「すかさず視線を左下に一瞬だけ移動」⇒「ランプ
確認」⇒「変化が無ければ即ベット⇒再びリールに視線を戻す」といった
単純作業を、延々と繰り返している。その際、左下のランプに視線を移す
時間が短かすぎると、明滅のちょうど「滅(消える)」のタイミングで
ランプを目視してしまい、「入ってない」と思って即ベット⇒リールに
視線を戻した後、あらためてランプを確認してみたら、ピッカピッカと
点滅していた…という経験が少なからずあったのだ(伝わりにくいな…)。
時間にすれば、ほんの一瞬のタイムラグだが、いわば「自力の次プレイ
告知」とでもいうべき、瞬間的な錯覚(ミス)である。この点、先行機
サーカス、クリ7、ジャグ、プチマーメイドは全て「点灯」だったから、
ランプに視線をやった時に、告知を見逃す事などほぼなかった(まぁ、
サーカスやクリ7の全盛期は、告知ランプ自体を切る店も多かったが…)。
このテの錯覚・ミスを防ぐには、第3停止後に告知ランプを「チラ見」
する時間を、先行機より少し長めにする必要があった。以上は個人的な
「クセ」なので、ピンとこない方も多いとは思うが…。なお、後発機の
「レジェンダ」も点滅告知を採用していたが、大漁2で慣れていたので、
特に違和感もなく告知を察知できた。


リーチ目については、シンプルな「ボーナス図柄の一直線型」が基本。
但し、出目よりも告知ランプ主体の台だったから、リーチ目は「脇役」。
それでも、左リールに7、鯛、BAR停止時、中リールにボーナス図柄が
ズルリとスベッてテンパイしたり、右リールのボーナス図柄が最大限に
スベって一直線の鉄板目を作ったりと、スベリの香ばしさにシビれたり
した(ボーナス図柄の引込みがやたら良かったのだ)。なお、一直線を
作った際、右リールが赤7だとビッグ確定、BARならバケ確、鯛だとBR
共通という、フラグ判別に絡んだ分かり易い特性も持ち合わせていた。


ハズシ効果はさほど高くないが、回数を重ねるとジワジワ効いてきた。
手順は様々だが一例を挙げれば、1、2回目の小役ゲームは順押し適当
押し(より完璧を目指すならチェリー海藻目押し)。3回目に入ったら
中⇒右or右⇒中の順で押して、メインのサメ(7枚)がテンパイしたら
左は上下を海藻に挟まれたBAR狙い。一方、リプレイが下段受けなら、
左にチェリー付きの赤7を枠内に狙って、リプレイ上段受けなら鯛を
左上段or枠上に鯛を狙って、それぞれリプレイをハズす。但し、残り
12Gから順押しに戻す。


本機と最初に出会ったのは、新宿、馬場や小田急の沿線といった
馴染みのエリアではなくて、東京・月島駅近くの「アクア90」と
いう初見のパチ屋であった。この時期、丸の内に勤めながら某・
国家試験に挑んでいた私。仕事終りや休日など、専門の予備校が
主催する「答案練習会」によく参加していた。ある時、答練会の
参加者を対象にした、小規模の勉強会が月島で行われる事になり、
自分も参加を決めた。で、勉強会の大事な初日(確か、日曜日と
思ったが)、気合を入れて月島まで出向いたのだが、予定よりも
1時間ほど早く駅についてしまった。土地勘の全くない駅周辺を
ぶらついていた時、ふと目に入ってきたのが、件の「アクア90」
だったのだ。約1時間、ここで時間を潰してから勉強会に行こうと
思って(←全く気合が入ってないw)混雑した店内をうろつくと、
見慣れない赤い筐体の台がズラリと並んでいた。愛嬌ある魚に波、
そして「大漁」と大書きされた下パネルに、何とも言えぬ魅力を
感じた私。まるで釣り餌に誘われる魚の如く、グイグイッと引き
寄せられるように腰を下ろした。この時、偶然座った一台が好調
そのもので、両ボーナスを面白いように引いて、僅か1時間弱で
2000枚近く出るオイシイ展開。とうとう勉強会の時間が迫って
きたが、「こんな高設定濃厚台をみすみす捨てるなど、あまりに
勿体ない」という悪魔のささやきに負けてしまい、ヤメずに打ち
続けた。その後、揉みはありつつも好調な展開は続き、結局3箱
(約4500枚)出して終了。店を出たのは夜9時頃、打ち始めから
8時間以上も経っていた。大事な勉強会をハナからサボってしまい、
バツが悪くなってそれ以降、参加する事は無かった(答案練習会は
引き続き通い続けたが…)。なので、本機の事を想うたび、当時の
そうした「愚行」もセットで思い出してしまうのだ(当時27歳…)。


そうそう、大漁2といえば町田の「スーパースター」(閉店)という
店でもよく打った。ここの2Fに「タンゴブラザー」や「エイトマン」
「ツインサーファー」といった露骨に「アレ」な台が並んでいたが、
ビビりの私はそんな激しい台にはあまり手を出せず(たまに触る程度)、
本機やタイムクロスなどのマイルドなタイプを好んだ。マイルドとは
いっても、大漁2はプチマーメイドよりビッグ偏向のスペックになって
おり、好調時にはポンポンと短い間隔でビッグが小気味よく連続して、
出玉がグーンと伸びたりした。それでも、基本はマッタリと打ちつつ
灯台の点滅を待つ流れ。向こうのシマではツインサーファーの常連が
目を血走らせている。それを遠目に、コチラはカワイイ鯛達と戯れる…
殺伐としがちな店の中でキラリと光る、「癒し」の存在だったと思う。
また打ちたいな、大漁2…。


※後継機(4号機)
「ニュータイリョウ」(2001)
(告知は成立後1/4⇒リーチ目の重要性up。SP演出搭載)
⇒町田「さくら屋」で実戦

※後継機(5号機)
「豊漁」(2008)
(打ったかな…引退後だったかな)
「大漁2」(2013)
(完全に当ブログの守備範囲外)



(北電子4号機「大漁2」の項、了)

元祖パチンコ物語・温泉珍道中(1994年)

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(C)ケイエスエス、ビデオチャンプ 1994.2




90年代パチンコ映画レビュー

「元祖パチンコ物語・温泉珍道中」

(1994年2月28日リリース)

出演:財津一郎、中原早苗、新藤栄作、桜金造、新藤恵美、麻生真宮子ほか

監督:坂下正尚

製作:ビデオチャンプ、ケイエスエス

企画:アルゴ・ピクチャーズ、シネウェーブ

制作:ヒーロー、シネウェーブ



(あらすじ)

恩田国松(財津)はパチンコ店「マツヤ」の会長。パチンコに対する強い愛情と
篤い人情を武器に、自身の店を一代で有名なチェーンにまで発展させた。現在は
息子の良介(新藤栄作)に社長の椅子を譲り、自身は会長に退いて半隠居の身。
その国松は無類の女好きで、妻の昌代(中原)には叱られてばかり。悠々自適の
日々…と行きたいが、肝心の財布の紐を昌代と良介に握られていては、女遊びも
自由にできない。良介が新たな店舗を作りたいというと、「地元のライバル店に
仁義を通してやる」などと上手い事を言って、必要経費の名目で小遣いをせびる
のが精いっぱい。そんな国松は、ある日馴染みだった美人芸者の桃奴(麻生)と
久々に再会。当然、女好きの「本領」を発揮して、妻に内緒で温泉旅行へと誘う。
それをいぶかしがる昌代に、「メーカー本社に出向いて、今度入れる新台を確認
してくる」と誤魔化す。だが、昌代も女の勘で夫の浮気を疑い、良介を工場へと
出向かせる。さらに、国松が置き忘れた温泉旅行のパンフレットを偶然見つけて、
不貞を確信。ベテラン店長の丸山(桜)を連れて、現地へ乗り込む。何とかして
見つからぬように逃げ続ける国松だったが、ついに桃奴とのツーショット現場を
昌代と良介に抑えられてしまう。窮地に陥る国松。さらに、社長、店長共に店を
留守にしている間、凄腕の女パチプロ・栄子(新藤恵美)率いるプロ軍団に店を
荒らされてしまう。果たして、国松は自身のピンチを乗り切れるのか、そして、
マツヤの命運や如何に…?




1990年代は、パチンコ・パチスロの大きなブームに乗って、多くのパチ・スロ
映画作品(ビデオ)が製作された。中でも、間部洋一氏原作の「パチンコ物語」
シリーズはよく知られており、本作含めて10作がリリースされている※。ただ、
シリーズ第一作目の松竹映画「パチンコ物語」に出演した、財津一郎、中原早苗、
桜金造などの「キーパーソン」を起用しているのは、初代と本作を含めて計4作
しかない(後の二つは「二代目パチンコ物語・一発勝負必勝篇(1991年)及び
「元祖パチンコ物語・駅前戦争(1994年)」)。本作のタイトルに「元祖」と
明記してあるのは、原作者共通のコンテンツが多く存在した中、初代の配役を
出来うる限り引き継いだ、「正統の後継作品」というアピールではないか。

※90年代前半リリースされた、間部洋一氏原作の映像作品
「パチンコ物語」シリーズ一覧

・パチンコ物語(1990年、古尾谷雅人、財津一郎)
・二代目パチンコ物語・一発勝負必勝篇(1991年、美木良介、財津一郎)
・大阪パチンコ物語・浪花の勝負師(1992年、長原成樹、長江健次)
・パチンコ物語・裏ワザ大勝負!(1992年、榊原利彦)
・新パチンコ物語・マル秘デジパチ攻略法(1993年、風見しんご)
・パチンコ物語番外篇・パチスロ一攫千金(1993年、勝俣州和)
・新パチンコ物語・パチプロVS伝説の釘師(1993年、西川弘志)
・元祖パチンコ物語・温泉珍道中(1994年、財津一郎、新藤栄作)
・新パチンコ物語・壊滅!闇のゴト師軍団(1994年、西川弘志)
・元祖パチンコ物語・駅前戦争(1994年、財津一郎)



’90年の初代「パチンコ物語」では、初代オーナー国松と故・古尾谷雅人演ずる
二代目社長が、プリペイドカード導入など経営方針を巡り親子で対立する構図が
赤裸々に描かれた。まさに、新旧経営者のぶつかり合いという、パチンコ業界が
直面していたシビアな問題がテーマだった訳だが、本作は打って変わってユルい
展開の連続。女好きなパチ屋のオーナーと長年連れ添った妻が、浮気騒動を巡り
ドタバタ劇を繰り広げるコメディー全開の内容だ。故に、財津のコメディアンと
してのパワーや実力も随所に見て取れる。パチンコに縁遠くても、純粋な「娯楽
作品」として大いに楽しめるハズだ。ホール内で知り合ったスナックの美人ママ
(春井ユカ)がヒモ付きだと判って「ヒッジョーに、寂しィ~」と嘆いてみたり、
温泉地で浮気がバレかけて「ヒッジョーにマズイ」と唸ったりと、お馴染みの
「財津節」をたびたび披露。また、自身がCMに出ていた「こてっちゃん」を
食べる朝食の場面では、「朝っぱらからこてっちゃんか、うん、うめぇや」と
アドリブとも思えるコミカルな台詞で笑いを誘う。


配役については、主演の財津は勿論、脇を固めるメンバーも実力派、個性派揃いで
注目に値する。「昭和のワンマンオーナー」ぶりが滲み出る国松(財津)と、長年
連れ添う強気な妻の昌代(中原早苗)。この二人の夫婦漫才的なやりとり(昌代は
国松を「お父ちゃん」、国松は昌代を陰で「マシュマロ(白くて太っているから)」
と呼ぶ)が何とも小気味よい。国松と店長・丸山(桜金造)のやりとりも、互いに
コメディアン出身だからこそ成し得る、絶妙のテンポとタイミングで痛快だ。父・
国松と対照的に真面目でクールな良介役には、NHK朝ドラ「心はいつもラムネ色」
に主演した新藤栄作を起用。国松が浮気の口実に使ったパチンコメーカー「桐生」
(モデルは明らかに西陣)の責任者・田川伸吉を、往年の喜劇俳優、故・平凡太郎
が演じた。さらに、パチプロ軍団の女リーダー栄子を好演したのが、ボウリングを
テーマにしたドラマ「美しきチャレンジャー」に主演した、実力派女優の新藤恵美。
レトロパチンコ的観点からは、国松の浮気相手、桃奴(ももやっこ)の役を演じた
麻生真宮子(あそうまみこ)を起用した点も見逃せない。昭和期に西陣がデジパチ
「キャプテンルーキー」を世に送り出した際、イメージキャラクターを務めたのが
彼女だからだ(「麻生真美子とキャプテン」の頃)。



それから、この時代のパチンコ作品は、ストーリー自体を楽しめるのは勿論だが、
当時出回った台が作品のあちこちに映り込んでいて、90年代パチンコの映像資料
としても大いに価値がある。本作も同様で、計75分の映像中、いたる所で往年の
「名機」の盤面、サウンド等が確認できる。以下、その抜粋(気づいた順に記載
してある為、順不同)。

・フィーバーオールセブンII(SANKYO、デジパチ)
・綱取物語(平和、デジパチ)
・春一番(西陣、デジパチ)
・フィーバーガールズI(SANKYO、デジパチ)
・ザ・忍者(京楽、デジパチ)
・エキサイトグランプリγ(ニューギン、デジパチ)
・獅子舞SVA(西陣、ハネモノ)
・球界王(西陣、デジパチ)
・パックンザウルスP-2(西陣、ハネモノ)
・アルファキング7(西陣、権利モノ)
・花鳥風月(西陣、デジパチ)
・ドラキュラ城(ニューギン、ハネモノ)
・アニバーサリーI(大一、一般電役)
・ニューヨーカー(平和、ハネモノ)
など

※社長の良介が桐生の工場に出向いた際、当時の新台「球界王」に
関する機種説明を、メーカー責任者の田川(平凡太郎)から受ける
シーン(ボールリーチ、ランナーリーチの解説等)も面白い。また、
当時の製造工程も映っていて、背中に「SOPHIA」のロゴが入った
Tシャツを着たソフィアの技術者が、人気デジパチ「花鳥風月」や
権利モノ「アルファキング7」を組み立てる場面などが登場する。
今となっては貴重な場面だ。



本作のロケ地となったパチ屋だが、基本的には東急・中目黒駅そばの
「マツヤ本店」が使われている(作品中でも「マツヤ」の名称のまま
登場するが、これは主人公・恩田国松の「松」の字にも掛かっている)。
但し、ラストの近くで、良介が父の国松にハッパをかけられて、栄子
率いるプロ軍団を強気で追い出す場面のみ、東急・大岡山駅「ジャンボ」
(閉店)の店内がロケ地になっている(但し、事務所と店外のシーンは
マツヤ)。また、正式なクレジットはないが、国松と浮気相手の桃奴が
仲睦まじく温泉街のパチ屋のチューリップ台で戯れる場面は、知る人ぞ
知る熱海の名店「トキワホール」(レトロなハネモノ、チューリップ台、
アレンジボール、スマートボール等設置)が撮影地である(同店店長の
故・山口政夫氏も、カウンターに佇む店長役として、ほんの一瞬映って
いる)。なお、パチ屋ではないが、箱根仙石原の老舗旅館の「仙郷楼」
が、国松らの温泉旅行の宿泊地として登場(「桐生の温泉宿」の設定)。



★キャスト

財津一郎、中原早苗、新藤栄作、桜金造、新藤恵美、麻生真宮子、
平凡太郎、重松収、高松誠、松本南美、佐藤幸雄、竜川誠、染谷勝利、
宮崎豊、林田和久、本城丸裕、澤井映里、寺田はるひ、阿南敦子、
岡本諭子、小貫加恵、春井ユカ


★スタッフ

監督:坂下正尚
企画:末吉博彦、アルゴ・ピクチャーズ、シネウェーブ
製作:ビデオチャンプ、ケイエスエス
制作:ヒーロー、シネウェーブ
原作:間部洋一
脚本:奥村俊雄
プロデューサー:吉田晴彦、伊藤靖浩、玉盛正陽
撮影:川﨑龍治
照明:小中健二郎
録音:武進
美術:宮野雅人
編集:神谷信武
記録:牧野千恵子
助監督:畠山典久
製作担当:小宮慎二
撮影助手:菊地亘
照明助手:原田洋明、山口賢二
録音助手:山口晃二、羽生研司
装飾:長谷川圭一
小道具:岩本一成、堀尾憲明
メイク:山上綾子
衣装:浜崎洋
演技事務:増田悟司
選曲:山川繁
効果:脇坂孝行
整音:中田裕章
編集助手:中川毅彦、小林由加子
ネガ編集:大橋まさみ
助手:加藤佳恵
スチール:奥川彰
製作進行:大沢忠生
プロデューサー補:桐山京子


★撮影協力:
・大岡山ジャンボ
・中目黒マツヤ
・ピラミデ(六本木)
・芦之湯フラワーセンター
・箱根駒ケ岳ロープウェイ
・仙郷楼(箱根)
・池上通信機


★衣装協力:
・ミキラメール
・サンローズ
・不二服飾
・愛ZECRA


★協力:
・報映産業
・東京現像所
・光映新社
・PLP
・山崎美術
・東宝コスチューム
・イトナガオフィス
・共映
・映広


★製作協力:オフィス点




(「元祖パチンコ物語・温泉珍道中」の項、了)

グッドマン(岡崎産業、4号機)

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1999年(平成11年)に岡崎産業から登場した4号機の

「グッドマン」(Aタイプ)について少々書いてみたい。


★ボーナス確率





★払い出し


・赤7・赤7・赤7/緑3・緑3・緑3…15枚+Big Bonus

・赤7・赤7・黒5/緑3・緑3・黒5…15枚+Reg Bonus

・よしお・よしお・赤7(又は黒5)…Big中のみ15枚

・ベル・ベル・ベル…10枚

・チェリー…2枚

・プラム・プラム・プラム…Replay(3+Jacin)

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


1998年春、岡崎産業が旧・尚球社から社名変更した頃にデビュー

したのが、皆さんもよくご存知の元祖「スーパージャックポット」

である。4号機第1弾「ジャックポットII」の名を継承しつつも、

「第3停止後、甲高い効果音(よく「キュインキュインキュイン」

と表すが、当時の私には「パイン・パイン・パイン」と聴こえた)

+7セグでボーナス完全告知」というシンプルで斬新、なおかつ

打ち手のハートにズップリと刺さるゲーム性が大変に好評だった。

そのSJPに続いて同年秋に出た「トラッド」は、効果音+7セグの

基本演出に「7セグ再始動(3(バケ)⇒7(Big))」という新たな

特性を追加。やはり判り易いゲーム性がファンの心をガッチリ掴み、

息の長い人気機種となった。まさに「1998年」という同社にとって

節目の時期に登場した上記2機種は、記念碑的な「名機」といえよう。

その翌年、1999年春に各ホールへ出回り始めたのが本機だが、SJPや

トラッド最大のウリである後告知を踏襲。さらに、新たな演出も多く

採用した、個性溢れるマシンであった。シリーズ化に繋がったSJPや

トラッドと比べて、本機の注目度はさほど高くなかったかもしれない。

だが、ゲーム性そのものは、決してSJPやトラッドに引けを取らない、

魅力的で打ち込み甲斐のある一台だったと思う。

 

 

とりわけ、本機の存在感を増す要因として、リール図柄やパネル等に

描かれたメインキャラクター「よしお」の果たした役割は大きかった。

「グッドマン」⇒GOOD(良い)MAN(男)⇒良男⇒よしお、という

意味合いだったと思うが(というか、攻略誌などでは普通によしおと

呼んでいたが、それが正式名称なのかどうか知らない)、林家ぺーも

顔負けのド派手なピンク衣装に身を包み、左手に「3」、右手に「5」

を持ち、シルクハットに「7」を冠したエキセントリックすぎる風貌。

一度見ただけで脳裏に焼き付くほど、強烈なオーラを放った。因みに、

彼の職業は「マジシャン」という設定だったハズ。どことなく、ダウ〇

タ〇ンの浜ちゃ〇に似ていた感も…。

 

 

一方、設定1でも「1/273」というビッグ確率の高さも、特筆すべき点で

あろう。まさにSJPの「1/269」に通じる甘い数値。まぁ、その分帳尻を

合わせる如く、JACゲームの払い出し枚数は1枚少ない14枚(SJPと同じ)

に減っており、ビッグ獲得枚数もハズシを駆使して370枚程に抑えられて

いた訳だが…それでも、高確率が生み出すビッグの連打は、本機の一つの

「味」であった。設定4以上のビッグ確率が「1/241」で共通というのも

SJPを踏襲していたが、本機はバケ確率を甘めにする事で、ストレートの

大ハマリを喰らいづらい仕様となっていた。

 

 

先輩格のSJPやトラッドは、何れも「成立ゲームの第3停止後、後告知で

ボーナス察知」というのがゲーム性の根幹をなしていた。成立ゲームの

第3停止前にボーナス確定と判るケースは、鉄板二確の「リプレイ中段

テンパイ」や「スイカとリプの平行テンパイ」が停止した時ぐらい。まぁ、

「ぐらい」とは書いたが、この中段リプテンや平行テンパイはいずれも、

打っていて大いにシビれる瞬間だった。 

 

一方の本機は、従来通り第3停止後に告知発生する他に、第1又は第2停止の

段階でボーナスの「入り」を察知する機会が少なくなかった。即ち、様々な

タイミングでボーナスを確信できた訳で、告知タイミングの「時間的幅」が

SJPやトラッドよりも広くなっていた。それと同時に、「リプハズレ=入り」

のお馴染みの特性も、しっかり引き継いでいた。まさに、「伝統と進化」を

併せ持った、奥行きあるゲーム性だったといえよう。

 

その一確や二確について具体的に書くと、左リールに「赤7・よしお・緑3」

がドーンと降臨すれば、その時点で一確(SJPやトラッドは、こうした明快な

一確目を持たない)。また、左「よしお・緑3・よしお」停止時、中リールの

中段に「よしお」が降臨する「よしおクロステンパイ」の形も二リール確定。

また、「上段リプ、中段赤7」の平行テンパイも、嬉しい二確目となる。

 

さらに、本機で初採用された新演出「センターチャンス機能」により、二確の

快感をより多く味わう事が可能であった。センターチャンスは、レバオン時に

効果音が鳴って、リール窓左のベットランプ(1MEDAL~3MEDALS)が点滅

する事でスタート。左リールの上部には、赤文字で「CENTER CHANCE」と

表示されており、中段左右に「CHANCE」と書かれていた。本機の左リールが

特別の意味合いを持つ示唆だったいえよう。この時、左の中段にボーナス図柄

(赤7又は緑3)が停止すれば、筐体のトップランプが全灯してチャンス継続。

さらに、第2停止の時点でランプが非消灯なら、ボーナス確定となる(同時に

「パイン・パイン・パイン!」の告知音)。即ち、第三リールが停止する前に

ボーナスを察知⇒二確の瞬間である。この時、トップランプの点灯パターンで

BRの判別も可能。三分割されたトップランプの中央が光ればBig、両サイドが

点灯すればRegである。第2リールでボーナス確定の場合、第3停止後7セグが

変動してBRの別を表示。セグが「3」か「7」で停止すればビッグ、「5」が

止まればバケだ。7セグは普通に変動⇒停止する他、一旦「5」で停止した後、

再始動するパターンも複数存在。ビッグ確定となる再始動のパターンもアリ。

 

一方、効果音発生時に左中段にボーナス図柄が止まらなかったり、点灯中の

トップランプが第二停止時に消えたりしても、チャンスはある。その場合も、

第3停止後に「パイン」音と共に7セグが始動すれば、問答無用でボーナス。

「最後の最後まで判らない、諦めてはいけない」。チャンス演出で打ち手を

適度に煽りながら、「捨てゲーム」無く楽しめた。但し、本機は完全後告知

なので、第3停止後に何の反応も無い場合、残念ながらボーナスは非成立。

 

 

完全告知仕様ではあるが、判り易い「リーチ目」にも味があった。先述の

一確(7・よしお・3)や二確(よしおクロス)は告知前にアツくなれたし、

リプテンハズレや、ボーナス図柄の一直線型、0枚役「よしお」の一直線型

など、何気にインパクトが大きかった。センターチャンス演出発生時限定の

一確や二確も存在するなど、打てば打つほど味わいの深さに気付かされた。

 

 

技術介入性については、通常時こそ適当打ちで問題無かったが、ビッグ中は

JAC当選で14枚しか払い出されない為、ハズシ不使用では平均350枚弱しか

取れない。一方、ハズシ駆使なら+20枚程の上乗せが望めたが、リプレイが

上段受けになると、配列上及び制御上、ハズシは不可能となっていた。但し、

中押しして、中リール中段リプレイ停止時のみ右中段に赤7をビタで狙えば、

リプを中段(or下段)受けに限定し易い。ハズシは、左のテンパイラインに

「下にリプレイの付いたよしお」狙い(切れ目の7が通り過ぎたら押す感じ)。

一方、中押しでベルが中リール中段に止まったら、左枠内に切れ目の赤7を

狙って、右適当(ベルはメイン役、10枚の払い出し)。残り9Gから順押し。

なお、15枚役とチェリーは低確率の為、狙わずともよい。

 

 

★当時の設置店

・京王線・府中駅「ターゲット」

・小田急線・相模大野駅「エンジェル」

・JR中央線・阿佐ヶ谷駅「パルコ」

など

 

★後継機について

グッドマンM(2000年登場)

本機の大量獲得Verとして登場(2000年のパチンコ・パチスロ産業フェアに

出展された台)。ビッグ中に15枚役の「コイン・コイン・赤7(黒5)」が

揃い易い仕様(但し、要目押し)。「3」図柄が緑からピンクへ変更となり、

通常時のメイン小役も青リンゴに。なお、Mは「ミラクル」の意味とのこと。

そういや、同社(尚球社時代)の3-1号機「ミラクル」にも、リンゴ図柄が

あったっけ…。

 

 

(岡崎産業「グッドマン」の項、了)


「ダービー」(京楽、旧要件デジパチ)画像あれこれ

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以前、埼玉・蕨のレトロパチンコ・パチスロゲーセン「殿堂・蕨店」に

京楽の旧要件デジパチ「ダービー」(1990年)が導入された時、大変

懐かしくなって同店を訪問、画像を何枚か撮影させて頂いた。それを

画像ファイルにしまったまま、暫く放置してあった事に気付いたので、

この機会に陽の目を見させてやる事にする。なお、同機の詳細スペック

については、コチラの過去記事などを参照のこと。

 

ドットデジタルの接写。今日は9月9日なので、こんな出目からスタート。

「大穴」の大当り図柄も郷愁を誘う。当時の京楽といえばドットだった。

 

続いて盤面の画像。台枠や上皿に違和感を感じた方、鋭いです。

 

上皿と下皿。実はこれ、盤面自体は旧要件「ダービー」のものだが、

台枠(上皿、下皿含む)については、新要件機「サファリ3」(1991年)

以降に採用された新枠(プロモデル枠…だったか)が代用されているのだ。

本来の「旧枠」は、もう少しエッジの効いた赤っぽい枠であった。

 

盤面上部センターの「DERBY」ロゴ。兄弟機「ダービー2」にも上部にロゴが

入っていたが、字体は全く異なる(躍動感ある初代ダービーのロゴデザインに

対して、ダービー2のロゴは落ち着いた書体である)。

 

盤面右上の賞球数表示。そう、この時代のデジパチといえば、13&7(7&13)が

基本であった。ヘソに入れば7個の戻しがあるのが、当時のデフォである(無論、

6個戻しとか8個戻しとか、例外はあったが)。投資軽減に直結するこの仕様、今

考えてみれば、何とも財布に優しい良心的なスペックではないだろうか。なお、

アタッカー入賞時は13個の戻しがある。

 

 盤面センター下部のメインアタッカー。競馬がモチーフという事で、競馬のスタート

ゲート(「OPEN GATE」の表示)と馬のマークがポイント。これは兄弟機ダービー2

にもそのまま引き継がれた(新要件版ダービー3では「OPEN」及び「OVER RUN」の

表記に変更)。

 

アタッカー左脇の「オマケチャッカー」。この時代の旧要件デジパチは、大当りで

アタッカーが開くと、両サイドのおまけに流れてプラスアルファの出玉が得られた。

アタッカーだけでは13発×10カウント×10ラウンドで1300個しか出ない訳だが、

オマケがあるお陰で、2000発とか2500発とか3000発とかそれ以上とか、兎も角

釘次第でドル箱てんこ盛りの出玉に繋がった(因みに、本機の大当り確率は1/225)。

無論、「釘」が重要なファクター。店の胸先三寸で、幾らでも出玉を調整できた。

アタッカーに入賞し易くして、おまけ自体に玉が向かいづらい調整や、両サイドに

玉は流れるが、オマケ手前でこぼれ易くする調整など様々。私がダービーを普段

打っていた地元店の場合、一回交換がメインで、平均出玉は2600~2800個程度。

一方、上野の某店で兄弟機ダービー2を打った時は、初代ダービーよりアタッカー

開放時間が長いクセに、出玉はたったの1900発だった。無制限営業の代わりに

オマケの釘を辛くして、出玉を少なくしていたのだ(他に、換金率を高くして

出玉を減らす店なども存在)。因みに、このチャッカーは「START」の表記が

ある通り、入賞するとデジタルが始動(機種によっては始動チャッカーでない

タイプも)。一般的な釘調整でも通常時にたびたび入賞することがあったし、

店側が調整を誤ると、普段からオマケに入賞しまくり、幾ら打ってもデジタル

ブン回り、かつ玉の減らない(時には増える)「お宝台」と化したり…。

 

同じくオマケチャッカー。コチラはアタッカーの右サイド。釘調整によっては、

玉を当たり前のように左サイドに流すより、右打ちで右側のオマケを狙う方が、

大幅に出玉が増えたりした。但し、あまり欲張るとアタッカーに玉が流れずに

パンクしたり…。

 

 

盤面右下の証紙類。一番上に貼ってあるのが、台の製造番号(上段)と識別記号(下段)。

「B-F-G」とあるのは、最初の英文字がメーカー※で、次が製造年、最後が製造月である。

この場合、Bは「京楽」を意味し、Fは「平成2年」(昭和60年が起点の「A」)、Gが

「7月」(1月が「A」)。即ち、このダービーは、「京楽が平成2年7月に製造した」と

いう事になる。

※平成5年5月発行「完全図解パチンコ究極必勝法」(久恵多勝利・著)に

記号と各メーカーの対応表(一部)が出ていたので、参考までに抜粋

A奥村 B京楽 C銀座 D三共 E三洋 F西陣 G大一 H大同 M平和

 

因みに、当方所有の新要件版・後継機「ダービー3」の証紙を確認すると…

 

 

コチラは「B-G-C」。Bは京楽、Gは平成3年、Cは3月。つまり京楽が平成3年3月に製造。

ダービー3がホールに出回り始めたのが新要件初期の平成3年4~5月だから、時期的にも

ピッタリ符合する。

 

「666」で大当りした瞬間。本機のリーチはノーマルのみで、

左中がテンパイすると、右は速度をやや落としてスクロール

するのみ。ただ、リーチの瞬間、自動音声で「リーチ!」と

発するのが面白かった。そして、停止する時は当りでもハズレ

でもいきなりビタッと止まる。したがって、大当りの瞬間は、

個人差こそあれ誰もが「不意を突かれた」ような感覚を覚える。

この不意打ちが、実に気持ち良かったのだ。スーパーリーチで

長時間盛り上げるサービスこそないが(後続機のニュートランプ

カード2が業界初のSPリーチ搭載機)、後腐れのない、実に潔い

デジタルの動きだったと思う。しかも、本機の場合、大当りした

瞬間に大当り図柄がパッと小さく切り替わって、バニーガールの

ビッグ時でもお馴染みのファンファーレに続いて、「ラッキー!

大当り!ヤッタネ!」の自動音声で祝福。この一瞬の感動を味わう

べく、日ごろダービーを打ち続けていたようなところもある。また、

大当り中のビゼー「カルメン」の軽快な調べ(「がんばれベアーズ」

のテーマ曲と同じ)にも、心が躍ったものである。

 

数字以外の大当り図柄は、先述の「大穴」の他、蹄鉄、優勝カップ、$、馬の5つ。

画像の馬図柄も、なにげに記憶に刺さり易いデザインだった。因みに、ダービー

にはデジタルが連続回転をしている時、右デジにとある移行法則が存在。それは、

前回の右出目に対して、次回右出目が「+4~プラス6コマ」で止まるというもの。

この法則はリーチ時も変わらなかったから、これ利用して大当りの判別が出来た。

ダービーのリーチは、右デジが1周前後で止まる事が多い(6コマ以内で速攻停止

する事もあったが)。したがって、連続回転中にリーチが掛かった場合、それが

ハズレであれば、右デジは法則通り、リーチ開始から1周前後した辺りで、前回

右出目+4~6コマの図柄で必ず止まる。即ち、リーチ図柄が約一周して、ハズレ

リーチで本来停止すべき右出目を超えた瞬間、大当りと確信できた。法則崩れを

察知してから実際に当るまで、ほんの僅かのタイムラグしかなかったが、慣れると

案外簡単に判別できた。「自分一人が周囲よりも一瞬早く大当りに気付く」事で、

人知れず優越感に浸る事が出来た訳だ。なお、連続回転が途切れたり、リーチが

外れた次の回転では、法則が一旦崩れる。

 

ダービーといえば、「馬」のデモ画面を忘れる訳には行かない。デジタルが

停止してから3分間放置すると、出目が表示された状態から、馬が走る画面に

パッと変わる。今となっては大した演出ではないが、当時はこういう細かい

「芸」に感心したものだ。そして、皆さんもよくご存知の「ボンカレー打法」。

ハマリ時、意図的に3分間放置して、デモ画面に切り替えてから打ち出すと、

大当りし易くなるという噂が、攻略誌(「必勝ガイド」誌が最初だったか…)

の読者情報を皮切りに流行り出したのだった。本機の内部抽選方式から、その

ような攻略はオカルトの域を出なかった訳だが、実際、デモに戻してからすぐ

当る話もよく聞いたし、一部地域ではボンカレー攻略が仕込まれたハウス物が

あったという怪情報も出てきたりして、何かとファンの攻略意欲をかきたてる

存在だった事は間違いない。なお、「ボンカレー」の名は、調理時間の3分間

とデモ画面に切り替わるまでの3分間をかけたもの(説明するまでもないが)。

 

 

 

という訳で、それぞれの画像にあれこれコメントをつけさせてもらったが、

画像も尽きたので、今回はこの辺で終りにしたい。本記事でダービーの事を

久々に思い出された方、興味を持たれた方は、冒頭でリンクを貼った過去

記事も、ぜひともご覧頂きたい。では。

 

 

(「京楽ダービー画像あれこれ」の項、了)

 

 

広島東洋カープ、リーグ優勝おめでとうございます

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プロ野球セ・リーグ。広島東洋カープが2年連続のリーグ制覇を達成しましたね。

 

古くからファンを続ける一人として、これほど嬉しいことはありません。最高です。

緒方監督、選手やスタッフの皆様、そしてファンの皆様、本当に有難うございます。

そして、自らもカープファンとして、心から「おめでとうございます」の言葉を

贈りたいです。本当に良かった。強かった。チーム力が、頭一つ抜きんでていた。

 

2年連続のリーグ優勝は、チームとして実に「37年ぶり」の快挙となります。

ひところ低迷期もあったカープでしたが、若手選手が実力をグイグイつけていき、

年を追うごとに選手層も厚みを増していった感じです。そして、エルドレッドや

ジョンソンを始めとする外国人選手の活躍。さらにベテランや中堅も見事に機能

して、チームとしての歯車が巧くかみ合い、それがここ数年で結実したという

感じがしますね。今後しばらくは、現在のようなカープ最強時代が続くのでは

ないでしょうか。穴らしき穴が見つかりません。しいて言えば投手力の安定性を

増すことでしょうか。

 

ところで37年前の昭和55年、カープはチーム初のリーグ連覇を成し遂げました。

野手では山本浩二、衣笠祥雄、水谷実雄、高橋慶彦、ジム・ライトル、水沼史郎、

木下富雄といった主力級メンバーが活躍。一方の投手陣も、福士敬章、山根和夫、

北別府学、池谷公二郎、江夏豊などが台頭。今振り返っても、実に錚々たる布陣。

それを適材適所に配して見事な采配を振るう、名将・古葉竹識監督の辣腕も光り

ました。まさに、第一次カープ黄金期ともいえる主役たちでしたね。打ってよし、

守ってよし、走って良し、投げてよしで安定した強さを見せつけ、周囲の誰もが

認める「最強」の時代を築きました。

 

それまでミーハーな巨人ファンだった在京(神奈川)の私も、この「赤ヘル旋風」の

影響を大いに受けて、この1980年をもってカープファンに「鞍替え」したクチです。

当時は小学3年生ごろ。それまで愛用していた真っ黒なジャイアンツ帽を脱ぎ捨てて、

地元オダキューOXの2F、階段脇のスタンドに掛けてあった赤い広島帽(バッジ付)を、

母にせがんで買って貰ったのです。因みに、このオダキューの2Fは婦人服なども置いて

あって、当時かなりのマセガキだった自分は、服や下着を着けたマネキン人形を下から

覗き込み、女性店員に思いっきり注意された事があります(全く自慢にならないね)。

 

ただ、学校でカープ帽を被る同級生は意外と少なくて、正直言ってやや浮いていました。

「カープ旋風、赤ヘル旋風」といっても、それはやはり地元・広島が中心の現象であり、

その余波が我々の住む首都圏エリアの大人世代や高校生、中学生に届いていましたけど、

我々のような小学低学年世代だと、巨人や西武、日ハムといった人気選手を多く擁する

在京チームが、まだ人気の中心でしたからね。近鉄とか阪急の帽子を被る子も多かった。

クラスで一人だけカープ帽で浮いていた私ですが…あ、一人じゃなかったな。もう一人、

同級生で仲の良かった女の子のUさんも、毎日カープ帽で登校してました。でも、彼女は

熱心な広島ファンという訳ではなくて、お兄さんの「おさがり」を被っていただけですが。

彼女とはやたらウマがあう感じで、同じカープ帽を被っていた連帯感もあって、卒業まで

仲良しでしたね。恋愛うんぬんではなくて、気のおけない友人でした。6年間同じクラス

だったなぁ、Uさん。卒業以来全然会ってないけど、元気でいるかな。足の速い子だった。

 

それはともかく、この時代の強いカープに強い憧れを抱いていた私。普段はTV画面を

通して試合の応援をしていましたが、どうしても生でゲームを見たい気持ちが沸いて、

カープの試合に連れて行ってくれるよう、父に頼み込んだ事があります。1981年の話。

その甲斐あって、同年6月某日、後楽園球場で行われた巨人-広島戦に、家族で観戦に

訪れたのです。まだ、東京ドームなんてなかった頃の水道橋。いつもは少数派で多少

気後れ感のあったカープ帽も、この時ばかりは誇らしげに被ったことを思い出します。

人生初の「生カープ」、ドキドキしました。陣取ったのは、3塁側内野応援席(レフト

スタンドの近く)。ただ、今とはちょっと状況が違って、在京のカープファンはまだ

それほど多くはなくて、スタンドも「広島ファンでギッシリ」ではなかったのです。

周りを見ると、内野も外野も巨人ファンばかりの状況。やはり在京で肩身は狭かった。

 

それを露骨に象徴していたのが、試合開始前の時間に行われた「応援合戦」です。

この時代、試合が始まる前にファン同士で相手チームをディスりあう、いわゆる

「ヤジコール」の応酬というのを必ずやっていたんですね。昭和テイストですな。

しかも、ただ無秩序に野次るのではなく、「ドドン、ドドン、ドンドンドン!」

という太鼓や手拍子の調子に合わせて、リズムよくヤジの文句をぶつけるのです。

まぁ、分かり易く言えば、「お前の、母ちゃん、でーべーそー」のリズムですな。

格調高い表現を使えば、「七五調」。まぁ、思いっきり格調は低かったけどね。

 

で、これをライトスタンド⇒レフトスタンドの順で、延々と叫び合った訳です。

一応「野次る中にも礼儀あり」で、先攻⇒後攻と互いに順番を守っていました。

互いの悪口を言うのですから険悪なムードになる気もしますが、当時決して

そんな感覚はなくて、逆に微笑ましい程の一体感が両スタンドにありました。

 

もちろん、この試合でもカープの応援団側から、ライトスタンドに向かって

様々なヤジを飛ばしましたが、残念ながら、全ての内容は覚えていません。

それでも、ワンフレーズだけ、36年経った今でも記憶に刺さっているのが、

「巨人の ハッピは よーしのやー!巨人のハッピは よーしのや~!!」

というヤジ。これを、近くで指揮する応援団長のお兄さんの言われるがまま、   声をからさんばかりに、一塁側の巨人ファンに向かって怒鳴ってましたね。
通訳すると、オレンジ色したジャイアンツ応援団のハッピ(法被)が、牛丼の   吉野家の店員の格好に似ている…という風に、相手をからかった訳ですな。   しかし、すかさずライトスタンドのジャイアンツ大応援団から帰ってきたのが、
「聞こえない!聞こえない!!」の大合唱(「ドドンガドン!」のリズムで)。   ネタはまあまあだったが、元気が無さすぎた…。まぁ、圧倒的に数では負けて   ましたからね…それに、試合前なので客の入りが少なくて、コチラの応援団の   頭数が十分に揃っていなかった。ライトスタンドの方は巨人ファンで最初から   超満員だったけどね。まぁ、この応援合戦では、試合前に完全に決着がついて   しまった感じでした。子供ながらに、随分悔しい思いをしたのを覚えています。     しかし、肝心の試合ではカープが投手、打線とも大変好調で、先発のエース   山根和夫が投打にわたる大活躍を見せて(糸を引くような右中間の2塁打   とか打ったんだよな。カッコ良かったな、山根…)、見事8-2でカープの   快勝となりました。ヤジでヤラれた分、嬉しかったなぁ。巨人・先発の   浅野投手をガンガン打ち込み引きずり降ろすなど、会心の勝利でしたね。     そういえば、当時のカープには「高橋」姓の選手が二人いたんですけど   (野手の高橋慶彦と投手の高橋里志)、後楽園のセンター電光掲示板の   打順表示には、高橋(慶)ではなく「高橋よ」とひらがなで表記されて   いたんです。子供ながらに「「よ」とはなんだ、「よ」とは。僕は高橋   慶彦選手のファンなんだ、ちゃんと「慶」と書け!」と勝手にムカついて   ました。細かいドット表示の効かなかった当時ならではの出来事ですが、   あれは手抜きにしか見えなかったな…。高橋よ。       それにしても、ホントあの頃のカープは強かったな。まさに、その再来が   今という時期もしれません。エルドレッドに当時のライトルが重なったり…。   (左右逆ですけどね。顔も全然違うけど、存在感という意味では似ている)。   後は、今の「緒方時代」が出来るだけ長く続いて、いずれ「古葉」越えを   果たして貰いたい、なんて期待しています。まずはCSを無事突破、そして   来たる日本シリーズでは念願の日本一に向け、邁進して下さい。ガンバレ、   広島東洋カープ。

 

 

では、今回はこの辺で。駄文、長文失礼しました。

 

(広島東洋カープ、リーグ優勝おめでとうございますの項、了)

 

ピンクレディー(マルホン、デジパチ)

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1992年(平成4年)にマルホンから登場した

現金機デジパチ「ピンクレディー」について。 

 

 

(基本スペック、実戦店)

★賞球:7&15

★大当り確率:1/235

★大当り図柄:0~9、A、H、Pの各三つ揃い(13通り)

★デジタル停止順:左⇒右⇒中

★最高16ラウンド継続

★出玉:約2300個

★連チャン性:アリ(保4連、連チャン率:約15%)

★当時の実戦店:新宿西口「ジャンボ」、渋谷「日拓」など

 

 

 1991年(平成3年)の新要件初期におけるマルホンデジパチというと、

小デジ確変機能付「ウルトラセブン」に代表されるようなドラム機と、

「スーパーダイヤ」「ウィンク」などに見られる巨大な7セグ(LED)

デジタルという「二大柱」が主流であった。特に後者は、デジタル部が

リーチ中に後方傾斜したり(ウィンクなど)、デジタルの円形ヤクモノ

全体がリーチ時にグルリと大回転したりと(リバース2、リバースセブン

など)、何かと趣向を凝らしたタイプが多かった。また、どのタイプも

けたたましいサウンドや派手なランプの点滅など、視覚・聴覚に激しく

うったえるものが大半を占めた。この「マルホンデジパチ二大路線」は

91年新要件に始まった事ではなく、ドラムは旧要件機「クールセブン」

「スーパーターボ」など、7セグは同じく旧要件機の「パールセブン」

「オリンパス2」「キャスター」「ロータリーセブン」などの流れを

受けたものである。派手な効果音やランプ点滅も、旧要件マルホンの

「伝統」を引き継いでいた。

 

 

その後、平和「麻雀物語」の大ヒットに呼応するかのように、1992年には

カラー液晶モニタを採用した「スーパービジョン」や「ゴールドビジョン」

「カラービジョン」といった液晶デジパチを相次ぎリリース(発色や彩色は

かなり派手だったが、図柄の形状はカラー液晶を使った割にはシンプルとも

思える、7セグ調のデザインだった)。

マルホン「スーパービジョン」のデジタル画面

 

一方、権利モノにおいては、92年に「フォーミュラー」「ミラクルショット」

「ウィンダムX(Z)」「マジカル」「キングM」などのドットデジタル機が

続々と発売された。「権利モノ=ドット」の流れは、その後も「ダブルゲーム」

「びっくりマン」「チャイナタウン」「ソルジャー」など同社の爆連権利モノに

継承された。なお、デジパチにおいても「ミステリーハウス」や「サイドセブン」

「ロックンビート」「マンボウくん」など、この時代にはドットデジタルモノが

多数存在。やはり旧要件「レーサー2」「パーラー2」といったドットデジパチの

「系譜」といえるが、ドットのデザインは大きく進化。また、7セグやドラムと

比べて、ドットはマルホン新要件初期の主流とはいえなかったから、1992年を

契機として、「マルホンドット路線」が一気に開花したことになる。

 

 

一方で、従来のデカデジ路線には多少の変更も加えられ、デジタルのサイズを

やや小さくする代わりに、分離・独立した各デジタルが、従来よりも立体的で

派手なアクションを行う機種が数多く出始めた。やはり1992年に発売された

「アクションズーム」「ハッピーズーム」「スーパーズーム」そして今回紹介

する「ピンクレディー」などの7セグ(LED)各機種は、その代表格といえる

「セーフティーセブン」「サイドワインダー」なども同タイプの7セグ採用)。

それまでの新要件マルホン7セグ台は、デジタルのヤクモノの動きに特徴が

あるタイプが多かったとはいっても、大きな7セグ自体は似たり寄ったりの

感もあり、新台リリースされる度に「ワンパターン」とか「二番煎じ」など

批判されたりもした。そんなマンネリを払拭すべく、デジタルサイズよりも

ヤクモノとしてのデジタルアクションに重きを置いたのが、’92年における

同社の路線変更の特色とはいえまいか。

 

 

当時のマルホンデジパチは、世の「連チャンブーム」の勢いを多分に受けて、

仕組まれた連チャン、とりわけ保4の意図的な連が仕込まれた機種が少なく

なかった。上述した「スーパービジョン」「ハッピーズーム」「アクション

ズーム」は、何れも保4連率25%以上を誇る、強力な保留連チャン機だった

(それゆえ「販売自粛」という憂き目にもあった訳だが…)。本機も、その

流れを汲む保4連を特徴とするが、連チャン率は先行機よりもトーンダウン、

約15%に抑えられていた。それでも、初当り約7回に1度の割合でダブルが

期待できた訳で、時にはトリプル、フォース…と伸びるケースもあったから、

当人のヒキ次第で短時間の箱積みも可能なスペックといえた。

 

 

ところで、今さらながら本機の「盤面」に注目すると、最上部に横書きされた

「ようこそ いらっしゃいませ♥」のメッセージや、その左横に描かれている

メイドチックな若い女性二人組のイラスト、さらにデジタル下の両サイドに

佇むビキニのギャル(コチラもペア)が、存在感を強烈にアピールしていた。

機種名の「ピンクレディー」は、今さら説明するまでも無い事だが、70年代

大活躍した人気アイドルデュオの名前と同一だったから(⇒正確に言うなら、

アイドルの方は「ピンク・レディー」とセンターに「中黒」が存在したが…)、

ビキニのイラストなどはその象徴といえる(タイアップ機ではなかったハズ

だが)。また、メイド姿のイラストも、件のアイドルデュオが70年代に出演

したグリコ「ラブリーチョコ」のCMで着用した衣装が、ちょうど似たような

イメージの「萌え系」(←今風の表現を使うなら)コスチュームだったので、

そのCMを意識したイラストだった可能性はあろう。さらに、1990年代前半、

可愛らしいメイドの衣装に身を包んだ女性店員が特徴の、「アンナミラーズ」

という飲食チェーン店が男性客にウケて大流行していた。そんな時代背景が、

件のイラストに影響を与えたかもしれない。

 

 

但し、本機には、上掲の盤面と大きく異なる「セル違い」も存在した。コチラは

アイドルとか萌え系と縁遠い感じの、どちらかといえば地味でオーソドックスな

デザインだった。ホール側の嗜好に応え易いよう、メーカーがあらかじめ複数の

セルを用意していたという事か。実際、このセル違いは販売好調で「新セル」と

して出た訳ではなく、発売開始の段階から両方のセルが発表されていた。まぁ、

関東⇔関西など、エリア別に異なるセルを導入する予定だったかもしれないが…。

 

マルホン「ピンクレディー」(セル違い)

 

 

続いて本機のデジタルの動きについて説明すると、左、中、右とそれぞれ

分離独立して透明のプラケースに収まった立体的な7セグデジタルは、左⇒

右⇒中の順で停止。左右がテンパイすると、左右デジタルは後方に下がり、

横向きでギュイギュイと半回転を開始する。「振動アクション」とも表現

できる個性的な往復運動で打ち手を煽った。同時に、中デジは横回転では

なく「前後動」を繰り返して図柄がスクロール。この「縦横」の立体的で

奥行ある動きが特徴だった。また、同社お得意の「キンキンサウンド」も

健在で、リーチ時はシマ中に甲高い効果音が響き渡った。SPリーチは存在

しないが、リーチそのものがド派手でスペシャルな扱いだったといえよう。

大当り中も、左右デジタルと中デジタルが交互に前後動を行ったりして、

打ち手を魅了。その大当り後には保4連の期待…となれば、テンションが

上がらないハズがなかった。スーパービジョンほど露骨な保連はなかった

ものの、「1/235」という初当り確率にしては、そこそこの連をカマして

くれた記憶も残る。

 

 

保4連チャンの詳細なシステムは、残念ながら当方把握していない。ただ、

当時のマルホン連チャンデジパチが軒並み保4連を特徴とした事から見て、

各機種とも共通のプログラムを使っていた可能性がある。一例を挙げれば、

大当り消化中、ある契機で保4乱数が大当り値に強制的に書き換えられる、

典型的な「上書き連チャン」方式だったかもしれない。なお、大当り確率が

同じ1/235の「スーパービジョン」は一発判定方式を採用しており、本機も

これと同じ抽選プログラムだった可能性は否定できない。この点、引き続き

調査検証を継ける。

 

 

なお、本機は連続回転中に限って、通常時の左デジタルに移行法則が存在。

前回停止の左出目に対して、次回左出目が同一か+1コマor+2コマで停止

する特性があった。連続回転させてこの法則が崩れた場合、大当りが確定。

地味だが、確実な大当り判別法といえた。

 

 

平和「ブラボーキングダム」「ブラボーミリオンSP」、SANKYO「フィーバー

レジェンドI」「フィーバーパワフルIII」、西陣「花鳥風月」「パーラーキング」、

太陽電子「ファンタジーセブン」、豊丸「王将百番」「ピカイチ天国」など、

各メーカーとも「華」のある連チャンデジパチを多数送り出していた時期。

それだけに、同時期リリースされた本機の存在感が希釈化されてしまった感は

否めない。ただ、あらためて振り返ると、本機をはじめ、この時代のマルホン

デジパチには独特な魅力を感じる隠れた名機が意外に多く、「もっと打ち込んで

おけば…」と、個人的に悔やむ機会も多い。発売から25年経ってのレビューだが、

記事を通して、味わい満点だった90年代前半のマルホンに想いを馳せて頂けたら

有難い限りだ。

  

 

 (マルホン「ピンクレディー」の項、了)

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