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「経歴詐称」問題に思う

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ここ最近、有名コメンテーター氏の「経歴詐称」問題が、世間を賑わしている。


月並みの意見だが、自身の学歴や職歴を偽り、嘘のプロフィールを世にアピールして、
社会的地位を高めようとするならば、これはゆゆしき問題であろう。


経歴とは、自らの「過去の生き様」そのものである以上、変に見栄を張ったり、背伸びをしたり、
法螺を吹いたりせず、つとめて「正直」に発信することが、やはり一番だ。


「虚飾」「虚構」というものは、いつか、そのメッキが脆くはがれてしまう。


件のコメンテーター氏も、その辺りをキッチリ自省の上、いつの日か「復活」される事を願う。




ところで、この問題を「パチンコ」の視点で考えた時、私には、以前から気になる事がある。


それは、「パチンコ店の経歴(詐称)」という問題だ。



「パチ屋の経歴」など、言葉としては、やや違和感があるかもしれない。


私が言いたいのは、「あるホールが新しくオープンしてから、現在に至るまでの歴史的変遷、経緯」、
つまりは、その店の「沿革」という意味である。


例えば、あるパチ屋が、「A」という屋号(店名)で新規オープンした後、何年か経ってから、
「B」と屋号を変えて、その後さらに「C」に改称して、現在も営業中であるとしよう。

この一連の流れは、店の歴史を如実に物語るから、出来る限り、正確に発信すべきだろう。

屋号の改称には様々な理由があろうが、その変更の一つ一つが、その店の辿った「履歴」となる。

だから、店舗や親会社のHPなどで沿革を紹介する場合は、一片の嘘・偽りもなく、つとめて
正しく書かねばならないと考える。


特に、現在の屋号が有名である場合、その屋号を「いつから」使用していたのかが、
店の歴史を把握する上で重要だろう。


仮に、「X」という屋号が、業界やファンの間で良く知られているとして、

・新規開業以来、ずっと「X」の名を使い続けて、今に至るのか。

或いは、

・元の屋号「A」から「B」⇒「X」と変わった結果、「X」の名が広く知られるに至ったのか。

細かいようだが、前者と後者では、全く意味合いが異なる。



そもそも、パチ屋に限らず、「屋号」や「商号」は、その性質上、実際に使い続けた「期間」に
比例して、その「知名度」や「ブランド力」もアップする。


長く使い続けた屋号は、それだけ、競業者やファンへのアピール度も増すから、必然的に
強い「ブランドネーム」と化す。そうしたブランドが、営業戦略上も、大きなアドバンテージになる。


つまり、屋号「X」を使っていた期間が「40年」なのか、「30年」なのか、「20年」なのか、それとも
まだ「5年」なのかによって、その屋号の「ブランド的価値」も大きく変わるのだ。

だからこそ、自社ブランドたる屋号を世にアピールする際、ブランドの「使用期間」について、
嘘やゴマカシがあってはならない。


とりわけ、系列店の多いチェーンの場合、現在の屋号をいつの時点から使い始めたのかを、
沿革に正しく書いておくのが、「社会的なマナー」であろう。

特に、古い屋号と明らかに異なる屋号に変えたならば、その事実は明確にしておくべきだ。

そうしないと、競業者やファンが、その屋号のブランド価値を「錯覚」してしまう恐れがある。


これに関して、現在、ネットのHPで自社の沿革を掲載するチェーン、店舗の多くは、
過去の屋号の変遷を、割と正確に書いてある。こういう店は「ゴマカシ」がないから、
好感が持てる。


~昭和〇年、「A」の屋号で新規開業。平成×年「B」に改称、さらに平成△年「C」に改称して、
現在に至る~

或いは、ここまで詳細でないにしても、

~開業当初は「A」という屋号であったが、後に「B」に変更して、今に至る~

と、沿革に明記してある。


こう書いてあれば、HPの沿革を見た者は、最初は「A」の屋号でしばらく営業して、その後
「B」の名で何年営業、さらに現在の「C」になって何年…という具合に、その店の「歩み」を、
正しく把握できるのだ。


同時に、自らの歴史を正直に世に伝えようとする姿勢から、店側の「誠意」も見て取れよう。




ところが、中には、こうした「誠意のある書き方」をしていない所もあるから、厄介だ。

よくよく調べてみれば、その店は、もともと屋号「A」で新規開業して長らく営業後、途中で「A」と
全く異なる屋号「B」に変更。また、バラバラだった系列店の名称も新屋号の「B」に統一する事で、
本格的にチェーン展開をしていった。結果、屋号「B」は、世間に広く知られるに至った。
これが、この店の「正しい沿革」である。


だが、店の会社HPの沿革を読むと、こうした過去の屋号変更には全く触れず、「ウチは、
どの店舗も、開業時からずっと屋号が「B」ですよ」…といわんばかりの体裁になっている。
誠にもって、タチが悪い。


当然、この沿革を見た多くの者は、「屋号「B」には、『開業以来』の古い歴史があるのだな」と、
錯覚してしまう。ひいては、ブランドネームの「誇張」にもなりかねない。

さらに、その沿革がHPに長く載ったままだと、やがては、それが「真実」と思われてしまう。



私からすれば、こういう形の披歴も、一種の「(経歴)詐称」ではないか…と思ってしまうのだ。


開業時の屋号は、その店が「未来への第一歩」を踏み出す際に名乗った、大切な名称のハズ。

それゆえ、その後に変更したからといって、元の屋号を「過去の遺物」として捨て去り、
いたずらに、店の歴史から葬り去るべきではない。


むしろ、「私達は屋号「A」でスタートを切った後、ある時期、新たな屋号「B」に変えてイメージを
刷新しました。その結果、現在の私達の姿があります」と、ファンや世間に堂々と公表すべきだろう。


仮に、「古い屋号で20年、新しい屋号で20年」営業していたのなら、その厳然たる事実を、
しっかり沿革にも反映させるのが、一企業としての「筋」だと考える。

それを、「(変更後の)新しい屋号を、開業から40年ずっと使い続けていますよ」と見せかけて、
ネット上でアピールするのは、いかにも見栄っ張りで、姑息で、ゴマカシに思える。そこには、
正直さや誠意など見られない。そんな店が、「今日は出しますよ!」とイベントを打った所で、
信用する気すら起きないだろう。



さらにいえば、どのホールにも、今まで長年積み上げてきた、様々な「営業努力」があるハズ。

長年の地道な努力を続けて、ライバルとの厳しい争いにも勝ち抜いた結果、世間に堂々と
自慢できる、強いブランドネーム(屋号)を手に入れた。その事実は、率直に評価すべきだ。

だが、そんな涙ぐましい歴史に、ちっぽけな「見栄、虚栄心」でキズが付くとすれば、何とも残念だ。

そうならない為にも、ネットで自らの店舗の沿革を記す際は、過去の「屋号の変遷」についても、
嘘偽りなく、正確に記載して欲しい…と願う次第である。


「正しいパチンコ史」を、後世に残す為にも。


ビッグウェーブI(三共、一発台)

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1988年(昭和63年)に三共から登場した一発台「ビッグウェーブI」


★普通機(但し、大半の店が、一発決まれば4000~6000発の「一発調整」で営業)

★賞球…オール13

★天下クルーンと、その下の三穴回転盤が特徴

★チューリップ、チャッカー入賞時のBGM
・草競馬(盤面中央下の電チュー入賞)
・メリーさんの羊(電チュー以外入賞)



本機は、同社の一発台の名機「スーパーコンビ」の後ガマとして登場。メインヤクモノが、定番の
「三つ穴クルーン」から、三つ穴・垂直回転盤に刷新された。構造上、ヤクモノのクセの影響が少なく、
純粋に「クギの良し悪し」のみで勝負できた。その単純明快なゲーム性が、大きな人気に繋がった。
後継機は、五穴回転盤を持つ「ターゲットI」(1989年登場、これも人気機種)。



88年デビュー以来、割と息の長い人気だった本機。その証拠に、’90年初夏には、
赤い放射状デザインの新セルも登場している。




当時の私は、どちらかというと、本機よりも、後継機のターゲットIを中心に打っていた。とはいえ、
一発台全般が好きだったので、設置さえ見かければ、それなりに本機と対峙する機会もあった。

まぁ、「一発台好き」とはいっても、資金は潤沢でなく、「運試し」で数千円程度の投資が多かった。
それでも、「お座り一発」100円が決まったりして、オイシイ展開に恵まれることも…。


当時の活動エリアだった「新宿」界隈でも、何軒かのホールに本機が設置されていた。
とりわけ記憶に刺さる店は、歌舞伎町のハズレ、区役所通りとゴールデン街の間にあった、
「大番」という情緒たっぷりなパチ屋だ。

「新宿の場末感」に溢れていた、この店。客層もちょっと香ばしく、スナックのママさん風な
厚化粧のオバさんや、白ワイシャツ、蝶ネクタイに黒いスラックスの、呼び込みらしきオッチャン、
それに、隣のストリップ劇場「ニューアート」の出番前と思しき、薄幸そうなお姉さんなどがいた。

場所柄、さほど甘釘で営業していた記憶はないが、ここで打っていると、「俺は今、歌舞伎町の
片隅で、アウトロー的な勝負をしている」などと、妙な興奮を覚えた(2.5円交換、4000発終了)。


新宿区役所前カプセルホテル1Fに、新宿「パチンコ大番」はあった。
当時、地上波で放映された同ホテルのCMより。左下、赤いネオンの店が大番。
このパチ屋は、90年代後半「ニューヨーク」「ジャンジャン」と店名を変えたが、結局クローズ。
現在、跡地では焼肉店が営業中。






さて、本機の最たる特徴といえば、何といっても、盤面中央に構える「三穴回転盤」であろう。


この回転体の構造は、古い普通機の役物を「流用」したもの。そういえば、以前、
その普通機の動画をヨウツベで見たハズだが、調べ直したら、サッパリ見つからない。
すでに、削除されてしまった模様…(現在も調査中)。



後継機ターゲットIは「5つ穴」だったが、本機の穴は3つ。「短穴」「カギ穴」「長穴」が、各1個。

無論、クルーンから落下した玉が、どの穴に拾われるかによって、その後の運命も大きく変わる。

全ては「タイミング次第」であり、偶然の産物に頼る他はなかった(ドツキは別として…)。



但し、回転盤にアプローチするには、まず、天横の命釘をくぐり抜けて、振り分けの無い
「一穴クルーン」にねじ込む(飛びこませる)必要があった。


振り分け式一発台とクルーンは、「切っても切れない仲」だが、ゲーム性で大別すれば、
クルーンには頻繁に入るが、その先の振分けでハズレまくるタイプ(etc.ベータ、セイヤ)と、
クルーン自体がある程度の「難関」で、さほど振り分けの厳しくないタイプとに分かれた。

本機は、明らかに後者のタイプだ。回転盤振り分けが「約1/3」と高いので、通常営業の場合、
クルーン入賞も容易でなかった。「高い」とはいっても、運が悪ければ連続でハズれたが…。


先述の新宿「大番」を例にとれば、本機は「2.5円交換/4000発終了、一回交換」のルールで営業。
つまり、本機で1回当たれば、もれなく「金一万両也」が手に入った訳だ。

「振り分け約1/3」で「1万円」なので、単純計算では、クルーンに「3300円で1発」ペースの
台なら、何とか「チャラ線」になった。

ただ、ハネモノなら、3300円あればそこそこ遊べたし、まともなクギのデジパチだと、100回くらい
デジタルを回せた。一方の本機は、ひたすら玉を打ち込み、たまに訪れるクルーン入賞を待つのみ。

当然、シマには「鉄火場」的な雰囲気が漂った。運悪くハズレばかりに取られ続けて、イラついて
台をドつく客もみかけた。中には、大当り穴に強引に入れようと、タイミングを見計らって台をドつく
「猛者」もいた(私では無い)。


天下クルーンに飛び込んだ玉は、しばしクルーン内を回った後、真下に構えるメインヤクモノ、
即ち、回転盤の外周の三つ穴(短穴、カギ穴、長穴)にアプローチする。

大抵の店は、「短穴」のみ大当りにしていて、他の2つは単なるハズレ。一方で、短穴とカギ穴の
両方を大当りとする店も、一部存在した(その分、クルーン入賞率を大きく下げていた)。


ともかくも、クルーンを回っている玉が、どのタイミングで下の回転盤に落ちるか…これこそが、
本機の「醍醐味」だった。長く回り続けたり、すぐ落下したりと毎回バラつきがあったから、
この瞬間は常にジリジリ、ハラハラさせられた。


回転盤は、一定の速度をキープしたまま、時計方向に常時回転する。各穴の配置は均等で、
穴の直径もほぼ同じ。だが、各穴を注意深く見ると、意外と気付きにくい「特徴」もあった。

短穴と長穴には、穴の右端に、2~3ミリの小さな「切れ込み」があり、受けがやや広い。さらに、
カギ穴については、穴の「両サイド」に、同程度の切れ込みがあって、さらに受けが広かった。

つまり、若干ではあるが、この回転盤、「カギ穴にやや入り易い」構造になっていたのだ。
(ターゲットIには、この特徴は無い)

この事実は、当時の攻略誌も指摘していたが、例えばパチマガは、「ほとんど無視できる範囲」
という論調で書いていた。だが、微差でも、構造上、入賞率にある程度の影響を及ぼしたハズ。
よって、振り分け率は、キッチリ「1/3」ではない(カギ穴に入り易い)とするのが、正しいと考える。


これら回転盤の三つ穴は、各々が盤面の各チューリップと「連動」していた。

短穴は「右肩チューリップ」、カギ穴は「左肩チューリップ」、長穴は「センター最下段の電チュー」と、
それぞれ連動する。

なお、長穴入賞時は、電チューが約5.8秒開放して、玉持ちに貢献(電チューはメモリー1個付)。


上述の通り、大半の店は「短穴」のみ大当りにしていた。この場合、右肩チューリップの周辺釘を
曲げて、チューリップ入賞をガッチリガード。途中で「パンク」しない調整にしていた。
(カギ穴入賞時は左の肩チューが開くが、すぐ再入賞して閉じる)

この調整だと、短穴入賞で右肩チューが開いた時、全開右打ちすれば、開いたチューリップの
右端に玉が当り、コースが変わって右下の「袖チャッカー」に入り易くなる。

さらに、右袖チャッカーは、その左隣にある「右オトシチューリップ」と連動していた。
(右袖入賞で右オトシ開放。左袖入賞時は、左オトシが開放)

したがって、大当りで右打ちすれば、右袖チャッカーと右オトシチューリップが連動して、
出玉はモリモリ増えた。

あとは、店の終了数(店によって異なる。4000~6000個が主流)」まで、右打ちを続ける。
(最後は、店員が「終りですよ」と、終了札を持って来る。また、終了の自動アナウンスも流れた。)



この当時は、資金に限りがあったから、やはり、低投資で遊べるハネモノが、メインになりがちだった。
で、少し余裕があるとデジパチやスロ、さらに資金が潤沢なら、一発台(一発タイプのアレパチ含む)
なんかに手を出すパターンだ。

その一方で、手持ちをすっかりやられて、ほぼ「ペシャン」になった時、残る小銭で逆転の望みを
賭けるのも、必ずといってよいほど一発台だった(店に一発台が無いとダメだが)。
そう頻繁ではいが、たまに、ダメもとで打ったポッケの数百円が、15分程度で万札に化けたりした。
そう、この時代の一発台には、こうした「庶民のささやかな夢」が、ギッシリ詰まっていたのだ。

’90年10月の規則改正を受けて、91年から一発台の規制も本格化して、徐々に姿を消す
事となったが、古き良き「パチンコらしさ」が失われたのも、この規制が契機のように思う。





★余談、その1

かつて、私が三共ターゲットI(本機の後継機)をよく打った、向ヶ丘遊園・北口「ニューギンザ」
(店名変わって現存)には、私が通う少し前まで本機が設置されていた、との事である。

かの「スエイ編集長」が、ニューギンザに通った「平成元年」当時の回想を、自著やインタビューで
たびたび語っていたので、間違いないだろう。因みに、私は、平成二年デビュー組である。ここで、
スエイさんは、老若男女の香ばしい常連に混じって、ドップリと本機の魅力にハマったらしい。

時期は1年ほどズレるが、同じホールで、三共の「回転盤付き一発台」にハマったという点は、
見事に共通していて、何とも嬉しく感じる。

当時のスエイさんは、遊園から高田馬場まで電車通勤していたという。かくいう自分も、ほぼ同時期、
小田急~山手で馬場まで通学していたから、馴染みのホールも自然とダブってくる。

(ニューギンザ、銀座ホール、銀座スター、ぱちんこ遊園、プラザ、登戸ハトヤ、下北沢ワールド、
下北レジャー、新宿ジャンボ、ニューミヤコセンター、新宿日拓、高田馬場コスモ、東陽会館、
馬場日拓など…)

そんな訳で、極めて一方的だが、私は、スエイさんと「ほぼ同時期、同エリアで戦った『戦友』」
のような意識を持っている。まぁ、当のスエイさんにとっては、はた迷惑な話だろうが…。



★余談、その2

人気パチンコ劇画、「銀玉マサやん」(堂上まさ志、秋田書店「プレイコミック」連載)において、
主人公のマサやんが、本機を「メイン機種」にしていた時期がある。

マサやんは、元々一発台が大好きで、ネグラの「パチンコラッキー」では、名機スーパーコンビを
こよなく愛していた。だが、ある時、この店が新台入替を行い、コンビにかわって本機を導入。

それを機に、マサやんも本機のシマに居つくようになる。その後は、「1000円で大当りさせる」
パチンコ勝負に勝利してみせたり、14回続けてハズレ穴に嫌われたり(但し、投資32000円)、
いつも同じ台で大負けして会社を辞め、店から消えた常連(5番台の男)の為、その台でリベンジ
したりと(勝ち金は全て彼に渡した)、数々のドラマチックで男気溢れる「人間模様」を披露。

因みに、本作は、個人的に好きな歴代パチンコ漫画の「ベスト3」に入る。
(他の2つは、劇画「パチプロ日記」と「パチンカー奈美」)


(C)堂上まさ志、秋田書店

Youtube 90年代動画紹介(21)

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Youtube 90年代動画紹介(21)


私が「神」と崇める、Youtube・90年代動画投稿者のライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)。
そのレトロで貴重な映像を、ちょっと「まにあっく」な観点で考察するコーナー。


今回は、コチラの動画を取り上げさせて頂いた。


https://www.youtube.com/watch?v=7c0_u7ulLM0


1990年(平成2年)7月、「新宿~新大久保~高田馬場」のルートを、
ビデオカメラを持ったライルさんが、ひたすら歩く…という映像である。

賞味「30分」の映像だが、見る人が見れば、郷愁と感動で、時を忘れて見入ってしまうハズ。

この時期、歌舞伎町や高田馬場のパチ屋、スロ屋に入り浸りだった私も、その一人だ。

途中の新大久保も、大学のサークルの友人のアパートがあったから、打ち合わせで出向いては、
帰りに「サンキン」「日拓ヤマテ」「ダイシン」「山水林」といった、大久保通りのパチ屋でよく遊んだ。


もちろん、映像では今と変わらない光景も残るが、細かく見れば見るほど、26年前と今では、
あまりに変化が大きい事を再確認する。当時を知らない人だと、逆に「新鮮さ」さえ感じるだろう。


それにしても、駅にして2駅分…徒歩だと結構な距離である。7月の暑い盛り、カメラ片手に
ロングウォーキングさえ厭わないライルさん。その強い好奇心と情熱には、ただ驚くばかり。


また、「ネット時代の到来」さえ予測しているかのような行動には、「先見の明」を感じる。


そういえば、私自身、学生だった同時期、高田馬場~新宿をテクテク歩いた事が、幾度かある。

普段、都バス(早稲田⇒新宿駅西口)でよく使う「明治通り」の直線距離を、気分転換がてら、
歩いてみようと思い立ったのだ。決して、パチでやられて、バス賃を使い切った訳ではない(汗)。

大いに疲れたとはいえ、バスからの目線とは違った発見も多く、有意義なウォーキングだった。
ライブハウス「日清パワーステーション」の入った日清ビルをしみじみと眺めたり、攻略誌で有名な
「辰巳出版」の新宿本社ビル(当時、明治通り沿いに存在)を、じっくり観察したり…。1F入口脇の
ショーウィンドウに、新刊本や雑誌が地味に飾ってあったのを、今も覚えている。



さて、この動画でライルさんが通ったルートを挙げれば、まず「新宿駅西口・地上出口」に始まり、
お馴染みの「西口・しょんべん横丁」を通り抜けると、JRの大ガードをくぐって「靖国通り」に出る。

それから、赤いゲートの「歌舞伎町一番街」に入り、その奥の「新宿コマ劇前」へと進み、さらに
奥の「歌舞伎花道通り」に出ると、キャバレー「日の丸」のある路地から、広い「職安通り」に出る。

職安通りを渡ると、大久保通りに続く、細い路地(ホテル街)に入る。この路地を抜けてから、
「大久保通り」⇒「百人町の路地」⇒「新大久保駅前」と、移動を重ねるライルさん。

その後、「新大久保駅前の路地(商店街)」から、「西戸山タワーホームズ」「西戸山公園」などを
通って、JRの線路沿いから、高田馬場駅を目指す。

ラストは、「ビッグボックス」の裏手からバスロータリーに出て、高田馬場駅に到着…という具合だ。



まぁ、前置きがあまり長くても仕方ないので、後は、映像の本編をじっくりご覧頂きたい。

https://www.youtube.com/watch?v=7c0_u7ulLM0


なお、以下の補足的情報も、何かのご参考に。



★0:00~0:51
新宿駅西口、地上出口
(京王デパート前の「靴磨き」が懐かしい)

★0:52~2:06
しょんべん横丁(西口・思い出横丁)
(うなぎ屋「うな丸」の角を入って、パチンコ「ジャンボ」換金所、かめや(立ち食いそば)、若月、
岐阜屋、三角、かわち、ふじしん(全てラーメン屋)の脇を通る。横丁の出口には、牛丼「牛若家」。

★2:07~3:02
JR大ガード下⇒靖国通り

★3:03~4:01
歌舞伎町一番街
(入口ゲートの隣のビルには、「インドネシアラヤ」(民族料理店)の懐かしい看板。
3:14…ゲーセン「イエストロン」⇒元「パチンコメトロ」(現・メトロビル)。
3:36…ゲーセン入口に「野球拳」のビデオゲーム。当時、定番のエロゲーであった。
3:49…喫茶「上高地」のオレンジの看板。
3:55…エビ通りにあった、個室喫茶「ハニー」、ファッションヘルス「ワンダラー」の看板。
4:00…パチスロ「ニュープリンス」※の回転ネオン(「新装大開店」)が、一瞬だけ映る。

※ニュープリンスは、’90年当時、一番街に唯一存在したスロ屋(パチ屋も含めて)。
小店だが、1.5号機「パルサーXXΣ」(日活)を置く貴重な店だった(客はガラガラ)。
このビルの屋上には、怪しげな、掘立小屋風の換金所が存在。


★4:02~5:37
新宿コマ劇場(既に解体、跡地は「新宿東宝ビル」)周辺の光景
(「Koma Stadium」の古い看板。この時は、「吉幾三・特別公演」の真っ只中。
オバちゃんの大行列が、この界隈の名物だった。
コマ向いのデカいパチ屋は、今はなき「オデヲン」。
5:07で、オデヲン店内の「係員の方、60番台、60番台、開放願います」の自動音声が、外に響く。
当時、コマ周辺には「ラスベガス」「モナミ」「ニューセブン」「747」「コスモ」など、パチ屋が多く点在。
(これらは全て閉店。シンボルのコマ劇さえ、今は無い。)
新宿プラザ劇場で「バックトゥザフューチャー3」、新宿東急で「天と地と」、ミラノ座で
「デイズオブサンダー」など、当時の映画の封切り看板も、途中で映る。

★5:38~6:43
歌舞伎花道通り⇒ホテル街の路地⇒職安通り。
(キャバレー「日の丸」「ロンドン」、焼肉「千山閣」、鮮魚「舟藤」、バッティングセンター、
ゴルフ練習場などが映る。)

★6:44~8:07
職安通りと大久保通りを結ぶ、細い路地(ホテル街)
(「ホテル上高地」「OZORA」「ホテル松下」など。路地では、ちょっとした渋滞が。)

★8:08~9:39
大久保通り
8:06、8:24…パチンコ「ダイシンPart1」(現・グランパ大久保)の建物が、チラッと見える。
8:27~9:07…全龍寺(海亀山)の境内。
9:10…パチンコ「山水林」(現・山水林ビル)の店内。奥村のデジパチ「ドリームX」一色。
9:37…有線のスピーカーから、「魔法じかけの~」という女性の歌声が、一瞬聴こえる。
これは、当時、NHKで夕方にOAされた、アニメ「パラソルヘンべえ」(藤子不二雄A)の
メインテーマ、「Magical Mystery Boy/マジカル ミステリー ボーイ」(歌:ピクルス)の
ワンフレーズだ。同アニメのエンディング、「夢で逢いましょう」(歌:ピクルス)も個人的に名曲)

★9:40~14:48
メインの大久保通りから一本入った、百人町の裏路地を撮影。
(ラブホテル多数。西武新宿線、山手線のガード下、線路横の小道なども映る。
14:39…新大久保駅前のパチ屋「サンキン」(後にUSA⇒エルドラド。現在は韓流百貨店)の
赤い看板がチラッと見える。この看板は、当時、山手線の中からもハッキリ見えた。)

★14:49~17:22
大久保通りに戻り、新大久保駅前に出てから、道路向かいのパチンコ「日拓ヤマテ」
(現・エスパス低貸専門)脇の路地(商店街)に入って、馬場方面へ移動。
14:54~15:02…「ヤマテ」。
15:19…「パチンコ」の看板もヤマテ。
16:04…線路脇にあった、「ロッテチョコレート」の大看板。
16:46...「小島屋のアイスクリーム」、「東京法経学院」の小さな看板
16:58…商店街の「北野酒店」と、隣の明治牛乳の販売店が映る。

★17:23~ラスト
新大久保~JR高田馬場駅。
路地を抜けて、西戸山タワーホームズ※(17:29~)、新栄保育園(18:06)、公務員・西戸山住宅
(18:45)の脇を通った後、JRの線路沿いから高田馬場駅を目指す。
20:32…西戸山中学校横の道路で、昼寝で駐車する多くの車列に遭遇。右翼の街宣車の姿も。
その後、線路脇をひたすら歩き、JR高田馬場駅の戸山口ガードをくぐって、線路の反対側に渡る。
そして、駅前の「ビッグボックス」裏手から、駅前ロータリー⇒高田馬場駅(早稲田口)へと至る。

※「西戸山タワーホームズ」(高層ビル、マンション)は、1989年(平成元年)竣工。ここでは、
完成まもない同ビルの姿を確認できるので、建築学的にも、貴重な資料映像である。




(1359)

パチ・スロ蔵出し画像集(レトロゲーセン)

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今まで、レトロパチ・スロゲーセンで撮影した台の画像フォルダを久々に見返した所、
ブログにアップする機会もなく、フォルダに「埋もれた」ままの画像を、幾つか見つけた。
折角なので、この機会に、まとめて紹介したいと思う。

なお、幾つかの画像の下には、台に関する説明を、一言、二言入れた。
皆様が「記憶の引き出し」を開ける際の、参考となれば幸いである。






(昭和の名機、ヒコーキ台中心)

★撮影地…いずれも「DENDO蕨店」


ブルーエンジェルI(三共、ハネモノ)


ファントム(大一、ハネモノ)


ビッグタイガー(平和、ハネモノ)


ゼロアタック(西陣、ハネモノ)


グラマン(三洋、ハネモノ)


ファイター(平和、ハネモノ)


ダブルウィング(平和、ハネモノ)

  
スペースファンタジー(豊丸、ハネモノ)
おまけチャッカーハネモノのハシリ。開いたハネの先端に当った玉が肩チャッカーに流れ易く、
大当り中はプラスαの出玉が期待出来た。


権太(奥村、ハネモノ)
赤ら顔で酔っぱらった権太が持つ、デカイ杯(中央に穴)が特徴。一升瓶のハネも愛嬌がある。


ダブルクロス(平和、電役)
上下二段アタッカー。アタッカーの開放条件は、各アタッカー真上のオープンチャッカー入賞。
一旦開けば、アタッカー中央のパンク穴入賞まで閉じない仕様。釘次第で一発台にも変化。




(思い出の平成、’90年代)

★撮影地…「DENDO上野店」「DENDO蕨店」「池袋サードステージ」「新宿ミリオン」



「池袋サードステージ」で撮影
火の玉ボーイ(1991、西陣、新要件ハネモノ)  
火事場の救出劇がモチーフ。左右非対称ヤクモノ。左が螺旋スロープ(クルクルタワー)、
右が上下動するVゾーン(消防士)。大当り中、磁力で釣り上げられた貯留玉が、Vの真上で落下。


「DENDO蕨店」で撮影
ブラボービーナス(1991、平和、新要件デジパチ)
旧要件「ブラボーエクシード」風の美麗液晶。確率1/236と当時のノーマル機にしては低い上、
7&13で出玉2000個とチョイ少なめ。無制限仕様。連続回転中は、左デジに移行法則アリ。
ハズレリーチの次回転を除き、「前回左出目±1、又は同じ目」が出易く、大当り判別も存在。
但し、リーチ後以外でも法則はしばしば崩れた為、100%の判別は不可。


「DENDO」上野店で撮影
スーパーへヴィ―メタルA(1994、サミー、4号機)
シングル集中付き(A-Cタイプ、バケは非搭載)。先行機、アラジンII(3-1)とミスターマジック
(3-2)は「大スベリ=シングル以上確定」だったが、本機は小役こぼしのガセスベリ頻発。
個人的にショックを受けた変更点だ。一方で小役確率が高く、目押しでコイン持ち大幅アップ。
シングル集中は、入りにくい割にパンクし易く、ややショボめ。確率違いの兄弟機「X」「R」も存在。


「殿堂蕨店」で撮影
ミルキーバー(1995、ニューギン、権利物)
液晶モニタ搭載。確率1/329.5、3回権利の定番。6000発越えの大量出玉が魅力。
3種類のSPリーチ(反転、コマ送り、中右同時回転)が秀逸。大当り中の液晶演出は、割と
過激な部類に入る(自粛画面アリ)。各地で根強い人気を誇り、息の長い活躍を見せた。
撮影したのは、盤面右上の「CHANCE」の文字を「CAHNCE」と誤植した、初代セル。


「DENDO蕨店」で撮影
CR竜神(1995、平和、CRデジパチ)
確率1/397。「1/3で+2回確変ループ」のフルスペック。中デジに、ドラゴン図柄が12種類も存在。
左右に3連ドラゴン停止の「オールドラゴンリーチ」は「12面待ち」となる。全36通り中、「3、7、BAR」
(3ライン、9通り)と、「オールドラゴンリーチ⇒中デジに赤枠ドラゴン停止」(3通り)の計12通りで、
プラス2回の確変に突入。


池袋「サードステージ」で撮影
てっか娘(1995 平和、新要件ハネモノ)
純和風ハネモノ。ヤクモノキャラは、任侠映画チックな、鉄火場の「女・ツボ振り師」。
大当り時のデジタル抽選で、ヤクモノ上のドットに「〇」が出ると、最高15R継続となる。
大当り中は、ツボの中に貯留を行う。


「DENDO蕨店」で撮影
ヘブンブリッジ(1995、西陣、新要件ハネモノ)
ヤクモノセンターに巨大シーソー(ブリッジ)。左に悪魔(OUT)。右にクルクル回る天使(上部にV穴)。
大当りBGMは、「オラは死んじまっただー」の耳慣れたメロディ(帰ってきたヨッパライ)。
大当り時にラウンド抽選アリ(3R/8R/15R)。賞球5&10で、出玉やや少なめ。


「DENDO蕨店」で撮影
アクダマンSP(1996 SANKYO、新要件権利モノ)
3回権利、6000発。ヤクモノ下の2ケタ7セグ、ヤクモノ上のドット、時計回りの回転体による、
多段階振り分け。7セグ「77」でハネ開放⇒ヤクモノ1個貯留⇒貯留開放後、回転体のV穴入賞で
権利発生。ドットの図柄で貯留開放タイミングが異なる。回転体狙いの止め打ちも有効だった。


「池袋サードステージ」で撮影
CRフルーツパッション(1996、大一 CR権利物)
左右ゾロ目+中出目が赤の同図柄だと、16R大当り+次回まで確変(ループあり)。
中デジが緑(色違い)だと、1R小当り(単発、確変終了)。出玉の増加スピードも魅力だった。
名機フルーツパンチを踏襲した7セグデジタルは、シンプルながらアツいリーチアクションを見せた。
(ノーマルコマ送り、高速、二段階、ビタなど)
非常に人気が高く、「パイナップルボンバー」として再販。


「殿堂蕨店」で撮影
CRピラミッドの謎IV(1998、高尾、CRデジパチ)
確率1/331、1/2でプラス1回の確変ループ。但し、5回の確変リミッター付き。兄弟機が複数存在。
6つのデジタルが、ピラミッド状にタテ3段並ぶ。有効ラインに7が3つ並ぶか、オールスフィンクスで
大当り。7が2ライン以上かオールスフィンクスで確変。主人公の女性キャラ、レディージョーンズが
お宝を見つける、RPGチックなリーチもアリ。大当り中は、主人公が悪戦苦闘しつつ、お宝を抱えて
ピラミッドから脱出する。


「DENDO蕨店」で撮影
CRラブラブカップルX(1999、メーシー、CRパチコン)
1/2でプラス1回確変ループ。通常時は、様々なタイプの男達が、ひたすら女をナンパする。
最終的に、二人がホテルに入れば大当り。キャラとセリフの組合せによって、大当り信頼度が変わる。
ゲキアツとなる組合せも存在したが、セリフ待ちで通常時が単調になるきらいも。


「DENDO蕨店」で撮影
パーラーデルダスSV(1999、西陣、デジパチ)
CR版もあったが、訪問時に置いてあったのは、現金機の方。確率1/221.5の時短機。
出玉約2100個。 大当り後は、必ず時短に突入。但し、図柄で時短回数が異なる。
14図柄中、「3、7、祝儀袋」で150回(3/14)、「ドル箱、大入、花輪、招き猫」で100回(4/14)、
その他の図柄が50回(7/14)。おばちゃんリーチ、デルちゃんリーチ(ギャル)、オヤジリーチ、
大開放リーチ(全回転)など、多彩なリーチも特徴。


「DENDO上野店」で撮影
リズムボーイズマスター(1999 大東音響、4号機)
完全後告知のAタイプ。第3リール停止後、リール左下のチャンスランプ点灯でボーナス確定。
さらに、上パネルの「GIG」ルーレットが交互点滅。最終的に、両脇の「G」点灯ならビッグ。
センターの「I」点灯だとバケ。
兄貴分のリズボ同様、B〇ノが多数。向ヶ丘遊園の某店で、仕事終りに夜からよく打った。
状態中の「時間切れ閉店」も、たびたび経験。翌日は仕事で打てず…のパターンに泣かされた。


「新宿ミリオン」で撮影
エイトマン(2000、タイヨー、4号機)
上下2段の変則リール。音声演出アリ。リプレイ外し効果大アリだが、手順がシビアで上級者向け。
B〇ノが席巻。町田の「スー〇ースター」で、大怪我しない程度に付き合った。


「殿堂蕨店」で撮影
チャビーファンク(2000、マックスアライド、4号機)
和風台「櫻」の後継機。同社お馴染みの多段階演出も健在。
櫻同様、ビッグ図柄は2種類で、揃えた図柄で獲得枚数が変化。
通常時の演出BGMが、ドリフの「ひげダンス」や「早口言葉」とコミカル。
B〇ノも多数。初遭遇は、仙台駅の目抜き通りに面した「スロット円蔵」。


「殿堂蕨店」で撮影
ジャイアン(2000、マックスアライド、4号機)
ノーマルビッグと、出玉の多いジャイアントビッグがある。コチラも、定番の多段階演出を継承。
大当りBGMも話題に。B〇ノ多数。当時、旅打ちで訪れた、富山・太〇丸の「ノ〇〇ラ〇ド」では、
開店前から行列多数&朝から爆出しでビックリした。

ブルートレイン(太陽電子、アレパチ)

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~90年代マイナー機列伝~

 (忘れ去られた名機、再発掘)





※1991年(平成3年)に太陽電子(※※現・タイヨーエレック)から登場した、
新要件・初期アレパチ「ブルートレイン」

※発表は91年末、ホール導入は92年初頭。
※※2011年、サミーの完全子会社に




文字通り、ブルートレイン(寝台列車)をモチーフにした、一風変わったアレパチである。


都内や神奈川の設置は少なく、明らかにマイナー機扱いであった。但し、愛知、静岡などの
中部以西では、設置もそこそこあった模様。

それでも、大当り中の「連チャン促進打法」の発覚で、一時期、複数の攻略誌を賑わしたから、
名前くらいは記憶している方も、意外とおられるハズだ。



「ブルートレイン」といえば、自分も含めて、70年代、80年代の子供らにとって、まさに
「憧れの的」であり、鉄道撮影をはじめ、Nゲージ、プラレールにメンコなど、全国的なブームと
なった事もある。

さくら、富士、あさかぜ、はやぶさ、みずほ、あかつき…正面に小さなシンボルマークの付いた、
独特の面構えが、何ともいえず格好良かった。

模型店のショーウィンドウで、ジオラマの中を颯爽と走る、Nゲージの青い列車。「いいなぁ…」と、
しみじみ感じ入りつつ、ガラス越しに眺めたものだ。

しかし、今となっては一つの時代が終わった感じで、何とも言えない「郷愁」さえ覚える。
「昭和は遠くなりにけり…」といったところか。


まぁ、それはともかく。


90年代初頭までの(旧要件)アレパチは、シャトル21、ワイワイワイ、マーダー、タックル2世など、
大半のホールが「一発台」として使っていた。また、そんな大量出玉こそが、多くのファンに
支持される要因の1つでもあった。

だが、’90年秋の風営法改正を機に、このテの「(釘曲げによる)ギャンブル台」は認められなくなり、
アレパチの持ち合わせた魅力も、色褪せたかに思われた。

そんな折、藤商事と並んでアレパチメーカーの代表格だった太陽電子が、「権利獲得に繋がる
チューリップを、大当り中、開いたままにする」事により、いわば「疑似的な」連チャンをもたらす、
「工夫」を凝らした本機をリリースした。

「お上の理不尽な横やりで、失われつつあるアレパチの魅力を、何とか取り返したい!」
そんなメーカーの熱意が、本機からジワジワ伝わってくる。マイナー機に終わったとはいえ…。

事実、同社は、ゲーム性が本機とほぼ同じで、スキー場のゴンドラ(リフト)をモチーフにした、
「ゴンドラ」(1992年)という(疑似)連チャンアレパチも、同時期にリリースした。

さらに、アレパチではないが、同時期の太陽電子からは、天下チューリップへの入賞個数を
意図的に調整して「ダブル」を狙う、独特の権利物「ハッピー2」も登場している。

後に、「スーパーアレパチ」や「アレパッチン365」など、デジタル自体に強い連チャン性がある
アレパチが、同社から次々と送り出された。その「前段階」として、本機に代表されるような、
チューリップ搭載型の「疑似連チャン機」が、いち早く出回っていた訳だ。

してみれば、本機は、連チャン機メーカー、太陽電子の歴史を語る上でも、
決して外す事のできない台…といえよう。





(ゲーム性)

以下、簡単に図解。




(前提)
本機は「アレパチ」。1ゲーム16発打ち終えると、そのゲームは一旦リセットされる。
16発打った時点で、下段のナンバーポケット「1~16」の入球状況に応じて、得点が入る。
数字が4つ並べば1点。5つなら2点、6つなら3点…の要領。また、「ジャックポット」で
指定された箇所に入れば、一気に3点。但し、最大で10点まで。「1点=16発」で、
各ゲーム終了時、玉を払い出す(最大で1G=160発)。
大当り中は、右打ちで高得点が出易い仕様。旧要件の頃は、完全一発調整で店が定めた
打ち止め個数(4000~6000発が一般的)まで一直線だったが、新要件になって一発調整が
禁じられ、ラウンド数が設定されると、出玉は約2000発と減少した。本機も、同様の出玉である。




(大当りまでの流れ)

・左オトシGOチャッカー(A)通過で、右上の3ケタドットデジタル(X)が回転。
(各デジタルは「0~9」の数字)

・(X)に「0~9」の3つ揃い(ゾロ目)が出ると、天下チューリップ(B)が開放。
(ゾロ目出現率(チューリップ開放率)は1/100)

・(B)に入賞すると、真下の振り分けヤクモノ(C)に入る。
((B)は1個入賞で閉じる)

・(C)内部は、左、中央、右と三つの振り分け穴がある。中央穴が大当りで、左右はハズレ。
理論上の振り分け率は1/3だが、実際は、ヤクモノのクセ、台のネカセ、クギ調整などで、
大きくバラつく。

・振り分け穴の中央に入った瞬間、1R目がスタート(※盤面左上7セグ(Y)に「14」を表示)。
16発の残りが少ない時に大当りすると、すぐ1Rが終わって、出玉が減る恐れもある。
よって、残り玉が少ない時は、チョロ打ちで全て打ち切った後、次ゲームで天下の(B)を狙う。

※7セグ(Y)は、残りラウンドを表示。本機は14R継続の為、第1Rが「14」で、最終14Rが「1」。




(大当り中の流れ)

・大当りしたら、右打ちに切り替える。

・右オトシのGOチャッカー(D)通過で、デジタル(X)が回転。

・(X)に「001」(ハズレ)以外の目が出れば、ヤクモノ真下のチューリップ(E)が開放。
(「001」の出現率は1/1000。その他の出現率は999/1000。デジタルは、ほぼ毎回当る。)

・(E)入賞で、下段ポケット「11、12、13、16」が点灯。かつ、得点が「2倍」になる。

・下段ポケット「12、13、14、15」全灯で、ジャックポット(3点)。「10、11、15」は普段から
入り易いゲージの為、右打ち時、チューリップ(E)入賞なら、「10~16」全灯になり易い。
ジャックポット3点、数字6連で3点。さらに、得点2倍だから、満点の10点(「F」=160発)を
容易に獲得できる。

・大当り中は、上記動作を14ラウンド繰り返す。出玉は、約2000個。

・なお、センター下チャッカー(F)通過時も、デジタル(X)は回転(ゲージ上、入賞率悪し)。



基本の流れは、上記の通り。「デジタル」と「振り分けヤクモノ」、この2つの関門をクリアすれば、
嬉しい大当りが待っている。



さらにいえば、本機は、2個のチューリップ(B)(E)に、ある面白い「特徴」がみられた。


それは、(B)、(E)が共に閉じた状態では、「(B)が開くと、下の(E)も同時に開く。同様に、
(E)が開けば、(B)も同じタイミングで開く」というものだ。

つまり、両チューリップは、「必ず一緒に開く」関係だった。何と、仲のよい間柄であろうか。


但し、両方開いている時に、下の(E)が閉じたからといって、天下の(B)が閉じる事は無い。
逆もまた然りで、閉じる時は、お互い「独立」していた(いずれも1個入賞で閉じる)。

あくまでも、両方閉じている時に、どちらか一方が開くと、もう一方も同調して開く、という特徴だ。


したがって、デジタル(X)が揃って、天下の(B)が開けば、下段の(E)も開く。


ただ、天下が開いたからと言って、いきなり(B)に玉をねじ込むのは、得策ではない。

まず、同時に開いたチューリップ(E)の方を狙って、「右打ち」する。運よく(E)に入れば、
ジャックポットと2倍ゲットで、10点などの高得点が期待できる。

こうして、天下(B)開放後は、まず右打ちで160発頂いた後に、次ゲームであらためて
(B)に入れて、1/3の振り分けを受けるようにすれば、通常時の玉持ちは飛躍的にアップ。

1回で「160発」…積み重ねれば、大きな差となる。




さらにさらに、上記したチューリップの特性は、大当り中も大いに威力を発揮した。
(これを利用したのが、以下の「連チャン促進打法」)


デジタル(X)が揃うと、天下チューリップ(B)が開くが、1個入賞で閉じてしまうから、
大当り獲得直後、つまり、第1Rがスタートした時、(B)は閉じている。

ここで右打ちをして、右オトシ(D)入賞でデジタルが回り、「001」以外が出れば、
ヤクモノ下の電チュー(E)が開く。

すると、先述したチューリップの連動性により、閉じていた天下の(B)も、同時に開く。
つまり、ラウンド中、(E)が1回でも開けば、(B)も開く訳だ。

しかも右打ち時は、天下への自力入賞が※「ほぼ」ないから、1R終了後も、(B)は開いたまま。

※「ほぼ」としたのは、バネが狂って玉の勢いが弱まり、天下に飛び込むケースもあるから。
再び天下に入ると、下のヤクモノ振り分けで外れればOKだが、中央穴だと「パンク」。


但し、一つのチューリップが、何ラウンドもずっと開いたまま…というのは、当時の規則に反した。
そこで、チューリップが閉鎖⇒開放に切り替わったラウンドから数えて「3R」が経過すると、強制的に
チューリップが一旦閉じる仕様になっていた(3R制限)。

そして、これこそが、連チャンの「ミソ」でもあったのだ。

第1ラウンドで、下段(E)と共に天下(B)が開くと、さらなる天下への入賞が無い限り、
(B)は、ラウンドが先に進んでも、「開放⇔閉鎖」のパターンを、定期的に繰り返す。

具体的には、「1Rで開き、3R終了後に閉じる」、「4Rで開き、6R終了後に閉じる」…という具合に、
きっちり「3ラウンド区切り」で、開いたり閉じたりする。

以下、「7R⇒9R」「10R⇒12R」と同じように続き、13ラウンド目には、また(B)が開く。最終の
14ラウンドも、(B)は開いたままだ。さらに、チューリップの継続開放は「3ラウンド区切り」だから、
大当り終了直後も、やはり(B)は開いている。

こうなればしめたもの。大当り終了後、あらかじめ開いている(B)に玉をねじ込み、
後は「1/3」の関門さえクリアすれば、めでたく「連チャン獲得」となる。


こんな「香ばしい」仕様だったから、大当り中をごくごく普通に打ったとしても、
大当り終了時は、キッチリBが開いているケースが大半。

つまりは、誰が打っても、大当り後は、連チャン獲得のチャンスとなり易い訳だ。

即ち、本機は、連チャン率「1/3」(クセにもよる)という、バリバリの連チャン機であった。



但し、これには、大きな「例外」があった。


大当り中、閉じた天下の(B)が開くには、同じラウンドで、下段チューリップ(E)が
開く事が前提となる。大当り中に(E)が開けば、(B)も同時に開く仕様だからだ。

また、(E)が開放するには、「右オトシ」、つまり、GOチャッカー(D)への入賞が不可欠。

さらに、デジタル(X)に、「001」以外の目が出る事も必要だ。
(「001」(出現率1/1000)はハズレ目なので、Eは開かない)

まぁ、デジタルに関しては、「999/1000」の超・高確率で当たるので、ほとんど問題ない。

一方、右オトシのGOチャッカー(D)は、あまりに釘がシブいと、16発打って一度も(D)に
入らない、厳しいラウンドも出てくる。

(D)を通過しない限り、(E)が開く事はないし、(E)が開かない限り、天下(B)も開かない。

(B)が開かなければ、大当り中の(B)の「開放→閉鎖」のパターンに、ズレが生じる。つまり、
本来(B)が開いているべきラウンドで、チューリップが閉じている事もあり得る。最悪の場合、
連チャンが見込める大当り終了直後に、(B)が閉じていることだってある。

よって、(D)に一度も入らない「空振り」のラウンドがあると、連チャン消滅の恐れがあるのだ。

具体的には、12R(7セグは「3」を表示)において、(E)に連動して(B)が開くと、2ラウンド後の
14R(最終R)が終わった時点で、(B)は強制的に閉じてしまう。

これでは、大当り後の連チャンも、全く見込めない。

そこで、12R開始前に(B)が閉じていたら、超弱めの「チョロ打ち」に切り替えて、12Rは
右オトシ(D)に一発も入れないようにする。(D)に入らなければ、チューリップ(E)が開くこともない。
(E)が開かなければ、天下(B)も開かない訳だ。

もちろん、左オトシ(A)にも、天下(B)にも、センター下段(F)にも、玉を入れてはダメ。

運よく16発とも入賞回避できたら(「空振り」成功)、次の13R目は普通に右打ちする。
オトシ(D)入賞⇒デジタル(X)当選⇒チューリップ(E)開放で、天下(B)も開く。

13Rで開いた(B)は、2ラウンド先まで強制的に閉じないから、続く最終の14Rが終わって、
通常時に戻っても、開いたままである。大当り後は、開放中の(B)に玉を放り込み、1/3の
振り分けをパスすれば、連チャンとなる訳だ。

つまりは、12R目に「ヤバイ」パターンだと察知したら、自力で「空振り」を発生させて、
天下(B)の開放パターンをズラすというのが、攻略のツボとなる。

最終ラウンドの終了時に、天下(B)が絶対閉じないよう、(B)の開放状況を常に観察して、
必要あらば、12Rで「事前調整」する。

こうする事で、大当たり後はほぼ毎回のように、「1/3(クセで変化)で連チャン」の状況となった。



なお、12R目をチョロ打ちしたのに、誤ってBが開いてしまった場合は、次の13Rを犠牲にして、
連チャンを復活させる、「非常手段」もあった。

13R目に入ったら、あえて開放した天下(B)に玉を入れて、チューリップを閉鎖させてしまう。

もちろん、振り分けが中央穴ならパンクとなるが、左右ハズレ穴なら、パンクを回避できる上に、
天下(B)の閉鎖にも成功しているので、都合がいい。

続く14R(最終R)で(E)が開けば、同時に(B)も開く。14R目に開いた(B)は、そのラウンドが
終わっても、強制的に閉じる事はないから、大当り後も(B)は開いたままとなる。これで成功。



なお、こうした「連チャン促進手順」をいち早く見つけたのが、当時、浜松のPN「新茶万歳」という、
「パチンコ必勝ガイド」の読者だった(他にも投稿者はいたが、「新茶~」氏がもっとも早く投稿)。
同誌92年3月号で採用された結果、オリジナル攻略法(オリ攻)の「月間オリ攻大賞」を受賞。

さらに、ほぼ同じ手順が、類似機種「ゴンドラ」にも通用する事が判明。コチラは、
「パチンコ攻略マガジン」(92年5月号)で発表された。


ただ、こうした攻略を行う上で最大のネックが、「設置を見つける事」だったのは、言うまでもない…。





★番外編…ブルートレインのヤクモノにおける、「数字の謎」


コチラの画像は、本機の「顔」である、センター振り分けヤクモノを、グイッとアップしたもの。



寝台列車を、バーンと正面から見たヤクモノ。

うーん、チープな面構えが、何度みても素晴らしい。

(類似機種「ゴンドラ」のヤクモノも、これの使い回しだった。カラーリングとデザインは、
スキー客の乗ったゴンドラに変わっている。)


青いボディ、白いラインに大きな窓。中央の看板に、ごく普通に「ブルートレイン」とあるのが、
どことなくシュール。


ところで、このヤクモノの左右ライトの上部に、5ケタの小さな数字があるのが、お判りだろうか?


列車ゆえに、「車体番号」的な意味合いがあろう事は、容易に想像がつくのだが…


私は、この数字が持つ(かも知れぬ)、隠された意味について、今さらながら、考えてしまった。


「05250」と「29222」の二つの数字には、暗号というか、メッセージというか、何かを示唆する、
特別な意味が込められていないだろうか…。



そう思って、一瞬ドキドキしたのだが、実にあっさりと、疑問は解けてしまった。


というのも、直感的に「これって、太陽電子時代の、会社の電話番号では?」と思ったから。

2つでちょうど10ケタだし、「05~」の数字が、愛知県辺りの市外局番に思えた。事実、
太陽電子の本社は、名古屋にあった(タイヨーエレックとなった現在も、名古屋にある)。


そこで、アレコレとネットを検索してみたら…





過去の検索情報で見つけた、「タイヨーエレック」の電話番号(052-502-9222)を見て、
「ああ、なるほど」。

ヤクモノに書いてあるのは、(左)が「05250」、(右)が「29222」。

左端から続けて読めば、「0525029222」となり、一目瞭然である。


一応、本機が出回った当時、1992年の業界誌の巻末に出ていた、太陽電子時代の
電話番号もチェックしてみた。




(かなりピンボケで恐縮だが…)案の定、当時から同じ番号であった。

ただ、現在は本社も移転して、電話番号も別のものに変わっている。
(サミーの完全子会社)

まぁ、いったん調べがついてしまえば、何とも単純な話であった訳だ。

しかし、自社の電話番号を、ヤクモノのデザインとして使うあたり、当時の太陽電子の
遊び心やユーモラスさが見て取れる。



そんな訳で、今さらながらの、レトロパチンコ「トリビア」。



~~太陽電子のアレパチ「ブルートレイン」(1991年)のセンターヤクモノには、

同社の「電話番号」を暗示するような、車体番号チックな数字が書いてあった~~




さて一体、これで、「何へぇ」くらい貰えるのかな…


まぁ、ここまで記事を読み切った人がいれば、の話だが(爆)




(太陽電子「ブルートレイン」の項、了)

ボーナスショップ(ECJ、4号機)

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1997年(平成9年)にECJ(エレクトロコインジャパン)から登場した
Aタイプ4号機「ボーナスショップ」(B-SHOP)




★ボーナス確率

         Big Bonus   Reg Bonus
設定1   1/292.5     1/327.6
設定2   1/277.6     1/321.2
設定3   1/264.2     1/309.1
設定4   1/248.2     1/309.1
設定5   1/244.5     1/303.4
設定6   1/240.9     1/260.0


★払い出し表




★リール配列





本機に思いを馳せるたび、新宿・歌舞伎町の今はなき、
「パチスログリンピース・新宿タワー店」のことを思い出す…。


(在りし日の新宿グリンピ、タワー店)


「歌舞伎町」といえば、90年代前半の学生期を、パチ・スロ三昧で過ごした「戦地」なのだが、
本機が出回った1997年~2000年当時は、丸の内界隈で働く只のサラリーマンだったから、
学生時代のように自由奔放に、まる一日「歌舞伎町めぐり」をする事も、出来なくなっていた。

それでも、仕事終りに電車やタクシーで、歌舞伎町まで足を伸ばす機会は、意外と多かった。

そんな時は、決まって、このタワー店のボーナスショップのシマに直行。夕方から閉店まで
ガッツリと打ち倒しては、仕事のストレスを発散した。

(休日、歌舞伎町のハシゴをする時は、タワー店の他、西武新宿駅前のエスパス日拓チェーン、
コマ劇前のオデヲン、セントラルロードのモナミに宇宙センターにエルニド1にスターダストNEO、
エビ通りのエルニド3、仲見世通りのBIS-II、さくら通りのグリンピース5にトップスなど、
カネとヒマの続く限り、これら各店を飛び回った。西武新宿駅前のスロ屋「マイリバー」は、
まだこの時期だと健在だったかな…。ある時期、靖国通りに「マリオン」という地下の店が
オープンした事もある。今では、随分と店が減ったなぁ…)




新宿・東口エリアと歌舞伎町に挟まれたメインストリート、「靖国通り」に面したタワー店は、
高設定営業ゆえの朝の行列や、賑やかな店員のマイクパフォーマンスでよく知られた。

1F入口の左脇には、小さな階段とエレベーターがあり、その先のB1F~5Fの各フロアは、
割と古めの台から最新機種まで、多種多様なラインナップ。それが、店のウリでもあった。

で、肝心のボーナスショップは、この店の3階にあった。階段を上り、フロアに入って、一番奥の
壁付きのシマ一列に、7台置いてあった。背中のシマは、CT機の「ウルトラマン倶楽部3」。

また、同じ3階フロアには、「チェリー12X」や「ウルフエムX」など、アルゼ系(ユニバ系)の
香ばしいCT機もあった。今思えば、何とも贅沢なラインナップである。


本機のシマに通った時期は、1998年~2001年頃。初見で4000枚オーバーも出てしまった事が
尾をひいて、その後は、歌舞伎町に出向くと、このシマで本機に触っておかないと気が済まない、
ちょっとした「中毒症状」が出ていた。


(初見の時は、こんな感じで、ジェットにタップリと流したっけ…)


加えて、「いつも、さほどハマらず、低投資でボーナスを引ける=遊びやすい」という
相性の良さも、このシマに通う動機になっていた。

ただ、それを過信したあまり、あるとき、中ハマリ⇒バケの繰り返しで、ビッグ間で
1500ゲーム以上もハマって、そのまま閉店して、半ベソかいて帰路に着いた事もある。
まぁ、若気の至りというヤツだ。




遅ればせながら説明すると、本機は、先行機「ゲッターマウス」の後ガマとして、1997年に登場。

リール配列は共通だが、リーチ目は大きく異なる。両者は、完全に別の機種と思った方がよい。

なお、「ライトアランプ」(瑞穂)も配列が共通。しかし、ライトアランプはゲッタマを踏襲しており、
本機とは一線を画する。


本機のデビュー時期は、「1997年11月」とされるが、これは正式導入の時期。

その4か月前の7月、都内・神奈川の一部店舗で、すでに先行導入(テスト導入)されている。



さて、本機のモチーフは、西洋将棋ともいわれる「チェス」である。

「紳士の国」と言われる英国の遊技機メーカー、ECJらしい発想といえよう。

一種独特ともいえるチェスの世界観は、筐体や図柄にも、しっかり反映されている。


下パネルに描かれた、小洒落た「B-SHOP」のロゴ。

個人的に、グリンピタワーと記憶が直結する、香ばしいデザインだ。

本機の正式名称は「ボーナスショップ」だが、パネルでは「ビ(ー)ショップ」と読める。

これが、チェスの駒「ビショップ(Bishop)」に引っかけた名である事は、言うまでもない。

ロゴの真下には、赤いチェスの駒が3つ並んでいる。恐らくは、「ビショップ」を模した駒だろう。


さらに、パネルの一番下には、以下のような「英文メッセージ」も、さりげなく添えられている。


"Enjoy the artsitic etude of this intellectual game ・・・ The Chess !!"

(訳:「チェスという知的なゲームの、芸術的なエチュードをお楽しみあれ。」)


「エチュード(etude)」というのはチェス用語で、いわば、戦いの最終盤における、
「寄せ手筋」のこと(詰将棋的な意味)。時には、それが芸術的な詰み筋になる事もあり、
しばしば「鑑賞」の対象となる。また、そうしたエチュードを集めた「作品集」というのもある。
(将棋の「詰将棋集」のようなもの)


つまりは、毎ゲーム、リール窓に出てくる「3ライン×リール3本」の9図柄を、終盤戦の
寄せ合いでアツく盛り上がる、チェスの「盤上」に見立てた訳だ。なかなか風流な試みである。


それから、図柄についても、冒頭で紹介した通り、ビッグが「赤7」と「白7」の2種類。いずれも
チェスの駒に因んだデザインだ。赤7は、駒と「B-SHOP」のロゴ。白7には、赤い馬の絵。

一方、バケは緑と黒の「ROOK」。さらに、リプレイ図柄には、「ポーン(Pawn)」と呼ばれる
小さな駒の絵が描いてある。


ここで、「チェス」がイマ一つピンと来ない方の為に、全ての駒を、
お馴染みの「将棋」に置き換えてみよう。




まぁ、完全な対応関係にはないが、大まかにいえば、上記のような関係といえる。

計6種の駒のうち、本機では、「赤7=ビショップ(Bishop)」、「白7=ナイト(Knight)」、
「BAR=ルーク(Rook)」、そして「リプレイ=ポーン(Pawn)」と、それぞれ対応。

各駒の動きには、それぞれの特性があるが、面白いのは、白7の「ナイト」だ。これは、
将棋でいう「桂馬」の動きに近いが、桂馬と違って、8方向に移動できる。また、動く際は、
「直進2コマ+左右何れかに1コマ」の、「3マス移動」となる。

実は、このナイトの動きも、本機のリーチ目に「反映」されている。

本機は、一見ハズレ目にしか見えない、「左・上段(下段)白7⇒右・中段白7」のズレ目が、
ボーナス確定目である。
その白7は「ナイト」に対応するが、左リール上段/下段の白7を、チェスの要領で
「3マス移動」させれば、自然と右リール中段に辿りつく。逆に、右リールが起点でも、結果は同じ。

かくして、マニアックな左右の白7ズレ目も、チェスの駒の動きに因んだものだと判る。




こうした独特なモチーフに加えて、本機は、変則的なリール制御や、出目の豊富さでも知られた。


当時、台のベットボタン脇には、メーカーが発表した「リーチ目シール」が貼られていたりしたが、
基本的出目の多いシールにも、興味をそそる「まにあっく」な目が幾つも入っていた。

それを再現したのが、コチラ。



(あまり正確な再現ではないが…当時、こういった手合いのリーチ目表(シール)が、
各台の手元や頭上に貼ってあった)


ユニバ系定番の「チェリー付きボーナスのチェリーハサミ目」や、「3連チェリー」、
「白7+ベルWテンパイのベルハズレ」、「中段リプレイのハサミテンパイハズレ」、
そして、例の「白7左右ズレ目」など。単純なようで、意外とパターンの読めない形も多く、
リール制御の奥深さを感じた。また、「2リール確定」や「小役ハズレ」の形も、非常に多い。


以下は、主なリーチ目の抜粋。



これでも、まだリーチ目の「一部」に過ぎない。全部あげれば、軽く300は超えてしまうだろう。


それと、右リールには、「白7・リプ・BAR」という強い形があった。原則的にいえば、
左上下段にボーナスがある時、右にこの目が止まったハズレ目は、ボーナスとなる。
また、左の上段or下段にベルが止まった時、中リールのベルこぼしがなければ、
右「7リプBAR」で入り。





ただ、私はさほどの「リーチ目マニア」という訳でもなく、どちらかと言えば、出来るだけ出目が単純に
なる箇所を狙い、時間効率を重視する一方、小役こぼしも極力防ぎ、しかも、フラグ察知は迅速に…
というタイプだった。

だから、グリンピタワーで本機と勝負する際も、常に、左リールは同じ箇所ばかりを狙っていた。

通常時、一定のリズムで打ち進み、ある瞬間、ふとしたリールの「異変」に気付いて、即座に
ボーナスを狙う…この繰り返し。

実に単純ではあるが、逆にシンプルだからこそ、「連チャン」「爆裂」云々ではなくて、
純粋に、スロットを「遊技」として楽しめたともいえる。

本機は、2000年を過ぎて、大量獲得機や爆裂AT機が出回るようになっても、
グリンピのタワー店の同じフロアの同じシマに、根強く置いてあり、私も末期まで打った。

スロットが「インフレ」状態だった時でも、本機のようなA-400タイプで、大いに満足できたのだ。



さて、私が使っていた通常時の手順だが…
「左上段に、下にチェリーの付いたBAR(Rook)」を狙う、というもの。

コイン持ちアップに資する「小役狙い」(DDT、KKK)を行う際に、チェリーこぼしを防ぐ為、
左リールに、チェリーの下にある「白7」を狙うのが、一般的によく使われた手順だ。

ただ、この手順では、左リールに「ベル」が止まる機会が増える。本機は、ベルが中リール、
右リールともに2つしかなく、中と右でベルをこぼし易い。そこで、左に極力ベルを出さない
打ち方が、個人的には好みだった。

その為、私は上記した、「下チェリー付きBAR」のポイントばかりを、ひたすら狙っていた。

ここを狙えば、通常の出目やリーチ目が大いに単純化されて、フラグ察知が素早くなる。
さらに、取りこぼすチェリーとベルの両方をカバーできるし、左にベルが止まることが、
白7狙い時よりも減るので、目押しの負担も減るなど、何かと都合が良かった。

ただ、「出目がワンパターンになる」副作用もあったから、「リーチ目マニア」と称する人には、
あまり、おすすめ出来ない方法だ。



以下、私が現役時に使用した、通常時・小役狙いの手順(順押し)。








では最後に、技術介入性を有する本機の大きな特徴でもあった、
ビッグ中の小役狙いとリプレイハズシ手順を紹介して、本記事を終わる。


・1、2回目の小役ゲームは、上記した、「通常時・小役狙い打法」(順押し)を実行。

・3回目は中押し。小役狙い時は「中⇒左⇒右」の順、ハズシ時は「中⇒右⇒左」の順で狙う。

・3回目の小役ゲーム、残り10ゲームになったら、再び通常時・小役狙い(順押し)に戻す。

・ハズシ効果は、オヤジ打ち比でプラス25枚
(通常8枚のプラムが、ビッグ中は10枚に増える)





昭和文化遺産、新宿ゴールデン街を守れ

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皆さんもご存知の通り、先日、新宿・歌舞伎町の飲み屋街の名所、
「新宿ゴールデン街」にて、昼下がりに忌わしき火災が発生した。


今も、昭和の面影を色濃く残す、現代のタイムスリップゾーン。
古くから、多くの文化人、著名人も訪れる、都会のオアシスだ。

また、近年では、かつてのゴールデン街の姿を知らない若年層や、
外国人観光客にも、絶好の人気スポットとなっている。
(空き店舗に、若年層向けの店がオープンするケースも増えた)


各地で再開発の流れが進み、古い名所や建造物が次々と消える中、
あの猥雑で、前時代的な雰囲気が残るのは、ある意味で「奇跡」といえる。


私自身、’90年代前半の学生時代は、大好きだったパチ・スロの「ハシゴ」で、
歌舞伎町を端から端まで駆けずり回った。その頃、パチ屋・スロ屋が20ほどあったが、
今や、その多くがクローズとなっている。

当時は、ゴールデン街の入口、カプセルホテルの1Fに、「大番」というパチ屋があり、
ここで勝負した後、火照った熱を冷まそうと、裏手のゴールデン街の路地を、よく歩いた。

別に、店に入って飲む勇気も甲斐性も無かったが、酔客に混じって、あの狭い界隈を
ブラブラするだけで、不思議と心が落ち着いた。或いは、昼過ぎの閑散とした路地の闊歩も、
妙に気持ち良かった。



そんな思い出のゴールデン街の一角で、突然起こった今回の火災に、やはり心が痛む。
(ダウンタウンの松ちゃんの番組でブレークした、あの「野見さん」が店長を務める店も、
火災の被害に遭ったという…)


新宿界隈での火災といえば、1999年に起きた、西口「思い出横丁」の大火事が有名。
この火災で、ふじしん、かわち、三角といったラーメン店はじめ、多くの店が姿を消した。

私は、火事のすぐ後に現場を訪れたが、視覚的な記憶もさることながら、辺り一面に漂う、
異様な「焦げ臭さ」が、今もハッキリ思い出される。


また、2年後の2001年には、歌舞伎町・一番街通りの「明星56ビル」でも大火災があり、
テナントだった麻雀ゲーム店や風俗店の客・従業員など、多数の犠牲者を出すに至った。

この火災の数日前、私はスロの勝負終りに、現場の隣のビル地下に入ったゲーセンで
遊んでいたから、決して他人事とは思えない。


その後も、新宿駅周辺や歌舞伎町の界隈では、たびたび大小の火災が起きていて、
火事の報せを聞くたびに、「現場は何処だ?思い出のエリアは無事か?」と気を揉んだ。


今回のゴールデン街の火災は、消防の懸命な活動も功を奏して、全焼は「3棟」だった。
放水車も入れない路地に、300もの小店が密集する地帯。にも拘らず、大きな延焼もなく、
被害を最小限に食い止めたのは、不幸中の幸いだろう。当日、風が弱かったことも大きい。


当初、火災の原因は、火元となった建物2Fの、「電気系統トラブル」との見方が有力だった。

実際、2Fは店舗の改装工事の真っ只中。電気配線の業者も、頻繁に出入りしていたという。

老朽化した配線のショートが、火災に繋がった…こんな話で、事態は収拾するかに思われた。


だが、防犯カメラの映像解析で、火災発生の前後、不審者が火元の建物付近をうろつく姿が
確認されると、一気に放火の疑いが強まった。そして間もなく、被疑者逮捕と相成った訳だ。

捕まったのは、60歳代の男。路上生活者。

火災直前、火元の建物に侵入した事を、既に自供している。


この情報だけでは、まだ「放火」と断定できないが、状況から、十中八九、この人物の犯行だろう。


「ようやく犯人が確保されて、一安心…」との向きもあろう。


だが、私は、そう思わない。


単なる路上生活者が、昼間のゴールデン街にわざわざ出向き、空き部屋に忍び込んで、
火をつけて逃走…というのは、どうにも突発的すぎて、腑に落ちない部分が多い。

ホームレス生活にも行き詰った被疑者が、「このまま野垂れ死にするなら、付け火でもして
牢に入り、三食・寝床付きを確保した方がマシだ」と思い詰めて、犯行に及んだ可能性も、
無いわけではない。

ただ、それなら放火などせずとも、無銭飲食あたりで捕まった方が、リスクも少ないだろう。

放火は重罪、下手すれば「死刑」まであり得る。

単に「三食・寝床付き」を得る為、そこまでのリスクを冒す覚悟があるとは、到底思えない。


うがった見方かもしれないが、ひょっとして、この男、誰かにかなりの大金を掴まされた上で、
ゴールデン街への放火を、「依頼」されたのではないか?


実際、東京五輪を数年後に控えた現在、都心エリアの再開発の波は、一段と強まっている。

こうした中で、地上げ業者などの「黒幕」が、新宿の一等地にデンと構える、古く昭和然とした
ゴールデン街の存在を、日頃から疎ましく思っていても不思議はない。

だから、「手駒」として使いやすい路上生活者を、金銭や物品で取り込んで、自らの計画を
代行させた可能性もあろう。

今回捕まった60代男は、現場をうろついていた際、かなり酒に酔っていたという。

彼が小心者で、これから依頼された「大仕事」を実行するのに、シラフでは到底無理だから、
酒をかっくらって、気を大きくして現場に出向いた…と考えても、おかしくはない。


ただ、今回の火災の規模では、「黒幕」の計画とすれば、「首尾よく成功」とは言えないハズ。

ならば、今後、第二、第三の「刺客」を差し向けてくる可能性も、大いにあろう。

今後は、防犯カメラの増設、見回りや声掛けなど、不審者を遠ざける一層の努力が必要だ。



今回の一件で、ゴールデン街で働く方々の防災意識は、さらに強まったと思う。
(常日頃、火災への意識が強い事を知っているので、「さらに」という言葉を選んだ)

加えて、上記した「陰謀説」も頭の片隅に残しておけば、防犯意識もいっそう高まろう。

単なる「取りこし苦労」かも知れないが、「可能性」としては、決して捨ててはいけない。

あの界隈の「一掃」を本気で目論む勢力が、いないとは言い切れないのだから…。

被疑者逮捕に気を緩めることなく、今後も、さらなる防犯、警戒に当って欲しい。



かつての歌舞伎町のシンボルだった新宿コマ劇場が消えた今、
「古きよき、歌舞伎町」の象徴として残り続ける、唯一無二の存在。
それが、「新宿ゴールデン街」である。


まさに、「昭和文化遺産」に他ならないこのエリアを、未来永劫にわたって残すべく、
これからも、地域一丸となって守って欲しい、と切望する次第だ。
国民全体の協力と監視のもとに。

いらっしゃい(奥村遊機、ハネモノ)

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~はじめに~

今般の熊本・大分を中心とする九州地方の地震により、
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げると共に、
被害に遭われた方々に、謹んでお見舞い申し上げます。

被害甚大で余震も多く、天候も不安定な現況に鑑みて、
更新の当面の「自粛」も考えましたが、むしろ、こんな時こそ、
いつも通りにレトロ情報を皆様に発信して、元気を取り戻す
一助になれば…と、記事掲載を決めた次第です。

そんな訳で、今回は、コチラの懐かしい機種を振り返ります。








1991年(平成3年)に奥村遊機から登場した、
初期・新要件ハネモノ「いらっしゃい」


「たこ焼き(屋)」をモチーフにした、ユニークなハネモノ。


当時の「たこ焼き」モノといえば、三共から出た旧要件ハネモノ
「タコヤキSP/DX」(1990年登場)が、多くのファンに知られていた。


(三共「タコヤキSP」のヤクモノ)

コチラは、鉄板を模したステージ上の6穴に、玉がスッポリと収まったり、
穴から勢いよくジャンプした玉が、Vにアプローチしたりといったコミカルな挙動が、
ハネモノファンに支持された。ヤクモノ奥で左右に回転するオヤジキャラも特色。
まさに、旧要件末期の「名機」といえよう。


本機は、この「三共タコヤキ」が出た約1年後、新要件初期に当る、1991年の秋頃に登場。

時系列的に見て、三共タコヤキに、何らかの「インスピレーション」を受けた台と思われる。


賞球は「5&10」と控えめ。ただ、その割に、さほどV入賞率が高くない印象も残る。

スペック上、店としては釘をアケ易かったと思うが、肝心のV入賞率は、ヤクモノの
「クセ」(デキ)に、大きく左右されたのも事実。

その為、同じシマに通っていると、頻繁にVを射止めるような、「お宝台」に気づく事もあった。


因みに、同時期に出た兄弟機「いらっしゃい2」は、賞球「7&13」で出玉が多い反面、
ハネ開閉時間がやや短めで、V入賞率は、本機よりも抑え気味になっていた。


奥村「いらっしゃい2」
(1991年登場の兄弟機。賞球や盤面に加えて、ヤクモノキャラも異なる)











本機のヤクモノ奥では、やたら愛想のよい、鉢巻き姿のオッチャンが待ち構える。
(兄弟機「いらっしゃい2」を仕切るのは、もっとベテランで高齢と思しきジイサン)


この、いかにも「テキ屋」風なオヤジが、手元(と足下)の鉄板で、名物タコヤキを焼いていた。


「一皿、300円」。地域や個数にもよろうが、今の相場と、さほど変わらない気もする。


左のハネから入った玉は「ソース味」、右から入ると「しょうゆ味」に仕上げてくれた。


また、「特大タコ入」とあるように、具材サービスもバッチリの、太っ腹なオヤジ。

(但し、当時のテキ屋は、このテの謳い文句を、見事に裏切るパターンも多かった)




それから、本機は、ヤクモノが「上下二段構造」になっていたのも、大きな特徴だ。

この点、一層構造だった三共・タコヤキとは、大いに異なる。


ハネに拾われた玉は、まず、上段手前のステージを奥に転がり、
最奥部のオヤジが握る、小さな「鉄板」の上にアプローチする。

画像だと、鉄板の存在に気付きにくいが、オヤジの手元では、「手前、奥」と
タテに2穴の開いた鉄板が、左右それぞれの手に、しっかり握られていた。

(因みに、オヤジの手前で、横に4つ並ぶ緑の穴は飾り)

この鉄板の各穴(計4つ)が、通常時、大当り時ともに、ヤクモノの玉を「一時貯留」した。


但し、上段の鉄板は、「タコヤキ器」というよりも、「今川焼」(回転焼、大判焼)の鉄板とでも
言うべき構造だった。即ち、ハネ開閉後、中心を軸に、外側へクルッと返る動作を、一定間隔で
二回繰り返したのだ。よって、一時貯留された玉も、鉄板の回転と共に、下段両脇に落ちる。

いわば、タコヤキの「第一工程」が終わって、出来たネタが下段に落ちる…といった感じだ。


その下段ステージは、一応、タコヤキの鉄板を模していて、「奥4つ、手前1つ」と、
穴が5つ開いていた。三共・タコヤキに因んだ構造だが、穴の配置と数は全く異なる。

まぁ、前後で穴の数が異なるたこ焼き器は、あまり「オーソドックス」とはいえまい。

(本機…奥が4穴、手前センター1穴の、計5穴。三共タコヤキ…奥3穴、手前3穴の、計6穴)


いずれの穴も、三共タコヤキ同様、内部に「突起」が仕込んであり、通常時、下段の各穴に
入った玉は、可動する突起の力で外に押し出されると、そのまま手前に転がり、手前中央の
Vゾーン、或いはV両脇のハズレに入る仕組みだ。


もしも、上段で鉄板の各穴に一時貯留されると、下段に落ちた後、奥側の両脇2穴に入り易い。
但し、この2穴から押し出されても、真っ直ぐ手前に転がる事が多いから、大半は、V両脇の
ハズレに取られてしまう。

一方、上段の鉄板が外に返っていないタイミングで、左右の鉄板の間にうまく乗った玉は、
鉄板の間のミゾを伝って奥へ転がって、オヤジの手元に到達する。その手元から真下に
落ちると、下段ステージ中央奥から、手前V方向に真っ直ぐ戻ってくる。こうなれば、進路上の
V手前にある一穴に入り、中の突起に押し出されて、Vを射止める可能性が高い。

なお、両鉄板の間の「ミゾ」が広い程、玉が安定して大当りし易い…という、クセの良し悪しも存在。


つまり、初当りにおいては、上段で鉄板の各穴に取られずに、両鉄板の間に乗って、
オヤジの手元を経由した後、下段奥から手前に真っ直ぐ戻るのが、王道パターンとなった。


但し、ヤクモノに玉が複数入った場合、上段の一時貯留玉が下段両脇に落ちてハズレ濃厚でも、
下段奥の穴に入った玉が押し出された後、互いにぶつかり、角度を変えてVに決まる事があった。

また、下段各穴の内部の「突起のクセ」がいいと、ハズレ易いはずの奥側の両脇2穴から
押し出された玉が、なぜか中心方向に転がって来て、Vに入るケースが増えた。
レアケースではあるが、こういうお宝台に巡り合うと、初当り率もV継続率もアップした。


逆に、王道である「上段センタールート」(鉄板の間に乗るコース)でも、クセ悪だと、オヤジの
手元に向う途中、玉の勢いがなくなって、手元に辿り着く前に鉄板がクルッと回ってしまい、
そのまま下段両脇に持っていかれて、Vをハズすケースが増えた。

それと、これもクセ悪だが、折角オヤジの手元から落下しても、下段で玉が左右に流れたり、
V手前の穴に入った玉が、突起に押し出された後、フラッとVを逸らしてしまう事があった。
これは、「穴の突起のクセ悪」ないし「下段ステージの傾斜」などによる。




首尾よく大当りすると、オヤジが手に持つ上段の「今川焼」チックな鉄板が、ハネ開閉に
合わせて「外に裏返る⇒元に戻る」動きを繰り返す。すると、鉄板の穴に一時貯留された玉は、
鉄板がひっくり返る度に下段に落ちる。

また、大当り中は、下段ステージの穴の突起も、貯留解除まで引っ込んだままとなる為、
下段の各穴に、最大5個まで貯留可能となる。

その後、ヤクモノ9カウント後、又は15回ハネ開閉後、貯留は全解除。

この時、下段ステージV手前の一穴(センター穴)に貯留があれば、解除時に手前に
押し出された玉がまっすぐVに転がって、比較的容易に継続できた(クセ悪を除く)。

ただ、手前の一穴に入れるには、奥4穴のうち、内側2穴へ貯留させる事が大切だったから
(この2穴が埋まると、手前穴に貯留し易い)、大当り中、下段に落ちた玉が内側の2穴に
貯留しづらいと、継続率は一気に低くなる。

また、先述の通り、手前穴の「突起のクセ」が悪いと、貯留解除後、手前穴から
Vに転がった玉が、あっさりVを外してパンクしてしまう。

概して継続率は良好だったが、たまたま当った台が、こういうクセ悪だと苦労した。


なお、大当り時は、当時の大ヒット曲「踊るポンポコリン」や、往年の名ナンバー
「およげ!たいやきくん」を彷彿とさせる、華やかなBGMが流れたのも、印象深い。






★当時、奥村「いらっしゃい」を打ったホール



(C)google/ストリートビュー

小田急線・向ヶ丘遊園駅(南口)の改札左手奥にあった、「プラザ」跡地。
後に、「ハトヤ向ヶ丘遊園」となったが、既に閉店して、現在は、レンタルビデオの
ツタヤが入っている。

そういえば、当時、向ヶ丘遊園駅の南口改札前では、香ばしいテキ屋の兄ちゃんが
しょっちゅう屋台でタコヤキを売っていたから、遊園で一勝負した後、小腹が減ると、
ここで1パック買ってから、近くのベンチに座って、軽食タイムを取ったりした。

因みに、本機が置いてあった時期、「プラザ」には、スロ2号機「リバティベルIV」の
青パネルが置いてあり、まだしっかり5G連していたから、安銭で美味しい思いもした。



(C)Google/ストリートビュー

新宿駅西口・大ガード手前にあった、「ニューミヤコセンター」跡地。
現在は、パチンコ「カレイド」が入った、綺麗な商業ビルに変貌。

ニューミヤコは、チューリップ台(平台)、ハネモノ、デジパチ、権利物、一発台と、
機種の種類も台数も豊富で、新宿という立地にしては、良心的な営業をしていた。

また、店の奥には、コンビニと見まがうほど充実した景品陳列コーナーがあって、
ハネモノやチューリップ台で500~600発程度しか出なかった時でも、
文庫本やCD、お菓子にレトルト食品など、その時々に必要だった品に代えた。

それと、自分はタバコを吸わないが、この店は、ドル箱を置く手元のレールに、
タバコの吸い殻を入れる丸穴が、ダイレクトで開いていたのが、妙に印象に残る。

また、換金所の場所が、店からエラく遠く離れており、探しにくかったのも思い出深い。

因みに、本機が入っていた91年末、スロではアポロン(北電子)の白パネルが
入っていたのだが、なぜかいつも満席で、なかなか打つ機会に恵まれなかった。
その為、当時、近場の歌舞伎町などで出回った、「5連アポロン」かどうかは、今も不明…。


マジックマガジン(田山幸憲プロの「ペンネーム」)

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マジックマガジン

(マジックマガジン社発行)


約40年前、1975~1976年(昭和50~51年)に出回った、青年向け月刊誌。


創刊は1975年8月。当初は隔月誌だったが、第3号から月刊化となり、
その後、1976年6月の第9号まで発刊。以降は休刊となっているから、
かなりの短命に終わった「マイナー雑誌」といえよう。


「マジック」とはいっても、別に、手品ファン向けの専門誌…という訳ではない。

クロスワードなどのパズルゲームやクイズなど、「紙媒体」のゲームや遊びを
メインに掲載。それらに加えて、漫画や劇画、コラムなども、あれこれと載っており、
若者向けに作られた、いわゆる娯楽雑誌の類である。

ただ、普通の雑誌とはちょっと違っていて、この雑誌の毎号の「付属品」として、
「マジック・ペン」という名の、一本の怪しげな「サインペン」が添付されていた。

その使い方はといえば、パズルやクイズの「空欄部分」をマジック・ペンでなぞると、
特殊印刷による「見えないインク」で書かれた箇所に、文字やマークが浮き上がり、
読者はゲームをさらに楽しめる…といった趣向である。いわば、「隠し絵」的な手法。

また、漫画の「ふき出し」の一部が空欄だと、そこをマジック・ペンでなぞって、
何らかのセリフが浮き出る…といった仕掛けもある。

つまり、雑誌タイトルの「マジック」というのは、決して「手品」の意ではなく、
「マジック・ペン」を使って楽しむ雑誌…という意味で使われている。

立ち読みではなく、実際に雑誌を買った人のみ、最後まで楽しめる内容となっているのだ。



ところで、当ブログが、40年も昔に創刊されて、たった1年ほどで廃刊となった
マイナー雑誌を、わざわざ皆さんに紹介するのには、それなりの訳がある。


実は、この「マジックマガジン」誌、かの「田山幸憲」プロと、深い関わりがあるのだ。


今さら説明するまでも無く、田山さんは「東大中退」の経歴を持つ異色のパチプロで、
さらに「文筆家」としても広く名を知られた、今や伝説的な存在である。

私もそうであるように、氏の名著「パチプロ日記」に感化された人間は、非常に多い。

一軒のパチ屋をネグラにする、「ジグマ」生活に裏打ちされた「9割」必勝法。それが、
「タテの比較」と「パターン認識」。この二本柱をベースにしたのが、「田山理論」である。

池袋、溝の口、桜新町、青葉台、用賀…舞台は様々に変遷したものの、その店々で
田山さんが発信した、ジグマとしての「生の立ち回り」は、読んでいて臨場感タップリ。
変に飾り立てる事もなく、簡潔で人間味溢れた文体が、多くのファンを虜にした。

また、著者である田山さん自身の、朴訥で実直な人間性を、心から慕う人も多かった。

だが、2001年7月4日(ナナシーの日)、舌癌との闘病中、心不全で逝去。享年54歳。



ところで、件の「マジックマガジン」誌が世に出た「1975年」といえば、私はまだ4歳。
もちろん、パチンコの「遊技」とは無縁で、日々、幼稚園で「お遊戯」をしていた頃だ。
したがって、このテの娯楽雑誌の存在など、全くもって知る由もない。

そんな私が同誌を知った契機は、他ならぬ田山さんにまつわる、一冊の「書籍」だった。

それは、白夜書房から1997年に出た、「田山幸憲パチプロ日記Before」という劇画。
(同社の「漫画パチンカー」連載の同タイトル作品を、単行本化したもの。全3巻)


(C)田山幸憲、橋野健志郎、伊賀和洋、白夜書房


東大在学時から退学までのパチンコとの付き合いや、様々な人間関係、さらにその後の
「パチプロデビュー」といった、若き田山さんの「泥臭い青春期」を描いた秀作である。

ネグラのS店(池袋・山楽)で出会ったプロ達(不敗のノッポ、あと番のキザ助etc)に
まつわるエピソードも、実にリアルで面白い。原作者、田山さんの波乱万丈な生き様を、
橋野氏の優れた脚本と、伊賀氏の迫力ある劇画でまとめ上げている。


この劇画の第2巻の巻末において、原作の田山さん自身が、「雑感」の題で
特別寄稿をしており、その中で、件の「マジックマガジン」にも言及している。


それによると、田山さんが「文筆家」としてデビューしたのは、昭和40年代後半で、
28歳くらいの時。スポーツ紙で「食べどころ・飲みどころ」の連載を書いていた知人が、
その「アト釜」を田山さんに依頼。当時、プロ生活に行き詰まりを感じていた田山さんは、
「渡りに船」と承諾したものの、やがて担当者から、「パチプロなら、パチンコの事を
書いて欲しい」と頼まれて、「儲けのテクニック」というパチンコ記事の新連載を開始。
その連載の終了から少しして、「マジックマガジン」誌の編集者が田山さんのもとを
訪れて、同誌への連載を依頼。この連載記事は1年ほど続いたものの、やがて、
編集者は独立し、自ら編集プロダクションを設立。その際、パチンコ単行本の執筆を
田山さんに依頼したことで、名著「パチプロ告白記」の執筆、出版に至った…。

とまぁ、こんな感じである。

この辺のエピソードは、劇画「パチプロ日記」(小池書院、全4巻)の第2巻にも出ている。
ただ、劇画では「儲けのテクニック」を見た「友成」という編集者が、いきなり田山さんに
単行本の執筆を依頼…という形になっている。しかし、実際には、その「友成」氏が
独立前、編集部にいた頃の「マジックマガジン」誌で、田山さんが連載を1年続けていて、
それが、単行本出版の「布石」となっていたのだ。

実際、マジックマガジンに掲載された記事は、再構成や加筆・修正がなされたものの、
その大半が、単行本「パチプロ告白記」に収録されている。いわば、数編の連載記事が、
単行本全体の「ベース」になっている感じだ。

なお、上記は、1974年~1977年頃の話。まだ、上皿付き・手打ち台の時代だが、
電動ハンドル台も、徐々に増えてきた辺りである。デジパチやハネモノはまだ無く、
天下穴にセンター役物、両オトシとヘソ、そして両サイドといった、シンプルな構成の
チューリップ台が中心。「プロ」が狙っていた箇所は、ブッコミや天釘の中2本がメイン。



それから、2000年(平成12年)に出た田山さんの著書、「パチプロけもの道」(幻冬舎)の
「まえがき」にも、やはり「マジックマガジン」に関する同様のくだりがある。

(C)幻冬舎

コチラは、例の「パチプロ告白記」(1978年)と、その9年後に出版された
「続・パチプロ告白記」(1987年)の二冊(共に三恵書房)を一つにまとめる形で、
再構成及び加筆・修正の上、出版されたもの。

「~告白記」と「続~」は、共にプレミア価値が高く、なかなか手に入らなったので、
それを合体した体裁の「~けもの道」(文庫版)が出た時は、非常に嬉しかった。

(但し、クギに関する解説など、時代にそぐわない部分は、そぎ落とされている)




こんな感じで、田山さん関連の書籍を通じて、「マジックマガジン」誌の存在を知った私。


当然ながら、「マジックマガジンってのは、一体どんな雑誌だろう?田山さんの連載は、
どんな内容だったんだろうか?」と、強く興味が湧いたのだった。

しかし、40年も昔のマイナー誌。「現物」にお目見えする機会など、これまで全く無かった。

だがそんな折、ひょんなことから、雑誌の現物と接する機会に恵まれたのだった。

さっそく、雑誌の「目次」に目を通してみると…



(マジックマガジン第7号、目次より)


あった、あった。40年前の、貴重な田山さんの連載コーナーの「見出し」である。

タイトルは、単行本のタイトル同様、「パチプロ告白記」となっている。

単行本は、この雑誌の連載終了後に出版された訳だから、本のタイトルも、
コチラの連載が元であることが判る。


ただ、タイトルの右横にある著者の欄には、激しい違和感を覚えた。


田山…幸…巻?

「巻」?

「まき」?「けん」?「かん」?


ご存知の通り、田山プロの下の名前は「幸憲」(ゆきのり)なので、
ここに出てくる「幸巻」というのは、どうもシックリこない。

これは、単なる「誤植」だろうか…。


確かに、幸憲の「憲」の字は、「けん」とも読める。

一方の「巻」も、「席巻」(せっけん)、「巻雲」(けんうん)など、「けん」と読ませることがある。

だから、写植の段階で、「憲」と「巻」を取り違えてしまった可能性も、
あながち無い訳ではない。


そう思いつつも、何となくソワソワした気持ちで、肝心の
「本文」が書かれたページを確認したところ…


(マジックマガジン第7号より)











うーん、やっぱり、コチラも「幸巻」になっている。

(著者、作者でなく、「告白する人」というのが面白い)


目次だけなら、単なる誤植もあろうが、本文もこうだと、そう思えなくなってくる。


そこで念の為、マジックマガジン誌の「全号」について、記事内容をチェックした。


 
(第3号)1975.11             (第4号)1975.12

 
(第5号)1976.新春               (第6号)1976.3


(第7号)1976.4

 
(第8号)1976.5             (第9号)1976.6


★1975~1976年当時、「マジックマガジン」誌で連載した
「パチプロ告白記」のタイトル(全7回)

その1(第3号)…無題(パチプロとしての心得、クギの見方などを解説)
その2(第4号)…「平均四千個出す「不敗のノッポ」」
その3(第5号)…「木枯らし寒し、パチプロ稼業」(同業者の「マサ」が病死した事など)
その4(第6号)…「腕を上げれば、必ずもうかるパチプロ稼業」(オトシ部分のクギ解説など)
その5(第7号)…「祭事に無縁のプロパチ稼業」(プロ同士の「忘年会」がお流れになった話)
その6(第8号)…「クギの分らないプロ、あと番のキザ助」
その7(第9号)…「ある日、1通の結婚式への招待状が届いた。」
           (店で顔なじみの椎橋クンが結婚した話。いわゆる「ゴキ釘」の解説も。)

(第10号以降は休刊)




すると、どうだろう。

創刊号と第2号では、まだ田山さんの記事は載っていなかったが、
連載が開始された第3号から、休刊直前の第9号までの「全7回」、
すべてが「田山幸巻」名義になっているではないか。

これで、誤植の線は完全に消えた。

そして、これらの事実をもって、私は「確信」した。


1975~1976年、「マジックマガジン」誌で「パチプロ告白記」の連載を持っていた
田山さんは、自身の本名ではなく「ペンネーム」を使っていたのだと…。


実際、それを示唆するような既述が、記事中にあったので、引用して紹介。


「キミが、人様の前で 堂々と己の本名を名乗れるのは、すばらしいことだ。それは、
とりもなおさず、レッキとした 表街道を歩んでいるが為だろう。もちろん、このオレ様に
したって、幸いにも今日まで、これと言った悪事を働いていないおかげで、約それに
等しいふるまいができる。ところが、パチプロと呼ばれる人種の大多数は、あれや
これやの事情によって、我が身の詳細はもとより、その名さえ人に明かしたがらない
ものなのである。」

(マジックマガジン第7号、田山幸巻「パチプロ告白記」より)


これは、田山さんが池袋S店で出会った、「天国さん」というプロのエピソードを語る際、
サワリで書いた導入部である。この後、天国さんと仲の良かった田山さんが、ある時、
調子に乗って彼の「本名」をしつこく詮索したら、こっ酷く叱りつけられた…と続く。

これら一連の文で、私がピンと来たのは、「このオレ様にしたって(中略)、
約それに等しいふるまいができる」という部分。

「約それに等しい」の「約」という一文字に、田山さんの心情を、
何となくだが読み取れる。

つまり、「(自分の)本名を名乗る」というテーマがある中、他ならぬ田山さん自身が、
本名とはちょっと違うペンネームを使っていた為、「それに等しいふるまい」とは言えず、
「約それに等しい」という微妙な言葉を、選ばざるを得なかったのではないか。

別に、読者の大半は、田山さんの本名も知らないだろうし、気にもしていない筈だから、
そんな言葉の気づかいなど、不要だったかもしれない。だが、根が正直な田山さんは、
小さな嘘や誤魔化しも嫌で、「約」というキーワードを、わざわざ入れた気がするのだ。


まぁ、それはともかく、70年代半ば、マジックマガジン誌での連載があった当時、
田山さんの名義は「田山幸憲」ではなく、「田山幸巻」というペンネームだった事が、
今さらながら判明した。「田山史」における、一大発見かもしれない。


それでは、なぜ、「憲」の代わりに、「巻」という字を採用したのだろうか。

そもそも、なぜ田山さんは連載当時、こうしたペンネームを使ったのだろう。

やはり、「パチプロの告白」という、世間的には卑下たようなテーマを、
他人に見られたくない、田山さんなりの「負い目」があったのか。


…と、幾ら私が考えた所で、真相は、本人である田山さん以外、判らないだろう。


過去の著作を振り返っても、私の知る限り、この「ペンネーム」の存在について
言及した部分は、何処にもなかったと思う。


もしかすると、マジックマガジン誌への寄稿前、「儲けのテクニック」をスポーツ紙に
連載していた頃から、「田山幸巻」のペンネームを使っていた可能性もある。
今後、そのスポーツ紙の「現物」と接する機会があれば、ぜひ確認してみたい。




因みに、「幸巻」をどう読むかについては、正直、私もよく判らない。

「ゆきまき」「こうけん」「こうかん」など、色々と候補はあろうが、やはり真相は、
田山さん本人以外、知る由もないだろう。その田山さんも、鬼籍に入って久しい。

或いは、本名である「幸憲」は、音読みで「こうけん」となるから、
「幸巻」を「こうけん」と読ませたのかもしれないが…何の確証もない。

この点について、生前、田山さんと近しかった人達(スエイ編集長、モデルオノ氏、
安田プロなど)なら、何か情報をお持ちかも知れない。今後、さらなる情報が
出てくる事を期待したい。



では、今回はこの辺で。




※※過日、「平成28年熊本地震・災害義援金」を、日本赤十字社の口座宛に送りました。
微力ではありますが、今の自分に出来る事を、精一杯やっていきたいと思います。

ドリームジャンボ1(奥村、デジパチ)

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その昔、「ドリームジャンボ1」という名のデジパチに魅入られて、
妙にハマった事がある。

(@新宿・西口ガード傍の、今はなき「ニューミヤコセンター」)




25年前の1991年(平成3年)に奥村遊機から登場した、
初期・新要件デジパチである。

「宝くじ」を思いっきり彷彿とさせる機種名だが、
「ドリーム」は、当時の奥村の冠名だったので、
同社のみに許されたネーミングなのかもしれない。


本機は、「ドットは3ケタ」の常識を覆した、斬新な機種である。
通常3つのドットが4つ…それだけで、独特の存在感があった。


ただ、正確に言えば、本機登場の数ヶ月前、藤商事から「ターンバック」という
4ケタドットのデジパチが既に出ており、本機は、その「二番煎じ」的な存在。

それでも、ターンバックと並ぶ「4ケタドットの双璧」として、ホールで異彩を放った。


「パチスロの波」が謳い文句だった、藤商事「ターンバック」(1991年、新要件機)。
朝一のモーニングや、大当り後の数珠連チャンなど、実に怪しい挙動を見せたが、
正式な解析データは、とうとう発表されなかった(当時、パチマガが数ヶ月追ったが、
最終結論を出さぬまま放置)。向ヶ丘遊園・北口の「銀座ホール」でよく打った。
同一図柄の4つ揃いで大当りだが、「3、7」に限り、図柄が3つ出ればOK。
藤商事だけに、「モード移行方式」を採用していた可能性が強いが…。
因みに、確率違いの後継機「ターンバック3」(1991年)も登場している。



因みに、本機と同時期、なんちゃって9ケタデジタル「ランバダ」(大一)も登場。
オーソドックスな3ケタドットから脱却した、奇抜なデジパチが数多く出た時期だ。


大一「ランバダ」(1991、新要件機)。南米のダンスを意識した機種名と、横一列の
9ケタドットが話題に。但し、左、中、右のデジタルは、常に数字が3つ揃って
「シンクロ」して動く為、実質的に3ケタドットと変わらない。「体感器ネタ」も発覚した。




さて、90年代初頭の奥村といえば、旧要件機(10ラウンド継続、オマケチャッカー付)の
「ドリームX」「ローリング7」「マーブルX」や、初期新要件機(16ラウンド、オマケなし)
「ドリームEX」「マーブルDX」「パラダイス1」「リバティI」など、同社の定番ともいえる
3ケタドット搭載のデジパチが、何処の店でも好評だった。

名機ドリームXの大ヒット以来、「奥村モナコ」のドットのウケは良好で、その後継機も
安定した人気を誇っていた。まさに、奥村の「黄金期」といえよう。


私自身、赤色ドット独特の「チープさ加減」が好みだったから、パチ屋のハシゴで
こういった機種を見つけては、時間とカネの許す限り、勝敗不問で打ち倒した。


本機も、ドットの形状自体は、従来の奥村モナコらしい「赤いツブツブドット」だが、
そのドットが通常より1個多く並ぶと、何だか特別な存在に思えた。


仮に、私が昭和期からパチっており、ニューギンの「ニュースノーバーズIV」や
「エキサイトキングII(V)」といった、4ケタデジタル台の実戦経験があったなら、
ターンバックや本機に対しても、多少の「免疫」が出来ていただろう。
まぁ、上記ニューギンの二機種は、ドットではなく、「7セグ」な訳だが…。


ニューギン、エキサイトキングII、1988年、旧要件機。
同一図柄の4つ揃いの他、「7」なら3つ出ればOK。


だが、私は平成初めの「90年4月」にパチデビューしたクチで、デジパチといえば
「3ケタ」というのが、もはや当たり前だと思っていた。それがドットなら、なおさらだ。


「一風変わったドット」というと、例えば1990年に登場した、旧要件の保留連チャン機
「フィーバーボルテックスII」(三共)は、センターの2ケタドットと外周ルーレットが特徴。
だが、この台にしても、「3つ揃いで大当り」とするゲーム性は、従来機と同じであった。


三共「フィーバーボルテックスII」1990年、旧要件機。
図柄が揃って、ドットに大当りメッセージが流れる約5.6秒間に
チャッカーへ入賞すれば、対応する保留玉が約1/2で連チャン。
体感器、腕時計の攻略ネタも、後に発覚した。



また、’90年秋には、大一が「マジックセブンD」という一風変わったデジパチを
リリース。ルーレット状に配した、3つのドットデジタルが独特な動きを見せたが、
あの台とて、大当りやハズレを決めるメインの部分は、3ケタの赤いドットだった。


大一「マジックセブンD」(1990、旧要件機)。左、右、下の各ドットデジタルが、
ルーレットよろしく、互い違いの方向に流れる。この動きに目が慣れないうちは、
「デジタル酔い」を起こす。向ヶ丘遊園・北口の「ニューギンザ」でよく勝負した。
スペックが異なる兄弟機「I」「A」も存在。


そんなドットデジパチの「固定概念」をひっくり返したのが、本機より一足先に出た、
4ケタドットのハシリといえる「ターンバック」であり、それに追随した本機である。
当時、異色だった4ケタドットの「引力」に、グイグイ引き寄せられた事を思い出す。


因みに、ドットデジパチではないが、旧要件時代の1990年には、ニューギンから
「エキサイト123」というデジパチも出ている。「6ケタデジタル」が揃って大当りするのは、
本機以上に「異色の存在」ともいえるが、ドットではなく「7セグ」なので、やや趣は異なる。


ニューギン「エキサイト123」 1990年、旧要件機。
最終10ラウンドに玉を10個入れない「ノット10打法」
(10やあらへんで打法)で保留連チャン率がアップ。
新宿・歌舞伎町コマ劇前の「ラスベガス」でよく打った。



さらに、ターンバックも本機も、ニュースノーバーズやエキサイトキングと同様、
図柄が4つ並ばなくても大当りとなる、特別なパターンが存在したから、一寸した
「お得感」も味わえた。

ターンバックは、「3」「7」の2図柄に限り、デジタル4か所のうち、何処でも3つ出れば
大当りとなる。この台は、4つのデジタルが「左端」⇒「右端」⇒「内側2つ」の順で
停止するから、両端のどちらかに3か7が出れば、自動的にリーチがかかる。
さらに、両端が3、7のゾロ目だと実質的に「トリプルリーチ」状態となるから、
いっそう期待感を煽った(この時、リーチサウンドも変化した)。


一方の本機は、ターンバックと異なり、4つのドットが、一番左から順に1つづつ停止。

図柄は、左側2つのデジタルが、「1~9」の数字のみ(9図柄)。

一方、右側2つのデジタルには、オールマイティ図柄の「当」も存在(10図柄)。

このオールマイティ図柄(当)こそ、本機の大きな特徴であった。

そして、大当りとなるのは、以下の4つのケースだ。


(1)4つのデジタルが、同数字で揃う。

 


(2)右から二番目のみ「当」で、残る3つが同数字。




(3)一番右のみ「当」で、残る3つが同数字。




(4)左2つが同数字で、右2つが「当」。





典型的な(1)の4つ揃いは、他機種にない華やかさ、豪華さがあって、
4つのデジタルが全て揃ったとき、独特の達成感や満足感を得られた。

また、左2つがゾロ目ならリーチとなるが、残る右2つのデジタルは、
リーチ図柄でも「当」でもOKだから、必然的に、リーチの期待感も倍増。

但し、これは、あくまでも「見かけ上」の期待感に過ぎず、内部では、
常に「1/225」という一般的な確率で、粛々と大当り抽選が行われた。

別に、「リーチが掛かったから当り易い」…という訳ではなかったのだ。


因みに、本機の大当りパターンをまとめると、

(1)同一数字が4つ並ぶ…9通り(「1111」~「9999」)
(2)※※当※のパターン…9通り(※は同数字。以下、同じ)
(3)※※※当のパターン…9通り
(4)※※当当のパターン…9通り

となるから、全部で「9×4=36通り」ある。

対して、出目の出現パターンは、「9×9×10×10=8100通り」なので、

表面上の大当り確率は、36/8100=1/225となる。

内部プログラム上の確率も、これと全く同じだ。




それから、「出玉」に関して言えば、本機の賞球数は「6&12」となっていた。

ヘソの戻しが「6個」で、アタッカーその他の入賞口が「12個戻し」だ。

なので、最高16ラウンド継続(10カウント)とはいっても、大当り時の出玉は、
せいぜい1900個と少なめだった(当時はアタッカー15個、出玉2350個が標準)。

また、意図的な保留連チャンや数珠連が仕込まれていた訳でもなく、
ノーマル機そのものの出方だった。たまに、数珠連めいた挙動も見せたが、
あくまでも、「自力」によるものだろう。

(ある時期、本機で「5連、10連」といった大連チャンを記録した…との噂が
名古屋方面から聞こえたきたのだが、真相は判らずじまいに終わった)

当時、出玉の少ないノーマル機で、大当り確率「1/225」というのは、決して
甘い数値ではなく、このテのスペックは、明らかに「無制限営業」向きだった。

この時代、一回交換やラッキーナンバー制の営業形態がまだ多く、無制限は、
今ほど多くなかった。勿論、地域によっては、無制限中心の所もあったが…。

件のニューミヤコは、残念ながら無制限ではなく、LN制で営業していたが、
その分、デジタルは良く回った印象が強い。まぁ、あの店が新宿らしからぬ
「優良店」だった事も、関係しているかもしれないが…。


甘釘台でマッタリとデジタルを回し、マッタリ当てる。結果、何度も大当りさせたが、
出玉は思ったほどに多くなく、収支もそこそこプラス…そんな感じの一台だった。


なお、同じ4ケタのドットでも、藤商事ターンバックは、連チャンとハマリのメリハリが、
遥かに大きく、波も荒い台だったから、本機のような「マッタリ感」とは程遠い。

(ターンバックの大当り確率は「1/210」と甘いが、ハマる時はハマった。
恐らく、「1/210」は、連チャン、ハマリをひっくるめての数値だろう。因みに、
後継機「ターンバック3」の確率は1/226と低め。)




おっと、書き忘れていたが、本機の数ヶ月後に出た兄弟機「ドリームジャンボ2」は、
賞球が「7&15」に変更されて、大当り時の出玉のボリューム感がアップ。しかも、
大当り確率が「1/220」と本機より若干甘くなった為、打ち手にすれば、「2」の方が
オイシイスペックだったといえよう。
ただ、私は、出玉の少ない「1」の方が、思い入れは断然強い。


(奥村「ドリームジャンボ2」 1991年、新要件機)
図柄やデジタルの動きは「1」と一緒。賞球と確率のみ
変更された(7&15、1/220)。




新要件初期のこの時期、ターンバックや本機が登場した事で、「4ケタデジタル」への
注目が再び強まった事は疑いない。

この動きにとりわけ刺激されたのが、「元祖4ケタデジタル」のニューギンであろう。

翌1992年には、旧要件の4ケタデジタルを大いに意識したドットデジパチ
「ニューエキサイトキングAW」をリリース。さらに同年、斬新な4ケタドラムの
「エキサイトビューティー」も送り出している。


ニューギン、ニューエキサイトキングAW(1992年、新要件機)
いわゆる2回ワンセット機。一度大当りすると、次回まで電チュー確率が大幅アップ。
右打ちで、持ち玉を減らさず(逆にジワジワと増えた)、次の大当りが期待出来た。
但し、デジタルの連続回転が途切れると、小デジの確変状態も終了してしまう。

さらに、大当り中にエラーを起こすと、大当りが延々と来ない「バグ」があった為、
故意にエラーを発生させた後、ひたすら右打ちによる電チュー入賞で玉を増やす、
破壊力抜群のエラー攻略法も発覚。兄弟機は「ニューエキサイトキング5」。



ニューギン「エキサイトビューティー」 1992年、新要件機。
ドラムの本家、三共に対抗したドラム機。お尻や乳など、奇抜な図柄でも話題に。
同一図柄の4つ揃いで大当りだが、「3、7、¥、$、?」の5図柄は、3つでOK。
保留連チャン機としても知られた。後継機は「エキサイトバトル」。

スーパードームA(三星、デジパチ)※再掲

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1993年(平成5年)に三星(現・SANSEI R&D)から登場した
現金機デジパチ「スーパードームA」


以前にも紹介した機種だが、今回は、内部仕様や攻略ネタについて、
過去記事よりも少々突っ込んだ内容にした。興味ある方は、御一読を。


(三星スーパードームA、過去記事)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/cf5dc24a5be5af0406043c14833f4e94




★野球がモチーフ

★ドットデジパチ

★数珠つなぎ連チャン機
(芋づる連チャン機、玉突き連チャン機、セミダブル機、
ペア連チャン機など、呼び方は攻略誌毎に様々だった)

★賞球…7&15

★最高16ラウンド継続

★出玉…約2400個

★大当り図柄…15図柄
「3、ボール、7、洋、中、巨、広、ヤ、神、西、ダ、日、オ、近、ロ」

・(当時)実在するプロ野球12球団の頭文字を、デジタル図柄に採用。
・但し、「洋」=大洋ホエールズは、本機が登場する直前の93年4月に
「横浜ベイスターズ」と改称した為、「実在しない球団名」が図柄になっていた。
保通協に持ち込んだ時は「大洋」名義で、改称後に検定通過したから。

★デジタル停止順…左⇒右⇒中

★リーチ…左右テンパイ後、中デジが速めにスクロール。大当り2コマ手前から
スローに切り替わる。最大5周目まで伸びるが、SPアクション等への発展は無し。


★大当り確率、当否の判定法について

「通常、天国、地獄」と、確率の異なる3つのモードが存在
⇒当時、流行りの「モード移行方式」を採用

(a)通常モード…「0~234」のカウンター235コマのうち、「2」が大当り。
よって、通常モードの大当り確率は1/235。



(b)天国モード…「0~14」のカウンター15コマのうち、「2」が大当り。
よって、天国モードの大当り確率は1/15。



(c)地獄モード…A、B、C3つのカウンターを使用。いずれも「0~14」の計15コマ。
「A、B、Cの合計が2」なら大当り。「合計2」となるケースは6通りあるから(下図参照)、
大当り確率は、6/15×15×15=6/3375=1/562.5。






★モード移行について

(1)朝イチ(電源ON直後)は、「通常モード」からスタート。大ハマリの危険が少なく、
朝イチ台は狙い目となった。なお、開直出目は「7・洋・中」。

(2)モード移行契機は「大当り」のみ。通常時のモード移行は無い。
いったん固定されたモードは、次回大当りまで変わらない。

(3)大当り中は、3つのモードをランダムに何度も移行した後、
16ラウンドのアタッカーが閉じた瞬間に、最終的なモードが決まる。
つまり、最終Rのアタッカーの閉じるタイミングが肝要。



★有名な「天国モード狙い撃ち攻略」について

上記のように、モード移行契機は大当りのみで、
最終16Rのアタッカーが閉じたタイミングで決まる。

しかも、どのモードに入ったかを、打ち手は目視で確認できた。

具体的には、デジタル上部、横に8個並んだ「赤ランプ」の位置で判別。



デジタル上には、横一列に並んだ8つのランプが計3段あるが、
モード判別は、一番上の赤いランプ(四角で囲んだ部分)で行う。
(なお、体感器を使った場合、緑ランプでも判別可⇒後述)

赤ランプは、大当り中、様々なパターンで点滅するが、
各ラウンドのアタッカー開放中は、規則的な動きを見せた。

即ち、以下のパターンA~Dを、アタッカー開放から閉鎖まで繰り返す。
(ラウンド間は全灯パターンに切り替わる)


パターンA(両サイドが点灯)


パターンB(カド2が点灯)


パターンC(カド3が点灯)


パターンD(内側2個が点灯)



各ラウンドのアタッカー開放中、赤ランプはA⇒B⇒C⇒D⇒A⇒B・・・の順で動く。
左右2つのランプが、両端から中央に向って、規則的に移動を繰り返す訳だ。

但し、各ラウンド開始時、赤ランプのスタート位置は、一定とはならない。
アタッカーが開くタイミングで変わるから、Aからスタートしたり、Dから始まったりする。

「A⇒D」の周期は、約0.9001秒。つまり、ランプは約「0.225秒」刻みで移動。

割と早めの動きだが、目で追えない事はない。これが、体感器等の道具を
使わずに、天国モード突入を狙える要因であった。


大当り後の内部モードは、最終16ラウンドでアタッカーが閉じた瞬間、
赤ランプがA~D何れの位置だったかによって決まる。

Aなら通常M(1/235)、Bなら地獄M(1/562.5)、CかDなら天国M(1/15)。

アタッカー開放中、赤ランプの移動速度は一定なので、適当に打った場合も、
天国突入率は2/4=1/2、通常Mと地獄Mの突入率は、共に1/4となるから、
大当り毎に、「天国⇒1/2、通常⇒1/4、地獄⇒1/4」でモードを振り分ける。

以上が、本機の「基本スペック」となる。天国モードのループ率は「1/2」と高く、
ヒキが良ければ、一撃の連チャンで、足下に箱を積み上げる事も可能だった。
但し、地獄モードは大ハマリの危険アリ(綱取物語ほどではないが…)





さらに、あるラウンド開始時の赤ランプの位置を見切り、残りの全ラウンドを
「アタッカーフルオープン」(9カウントで止め打ち)させれば、最終16ラウンドで
アタッカーが閉じる瞬間のランプの位置を、ほぼ確実に予測できた。

(フルオープン時のアタッカー開放時間が約29秒と一定で、赤ランプの移行速度も
A⇒Dの周期が約0,9秒と一定だったから、計算すれば予測が成り立った)

別に、1ラウンド目から判別する必要はなく、11ラウンド辺りからチェックして、
16ラウンドまでに、ラウンド開始時のランプ位置を1度でも把握できればOK。


具体的には、ラウンドが始まった瞬間、赤ランプの位置が以下の各パターンなら、
残り全ラウンドのアタッカーフルオープンを条件に、天国モード突入が確定する。


ラウンド  R開始時の赤ランプ位置(パターンA~D)
11R               D
12R              AorB
13R               C
14R              DorA
15R               B
16R              CorD


11ラウンド以降は、ラウンド開始時の赤ランプの位置を、必ず目視で確認。
それが上記対応表に当てはまれば、残るラウンドはアタッカーフルオープン。
最終16Rもフルオープンさせれば、アタッカーが閉じる瞬間、赤ランプは必ず
CかDの位置に来ているので、大当り後は天国モードからスタートする訳だ。

あとは、大当りの度に上記の手順を踏めば、「永久連チャン」まで狙えた。
(但し、微妙なタイミングのズレで、ランプの位置(モード)を読み違える事もアリ)



だが、こうした単純かつ強力な攻略法に、ホール側が何の対応をしない訳も無く、
導入店の大半は、赤ランプに目隠しシールを貼るなどの対策を講じた。

それゆえ、攻略誌で手順を知ったファンの多くは、実際にホールで「ランプ攻略」の
恩恵に受ける機会はほとんど無かった(一足先に動いた攻略プロや、セミプロは別)。

しかし、攻略の「肝」だった赤ランプを隠された場合でも、天下の「飾りランプ」で、
見えない赤ランプの動きを把握する「返し技」が存在。


天下(保留ランプ上)にあるオレンジ色の横長な飾りランプは、
アタッカー開放中、「左(A)点灯⇒右(B)点灯⇒消灯」を規則的に繰り返す。

さらに都合よい事に、「A点灯⇒赤ランプA」「B点灯⇒赤ランプB」
「消灯⇒赤ランプCorD」という具合に双方が「同調」していたので、
飾りランプの点滅から、赤ランプの動きを「ほぼ」把握できたのだ。

「ほぼ」というのは、飾りランプ消灯時、赤ランプが「CかDか」までは
判別できない欠点があったから。

それでも、「パターンA」「パターンB」「パターンCorD」の別を飾りランプで
掴めば、対応表の「12R、15R、16R」については、判別が可能だった。


当然、飾りランプを断線したり、シールで隠すなどしてホールも対応したが、
さらに、「体感器」で攻略するネタも存在。緑ランプの点滅が見える台で、
緑ランプと赤ランプの「同調ポイント」を把握して、赤ランプの移行パターンを、
「0.9001秒、4拍刻み」の体感器のリズムで掴む…というものだった。

但し、体感器の使用はホールで「ご法度」だったから(今とは違って、
「違法」のお墨付きがあった訳ではないが)、店にバレれば即アウト。
大きなリスクを伴うネタだった事は、今さら説明するまでも無い。


このように、本機の天国モード狙い攻略を巡っては、ホール側と攻略プロ、
セミプロの駆け引きが、まさに「いたちごっこ」の様相を呈した。まぁ、
普通に打っても、十分に面白い台だったが。

プリンセス物語(平和、デジパチ)

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今回は、1993年(平成5年)に平和から登場した現金機デジパチ
「プリンセス物語」について、少々振り返ってみたい。


★新要件機
★カラー液晶モニタ搭載
★新枠「BIG BONUS」枠
★「キララ」(女の子)が主人公
★大当り画面はRPG風。マルチエンディングストーリーになっている。

★賞球…7&15
★大当り確率…1/235(カウンタ―は0~234の計235コマ、大当り値は「4」)
★最高16ラウンド継続(10カウント)
★出玉…約2350個
★保留玉連チャン機(大当り中、保3、保4を大当り値に書き換える)




皆さんもご存知の通り、1990年代(’91年の新要件以降)の平和は、
「~物語」と名のついたデジパチを、立て続けに送り出した時期がある。
(全て液晶デジパチ)

その為、「物語」というと、冠名の「ブラボー」と同様、同社の「ブランドネーム」といった
印象が強かった。以下は、物語シリーズのリスト。本機は、数えて「第5弾」にあたる。


1990年代前半、平和デジパチ「物語」シリーズの系譜

1(保)麻雀物語(1991) ※業界初のカラー液晶モニタ搭載
2(保)麻雀物語Ⅱ(1991) ※「麻雀物語」のマンズVer
3(保)ダービー物語(1993) ※保3、保4連が強力(本機の連チャンのモデル) 
4(繋)綱取物語(1993) ※数珠連と軍配リーチが特徴。ハマリモードは1/988と最悪
5(保)プリンセス物語(1993) ※綱取物語とほぼ同時期にリリース
6(ノ)弾丸物語(1993) ※物語シリーズ初のノーマルデジパチ
7(保)雀姫物語(1994)※エラー連チャン攻略アリ。登場後、まもなく販売自粛
8(ノ)弾丸物語SP(1994) ※弾丸物語の後継機。ノーマル機。
9(確)CR名画(名画物語)(1994) ※デモ画面で「名画物語」と表示。当初想定の名前か。
10(確)トランプ物語SP(1994) ※物語シリーズ初の(小デジ)確変機。「7、h」で突入。


(保)…保留連チャン機 (繋)…数珠繋ぎ連チャン機
(ノ)ノーマル機 (確)…CR(確変)デジパチ/(小デジ)確変の現金機


後に、ライバルの三洋が「CR海物語」(1999)をリリース。その後、海シリーズは
軒並み大ヒットしたので、「物語」のお株もすっかり三洋に奪われてしまった。
しかし、「本家」はあくまでも平和であろう。



さらに、1990~1993年辺りの平和は、「物語」シリーズに限らず、連チャン性を
ウリにした現金機デジパチを、多く登場させた。以下は、その代表例である。

(保)舞羅望極II(1990、旧)
(保)グリース(1990、旧)
(保)ブラボークイーン(1991)
(繋)ブラボーキングダム(1992)
(保)風林火山(1992)
(保)ブラボー烈火(1992)
(保)ブラボーミリオン(1992)
(保)ブラボーミリオンSP(1992)
(繋)ブラボーネクスト(1993)
(保)ブラボービート(1993)
(保)パーフェクト7(1993)

※(旧…オマケ付きの旧要件機)


平和にとっては、まさに「現金機デジパチ・黄金期」といえる状況だったが、
やがて、あの「ダービー物語事件」(1993年10月~)が勃発。CR機推進を
目論むK察当局が、「過度な釘曲げ」の違法を口実に、爆発的人気を誇った
現金機ダービー物語を、ある意味「見せしめ」にした、問題大アリ事件である。


平和の連チャン機「ダービー物語」(1993年2月登場)
地元L店での「8連チャン」が最高。あの時はテンションが上がった…


本機は、そのダービー物語事件が起こる、数か月前にリリースされた台。
当初は、ホールで大変な人気を誇り、ダービー物語の後継機に恥じない
客ウケだった。だが、事件の発生を機に、仕込み連チャンの現金機に対して
当局やホールが「悪」というレッテルを貼った以上、本機登場のタイミングは、
決して良かったとは言えないだろう。まぁ、それはともかく…

当時、流行りだった香ばしい連チャンは、本機にも、キッチリ受け継がれていた。


と言う事で、まずは、本機の「連チャン性」について。



本機は、先行機のダービー物語と同様、大当たり後「保3」「保4」の連チャンが
メインだった。また、その連チャンの仕組みも、ダービー物語のシステムを
ほぼ「踏襲」していた。

本機は、大当り中、アタッカーのVゾーンに「一定時間内の連続5個入賞※」があると、
その瞬間、保3や保4に入っていた古い乱数を、強制的に別の値に書き換える仕組み。

但し、必ず大当り値に書き換える訳ではなく、ハズレ値に上書きされる事もあった。

この書換に際しては、保3と保4に入る「18通り」の数字の組合せを、予め用意。
大当り値への上書き率は、「保3のみ書換」「保4のみ書換」「保3と保4の書換」が、
それぞれ「1/18」(約5.55%)であった。

※一定時間内の連続5個入賞
内部に、タイマー付き「Vゾーン入賞カウンター」が存在。立て続けのV入賞で、
カウンターが「-1」から徐々に上がり、カウンターが「4」になると書換が起こる。
カウンターが「4」になった瞬間は、アタッカー下のピンクのランプが派手に光る。


矢印で示した飾りランプの点滅で、「V5個入れ」の成否が判る。
ダービー物語では、デジタル上の丸い緑ランプの点滅で表示していた。

但し、直前のV入賞から約2秒経つとタイマーが働き、カウンター値は
1づつ下がっていく。よって、書換には、Vへの素早い連続入賞が必要。

この書換システムは、ダービー物語(以下「ダービー」と略す)とほぼ同じだが、
書換パターンを細かく見ると、両者には若干の違いがあった。

ダービーは、書換パターンが全16通りあり、そのうち、「保3のみ大当り」が1個、
「保4のみ大当り」が1個、保3・保4まとめて大当りが1個。つまり、ダービーの
保留連は、「保3ダブル」「保4ダブル」「保3保4トリプル」の3パターンが基本。
大当りへの書換率は、各パターンとも「1/16」である。さらに、書換は連チャン中にも
逐一行われる為、一たび連チャンが起きれば、4連、5連…と伸びる可能性もあった。
保3で連チャンした場合は、1/2の確率でトリプルが期待できた。

一方のプリンセス物語も、基本的にはこれと同じ。「保3ダブル」「保4ダブル」
「保3保4トリプル」の書換パターンが各1つづつ(計3つ)。書換の条件が
「V5連続入賞」である点も、ダービーと一緒であった。さらに、連チャン中に
書換が行われるのも同じで、コチラも4連以上する事がある。

但し、用意された書換パターンが、ダービーよりも2つ多い、「全18通り」。
一方、大当りへの書換パターンは3つなので、ハズレに書き換わる確率が、
ダービーよりもやや高くなっていた。



加えて、アタッカー上部の「ゲージ構成」を比べると、ダービーより
本機の方が、「Vゾーンに集まりづらい形」だった。

ダービーは、もともとVに流れ易いクギ配列だが、それを確実にすべく、
V上部のクギを、さらに大きく曲げていた。

一方の本機は、ゲージ上、アタッカー上部の玉がVの左右にバラけ易く、
「V5連続入賞」という書換条件を、ダービーよりも満たしづらい。

ただ、逆に言えば、アタッカー周りの釘が良さげな台は、その分
連チャン率も上がって、有利に戦えた。


(アタッカー上部の釘の比較。左のプリンセスの方が、Vゾーンに至る過程で、
アタッカー両脇に流れ易いゲージになっている。)


したがって、連チャン率では、ダービーの方に、明らかに軍配が上がった。
だが、本機とて、初当り確率(1/235)の割に、適度に保留連が訪れたから、
少々投資が嵩んでも、ワンチャンスやツーチャンスで取り戻せた。また、
その瞬発力が、本機の大きな魅力であった。


なお、当時、本機を「数珠繋ぎ連チャン機」と疑う向きも一部にあったが、
プログラム上の裏付けはない。あくまでも、保留連チャン以外は「自力」と
考えるべきである。



次に、「デジタル」と「リーチアクション」について。


図柄は、「0~9」の数字、王子、主人公(キララ)、鍵、聖水、花の計15種類。
各図柄の3つ揃いで大当り。

女の子が主人公なだけあって、先行機ダービーなどと違って、かなり
「メルヘンチック」な図柄デザインになっている。

少々目立たないが、数字図柄には、「花」のデザインがあしらわれている。
1が「スイセン」、2が「ウメ」、4が「サクラ」、5が「チューリップ」、6が「バラ」、
7が「ユリ」、8が「ひまわり」など。で、よく見ると、これらは数字に対応する
「各月の誕生花」である。なかなかに風情あるデザインと言えよう。


デジタル停止順は、「左・中・右」。左・中ゾロ目でリーチとなるが、リーチ時、
中デジと右デジの動きに、幾つかの特徴があった。

本機は、中デジが停止する際、(1)左⇒中とスムーズにデジタルが止まる場合と、
(2)左停止後、中デジが超スローで数コマ進んで停止する場合があった。

(1)はハズレ、リーチどちらでも出現するが、(2)のパターンは必ずリーチになる。

(1)よりも(2)のリーチの方が大当りし易く思えたが、内部的には、当否に拘らず、
リーチ時は(1)か(2)を「1/2」で振り分けるだけなので、リーチ信頼度は同じ。


一方、リーチ時の「右デジタル」の動きに着目すると、

(1)通常(スローよりやや早めに)スクロール
(2)リーチ後、即「超スロー」に切り替わる
(3)通常スクロールで5,6コマ進んだ後、超スローに切り替わる、

の計3パターンがあった。

(1)がノーマルリーチ、(2)(3)がSPリーチ(スローリーチ)といえよう。

コチラは、中デジのスローアクションと違って、(2)(3)なら大当り期待度もアップ。

但し、本機は、大当り時の5/8(62.5%)で(2)(3)の「SPリーチ(スロー)」を、
残る3/8(37.5%)で(1)のノーマルを選択する仕様だったので、ノーマルでも
普通に大当りした。「捨てリーチ」が無いから、遊技上のストレスも少なかった。

因みに、天下には「丸い飾りランプ」があって、ノーマルリーチ時は点滅するが、
SPリーチ(スロー)だと「点灯」する。右が超スローになるタイミングは2パターン
あったから、飾りランプが点灯する瞬間も、何気にアツかった。


※余談

’93年10月、私はテレビ東京主催の「TVチャンピオン・第4回
全国パチンコ王選手権」の予選に出場する機会があった。

会場は高田馬場「ダイナム」(閉店)。開店前、早朝の時間を利用した、
持ち玉1000発の出玉勝負。参加者は、私を含めて100名ほど。

この時、私が最初に打ったのが、何を隠そう「プリンセス物語」だった。
しかも、序盤で、例のアツい「スローリーチ」が来て、「貰った」と思ったが、
あえなくハズレ。ただ、釘はまあまあだったから、そのまま打てばいいものを、
「SPリーチが外れたからハマるかも。それに、今日はプリンセスと相性が悪い」と
「オカルト」で勝手に判断して、持ち玉がまだ多く残った状態で、最初のプリンセスを
あっさり捨ててしまった。その後、ただ「好きだった」からとの理由で、ちょっと古めで
置いてあった京楽「居酒屋2」に移動したが、全く不調で見せ場も無いまま、貰った
1000発はあっさり尽きてしまった。そのまま、トボトボと会場を後にしたが、後日、
テレビで大会を見たら、なんと、予選トップが、プリンセスで連チャンさせていた。
あのままプリンセスを打ち続けていたら、自分にもチャンスがあったかも…と
思ったが、「後悔、先に立たず」である。そんな私は、玉が尽きガックリ肩を落とし、
トボトボ退店する「後姿」が映っていた。あまり嬉しくない「TV初出演」である。
(余談、終わり)





最後に、本機の大当り画面について少々。

大当り画面は、あたかも「ロールプレイングゲーム」(RPG)を思わせるものだった。
大当りラウンドが進むごとに、主人公の「キララ」(女の子)も色々な場面に
出くわして、話が先へ先へと進んでいく。

特に面白いのは、いわゆる「マルチストーリー(エンディング)システム」を
採用していたこと。

出だしは、「キララが王家の紋章を探しに行く」と共通なのだが、途中のラウンドで
ストーリーの「分岐」が幾つもあって(宮殿に行ったり、洞窟に入ったり、アイテムを
見つけたり)、どう通ってラストに至るかは、大当りを消化してみないと判らない。

エンディング画面も、全部で「3つ」用意されていた。主人公のキララが、
「花の妖精になる」「お姫様に成長する」「王子様と結婚」という、異なる結末。
途中でどの分岐を通っても、上記3つの中からランダムにエンディングを選択。

なので、冒頭で「王家の紋章」を探しに行くと言って出かけたキララが、
実際に紋章を見つけたにも拘らず、そのまま「花の妖精」になったりする。
妖精になってしまえば、王家や紋章など、一切関係なくなってしまうというのに…。
そもそも、「姫」になるべき若い女性が、「妖精」に姿を変えてしまうのは、本当に
「ハッピーエンド」といえるのだろうか…?

また、大当り図柄であり、大当り中も出てくる「王子様」の存在も、気にかかる。
確かに、イケている雰囲気を醸し出してはいるが、この王子様、顔の上半分が
前髪に隠れて表情を読めない為、妙に「不気味」なのだ。
その後、王子と結婚したキララが、彼の髪を掻き上げて、顔をまじまじと見たら
実は恐ろしい「一つ目の妖怪」で、キララは恐怖の余り死んでしまった…という
恐怖の展開が待っているとしたら、彼女が可哀想に思えてくる(不謹慎か?)。




エンディング1⇒キララが花の妖精になる。
最後は「夢…忘れずに」のメッセージが出る。


エンディング2⇒キララが成長して、美しいお姫様に。
ラストのメッセージは「幸福…永遠に」


エンディング3⇒キララは、とうとう王子様と結ばれる。
この時のメッセージは「愛…永遠に」


※当時、「大当り中のストーリー展開(分岐)次第で、連チャンするか判るのでは?」
との噂が一部で流れたが、プログラム上の根拠は無く、単なるガセネタである。

柔キッズ3(京楽、デジパチ)

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1998年(平成10年)に京楽から登場した現金機デジパチ「柔キッズ3」
(やわらきっず3)




(次回までの時短が確定する、「七・七・七」揃い)





「柔道」がモチーフの、時短デジパチ。主人公は柔道少女「柔ちゃん」。



「柔」(やわら)といえば、古くは昭和の歌姫、美空ひばりの曲で有名。
「勝つと思うな、思えば負けよ~」の、アレ。

ただ、私の世代だと、浦沢直樹の漫画「YAWARA!」の方が、馴染み深い。
可愛くて柔道も強い、猪熊柔(いのくまやわら)が主人公。後に、アイドル
浅香唯の主演で実写映画となり、テレビアニメも人気を博した。

思い返せば、中学、高校時分、私は通学時、駅の売店で「ビッグコミックスピリッツ」を
毎週買って、当時連載中だった「YAWARA」を読むのが、車内でのお楽しみだった。
他にも、、相原コージ「コージ苑」、雁屋哲「美味しんぼ」、柴門ふみ「東京ラブストーリー」
などを愛読。高3の受験期は、電車の往復時間を全て受験勉強に充てた為、
この習慣はいったん途切れたが、大学入学後に再開。吉田戦車の「伝染るんです」、
中川いさみ「クマのプー太郎」など、香ばしい作品は他にも山ほどあった。

スマホ全盛の今とは違って、アナログ全開だった当時、このテの漫画雑誌は、
車内の「マストアイテム」に他ならなかった。


一方、実際の柔道界でも、当時、女子柔道の若きエース、田村亮子(現・谷亮子)が
世界大会3連覇など無類の強さを誇り、メディアにも大きく取り上げられ、まさに
「国民的アイドル」として君臨。その彼女も、上記漫画の主人公の名前に因んで、
「柔ちゃん」の愛称で呼ばれていた。

(政界入り後の行動には、若干の「違和感」を覚えるが…)


まぁ、それはさておき。


当時のパチの流れを見ると、1996年の「イエローキャンペーン」の流れを汲んで、
爆裂CR機がもたらす出玉の「インフレ化」に歯止めをかけようと、確変継続回数に
「5回リミッター」の規制が設けられた(新基準CR機)。

まぁ、この動きを肯定するか、否定するかは、人それぞれだろう。

個人的には、元々、爆裂CR機があまり好みでなく、台間玉貸機に小銭を入れて
マッタリ勝負したい「現金機派」だったから、CRにリミッターがあろうが無かろうが、
あまり気にならなかった。むしろ、「1/400」のような低確率台が減って、CR機の
敷居が下がった分、自分にとっては「好都合」な規制だったと思っている。

但し、数々の現金機の「名機」を、不当な理由で葬った「社会的不適合機」の
レッテル貼りには、全く同意できない。「天下の愚策」と、声を大にして言いたい。


さて、当時の私は、パチよりスロに傾倒していたが(ユニバ系の技術介入機メイン)、
ときおり、無性にパチの現金機が打ちたくなる「発作」も出ていた。同時期には、
本機をはじめ、同じ京楽の
「華観月2」(本機の先輩格)や「めぐみ工務店FX2」(後続機)、
西陣「花満伝説SVZ」、まさむら「マジカルチェイサー3」、
三共「フィーバーデーモンGP」「フィーバーメガクイーンEX」
「フィーバーピストル大名GP」、大同「フィーバー安全運ちゃんDSP」
「フィーバーサルカニチャンスDGP」、マルホン「レッツおとぎ村S」「セクシーショットS」、
大一「ウルトラマンTX」、豊丸「ブリバリ原始人E」、サミー「UFOキャッチャーFX」
などの「時短機」が好みだった。

まぁ、「スロに傾倒」といいつつ、パチへの愛着も、まだ相当なものがあった。
(2000年以降、パチ熱は一気に冷めて、さらにスロへシフト)

大半は、リミッター付きCRの現金機Verだったが、大当り確率が良心的な割に、
展開次第で4箱、5箱…と積み上げる※ことも出来たから、懐が寂しい時も勝負になった。
必然的に、CR一辺倒のホールは敬遠しがちで、現金機(時短機)の多い店によく通った。

※店によっては「ドル箱規制」で、4箱目以降をジェットカウンターに流す。


また、このテの時短機は、止め打ちなどの「小技」が効くことが多かった為、
時短中に玉が減っても意に介さない、オッサン・オバサンと差をつけるには、
格好の狙い目となった。本機の止め打ちも、実際かなりの効果があった(⇒後述)。



今や、「完全引退」の身ではあるが、この当時のパチに対する「熱」を思い出すと、
自然とウズウズしてしまったりする。だからといって、復帰する事は無いだろう…。



では、遅ればせながら、本機のスペックを説明。


(基本スペック)


★賞球…5&13(当時、現金機デジパチは、ヘソ6個(7個)戻しが主流。5個は少ない)

★大当り確率…1/228.5

★デジタル停止順…基本的に「左⇒右⇒中」

★大当り図柄…一~九(漢数字)、柔道着、「忍耐」、優勝カップ (計12種類)

★最高16ラウンド継続(アタッカー9カウント)

★出玉…約1800個(13個戻し、9カウントの為)

★時短機能搭載
大当り後は、図柄に拘らず、100%時短に突入。
但し、大当り図柄によって、時短回数が異なる。

・三、五、七(突入率1/4)…次回まで時短
・一、九(突入率1/6)…100回時短
・その他の図柄(突入率7/12)…30回時短


★時短連チャン率
次回⇒100% 100回⇒35.5% 30回⇒12.3%
(全図柄平均の時短連チャン率は、約38%)


★予告機能について

デジタル変動後、デジタルに何らかの「変化」が起こるとチャンス。
「柔ちゃんフラッシュ+右スベリ」など、予告の複合で、さらに信頼度アップ。

・予告なし(一番多い)

・右スベリ
⇒左デジ停止後、右デジタルが停止する前に、通常よりも大きくスベる。
⇒但し、リーチ確定アクションではなく、ガセスベリ(只のハズレ)もあり。
⇒単発スベリはガセ多し。連続右スベリからのリーチは、信頼度大幅アップ。

・柔ちゃん通過
⇒デジタル変動中、柔ちゃんが、画面右から左へダッシュで横切る。
⇒約40%の確率でリーチが掛かるが、6割は単なるハズレ。
⇒非リーチでハズれる時は、右スベリを伴う。


(柔ちゃん通過予告)

・柔ちゃん通過+フラッシュ
⇒デジタル変動中、柔ちゃんが画面を横切り、背景フラッシュ+BGM変化。
⇒SPリーチ確定アクション。




★リーチアクションについて

ノーマルの他、SPリーチ6種類の、計7パターン。

・ノーマル
⇒左右テンパイ後、中デジが普通にスクロール。ほぼ当らない。

・ロング
⇒ノーマルから発展。ノーマル2周後、効果音が変化。そのままスクロールが
進み、大当り手前3コマでスローに切り替わる。大当りかその前後で止まるが、
大概ハズれてしまう。但し、中デジが1コマズレで停止後、「再始動アクション」が
発生すれば、必ず大当りする。

・三・三・七拍子
⇒左「タン・タン・タン」⇒右「タン・タン・タン」のリズムでテンパイした後、
中デジが「タン・タン・タン・タン・タン・タン・タン」のリズムで進んで停止。
そのままだと信頼度は低いが、「押さえ込みリーチ」に発展する可能性アリ。

・押さえ込み
⇒三・三・七拍子がプラス1コマでハズれた後、画面に柔ちゃん登場。中デジを
押さえ込もうとする(下に落ちる図柄を押し戻す)。この時、デジタル上に「30」と
タイマーが出て、カウントダウン開始。中デジが進むにつれ、「効果」「有効」「技有」と
表示も変わっていく。最終的に、タイマーが「00」になるまで図柄を押さえ込めば、
「一本」の表示が出て大当り。
信頼度100%のリーチ(全回転、コギャル、ロング二段階)を除き、もっとも高信頼度。


(押さえ込みリーチ)

・背負い投げ
⇒ノーマルから発展。ノーマルで1周進んだ後、中デジに柔ちゃんが登場。
中デジ図柄を順番に投げ飛ばす。大当り1コマ手前の図柄を投げれば、
大当たり確定。アツそうな動きだが、信頼度は意外と低い。ほとんどは、投げに
失敗して「女座り」の態勢になり、目を丸くして泣く、柔ちゃんの姿で終わる。

(背負い投げリーチ)

・コギャル
⇒背負い投げとほぼ同じだが、柔ちゃんが柔道着ではなく、
ミニスカ、ルーズソックスの「コギャル制服ファッション」で登場。
コチラは100%大当り確定の、嬉しいプレミアリーチ。

・全回転
⇒ノーマルから発展。リーチ後、中デジが1周+6コマ進み、左右デジタルが
中デジを追いかけるように、シンクロ状態で再始動。そのまま、全デジタルが
揃った状態で回転。コチラも、必ず大当りする。


※時短中は、一部リーチが省略されて、「三三七拍子」か、そこから発展する
「押さえ込み」のみ出現(CR版だと、確変中は「全回転」のみ)。



★大当り時の「再始動アクション」

全回転を除き、図柄がいったん揃った後、必ず全図柄の「再始動」が起こる。
但し、再始動は、同一図柄か時短回数の「格上げ」のみで、100回時短が
再始動で30回時短に格下げされたりはしない。



★時短中の「止め打ち」について

本機は、小デジタル当選率が、通常時、時短中共に、「8/11」と高確率である。
但し、通常時は、小デジ変動時間が約29秒と長く、電チュー開放も0.15秒
(or3カウント)と短い。
一方、時短中は変動時間が6.3秒と大幅短縮されて、電チュー開放も5.8秒
(or3カウント)に延長される為、電チューが俄然、玉を拾い易くなる。

上記スペックの為、時短中は、クギがまともなら、普通に打っても玉減りしない。
但し、電チュー開放に合わせて打ち出せば、無駄玉節約となり、ハマるほどに
持ち玉も増えていく。時短中も、メイン確率は通常(1/228.5)のままなので、
ヒキ次第で大ハマリもあるから、止打ちの威力は大きかった。
また、ヘソやスルーがシブくても、玉減りを最小限に防いだ。無論、これらの釘は
甘いほど有利となる。

時短中の止め打ち手順は、以下の(1)~(4)を繰り返すだけ。非常にシンプル。

(1)デジタル脇の「GO」チャッカー(小デジ用スルー)通過で、打ち出し停止。
(2)天下の小デジ始動後、盤面上の枠ランプが「8回」点滅するのを待つ。
(3)8回点滅後に打ち出し再開。電チューが3個以上拾ったら、打ち出し停止。
(4)(2)に戻る。小デジの保留が無い場合は(1)に戻る。



★CR版の兄弟機について

・CR柔キッズ(1998年登場)

大当り確率1/336.5 出玉2100個。
確変突入率は1/2だが、最高5回の確変リミッター付き。



・CR柔キッズDX(1998年)

大当り確率1/296 出玉2100個
確変突入率は1/2。コチラは確率が甘い分、確変リミッターの上限が「3回」と少ない。







(余談)

当時、日本テレビの土曜深夜バラエティ「DAISUKI」の
名物「パチンコ対決」で、本機が登場した事がある。

・放映日は、1998年(平成10年)10月24日(土)。

・レギュラーは、中山秀征、松本明子、飯島直子。

・ゲストは、当時「トゥナイト2」や「スーパー競馬」などで人気のタレント、斉藤陽子。

・ロケ地は、足立区・谷在家のパチンコ店「パラティ」(閉店)

・勝負機種は
1回戦…「CRポンポコリンたろうFL」(藤商事)
2回戦…「柔キッズ3」(京楽)
3回戦…「ウルトラマンTX」(大一)

・本機は第2回戦で登場。女性陣がヒキ悪な中、中山秀征が見事に大当り。
「柔ちゃん予告」から「九」のリーチ、ロング発展⇒1コマ先で一旦外れた後、
中デジ二段階で大当り。再始動で、次回時短の「七」に昇格する、ヒキ強ぶり。

・この時、ヒデちゃんの上皿に玉がほとんど残っておらず、何とか3発打ったが、
アタッカー開放前だった為、全てアウト穴にIN。焦ったヒデちゃん、「玉、玉!」と、
隣の斉藤陽子の上皿から、慌てて玉を掴みとる。斉藤は好意的に玉を渡すも、
それを見ていた松本さん、「ヒデちゃん~それはダメ!斉藤さんの玉!」とツッコミ。
大当り中のヒデちゃんの玉を、次から次へと掴み取り、斉藤の上皿に戻していく。
結局、ヒデちゃんは、借りた玉の10倍以上の玉を、斉藤に返すハメに…。

・話は、これで終わらない。女性陣全員が持ち玉を使い果たし、「次回まで時短」を
ゲットした中山の台を見ていたが、次第に飽きてしまう。そこで、店側の好意により、
食事休憩中、固定ハンドルにしたまま、ハンディカムを無人の台の前に置いて、
回りっぱなしのデジタルを撮影しておく事に。そのまま、4名はパチ屋と同じ建物に
入っているレストラン「リストランテ・ノビルメンテ」でパスタなどを堪能。その食事中、
画面右下のワイプでは、ヒデちゃんの台のデジタルの様子が、ずっとモニターされた
ままになっていた(ダイスキ・パチンコ対決史上、初の試み)。

結局、しばらく回して、優勝カップの「三三七拍子リーチ」が「押さえ込み」に発展、
見事に大当り。30回時短での連チャンは無かったが、二度の大当りで3690個。
第1回戦でもしっかり当てた中山が、引き続いて好調をアピールした。

(余談、終わり)

FM東京「夢のひととき(林隆三)」高橋幸宏ソングブック~悪いけど君が好き(2)昆虫記(1986年10月)

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記事タイトルが、やたらと長い…(滝汗)


つい先日、30年前の1986年(昭和61年)にFM東京(現・TOKYO FM)で
オンエアされた古いラジオ番組のカセットテープ音源を「発掘」したので、
文字に起こして「レビュー」した。

(15分番組なので、それほど分量は多くない)


パチ・スロと全く無関係の記事で恐縮だが…当ブログでは、
このテの昭和回顧ネタも、「昔話」として時折アップしている。

中学、高校時分は、FM、AMに拘らず、ラジオを聴くのが好きで、
好きなミュージシャン絡みの番組があれば、ちょいちょい録音していた。
(今では、ほとんど聴かなくなったが…)

だから、このテの埋もれたカセットテープは、他にも沢山あるハズ。
発掘に成功次第、紹介していく予定である。

果たして、「需要」があるかは不明だが(汗)。




・録音日…1986年10月9日 23:15~23:30(15分)
・番組タイトル…「夢のひととき」(ラジオドラマ)
・放送局…FM東京(現・TOKYO FM)
・番組提供…ヤマト運輸
・声の出演…(故)林隆三、高橋幸宏、岡本麻弥
・挿入曲
「冬のシルエット」(高橋幸宏、1985)
「Stairs」(YMO、1981)
「昆虫記」(高橋幸宏、1985)


      





(「コンコン」というドアのノック音に続いて、
女性ナレーション(局アナ?)のタイトルコール)

「夢の、ひととき」


(番組テーマ曲、キース・ジャレット「マイ・ソング」の
ピアノとサックスによる、美麗な旋律が流れる)


(女性ナレ)
「お相手は、林隆三。
今週は、高橋幸宏ソングブック「悪いけど、君が好き」
をお送りしています。
今夜は、「昆虫記」。」



(林隆三のナレーション)
夜の中には、もう一つの夜があります。
そこには、一人で行くことは出来ません。
男と女…二人の気持ちが、運良く一つになった時、
二人は、もう一つの夜への道を、歩いているのです。


(女性ナレ)
この番組は、クロネコヤマトの宅急便でお馴染みの
ヤマト運輸の提供でお送りします。


(CM入り)

(CM明け、高橋幸宏のコメント)
こんばんは。高橋幸宏です。
えー、僕の「昆虫記」という、この曲なんですけれども、
まぁ、「昆虫記」といいますとですね、
当然、昆虫が出てくる訳でございますけれども、
何て言うのかな、昔のちょうどあの、童話の世界みたいにね、
わりと耽美的な、時間も何か、止まってしまっているようなね、
しかも、色もどちらかというと、カラーではなくて、
全体にブルーのトーンの、何かこう、
色彩の童話の世界、といったような中でね、
恋愛をする男と女を、まぁ、昆虫にたとえると…
そういう訳でございますね。
ロマンティックに行きたいと、そういった曲でございます。
だから、まぁ、男って、いつも非常に、ロマンティックな訳ですね。



~ここからラジオドラマ~


車のエンジン音。夕方の高速を疾走する、一台の車。
運転席に男(声:林隆三)、助手席に女(声:岡本麻弥)。

女「危ないわ。前を向いて運転して」
男「寝たのかな…と思って」
女「高速道路って、眠くなっちゃうわ」
男「眠っていもいいんだよ……眠らないんだね」
女「ええ…」
男「眠いのに?」
女「寝顔、見せるのイヤだから」
男「なぜ?」
女「貴方が、見たがってるから」
男「ハッハッハ…運転してんだよ、僕は」


(高橋幸宏の「冬のシルエット」が流れる)


男「西の空、みてごらん。」
女「真っ赤ね…」
男「真っ赤…」
女「戻らないの?ねぇ、戻らないの…?黙ってるのね…ズルいのね」
男「エンプティ…」
女「えっ?」
男「スタンドに寄らないと」

女「(ナレーション調)夕焼けの中に、
青い光のガソリンスタンドが、浮かび上がっている」

(車がスタンドに停車。店員(声:高橋幸宏)がくる)

店員「いらっしゃいませ…」
男「満タンにしてくれる?」
店員「はい…」

(静けさの中で、虫の音だけが聞こえる)

男「あの男…君を見てたよ」
女「そう?」
男「今も見てる。バックミラーに映ってる」
女「いやらしいのね」
男「ホントに…いやらしいね」
女「貴方が…よ」

(給油を終えた車、エンジンをかけて出発)

男「(ナレーション調)夕焼けも、夜の青さに紛れ始めている。」

女「どこまで行くの?」


(YMOの「Stairs」が流れる)


男「(ナレーション調)山道に入り、カーブを切った後に、
本当に道が続いているのか、不安になる。ヘッドライトは、
一瞬遅れて、道を照らしだす。」

女「ねぇ…どこを走ってるの?」
男「夜を走ってる」
女「どこに走ってるの?」
男「もう一つの夜…」

(車がブレーキをかけて止まる。静寂の中、
周りからは虫の音だけが聞こえてくる)

女「真っ暗ね…」
男「ああ…キミの顔が見えない」
女「タバコ、くれる?」

(ライターが開く「チン」という金属音と、
「シュボッ」という着火音)

男「君の瞳に、火が映ってる…赤い瞳だ」

(虫の音、さらに大きくなるが、「カチン」とライターを
閉じた途端、音はピタッと止んで、静寂が広がる)

女「また真っ暗…。
ねぇ、もう一つの夜って…ここなんじゃない?」


(高橋幸宏の「昆虫記」が流れる)


(曲が終わり、CM入り。残念ながら、テープはここで切れている。
確か、本編はここまでで、CM明けはエンディングだったハズ。)



※高橋幸宏ソングブック「悪いけど、君が好き」は、全5回オンエア。
今回紹介したのは、第2回の「昆虫記」。テープには、続く第3回分も
入っていたので、次回記事にて取り上げる予定。
第1回、第4回、第5回は、今回のテープには入っておらず。
他のテープで録音した可能性もあるので、今後も発掘を続ける。


FM東京「夢のひととき(林隆三)」高橋幸宏ソングブック~悪いけど君が好き(3)フラッシュバック

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前回記事に続いて、過日、我が家でたまたま「発掘」に成功した、
30年前(1986年)のFMラジオ番組(テープ音源)の「文字起こし」を。

昭和期のラジオや音楽に興味ある方は、宜しければ一度ご覧あれ。
(全くもって、パチ・スロ絡みの内容では無いが)



・録音日…1986年(昭和61年)10月10日 23:15~23:30(15分番組)
・番組タイトル
「夢のひととき」(ラジオドラマ)
高橋幸宏ソングブック~悪いけど、君が好き (3)フラッシュバック(Flashback)
・放送局…FM東京(現・TOKYO FM)
・番組提供…ヤマト運輸
・声の出演…(故)林隆三、高橋幸宏、岡本麻弥
・挿入曲
「四月の魚(インストゥルメンタルVer.)」(高橋幸宏、1982年)
「Flashback」(高橋幸宏、1985年)
※その他、タイトル不明のBGMが2曲
(映画「四月の魚」のサントラ版に収録?→調査中)



  





(「コンコン」というドアのノック音に続いて、
女性ナレーション(局アナ?)のタイトルコール)


「夢の、ひととき」


(「ガチャッ、ギイッ」というドアの音に続いて、
番組テーマ曲、キース・ジャレット「マイ・ソング」の
ピアノとサックスによる、美麗な旋律が流れる)



(女性ナレ)
「お相手は、林隆三。
今週は、高橋幸宏ソングブック
「悪いけど、君が好き」をお送りしています。
今夜は、「Flashback(フラッシュバック)」」



(林隆三のナレーション)
忘れたいけれど、忘れられない事。
捨てたいけれど、捨てられないもの。
どこかに、そっと置いてきてしまいたい…
そんな事ってありますね。
そんな「どこか」を探して、秋の穏やかな午後、
僕は、部屋を出ます…


(女性ナレ)
この番組は、クロネコヤマトの宅急便でお馴染みの
ヤマト運輸の提供でお送りします。


(CM入り)


(CM明け、高橋幸宏のコメント)
こんばんは。高橋幸宏です。
えー、僕の「Flashback」という、この曲。
詞のイメージというのはですね、どちらかというと、
昔の純文学にあった、堀辰雄とか、立原道造とか、
そういった辺りにインスパイアされて、
作った曲なんですけれども。
えー、何て言うのかな。自分の記憶の中のね、
どこかに、こう遡っていくとですね、いつも、何かこう…
まぁ、恋愛の問題について、歌っている訳ですけれども、
僕たちは、いつも何かこう、むかし、あの頃、
バカげた事で言い合って、ケンカをしていたね。
そして、そういった場面は、今でも鮮やかに覚えていて。
そういう、どこかで見た事のあるような場面は、
結局、僕は今でも一人で思ってしまうんです…と。
何か、そんなようなイメージなんです。
まぁ、男って、いつも寂しくて、儚いものなんですね。



~ここからラジオドラマ~


(高橋幸宏「四月の魚(インストゥルメンタル)」が流れる)


男(声:林隆三)
(ナレーション調)
「マンションの窓から、秋の街が見える。
透明な日差しの中で、街は、
とても涼しげな顔をしている。」


(暫くBGMのみ)

女(声:岡本麻弥)
「この街路樹の名前、知ってる?」
男「さぁ…?」
女「アメリカハナミズキっていうのよ」


(暫くBGMのみ)

男(ナレーション調)
「7階のこの窓から、街を見下ろしていると、
僕と彼女が、マンションに向かって歩いて来る。
彼女は脇に、金魚鉢を大切に抱えている。」

(註:男は、昔の彼女との思い出を、窓外に投影している)



女「ねぇ、この金魚鉢、窓のところに置きましょう。」
男「金魚も、買わなくっちゃ」
女「ううん。」
男「じゃあ…空っぽにして置くの?」
女「お水は入れて、毎日換えるのよ。」


(暫くBGMのみ)

(蛇口をひねって、水が出る音)

男(ナレーション調)
「その金魚鉢を、彼女が去ってから
僕は初めて洗った。
ずっと入れっぱなしになっていた
古い水を捨てて、新しい水を…入れた」


(BGM(曲名不明)が流れる)

女「フフ…ほら、窓枠のところに置くと、
水の中に、街の景色が見えるでしょ?」
男「水中都市だね…」
女「街が揺れてる…向うから見ると、
私も揺れてるかな…ウフフ」


(暫くBGMのみ)


(場面変わって、街の雑踏…車の行き交う音、クラクション)

男(ナレーション調)
「金魚鉢を持って、街に出た。
時々、ポーンと空に放り投げても、
やっぱり、両手で受け止めてしまう。
どこに捨てたらいいのか…分からない」


(BGM(曲名不明)が流れる)

男(ナレーション調)
「結局、公園の噴水の所にやってきて、
噴水の水の中に、静かにそっと、
金魚鉢を置いた。」


(別の男(声:高橋幸宏)が声をかける)

別の男「金魚…逃がしたんですか?」


男(ナレーション調)
「噴水の石段に腰掛けていた人が、
僕に笑いかけた」


高橋幸宏「フラッシュバック」が流れる


曲が終わり、CM入り。ここで、テープ終了。
(本編はここ迄で、CM明けはエンディングと記憶)


中古パチンコ台、パチスロ台の販売広告(1992年)

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(以前にも、似たような企画を行ったと思うが…)


今から20数年前であれば、当たり前の如く、パチンコ・パチスロの
攻略誌や漫画誌に掲載されていた、「中古台(通信)販売」の広告。




あらためてじっくり見直すと、当時の中古価格の「相場」が判るのは勿論、
「80~90年代・レトロ台リスト」としても、大いに楽しめる事に気付く。

そこで今回は、1992年(平成4年)のパチ・スロ攻略各誌に載っていた、
「セイワ」という中古業者の広告を紹介したい。

同社のあった住所(静岡)には、現在、パチと全く無関係な店舗が存在。
そういえば、以前にも「セイワ」の広告を紹介したと思うが、そのとき頂いた
コメントには、15年前の2001年頃に閉店…と書いてあったと思う。


因みに、92年当時は「セイワ」の他、「清本商会」(名古屋)、「マシン商会」(名古屋)、
「八田産業」(名古屋)、「ファミリーマシン商会」(名古屋)、「セブン商事」(西春日井郡)、
「ガロジャパン」(長久手)、「神尾商会」(津島)、「金武商店」(神戸)、「新谷商事」(新宿・
市ヶ谷)といった「常連」の中古業者が、数多くの攻略誌に広告を出していた。

今では、その大半が営業しておらず、上記の業者で、今も「健在」と思われるのは、
「マシン商会」と「金武商店」のみ(グーグルマップで金武商店を確認したところ、
入口に「テナント募集」の貼紙があったのが気になる)。これも、時代の流れか。
(その分、新規参入業者が、増えた感じもするが…)




以下、「セイワ」の中古台の販売広告(1992年当時)。


但し、広告中の表記では、機種名を正しく把握できない箇所もあるので、
正しい(と思われる)機種名、メーカー、区分、新要件/旧要件の別などを、
各画像の下に載せた。また、機種名が曖昧なものは、他機種の登場時期を踏まえて、
当方の判る範囲で推測した。どうか、ご了承のほどを。







(TELや口座番号など、個人情報に絡む部分は、一部加工)





                        (パチンコ篇)




6000円均一
・演歌道(三共、ハネモノ、旧)         ・ドリームW(奥村、デジパチ、旧)
・オールマイティ(三星、デジパチ、旧)    ・ブラボーエクシード(平和、デジパチ、旧)
・ギャラクシー(三洋、ハネモノ、旧)      ・ディスクジョッキー(大一、ハネモノ、旧)
・ハッピーロード(三洋、ハネモノ、旧)     ・ドッキリマン(三共、ハネモノ、旧)
・ピエロII(三洋、ハネモノ、旧)         ・ゼウス(平和、ハネモノ、旧)
・モンスターキッド(奥村、ハネモノ、旧)    ・パラボラ(×ドラ)(京楽、ハネモノ、旧)
・フェニックス(大一、ハネモノ、旧)       ・ファミリー(大一、一発台(普通機)、旧)
・タコヤキDX・SP(三共、ハネモノ、旧)    ・グレートクイーン(大一、デジパチ、旧)
・シェイカー(大一、ハネモノ、旧)        ・ダブルリバース(奥村、ハネモノ、旧)
・パールセブン(マルホン、デジパチ、旧)   ・め組II番(京楽、ハネモノ、旧)
・スーパーロボット(西陣、権利物、旧)
・ドリームX(奥村、デジパチ、旧)

(旧…旧要件機)





7000円均一
・トランプカード(京楽、デジパチ、旧)       ・うちのポチ(三共、ハネモノ、旧)
・マーブルX(奥村、デジパチ、旧)         ・ブラボー極II(平和、デジパチ、旧)
・パニックコスモ(三洋、デジパチ、旧)       ・サンダードラゴン(?)※ 
・ダービーII(京楽、デジパチ、旧)         ・スーパーターボ(マルホン、デジパチ、旧)
・乾杯(平和、権利物、旧)              ・CR-V(西陣、ハネモノ、旧)
・ルーレットエース(平和、権利物、旧)       ・パチンコ大賞(西陣、ハネモノ、旧)
・フィーバーザウルス(三共、デジパチ、旧)    ・ブルドーザーおじさん(大一、ハネモノ、旧)
・(フィーバー)レクサスVII(三共、デジパチ、旧)     ・(フィーバー)フラッシュ(I)(三共、デジパチ、旧)
・ブラボーリンクス(平和、デジパチ、旧)      ・ミスターフォール(西陣、ハネモノ、旧)
・センチュリーB(平和、デジパチ、旧)        ・キャスター(マルホン、デジパチ、旧)

※「サンダードラゴン」といえば、三共の新要件ハネモノ「サンダードラゴンGP」が
有名だが、この7000円の欄を見ると、ご覧のように「旧要件機」ばかり並んでいる。
ひょっとして、これは、「サンダーアーム」(奥村、ハネモノ、旧)の誤記だろうか?
或いは、「サンダードラゴン」という同名の旧要件機が、過去に存在したのか。
因みに、新要件「サンダードラゴンGP(EX)」は、下の「8000円均一」のリストに、
ちゃんと入っている。コチラの正体は、果たして…今後も調査を続ける。




8000円均一
・フィーバーフラッシュSP(三共、デジパチ、新) ・ダブルエース(ニューギン、権利物、新)
・(ブラボー)ストロングα(平和、デジパチ、新)  ・カクテルA(大一、デジパチ、新)
・ニュートキオ(平和、ハネモノ、新)        ・ウルトラセブン(マルホン、デジパチ、新)
・道路工事GP(三共、ハネモノ、新)        ・スペースマウンテン(豊丸、権利物、新)
・ニューモンローI、II(西陣、ハネモノ、新)    ・サンダードラゴンGP(三共、ハネモノ、新)
・ルーキーデルタI・MH(西陣、デジパチ、新)  ・サンダードラゴンEX(三共、ハネモノ、新)
・スターマイン(ニューギン、デジパチ、新)    ・マーブルDX(奥村、デジパチ、新)

(新…新要件機)
※上記は、いずれも1991年リリースの新要件機。
そんなに古くない(当時)なので、値段もちょっと高い。
(それでも、8000円は、今ならお得に思える)


(その他…「8000円均一」の台よりも新しい、人気が高いなどの理由で、
さらに値段を高く設定。なお、値段が「?」となっているものは、ホールでの
人気が特に高く、価格も変動し易い為、電話にて「時価」を確認。

ニューヨーク(三洋、権利物、新)…¥10000   ・ブラボークイーン(平和、デジパチ、新)…¥10000  
名人会GP(三共、ハネモノ、新)…¥10000 ・グレートクイーン(大一、デジパチ、旧)…¥10000
トルネード(高尾、デジパチ、新)…¥10000   ・ドリームZ(奥村、デジパチ、新)…¥12000
バレリーナ(平和、権利物、新)…¥ ?      ・リバティII(奥村、デジパチ、新)…¥10000
マッドボーイ(三共、ハネモノ、新)…¥10000  ・マーブルDX(奥村、デジパチ、新)…¥9000
ビッグポーカー(三共、権利物、新)…¥10000 ・フィーバーマキシムEXIII(三共、デジパチ、新)…¥?
トランプエース(京楽、デジパチ、新)…¥10000 ・ニューピンボール(西陣、ハネモノ、新)…¥10000
ニュークーデター(西陣、権利物、新)…¥12000 ・アメリカンドリームP2(豊丸、電役、旧)…¥7000
(F)スパークED(三共、デジパチ、新)…¥ ? ・Vツイン(ニューギン、ハネモノ、新)…¥10000
サーカスIII(三洋、ハネモノ、新)…¥10000  ・パラダイス(奥村、デジパチ、新)…¥12000
バットマン(平和、ハネモノ、新)…¥13000 ・バイキング(キッド)※※(平和、ハネモノ、新)…¥15000
マンモス(くん)※(ニューギン、ハネモノ、新)…¥10000

※「パニックマンモス」(三洋、デジパチ、旧)も、
当時「マンモス」と呼ばれる事があった。

※※平和の昭和期の権利物「バイキング」もあるが、時代が他機種と違い過ぎる。


なお、上記は「グレートクイーン」(大一)と「アメリカンドリームP2」(豊丸)を除き、
全て「1991年」リリースの「新要件機」(比較的新しい為、やや強気の価格設定)。
アメリカンドリームP2は、1991年に導入されたが、区分は「旧要件」一般電役。
グレートクイーンは、「1990年」登場の「旧要件」デジパチ(ヤッコ凧の盤面が特徴)。

そういえば、グレートクイーン(¥10000)は、6000円均一のコーナーにもあったが、
状態の良し悪しによって、同じ機種で価格が違う事はよくあるので、特に問題ない。
ならば、先述した7000円コーナーの「サンダードラゴン」も、やはり例の大量獲得
ハネモノであり、8000円のものより状態が1ランク下…という意味にも解釈できる。
一応、そういう事にしておこう。




                           (パチスロ篇)


コンチネンタルIII(メーシー、3-1)…¥ ?
コンチネンタルI(瑞穂、3-1)…¥ ?
セブンボンバー(バルテック、3-1)…¥30000
ミラクルUFO(タイヨー、3-1)…¥28000


・リバティベルIV(ユニバーサル、2-2)…¥ ?
・センチュリー21(瑞穂、2-2)…¥18000
・ワイルドキャッツ(アークテクニコ、3-1)…¥ ?
・リノ(ニイガタ電子、3-1)…¥ ?


・バニーガール(オリンピア、2-1)…¥13000
・スーパーウィンクル(高砂、2-2)…¥15000
・アラジン(ニイガタ電子、2-2)…¥ ?
・ロックンロール(エーアイ、2-2)…¥15000
・スーパーセブン(パイオニア、2-1)…¥15000
・クレイジーバブルス(アークテクニコ、2-2)…¥13000
・ビッグパルサー(山佐、2-2)…¥ ?
・アラジンII(サミー、3-1)…¥ ?
・スーパーバニーガール(オリンピア、2-2)…入荷予定




                     (別売品)


「パチン置台」の表記が、何となく、トボケた感じで可愛い。
当時は、「クギ」を読めるか否かが、勝敗の大きなポイントだったので、
自らゲージ棒とハンマーを買って、家で微調整を覚えるのも、勝利の近道。
店がそのクギを叩くと、当局に「叩かれて」しまう昨今、何とも味気ない…。








(雑誌掲載分は、あくまで在庫の一部。直接の来店なら、セット3000円~の格安販売アリ)



 (中古台購入までの流れ)

ドラマ「やまとなでしこ」(松嶋菜々子、堤真一)のパチンコロケ

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ドラマ「やまとなでしこ」(フジテレビ、月9枠)


・放映期間
2000年(平成12年)10月~12月(全11回)

・脚本
中園ミホ、相沢友子

・企画
石原隆

・演出
若松節朗、平野眞

・出演
松嶋菜々子、堤真一、矢田亜希子、西村雅彦、筧利夫、
東幹久、森口瑤子、須藤理彩、相島一之、市毛良枝 ほか

・主題歌
MISIA「Everything」

・平均視聴率
26.4%



本作は、2000年(平成12年)にオンエアされたドラマの為、厳密には
「90年代ドラマ(とパチンコ)」の範疇ではない。しかし、個人的には、
随所に「90年代テイストの残り香」が、色濃く漂う作品だと思っている。
(客室乗務員を、CAではなく「スチュワーデス」「スッチー」と呼んだり)


主人公、松嶋菜々子の魅力が存分に出ており、相手役、堤真一の存在感も絶大。
脇を固める面々も、西村雅彦、筧利夫、森口瑤子、市毛良枝など、実力派揃いだ。
ラブコメディという軽いスタンスながらも、ドラマ全体の完成度は、非常に高かった。
矢田亜希子も可愛かったな…。


後に起きた共演者の不祥事で、地上波での再放映は難しいといわれるが、
DVDやCS放送などを通じて、多くの方に見て頂きたい名作ドラマである。



(あらすじ)

幼少期のトラウマから「貧乏」を何より忌み嫌う、美人スチュワーデスの桜子(松嶋)。
自分を幸せにするのは「お金だけ」と信じてやまず、玉の輿を狙って、暇さえあれば
合コン通い。付いた仇名は「合コンの女王」。その場その場で、気に入った金持ちの
男が見つかると、持ち前の美貌と、巧みな言動で手玉に取る。

合コン用の洋服に給料の大半を費やす彼女は、その高飛車な態度とは裏腹に、
安アパートで即席麺を啜る毎日。もちろん、そんな姿は男たちに見せられない。
目下、大病院の御曹司、東十条(東)が本命だが、もっと好条件の男が現れれば、
乗り換える気は満々。

ちょっと「歪んだ」価値観の桜子だが、欧介(堤)という男性との出会いを通じて、
お金よりも「人を愛する心」の方が大切な事に、徐々に気付きはじめる。欧介は、
数学者の人生に挫折して、父の死を機に実家の魚屋で働く、純朴で弱気な青年。

ある時、欧介は、合コンで桜子と出会うが、かつてフラれた恋人と瓜二つだった為、
彼女に好意を抱く。最初は、合コンをセッティングした友人の頼みで、身分を「医者」と
偽って桜子と付き合うが、嘘がバレた途端、酷く嫌われてしまう。それでも、彼女を
諦めきれない欧介。一方の桜子も、一度はフッておきながらも、どこか他の男性とは
違う魅力を欧介に感じていた。

一方、その欧介に桜子を取られる事を恐れてライバル心を燃やす、ボンボン息子の
東十条。惚れた弱みで桜子にはめっぽう甘く、彼女の言葉なら何でも信じてしまう、
超のつくお人よしだ。

その後、桜子と欧介は、事ある毎に衝突し、誤解し、強がり、嘘をつき、葛藤して
すれ違いを続けるが、お互い気付かぬうちに、惹かれあっていく。だが、桜子の
拝金主義的なトラウマは根深く、なかなか欧介に本心を出せない。また、欧介も、
過去の失恋をひきずっていて、素直な気持ちを桜子に伝えきれずにいた。
そんな中、桜子の後輩である若葉(矢田)が、欧介の純朴さに強く惹かれる。

二つの奇妙な三角関係が絡み合う中、桜子と欧介の恋の行方は、果たして…?





さて、本作では、第8話「やさしいウソ」において、パチンコ店でのシーンが登場する。


心労で倒れた欧介の母、富士子(市毛)から、「欧介は、お金で買えない、たった一つの
大切なもので、貴方を幸せにしてくれる」と告げられた桜子。その大切なものが「何か」を
知りたい桜子は、欧介と行動を共にする事で、答えを見つけようとする。図らずも、
桜子から「デート」を申し込まれた欧介は、彼女を場末の居酒屋やパチンコ屋、
バッティングセンターといった、馴染みの場所へ連れて行く。

どれも、金持ちとは無縁の地味なスポットだが、生まれて初めての体験に、桜子は
意外にも「地味デート」を楽しむ。その後、二人して桜子のアパートに戻ると、そこへ
彼女の「本命」、婚約者の東十条が現れる。婚前の浮気を勘ぐられて、絶体絶命の
ピンチを迎えた桜子。すると、欧介はとっさに機転を利かせ、巧みなウソの弁明をして、
東十条を納得させて、桜子の窮地を救う。




(C)フジテレビ
桜子(左)をパチ屋に誘った欧介。二人並んで打つが、自分の台はサッパリ。あっさり
玉を使い果たす。「さあ、帰りましょう」と隣を見ると、桜子の台がビギナーズラックで
大当り。上皿から玉が次々と溢れて、初心者の桜子はパニックに。この時、
玉のこぼれ方が「発射装置」を使って、勢いよく玉を噴射させていて、いかにも
ラブコメらしい、コミカルな演出になっている。
ドラマ「GTO」では、パチンコ好きの教師、冬月あずさ役で「CRモンスターハウス」を
一人で打っていた松嶋だが、本作では「パチンコ未経験」という設定。


桜子が大当りした瞬間。潜望鏡風のデジタル画面と、液晶のマリンちゃんから、
1995年(平成7年)夏に登場した、初代「ギンパラ」シリーズの台と判る。
ただ、当時、ギンパラはスペックの異なる4種類の台が出回っていたから、
その何れかか「判別」する必要はあろう。
台間の玉貸機を見れば、CRでなく現金機と判るが、その現金機にも3種類ある。


「CRギンギラパラダイス」(CR権利物、1/2ループ)
「ギンギラパラダイス」(現金機、3回権利、6000発仕様)、
「ギンギラパラダイス2」(現金機、2回権利、4000発仕様)
「ギンギラパラダイスV」(現金機、3回権利、8R/16Rのラウンド振分。2400~5800個)


上の接写画像でどの台かピンとくれば、「90年代パチンコ検定3級」(笑)

では、答え合わせ。


CRギンギラパラダイス(CR機)…1/2確変ループ。
賞球…5&10&15
大当り確率は3段階の設定付
設定1:1/223、設定2:1/241、設定3:1/257



3回権利のギンギラパラダイス(現金機)
賞球…7&15、出玉6000発
大当り確率:1/323



2回権利のギンギラパラダイス2(現金機)
賞球7&15、出玉4000発
大当り確率:1/247



変則3回権利、ギンギラパラダイスV(現金機)
賞球6&13
権利発生後、7セグで8R(L)or16R(H)の振り分け(1/2で振り分け)。
出玉2400~5800個(8Rばかりだと出玉少)
大当り確率:1/239



デジタル周りのデザイン(放射状ライン)を見れば、撮影で使われた台が、
2回権利「ギンギラパラダイス2」である事は、もはや一目瞭然であろう。
2000年にロケが行われたドラマで、95年リリースの台を使う辺りも、
やはり古き良き「90年代テイスト」を感じさせる。




(C)フジテレビ
上皿から溢れて床に落ちた玉を、慌ててドル箱にかき集める欧介。
この時、桜子に「この台、もう一度当りますからね」と話しかけていて、
2回権利の「ギンギラパラダイス2」である事を暗示している。



(C)フジテレビ
大きなゴリラのぬいぐるみなど、沢山の景品をゲットして、店を出る二人。
ロケ店のクレジットは無いが、頭上のネオンから、店名が「ラッキー7」だと判る。
当時、同名のホールは複数あったが、確か、この昭和チックな緑のネオンは、
かつて、JR目黒駅の近くにあった「ラッキー7」ではないか(閉店後、跡地には
「ガイア目黒店」がオープン)。ただ、確証がないので、今後も調査を続ける。

ウルフエムX(アルゼ、4号機)

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過日、「Windows10」へのアップグレード絡みで、当方が意図しない形で
「自動更新」がいきなり行われた挙句、PCが予期せぬ不調をきたして、
丸々四日間、インターネット接続のできない状況に陥った。

昨日になってようやく復旧したが、不具合解消までの心理的ストレスは、
結構なものがあった。もっと、ユーザー意思を尊重した対応というのが、
できないものだろうか?

まぁ、個人的な愚痴や不平は、ほどほどにしておいて。

本日から、通常通りに更新を再開(のんびり更新ではあるが)。



今回は、1998年(平成10年)に登場したパチスロ4号機
「ウルフエムX」(アルゼ)について、ちょっと振り返ってみたい。




(役構成)
・「赤7・赤7・赤7/オオカミ・オオカミ・オオカミ」…15枚+Big Bonus
・「オオカミ・黒・黒/黒・黒・黒」…2枚+Single Bonus
・「スイカ・スイカ・スイカ」…15枚
・「プラム・プラム・プラム」…4枚(ビッグ中は10枚)
・「黄色チェリー」…4枚
・「月」…リプレイ



「確かに面白いけれど、なんか相性が悪い…」

現役時の本機の印象を一言で表すと、こうなるだろうか。

新宿・歌舞伎町、靖国通り沿いの「グリンピースタワー」で
幾度も対峙したが、当方の想いとは裏腹に、展開に恵まれず
返り討ちに合う惨敗パターンを、たびたび食らった。



愛嬌ある「黄色オオカミ」も、あまり微笑んではくれなかったな…。


同フロアに並んだAタイプ4号機「ボーナスショップ」(ECJ)なら、
かなりの勝率を誇ったし、やはり同フロアにあった集中付きCT機
「チェリー12X」(アルゼ、本機の兄弟機、配列共通)でも、好調で
ドル2まで伸びた事なら何回もある。

だが、本機で快勝した記憶は、ほぼ皆無。せいぜい、ドル箱1杯サラ盛りの
「ショボ勝ち」がいい所。大半は、追加投資を繰り返しての、飲まれヤメ。

まぁ、それだけ相性の悪い台でも、最後の実戦から15年近く経てば、
自然と郷愁を覚える訳で、こういった回顧記事だって書きたくなる。

そうそう、2種類あるビッグのファンファーレやBGM、それに
JACゲーム時のブルース調サウンドも、耳に残るテイストだった。




さて、本機は、いわゆる「BC-CT」タイプの4号機である。

「BC」とは、シングルボーナス集中付きのBタイプ。Bタイプゆえ、
主流のAタイプと違い、ビッグ中のJACゲームは2回(Aタイプは3回)。

しかも本機は、小役ゲームが「20G」と少なく、JACも「6回当選」まで。
ビッグ獲得枚数は、平均約200枚。小役ゲーム30G、JAC8回当選のA400と
比べて、ビッグ1回の出玉は格段に落ちる。

さらに「シングル集中」がある為、Bタイプにしては、ビッグ確率も低い。

また、本機にはビッグ、CT、集中があるが、レギュラーボーナスは無し。
その為、投資がやや嵩みやすい特徴もあった。


次に「CT」だが、ご存知「チャレンジタイム」の略称。ビッグ後、
決められたゲーム数の間、特定のリールが「無制御状態」となり、
目押しで小役の連続払い出しが可。無論、「永久に無制御」という
訳ではなく、規定ゲーム数又は純増枚数を超えると、CTも終わる。
CT中にビッグを引けば「CT連チャン」で、大量獲得のチャンス。
しかも、本機はCT中も集中の抽選があって、シングルのJAC分は
純増に含まれないから、CT中の集中当選なら、出玉はさらに増加。

「ビッグ確率が悪い、ビッグ出玉が少ない、バケ無し」の欠点はあれど、
ビッグ、CT、集中の「三役」ががうまく絡めば、結構な爆裂を見せた。

かくして、ゲーム性自体は、非常に「香ばしい」部類に入るが、
個人的には、どうにも「負け易い」イメージが付きまとう本機。
月並みな言葉だが、やはり「相性が悪い」と思ってしまう。

では、当時の私が、いかに本機と相性が悪かったかについて、
基本スペックを交えながら説明しよう。



まず、ビッグボーナス確率(REGは非搭載)。

設定1 1/348.6
設定2 1/327.7
設定3 1/309.1
設定4 1/292.6
設定5 1/273.1
設定6 1/240.9

この数字を見ても、さほど違和感は覚えない。Bタイプにしては
低い値だが、先述の通り集中役が原因なので、特に問題は無い。
また、実戦で、初当りまでに1000オーバーのハマリを食らったり、
終日ビッグ確率が1/600を切ったりした記憶はない。ビッグの「ヒキ」で
見れば、割と確率通りに引いており、相性の悪さも感じなかった。



次に、本機の肝、シングルボーナス集中の確率。

設定1 1/1638.4
設定2 1/1260.3
設定3 1/963.8
設定4 1/780.2
設定5 1/655.4
設定6 1.546.1

こちらも、さほど違和感のない数値。ガンガン集中に入るタイプでは
無かったが(特に低設定域はキツい)、グリンピでは中間設定以上に
座る機会が多かったせいか、集中のヒキ自体も案外とマトモだった。

因みに、本機はビッグ又は集中に当ると、リール窓右の赤い「WINランプ」が
点灯(完全告知)。点灯後にリーチ目が出ればビッグ、シングルなら集中だ。
また、払い出しアリのゲームで点灯すれば、集中が確定。ランプが消えたら、
自力のパンクを意味する(7パンならランプは消えず)。



では、シングル集中の「パンク」確率(7パン除く)は、どうだったか?

1/160(全設定共通)

うーん、これが、どうにも腑に落ちない(汗)

解析上、自力パンク確率は「設定不問で1/160」だが、個人的記憶では、
体感的に「1/50」くらいの確率で、速攻のパンクが多かった覚えがある。

集中パンクは、自力の他に「途中でビッグ当選」もあるから、7パンを含む
パンクは「1/160」より高い。だが、それにしても、「集中が続かない」
展開ばかりが記憶に刺さる。集中を引いた時、嬉しさよりもWINランプが
すぐ消えてしまわないか…という恐怖の方が、常に強かった。
(そして、実際、いつもすぐに消えたのだ)

酷い時など、ランプ点灯⇒シングル⇒JACハズレ※⇒2ゲーム後に消灯と、
コインが全く増えず、せっかくの集中が、急ぎ足で去っていった事もある。
まぁ、2号機、3号機の集中機でも、しばしば食らったパターンだが…。

(※本機は、シングル当選時、JACハズレが頻発)


それと、集中の理想的な展開といえば、「なるべくパンクを回避して、
最後はビッグで終了」がベストだろう。しかし、私が集中に入ると、
なぜか、すぐにビッグが当ってしまう「速攻7パン」にも捕まった。
自力パンクではないし、「集中⇒ビッグ」の連チャンではあっても、
タイミング的にサッパリ嬉しくない。

なお、集中時にビッグが成立しても、WINランプは点灯したままで、
特に告知は行わない。よって、「完全告知」とはいえ、ある程度の
リーチ目も覚えていないと、フラグ察知が遅れてコインロスに繋がる。

基本となる「ビッグ図柄の一直線」は勿論、赤7中段テンパイ(二確)、
シングル(WOLF)のハサミ中段テンパイ(シングルハズレで入り)、
赤7の右下がりテンパイ(シングルハズレで入り)、左・上段オオカミ⇒
中・下段チェリー付き赤7(二確)など、味わい深い「入り目」も
少なくなかった。



次に「CT」に関して。

本機は、ビッグ終了後、リール窓下の3桁デジタルで、CTの当否を告知。
(内部的には、ビッグフラグ当選の瞬間、すでに当否も決定済みだが…)

で、肝心のCT突入率はというと…

39.06%(全設定共通、3枚掛け時)

うーん、これも、ちょっと違和感のある値だ。

スペック上、4割弱、つまり「ビッグ5回に2回」程度はCTに入る計算だが、
当時の実戦を振り返ると、その半分の「10回に2回」(2割)程度でしか、
CTに入ってくれなかった。引いても、引いてもノーマルばかりで辟易して、
展開の悪さとヒキ弱を恨んだことも多い。

ただ、CT告知時の演出が凝っていて、「777」が止まるとCT当選となる
デジタルの動きに、計9通りのバリエーションがあったから、ヒキ弱で
CTハズレが続いても、全く飽きなかった。むしろ、どの演出が出るか、
それ自体を、毎回楽しんでいた気もする。

「111」⇒「222」⇒「333」⇒と全回転したり(この動きにも2パターンアリ)、
「333」⇒「555」⇒「777」⇒と奇数の全回転だったり、「212」⇒「222」⇒
「323」⇒「333」⇒と左右ゾロ目を中デジが追ったり、「554」⇒「555」⇒
「655」⇒「665」⇒「666」と左から1個づつ数字が変わったり、「中右同時回転⇒
右のみ回転」に発展したり、中デジが「7」のまま左右が動いたり、高速回転中に
ゾロ目が一瞬止まって予告をしたりと、バラエティに富んだ演出だった。
特に、高速回転からダイレクトに「777」がビタ止まる演出は、CT当選率100%。



続いては、CTの終了条件を見てみよう。

ビッグ後60ゲーム消化
純増枚数200枚以上
CT中のビッグ当選

これは、目押しでカバーできるから、「相性」とは無関係かもしれない。
ただ、CTで出玉をガッツリ増やそうとした矢先、ビッグの1ケタ連で
CTが速攻で終わって、しかもそのビッグがCT非当選…なんて事も
度々あったので、ここでも相性の悪さを感じざるを得ない。

なお、当時のCT機の代表格「ウルトラマン倶楽部3」(サミー)は、CTが
100ゲーム継続。また、高い技術介入性がウリの「ジャパン2」(同)は
99ゲーム継続。さらに、本機の兄弟分「チェリー12X」(アルゼ)だと、
150ゲームも継続する。よって、本機の60ゲームは短めといえる。

そういえば、マンクラも、ジャパンも、チェリー12も、本機と同様、
グリンピタワーの3Fに「鎮座」していた。いわば「CT天国」のフロアだが、
そこで一番多く座ったのは、Aタイプの「ボーナスショップ」だった…

CT継続が短い分、本機には「集中」があり、CT中も集中を抽選していた。
当たれば、CT完走後も、1/160のパンクorビッグ成立まで、集中は継続。


ただ、私自身は、CT中の集中の経験が、数える程度しかなく、しかも、
速攻パンクが大半だった。まぁ、CT自体のヒキの悪さも原因なのだが、
これも、やはり「相性の悪さ」がなせる業か。

因みに、CT消化中に集中に当たると、普通にWINランプが点灯するが、
CT効果音もランプ点滅もそのまま。一方、CT中にビッグに当選すると、
同じくWINランプが点くが、BGMとランプ点滅がピタッとやむので、
すぐ気づく。集中時のビッグと違い、フラグ察知が遅れることはない。




そんなわけで、過去の勝率は良くなかったが、ビッグ中のリプレイハズシ、
CT時の小役狙い、小役ハズシなど、それなりに技術介入性もあったから、
勝敗不問で「遊技」として楽しめたのも事実である。

通常時は、取りこぼしアリの「スイカ」(15枚)とチェリー(4枚、8枚)を
カバーする打法もあったが、いずれも出現率が低い為、全リール適当打ちでOK。
メイン小役は、4枚役の「プラム」で、こちらはこぼし無し。

また、集中でなくても、シングルが揃う事はあったから、シングルのヒキで
コイン持ちも大きく変わった。但し、シングル当選でも、「JACハズレ」で
スカされるケースも多かった。



ビッグ中は、メイン小役のプラムが「4枚」から「10枚」にアップする為、
一定のハズシ効果があった。ただし、小役ゲームが20Gと短い上に、
JACインやハズレも多発したので、劇的なコイン増加では無い。
適当打ちで200枚のところ、ハズせば平均でプラス15枚程度だったと思う。

また、JACゲームが2回(JACは6回当選まで)の為、パンクは禁物だが、
JACインのヒキ弱で、外してないのに1パンを食らったりもした(引き弱)。

ハズシ手順は様々あるが、私は、プラムとJACイン(ハズシ)のみに
的を絞った、「スピード重視」の手順が好きだった。
(スイカもキッチリ狙うのが、最善策ではあるが…)

スイカ無視の場合、1回目の小役ゲームは、順押しで、全リール適当打ち。

2回目に入ったら、「右⇒中」の順で適当押し。中段プラムテンパイ時は、
左適当押しでもプラムが揃う。他のラインにプラムがテンパった場合、
左枠内に黒い「WOLF」を狙って、プラムをフォローする。
(左適当打ちだと、プラムをこぼす箇所アリ)

一方、逆押しでリプレイがテンパイ(左下がり)したら、左リール中or下段に
「上にチェリーの付いたオオカミ」を狙ってハズす。手順は、さほど難しくない。


次に、CTの消化手順だが、ある程度の純増枚数に届くまでは、左枠内に
「オオカミ・2連チェリー・オオカミ」の黄色い塊を、毎ゲーム狙っていく。
(目押し力に自信があれば、15枚の「スイカ」を全リールビタで狙えば、
チェリー狙いよりも早く枚数が増えるが、その分、難度も高い。)

このとき、左枠内に2連チェリーがうまく止まれば、12枚の払い出しがある。
一方、単独(角)チェリーの払い出しだと、8枚になる。左2連チェリーと
単独チェリーでは、払い出し時の効果音が異なる。

上記手順で打ち進めると、やがて、筐体上部の赤ランプの点滅パターンが、
「左⇒中⇒右と光が流れる」から、「左・中・右が同時点滅」に変化する。
これが「純増177枚以上」の合図だ。点滅パターンが変わったら、以降は
左枠内に黒い「WOLF」を狙って、チェリー回避でCTパンクを防ぐ。

その後は、赤ランプ点滅が「流れる」になったら左「2連チェリー」狙い、
「同時点滅」に変わったら左「WOLF(黒)」狙い…を繰り返すだけ。

CT中は、リール窓下の7セグに、残りゲーム数が表示されるから、
残り5ゲームからはチェリー狙いに戻して、純増200枚の完走を目指す。



(「ウルフエムX」の項、了)

チャレンジマンAZ(尚球社、2号機)

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1990年(平成2年)に尚球社(現・岡崎産業)から登場した
2-2号機「チャレンジマンAZ」



   
      (青パネル)               (赤パネル)


★ボーナス確率

     BIG  REG SIN集中 パンク
設定1 1/710 1/817 1/714 1/110
設定2 1/628 1/723 1/667 1/112
設定3 1/553 1/637 1/556 1/115
設定4 1/493 1/568 1/500 1/118
設定5 1/449 1/516 1/455 1/122
設定6 1/404 1/465 1/417 1/128



★払い出し表(1)

※ビッグ中の小役ゲーム、JACゲームは3回
※ビッグ獲得枚数は約360枚、バケ獲得枚数は約90枚


★払い出し表(2)

※シングル時、1枚掛けで1リール「P」停止⇒15枚(ハズレ無し)
※シングル時の純増枚数は、3枚+14枚で17枚


★フォトギャラリー
(レトロスロゲーセン、新宿「ミリオン」で過去に撮影)


(7揃い…ビッグ中のBGMは「おもちゃのチャチャチャ」)


(BAR揃い)


(「AAA」(シングル)揃い)


(ドクロ揃い…本機の「肝」となる図柄)


(下パネル…当時としては、かなり前衛的なデザイン)




本機は、よく「人気の無いマイナー機」の一言で評されるが、
決して正確とは思わない。少なくとも、私の活動範囲だった
新宿の「日拓本店」(西武新宿駅前通り)や高田馬場の「日拓」
(早稲田通り)では、かなりの人気を誇り、夕方に来店すると、
空き台探しに苦労する程、客つきが良かったのを覚えている。

確かに、全国的には不人気かもしれないが、局地的に見れば、
ある時期、それなりに勢いはあった。ただ、3号機の台頭に伴い、
あっさり新台に入れ替えられて、設置期間が短めだったのも事実。
それ故、印象の薄い人もいるだろう。



本機は、2-1号機「チャレンジマン」(体感器攻略の発覚後、
「チャレンジマン2」へ改修)の後釜として、平成2年春に登場。

チャレンジマンは、「ジャンボフルーツ」と称する小役の集中で、
一撃数千枚の爆裂が期待できる荒波スペックだったが、本機には
小役の集中が無い。代わりに、シングルボーナスの集中役を搭載。

本機のシングル集中は「チャレンジゲーム」と呼ばれたが、
他に「AZパニック」と称される事もあった。ともかくも、
本機はシングル集中を搭載した、「A-C」タイプ2号機である。

ジャンボフルーツは、大きな爆発力が最大のウリだが、その分、
突入率が低く抑えられていた。一方、本機のシングル集中役は、
最低設定で1/714、設定6なら1/417。割と良心的な数値だった。
ただ、入り易い分、パンク確率は1/110~1/128(設定差有)と高い。

集中のパンク契機については、純粋にパンクフラグを引く他、
BIGやREGを引いても、パンクとなる。バケでもパンクするが、
REG確率は、他機種よりも低くなっていた。また、集中機ゆえ、
ビッグ確率も辛めである。

ボーナスでパンクしづらい仕様とはいえ、やはり、本機の集中は
「入りやすく、抜けやすい」のが特徴である。したがって、
ワンチャンスでの大量獲得というよりも、何度も集中に入れて、
ビッグの連チャンも絡めつつ、出玉が増えていくケースが多い。

実戦時の記憶だと、低確率のビッグが、50ゲーム内に連チャンする
ケースが結構あって、集中ナシでドル箱が満タンになったりした。
これに、長めのシングル集中が絡めば、一気にドル2、ドル3と積み上がる。
但し、反動のハマリもキツく、ドル1程度なら、あっさり飲み込んでしまう。
チャレンジマンよりマイルドな波がウリではあったが、ヤメ時を間違うと、
手痛い目に遭うのが本機だった。



集中に当選すると、シングルボーナス図柄の「AAA」「ZZZ」が
頻繁に揃うようになる。同時に、プラム(8枚)確率も大幅アップ。
また、左リールでシングル図柄を優先的に引き込むと共に、
中リールでシングルをテンパイさせる制御が働く。
(⇒テンパイ音が頻繁に鳴る)

したがって、シングルが揃った後、立て続けにシングルが来たり、
シングルのテンパイが続いたりすれば、集中当選の可能性が高い。
シングル当選後は、リール窓上のランプが点滅して、打ち手を煽る。

なお、新宿「日拓」では、頭上の「パトランプ」も集中の告知に
一役買っていた。本機のシマのパトランプは、左右に2個の小さな
ランプがあって、最初にシングルが揃うと、一番左のみ点滅を開始。
以後、2連続揃いだと2個、3連続なら3個点滅と進み、シングルが
4連続で揃うと4つのランプが全灯して、集中当選を知らせる仕組みだった。



先述の通り、集中の途中でパンクフラグを引くか、BR何れかの
ボーナスが入ると、集中はパンクする。このとき、集中の終わりを
告げる忌まわしき図柄が、黒と黄色の「ドクロ」であった。



これが1度出ると、まずもってパンクを疑う。本機では、集中がパンクすると、
ドクロの出現率が大幅アップするからだ。但し、パンクとは無関係に出る
「ガセ」のドクロもあったから、完全に諦める必要はなかった。
ドクロが来ても、再びシングルが揃ったり、シングルテンパイが続けばセーフ。
一方、ドクロ後にシングルが来ず、テンパイも崩れたら、パンクを覚悟すべし。

但し、ドクロは「集中パンク目」であると同時に、ビッグorバケの
強力な「リーチ目」でもあった。したがって、ドクロが何度も
揃った場合は、7パン又はREGパンの可能性が高くなる。
(一度揃っただけでは、パンクやガセドクロの可能性もある)

因みに、ドクロは、設定変更後やビッグ終了後にも出現しやすい。
これを利用した、「設定変更判別」も存在。

また、ボーナス成立後は、チェリー確率も大幅にアップする為、
集中時、チェリーが立て続けに出たら、BRパンクの可能性大。


ドクロ同様、ガセもあるが、チェリーはボーナスの大チャンス。

 
チェリーと共にテンパイしたボーナスが、成立の可能性大


通常時、プラムは中段に揃わないが、
BR成立後は中段に揃う為、これもリーチ目。
但し、ドクロやチェリーより出現率は低い。



※ドクロやチェリーの確率アップ状態(等倍返し)を利用して、
ボーナス成立後、両図柄を毎ゲーム狙うことで、ジワジワと
コインを増やす「チェリー抜き(ドクロ抜き)」が可能、との
噂が一時期流れた。だが、解析の結果、ドクロ、チェリーの払い出しで、
差枚数が一定以上になると、両図柄とも揃わなくなる為、実際は
「現状維持」程度の効果しかなく、噂はガセと分かった。


(チャレンジマンAZの項、了)

ジュピター2(ニューギン、デジパチ)

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1991年(平成3年)にニューギンから登場した
初期・新要件デジパチ「ジュピター2」


★賞球…7&9&15(ヘソ7個、アタッカー15個、他は9個)
★大当り確率…1/204.8(一発判定)
★最高16ラウンド継続(10カウント)
★出玉…約2300個
★意図的な連チャン性…無し


あまり名の知られていない本機だが、何を隠そう、平成3年の
記念すべき「ニューギン新要件デジパチ・第1弾」に当たる。

同時期には、トランプがモチーフのドラム機「エキサイトポーカー」
(「グランドエキサイトG」の新要件Ver)も出たが、コチラは
同社の新要件デジパチ・第2弾となる。


まぁ、中身はといえば、直前の旧要件末期にリリースされた
「エキサイトワープ」(1990年)の新要件Verに過ぎず、
賞球数や継続R以外、大きな変更点は無い。当然、エキサイトワープに
あった「おまけチャッカー」は無く、出玉は画一化されてしまったが、
FL蛍光管を使った美麗なデジタルは、そのまま移植された。


7セグ調デジタルの周囲で、カラフルな放射状の模様が、グルグルと回転。
大当り中は、さらに鮮やかな演出に変化。赤、黄、青などの派手な色彩が、
毒々しささえ漂わせた。デジタル停止順は「左⇒右⇒中」。大当り図柄も、
エキサイトワープと同じ。赤数字の0~9のゾロ目(10通り)か、白抜きの
奇数(1、3、5、7、9)のゾロ目で大当りとなる。アルファベットは無し。

即ち、デジタルの図柄は全15通りで、表面上の確率は1/225となるが、
内部確率は1/204.8と、大幅に甘くなっていた。これも、旧要件の
エキサイトワープと同じ。極端なハマリも無く、追い易いスペックで、
バイト学生の私には有り難かった。


当時、本機をよく実戦したのが、新宿・歌舞伎町(旧)コマ劇向いにあった
「オデヲン」というホール。歌舞伎町にしては、かなり大きなパチ屋で、
パチのラインナップも豊富だった。また、他店であまり導入されない台を
ちょいちょい置く店としても重宝。本機も、新宿では、この店以外打った
記憶が無い。ただ、シマの人気は今一つで、半年も持たずに、ドラム機の
新台「エキサイトカムカムAW」に入れ替えられてしまった。やはり、
旧台エキサイトワープの単なる焼き直し、というのが災いしたようだ。

因みに、ここのスロは店の右隅に追いやられていて、台数もパチより圧倒的に
少なく、やや「冷遇」されていた感もある(そのテのパチ屋は結構あったが…)。
当時は、「ガリバースペシャル」(北電子2-2)のみ設置。その後、
「アラジンII」(サミー、3-1)と「スーパープラネット」(山佐3-1、
赤パネル)に入れ替えとなった。



(在りし日の新宿「オデヲン」…正面入口に「PARLOR」の看板が
デカデカと掲げられていて、これを「店名」と勘違いする者もいた。

当時、店から少し離れた換金所に向かう途中、コマ劇周辺で待ち構える
「ポン引き」連中に、「兄さん、どうですか?」とよく声をかけられた。
実にウザかったが、今となっては懐かしい(後に、換金所は店の裏手に移動)。

閉店後は「オリエンタルパサージュ新宿」となったが、クローズ。
さらに、「マルハン歌舞伎町店」が後釜に入るも、近頃閉店した。

(C)Google
「オリエンタルパサージュ」の頃

(C)Google
「マルハン歌舞伎町店」の頃




意図的な保留連や数珠連も無く、初期・新要件機によく見られた
「電チュー」や「小デジ確変」なども非搭載だった本機。
スーパーリーチも無く、大当りはノーマルリーチからの
「ビタ止まり」のみ。まぁ、当時は、大半がSPリーチ非搭載だったが。
因みに、元祖SPは、京楽の旧要件「ニュートランプカード2」(1990)。


それでも、7セグ調の派手なデジタルが、けたたましいリーチ音から
ピタッと大当りした瞬間は、何とも言えない「刹那の快感」を覚えた。
リーチが五月蠅いという者もいたが、パチ屋の喧騒にはピッタリだった。
また、元来の確率が甘めの為、自力の数珠連チャンも少なくなかった。


そこそこ人気だったエキサイトワープや、やはりFL管採用で保留連のある
「スターマイン3」(1991年)、そしてドラム機のエキサイトポーカーなど、
同時期のニューギンの他機種と比べると、本機の知名度は明らかに低い。

そんなマイナー機ではあっても、この時期、確実に私を楽しませてくれた。
今更だが、こうやって機種情報を世に出す事で、当時の「恩」に報いたいと
思った次第である。あらためて、ジュピター2に感謝…。




(ニューギン「ジュピター2」の項、了)

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