Quantcast
Channel: まにあっく懐パチ・懐スロ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 378

有楽町、日比谷、東銀座、新富町、築地パチンコマップ(1999年)

$
0
0

有楽町、日比谷、東銀座、新富町、築地界隈のパチンコ店・パチスロ店マップ
(1999年)




☆JR有楽町駅前(中央口、交通会館向い)



A:DUO(デュオ)(現存)
B:UNO(ウノ)(現存)
C:かもめ(閉店)

A「DUO(デュオ)」では、2Fでアルゼ系4号機(ゲッターマウス、ビーマックス、ジロキチ、バーサス、アレックスなど)を中心に打った。また、2F奥バラエティコーナーでは、平和の「レッドメテオ」「フライングモモンガ」、ネットの「セブンダラーズ」などに興じた。

B「UNO(ウノ)」(現在は、イトシアビル内で営業)では、2Fスロットシマでオリンピア「キャロルクラブ」、サミー「メロディナーレ」「ビンビンカミサマ」、北電子「レジェンダ」、IGT「エルビス」、山佐「コングダム」などを打った。一時期は、岡崎産業の「コア」(小役抜きで有名)もあった。1F・パチンコシマ端のハネモノコーナーにあった、「Mr.ダイナマイト」(大一)も好んで打った。2F階段を上るとトイレがあって、その先がジュースコーナーの休憩スペースになっていた。

C「かもめ」(閉店)では、手打ちのアレンジボールと雀球を、昼休みや仕事終りにマッタリ打つのが楽しみだった。こじんまりとしたシマの一番奥に景品カウンターがあり、店長さんがいつもニコニコしながらお客を眺めて座っていた。まさに、都会の真ん中にポッカリあいた、タイムポケット的な癒しの存在だった。

なお、同じ朝日街通りの「★」の位置では、’99年当時、ゲーセン「ラスベガス(通称「プリクラのメッカ」)」が営業していたが、2001年初頭にパチスロ店「スロットラスベガス 有楽町店」として開業(⇒閉店)。

また、パチ屋以外にも、この駅前路地には、いんでいら(カレースタンド)、中国亭(中華)、百果園(フルーツ)、後楽そば(立ち喰い)、シネラセット(ミニシアター)、ふじや(宝塚歌劇ブロマイド店)、ニュードラゴン(喫茶)、初藤(割烹)、ゴッサムカフェ(喫茶)、可口飯店(コカ・レストラン)、ルーブル(喫茶)、レバンテ(ビアレストラン)などの、いかにも昭和然とした、味わい深い店舗が多く立ち並んでいた。

しかし、有楽町駅前の再開発事業により、現在は路地そのものの大半が消滅。その跡地には、近代的なショッピングビル「イトシア」が建ち、3本あった狭い路地のうち、今も残るのは「中央通り」のみ。
(但し、かつての雑然とした雰囲気は残っていない…)



☆日比谷、JRガード沿い(日比谷シャンテ裏)


(C)Google

A:ポオル(閉店)
B:みゆき(閉店)

帝国ホテル、宝塚劇場(1999年当時は建替工事中※)、日比谷シャンテといったシンボリックな建物の裏手にあったA「ポオル」(閉店)は、パチンコシマに当時フィーバークイーンII(三共)やミルキーバー(ニューギン)、オークス2(三星)などが置いてあり重宝した(スロはニューパルやバーサス、ハナビなど)。一方、B「みゆき」(ガード下の角店。後に「Mゾーン」となるも閉店)では、お決まりのようにサンダーV(アルゼ)ばかりと対峙していた。近くにあった、お気に入りのレトロな喫茶店「純喫茶・日比谷」(閉店)で、レモンティー片手にくつろいでいた日々が懐かしい…。

※宝塚劇場の建替工事中(1998年1月~2001年1月)、宝塚歌劇団の東京公演は、東京交通会館向いの「TAKARAZUKA1000days劇場」という仮設劇場でしばらく行われていた。当時、仕事の昼休みに「銀座インズ」辺りまでランチを食べに行くと、タカラヅカファンと思しき大勢の女性達が、お目当てのスターの入りや出待ちで、仮設劇場の入口前で整然と並んでいたのを思い出す。なお、この仮設劇場は、現在「インフォス有楽町」として使われている(ロフトや無印良品などが入る)。



☆東銀座(三原橋交差点、歌舞伎座周辺)



A:イーストヴィレッジ銀座店(閉店)
B:モンタナ(閉店⇒現在「パラッツォ銀座店」が営業)
C:ピーアーク銀座(現存)
D:ラーガ銀座(アイゼンラーガ)(閉店)

昭和通り沿いのA「イーストヴィレッジ」(イーストビレッジ)では、スロットシマでオリンピアのスーパースターダスト2や、アルゼ系の4号機をよく打った。三原橋交差点のB「モンタナ」は店員チェックの厳しい店だったが、スロ3号機のコンチネンタルIII(メーシー)を長らく置く名物ホールだった。モンタナのパチンコシマには、連チャン権利物ラッキーボーイ、CRデジパチのCRバトルヒーローV、CR権利物の「CRエキゾチック」など、大一の香ばしい名機が、この時期も並んでいた(モンタナは大一のアンテナショップ的な存在で、スロのコインには「ダイナマイト君」のキャラが描かれていた)。モンタナ向かいのC「ピーアーク」は、大都の「マッドドクター」や「フュージョン」、NETの「ラインズセブン」、アルゼの「ハナビ」がメイン機種だった。一方、ウォールビルにあったD「ラーガ銀座」は、頻繁には足を運ばなかったが、パイオニア4号機「ローズフラッシュ」があって、独特な「ズルスベリ」に一時ハマった。




☆地下鉄・新富町駅(築地橋)周辺

(C)Google

A:パチーノ(ヒノ)新富店(日の丸)

レンガっぽい茶色の外壁が印象深い併設店。CRモンスターハウス(竹屋)や現金機のマジカルランプ(奥村、一般電役)などを触った記憶アリ。派手なネオンはないが、「パチーノ」※の赤い看板が出ており、さりげなく表通りにアピールしていた。現在、跡地にはマンションが建っている。

(在りし日のパチーノ新富店)

※「パチーノ」とは、pachinkoから「K(3K=危険、汚い、キツイ)」を除いた造語。1994年、作家・評論家の室伏哲郎氏(故人)が、パチンコに対するイメージを刷新すべく、「パチンコからパチーノへ」を提唱。この理念に同調した都内の「日の丸」チェーンが、「パチーノ・ヒノ」の店名(愛称)を積極採用した。これは、同チェーンの日野和喜会長が、当時「日遊協」会長だった事も大きいと思われる。事実、同チェーンでは、パッキーカードを早期導入する店も多かった。なお、この年(’94年)、ピーアーク社長の庄司正英氏が、日野氏から日遊協の会長職を引き継いでいる。因みに、故・田山幸憲プロが一時期ネグラにした世田谷・桜新町「H店」は「パチーノヒノ桜新町店」で、用賀時代に通った「用賀H店」は「日の丸用賀店」である。




☆築地三丁目付近

(C)Google

A:スクラッチ

個人的に謎多きホール(小店)。店の前を通った事は何度かあるが、ついに入店の機会は無し。現状も不明…。



(その他)

・2001年10月、数寄屋橋近く、マリオン向いの外堀通り(銀座4-2-16)に「J's Bee銀座店」開業
(⇒2009年頃に閉店。現在はカラオケ館に)。
・2003年、東銀座・三原橋交差点のピーアーク銀座隣に「ピーアーク銀座ネオ」開業(現存)。
・2007年5月、日比谷、晴海通りORE有楽町(有楽町2-3-5)内に「ガイア銀座店」開業
(ビルのB2~2Fで営業⇒2008年夏にクローズ)。

(以降のホール事情については、あまり知らない…)




※なお、平成初期(1990年)の有楽町・銀座界隈のホール事情は、コチラの記事を参照。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/b50b0e1c3c1d0714812114d84e82137a


Viewing all articles
Browse latest Browse all 378

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>