かき揚げ天と生卵の乗った、定番のメニュー。 私が立ち食いで一番好きなメニューといえば、
昔から群を抜いて、この天玉そばである。
あ、うどんかそばかの好みでいえば、私は断然「そば派」だ。
パチ・スロ現役時代、勝負終わりに小腹が減って、
近くに立ち食いのスタンドなどがあると、高確率で
天玉そばを頼んだものだ。駅構内のそば屋でも同じ。
その習性は、「第一線」から退いた今も変わらない。 では、なぜ天玉そばに、かくも愛着があるのだろうか?
私なりに分析してみたので、ちょっとお付き合い下さい。
なお、以下の文章は、東海林さだお氏の影響を多分に受けております。 昔から好きなんだよな、「東海林ワールド」。
まず思うに、天玉そばには「景気のよさ」「羽振りのよさ」がある。
個人的な財政事情で、「かけそば」辺りしか食べられないような時、
カウンターで、店員にこっそりと食券を差し出す人が少なくない。
かけそばを頼んだのが他の客にバレて、懐事情を知られるのが怖いのだ。
「コイツは今、かけそばしか喰えないほど、経済的に困窮してるのだな」と、
周囲に見抜かれるのは辛い。
そんな時、無神経なオバちゃん店員に「はい、かけそば一丁!」なんて叫ばれると、
恥ずかしくて後ろめたくて、どこかに隠れてしまいたくなる。
そうして丼を受け取った後も、何かコソコソした態度のまま、
背中を丸めて引け目を感じつつ、麺やつゆを啜ってしまう。 だが、天玉そばは違う。
いつも、負い目なく堂々と、食券をカウンターに置ける。
本来なら、「天玉コロッケわかめキツネ肉ちくわそば」でも頼める位、財政事情は良好だが、
「とりあえず、天玉辺りで許してやるか」って具合に、余裕シャクシャクで注文できる。
私のような「見栄っ張り」にとっては、最適のメニューなのですね。 それと、天玉そばには、食べる者を不安にさせない「安心感」がある。
アツアツのつゆと麺の上に、ポンと置かれた一枚の大きなかき揚げ天。
玉ねぎ、ニンジン、ゴボウ、サクラエビ、春菊、ミツバ…定番の具材だが、
店によって、中身や大きさにはバリエーションがある。
普通ならば、これだけでも十分に「主役」を任せられるトッピングだ。
しかし天玉そばには、メインのかき揚げに加えて、これまた主役級の
「生卵」が控える。月見そばであれば、堂々の「メインキャスト」である。
店によっては、生卵の代わりに温玉(温泉卵)を出すところもあるが、
(新宿・西口しょんべん横丁の立ち食いそば「かめや」など)
これまた、立ち食いにしては贅沢なトッピングの部類に入るだろう。
さらに、ワカメなんかを一緒に入れてくれる、嬉しい店も存在する。
(小田急線の「名代箱根」「箱根そば」などがそうだ) これが「キツネそば」なんかだと、麺が終了するタイミングに合わせて、
一枚のお揚げをチビチビかじり取って、キッチリ食べ進める必要がある。
このプロセスが、非常にわびしいのだ。
どうせなら、油揚げだけを豪快に、最初の二、三口で食べ尽くしたいが、
日頃の貧乏性が祟って、大抵は惨めな「チビチビ食い」になってしまう。 一方、「二枚看板」を擁する天玉そばなら、チビチビ食いの必要も無い。
丼の上のステージでは、かき揚げと卵の「豪華共演」が繰り広げられる。
最後まで、安心して丼の中身と付き合える。安心、安定、余裕、ゆとり。
これが時代劇とかだと、「主役二人」では、かえって都合が悪かったりする。
里見浩太朗と松平健が、ダブルキャストとして同じ作品に出たりすれば、
個性がぶつかりすぎて、見ている方は豪華どころか、胸やけしかねない。
だが、天玉そばなら、そんな心配もご無用。
かき揚げと生卵のおりなす絶妙のハーモニーが、食べ終わりまで続く。
さらに、この両者を、麺やつゆと共に平らげていく過程が、何とも楽しい。
まずは、丼の上のかき揚げを箸で突っついて、揚がり具合をチェックする。
ここで、サクサク、カラカラののイメージが湧くなら、その店は合格だ。
逆に、ベタベタ、シトシトのかき揚げだと、一気にテンションは下がる。
これを、天玉そばにおける「サクカラ・ベタシトの法則」という。 そして、カラッと揚がったかき揚げ天を、箸で崩して食べ進める。
サクサクの衣と野菜を存分に堪能したら、すかさず麺をすすって、
間髪入れずに、アツアツのつゆをズズッとやる。
麺と濃い出汁と、衣と野菜と油分が、口中で混然一体と合わさって、
えも言われぬ旨味が、口いっぱいに広がる。まさに至福のひと時。 但し、この段階では、まだ卵に手を付けないのが、私なりの「流儀」だ。
そうやって食べ進めるうちに、水分を吸ったかき揚げが
シットリと「崩壊」を開始して、やがて、つゆと一体化する。
このグシャグシャ、バラバラで無秩序化したかき揚げも、
初期状態のカラッとしたかき揚げに、負けず劣らず旨い。
まぁ、初めからグシャグシャ、ベタベタのかき揚げなど出てきたら、
思わず店員を怒鳴りつけたくもなるが、時間が経って、つゆを吸い、
しんなり柔らかくなったかき揚げならば、全く敵意もわかない。
かくして、一つのかき揚げを「硬軟織り交ぜて」堪能できるのが、
天たまそばの持つ大きな特性といえよう。
ここまでくると、丼の中の生卵にも、明らかな「変化」が生じる。
つゆの熱で白身は一部白化し、黄身にも「ハリ」「つや」が出てくる。
まさに、そのタイミングを見計らって、生卵を崩しにかかるのだ。
天玉そばでは、この「生卵を壊すタイミング」が、意外と問題になる。
「私は、最初の一口で、手っ取り早く卵から呑みます」なんて人もいるが、
これだとサッパリ「風情」が感じられない。
天玉そばには、天玉そばならではの「最適な卵の食し方」があるハズだ。
実際、卵をつき崩す前と崩した後では、つゆの味わいが全然違ってくる。
出汁のしょっぱさが卵の甘味で緩和され、クリーミーな口当たりに変わる。
そのつゆと一緒に、そばやかき揚げを啜れば、これまた別次元の味となる。
そうそう、猫舌の人などは、卵を崩せばつゆの温度も自然と下がるから、
少し早めに、卵に手をかけるのもアリだろう。
ともかくも、前半は「つゆ単独」、後半は「つゆと卵の合わせ技」で、
計二回も楽しめるのが、天玉そばの良いところだ。
それから、立ち食いそば屋で意外と議論の的となるのが、
「最後、どれだけつゆを残すか」という、微妙な問題だ。
全部飲み干すのは意地汚いとか、丼の底から2センチ残すのがマナーとか、
「立ち食い道」を極めんとする方々からは、様々な意見が寄せられる。
だが、天玉そばなら、堂々と最後まで、つゆを飲み干すことができる。
別に、意地汚く飲み切るのではなく、「卵が溶けこんだつゆ」だから、
「栄養面」をちゃんと考えて、最後まで飲むんだもんね。
決して、空腹でがっついている訳ではないんだもんね。
と、周りに言い訳ができる。
天玉そばなら、最後まで「面目を保てる」のだ。
生来の見栄っ張りとしては、これまた好都合なのである。
かくして、丼の底に僅かな天かすのみを残し、上気した表情で店外に出ると、
「ああ、食った喰った」と大きく嘆息する。寒い時期はもちろん、暑い夏場でも、
ワンコインで心身を満たしてくれる。かけそば辺りだと、こうはいかない。
まぁ、こうした数々の理由から、私は、天玉そばをとりわけ好む訳だ。
今後も、立ち食いにおける「天玉注文率」が下がる事は、決して無いだろう。
一時期、夏場になると「冷やしたぬき」に浮気したりもしたが、今なら違う。
どの季節に、どの立ち食いそば屋に行っても、「天玉愛」を貫く覚悟だ。
(先日も、所用で立ち寄ったJR熱海駅ホームの立ち食いで、迷わず天玉を注文)
でも、割とカロリー高いんだよな…それだけが悩みの種である。
(追記)
小田急線・登戸駅前の立ち食いそば屋は「橘(たちばな)」ですね。
確かに、彼処のかき揚げは、いつもサクサクの揚げたてで香ばしかった…
カウンターのかごに、ネギがドバっと大量にスタンバイしていたのも思い出されます。
その並びにあった右角のパチ屋(小田急改札向い)は「玉の家」ですね。懐かしい…
(追記、終わり)