Quantcast
Channel: まにあっく懐パチ・懐スロ
Viewing all 378 articles
Browse latest View live

「天玉そば」考

$
0
0
今回は、「立ち食いそば」の話をします。   皆さんは、「天玉そば」って好きですか。
かき揚げ天と生卵の乗った、定番のメニュー。 私が立ち食いで一番好きなメニューといえば、
昔から群を抜いて、この天玉そばである。
あ、うどんかそばかの好みでいえば、私は断然「そば派」だ。

パチ・スロ現役時代、勝負終わりに小腹が減って、
近くに立ち食いのスタンドなどがあると、高確率で
天玉そばを頼んだものだ。駅構内のそば屋でも同じ。
その習性は、「第一線」から退いた今も変わらない。   では、なぜ天玉そばに、かくも愛着があるのだろうか?
私なりに分析してみたので、ちょっとお付き合い下さい。

なお、以下の文章は、東海林さだお氏の影響を多分に受けております。 昔から好きなんだよな、「東海林ワールド」。 



まず思うに、天玉そばには「景気のよさ」「羽振りのよさ」がある。
個人的な財政事情で、「かけそば」辺りしか食べられないような時、
カウンターで、店員にこっそりと食券を差し出す人が少なくない。
かけそばを頼んだのが他の客にバレて、懐事情を知られるのが怖いのだ。
「コイツは今、かけそばしか喰えないほど、経済的に困窮してるのだな」と、
周囲に見抜かれるのは辛い。
そんな時、無神経なオバちゃん店員に「はい、かけそば一丁!」なんて叫ばれると、
恥ずかしくて後ろめたくて、どこかに隠れてしまいたくなる。
そうして丼を受け取った後も、何かコソコソした態度のまま、
背中を丸めて引け目を感じつつ、麺やつゆを啜ってしまう。   だが、天玉そばは違う。
いつも、負い目なく堂々と、食券をカウンターに置ける。
本来なら、「天玉コロッケわかめキツネ肉ちくわそば」でも頼める位、財政事情は良好だが、
「とりあえず、天玉辺りで許してやるか」って具合に、余裕シャクシャクで注文できる。
私のような「見栄っ張り」にとっては、最適のメニューなのですね。       それと、天玉そばには、食べる者を不安にさせない「安心感」がある。
アツアツのつゆと麺の上に、ポンと置かれた一枚の大きなかき揚げ天。
玉ねぎ、ニンジン、ゴボウ、サクラエビ、春菊、ミツバ…定番の具材だが、
店によって、中身や大きさにはバリエーションがある。
普通ならば、これだけでも十分に「主役」を任せられるトッピングだ。
しかし天玉そばには、メインのかき揚げに加えて、これまた主役級の
「生卵」が控える。月見そばであれば、堂々の「メインキャスト」である。

店によっては、生卵の代わりに温玉(温泉卵)を出すところもあるが、
(新宿・西口しょんべん横丁の立ち食いそば「かめや」など)
これまた、立ち食いにしては贅沢なトッピングの部類に入るだろう。
さらに、ワカメなんかを一緒に入れてくれる、嬉しい店も存在する。
(小田急線の「名代箱根」「箱根そば」などがそうだ)   これが「キツネそば」なんかだと、麺が終了するタイミングに合わせて、
一枚のお揚げをチビチビかじり取って、キッチリ食べ進める必要がある。
このプロセスが、非常にわびしいのだ。
どうせなら、油揚げだけを豪快に、最初の二、三口で食べ尽くしたいが、
日頃の貧乏性が祟って、大抵は惨めな「チビチビ食い」になってしまう。   一方、「二枚看板」を擁する天玉そばなら、チビチビ食いの必要も無い。
丼の上のステージでは、かき揚げと卵の「豪華共演」が繰り広げられる。
最後まで、安心して丼の中身と付き合える。安心、安定、余裕、ゆとり。

これが時代劇とかだと、「主役二人」では、かえって都合が悪かったりする。
里見浩太朗と松平健が、ダブルキャストとして同じ作品に出たりすれば、
個性がぶつかりすぎて、見ている方は豪華どころか、胸やけしかねない。
だが、天玉そばなら、そんな心配もご無用。
かき揚げと生卵のおりなす絶妙のハーモニーが、食べ終わりまで続く。 

さらに、この両者を、麺やつゆと共に平らげていく過程が、何とも楽しい。
まずは、丼の上のかき揚げを箸で突っついて、揚がり具合をチェックする。
ここで、サクサク、カラカラののイメージが湧くなら、その店は合格だ。
逆に、ベタベタ、シトシトのかき揚げだと、一気にテンションは下がる。
これを、天玉そばにおける「サクカラ・ベタシトの法則」という。   そして、カラッと揚がったかき揚げ天を、箸で崩して食べ進める。
サクサクの衣と野菜を存分に堪能したら、すかさず麺をすすって、
間髪入れずに、アツアツのつゆをズズッとやる。
麺と濃い出汁と、衣と野菜と油分が、口中で混然一体と合わさって、
えも言われぬ旨味が、口いっぱいに広がる。まさに至福のひと時。   但し、この段階では、まだ卵に手を付けないのが、私なりの「流儀」だ。  
そうやって食べ進めるうちに、水分を吸ったかき揚げが
シットリと「崩壊」を開始して、やがて、つゆと一体化する。
このグシャグシャ、バラバラで無秩序化したかき揚げも、
初期状態のカラッとしたかき揚げに、負けず劣らず旨い。

まぁ、初めからグシャグシャ、ベタベタのかき揚げなど出てきたら、
思わず店員を怒鳴りつけたくもなるが、時間が経って、つゆを吸い、
しんなり柔らかくなったかき揚げならば、全く敵意もわかない。
かくして、一つのかき揚げを「硬軟織り交ぜて」堪能できるのが、
天たまそばの持つ大きな特性といえよう。  
ここまでくると、丼の中の生卵にも、明らかな「変化」が生じる。
つゆの熱で白身は一部白化し、黄身にも「ハリ」「つや」が出てくる。
まさに、そのタイミングを見計らって、生卵を崩しにかかるのだ。
天玉そばでは、この「生卵を壊すタイミング」が、意外と問題になる。
「私は、最初の一口で、手っ取り早く卵から呑みます」なんて人もいるが、
これだとサッパリ「風情」が感じられない。
天玉そばには、天玉そばならではの「最適な卵の食し方」があるハズだ。
実際、卵をつき崩す前と崩した後では、つゆの味わいが全然違ってくる。
出汁のしょっぱさが卵の甘味で緩和され、クリーミーな口当たりに変わる。
そのつゆと一緒に、そばやかき揚げを啜れば、これまた別次元の味となる。
そうそう、猫舌の人などは、卵を崩せばつゆの温度も自然と下がるから、
少し早めに、卵に手をかけるのもアリだろう。
ともかくも、前半は「つゆ単独」、後半は「つゆと卵の合わせ技」で、
計二回も楽しめるのが、天玉そばの良いところだ。  
それから、立ち食いそば屋で意外と議論の的となるのが、
「最後、どれだけつゆを残すか」という、微妙な問題だ。
全部飲み干すのは意地汚いとか、丼の底から2センチ残すのがマナーとか、
「立ち食い道」を極めんとする方々からは、様々な意見が寄せられる。
だが、天玉そばなら、堂々と最後まで、つゆを飲み干すことができる。
別に、意地汚く飲み切るのではなく、「卵が溶けこんだつゆ」だから、
「栄養面」をちゃんと考えて、最後まで飲むんだもんね。
決して、空腹でがっついている訳ではないんだもんね。
と、周りに言い訳ができる。
天玉そばなら、最後まで「面目を保てる」のだ。
生来の見栄っ張りとしては、これまた好都合なのである。


かくして、丼の底に僅かな天かすのみを残し、上気した表情で店外に出ると、
「ああ、食った喰った」と大きく嘆息する。寒い時期はもちろん、暑い夏場でも、
ワンコインで心身を満たしてくれる。かけそば辺りだと、こうはいかない。

まぁ、こうした数々の理由から、私は、天玉そばをとりわけ好む訳だ。
今後も、立ち食いにおける「天玉注文率」が下がる事は、決して無いだろう。
一時期、夏場になると「冷やしたぬき」に浮気したりもしたが、今なら違う。
どの季節に、どの立ち食いそば屋に行っても、「天玉愛」を貫く覚悟だ。
(先日も、所用で立ち寄ったJR熱海駅ホームの立ち食いで、迷わず天玉を注文)
でも、割とカロリー高いんだよな…それだけが悩みの種である。



(追記)
小田急線・登戸駅前の立ち食いそば屋は「橘(たちばな)」ですね。
確かに、彼処のかき揚げは、いつもサクサクの揚げたてで香ばしかった…
カウンターのかごに、ネギがドバっと大量にスタンバイしていたのも思い出されます。
その並びにあった右角のパチ屋(小田急改札向い)は「玉の家」ですね。懐かしい…
(追記、終わり)

思い出のシマ(京楽、ダービー)

$
0
0



京楽「ダービー」 1990年(平成2年)登場 旧要件デジパチ
大当り確率1/225 ドットデジタル採用、おまけチャッカー付き


当時の地元だった、小田急線・読売ランド前駅そばのパチ屋
「パチンコランド」(現存)に通った時期、お世話になった。
(かの地を離れて、既に20年以上経つな…)

ここで本機を打ったのは、1990年春~翌91年夏の、1年少々。
90年4月の大学進学を機に、パチ道に入り込んだ私にすれば、
「パチが最も新鮮で面白い時期」に付き合っていた事になる。

人気の高い大ヒット機種で、都内、神奈川でも導入店は多かった。
それにしては、現在、本機についてのネット情報は意外に少なく、
「忘れ去られた名機」の感も多分にある。


件の「パチンコランド」は、初心者の頃から入り浸っていて、パチ・スロの
「イロハ」を学んだ思い出深い店だ。当時、足を踏み入れたホールの中でも、
思い入れの強さでいえば「ベスト3」に入る。

ハネモノの実戦が多かったが、ダービーや西陣「ファンキーセブン」、
マルホン「パールセブン」といったデジパチとも勝負した。さらに、
西陣の権利物「スーパーロボット」や、ニューギンの一発台「ベータ」も
ここで堪能。スロは、アラジンとビッグパルサー。コチラも打ち込んだ。
(いずれも、1990年当時の設置機種)

これらの中でも、とりわけ足繁く通ったのが、京楽ダービーのシマである。
(パールセブンは、大量出玉調整に加えて、例の「いぶし銀打法」発覚で
ヘソが露骨にシメてあって、腰を落ち着けて打てる雰囲気ではなかった)

この機種独特の「引力」に惹かれた事に加えて、シマに集まる客が
同じ面子で、どこか居心地の良い「アットホーム」な雰囲気だった。
その当時の状況について、ちょっと「日記風」に振り返ってみよう。



平成2年某月某日。
今日は、大学の講義のない日。夕方からバイトだが、それまでは遊べる。
朝から家を出ると、地元駅の唯一のパチ屋「パチンコランド」に直行。
ここ最近、ここで京楽のドットデジパチ「ダービー」にハマっている。

開店20分後に入店。お目当てのダービーのシマには、先客が何人かいる。
「ポッポロ、ポッポロ、ポッポロ」と、甲高いデジタル停止音がシマに響く。
ラジオの「試験電波放送」みたいだが、私はこの電子音が大好きなのだ。

カウンター側の右カドに陣取るのは、「フクちゃん」と呼ばれる太ったオヤジ。
庭職人との事だが、よく朝イチからダービーのシマに居る。今日も仕事は休みか。
シマ中央には、やはり常連の「ペーおばさん」。チリチリパーマで、お笑い芸人の
「林家ペー」ソックリな顔をしていて、愛想がよい。入口に近い方の左カドには、
コチラもシマでよく見かける、白ジャージのオッさん。俳優の左とん平に似ている。
朝のダービーのシマでは、こういった個性的な常連が、顔を並べてのんびり打っている。
シマの平均年齢が少々高いが、19歳(当時)の自分が入ると、一気に平均値が下がる。

ざっとシマを見歩いたが、空き台のヘソの大きさは、どれも大差ない気が。ならばと、
出玉が比較的多い、右から3番目の台を選択。この店は2.2円交換で、ほぼ1回交換
(「7」のみ無制限)。大当り時の出玉は、平均「2500~2600発」くらいだが、
このカド3は、おまけチャッカーの調整が良く、2900個くらい出る事もしばしば。
加えて、アタッカーの閉じた通常時でも、おまけに飛び込む事が度々ある。まぁ、
たまにくる「ボーナス」といった感じだが、投資の節約になるので有り難い。
(おまけも始動チャッカーなので、その分、デジタルの回りも良くなる)

座って打ち始めると、デジタルの回りはまあまあだ。1000円あたり35回くらい。
ただ、「1/225」のダービーの場合、「2.2円1回交換、2600個平均」の条件では、
43回以上ないとチャラにならない。普通はこのまま打っても、期待収支はマイナス。
ただ、このシマは、「7で当たれば無制限」なので、ボーダーラインはもっと下がる。
また、開店から1時間は、図柄不問で無制限となる「朝イチサービス」もやっている。
しかも、出玉の期待できる「右カド3」だから、この程度の回りでも勝負になるのだ。


しかし、コイツのデジタル音は気持ちいい。高速回転中は「ルールル、ルールル、ルールル」と、
遠くで鳴っているような、幻想的サウンド。そして、各デジタルが停止する際の「ポッポロ」音。
リーチになると、「リーチ!」という人工音声の後、「トゥルルルル…」という甲高い音と共に、
右デジが速度を落としてスクロールする。当たる時も外れる時も、右デジは「ピタッ」と止まる。
シンプルで潔いゲーム性が好きだった。ドットにも味があって、どの図柄が揃っても嬉しかった。
連続回転中の「右デジ移行法則」(法則崩れで大当たり)もあったりして、通常時も楽しめた。


(ダービーの大当り図柄は上記15通り。絵柄は蹄鉄、カップ、
大穴、$、馬の顔と、いずれも競馬に因んだデザインが特徴。)


そうそう、台を3分放置すると、馬がさっそうと走る「デモ画面」に切り替わるのも特徴。
ハマリ時、デモ画面にすれば当たり易くなる、「ボンカレー攻略法」なるネタも出回った。
(基本は「ガセネタ」。但し、特定の台のみに通じる「セットネタ」の噂もあった。この場合、
中・右デジタルをゾロ目にした状態で、3分放置でデモ画面にすると、以降は連続回転させれば
リーチ確率が跳ね上がって、大当りし易くなるというもの)





さて、右カド3だが、2000円目に「7」のリーチが かかる。「まぁ、ハズレだろうな…」と
期待せずデジタルをじっと見ていると、右デジがしばしスクロール後、7でピタッと止まる。
実にあっさりした大当り。すぐ年配の男性店員がやってきて、「おめでとうございます」と
一言発すると、頭上に札を刺した。




この店は、一回交換の図柄だと頭上に「白い札」、無制限なら「黒札」を刺すルール。
ダービーは、普段「7」のみ黒札となるが、開店後1時間なら、何で当たっても黒札だ。
そして、今は、そのサービスタイムの真っただ中。「7」でなくとも無制限となるから、
ちょっと「無駄引き」の感もあるが、ともかくも、嬉しい黒札の「ラッキースタート」。

  
  (1回交換の図柄なら、コチラの札)


  (無制限なら、コチラの札)


私は、このダービーで大当りした「瞬間」が好きだった。当たれば嬉しいのは当然だが、
本機独特の「流れ」を好んだ。図柄が揃った瞬間、ファンファーレと共に、画面一杯の
大きさだった当り図柄がフッと小さく切り替わり、図柄の下に「ヤッタネ、大当り」の
メッセージ出現。すかさず、女性の人工音声で「ラッキー大当り、ヤッタネ!」と祝福。
そして、大当り中は「カルメン」の軽快なメロディ(「がんばれ!ベアーズ」のテーマ)。
この一連の流れが、実に気持ち良かったのだ。

これは後日談だが、新要件期に入り、ここのダービーが外れて少々気落ちしていた時、
2駅隣、向ケ丘遊園駅近くの「第一銀座ホール」に、新要件版「ダービー3」が入った。
「やった。あのカルメンがまた聴ける」と喜んでいたが、いざ大当りすると、全く違う
オリジナルサウンドが流れた(ファンファーレも別の音)。あの時のガッカリ感といったら…。
元祖ダービーの「名曲」を差し替えるとは、京楽もアレだな。私が所有する唯一の実機が
この「ダービー3」だが、大当りさせる度に「カルメンだったらなぁ…」と思ってしまう。

まぁ、それはともかく。

大当りすると、右カドのフクちゃんが「あんちゃん、良かったな」と声をかけてくれた。
フクちゃんも早々に「黒札」を持っていて、機嫌がいい様子。これがハマっている時なら、
おっかない顔で台を睨んだまま、コチラを気遣う事もない。それでも、ハマリを抜けた時、
コチラが「やっと来ましたね」とねぎらえば、満面の笑みで返してくれる。判り易い人だ。

一方、シマ中央で打つ「ペーおばさん」を見ると、苦笑いで大当り中のこちらを見ている。
「ダメねぇ、こっちの台は…」といった表情。こういう時はコチラも苦笑いに付き合って、
「先に当てて、スミマセン」と恐縮気味の顔で返すのが、常連なりの「儀礼」である。

大当りを終えて、出玉をチェックすると、予想通り、2900個以上はありそうだ。この店の
デジパチのドル箱は、青い2500発サイズ(ハネモノは青い800個箱)。大当り後、全ての
出玉を箱に落としてモリモリ満タンなら、2700発くらいの勘定になる。で、現状を見るに、
ドル箱満タンで上皿タップリだから、3000個くらい。やはり、右カド3は出玉が多いのだ。
大当り中、できるだけオマケに流れるよう、ストロークに気を遣ったのも奏功したのだろう。

だが、その後はヒキが悪く、リーチはかかれどハズレのオンパレード。タップリあった玉も、
ジワリジワリ減り、とうとう残り150発ほどになった。既にタイムサービスは終わっている。
頭上には黒札が刺さっているが、飲まれてしまえば、高確率で店員が札を持ち去ってしまう。
この際は、僅かでも玉を残して追加投資した方が、札を取られる危険性も、多少は減るかな…。
そんな算段をしていた折、やっと「666」の大当り。命拾いした。右カドのフクちゃんは、
調子よくドル箱を積んでいる。機嫌がいいから、こちらの大当りを笑顔で喜んでくれる。
いつの間にか、ペーおばさんの姿はシマから消えていた。結構ハマって、ヤメていったな。

再び、ドル箱満タンに戻したが、やはり後が続かない。現金投資だと数珠連気味に当たるのに、
持ち玉の遊技時に限って調子が悪いのは、単なる偶然だろうか?と、オカルト思考にとらわれて
デジタルを回していたら、とうとう出玉が尽きてしまった。すかさず、店員が無制限札を持ち去る。
これで、この台を打ち続ける理由は無くなった。台移動を考える。

さっきまで「ペーおばさん」が打っていた台を見ると、結構ヘソが広い。粘っていたのも
うなずける。少なくとも、自分の台よりは良く回りそう。という事で、右カド3を捨てて移動。
打ち始めると、案の定ヘソにポンポン飛び込む。千円で40回以上ある。こちらで正解だろう。

多少苦労したが、5000円目の百円玉が尽きる前に「カップ・カップ・カップ」の大当り。
一回交換だが、当たれば嬉しいもの。カルメンの旋律に癒されつつ、箱に玉を落としていく。
フクちゃんは、一転ハマリに入っている様子。今度は、コチラを見てくれない。機嫌が悪い。

大当り終了後、ドル箱に玉を落とすと、モリモリ満タンにして全部入りきった。これだと、
2600個くらいか。まぁ、この店の平均だ。その箱を持って、景品カウンターへと向かう。
この店は、玉計数機(ジェット)が景品カウンターにしか無く、交換するたびにドル箱を
カウンターまで運ぶ必要がある。若い女性の店員から、ポリ袋に入った特殊景品の「香水」
(大・小)を受け取り、再び台に戻る。各台の頭上には、袋を引っ掛けておく「フック」が
付いていて、沢山大当りさせれば、フックに幾つも袋がかかる事になる。財布の中身が全て
なくなれば、その袋を持って店裏口の換金所に向かい、現金と交換してから「再戦」する。

この日は移動が功を奏して、ペーおばさんの台で計7回大当り。無制限は引けなかったが、
回りの良い台で、さほどハマらずに当て続けたので、トータル20000円近く浮いて終了。
カドのフクちゃんは、あれから出たり入ったりで出玉が伸びず、キレ気味に「ヤメた!」と
二箱くらい持って、帰ってしまった。朝から粘っていた、ジャージのオッちゃんもいない。
気づけば、周りに顔見知りの常連の姿は無く、ガタイのいいスポーツマン風の兄さんが、
スウェット姿で左カドを打っている。ひょっとすると、あれって巨人の二軍の選手か…?
(巨人の二軍寮が、店から少し離れたところにあって、たまに選手やコーチが来ていた)


気が付くと、バイトまで1時間。ここから電車で40分ほどかかるから、この辺でヤメないと
遅刻してしまう。よさげな台だが、ここで捨てるしかない。そういや、この間もアラジンで
待望のアラチャンを引いたが、途中でバイトの時間が来てしまい、隣のオッサンに、
アラチャン中の台を泣く泣く譲ったのだった。あの台、その後どうなったんだろう?


ともかくも、半日打っての勝利に気を良くして退店すると、そのまま小田急線の上り
各駅停車に乗り込み、都内のバイト先へ向かった。腹も減ったし、途中の立ち食いで
天玉そばでも食っていこう。資金も増えたし、バイト終りは歌舞伎町のスロ屋に寄り、
お気に入りの「センチュリー21」(瑞穂)で閉店まで勝負かな。今から楽しみだ。




(参考)

・本機の兄弟機「ダービー2」(旧要件機)

1990年登場。大当り確率は「1/230」と本機よりやや低いが、
その分、アタッカー開放時間が長くなった為、出玉は多め。
もちろん、おまけチャッカーの調整で、幾らでも変わる。
1500発~3000発オーバーと多様。上野へのプチ遠征時、
ガード脇の「東京会館」(閉店)地下で打ったのがコチラ。
無制限仕様の為、出玉が2000発弱しか出ないのには驚いた。
コチラも、「連続回転中の右デジ移行法則」アリ。本機が
「前回右出目プラス4~6コマ」の移行性だったのに対して、
ダービー2の場合、「マイナス1~2コマ」の動きとなる。



・本機の後継機「ダービー3」(新要件機)

1991年登場。大当り確率は1/215。継続ラウンドが10Rから16Rに増えたが、
おまけチャッカーが廃止された為、大当り出玉は約2300個と画一的になった。
先述の通り、大当り中のサウンドが、ダービーやダービー2とは、全く異なる。
但し、大当り図柄やデモ画面、デジタルアクションは共通。コチラも
右デジに移行法則があり、本機同様「前回右出目プラス4~6コマ」で動く。
(リーチ中、「法則崩れ」を察した瞬間、大当りが判る)

「ライル動画」にみる、1990年代初頭のホール

$
0
0


私が個人的に「神」と崇める、Youtube投稿者のライルさん(Mr. Lyle Hiroshi Saxon)。
その貴重な1990年代動画と、当ブログ読者の方々を結びつけるべく、これまで私は、
レトロパチンコ的な観点から「ライル動画」に注目してきた。

当時のパチ屋やスロ屋の店舗やネオンが、動画のいたる箇所で偶然・必然に映っており、
それらを発見するたびに、喜びと共に逐一チェックして、リストアップしてきた。

従前は、それらを個別に紹介してきたが、今回は一挙まとめて紹介したい。
「90年代パチンコ史研究」の一助になれば幸いである。
むろん、神動画投稿者・ライルさんへの「感謝」の念を、忘れる事は無い。
Lyle-san, thanks a lot!!

なお、以下のリストの「3:45」「6:09」などの数字は、
パチ屋等が映りこんでいる動画の位置(時間)を表す。

※時系列やエリアがバラバラで、正直見づらいかもしれないが、ご了承ください。



ライルさん動画リスト(ホール関連)


東急東横線・日吉駅パチンコ「たんぽぽ」のネオン(1991年7月)…16:29、16:34

東銀座パチンコ「モンタナ」(1991年5月)…0:29~、0:35~(店内)

清瀬駅(西武線)のパチンコ店(1991年2月)
パチンコ「ニューワールド」…0:03、0:40、20:51、21:21
パチンコ「モナコ」…1:52

町田駅「パチンコ大松」(1990年9月)…7:06~

神田駅パチンコ「一声(プレイタウン一声)」(1990年9月)…27:16、27:24、28:42

飯能駅(北口)のパチ屋、スロ屋(1992年10月)
パチスロ「三太」…0:19~
パチンコ「満月」…0:39~
(店内の自動音声。花らんまんのシマが映る。裏口でワイルドキャッツの音。)
パチンコ「日活球殿」の看板…1:50

東急・中目黒駅のパチンコ店(1991年2月)
パチンコ「ニュートーキュー」…0:55 パチンコ「マツヤ」…1:34

大泉学園駅(西武池袋線)のパチンコ店(1991年2月)
パチンコ「大泉会館」…0:42~
パチンコ「大泉センター」…2:56、4:23~(店内)

新宿駅西口のスロ屋「マーブル」(建設中)(1991年1月)…2:31

新宿駅西口のスロ屋「NASA」(1991年1月)…1:28~
※ゲーム「フロンティア」手前のパチスロ「マーブル」は建設中
(フェンスが掛かっている)

ひばりヶ丘駅(西武線)のパチンコ屋、ゲーセンなど(1991年1月)
パチンコ「ビッグ4」…3:40 ゲームセンター「クラール」の看板…3:45
パチンコ「ビッグ」…3:46

新宿東南口、パチスロ「てんとう虫」2Fの様子(1990年11月)…6:41

新宿東南口、パチスロ「てんとう虫」の店内(1991年5月)…9:21

西武柳沢駅、パチンコ「柳沢センター(やぎさわセンター)」(1991年6月)…0:22

小岩パチンコ「だるま」の看板(1992年2月)…4:22~

藤沢駅パチンコ「グリーンホール」(1991年10月)…14:16~

大和駅のパチンコ店(1993年7月)
パチンコ「丸金」…2:26~ パチスロ「ニューエース」の看板…2:40
ニューエース向いの白い建物は、パチンコ「マリーン」

戸塚駅(西口)パチンコ「桃太郎」(1993年3月)…7:23

新宿(東南口)のパチンコ店など(1993年2月)
パチスロ「グリンピース新宿」…1:32 映画館「新宿国際劇場」…1:46
パチンコ「平和」の店内…2:04、2:21

日暮里駅のパチンコ店(1990年10月)
パチンコ「ノーベル会館」…0:49

江古田駅のパチンコ店(1991年3月)
パチンコ「双葉会館」…0:14、0:19 パチスロ「アクト」…0:22~

新宿駅西口(1990年9月)
冒頭…パチンコ「ニューミヤコセンター」
パチスロ「ランガー」の白い看板…0:09

神田駅(1990年6月)
パチンコ「ジャンボ」…0:15~ パチンコ「ニュー東京」…0:33
パチンコ「ニューアオイ」…1:09~、1:39~、2:22、3:46~
パチンコ「ニュー神田」…1:16~、1:36、

新宿・歌舞伎町(1990年8月)
パチスロ「ムサシ」のネオン(5Fは風俗「バルボラ」)…2:05 
パチンコ「日拓2号店」のネオン…2:08 パチスロ「日拓ビッグプレイ3」…2:11
パチンコ「日拓3号店」…2:16

田町パチンコ「エイト」(1990年8月)…0:18~

飯田橋、神楽坂(1990年)
パチンコ「ニューパリ―」のネオン…4:51、5:07
パチンコ「オアシス」のネオン(一瞬)…4:57
パチンコ「マリー」の店内…5:35~

池袋東口(1992年10月)
パチンコ「やすだ」…4:17、4:29  パチンコ「大番」の看板…5:33
パチスロ「ミラノ2」のネオン…6:07~ パチスロ「ラック」の看板…7:00
パチンコ「大番」のネオン…7:23~

中野駅パチンコ「二楽」の看板(1992年10月)…0:29

阿佐ヶ谷駅(1992年10月)
パチンコ「パーラーガーデン」のネオン…4:18
パチンコ「オーシャン」のネオン…4:43

高円寺駅パチンコ「レインボー」のネオン(1992年10月)…5:46

渋谷(1991年7月)
パチンコ「マルダイ」(マクドナルド地下)の看板…4:25、5:12

高田馬場(1991年7月)
パチンコ「コスモ」…1:44~ 立ち食いそば「白鳥」…1:53(隣の味噌ラーメン屋…1:50)
パチスロ「白鳥会館」(センチュリー21)…2:12  パチンコ「ダイナム」…4:02
パチンコ「日拓EO(イオ)」…4:20  パチンコ「東陽会館」…5:08
シチズンボウル…6:18~
(シチズン入口の軽食「ミニヨン」の看板…6:24)※早大ボウリング部のミーティング場所

池袋東口(1991年7月)
パチスロセンター「TOA」(トーア)と映画「文芸坐」…10:40~
パチンコ「やすだ」(店内)…12:04~


町田(1990年7月)
パチンコ「ダイマツ」…0:00~0:16 パチンコ「原町田センター」…3:04~ 
パチスロ「さくらセンター」(大和横丁)…3:46~ ゲームセンター「いこい」…4:14~

水道橋(1990年6月)
パチンコ「コンドル」の看板…3:36、4:42、7:01 「コンドル」店内…3:41~
パチンコ「みとや」…7:26
パチンコ「オリンピア」の看板(パチンコ)…7:30、8:03
パチンコ「丸十」の看板…7:47  パチンコ「丸十」店内…7:49~

新橋駅(1990年6月)
パチンコ「ニュー銀座センター」…0:27~
パチンコ「一声」のネオン…7:55、「一声」換金所…8:04
パチンコ「明星」のネオン…10:36

新宿駅東南口(1990年6月)
パチスロ「グリンピース」店内…1:46
パチンコ「平和」店内(パチスロシマにはガリバーII(青)が並ぶ)…2:05
パチンコ「ニューメトロ」のネオン…5:31

新宿パチンコ「アラジン」の換金所(1990年6月)…1:09~

渋谷パチンコ「大番」のネオン(1990年6月)…1:18

東京駅八重洲口パチンコ「八重洲センター」(1990年6月)…0:24~

池袋東口(1990年6月)
パチンコ「大番」…7:41~ 雀球・アレンジ「アテネ」…7:51 

新宿(1990年6月)
(西口)
パチンコ「アラジン」店内…0:17~ 西口パチンコ「ニューミヤコ」のネオン…10:12~
(歌舞伎町)
パチスロ「ニュープリンス」のネオン…11:23
コマ劇前パチンコ「オデヲン」の店内…11:39~

新大久保パチンコ「ダイシンPART2」(1990年6月)…13:06~

新宿(東南口)パチスロ「グリンピース」(1991年5月)…0:40~

中野駅北口(1992年8月)
パチスロ「スリーセブン」…2:04~ パチンコ「F-1」…3:05

渋谷駅(1992年7月)
パチンコ「大番」(手前)、パチンコ「ウチダ」(奥)…0:25~ 
パチンコ「柳小路」…0:38、0:41、0:54
パチスロ「サン」…2:25  

秋津駅パチンコ「ニューアキツ」(1992年6月)…2:24

新宿西口パチスロ「NASA(ナサ)」のネオン(1991年3月)…1:17、1:22

新宿駅南口~西口(1991年3月)
パチスロ「グリンピース」「てんとう虫」パチンコ「平和」…0:25~
パチンコ「アラジン」…1:47

西日暮里駅パチンコ「アサヒ」の屋上看板(1991年3月)…8:53~

ひばりが丘駅パチンコ「ビッグ4」(1991年3月)…0:26~

池袋(西口)パチンコ「ロビー」(1991年3月)…2:12

中目黒駅のパチンコ店(1991年3月)
パチンコ「ニュートーキュー」のネオン…0:19~、0:38~
パチンコ「ボタン」のネオン…1:33~ 
パチスロ「カジノ」の店内…1:38~
(「リバティベルIV」とエーアイ「ロックンロール」が並ぶ)

登戸・向ヶ丘遊園・溝の口(1992年5月)
(登戸)
パチンコ「いろは」パチンコ「玉の家」パチスロ「ラック」(駅前)…1:20~ 
パチスロ「ニューハトヤ」…1:46~ 中和ビル…12:02
(溝の口)
パチンコ「ニューパレスII」…42:53 
パチンコ「ニューコガネ」…43:12、44:05、44:12(店内音)、44:59(店内)、45:17(音)、45:43
パチンコ「エース」…46:00、46:11  
パチンコ「黄金(こがね)会館」…46:13~
パチンコ「日拓」…46:16
(東急溝の口駅前)
パチンコ「つばめ」…46:41~
「ヤストモ」(アーケード)…46:53~
パチンコ「PSビッグトップ」…47:16~
パチンコ「ニューパレス」とパチンコ「ピーアーク」の看板…48:17~
 

向ヶ丘遊園駅(南口)「ぱちんこ遊園」の看板(1992年5月)…6:16~
(そば屋「立花」…6:21、パチンコ「プラザ」…6:28)

矢野口駅パチンコ「第一ホール」(車窓)(1992年5月)…5:42

武蔵溝ノ口駅パチンコ「PSビッグトップ」(1992年5月)…0:09~ 

川崎駅構内の動画(1992年4月)
立ち食いラーメン「ホームラーメン」44:46~

葛西駅(1992年4月)
パチンコ「カサイゲームセンター」の円形ビル…35:58~

神田駅(1992年4月)
パチンコ「ニュー神田」の看板…0:35~
パチンコ「ニューアオイ」…0:38 パチンコ「ジャンボ」…1:14~

田無駅前のパチンコ店(1992年5月)
パチンコ「モナコ」2:17~ 
パチンコ「大東会館」のネオン…2:59

新百合ヶ丘駅(北口)パチンコ「ジアス」(1992年5月)…3:27~

駒込駅(1992年5月)
パチンコ「スポスポ」…5:39、5:50、6:02
パチンコ「スリーセブン」…6:20~ 

巣鴨駅(1992年5月)
パチンコ「三益会館」…3:35 パチンコ「巣鴨会館」…4:45

大塚駅(1992年5月)
パチンコ「ニューカワイ」の看板…1:20
パチンコ「ヒロキ」…1:35
パチンコ「ひょうたん島」の看板…1:54
パチンコ「タイガー」…2:14 パチンコ「ヒロキ」…2:18

田町駅パチンコ「ブルーバード」(1992年3月)…5:26

渋谷駅のパチンコ店(1992年3月)
パチンコ「たんぽぽ」…7:56 パチンコ「トーオー」の看板…8:30、8:44
パチスロ「アルファ」の看板…9:17~
パチンコ「柳小路」のネオン…10:03~ パチンコ「キャット」…10:17  

新宿駅東南口(1992年3月)
パチスロ「グリンピース」…1:32~
パチスロ「太平洋(パチスロセンター)」のネオン…2:09~(喫茶「タイムス」も映る)
パチスロ「ロッキー」のネオン…2:16~ 

吉祥寺駅(1992年2月)
パチンコ「ニューワールド」(東口)のネオン…0:51~、1:07~
(「つばめ」と迷ったが「ニューワールド」と判断。今後も調査継続) 

代々木駅(東口)「パチンコ平和」(平和会館)(車窓)(1992年2月)…7:23
白い建物。円筒状の赤と黄色のネオンが目印。

小岩駅(1992年2月)
パチンコ「今津屋」の看板(サンロード側)…14:11 ゲーセン「フジ」の店内…15:58~ 
パチスロ「ハッピー」の看板…17:10
パチンコ「中央会館」(右)とパチスロ「ジアンジアン(ジャンジャン)」(左)の看板…17:19
パチスロ「ジァンジァン」…17:34~(長めの映像)
※同ビル5F麻雀「チョンボ」、4Fパブ「レインボー」、3F「ピカソ」。向いに回転寿司「すし丸」
パチンコ「東京会館」(地蔵通り)の赤い看板…17:45 
パチンコ「今津屋」の地蔵通り側入口…17:54~
パチンコ「東京会館」入口…18:01 パチンコ「今津屋」の看板…18:20 
パチスロ「アトラス」の看板…19:53~ パチンコ「008」の屋上看板…20:05~

日吉駅(1992年2月)…パチンコ「たんぽぽ」のネオン…2:02

新橋駅(1992年2月)
パチンコ「ニュースター」の看板…0:58~
バー「コダマ」の看板…1:16~
パチンコ「トップス」…2:13~

新宿駅西口(1992年2月)
パチスロ「マーブル」の看板…1:42~、1:56~

下北沢駅(1992年2月)
パチンコ「ゴールデン」(左)とパチンコ「富士」(右)…0:41~
パチンコ「ミナミ」…1:09~、1:27~ 
パチンコ「ワールド」の看板…2:00~
パチンコ「下北レジャー」…2:07~、2:31~ パチンコ「ワールド」の店頭…2:48~
パチンコ「ミナミ」…13:28~、13:59~ パチンコ「ゴールデン」(裏口)の看板※…14:04~ 
パチンコ「ゴールデン」の有線宣伝…14:21~
(※「パチンコ、アレンジ、雀球」の看板が見える)

代々木駅(1992年1月)
パチスロ「パリス」のネオン…0:14 パチンコ「大王」のネオン…0:24~

西武池袋線パチンコ「やすだ」の看板(車窓、線路沿い)…2:02

渋谷駅(1992年1月)
パチンコ「トーオー」の看板…2:07~
パチンコ「ホワイトバード」…2:40、3:24、3:57
パチンコ「キャット」…2:49、3:24、3:54
パチンコ「白鳥」のネオン…7:11~

ひばりが丘駅パチンコ「ビッグ」の入口(1991年12月)…6:22

目黒駅パチンコ「みどり会館」(1991年12月)…6:28~

有楽町駅(1990年12月)
パチンコ「大丸」のネオン…0:36~
パチンコ「大丸PART2」…0:51~(左)
パチンコ「サンスター」…0:51~(右)
   

井の頭線・渋谷駅(1990年12月)
パチンコ「大番」のネオン…4:31
パチンコ「白鳥」(ちんどん屋、店頭など)…5:31~

新宿パチンコ「ニューミヤコセンター」のネオン(車窓)(1990年12月)…7:39

下北沢駅(1990年12月)
パチンコ「ゴールデン」のネオン…0:37、0:39、0:47
パチンコ「富士ホール」の店内…0:41~
パチンコ「ゴールデン」と「富士ホール」のネオン…0:56~
パチスロ「グリンピース」の店内…1:11~
パチンコ「下北レジャー」入口…3:04、8:29~、8:36~  
パチンコ「ワールド」…3:26~、7:16~、7:27~、8:31~
パチンコ「下北レジャー」の屋上ネオン…9:56~

市川駅(1990年)
パチスロ「てんとう虫」の入口…0:01~
※画面右。「パチスロ」「センチュリー21」と書かれた回転看板も映る。

市川真間駅(1990年)
パチンコ「タカラヤ(宝屋)」…1:40~  パチンコ「中央ホール」…1:51~

上野・御徒町(1990年)
パチンコ「百万弗」の店内…5:08~
パチスロ「てんとう虫」の看板…5:21~
パチンコ「スターホール」の看板…5:27~
パチスロ「てんとう虫」の「虫」の看板文字…5:28~
パチンコ「ジャンボ」の店内…6:23~ 

新宿・西口パチスロ「マーブル」のネオン(1991年)…4:22~

京急・久里浜駅パチンコ「ニューエンゼル」のネオン(車窓)(1990年)…1:30:15~

東急池上線・洗足池駅前パチンコ「洗足池センター」のネオン(1991年)…3:58
(洗足池センター→レイクサイド→ピーロード→閉店 大田区上池台2-32-1)

東急池上線・雪が谷大塚駅パチンコ「ゆたか」のネオン(1991年)…5:18~
(現「ユタカ」、亀谷万年堂の通り)

渋谷パチスロ「アルファ」のネオン(車窓)(1991年11月)…2:41~

渋谷センター街の動画(1991年11月)
パチンコ「白鳥」のネオン…6:21~
パチスロ「サン」のネオン…1:29~(薄暮)、6:26~(夜)

横浜駅(西口)パチンコ「プリンス」(1991年11月)…2:27~

渋谷パチンコ「丸大キング」の裏口ネオン看板(1990年10月)…8:28~

西武線・田無駅パチンコ「ニューモナコ」(1991年4月)…1:31~1:36

新宿・南口パチスロ「グリンピース本店」周辺(1991年4月)…26:00~26:22
(台北飯店など)

池袋東口(1991年3月)
パチンコ「大番」…1:13~
パチスロ「キングス」の看板…1:55~
パチスロ「キングス」の看板(「123F」の表示)…2:15~

銀座、有楽町(1991年)
東銀座パチンコ「モンタナ」…13:15~
有楽町パチンコ「大丸」のネオン…18:36~

鶯谷駅(1990年8月)
パチンコ「みとや」…1:45:41(三共・ターゲットIのBGM)
パチンコ「アラジン」…1:45:58(マジカペのBGM)
パチンコ「みとや」…1:46:06~(王冠のネオン)
パチンコ「宇宙センター」…1:46:50~(隣はキャバレー「スター東京」)
パチンコ「みとやホール」…1:47:30~(換金所⇒1:47:45)
パチンコ「ダイヤモンド」…1:47:55~(「ダンスホール新世紀」のネオン⇒パチ屋2Fのキャバレー)

浅草(1990年8月)
パチンコ「東京会館」(入山せんべい向い)…1:05:55、1:06:04
パチンコ「宇宙センター」…1:06:13~(バニーガール白パネル設置)
パチンコ「カーニバル」のネオン…1:06:27~
パチンコ「ニュー長有楼」(新仲見世、後の「浅草会館」)…1:07:23~(ドリームX設置)
パチンコ「横綱」の換金所…1:34:13(直前に店内映像アリ) 

取手駅(1991年7月)
パーラー「ひさご」…5:10~
パチンコ「第一ヒカリホール」…23:48

鶯谷駅(1991年7月)
パチンコ「サンボールフジ」…0:52 パチンコ「宇宙センター」…4:32
パチンコ「みとや」とパチンコ「アラジン」…4:43~
パチンコ「パーラーみとや」…5:21~(コンチの看板、ライオンのオブジェ)

東京駅八重洲口パチンコ「八重洲センター」(1991年7月)…26:33

上野「パチンコジャンボ」のネオン(1991年7月)…3:16

品川駅東口「パチンコミナト」(1991年8月)…2:50

品川駅東口「パチンコミナト」(1991年8月)…1:11

立川駅前(南口)パチンコ「ナゴヤ」(1991年6月)…1:16~、1:51~

立川駅前(北口)(1991年6月)
パチンコ「王様」…0:46~、1:16~
パチンコ「セブン」…1:57~
★河合塾立川校…2:09~、2:25~

立川駅前(北口)パチンコ「王様」(1991年6月)…1:52~

石神井公園駅(1990年6月)
パチンコ「石神井ミリオン」…4:15~
パチンコ「プラザ」…7:46~、8:08~

都立大学駅(1991年)
「パチスロサン」…5:22~、5:36~ 「パチンコ日の丸」…5:43~、8:13~

都立大学駅パチンコ「日の丸」(1991年)…22:12~

ひばりが丘駅パチンコ「サンライズ」(1991年)…2:55

学芸大学駅(1991年)
建設中のパチンコ「ミナミ」(西口)…0:34 
パチンコ「トーア」…0:44~ 

学芸大学駅その2(1991年)
パチンコ「G2」(西口)…2:25 
パチンコ「ボタン」(西口)…4:54~、5:10~
パチンコ「セブン」のネオン…5:09

東横線・日吉駅(1991年)…冒頭、パチンコ「たんぽぽ」のネオン

中目黒駅パチンコ「ボタン」(1991年)…冒頭

両国駅パチンコ「ニュー大黒」(1990年)…0:27

両国駅パチンコ「ぼたん」の店内(1990年)…1:23

両国駅パチンコ「大黒」のネオン(1990年)…6:52

神田駅パチンコ「一声」のネオン(1990年)…1:42

新宿駅・東南口(1990年)
パチスロ「グリンピース」のネオン回転看板…1:06
パチスロ「てんとう虫」の店内…1:20
パチンコ「平和」の店内…1:31
パチンコ「メトロ」のネオン…1:49

新宿・歌舞伎町パチンコ「ニューメトロ」(あずま通り)のネオン(1990年)…3:18

新宿・歌舞伎町、パチンコ「トップス」(さくら通り)のネオン(1990年)…3:44

新宿・歌舞伎町パチンコ「747」(中央通り)のネオン(1990年)…4:06

新宿・西口パチンコ「ジャンボ」のネオン(1990年)…6:57

新宿・東南口パチンコ「平和」の裏口(1991年)…1:47

新大久保パチンコ「サンキン」の赤い看板(1991年)…0:55

新宿・東南口パチスロ「てんとう虫」(1991年)…0:08

新宿・東南口パチスロ「グリンピース」(1991年)…0:16

池袋西口パチンコ「キング」(1991年)…10:03

品川駅東口パチンコ「ジャンボ」(1991年)

東銀座パチンコ「モンタナ」(1991年)

有楽町駅(1991年)
パチンコ「みゆき」の看板…6:33 パチンコ「ポオル」の看板…6:40
「ポオル」店内…7:01
パチンコ「富士ホール」跡地の解体現場(2Fに喫茶の看板)…6:42

田町駅前パチンコ「エイト」(地下はパチスロ)の看板(1990年)…1:00

高田馬場駅(1990年)
「白鳥会館」の看板…0:08 「日拓」…2:45 「国際センター」4:18 
「コスモ」…6:00 「ビッグプレイ」…6:05

石神井公園駅パチンコ「不二会館」(1990年)…1:33

新宿西口パチンコ「アラジン」の旧換金所でお金を受け取る人(1990年)…1:27

駒込パチンコ「スリーセブン」付近(昼)(1990年)…1:50

駒込パチンコ「スポスポ」(昼)(1990年)…3:42

駒込パチンコ「銀玉屋」のネオン(1990年)…1:16:16

駒込パチンコ「駒込会館」のネオン(1990年)…1:16:44

駒込パチンコ「駒込会館」の入口(1990年)…1:17:01

駒込「スリーナイン」(1990年)…1:20:28

駒込パチンコ「スポスポ」(1990年)…1:30:32

上野パチスロ「オスカー」の店内(1990年)…0:06

上野パチンコ「スターホール」の店内(1990年)…1:54

御徒町パチスロ「アドベンチャー」の店内(1990年)…3:42

御徒町パチンコ「ビクトリー」の店内(1990年)…4:25

上野パチンコ「チャンピオン」の入口(1990年)…4:48

上野パチンコ「ニューセンチュリー」の店内(1990年)…4:57

上野パチスロ「ラスベガス」の店内(1990年)…6:46

上野パチンコ「東京会館」の店内(1990年)…6:51

上野パチンコ「スプラッシュ・ニューセブン」(1990年)…7:22

上野パチンコ「ニューセブン」(1990年)…7:57

上野パチスロ「ニューセブン」(1990年)…9:20

神田駅、西日暮里駅のパチンコ店(1990年)
(神田)
パチンコ「ジャンボ」…1:50 パチンコ「ニュー東京」2:12
(西日暮里)
パチンコ「11号線」…5:02 パチンコ「アサヒ」…19:57
パチスロ「ランボー」の店内(ハイアップターボが並ぶ)…20:17

東京駅八重洲パチンコ「やしおセンター」(1990年)…2:00

神田駅パチンコ「ニューアオイ」のネオン(1990年)…5:40

池袋駅西口のパチンコ店(1990年)
パチスロ「カメ」…1:39  パチンコ「モナコ」…2:30
パチンコ「コスモ」…4:33 パチンコ「山楽」…6:05
パチンコ「パール」…6:40 パチンコ「ひかり」…7:10 
パチンコ「やすだ」…7:58 パチンコ「パール」…8:13
パチスロ「ビッグプレイ」…8:27 パチンコ「パール」の孔雀の看板…9:10 
パチンコ「ロビー」…9:25

京成立石駅前のパチンコ店(1991年)
パチンコ「パーラーフジ」…1:40 パチンコ「パルコ2」…5:34
パチンコ「ミリオン」…8:06 パチンコ「セブンスター」…8:07
パチンコ「プラザ」…12:10 「プラザ」換金所…12:34

京成曳舟駅(曳舟銀座通り)パチンコ「喜楽」(1991年)…0:39

京島パチンコ「たちばな」の店内、エキサイトワープ(1991年)

京島パチンコ「たちばな」(1991年)
看板…20:32 ネオン…43:04
店内映像(デジパチ「エキサイトワープ」とスロ「バニーガール」)…43:16

新宿東南口(1990年)
パチンコ「平和」…15:24 パチスロ「てんとう虫」…15:48
パチスロ「グリンピース」…16:08

新宿・歌舞伎町(西武新宿駅前)、東南口(1990年)
パチンコ「日拓2号店」…0:40 パチスロ「ビッグプレイⅢ」…0:46
パチンコ「日拓3号店」…0:50 パチンコ「平和」…4:57

新宿・歌舞伎町パチスロ「ニュープリンス」(1990年)…3:59
「新装大開店」の回転看板が見える

新大久保パチンコ「山水林」の店内(1990年)…9:13~

新大久保パチンコ「ダイシン」(1990年)の看板…8:07、8:24

広尾(渋谷)パチンコ「日の丸」(1990年)…42:09

渋谷駅(1990年)
パチスロ「サン」の看板…1:26 パチンコ「白鳥」…3:02、8:43 

渋谷センター街(1990年)
パチスロ「サン」…0:56 

渋谷(初台)(1990年)
パチンコ「みかさ」(入口と店内)…3:24~

渋谷駅パチスロ「アルファ」(1990年)…40:01

鶯谷駅、都電・三ノ輪橋駅(1990年)
(鶯谷)
パチンコ「ダイヤモンド」の看板…3:58(ライルさんの背後)
(三ノ輪橋)
パチンコ「宇宙センター」(道路向い)…59:04
パチンコ「百万弗」の看板…59:07
パチンコ「三社センター」(さんじゃ)の店内…59:18
「宇宙センター」の看板…1:03:28
「三社センター」の換金所…1:03:58、1:04:22

スマイリー2(京楽、デジパチ)

$
0
0

前々回記事のコメント欄で挙がった京楽「スマイリー2」の詳細情報が、
現在、ネット上にほとんど存在しないので、コメ欄を補足する形で、
当ブログより情報供出(大当り確率や盤面画像など、既存情報は僅か)。




京楽「スマイリー2」

・1993年(平成5年)登場

・新要件機

・現金機デジパチ

・賞球…7&15

・大当り確率…1/215

・最高16ラウンド継続

・出玉…約2400個

・同社の先行機「ダービー」等と同種の、赤色ドットマトリクス採用

・デジタル停止順…左⇒中⇒右

・図柄…0~9の数字、ワイングラス、パイプ※(故・竹村健一が持ってたやつ)、
電話、女の子、三日月(顔入り)、スマイリーマーク(ニコニコマーク)の、計16種類
※形がサクソフォンにも見えるので、或いはサックスなのかもしれない

・大当りパターン…各図柄の三つ揃い。さらに「3・3・スマイリー」「7・7・スマイリー」
「スマイリー・スマイリー・3」「スマイリー・スマイリー・7」の4パターンでも有効。
よって、大当りパターンは全20通り。3、7テンパイとスマイリー図柄のテンパイは、
大当り期待感が一気に高まる。

・右デジが通常スクロールするノーマルリーチのほか、ノーマルから約2周で
スローに切り替わり、さらに大当り手前3コマから超スローとなる、
「SP(ロング)リーチ」も存在。SP発展時は、大当りor1コマ手前で停止。
「3、7、スマイリー」テンパイ時は、SPリーチに発展し易いとされた。

・意図的な連チャン性の無い、ノーマルデジパチ(「居酒屋タイプ」)
但し、「1/215」という良心的確率ゆえの「自力数珠連」は発生。

・アタッカーは、左右にカパッと開く開閉型。

・アタッカーVゾーンは、1個入賞で回転して閉じる(連続入賞防止)。
⇒同社の「アップルライン」や「ボクシング5」などと同タイプ。



「スマイリー」の三つ揃い。先述の通り、スマイリーテンパイ時は、この形のほか、
右デジが3か7でも大当り。また、3,7のテンパイ時も、三つ揃いの他、右デジが
スマイリーでもOK。さらにSP発展率も高いと来れば、大いにアツいリーチとなる。

1980年代、小田急線・読売ランド前駅の商店街

$
0
0

またまた「超・局地ネタ」で恐縮ですが…。


ここ最近の回顧記事では、かつて地元だった小田急線「読売ランド前駅」近くの
パチ屋「パチンコランド」に触れる機会が増えた。その際、現在の駅前の様子を
ストリートビューで見る事も多くなったが、私が知るかつての駅前とは、大きく
様相が変貌している事に気が付いた。まぁ、時代の流れなので、当然といえるが…。
ただ、「1975年~1995年」と20年以上お世話になった「思い出の地」が、
全く趣を異にしている現状に対しては、一抹の寂しさも覚える。

そこで今回、ストリートビュー画像を参考にしつつ、最も記憶に刺さる
「1980年代」当時の駅前の様子を、個人的な備忘録も兼ねて紹介したい。
まぁ、需要は極めて低いと思うが…。



※下記画像の著作権は、一部を除き、全てGoogleに帰属します
(C)Google




現在の駅舎。随分と立派になった。80年代はまだ木造で、
駅舎の大きさも半分程。木枠の改札に駅員が立ち、ハサミを
パチパチやっていた。改札を入って左の古いトイレも懐かしい。
一方、改札を出て左手(画像右奥)に、小田急の小さな売店と
赤電話、電話ボックスがあった。




駅改札を出て左の立ち食い「生そば箱根」。1980年代は、ここで
「ラピットナイン」(Rapidと書いてラピットと読ませたような…)
というハンバーガー屋が営業。日本女子大付属の学生など若者に人気も、
いつの間にかクローズ。私も小学生時分、駅近くの某・学習塾に行く途中、
ここを利用する機会が多かった。そういえば、その塾の夏期講習中、早々に
昼食を終えて悪友と教室で駆け回ってふざけていたら、弁当を食べ始めた
ばかりの女の子の机を倒してしまい、弁当を全部床にぶちまけてしまった。
その子はワンワンと泣いた訳だが、私と悪友でラピッドナインに出向いて、
ハンバーガーとジュースを買って、何とか許して貰った思い出がある。
因みに、ラピッドナインができる前(70年代後半)、同じ場所には
「小田急フローリスト」という花屋があった。



改札を出て右手のスーパー「オダキューOX」は、80年代当時も営業。
確か、以前のロゴマークは、「カタツムリ」だったような記憶もある。
一時期、1Fの窓際辺りに「万里庵(まりあん)」というラーメン店が
テナントで入っていた。入口手前の「京樽」(持ち帰り寿司店)も、
80年代から営業。京樽の左隣には、系列の焼き鳥屋「京鳥」も存在。



改札の正面にある喫茶ドトール。かつて、ここは「リイド書店」
という本屋だった。頻繁に利用したので、リイドのブックカバーが
自宅に無いか捜索したが見つからず。因みに、リイドが入る前は
「玉井寝具店」が営業(リイドができて「西生田商盛会」通りに移転)。



「リイド書店」のすぐ左側には、かつて「大塚書店」が存在した。
そう、読売ランド駅前は、改札前に2軒の本屋が並んでいたのだ。
こちらでも、コミックや学参なんかをよく買っていた。因みに、
左の白い螺旋階段を上がった2Fに、居酒屋「つぼ八」があった。
(平成初期の大学生時代に、地元の友人達とよく酒盛りした)
大塚書店が入る前、ここで「サーティーワンアイスクリーム」
が営業していた事もあるが、時代が早すぎたか、あえなく閉店。
(ここのチョコミントとバナナの「二段重ね」が好物だったが)



「大塚書店」の左隣(現・中川薬局)にあったのが、
「フジヤ」という文具・化粧品の店。品のいい感じの
お婆さんと、物腰の柔らかい娘さん(といっても割と
年配だった)の親子がやっていて、大いに重宝した。



「フジヤ」の左隣には、かつて「スペースセンター」という小さな
駅前のゲームセンターがあった。さらに左隣では、パンや菓子を
扱う個人商店「みのわ」が営業。現在は立派なビルに変わっており、
’80年代当時の古い面影は残っていない。



「みのわ」の左隣にあったのが、中華料理「大京園」。古くからある
老舗で、味にも定評があった。ただ、個人的に、ここのラーメンに乗った
チャーシューが大の苦手で(八角の漢方っぽい風味がダメだった…)、
細切り豚肉が大量に乗った「肉ソバ」や、野菜たっぷりの「五目そば」を
いつも注文した(ギョーザも付けて)。色白で温和な女将さんが懐かしい。
現在はマクドナルドの垢ぬけた建物になり、ずいぶんと趣が変わった。



「大京園」左隣の「横浜銀行」は、古くからここで営業。
パチとは切っても切れない所で、「パチンコランド」で
資金切れを起こした私は、必ずここのATMに駆け込んだ。



「横浜銀行」左隣の角地は、「山田家」というそば屋だった。
(そば屋といっても、ラーメンも食べられるのが特徴)
現在「山田家ビル」という立派な建物になったが、当時は
いかにも昭和然とした古い作りだったので、変貌ぶりに驚く。



「山田家」と路地を挟んで、真向いの角地にあったのが、
「ふじの酒店」という酒屋。現在「トーアホーム」という
不動産屋に変わっており、ふじのは「西生田商盛会」通りに移転。

また、画像左奥に見える緑色のアーケードの所には、かつて
「デュエット」というレコード(CD)店があり、よく利用した。
今も、当時の会員カードが手元に残っている。また、デュエットの
2Fには「スカイ」という狭い床屋があって、小学生時分に利用した。


(C)まにあっく懐パチ・懐スロ





「山田家」と「ふじの酒店」の間にある、細い路地。現在は
閑散とした雰囲気が漂うが、80年代当時は数多くの店舗が
所狭しと並んでいた。ストリートビューの関係で、路地に入った
画像は無いが、当時の状況をざっと紹介すると…

コチラから見て右側は、手前から「山田家」「ユウキ時計店」
「トロントベーカリー(パン屋)」「もーり(牛丼、とんかつ)」
という並びだった。さらに、「もーり」の隣の川沿いに、当時
「カネボウ食品」の社員寮なんかもあった。

路地の左側はさらに充実していて、手前から「ふじの酒店」
「大関青果店」「みねや寿司」「ドラッグストアめぐみ」
「龍王飯店(中華)」「ブティックらん(婦人服)」
「羅生門(喫茶・スナック)」「ロミオ(床屋)」「基礎英語教室」
「純手芸本店」という、何とも豪華な?ラインナップだった。
因みに、「基礎英語教室」ができる前、同じ場所で「やなぎ書房」という
小さな本屋が営業していた(70年代半ば~80年代初頭)。


駅前通りに戻って、踏切の前。ラーメンチェーン「東秀」のあった所は、
80年代中盤~後半、「入舟」というカラオケスナック(パブ)だった。
この場所は割と歴史があり、「入舟」になる前がレストラン「フルール」、
さらにその前は「ブックスプラザ尚文堂」という本屋がテナントで入った。
「入舟」が潰れた後に出来たのが、レンタルビデオチェーンの「日の丸」。
その後に入ったのが「東秀」。但し、東秀は既に閉店、現在は、
七輪炭火焼肉の店「遊輪」が営業している。



さて、駅改札前に戻ると、「リイド書店」のすぐ右隣には、
当時「富田屋」という魚屋があった。頑固そうなお婆さんと、
割とコワモテな感じの息子二人が、店を切り盛りしていた。
ザリガニやドジョウなど、淡水生物も取り扱っていたお店。
現在、その跡地では、ラーメンチェーン「日高屋」が営業。



「富田屋」の右隣、現在「かわしん」のビルがある所には、
当時「やぶ久」というそば屋があった。私も家族もここの
大ファンで、天ぷらそば、天ざる、カレー南蛮、天丼など、
どれをとっても美味かった記憶が残る。2Fで鰻を扱っており、
「肝焼き」を生まれて初めて食べたのが、此処の2Fであった。



「富田屋」の右隣は、1Fが老舗の酒屋「コロモヤ」で、同じ建物の2Fが
レストラン「ブルーメ」だった。ブルーメには、家族で定期的に通っていて、
「ジャーマンハンバーグ」や「サーロインステーキ」が好物だった。
ここの店員さんは、アクション俳優のブルース・リーに似ていた。



「コロモヤ」の右隣は「小島青果店」(八百屋)だった。
さらに右隣の角地「東亜商事」は、現在も営業を続ける老舗。
東亜商事の2Fに「セモリナ」という老舗パスタ屋があるが、
セモリナがオープンする前には、「グーグ」という名の
パスタ屋が入っていた(80年代半ば)。



「東亜商事」向いの角地には、「靴のイシイ」という靴屋があった。
小学校の上履きや体育用シューズなんかは、大抵ここで買っていた。
その左隣にあったのが、「コタニカメラ」という小さいカメラ屋。
カメラフィルムを現像していた時代、頻繁に利用した店だ。




「靴のイシイ」の右隣(オダキューOXの向い)には、かつて
「ピノキオ」という小さなおもちゃ屋があった。幼少期、ここで
親にミニカーをよく買って貰った。ただ、ピノキオは80年代前半に
潰れてしまったハズ。その後は、色んな店舗が「出ては入り」を
繰り返したが、どれもイマイチ記憶に残っていない。



「ピノキオ」右隣の電気店「コバヤシ」と、その右隣の床屋
「ハセガワ」は、昔からずっとやっている。移り変わりの
激しいこの界隈で、二店並んで健在なのは、嬉しい限りだ。




「ハセガワ」右隣は、とんかつの店「三九」(「ざんく」と読む)。
小さい店だが、サクサクのカツとたっぷりのキャベツ、それに
出汁の効いた味噌汁が美味しい地元の「名店」だった。
店の右にある小さな橋(ガード)を渡った先が「パチンコランド」。
画像では、「LAND」と書かれた四角い看板が見えるが、80年代は
もっと派手派手な、カラー電飾の円形ネオンだった(90年代も同じ)。
なお、「三九」は、現在、同じ通りにあるビルの2Fに移転した模様。




「三九」の真向かい、「パチンコランド」に続く橋を挟んだ角地は、
かつて「新光書房」という小さな本屋だった。この画像では草木が
生い茂って、店舗の姿がハッキリ確認できない(現在は更地となった模様)。
老夫婦が営むこの書店では、高校生時分、店頭に平積みされた
「お色気関係」の雑誌を、学校や塾の帰りによく買っていた。
(「GORO」「スコラ」「ザ・ベスト」など多数…)



その「新光書房」の右隣は、地元の不動産屋「ハウスランド」だった。
後に「ランド地所」となったが、現在は向ヶ丘遊園駅に移転した模様。
画像では、その跡地が「LA BONBONNERIE」という雑貨と
お菓子の店になっているが、現在も営業しているかは不明…。



ハウスランドの右隣では、80年代「スガハラベーカリー」
というパン屋が営業。当時、駅周辺にはパン屋が多かった。



「スガハラベーカリー」右隣のクリーニング店「つくば」は、
80年代当時も営業していた老舗だ。



「つくばクリーニング」右隣には、当時コインランドリー「マルエー」があった。
そして、マルエーの右隣が居酒屋「忠ちゃん」。その後、忠ちゃんは同じ通りの
別の建物に移転して、現在も営業を続ける。



小田急線下りホームの裏、川っぷちの角地では、当時
「渡辺生花店」という花屋が営業していた。2Fには、
「スナックアスカ」という小さな飲み屋があった。
現在、渡辺生花店は「西生田商盛会」通りに移転。



渡辺生花店の左隣、現在「忠ちゃん」がある場所では、
80年代当時、「双葉寿司」という寿司屋が営業。



「双葉寿司」の向いが「パチンコランド」だが、外観は大きく変わった。
画像の位置(手前)は現在駐車場だが、右手ガードレールのすぐ下に、
80年代当時「ゲームコーナーランド」というゲーセンがあった。私は、
このゲーセンに置いてあった「草野球」というアーケード野球ゲームが
得意で、友人と編み出した「攻略法」を使い、50円で延々遊び続ける
技を体得。また、タイトーの旅客機体感シミュレーションゲーム
「トップランディング」も大好きだった。
(コチラはサッパリ攻略できず、いつも序盤でゲームオーバー…)



「パチンコランド」の裏側にあるのが、「マイタウン西生田」という
ショッピングビル(現存)。かつて、この1Fに「まるこお」という
小さなスーパー(食品店)があった。その後、地元スーパーのチェーン
「ゆりストア」も入ったが、閉店(跡地はペットショップも入った)。
そういえば、ビルの2Fには、80年代前半「メルヘンハウス」という
ファンシーグッズと文具の店があり(女子に人気)、小・中学生時分、
香り付きの消しゴムやキャラクター入りのノート、それにイーグルサム
(ロス五輪のキャラ)のカンペンケースなどを買った記憶が残る。



「マイタウン西生田」向い、「双葉寿司」の左隣には、
かつて、老舗和菓子店「万福堂 栄月」があった。



「栄月」左隣の「才沢園茶舗」(お茶、海苔、たばこ)は、
80年代当時も営業しており、今も健在の様子。



「才沢園」の右隣、「美容室」のシャッターがある所は、
80年代当時「九州」という天ぷら店だった。その左隣に
家電店「クワシマ」があった(少し前までやっていた模様)。



「クワシマ」の左隣で80年代に営業していたのが、ペットショップ
「ニューパンダ」。昔、家で犬と金魚を飼っており、餌やグッズは
必ずここで購入した。その後、この店舗がクローズして、先述した
「マイタウン西生田」の1Fに移転したハズ。現在、ニューパンダ跡地には
近代的なマンションが建ち、かつての昭和チックな様子は見られない。



その「ニューパンダ」のすぐ左側にあったのが、
知る人ぞ知る、読売ランド前の名店「来々軒」。
昔ながらのラーメン屋。かつて、この店はドラマ
「どっこい大作」のロケ地にもなった。しかし、
現在は閉店。また一つ、ランドのシンボルが消えた。



「来々軒」の左隣には、「ミリオン」というスナックがあった。
場末感タップリの店で、いかにも怪しい雰囲気が漂っていた。
紫色のネオン看板が妖艶だった。だいぶ昔に閉店した筈だが、
画像では、当時の赤いアーケードが確認できる。




続いて、駅前のメインストリート、「西生田商盛会」通り。
まずは、駅の方から見て、左サイドにある店を紹介しよう。
先ほど紹介した角地の「東亜商事」の右隣、橋のたもとで
営業していたのが、家電ショップ「電化のマルエー」。
既に閉店しているが、当時の名残ともいえる店舗の看板が、
現在もストリートビューで確認できる。


コレ



橋を渡って反対側の「すずらん美容室」は、当時から営業。
かつて、母親がこの店の常連だったので、なじみ深い店。



「すずらん美容室」隣の洋菓子店「モンタナ」も、昔から続く老舗。
もう長い事、この店の味を堪能していない。バナナとチョコと生クリームと
スポンジケーキの「サンレモ」、洋酒のかかった大人のケーキ「サバラン」、
それに長方形のチョコレートケーキ「ダミエ」なんかが、特に好きだった。



「モンタナ」の右隣では、かつて「クロワッサン」
という小さなパン屋が営業していた。ここの
カレーパンが香ばしくて好きだったな。



「クロワッサン」の右隣に、かつて園芸店「苔石園(たいせきえん)」があった。
店頭に小さな盆栽をズラッと並べていたのが印象的。その後、花屋になったり、
小さな飲み屋になったりして、’90年頃に「養老乃瀧」が入るも、その後閉店。



「苔石園」隣の精肉店「肉の伊勢屋」は、古くから続く老舗。
国際的なソーセージの品評会で金賞を取った名店として有名。
80年代当時、店先で焼き鳥を焼いていたが、現在はどうかな。



伊勢屋の隣が、八百屋の「むさしや青果店」。コチラも老舗。
色黒のオヤジさんの人柄がよく、力士の「武蔵丸」に似ていた
記憶が残る(ムサシ繋がり)。現在は代替わりした模様。



「むさしや」右隣の老舗、「松川屋豆腐店」も健在の様子。




「松川屋」の右隣にあったのが「福寿司」。
現在の様子からは、寿司屋だった面影が無い。


但し、7年前のストリートビューだと、
「福寿司」時代の外観が何となく判る。




「福寿司」右隣の角地には、和菓子店「太平屋」があった。
「おおひらや」ではなく、「たいへいや」と読む。ここの
みたらし団子と柏餅は絶品だった。70~80年代当時、店頭に
アイスの冷凍ボックスが置いてあり、「宝石箱」「パピコ」
「ホームランバー」「パナップ」「ガリガリ君」などを買った。
ここの思い出深いエピソードというと、80年代前半、太平屋が
新装イベントを打って、タレントの「斉藤清六」を呼んだ事がある。
店の向いの小さな駐車場で、「ミニコンサート兼サイン会」を行った。
当時の清六さんの新アルバム「なんなんなんだ」の販売を兼ねたもの。
夏の暑い盛り、汗だくで、レコードのジャケットと同じバンダナ装で
熱唱する清六さん。破壊力抜群の歌唱力に圧倒され、親に頼んでLP購入。
コミカルで独特なサインの横に、似顔絵入りのスタンプを押して貰った。
(その時の汗がポトリと垂れたサイン色紙が、今も家のどこかにあるハズ)
そうそう、イベント中の清六さんが、太平屋の向いにある立ち食いそば
「豪ちゃん」を宣伝しようとして、「立ち食い豪ちゃん、ヨロシク!」
なんてステージで強調していたが、あの店は「そば屋」というよりも、
当時は「パチンコランド」の換金所として存在するような店だったから、
子供心に「何で、あんな店の宣伝をするのかな?」と思ったものだ。
この日、一度帰宅後、母親や弟と一緒に新宿に行く用があって、読売ランド前の
駅に行ったら、駅構内で、イベントを終えて帰路に就く清六さんと遭遇した。
そのまま千代田線直通の準急に乗り込み、清六さんと隣り合わせで、あれこれと
車内で会話したのが思い出深い。当時放映中のCM「白元 ホームチェイス」で
共演した女の人は誰か、といったことを質問した記憶がある(名前は忘れたが)。
その後、代々木上原駅で我々は降りたが、本当に気さくで感じの良い方だった。


(7年前のストリートビューを見ると、営業当時の姿が確認できる)



清六さんが「営業」を行った駐車場。当時、駐車場は左側だけの狭いスペースだったが、
今は随分と広くなった。駐車場が広がる前の80年代、画像右手には喫茶店の「伽羅」、
弁当屋「すしてりあ」(その前は電気屋「東信電気」)、そして「佐藤工務店」が存在。
(「すしてりあ」閉店後に弁当屋「キッチンはうす」が入るも、現在は別の場所に移転)




引き続き、「西生田商盛会」通り。今度は駅から見て右側にある店。
角地の「靴のイシイ」と隣の「コタニカメラ」は既に取り上げたので、
橋を渡ったこの辺りから紹介。茶色っぽい民家風の建物は、かつて
「阿部医院」という小さな病院だった。但し、80年代に入ってから
病院とちょっと異なる「医療研究・調査」的な施設に変わったハズ。



「阿部医院」の左隣は、80年代当時「ふくや」という和食店だった。
この店の2Fがお座敷になっていて、当時入っていた少年野球チームの
納会(年に一度ある)が、ふくやの2Fだった。「オムライス」と
「サイダー」が振る舞われる決まりで、優秀選手の表彰も行われた。
(自分も二回ほど貰った記憶アリ)
画像から、先述した「渡辺生花店」(駅ホームの裏にあった)が、
現在、ふくやの跡地に入っている事が確認できる。


「ふくや」の左隣は、現在「幸(ゆき)ドラッグ」という薬局だが、
’80年代当時も、やはり薬局だった。但し、店の名は「内藤薬局」。
店頭には、薬局らしい「象のキャラ」(佐藤製薬)が出ていた。



内藤薬局の左隣の角地では、80年代当時「橋本工務店」が営業。
木枠のガラス戸を手で横開きして入る、趣深い入口になっていた。




「橋本工務店」向かいの鮮魚店「魚滝」は、昔から営業する老舗。
右の路地を入った先が「パチンコランド」。途中に換金所があった。
今も、換金所の場所は同じだろうか。



「魚滝」隣の精肉店「肉の鳥武」も健在。ここも老舗。
伊勢屋と同様、当時は店頭で焼き鳥を焼いていた。
両店舗の「焼き鳥合戦」が、あの界隈の名物だった。
小さい頃、ここで日本ハムファイターズ(当時)の
試合の優待券を貰って、後楽園球場に出向いた記憶も。




「鳥武」左隣の白い建物。かつては、呑み屋「スナックあい」と
立ち食いそば「豪ちゃん」があった。豪ちゃんは、昭和~平成初期、
「パチンコランド」の換金所になっていた。カウンターの左奥に、
景品(現金)受け渡し用の、小さな窓口があったのだ。
また、4号機時代、ここに「スロットランド」というスロ屋があったが、
2000年代に閉店。マツヤ「パタッキー」や、山佐「花月」などを実戦。



「豪ちゃん」の左隣は、宝石・時計・メガネの専門店「ユウキ」。
80年代から営業していた老舗。元々、駅前の「山田家」を入った
路地に古くから店を構えていたが、80年代にこちらがオープン。
その後、路地の店がクローズして、コチラの店一本になったハズ。




「ユウキ」左隣の酒専門店「ふじの」。上述の通り、元々は
踏切そば「山田家」向いの角地にあったが(現「トーアホーム」)、
平成初期にコチラへ移転。その後、デイリーストアなどの
コンビニになった事もあるが、現在は酒屋として営業中。




「ふじの」の左側には、「玉井寝具店」という布団屋があった。
先述の通り、元々は「リイド書店」の位置で営業していたが、
リイドがオープンしてコチラに移転。現在、「西川寝具専門店」。




上記の商店街から、少し離れた位置にある銭湯「ヘルスよしの」。
昔からやっている老舗。かつては「よしの湯」という名前だった。
当時所属した少年野球チームの集合場所だったが、今は知らない。
かつての思い出…70年代の「よしの湯」だった頃、閉店後の夜、
入口脇のジュース自販機で100円の「不二家ネクター」を買ったら、
ボタンの購入ランプがまだ点灯中。そこで、もう一度ネクターの
ボタンを押したら、案の定、ガシャンと出てきた。しかもランプは消えない。
「これは儲けもの」と、ひたすらネクターのボタンを押し続けた。
この方法で10本タダで出した後、「ネクターばかりじゃ飽きる」と、
隣の「レモンスカッシュ」のボタンを押したら、ガシャンと一本出た後、
そこで購入ランプは消えて、うんともすんとも言わなくなってしまった。
あのまま色気を出さずに、ネクターのボタンだけをプッシュし続けたら、
一体、何本出てきたのだろう…。
ゴト師まがいの所業だが、30年以上昔で時効だから、許して下さいね。


 

スーパーゴルフ2(マルホン、ハネモノ)

$
0
0

皆さんは、「スーパーゴルフ2」という機種をご記憶だろうか?




1991年(平成3年)にマルホン工業から登場した、
初期新要件ハネモノである(祝・マルホン復活)。
賞球数は「8&15」で、最高15ラウンド継続。

元々は、「スーパーゴルフ1」という先行機種が
マルホン・新要件ハネモノ第一弾で発表されたが、
そちらは出回ることなく、この「2」がデビュー。

なお、旧要件期の1989年、豊丸が「スーパーゴルフP-1」という
ハネモノを既に出している(始動チャッカーの位置が特徴的)。
また、本機登場後の1992年には、京楽が新要件権利モノ
「スーパーゴルフ(2,3,4のシリーズ)」をリリース。



本機は、別名を「マルホン版・マジカペ」という(滝汗)。


実戦経験のある方なら、お判りだろう。本機は、三共の旧要件ハネモノ
「マジックカーペットI」(1989年)を、強く意識した(であろう)台。


マジックカーペットI(三共、1989年)


意識というか、「マジカペそのまま」といってもいいだろう。
それくらい、ゲーム性が「酷似」していた事で知られる。

旧要件時代、大一が「マハラジャ」というハネモノを出した時も、
「マジカペがモチーフ」といわれたが、本機とマジカペの類似性は、
特にゲーム性において、マハラジャのそれを凌駕していた。


この時期マルホンが出したハネモノは、過去の名機の「オマージュ」が
非常に多く、しかも「他社」のそれを意識したものが、少なくなかった。

「ローリングマシンI」(三共)によく似た「アドベンチャー」、
「うちのポチI」(三共)を彷彿とさせた「エンゼル」、そして
「魔界組」(西陣)のリメイク感たっぷり「ラッキーボーイ」など。
(後に、「ダッコちゃん」という魔界組っぽいハネモノも登場)



本機も、上品な(≒ケチくさい)羽根の開き具合、ヤクモノ上段スロープ、
ヤクモノ奥の可動式貯留ステージ、振り子のように左右に動くVゾーンなど、
どれをとっても「マジカペ然」。マルホン開発陣の、ライバル三共に対する
強い「リスペクト」の表れであろう(好意的解釈)。「マネホン」などと
揶揄する向きも、少なからずあったが…。

同時期には、本機と同じようなヤクモノの兄弟機「たまくん」も存在。
(当時のマルホンは、ドラくん(デ)、くるちゃん(権)、コン吉(権)、
ポン太(権)など、妙にユルユル感の漂う機種名が多かった…)
(デ)…デジパチ (権)…権利モノ


マジカペのモチーフが、アラブの「空飛ぶ絨毯」だったのに対し、
本機は「ゴルフ」がテーマで、ビジュアル的な違いは大きかった。
(同年のマルホンは、先行機「バーディーチャンス」という
ゴルフのハネモノ(スライド式の羽根)も送り出している)


盤面左上に大きく描かれたゴルファー。
その背景には、巨大なゴルフボール。


盤面センター上部の英字ロゴ。
「MARUHON・PRO・GOLF・TOUR
WORLD・CHAMPIONSHIP」とある。
「マルホン主催の世界ゴルフツアー」との設定か。


盤面右上には「ホールガイド」のような一覧表。
「BENT」はベント、「KORAI」はコーライ。
何れもグリーンの芝の種類である。
ベント芝、コーライ芝それぞれのグリーンまでの距離や、
規定打数(パー)といった各ホールの情報が書いてある。
「BACK」(プロ向け)「REGULAR」(一般向け)など、
ティーの位置も2種類表示しており、なかなか芸が細かい。


さらに、ハネのデザインは「ヤシ」ではなく「クラブとボール」、
ヤクモノ奥の貯留ステージが「魔法の絨毯」ではなく「グリーン」、
そのステージに乗っているのは「王様」でなく「ゴルファー」、
Vゾーンも「宝箱」でなく「グリーンと『HOLE IN ONE』の文字」と、
徹底してゴルフを強調。「決して、マジカペの二番煎じではない」という、
メーカーの強い意志(オリジナリティの主張)が見て取れる(好意的解釈)。


さらに、マジカペとの顕著な違いとして、ヤクモノ下に
設けられた、「7セグデジタル」の存在が挙げられよう。


Vゾーン真下の赤い7セグ(2ケタ)が、本機の大きな特性だ。
ハネ両脇の「START」と書かれた肩チャッカーへの入賞で、
このデジタルが変動を開始。「33」か「77」で止まれば、
ヘソの電チューが約5.6秒開く。電チューは2チャッカーを
兼ねており、電チュー入賞でハネが2回開く仕組みだった。
因みに、デジタル当選率は「1/25」となっていた。
電チュー変動中、かなり騒々しい効果音が鳴るのも特徴。

機能的にはマジカペと異なる7セグだが、「配置」はほぼ一緒。
この点も、マジカペの「オマージュ台」たる由縁(好意的解釈)。
因みに、マジカペの7セグは「大当りラウンドと入賞個数」を表示。
本機では、ヤクモノ「上部」の2ケタデジタルが、それらを示した。


通常、盤面左上(谷釘下)にある風車の外側に流れた玉は、
羽根に絡まず、オトシにも入らず、「無駄玉」になり易い。
しかし、本機の場合、風車外に逃げた玉が「START」に入って
小デジを回す可能性があった為、無駄玉が減る「利点」もあった。




左右オトシ(1)とヘソ(2)のチャッカー。各チャッカーに描かれたゴルファーの
イラストもいい味を出している。電チュー型のヘソは、デジタル当選で約5.6秒開放。
この電チューに入れば、ハネが2回開く。電チュー開放時間が割と長めだった為、
開放した瞬間などに電チューに入ると、2回のハネ開閉後も、まだ電チューが
開いている事があった。ここで再び電チューに拾われれば、二度目の
ハネ開閉チャンスとなる。デジタルが良く回るほど、有利なのは言うまでもない。

但し、ヘソは通常のゲージ構成になっていて、電チュー閉鎖時でもヘソに入る。
デジタルがほぼ回らないような台でも、ヘソ周りの釘が甘ければ、問題は無い。


一方、左右オトシ入賞時は、ハネが1回開放。「デジタルがサッパリ回らない、
ヘソがキツい」といった状況でも、オトシさえ甘ければ、割と勝負になった。


こうした7セグデジタルや電チューの登場は、平成2年10月の規則改正により、
サブ的な役割を持つ電動役物の搭載が認められた事による。特にマルホンは、
これらを多くの新要件機に採用した。先述の「オマージュ台」についても、
そのほとんどが、小デジと電チューの双方を備える。メーカーにとっても、
「過去機種の単なる二番煎じではない」とする、大きな根拠になっていた。



羽根に拾われた玉は、上段ステージ奥から下段奥に落ちて、手前に折り返す。
通常、手前のVゾーンは、マジカペと同様、中央部分で止まったままである。
手前に戻って来た玉が、角度よく中央方向に向かえば、V入賞のチャンス。
台の「クセ」にもよるが、賞球や継続ラウンドの多い新要件ハネモノの割に、
初V率は良好な部類に入る。但し、マジカペ同様、ハネの「開き」が小さく、
寄り悪の台だと、ハネの空振りの連続で、大いにストレスがたまった。



首尾よく大当りすると、やはりマジカペと同じく、ヤクモノ上段奥にある
貯留用ステージ(グリーンの上にゴルファーが立っている)が下降して、
ステージ上に玉を複数貯留できるようになる。なお、貯留解除までは、
手前Vゾーンは中央で停止したまま。これもマジカペと一緒。

その後、貯留ステージが上昇して貯留解除されると、
ステージ上の貯留玉は一斉に落下して、手前に転がる。
但し、マジカペ同様、この時Vゾーンも左右に動く為、
4個貯留があってもVを外したりした。3個以下なら、なお厳しい。
良好な初V率と比べると、継続率は割とキツい印象が残る。
下段ステージが左右に傾斜していて、解除玉が両サイドに流れ易いのも、
継続率が悪い要因とされた。まぁ、貯留解除後、動き続けるVゾーンに
玉が吸い込まれるか、ドキドキしながら見守るのも醍醐味だったが。


また、V継続率の良し悪しは、台毎のクセによっても左右された。
特に、停止状態のVゾーンの位置が、各台毎に微妙に違っていて、
きっちりセンターに止まっているよりも、左右のどちらかに多少
寄っていた方が、却って解除した玉を拾い易くなり、継続率もアップ。
こうしたクセに加えて、台の「ネカセ」もV入賞率、継続率に影響を与えた。



本機は、当時ホームだった「新宿」界隈でも、割と多くのホールに導入された。
特に、歌舞伎町で勢力をふるう、「日拓」チェーンにおける設置率が高かった。
同チェーンは、西武新宿駅の周辺に集中。「日拓パチンコ村」と呼ばれたが、
その大半の店で、本機の姿が見られたのだ。

この時期はスロも精力的に打っており、歌舞伎町中をハシゴして、当時流行りの
「コンチネンタルI」(瑞穂、3-1)、「コンチネンタルIII」(メーシー、3-1)、
「スーパーバニーガール」(オリンピア、2-2)といった香ばしい台と勝負した。
(あの界隈でお馴染み「5連アポロン」は、まだ出回る前)

だが、不調で持ち金の大半をヤラれる事もあり、財布の中身がおぼつかないと、
ハネモノシマに逃げ込んだりした。そんな折、日拓チェーンで本機を見かけると、
大好きだった旧要件のマジカペを重ね合わせて、引き寄せられるように座った。

かつては、歌舞伎町界隈で当然のように置いてあった「元祖マジカペ」だが、
’91年夏以降、新要件機が勢力を伸ばすにつれて、急速にその設置を減らした。
(高田馬場「ダイナム」なんかは、割と長くマジカペを残していたが…)
件の新宿「日拓村」もマジカペは既に撤去済だった為、亡き名機への思いを、
ぶつけるが如く打っていた。無論、「本家」との違いも、多々感じながら…。

この時期リリースされたマルホンハネモノの中で、最も多く出回ったのが本機。
当時、私と同じような思いで対峙したファンも、少なくなかったのではないか。

もしも、マジカペがまだ多く残っている時期に本機が設置されたなら、
あれほど、世のハネモノフリークに受け入れられる事もなかったハズ。
絶妙のタイミングで登場して、一時期ファンの心を掴んだのは確かだが、
「元祖」のインパクトの強さに勝てず、忘れ去られるスピードも速かった…。



(マルホン「スーパーゴルフ2」の項、了)

90年代・パチンコ関連ドラマ情報(CS)

$
0
0

Yahoo!Japanのテレビガイド(直近の番組放映予定)をチェックしていたら、
ちょっと気になる90年代ドラマを発見。地上波ではなく、CSでの放映だが…。


以下、同サイトの引用。


新・女検事 霞 夕子シリーズ「乗り遅れた女」 出演:鷲尾いさ子

検事・霞夕子が被害者の目線に立ち“心”を裁く人気シリーズ第3弾!
撲殺事件に隠された不可解なアリバイの真相とは!?
(単発)1995年 94分 放送日:1・5

出演者

原作:夏樹静子
出演:鷲尾いさ子/石井苗子/萩尾みどり/平田満/村田雄浩/朝丘雪路


番組内容

≪サスペンス劇場≫
 横浜市で後頭部をメッタ打ちにされたパチプロ・東郷宏康が死体で見つかった。
警察は以前、女性関係で東郷ともめていたバイク仲間の木村に焦点を絞り
取り調べを開始。一方、現場に残されたパチンコ玉とカサブランカの
切り花に注目した検事の霞夕子は、東郷が3年前に2人の中学生を
轢き殺していた事実を知る。早速、夕子は被害者の母・貝塚陽子と
矢代玲子を調査するが玲子が事件当時にしていた不可解な行動が…。

(引用、ここまで)



「霞夕子」は、「火サス」(火曜サスペンス劇場、IGT「ダイナマイト」の効果音でも
お馴染み)の人気シリーズなので知っていたが(最初が桃井かおり、後に鷲尾いさ子)、
こんなストーリーの放送回があったなんて、当時も全く把握していなかった。うーむ。
「90年代パチンコドラマ研究」に携わる身としては、無視できない情報である。
ここは、是非チェックしておきたい。


冒頭、殺害される被害者が「パチプロ」役である以上、ロケ地のパチ屋(横浜?)や
男が実際に店で打っている場面、また、当時の設置台などが映り込んでいる可能性は、
大いにあろう。被害者が「パチプロ」だというイメージを視聴者に植え付けるには、
それらのシーンが不可欠だからだ。しかし、なぜあえて「パチプロ」なのか(汗)?
ジグマ?開店プロ?それとも攻略プロ?

まぁ、今とは違って、当時はメディアがパチ・スロに寛容だったから、
ドラマのストーリーに、パチ絡みのネタを絡める事も多かった事は確か。
(だからこそ、90年代パチンコドラマ研究が面白い訳だが)


本作は、初回オンエアが「1995年(平成7年)1月5日」という事なので、
ドラマロケが敢行されたのは、少し前の「94年10~12月」頃と思われる。


その当時の人気機種というと、CR花満開(西陣)、CR名画(平和)、
CR黄門ちゃま2(同)、CRビッグソロッター(大一)等のCRデジパチ。
また、綱取物語(平和)、FパワフルIII(SANKYO)、FクイーンII(同)、
エキサイトジャック2(ニューギン)など定番の現金機(連チャン規制期だが、
これらの連チャンデジパチを「主戦級」として残す店も多かった)。それに、
キューティーバニー(ニューギン)やドラドラ天国3(豊丸)などの権利モノ。
さらに、たぬ吉くん2(京楽)、大漁節(西陣)、レディースオープン(ニューギン)、
おむすびくん(平和)などのハネモノも人気だった。まぁ、挙げればキリがないが。
そうそう、ノーマルデジパチのFルーセントDI(大同、ドラム)やフルーツマシン2A
(ニューギン、ベルト)、球界王(西陣、液晶)なども、各地で人気を誇った頃だ。
同年秋には、Fネプチューン、FウォーズI、Fキャッスル、CRFワールドI等の
新台をSANKYOが大々的に発表。暮れの新装開店で導入するホールも多かった。
ひょっとして、こうしたレトロ台達の雄姿が、映像で確認できるかもしれない。

また、「パチプロ」といえば、故・田山幸憲氏が真っ先に思い当る。
このテの物騒なドラマの引き合いに出すのは、少々気が引けるが…。
当時の田山プロのネグラは、溝の口の「B店」(PSビッグトップ)。
94年10月のパチプロ日記では、デジパチのFパワフルIII、FガールズI、
エスケープ2、あんたはエライEX、そして、ハネモノのたぬ吉くん2と
フライングカーペットIIを追っている。古きよき、現金機全盛の時代。


まぁ、ここまで気を回しておいて、いざ放映をチェックしたら、
パチ絡みのシーンはワンカットのみで終了…というパターンも
十二分に考えられるから、期待し過ぎるのは良くないだろう。
展開は全く以て不明だが、エアチェック映像を隅々まで調べて、
後日、結果を報告したい。


同ドラマは、CS放送「ホームドラマチャンネル」
明日8月5日(金)12:15~14:00にオンエア予定。
興味をお持ちの方は、チェックして頂ければと思う。


※ホームドラマチャンネル
・スカパー! 294ch
・JCN 312ch
・スカパー!プレミアム 362ch
・ひかりTV 420ch
・J:COM 555ch
・eo光テレビ 861ch

90年代パチンコ関連ドラマ情報(CS)、続報

$
0
0

前記事の続報。


昨日、CS「ホームドラマチャンネル」で放映された、90年代サスペンスドラマ
「新・女検事 霞夕子(かすみゆうこ)シリーズ「乗り遅れた女」」(1995年、
鷲尾いさ子主演。日本テレビ「火曜サスペンス劇場」でOA)の映像チェックを
行った。さっそく、その結果を報告したい。


結論から言うと、残念ながら、パチ屋絡みのシーンは、90分ドラマ全編のうち
ほんの一瞬だけ。時間にして、「1分少々」といった所だった。うーん、残念。
まぁ、「90年代ドラマとパチンコ」を研究していれば、こんな空振りも多いが。


本作の冒頭、「東郷」という若い男性が、鈍器で後頭部を殴られて殺害される。
その男性が「パチプロ」との設定だった為、面白い映像が映り込んでないかと、
期待を込めて作品を視聴した訳だが…。


結果的には、前記事で危惧した「ワンシーンのみ」で終わってしまった。
ただ、個人的に「香ばしい」と感じる場面が入っていたので、紹介したい。
(映像は添付できない為、文面のみでご勘弁)


件の場面だが、この殺人事件を検証する女性検事、霞夕子(鷲尾いさ子)が、
部下の事務官(佐藤満)と、被害者のパチプロ東郷が通ったパチ屋に出向き、
彼の普段の行状について、カウンターの店員から話を聴くワンシーンである。


ロケ地となったパチ屋だが、事件現場の「横浜」に因み、JR関内駅(北口)の
今はなきパチンコ店「関内プリンス」が使われていた。エンディングロールの
「撮影協力」にクレジットはないが、正面入口ネオンに「PRINCE」の文字、
さらに自動ドア脇の回転看板に「関内プリンス」とあったので、間違いない。
(C)Google
(関内プリンス跡地)


実は、かつて当ブログで紹介した「パチンコ必勝マップ」白夜書房)にも、
関内エリアのパチ屋情報が網羅されている。1994年3月時点のデータとして、
JR関内駅周辺では、以下のパチ屋が営業していた事が判る。

(南口)ニューフレンド、関内プラザ
(北口)プリンス、KING、パチンコ馬車道、パチンコJAC’S関内店


なお、「関内プリンス」は閉店。跡地は、現在「プリンス会館」という
小洒落たビルになったが、パチ屋当時を思わせるビル名が使われている。
(プリンス会館…横浜市中区弁天通3丁目36)


それから、店内映像について。まず、夕子らが自動ドアから入店する場面で、
パチンコ台の大当りサウンドと思しき、やたら騒がしい電子音が鳴っている。
聞き覚えある音だったので検証の結果、京楽の大ヒット権利物「ピンボール」
大当り中BGMと確認。


(京楽の権利物「ピンボール」…1993年登場。
権利終了後の1回転目、中デジが奇数で確変。)


次に、夕子がカウンターの男性店員(茶髪、やや横柄)に、事情を聴く場面。
店員は、「ああ、東郷さんなら、しょっちゅう出入りしてましたよ」の一言のみ。
その話を聴く夕子の背後(カウンター前)が、京楽「ピンボール」のシマだった。
例の大当り音もハッキリ聴こえる。シマの大半は固定された椅子だが、一つだけ
普通の「移動式椅子」が混じる。馴染みの店を思い返しても、そんなシマがあった。
(全台が移動式の古い椅子、という香ばしい店もあったな…)


その直後、一人の老婆が、店の床に落ちたパチンコ玉を、拾い集めるシーン。
その床が、懐かしい茶色の「板張り」だった。その床に這いつくばるように、
客の足元に落ちた銀玉を、一つ一つ拾う白髪の老女。パチ屋お馴染みの光景。
’92年のVシネマ「パチンコグラフィティ」(布川敏和主演)では、鈴木清順演じる
常連の老人が、有り金500円を使い果たした後、床に落ちた玉を拾おうとするも、
布川演じる店員にマグネット棒で先に玉を拾われて、ションボリと肩を落として
退店するシーンが妙に印象深い(余談になるが)。


実は、殺害現場に「パチンコ玉」(とカサブランカの花)が残されていたのが、
この事件の「伏線」となっていた。加害者(女性)が事件の直前、現場である
倉庫(東郷のバイク置場)に銀玉をバラ撒いておく。帰宅時にそれを見つけた
東郷が、「もったいない」と身をかがめて玉を拾い集める。その直後、物陰に
隠れていたその女性が忍び寄り、金属バットで彼の後頭部をボコボコに殴る…。
「パチプロにとって、玉は現金と一緒だ」という警察関係者の台詞があるが、
それを視聴者に理解させるべく、老婆が玉を拾うシーンを入れたのは明らか。
また、玉拾いをする低い体勢の相手であれば、非力な女性であっても背後から
殴りかかれる事の「実証」も兼ねた場面。


さらに、店員の話を聴き終えた夕子が店を出る時、入口近くのシマがチラッと映る。
やや見辛かったが、特徴的な盤面から、SANKYOの現金機「FファンタジーIII」
と確認。同台は、94年6月登場の確変デジパチ。本作のロケが行われたと思しき
「94年10~12月」頃も、人気を保っていた(私は「パチンコランド」で初打ち)。


(SANKYOの液晶デジパチ「フィーバーファンタジーIII」1994年登場。
赤7が有効ラインに揃うか、上下平行の2図柄揃いで、次回まで(小デジ)
確変突入(ループ有)。美麗な液晶やアメドリ風SPリーチも特徴だった
(4周目に入るか否かが運命の分かれ道)。


さらに、その向いのシマの天井に「フィーバールーセント」と書かれた
機種案内の吊看板(ボード)も見える。コチラも、当時大人気の現金機。
ノーマルだが、百合丘「J-ONE」で短時間に爆連機の如く数珠った事アリ。


大同のドラムデジパチ「フィーバールーセントDI」…1994年登場。
リーチは、必ず中ドラムの二段階アクションを経由して発生した。


映像をさらに細かく見ると、関内「プリンス」の映り込む場面が、あと2か所。
だが、さほど「食指」が動かなかった為、今回は割愛する。なお、ドラマでは、
プリンス真向いにあった「弁当屋」も、重要な役割を担う存在(詳細は割愛)。
店名は「キッチントマト横浜店」。コチラは撮影協力欄にクレジットがある。
(既に閉店。跡地は現在「ファミリーマート関内弁天通店」)


それから、殺害現場のバイク倉庫に落ちていた「パチンコ玉」について、
夕子達が検証するシーンも何度か出てくる。その中で、事件を担当する
西(にし)警部補が、「パチンコ玉は、店毎に違う刻印が入っている」と、
パチファンなら周知といえる情報を夕子に伝える。まぁ、視聴者の多くは、
そんな基本情報さえも知らない訳で、こういったセリフも必要なのだろう。
因みに、その西警部補を演じたのが、今やワイドショーのレポーターとして
お馴染みとなった阿部祐二さん(俳優出身)。21年前の若き「雄姿」だ。
なお、阿部さんは私と同じ大学の出身で、同じ学部の先輩に当る。



まぁ、ざっと駆け足で説明したが、今回はこの辺で終わる。
引き続き、90年代ドラマとパチンコの関わりについては、
研究を進めていく所存である。
最後に一言「鷲尾いさ子は、やっぱり美人」



鮭取伝説(平和、ハネモノ)

$
0
0



1993年(平成5年)に平和から登場した、新要件ハネモノ「鮭取伝説」。


★賞球:7&15
★ハネ開閉時間:オトシ0.7秒 ヘソ0.7秒×2
★最高15ラウンド継続
★クルーンを用いた「アナログ連チャン」が特徴



本機のモチーフは、ズバリ「川で鮭を獲る熊」である。
(ヤクモノ上段ステージに熊。下段に(隠れた)鮭二匹)
しかし、クマが好物のシャケを捕獲するだけで「伝説」…。


これはあくまで推測だが、「鮭取」とは同時期登場のデジパチ
「綱取(物語)」のパロディ的なネーミングではないだろうか。
元々、「鮭取物語」(「竹取物語」の駄洒落的な意味もあろう)
として開発されたが、それでは、綱取物語の「二番煎じ」だと
すぐバレてしまうので、「伝説」という表現に差し替えた…。

まぁ、根拠は全くないので、無視して貰って結構である。



★当時の実戦店⇒西早稲田「みよし」(現「MIYOSHI344」)
(その他、新宿東南口「トーオー」、高田馬場「東陽会館」にも設置)


早稲田大学(西門)近くにある、老舗のパチ屋。
学生時分、授業終わり(含サボリ)によく通った。
左右に入口があり、中央が凹んだ「コの字型」の造り。
以前、その中央にタバコ屋(鳩屋敷)があったが、焼失。
93年当時、左の入口がパチ、右がスロ(山佐台のみ設置)。
本機は、その左右を結ぶ奥のフロアに、1シマ6台ほど設置。




この時期は、ハネモノの「連チャン性」が大いに注目されていて、
京楽「たぬ吉くん2」に代表される如く、「デジタルの連続性」が
大量出玉をもたらす爆裂ハネモノが、ホールで人気を誇っていた。

本機は、そうしたデジタルとは全く無縁だが、ヤクモノ下に
設けられた「一穴クルーン」が、連チャンを誘発する仕様だ。

昭和期からハネモノにも定評のあった、老舗メーカーの平和。
他社がデジタル式連チャンで騒がれた当時、老舗の矜持から、
ハネモノ本来の「アナログ的なゲーム性」を希求しながら、
多くのファンが好んだ連チャン性も強く意識したのだろう。


通常、ハネモノといえば、1チャッカー(オトシ)、2チャッカー(ヘソ)
どちらでも、入賞してハネが開いて玉を拾えば、V入賞のチャンスがある。
(機種によっては、1チャッカー経由のV入賞率が、低いものもあるが)
だが、本機はそうした普通のハネモノとは、明らかに一線を画した。

本機の場合、左右オトシを経由してVに入る可能性は、ほぼ皆無だ。
V獲得の為には、ヤクモノ真下のクルーンを介して、センターのヘソに
入れる必要があった。上の画像の黒矢印部分は、クルーンの入口と出口。
当然、入口付近の釘調整(特に風車上の二本釘)は、非常に重要だった。

左右オトシに入ると、ハネが0.7秒開放。この時、ヤクモノ下段手前の
「JUMP」と書かれた上部から、二匹の鮭が顔を出す。この「ペア鮭」は、
ヤクモノ上段から落ちた玉を、下段ステージ中央に開いたV穴へと導く
「ガイド」の役割を果たす。ガイドの助けなく、Vに入れるのは困難だ。

しかし、オトシ入賞時だと、顔を出す時間が「0.4秒」と非常に短く、
ヤクモノに入った玉が下段に到達する前に、鮭は姿を隠してしまう。
即ち、1チャッカー開放時は鮭のアシストが無く、玉がVに届かない。

但し、鮭が顔を出す「0.4秒」は、ヤクモノ下のクルーンに入り易い。
なぜなら、クルーン左右にある入口(画像の黒矢印を参照)は、通常、
玉が入らないように「フタ」がしてあるが、鮭が顔を出す瞬間だけは、
鮭と連動してフタが開く為、クルーン入賞可能な状態になるからだ。

それゆえ、本機の1チャッカーは「直接大当りを狙う」のではなく、
「クルーン入賞契機」の役割を果たす。無論、オトシ入賞時は7個、
ヤクモノなら15個の賞球があり、オトシが甘いと玉持ちもアップ。

クルーンに入った玉は、しばし回転して外に出ると、
クルーン下にある、ヘソの2チャッカーへと向かう。
ボッタ釘だと、2チャッカーをハズす調整だったりしたが、
大抵、クルーンからは高確率でヘソに入る釘にしてあった。

ゲージ上、クルーンを経由しないと、ヘソ入賞の可能性は低い。
また、多くの店がゲージ外からのヘソ入賞ルートを潰していた。
だが、時には、ゲージの隙間からヘソに飛び込む「お宝台」も存在。

ヘソに入ると、ハネが0.7秒×2回開く。この時、1チャッカーと同様、
二匹の鮭がピョコンと顔を出すが、オトシ時と決定的に異なるのは、
姿を現す時間が「約2秒」と長い点。つまり、ヤクモノに入った玉が
下段に届いた時も、鮭の顔は出たままになっているのだ。その鮭が、
落下した玉をVに導く「橋渡し役」となって、高確率でVを射止めた。
即ち、ヘソ入賞後にハネが玉を拾えば、Vの期待は一気に高まった。
というか、この王道パターンしか、大当りはほぼ望めなかったが。

しかし、ヨリの悪い台は、折角クルーン経由でヘソに入っても、
ハネの空振りで絶好のチャンスを逃して、ストレスが溜まった。

なお、ヘソに入賞した時も、「鮭出現⇒クルーン入口のフタが開く」ので、
クルーン(ヘソ)に「再入賞」するチャンスだった事は、言うまでもない。




大当りすると、上段ステージの熊の手元に、玉を1個貯留。
但し、下段の鮭は顔を出さないので、各ラウンド前半は、
特にVに入り易い(継続し易い)といった事も無かった。


(熊の手元に一個貯留された状態)

ハズレ4カウント、またはハネ10回開閉後、貯留は解除される。
この時、やっと二匹の鮭が顔を出す。落下した1個の貯留玉は
鮭のアシストによってV穴に導かれる。ちゃんと貯留があれば、
継続率は高かった。貯留無しだとピンチとなるが、解除後は
鮭がずっと頭を出しているので、後続の玉にもチャンスがある。
最終ラウンドまで継続すれば、約1200個程度の出玉が望めた。
(ハズレ4カウント解除なので、それほど大量出玉とならない)
初当りがキツかった分、継続は甘めの為、途中のパンクは痛い。


さて、本機最大の「お楽しみ」は、大当り終了後にある。
それが、先述した「一穴クルーンを介した連チャン」だ。
デジタルに頼らずとも、アナログな動きで大当りが連続。
そんな香ばしいゲーム性のハネモノを送り出した平和に、
20数年越しの「賛辞」を贈りたい。

本機の連チャンシステムは、非常にシンプルである。
ヤクモノ下のクルーンは、通常フタがあり入賞不可だが、
「鮭が顔を出している間」のみ、入賞のチャンスがある。
で、大当り中の貯留解除後は、ずっと鮭が顔を出すから、
クルーンに入賞し易い状態が、ラウンド終了時まで続く。

もし、最終15ラウンドが終了する直前にクルーンに入れば、
大当り動作終了後、クルーン外に出た玉がヘソに入って、
そのハネが玉を拾えば、鮭のアシストでV入賞=連チャンとなる。
この「時間差」を利用したアナログ連こそ、大きな見せ場だった。
うまく行けば、完走⇒連チャン⇒完走を繰り返しで、短時間での
「予定終了」も可能。ツボにはまった時の爆発力は大きかった。
無論、そこでハネが空振りすれば、連チャンの好機もフイになる。


それと、最終ラウンドは、貯留解除後に鮭が顔を出す時間が長いほど、
クルーン入賞のチャンスも広がる。逆に、玉の拾いが良すぎると、すぐ
ハズレ4カウントの解除となるが、その後もヤクモノに連続入賞すれば、
ラウンド終了のタイミングが早まり、クルーンに入らないまま大当りが
終わってしまう危険性が増える。これでは、本機の醍醐味を味わえない。

これを回避すべく編み出されたのが、最終ラウンドの「止め打ち」である。
15R目は、ハズレ3カウントまで普通に打ち、3カウントで打ち出しを停止。
そのままハネの開閉を待てば、やがてハネ10回開閉による貯留解除となる。
そこで打ち出し再開すれば、ハネが18回開くまでラウンドを引っ張れるから、
チャンスタイミングを目いっぱい活かせる訳だ。この「連チャン誘発打法」、
最終Rの出玉が減るリスクはあるが、成功すればそれ以上の見返りがあった。



今思えば、本機は、他のハネモノ以上に、クギを見る力が求められた。
オトシのアキは勿論の事、ヨリの良し悪し、クルーン入口付近の調整、
さらに、ヘソ周りがボッタ調整になっていないか等…様々な角度から
釘を見極めて開放台を探す。しかも、故・田山プロが提唱したように、
「タテの比較」で釘を見比べる必要性もあった。件の「みよし」では、
ヘソ入賞後の空振り、つまり「ヨリ」に泣かされる展開が多かったと
記憶するが、正直、シマでの台選びは、かなり適当だったと思う。
もう少し台選択に注力していればと、今でも悔やまれてならない。



夏の甲子園の季節に、思い出して欲しい一台

$
0
0
  デジパチ甲子園(豊丸、デジパチ) 1993年(平成5年)に豊丸から登場した新要件デジパチ「デジパチ甲子園」... >続きを読む     2年前の過去記事だが、時節柄ピッタリの内容なので、再掲。

ごく普通のノーマルデジパチで、マッタリした出方だったが、
SPアクションの「青春の輝きリーチ」は、脳汁が出まくった。
もう一つのSP、「高速リーチ」も何気にアツかったな…。
リーチ音がフライング気味で鳴ったのは、ご愛嬌だろう。


これは余談だが、当ブログが極秘に行った「戦力分析」の結果、
今年の「夏の全国高校野球選手権大会」優勝校は、山梨県代表
「山梨学院」と出た。
(もっと早めに予想を立てておけばよかったな(汗))

他にも強豪校はひしめいているが…さて、結果はどうなるか。

 

お絵かき

$
0
0

昔懐かしいパチ屋のアイテム、「札」(ふだ)を自作してみた。

なお、使用した動物イラストは「加工自由のフリー素材」ですが、
「二次頒布は禁止」との事なので、本記事より画像を取り込んで、
勝手に販売したり、配布したり等の行為は、厳にご遠慮願います。
(まぁ、そんな事をする方は、いないと思いますが…)





ハネモノ定番の三角札。これは「甘釘」を示唆するラッキー札。
但し、ボッタ店だと、シマの全台にこれが刺さっていたり…
また、これを一発台やデジパチに刺したりする場合もあった。



90年代初頭は、女性ファンを優遇するホールが一気に増えた。
そういえば、当時どこかの攻略誌で、編集部員が「女装」して
この手のサービス台に座ろうとする、妙な企画があったっけ。


「ピンポ~ン、138番台、予定数終了、有難うございます。
係員の方、138番台、終了確認お願いします」(自動音声)
打ち止めの終了個数は、店によってさまざまだった。


夕方になると、打止終了台の開放(抽選)をする店もありました。



当時の地元店は、夕方に終了台を開放した後、この開放札に差し替えた。
また、「ラッキー台」同様、単に甘釘を示唆する札として使う店もあった。




腹が減っては戦が出来ぬが、ドル箱の盗難にはご用心。


一発台を打ち止めると、ガラスを開けて、このテの札を刺すホールもあった。



一回交換主流の時代、デジパチや権利物のシマで無定量(無制限)や
ラッキーナンバー制のルールを採用する場合、頭上やガラス盤面下に、
こうしたルールを表示した、「プレート」を用意するのが普通だった。



単純に、奇数をラッキーナンバー(継続図柄)にするホールも多かったですな。



他のシマへの玉の持ち込みや、他人に玉を譲り渡す行為、そして
持ち玉の一部交換を禁じるプレート。これも90年代の定番アイテム。




データランプが無い時代は、こんな「手めくり札」が頭上に付いていたり。
負けた腹いせに、全台の札の表示をメチャメチャにして帰る客もいたので、
この札による大当り回数の信頼度は、ハッキリ言って怪しいものだったが。



当時、地元店のデジパチシマは、「一回交換」図柄だと、この白札を頭上に刺した。


一方、持ち玉遊技OKの「継続図柄」で当たると、コチラの「黒札」が刺さった。


このタイプの連続挑戦札(継続札)も、ホールで普通に見かけましたな。
店が決めたラッキーナンバー(LN)図柄で当たると、この札を刺す。
次もLNなら札は刺さったままだが、交換ナンバー(図柄)なら外される。


当時最強だった「無制限札」。一度無制限図柄で当れば、後はどの図柄で当っても、
出玉交換の必要なし。当然、換金ギャップが大きいほど、札の持つ効果も高かった。
但し、持ち玉が尽きた瞬間、あっさり札を外されてしまったり…。


コチラは関西バージョン(無制限=ノーパンク)。「ノー〇ン喫茶」ではありません。



愛知県の某店では、当時、デジパチで大当りすると、こんな香ばしい札を刺していました。
当時放映されたパチンコ特番で見かけただけなので、この札の意味はよく判りませんが…。

有名ホール紹介「Apan777」(1991年「素敵にドキュメント」)

$
0
0

1990年代パチンコ番組レビュー

~全国有名ホール紹介~
「Apan777」(愛知県)

(1991年(平成3年)4月、テレビ朝日系情報バラエティ
「素敵にドキュメント」(MC:逸見政孝)のワンコーナー)


★ナレーション(槇大輔氏)
「自動車の町、愛知県豊田市。
ここには、市内40店舗のチェーン店を持つパチンコ店がある。
(「Apan777」の近代的な店舗が映る)
経営は「薄利多売」。少ない利益で、お客さんに出来るだけ
多く還元する方針を取っている。
「このパチンコチェーンに行けば、必ず出る」が、
ここのお客の合言葉。」
(パチスロシマで、若い店員がマイクパフォーマンス。
並ぶのは、オリンピア2-2号機「スーパーバニーガール」)



(C)テレビ朝日


(C)テレビ朝日


(C)テレビ朝日

★ナレーション
「そういったお客の言葉に応える為にも、防犯設備は完璧を期している。
(「Apan777」の総合管理室内部を紹介)
中央管理システムを取り、店内の様子は全てモニターに映し出され、
手に取るように判る仕組みになっている。ホールにいるスタッフも、
不穏な動きは見逃さない。最新技術の導入は、防犯とともに、
健全なパチンコ店の基本である。
防犯カメラは、管理室内で操作は思いのまま。
もし、何かあった時は即座に対応できる。
しかも、証拠となる写真も撮れてしまう。
(ビデオプリンターから写真が出てくる)
また、コンピューターでその時のパチンコ台の
稼働率や台の状況、変化もチェックできる。
(モニターに各台の稼働率データが表示)
勿論、異常電波や磁石にも素早く反応する。」

(店員が盤面を開けると、自動的にカメラがズームアップ。
同時に、指令室のモニターに「異常発生」の警告が出現して、
フロアにいる店員達のインカムにも指示が出る。
指令室「異常発生!!えー、ドア開放、確認お願いします。」)


(C)テレビ朝日


(C)テレビ朝日


(C)テレビ朝日


(C)テレビ朝日



★ナレーション
「お客に安心して楽しんでもらう店づくりには、
ゴト師をはじめとする不正行為は、追放しなくてはいけない。
そんな「愛されるパチンコ店」を理想としているのが、
この人、都筑順雄さん、42歳。このパチンコチェーンの総帥である。
自社のヘリコプターに乗り、日々、名古屋周辺の全店舗を視察。
従来のパチンコ店のオーナーとは、全く違うタイプである。」



(C)テレビ朝日


(C)テレビ朝日


(C)テレビ朝日



ナレーション
彼の経営方針は、今までの「汚い、うるさい」という
パチンコ店のイメージを変える為に、優秀なスタッフを育て、
さらにそのスタッフにのれん分けをして、店の数を増やすことにある。
都筑社長の夢は、パチンコファンのみならず、すべての人々に
楽しんでもらえるアミューズメント・プレイランドの確立にある。」
(「Apan777」各チェーンの店構えが、次々と映し出される。)


(C)テレビ朝日


(C)テレビ朝日


(C)テレビ朝日


(C)テレビ朝日


都築順雄さん(株式会社「善都」代表取締役)
「私たちは、お客様、そしてうちの社員たちに還元をして、
そしてまた、私たちが愛されるお店、愛される企業になる事を、
私の一つのスローガンにして、日々やっております。ええ。」


(C)テレビ朝日


ナレーション
「健全で、お客に愛されるパチンコ店を目指して、
店は今日も頑張っている。ゴト師なんかに負けるな!」
(再び、マイクパフォをする若手店員。
リーゼントに長いエリ足の香ばしい髪型)


(C)テレビ朝日


(コーナー終了)





※※「しあわせ札」に関して※※



先日アップした「しあわふ札(ふだ)」に関して、ここ最近、
同様のコメントを繰り返し投稿されてくる方がおられます。

当初は黙殺するつもりでしたが、変に誤解されるとアレなので、
本記事をアップすると共に、私なりの見解を書かせて頂きます。


先日紹介した「しあわせ札」は、1991年(平成3年)4月に
見た、こちらのパチンコ情報番組を根拠として紹介しました。
決して、「情報の裏付けなく」紹介した訳ではありません。


(C)テレビ朝日


一方、この札について、「「しあわせ札」は愛知ではなく、
岐阜県のパチンコ店で使われていた」と、指摘(?)の
コメントを何度も書いてくる方がいらっしゃいました。
しかも、私がそのコメントを一向に公開しないのを、
かなり逆恨みされているようです。

もしも、この方が「しあわせ札は、岐阜のパチンコ店でも
使われていましたよ。」と普通に情報提供してきたならば、
喜んで、その有意義なコメントを公開したことでしょう。

しかし、実際はそうでなく、「愛知県ではありません」と
繰り返し強調して、私の記事が誤りと一方的に決めつける
コメントを何度も送ってきたのです。最後はかなりキレ気味に。
私にとっては、まさに「暴言」に等しいキレ方でした。

しかし、今回の記事を読めばお判りの通り、1991年当時、
愛知県豊田市の「Apan777」チェーンの何れかの店舗で、
「しあわせ札」が店内で実際に使われていた事、そして
その模様が当時のバラエティで放映された事は明らかです。
したがって、頂いたコメントの「愛知県ではありません」は、
事実と異なります。そうである以上、ブログの信ぴょう性を
貶めるコメントとなるので、公開する訳にはいかないのです。

そもそも、全国津々浦々、無数に存在したパチンコ店で、
当時どんな札が使われていたかを100%把握する事など、
ハッキリ言って不可能でしょう。時には、ある店の独特な札を、
他店が「面白い」と思って採用する事だって、十分考えられます。
ですから、「この札は、この店も使っていたよ」「ウチの地元にも
ありました」と情報を積み重ねていく事で、より正確な90年代
パチンコ情報が築かれていくのだと思います。それを、「その札を
使っていたのは自分の地元だけ」と思い込んで、その他の情報を
頭から否定してしまうのは、如何なものでしょうか?少なくとも、
そういった一方的な知識の押し売りをする方とは、お友達に
なりたくありませんし、ブログ記事の信ぴょう性を貶めるような
コメントを、あえて公開したいとも思いません。それが、貴方のコメの
公開を拒む理由です。決して、貴方の情報(岐阜のパチ屋が「しあわせ札」を
使っていた事)それ自体を誤りと思った訳ではありません。一連のコメントから
見える貴方の「姿勢」が、私の望むものとは、全く以て違っているからです。
その辺を、どうか勘違いしないで頂きたい。「~ではないですよ」の指摘コメは、
私にとって、それ程デリケートで重みのあるものです。軽い気持ちで書かないで下さい。
意見、指摘、情報に感謝する姿勢がないような、的外れのご批判をしておられましたが、
貴方も、当方が発信する情報について、まずは尊重する姿勢を取られたら如何でしょうか。

しかし、この方から寄せられたコメの内容も、90年代パチンコ研究には
実際必要なものですので、このままムゲに扱うのも、何だか気が引けます。

そこで、この場を利用して「しあわせ札」の新たな情報として、
以下の内容を公開する事とします。

「しあわせ」札は、岐阜県羽島郡の「あづま(みなみ)」という店が、
積極的に使っていたといいます。実際、公式HPでも、店のコンセプトが
「しあわせ」となっている事が判ります。また、頂いたコメントによれば、
内装や敷地など、至るところに「しあわせ」の文字が目に付いたとのこと。
大当り札も、継続・単発に拘わらず「しあわせ」札を刺していたそうです。

ただ一つ、疑問なのは、件のパチンコ「あづま」チェーンに関してです。
私の調査では、アヅマチェーンは現在、岐阜で4店舗を展開していますが、
その中の岐南町三宅「アヅマみなみ店」は、1990年代後半まで
「パチンコミナミ」名義。一方、岐南町上印食の「アヅマぎなん店」は、
同時期「パチンコアヅマ」名義。で、これらが「アヅマチェーン」の
統一名義になったのが、2000年前後です。

では、岐阜の「しあわせ札」は、どの店舗が、いつ頃から使い始めたのか?
さらに、アヅマとミナミの関係。アヅマがミナミを吸収したのか、それとも、
元々、ミナミとアヅマは同系列店だったのか。もっといえば、「しあわせ札」の
ルーツは、アヅマかミナミかApan777か…その辺も、今後の研究材料ですな。

まぁ、こんな書き方をしてしまった以上、件のコメント主から新たなコメが
寄せられるとは考えにくいので、自分なりの「情報源」を駆使するとしますか。

以上。

フィーバーシャリオI(三共、デジパチ)と戯れた記憶

$
0
0

1990年(平成2年)秋から1991年(平成3年)にかけて、
妙にその存在が気になり、幾度も腰を下ろした台がある。
それが、三共の旧要件デジパチ「フィーバーシャリオI」。
かなりのマイナー機なので、ご存じない方も多いだろう。



フィーバーシャリオI(三共、1990年登場)
(白黒画像で申し訳ないが…)



(悔しいので「777」揃いのドラムの様子を自作。割と頑張った。)



本機との出会いは、小田急線・向ケ丘遊園駅(南口)の
「ぱちんこ遊園」(閉店)という小さな店。というか、
この店以外で、本機を打ったり見たりした記憶は無い。


「ぱちんこ遊園」は、駅南口ロータリー前の商業ビル、
「中和ビル」(現存)2Fにあった。同ビルについては、
先日、1990年当時のテナントを紹介したばかりなので、
詳細はそちらをご覧頂きたい。



ロータリー奥、遊園地モノレール乗場(廃止)傍のビル外階段を上がると、
2F入口前の踊り場に、「ぱちんこ遊園」と書かれた昭和的な縦長の看板。
黄色の裸電球が、看板の縁でピカピカと光る。それを横目にビルに入ると、
中は意外なほどに薄暗い。フロア中央のラーメン「三番」をグルリと囲む、
回廊上の通路を左に進み、突き当りを右折した左側に、装飾用のシールが
張られた、レトロ調なガラス張りの店舗。やはり昭和然とした手押しの扉
(或いは自動ドアだったかもしれないが、自分の中では手押しガラス扉の
イメージが鮮烈に残る)を開けると、短めのシマが幾列も縦に並んだ店内…
それこそが、思い出の「ぱちんこ遊園」だった。半開きの扉の隙間から、
特殊景品を差しいれる、独特な地下換金所も懐かしい。

同店は、地元のオッちゃんオバちゃん、遊園駅を利用する明治や専修の
学生らが好む、典型的な「地域密着型」のホール。店内はかなり狭いが、
機種は豊富。ハネモノ、デジパチ、権利物、一発台、チューリップ台、
パチスロと、多様なラインナップだった。理由は、パチンコシマが今でいう
「バラエティコーナー」になっていたから。「1シマ全体が1機種」ではなく、
各機種1、2台のみの「少数精鋭」。商業ビルの狭いフロアで営業する上で、
店側が編み出した「商売の知恵」であろう。

件のフィーバーシャリオも、そんなパチンコシマの一角に、2台だけ設置。
場所は、一番右側の通路。背中が壁の左列シマで、異様に通路が狭かった。
本機の隣には、同じ三共のドラムデジパチ「フィーバーレクサスV」が、
コチラも2台ひっそり並んでいた(レクサスVの初当りもこの店だった)。

実を言うと、この店のシャリオもレクサスVも、異様にクギが渋かった。
2.2円交換のLN制(一部は定量制)の割に、呆れるくらい回転数が低い。
大当り確率が「1/200」と甘い事も影響したのだろうが、酷い時など、
1000円分打って、デジタルがたったの5~6回しか回らなかったり。
(2.2円LN制でこの回りは、あまりに酷い。出玉は2500前後だった)
しかも、このシマは「万年釘」状態で、いつ行っても同じような調整。
勝ちたい時に近づくべきシマではなく、当るまで突っ込もうとすれば、
大怪我する危険もあった。また、レクサスVなら保留連が期待出来たが、
シャリオは「ド」がつくノーマル機で、深追いしても、見返りは無し。
台移動したくても、シャリオは2台しかなく、台選択の幅も狭かった。

それ故、この店でシャリオを打つ際は、必ず「3000円まで」と上限を
決めていた。いわば「運試し」(それでも、当時の自分には結構な額)。
当たろうが当るまいが、それだけ使ったら、そのシマとは「サヨナラ」。
ただ、結局は他のシマに流れ着いて、さらに傷を広げたりもしたが…。

同店で釘が渋めだったのは、デジパチ(特に、上記した三共の機種)、
一発台、そして権利物。一方、ハネモノやチューリップ台は甘めで、
安銭で終了する甘釘台、或いは遊び台などがゴロゴロしていた。

スロは北電子のレア台が置いてあり、1.5号機「ニューキャスターII」、
2-1号機「ガリバーII」、2-2号機「ガリバースペシャル」を堪能。
(3号機時代は、ノーマルの「スーパーコップ」「アポロン」を設置)
まさに「北電子博物館」。まぁ、「8枚交換」のハンデはあったが…。
私はこの店で、パチンコよりもスロットシマの方が、滞在時間は長い。
因みに、スロは3機種しかないので、バラエティ的設置ではなかった。


さて、ここまで書いて、肝心なフィーバーシャリオの特徴について、
ほとんど触れていない事に気付いた(汗)。以下、項目別に説明。


(1)機種名
「シャリオ」とは、当時生産中だった四輪自動車「三菱シャリオ」に
因んだものと思われる。ご存知の通り、かつて三共は、ドラム機に
人気の「車種」を彷彿とさせるネーミングを、好んで採用。本機も、
同じ流れを汲む。それらをまとめたのが、以下の機種名リスト。
全般的にトヨタが多いが、他社のもある。


・フィーバーエクセレント(旧) ⇒ 日産「サニーエクセレント」
・フィーバーコスモ(旧) ⇒ マツダ「コスモ」
・フィーバーロイヤル(旧) ⇒日産「プリンスロイヤル」
・フィーバークラウン(旧) ⇒ トヨタ「クラウン」
・フィーバーグランデ(旧) ⇒ トヨタ「マークⅡグランデ」
・フィーバーアバンテ(旧) ⇒ トヨタ「チェイサーアバンテ」
・フィーバーレクサス(旧) ⇒ トヨタ「レクサス」
・フィーバーシャリオ(旧) ⇒ 三菱「シャリオ」
・フィーバースピリット(旧) ⇒ 日産「ローレルスピリット」
・フィーバーアリスト(新) ⇒ トヨタ「アリスト」
・CRFウィンダム(新) ⇒ トヨタ「ウィンダム」
など
(旧)=旧要件機 (新)新要件機




(2)スタートチャッカー
本機は、一般的な「デジタル真下のヘソチャッカー」ではなく、
ハネモノでいう「両オトシとヘソ(下段中央)」の計3か所が
始動チャッカーになっていた。かなり変則的な盤面構造である。

左右オトシのゲージはハカマ釘ではなく、チャッカー上部に
バラ釘が多数打たれていて、他機種以上に釘チェックが難しい。
一方のヘソは、ハネモノ同様、チャッカー上部を三角クギがガード。
当然、コチラも正確な釘読みが必要とされた。

とはいえ、件の「ぱちんこ遊園」で、これらの始動チャッカーが
甘く調整されているのを、見た試しがない(ボーダーにも及ばず)。
当然だが、一度も当らず、シマを後にする機会も少なくなかった。

因みに、ここのシャリオもレクサスVも、いつ赴いても、先客はほぼ無し。
同じ頃、駅北口の「パーラーニューギンザ」(現「Ginza P-style」)で
FレクサスVIDのシマが活況を呈していたのとは、いかにも対照的だった。



(3)本機の顔である「ドラム」


(「777」揃いの自作イラスト、再掲)

私が「パチ道」に入った’90年当時、三共ドラム機といえば何といっても
「レクサス」シリーズがその代表格で、いずれも「5ライン機」であった。

だが、レクサスシリーズの後発である本機は、5ラインではなく、
「アバンテ」以前に同社の主流だった「1ライン機」として登場。
これも、当時の流れから見れば、かなり異色だったといえる。

ただ、レクサスから三共ドラム機に初めて縁した私にとっては、
本機のような1ラインドラムが、却って新鮮に映ったのも事実だ。

大当り図柄は、イラストにある「7」などの奇数5通り(1、3、5、7、9)。
また、本機はブランク図柄も味があり、優勝カップ、フラッグ、ヘルメット、
オイルタンク、手袋、靴、時計といったハズレ絵柄が、大当り図柄の間に
配されていた。今にして思えば、件の「三菱シャリオ」の4WDタイプが、
1984年に「ファラオラリー」に参戦、見事クラス優勝を飾っているので、
そんな「ラリー」繋がりの図柄が、ブランクとして描かれたのではないか。
(一方、盤面デザインは「宇宙」をイメージしていて、ラリーとは縁遠い)


通常時、1ラインドラムが「左⇒中⇒右」と回るが、レクサスシリーズと
異なり、左・中で数字がテンパイしても、右ドラムはスローにならず、
高速回転のままビタっと停止。この動きも、「アバンテ」以前の1ライン
ドラム機とほぼ同じである。内部を分解した事が無く断言はできないが、
恐らく、レクサスVから採用された「ステッピングモーター」ではなく、
「カム、レーザー光、透過穴」で判定を行う、旧式のドラムと思われる。
因みに、三共系の「大同」から同時期に出た「フィーバーエリート」も、
同じドラムの動きで、左中テンパイ時に右ドラムはスローにならない。



(4)アタッカー
また、本機は大当り中も、レクサスシリーズと一味も二味も違った動きを見せた。
アタッカーは盤面上(ドラム上部)にあり、レクサスのような「前開き」でなく、
水平に広がる「スライド式」だった。私は、スライドアタッカーのデジパチが
大の好みで、西陣のドット機「ラスベガス」をはじめ、三洋「パニックコスモ」
マルホン「パールセブン」など、盤面上部で水平ハネがスッと左右に開く台に、
当時ハマっていた。

独特なアタッカーの動きに魅せられたのは勿論だが、ストロークを調節すれば、
水平ハネの先端に当たった玉が、両サイドのオマケチャッカーに流れ易くなり、
ストロークが「ツボ」を突くと、出玉をガッツリ稼げる印象が強かったのだ。
まぁ、これは全てのオマケデジパチに共通の事象だが、スライドアタッカーは、
特にそう思わせる、「何か」があったのだと思う。

上部のスライドハネに拾われた玉は、1ラインドラム真下に設けられた
メイン入賞口に落下。その入賞口の中央が、丁度Vゾーンになっていた。
これも一風変わった構造で、レクサスの定番アタッカーとは対照的だった。
大同「フィーバーエリート」も同じ構造。コチラは本機の兄弟機といえよう。


(5)連チャン性
レクサスシリーズは、朝一単発回し、或いは通常時の単発回しで、
大当り後の保留連が期待できた。また、保留全点灯⇒全消化で、
最後の保留で当った場合、全保留が連チャンするチャンスだった。

一方、シャリオに仕込みの連チャン性は認められず、「確率甘めのノーマル機」
に過ぎなかった。私も「ぱちんこ遊園」で幾度も大当りしたが、保1~保4で
連チャンした経験は皆無。大抵は単発の当りを引いて、即交換していた。また、
運良く継続図柄で当たっても、上皿の玉を打ち込んだら、サッサと引いていた。
故に、本機では大勝ちも無いが、大負けも無い。



まぁ、勝ち易い条件では打っておらず、トータル収支もマイナスだったと思うが、
こうした「まにあっく」なマイナー機と、付き合う機会があっただけでも有り難い。
今後、どなたか奇特な方が、実機動画でもアップして下さらないものか…。
(私自身は、シャリオに関する情報を、こうして残しただけで満足だが)



※コメント欄の取り扱いについて(新規投稿の方はご一読を)


CRフルーツパッション(大一、CR権利物)

$
0
0

※わんこさん、ご指摘有難うございます。完全にボケてました(滝汗)。
該当箇所は修正しました。また何か見つけたら「コッソリ」教えて下さい。




(池袋「サードステージ」にて撮影)



1996年(平成8年)に大一商会から登場した
CR権利モノ「CRフルーツパッション」



昭和チックで味わい深い7セグは、平成初期の連チャン一般電役の名機
「フルーツパンチ」と、知る人ぞ知るCR権利モノ「CRエキゾチック」譲り。
スルーチャッカーと電チュー、貯留ヤクモノでデジタルを回すシステムは、
爆裂権利モノ「ダイナマイト」、後継機「ラッキーボーイ」の流れを汲む。
(CRエキゾチックも、同じシステムだった)
大一が過去に送り出した名機達の「良い所どり」をしたような台。
それが、今回紹介する「CRフルーツパッション」である。


大一「フルーツパンチ」(1991、一般電役)


大一「CRエキゾチック」(1993年、CR権利物)


大一「ダイナマイト」(1992年、権利物)


大一「ラッキーボーイ」(1993年、権利物)


当時のCR権利物では、三洋の「CRギンギラパラダイス」(1995)が
圧倒的な勢力を保っていたが、負けず劣らずのヒットを飛ばした本機。
後に、新セル版「CRパイナップルボンバー」として再販される人気ぶりだった。
また、2000年以降、本機をしぶとく残し続ける、みなし機設置店も多かった。

大当りの出玉は多いが、小当りはショボい(この仕組みも、CRエキゾチックや
ダイナマイト、ラッキーボーイ譲り)。しかも、確変は大当りのみで、小当りは
「端役、悪役」(この点はダイナマイト等と異なり、CRエキゾチックに近い)。
しかも、大・小の振り分けは、純粋に1/2の「丁半バクチ」。確変連チャンで
ドル箱を積み上げるか、小当り連続でドツボにハマるかは、当人のヒキ次第。
判り易くも両極端なゲーム性が、打ち手の心をガッツリ捉えて離さなかった。

目に見える釘を読んでも、外から見えぬ設定の不安や、50%のヒキに頼る危うさ。
だが、こうした「必然・偶然の織り成すドラマ」も、パチンコの持つ魅力である。
ファンに長らく支持された本機は、90年代に生まれた「名機」の一つといえよう。



★賞球…5&15

★デジタル当選率(3段階の設定付き)
通常時
・設定1=1/65
・設定2=1/71
・設定3=1/77
確変時(通常時の10倍アップ)
・設定1=1/6.5
・設定2=1/7.1
・設定3=1/7.7

※内部プログラム上、デジタルの当選判定に続いて
「大当りor小当り」の振り分けを専用カウンターで
行う仕組み(大小振り分け率は各50%)。よって、
上の数値は、大・小当りを合算した確率である。
実質的には、大当り確率、小当り確率ともに、
1/130~1/154。小当りは出玉が極端に少ない為、
「甘い確率」と安心していると、痛い目に合う。
勿論、シマデータから「初当りが多い=設定1」と
推測して立ち回る方法も、非常に有効となった。


★3桁の7セグデジタル採用(赤、緑の2色)

★デジタル停止順…左⇒右⇒中(但し、同時停止もあり)

★図柄
・左右デジタル…1、3、5、7、9、F(赤のみ)の6図柄
・中デジタル…1、3、5、7、9、F(赤・緑を交互に配置)と、
0(赤、ハズレ図柄)の13図柄

★大当り…赤の3つ揃い(計6通り)


★小当り…左右赤ゾロ目+中のみ緑の色違い(計6通り)


★出玉…大当り=約2300個 小当り=約140個

★確変機能搭載
・大当り=次回まで確変(ループ有り)
・小当り=単発(確変終了)

★確変突入率&継続率=1/2

★ゲームの流れ

(1)左肩スルー通過で、デジタル下の電チューが0.5秒開放
   
名機「ダイナマイト」(後継機ラッキーボーイ)を踏襲した
スルー(左)及び電チュー(右)。電チュー開放時の独特な
効果音も、ダイナマイト譲りの「ホワホワ」サウンド。但し、
電チュー、デジタル、ヤクモノの位置関係には違いがある。

(2)電チューに入賞した玉は、真下のヤクモノに入る。

下段回転体の真上で、電チューから落下した玉を一時貯留。
回転体は、メインデジタル停止後、一時貯留玉をV穴(右)
又はOUT穴(左)に送る「権利発生用ヤクモノ」。やはり
ダイナマイトの流れを汲むが、「電チューに拾われれば、必ず
デジタルが回る」点が、エレベーターヤクモノで「空振り」も
あったダイナマイトとは、大きく異なる。

(3)一時貯留センサーが玉を感知すると、メインデジタルが変動開始。

・デジタルの当否、大小振り分けの内部判定は、センサー感知時に行う。
(スルー通過の瞬間や、電チューを通過した瞬間ではない)
・デジタルがハズレの場合、一時貯留解除⇒回転体落下⇒
左のOUT穴に送られて、ハズレとなる。
・デジタルが大当りor小当りで停止した場合、回転体経由で
右のV穴に入って、権利発生。デジタルさえ揃ってしまえば、
パンクの危険は無い。

(4)権利発生後は、右打ちに切替える。

 
・盤面右中段の回転体(左)と、真下のアタッカー(右)の
連動で出玉を稼ぐ。
・大当りは16R(2300個)、小当たりは1R(140個)。
・アタッカー開放時間は、約9.5秒or10カウント。

(5)小当り後は通常状態に戻るが、大当り後は確変突入。
大当り後、再び通常打ちに戻して、メインデジタルを回す。
確変中はデジタル確率10倍アップ。設定差はあるが当り易い。
また、電チュー開放時間も約3秒に延長、玉持ちも良い。
デジタルが大当りor小当りで揃ったら、再び右打ちで消化。


★リーチアクション

デジタル停止順は、基本「左⇒右⇒中」。但し、同時停止もアリ(後述)。
左右デジタルに6図柄づつしかない為、リーチ発生率は非常に高い。
(但し、プログラム内のリーチ判定法は、意外に複雑(割愛))
リーチは「ノーマル、高速、高速再始動、ノーマル再始動、同時停止」の計5通り。
どのリーチでも、大当り、小当りの可能性アリ(同時停止は確変大当りのみ⇒後述)。
また、確変中もリーチは省略されない。

・ノーマル…左右テンパイ後、中デジがスロー回転でスクロール。信頼度は
約3.5%(設定差アリ)と低いが、出現率が高いので、結構当る印象がある。

・高速…左右テンパイ後、中デジが高速回転で変動後、いきなり停止。
信頼度約5%だが、大、小当りの可能性アリ。ノーマルの次に出現率高。

・高速再始動…高速から発展。ハズレ図柄で一旦停止後、再始動して
スロー変動。最後は大当り、小当りかその前後1コマで停止。信頼度は
約33%とアップするものの、その分、出現率は低い。

・ノーマル再始動…ノーマルから発展。中デジが一旦ハズレ後、再始動から
「高速変動⇒一旦停止」を最大6回繰り返す。この中デジ停止パターンには
法則があって、「1回目=大当りー1コマ、2回目=大当り、3回目=小当り、
4回目=小当り+1コマ、5回目=小当り、6回目=大当り」と進む。よって、
2、6回目で止まれば大当り、3、5回目で止まれば小当り。4回目を過ぎると、
小当り以上が確定。なお、1回目で終わる事は無い。信頼度約38%のアツい
リーチだが、出現率は高速再始動よりも低い。

・同時停止(ビタ停止)…デジタル変動後、全デジタルがいきなり同時停止。
赤ゾロ目(確変)で大当りする際の「1/16」でしか選ばれないレアリーチ。
必ず確変が揃う嬉しいアクションだが、当然ながら、出現率は非常に低い。


★当時、CRフルーツパッションを実戦したホール
(2000年以降も、スロ勝負後の「損失補てん」で本機をよく打った)


(1)小田急線・新百合ヶ丘駅北口「ダイヤモンド」(旧「ベル」)(閉店)

新規導入の頃、本機をメインで打った店。近くで立地の良いライバル店が
営業していた為、釘やサービスは案外と良かった。一発台タイプの普通機
「ミサイル7-7-6D」(大同)、ハネモノ「ファインプレー」(マルホン)
などでも、オイシイ思いをした。「ベル」時代には、春夏秋冬(西陣)や
綱取物語(平和)で、開店1時間、何度も電源切りOKのタイムサービスを
やっていた。そういえばスロ4号機の頃、どの台でもビッグを1回引く毎に
スタンプを貰えて、スタンプカードが一杯になると「エルビス」(IGT)の
設定6が打てるという、太っ腹なサービスをやっていた事もある。美人で
愛想のよい、セクシー女優(←今風)の庄司みゆきに似たカウンター係の
満面の笑みが、今も心にグッサリと刺さっている。彼女、元気かな…。
(C)Google
跡地は立派なマンションに(「新百合ヶ丘駅入口」交差点の前)


(2)小田急線・向ヶ丘遊園駅(南口)「バンバン向ヶ丘店」(現存)

ここは、1Fに再販の「パイナップルボンバー」を設置。
シマは客付イマイチだったが、そこそこ回る台もあった。
同フロアのハネモノ「ファインプレー」の釘も甘かった。
上階の沖スロシマは、シオサイ、ティーダ、キンバリー等、
実に香ばしいラインナップ(すべてノーマル)。登戸駅前
「スロットハトヤ」のハイシオやハナハナの常連だった
年齢不詳のヒゲ親父と、ここのシマでもよく鉢合わせた。
人がハマる度にアレコレ講釈たれてたが、大きなお世話です。
(C)Google

(3)小田急線・下北沢駅「カレイド下北」(現存)

地下で、サンダーV、ハナビ、ビーマックスと対峙した頃だから、
1Fで本機と付き合ったのは、1998年頃。CRモンスターハウス、
CRジャマイカも、同じ1Fにあった。意外と勝率は良かったな。
学生時代、地下でムサシ(パイオニア)やドリームセブン(高砂)、
ワイルドキャッツ(アークテクニコ)と戯れたのも思い出深い。
(C)Google


(4)地下鉄・四谷三丁目駅「ザ・リボン」(閉店)

沖スロ「シオサイ30」(パイオニア)目当てに通った時期、
シオサイ(怪しい出方だったな…)で調子が悪かったりすると、
本機のシマに出向いた(返り討ちにもあったが)。
当時、ハウスカード「ナスカ」(清算可能)を導入していた。
元々、リボンは90年代前半の学生時分、夕方のバイトまでの
空き時間を過ごした、思い入れタップリの店。高砂2-2号機
「スーパーウィンクル」で、チェリーとビスカスのアツさを
堪能したのも、まさにこの店だった。
(C)Google
(元の建物は既に無く、高層ビルが建っている)


(5)JR新宿駅・西口ガード「カレイド新宿」(現存)

先程の「カレイド下北」と同系列。本機を打ったのは地下フロア。
確か、有り金4万ほど突っ込んで、小当りオンリーで一度も大当り
せず撃沈したのがここだった。ただ、それから何日か後、奥村の
3回権利物「スーパーカブキ3」を打って大勝、リベンジを果たす。
マッタリしたい時は、2Fでチューリップ台(平台)の名機、平和
「ジェットコースター」に座り、チマチマと持ち玉を増減させた。
そうそう、ビルが建つ前、同じ場所で営業していた「ニューミヤコ」
というレトロなパチ屋でも、チューリップ台で色々と遊ばせて貰ったな。
当時の設置はタッチダウン、ハイパーボール、トリプルパワー(全て三共)。
(C)Google



(6)地下鉄・赤坂見附駅前「エスパス日拓赤坂B館」(閉店)

地階の沖スロ(ハイビ、ハイシオ、シオラー)と、2Fの25Φオアシス
目当てに通った。本機は1Fだったが、イベントで甘釘の時などに重宝。
沖スロフロアには天井付きのTVが置いてあって、ハマリに入った時は、
巨人戦を見ながら惰性で回してたっけ。

(C)Google
閉店。現在はカラオケ店に。


★★その他の実戦ホール
・JR武蔵溝ノ口駅「ライジングサン」(閉店。店が入っていた「中興8ビル」は現存)
⇒カブトの爆裂Verも置いてあった。

・JR新宿駅西口「アラジン」(現存)
⇒新台のホロQを2Fで打った頃。2000年頃。本機は1Fで実戦。

・JR成瀬駅「ジャンジャン本店」(閉店。跡地はツルハドラッグ⇒閉店⇒某医療施設)
⇒パイナップルボンバー設置。屋上に「自由の女神」。駅前の「PART2」にも通った。

・JR町田駅「スーパースター」(閉店。現在は「エルグラン町田」)
⇒1Fでチョイチョイ勝たせて貰った記憶アリ。2Fにはタンゴブラザーと
ツインサーファーの「香ばしい」Verが置いてあった。2000年頃。

・東急・二子玉川駅「ゴールド」(現存)
⇒シオラー30メインの頃。2002年頃。本機で快勝の記憶無し(汗)。
「未練打ち」というヤツで、シオラーの狙い台が不発だったときに、
少しでも取り返そうとして座ったが、大抵は負け額を増やした。
ただ、シオラーの方は大勝ち機会も多かった。当時、この店は
オリジナルHPで、全台の前日ボーナス回数やスランプグラフを
公開していた為、翌日の狙いが絞り易かった。当時ホームだった
町田「さくら屋」でシオラーが回収に入ると、よくここまで遠征。

パチンコ風雲録(1990年ドラマ、主演:西川弘志)

$
0
0

90年代・パチンコドラマレビュー


「パチンコ風雲録」(ぱちんこ・ふううんろく)



(C)関西テレビ放送


★関西テレビ放送・深夜ドラマ「DRAMADAS(ドラマダス)」枠
(関西エリアで放映。関東在住者には馴染み薄いかも。
私自身も関東だが、運良く、映像が手に入ったクチだ)

★1990年(平成2年)12月放映(全5回)

★製作:関西テレビ放送 プルミエ・インターナショナル

★脚本:大隅充

★監督:田中重幸

★主なキャスト

本多明日也(あすや):西川弘志  ※後にVシネ「新パチンコ物語」でも主演
若宮今日子:森川さくら  ※元・オールナイターズ
鯛雷月(たい・らいげつ):武発史郎
喜納(きのう):松永久仁彦
常連客の保険屋、野崎:津村鷹志
常連客の角刈りオヤジ:殺陣剛太
常連客のメガネ老婆:花原照子
常連客の女(スナック勤務)エリカ:野田善子  ※現「野田よしこ」名義
ビデオ屋の店長:アイデン・ヤマンラール  ※故人
パチンコ屋の店長:峰のぼる  ※現「峯のぼる」名義
パチンコ屋の店員:斉藤勉
警察官:斉藤勝
体感器を使う若者:岩本宗規  ※ドラマ「スクールウォーズ」の内田(弟)役

※明日也=「明日」、今日子=「今日」、喜納=「昨日」、
雷月=「来月」と、役名にシャレが利いていて面白い。


★その他の出演者
淵野直幸、矢野明仁、林路子、頓田文子、
中川圭永子、たかのひろこ、青松かおり

★マンガ:たい しんいち
(ドラマの節々で、漫画による回想シーンアリ。作者の詳細不明)

★撮影協力
(関西の番組だが、ロケ地は全て東京)

・東京アナウンス学院(明日也が通う予備校や、今日子が通う大学の教室)
・東京日の丸(メインロケ地のパチ屋=「パチンコ日の丸・荏原中延店」)
・奥村遊機(ドラマを通して使われたメイン機種は、名機「ドリームX」)
・パチンコ専門高等技術学院(かのクエタ(久恵多勝利)氏が主宰した、パチンコ専門学校)

奥村「ドリームX」


★ストーリー(ネタバレあり)













本多明日也(西川)は大学合格を目指す受験生だが、目下二浪中。
大阪から上京後、予備校通いの日々。そんな日頃のストレスから、
CD屋で万引きをしてしまい、交番で警察官に説教を食らう始末。

気分転換にレンタルビデオ屋へ赴いた明日也は、怪しい作品と出合う。
タイトルは「荒野のカイウン牧場」。それを手にカウンターへ行くと、
ヒゲを蓄えた初老の外国人店員が「スカッとしますよ、スカッと」と、
笑みを浮かべる。

明日也が自宅に戻りビデオを再生すると、先程のヒゲ店員が登場。
「このビデオは運命を変える。数字の7が明るい未来を約束する。
奇跡が起きる」の台詞に、明日也は半信半疑ながらも気になる。

その効果か、明日也は中学の美術部時代に好きだった今日子(森川)と、
電車内で偶然に出会う。彼女は東都大の学生で、今は上京して明日也の
自宅近くに住んでいた。ただ、彼女には付き合っている男性がいる様子。

一方、ビデオで言われた「7」に拘る明日也は、模試のマークシートを全て
7番で埋めたり、当り付き自販機で7番目を買ったりするが、巧くいかない。
それどころか、以前よくタカられた悪友の喜納(松永)とバッタリ再会。
「タカリの喜納」と悪名高かった彼に、なけなしの1万円を奪われる。
しかも、それが明日也にとっては、通算「7回目」のタカリだった。

「ロクなもんやない。あのインチキビデオ!」と嘆く明日也だが、道端に
一発のパチンコ玉が落ちているのを見つけて、もしやと思いパチ屋に赴く。
やはり「7」番台で打ち始めるも、小銭しかなく、あっという間にオケラ。

その帰り際、さっき拾った玉がポケットに残っているのに気づき、
ダメ元で上皿に乗せハンドルを捻ると、その一発で777の大当り。
玉切れでパンクしかけるが、隣にいた角刈りオヤジ(殺陣)が
玉を貸してくれて事なきを得る。オヤジの情報だと、その台は
3日間、誰が打っても当らず、もう14~5万は入っているという。

その反動か、明日也の台は大当りを続け、瞬く間に保留4連チャン。
(「カルテット=4回連続フィーバー」のテロップ。自分は「フォース」と呼んだが)
常連から羨望の視線を浴びて、久々に訪れた幸運に夢心地の明日也。
これもビデオのお陰と、「奇跡、奇跡、開運、奇跡」と何度も呟く。

大勝ちに浮かれる明日也だが、今日子に意外な「お願い」をされる。
彼氏との間に子供ができてしまったが、その男が全く取り合わぬ為、
中絶する為、夫を装って産婦人科に付き添ってほしいというのだ。
他ならぬ今日子の頼みで承諾した明日也だが、内心は忸怩たる思いだった。

そんな心のモヤモヤを晴らすべく、再びパチ屋に出向いた明日也。
例の「7番台」が、100円で即フィーバー。相変わらずの好調ぶり。
順調にドル箱を重ねる明日也。そこへ、カウボーイ風の男が登場。
さすらいのパチプロ、鯛雷月(武発)である。旅先で一稼ぎして、
久々に東京へ戻って来たのだった。着席後、すぐ大当りする雷月。
「早打ちの雷月」の仇名は伊達ではなかった。やがて、明日也と
雷月の「出玉対決」の様相に。角刈りオヤジ、ツキに見放された
保険屋の野崎(津山)、メガネ老婆(花原)といった常連客も、
どちらが勝つか興味津々。予想の賭けまでしている。

途中までは明日也が圧倒的に優勢だったが、雷月が得意の
「単発回し※」に切り替えると、流れが変わる。出目を読み、
タイミングよくチャッカーに入れると、次から次へ大当り。
あっという間に明日也を抜き去って、雷月が見事に勝利する。
帰り際、雷月は明日也に「パチンカーの心得第一条。まずは
相手の手を読むこと」とアドバイス。頷くしかない明日也。

※「ミラクル単発回し」のテロップ。野崎が「今の台じゃ、
単発回しは、もう通用しないんじゃなかった?」というと、
角刈りオヤジが「いや、雷月はデジタルの目を読んでるよ。
新しい攻略法だ」と、したり顔で解説。言うまでも無いが、
パチンコドラマならではの「架空ネタ」である。
(ドリームXで単発回し攻略は利かない)

そこへ、今日子が店に入ってくる。しかも、あの喜納と一緒に。
今日子を孕ませた彼というのは、憎き「タカリの喜納」だった。
動揺した明日也は、手元のドル箱を床にひっくり返してしまう。

諸々あったが今日も大勝。換金所で万札の束を受け取る明日也。
そこで喜納とバッタリ出くわす。手元の札束を見てタカろうと
する喜納だが、角刈りオヤジの反撃に遭い、あっさり退散する。
そんな明日也の前に現れた雷月。「パチンカーの心得、第二条。
勝ち金は人に見せないこと」と、手厳しく忠告。

今日子と喜納の関係を知り、ガックリ落ち込む明日也だったが、
今日子自身、無責任で軽薄な喜納が、あまり好きではなかった。
明日也は、そんな今日子から東京タワーのデートに誘われる。
OKの返事をした明日也は、その前に一稼ぎしようとホールへ直行。
今日も、得意の7番台で777の大当りを出すと、角刈りオヤジから
「パチプロ」とおだてられる。オヤジにどの台が出るか聞かれて、
自分の予想台を教えると、見事に的中。それを見ていた保険屋や
老婆も、明日也から出そうな台を教えて貰うのだった。

そこへ、美脚の美女、エリカ(野田)が入店してくる。彼女は、
明日也が捨てた台に座ると、あっという間に大当り。オカマを
掘られた明日也が気落ち気味に台を替わると、さらにその台も
ハイエナするエリカ。当然の如く大当りを決める。ムカついて
エリカの隣に座った明日也は、勝ち金で買った高級腕時計を
かけて、彼女との出玉対決に挑む。

そんな明日也の傍に雷月がやってきて、「パチンカーの心得
第三条、目には目を」と一言。「ハイエナされたら、やり返せ」
の意味にとらえた明日也は、エリカが捨てた台にすかさず移動。
見事「333」の大当り。だが、運悪くVに玉が寄らずパンクする。
「ロクなもんやない」と悔しがる明日也だが、雷月の反応は違った。
「あの兄さん、勝ったぜ」とエリカに告げる。すると、エリカも
「3カウントパンクで、最初の回り目が「334」だったの?」と、
驚いて尋ねる。雷月が「そうだ」というと、エリカは悔しそうに
「地獄のパンク返し…」と呟く(テロップ付き)。そう、偶然にも
明日也の台は、連続で大当りが来る「10万分の1」の攻略条件を
満たしたのだった(註:これも、ドラマならではの架空ネタ)。

その後、連チャンに次ぐ連チャンで、エリカを圧倒する明日也。
だが、今日子とのデートをすっぽかしたことに気づき、大焦り。
翌日、今日子に謝罪するが、今日子は「絶交よ!」と怒り心頭。
何時電話しても留守で、連絡のつかない明日也が歯がゆかった。

一方、保険屋の野崎は相変わらず絶不調で、給料袋の万札を
両替する度に吸い取られている。サラ金の取り立てもキツく、
ボコボコにやられては、懐の十字架を握りしめて耐える日々。
雷月の部屋に赴いた明日也が、そんな野崎の様子を伝えると、
「典型的な負け組だ」と突き放す。そんな折、雷月と同棲中の
エリカが焼くお好み焼きが「関西風」だと気付いた明日也は、
彼女が18歳まで大阪にいた事を知る。彼女の上京の理由は、
東京に出て行って行方知れずになった、バクチ好きな父の
行方を捜す為。だが、その父親も既に他界してしまった。
以来、故郷の大阪には一度も戻っていないという。

明日也が部屋を出てパチ屋に出向くと、一人の小太りな若者が
爆連させて、箱を積んでいる。その若者と出玉勝負を行う事に。
だが、彼が賭けの品で出してきたのが、何と「カイウン牧場」の
ビデオだった。この若者も、例のビデオでツキが回って来たのか…。
思わぬ強敵出現に、焦る明日也。いつもと違って大当りも来ない。
終始、圧倒的な力の差を見せつけられて、大差で敗れた明日也。
様子を見に来た雷月が、「パチンカーの心得第四条、ツキの悪い時や、
釘を絞っている時は、やらないこと」と助言するが、時すでに遅し。
ところが、爆出しした若者は、体感器を隠していたのが見つかって、
店員に連行されてしまう。敵の反則で、何とか敗北を免れた明日也。

だが、彼の心は、次第にパチンコから離れていく。勝負しても、
虚しさだけが残る。雷月は「虚しいが、救いもあるんだぜ」と
アドバイスするが、ピンとこない。そんな明日也は、雷月の部屋で
漫画用の道具を見つける。聞けば、雷月の昔の商売道具だという。
明日也は、自分が好きな漫画で、雷月が以前に喰っていた事に驚く。
そして、押入れには古いパチンコ台が。「それは、名機さ」と雷月。
かつて、彼を虜にした平和のヒコーキ台「ゼロタイガー」であった。
そして、エリカと今日子が「実の姉妹」だと、偶然知った明日也は、
「妹と会わないのか」と彼女に問うと、「自分は父の生き写し。
放浪癖は治らへん」と、七年ぶりの姉妹の再会を頑なに拒む。

一方、今日子は喜納にしつこく付きまとわれるが、「私には
本多明日也という好きな人がいる」とキッパリ断る。そして、
明日也の留守電に、自分が好きなら大学祭に来てくれるよう、
メッセージを残す。それを聞いた明日也は、もう一度ツキが
戻ってくるよう、例の「カイウン」ビデオを観るが、ヒゲの曰く
「数字の「9」を見てしまうと、今までのツキは全部落ちる」。

明日也は、エリカと旅に出る事になった雷月から、漫画用の
ロットリングペンを置き土産に貰う。その足で、パチンコと
ケジメをつける為に、「これで最後や」と一人勝負を挑む。
見事、速攻で大当りを決めるが、その背後には喜納の姿が。
今日子を取られ逆恨みした喜納に挑発されて、パチンコ勝負。
無論、賭けるのは今日子。だが、明日也は絶不調。一方の喜納は、
明日也の部屋で見た「カイウン牧場」の効果で、絶好調だった。
ようやく明日也も大当りさせるが、運を落としてしまう「999」。
これで明日也の負け…と思いきや、シマ全体がビカビカ光りだし、
無人の台が777で一斉に大当たり。見ると、例の体感器の若者が。
狂気じみた顔で「スリーセブンのウィルスを仕掛けた!」と笑う。
取り乱した喜納は、「バカヤロー」と台のガラスをかち割る。一方、
明日也は、腹を決めたかのようにスッと立ち上がると、店を後にする。

明日也が向かったのは、今日子が待つ、大学祭の模擬店だった。
入店して「ダブルパスタ一つ」と注文すると、今日子は涙ぐんで、
「高いのよ。手間かかったし、貧乏浪人生じゃ買えないのよ」と返す。
さらに続けて、「心配ばっかりさせて、電話の返事もくれないし、
デートはすっぽかすし。ごきげんようの一言くらい言ったらどう?」
と、半ベソをかいて明日也を問い糺す。

明日也は「浪人はヤメた。ごきげんよう。美術学校に願書出した。ごきげんよう。
今日子ちゃん。昔から好きやった。そやから、そやから、ごきげんよう」と、
彼女に大きな封筒を手渡す。中には「パチンコ純情伝」と書かれた漫画の原画。
主人公は明日也。ヒロインは今日子だ。明日也は「俺、漫画家になる」と宣言。
すると、封筒からコロッとパチンコ玉が落ちる。キーンと跳ねる銀玉を見つめる二人。
その瞬間、エンディングテーマが流れて、スタッフロールに切り替わる。

 


もう一度打ちたい台、「ポコリン」(尚球社(現・岡崎産業)、4号機)

$
0
0



1997年(平成9年)に尚球社(現・岡崎産業)から
登場した「ポコリン」(Aタイプ4号機)


★ボーナス確率表




★払い出し表






当時、小田急線・向ケ丘遊園駅(北口)「ギンザスター」という小さなホールの
2Fで、たまーに本機と遊んだ。ただ、それ程打ち込んでいない為、大勝や大負けの
記憶は無い。ビッグを何度か引っ掛けて飲まれたとか、バケのみ引いて終了とか、
そんな感じで「遊んだ」だけ。それでも、あのタヌキは妙に記憶に刺さった。

シマ(階段を上がってすぐ目の前、左端のシマ)は閑散とした印象だったが、
短時間でワッと出て、箱積みする客もたまに見かけたので、ひょっとしたら
「アレ」なヤツだったかもしれない(以下、自重)。そういえば、2F右端で
別時期打った「リズムボーイズマスター」も、どう見ても「アレ」だったな。
他にも、「アレ」な台は少なくなかったと記憶するが…(以下、自重)。

因みに、2号機時代はビッグパルサー、3号機はコンチIにペガサス412、
初期4号機はザンガスI、ニューパルサーなどを打ち込んだ記憶が残る。
藤商事アレンジ一発台「シャトル21」の初打ち、初当り⇒即パンもここ。
その後、アレキングやエキサイト等、連チャンアレパチのシマにも通った。
ルーキーパステル、パーラーキング、ラプソディ等、西陣台も思い出深い。
傍の狭い定食屋「石川屋」(閉店、跡地はキッチン南海)のカツカレーが美味かった。
(白い割烹着で、シブい表情のまま、黙々とカウンターで働くオヤジさんが懐かしい)


当時の「ギンザスター」
本機と同時期、1Fに平和の権利物「ホー助くん」や、
大同の一発型普通機「ミサイル7-7-6D」など設置。
(かつては1Fも2Fもエラく狭かったが、後に1Fを拡張)
 

(C)Google
現在も「Ginza U-style」として営業を続ける。



97年秋に登場。モチーフ的に、同年リリースの先行機「ピギー」の流れを汲む。
ピギー(集中付きAタイプ)は、西洋童話「3匹の子豚」がテーマだが、本機は、
同じ童話でも、日本の昔話「かちかち山」がモチーフ。下パネルには、背中に
火をつけられて逃げ惑うタヌキと、火打石を持って調子づくウサギの姿がある。

但し、筐体イラストやリプレイ図柄には、可愛い「緑の小ダヌキ」もおり、
「かちかち山」のみがテーマではなく、童謡「げんこつ山のタヌキさん」も
取り入れている感じだ(緑のたぬきは即席麺も意識か)。下パネルで苦悶の
表情を浮かべる悪ダヌキの傍で、小ダヌキ達がにこやかに笑っていたりして、
意外とシュールな構図になっている事に気づく。




因みに、本機の後発機「ゴクウ」は、中国の「西遊記」がモチーフである。
西洋⇒日本⇒中国の3代で、同社の「童話(寓話)シリーズ」は、一応完結。


リーチ目は、ジャックポットシリーズお馴染みのリプレイハズレや、
アドベンチャー等を彷彿とさせる単チェリー(払い出し無)。但し、
ボーナスで挟まなくても単チェならOKで、左中リール二確目もアリ。
また、ボーナス図柄の一直線型や逆L字型なども、リーチ目となった。
(中リールのチェリーや、中・右のキノコが代用図柄となるケースも)

さらに特徴的なのが、左中でチェリーがテンパイし、右リールのみリプレイの
「変則6枚役」。この「チェリ・チェリ・リプ」が揃うと、「ポコポコッ」と
タヌキの腹づつみのような「脱力系」サウンドが鳴る。通常6枚は「鈴」だが、
ボーナス成立後は、コチラの変則役が揃う。一般的なリーチ目に加えて、この
「音によるフラグ察知」も、本機の大きな特性といえた。


また、意外と技術介入性も高く、ビッグ中にリプレイハズシを使えば、
+15枚程度の上積みが期待できた。本機は、中段リプレイテンパイを
外せない配列だが、逆押しすれば、制御によって中段テンパイしない。
これを利用して、逆押しで12枚役(3連チェリー)をキッチリ取りつつ、
上・下段受けのジャックインを左でかわせば、獲得枚数がアップした。

当時は、コンドルやコンテスト、タコスロ、レッツ、ゲッタマ等、
ユニバ系が技術介入機の代表だったが、このテの「隠れ介入機」も
意外に多かった。何気にボーナス確率も甘いし(ノーマル前提)、
もっと積極的に打つべきだったかな。ただ、当時の活動エリアでは、
本機の設置は非常に少なかったのだ。



余談だが、本機のビッグ図柄は「赤7」と「タヌキ(青)」の2種類。
一方、レギュラー図柄は「ウサギ」の1種類。よく見ると、赤7には
「目玉、葉っぱ、尻尾」があり、「タヌキが化けた」ものだと判る。
即ち、ビッグは両方「タヌキ」だ。まぁ、タヌキ台なので当然だが、
私は何か違和感も覚える。「かちかち山」のストーリーを振り返れば、
その理由をお判り頂けるだろうか。

童話「かちかち山」のタヌキは、善良な老婆を酷い目に合わせた上、
その夫のお爺さんも騙すという、何とも酷い奴だ。一方、その仇を
打つべく、タヌキを徹底的に懲らしめたのが、ウサギである。即ち、
物語の真の主役はウサギであり、タヌキは「仇役、悪役」といえる。
悪役がメインのビッグ図柄に据えられて、正義漢のウサギがバケに
追いやられるのは、「勧善懲悪」の観点からも、どうも腑に落ちない。

だが、たとえ悪役でも、ストーリーの鍵はタヌキが握っている以上、
タヌキを「実質的な主役」と見て、何らおかしく無いともいえよう。
また、先述の通り、本機は「かちかち山」ではなく、あくまでも
「ポコリン」であり、「かちかち山」+「げんこつ山の狸さん」の
融合とも取れるから、そんなタヌキの「愛嬌ある一面」を重視して
ビッグ図柄に採用しても問題なし、と判断した可能性はあろう。

さらにいうと、尚球社の童話シリーズが「ピギー」「ポコリン」
「ゴクウ」と3代続いた事は先述したが、「悪役がビッグ図柄」
というのは、3機種全てに共通する。ピギーは、主役である
「3匹の子豚図柄」(一匹がグラサン、一匹がリボン付きという
コミカルな組み合わせ)と、「赤7」「オオカミ」の3図柄がビッグ。
ご存知の通り、オオカミは子豚を食べようと狙う敵役ではあるが、
しっかりとビッグ図柄の一翼を担っていた。

また、西遊記がテーマの「ゴクウ」も、主役の「孫悟空」に加えて、
「赤7」と敵役「銀角※」の計3図柄がビッグである。してみれば、
本機もまた、「悪役=ビッグ」の流れを継承していたといえよう。

ただ、かちかち山の「正義の象徴」ウサギの処遇について、もう少し
考えてあげても良かったのでは、と思う。まぁ、今更感タップリだが。

※本機の後続機「ゴクウ」のビッグ図柄(銀角)について

「ゴクウ」の敵役の正体については、上パネルのイラストから
おおよその察しが付く。悟空が小脇に抱えた「ひょうたん」で、
敵を吸い込む様子から、その正体が「銀角」と推測できるのだ。
(「西遊記」原作における、有名なエピソードの場面そのもの)
なお、銀角とコンビを組んだ悪役の「金角」も、やはり悟空に
吸い込まれるが、コチラはひょうたんでなく「水瓶」である。

因みに、「金角・銀角」といえば、かつて「パチンコ必勝ガイド」で
猛威を振るった、個性強烈なライターとイラストレーターのコンビ名
としても知られる(西原理恵子女史とのコラボも、大変面白かった)。
読者投稿ページの「パチバカ天国と地獄」で有名。また、破天荒な
エピソード等を語る「世界探求・学術漫画」(〇〇とパチンコ)や、
「パチンコハーレム96丁目」といった、巻末漫画も人気を博した。
また、「パチスロ必勝ガイド」でも、「インディアンのふんどし」
という毒舌会話調のコラムや、「うたまろ」「東京きんたま野郎」
「パリジェンヌ」などの架空4号機をパロディタップリに紹介する、
「ニューマシン必笑ガイド」を担当。その才能を存分に発揮した。
さらに、必勝ガイドの兄弟誌「ルーキーズ」では、二人が全国の
香ばしいホールや名物(食事、名所)を紹介して回る旅打ち企画、
「世界旅打ち紀行・5つ星ホールを探せ!!」も連載された。
90年代白夜系各誌を賑わせた、稀有な存在だった事は間違いない。
(コンビ解消後、金角氏は「ゲッツ板谷」名義で活動を継続)

ジャックポットIIA(尚球社(現・岡崎産業)、4号機)

$
0
0



1994年(平成6年)に尚球社(現・岡崎産業)から登場した、
改修4-1号機(Aタイプ)「ジャックポットIIA」を振り返る。


岡崎産業の代名詞的存在、「ジャックポット」シリーズの源流。
もっと正確に言えば、その源流の「改修バージョン」が本機だ。


(赤7揃い)
ボーナス図柄テンパイ時は、独特のテンパイ音が鳴る。
ビッグの香ばしいファンファーレ(赤7、BAR共通)は、
後続マシンに受け継がれた。ビッグのサウンドはどこか
チープなゲーム音楽っぽくて楽しかった。脱力系のストップ音や、
妖艶なウェイト音など、聴覚的にもジワジワくるものがあった。


1993年(平成5年)秋、同社の記念すべき4号機第1弾「ジャックポットII」が
満を持してリリースされたが、翌94年2月に「フルウェイト、ストップボタン
即止め(連打)」(小役、ボーナス確率アップ)のネタが発覚。攻略プロ達の
恰好の餌食になってしまった為、急きょ、本機に改修された経緯がある。


無論、対策プログラム搭載機だが、ボーナス確率は改修前と同じ。
しかし、対策前は一般客も有利な抽選条件になる場合があった為
(「フルウェイト、ボタン連打」の早打ちスタイルなら、偶然に
確率アップの攻略条件を満たす)、対策版の本機では必然的に
機械割も下がる。その分、設定を甘くした店もあったようだが…。

なお、本機の兄弟機に、ボーナス確率や小役確率の異なる4-2号機
「ジャックポットIIIA」(1994年)が存在。パネルはオレンジ。
BR確率は「IIA」より甘めだが、その分、小役払い出し率が低い。
また、7、BAR、リプレイ(コイン)のカラーリングも変更された。
赤7の色味が濃くなった一方で、BARは緑がかった感じになった。



★当時の実戦ホール

新宿・東南口「メトロ」(現「メトロ会館」)など

(当時のメトロ)

(C)Google
(現在の「メトロ会館」)


本機は設置が多く、当時の実戦経験も様々だが、ここでの実戦も印象深い。
「メトロ」は、2号機時代からずっとお世話になった、思い出の店である。
(朝早くに着き過ぎると、2Fの喫茶「珈琲西武」(現存)で時間潰し)

本機も、改修前の「ジャックポットII」の頃から、チョイチョイ実戦。
1Fの隅っこ(通路狭い)と、2F(コチラも狭かった)がスロのフロア。
2号機、3号機の時代は、1Fがほぼ「ユニバ系」で占められており、
唯一、パチンコフロアの一角に、2号機スーバニを1シマ置いていた。
一方の2Fは、ビッグバンやセブンボンバーが、窮屈そうに並んだ。

初期4号機の頃も同じ流れだったが、ある時、3号機コンチIIIが
入っていた1Fの奥側2シマが、本機とまるまる入れ替えになった。
(同時期、2Fのセブンボンバーも消え、4号機ザンガスIを導入)

「この店の1Fでは、ユニバ系しか打てない」と常々思っていたから、
「毛色」の異なる本機を目にして、興味深く着席したのを思い出す。
(つまり、本機の初打ちもこの店だった)

ただ、私は一般ファンなので、フルウェイト&ボタン即押し(連打)の
攻略ネタを雑誌で知った時は、下パネルの証紙に「IIA」と書いてあり、
既に対策改修された後であった。今思えば、ある時期に箱を積む輩が
妙に増えた気がしたが、そんな攻略が存在したとは気付かなかった。

だが、攻略の恩恵を受けずとも、本機には大いに楽しませて貰った。
シンプルで秀逸なリーチ目群。出玉の波も意外と荒い。それでいて、
ノマレ間際にボーナスが掛かり易い、「しぶとさ」もあったと思う。
また、便利なMAXベット(3号機ミラクルから続く同社のウリ)や、
広く使い勝手の良いコイン投入口など、ハード的な長所も多かった。
そんな魅力にハマっていた私は、改修後も、相変わらず打ち続けた。



★ボーナス確率





★払い出し表


※通常時、JAC(リプレイではない)と聖火(トーチ)は共通フラグ(15枚)
※ビッグ時、JAC、聖火、ヨットは全て共通フラグ(7枚)
※ジャックゲーム中、JACがセンターラインに並ぶと15枚の払い出し



★リーチ目(3枚掛け、順押し)

本機は「完全告知機※」ではない為、リーチ目で「入り」を判断する。
但し、山佐「ニューパルサー」のように、あまり複雑なものではなく、
シンプルな出目が主体(私が好んだのも、まさにシンプルだったから)。

なお、本機に「小デジ告知」や「音告知」の類は存在しない。
(「キュイキュイキュイン」と腰の浮く金属的な告知音+
小デジタルが回る「スーパージャックポット」世代には、
やや意外な事実かもしれないが…)

告知音はないが、ボーナステンパイ時は、テンパイ音が鳴り続ける。
これは、2-2号機チャレンジマンAZ、3-1号機ミラクル、そして
3-2号機チャレンジマン7と、代々の機種から受け継がれた演出だ。

※(参考)「完全告知機」に関して
’92~’93年にリリースされた初期4号機は、チェリーバー、ベガスガール、
(クラブ)トロピカーナ、ソレックス(2)、ザンガスI、オリエンタルII、
ロイヤルタカシーRTなど、多くが4号機で認められた「ボーナス告知機能」を
採用。一方、本機やニューパルサーのように、リーチ目主体の4号機は
少数だった。だが、そのニューパルがグイグイと設置を伸ばすにつれて、
他社もリーチ目メインの新台4号機で対抗。「イヴX」(メーシー)や
「フリッパー3」(ユニバーサル販売)なども、初期アルゼ系4号機の
単純明快な「フラッシュ告知」から、山佐を意識して「リーチ目型」に
路線変更した事が窺える。

因みに、告知ランプ付きの台でも、モーニングサービスを入れる店だと、
ランプを断線、無効にしてしまうのが普通だった。但し、ザンガスIや
ロイヤルタカシーRTなど、音告知がゲーム性の肝だと、断線したり
音を切ったりせず、モーニングの仕込みがバレぬよう、朝イチ全台の
電源を予め落としておいて、客が着席してコインを千円分買ってから、
電源を入れる手法をとったりした。そこで初めて告知音が鳴るので、
客は「モーニング台に座った」と気付く。結構、アツイ瞬間だった。
(参考、ここまで)


おっと、肝心なリーチ目についての説明を忘れそうになった。
具体的には、以下の(A)~(D)が、典型的リーチ目となる。
(台やシマに貼られた「リーチ目表」に載っていた形も多いが、
一部、リーチ目表に載っていないものも含む)
また、(E)の大スベリについても、何気にアツかった。

因みに、変則押しすると、簡単に下記のリーチ目が出てしまう。
意地の悪い輩は、ヤメる時に変則押しで「ガセ目」を作ったりした。


(A)リプレイテンパイハズレ

(1)

左・中でリプレイがテンパイして、右ハズレなら鉄板目。
全ライン有効。ジャックポットシリーズ「定番」の形は、
ここからスタート(3号機以前は、リプレイ自体無いが)

(2)

特に、中段テンパイは2リール確定である。
これも、今やすっかりお馴染みとなった。


(B)ボーナス図柄の一直線型

(1)

ビッグ又はバケを否定する「ボーナス一直線の並び」は、
ライン、組み合わせ不問でOK。但し、以下の例外アリ。

(2)

左チェリー付きBARからの一直線は、右が
スベリを伴わないと、信頼度が下がる。


(C)左・中ボーナス図柄+右コインの並び

(1)

コチラもライン不問で有効。但し、大きな例外が2つ。

(2)

右リールのコインが、BARの3コマ手前(上の形では枠上BAR)だとNG。
当時も、ドキッとして枠上を覗き込んでは「ガックリ」の連続であった。
他ラインだと、次プレイを回した瞬間に「BARが近いか遠いか」で判断。

(3)

また、左「7・JAC・BAR」から、ボーナスが中段で
クロステンパイした場合、右のコインの下が赤7だと
NGとなる。ボーナス一直線を避けた結果、ガセ出現。
但し、クロステンパイ以外の形は、枠下が赤7でもOK。


(D)小役の平行トリプル・ダブルテンパイ

制御上、BR非成立時の小役は「平行トリプル(ダブル)テンパイ」にならない。
よって、以下の小役複合テンパイは、全て「2リール確定」のリーチ目となる。

(1)
(a)                

(b)

当時、大好物だった「トリプルテンパイ」。正確には「赤7と小役のトリプルテンパイ」。
強引に目押しで狙っても止まってくれない(当然)。で、不意を突かれて「ポン」と降臨。

(2)

コチラは、正真正銘「小役」のトリプルテンパイ。
美麗な二確目だが、中段リプテン(二確)とカブる目。

(4)
(a)                

(b)

(c)

トリテン以外でも、小役が「平行ダブルテンパイ」すれば入り。
(c)の形は左上段がチェリーでもOK (但し、BR成立後)。
上段に赤7がテンパれば、上記(1)-(b)のトリテンとなる。

(5)

こちらは小役Wテンパイの例外。「平行テンパイ」ではないので、
BR非成立の15枚時にも出現。但し、右で15枚がハズれれば入り。


(E)「スベリ」によるボーナス察知


ボーナス図柄が「ズルリッ」と激しいスベリを伴って
止まる事がある。チェリーを蹴っただけのスベリなら
アツく無いが、チェリー以外で4コマスベれば激アツ。
上例は、15枚(聖火)と7枚(ヨット)を嫌った4コマスベリ。
中段に15枚のJACがあるが、同一フラグである聖火を蹴った
4コマスベリだから、ほぼBR確定。

基本、左大スベリ時は、左枠内の何れかの小役が揃うが、
それがハズレた時点で、「入り」の可能性が高くなる。
(A)~(D)で列挙した典型的リーチ目の他、こうした
リールのスベリによって、フラグ判別できるケースもあった。




(ビッグボーナス時)

制御及び配列上、ビッグ中のリプレイハズシは不可。
但し、メインの7枚役確率が「約1/1.75」と高い。
また、ジャックインも「1/3」と高めだが、必ず6枚の払い出しを伴う。
平均獲得枚数は約380枚となるが、小役のヒキ次第では、400枚越えも
狙えた。ハズシ不可の機種にしては、そこそこ取れた方だと思う。

素顔のままで

$
0
0

歌手の中森明菜(51)が今年12月、東京や大阪、名古屋など
全国の7都市で「ディナーショー」を行うことになったという。

80年代のアイドル全盛期に青春時代を過ごした私からすれば、
こういう「復活」のニュースを耳にすると、大変嬉しく思う。

特に、彼女の場合、これまで様々な紆余曲折があっただけに、
「再び脚光を浴びて欲しい…」と、常々思っていたところだ。

(参考)
私がアイドルに一番ハマった1985年(当時中1~中2)、
世の男性諸氏を虜にした、人気アイドル一覧(抜粋)

中森明菜、松田聖子、河合奈保子、小泉今日子、菊池桃子、早見優、
岡田有希子、石川秀美、松本伊代、柏原芳恵、堀ちえみ、薬師丸ひろ子、
石川ひとみ、岩崎良美、荻野目洋子、斉藤由貴、中山美穂、本田美奈子、
浅香唯 武田久美子、伊藤麻衣子、辻沢杏子、橋本美加子 など

(個人的には「歌」なら中森明菜、「歌+グラビア」だと
河合奈保子に、もっぱら傾倒していた。近頃、河合奈保子の
人気が再燃しているとのこと。大変喜ばしい限りである。)


そういえば、一昨年の大晦日、「明菜、紅白で復活」の報せに接して、
こんな記事も書いた(新曲「Rojo-Tierra」で12年ぶりに紅白復帰)。

その時に、彼女が1990年代、女優としても活躍していた頃の作品で、
「素顔のままで(1992)」という人気の月9ドラマがあったと紹介した。
(安田成美と中森明菜のダブル主演で話題に)

特に、第4話「「気づかぬ想い」では、明菜演じるダンサーの月島カンナが、
彼女に想いを馳せる沢田拓郎(的場浩司)とパチンコを打つ場面があり、
当ブログ的に触れない訳にはいかなかった。
(ロケ地は、高田馬場「東陽会館」(現・TOYO104))


(C)フジテレビ


(C)フジテレビ

で、その映像を久々に見返した訳だが、以前気付かなかった、
ある興味深い事実を発見したので、皆さんに報告したい。

それが、コチラの場面である。


(C)フジテレビ

パチで調子よく出して、ドル箱一杯をジェットカウンターで流したカンナ(中森)が、
お菓子やビール、CDなど、景品をあれこれ物色する場面。これも、当時の東陽会館の
景品コーナーで撮影されたもの。

で、この一連のシーンをよく観察すると、カンナの背後で、トイレットペーパーや
ティッシュの箱、缶詰など持ちきれない程の景品を抱え、フラフラ・アタフタする、
帽子をかぶった作業員風の男性が、何度も映っている事に気づく。

これまで「単なるエキストラの人か」と思ってスルーしていたが、よく見ると、
米米CLUBのボーカル、石井竜也(カールスモーキー石井)その人なのである。

誰もが知る「ビッグネーム」の石井さんが、こんな見逃しそうなワンシーンで、
コミカルな端役でチャッカリ映り込んでいるとは、今まで全く気づかなかった。

だが、このネタ、当時のファンの間では、けっこう有名な話だったらしい。
石井氏はじめ「米米」のメンバーが、第4話の様々な場面でエキストラ出演を
果たしたとするネット情報は、意外に多い。また、出演者紹介のテロップでも、
その事実が確認できる。

(C)フジテレビ

なお、今更言うまでもないが、本ドラマと米米CLUBの関係については、
主題歌「君がいるだけで」と、挿入歌「愛してる」を彼らが歌っている。

という事で、上記パチンコ絡みの香ばしいシーンに、意外な「大物」が
エキストラ出演している事が判明した。さらに、そのパチ屋でマイク
パフォーマンスを行う従業員役を、米米メンバーの「リョージ」氏が
演じたとする情報もあるが、件の映像を見ても、同一人物かどうか私には
判断できないので、一応「そういう情報もアリ」としておく。


それからもう一点、明菜演じるカンナが持つ「景品」にも、注目して頂きたい。
彼女が抱えるのは、森永のスナック菓子「おっとっと」のジャンボサイズである。
(パチ屋の景品で、このテの「ジャンボ菓子」と出会う機会は、意外と多かった)

では、なぜこのシーン、わざわざ「おっとっと」が目立つように映しているのか?

こういう場合にありがちなパターンは、スポンサーである企業の商品を、
宣伝を兼ねてドラマに登場させる事であろう。1996年のパチンコドラマ
「グッドラック」(松本明子)を例にとれば、松本演じる鈴子(りんこ)と
メーカー営業マンの祐二(原田龍二)が、舞台であるパチ屋「飛鳥球殿」の
事務所で初遭遇する場面で、祐二が「ファイブミニ」をグイッと飲み干すが、
この商品を製造する大塚製薬は、当時のドラマスポンサーに名を連ねている。

だが、「素顔のままで」の当時の番組スポンサーを調べてみたところ、
「メナード」「P&G」「エステー化学」「日立製作所」「サントリー」
「キッコーマン」となっており、森永製菓はスポンサーに入っていない。
(キッコーマンのCMには、主演の安田成美も出演)

よって、「スポンサー」絡みの線は消える。ならば、現場の景品棚に
たまたま並んだ「ジャンボおっとっと」を物珍しく思ったスタッフが、
「絵になるから」と、カンナに持たせようと思いついたのだろうか?

そんな風に思いを巡らせていたら、ある重要な事実に気が付いた。

本作が放映された1992年、森永「おっとっと」のテレビCMに出演していた
芸能人は、誰だったか?そう、お笑いタレント「とんねるず」の二人である。
(昭和期から、長年「おっとっと」のCMに出演していた事で知られる)

そして、明菜と共にドラマの主演を務めた安田成美は、当時、とんねるずの
木梨憲武と交際中であった。1990年、写真誌に交際をすっぱ抜かれて以降、
二人の関係は芸能関係者のみならず、多くの人が気づいていたハズである。
(交際のきっかけは、両者が初共演した映画「そろばんずく」(1986))

つまり、安田と木梨の交際を「祝福的」に暗示すべく、現場スタッフが
「とんねるず=木梨」を連想させる「おっとっと」を、わざとカンナに
持たせたのではないだろうか?

無論、東陽会館の景品棚にたまたま置かれていた可能性もあるが、
それでも、他の景品でなく敢えて「おっとっと」を選んだ背景に、
そんな意味合いが込められていたのでは…と推測する次第である。
(なお、安田と木梨は、本作放映から2年後の1994年に結婚)


そんな訳で、「90年代ドラマとパチンコ」の当ブログの研究成果に、
また新たな1ページが追加された。今後も、さらなる調査を続ける。

 

意味もなく、90年代名作ドラマのワンシーンにツッコんでみる

$
0
0


(C)TBS


「愛はどうだ」
(TBS、1992年4月~6月放映。金曜22時ドラマ枠)

(主な出演者)

緒形拳、清水美砂、つみきみほ、渋谷琴乃、伊東ゆかり、
渡辺えり子※、伊原剛志、福山雅治、羽野晶紀、常盤貴子
※現在は「渡辺えり」名義


玩具会社の苦情処理課長を務める三崎修一(緒形)は、妻に先立たれた身だが、
彼には、あやめ(清水)、かなえ(つみき)、さなえ(渋谷)という三人の娘がいた。
妻亡きあと、男手一つで年頃の三姉妹を育てる格好の修一だが、頑固な割に、
家事全般は長女あやめに頼りっきり。自身は部下や愛人など、周りの女性に
ちょっかいを出す、お気楽な毎日。そのクセ、娘達の交際関係にはうるさい。

あやめは結婚適齢期で彼もいるが、残される家族の事を思うと、なかなか
決心がつかない。次女かなえは、活発で頭の回転も速い派遣社員。だが、
職場の男性関係で問題も抱えたりする。三女さなえは、いつもマイペースで
勘も良く、クールな現実志向の女子高生だが、亡き母への想いは人一倍強い。

そんな個性的な三姉妹と父親の家族模様などを、ドラマチックかつ
繊細に描いた秀作である。ブレイク前の福山雅治や常盤貴子も出演。
(1998年には、二人が主演のドラマ「めぐり逢い」が同局で放映)

緒形拳(故人)、清水美沙、渡辺えり子、伊東ゆかりといった
実力派俳優の表現力の高さは、まさに文句のつけようがない。
また、個人的に「櫻の園」以来のファンであったつみきみほも、
微妙な感情に揺れ動く、次女かなえを好演している。さらに、
三女・さなえを演じた渋谷琴乃もチャーミングで、若手とは
思えぬ演技力を随所に見せていた。

あやめの恋人、喜一を演じるのは伊原剛志。かなえと付き合う
矢沢(福山)は、修一の直属の部下。当時は若手だった二人も、
今や誰もが認める、存在感タップリの名優に成長を遂げた。
なお、福山が歌う「Good Night」は、ドラマ挿入歌に使われた。
(主題歌(エンディング曲)は)辛島美登里「あなたは知らない」)

但し、今回は、この名作の「とあるシーン」に、特に意味もなく
ツッコミを入れてみた。気分を害したファンの方、御免なさいね。




第10話「思いがけない事実」
(1992年6月19日(金)OA)

すれ違いを重ねつつも、ようやく意中のあやめと結婚して、
新婚旅行から戻って来た、新郎の本村喜一(伊原)。目下、
あやめの実家で彼女の家族と同居中。何かと肩身は狭い。

ある日曜の午前中、喜一はリビングのソファーでのんびり
将棋番組を観戦していた。そこに、三女さなえがやってきて、
いきなり「こんなの、どこが面白いのよォ!」と遮ると、
チャンネルを変えようとする。だが、将棋好きの喜一は、
頑としてリモコンを渡さない。裏番組の「アッコにおまかせ」
(TBS)を見たいさなえは、父・修一に泣きつく。可愛い娘に
せがまれる修一も、新たな家族関係を笑って見守るしかない。


…まぁ、ごくありふれた日常のワンシーンといえるが、映像を
まにあっくに観察したら、こんなツッコミを入れたくなった。
クダラないツッコミで申し訳ないが、少々お付き合い下さい。



喜一が観ているTVの将棋番組は、実は架空のものではなく、
日曜の定番、「NHK杯テレビ将棋トーナメント」の映像だ。
(今さら白状すると、私は昔から将棋の大ファンである。
そういえば、故・田山幸憲プロも将棋をこよなく愛した。)

僅か数十秒のカットだが、対局中の盤面や解説のシーンが
チラチラ映っている。惜しくも対局者の顔は出てこないが、
大盤(現在の局面を確認・解説する盤面ボード)を見ると、
後手番が「中川」の表記。中川大輔五段(当時)だと判る。

一方、先手番の名前は不鮮明だが、一瞬見える盤面(先手が
四間飛車※。後手は左美濃で△3一角の「引き角戦法」)から
当時の対局記録をチェックしたところ、1992年5月4日放映
(ドラマOA日の1か月ちょっと前)、第42回NHK杯1回戦、
「森安正幸六段VS中川五段」(いずれも当時)の対局と判明。
さりげなく、リアリティやディテールに拘った場面といえよう。
(無論、リアルタイムではなく録画映像を使ったのだろう。)

※当時の記録では、三間飛車から四間飛車に振り直している。


さらに、映像の局面が、後手の中川五段が36手目に「△86歩」と
飛車先の歩を突っかけた、「開戦」の局面である事も確認できた。
将棋通の喜一にとって、見逃せない「重要局面」である事は確かだ。

なお、当日の解説は淡路仁茂八段(当時)、聞き手(司会)は
谷川治恵女流三段(当時)。両者の姿は、映像でも確認できる。

実際の対局は、136手で後手の中川五段が見事に勝利を収めたが、
私が気になったのは、この一連のシーンでの「時間設定」である。

「アッコにおまかせ」(日曜午前11:45~OA)を見たいと盛んに
主張するさなえの台詞から、現在時刻は「正午前後」と推測できる。
実際、チラリと映るリビングの時計の針は「11:55」を示しており、
この点については、しっかり整合性が取れている。

だが、件の将棋トーナメントの局面は、まだ「36手目」である。
将棋に詳しい方や、番組をいつもご覧の方ならお判りだろうが、
136手で決着する対局の36手目は、明らかに「序盤」なのだ。
当時のNHK杯は、日曜の「午前10時20分~11時59分」放映。
序盤の局面なら、大抵「10時台後半~11時台前半」辺りになる。

仮に、リビングの時計が示す「11時55分」であれば、既に対局は
終了していて、対局者と解説者とを交えた「感想戦」が行われて
いる時間であろう(時間目いっぱいまで、熱戦が続く事もあるが)。
いずれにせよ、放送終了ギリギリのタイミングで、序盤36手目の
局面であるハズは無く、明らかに「時間的整合性」に欠けるのだ。


せっかくリアリティを追求したシーンなのだから、喜一が観ている
NHK将棋トーナメントの映像も、ちゃんと11:55で中川、森安の
両氏が、熱心に局後の検討を行う場面を流して欲しかったなぁ…と、
今回24年越しに、重箱の隅の隅を突くが如き、無意味なツッコミを
入れさせて貰った。まぁ、ドラマそのものは素晴らしい出来なので、
皆さんも機会があったら、件のシーンを含めて、是非ご覧下さいね。

オークス2(三星、一般電役)

$
0
0

1996年(平成8年)に三星(現・サンセイR&D)から登場した
一般電役「オークス2」を振り返る。


「オークス」と言えば、3歳※牝馬女王を決めるG1レース。競馬絡みの機種名では、
過去、京楽「ダービー」や平和「ダービー物語」など、「ダービー」(3歳牡馬
チャンピオンを決めるGI)の語が用いられていたが、こうした各機種に対抗する
ニュアンスもあったのではないか。
※本機のリリース当時は「4歳」表記


★現金機(一般電役)
★競馬がモチーフ
★3桁ドットデジタル
★賞球…7&15
★大当り確率…1/181
★デジタル停止順…左⇒右⇒中
★大当たり図柄…0~9、馬、カップ、騎手の各三つ揃い
(計13通り)
★出玉…約2400個(但し、小デジハズレや電チュー空振りで減少)
★大当り中にデジタルが揃えば連チャンで出玉上乗せ。
(連チャンタイミングが遅いほど、出玉も増える)


初代セル



新セル



1997年(平成9年)には、再販用の新セルが「ウインズ」名義で登場。
同時期の三星は、やはり再販用の焼き直し機種として、「モーモーズ」
(トリプルキングの新セル)や「ウェスタン」(機種名は変更なし。
セルのみ変更)もリリースしている。






「ドットデジタル」でお馴染みのメーカーといえば、ソルジャー、
びっくりマン、ファンキードクターなど香ばしい機種をリリース
してきた、マルホンが思い浮かぶ。

無論、旧要件「ニコちゃんクラブ2号店」「ダービー」「ダービー2」、
新要件機「ダービー3」「居酒屋」など、シンプルかつ味わい深い
ドットマトリクスでファンを魅了した、京楽も忘れてはならない。

さらに、名機「ドリームX」はじめ「ローリングセブン」「マーブルX」
「ドリームEX」「パラダイス3」「リバティ」「ドリームジャンボ」など、
多くのドットデジパチを世に送り出して来た、奥村も挙げねばなるまい。

このように、90年代ドット物はあまた存在するが、上記の各メーカーに
負けず劣らず「三星」もまた、数々のドットデジタル台を登場させた。


※参考…三星が90年代に製造した、主なドットデジタル機種(50音順)

(デジパチ)
ウエーブ、ウエスタン、オールマイティー、カーニバル、国盗伝説(II)、
コットンクラブ、サンバード、CR出世街道II(⇒後にCRああサラリーマン)、
出世街道Ⅱ、スーパードーム、ダブルセブンS1(S3)、チャンプ、
トロピカル、メガデス、ユニオンジャックS3、ワンワンセブンS1   (権利物、一般電役)
アンニンドウフ、オークス2、ガリバー、ガンバ 、けんりくん2(3)、
ショウロンポウ2、スクランブル、登龍伝説、ビッグバロン、フーリガン、
魔界伝説、無錫旅情、ルンバ


上記の「三星ドット物」の中でも、とりわけ多くのファンを魅了して、
設置を伸ばした人気機種といえば、やはりこの「オークス2」だろう。
同じくファンの多かった「ナナシー」(豊丸)と当時「双璧」をなした、
90年代一般電役の「名機」の一つといえる。


自分のテリトリーでも、現金機メインの店だと、ざっとフロアを見回せば、
とりあえず本機かナナシーの何れかが、シマの一角に並んでいたものだ。
(無論、両方置く店も存在したが)


当時の実戦店を挙げると、百合ヶ丘駅北口「パーラー百合丘」(現「ユアーズ」)、
向ケ丘遊園駅南口「プラザ」(後に「ハトヤ向ヶ丘店」。現在は「TSUTAYA」)、
登戸駅前「ハトヤ」(現存)など。小田急沿線での実戦機会がとりわけ多い。
また、JR横浜線・成瀬駅「ジャンジャンパート2」(現存)、日比谷ガード脇
「ポオル」(閉店)でも、頻繁に対峙した時期がある。末期まで設置を続ける
「みなし機設置店」が多かったのも、本機の際立った特徴といえよう。


個人的にドット好きな事もあるが、大当り確率が「1/181」と良心的で、
「回せば、一度くらいは当たってくれそう」と期待するところがあって、
積極的に勝負していた。実際、安ゼニで当る事も多く、デジタル物の割に
「財布に優しい」印象。無論、ハマる時はハマるから、見切りも必要だが。
甘いスペック故に、ヘソを絞った辛い調整の台に遭遇する事も多かった。
特に、爆裂4号機の頃は、フロアの隅っこに本機を追いやり、ガチガチの
ヘソ調整で放置しておくような、何とも残念なホールが散見された。


それはともかく、本機のシマに足繁く通ってしまった最大の要因は、
やはり、「デジタルアクション、演出の秀逸さ」に尽きるだろう。


「左⇒右⇒中」で止まるデジタルは、緑の蹄鉄に囲まれた「0~9」の赤数字に、
「馬、カップ、騎手」の各絵柄の計13通り。これらの三つ揃いで大当りとなる。

競馬がテーマなだけあって、デジタル回転音は「テッテケテッテ、テケテケ~」と
テンポ良く軽快なリズムで、耳にも残り易いサウンドだった。


基本的に、左右デジタルは、スローに切り替わった後、2コマ先で停止。
つまり、右がスローになった瞬間、左に対してー2コマなら、リーチ確定。
このシンプルな「リーチ先読み」も、通常時に飽きが来ないポイントだった。


但し、この動きはあくまで基本であり、本機には大きな「例外」として、
デジタルの「スベリ」アクションも存在。スローで止まるかと思いきや、
「キュイーン」と甲高い効果音が鳴り、左デジや右デジがスベって停止。
(スベる時は、左右どちらかに限定。両方スベる事は無い)

スベリ発生時は、必ずリーチが掛かる。両デジタルの差が「ー2」でなくとも、
右がスベればリーチが掛かったので、常にリーチの期待感が持てた。


さらに、スベリとリーチ図柄、リーチアクションには、ある種の
相関関係があって、「100%当たる鉄板の組合わせ」が存在した。
これが、一度味わうとクセになる感じで、本機の大きな魅力だった。

そういえば、故・田山幸憲プロも、用賀C店(クローバー)で本機を
頻繁に打った時期があって、確定アクションのくだりもよく出てきた。

「左が滑って、ドキッ。8のリーチがかかった。よって、結果を見る
前からイタダキ(パチプロ日記VIII、平成10年5月4日の項)」など。

また、当時の日記を紐解くと、C店が「リーチ表」(鉄板アクションや
各リーチの信頼度などを紹介)をシマに出していた事も書いてある。
(パチプロ日記VII、平成9年8月18日の項)
なお、当時のC店のオークス2のルールは「枠ランプ3・5・7で無制限」。


(リーチアクションについて)

・ノーマルリーチ
左右テンパイ後、中デジがリーチ図柄―5コマからスローで
スクロールを開始。スベリ無しだとあまり期待できないが、
当たる事も。左か右でスベれば、期待度は一気にアップ。

・クルクルリーチ
ノーマルから発展。リーチ図柄+1コマの地点で「チャンスリーチ」の声。
左右デジタルがクルクル横回転しながら、中デジはコマ送りでスクロール。
やはり、左右スベリが無いとハズレが多いが、無くても当たる可能性アリ。
外れる時は、大当りの1コマ手前で外れる。

・カウントダウンリーチ
ノーマルから発展。リーチ図柄+6コマ(-7コマ)で中デジが一旦停止。
以後、高速変動⇒停止を繰り返し、+5コマ⇒+4コマと大当りに接近。
最後は大当りか1コマ先(カウントダウンなので-1コマ)で停止。但し、
スベリ発生時は突入しない。戻り、再始動のアクションも無し。

・応援リーチ
リーチ図柄+1コマの位置で「チャンスリーチ」の音声(クルクルと同じ)。
その後、コマ送りスクロールの合間に、スタンドで応援する観客や、直線で
追い込みをかける競走馬のカットが交互に入って、徐々に大当りに近づく。
ほぼ大当り確定の激アツパターン。個人的に、応援リーチを外した記憶無し。
だが、スベリ無しの場合、プログラム上は「ハズレ」となるケースも存在。
(各図柄とも、リーチ時1/392の確率)


(鉄板で大当りとなるパターン)

・左スベリ⇒クルクル(図柄不問)
・右スベリ⇒クルクル(図柄不問)
・左スベリ⇒応援(図柄不問)
・右スベリ⇒応援(図柄不問)
・1、3、5、7、9、カップ(奇数系図柄)⇒左スベリ(リーチ不問)
・1、3、5、7、9、カップ(奇数系図柄)⇒右スベリ(リーチ不問)
・0、2、4、6、8、馬、騎手(偶数系図柄)⇒カウントダウン
・0、4、8、騎手(偶数系図柄A)⇒左スベリ(リーチ不問)
・2、6、馬(偶数系図柄B)⇒右スベリ(リーチ不問)
・「戻り」or「再始動」アクション発生(ノーマルorクルクル)
・大当り中にリーチアクション発生(図柄、リーチ不問)


(註)脳汁が出る瞬間など
★左or右スベリでのリーチは、「チャンスリーチ」の声が出た瞬間、
大当りが確定(⇒「スベリ+クルクル」も「スベリ+応援」も鉄板)
★「スベリ無し」の応援リーチも高確率で当るが、どの図柄も
「1/392」でハズれる事があるので、鉄板アクションではない。
★左がスベッた時、奇数系図柄か偶数系図柄Aが止まれば、鉄板。
★左に偶数系が止まったら、右がスベった瞬間に大当り確定。
★偶数系のリーチは、カウントダウン発展時に大当りが確定。
★スベリ時のハズレは+1コマ。他の位置で止まれば再始動。
★クルクルハズレは―1コマ。他の位置で止まれば再始動。
★リーチハズレ時、馬が両手を上げて「Oh!No」のコミカルな
ポーズを取るが、外れた瞬間、馬がいなないて中デジ再始動で、
大当り確定。再始動する瞬間、シブい表情の馬が笑顔に変わり、
両手もガッツポーズの形に。なお、再始動も戻りもノーマルか
クルクルの時のみ発生する。



(大当り消化)

デジタルが揃うと、馬がいななきファンファーレが鳴り、「ゴール!」の
掛け声で左右肩の電チュー入賞に向けて、カウントダウン。カウント0で
電チューが開き、約3秒の開放を行う。ここで5個以上の入賞があれば、
小デジの保留は満タンとなる。仮に、玉切れなどで入賞に失敗しても、
もう一回カウントダウンが始まり(「もう1回チューリップが開きます」
のメッセージ)、再び約3秒の電チュー開放を行う。なお、左右どちらの
肩の電チューに入れてもOKとなる為、大当り中も右打ち不要で、通常の
ストロークで消化可能。但し、右ルートのヘソが甘い、出玉が多いなど
特段の事情があれば、右打ちも有効。

大当り中は「草競馬」「ウィリアムテル序曲」のサウンドが流れた。
同曲がビッグ時のテーマだった、オリンピア2号機「バニーガール」
「スーパーバニーガール」のオマージュであろうか。

肩電チュー入賞で、メインデジタル上の1桁7セグ(小デジ)が変動。
赤の0以外の数字か文字が止まれば当選で、ヘソ真下の電チューが
1.2秒×4回の開放を行う。電チュー入賞で、その下のアタッカーが
5.5秒開放。以後は、電チューとアタッカーの連動で、出玉を稼ぐ。

なお、7セグに赤い「0」が出るとハズレ(空振り)で、出玉が減る。
ハズレ出現率は3/1000と低いが、たまに空振りを喰らいガックリ。
また、電チュー開放時、入賞失敗で空振りしても、出玉は減る。
(電チュー周りの釘が悪いと、空振り頻発)


本機は一般電役で、大当り中もメインデジタルが変動。消化中にデジタルが
揃えば、連チャンが発生。大当り中は、左右図柄がテンパイしても、リーチ
アクションも無く、即ハズレ停止するのが普通。しかし、大当りする時は、
必ずリーチアクションを伴う。大当り消化中、ふとデジタルに目を移して
リーチアクションが目に入れば、その時点で大当りが確定。アツい瞬間だ。


なお、本機でデジタルが揃ってから、左右肩の電チューが開くまでに、
約28秒のタイムラグがある(カウントダウンが「0」になるまでの間)。
これは、単に演出の為だけでは無く、大当り消化開始後、速攻連チャン
してしまった場合も、その時間分の出玉がしっかり稼げるよう、意図的に
長いタイムラグを設けたものと思われる。無論、後半に連チャンした方が
出玉は伸びる。



※後にCR版も登場したが、その時代の機種だと私は門外漢なので、説明は割愛。

Viewing all 378 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>