2000年(平成12年)にパイオニアから登場した
沖スロ4号機「ハイハイシオサイ30」(Aタイプ)
※4年前も本機の記事を書いたが、Bモノ(32Ver)の実戦データがメインで、
出目や技術介入の部分が、かなり「手抜き」だったので、あらためてアップ。
★ボーナス確率
BIG REG
設定1 1/309.1 1/655.3
設定2 1/292.5 1/655.3
設定3 1/273.0 1/655.3
設定4 1/256.0 1/655.3
設定5 1/240.9 1/655.3
設定6 1/240.9 1/468.1
★各役払い出し
・7・7・7
・ハイビスカス・ハイビスカス・ハイビスカス
・SIOSAI・SIOSAI・SIOSAI
⇒15枚+Big Bonus
・7・7・ハイビスカス
・7・7・SIOSAI
・ハイビスカス・ハイビスカス・7
・ハイビスカス・ハイビスカス・SIOSAI
⇒15枚+Reg Bonus
・スイカ・スイカ・スイカ
・ベル・ベル・ベル
⇒8枚(Big中は10枚)
・チェリー
⇒2枚
・リプレイ
★リール配列
私の沖スロ歴を語るうえでも、決して外す事の出来ない一台。
おそらく、トータル収支ではトントン~チョイ勝ち程度だが、
純粋に「楽しい」から打っていたので、全く問題などない。
私が沖スロにハマった契機は、同社の「シオサイ30」だが、
本機の実戦を通じて、「華が光る」というシンプルな魅力に、
より一層とりつかれた。さらに「ハナハナ30」を経由した後、
町田「さくら屋」(閉店)で「シオラー30」と出会った事で、
私の沖スロに対する「熱」も、まさにピークを迎えたのだった。
(シオラーの時は、人生最初で最後の「専業」生活を送った)
(魅惑の告知ランプ)
シオサイ同様、レバーオン後、リール窓左右上部のハイビスカス点滅で、
有無を言わさず「ボーナス確定」。この単純なゲーム性が、私を虜にした。
チカチカ…怪しく光る「毒花」
本機は、ランプの点滅に加え、BR成立プレイでバックライトが消灯。
代わりに、妖艶なブラックライトが、リール内を薄暗く照らし出した。
蛍光色の白7は、ブラックライトに照らされ発光する為、目押しも楽。
リールがフッと暗くなる瞬間が、告知ランプと同じくクセになった。
ビッグのファンファーレは2種類。「白7」と「SIOSAI」は同じサウンド。
ハイビスカスのみ、ファンファーレが異なる。
(ノーマルの面白さ)
本機は、いわゆる「32GVer」と呼ばれるBモノの存在が注目されたが
(他にも「状態Ver」「ダイナマイトVer」など、複数のBモノが存在)、
私は、そういう露骨な裏モノよりは、ノーマル台を長時間打つ方が、
遥かに気持ち良かった。
ノーマルは、ダラダラする展開も確かにあったが、設定では言い表せない、
放出と吸込みの「波」も存在した(オカルトのそしりを受けても構わない)。
まさに、リール窓上に書かれた「Ride a tide(潮流に乗れ)」である。
好調の波に乗って、デカコインをドル箱に詰める時の爽快感といったら…。
逆に、出ない時は「中ハマリ⇒単発」を繰り返して、「裏か?」と疑うほど
ドツボにハマって、財布の中身もガンガン減った。「低設定なら捨てろ」の
一言で片づけられそうだが、実際に打っていると、そんなドツボ状態でも、
いきなり早いボーナスが続いて、あっさり「復調」する事も多かったので、
ヤメ時、追い時の判断に苦労したことは多い。
好調時は何度も光ってくれる「香ばしい」ハイビスカスも、
スランプに捕まると、「壊れた?」と思う程に静まり返った。
ドハマリを食らっている途中、やっとランプが光ったと思ったら、
単なるコインタンクの「オーバーフロー」だった事も…。
(オーバーフロー時、よく告知ランプが点灯した)
(フラグ判別)
本機は「完全先告知」なので、一応リーチ目はあったが、
実戦では、ほぼ意味を為さなかった。私も、本機のリーチ目は
数えるほどしか知らなかったし、頭に入れる気も起きなかった。
※メーカー発表のリーチ目(一部)
ただ、「リーチ目不要」でも、出目が全くアツく無い訳ではなかった。
特に、告知が入ったプレイで特定の打ち方をすれば、一確や二確の形で、
「ビッグかバケか」を判別できた。ビッグは歓喜、バケならガックリ。
まぁ、設定6のみバケ確率が甘いから、「バケが多い」といって、すぐに
気落ちする必要もなかったが…。ただ、展開から「中間設定」濃厚の時、
勝負所でバケ(しかも単発)を引くと、気力をそがれることもあった。
以下、私が当時よく使った、BR判別を紹介。
(A)
告知が入ったら、左⇒右ハサミ打ちで、白7、ハイビスカスを狙う。
元祖シオサイからの「伝統」でもある、オーソドックスな判別法。
同一図柄のハサミテンパイは、ビッグ二確(テンパイ音も鳴り、
喜びもひとしお)。右下のように図柄がズレればバケ。右下は、
中段にリプレイがテンパっているが、ボーナス成立ゲームなので、
リプレイの可能性はゼロ。潔く、バケを揃えるしかない。
(B)
コチラも、ハイシオ打ちが好んで使った判別。告知プレイで、
右リールの上、中段にハイビスカスを狙う。中段ビスカス停止ならバケ。
(但し、早く押しすぎると、この形でビッグの場合もアリ)
一方、下段ビスカスなら、ビッグ一確。たった一コマの違いでも、
まさに天と地の差。告知時、右下段ビスカス停止を確認して、
カラ回しのまま、下皿のコインをドル箱に移す者も結構いた。
(C)
コチラは「中押し」判別。告知時、中リール上段or中段に
白7を狙うと、「上段ビスカス・中段白7」の形で停止する。
さらに、右リールも「ビスカス・白7」の塊を、上段に狙う。
左のように、ビスカスと白7が平行テンパイすればビッグ。
右のように、白7が単独で左上がりにテンパったらバケ。
(D)
順押しで、左に「SIOSAI」図柄を狙うBR判別もある。
左リールに「スイカ・SIOSAI・ベル」をビタで狙って、
(「スイカ・SIOSAI・リプレイ」はNG)そのまま中段に
シオサイが停止すればビッグ。左が4コマ滑って、上段に
ビスカスが来たらバケ。多少の目押し力が要求される。
(適度な技術介入性…ビッグ中のリプレイハズシ)
本機は、ビッグ中のリプレイハズシという技術介入要素もあり、
シンプルなゲーム性ながらも、打ち手の攻略意欲をそそった。
以下は、当時、私が実行したハズシ手順。
・1,2回目の小役ゲームは、順押し・適当打ち。
(適当打ち、フリー打ち、オヤジ打ち…攻略誌毎に色々だが、意味は同じ)
メイン小役のスイカ、ベル(同一フラグ、ビッグ中は10枚)は、
順押し・適当打ちで、取りこぼす事は無い。
※小役を一枚もこぼしたくない場合、左にチェリーを狙う。
一応、ビッグ中のチェリー確率に設定差が設けられていたので、
キッチリ狙えば判別要素にもなった。但し、設定1で約1/114.6、
設定6で1/81.9とその差は小さく、相当ゲーム数を稼がないと、
判別は難しい。時間効率を考えれば、チェリー無視でもOK。
・3回目の小役ゲームに入ったら、「中⇒右」の順で、適当打ち。
この時、中・右の停止形から、成立フラグがほぼ丸判り。
メインの10枚役が揃う形は、以下の4パターンのみ。
その他の停止形なら、小役無視。ジャックイン時を除き、
左リール適当押し(チェリーが気になる人はチェリー狙い)。
a(スイカ中段テンパイ)
b(スイカ左上がりテンパイ)
c(ベル左上がりテンパイ)
d(ベル下段テンパイ=配列上、必ずスイカも平行テンパイ)
⇒スイカ絡みの「a、b、d」の形になったら、左リール枠内に白7を狙う。
(左枠内に白7を狙う限り、スイカを取りこぼすことは無い)
⇒ベル左上がりテンパイの「c」なら、上にチェリーの付いたベルを
左リール上段付近に狙う。
左適当押しではベルこぼしポイントが多いが、ここを狙えば、
多少、目押しが早くても遅くても、ベルこぼしが無いので安心。
(ジャックイン)
中・右(右・中)でリプレイが中段テンパイしたら、ジャックイン。
ハズシは、左リール枠内~枠下1コマに、白7を狙えばOK。
(ハズシ余裕コマ数は4コマ。プレッシャーも無く、精神的に楽。)
残り9ゲームからは、順押し・適当打ちに戻す。ハズシを使えば、
適当打ち比+約25枚の効果があった。手順も、さほど難しくない。
(ハイシオ、思い出のパチ屋、スロ屋(抜粋))
(A)町田「廻専問屋さくら屋」(大和横丁)…閉店
私が、ハイハイシオサイと初めて対面したのが、この店である。
当時、普通のスロ屋から「和風」のコンセプトでリニューアル。
店員も、作務衣のような制服を着用。新装で本機が入った際、
私が端末で予約した台が、打ち始めから終りまで出っ放しとなり、
バケツにコインを移す大勝ちに。以後、この店のハイシオとは、
長い付き合いとなる。ただ、後にシオラー30が入ってからは、
ハイシオよりもシオラーを主とした。怪しい出方をする事もあったが、
露骨に「裏」と感じさせる挙動もなく、私自身はノーマルと思っている。
この店の沖スロは、頭上の「シーサー」の置物(金銀黒)で設定を示唆。
町田「さくら屋」跡地
(B)登戸「スロットハトヤ」…現存
恐らく、ハイシオを一番回したのが、この店だったと思う。
1Fは系列のパチ屋で、右手の階段を上がった2Fが「スロハト」。
当時、沖スロが一番手前のシマで、25Φが店の奥に並んでいた。
ハイシオは、一番左の2シマ。順調に伸びる高設定が必ずあって、
それさえ押さえれば、ほぼ勝ちが確定。ただ、出ては飲まれる
「遊び台」も多い上、終日ハマる危険な台もチラホラあった。
ノーマルだが客付きは良く、台移動の難しい時も少なくなかった。
周りの好調ぶりに釣られて、つい現金投資を重ねて、大負けする事も。
口ヒゲがトレードマークだった、年齢不詳の常連オヤジに、よく
「また、そんなハマリ台打ってんのか?」とイジられたっけ。
後に、1シマがハナハナ30に入替。隣に大花火30のシマもあった。
(現在のスロットハトヤ)
(C)溝の口「日拓エスパス・溝の口本店」…現存
当時、溝の口に出向くと、必ずといって良いほど寄った。
沖スロは地下に置いてあって、かなりの台数が入っていた。
シオサイ30、島唄、ハナハナ30、ハイビ30なども設置。
一番右のシマがシオサイ30で、後にシオラー30へ入替。
出る台、出ない台の差が激しく、設定にメリハリのある印象。
但し、朝から高設定を押さえる客も多く、空き台は中間設定がいい所。
当時、エスパスチェーンは沖スロに力を入れており、新宿や赤坂、渋谷など
他の店舗でも、ハイシオその他のパイオニア系「沖」を打った。
いずれもノーマルだったと思われる。
現在の溝の口「日拓エスパス本店」
(D)新宿・歌舞伎町「マリオン」…閉店
歌舞伎町一番街、赤ゲートのすぐ傍で営業していた、地下の店。
ハイシオは地下2Fに置いてあった。フロアの一番奥まった所に、
ひっそり並んでいたのを覚えている。但し、客付きは悪かった。
この店は、「魔法のランプ」とかいうイベントを打っていて、
告知ランプの色が赤だったり緑だったりすると、高設定を示唆。
それを目当てに一時期通ったが、正直、設定5,6を感じさせる、
順調な出方をした事がなかった。ただ、ランプ狙いで出す客も
チラホラいたので、当方の単なるヒキ弱かもしれない。
営業期間が短く、いつの間にかクローズしたのが惜しまれる。
(新宿「マリオン」跡地)
ハイハイシオサイ30(パイオニア、4号機)
ツイスト(オリンピア、4号機)
2002年(平成14年)にオリンピアから登場した4号機「ツイスト」
(下パネルのロゴ)
このブログも、もう少しで開設から「5年」が経とうとしている。
何だかんだありながらも、今まで続けてこられた事を嬉しく思う。
ここ最近は、「商業主義」の大きな波に飲み込まれそうになって、
ブログの存続理由を考えさせられたりもするが、何とかふんばっている。
ともかくも、拙記事をいつもご覧下さる皆様、どうも有難うございます。
毎度ノンビリの更新で誠に恐縮ですが、引き続き、ご愛顧のほどを。
さて、5年近くもこうして記事を書いていると、開設当時、さほど
懐かしく感じなかった台でも、どこか、セピア色がかって見えてきて、
うっすら「郷愁」を覚えるようになる。
今回紹介する「ツイスト」も、まさに、そんな感じの一台。
90年代の機種ではないが、私にとって、もはや「懐古」の対象だ。
★各役の払い出し
・777、顔顔7、黒(ツイスト)黒黒・・・15枚 + Big Bonus
・77黒、顔顔黒、黒黒7・・・15枚 + Reg Bonus
・スイカ・スイカ・スイカ・・・10枚
・ベル・ベル・ベル・・・8枚
・チェリー・・・2枚
・プラム・・・リプレイ
「ジュークボックス」を思わせる、湾曲した独特の筐体の本機。
ボーナスの告知演出も特徴で、リール上部の大きな「パトライト」で
告知を行う(REG成立時、リール左下の小さなチャンスランプも点灯)。
告知の基本は、ボーナス成立ゲームのレバーオン時に、パトライトが
無音で「クルッ」と半回転して、一瞬赤く光る。これが鉄板の先告知。
(1.5号機時代、フラグ成立時や前兆時に光る頭上のパトライトを再現)
音もなくチラッと光るので、「自分だけが最初にフラグ察知できる」
優越感のようなものがあった。
通常時は、告知が発生したプレイでボーナスを狙えば、大抵は揃うが、
一部ボーナス図柄(男性の顔)は、引き込みが悪い。よって、左・中は
赤7や黒(ツイスト)を狙うのがベター。
告知プレイでボーナスが揃わなかった場合、第3リール停止後、
「チュイーン」(キュインではない)という派手な効果音が鳴り、
赤く染まったパトランプがクルクルと回転して、後告知を行う。
この基本告知の他、レバオン無演出で、第3停止後に告知されたり、
レバオン時にパトライトは回るが、光を伴わないパターンがあった。
但し、これらの告知演出が出ても、ビッグ確定ではない。
皆さんご存知の通り、本機は、当時流行りの「ストック(ST)機」。
内部でビッグボーナスのフラグを引いても、即ビッグ放出ではなく、
いったん内部に貯め込まれる。まさに「合法的Bモノ(貯金)」。
ビッグ内部ストック時の1/2で、「遅れ」が発生するのも特徴。
(先行機「島唄30」も同じで、遅れが前兆となる裏モノも存在)
ST機ゆえ、通常のAタイプと比べると。内部ボーナス確率は、幾分甘め。
無論、いくらビッグを貯めたところで、放出機会に恵まれないとアウト。
ただ、ストックが多いほど勝ち易いのは事実。ハマリ台のハイエナが奏功した。
(内部ボーナス確率)
BIG REG
設定1 1/263 1/263
設定2 1/255 1/245
設定3 1/249 1/226
設定4 1/244 1/205
設定5 1/240 1/187
設定6 1/238 1/165
肝心のビッグ放出の契機は、ズバリ「レギュラーボーナス」。
ビッグは100%ストックされるが、REGはストックされず放出。
「放出」について具体的に説明すると、REG成立プレイで、
(1)バケを即放出(REG単発)、
(2)ストックされたビッグを放出後、バケを放出(連チャン開始)、
の何れかが選択される。この放出抽選で(2)を選択すると、ビッグ出現。
したがって、バケのフラグを引かない限り、ビッグ放出も絶対ありえない。
また、バケ確率には設定差があって、高設定ほどバケを引き易く、
初当りビッグ放出のチャンスも、より多く訪れた。
(1)or(2)の振り分け率(REGorBIG)は、1/2(50%)。
1/2のヒキに勝てば、ビッグとご対面。負ければ単発バケとなる。
無論、50パーのヒキに負け続ければ、投資もかさんでいく。
「1/2」とはいっても、引けない時は引けない。運が悪いと、初当りが
ひたすらバケに偏り、ビッグ間で大ハマリして、ドツボに落ちたりした。
(2)を選択して、初回ビッグを放出した場合、ストックが残っていれば、
ビッグ消化後、再び「1/2」の放出契機が訪れる。この振り分けに勝てば、
魅惑の「ビッグ1ゲーム連チャン」が発生する。一方、振り分けに負けると、
最初に引いたレギュラーをビッグ後1G目に放出して、連チャン終了となる。
(ビッグ中もREGフラグは生きており、チャンスランプが点きっ放し)
即ち、本機の連チャンは、ひたすらビッグの1G連で、最後は必ずバケで終わる。
連チャンは「50パー継続」だが、ヒキ次第ではビッグが5連、6連…と
伸びる事もあった。無論、ヒキ弱なら「ビッグ単発⇒バケ」のワンセットで
終わってしまう。まさに、本人のヒキ次第となる「丁半バクチ」。
本機の「荒波度」がお判りだろう。
なお、上記の放出システムは、後の「島娘30」や「ニュー島唄」などの
複雑なモード移行と比べれば、非常にシンプルになっていた。
ビッグ中は、アメリカン・フィフティーズ(オールディーズ)の
名曲が流れる。詳細は、以下の通り。ビッグ3連以降、サウンドが
変わるプレミアBGMもアリ。
・小役ゲーム(2連まで)…「Oh!Carol」(ニール・セダカ、1959年)
・小役ゲーム(3連以降)…「Diana」(ポール・アンカ、1957年)
・JACゲーム(Reg中も)…「Rock Around the Clock」
(ビル・ヘイリー アンド ヒズ コメッツ、1954年)
因みに、本機は、先行機の沖スロ(30Φ)「島唄30」の本土Ver(25Φ)。
(島唄30)
基本的なゲーム性は両者共通だが、内部ボーナス確率は異なる(下記参照)。
また、島唄30は、REG成立時のBIG放出確率が「1/3」と低い半面、
BIG1G連の継続率が「4/5」と、本機より高いのが特徴だった。
つまり、ビッグ初当りを引き辛く、1G連が継続し易いスペックで、
本機よりも波をいっそう荒くした、「超爆裂台」となっていた。
島唄30も、1G連が続くと、ビッグ小役ゲームのBGMが切り替わった。
4連目までは「てぃんさぐぬ花」、5連目から「ハイサイおじさん」に変化。
「3連」で音の切り替わるツイストに対して、コチラは「5連」。一見すると
条件が厳しく見えるが、1G連の継続率など考慮すれば、さほど変わらない。
むしろ、ツイスト3連の方が、達成しづらい事が分かる。
・ツイストでビッグ3連(告知後)…1/2(初当り)×1/2×1/2=1/8
・島唄30でビッグ5連(告知後)…1/3(初当り)×4/5×4/5×4/5×4/5≒1/7.32
そういえば、かつて自分がシオラー30やハイハイシオサイ30をよく打った、
東京・町田の「さくら屋」(閉店)というスロ専にも、島唄30があった。
確か、前日のビッグのストック数を表示した札が、各台の頭上に刺してあって、
リセットの「罠」が無い限り、ストック数の多い台は、朝から狙い目となった。
(本機と島唄30は、設定変更やリセットで内部ストック消滅)
参考…「島唄30」の内部ボーナス確率
BIG REG
設定1 1/298 1/252
設定2 1/280 1/234
設定3 1/262 1/218
設定4 1/250 1/205
設定5 1/242 1/187
設定6 1/238 1/169
初当り、連チャンともに、ビッグ選択率が「1/2」の本機は、
島唄よりもマイルドな出玉推移を描きやすい、とよく言われた。
確かに、スペックを見れば、島唄よりは「とっつき易い」仕様である。
だが、個人的な意見では、以下に紹介する初打ちの体験が元となって、
マイルドどころか、「とんでもなく荒波な怖い台」のイメージが強い。
本機を最初に打ったのは、当時の地元に近い、神奈川県の私鉄O線、
S駅前の「Z」というホール(多分ノーマルだが、表か裏かの判断が
微妙な台なので、現存するホールの実名を出すのは、差し控えたい)。
その日は、ちょうど新台入替の初日。導入台数は、8台ほどだった。
開店直後はまだ打てず、昼前、店内で「クジ引き抽選」が行われた。
竹串が何本も入った缶があって、引いた串の先端が「赤」なら当たり。
新台を求めて、カウンター前の行列に加わった客は、30人ほどだったか。
並び順にクジを引く為、8人が当たった時点で、抽選は終了となる。
私は、15番目くらいに並んだが、運よく当たりの串を引く事が出来た。
詳しいスペックも知らず(先行機の島唄30も、この時期、まだあまり
積極的に打っていなかった)、「新台だから出易いだろう」と思い込み、
嬉々として本機を打ち始めた。初めのうちは、ビッグ間400GハマリでBR、
600GハマってBBRと、割と穏やかな(それでも確実に投資は増えたが…)
波を描いていた。
だが、次第に「本性」を現し始めると、ビッグ間で1000ハマってBBR、
1500ハマってBBBRと、ハマリと1G連の「バランス」が悪化していく。
一応、連チャンの最後にREGが付くし、ハマリもストレートでなく、
REGをチョイチョイ挟みながらのハマリ。しかし、1/2の振り分けに
負けてばかりで、財布の中身は確実に減って行く。気がつけば、
夜7時の時点で、投資は8万を超えていた。
「こんなドキツイ台とは…」勉強不足のまま、新台に飛びついた自分を
恨みつつも、「ここまで行ったら、閉店までトコトンハマってやれ」と、
開き直って勝負を続行。
すると、午後8時辺りから急に調子づいてきて、初当りで1/2の関門を
あっさり突破する機会が増える。1G連も、3連、4連と続くようになった。
連チャンが終わっても、200ゲームほどで再びビッグの初当りを引き、
それが5連まで伸びる。前半とは打って変わって、好調の波を描き始めた。
結局、「連チャン⇒引き戻し」の展開は閉店まで続き、最終的に6000枚越えの
大量獲得と相成った。ビッグ消化中に閉店してしまい、最後まで連チャンを
取り切れなかったのが、心残りではあった(当然、バケも消化できず)。
この店は等価だった為、投資8万越えから、「まあまあの勝ち」に浮上。
しかも、10万負けを覚悟した自分にとっては、「大勝ち」に等しかった。
因みに、私の隣では、仲の良い同年代の常連がずっと打っていたが、
「初当りバケ」のトラップに捕まり、ビッグ間で2500ゲーム以上も
ハマっていた。しかも、ビッグを引けぬまま、閉店を迎える始末…。
自分も同じ運命を辿っていたかも…と、本機の怖さを思い知った。
まぁ、今思えば、新台でストックがカラカラの台を朝イチから回し、
自分で貯めまくったストックを、夜から閉店間際にかけて、一気に
回収しただけの話である。無論、ある程度の設定が入っていた事は
疑いないが。ただ、初打ちで、こうした波荒な展開を体感した事で、
むやみに追いかけるのは、かなり危険だと判った。
翌日以降は、前日ハマった台のハイエナを心がけたが、なぜか、
ストック満タンな筈の前日ハマリ台が、朝イチから放出する事が、
ほとんどなかった。また、午前中から噴く台も、ゼロに近かった。
恐らくは、毎日「全台リセット」(ストック消し)をやっていたのだろう。
ただ、どの台もバケは頻繁に出ており、夕方以降、ある程度回した台が
「復活」するケースも多かったので、平均設定は割と高かったと思う。
こんな初打ちだったから、「マイルド」といわれても、シックリこない。
確かに、島唄30よりはビッグ初当りを取り易いが、実際に打つと、
「1/2」の不確実さがもたらす激荒ぶりに、翻弄される事も多かった。
因みに、Z店のあるS駅から4駅隣のM駅近くでは、当時「G」という
地元チェーン店が営業していた(コチラも現存)。このGチェーンの
幾つかに、当時、ツイストの「ヒックリ返った」Verが入っていた。
チェリー前兆モノで、天井も存在(2500G)。無論、ノーマルも荒いが、
それとは一味違った荒さ、アツさがあって、Bモノ好きが多く集った。
★リプレイハズシ手順★
(1,2回目の小役ゲーム…順押し)
・左リールにチェリー狙い
・中リールにスイカ狙い
・中にスイカが出たら、右もスイカを狙う
・メイン小役のベル(8枚)は、目押し不要
(3回目の小役ゲーム…中押し)
・中リール上段に黒(ツイスト)狙い
・中リール上段にベルが止まったら、右は適当打ち
⇒ベル上段受けなら、左枠内に黒を狙ってベルを取る
⇒リプレイ下段受けは、左枠内に「上にプラムの付いた7」を狙ってハズす
・中リール上段にスイカが止まったら、右⇒左とスイカを狙う
・その他の形は、一応、左にチェリーを狙う
・残り12ゲームから、順押し・小役狙いに戻す
・ハズシ効果は約15枚
★★攻略ネタについて★★
本機や島唄30には、「ストック有無の判別」「ストック全放出」という
2つの攻略ネタが存在した。
ストック判別は案外と簡単で、ボーナス告知が発生したら、
次プレイから「1枚がけ、逆押し」で、右リール上段に赤7を狙う。
右枠内に「黒・赤7・黒」が停止したら、ストック有りのシグナル。
但し、チェリー成立時も停止するので、何度かやって確認すべき。
一方、ストックゼロだと、いくら狙っても、右中段に赤7は止まらない。
次に、ストック全放出だが、やはりボーナス告知後に1枚掛け。
左・中リール中段に、黒(ツイスト)をテンパイさせる。
テンパイしたら、右リール中段に「黒・7・黒」の上の方の黒を、
ビタ押しで狙う(気持ち、半コマ早めに)。運が良ければ、
そのまま「黒・黒・黒」とビッグが揃って、放出開始となる。
さらに、ビッグ終了後も、1枚がけビタで黒狙いを続ければ、
ストックが空になるまで、1G連は継続。但し、高い目押し力と
忍耐力が求められた。店側も、1枚がけ、変則押し禁止で対抗。
偶然の産物
別に、「ネタ切れ」という訳ではないのだが…
6月7日のブログアクセス数をチェックしていたところ、
閲覧数が、たまたま「8888(PV)」の4つ揃い(ゾロ目)だったという。
ただ、それだけの話である。
まぁ、たまには、こんな小ネタもいいかな、と。
しかし、こんなゾロ目を見て、咄嗟に反応してしまう辺り、
パチを「現役引退」した身でありながらも、心のどこかに、
パチへの「未練」が残っているのか…いや、そんな事はない。
今の時代のパチンコとは、ハッキリ「決別」したのだから。
ただ、アクセス数の4桁ゾロ目など、狙える類のものではなく、
また、それほど頻繁にお目にかかれるものでもない。
完全に「偶然の産物」だから、この珍記録を残しておこうかな…と
率直に思っただけである。全くもって、他意はない。
しかし、「8888」のゾロ目など、一体なんの「暗示」だろうか?
今まで約5年、愚直にレトロパチンコ・パチスロ情報を拡散し続けた事に対して、
「パチ・パチ・パチ・パチ」と、皆さんから温かい拍手を頂いた、ということか。
或いは、このところ、商業主義の波(謎)にすっかりヤラれている
哀れな現状に、「ハッハッハッハッ」と、大声で笑われているのか。
まぁ、あまり深く考えるのはよそう。
ゾロ目を掴んだ己の幸運を、率直に喜べば良いだけのこと。
それに、「八」は末広がりで縁起の良い数字。何か、いいことありそうな。
おっと、こんな小ネタだけで記事を終えるのは、あまりに味気ない。
ここらで、今日のゾロ目に関する「レトロパチンコクイズ」でも出そうか。
問題は、いたってシンプルである。
但し、商品などは特に無し。暇つぶし程度にどうぞ。
(問)
1980~90年代に登場したパチンコ各機種のうち、
デジタルに「8888」の4つ揃い(ゾロ目)が出ると、
大当りとなるものを挙げよ。
まぁ、基本的には、80~90年代に出た「4桁デジタル」台で、
数字の8が大当り図柄に含まれるものをあげれば、OKであろう。
無論、デジパチのみならず、権利モノや一般電役等も含む。
なお、解答は、記事の一番下に載せてあるので、
各自、答え合わせを行って頂ければと思う。
但し、私が列挙した機種以外にも、正答はまだあるハズ。
皆さん「レトロ脳」をフル回転させて、考えてみて欲しい。
それでは、また。
~解答~
(4桁デジタル)
・ニュースノーバーズIII(ニューギン、デジ、旧)
・ニュースノーバーズIV(ニューギン、デジ、旧)
・エキサイトキングII(ニューギン、デジ、旧)
・エキサイトキングV(ニューギン、デジ、旧)
・ターンバック(藤商事、デジ、新)
・ターンバックIII(藤商事、デジ、新)
・ドリームジャンボ1(奥村、デジ、新)
・ドリームジャンボ2(奥村、デジ、新)
・ドリームランデブー2(奥村、デジ、新)
・ドリームランデブー3(奥村、デジ、新)
・ニューエキサイトキングAW(ニューギン、デジ、新)
・ニューエキサイトキングV(ニューギン、デジ、新)
・エキサイトビューティー(ニューギン、デジ(ドラム)、新)
・エキサイトバトル(ニューギン、デジ(ドラム)、新)
・チャレンジャー(マルホン、権、新)⇒4つ揃いで3回権利、3つ揃いで1回権利
※トゥウェイSS(銀座、デジ、新)も、一応4桁デジタル台だが、
「8888」は大当り図柄ではない。コチラは「3333」か「7777」で
16R+時短50回の大当り。3,7リーチの前後賞ハズレ(「3332」など)は
10R+時短50回の「中当り」。3,7のリーチハズレ(中当り除く)は、
1R+時短30回の「小当り」となる。
(5桁デジタル)
・バンガード(藤商事、デジ、新)⇒見た目は5桁デジタルだが、
「左右両端」は同数字がシンクロして動く。また「右2と左2」も
シンクロして必ず同数字が止まる。つまり「なんちゃって5桁デジタル」で、
実際は、3桁デジタルと同じ。よって、5つのデジタルに「8888」のゾロ目が
出ていれば、残る1つも必ず「8」になる。「88884」や「58888」などの目は、
出現しない。なお、「88588」のような形は大当りではないが、これは
「4つ揃い(ゾロ目)」とはいえないので除外。
・フリーゲームEX(西陣、デジ、新)⇒コチラも、なんちゃって5桁デジタル。
図柄が横に5個並ぶが、左右両端は隣の図柄を「鏡」で映しているだけなので、
バンガード同様、実質は3桁デジタル。よって、5桁デジタルに「8888」の
4つ揃いが出ていれば、残る1つも必ず「8」が出て大当りする。
※なんちゃって9桁デジタルのランバダ(大一、デジ、新)は、
同一図柄が「7個」連続で並ばないと、「大当り確定」とはならない。
左3個、中3個、右3個がゾロ目ワンセットで動くから、「8888888」の
「7つ揃い」がどこかに並べば、残る2つも必ず「88」なので大当りする。
但し、「8888」のような4つ揃いでは、「左・中」か「中・右」の
ゾロ目が確定するのみで、全くもって大当りには届かない。
※デジ…デジパチ 権…権利モノ
※旧…旧要件機 新…新要件機
豊丸「ナナシー」(一般電役)、デジタルの叫び
※過去記事を読み返した所、当ブログが全く以て無名の頃、
豊丸の初代「ナナシー」をネタにした「珍記事」を書いていた。
当時は、誰も記事の存在に気づかなかったと思うので、
もう一度、日の目を見させてやりたいと思い、
記事を再アップすることにした(但し、文章は一部修正)。
ちわっす!
俺たち、ナナシー(豊丸・一般電役、1996年)の上段デジタル3人組。
いつも仲良く、ほぼ同時に止まる、ピッタリと息の合った仲間です。
下段のデジタル達に比べると、「地味な存在」ってよく言われる。
デジタルの止まり方も、なんかパパパッと、「十羽ひとからげ」って感じだしさ。
「動きに個性がない」って苦情も来るが、そりゃ、豊丸の開発の奴らに言ってくれ。
やっぱり、一旦リーチになれば、下段デジタルの連中の方が、断然目立つわな。
音も変わるし、動きも多彩だし。
アイツらに比べりゃ、俺たちは、ハッキリって「空気」みたいな存在だよね。
特に右端のコイン…奴は、いつも派手なBGMで、盛り上げて貰っているよなぁ。
うらやましい。
で、思わせぶりにロングリーチになっても、一コマずれでピタッと止まりやがる。
ありゃ、相当な「性悪」だよね。
でも、却ってそれが、ファンの心を掴んでいるのかも知れないな。ツンデレは得だね。
ただ、俺らが最初にビシッと3つ揃わなきゃ、
「本当の」リーチは始まらない訳だからね。
それなりに誇りをもって、日々がんばって働いているよ。
特にやる気の出た時なんか、自然と手足が「ニョキッ」と伸びてくるしさ。
もっと本気になると、顔の周りが真っ赤に燃えて、クルクル回るからヨロシク。
なんか、ファンの人達は、「ファイアーコインリーチ」とか命名しているらしい。
響きが格好良すぎて、ちょっと恥ずかしいけどね…
たまに、外すことだってあるんだからさ。まぁ、ご愛敬ってことで。
あ、そうそう。俺らは「赤7」「黄7」「¥」「$」という風に、
四つの違う「顔」を持っているんだけど…
図柄の出現率は、どれも均等と思っていたら、それは大きな間違いだよ。
実は、その日の「為替レート」によって、出現率が違っているんだ。
円高なら「¥」、ドル高だと「$」が出やすくなっている。知ってたかい?
このところ、ジワジワと円高方向に傾いてるから、今打ったら、
「¥」の方が多く出るだろうな。¥マークで無制限の店は狙い目だよ。
でも、円高続きは株安・不景気に繋がるからねぇ…アベさん、為替対策も宜しく。
あ、これは、一部の為替ディーラーしか知らない「裏情報」だから、他言は無用だよ。
おっと、そろそろ保留玉が一杯になって、何かと忙しくなってきた。
ひょっとして、あの田山プロが打ってるのかな?
甘釘は見逃さないからなぁ、あの人。ホント凄いね、「プロの眼」ってのは。
それじゃ、またな!
神田神保町のパチンコ店マップ(1991年)
神田神保町(東京都千代田区)のパチンコ店マップ(1991年)
(C)Google
A:大学院(閉店)
跡地は現在、ガスト水道橋店
B:バンビ(閉店)
跡地は現在、ローソン神田神保町白山通り店
C:人生劇場(現存)
神保町らしく、景品コーナーの書籍が書店並みに充実。翌1992年、
フジテレビでOAされた「カルトQ」のパチンコ大会では、この店の
書籍コーナーの映像から店名を答える、カルト問題が出された
(奇しくも、同大会の優勝者は「神保」美佳さんだった)
D:アリーズ(閉店)
跡地は現在、ザ・ダイソー神田神保町すずらん通り店
1991年当時、スロは初代アラジン(ニイガタ電子、2-2号機)、
キューティーフルーツS(サミー、2-2号機)など設置
E:ポニー(閉店)
跡地は現在、「相鉄フレッサインお茶ノ水神保町」
「遊 ポニー」と書かれた、透明なオレンジ色のドル箱を使用
1F右手の階段前にTVモニタを何段も重ねて、レーザーディスクの映像を流していた
1991年当時、ハネモノはビッグシューター(平和)、マジックカーペットI(三共)、
スカイヒーロー(平和)、スケボーキッズ13(西陣)、ナイトドラゴンVII(三共)、
マッドボーイSP(三共)、カンガルーチャンピオン(平和)、クルタロー(平和)
など設置
(関連マップ)
・JR神田駅前パチンコマップ(1994年)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/ebbbddc10f0ef0eee8b01ee425d71069
・JR水道橋駅前のパチンコ店マップ(1994年)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/2b053b532d21e4084c8ee02b6d688e01
チャーハンが恋しくなったら…
1990年~2000年代初頭のパチ・スロ現役当時、
勝負終わりに空腹を満たすパチ屋近辺での食事は、
私にとって、一つの楽しみとなっていた。
勝った時は、懐もお腹も満タンにして帰宅。
負けたらヤケ食いで胃袋に流し込み、悔しさを紛らわす。
時には、メシ代も出ない程、こっぴどく負けたりしたが。
中でも、当時、私が特に好んだメニューは、
ラーメン、チャーハン、牛丼、カレー、天ぷらそば。
この時代の「勝負メシ、ベスト5」といったところか。
どれも、早い、美味い(店によってはハズレ有)、安いの3拍子揃い。
パチ屋周辺に、ラーメン屋、牛丼屋、立ち食い蕎麦屋が多かった事も影響した。
行きつけの店で食べる事もあったし、たまたま寄ったパチ屋で
一勝負終えた後、周辺を適当に歩き回って、偶然見つけた
小汚いラーメン屋や定食屋に、フラッと入ったりもした。
勿論、初見の店だと、味の良し悪しは、食べてみないと判らない。
当り・ハズレは運任せ・・・これも一つの「ギャンブル」だった。
そんな行動パターンが染みついたせいか、上記5品は、
今も引き続き、私の「外食メニュー・ベスト5」である。
「当たりハズレ」でいうなら、「チャーハン」の出来、不出来も、
店によってハッキリ異なった。しっかり火が通り、ご飯パラパラで
程よく醤油と塩も効いた、絶妙な味わいの品が出たかと思えば、
ベタベタ・ギトギトで卵は焦げかけ、ひたすらショッパイだけの、
「素人同然」のチャーハンを出されたことだってある。
個人的には、2000年代初頭、町田の「さくら屋」というスロ屋で
勝負した時期、店近くにあった「味楽」という小さなラーメン屋で
食べたチャーハンが、とりわけ記憶に刺さる。
(さくら屋は既に閉店しており、跡地は、現在
「Top of the Hill」という古着屋になっている)
当時は、「スロ専業期」とでもいうべき頃で、来る日も来る日も、
朝10時から夜11時まで、沖スロ4号機「シオラー30」(パイオニア)を
ブン回していた(もちろん、他店で他の台を打つこともあったが)。
この台は技術介入性が高く、通常時の小役狙い(8枚役のスイカとベル目押し、
ハサミ打ちでチェリーを連チェリーに)、それにビッグ中の小役狙いと
リプレイハズシを駆使すれば、ビッグ出現率が中間設定くらいでも、
かなりの「日当」が出た。さらに、ビッグ後の設定判別も可能だった為、
何かと高設定台を抑え易かった。
(スペック上、2以上判別可能。実利があるのは5,6判別)
この店で約1年半、月20日程度の終日実戦を続けて、月平均40万以上稼いだ。
いい時は、プラス70万を超える月もあった。わがスロ人生の中で、最も
プレイ数をこなして打ち込んだ台は、間違いなく、シオラー30である。
もちろん、平均収支が一番多かった機種も、文句なしでシオラーだ。
町田をホームにしたこの時期に、昼飯や早い夕飯を食べに通ったのが、
件の「味楽」というマイナーなラーメン屋だった。
当時、さくら屋の位置する大和横丁には、韓国料理店「かるび亭(閉店)」(クッパが美味)、
「小料理さかえ(閉店)」(夜は呑み屋、昼は定食屋。ビーフシチューが絶品、若女将が美人)、
九州ラーメン「博多っ子(閉店)」といった店々が並び、食事の場所には事欠かなかった。
(さくら屋の2Fには、系列の焼肉店「※モランボン(閉店)」もあった)
※モランボン跡地では、現在、焼肉店「げんかや町田店」が営業
一方、味楽は、大和横丁を出て、ほんのちょっと行った所にあったが、
やはり「さくら屋」から至近距離にあったので、何かと通い易かった。
大和横丁以外にも、ラーメン「ぎょうてん屋(現存)」「町田家(現存)」「タンポポ(閉店)」、
それに、ライス盛り放題のカレー店「ゲーヒャク(閉店)」などが近くにあって、
「さくら屋」近辺は、何かと「食べどころ」が多かったのを思い出す。
味楽は、小さくて目立たない店だったが、私にとって「隠れた名店」として重宝。
黒縁メガネのヒョロッとしたオヤジさんと、柴田理恵に似たメガネの女性(奥さん)が
二人で切り盛りしていた。午後3時~4時頃の遅い昼飯を食べるが多く、午後11時過ぎの
勝負終わりに食べた記憶はない。いつも、比較的に早めに店を閉めていたハズだ。
私は、ここで決まって「チャーハン」を注文。さらに、これもお決まりだったのが、
単品でいつも頼んだ「ザーサイ」。カウンターに囲まれた小さな厨房で、手際よく
メシと具材を炒めて、ものの4,5分で出てくるシンプルなチャーハン。これが美味かった。
飯をほおばり、一緒に出されるスープを啜ったり、小皿のザーサイをポリポリかじったり・・・
ささやかだが、至福のひと時であった。スロの疲れも、一気に軽くなる気がした。
町田から離れた後、いつの間にか閉店したが、あのチャーハンの味は忘れられない。
1990年代の学生時分、新宿西口、思い出横丁のラーメン屋「ふじしん(閉店)」で食べた
チャーハンも絶品だったが、「味楽」のチャーハンもそれを思わせる味だった。
(因みに、学生時分は、西早稲田のラーメン店「珍味(閉店)」のチャーハンも好物だった)
今でも時折、無性にあのチャーハンを食べたくなるが、すでに味楽は存在しない。
(跡地では、現在「熱血食堂すわ」という別のラーメン屋が営業中)
まぁ、外で食べたくなった場合、昭和風情の古びたラーメン屋を見つければ、
大抵「そのテ」のチャーハンが出てくるが、始末が悪いのは、真夜中に食べたくなった時。
そんなときは、Youtubeで美味そうなチャーハンを拵えている動画を
見つけては、鮮やかな鍋さばきに感心しつつ、当時に思いを馳せる。
以下は、特に私がお気に入りとする、「達人動画」(厳選10本)。
皆さんも、深夜、「チャーハンの誘惑」にかられた時には、是非どうぞ。
チャーハン欲が倍増して、さらに腹が減る「副作用」もあるが・・・それは自己責任で。
(最初の動画は、以前も紹介した、1991年11月、新宿思い出横丁「ふじしん」の映像)
1991 novembre - TOKYO SHINJUKU - RISO CANTONESE.divx
ぱらぱら チャーハン
Fried rice 炒飯
Fried rice by a professional chinese wok chef
長野市 らーめん天聖 チャーハン
絶品チャーハン
チャーハンの神様
チャーハン作りプロの技
本気(マジ)チャーハン 織田調理
北京料理双龍 炒飯料理実演
デジタルコンビ(藤商事、権利モノ)
・賞球…7&15
・デジタル当選率…通常時1/59、高確率時1/5.9
・図柄(配列順)
左デジ:A、B、C、1、D、E、F、3、G、H、J、5、K、L、P、7(16通り。英字はハズレ図柄)
右デジ:1~8(8通り)
・当選図柄…11、33、55、77(4通り)
※表面上の確率は「4/(16×8)=1/32」だが、内部確率は「1/59」
・3つ穴クルーン(コンビクルーン)搭載(手前1穴、奥2穴)
・手前がV穴、奥はハズレ。V入賞率は平均「1/5~1/6」とされたが、各台のネカセやクセで変化。
・平均出玉…16R継続×3回権利で、約6000発
・ゲーム性(概要)
(1)盤面左のスタートチャッカー(スルー)通過で、センターのドットデジタル(2ケタ)が始動。
(2)「11」「33」「55」「77」停止で、デジタル上部ヤクモノのアタッカーが約5.8秒開放。
(3)ヤクモノ入賞→中央穴に1個を一時のみ貯留(残りは左右のハズレ穴に入る)。
(4)貯留解除後、デジタル下の三つ穴クルーンに落下。クルーンの手前穴入賞で、権利発生。
(5)権利発生後は右打ち。右回転体と下部アタッカーの連動で、出玉を増やす(16R継続)。
(6)1回目権利後、通常打ちに戻して、再びデジタルを揃える(デジタルは1/59から1/5.9にアップ)。
(7)デジタルが揃ったら、アタッカー入賞→クルーン手前入賞で権利獲得→右打ち。
(8)3回目権利も同様に消化。
おおまかなゲーム性は、上記の通りである。
なお、Youtubeに貴重な実機動画が複数アップされているので、
興味ある方は、ぜひ検索して頂きたい。
現役時に本機を打ったのは、小田急線・読売ランド前駅の
「パチンコランド」(現存)という店。
ここで同時期、変則3回権利の「ギンギラパラダイスV」(ニューギン)、一発タイプの普通機
「必殺機(大入)」(三星)、ドット変則3回権利「スイスイマリン」(マルホン)なども打った。
それと、スロ4号機では、「スーパーへヴィメタルA」(サミー)、「ニューパルサー」(山佐)、
「ウィリーチャンプ」(エーアイ)、「マフィアX」(タイヨー)、「マスターダックII」(タイヨー)、
「ビガー」(パル工業)などを実践。そういえば、時期はややズレるが、「サクラ」(マックスアライド)、
「ジェイズビクトリー」(タイヨー)、「007SP」(高砂)を、ここで触ったことも覚えている。
いつ訪れても、ラインナップが「香ばしかった」なぁ(そして、出方も…以下自粛)。
因みに、このホールは、1990年代前半の2号機、3号機時代も、大変お世話になった店だ。
「アラジン」(ニイガタ電子2-2)と「ビッグパルサー」(山佐2-2)が背中合わせのシマに、
しょっちゅう足を踏み入れていた(後に、アラジンはアラII、ビッパルはスープラに入替)。
パチの実践機会も多く、’90年の旧要件末期に同店で打った台は、シマ配置まで覚えている。
「スーパーブラザース」(西陣)、「スタジアム」(三洋)、「パチンコ大賞13」(西陣)、
「め組1番」(京楽)、「ノックアウトI」(三洋)などのハネモノ。「ダービー」(京楽)、
「ファンキー7」(西陣)、「パールセブン」(マルホン)といったデジパチ。そして、
一発台「ベータ」(ニューギン)に、古い権利モノ「スーパーロボット」(西陣)。
カネとヒマのある限り、これらを打ち倒した。
まさに、私の「青春」が詰まったパチ屋だから、当時のホームだった
新宿エリアと同様、思い入れは強い。今も営業していて、嬉しい限りだ。
なお、1994年には、この店で、NTV系のドラマ「家なき子」のロケも行われている。
(菅井きん演ずるスリの老婆が、ドル箱の上に置いた財布を、すず(安達祐実)に盗まれるシーン)
おっと、前置きが長くなったが… 本機は、文字通り「(2桁ドット)デジタル」と「コンビ(クルーン)」を使った、
二段階振り分けの権利モノ。デジタルとアナログが「融合」したゲーム性で、
ファンを魅了。但し、一撃6000発のギャンブル台ゆえ、ヘタに深追いすると
痛い目にも遭った。
デジタル回転中に流れる「森のくまさん」のユルい旋律。左に大当り図柄が止まると、
メロディが継続して「リーチ」となり、右デジ停止が近づくにつれて、スクロールも
BGMもスローに切り替わる。曲のワンフレーズが終わる頃、右デジは当り図柄に届くが、
1コマズレの惜しいパターンも多発。かと思えば、1コマ手前で一旦止って再始動したり、
1コマ先から戻りで当ったり、数コマ手前からスルっと再始動したりと、意外性もあった。
(再始動は当たり確定)
無論、デジタルが揃っただけではダメ。上部アタッカーからコンビクルーンに入賞後、
手前のV穴(手前)に入って、ようやく権利発生。デジタルが回らないと話にならないから、
盤面左の始動チャッカーの釘チェックは重要。また、クルーンのV穴入賞率はネカセやクセで
大きく変わる為、 奥のハズレ穴ばかりに入る「クセ悪」は、極力避ける必要があった。
しかし、今思うと、当時の藤商事は、よく、この機種をこの名称で登場させたなぁ・・・と思う。
だって、考えてもみて欲しい。
「コンビ」と聞けば、大半のファンが、かの一発台の名機「スーパーコンビ」(三共)を連想するハズ。
それくらい、「元祖コンビ」は一世を風靡した訳だし、ファンの心にも強く「刺さる」台だった。
(画像は「スーパーコンビII」。セルとセンターチューリップの色が違うが、
ゲージ構成もヤクモノの作りもゲーム性も、元祖スーパーコンビと同じ)
天下横の命釘を抜け、三つ穴クルーンに飛び込んだ玉が、クルクル回って手前か奥に落ちる。
至ってシンプルなゲーム性に、多くのファンがシビれた事は、皆さんよくご承知であろう。
そして、元祖スーパーコンビに端を発した「三共・コンビクルーン路線」は、その後も
「スーパーコンビII」(旧)、「スターライトI、II」(旧)、「スーパーリミットII」(旧)、
「メドレーI」(新)、「トリプルパワーI」(新)と形を変えながら、着実に受け継がれた。 (旧:旧要件機、新:新要件機)
してみれば、「スーパーコンビ」は、三共にとって、まさに「至宝」ともいえる存在。
もちろん、三共のみならず、業界全体やファンにとっても、記念碑的な機種といえる。
それゆえ、「スーパーコンビ」という正式名称は勿論のこと、略称の「コンビ」でさえも、
業界やファンにとっては、何か特別な意味を持つ、重要な「キーワード」だったハズだ。
事実、「コンビ」の名称に対しては、他メーカーもそれなりの「敬意」を払っていたようで、
80年代後半~90年代半ばの機種で、「コンビ」の名を冠するものは、あまり見当たらない。
(「コンビネーション」を含む機種はあるが)。 もちろん、三共以外の各社が、アツさ満点の「コンビクルーン」を取り入れた機種は多いが、
それとて、「コンビ」と名の付く機種は、皆無に等しい。やはり、三共への「リスペクト」だろう。
だが、藤商事は、液晶主流だった1995年・秋、他社が自重した「コンビ」の名を、堂々と使用した。
しかも、元祖コンビの代名詞である「三つ穴・コンビクルーン」を、ゲーム性に大きく絡めた形で。
さらに、大当り中や2,3回目の権利中は、元祖コンビと同様、「静かな湖畔」のメロディが流れた。
いずれも、元祖コンビの「オマージュ」とも取れるが、三共にとっては、「本家」を差し置いて、
大切な「コンビ」の名を他社が使った事に、忸怩たる思いが芽生えたとしても、不思議ではない。
まぁ、単なる「杞憂」に過ぎないかもしれないが…。
さらにいえば、当時の三共は、本機とほぼ同時期、「スーパーコンビSP」(1995年)という
3回権利モノを出している。「SP」は、スーパーコンビの名を継いではいたが、液晶主体で、
「元祖コンビ」とは大きく趣が異なる。三つ穴クルーンも実物は非搭載で、2,3回目の権利時に、
液晶演出として出るのみ。確かに、演出は秀逸で、デキも非常に良かったが、肝心のクルーンが
「バーチャル」というのが、旧・一発台ファンから見れば残念であった。
(スーパーコンビSP…大当たり確率1/105、3回権利、出玉約6000発)
対して、藤商事は「SP」とほぼ同時期に、コンビクルーンの「実物」を使い、機種名に
「コンビ」の名まで冠した三回権利モノで、本家・三共と渡り合っていたのだ。
一発台ファンにすれば、流行りの液晶に拘って後継機「SP」を出した「本家」三共よりも、
アナログな三つ穴クルーンを搭載した本機の方が、元祖コンビに「回帰」しているように見えた。
両機種が時期的にカブったのは偶然としても、三共にとっては、何とも「皮肉」な話である。
そんな中、翌1996年の初夏、三共の関連会社である大同(DAIDO、現・ビスティ)から、
コンビクルーンを搭載した一発型の普通機「ミサイル7-7-6D」が登場して話題となった。
(大同「ミサイル7-7-6D」)
一説では、「ミサイル」は保通協の検査クリア後、しばらく世に出ることなく、
倉庫の奥で眠っていたが、検定からだいぶ経った96年初夏、急遽発売に至ったという。
まぁ、「液晶過多」にファンが飽きてきた事で、「アナログ回帰」を図ったともとれるが、
私の考えは、単にそれだけが、ミサイル登場の理由とは思わない。自分の「仮説」はこうだ。
ミサイルがこの時期デビューしたのは、前年、デジタルコンビで藤商事に出し抜かれた三共が、
「ウチが、コンビの本家だ!」と激しく対抗心を燃やして、「本家のプライド」を刺激された形で、
以前に保通協を通っていたストック状態のミサイルを、引っ張り出す気になったからではないか?
なお、この時は「大同」のリリースだったが、三共自身も、2000年登場の「CRスーパーコンビSP」で、
コンビクルーンへの「アナログ回帰」を図った(2桁デジタルとの融合で、藤商事に「逆対抗」した形)。
してみれば、’95年のデジタルコンビ登場が、名機「ミサイル7-7-6D」のデビューを
「誘発」したとも考えられる。何か、メーカー同士の「思惑」が垣間見えるようで、面白い。
まぁ、あくまでも「推測」の域を出ないが。
だが、当の藤商事にも、本機のような(デジタル付き)コンビクルーンの台を出すのには、
キチンとした「根拠・理由」があったことを、申し添えておかねばなるまい。
元祖スーパーコンビ登場から約1年後の1987年(昭和62年)、藤商事は、
アレンジ型一発台「シャトル21」を送り出した。大人気だったこの機種も、
本機と同じく「2桁デジタル」と「コンビクルーン」が特徴だったのだ。
(クルーン(奥穴)入賞でデジタルが回る為、本機とゲームの流れは逆だが)
(藤商事「シャトル21」)
また、同社は、その後に出したアレンジ型の一発台「マーダー」や「コメット」でも、
やはり、デジタルとコンビクルーンの両者を採用。
さらに、新要件期にも、アレパチ「サンライズ」、連チャンアレパチ「エキサイト」、
2回権利モノ「サンセット」、連チャンデジパチ「クルクルセブン」などにおいて、
クルーンとデジタルの両者を取り入れている。
(本機以後だと、権利モノ「カリブ6」も両者を搭載)
(藤商事の連チャンアレパチ「エキサイト」)
つまり、藤商事は、本機以前から、「コンビクルーンとデジタルを組み合わせた機種」を、
幾つも出していたのだ。 この「デジタルコンビ」も、シャトル21以来の「系譜」と位置付けても、何らおかしくはない。
本機のデジタル確率は「1/59」だが、これは、シャトル21の大当り確率「1/60.5」に極めて近い。
この点も、本機がシャトル21を意識した証左ではないか。
ともかくも、コンビクルーンは、本家の三共のみならず、
藤商事にとってもまた、昭和期からの重要なアイテムだった訳だ。
その集大成が、今回紹介した、デジタルコンビだったのかもしれない。
ただ、本機で「コンビ」というデリケートな名称を使ったことが、
当の三共を「刺激」した可能性は、大いにあろう。
まぁ、とりとめもなく、あれこれと書いたが、デジタルコンビ登場の経緯については、
藤商事には藤商事なりの主張が、三共にも三共なりの言い分があるだろうから、別に、
「どちらが良い、悪い」という類の話ではない。また、先述の通り、これらは私が勝手に
思い描いた「杞憂」である可能性も、大いにある(その場合、両社の方々、御免なさい)。
ただ、当時の流れを追っていくと、「デジタルコンビ」「スーパーコンビSP」
「ミサイル7-7-6D」という各機種の間に、奇妙な「関連性」「相関性」が
あるのではないか…と、今更ながらに思いを巡らせるのだ。
今回は、この辺で。
なぜ鳴かぬ・・・(西陣パチンコ大賞、初心者時代の記憶)
※コメント欄の取り扱いについて
コチラは、1990年の旧要件ハネモノ「パチンコ大賞13」(西陣)の
左オトシ(1チャッカー)とヘソ(2チャッカー)を接写した画像。
当ブログをご覧の方々であれば、すぐピンとくる「絵面」だろう。
こうしたハネモノを打つ場合、一番の肝となるのが「釘読み」。
なるべく始動チャッカーに入り易く、ハネに拾われ易い台を見抜くのが、
勝つ為には不可欠だった。まぁ、今更、説明するまでもないが。
この「釘読み」に関して、私には、忘れられない思い出がある。
初心者時代の、他愛もない話。サラッと読み流して貰って結構だ。
’90年当時、名機「パチンコ大賞13」をよく打ったのが、
前回も触れた、読売ランド前の「パチンコランド」というホール。
ここは、ハネモノ、デジパチ、権利モノ、一発台、パチスロと、
様々なジャンルの台を置いていたが、資金にあまり余裕のない私が
頻繁に足を踏み入れたのが、低投資で稼げる「ハネモノ」のシマだった。
駅周辺のパチ屋といえば、ここしかなかったので、
幾らでも「殿様商売」で営業できたとは思うが、
自分の記憶では、それ程シブい営業ではなかった。
常連を「活かさず殺さず」遊ばせて、シマを観察すれば、
楽勝で打ち止めになるハネモノも、意外と転がっていた。
で、いつだったか、まだ初心者同然の頃、この店のパチンコ大賞に座り、
スランプに全く捕まらず、あれよあれよという間に、打ち止めした事がある。
このときは、特に左サイドの1チャッカー(左オトシ)の釘が甘く、
これでもかとハネが鳴きまくって、常時「パカパカ」状態だった。
あの釘なら、パチンコ未経験のド素人でも、即座に終了させただろう。
それくらい甘かった。
因みに、この店は終了台に三角プレートが入り、しばらくは誰も座れないが、
夕刻になると、「終了台の開放サービス」という定時イベントをやっていた。
アナウンスを合図に、カウンター前に並んだ客が、先着順で店員の持つカード
(煙草のカートン包装を四角く切った紙の裏に、台番号が書いてある)を引く。
「空クジ」はなく、並んでカードさえ引けば、どこかの終了台に座れる仕組み。
但し、日によって開放台の数は違ったし、並びに遅れたらアウト。また、
台の種類によって、おおむね終了させ易いもの、させづらいものに分かれた。
例の、打ち止めしたパチンコ大賞も、確か、この開放サービスで掴んだ台だった。
おそらくは、「前任者」も楽勝で打ち止めまで持っていったことだろう。
まだ、釘読みもサッパリだった時期、このテの開放サービスは重宝した。
時折、前任者が「運と展開」だけで終了させた、「フロック」に騙されたが…。
その開放台に座り、数百円で食いつくと、今迄にないくらいスムーズに、出玉が増えた。
先述の通り、1チャッカーの鳴きがあまりにも良かったので、ハンドルを握ったまま
ボーっと打っていれば、勝手にハネが開き、そのうちVに飛び込む、という感じだった。
まさに「お宝台」。全くストレス無く出たので、寄りもクセも良かったのは確か。
で、その「大甘」なパチンコ大賞を終了させた後、ふと、こんな考えが頭をよぎった。
「この左オトシの形を頭に叩き込んでおいて、明日も同じ釘だったら楽勝だな。」
それまでは、シマをうろついて、「何となく」釘の甘そうな台を探していたが(横の比較)、
このとき、初めて故・田山幸憲プロが強調した、「タテの比較」を意識したという事になる。
(まだ「パチプロ日記」を読み込んでおらず、「タテの比較」自体知らない)
まぁ、前日に出た台だけチェックするのは、ただの「マーク屋」ともいえるが。
その時は、正直言って、前日の釘を100%正確に記憶できる自信はなかった。
だが、できる事は何でもやろうと、盤面のオヤジや銀玉のイラストを基準に、
左ハカマの形や命釘の開き具合を、穴のあくほど観察して、頭に叩き込んだ。
「ハカマ入口の二本釘は、オヤジの眉毛の、ちょうどこの位置」
「左の命釘は、銀玉のイラストのこの部分。右の命釘は、二つの銀玉のちょうど中間」
といった具合である。
もちろん、今のように、スマホも写真付き携帯もないから、
己の目をカメラ代わりに、つとめて真剣に左オトシを観察した。
かくして、甘い左オトシの形だけピンポイントで覚えた翌日、朝イチでパチンコ大賞のシマに直行。
幸い、例の台の左オトシ部分は、イジられた形跡が無い。「これで、今日も小銭で打ち止めだな!」
もはや勝ったも同然、といった感じで、意気揚々と打ち始める。
だが、前日とは一転、調子は最悪だった。肝心の1チャッカーの鳴きも、サッパリの状態。
どう見ても、楽に打ち止め出来る台ではない。バネは普通で、玉の軌道もおかしくはない。
だが、千円、二千円、三千円と入れても、全く出る気配は無く、結局ギブアップと相成った。
「左オトシは昨日と同じなのに、なぜ鳴かないんだ?」何だか、キツネにつままれた気がした。
今なら「豹変」の原因もそれなりに判るが、この時は、不思議で不思議で仕方なかったのだ。
(左オトシ、ヘソ周辺)
(ハネ周辺)
まぁ、端的に言ってしまえば、台の「変化」を見抜けなかった原因は3つ。
(1)ハカマや命釘の「微妙」な変化を見極める「眼」が、まだ無かった
(2)ハカマ上にある「風車」の存在に、まるで無頓着だった
(3)ハネの周辺、例えば、寄り釘、谷釘、山釘、ブッコミ、谷釘下の風車、風車下の釘、
左肩のヨロイ釘など、「左オトシ以外」の変化が、ナキに影響する事を知らなかった
まぁ、原因が(1)だと、話はサッパリ面白くないので、
左オトシ(ハカマ、命釘)は「前日と変化無し」としよう。
その場合も、(2)や(3)の変化に気づかないと、店の「トラップ」に引っかかる。
まずは(2)。ハカマ上の「風車」の存在である。
機種や位置によっては、調整不能の風車もあったが、「パチンコ大賞13」の
ハカマ上風車は、ある程度、角度調節できた。左右に振ったり、上下に動かしたりと、
釘同様、微妙な調整をする事が可能だった。ただ、釘師の中には、風車をイジるのは
単純すぎて「プロの調整」ではないからといって、あまり手を加えない店もあった。
ここで、左ハカマ上風車の「良い調整」とは、「左向き(外向き)、かつ上向き」となろう。
風車が左向きだと、絡んだ玉が内側に流れ易くなって、オトシやヘソに絡む頻度も上がる。
逆に、右向き(内向き)だと、玉は風車の外側に逃げてしまうから、自ずとナキも悪くなる。
また、上向きの風車は、落下してきた玉の勢いを殺す為、ハカマの入口に絡み易いが、
風車が下向きだと、玉に勢いがついて暴れる分、ハカマ入口への絡みも悪くなるのだ。
こういった「風車の向き」をチェックせず、左ハカマや命釘の形だけ覚えても、
往々にして、釘師にウラをかかれてしまう訳だ(風車をイジらない店は別として)。
次に、(3)について。
この時の私のように、「左オトシだけ覚えておく」というのは、いかにも素人だろう。
やはり、台の「急所」となる数箇所をチェックして、その「変化」を見切る力が必要。
パチンコ大賞の場合、少なくとも、盤面上部、例えば、寄り釘、谷釘、谷釘下の風車、
さらに風車下の二本釘なども、キチンと見ておく必要があった。
さらに、田山プロも日記で言っていたように、店によって、アケ・シメを行う箇所が
ある程度決まっていたから、そこをピンポイントで見るだけで、変化に気づき易かった。
但し、同じ店のハネモノシマに長く通い、店の「クセ」を見抜く必要があるが。
ともかく、私の打った台は、前日に「二度」も打ち止め札が入った為、シメられたのだろう。
ただ、釘師が左オトシに手を付けず、ハカマ上の風車を外向きから「内向き」にイジったか、
寄り釘、谷釘、谷釘下の風車、ブッコミなどをシメて、オトシに絡みづらくしたと思われる。
もちろん、経験不足で「ペーペー」の時期だから、そういう店の思惑に気づくハズもなく、
オトシにさえ変化が無ければ、ナキも前日と全く同じになると思っていたのだ。
実に、素人じみた発想である。
だが、この経験を機に、ハネモノの釘見ポイントも、少しづつ理解するようになった。
「専業」ではないから、正確な「タテの比較」は無理でも、前日の下見で調べた台が、
翌日も同じ釘かどうかを、自然と意識するようになり、打ち止め回数も増えていった。
今回は、この辺で。
「櫻の園」(1990年公開、邦画作品)
今回は、パチ・スロと全く関係のない話になるが(いつものことです)、
90年代にハマった(今もハマっている)大好きな「邦画」を紹介したい。
そのタイトルは、「櫻の園」(さくらのその)。
(1990年(平成2年)公開作品)
出演は、中島ひろ子、白島靖代、つみきみほ、宮澤美保ほか。
(ビデオパッケージ)
(C)1990 ニューセンチュリープロデューサーズ、サントリー
(C)1992 ビデオチャンプ
吉田秋生の同名漫画を基に、中原俊監督が映像化。
中原監督は、「東大出身」という経歴を持つ。
「ボクの女に手を出すな」「12人の優しい日本人」も有名。 脚本は、じんのひろあきが担当。
女子高「櫻華学園(おうかがくえん)高等科」では、毎年4月14日の創立記念日、
ロシアの作家、アントン・チェーホフの戯曲「櫻の園」を上演する習わしがあった。
その開演を約2時間後に控えた演劇部員22名の表情を、生き生きと描いたのが本作。
1990年、多くの映画賞に輝いた秀作は、公開から26年経った今も色褪せることなく、
各方面から称賛されている。
実は、私が本作を知ったのは、1990年の「劇場公開年」ではない。
この年は私の「パチンコ元年」。映画より、断然パチ・スロだった。
で、封切りから3年後の1993年(平成5年)、ひょんなことから本作と出会う。 今さら隠しても仕方ないので書くが、私は1990年から1995年まで、
早稲田大(政経・政治)に在籍。現役合格時はそれなりに評価されたが、
こんな懐古ブログを書けるくらい遊んでいたから、見事「一留」となり
(一科目分の単位が足りなかった)、卒業時には「只の人」。
まぁ、それはともかく… 当時、講義の空き時間に、グランド坂にある「中央図書館」によく出向いた。
もちろん、試験勉強やレポートのまとめなど、勉学での利用が主だったが、
それ以外の目的でも、しばしば足を運んだ。特に、上階には「AVルーム」という
部屋があり、映画や音楽の媒体(ビデオ、LD、CDなど)を無料視聴できたから、
「気分転換」と称して頻繁に利用した。 ’93年のある日、私は、何故かキャンパスで「ムラムラ、モヤモヤ」して、
件のAVルームで「お色気シーン」のありそうな映画でも見ようと思った。 無論、「AV」といってもアダルトビデオとは関係ないが(Audio Visual)、
ひょっとして「濡れ場」満載の邦画、洋画があるかもしれない、と踏んだのだ。 ルームに直行した私は、所蔵作品の中から、それらしきタイトルを探索。
当時、コンピュータ端末は無く、戸棚の引き出しにズラリと入った五十音順の
索引を一枚づつ手でめくって、やみくもにタイトルを探す他なかった。 すると、「さ」行を検索中、「櫻の園」という見慣れぬタイトルを発見。
当時は西洋文学に通じておらず、チェーホフなど全く浮かばなかったが、
「櫻」と「園」の妖艶な二文字から、「女性の同性愛映画」を連想した。
もしそうなら、「お色気シーン」もタップリあるに違いない…
そう直感してカウンターで申し込むと、ジャケット入りのLDを受け取った。 そのジャケットには、女子高生の顔写真がズラリと出ていたが、どうも
「エロ」とは無縁な気もした。視聴ブースに入ってLDを再生してみると、
やはり、その通りだった。女子高が舞台だが、「青春映画」の雰囲気。
演劇部員の少女たちの人間模様が、ストーリーの中心となっていた。
確かに、若く可愛い女性ばかり出てくるが、イヤラシイ感じはしない。
(冒頭のキスシーンを見た瞬間は、けっこう期待したのだが…)
ただ、作品を見て気づいたのが、「同性愛」とはいかないまでも、
「女生徒同士の儚い恋愛」というものが、結構見え隠れしていた。 結局、当初の「不純」な目的は果たせなかったものの、見終わると、
意外なほどの充足感があって、「もう一度見たい…」と素直に実感。
無人の部室で桜が静かに舞うラストシーンは、何とも言えない切なさだった。 以上が、本作との「初遭遇」の経緯だ。それ以後、中央図書館に出向く度に
「櫻の園」のLDを借りるようになり、ついには作品の「虜」となってしまった。 当時、あまりにも好きになりすぎて、レンタル屋でビデオを借り、ト書きを入れた
「オリジナル・シナリオ」を、自宅のワープロ(シャープ「書院」)で作ったほど。
(「オリジナル」といっても、自分で台詞を文字に起こして、ト書きを加えただけだが)
以下、その一部を拡大して紹介。本当は、もっと大きな文字サイズで打ったのもあるが、
感熱紙に印刷したのを長年放置しておいた為、今ではインクがすっかり消えてしまった。
唯一完全な形で残っていたのが、「避難用」に作っておいた、コチラの小さな文字Ver。
これがなければ、当時の努力の結晶は、感熱インクと共に消え去っていたところ。
元の文字サイズが小さい為、拡大しても読みづらい箇所があるが、どうかご容赦を。
(サンプル1:表紙) (サンプル2:キャスト)
(サンプル3)
(サンプル4)
(サンプル5)
しかし、私はなぜ、こうも「櫻の園」という映画にハマったのか?
その理由を、今さらながら考えてみると…
まず、何といっても、出演した若い女優たちの「魅力」。 「櫻華学園高等科・演劇部員」(2,3年生)を演じたのは、全員が
オーディションで選ばれた10代の女性。3年生役は撮影時18~19歳、
2年生役は16~17歳がメイン。部内の上下関係が自然に出ていたのは、
彼女たちの実年齢が、配役に反映されていたからだろう。
綿密な演技指導の下、リハーサルを繰り返したというだけあって、
少女一人一人が、みずみずしく躍動感あふれる演技を見せた。
彼女らが、私とほぼ同世代というのも、映画に親近感を覚える要因だった。 意外なのは、3年でリーダー格の「久保田麻紀」を演じた梶原阿貴さんが、
撮影当時まだ16歳で、下級生役の女の子達と、ほぼ同年代だったこと。
「しっかり者」の雰囲気で声質も低めなので、もっと年上に見えたのだ。
また、2年生役の白戸智恵子さんは、僅か14歳の若さで出演を果たした。
彼女は、その後「白鳥智恵子」名義でグラビア界を席巻。そういえば、
同じ2年生の大原真琴(麻琴)さんや浅沼順子さんも、後にグラビアへ進出。
その中でも、特に中心的な存在だったのが、中島ひろ子、白島靖代、つみきみほ、宮澤美保
(敬称略)の4名である。彼女たちが、この作品の実質的な「主役」といえよう。
中島ひろ子(志水由布子)
白島靖代(倉田知世子)
つみきみほ(杉山紀子)
宮澤美保(城丸香織)
みな個性的で魅力的なのは勿論、演技力も文句なしで高かった。
よくぞ、この4人を配したものだと、あらためて感嘆せざるをえない。
で、これら4人の役柄に共通するのは、「櫻の園」上演当日、
何らかの「負い目」や「引け目」を抱えていた、という事だろう。 2年生で舞台監督の城丸香織(宮澤)は、当日の朝、有ろうことか、
部室でこっそり彼氏とイチャついていた。バレたら大問題となること請け合い。
事実、その彼が首筋につけた「キスマーク」を、目ざとい部員に見つかってしまい、
前日自宅に帰らなかったことまでバレる(「中学の友達の家に泊まった」と言い訳)。
また、その彼氏が部室に置き忘れた、「煙草とライター」の在処も気にしている。
部内の「仕切り役」である彼女にとっては、どれもかなりの「負い目」であろう。 3年生で部長の志水由布子(中島)は、公演当日、何とパーマをあてて登校。
「伝統生きる女子高の演劇部長」の立場からすれば、かなりの「冒険」だ。
案の定、顧問の里見先生(岡本舞)に見つかってしまい、チクリとやられる。
真面目なイメージから脱却を図った訳だが、部長としての「引け目」は当然あるハズ。 同じく3年の倉田知世子(白島)は、演劇部の花形的存在。前年の男役の好演が効いて、
彼女に憧れるファンの生徒も多い。だが、今年の「櫻の園」では、苦手な「女役」の
ラネフスカヤを演じる。戸惑いを隠せない彼女は、ついには「上演中止」を願うほど
極度の自信喪失に陥っていた。主役級を演じる身として、大きな「引け目」に違いない。 そして、この日、最も強い「引け目」を感じていたであろう、3年生の杉山紀子(つみき)。
部内や校内で孤立しがちだった彼女は、他校の少女との親交が深かったが、公演の前日、
喫茶店で喫煙を見つかって補導される。実は、杉山自身はタバコを吸っておらず、
単に悪友らと同席していただけだが、有無を言わさず連行されてしまった。
補導の噂はたちまち校内にも広がり、「杉山事件」が原因で、伝統の「櫻の園」の
上演が中止となりかねない事態に。彼女の心中を察するに、言いようのない「引け目」を
感じていても、おかしくはない。事実、彼女は志水や他の部員らに謝罪を繰り返す。
かくして、本作で「主役級」を演じた上記四名には、
役柄上、みな何らかの「負い目」「引け目」があった訳だ。
(言ってしまえば、舞台が中止の危機にある「演劇部」全体に、
ある種の「負い目」があったともいえるが…)
しかし、こうした「憂い」を帯びた女性ほど、却って魅力的なもので、
彼女達の見せる様々な表情が、独特の「色気」として画面から伝わった。
また、志水、倉田、杉山の三名は、淡い「恋愛感情」のはざまでも揺れ動く。
「女生徒同士の儚い恋心」というのが、本作のテーマの一つでもあった。
部長の志水は倉田に憧れているが、その志水に密かに好意を抱く杉山…。
志水が、ラネフスカヤの衣装を一人いとおしく抱きしめるシーンや、
「私、倉田さんの事が好き…」というシンプルな彼女の告白には、同性への
憧れと恋慕の情が集約されている。
さらに、「若い女性を綺麗に撮らせたら、右に出るものがいない」と高く評された、
中原監督の確かな撮影技術と映像センスも、彼女たちの持つ魅力を倍加していた。
志水が、紙パックのコーヒー牛乳を飲む時の口元アップのワンシーンや、
彼女が倉田の着る衣装の胸元にレースを縫い付けた後、胸元に顔を近づけて
余り糸を歯で切る場面には、倒錯じみた「清純なエロティシズム」さえ感じる。
無論、他の部員たちが見せる、時に天真爛漫で、時に乙女チックで、時に斜に構えた
数々の表情も、女子高独特といえる「爽やかさ、清楚さ、清純さ」を醸し出していた。
それから、私は本作に見られる「時間軸」の特異性にも、心を打たれた。 普通、映画といえば、そこそこ長いタイムスパンで、ストーリーが進む。 1か月、半年、 1年、5年、10年…時には、百年単位の壮大な物語もある。
だが、本作は、演劇部員たちが登校してから、舞台袖で開演を迎えるまでの
「2時間少々」の様子を描いたに過ぎない。「記録映像」とでもいうべき短さだ。
城丸と彼氏の冒頭シーンが「午前7時50分」頃。芝居の開演予定が「午前10時」。
途中、開演が「15分遅れ」になったから、実際に幕が開いたのは「午前10時15分」。
即ち、およそ「2時間25分」の出来事を、一本の映画にまとめた事になる。 言わば、日常のわずかな一瞬を小さく切り取り、それを
拡大ルーペで目いっぱい引き延ばして、作品に仕上げた。
まぁ、多感な十代の少女達なら、たった2時間であっても、
様々な心理変化がある訳で、それを追うだけでも面白いハズ。 しかも、「創立記念日」という特別な日に、年一度の特別な芝居を演じる演劇部員らが、
直前になって「上演の危機」にさらされたとなれば、その心情はさらに揺れ動くだろう。
かくして、たった数時間の出来事であっても、監督、シナリオ、そして演者次第で、
見事な作品に仕上がる事を、本作は証明した。私は、そんな部分にも、強く惹かれたのだ。
そういえば、中原氏が本作に次いで監督を務めた「12人の優しい日本人」も、 12名の個性溢れる陪審員が 一堂に会してから、評決がまとまるまでの
数時間程度の短いやりとりが、テンポよく、そしてコミカルに描かれていた。 こういうスタイルの作品を魅力タップリに仕上げるのも、中原監督の才能だろう。
さらに、 本作の随所に登場する「桜」も、日本人の心を
本能的に揺さぶるアイテムとして、効果的だったと思う。
「美しく、儚い」桜の花を、毎年学年が上がり、やがて卒業する運命の
少女らに重ねると、何とも言えず、センチメンタルな気分になる。
また、熊本マリが奏でる優美で静かなショパンの旋律も、哀愁を誘った。
もう一つハマった理由を挙げれば、「女子高」という厚いベールに包まれた世界を、
レンズを通して覗き見る感じがして、背徳心を覚えつつも、強く興味をそそられた。
(大学時代の女友達(女子高出身)は、「実際の女子高と全然違う!」と評したが…)
こういった数々の理由から、私は「櫻の園」の世界にドップリと浸かった訳だが、
出演者で特に惹かれたのが、倉田知世子(ラネフスカヤ)を演じる白島靖代さんだった。
(現在は芸能界を引退。ヤクルトスワローズ、土橋コーチの奥様)
※「櫻の園」出演者、私のタイプ「ベスト10」(あくまでも個人的見解)
1位:白島靖代 2位:つみきみほ 3位:丸山昌子 4位:菅原香世 5位:森沢なつ子
6位:後藤宙美 7位:金剛寺美樹、8位:山田純世 9位:古川りか 10位:橘ゆかり
「いかにも女子高生」といった演者が多い中、彼女は落ち着いた「大人」の雰囲気があり、
ひときわ目立つ存在だった。女子高の演劇部の中に、一人だけ「宝塚のトップスター」が
混じっている印象さえあった。高身長でスタイルもよく、ボーイッシュなヘアースタイルで
目鼻立ちもくっきりした彼女は、当時の私の「タイプ」そのもの。また、どこか「陰のある」
生徒を情感豊かに演じていて、その謎めいた魅力にも、すっかりヤラれてしまった。
そんな感情がつい抑えきれず、私は’94年12月、白島さんに「誕生日の花束」を贈った。
大学にほど近い、早稲田通りの「フラワーショップおざき」という花屋に駆け込むと、
金一万円也で「おまかせ」の花束を注文。メッセージを添えて当時の事務所に届けた。
(当時の「お届け伝票」控え(一部修正済))
今思えば、いかにも唐突で短絡的な行動だったが…
あの衝動は、「抑えろ」と言われても無理だったと思う。
ともかくも、22年越しに当時の不調法をお詫びしたい。
妙な花束を贈ってしまい、大変失礼しました。
(ご本人が覚えていない可能性も、大いにあるが)
また、本作では、メイクを済ませた倉田(白島)と志水(中島)が、裏庭に出て、
記念撮影のカメラに向かって頬を寄せ合うシーンも印象的だった。本作を見た後、
二人が他の映画やTVドラマで再共演しないかと、TV雑誌等を頻繁にチェック。
すると、1994年夏、テレビ朝日の「土曜ワイド劇場」枠で共演の機会があり
(「軽井沢・殺しのレクイエム」)、私は「櫻の園」を重ね合わせながら、
感慨深く鑑賞した(かなり物騒なストーリー展開ではあったが…)。
確か、白島さんがバイオリン奏者、中島さんがピアニストの役で、共に演奏するシーンもあった。
白島さんは殺人犯を捜す側で、中島さん演じる清楚なピアニストが真犯人という結末のハズ。
余談だが、長江健次と井上彩名が、チャラいカップル役だったのも覚えている。
主演は渡辺徹、共演が石野陽子。また、いつか再放送しないかな…。
最後に、映画「櫻の園」にまつわる私のエピソードを、もう一つ。
本作との最初の出会いが、封切り3年後の「レーザーディスク」だったから、
当時の私は、「一度は劇場スクリーンで「櫻の園」を見たい」という願望があった。
そんな折、1994年(平成6年)7月、本作を上映するイベントが都内で開催される。
それは「第2回・日本インディペンデント映画祭」というもので、
「日本独立映画制作者協議会※」が主催する上演イベントだった。
映画祭のキャッチフレーズは、「観客が育てる日本映画の明日」。
(※資料が少なく断言できないが、おそらく、現「日本映画製作者協会」の前身)
(当時のチケットが、ボロボロながら残っていた)
(チケットの裏に、上映スケジュールが記載。イベント期間は、’94.7.2~7.8の1週間。
当時の上映作品を、見たまま書くと…
7/2(土)…「800 TWO LAP RUNNERS」「にごりえ」(その他、「筑紫哲也シンポジウム」など)
7/3(日)…「グリックの冒険」「名作アニメシリーズ」「ブンナよ木からおりてこい」
「アルプスの少女ハイジ」「蒼い記憶」(その他、「黒柳徹子トーク」など)
7/4(月)…「教祖誕生」「大誘拐」「月光の夏」「タンポポ」
7/5(火)…「裸足のピクニック」「伽耶子のために」「AKIKO あるダンサーの肖像」「月山」
7/6(水)…「二十歳の微熱」「櫻の園」「ツィゴイネルワイゼン」「太陽を盗んだ男」
7/7(木)…「草の上の仕事」「恋のたそがれ」「姉妹」「ジャックと豆の木」「瀬戸内少年野球団」
7/8(金)…「この窓は君のもの」「スタア」「キッドナップブルース」「ジャズ大名」
(その他、「ジャズ大名バンドライブ」など)
このイベントを偶然にも知った私は、期待に胸ふくらまして、会場である
今は無き東京・渋谷の映画館「渋谷エルミタージュ」へと出向いた。
実は、上映後、ゲストの「トークコーナー」があるとの事前情報もあり、
「白島さんや、他の出演者が来るかもしれない」と、淡い期待を抱いた。
「櫻の園」は、’94年7月6日(水)の13:40~15:20に上映。上映後にトークコーナーもあった。
渋谷エルミタージュのスクリーンに映された「櫻の園」は、私の知る中央図書館のLD用モニターや、
自宅のTV画面と比べると、全く感動の度合いが違った。やはり、映画は映画館で見るのが一番…
そんな当たり前のことを、改めて認識すると共に。かねてからの「念願」が叶った事に満足した。
待望の「銀幕鑑賞」を果たした後、やはりお目当てのトークコーナーとなった。当時の出演者は
来なかったものの、中原監督ご本人が来場。また、歌人の林あまりさんも聞き手として
ステージに上がり、撮影時のエピソードや苦労話などを楽しく語らった。
なお、この上映から2か月後の94年9月には、NHKで「ソリトン・金の斧、銀の斧」という
番組が放映。司会の高橋由美子さんが日活の撮影所に出向き、中原監督と対談を行っている。
この番組でも、当然ながら「櫻の園」にスポットが当てられた。してみれば「1994年」は、
私のみならず、様々なメディアや映画団体などが、本作に再注目した時期だったといえよう。
まぁ、色々とぶっちゃけた記事になったが…今回は、この辺で。
(追記)「櫻の園」に関する素朴な疑問
朝、演劇部の部室に皆が登校するシーンで、三野輪有紀演じる真由美が、
いせり恵演じる喜美子に、「アキコ、お早う!」と声をかける場面がある。
相手の名前が「キミコ」なのに、なぜ真由美は「アキコ」と呼んだのか?
何かの理由で「アキコ」と仇名が付いていた?或いは、単なる台詞間違いか。
20数年疑問に思っているが、判らない。どなたか、知っている人いますか?
※コメント欄の取り扱いについて
マジか…
ついさっき、ヤフーニュースを何げなく眺めてたら、
「高知東生容疑者 覚せい剤と大麻所持で現行犯逮捕
ホステスの女とホテルで」
だと??
マジか…
1990年代から、結構注目していた役者さん。
(「たかちのぼる」と読む)
芸名絡みの問題で、某・電鉄会社と一悶着あったりもしたが、
ドラマや映画で味のある演技をするので、好感を持ってたんだけど。
最近は、義父の介護等で芸能界を引退、と聞いていたが、
こういう薬物絡みのニュースが出るなんて、かなり残念。
奥様の高島礼子さんも、大きなショックを受けているだろうな…。
CRジョーカー2(ニューギン、CRデジパチ)
1995年(平成7年)にニューギンから登場した「CRジョーカー2」
別に、アメリカで「トランプ」旋風が巻き起こってるとか、
EUが遂に「ババ」を引いてしまったとかいう事は関係ないが、
なぜか、この機種の事をふと回顧したくなった。
(ネット情報もあまりないし…)
★賞球:6&10&15
★大当り確率:1/250(設定なし)
★最高継続ラウンド数:16R
★ニューギン得意の「ベルト」使用
(CR機としては、初のベルト式)
★図柄は「トランプ」をモチーフ
★停止順:左⇒中⇒右
★有効ライン:中段のみの1ライン
★大当り図柄:「A~K(13図柄)」「Joker」「トランプの裏模様」の、計15通り
★全15図柄中、「3」「7」の2図柄で当ると、プラス2回の確変突入
★確変突入率、継続率:2/15
★確変中の大当り確率:1/72.4
★当時の実戦店:西武新宿駅前「日拓1号店」
(現「エスパス日拓・西武新宿駅前店」)
爆裂度が高い代わりに、確率が1/300を大きく下回るCR機も多かった中で、
本機は「1/250」という良心的な大当り確率。「現金機」の感覚で付き合えた。
もちろん、高確率である分、しっかり「帳尻」は合わされていた訳で、
全15図柄中、確変に突入するのは、「3」と「7」の2図柄のみ。
突入率、継続率共に「2/15」という、まことに狭き門である。
但し、その確変に入ると、プラス2回(以上)の大当りが約束された(ループ有り)。
したがって、大勝ちする為には、難関の確変図柄を引く必要があったが、
確変に入らずとも、高確率ゆえに数珠連チャン気味に当りが続いたりして、
ヘソの甘い台ならば、通常図柄の当りだけでも、そこそこ勝負にはなった。
これが、「現金機的感覚」たる所以である。
まぁ、確変図柄を「ごく稀に来るご褒美」と最初から割り切っておけば、
たとえ単発図柄ばかりが続いても、さほどストレスはたまらなかった。
初当りすら引けない爆裂CR機よりも、よほど「遊技」している気になれた。
一方、盤面部に目を移すと、「フルーツマシン2A」「7ショック」と続いた
ニューギンお得意の「ベルト」が、本機にも受け継がれていた。上でも書いたが、
同社のCR機としては「初のベルト採用」となる。ややマイナーな存在ながらも、
意外と重要なポジションにあったのが本機だ。
大当り有効ラインが、「中段のみ(1ライン)」というのも特徴である。
先行機のフルーツマシン2Aも7ショックも、同じベルト式ではあったが、
いずれも「5ライン有効」だったので、ベルト1ラインの本機を初めて見た時は、
少なからずインパクトがあった事を思い出す。
まぁ、昭和期の三共ドラム機を打ち慣れた方なら、別に1ラインには驚きもないだろうが、
私はレクサスシリーズから入ったクチなので、ドラムやベルトの1ラインというのは、
けっこう新鮮に映った。「三共1ラインドラム」唯一の経験は、向ケ丘遊園の今は無き
「ぱちんこ遊園」で打った、マイナードラム機「フィーバーシャリオ」くらいなもの。
(あそこのシャリオは、いつ行ってもクギが激シブだったなぁ…)
そういえば、ニューギンが5ラインや3ラインの「ドラム機」ばかりを出した頃、
いきなり1ラインの「エキサイトビューティー」がホールデビューを飾った時も、
やはり同じような衝撃を受けた。まぁ、あの機種はリールが4本だった事に加えて、
指だの、お尻だの、乳だのと、図柄そのものにも、大なるインパクトがあった訳だが…。
なお、本機の登場を機に「エキサイトジャングル2」(1995、確変デジパチ)や
「エキサイトコンバット」(1995、3回権利モノ)等の「1ライン式ベルト機」が、
立て続けにリリースされた事も、併せて書いておく。
本機は、図柄デザインも当時としては美麗で、トランプを模した大き目の図柄が
センターにデンと止まると、1ライン独特の迫力があって、妙に気持ち良かった。
なお、確変図柄の「3」「7」は、トランプの図柄をそのまま模してはおらず、
大きな赤数字にハートマークをあしらった、ひと際目立つデザインであった。
(冒頭の画像を参照)
リーチアクションも、何気に秀逸だった。左、中と同図柄でリーチとなるが、
右が普通にスローとなる「ノーマルリーチ」のほか、右がトランプの「裏模様」で
一旦停止後、再び動き出す「再始動リーチ」や、リーチ後、右がスロー回転に
切り替わらず、ダイレクト気味に停止する「即止まりリーチ」があった。
再始動はハズレもあったが期待度も高く、即止まりなら必ず大当りした。
3種類とシンプルながらも、ベルトならではの味わい深い演出だったと思う。
余談だが、本機の「Joker」図柄は妙に愛嬌があって、’90年代前半に流行ったVシネマ
「けっこう仮面」の「サタンの足の爪」(ポール牧演ずる悪役)なんかを彷彿とさせた。
また、「J」「Q」「K」の絵札も、普通のトランプ図柄と比べると、どこかコミカルで、
「女王(クイーン)」のハズの「Q」の顔が、私には「オッサン」にしか見えなかった…。
※コメント欄の取り扱いについて
思い出のシマ(ブラボーセンチュリー)
当ブログの画像に関するお問い合わせがありましたが、
誠に申し訳ありませんが、画像・データに関する引用の
お申し出は、ブログ開設時から全てお断りさせて頂いております。
但し、ご自分のブログ又はHP等に、当ブログのトップページや
個別記事のリンクを貼る事は、ご自由に行って頂いて構いません。
以上、宜しくお願い致します。
今から20数年前の大学生時分、学校に程近い早稲田通りの
「みよし」(現「MIYOSHI344」)というパチ屋に良く通っていた。
この店は、かなり昔からやっていて(昭和27年創業との事)、
まさに「早大生御用達」のホール。かつては、岡田彰布さん、
谷沢健一さん、松本匡史さんなど、往年のプロ野球選手達も、
早大野球部在籍中、この「みよし」でパチっていたという。
(当時、校舎傍に大学の野球場(安部球場)が存在⇒現在は中央図書館)
みよしは大変こじんまりとした店で、大通りから見ると、丁度
カタカナの「コ」の字をタテにしたような、独特な作りだった。
左右の両端に出入口があって、当時は左側がパチンコのシマで、
右側がパチスロシマ。また、その左右を結ぶ奥の数シマにも、
デジパチやハネモノが何機種か置いてあった。
(現状は全く知らないが…)
それから私がいた頃は、みよしにグルリと囲まれるように、
一軒の古い「民家兼店舗」(タバコ屋)が隣接していて、
2Fに無数の「ハト」が住み着いていた。通称「ハト屋敷」。
パチ屋の入口前には都バスの停留所があったが、辺り一面
白いフンだらけ。停留所に屋根が無ければ、酷い事になっていた。 現在、ハト屋敷は無く(火事で焼失)、ストリートビューを見る限り、
「コの字型」のパチ屋の作りが、早稲田通りからハッキリ見える。
みよしは、いかにも「学生街のパチ屋」的な風情で、入口前には
「まわりで評判 楽しいみよし」なんて書かれた回転式の看板が
クルクルと廻っていた。また、店奥の小さな景品カウンターでは、
愛想のよいオバちゃんの店員が仕切っていて、レシートを何枚も
持っていくと「今日は勝ったのね?」などと声をかけてくれた。
因みに、当時、店の2Fには「みよし」という同名の雀荘があり、
1年生の時には語学クラスやサークルの友人達によく誘われて、
いいようにカモられていた(今なら返り討ちにする自信があるが…)。
学生時分、この「みよし」で打った思い出の台は数々あるが
(ブラボーエクシード、エキサイト麻雀3、パールセブン、
エンタープライズI、フィーバーアタックGP、アメリカンドリーム2、
鮭取物語、アストロライナー、ビッグパルサー、スーパープラネット、
ホールインワン、ニューパルサー…)、特に記憶に刺さる台を一つ挙げるなら、
平和の旧要件デジパチ「ブラボーセンチュリー」(センチュリーB)だろうか。
味わい深いドットデジタルに、「舞羅望極II」から引き継いだ
チューリップ式の「オマケチャッカー」、そしてアタッカー両端で
ポンとバウンドした玉が、オマケに流れる独特の構造などが特徴。
特に、チューリップは「二回開き」となっており(「舞羅望」は
一回開き)、オマケの釘さえ良ければ、たった1度の大当りで
3500発以上出る事もザラだった。そして、みよしのセンチュリーは、
まさに、その「大量獲得」が期待できるオマケ調整になっていた。
当時、デジパチの標準的なオマケの釘調整で「2500~2900個」※
程度が当たり前だったから、この店のブラボーセンチュリーは、
出玉のボリューム感が違った。時に4000発を超えることもあり、
ほぼ「一発台」の感覚で対峙した。無論、他のデジパチに比べて、
ヘソチャッカーの釘は、1まわりも2まわりもシブかった訳だが…。
大当り確率も「1/256」と当時としてはキツめで、それほど容易には当らなかった。
※地域によっては、無制限営業などで、2000発程度が主流の場合もあった。
この機種が思い出深いのは、無論、台自体にも強い愛着があるからだが、
ことさら印象に残るのは、大学1年時、みよしのセンチュリーのシマで
よく顔を合わせた、一人の「女性」の存在である。
年の頃20代前半~半ば、どこか三原じゅん子似の綺麗な人だった
(思い出補正が入っているかも)。その彼女も、みよしのセンチュリーが
大変お気に入りのようで、授業終りの3時過ぎ辺りに店へ立ち寄ると、
このシマで一緒になる機会が多かったことを覚えている(別のシマで
出くわしたことはほとんどない)。
そういえば、「授業」で思い出したが、みよしは早大の「西門」に程近い
所にあった。この西門近くには体育館があって、私も体育の授業を受けた。
受講した科目を振り返ると、1年生時が「卓球」で、3年生が「合気道」。
(2年時も何か取った筈だが、サボってばかりで授業には一度も出なかった)
卓球は森武先生、合気道は志々田文明先生に教わった。お二人とも、今もご健在で、
森先生は「早大名誉教授」、志々田先生は「早大スポーツ科学学術院教授」
というお立場。今思えば、すごい方々に教えを乞うたのだな…と思う。 体育の授業終わり、西門の「三品食堂」で食べる「玉牛」(牛めし&生卵)の
美味かったこと(「珍味」のラーメン半チャーハンセットも絶品だった…) 。
さて、件の「三原じゅん子似」の女性だが、最初はお互いそ知らぬ振りだったが、
センチュリーのシマで何度か顔を合わせるうちに、段々と打ち解けていった。
そのうち、和気あいあいと肩を並べて打つようにもなり、「馴染みの常連同士」
という関係になった。センチュリーのシマは小さくて台も6台程度と少なかったから、
お互いの存在や台の調子などが、結構気になったりした。
リーチがかかれば、片方が「出張」して、二人でデジタルを覗き込む。当たれば共に喜び、
外れれば自らの事のように悔しがる。惜しい一コマハズレなら、「あーッ!」と嘆息する。
そして、センチュリーの出玉の多さが、当れば「ウハウハ」、外せば「ガックリ」の
ギャンブル感覚を増幅させて、いっそうアツくなった。
或いは、お互い結構なゼニを使ってハマっていて、フラッと座った一見の客が、
数百円で大当たりさせた時などは、いかにも苦々しく顔を見合わせたりもした。
ある時など、「パチンコ必勝ガイド」誌にセンチュリーの「リーチ判別」の話が出て、
リーチがかかった瞬間の右デジタルが、「0、7、8、h」のどれかから始まれば
大当りする可能性があるが、それ以外だと期待できない…といった特徴が判明。
以来、私はこの判別を普通に使ったが、彼女は攻略ネタにあまり興味がないらしく、
そのテの判別も知らない様子だった。なので、彼女の台を見ていてリーチがかかると、
すかさず右デジを判別して「大当りする、しない」を予測。そして「このリーチはダメ」
「これは来るかも」と、いかにも「カン」で予想しているように振る舞った。
で、 それが結構当ったから(当然だが)、「すごい!」「よく判るね~」と感心してくれた。 まぁ、こういったごく当たり前の振る舞いも、「孤独」にさらされ易いパチ屋では、
自分にとって、まさに「一服の清涼剤」(故・田山プロの言葉を借りると)であった。
たまに、シマに出向いて彼女の姿がないと、それだけでガッカリした気になった。
ただ、いかに彼女とシマで打ち解けても、お互いの素性やプライベートは、
一切話すことが無かった。あくまでも「センチュリーのシマ」のみの関係。
それ以上は、絶対に詮索しなかった。当然、彼女の名前や年齢、既婚か未婚か、
どこに住んでいるかといった「個人情報」は、最後まで知ることも無かった。
向うにしても、こちらが早大生かどうかを聞くこともなく、ただ純粋に
「リーチが当った、外れた」を一喜一憂し合うだけの仲であることに、
それなりに満足しているようだった。
まぁ、コチラにささやかな「恋愛感情」がなかったといえばウソになるが、
「常連同士」以上の深い関係になろうとする勇気は、ついに沸かなかった。
そんな素性も知らない彼女だが、夕方6時過ぎになると、決まってツレと
思しき年配の女性に声を掛けられて退店した。或いは、彼女は既婚者で、
夕飯の支度までの数時間を、センチュリーのシマで過ごしたのかもしれない。
とすれば、ツレの年配女性は、母親(義母)だった可能性もあろう。まぁ、
それすら知らない奇妙な関係だが、センチュリーのシマでは「戦友」だった訳だ。
そういえば、当時、みよしのデジパチのシマのドル箱は、平たくて大きい
「4000発サイズ」だったから、センチュリーで彼女が当てると、3500発以上も入った
重い箱をカウンターまで運ぶのが、如何にも大変そうだった。そんな訳で、いつしか私は
彼女のドル箱を代わりに運んでやるようになった。別に、店員に運ばせればいいだけだが、
軽々と箱を持ちあげて「腕っぷし」をアピールする事で、格好つけたかったことは確かだ。
その後、新要件時代に入って暫くして、旧要件のセンチュリーがシマから外されると、
彼女は、店にほとんど顔を出さなくなった。或いは、彼女が好きだったのは「パチンコ」
そのものではなく、リーチ時「ジリジリ」と音を立てながら右デジが回り、右デジが
ピタッと止まって大当りして、二度開きチューリップのオマケに玉がガンガン流れて、
大箱一杯に玉が溜まるセンチュリーだからこそ、連日、あのシマにいたのかもしれない。
まぁ、少なくとも、私がシマに同席したから通い詰めた、という訳ではないだろうが…。
あれから25年も経ってしまったが、今、彼女は、どこでどうしているのだろうか?
シティボーイII(パイオニア、4号機)
1994年(平成6年)にパイオニアから登場した、
Aタイプ4号機「シティボーイII」(同社の4号機第1弾)
この機種名を見ると「シティボーイズ」が頭にちらついて、
「名人・斉木しげる⇒ビデオ版パチプロ日記」に脳内変換。
重度の「田山症候群」に侵されている証左か…?
★兄弟機…「シティボーイBL」(筐体カラーは違うが、中身は共通)
★後継機…「ニューシティボーイ」(ビッグ獲得枚数減⇒ボーナス確率アップ)
俵型のストップボタンなど、筐体自体は2号機「ムサシ」(3号機「ムサシII」)の継承だが、
本機の赤7デザインは、ムサシのスレンダーなビッグ図柄と違って、ズシリと重厚感があった。
一方のBAR図柄は、どこかユニークなフォルムで、個人的にはニューギンの連チャン権利モノ
「ピースメーカー3」(1993年)の盤面キャラなんかを思わせた。
(下の比較画像を参照。ニュアンスが伝わるだろうか…)
(ピースメーカーの「✖」キャラが、BARを抱えているように見えた)
(ボーナス確率表)
(各役払い出し表)
(リール配列)
本機は、新台導入時期からかなり経った頃、東京・渋谷の
「ファイン」というスロ屋で、繰り返し打つ機会があった。
ある日、渋谷駅の井の頭ガード界隈をフラフラ彷徨っていると、
路地の小店「ファイン」の2Fに、本機が並んでいるのを発見。
その時は、1Fも2Fもガラガラ。それどころか、店員の姿さえ見当たらない。
恐らく、トイレ掃除か何かをやっていたと思うが、「本当に営業中?」と
不安に思いつつ、2Fに上がる。誰もいない本機のシマで腰を落ち着けると、
左手に大きな窓があり、真向かいの白い雑居ビルの壁と窓だけが見えた。
何とも殺風景で無機質な窓外を眺めつつ、「シティボーイII」と対決開始。
確か、3000円かそこらで初ビッグ後、ノマレ⇒追加少投資ビッグ⇒ノマレ⇒追加少投資ビッグ、
といった流れを繰り返して、結局全ノマレで止めた。ただ、打っていて「肌が合う」というか、
自分の「ツボ」を突く感じだったから、その後も度々ファインに出向き、本機と対戦を重ねた。
効果抜群のリプレイハズシを積極的に使うようになってから、大勝ちこそ無かったが、
そこそこのプラス収支が続いた。ビッグが2連、3連と固まる事も多く、1000枚出たら
即ヤメて勝ち逃げしたり…。まぁ、新台時期から随分経っていたし、客付も悪かったので、
せいぜい中間設定辺りに座って、「ヒキ」と「ハズシ効果」で勝っただけだろう。
それでも、打つほどに味の出る「スルメ」のような本機に、傾倒したのは確かだ。
(リーチ目)
本機には、一応、ボーナスの「告知機能」がある。BRが成立すると、リール窓上に描かれた
「PIONEER」ロゴの両サイドにある「三角ランプ」が点灯。だが、モーニング・サービスが
普通に行われていた当時、このテのランプを断線して無効にする店が多かった(ファインも)。
そこで、フラグ察知において重要な役割を果たしたのが、以下に紹介するリーチ目である。
リーチ目が豊富な本機だが、他機種ではNGと思われるような、「特殊」な形が入り目となった。
それが、以下に例示する出目…そう、知る人ぞ知る「シティボーイ目」である。
赤7上段テンパイ時、右リール「中段」にボーナス図柄が止まる、「右ズレ」のシティボーイ目。
右リールは、「チェリー」が代用図柄の役割を果たした。また、中リールは「BAR」でもOK。
遊技中、いきなりこれらの形が降臨すると、最初は違和感があるが、段々と「クセ」になる。
他機種では「カス」のような形が、本機だと超重要出目…そんな意外性に、心を奪われた私。
こういう奇抜さを「変態」と評する向きもあったが、決して「悪い意味」では無かったハズ。
勿論、シティボーイ目のような変則型だけではなく、オーソドックスな一直線、大V型、
大山型等のリーチ目も存在。但し、そのパターンは、左の停止図柄に応じて限定された。
(「ボーナス一直線なら、何でもOK」という訳ではない)
以下は、代表的なリーチ目。
★中段7からのボーナス一直線(右はチェリーも可)
★左上段7からの大V字型。右はチェリーも可
★左上段BARからのボーナス一直線。右はチェリーも可
★上段ベルテンパイ⇒右上段ボーナス停止
★中段リプレイテンパイ⇒右中段ボーナス図柄停止)
★通常時も出る、信頼度の低い「パターン目」の例
(リールのスベリ)
上記リーチ目の他、リールの「スベリ」によって、フラグを察知できる場合もあった。
但し、本機はBR非成立でも、左リールが2コマスベったり、中リールでボーナス図柄の
テンパイ制御が働いたりした(必ずではないが)。つまり、先行機ムサシ(II)よりも、
スベリの信頼度が低い。しかし、例えば、3コマ以上のスベリを伴って、左リール上段に
7が止まったら、ビッグの期待大。ムサシには及ばずとも、スベリのアツい瞬間も存在。
(リプレイハズシ)
本機のさらなる特徴として、「ビッグ中のハズシ効果が高い」事が挙げられる。
ビッグ時のメイン小役は「ベル」だが、払い出しの枚数が、通常時の8枚から
ビッグ中は「15枚」にアップ。しかも、ベル確率が「1/2.8」と高かったので、
獲得枚数アップに大きく貢献。
しかも、ジャックイン確率が「1/5.1」と、それほど高くなかった。
ハズシすぎはパンクの憂き目に遭うが、展開次第では500枚超えも。
以下、ハズシ手順の一例を示す。
★リプレイハズシ手順
(A)1,2回目の小役ゲームは、順押し・適当打ち。
⇒順押しなら、ベルもジャックインもこぼさない。
⇒ビッグ中は、プラム、オレンジ、チェリーも成立するが、
何れも「1/160」と低い。時間効率を考えれば、狙わずともOK。
(B)3回目の小役ゲームからは、「逆押し」に切り替える。「右⇒中」適当押しで、
ベルが上段に単独テンパイしたら、左上段に「BARの下のベル」を狙ってベルゲット。
一方、ベルとリプレイのWテンパイ時は、ジャックインを考慮して、手順(C)実行。
(C)リプレイの上段受けは、左枠内「チェリー・オレンジ・7」狙い。
(ここを狙えば、リプもハズせるし、ベルもこぼさない)
(D)リプ下段受けは、左枠内「プラム・オレンジ・プラム」狙い(遅め)。
(E)リプ中段受けは、配列上も制御上も「ハズシ不可」。
小役ゲームの展開によっては、2回目からハズしてもOK。
(F)ジャックイン確率(1/5.1)を考慮して、
残り12ゲームから順押し・適当打ちに戻す。
田山幸憲クイズ(池袋編)
(平成13年7月4日、午後5時3分逝去、享年54歳)
毎年、この時期は、田山さん関連の記事を書くようにしているが、
今年は、亡き田山さんに思いを馳せて、「田山幸憲クイズ」を作成。
一問一答形式で、「ナナシー」に因んで「74問」作ってみた。
選択式ではないが、【各問】の下に(正解)を載せてあるので、
うまくスクロールで答えを隠しつつ、挑戦して頂ければと思う。
今回は「池袋編」。田山さんが40年に渡って過ごした思い出の地だ。
前半は、田山ファンであれば即答できる「基本問題」がメイン。但し、
中~後半は「まにあっく」な問題も多く含む。
一応、「55問」以上の正解で、「合格ライン」と設定させて頂いた。
(ナナシーに因んで正答率「74%」以上。厳しい数字ではあるが…)
分量は多いですが、どうぞ、最後まで頑張ってみて下さい。
それでは、早速、クイズスタート!!
【第1問】 田山さんの生年月日は?
(正解)
昭和21年(1946年)10月3日
【第2問】 田山さんが生まれた場所(都道府県)は?
(正解)
東京都(豊島区高松)
【第3問】 田山さんの出身中学は?
(正解)
豊島区立高田中学校
【第4問】 中学時代の田山さんの同級生で、
有名な元プロ野球選手は?
(正解)
田淵幸一
【第5問】 田山さんの出身高校は?
(正解)
都立小石川高校
【第6問】 高校時代、田山さんは何部に所属した?
(正解)
柔道部
【第7問】 田山さんの高校の同級生で、
有名な政治家といえば?
(正解)
鳩山由紀夫
【第8問】 高校時代の田山さんの将来の夢は?
(正解)
船乗り(下級船員)になる
【第9問】 (前問からの続き)それは、ある小説に
影響を受けたからだが、その小説とは?
(正解)
白鯨(メルヴィル)
【第10問】 (前問からの続き)その将来の目標を断念した理由は?
(正解)
視力が足りなかった
【第11問】 自らの「夢」に挫折した田山さんが、
学業に専念して、見事合格を勝ち取った大学は?
(正解)
東京大学(文科三類)
【第12問】 大学時代の田山さんを誘い、
パチンコを本格的に体験させた友人の名は?
(正解)
千本木
【第13問】 (前問からの続き)その時、田山さんが
その友人と入った池袋のパチンコ店の名前は?
(正解)
パール
【第14問】 (前問からの続き)その時の田山さんの成績(結果)は?
(正解)
千本木がくれた玉を元手に、3時間で2500発出した
(手打ち時代なので、かなり好成績)
【第15問】 ところで、田山さんは右利き?それとも左利き?
(正解)
左利き
(左手で玉を握って発射穴に入れる手打ち台を、スムーズに打てた)
【第16問】 大学時代の田山さんが、吹き付けの
バイトをしている時に覚えた、公営ギャンブルは?
(正解)
競輪
【第17問】 (前問からの続き)そのギャンブル初体験時、
田山さんは最終レースを自腹で賭けたが、勝った?負けた?
(正解)
勝った(一番人気を百円だけ買い、わずか80円の儲け)
【第18問】 パチンコ初心者だった田山さんが、
上達を目論んで初めて買った、パチンコ本のタイトルは?
(正解)
「パチンコ入門」(牛次郎・著)
【第19問】 田山さんが学生時分からずっと通い詰めて、
大学中退後もネグラとした、池袋「S店」の正式名称は?
(正解)
山楽(山楽会館)
【第20問】 学生時代の田山さんがS店で
初めて接触した、ベテランプロの呼び名は?
(そのプロが抑えていた甘釘台を打たせて貰い、
出した玉の一部を返したら、あっさり受け取った)
(正解)
イノさん
【第21問】 田山さんに「釘」の重要さを痛感させて、
釘の「イロハ」を教えた、大柄で強面のパチプロは?
(正解)
不敗のノッポ
【第22問】 ある時、S店のプロ達が「デキワル」とした台を、
田山さんだけが、連日出しまくった。その理由は?
(正解)
右打ちで攻略(右サイドのソデが「ゴキ釘」
(ガラスに釘が接触した状態)で甘かった※)
※田山さん自身が「ゴキか否かは今だに不明」とする資料も存在
【第23問】 学生時代の田山さんに、自分の抱える悩みが
「ぜいたく病」だと知らしめた、バイト先の「恩人」は?
(正解)
ヤマさん(職人。苦労人だった)
【第24問】 若き田山さんと顔見知りの筋骨隆々の「開店プロ」で、
確かな腕を持ちつつも、廃業してサラリーマンに鞍替えした人物は?
(正解)
開店荒らしの松(松野)
【第25問】 手打ち時代のS店のプロで、「ブッコミ」の間を通す
能力が並外れており、田山さんも一目置いた、凄腕の持ち主は?
(正解)
ブッコミのテツ
【第26問】 田山さんと仲の良いS店の常連で、
食事休憩中、玉泥棒に箱を盗まれた、元中華ソバ屋は?
(正解)
ソバケン(元・中華ソバ屋のケン坊)
【第27問】 同じくS店の常連プロで、
いつも午後に「重役出勤」したのは?
(正解)
あと番のキザ助
【第28問】 S店で長く喰っていた田山さんの仲間
「マーク屋のヒロ坊」が、プロを廃業した理由は?
(正解)
店の営業方針が変わり、前日出た台を軒並み
シメるようになった(マークが効かなくなった)
【第29問】 S店のプロ「玉引きメガネ」のアダ名の由来は?
(正解)
玉引き⇒下皿の玉をすぐ抜くクセがあった
メガネ⇒メガネをかけていた
【第30問】 S店きっての「ヘボ腕」で有名だった
年配パチプロ「黒ちゃん」が、常勝に転じた理由は?
(正解)
手打ち式から電動式に変わり、ストロークが安定した
(釘は読めるが、ストロークが不安定なのが弱点だった)
【第31問】 一時期、田山さんはS店のプロ仲間達から
「一本指」と呼ばれていた事があるが、その由来は?
(正解)
「テング」(手打ちハンドル下に付いた鉄の支え棒)に、
指を一本だけ引っ掛ける、独特のスタイルで打っていた
【第32問】 ある時、田山さんは、S店出入り禁止中のノッポと一緒に
大山のパチ屋に赴き、ある台で大勝ち。その台には致命的な「欠陥」が
あったが、どんな欠陥だった?
(正解)
台の「ネカセ」を自力で変えられた為、台を垂直に起こした状態にして、
チューリップの左右ハネに玉を乗せて台を叩けば、永久に閉じなかった。
【第33問】 女性に全く縁の無かったノッポに
ようやく出来た、大変個性的な「彼女」の名前は?
(正解)
チビ子
【第34問】 あと番のキザ助が、母から貰った
なけなしの三十万円を失ってしまった理由は?
(正解)
ツレの今野と競馬のノミ屋を始めたが、
あっという間に大赤字になった。
【第35問】 夜逃げしたキザ助が、暫くしてS店に舞い戻ってきた時、
ある女性と一緒だった。口は大きいが無口で従順な、その女性の名は?
(正解)
ガマ子
【第36問】 仙台からS店に出向いて来た
新参プロ「マルチ小僧」のアダ名の由来は?
(正解)
マルチ…一機種に拘らず、多くの機種を打ち回る。
小僧…ドル箱を抱えて素早く台移動する様が、鼠小僧そのもの。
【第37問】 ソバケンがS店で連日出しまくった、
ハネモノ「名機、676番台」の機種名は?
(正解)
レッドライオン(西陣)
【第38問】 1976年、田山さんが作家デビューする
きっかけになった、有名なスポーツ紙の名称は?
(正解)
日刊スポーツ
【第39問】 (前問からの続き)そのスポーツ紙に連載された、
田山さんが担当する「パチンコ戦術コーナー」のタイトルは?
(正解)
儲けの手筋
【第40問】 1975年~1976年、田山さんが初めて
パチンコ記事の連載を受け持った、月刊誌の名称は?
(正解)
マジックマガジン
【第41問】 (前問からの続き)その雑誌の連載時に、
田山さんが使っていたペンネームは?
(正解)
田山幸巻
【第42問】 1976年、あるパチンコ書籍の「座談会」企画で、
高名な作家(国文学者の北小路健氏)に「ご自分の将来の生活というか、
展望をどう考えていますか?」と、単刀直入に問われた田山さん。
一体、どう答えた?
(正解)
ちょっと質問がきびしすぎるんじゃないですか。
【第43問】 1977年、パチプロ生活に不安を覚えた田山さんが、
「長山のオジさん」の紹介で就職したのは、どういう会社?
(正解)
燃焼器具関連の会社(バーナーの売り込み=営業)
【第44問】 1978年、田山さんにとって人生初の「単行本」が
出版された。自叙伝ともいうべき、その本のタイトルは?
(正解)
パチプロ告白記
(「マジックマガジン」連載時のタイトルを使用)
【第45問】 S店で田山さんの隣に座った顔見知りのゴト師が、
見事な「早業」で当り穴に玉を入れた。そのゴト師のアダ名は?
(正解)
ヤマアラシ
【第46問】 1986年、S店にタチの悪いチンピラが大勢押しかけて、
田山さんはS店から約2年「避難」。そのチンピラ達の狙った機種は?
(正解)
レッドライオン(西陣、ハネモノ)
【第47問】 1987年から計60回にわたって、ある夕刊紙で
パチンコ記事の連載を受け持った田山さん。その夕刊紙とは?
(正解)
夕刊フジ(タイトルは「チンジャラ狂騒曲」)
【第48問】 同じく1987年、田山さんにとって
二冊目となる単行本が出版された。そのタイトルは?
(正解)
続・パチプロ告白記
(夕刊フジ連載分も収録)
【第49問】やはり1987年、パチンコ店で無料配布される
小冊子「王様手帖」で、田山さんの「コラム」が連載開始。
そのタイトルは?
(正解)
パチプロうたかた記(パチプロ泡沫記)
【第50問】 1988年秋、S店そばの喫茶店「ネスパ」で、白夜書房の末井編集長が
田山さんを口説き落とした事で、「パチンコ必勝ガイド」誌で「日記」の連載が開始。
後に単行本にもなった、日記のタイトルは?
(正解)
(田山幸憲の)パチプロ日記
【第51問】 その末井さんに対して、田山さんは
皮肉と親しみを込めて、どんなアダ名を付けた?
(正解)
悪徳商人
【第52問】 日記では「釘を他の台と見比べて、どの台が一番甘いか」より、
「同じ台の釘が、前日からどう変ったか」を見抜く方が、重要とした。
後者のクギ読み理論を、田山さんは何と呼んだ?
(正解)
タテの比較(縦の比較)
【第53問】 また日記では、ある台が何発出たらスランプに転じ、
何発打ち込んだら復活するかを、「経験則」として覚えよ、とした。
オカルトとの批判もあったが、田山さんは、この理論を何と呼んだ?
(正解)
パターン認識
【第54問】日記には、多くの「田山用語」が出てくるが、釘がガッツリシメられて、
全く期待できない状態を、洋服のあるデザイン(柄)に引っ掛けて、何と命名した?
(正解)
シメシメルック(「シマシマルック」を文字った)
(その他の田山用語…ケもなし、してやったり、鬼の住家、デキた!など)
【第55問】 ある時、田山さんは、仲間のマルチ小僧から、
一台の「中古パチンコ台」を譲り受けた。その台の名称は?
(正解)
アラジン(マルホン、一発台(普通機))
【第56問】 1988年、S店で平和のハネモノ「ビッグシューター」を追っていた
田山さんは、背中のシマのデジパチも「守備範囲」とした。そのデジパチの名は?
(正解)
パニック(パート)3(三洋)
【第57問】 (前問からの続き)そのデジパチが新装で外れた時、
新たに導入された三共のハネモノと、田山さんは長く付き合う事に。
「自動車レース」がモチーフとなっていた、そのハネモノの名称は?
(正解)
スーパーレーシング(レーシング)
【第58問】 同じく、田山さんがS店で長く付き合った三共のハネモノで、
グルグル回転する大きなヤクモノと、華やかなサウンドが特徴だったのは?
(正解)
ローリングマシンI(ローリングマシーン)
【第59問】 1990年初頭から田山さんが打った「振り分け式」の一発台で、
それを追い続ける姿勢を「自己否定」しつつも、魅入られてしまった機種は?
(ヒント:回転体付き、左端がV穴)
(正解)
ジェットライン(西陣)
【第60問】 (前問からの続き)その振り分け式一発台で、
ヤクモノ真上の命釘部分を、人間の「体の部位」にたとえて、
田山さんは何と呼んでいた?
(正解)
首っ玉
【第61問】 田山さんがビッグシューターなどを打っていた時期、
S店の馴染みの常連に、二人の「電機屋」がいた。片やゴリラ似で、
もう一方は対照的に小柄。それぞれについたアダ名は?
(正解)
ゴリ電、チビ電
【第62問】1990年4月、TBSの情報番組「モーニングアイ」に出演した田山さん。
元々は、S店にカメラが入って取材を行う予定だったが、田山さんが固辞した為、
スタジオでの出演となった。そのコーナーのタイトルは?
(正解)
奥様とパチンコ
【第63問】 田山さんと懇意だったS店の常連で、早稲田大の学生だったが、
その後、自由なパチプロ生活に憧れて、大学を中退してしまった若者は?
(正解)
学生プロ
【第64問】 1990年4月から田山さんがS店で好んで打ったハネモノで、
ヤクモノのキャラに因んで、田山さんが「オヤジ」と呼んだ機種は?
(正解)
パチンコ大賞13(西陣、ハネモノ)
【第65問】 田山さんの趣味の一つに「将棋」があったが、
田山さんは「居飛車党」「振り飛車党」のどちらだった?
(正解)
(生粋の)居飛車党
【第66問】 田山さんが通っていた頃の池袋S店には、ほぼ毎月1回
「定休日」というものが存在した。その定休日は、第何週の何曜日?
(正解)
奇数月…第3週or第4週の火曜日
偶数月…第3週or第4週の木曜日
(当時の池袋には、組合の取決めで月一度の「半休日」(エリアの半数の店が休む日)が存在。
エリア内には2つのグループがあって、S店(山楽)は、上記スケジュールのグループに属した。 山楽の定休日が火曜の場合、同じ週の木曜日になると、もう一方のグループが一斉に店を休む。
同様に、山楽の定休日が木曜ならば、同週の火曜が他のグループの定休日となる。必然的に、
半休日に営業する山楽には、普段よりも客が多く集まり、釘もシブくされた(魔の半休日)。)
【第67問】 かつてのS店には、田山さんの馴染みで
「天国(さん)」と呼ばれるプロがいた。名前の由来は?
(正解)
パチプロになる前、「天国」というパチ屋の店員だった
【第68問】 いわゆる「新要件機」登場で大量獲得ハネモノが
数多く出回るようになった。当初、田山さんはこの流れに対して、
ハネモノから「何」が奪われてしまう、といって反発した?
(正解)
安心感
【第69問】 1992年、S店の同じ台に連日通う、フィリピン人女性がいた。
「遠い異国の地」で彼女がアツく入れ込んだ、新要件デジパチの機種名は?
(正解)
平和「ブラボークイーン」(303番台)
【第70問】 同じく1992年、S店で1Fのデジパチと、地下のハネモノを
朝一チェックした田山さんは、ブラボークイーンとサーカスIII(三洋)の
二台に「本日のアキ」を見つける。迷った末、ハネモノのサーカスを選んだが、
知り合いに譲ったクイーンの方が、大当り11回で爆裂。さて、田山さんは誰に
甘釘台のクイーンを譲った?
(正解)
オマちゃん(パチプロ、ゴト師、土木作業員の遍歴を持つ)
【第71問】 田山さんが最も苦手な動物は?
(正解)
猫(五歳の頃、空気銃で猫を撃ってしまい、その罪悪感に長年さいなまれた)
【第72問】 1993年初頭、田山さんは家庭の事情で
長年住んだ池袋を離れる事となったが、その転居先は?
(正解)
(世田谷区)用賀
【第73問】 S店に「電車通勤」するようになった田山さんだが、
新たなネグラも探していた。そんな時、三軒茶屋で良さげなパチ屋
(遊楽)を見つけるも、ある理由でその店を断念。その理由は?
(正解)
「パチンコ必勝ガイド」の読者だった、ガラの悪いジグマがいて、
ビッグシューターで3000発出した田山さんに、因縁をつけた。
【第74問】新たなネグラ探しに悪戦苦闘しつつも、平成5年5月1日より、
田山さんは古巣の池袋S店から、川崎・溝の口「B店」にネグラ変えした。
そのB店の正式名称は?
(正解)
P.S.ビッグトップ
以上で、クイズは終了となります。大変お疲れ様でした。
少々難しかったかもしれませんが、ここまで読み進めて
頂いた全ての方々を、「合格」とさせて頂きます。
さて、来年は「溝の口編」かな…
(当ブログが続いていたらの話)
★★「ブクロ時代の田山さん」を学べる参考文献★★
(出版年は、当方所持の書籍の表記。初版年とは限らないので注意。)
・月刊「マジックマガジン」(第3号~第9号)連載、「パチプロ告白記」
(マジックマガジン社、1976年11月~1977年6月)
・座談会=プロとアマと釘師が全てを語る「楽しきかな、パチンコ」
(「趣味の世界9、パチンコ」(日本放送出版協会、1976年)掲載
・「パチプロ告白記」(田山幸憲/ 三恵書房 1986年)
・「続・パチプロ告白記」(田山幸憲/ 三恵書房 1987年)
・ドキュメント・ザ・パチプロ 9時出勤の”ジグマ”パチプロ、田山幸憲
(「パチンコ攻略マガジン 1987年12月創刊号」(双葉社)掲載)
・「田山幸憲プロのマルヒタイプ完全攻略術」
(「ヒコーキ型パチンコ機種別攻略本」(西東社、1988年)掲載)
・コラム「パチプロ稼業はワリに合うか?」(田山幸憲)
(「パチンコのための夜想曲集」(大和書店、1991年)掲載)
・田山幸憲を直撃!(「ハネモノ必勝ガイド」白夜書房、1991年)掲載)
・極私的パチンコ論、田山幸憲デジパチの陰謀
(「デジパチ必勝ガイドvol.3」(白夜書房、1991年)掲載)
・「マンガ銀ギンパチンコ必勝道」(スタジオペテ/講談社、1991年)
・「一発千金FINALパチンカー必勝道」(スタジオペテ/講談社、1992年)
・七人のパチプロ(田山幸憲)(「パチスロのウラ技」(双葉社、1992年)掲載)
・「パチプロ日記」I、II、V、VII、X
(田山幸憲/白夜書房、1995年、1995年、1996年、1998年、2001年)
・「パチンコ必勝ガイド」1988年創刊号~1993年7.3号(白夜書房)
・「最強平成パチンコ伝説・パチプロ田山幸憲の世界」
(田山幸憲、スタジオペテ/講談社、1996年)
・「田山幸憲パチプロ日記before」(1)~(3)
(橋野健志郎、伊賀和洋、田山幸憲/白夜書房、1996年、1997年、1998年)
・パチプロ田山幸憲(「パチプロ編集長」(末井昭/光文社、1997年)掲載)
・「パチプロ泡沫(うたかた)記」(田山幸憲/白夜書房、1998年)
・「パチプロけもの道」(田山幸憲/幻冬舎、2000年)
・「漫画スーパーワイド 田山幸憲パチプロ日記1~4」
(橋野健志郎、伊賀和洋、田山幸憲/小池書院 2008年~2010年)
(映像資料)
・「田山幸憲のパチプロ日記」(VHS版)
(制作:KSS、監督:中田信一郎、主演:斉木しげる、1997)
⇒ブクロ時代の再現シーンを、斉木さんが好演
CRフリフリダービー(マルホン、CR権利モノ)
1995年(平成7年)にマルホンから登場した権利モノ「CRフリフリダービー」
・賞球:7&13
・大当り確率:3段階の設定付き
設定1=1/111 設定2=1/121 設定3=1/133
・図柄:
上デジと中デジ⇒1~10(親鳥)
下デジ⇒1~10と、カートに乗った鳥(ヒナ。10の鳥がカートを引いている)
・親鳥の三つ揃いで大当り(10通り) 上・中ゾロ目で下デジがヒナなら小当り(10通り)
・デジタル当選後、センター下部の権利アタッカーのV入賞で、権利獲得。
・権利獲得後は右打ち。右上のアタッカー開放用回転体と、
その下のメインアタッカーを連動させて、出玉を増やす。
・最高継続ラウンド数:大当り⇒16R 小当り⇒1R
・平均出玉:大当り⇒約1900発 小当たり⇒120発
・大当り後は、次回当りまでの確変に突入⇒メイン確率が10倍アップ。
・小当りなら単発。確変も終了。
・大・小当りの振り分け率:1/2
いかにもマルホンチックな、三色のカラードット。しかも「タテ型」。
見た目のインパクトは十分だった(マスタークライムを彷彿とさせた)。
「アヒルの競争」(ダックレース)がモチーフ。
本機は、小田急線・百合ケ丘駅「パーラー百合ケ丘」(現・スロット「ユアーズ」)でよく打った。
(C)Google
この店には、舞羅望極II、ビッグシューター、うちのポチI、サーカス(一発台)が置いてあった
旧要件機の頃から通っていたが、巷にCRが出回ってからも、現金機ばかりの昭和的ホールだった。
(換金所も、裸電球一つで照らすような、小さな掘っ立て小屋だったしね…)
それだけに、CRユニットがズラリと並ぶ本機のシマを初めて見た時は、大いに違和感があった。
「この店に、CRは似合わない…」と思ったから、初めのうちは、シマに近づくのを敬遠していた。
ただ、本機が入る少し前、同じマルホンの「スパイ大作戦」(現金機、確変デジパチ)が
既に導入されており、あの独特な「タテ型マルホンドット」の魅力も判っていたから、
そのうち我慢できなくなって、結局、本機のシマも「守備範囲」に加えたのだった。
本機の魅力を端的に言えば、「丁半バクチ的な、判り易いゲーム性」
「甘いデジタル当選率」、「シンプルでアツいリーチ」の3点に集約されよう。
同数字の三つ揃いで、16Rの大当りにプラス1回の確変(ループ有)が付いてくる。
一方、上・中ゾロ目で下デジがカートに乗った「ヒナ」だと、1R小当りで確変も無し。
もちろん、確変中に小当りが来てしまえば、その時点で確変終了となる。
大当りと小当り…同じ「当り」でも、まさに雲泥の差があった訳だ。
50%のヒキ次第で、どちらにも転ぶ「丁半バクチ」。だからこそ、アツかった。
ヒキが良ければ、16Rのループでドル箱を重ねるが、1Rの単発地獄に捕まると、
雀の涙ほどの出玉しか見返りがないから、追加投資の嵐で「爆死」と相成る。
また、ヘソがスルーで戻り玉が無いのも、投資が嵩みやすい原因となった。
また、元々が甘めのスペックの為、店側も、ヘソやその他の釘をシメがちだった。
3段階設定付きで、最低設定の3でも1/133、設定1なら1/111という良心的数値。
それ故、ヘソ、寄り釘、道釘などの「急所」の釘も、とかく締まり易かったのだ。
そういえば、故・田山幸憲プロも、桜新町の「H店」(パチーノヒノ桜新町)を
ネグラにしていた時期、本機を追っかけた事があるが、何時の日記を見ても
「ウルトラシメシメルック」「道釘に致命的な欠陥」「ヘソが足りない」など、
シブ釘営業を嘆いていた(導入から暫くして、道釘が改善された時期もあるが)。
自分の場合もほぼ同じで、ボーダーに届かない台ばかりを打ったから、大抵は
負けかショボ勝ちに終わった。まぁ、時には16Rのヒキに助けられて、望外の
大勝ちを収める事もあったけれど…。
にも拘わらずシマに通ったのは、魅力あふれる「リーチ」のせいだろう。
タテに3つ並んだドット(鳥の体に数字。多分「ゼッケン」)が、右⇒左に横スクロール
(同じタテ型ドットの「マスタークライム」(まさむら)は、図柄が縦スクロール)。
上・中がゾロ目でリーチ。まず下デジが普通に進む「ノーマルリーチ」から始まり、
リーチ図柄を2回通過で、SPに発展。このとき、上・中がレース宜しく前後に動き、
下がスローに変われば、大当り数コマ手前から「コマ送り」になり、期待感を煽る。
また、3週目に下デジが「大当りor1コマ先」と「小当りor1コマ先」を行き来する
SPリーチも存在。(田山さんは「大当りや小当りの所でフリフリする奴」と表現)
シンプルな部類ながらも、飽きの来ないリーチアクションに仕上がっていた。
※ご指摘の箇所を修正・削除しました
そうそう、中デジの停止前に、リーチを「先読み」できるのも楽しかった。
(中デジ停止前、上デジに対して「-1コマ」ならリーチ)
なお、本機登場から少し後、同じタテ型ドットを使った、現金機Verの2回権利モノ
「ゴーゴーダック」(1995)も登場。「1/87」という破格の大当り確率だったが、
最高8R継続の為、2回権利でも出玉は「約1600個」と少ない。また、小当りは無く、
下デジタルに「カートに乗ったヒナ」もいない。図柄も7種類と少なめ。
(参考)
1994年~1995年にマルホンがリリースした、主なドット搭載機
⇒他メーカーが「液晶」重視の時代に、ドットへの強いこだわりを見せていた。
(「CRスパークシュート」のような液晶機も、出してはいたが…)
「スマイル」(1994、2回権利モノ)
「CRスマイル」(1994、CR権利モノ)
「ミラクルマン」(1994、確変デジパチ)
「CRミラクルマン」(1994、CRデジパチ)
「桃太郎」(1994、確変デジパチ)⇒本機のベースとなった、タテ型ドット機
「ピーチボーイ」(1994、確変デジパチ)
「CRゴールデンキャッツ」(1994、CRデジパチ)
「ダンスクイーン」(1994、確変デジパチ)
「スパイシー」(1994、確変デジパチ)
「CR怪盗ルピン」(1994、CR権利モノ)
「パイレーツ」(1994、2回権利モノ)
「ショッピング」(1994、2回権利モノ)
「スパイ大作戦」(1994、確変デジパチ)⇒本機と同じ、タテ型デジタル採用
「ファインプレー」(1994、ハネモノ)
「CRフリフリダービー」(1995、CR権利モノ)
「親方ブギ」(1995、1回権利モノ)
「ファンキードクター」(1995、確変デジパチ)
「CRクレイジー博士」(1995、確変デジパチ)
「ブイブイラリー」(1995、3回権利モノ)
「ゴーゴーダック」(1995、2回権利モノ)
「クラッシュボール」(1995、2回権利モノ)
「百姓一揆3」(1995、ハネモノ)
(発表は’95年だが、ホール導入が’96年以降のもの。再販で人気を得たケースも。)
「ジャングルハウス」(1996、時短デジパチ)
「カラオケ電撃隊」(1996、2回権利モノ)
「スイスイマリン」(1996、3回権利モノ)
「ワクワクハイウェー」(1997、時短デジパチ)
などなど
※確変デジパチ
当ブログでは、「特定条件下で小デジ確率がアップする現金機(デジパチ)」を指す。
ワーズワースの冒険「焼き立てパンの甘い香り」(1994年、つみきみほ)
先日の記事で、映画「櫻の園」(1990年公開、中原俊監督)を
取り上げて以降、学生時分に取りつかれていた「櫻の園熱」が、
再燃してしまったらしい。
当時は、あの映画に出ていた女優達の「現状」が常に気になっていて、
他の映画やドラマなどの出演情報を掴んでは、VTRに録り貯めていた。
そのせいで、山田純世が映画「スーパーの女」に出ていたり、脇役の
植竹よしみが映画「舞妓物語」にチョイ役出演した事まで把握していた。
で、ここ数日は、そんな過去の映像を見返して、あの時代に思いを馳せている。
あまりにアツくなりすぎて、肝心のレトロパチ・スロ熱が醒めないか心配だが…。
「櫻の園」のキャストで、私が最もハマったのが白島靖代だった事は、先日も書いたが、
次に好きだったのが杉山紀子役のつみきみほ。
華奢な体に、大きな瞳とボーイッシュな髪形が、大変印象的だった。
当時、つみきさんはメディアの露出も多く、映画、ドラマ、CMは勿論、
歌手活動や音楽番組のMCなど、多方面で活躍。ご結婚後は第一線から
遠のいていた時期もあったが、現在も女優業を続けられている。
来たる7月16日から開催の「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016」では、
つみきさん主演の「話す犬を、放す Good Bye Talking Dog」(監督:熊谷まどか)が、
オープニング作品で上映の予定。興味ある方は、埼玉県川口市「SKIPシティ」にGO!
(与野本町駅「彩の国さいたま芸術劇場」、鴻巣駅「こうのすシネマ」でも上映)
今回は、そのつみきさんが1990年代に出演された、ある番組のレビュー。
「櫻の園」は知らずとも、90年代TVに興味ある方なら、楽しめるハズだ。
割と人気の番組だったから、ご存知の方も多いだろう。では、参りましょう。
ワーズワースの冒険
「焼きたてパンの甘い香り~女王陛下のデニッシュ~」
・放映日:1994年(平成6年)12月11日(日)22:30~23:00(フジテレビ系列)
・出演:つみきみほ ほか
・ナレーション:岡田真澄、近藤サト
・提供:三菱電機
★オープニング
・つみきみほ(以下「つみき」)、「東京パンマップ」を頼りに、
都内の美味しいパン屋を探索。「パンの会」のメンバーと合流。
・パン屋に入ったつみき。あれこれ品定めした後、
「キメはやっぱり、これこれ。サクサクのデニッシュ・ペストリー!」
★タイトル
「第35話 焼きたてパンの甘い香り~女王陛下のデニッシュ~」
★「第2回 バターと生クリームを使った、プロによる洋菓子・パンコンクール」
通称「パン・コン」の模様。
・参加者は、全国から選抜のパン職人10名。
・現役の女子高生15人が、審査員を務める。
・第1位は、ココナッツとオレンジピールの「パン・オ・トロピカル」
(パンとお菓子の中間が魅力)
★全国会員数6500人を誇る「パンの会」
・「パンの新聞」を発行して情報交換
・休日はメンバーが集結。パンの美味しさを分かち合う。
・今回は、中心メンバー男女5名がつみきに同行。
★「東京パンマップ・超おいしい」の1
代々木八幡「イエンセン」
「ダブル・ト・スナイル(170円)」「スモー・スナイル(130円)」
「ショコレーゼ・ボロ(180円)」「ブロンデブロード(160円)」
※カッコ内は放映時の値段(以下、同じ)
★つみき、「スモー・スナイル」を美味しそうにかじり一言。
「口の中、シナモンでいっぱいって感じ。美味しい。毎日食べてたいな。」
★デニッシュ・ペストリーの作り方
・「イエンセン」和田さん実演。生地を強く叩いてこねる。デンマーク流「力技」。
・大きなバターの塊を生地で包んで叩き、薄く延ばして三つ折りを3回繰り返すと、
27の生地の層が完成。
・「生地に対してバター6割。生地の層27」がデニッシュ・ペストリーの条件。
★つみき、再び「スモー・スナイル」をパクリ。
「アップルとシナモンのも、すごく美味しいんだよ、ここの(店の)は」
★「東京パンマップ・超おいしい」の2
青山「アンデルセン」
・デニッシュ・ペストリーを、日本で初めて作った店。
「ヌスコペンハーゲナー(180円)」「ダークチェリー(180円)」
「マロンペストリー(180円)」
・アンデルセンの前身は、広島の小さなパン屋「タカキベーカリー」
(デニッシュ日本発祥の地)
★つみき、「ダークチェリー」を豪快にほおばる。
「デニッシュって、ぜったい生地が決め手だと思う。」
★「酵母」(イースト菌)の秘密
・「オリエンタル酵母工業」の安藤さん、イースト菌の働きを解説。
・酵母ブロック一つまみの中に、100億以上の酵母菌が入っている。
・酵母は砂糖を食べてガスを吐き出し、ペストリー生地を膨らませる。
★「ダークチェリー」の焼き上がりまでを、倍速撮影。
・つみき、再びダークチェリーを食べて「おいしい~」
★「東京パンマップ・超おいしい」の3
渋谷「ルヴァン」
・天然酵母パン。ブドウに付着した酵母を培養。生地に練り込む。
★「東京パンマップ・超おいしい」の4
銀座「木村屋総本店」
・「酒種酵母菌」を使ったあんぱん。「和製デニッシュペストリー」
・ぽよぽよした「白生地のベッド」に包まれるのは、こしあんの特権。
★デンマーク大使館を訪問
・領事のリンドブラッドさん。デニッシュとコーヒーで朝食。
「本場のデニッシュ・ペストリーを食べないと、本物のパン好きとは言えないですよ」
★デンマークのパン屋紹介。
・甘いデニッシュ・ペストリーは、食べてすぐ活力になる。バイキング末裔の力の源。
・デンマークのパン屋の店先には、デニッシュを描いた看板が出ていて、目印になる。
★朝食用のパンを、夜中の3時から仕込む職人。
・コペンハーゲンのパン屋「ファン・ハウエン」の
若手職人トーマス君(21歳)の仕事ぶりを紹介。
一人で一日700個もペストリーを焼く重労働。
★デニッシュ・ペストリーの由来
・忙しいパン職人が、疲れてバターを生地に練り込むのを忘れて、
親方に叱られないよう、後からバターを生地で包んだのが始まり。
★デンマーク人気No.1デニッシュ
・甘い生地に、タップリのケシの実とシナモン。とにかくタップリ、大胆に。
・シナモンをまぶした生地を、巻いて切り分けて叩いて焼く。先々代考案の
「カメル・スナイル」。1900年頃から作られている。
★カスタード入りデニッシュ
・別名「パン屋の黄色い目」
⇒パン職人は、朝から働きづめで疲れているから。
★東京では、つみきと「パンの会」メンバーが、屋外パン・パーティ。
・都内各所で買い集めたパンを、みんなで楽しく出し合って食べる。
・パン切りナイフ、小型のまな板、チーズ、飲み物などを持参。
★つみき「こんな沢山パンがあったら、食べたら太っちゃうよね?」
ナレ「どんなに多くても、皆で少しづつ分け合うから大丈夫…本当か~?」
(岡田、冷やかし風のナレ。ちょっと丸顔の女性会員がアップに)
★自宅でデニッシュ・ペストリー作り。
・つみきの前に一人の女性が現れる。つみき「誰?」
・料理研究家の前田廸子(まえだみちこ)さん。
・「バナナのデニッシュ・ペストリー」をつみきと作る。
・前田「ペストリーは焼き立てが一番。だから、手作りなんですよ。」
・「切り札」は、発泡スチロール製の「家庭用・手作り発酵器」。
・発酵器にお湯を入れて密封すれば、温度管理も完璧。
・発酵させた生地にバナナを乗せ、オーブンでパリッと焼き上げる。
・前田さん、美味しそうな出来栄えに、満面の笑みでピースサイン。
・つみき「こんな焼きたて食べたの初めてです。ホントに美味しい」
★つみき、「パンの会」メンバーと特製ジャイアント・デニッシュで、ホームパーティー。
・全員揃ってワインで乾杯⇒エンディング。
★エンディング(スタッフロール)
・河井英里(故人)の歌うテーマ曲「シャ・リオン」
(作詞・作曲、大島ミチル)が流れて番組終了。
CRサクセスストーリーSP(平和、デジパチ)
1996年(平成8年)に平和から登場した「CRサクセスストーリーSP」
★新要件デジパチ
★新枠「スペースサーキット枠」初採用
★ワープルート搭載
★賞球:5&10&15
★大当り確率:1/398.5(設定無し)
★デジタル停止順:左⇒中⇒右(全回転系を除く)
★図柄:1~9、ケイコ(10)、宝箱(11)、スミス(12)、
金塊(13)、マハラ(14)、ドル袋(15)の計15図柄
★最高16R継続、出玉約2300個
★15図柄中、「3、7、ケイコ、スミス、マハラ」の5図柄で当ると、
プラス2回の確変に突入(ループ有り)
★確変突入率&継続率=1/3
★確変中の大当り確率:1/53.1
★小デジ確率:通常時=1/10、確変中=247/250
★ミニアタッカー式の電チューは1個入賞で閉じるが、
拾い易い構造で複数入賞も可能。確変時の止め打ちも有効。
★大当たり中のBGM:「テイク・ファイヴ」
(デイヴ・ブルーベック・カルテット)
確変キャラの「スミス」は、いかにも成金の雰囲気で「38歳」の設定だった。
当時はオッサン臭いキャラと思ってたが、もう、自分の実年齢の方が7つも上。
わかっちゃいるが、ずいぶんと歳を取ったもんだ、はぁ…。
B・スミス(38歳、貿易商)
本機は、当時のCR機の主流だった「フルスペック」タイプで登場。
まぁ、低確率ゆえ初当りは遠かった訳だが、一たび確変を引けば、
巧くループして、足下に箱を5つ6つ…と積み上げる事も容易かった。
当時の業界を振り返ると、まさに「社会的不適合機問題」の真っ只中にあり、
96年~97年にかけて、連チャン性を持つ現金機の多くが「撤去対象」とされた。
(第1次~第4次と、順次撤去リストが公開された)
ただ、CR機については、「CR花満開」「CRグランパス」「CRバレリーナ」
「CRビッキーチャンスI」を除き、「健全化」の名目で不当に保護された為、
本機のようなフルスペックの爆裂機でも、撤去リストに載る事はなかった。
だが、「射幸性」の面では大いに問題があった訳で、現状を放置する事は
得策でないとも判断された。結果、「突入率1/3、プラス2回」タイプの
フルスペックは、今後一切出ないといわれた。そんな状況で出た本機は、
「最後のフルスペック」と評されて、大きく注目を浴びた。
自身の活動エリアでは、非常に設置が多かった。新宿、渋谷、高田馬場など
様々な地域で打ったが、一番記憶に刺さるのは、小田急線・向ケ丘遊園駅の
「パーラーニューギンザ」というパチ屋(現「Ginza G-Style」)。
(C)Google
この店を一番に挙げた大きな理由は、「初打ち」だったから。
「エキサイト麻雀5」がある旧要件期から通った馴染みの店だが、
かつて大一の連チャン一般電役「フルーツパンチ」があったシマに、
奇抜な白枠(スペースサーキット枠)の本機がズラッと並ぶのを見て、
以前との「ギャップ」を感じたし、視覚的なインパクトも大きかった。
それと、ニューギンザは、本機で確変を引いて箱積みした、唯一の店。
他店では、単発しか当てた記憶が無いが、ここは確変ループが炸裂して
10箱くらい積んだハズ(ドル箱規制の為、途中で流した可能性もあるが)
普段は現金機派だったが、あの時ばかりは、CRの「魔力」にやられた。
ニューギンザの当時の特殊景品は、下のイラストのような「ライター石」で、
価格別に赤・青・黄と色分けしてあった。それらをボール紙の長細い箱に入れ、
客に渡していた。もう長く訪れていないが、まだあの景品を使っているのか。
多分、変わってしまったと思うが。
(「ニューギンザ」の当時のライター石(フリント))
★中デジタルのスベリ
本機のデジタルの大きな特徴に、中デジタルの「スベリ」がある。
左デジが停止した後、中デジが通常停止するほか、「3~6コマ」
スベッて停止する場合があった。これは、内部の振り分けにより
決定されるもので、約85%が通常停止、約15%がスベリとなる。
(左の図柄によって、スベリコマ数に法則があった)
また、リーチはスベリを伴うケースが多く、通常停止からの
リーチは少なかった為、スベリ発生で「リーチ出現率」アップ。
★リーチアクションについて
・ノーマルリーチ
左中テンパイ後、右デジが速度をやや緩めてスクロール。
さらに、超低速に切り替わってから、2~5コマ進んで停止。
この時、超低速で「2コマ」進んで止まることが多かった為、
大当りの手前2コマで低速に切り替われば、チャンスとなる。
また、ノーマルでいったんハズレ後、再び右デジが動き出す
「再始動アクション」もあって、コチラは大当り確定だった。
まぁ、大抵はピクリともせずに、そのまま終わるが…。
・ポーカーリーチ
大富豪「スミス」との、ポーカー対決に切り替わる(左下にカードが配られる)。
ロイヤルストレートフラッシュの形だが、右端のみ「エース」と「JOKER」が
交互に切り替わる。最終的にエースなら大当り。ベロを出したJOKERならハズレ。
右端の絵柄が切り替わるパターンは、細かく見れば「9種類」存在した。
(エースのまま、一度もJOKERに変化せずに当るパターンもアリ)
但し、SPリーチの割には、信頼度が低い。
・ルーレットリーチ
大きなルーレット画面に切り替わり、回転するルーレットを背景に、
右デジが最大で「3周プラス1コマ」動く。右デジは、大当り手前で
超スローに切り替わる。大当りのパターンは、「2周目にビタ」
「3周目にビタ」「3周目に1コマ戻り」の3つ。大当り時か、
プラス1コマハズレ時のみ出現。必然的に、1コマ通り過ぎる
ハズレばかりを目にすることになる。リーチがハズれた時の、
バニーガールの台詞「ひえ~、ごめんね!」が、やたら印象的。
・ジャックポットリーチ(右デジ高速)
全デジタルがシンクロ状態で回転開始。全回転が8コマ進んだ所で、
右デジのみ高速で動き出すこのパターンは、信頼度が大きく下がる。
背景で金色コインが落下して山積みになっていくが、「右高速」だと
コインの「盛り」がショボい。全回転系だが大抵ハズれる(当る事もある)。
・ジャックポットリーチ(全回転キープ)
一方、全回転スタートから8コマ進んだ地点で、右デジが高速回転せずに
全回転スクロールがそのまま続けば、背景が山盛りコインで埋め尽くされ、
大当り確定(=スーパージャックポットリーチ)。後は、確変か単発か…。
なお、確変中は、このスーパージャックポットリーチのみ出現。
★大当り画面に登場する実写の女性
大当り中は、スミス、ケイコ、マハラの3人の大富豪が活躍。
その大当り画面に実写で出てくる、「謎」の美人女性がいた。
実はこの方、当時レースクイーンやCMモデルで活躍中だった、
「今井けい子」さん。「ケイコ」繋がりでお判りだろうが、
本機の確変図柄の一つ「ケイコ」は、彼女がモデル。大当り画面の
プロフィールにも「ケイコ・今井(23歳、投資家)」とある。
今井さんは、同社の先行機「CRスーパーダンク」でも、実写で登場。
★土曜深夜バラエティ番組「DAISUKI」との関係
1997年(平成9年)5月31日(土)放映、
日本テレビ「DAISUKI」パチンコ対決で本機が登場。
レギュラーは、中山秀征、松本明子、飯島直子。
この日のゲストは、藤谷美紀。
ロケ地は、品川区・西大井「パーラーバーディ」(閉店)
第1回戦「マジカルランプ」(奥村)、第2回戦「CRくだもの畑」(サミー)の後、
ラストの第3回戦で、本機が対戦台に選ばれた。
この日、藤谷さんはヒキが強く、マジカルランプで2回、くだもの畑で1回、
計3回の大当りをすでに出していたが、本機でも見事に大当りを決めた。
(中デジスベリから、「4」のポーカーリーチで当り)
ただ、大当りした藤谷さんのリアクションが常に「薄かった」為、
レギュラー陣にイジられていた。本機で大当りした時も、字幕で
「やっぱりあまり喜ばない藤谷さん」と出るなど、喜びを表情に
出さない彼女のクールな反応が、ある意味、番組を盛り上げた。
(本人曰く、「当たって嬉しかった」そうだが…)
(C)日本テレビ
なお、1997年4月5日(土)にも、DAISUKI・パチンコ対決で本機が登場。
(ロケ地は、港区・白金台「SPACE PINTA(スペース・ピン」)
この時は、ゲストの向井亜紀が絶不調。3回戦通して大当りゼロに終わる。
一方のレギュラー陣は対照的にヒキが強く、サクセスストーリー対決でも、
飯島と中山がそれぞれ1回づつ、単発ながらも大当りを引いている。
(飯島は全回転(ジャックポット全回転キープ)から金塊。
中山はルーレットリーチから、やはり金塊で大当り。)
しかし、短い放送間隔で2度も対戦台になる辺り、
首都圏における本機の高い普及率が見て取れよう。
女流パチプロの優雅な日々(岡田安里・著)
「女流パチプロの優雅な日々」
著者 :岡田安里
発行元:文園社
発行年:1987年(昭和62年)
女流作家、女流パチプロの岡田安里(おかだあんり)さんが、
自身のプロ生活の日常を赤裸々に綴った、自叙伝的エッセイ。
昭和のパチ屋の空気を疑似体験できる、貴重な資料でもある。
私は「1990年」デビュー組なので、昭和期のパチ屋を深くは知らないが、
(小学生時分、少年野球の監督と一緒に入った地元ホールで、床を這って
小銭や玉を拾った記憶はあるが)90年~92年辺りは、いかにも昭和然として
ノンビリ・マッタリした空気が、馴染みのホールにも流れていた。本書に描かれる
数々のエピソードに触れて、「自分の通った店も、やっぱ同じだったなぁ」
という感じで共感を覚える。
4000発終了のハネモノシマで、3900個出して流したが、たった100発足りない為、
あの「終了アナウンス」が聴けないのは淋しい…とか、カウンターで玉数を数えたら
特殊景品の玉数に6発だけ足りなかったが、店員に「あと6個で景品をあげるから、
そこらで玉を拾ってきなよ」と言われる話などは、まさに「古き良き」パチ屋の風情。
そんな胸奥にしまい込んだ「ノスタルジー」を、思う存分に思い出せる秀作である。
著者の岡田さんについては、以前に当ブログで大きく取り上げたので、
詳細は、過去記事を読み返して頂ければと思う。代表作は、本書の他、
パチ屋が舞台の書き下ろし小説「ミセス・パチンカー」(’92年)など。
近年では、電子書籍「遊び人の哲学」(三恵書房)なども出ている。
三恵書房は、故・田山幸憲プロの「パチプロ告白記」を出した出版社だ。
そういえば、田山さんは「パチンコ必勝ガイド」(白夜書房)をはじめ
様々な雑誌で、石橋達也、安田一彦、ベンツ小林といった有名プロ達と
対談を行っているが、岡田女史との対談は、今まで一度も見た事が無い。
田山・岡田の両者が顔を合わせた、過去の雑誌企画などをご存知の方は、
ぜひご一報下さい。
現在、「女性パチンコライター」と呼ばれる人間は多くいるが、
岡田さんは、昭和の昔から新聞や雑誌、書籍で、パチンコ記事の
執筆活動を続ける、まさに女性ライターの先駆け的な存在である。
ただ、岡田さんの近況を報せる媒体が、非常に少ないのが残念だ。
岡田さんは元々OL(社長秘書)で、後に専業主婦となり、その主婦時代に
偶然体験したパチンコが、その後の彼女の運命を、大きく変える事となった。
以来、チューリップ台やハネモノなど、通算1万台以上(1996年時点)も
打ち止めにしてきたという、ハンパなく年季の入ったプロなのである。
90年代のパチンコブームには、「確かな腕を持つ、ベテラン女流プロ」として
TVメディアにもたびたび登場。パチプロのイメージから程遠い柔らかな口調や、
周囲の雑音など意に介さない「マイペース」ぶりが、視聴者の記憶に刺さった。
1996年放映の「TVチャンピオン・パチプロ王決定戦II」では、対戦機種の
「CRFビッグパワフルFX」(SANKYO)で、相手だった末井昭氏に甘釘台を
早々に取られたが、別の台で悠然と一服後、のんびり打ち始めた岡田さんが、
何と「最初の1回転目」で大当りするという、ミラクルなヒキで皆を驚かせた。
(「早当て対決」の為、そこで勝負終了。末井さんは、力を出せずガックリ…)
(C)テレビ東京
(1996年、「パチプロ王決定戦II」出場時の岡田さん)
かつて、文豪の故・遠藤周作から、パチンコの「弟子入り」志願された事もある岡田さん。
彼女が学生時分に、遠藤氏の「教え子」だったことが縁となり、後に二人が再会した際、
遠藤氏の方から弟子入りを申し出たという。その遠藤氏がパチンコを好んだのは、別に
勝って嬉しいとかいう理由でなく、「パチンコには哀感(悲哀)があるから」とのこと。
僅かに残った上皿の玉が、一つまた一つ消えていく様子が、何ともわびしくて好きだ…と
遠藤氏は語っている。詳細は、彼の著書「変るものと変らぬもの」(文春文庫)収録の
「パチンコプロの弟子に」の項や、単行本「パチンコの為の夜想曲集」(大和書房)に
収録された短編エッセイ、「競馬とパチンコ」(「王様手帖」H1.4にも掲載)を参照。
主婦時代、旦那さんに連れて行かれた地元のパチ屋で、運よく勝利を収めた岡田さん。
それを契機に、パチの魅力に取りつかれる。大抵は「負け組」に落ち着くこの世界で、
自身の才覚や生来の人当りの良さで、先輩格の常連プロからあれこれ知識を吸収して、
メキメキ腕を上げると、いっぱしのプロとして、周囲からも一目置かれる存在となる。
そんな岡田さんの、パチ屋での成長ぶり・充実ぶりを、生き生きと描写したのが本作。
岡田さんは、「主婦」「作家」を兼ねたプロ生活の為、閉店まで入り浸る事もなく、
買い物や夕飯の支度までに帰る事が大半だった。にも拘らず、コンスタントに勝利を
モノにできたのは、彼女の温厚な人柄もさることながら、常日頃の信条とした勝利の要諦、
即ち「釘、バネ(ハンドル)、技」にとことん拘った結果だろう。
故・田山プロとの対比でいえば、田山さんは各台の「デキ(の良さ、悪さ)」を重んじたが、
同じことを、岡田さんは本書において「素性(すじょう)の良い台」という言葉で表現した。
先輩プロやクセのある常連など、ホール内の人間模様が、赤裸々に綴られているのも面白い。
田山さんの「パチプロ告白記」や「パチプロ日記」をご存知なら、「女パチプロ告白記」
といった感じで、最後まで読み進める事が出来るハズ。
岡田さんには親切だが、逆に世話されるのを嫌った、昔気質のパチプロ「矢野ちゃん」。
素人時代の彼女に甘釘台を世話したり、釘読みを教えたりした、ベテランプロ「田部さん」。
皆に良い顔をして人当りの良い「八方美人のお兄ちゃん」など、個性的なジグマが登場。
一方、こうしたプロ同士の「仁義」などお構いなし。常に自己中心的かつ理不尽な立ち回りで
他の常連と軋轢を生んだ、「けつ狙い」「ダニおばさん」「チビおばさん」といった不埒な輩も。
しかし、そんな「ヒール役」のえげつないエピソードでも、読むと大いに臨場感があって、
真面目で行儀良いプロの話より、却ってワクワクするから面白い。
さて、本書では、岡田さんが「パチンコデビュー」を果たした昭和50年前後から、
その後の約10年(昭和60年頃)にわたる、ホームグラウンドでの経験が描かれている。
登場する機種も、初めは電動ハンドルのチューリップ台(平台)のみ。当時、手打ちも
残っていたが、手打ちが苦手だった岡田さんは、最初から電動ハンドルを選んだという。
(電動ハンドルのポイントは、ベストストロークを決める、ハンドルの「合わせ」)
暫くはチューリップ台で稼いでいたものの、やがてハネモノや電役、権利モノなど、
「ヤク物」中心の機種に取って代わられた。そのままの文言で本書を引用すれば、
「タイガー、ウルフ、フラッシュ、ユーフォー、サンダーバードなどのヤク物が、
幅をきかせるようになった」とのこと。
メーカー名がなく断言はできないが、恐らく「タイガー」は平和の元祖ヒコーキ台
「ゼロタイガー」や兄弟機。「ウルフ」は西陣「ウルフ」、「フラッシュ」は西陣の電役、
「ユーフォー」は京楽「UFO1号」「UFO2号」、そして最後の「サンダーバード」は、
西陣「エレックスサンダーバード」を、それぞれ指していると思われる。
何れも、昭和50年代半ば~後半に、目覚ましい活躍を見せた名機。
本書における時代背景も、まさに、その辺りが中心という事になろう。
それから、当時、岡田さんが好んだ「キングスター(三共)」「グラマン(三洋)」
「イーグル(⇒イーグルレント、京楽) 」「ジャガー(⇒スペースジャガー、西陣)」
「アラジン」(マルホン)といった各機種の実戦記も、簡潔な形で収録されている。
加えて、本書が出版された1987年辺りの人気機種、「レッドライオン」(西陣)、
「プリズム」(マルホン)、「サンタナ」(京楽)、「キューピッド」(奥村)、
「スリーチャッカー(三洋)」「スーパーコンビ(三共)」の釘解説コーナーもある。
また、良い店、悪い店の選び方なども説明してあり、単なる「読み物」にとどまらず、
「パチンコ実戦書」の役割も果たした。
まさに、知る人ぞ知る女流・岡田さんの、昭和期「アンリ・ワールド」が
存分に堪能できる本作。ぜひ、ご一読あれ。
(余談)
「ノーちゃんの指定席」と「マーちゃんの指定席」
本書には、岡田さんが思い出の一台について語る「ノーちゃんの指定席」という項がある。
「ノーちゃん」とは、岡田さんのホールでのアダ名。作家でもある彼女は、店内でネタに
なりそうな事があれば、何でもノートに書き留めておく習性があったから、他の常連から
「ノート」に因んで「ノーちゃん」と呼ばれていたという。そのノーちゃんと大変相性の
良かったチューリップ台(平台)が、「362番台」。この台の「素性」(デキ)の良さを
見抜いていた岡田さんは、ほんの僅かでもクギが開けば、決まって打ち止めしたとの事。
いつしかその台は、「ノーちゃんの指定席」と呼ばれるようになった…という話だ。
一方、現在も連載中のパチンコ漫画「雷電」では、かつて「マーちゃんの指定席」という
タイトルの作品が掲載された事がある(「パチンカーワールド」1999年7.3号に掲載)。
雷電が立ち寄った店の常連客で、「釘を読むことにかけては女で一番」といわれた女性。
それが、裕福な未亡人の「マーちゃん」である。そのマーちゃんが最も得意だったのが、
平和のハネモノ「綱引きドン2」の300番台。他の常連も「マーちゃんの指定席」と呼ぶ
相性の良さだ。だが、その日マーちゃんが「シメた」と思って捨てた300番台を、雷電は
あっさり打ち止める。それを知ったマーちゃんは対抗心を燃やし、「CRルパン三世K」に
移った雷電の隣で打ち始めたが、ハマリにハマってボロ負け状態。哀れに思った雷電は、
マーちゃんがカードを買いに席を立った隙に、得意の「活動電流」をバリバリッと使い、
隣のマーちゃんに確変大当りをプレゼントする…といったストーリー。
これは推測だが、「雷電」の「マーちゃんの指定席」という作品は、脚本担当の
北鏡太氏が、本書と岡田さんを、意識して作り上げたシナリオではないだろうか。
事実、マーちゃんは「素性がいい台は少しくらいシメ釘でもソコソコ入る」と発言。
ノーちゃん即ち岡田さんが、デキの良い台を「素性がよい」と本書で表現した事と、
見事に符合するのだ。つまり、本書や岡田さんへの「オマージュ」作品と思われる。
まぁ、ボロ負けの彼女を「活動電流」で助ける設定は、結構「皮肉」めいているが…。
「マーちゃん~」は「雷電 the Best of活動電流」収録。興味ある方は、ご確認を。
(「女流パチプロの優雅な日々」の項、了)
※このところ、めっきり記憶の「経年劣化」が進んでしまった模様。
一昔前は当たり前のように覚えていた台の特徴が、徐々に徐々にだが
霞がかってきた感がある。その為、記事中、思いもよらぬ記載ミスを
犯す可能性もありますが、心優しい読者の皆様方にお願いします。
誤記や勘違いを発見の際は、「非公開コメ」でこっそりご指摘頂けると、
大変有り難いです。
ザ・祭りII(SANKYO、ハネモノ)
1992年(平成4年)にSANKYOから登場した
新要件ハネモノ「ザ・祭りII」
純和風の盤面デザインが、青森の「ねぶた祭り」を彷彿とさせた。
(盤面上部のイラストは「ねぶた隈取」を強く意識した感がある)
そういえば、もうすぐ、ねぶたの季節だな…
「村祭りのお囃子風」の、のんびりした和風BGMも耳に残る。
★賞球…6&13
★最高15ラウンド継続
★ハネ最大開閉回数…18回
★9カウント
★平均出玉…約750個
★同時発表された兄弟機…「ザ・祭りI」
賞球「7&15」で出玉多めの兄弟機「ザ・祭りI」。
盤面やゲージ構成も異なるが、ヤクモノは共通。
コチラの盤面は、浅草の「三社祭」的な雰囲気。
★当時の実戦店…小田急線・読売ランド前駅
「パチンコランド」(現存)など
現在のパチンコランド。本機を置いていた’92年当時とは、
外観が大きく異なる。本機の他にも「オロチョンパI」や
「OL娘II」など、同時期の三共ハネモノをよく打った店。
同店は、かつて西陣や三洋のハネモノ(スーパーブラザース、
パチンコ大賞、スタジアム、ノックアウト等)が多かったが、
この辺りから、ハネモノもデジパチも三共が幅をきかせるように。
’94年のNTVドラマ「家なき子」(第5話)より。女スリ役の菅井きんが
パチンコを打ってドル箱山積みにしている時、箱の上に無造作に置いた
財布をすず(安達祐実)が奪い取って、ダッシュで外に逃げ去るシーン。
この場面で、件の「パチンコランド」がロケ地に使われた。店の明確な
外観が映る唯一のシーンがコチラ(店内映像は、たびたび出てきたが)。
当時は、グレーと赤を基調とした、モダンながらも少し地味な外観で、
正面の左右入口(手押し扉で入る)の他、左右二か所の裏口もあった。
左の裏口(鉄製の重い扉)を出ると換金所があり、そのブースの下で、
いつも一匹の猫が、のんびり寝ていたことを思い出す。
コチラは’94年の映像だが、本機が導入された’92年初夏も、同じ作り。
少し前の91年末、店舗の「大規模改装」が行われたことも覚えている。
改装前は、トタンで出来た安普請のプレハブ建物(店内も板張床)で、
正面の駐車場側から見える「パチンコランド」の大きな電飾ネオンが、
夜になるとギラギラ目立っていた。
(この古めかしい頃のパチンコランドをとらえたドラマや映画が無いか、
もう長いこと「捜索活動」を続けているが、いまだに出会えずにいる…)
だが、91年末の改装後は、そんな昭和チックなネオンも消えてなくなり、
ちょっとガッカリしたものだ。
なお、この改装を機に、店内設備も大きく変った事を付け加えておく
(各シマの中央にジェットカウンター設置、そのカウンターに置けば
勝手に玉が落ちるタイプのドル箱を導入、台間の玉貸機に上皿直通の
「レール」が設けられた、従来のハネモノシマがパチスロシマになった、
紙幣両替機から出てくる小銭が百円玉から五百円玉になった。休憩用の
ドリンクコーナーや休憩ベンチが新たに設置された、など)。
おっと、どうでもいい思い出話ばかりが続いた。本筋に戻そう。
ヤクモノ上段に「神輿」(みこし)、下段に傾斜のついた「水平回転盤」、
そして神輿の左右には、コミカルな二人の「オヤジ(神輿の担ぎ手)」。
いかにも当時のハネモノらしい、「庶民的」空気が漂っていた本機。
(「チープ」との表現は、メーカーに失礼な気がするので…)
(通常時)
提灯をかたどったハネに拾われた玉は、上段ステージを手前から
奥に転がると、ステージ最奥部にある「神輿」にアプローチする。
この時、上段ステージ中央奥に向かった玉は、神輿の中に入るが、
上段左右奥に流れた場合は、神輿の左右外側から下段に落ちる。
即ち、上段での玉のルートは、中央と左右の、計3パターン。
かくして、上段から落下した玉は、真下の大きな回転盤に乗る。
きっちり水平ではなく、傾斜のついた紅白の回転盤。
「祭り太鼓」のイメージで、インパクト十分だった。
この変則的な形が、下段での玉の動きを不規則にして、
ゲーム性にいっそうの「幅と奥行き」を与えた訳だ。
通常時、この回転盤は、反時計回り(左回り)⇒停止⇒
時計回り(右回り)⇒停止⇒左回転と、左右反転を繰り返す。
まぁ、行ったり来たりするのみだが、歪んだ回転盤が
左右交互に回っているだけで、味わい深い動きに見えた。
左右オトシで1回、ヘソで2回ハネが開く。開閉時間はオトシ0.5秒、
ヘソが0.5秒×2。大きな特徴として、ハネ開放後、回転盤は直前の
挙動に拘わらず、必ず「左回り」にクルクル回転を始める。
つまり、「鳴き」と「左回り」がセットになっていたのだ。
この左回りがクセモノで、落下した玉は、盤の傾斜と遠心力で左方向に転がり易い。
V穴は手前中央にあるが、左方向に転がった玉は、大抵、V左脇のハズレ穴にとられる。
即ち、ハネ始動後の左回転の動きが、V入賞率を大きく下げる要因となっていた。
このとき、上段中央から神輿の内部を通れば、下段中央奥に落ちた玉が、
回転盤の上を直進して、Vに入り易いのではないか、と思うかもしれない。
だが、神輿を通った玉は落下時に勢いが弱まり、回転盤の影響を受け易く、
却って左のハズレに流れ易い。また、盤の中心に設けられた「突起」が
玉の直進を邪魔するので、V入賞は案外と難しかった。
但し、回転盤の傾斜の高い方が「奥」、低い方が「手前」の瞬間に落下すれば、
傾斜が丁度よいスロープの役目を果たして、玉をVに導くケースも生まれた。
一方、上段ステージ左右に流れた玉が、神輿の両サイドから落下した場合、
回転盤の端に勢いよく乗った玉が、遠心力に負けず転がるケースも増える。
特に、回転盤に乗った玉が、左右の壁にクッションする格好で中央に戻り、
巧くVを射止めるパターンが頻繁に見られた。即ち、上段ルートでいえば、
中央よりも左右ルートの方が、V入賞率もアップ。
だが、回転盤に乗って手前に来た玉が、わずかに逸れて左右に逃げる事も多く、
「あっ、惜しい!」と、思わず地団太を踏むことも。アナログ故のアツさである。
(大当り時)
首尾よくV入賞すると、上段奥の神輿の内部に、最大4個まで貯留可能となる。
当然、貯留数が多いほど、継続もし易くなる。但し、貯留解除まで回転盤は
通常時と同じ「左回り」のままなので、V入賞率は特段アップしない。
ハズレ3カウント後、またはハネ15回開閉後、貯留解除となる。
神輿の貯留玉は一斉に落下して、回転盤にアプローチ。ポイントは、
解除後、回転盤がそれまでの左回りではなく、「右回り」になること。
当然、貯留玉は、盤の傾斜と遠心力で、右方向に転がる。さらに、
これも「ミソ」だが、回転盤の右側には、小さな「突起」があって、
右方向へ転がった玉が、突起にぶつかって中央へ戻るようになっていた。
この突起の力により、解除された玉は手前中央のVに入り易い。
貯留3~4個なら継続は容易いが、クセ悪台だと「パンク」も多発。
なお、本機では「ダブル(セミダブル)」のチャンスもあった。
最終15ラウンド目、8カウントまで普通に拾わせて、8カウントで
打ち出しを一旦停止。このとき、ハネ開閉回数を数えておいて、
17回目のハネ開閉が終わった瞬間、打ち出しを再開。巧くいけば、
18回目(ラスト)のハネ開放時に、9個目を拾わせることができる。
本機の特徴として、最終ラウンドは大当り中にも拘わらず、
回転盤は最後まで「左回転」だが、18回目のハネ開閉後のみ、
Vに入り易い「右回転」に切り変わる。この僅かなチャンス
タイミングを狙って、ダブルを取りに行くという作戦だった。
後は、9個目がヤクモノに残っているうちに、始動チャッカーへの
入賞があればVが有効となり、右回転する回転盤に乗った玉が、
Vに導かれてダブル発生となる。偶然に頼る部分も大きいが、
最終ラウンドを適当に打つよりも、遥かに出玉増のチャンスとなった。
なお、このテのダブル(セミダブル)は、当時の三共のハネモノに、
多く見られた特徴である(無論、他社にもダブルを狙える台はあったが)。
(余談)
本機に存在し、兄弟機に無かった「大入」チャッカー。
ヘソ上部に位置したが、センサーはなく、通過しても
ハネが開く事はない。ハッキリ言ってただの「飾り」。
一時期、ここを通過し易い台は、ヘソの入りが良いと
勘違いしたこともあるが、ヘソに向かうメインルートは、
この「大入」チャッカーを通る「真上ルート」ではなく、
横からヘソの三角クギに向かう「左右ルート」がメイン。
ここを通ると「ドドン」と太鼓が鳴る仕掛けでもあれば、
少しは面白くなったと思うが…。
中和ビル(向ケ丘遊園駅・南口)のテナント一覧(1990年頃)
全国推定約178名の「中和ビル」ファンに贈る、レトロ情報。
何とも局地的な話題で恐縮だが、こういうマイナー情報の発信が、
当ブログの存在意義でもある。どうか、ご了承のほどを。
小田急線・向ヶ丘遊園駅南口「中和ビル」テナント一覧(平成2年頃)
地下1F
・駐車場
・麻雀「みや」
・「ぱちんこ遊園」換金所
1F
・「向ヶ丘薬局」
・「富鮨」
・「第一家電」向ヶ丘店
・「新宿帝都無線」向ヶ丘店(レコード、CD)
・ペストリーの店「ぱんどーら」(パン、洋菓子)
・「ニシムラ文具」
・「タマカメラ」(写真店)
・「ダイアンツスポーツ」向ヶ丘店(運動用品)
・「江崎書店」向ヶ丘店
・カジュアルショップ「ダックス」(紳士服、ファッション)
・ブティック「ゼラーニイ」(婦人服)
・レディスショップ「ダックス」(婦人物、ファッション)
・ファッションショップ「α´」(アルファーダッシュ)(婦人物、ファッション)
※昭和期には確実に存在したが、1990年代に閉店したと思われる店
・クレープの店「メリーランド」
・おもちゃの「ポニーランド」
・靴の「ヒロキヤ」
2F
・ピザ欧風菓子コーヒー「ジロー」(レストラン、喫茶)
・「ぱちんこ遊園」
・お好み焼き「こいずみ」
・信州そば「そば治」
・割烹季節料理「米まる」
・とんかつ「勝良」
・ハンバーグハウス「ピサロ」
・喫茶「コーヒーカップ」
・ラーメン「三番」(2F中央、カウンターの店)
3F
・「城南学園」(予備校)
・「アメリカーナ英会話スクール」
4F
・「スポーツイン フォーユー」(フィットネス)
5F
・「BIGボウル」(ボウリング)
(関連情報)
・向ヶ丘遊園の記憶
・パチプロ「負男」との遭遇@ぱちんこ遊園
・向ヶ丘遊園駅南口 ぱちんこ遊園の記憶
・小田急・向ヶ丘遊園駅 懐かしのパチンコ店マップ(1990年)