(C)円谷プロ (C)BANPRESTO
今回は1998年(平成10年)に大一から登場した
現金機デジパチ「ウルトラマンTX」を振り返る。
・大当り確率:1/245.5
・出玉:約2350個
・時短デジパチ(100回/50回、振り分け1/2づつ)
全10図柄(1~10)のうち奇数「1、3、5、7、9」で
当れば100回時短。偶数「2、4、6、8、10」で50回。
(時短連チャン率:100回⇒約33%、50回⇒約18%)
・通常時の背景画面は「青」、時短中は「ピンク」
一時期、会社帰りに、地元近くでこればかり打っていた事がある。
新百合ヶ丘の「ダイヤモンド」(元「ベル」、閉店)という店だ。
当時、職場が丸の内にあった関係で、会社近くの有楽町や東銀座
界隈のホールで打つ機会が多かったが、それ以外にも、会社から
タクシーで新宿、高田馬場、四谷辺りの店まで直行したり、当時
地元だった小田急の読売ランド、百合ヶ丘、新百合ヶ丘といった
沿線の各ホールに立ち寄ったりと、パチ・スロに対する「熱」は
学生時分と変わらず高かった。仕事のストレスを解消しようと、
連日、勝ち負け不問で打ちまくっていたのを思い出す。
(今はなき百合ヶ丘「パーラー百合ヶ丘」にも頻繁に出向いた。
現在は「スロット・ユアーズ」に変わっている)
同時期、件のダイヤモンドでは、本機の他にもCRデジパチ
「CR冒険島」やCR権利モノの「CRフルーツパッション」、
一発タイプ普通機「ミサイル7-7-6D」、それにハネモノ
「ファインプレー」などを好んで打った。因みに、スロは
ECJの「ゲッターマウス」「サクセション」「アステカ」、
ベルコ「ゴールデンベル」、サミー「マックスボンバー」、
IGT「エルビス」「ダイナマイト」、平和(オリンピア)
「スノーキー」、岡崎「トラッド」などを此処でよく
打っていた。
なお、もっと駅寄りの「ジアス」(現存)のスロットフロア
(当時2F)も、定番のユニバ系(ビーマックス、サンダーV、
バーサス、アレックスなど)を筆頭に、設置ラインナップは
豊富であった。しかも連日の盛況。そのジアスをスルーして、
客付きイマイチのダイヤモンドに足を運ぶには、それなりの
「動機」「意思」を必要とした。その点、ジアスには本機が
なかった為、ダイヤモンドまで出向く「動機」は十分だった。
(CR版は置いてあったかもしれないが、少なくとも現金機版の
本機は設置なし。ジアスの現金機では、豊丸の「ナナシー」や
大同の「ふぃーばーちゃん松」に「フィーバーパンチアウト」、
三星「小籠包2」、さらにニューギンの「ミルキーバー」や
「エキサイトコンバット」なんかを打った)。
さて、先日のレッドマンやトリプルファイターの記事でも書いたが、
私は、TVのウルトラマンの各シリーズを幼少期から好んで見たので
(再放送がメインだったが…)、パチでもスロでも、ウルトラマン
絡みの台なら、自然と愛着がわいた。サミーの「ウルトラセブン」
「ウルトラマン倶楽部3」なども、積極的に打ったクチである。
そういや、俱楽部の付かない「ウルトラマン」も出ていたな…。
本機も、「初代ウルトラマン」をモチーフにした版権モノで、
香ばしいリーチ演出や大当り中画面などに、惚れ込んでいた。
また、スペック的にも、全ての大当り後に時短が付いてくる
本機のようなタイプは、私の好みだった(特定図柄のみ時短、
他は単発というスペックは、どちらかというと苦手にした)。
図柄によって時短回数が異なるのも特徴だった。全10図柄中、
「2、4、6、8、10」(偶数、青)で50回、「1、3、5、7、
9」(奇数、オレンジ)だと、倍の100回時短がついてきた。
ツボに嵌れば、時短連チャンによるドル箱積み上げも可能。
因みに、実戦での経験から「100回時短を引くと、時短連チャン
し易い」という、かなりオカルト的な思考にも取りつかれていた。
時短回数が、50回よりも100回の方が断然有利なのは当然である。
だが、同じ大当り後でも、50回時短後の51~100回(通常)より、
100回時短中の後半51~100回の方が、大当りをよく引けたのだ。
つまり、時短中は小デジが開き易いだけでなく、「大当り確率
そのものがアップしているのでは…」と、思い込んでいた訳だ。
「1度でも100回時短を引けば、ガッツリ勝てる」という暗示、
いや思い込みである。だが、実際にそういう展開は多かった。
(繰り返すが、スペック的に何ら裏付けのない「オカルト」)
★リーチアクション
※デジタルは、全回転を除き「左⇒右⇒中」の順に停止
・ノーマルリーチ
左右テンパイ後、中デジが通常スクロール(やや速度遅め)。
大当り手前でスロー⇒再び元の速度⇒またスローで最終停止。
かなり期待薄だが、3周まで伸びれば(ロング)当る事もある。
ハズレ停止後、中デジ下にウルトラマン登場⇒再始動で鉄板。
・ピグモンリーチ
ノーマルから発展。中デジがスローで一旦停止後、画面左側から
ピグモン出現。中デジの上に乗り、ピョンピョン飛び跳ねながら
図柄を踏みつけるように、コマ送りスクロールさせる。大当りか
前後1コマで最終停止。アツそうだが、実際にはよくハズれた。
中デジが最終停止する直前、ピグモンは右方向に跳ねるので、
三つ揃いになった瞬間、右にポンと飛び跳ねればアツかった。
・スペシウム光線リーチ
こちらもノーマルから発展。中デジ一旦停止後、画面上部から
ウルトラマン降下⇒中デジ再始動。ウルトラマンは画面右下に
スタンバイすると、高速回転を続ける中デジに向けて、必殺の
スペシウム光線を発射する。回数は計3回。その度に中デジは
一旦停止⇒高速回転を繰り返す。一旦停止した中デジ図柄は、
デジタル真上に、最終停止の図柄候補として左から順に表示。
計3回の光線発射で、3図柄が横並びとなる。4回目の発射で
最終停止するが、必ず3図柄の何れかで止まる為、当り図柄が
入っていればチャンスで、1つも入っていないとノーチャンス。
3図柄全てが大当り図柄なら鉄板となり、2個でハイチャンス。
1個のみでも大当りのチャンスはあった。
・カラータイマーリーチ
やはりノーマルから発展。中デジがスクロール中、お馴染みの
カラータイマーサウンドが、「ピコン、ピコン」と鳴り始める。
中デジは高速回転をしばらく続けた後、最後にスローダウンで
停止。期待を持たせるアクションだが、ハズレも多かった。
・怪獣対戦リーチ
ノーマルから発展。中デジがスロー停止後に再び高速始動、
ウルトラマンと怪獣が対決する大場面にパッと切り替わる。
ウルトラマンが必殺の飛び道具(スペシウム光線/八つ裂き
光輪)で敵怪獣を倒せば大当り(上記必殺技が出ないまま
飛び去ってしまうとハズレ)。登場する怪獣は、ゴモラ、
レッドキング、バルタン星人のうち何れか。バルタンなら
期待度が大幅アップ。バルタンがやられる瞬間が見たくて、
本機を打っていた部分は大きい。ゴモラだと、なかなか
倒してくれなかった…。
・全回転リーチ
デジタル回転中、三つのデジタルがすべて揃った状態で
(全回転)、低速スクロール。通常時だと大当り確定で、
後は奇数か偶数かの勝負だ。但し、時短中の全回転だと、
偶数停止時のみハズれる事があった。大当りした状態で
いったん停止した後、少々の間があって中デジのみが
スルッと1コマズレるので、結構ガックリ来たものだ。
CR版でも、確変中に同様の全回転ハズレが起こるが、
コチラは単発図柄のみハズれるので、却って有難い。
一方、本機は時短連そのものがフイになりかねず、
かなり悔しさを覚える「どんでん返し」だった。
・即止まり
時短中のみのアクション。デジタル高速回転中、いきなり
三つ揃いの状態でビタッと停止する。
★予告演出
・右スベリ…右デジが通常コマ数より余計にスベッて停止。
無論、リーチがかかる事もあるが、単なるハズレも多い。
・背景浮き上がり…本機はデジタル回転中、背景の画面に
敵怪獣(ゴモラ、レッドキング、バルタン、ゼットン)の
シルエットが常に出ている状態で、リーチになると怪獣の
姿が浮き出てくる。一方、デジタル回転中にシルエットが
浮き上がって怪獣が姿を現せば、その回転で必ずリーチが
かかり(リーチ予告)、大当り信頼度もアップ。
★大当り中の画面
大当りの瞬間は、変身の場面。前半~中盤は、怪獣の名前やサイズなどを
怪獣図鑑風に紹介。後半は、初代ウルトラマンの最終話がダイジェストで
流れた(アニメだったが…)。ウルトラマンが宿敵のゼットンに敗れた後、
ゾフィーが登場して助ける、あの感動的な名場面も見ることができた。
★余談・その1
当時、とある資格試験の模試を受けに、JR錦糸町駅まで出向いた際、
試験後に駅前の某ホールで本機を発見して、一も二もなく着席した。
すると、安ゼニで50回時短を引き、持玉遊技を開始。回りも良好で
勝ちパターンに入ったかに思われた。だが、次の大当りを引くのが、
ことごとく「ノマレ間際」で、しかも100回時短が引けない。なまじ
回りが良いのでヤメるにヤメられないが、大当りも毎回遅いので
出玉もサッパリ増えない。午後3時頃から始めた勝負は、そのまま
夜の10時過ぎまで同じ展開が続き、多少の追加投資をはさみつつ、
「一箱出たり入ったり」を延々と繰り返していた。結局は出玉を
全部飲まれてギブアップ。試験の疲れと、モミモミ展開の疲労が
ダブルパンチとなって、ヘトヘトの状態で帰りの総武線に乗った。
★余談・その2
1998年の「DAISUKI」パチンコ対決で、本機が対戦台となった。
ゲストは、タレントの斎藤陽子(ドラマや映画、Vシネなどの他、
「トゥナイト2」「スーパー競馬」の司会進行としても知られた)。
本機は第3回戦で登場(1回戦は藤商事「CRポンポコリンたろうFL」、
2回戦は京楽の「柔キッズ3」)。レギュラーの飯島直子が、実戦中
トイレ休憩で台を放置している間に大当りが来たり、それまで一度も
大当りの無かった斎藤が、バルタン星人対決リーチで八つ裂き光輪が
決まって、念願の初当りで泣きそうになったり、時短中の全回転を
ハズした飯島が、キツネにつままれた表情になったりと、なかなか
面白い内容であった。ロケ地は東京・足立区谷在家の「パラティ」。
★兄弟機も複数存在
・ウルトラマンM78(現金機)
(大当り確率1/245.5、「1、3、5、7」で150回時短、その他は30回時短)
・CRウルトラマンW
(大当り確率1/359.5、奇数で確変、偶数で単発、5回リミッター付き)
・CRウルトラマンTR
(大当り確率1/278.5、確変突入率4/10、5回リミ付、アタッカー13個戻し)
・CRウルトラマン銀河V
(大当り確率1/278.5、確変突入率4/10、5回リミ付、アタッカー15個、9カウント)
ウルトラマンTX(大一、デジパチ)
フィーバーネプチューン(SANKYO、デジパチ)
1994年(平成6年)にSANKYOから登場した
ドラム式デジパチ「フィーバーネプチューン」
人気お笑いグループ、ネプチューンとのタイアップで話題に。
「ネプ投げリーチ」で女の子のパンツが見えるカットインが
入れば、超・高確率で大当りとなった。
…というのは冗談で(最近このパターンが続く)、本機は1994年に
SANKYOが満を持して送り出した新台。Neptuneとはローマ神話の
「海神」を意味。その名の通り、「海(深海)」がモチーフだった。
94年9月6日、SANKYOは大々的に新台発表会を開催。その中でも、
一番の目玉だった台が、ドラムの本機と6インチカラーブラウン管の
フィーバーウォーズIだった。特に本機は、ホール設置率もグングン
上昇して、90年代半ばにおける人気機種の一つとして数えられた。
・1994年9月6日、東京・品川の新高輪プリンスホテル
「飛天の間」にて行われた、SANKYOの新機種発表会。
~発表会でお披露目となった最新台~
・フィーバーネプチューン(デ)
・フィーバーウォーズI(デ)
・フィーバーキャッスル(デ)
・CRFワールドI(デ)
・ソンブレロ(羽)
・力士I(羽)
・CR力士(羽)
(デ):デジパチ、(羽):ハネモノ
※Fネプチューン、FウォーズI、ソンブレロの3機種は、
カラフルで近代的、独創的な形の「ナスカ枠」を新採用。
★基本スペック
・現金機、三共お家芸のドラム機
・賞球:7&15
・大当り確率:1/205
・最高16R継続(9カウント)
・出玉:約2200個
・図柄:「赤7、青7、赤BAR、青BAR、宝箱、潜水艦、
サメ、人魚、波(nEPTUnEの文字)、宝箱」の9種類
・有効ライン:上・中・下段とクロスの5ライン
・意図的な連チャンのないノーマルデジパチ
(連チャン現金機の規制時代に登場)
・ラッキーナンバー用の7セグ搭載
(ドラム上部に「F0~F9」の表示)
★リーチアクション
全回転を除き、左⇒右⇒中の順に停止する。
華やかなデジタル回転音。Fウォーズより高音が
けたたましい感じ。左ドラム停止後にテンパイ音が
鳴ればリーチ確定(テンパイ音がないとハズレ)。
リーチ時、中ドラムは三つ揃いの位置から周回を開始。
「上段+下段の平行ダブルリーチ」が、計6パターン存在。
⇒「宝箱・赤7」「赤7・波(ネプチューン)」「赤BAR・人魚」
「人魚・青7」「サメ・青BAR」「青BAR・潜水艦」の6通り
リーチは「ノーマル、SP(コマ送り)、深海竜巻」の3種類と
少ないが、シンプル故にアツさ倍増。二段階(鉄板)もアリ。
・ノーマルリーチ
左右テンパイ後、中ドラムが速度を落としてスクロール。
最大3周(2周でも当る)。ビタ揃いの他、一旦ハズレ後
再始動でドラムが進む鉄板アクション搭載(+1コマの
ハズレから、中ドラムが無音で1周して当るパターンも)
・SP(コマ送り)リーチ
大当り1コマ手前~1コマ先の範囲を、中ドラムが派手な音と
共に、カクカクとコマ送りでスクロール。3周or4周で当る。
マックスの4周まで伸びればアツいが、ハズれる事もある。
鉄板の再始動は、+1コマハズレと思った瞬間、フワリと戻る。
シングルリーチは、コマ送りの範囲が3コマだったのに対して、
ダブルリーチ時は7コマに増えるので、いっそう期待を煽った。
・深海竜巻リーチ
高速回転中、「赤7、人魚、青BAR」の3図柄が揃った状態で
シンクロ。その後、速度を落として全回転状態でスクロール
開始(始点は赤7)。超高確率で大当りする激熱リーチだが、
「鉄板」ではない為(信頼度約95%)、稀にハズれる事も。
当時、全回転で有名な先行機に因んで、「春夏秋冬リーチ」
とも呼ばれた。ダイレクトで当る他、ハズレで一旦停止後、
全回転のまま大当り図柄まで進む二段階と、「戻り」で当る
パターンが存在。高速回転中にドラムを見極めて、「赤7が
揃った状態で回っているか」判別できれば、「この回転で
深海竜巻が来るかも…」と期待は大きく膨らんだ。まぁ、他の
リーチだったり、単なるハズレでスカされたりする事も、
少なからずあったが。なお、「ドラム機初の全回転」が、
本機の深海竜巻リーチとされる。
因みに、どのリーチになるかは、予定停止目が「深海竜巻型」の
並び(赤7、人魚、青BARの横並び)か、そうでないかで変わる。
深海竜巻型で大当り判定に合格なら、高確率で深海竜巻リーチが
選ばれるが、判定ハズレ時にも低確率の振り分け率で深海竜巻が
選択されるので、「鉄板」アクションとはならない。
(ハズレ出目カウンタが、偶然に赤7、人魚、青BARの横並びを
選んだ場合、1/20で深海竜巻に振り分けられる。但し、判定は
あくまで「ハズレ」。強制的に、中ドラムは+1コマでハズれる)
★兄弟機
CRFネプチューン(本機の後追いで、94年末に登場)
賞球は7&15。確率は1/352、1/371、1/391(設定1~3)。
本機と同じドラム機。大当り図柄も共通。コチラは1/3で
プラス2回継続のフルスペックタイプ(赤7、赤BAR、人魚で
確変)。三段階設定付きのCR機で、当然ながら大当り確率は
本機よりも低い。また、リーチアクションにも違いがあって、
現金機にあったコマ送り(SP)リーチが無い。その代わり、
ノーマルリーチが6周続く「超ロング」が用意されていた。
また、本機で約95%の信頼度を誇った深海竜巻リーチは、
約7割と信頼度が大きく低下。
★余談1(思い出の実戦店)
当時、本機は様々なホールで打ったが、特に記憶に刺さるのは、
小田急線・百合ヶ丘駅(南口)の「J-ONE」という店(現存)。
ここは、比較的導入時期が早く、本機とフィーバーウォーズIを
背中合わせで1シマづつ設置(同時登場のFキャッスルは、隣の
新百合ヶ丘Z店でよく実戦)。斬新なナスカ枠に前後を囲まれた
シマは、なかなか壮観だった。
(写真はあくまでイメージ)
ただ、この店での本機の成績はあまり良いといえず、好んで
座ったのは寧ろウォーズの方だった。どちらも大当り確率は
1/205だが、個人的な「体感確率」でいえば、ウォーズが
1/170程度と当りが比較的「軽かった」のに対し、本機は
1/250~260ぐらいで、いつも苦労させられた記憶がある。
また、本機は出玉がウォーズより少ない割に、デジタルの
回りはあまり変わらなかった(持ち玉遊技の条件が違って
いた気はするが…)。
結果的に「ウォーズの方がおいしい」との結論で、そちらを
中心に打ったが、常にブラウン管画面では、ドラムが恋しく
なったりもする。そんな時は、シブ釘も構わず背中のシマの
本機に座ったが、あろう事か、このシマではネプチューン初
となる「パンク」も体験してしまった。しかも、まだ序盤の
ラウンドだったので、出玉は上皿プラス下皿程度…。店員の
好意により、交換ナンバーにも拘らず継続遊技にはなったが、
この一件で、ネプチューンへの苦手意識はさらに強まった。
なお、百合ヶ丘「J-ONE」では、90年代(特に中~後半)に
現金機との対戦機会が多く、本機やFウォーズの他、フィーバー
ルーセントI、大江戸日記7、ケロケロジャンプ、花満伝説SVZ、
カンカン天国S、華観月3、3回権利のマーメイドSP、同じく
ニューロードスター、ハネモノのドラキュラ城などを実戦。
因みに、「J-ONE」の隣には当時「マジックランド」という
ゲーセンがあって、1F・左奥の一角にパチンコとパチスロの
ミニコーナーもあった。不調でタネ銭切れの時などは、よく
ここで遊んだものだ(出たコインはカウンターに預けていた)。
設置は、パチが「綱取物語」「フィーバールーセントDI」、
スロは「ニューパルサー」と「フリッパー3」。いずれも
超甘釘、高設定(推定)だったが、デジパチはチャッカーが
3発戻しの為、持ち玉カウンタは減りっ放し。止め打ちを
駆使して粘り倒すのが、勝利の秘訣(爆)だった。土日に
綱取の朝一狙いもやった事がある(一円にもならないが)。
また、ニューパルの脇に、ご丁寧に詳細なリーチ目表まで
用意してあって、様々な入り目を金をかけずに再確認する、
絶好の機会となった。懐かしき百合ヶ丘「マジックランド」…
2Fでは鉄拳2、3にもハマった。現在は、コインパーキングに
なっている。
さらに余談になるが、件の百合ヶ丘「J-ONE」は、かつて
松本明子が主演したパチンコドラマ「グッドラック」にも
登場した事がある(最終回、たった一度だけの出番だが…)。
黒部興産との争いに敗れて、取り壊しが決まった「飛鳥球殿」。
オーナーの鈴子(松本明子)を支えていた祐二(原田龍二)や、
他の従業員たちは、すでに鈴子の元を去っていた。そんな祐二が、
とあるパチ屋で勝負を終えて外へ出てみると、どこからとものなく
「リン、リン、リン」と、手打ちパチンコ台の音が聞こえてくる。
その音を聴き、ずっと気にかけていた鈴子に思いを巡らせた祐二は、
飛鳥球殿に戻る事を決意する(「鈴子」(りんこ)は、手打ち台の
払い出しの音に因んで両親が付けた名前)。その音は、佐藤(勝村
政信)や妙子(網浜直子)といった元・従業員や、鈴子の妹である
友利(秋本祐希)の元にも届いていて、皆、お店と鈴子が自分達を
呼んでいると直感して、すぐ飛鳥球殿に戻りたいと思ったのだった。
この最終回のワンシーンで祐二が外に出てきたホールが、
実は「J-ONE」だった(背後の自動ドアに、店名ロゴが
映っている。また、エンディングロールに「J-ONE」の
クレジットもある)。
本作は、飛鳥球殿として登場する「パチンコ平和」があった
「代々木駅東口」や、鈴子が悲しい時に立ち寄った神宮前の
「原宿陸橋」(今年で解散するSMAPの「夜空ノムコウ」の
PVロケ地にもなった)、或いは、ライバル店としてたびたび
登場した新宿・西口の「パチンコフレスコ」等が主なロケ地。
さらに、よみうりランドに近接する日テレの「生田スタジオ」
でも、本作の撮影・編集が行われたようである。その関係で、
スタジオからアクセスのしやすい、百合ヶ丘のJ-ONEが使用
されたものと思われる。同じ理由で、安達祐実主演のドラマ
「家なき子」でも、やはり生田スタジオに近い小田急線の
「読売ランド前駅」傍にある「パチンコランド」(現存)が、
ロケ地となった回がある(第5話)。
★余談2
1995年にNHKで放映された「新・電子立国」でパチンコが
特集された回があるが、SANKYOの工場を取材する場面が
何度も出てくる中、製造ラインを紹介するワンシーンで、
せっせと作られていたのが本機だった。他に「フィーバー
結婚の条件」の誕生秘話を社員が話したり、幻のデジパチ
「フィーバービューティフルI(IIではない)」の映像が
出てきたり、ダイコク電機の社長インタビューがあったり、
麻生財務相似のコワモテが仕切るパチ屋の新装の模様が
流れたり、かの正村竹一氏の子供らが当時のエピソードを
あれこれ語ったりと、見どころはタップリであった。
根津甚八さん、逝く
年の瀬になって、こんな訃報をお伝えしなければならないとは…
(少し前、某缶コーヒーのCMでパチ絡みの記事を書いたばかり)
元・俳優の根津甚八さんが、本日昼過ぎに亡くなられたとの事。
(ソースはYAHOOニュースのデイリースポーツ)
2016年12月29日逝去。享年69歳。
根津さんは1970年代から2000年代初頭にかけて、精力的に
俳優活動を行われていた名優の一人。だが、その後は体調を
崩されるなどして、芸能界を引退していた。
代表作は数々あれど、個人的には90年代に多くのパチンコファンを
虜にした映画、Vシネの名作「ゴト師株式会社」シリーズの主人公、
君島一明役を演じていたのが印象的だ。同作は、下田一仁氏原作で
佐原充敏氏が作画の漫画(白夜書房)を、映画化したものである。
原作者の下田さん自身も、チョイ役で何度も作品に出ていた。
(根津さんがシリーズ主演を務めた各作)
・ゴト師株式会社 悪徳ホールをぶっ潰せ!(1993、鶴田法男監督)
・ゴト師株式会社II(1994、鶴田法男監督)
・ゴト師株式会社III(1994、後藤大輔監督)
・ゴト師株式会社SP 警察庁防犯課第5104号事件(1995、後藤大輔監督)
知的にクールにスマートに、そして時にエネルギッシュに…。
まさに、主演を根津さんに抜擢したキャスティングの妙であろう。
一般ファンを食い物にする、悪徳ホールの不正に敢然と立ち向かう、
義侠心溢れる(異色の)ゴト師グループ総帥として、ホールに裏ROM
工作などのトラップを仕掛ける。工事屋、情報屋、博士、ユミ、マサル
といった他のメンバーも、君島の男気に惚れて行動を共にする。なお、
共演は工事屋が松田勝、情報屋がでんでん、博士が伊藤克(IIからは
荒谷公之)、ユミが高田万由子(IIIから中嶋美智代)、マサルが
加藤永二(SPは井原崇)と個性派ぞろいであった。
※続編「ルーキーズ THE MOVIE」(1999)と
「ルーキーズ2」(2000)は、川岡大次郎が主演。
(監督はビデオ版「パチプロ日記」の中田信一郎)
(C)ビデオチャンプ テレビ東京 パル企画 1993
(C)ゴト師株式会社製作委員会 1993
第一作(監督:鶴田法男)より。本作は、私腹を肥やす為に
君島を利用してライバル店を潰させた悪徳ホールのオーナー、
戸張喜和子(名取裕子)とのリベンジ対決が見ものだった。
喜和子のバックには、ゴロツキ刑事(藤岡弘、)や実力者の
代議士(荒谷公之※二作目から博士役で出演)などが付いて
いたが、それを物ともせず、喜和子のホール「インター」に
裏ROMを仕掛けて勝負を挑む君島。シマ中のブルーハワイが
大当りして店内が大混乱するシーンは、本作を知る方なら
脳裏に焼き付いているハズ。ベンハーの基板封印が喜和子の
知らぬ間にゴト師メンバーに切られており、警察の検査で
バレて、彼女が泡を食う場面も印象深い。なお、第一作の
ロケ地ホールは「厚木インター」(出演者、スタッフ勢揃いで
制作発表会が行われたのもこの店だった)、「厚木シャトル」
「町田インター」など。なお、エンディングでは、歌舞伎町の
パチ屋「モナミ」「747」などの看板も、一瞬映っている。
端正な顔立ちは勿論、台詞回しや立ち振る舞い等、全てが
「カッコイイ」と思えるような、実力派で二枚目の貴重な
俳優だったと思う。あらためて、根津甚八さんのご冥福を
心からお祈り申し上げます。合掌。
花に因んで・・・
2016年も残りあと僅か、本年も色々な事がありましたね。
来たる2017年が、明るく華やかな良い一年になる事を祈って…
今回は「花」に因んだレトロなパチ・スロを、幾つかご紹介。
豊丸「ピカイチ天国1」(1992年)
「花札」をモチーフにした液晶連チャンデジパチ。
画面上部の「運の強さメーター」もウリだったが
初代はリーチの瞬間の中出目で当否の判別が可能。
田山さんの「パチプロ日記」では、後継機「V」が
たびたび登場(武蔵溝ノ口駅B店)。日記初登場時、
「ニュー・ピカイチ天国」って書いてあったなぁ…。
平和「ブラボー塾・花組」(1991年)
某攻略誌から「きわめて意味不明。何のために
発売されたかは永遠の謎」とまでディスられた
マイナーデジパチ。でも、7セグをさらに細かく
した「35セグ」のデジタル表示は美麗だったよ。
アルゼ「オオハナビ」(1999年)
「MAX711枚」の鉢巻リール付き大量獲得機。何度も
トライしたが、711枚は出せずじまい(惜しい展開は
何度もあったが)。3連ドンちゃんで目押し楽々かつ
不確実にハズすか、BARビタでリスキーかつ確実に
ハズすかは、腕次第、展開次第といったところ。
町田「ガイア」の地下で、オオハナビのシマが
連日ガンガン出まくっていたあの頃が懐かしい。
渋谷「P-ONE」の新装初日は期待外れだったな。
西陣「CR花満開」(1993年)
シマにいる連中の目の色が違った。鉄火場だったな。
一度確変に入れば、ループや保留連でドル箱の山を
築くのも夢ではなかった。スーパーリーチ2周目で
当り1コ手前の図柄が散った瞬間のアツさたるや…
「さ~く~ら、さ~く~ら」の香ばしい旋律は、
永遠に我が記憶に刺さり続けるだろう…。
京楽「CRフラワーショップ」(1992年)
京楽がCR第一弾として送り出したのは「花屋」が
モチーフのブロック液晶機であった(まさむらの
ザ・ボートも似たようなデジタル)。数字以外に
チューリップ、水差し、少女、蜂、花の絵柄を採用。
3か7で当れば確変。突入率は2/15と低いが、大当り
確率は1/233~1/243(3段階設定付)と甘めだった。
SPリーチは、必ず大当りor1コマ手前で停止する。
三洋「ボヨヨンロックII」(1992年)
ヤクモノ内で5本の花達が妖しく蠢くハネモノ。
バブル期に流行った、音に反応して花が躍る玩具、
「フラワーロック」がモチーフと思われる。
上段ステージには三つ穴があって、どの穴から
落ちるかで、下段の玉の挙動も変化。兄弟機も
複数存在。「II」は2チャッカーがアタッカー式。
三共「CRFワールドI」(1994年)
ひまわりやチューリップなどの「花」が単発図柄だった。
お目当ては確変だったが、低確率ゆえに当れば単発でも
嬉しかったね。一瞬の再始動が、いい味出してたなぁ…。
マックスアライド「サクラ(櫻)」(1999年)
お馴染みの三段階チャンス⇒7セグ演出は健在。2種の
ビッグ図柄で出玉が異なる。読売ランドの「パチンコ
ラ〇ド」では、ひ〇〇り返〇たV〇rをよく打ったっけ。
アルゼ「ハナビ」(1998年)
判別とハズシと駆使しまくったなぁ…。遅れもアツかった。
溝の口の今はなき「ライジングサン」で、1000ハマリ台を
拾い、そこから一気に噴きまくったのも、懐かしい思い出。
馬鹿の一つ覚えの如く「左上段暖簾狙い⇒挟み打ち」ばかり
やってたが、今思えば、もっと色んな打ち方をすべきだった。
パイオニア「シオサイ30」(1997年)
リール左右上部の華(ハイビスカス)が光れば
ボーナス確定…の定番演出はここから始まった。
歌舞伎町「日拓ビッグポット」(閉店)地下で
初遭遇を果たし、登戸「ニューハトヤ」(閉店)
でガッツリ打ち込み、その妖艶な魅力にハマる。
無論、コチラも判別とハズシは効きまくった。
とまぁ、こんなところである。
90年代「花」絡みの台は他にも山程あるが、
訳あって今回はここまで。
(今回取り上げた機種一覧)
Toyomaru「ピカイチ天国1」
Heiwa「ブラボー塾・花組」
Aruze「オオハナビ」
Nishijin「CR花満開」
Kyoraku「CRフラワーショップ」
Sanyo「ボヨヨンロックII」
Sankyo「CRFワールドI」
Max-Allied「サクラ(櫻)」
Aruze「ハナビ」
Pioneer「シオサイ30」
どれも個性溢れる、「世界で一つだけの花」だったね…。
(私なりの5人(6人)に対するメッセージを込めて)
という訳で、2016年の更新は、これが最後になります。
マイナーすぎて誰も欲しがらない情報をゴリ押ししたり、
無駄に冗長な文章だったり、記載ミスに過剰反応したり、
何かととっつきにくいこのブログですが、本年も多くの
皆様にご愛顧頂き、また貴重なコメントを多数お寄せ頂き、
心より感謝申し上げます。
来年も、相変わらず「まにあっく」な内容で、のんびり
気ままに更新するつもりですので、宜しくお願いします。
それでは皆様、よいお年を。
「まにあっく懐パチ・懐スロ」管理人M
ファミリー(大一、一発台(普通機))
謹賀新年
2017年酉年。皆様、本年もどうぞよろしくお願い致します。
正月気分で気は緩みっぱなしだが、さっそく本年一発目の更新。
年末記事では、昨年末に惜しまれつつ解散した「SMAP」の代表曲
「世界に一つだけの花」に因んで、「花」絡みの機種を幾つか紹介。
各メーカーのローマ字の頭文字を上から順に繋げると、「THANKS
SMAP(有難うスマップ)」に読める…という仕掛けをしたのだが、
見事スルー…されたとは別に思っていない。皆様もお気づきの上で、
あえて「静かに彼らを見送ろう」という粋な対応をして下さったと
前向きに解釈している。
そういえば、昨晩、外を歩いていると、西の夜空にこんな光景が。
(実は写メもしたのだが、何度トライしても
ピンボケしてしまったので、イラストに差替)
シャープで美麗な三日月と、煌々と輝く金星の、
見事なコラボレーション。
(SMAP「夜空ノムコウ」が似合いそうな
天体ショーだった)
これを見た瞬間、「おっ、アラジンだ」と思ってしまった私。
「今年もしっかり頑張れよ」と、天から激励された気がして、
やる気がわいてきた。平和の「一番星」も絡んでいるかな。
という訳で、本年最初に紹介する機種はコチラ。
大一商会の一発台(普通機)、「ファミリー」(1990年登場)
まぁ、アラジンとも一番星ともさほど関係はないが、
それはおいといて(一番星も一発仕様(の権利モノ)
なので、あながち無関係ではないハズ)。
上下二段クルーンが特徴の、振り分け式一発台である。
ゲーム性は非常にシンプル(だからこそ、面白かった)。
まず、天下左からセンターヤクモノ真上の命釘を通して、
ヤクモノに玉を飛び込ませる。西陣「ジェットライン」と
似たような命釘で、ジェットラインを好んだ故・田山幸憲
プロの表現を借りれば、「首っ玉」を通すのが第一関門だ。
ゲージ上は、天下右サイドからのアプローチも可能だが、
実際は、右からの入賞ルートを潰す店が多かった。
ヤクモノに飛び込んだ玉は、上下二段クルーンを経由して、
最終的に下段クルーンの当り穴orハズレ穴に入る。上段は
手前1穴と奥1穴の2つ穴。下段は手前1穴、奥2穴の3つ穴。
上段手前に入ると下段に垂直落下するが、上段奥なら
スロープ経由で下段にアプローチする。下段の手前が
大当り穴で、奥は2つともハズレ。上段は手前も奥も
ハズレではないが、構造上、手前入賞の方が当り易い。
以下、その理由を概説する。
クルーンの各穴の位置を見ると、下段手前(大当り穴)の
ちょうど真上に、上段手前の穴がある。したがって、上段
手前で落ちれば、垂直落下した玉がストーンと下段手前に
「ダイレクト入賞」して、当り易かった。一方、上段奥に
入った場合は、スロープを伝って勢いの付いた玉が、下段
クルーンでしばし回転した後、手前か奥の何れかに入る。
これぞクルーンの醍醐味だが、上段手前入賞の時よりも、
ハズレの機会も増える。
但し、上段手前に入っても必ず下段手前に直接入賞する
訳ではなく、狙いを外してクルーン上に留まる事もある。
その場合も、最終的に下段手前に入ればOK。上段手前に
よく入るのに、悉く下段手前を外すのはクセの悪い台だ。
即ち、上段手前に落ち易い台が勝負に有利となる訳だが、
これも、台のネカセやクセで変わった。ネカセで見ると、
そこそこ傾斜のある方が、ネカセ弱めよりも上段手前に
入り易い。だが、あまりネカセが強いと、今度は下段で
奥のハズレにばかり入ってしまうので、痛し痒しである。
無論、クルーン役物には頻繁に飛び込む方が有利だから、
「首っ玉」の命釘や左谷釘周辺の調整も重要となる。
さらに、一発台ならではの「トラップ」といえるのが、
上下クルーンの各穴の大きさであった。上段も手前も、
手前より奥の方が、穴の直径が大きくなっていたのだ。
無論、サイズの小さい方が入りづらい訳で、大当りに
有利な上段の手前穴、そして肝心カナメの下段手前穴
(大当り穴)双方の入賞率を下げる、狡猾な仕掛けが
施されていた訳だ。知らずに打った人も多いだろう。
下段手前入賞で大当りすると、クルーン下のチューリップと
左右両袖のチューリップが開放。私が知るのは、右打ちして
出玉を稼ぐ調整。開放した右袖チューリップの左先端に当った
玉が、その下の右オトシチューリップに頻繁に入って、出玉が
増えていくもの。但し、店によっては通常ストロークのままで、
左袖チューリップが玉の流れを変え、出玉ルートが出来上がる
調整もあったとの事。なお、右打ち調整の場合、右袖チューに
サイドに入るとパンクするが、再入賞しない調整になっていた。
(なお、クルーンの大当り穴に再度入っても、パンクはしない)
また、本機は「音」による演出も特徴だ。「首っ玉」の命釘を
抜けてヤクモノに入ると、大きな電子音が鳴り響く演出が存在。
ドイツ民謡「かわいいオーガスチン」の、耳慣れたメロディだ。
(後に「ワンダーペット(ノミ取り薬)」や「富士通アルカリ
乾電池(ポケモン電池)」のCMにも使われた、有名な楽曲)
その後、下段手前に入れば大当りのファンファーレが、奥の
ハズレなら「ヒューン」という大きなハズレ音が鳴る仕組み。
三つ穴クルーンの一発台では、三共スーパーコンビや
スターライト、さらに平和のサーカスなどが定番だが、
これらは、クルーンに飛び込んでも電子音は鳴らない。
クルーン入賞や当りハズレに、派手な音の演出は無し。
(チャッカー入賞や払い出し時に、音が出たりはするが)
「静かに入れて静かに当てる」のが、これらの台の本来の
特性といえよう。まぁ、台をドツくような客がはびこると、
到底「静か」とは言い難くなるが…。
一方、本機やマルホン「ビッグポーター」などの三つ穴
クルーンタイプは、ヤクモノ入賞の度に派手な電子音が
鳴るから、その一部始終が他の客にもバレバレとなった。
賛否両論あったが、他の台の入賞状況が逐一分かるので、
打ちながら優秀台の目星をつけるのには一役買った。
因みに、本機の二段クルーンとクルーン入賞時サウンドを
ほぼそのまま「再利用」したのが、後に同社から登場した
一般電役「アニバーサリーI」。クルーン入賞音は本機と
同じで、大当り中はロシア民謡「コロブチカ」が流れた。
当時、本機をよく実戦したのは、小田急線・向ケ丘遊園駅
北口の「銀座ホール」(現・Ginza S-Style)という店。
今は2階建てだが、以前はワンフロアしかなかった。
当時、表通りに面した側には、主にデジパチを設置。
奥側には、パチスロや景品カウンターなどがあって、
スロはバニーガールとリバティベルIIIを置いていた
(後にベルIIIはコンチIIIに入替)。スロフロアは
裏口の目の前に位置しており、モーニングを入れて
いたこの店では、毎朝開店前、裏口に行列ができた。
また、通り側のデジパチフロアは照明が明るかったが、
裏口側のフロアはスロに合わせた感じで、照明は暗め。
一発台は、本機と西陣「ジャスティ」、そしてマルホン
「キャラバン」が並んでいたが(以前、キャラバンと
入替で本機やジャスティが入ったと書いた気もするが、
3機種が同時に並んだ時期もあった事を思い出した…)、
ジャスティとキャラバンは通り側の明るいフロアにあり、
客付きもよくて、非常に勢いの感じられるシマだった。
一方、本機だけはスロと同じ暗めのフロア(一番端の
1シマ)に、ひっそりと並んでいた。
暗めの照明に、隅っこのシマ。また客付きもそれほど
良くなかったので、ここで本機を打っていると、何か
「侘しさ」のようなものを感じた。だが、そんな時、
いきなりクルーンに飛び込んで派手な電子音が鳴ると、
シマが一瞬だけ活気を見せた。だが、「キューン」と
ハズれてしまえば、再び、寂しげなシマへと逆戻り…
これの繰り返しだった。同じフロアの反対側では、
バニーガールの華やかなサウンドが、ピュンピュン、
キュンキュン絶え間なく聞こえてきたので、多少は
寂しさを紛らわす格好になっていたが…。因みに、
照明が暗い分、盤面ランプ演出の見栄えは良かった。
まぁ、シマが侘しかろうが何だろうが、大当りさせて
ザンザン玉を出してしまえば、あまり関係なくなるが、
負けてしまうと、途端に寂しさも倍増して、心にも
財布にも寒風が吹きすさぶ…。勝負とは、実に無情な
ものである。
(大一「ファミリー」の項、了)
サザンコースト30(高砂電器、4号機)
寒に入り、寒さひとしお厳しくなってきた。インフルエンザも
流行っているこの時期だが、皆様の体調は如何だろうか。
気温はめっきり下がりがちでも、せめて気分はポカポカに…
そんな願いを込めて、今回はコチラを少々振り返ってみる。
1999年(平成11年)末に高砂電器から登場した
沖スロ・Aタイプ4号機「サザンコースト30」。
存分に日差しの降り注ぐ、常夏の南国海岸に思いを馳せれば、
自然と身体も暖まってくる…気がしないでもない(汗)。
(ボーナス確率表)
(各役払い出し)
赤7の3つ揃い :15枚+Big Bonus
黒Bar3つ揃い :15枚+Reg Bonus
ベルの3つ揃い :15枚
オレンジ3つ揃い :10枚
単チェリー :2枚
星の3つ揃い :Replay
※図柄が「6種類」しかないのが特徴
(他の大半の機種は、7種の図柄を採用)
特に大勝ちの記憶こそ無いが、告知時の衝撃度が
あまりに強烈すぎて、今も忘れられない一台である。
ただ、所持する関連資料が少ない為、さほど詳細な
考察ができないのが残念だ…。
本機はシンプルな完全告知タイプ。ボーナスが成立すると、
意表を突かれるような「告知音」が入った。「ピュロリン」
「ピロリン」「パリーン」「パキン」など表現は難しいが、
インパクトある告知音だった。油断しているとケツが浮く。
高砂の「ケツ浮き告知」といえば、同社の先行機である
25φの「電撃アラッタロウ」が当時の最右翼といえた。
(以前、旅打ち時に名古屋駅・太閤口「TAIYO」にて実戦)
アチラは「カコーン!」といった感じの、より強烈な金属音。
まぁ、本機はそこ迄ではなかったにせよ、やはり発生すれば
背中がゾクッと来るような魅力…いや独特の「魔力」があった。
また、この告知音と共に、リール照明もサッと消灯する。
あたかも「南海岸に沈む夕日」の如く、リール窓はやや
赤みを帯びて暗転。同時に、リール窓左上部「V」表示の
左隣にある、緑色の告知ランプも点滅する。この鋭角なVの
フォルムが、どことなくメーシー「サンダーV」のオマージュ
にも見えた(個人的に)。
さらに、上記告知発生直後、志村けんの「変なおじさん」で
お馴染みの沖縄サウンド、「ハイサイおじさん」を思わせる
ワンフレーズが「チャンチャ・チャチャ・チャチャチャ~」と
流れた。派手な告知に続き、ユルユル感あるBGMが来る訳で、
その「ギャップ」もインパクトがあって面白かった。
以上の如く、音と光の「四重奏」でBR成立を祝福。衝撃の
一瞬を味わいたいが為、思わず座ってしまった機会も多い。
なお、告知発生のタイミングは、基本的にBR成立プレイの
「レバーオン時」だったが、リール回転中いきなり告知が
発生する、一段と意表を突かれる告知パターンも存在した。
一度味わったら、確実に記憶に刺さり続ける…いかにも
当時の高砂らしい、派手な告知演出だった本機。
(この時期の高砂は、電撃あらっ太郎、007SPなど、このテの
衝撃的告知をウリにする機種が多かった。さらに、デジタルや
ランプに告知を絡めた、ゴールドチャンス、ビッグアクション、
タンゴブラザー、赤光の剣なども登場(どれもBモノが多かったが)。
そうそう、本機と同時期に、アップライト名機のリメイク版である
「ニューフェニックス30」もよく打ったな(向ケ丘遊園や中野島の
「バンバン」で)。あれはリール消灯と告知ランプがメインで、
音告知は無かったと思うが。
因みに、ビッグ中のBGMは、「ハイサイおじさん」の旋律と、
オリジナル風サウンドの2つ。ビッグ図柄は赤7の1種類だが、
BGMは2パターン用意されていた。但し、どちらが流れるかは、
ビッグを揃えてからのお楽しみ。
(この「ハイサイ」サウンドは、後にオリンピアも島唄30、
島娘30、ねぇ~ねぇ~島娘、NEW島唄30などの連チャン時
ビッグBGM(連が伸びると曲変化)として、積極的に採用)
当時、本機は小田急線・町田駅「ガイアWEST」(系列店が
二つあったが※、駅に近い方。現在、グランサイバーカフェ
バグース町田ANNEX店が営業。かつては「原町田センター」
というパチ屋だった場所)2Fや、JR南武線・中野島駅に近い
「バンバン」2Fで実戦。何れも、お目当ての台が別にあって
(ガイアWEST⇒「キュロゴス」や「リアルボルテージ」など、
バンバン⇒「ハナハナ30」「シオラー30」などの沖スロ)、
本命が不調な時に移動して、よく一戦交えた(キュロゴス、
ハナハナ、シオラーと同時期に本機を打ったということは、
デビューからかなり経った頃(末期)の実戦となる)。
※もう一店舗(ガイアEAST)は地下フロアがパチスロ。
現在は「カラオケマック」が入っている)
但し、どちらのホールも設置が2台程しかなかったから、
「シマの優秀台を厳選して云々」といった選択肢はなく、
せいぜい、BR出現率の良さげな方を選んで座った程度。
まぁ、本機については、勝ち負けより「告知を楽しむ」
方に眼を置いていたので、他の沖スロ実戦と比べると、
「遊び感覚」で無造作に着席していたように思う。
そんな姿勢だったから、効果ありとされたリプレイハズシも
ほとんどやらなかったし(せいぜい、こぼす可能性のあった
ベルを目押しする程度)、収支もさほど満足できるものでは
なかった。良くてトントンかチョイ勝ち程度。早いビッグが
3連くらいしたら、サッサと逃げていた。デカコインにも拘らず、
ドル箱2つ満タンとか出した記憶があまり無い。まぁ、告知さえ
味わえばそれで満足…といった感じだった。
なお、私が実戦を行った上記2店は、共に怪しい出方ではない
「ノーマル」だった(ハズ)。本機は、リプレイ前兆などの
Bモノの存在も知られていたが、現役当時打った事がない為、
出玉の波は体感できず…。ただ、本機とリール配列が共通の
兄弟機「スティッキー5」なら、バリバリにビッグが連する
爆裂Verが、東急・溝の口駅に近いM店の暗い1Fに、1シマ
並んでいたのをハッキリ覚えている。あそこは赤光の剣も
香ばしい出方だったな…2Fの沖スロとか。
あまり突っ込んだ考察は出来なかったが、今回はここまで。
(高砂「サザンコースト30」の項、了)
海遊記(ベルコ、4号機)
今回取り上げるのは、2000年(平成12年)に
ベルコから登場した4号機「海遊記」(A-RTタイプ)。
※RT=リプレイタイム(一定ゲーム間、リプレイ確率アップ。
(当初、「ET」(エキストラタイム)と呼ばれる事もあった。
(ボーナス確率表)
ビッグ中心。バケは全設定共通で引き辛い。
(払い出し表)
・「白7×3」/「親ガニ×3」: 7枚+ Big Bonus
・「カメ×3」: 7枚+ Reg Bonus
・「貝×3」「貝・貝・カメ」: 10枚
・「クラゲ×3」「クラゲ・クラゲ・カメ」: 6枚
・「タコ(チェリー風)」: 3枚
・「子ガニ×3」「子ガニ・子ガニ・子ガニ」: Replay
※タコ(角6枚)とクラゲ(6枚)は同一フラグ。
※JACが揃うと14枚の払い出し(通常よりも1枚少ない)
(ハズシも(実質)効かない為、ビッグ平均獲得枚数は350枚弱)
ほんのちょっと前に打っていたような気がするが、もう
16年以上経っているとは…時の過ぎるのは早いものだ。
因みに、現在の私はパチ・スロ共に「完全引退」の身。
(こういうブログを書く以上、「完全」は言い過ぎか)
参考に、現役末期に通っていた店のラインナップを紹介。
(10年くらい前。一応、スロは5号機時代も打っていた)
アイムジャグラーEX、うる星やつら、三国志、ダンスマン、
ミスターマジックネオ、科学忍者隊ガッチャマン、熊酒場、
パチスロ鉄拳伝タフ、ダイナマイトマン、バトルシーザーXXX、
機動警察パトレイバー、青ドン
など
私の脳内時計は、この時点で停止しているといってもよいだろう。
現在の業界の状況や変化などには、到底ついていけるハズもない。
このブログは、過去に活動していた一人の元ファンが、他愛ない
昔話をしているだけである。あまり多くを期待しないで欲しい。
(引退の理由…一言では表せないが、直接的な理由は、コメントされた方が
仰る通り、パチ・スロ自体に魅力を感じなくなった事だろうか。その傾向は
パチが2000年過ぎ、スロは4号機末期から出ていたが、初期5号機辺りまで
スロだけを「惰性」で打ち続けていた。それがある時、「一旦ヤメてみたら
どうなるか」と、試しに一時休養する気になって実行したところ、不思議と
ホールに戻る気は二度と起こらず、自然と引退する格好になった。その間、
大切な資金を投じるべき対象が、他にシフトしたのも大きかった。さらに、
学生時分から15年以上付き合ってきた事に、「いい加減、潮時じゃないの」
と、家族友人から五月蠅く言われたのも、影響したかもしれない。そうは
いっても、「コレ」といった決定的な理由があるとはいえず、己の感覚で
ヤメたくなった、と表現する他ない。ただ、結果的には、自分の中でいい
タイミングで足を洗ったので、過去の淡い思い出を、かかる懐古ブログで
吐き出す事ができる。異論はあろうが、今言えるのは、こんなところか。
これ以上の詳細は、当方のプライベートにも拘るので、ご勘弁願いたい。)
まぁ、それはともかく、機種紹介に戻ろう。
本機の主人公は「カニ(蟹)」。機種名からお判りの通り、
海、なかんずく「海洋生物」をモチーフにした台であるが、
その中心的な存在が、真っ赤な「カニの親子」であった。
実は、「ベルコ」と「カニ」は、切っても切れない仲。
(蟹=ハサミだけに…)
同社が1997年に業界初参入を果たした、記念すべき
4号機第一弾が、「さるかに合戦」という台であった。
さらに、その後続機として「さるかに合戦2」も同年
リリースされている。どちらも文字通り、日本昔話の
「さるかに合戦」が題材のオーソドックスなAタイプ。
図柄やパネルデザインとして、愛嬌たっぷりなカニ達が
所狭しと活躍した。
その「カニの系譜」を3年ぶりに復活させたのが、他ならぬ
本機であった。上記2機種のように、さるかに合戦がテーマ
ではないものの、ビッグ図柄が「親ガニ」で、リプレイが
可愛い「子ガニ」絡みである。さらに、上記のカニ図柄が
「親・子・子」という並びで揃うと(2通りあるリプレイの
うち1つ)、BRの期待が高まる演出「ファミリーチャンス」
(後続)へと発展。
なお、ベルコの「カニ」繋がりの流れは、本機以降も継続。
2002年の「サルカニ」(カニボーナス、サルボーナスの
ATボーナス機、BR非搭載)、2004年の「さるかに711」
(イージーマックスで容易に711枚獲得可。液晶小画面も
搭載。相模大野駅前の「シティ」で、チョイチョイ触って
いた)など、再び「さるかに合戦」モノへと回帰している。
さらに、5号機時代もカニ絡みの機種は幾つか出ていて、
数年前には、本機と同一名称のリメイク版まで出ているが、
全くもって詳しくないので、ここは触れないでおく。
また、本機はベルコお得意の「デジタル演出」も健在だった。
同社のデジタル演出というと、2000年代前半に荒波AT機と
渡り合った方々ならば、一撃万枚も射程圏内だった爆裂モノ
「スーパービンゴ」が、真っ先に思い浮かぶかもしれない。
(私もよく打った。30φもあり、ソチラは二子玉川G店で
頻繁に実戦。隣のシオラーが不調の時、一発逆転を狙って…)
ベルコのデジタル演出は、1998年登場の「ダブルアップ」まで
さかのぼる。基本、チャンス目停止で始動する2桁デジタルが、
ゾロ目停止でボーナスという、シンプルなゲーム性のAタイプ。
リーチアクションも複数あって、デジパチ感覚で付き合えた。
(新百合ヶ丘Z店では、よく「揉み揉み勝負」をしていたが)
さらに、「ゴールデンベル」(デジタルはないが音と光で告知)や
「レーザー2」(2桁デジタル搭載、ランダム告知)などを経てから、
デジタル表示が3桁に増えた「デジスロセブン」がヒットを飾ると、
ベルコの派手なデジタル演出は「デジスロチャンス」として、広く
打ち手に浸透。「ネオ7L」「ビンゴ」「デカナナ」という具合に、
同社「十八番」の演出として、シリーズ化されていった。本機も、
その流れの中で登場。デジスロチャンスもしっかり搭載していた。
本機においては、リール窓右脇に上下2段の「ツインデジタル」が
待ち構えており、このデジタルが始動してゾロ目で最終停止なら
ボーナスが確定する。
ゲーム性・演出について、もう少しザックリと説明しよう。まず、
レバーON後に「予告音」が発生する事がある。予告無し(通常
スタート音のみ)、泡音(プクプクプク)、波音(ザザザザー)、
カニハサミ音(ガシンガシン)、高音(ピロロン)の5パターンが
存在。ボーナス期待度は、高音>ハサミ>波>泡>無の順で高い。
また、「ストップ音」も、通常音以外に「泡音、ハサミ音、波音」の
SPストップ音があって、SP音発生時は、チャンス演出発展やボーナス
成立の期待が一段と高まった。
主に第三リール停止後に発生するチャンス演出には、上述の
「ファミリーチャンス」と「デジスロチャンス」に加えて、
バックライトが横一列に点灯後、下段⇒中段⇒上段と徐々に
上昇をみせる「ビッグウェーブチャンス」という演出も存在。
以下、これら3つの演出について、簡単な解説を加えたい。
ファミリーチャンスは、「親ガニ・小ガニ・小ガニ」の並びで
リプレイが揃った時に発動(カニの親子=ファミリーという意味)。
演出発生時は、成立ライン上をバックライトがルーレットの如く
動き回って、最終的にいずれかのカニ図柄で停止する。この時に、
左リールの「親ガニ」でランプが最終停止すれば、ボーナス確定
となる訳だ。但し、小ガニで停止でも、ノーチャンスとは限らない。
次にデジスロチャンスだが、第3停止後にリール窓右脇の
3桁デジタルがいきなり始動。無論、ゾロ目で止まれば
ボーナスだ。奇数だとビッグ。偶数ならバケとなる。
但し、最初が偶数でも、次ゲームの再始動時にで奇数
(ビッグ)に昇格するケースがあった。なお、BRが
確定した時点で「ビッグ」或いは「レギュラー」と、
愛らしい音声で成立ボーナスを告知する。
また、ビッグウェーブチャンスは、第3停止後にデジタル外周が
回転すると同時に、バックライトが横並び状態で横一列に点灯。
ライトは下段⇒中段⇒上段と一段づつ上がっていき、最終的に
枠上までライトが到達すればボーナス確定。コチラも、途中で
ライトが一旦止まってハズレと思わせて、再始動で枠上に届く
派手な「逆転パターン」が用意されていた。
因みに、リーチ目に関しては、チャンス演出に期待を持たせる為、
ボーナステンパイや一直線型のリーチ目を引き込みづらい制御に
なっていて、他機種よりもリーチ目が出づらい分、「レア感」が
あった。また、リーチ目降臨時、一確(左「3連親ガニ」など)や
二確(左「クラゲ・貝・クラゲ」から中リールズレ目など)なら、
即座に派手なボーナス確定演出が発生する。また、第三停止時に
リーチ目が完成した場合も、次プレイのレバーオンまでに、必ず
確定演出が起こる仕様となっていた。
さらに、ボーナス確定演出は、ストップボタンやベットボタンの
操作時、レバーオン時、コイン投入時など、ランダムに発生する
事もあって、不意を突かれて驚かされるケースが少なくなかった。
それから技術介入性だが、介入要素のほぼ無い「オヤジ打ち機」。
通常、取りこぼす小役はなく(角チェリーとクラゲは同一フラグ)、
ハズシも配列上は可能だが、変則押しすると、イジワル制御により
メインの10枚役をガンガン取りこぼす。即ち、ハズせばハズすほど
獲得枚数が減ってしまった訳だ。よって、ひたすら適当打ち全開で、
多彩な演出を楽しんでBRを察知する、初心者向けの作りといえた。
さて、ここまで書いた後にようやく触れるが、ビッグ終了後に必ず
突入する「RT」(リプレイタイム)こそが、本機の主たる特徴で
ある(触れるのが遅いな…)。
RTとは、一定ゲーム間、リプレイ確率が大幅に上昇して、コインを
減らさずに遊技が可能。そのRT消化中にボーナスを引けば、実質上
「速攻連チャン」の展開となる訳だ。岡崎産業の「ニュートラッド」
から新たに搭載されたこのRT機能は、「合法的連チャン」を可能に
するものとして、その後も多くの機種に採用されると共に、発展形
であるARTやSTのベースにもなった。さらに、5号機時代の現在も
お馴染みの機能である。本機も、まさにその一つだった訳だが、当時
ニュートラッドがデビューしてさほど経っておらず、RT搭載機もまだ
少なかった為、ファン認知度はあまり高くなかった。ただ、それ故に、
RTによる「疑似連」の魅力とインパクトは、それなりに大きかったと
いえる。
本機のRTは、原則「77ゲーム」固定。RT中はリプレイ確率が1/1.5に
アップする。RT連チャン率は、設定差こそあったが、概ね30%前後と
それなりに高かった。但し、ビッグを引いた時点で、RTは終了する。
一方、バケなら、終了後にRT再開。
当時、私は本機を小田急・読売ランド前駅近くの「スロットランド」
(閉店)という小さなスロ屋でよく打ったのだが、まさに、RT連が
決まりまくって順調に出玉を伸ばし、安ゼニ投資で4000枚越えの
大勝ちを収めた経験がある。あたかも、RT中はリプレイ確率と共に
ビッグ確率までアップしているのでは…と思わせる程、次の当りが
軽かったのだ。また、77GのRTを終えた直後にビッグを引く機会も
多く、全くストレスなく出玉は伸び続けた。あれは、恐らく設定6
ではなかったか…。その後も、3000枚オーバーとなる快勝が幾度か
あったので、総じて相性は良かった(客付きはイマイチだったが)。
なお、スロットランドでは本機の他にも、山佐「カゲツ」の激ムズな
ハズシ手順を鍛えたり、香ばしい(謎)「パタッキー」でサクッと
出したりと、当時は色々と楽しませてもらった(同時に、かなり
勝たせて頂いた)。個人的な感想だが、客付きが正直微妙な割に、
よく出してくれた「隠れた優良店」と思っている。そうそう、近くの
系列店には同時期、ジェイズビクトリー、ツインサーファー、007SP、
サクラといった、これまた香ばしい台が並んでいたっけ…(懐)。
(ベルコ「海遊記」の項、了)
嗚呼、勘違い…
(訂正)
過日、沖スロ4号機「サザンコースト30」を紹介した折、実戦店について
町田駅「ガイアWEST」と南武線・中野島駅「バンバン」と書いたのだが、
バンバンの方は、当方の記憶違いだった模様。関連コメントを下さった方、
大変失礼しました(汗)。
また、別の過去記事で、当時の沖スロ実戦店を幾つかリストアップした際、
バンバン「本店」の名を挙げたが、これも同系列である「ブラッサム」の
記載ミスであった。恥ずかしながら、本店とブラッサムの存在を、今まで
「真逆」に認識していた。2000年代初頭に私が沖スロを打っていたのは、
ブラッサムの方(本店は沖スロ未設置)。コメント頂いた方、これまた
失礼しました(汗)。改札を出て左方面がブラッサム、右方向が本店と
スロ専(閉店)ですね。
パイオニア30φにハマっていた2000年代初頭、小田急・登戸駅の「スロット
ハトヤ」2Fでハナハナとハイハイシオサイ、系列の「ニューハトヤ」で元祖
シオサイをよく打ったが、そちらの状況がイマイチな時は、南武線で1駅隣の
中野島まで出向き、件のバンバンブラッサムで沖スロを打つこともあった。
(川崎方面の電車に乗り、溝の口のエスパスやキング、ミラージュ辺りに
立ち寄る事も…。武蔵新城の沖スロ専門店、スロットサーティーにも
ちょくちょく行ったっけ。)
バンバンブラッサムは、確か、2Fスロットフロアの右奥がハナハナのシマで、
その裏(左隣のシマ)に、他の沖スロがバラエティー風に並んでいたと記憶。
メインだったハナハナのシマは、1機種だけ並んでいたので記憶は明確だが、
真裏のシマのラインナップを錯覚していた。あらためて確認した所、当時の
沖スロ設置機種は、ハナハナ30、ニューフェニックス30、シオサイ30、
キンバリー30、ステーションシティー30、ティーダ30、ハイハイシオサイ30、
オオハナビ30だったと判明(後にシマウタ30とシオラー30も設置)。肝心の
サザンコースト30は、どうやら置いていなかったようだ(汗)。
おそらく、町田ガイアでサザンコースト30を打っていた際の記憶と、
同時期に中野島で沖スロを実戦していた時の記憶が、何かの拍子に
ごちゃ混ぜになってしまい、町田と中野島の「両方」で打ったと
脳内で思い込んでしまった模様。いずれにせよ、当ブログの記事で
皆様を混乱させてしまって、申し訳ない。これに伴い、過去記事の
該当個所も、直ちに修正させて頂く。
そういえば、当時朝イチでバンバンブラッサムに行くと、入口で
缶ジュースを無料配布していた記憶がある(これも錯覚だったら
怖いが)。あのサービスは、今でもやっているのだろうか。
江古田駅(西武池袋線)パチンコ店マップ(1994年)
江古田駅(西武池袋線)界隈のパチンコ店マップ(1994年)
(当時の主なスロ設置機種も併記)
(北口)
A:ゴールドラッシュ
スーパーバニーガール、ワイルドキャッツ
(南口)
B:双葉会館
コンチネンタルIII
C:やすだ
ニューパルサー
D:日の丸
フリッパー3、ザンガスII、ニューパルサー、ジャックポットIIIA
E:ミナミ
スーパープラネット、ニューパルサー
※1990年の時点では、a「パチスロアクト」(ウィンクル、F-1、アラジン)、
b「パチスロリオ」(ガリバー)も存在(Cの「やすだ」も、90年当時は
「かめ」という古いパチ屋だった。)
90年代パチンコ番組レビュー「今夜も千両(ドル)箱」(1998年)
~90年代パチンコ番組レビュー~
「今夜も千両(ドル)箱」(1998年OA、テレビ東京)
(放映日)
1998年(平成10年)5月14日(木)
※ビデオ録画日はメモっていなかったが、番組途中の
CMから割り出しに成功(本番組は、毎週木曜深夜OA)。
・JRA「NHKマイルカップ」(5/17)の開催CM
(キムタクが、馬に干し草を食べさせるVer)
・洋画「ナッシング・トゥ・ルーズ」封切のCM(5/16から公開)
・JH(日本道路公団)の道路工事のCM(5/18~28、篠崎~幕張間)
などから特定。
(出演者、ロケ地)
・MC:斉木しげる(名人)
・この日のゲスト:安部譲二(タレント、作家)
・ロケ地:サントロペ虎ノ門(東京都港区)
(対戦台)
「CRわくわく探検隊2R」(ニューギン、デジパチ)
「CR花満伝説Z」(西陣、デジパチ)
(ルール)
自腹1万円の出玉勝負。
(番組の流れ)
★冒頭、ゲスト安部譲二61回目の誕生日(1998.5.17)を記念して
シャンパンとケーキで前祝い(虎ノ門のケーキ屋「Cake Papa」で)。
シャンパンで乾杯後、ケーキ登場…のハズが、ここでハプニング発生。
ケーキに61本のロウソクを立てたスタッフが、全てのロウソクに着火。
小さなイチゴのホールケーキは炎まみれとなり、煙がモウモウと出て
店内の火災報知器が作動。幸い、火はすぐ消えたが、スタッフ大慌て。
「ケーキのロウソクを吹き消そうとする安部、なかなか消せずに怒る」
というドッキリ企画を狙ったものだが、大失敗に終わる。それを知った
安部、「神様が(自分を困らせようとした)スタッフに与えた罰だ」と
チクリ。それでも、ロウの溶けたケーキに手を伸ばすと、「美味しい
ケーキだよ」と、平然と食べてのける豪快っぷりを見せた。
★斉木&安部、対戦ホールの「サントロペ虎ノ門店」に移動。早速、
恒例の「景品選び」(出玉は、各人が事前に選んだ景品に交換する)。
名人は、スポーツタイプのソニー製カセットレコーダー「ショック
ウェーブ」(2500発)、安部はジュンコ・シマダの真っ赤な財布
(2500発)を、それぞれチョイス。
★対戦開始。シマ端の券売機にてパッキーカード購入後(両者ともに
3000円券1枚)、ニューギンのデジパチ「CRわくわく探検隊2R」に
着席。まだ新台扱いで、周りの客も箱を積んでいる。シマに活気アリ。
★ここで、対戦機種の紹介映像。
「CRわくわく探検隊2R」(ニューギン)…大当り確率1/336.5の
液晶デジパチ。出玉は約2300個。確変突入・継続率は1/2。最高
5回のリミッター付きの新基準機。SPリーチは「男の子リーチ」
(足でダイナマイトのスイッチを踏んで、右図柄を爆破・停止)、
女の子リーチ」(ドリルを掴んでグルグルと回転⇒勢いあまって
右図柄に体当り)など。スクロール中の右図柄が横拡大すれば
チャンス。また、デジタル始動後、背景画面に「金の宮殿」が
浮き出る予告が発生すると、期待度はさらにアップ(管理人註:
左中同時停止テンパイなら、リーチ次第で鉄板となる場合も)。
「CR花満伝説Z」…大当り確率1/341の液晶機。名機「CR花満開」の
後継マシン。大当り図柄に数字の他、パチンコ大賞、ニューモンロー、
魔界組、レッドライオン、ダービーキングの各ヤクモノキャラを使用。
SPリーチも豊富で、「スローリーチ」(背景が緑・黄・赤に変化)、
「羽根モノリーチ」(ヤクモノ図柄時のみ発生)、「パンチリーチ」
(一旦ハズレ⇒ゲンコツ出現で右図柄パンチ⇒全回転状態で再始動)、
「全回転リーチ」など。初代で激アツだった「花満リーチ」も健在
(サクラ・サクラの旋律に乗り、右図柄の花びらが散るアクション
(管理人註:BGMにはハイテンポ、ローテンポの2種類があって、
ハイテンポの方がアツい))
★続いて、「今週のラッキーリーチ」紹介(これで当ると温泉宿泊券)
・CRわくわく探検隊2R⇒「男の子リーチ」(上述)
・CR花満伝説Z⇒「羽根モノリーチ」
(5種のヤクモノ図柄のリーチ時のみ、発生の可能性アリ。
画面がハネモノの「ヤクモノ入賞場面」に切り替わる。リーチ図柄が
そのままセンターヤクモノとして出現。金色の玉がV入賞なら大当り。)
ゲストがラッキーリーチで当ると、ペア温泉宿泊券ゲット。斉木名人が
当てた場合は、視聴者へプレゼント。今週は、過去3週分の持ち越しも
あるので、当たれば計4軒分まとめての放出と豪華。貰える宿泊券は
・「塵表閣本店」(長野・上林温泉)
・「ホテル白銀」(長野・湯田中温泉)
・「鉄鉱泉本館」(長野・下諏訪温泉)
・「石苔亭いしだ」(長野・昼神温泉)
の計4軒分。
★さらに、獲得出玉一万発を超えると、ペア4泊6日のハワイ旅行。
ビジネスクラスの豪華旅。宿泊はホノルル「ヒルトン・ハワイアン
ビレッジ」のアリイ・タワー。この放映分では映っていなかったが、
同ホテル支配人が妙なアメリカ訛りで「ガンバッテ、クダサ~イ」と
応援メッセージを送るVerもあった。
★斉木、ザックリと安部にルール説明。「回してりゃ、出ますから」と
あまりにザックリ過ぎる名人の言葉に、「無責任な名人」のテロップが。
★斉木、データロボで事前チェックしたレシートを安部に見せて、
「(安部の)36番台は、データによりますと、良い台ですね」
★ゲストの安部、おもむろに一冊の本を取り出して、自著の新刊を宣伝。
「天下御免の13人」(1998年、PHP出版)
橋本龍太郎、和田アキ子、妹尾河童など、安部と個人的に交流のあった
有名人13名の裏話やエピソードを紹介した本。斉木が「妹尾河童さんの
ライターの話もあるんですよね」と振ると、衝撃的「逸話」を披露する。
安部と妹尾が二人で飲んでいた時に、手元の百円ライターを見た安部が、
「お前、これ飲めないだろ?」とからかい気味に聞くと、「飲める」と
言った妹尾は、そのままゴクリと丸飲みしてしまった。病院に行くと、
胃の中のライターの口金がレントゲンに写っていたが、10時間経つと
「下から」出てきた、とのこと。
★続いて、恒例の設置機種ベスト5(「サントロペ虎ノ門」編)紹介。
第5位「CRレッツおとぎ村A」(マルホン)
第4位「CR大工の源さん」(三洋)
第3位「CRFデーモンGP」(SANKYO)
第2位「CR花満伝説Z」(西陣)
第1位「CRわくわく探検隊2R」(ニューギン)
※リミッター新基準機時代を反映した順位。それでも「源さん」がランクイン。
★安部、何度もリーチがかかるが悉くハズレ。最初の3000円をあっさり
飲まれると、再び券売機で3000円カードを1枚購入(計6000円を投資)。
ほぼ同じタイミングで、斉木名人も二度目のカード購入。ここで名人、
お得意の「1000円券・二枚買い」の作戦に出る(計5000円分を投資)。
過去にも、この方法でパッキーを買った後、何度も大当りさせている。
まぁ、縁起を担いだ「オカルト」ではあったが、視聴者には楽しみな
「定番シーン」といえた。
★安部、液晶背景に「金の宮殿」が出現。「大当り予告演出」だが、
実際はハズレも多かった。ただ、斉木の中ではこの予告の信憑性が
高いらしく、安部に「来ました、これですよ!これです!」と興奮。
安部も固唾をのんで液晶を見つめていたが、かかった女の子リーチが
あっさりハズレ。すると、ここから立て続けに安部にリーチ。「3」と
「女の子」のWリーチ(男の子リーチ)、「スフィンクス」「ミイラ」の
Wリーチ(女の子リーチ)とSPリーチが連発するも、一向に当る気配なし。
「あー、もう、この野郎!」と、露骨に悔しがる安部。
★券売機でさらに2000円カードを購入した安部(計8000円分投資)、
「別の台をやるよ」と斉木に告げて台移動。CR花満伝説Zのシマに。
各台の頭上データランプを見て「166回転、大当り0」の台を選択。
「これは、今までに1回も出てないんだよ!」と、ごくありふれた
履歴について、オーバーアクション気味に解説。
★斉木もなかなか大当りしない。1000円二枚買いは奏功せず、普通に
3000円のカードを購入(計8000円を投資)カニ歩きして、右へ右へと
台移動をしているようだが…。すると、再三のリーチを外した名人が、
おもむろにカメラに向かって、「えー、まことに早いとは思いますが、
あまり出る気が致しません、今日は。こういう時は、早めにヤメて
帰りましょう」と、まだ残金があるのに弱気な発言。
★安部も調子はイマイチ。最初に選んだ大当り0の台をヤメて、2台右隣りの
大当り8回の台へ移動。「8は末広がりだから」が選択の理由。座った直後に
リーチが外れるが、カメラに「もう出るぜ、もう間もなく出るぜ。」と宣言。
★すると、その直後に、安部ではなく、斉木の台にリーチが。女の子図柄が
上段にテンパイして、SPリーチ。これが女の子リーチとなり、見事大当り。
待望の確変をゲット。安部の「野性的カン」が、見事的中(?)した形だ。
★直後、安部の花満伝説にもリーチ。「5・5」とテンパイすると、待望の
花満リーチ(花びらリーチ)に発展。サクラ・サクラのメロディがシマに
響き渡る。2周目の「4」が崩れれば大当りとなる。が、惜しくも散らず…。
絶好のチャンスを逃してしまう。ここで安部、「このオヤジが邪魔なんだ」
と一言。パチンコ大賞のオヤジ図柄を、盛んに気にする(真意は不明…)。
その後も、立て続けにリーチをハズした安部、ついに「オレには才能が
無いんだ」と、意気消沈してしまう。
★ここで「パチンコ店大募集(自薦・他薦は問いません)」の告知。
(ロケ地候補の優良店を、番組内で募集するという形をとっていた)
★告知後、安部の花満にスローリーチがかかる。背景は黄。赤>黄>緑の順で
期待できたが、実際には黄でもよく外れた(期待度の高い赤でもハズレ多し)。
案の定、このリーチもハズレ。その直後、今度はリーチが1コマ手前で一旦
ハズれた後、画面にゲンコツが出てきて、右デジをド突く「パンチリーチ」
へと発展。全回転で再始動アクションを見せるも、大ハズレ。「ゲンコツが
出たのに…」と、唖然とする安部。
★一方、確変を引いた斉木の台に、自ら「アツい」と強調する「金の宮殿」
予告。だが、普通にハズれると「あれ、意外と当たりませんね」と呟く。
その後、宮殿予告からラッキーリーチ「男の子リーチ」がかかって大当り。
だが、揃ったのは単発図柄の「サソリ」。あえなくワンセット終了。斉木、
「私はさそり座だからな。サソリで当るわな。別に関係ないけど」と一言。
これにて、計4軒分の温泉宿泊券は、視聴者プレゼントと相成った。
★安部、ついに1万円を使い果たしてギブアップ。だが、割と楽しんだ様子で、
「凄く面白い、このごろのパチンコは。ハイテクだよ。桜の花びらが散るんだよ。
おまけに、パンチをするんだよ。(図柄が)吹っ飛んじゃうんだよ。面白いぜ。
でも、俺やられちゃった。」と総括。当らず負けても、どこか満足気である。
★大当り中の斉木の元に安部が来ると、待たせておくのが忍びないと思った
名人、1000円分の度数が残った自分のパッキーを、安部にプレゼントする。
その斉木、「パチンコは、幾つになっても結構楽しめるんじゃないですか?」
と安部に問うと、「なんで、オリンピックの競技種目にないんだろう」と、
真面目な表情で切り返す。それを聞いた斉木、「だって(パチンコは)
日本だけだもん」と苦笑い。
★斉木の大当りが終わって、対戦終了。計数の結果、斉木は計2回の当りで
3787個をゲット。一方、安部は一度も大当りせず、獲得個数もゼロ。安部、
温泉宿泊券が視聴者行きとなった事に、「僕がヘボでよかったですね」と
自嘲気味。さらに、すっかりパチンコでヤラれた自分を、「ガブちゃん」
と表現する。斉木が「どういう意味ですか?」と訊ねると、「有森裕子の
旦那さんだよ」。恐らく、この放映の数か月前、有森さんと結婚した直後、
自らの金銭問題等が発覚して、早々に「別居会見」を行った外国人夫(当時)
「ガブリエル氏」(有森さんに「ガブちゃん」の愛称でと呼ばれていた)に、
パチンコで負けた己の不甲斐なさを重ね合わせた、安部氏独特の表現だろう。
エンディングで恒例だった「アナタにとって、パチンコとは?」の問いにも、
「ボルダーのガブちゃん(ボルダーは有森さんとガブリエル氏が出会った、
コロラド州の地名)のガブちゃん」と、皮肉っぽく答えていた。
★この日の賞品は、ショックウェーブ1名、温泉宿泊券4軒分×各2名、
「天下御免の13人」(安部の新刊本)計5名と大盤振る舞い。しかし、
賞品ゲットの為には、「翌週のゲストの出玉」を予想して、ハガキで
送らなければならなかった(結構、ハードルの高いクイズである)。
(エンディングテーマ)
スーパーソニックフロート「追いかけたい」
(今夜も千両(ドル)箱、ゲスト安部譲二の項、了)
CRオーシャンブルー(奥村、デジパチ)
1995年(平成7年)に奥村遊機から登場したCRデジパチ
「CRオーシャンブルー」
★賞球:5&15
★大当り確率(通常時):1/401(設定無し)
★ワープルート搭載
★デジタル停止順:左⇒中⇒右
★デジタル図柄:
「0~10」の数字11種と、「A、B、C」のアルファベット3種。
但し、右デジタルの「1、3、5、7、A、B、C」の7図柄には、
左・中と同じ図柄(単発)と、「白抜き(反転)」の同図柄
(確変)の2種類が存在。右デジは白抜きでも大当りなので、
大当りパターンは21通りとなる。なお、ブランク図柄は「ヒトデ」。
★確変突入率(継続率)…7/21(=1/3)
・左・中ゾロ目+右のみ白抜きの同図柄(7通り)⇒確変(+2回ループ)
・同一図柄の3つ揃い(14通り)⇒単発
★確変中の大当り確率:7/401≒1/57.3(通常時の7倍アップ)
★時短機能搭載
⇒単発後、又は確変終了後、デジタルが「55回転」するまで
ミニアタッカーが開放し易くなる。後に出た源さんのように
確変終了後のみ時短(アチラは100回)でなく、単発当りの
後も必ず55回時短が付く。引き戻しが絡めば出玉大幅アップ。
なお、小当り確率は常に9/10で、小デジ変動時間も常に5.8秒だが、
確変及び時短中は、小デジ当選でミニアタッカーが「1.4秒×4回」
開放する(通常時は、小デジ当選から25秒経った後、0.1秒開放を
1回のみなので、ほとんど恩恵が無い。)
★小デジ用チューリップは、当時の平和の機種を意識
したかのような、「ミニアタッカー」を採用していた。
★確変平均継続数(時短引き戻しを加味した理論値):5.08回
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
本機は、「海」をモチーフにしたCRデジパチである(最近、海絡みの
機種が続く…寒いので、早く夏になってくれ、という願望の現れかも)。
デジタル背景色の黒に、青白く浮かび上がる蛍光ドット表示が、機種名
「オーシャンブルー」のイメージにピッタリで、何とも味わい深かった。
盤面右上に描かれた、「武田久美子の貝殻」をさらに過激にしたような、
セクシー人魚のイラストも、インパクト大。
図柄にも特徴があって、偶数図柄が「イカ、タコ、カニ、エイ」といった
海洋生物の絵柄になっていた。奇数は、9の「タツノオトシゴ」を除いて、
普通の数字だが、図柄周りに「泡」をあしらった、海を意識したデザイン。
リーチアクションは6通り。ノーマルに加えて、「泡リーチ」「網リーチ」
「伸縮リーチ(影リーチ)」「サメユラユラリーチ」「サメ高速リーチ」
と、SPリーチが5種類。また、通常時の前兆として、デジタルのスベリや
戻り、左デジ停止時の泡出現といった「予告」演出も存在。予告アクション
発生時は、リーチに発展した。なお、一旦ハズレ停止後、二段階(再始動)
アクションが起これば鉄板となった。
ただ、リーチアクション自体が多くても、実際期待できたのは、画面に
「サメ」が出た時のみであった。それ以外は、たまに当る事はあっても、
大抵が「スカ」となる。ザックリ言えば「サメ待ち」。そのサメ絡みの
リーチには、「ユラユラ」(右デジが大当り図柄と1コマ先(手前)を
行ったり来たり)と「高速」(右デジが高速スクロールして停止)の
2種類が存在。特に、ユラユラの場合、右デジが単発図柄と確変図柄
(白抜き図柄)の同数字間を上下すれば、その時点で大当りが確定。
後は、確変か単発かの勝負となった。無論、高速時の二段階も鉄板。
本機の実戦店は、新宿・歌舞伎町「日拓1号店」や、上野プチ遠征の際の
「ピア上野」など。上野では、妙にアツくなって投資が4万近く嵩んだ後、
運よく確変ループと時短連が絡んで、チャラまで戻した記憶がある。また、
2000年前後の末期には、京王線・調布駅の「リラ」でも何度か打った。
当時、類似スペックの先行機だと、マルホンの1/3ループ+時短搭載機
「CRスパークシュート」などが既に存在(確変ループ率4/19、時短が
確変後のみ200回の西陣「CR撃墜王」も、一足先にデビューしていた)。
但し、「CRスパーク~」の時短回数は単発(及び確変終了)後の50回。
後に出た本機の方が、「5回転」分だけ多くなっていた。
但し、CRスパークシュートは確変・単発を問わず、出玉2300個が
約束されたのに対し、本機は単発なら2300個だが、確変で当ると
最高12ラウンドで1800個弱しか出ない仕様。出玉面では、大いに
不利があった。必然的に、確変がループした場合、連チャン数が
同じでも、途中で引いた単発(確変より出玉が3割多い)の回数に
よって、トータルの出玉数も変動した。即ち、確変中の「展開」も、
ある意味で重要となった訳だ。
なお、「1/3継続フルスペックで時短付き」では、空前のヒットを
飾った爆裂機の「CR大工の源さん」も、忘れてはならないだろう。
コチラはご存知の通り、確変終了後に100回の時短が付いてきた。
単発だと特典無しだが、その分、確変当選時の「伸びっぷり」が
別格扱いだったのは、今さら説明するまでもないだろう。因みに、
時期的には、本機登場から数か月後、源さんがデビューしている。
しかし、改めて振り返ると、メーカーが本機の時短回数を「55回」に
設定した理由が、今更ながら気になってくる。CRスパークシュートの
「50回」を塗り替える意味ならば、キリの良い「60回」でよかったハズ。
まぁ、それだとスペックが甘すぎたのかもしれないが、あえて「55」と
いう数字を選んだ裏には、何か「特別な理由」がある気もするのだ。
そういえば、本機登場の「1995年」は、スーパー高校生スラッガーだった
松井秀喜選手が、鳴り物入りで読売ジャイアンツに入団して、丁度3年後。
長嶋茂雄監督の下、次第に活躍を見せ始めて話題となっていた時期である。
同年、チームは3位に終ったが、松井自身は打率.283、本塁打22、打点80の
好成績を残した。当時の奥村モナコ開発陣が、若き強打者の背番号「55」に
あやかって、時短回数を「55回」に決めたと考えるのは、こじつけが過ぎる
だろうか。
まぁ、55は「GOGO」に通じる、縁起のいいゾロ目なので選んだだけかも
しれないし、開発者の中に「コント55号」の熱烈なファンがいた可能性も
ある。まぁ、これ以上突っ込んで考えるのはヤメておこう。
(奥村「CRオーシャンブルー」の項、了)
エキサイトバーンA(ニューギン、デジパチ)
1996年(平成8年)にニューギンから登場した
現金機デジパチ「エキサイトバーンA」
★デジタルにニューギンお得意の「ベルト」を採用
★5ライン機(上・中・下段とクロス)
★賞球:7&9&15
★大当り確率:1/217
★デジタル停止順:左⇒右⇒中
★大当り図柄:赤7、青7、BAR、Liberty、プラム(JAC)、オレンジ、
ベル、レモン、チェリーの計9種類。(パチスロの図柄を意識)
★最高16ラウンド継続
★出玉:約2350個
★ノーマル機
★ワープゾーンと大型ステージを搭載(セブンショックを踏襲)
デジタル両サイドを転がった玉は、左右ワープ入口を経由して
中央のステージに乗ってから、手前のヘソにアプローチする。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
一撃の爆発力がある「CR機」でも無ければ、当時流行りの「時短付き現金機」でも無い。
ニューギンお得意のベルトが特徴だが、それ以外はごくありふれたノーマル現金機。
これといって特徴的な部分は無かった感じもするが、一時期、本機の独特な
「引力」に引き寄せられて、しばしば対峙した。記憶に「刺さる」一台だ。
1996年初夏、当時足繁く通った、新百合ヶ丘「Z店」(現存)でのこと。
この時期の同店は、1FがCR機の新台や人気台(大工の源さん、黄門ちゃまなど)、
大量獲得の権利モノ(ミルキーバー、エキサイトコンバット、カーニバルなど)、
ハネモノ(たぬ吉、ファインプレーなど)、さらに現金機デジパチを設置。一方、
2Fはパチ・スロ併設。パチがマルホンのジャングルハウス、三星トリプルキング、
大一のCRバトルヒーローVと、やはり現金機とCR機双方が並んでいた。一方、
スロは定番のクランキーコンドルやニューパルサーに加えて、「ガセ目」が
悩ましいオリンピアのジョーカーとブルーマリーンIIなど設置。パチは基本
「ラッキーナンバー制」だが、一部に無制限のシマもあって、また午前中の
「前台無制限タイムサービス」なんかもあった。
で、その日は2Fのスロで結構ヤラれてしまって、財布の中身をウンと軽くして
1Fに降りてから、往生際悪く、安ゼニでの逆転を狙ってシマをウロついていた。
すると、現金機のシマの一角で、以前どこかで見たような「顔」が目に入った。
近づいてみると、少し前に好んで打ったニューギン「フルーツマシーン2A」や
「セブンショック」を思わせるベルト台である。機種自体は初見だが、いかにも
ニューギンチックな面構えが面白そうにみえた。頭上には「新台」の張紙。
さらに、メーカー製と思しき「遊戯説明プレート」(ガラス枠に入っていた
ヤツ。LNのルールなども表示してあった。)には、こんな「怪しい文言」が。
「甘い確率だから、よく当るよ! 感動・涙の大当りリーチ!?」
実際、その時は、大当り確率など詳しいスペックも知らなかったが、露骨に
ニューギン公式(?)のプレートにこう書かれては、「ひょっとして、この
新台は、規制をものともせず数珠連でバシバシ当る仕様で、あっという間に
ドル箱の山を築いて、打ち手は感動の涙を流すのではあるまいか」と期待を
抱き、即座に腰を下ろす他はなかった。
ただ、結果的には、この時も次の実戦もその後も、特段「よく当る」とは
思えず、ひたすらノーマル然とした、ダラダラした出方をするのみだった。
箱は積めても、せいぜい3箱がいいところ。釘もさほど甘い感じはしない。
(但し、構造上、必ず左右ワープを経由してデジタル手前のステージに
乗ってからヘソに向う為、台毎のネカセやステージのデキで回りも変化)
それでも、遊技説明プレートに書かれた「よく当るよ!」の謳い文句が
目に入るたびに、「コイツは、他機種よりも大当りし易いんだ」という
意識が芽生えてしまって、まるで「暗示」にかかったかの如く、何度も
本機のシマに通うことになった。他で負けても、この台を打てば損失を
補てんできる…というような、極めて安易な発想である。
実際、本機の大当り確率は「1/217」。時短などの「付加価値」の無い
ノーマルデジパチとしては、別段驚く程の高確率ではなかった。一年前
同社から登場したノーマルドラム機「エキサイトドラゴン2」(1/224)
よりは当り易かったものの、ノーマル機で「1/200」程度の高確率台は、
ちょっと前までゴロゴロしていた。本機の1/217が、果たして堂々と
「甘い確率」といえるかは、正直微妙なところであった。
因みに、私は隣駅の「J」(現存)という店で、確率1/201のノーマル機
「フィーバールーセントDI」(大同)を打った際、数珠連がガンガン続き、
あれよあれよという間に10数箱積んでしまった経験を持つ(これぞまさに
「甘い確率だからよく当たる」の展開)。そういった「高確率故の偶然の
爆裂」は、本機では一度も体験しなかった。とにかく「ダラダラ」の展開。
但し、不満ばかりという訳ではなく、ベルト独特のデジタルの動きも堪能。
本機のリーチアクションは、さほど凝った感じはなく、非常にシンプルな
部類に属した(それ故に、楽しめたのも事実)。
「フルーツマシーン2Aの後続機」というポジションだったが、リーチ時の
ベルトの動きは、寧ろセブンショックに近かった。左右でテンパイすると
(上中下段とクロスの5ライン)、中デジが高速気味にスクロールした後、
大当り4コマ手前の地点で、カクカクとリズミカルに動く「コマ送り」か、
ジリジリと気を揉むようにゆっくり進む「スロー」の何れかに分岐する。
セブンショックなら、これらの他にノーマルリーチもあったが、本機は
基本この2パターンのみ。信頼度のより低い「スロー」が、ノーマル的
扱いだった。コマ送りの方が信頼度は上な訳だが、それでもごく普通に
ハズれたし、スローからでもアッサリと揃ったりした。なお、いずれの
リーチも最大2周+1コマまで進むが、1周目、2周目のどちらでも当った。
また、いずれも1コマ下で一旦止まってハズレと思わせて、サッと戻って
当る再始動(二段階)アクションが存在(⇒鉄板)。
なお、リーチを「基本この2パターン」と書いたのは、左⇒右とテンパイ
した直後、いきなり中デジも揃う、不意を突かれる「ノーアクション」の
当り方もあったからだ。当時のニューギン・ベルト機ではお馴染みだった。
(ノーアクションでハズれた後、即・再始動して揃うパターンもアリ)
それと、配列上、ダブルリーチ(2通り)、トリプルリーチ(1通り)が存在。
(リーチとなるパターン数は違うが、やはりセブンショックを踏襲)。特に、
トリプルリーチ(BAR・赤7・Liberty)がコマ送りリーチに発展した時は、
大当り図柄付近に中デジが来た時、「当り⇒ハズレ⇒当り⇒ハズレ⇒当り⇒
ハズレ」とコマ送りで交互に進んだから、2周目の大当り近辺までリーチが
伸びれば、かなりアツくなれた。
余談だが、1997年5月OA、日本テレビ深夜バラエティ「DAISUKI」の
パチンコ対決で、本機が対戦台になった事がある。ゲストは千堂あきほ。
ロケ地は門前仲町「パーラーミナミ」。出玉結果は、本機と「レモン牌」
(平和)で当てた松本が、計4474発でトップ(前年のパチンコドラマ
「グッドラック」で主役を張って以降、どこかヒキが強くなった印象)。
2位は、本機で1回大当りさせた千堂(2237発)、中山と飯島の両名は、
惜しくも出玉0に終わった。
(1回戦:三洋「スクランブルエッグV」、2回戦:平和「レモン牌」
3回戦:ニューギン「エキサイトバーンA」)
(C)日本テレビ
(ニューギン「エキサイトバーンA」の項、了)
もう一度見たい、懐かしのTV番組Best5
この歳になると、幼少時や学生時分、或いは20代の若い頃に見た
テレビ番組(ドラマ、バラエティ、お笑い、クイズ、アニメなど)
に、少なからず愛着、郷愁、ノスタルジーを感じたりする。そう、
90年代パチ・スロと同様に…。
幸いなことに、現在では地上波は勿論の事、BSやCSにおいても、
過去の番組が再放送される機会が、非常に多い。また、Youtube、
ニコ動、FC2動画といったネット動画サイトでも、そういう類の
レトロな番組をアップして下さる投稿主は、少なからず存在する。
なので、コチラが番組のタイトルさえ記憶していれば、たとえ
ン十年前のものであっても、意外と再視聴の機会には恵まれる。
何とも、便利な世の中になったものである。
ただ、そういう中にあって、何年、何十年待っても再放送の兆し
すらない、「お蔵入り」状態の番組も少なくない。こちらが幾ら
渇望して、時にはTV局に要望メールを送ってみても、全く以て
効果がなかったりする。例えば、日テレにて1996年(平成8年)
水曜22時から放映されていたパチンコドラマ、「グッドラック」
(主演:松本明子)などがそうだ(2000年代初頭にBSで再放送
されたようだが…)。今まで、同局は勿論、90年代国内ドラマを
取り扱うBSやCSの各チャンネル宛に、同作の再放映を要望する
リクエストメールを何度も送っているが、成果はないままだ。
まぁ、私自身であれば、当時ドラマを見ていた記憶に加えて、
VHS版のビデオも全巻所持しているので、ストーリーは全編
押さえている。しかし、再放送を切望する方が多いことは当然
知っているし、今の若い人も含めて大勢の方に視聴して欲しい
「隠れた名作」と思っていて、今後もリクエストは続ける所存だ。
まぁ、それはともかく、今回は「今まで再放映の機会が無いが、
個人的にもう一度再会したいレトロ番組」を、ベスト5形式で
紹介したい。この記事をきっかけに、地上波、BS、CS等での
再放映が実現したり、ネットで動画が上がったりする展開を、
密かに期待して…(映像自体を局も個人も持っていなければ、
もはや叶わぬ夢だが)。
第5位
「人生ゲーム ハイ&ロー」
(1979年10月~1982年9月、TBS)
視聴者代表参加のクイズ(双六)番組。司会は、キンキンこと故・愛川欽也。
パネルボードを使った出世型の双六ゲームだった。毎回複数のチームが出場、
全チームが「ヒラ社員」のポジションからスタートする。双六でコマが進むと
役職も徐々に昇進し、最終マスの「社長」の座を目指して対戦する形式だった。
各チームは自分のターンになると、ズラッと並ぶ「トランプ」型パネルボード
(裏向き)から一枚指定する。それをめくると、描かれているカードの数字分
(1~13)だけ、コマを進める。但し、各マスにはハート、ダイヤ、クラブ、
スペードの各マークがあって、止まったマスのマークに応じてイベント発生。
ハートやダイヤなら、賞品ゲット可能なチャンスイベントだが、スペードは
降格や商品没収など、不利なアクシデントが起こった。また、途中にあった
「ゴールデンクラブ」(金色のクラブマークが描かれた、豪華なマス)に
止まれば、嬉しい「二階級特進」で一気にジャンプアップする。キンキンが、
事あるごとに「上か、下か?」と解答チームに問いかけるシーンも懐かしい。
上下二段ボックスの何れかに豪華な賞品、他方には安い商品が入っていて、
回答者は二択でどちらかを選ぶ。また、ある数字に関する問題が出されて、
「(答えは)〇〇(数字)より上か下か?」の二択で答えるクイズが定番。
さらには、ポーカーの「ダブルアップ」的なパネルイベント(パネルの
カードをめくって、次に出るカードの数字がそれより上か下かを当てる)
も存在した。
第4位
「追跡(テーマ:パチンコ)」
(1990年12月21日OA、日本テレビ)
司会が(故)青島幸男と高見千佳、ナレーションが小林完吾アナによる、
情報バラエティ。毎回、様々な流行や事象について特集を組んでいた。
パチンコがテーマとなったこの回は、当時の「パチンコ攻略マガジン」
誌の人気連載企画、「3時間1万円一本勝負」(読者代表の出玉対決)に
番組の取材カメラが密着。その一部始終がお茶の間に流れる事となった。
勝負の様子は同誌にも掲載されたので、大まかな流れなら今でも確認は
可能だが、やはり肝心の映像シーンを忘れかけていて、もう一度見たい。
当時はパチに接して1年目、何を打っても面白く、パチに関する番組は
何でも満足だった。一発台「フェアリー」(京楽)や「ビッグポーター」
(マルホン)、デジパチ「ダービー」(京楽)や「エキサイトマジック」
(ニューギン)、ハネモノ「パチンコ大賞13」(西陣)が対戦台として
映った。途中、出場者が特殊景品を手に、店外路地裏の換金所に向かう
場面も流れて、「こんなシーンを映して大丈夫か?」と不安に思ったり。
結局、ロケ地となったホール(都営新宿線・瑞江駅の「ニュースター」)
の常連だった、スナックママの樋口さんが優勝。常連は有利だよな…。
第3位
「すりかわった恋人 獄中のペンフレンド 私はニセモノに抱かれた!」
(1985年5月13日初回放映、テレビ朝日(「月曜ワイド劇場」枠))
罪を犯して服役中の囚人(江藤潤)は、ひょんなきっかけで一人の女性
(大谷直子)と文通を開始。お互い、顔も形も知らない同士だが、その
ピュアな文面から人柄を推しはかり、自然と惹かれ合って健全な交流を
続けていた。そんな彼が、もう少しで懲役を終えて出所するという時に、
同じ房にいた服役囚(地井武男)が文通の事を知り、ある悪事を企む。
それは、一足先に出所する立場にあった自分が、先に女性と会って
「文通の相手だ」と偽り、彼女に近づこうというものであった。
「お前の近況を彼女に伝えてやるよ」と嘘をつき、女性の住所を
聞き出すと、文通の相手に成りすまして接触に成功。そのまま、
彼女を騙して交際を始める。最初こそ、真面目で誠実なフリを
していた男だが、次第に「強姦犯」の卑劣な本性を現していく。
そして、彼女も騙されていることに、段々と気付いていくが…
(この後の展開がかなりうろ覚えなので、もう一度見たい)。
初回放送はテレ朝月9の「月曜ワイド劇場」だったが、自分が
見たのは別の日の昼過ぎにやっていた再放送。丁度、中学の
部活から帰宅すると、家には誰もいない。居間に唯一あった
テレビをつけたら、このドラマを放映していた。意外にも、
スリリングな展開の連続で面白く、ついTV画面に見入って
しまった(地井武男のワルっぷりが、とりわけ記憶に刺さる)。
途中、主演の大谷や、共演の小田かおる(80年代ドラマで、お色気
担当女優といえば大谷とこの人だろう。早乙女愛も好きだったな…)
のベッドシーンが何度も出てきたりして、「ここで親が帰ってきたら
ヤバイ」とドキドキしながら見ていたのも思い出す。あと、ロケ地が
小田急沿線ぽかった(大谷と地井がアパートに仲良く向かう場面が、
豪徳寺や成城学園辺りの風景に見えた)。
第2位
「人工衛星クイズ」
(1984年3月22日、同29日、日本テレビ(木曜スペシャル枠))
コチラも視聴者代表参加型のクイズ。当時、大人気だった「アメリカ
横断ウルトラクイズ」のスタッフが制作。司会は故・児玉清。全2回
放映だったらしいが、自分は1回分(スイスの時)しか覚えていない。
各参加チームは、最初に勝ち抜き式の予選クイズをクリアしてから
「本戦」に挑む。「人工衛星クイズ」の名の通り、収録スタジオと
ロケ地の海外とを、衛星回線で繋いで中継していた。本戦では、謎の
「ヒント」が幾つか書かれた「指令書」が最初に提示され、参加者が
その謎をスタジオで順次解き、ロケ地のリポーターに「〇〇に向え」
「〇〇の部屋を探せ」等と行動を指示。出されたヒントを全て解けば、
任務完了で成功となる。但し、制限時間オーバーなら失敗。特に記憶に
残るのが、中世の雰囲気溢れるヨーロッパの古城の中をリポーターが
駆け回り、指示に応じて各部屋でアイテムを見つけていくシーンだ。
そのヒントの中に、「女性が花を摘む場所には…」と出た時、一緒に
見ていた母親が、「山登りではトイレの隠語が『花を摘む』だから、
多分トイレね」と即座に言ったのを覚えている(実際、正解だった)。
また、リポーターは音声指示しか聞こえない為、スタジオと現地では
微妙な「タイムラグ」も発生。制限時間が超過して任務が失敗となり、
スタジオで回答者らがガックリと肩を落としているのに、その様子を
知らないリポーターが、必死に現地を駆けずり回る「空回り」ぶりも、
何気に印象的だった。なお、現地リポーターを務めたのは、若き日の
山下真司。インカムを通じてスタジオの指示が入ると、ヘリコプター、
車、徒歩などで目まぐるしく移動。当時の山下は、人気の刑事ドラマ
「太陽にほえろ」でのスニーカー刑事役が当たり、既に人気者だった。
なお、このクイズの半年後、伝説の学園ドラマ「スクールウォーズ」が
TBSで放映開始され、山下は熱血教師、滝沢賢治役でさらにお茶の間の
人気者となった格好だ。そういえば、少し前に地上波の「マツコ有吉の
怒り新党」という番組の中で、このクイズが取り上げられて、当時の
貴重な映像も流れたという。その時の動画でもいいから、誰かアップ
してくれないかな…(静止画像は、既に複数アップされているが)。
第1位
「宣伝屋マリちゃん」
(1992年10月放映、テレビ朝日(「ネオドラマ」枠、月~木4話連続))
映画「櫻の園」で脚光を浴びた女優、白島靖代が主演。初回放映は
92年10月の深夜枠だったが、自分は94年の夏休みに再放送を視聴。
当時、大学図書館で「櫻の園」のレーザーディスクを偶然視聴して
白島さんの大ファンになっていた私は、テレビ雑誌を毎度買い込み、
彼女が出演するドラマや映画が無いか、くまなくチェックしていた。
そんな時に見つけたのが本作だ。以前はビデオに録画してあったが、
確か、運悪くテープがデッキに切断されてしまい、もう20年近く
見られないままである。ストーリーは、白島さんがデパートや
スーパーなどで新製品やアイディア商品などを宣伝する「実演
販売人」マリの役を演じていた。櫻の園では寡黙なイメージが
強かった彼女だが、本作では実演販売お馴染みの「売り口上」を、
主婦を相手に元気にやってのけた。キャベツを千切りする為の
「スライサー」とか(「切ったキャベツは、冷たい水につけて
おけば、パリッとケンが取れて甘くなる!」なんて台詞もあった)、
玉ねぎを切る際に付ける「安全器」とか(アップで商品片手に
「安全器~!」なんて叫んでいた)、そういった類の商品を、
デパートの一角を使って大声で実演販売していたのだ(或いは、
かの「マーフィー岡田」が監修していた?)。それと、石倉三郎が
実演販売会社の優しい社長役を演じていた。マリは超売れっ子の
販売人だが、同時に貧乏劇団の座長も務めていて、実演で稼いでも
稼いでも、赤字劇団の維持で吸い取られてしまいピーピー状態。
社長の石倉から何度も給料を前借したり、その美貌を生かして
銀座辺りの高級クラブで派手に化粧して、酔客の相手をしたりと、
いつも金の工面に四苦八苦していた。その劇団員役を、宮川一朗太や
奥貫薫などが演じた。マリの恋人役は豊原功補だったかな。あと、
宮川だか豊原を誘惑するセクシーな女性(或いは銀座のクラブで
マリのライバルだったかも)を、東レのキャンペーンガールだった
杜川真季が演じていた。ラストシーンでは、マリの劇団の公演が
無事成功するのだが、そのロケ地となったのが、今はなき小劇場
「シアターV赤坂」だった事も思い出す。
本作以外にも、このテレ朝深夜枠「ネオドラマ」は、名作佳作が
山ほどあった。初回放映から24年、現在のところ、全く再放送の
兆しすら見られないが、ぜひとも再会を果たしたいものである。
まぁ、この他にも再放映して貰いたい番組は、数多くあるのだが…
(スエイ編集長がパチンコ情報コーナーで出演した、テレ朝深夜の
「プレステージ」とか、故・逸見政孝がMCだった、テレ朝「素敵に
ドキュメント」のパチンコ特集とか、70年代辺りによくやっていた、
制限時間内に母親が子供に服を何枚も重ね着させて、着せた分だけ
賞品が貰えるチャレンジ企画など)、今回はこの辺にしておこう。
(もう一度見たい、懐かしのテレビ番組Best5の項、了)
ビンビンカミサマ(サミー、4号機)
1998年(平成10年)にサミーから登場した4号機「ビンビンカミサマ」
「福の神」「貧乏神」がモチーフの、A-600タイプ4号機。ビッグ図柄は黒7
(マンクラのフォルムでカッコイイ)とオレンジの福の神(FUKUNOKAMI、
LUCKYのロゴ入り)。バケ図柄は貧乏神(コチラはBINBOのロゴ入り)の
描かれた黒BAR。獲得枚数の多いビッグは有難く、低確率だが枚数の少ない
バケは疫病神扱い、といった感じが図柄に出ていて面白かった。下パネルや
リール窓下でも、快活な福の神と陰気臭い貧乏神が、対照的に描かれていた。
なお、下パネルの表記は「BIN貧神さま」である。
個人的には、2種類のビッグサウンドやジャックゲームのBGM、さらに
ビッグの残りゲーム数が少なくなるとサウンドがハイテンポに変化して
打ち手を焦らせるなど、効果音の秀逸さも印象に残る。和風テイストが
全開だったが、特に「祭り囃子」を思わせるジャックゲーム(REG)の
メロディは、自分の中でも「REG音ベストテン」に入るほどの好み。
(ボーナス確率)
(払い出し表)
本機は、18、9年ほど前に東京・有楽町の「UNO」(現存)と
いうホールでちょくちょく打った。当時、職場が二重橋前にあり、
昼休みや仕事終わりに、至近距離の有楽町駅に徒歩で出向いては、
駅前のホールに入り浸った。UNOや同系列の「DUO」(現存)、
隣の路地(朝日街通り)のアレンジボール店「かもめ」(閉店)
などが、当時の主戦場である(かもめの向かいに「ラスベガス」
ってスロ屋もあったな)。
※90年代前半は、UNOの位置に「サンスター」、DUOの位置に
「大丸」というパチ屋があった。
現在、有楽町UNOは、駅前再開発の一環で2007年完成した大型商業ビル
「イトシア」内で営業を続けるが、私が通っていた1998~2001年とは、
当然ながら店の「趣」を大きく異にする。
その当時のUNOというと、1Fがパチンコ、2Fパチスロで、3Fに上がる
階段途中の左手にトイレがあり、そして、階段を上がった薄暗い3Fが、
自販機とテーブルと椅子のある、少々殺風景な休憩用スペースだった。
1Fでは、よくハネモノを打っていた。階段真下の狭苦しいスペースに
平和の「どすこい大相撲」や大一「Mr.ダイナマイト」が並んでおり、
有難いことに「無制限」で営業していた。釘も無制限にしては甘めで、
よく、スロでやられた後に「損失補填」させて貰った。ただ、一部の
台の天井が物凄く低く(ちょうど、階段下のコンクリートが頭に当る)、
それを忘れて注意散漫に立ち上がると、そのコンクリに頭を「ガーン」
とぶつけてしまい、目から火が出るような痛さを何度となく味わった。
今も、前頭部辺りに「コブ」があるのだが、それはUNOでハネモノを
打った際の「名誉の負傷」なのだ。
一方、2Fでは、本機をはじめ、同じサミーの「メロディナーレ」、
オリンピアの「キャロルクラブ7」、IGTの「エルビス」そして
北電子「プチマーメイド」「レジェンダ」などを好んで実戦した。
アルゼや山佐辺りの定番機種なら、同系列ですぐ近くの「DUO」
に多数置いてあったし、少し足を延ばせば他店で実戦できたから、
あまり(近場で)設置の多くない、キャロルセブン7やメロディ
ナーレなどに座る機会が、自然と増えたのだ。
そうそう、小役抜きの攻略ネタが出た岡崎産業「コア」も、
此処の2Fが初打ちだった。(既に攻略ネタが広まった後。
「変則打ちは固くお断りします」の注意書きを台に貼った
状態で、暫くコアを置いていた。)
おっと、UNOの思い出ばかりを語ってしまったが、そのUNOで
しばしば実戦したのが、今回紹介する「ビンビンカミサマ」だ。
サミーが「A-600タイプ」初号機として送り出した、本格的な
大量獲得マシンである。
ご存知の通り、この時期、スロの規定に関する「解釈」の変更が
あった。「目押しをせずに取りこぼした小役は、本来の機械割に
含める必要なし」という拡大解釈を行う事により、目押しをして
特定箇所を狙うと出玉率が大幅にアップする台が、「新基準機」
として各社から登場。その第1弾は、NETのマイナー機「サハラ」
だった。だが、サハラのビッグは、500枚を大きく超えるような
大量獲得など、ほぼ期待できなかった。一方の本機は、理論上は
「600枚超え」も狙えるスペックで(実際には、平均500枚弱に
落ち着いたが)、新基準機本来のポテンシャルは、サハラよりも
上だった。(但し、私自身はサハラをいたく気に入ってしまい、
猛烈に打ち込んだ時期がある(東京・四谷の、今はなきスロ屋
「エース」にて))。
この当時、大量獲得の新基準機では、アルゼの「ビーマックス」が
最右翼だった(登場時期は本機の数か月後)。コチラは、目押しが
完璧ならば650枚オーバーさえも頻出して、最大の711枚も狙えた。
それに比べれば、本機のビッグ平均出玉は劣っていたが、ビーマで
不可欠な「ビッグ中のビタハズシ」は不要で、割と容易にビッグを
消化できた。ビーマのハズシは、正に「真剣勝負」の連続といった
様相で、左のストップボタンを押してハズす度に、心臓が「ドキッ」
となったのを思い出す。
本機のビッグ中の消化手順だが、ハズシ時の負担を大いに軽減
してくれたのが、「2種類のジャックイン図柄」の存在である。
本機のJACIN図柄には、上図のように「小槌・小槌・BAR」と
「鈴・鈴・鈴」の2つがある。加えて、ビッグ中の制御により、
順押し時は小槌を優先的にテンパイさせて、変則押しだと鈴が
優先テンパイする。この特性を用い、1,2回目の小役ゲームは
ハサミ打ちで消化、「鈴」で普通にジャックインさせる。一方、
3回目の小役ゲームは、順押しに切り替える。こうするだけで、
ジャックイン時は「小槌」がテンパイするので、右でBARを
ハズせばOKとなる。しかも、右に二つあるBARは、配列上
一か所に固まっていて(黒7の2コマ上と3コマ下)、その
BARの塊から遠い位置にある「2連の福の神」(オレンジの
塊で見易い)を狙うだけで、いとも簡単にハズせた。
(このようなハズシシステムは、NETのトリップデビルが最初で、
その後も同社のサハラやラインズセブン、北電子のメキシカンCT
などで採用された)
さらに、ビッグ中のメイン役である角チェリーが14枚(通常4枚)
に変化。毎ゲーム、左枠内にチェリーを狙えば、取りこぼし無し。
配列上、左のチェリーは黒7とBARに挟まれている為、左に「黒い
塊」を狙うだけでOKだった。因みに、15枚役の山と8枚の小槌は、
低確率なので無視して良い。なお、ハズレと8枚役には設定差アリ。
上記の要領で3回目の小役ゲームを引っ張り、残り7ゲームから
ハサミ打ち・チェリー狙いに戻せば、適当打ち時と比べて100枚
以上の大きな差が付いた。平均獲得枚数は490枚程度。
なお、リーチ目については、私は愚直なまで「上段黒7狙い」ばかり
やっていたので、マニアックな出目には詳しくない。有名処を幾つか
あげると、右上がりなど特定の並びのビッグ図柄一直線や、小役等の
Wテンパイハズレ、「BAR・BAR・福の神」が一直線に並んだ形
(ビン・ビン・カミサマ形)、小槌の「菱形」(ダイヤモンド)、
中・右に2連チェリーや福の神が2個づつ並んだ形(ニコニコ)、
左チェリー付きボーナス図柄のハサミテンパイ(成立後)、中段
鈴揃い(成立後)、中リールの「チェリー・小槌・チェリー」や
「山」が強い(左上or下段に黒7⇒中・中段山の二確も存在)など。
また、ハサミ打ち時は、左上段黒7停止から、右の上・下段に黒7、
或いは右の上・中段に「2連福の神」が止まれば、その時点で二確。
こうした各リーチ目の中でも、個人的に最も印象深いのが、下に示した形、
即ち、「上段黒7&下段鈴の平行テンパイで、右リールで鈴がハズれた形」
である。普段は、たいてい鈴(リプレイ)が下段に揃ってしまうのだが、
サクッとハズれる事もあって驚かされた(BOSS&しのけんの「旅打ち」
ビデオ(大阪編)でも、しのけんが何度か降臨させていた)。
↑↑コレ↑↑
件の有楽町UNOの話だが、本機の設置台数はさほど多くなく(バラエティ的
設置)、また、露骨な高設定を長時間回した記憶も、あまりない。それでも、
昼食後の休み時間が30分くらいしか残っていない時、安銭で本機でビッグを
1回引き、0Gヤメ⇒即換金⇒仕事場に戻るなんてパターンも結構あったから、
短時間勝負では、割と重宝した。
しかしまぁ、そんな余裕のない時でも、つい一勝負したくなってしまう…、
現在の自分の感覚では到底考えられないが、やはり、あの時代のスロには、
私をときめかせる「何か」が、確実にあったのだろう。
(サミー「ビンビンカミサマ」の項、了)
訃報、松方弘樹さん
俳優の松方弘樹(まつかた ひろき)さんが、今月21日に
脳リンパ腫のため死去。享年74歳。昨年より闘病中だった。
「名優」と称される個性的な役者さんが、また一人この世を去った。
豪快さと人情を併せ持つ親しみ易いキャラは、「昭和のスター」の表現がピッタリ。
まぁ、私の中では「バブルスター」のCMに出ている時点で、ある意味別格扱いだが。
東映の任侠映画「仁義なき戦い」シリーズが代表作。ただ、私自身は血生臭い作品が
少々苦手で(昔、教習所の学科教習で事故の映像を見た時、出血シーンで貧血になり、
教室でぶっ倒れたエピソードを持つ)、あのテのヤクザ映画よりは穏やかで人情的な、
「時代劇」の方が記憶に残る。「大江戸捜査網」(死して屍、拾う者なし)の左文字右京
なんかが好きだった(本放送よりも、再放送を何度も見たクチ)。しかし、何といっても
「名奉行・遠山の金さん」だろう。遊び人・金さんと町奉行・遠山金四郎とのギャップが
大きな魅力で、迫力満点の演技は、正に「ハマリ役」だった。お白州に奉行として現れた
金さんが、シラを切る相手に「おうおうおう、あの晩、見事に咲いたお目付桜・夜桜を、
まさかお前ら、見忘れたとは言わせねえぞ!」と豪快に啖呵を切ってバッと肩をまくり、
桜吹雪の入墨を披露するのが見せ場。シメのセリフは「これにて、一件落着!」である。
(ラクチャクの「ラ」は、巻き舌で重々しく「ルァ」)
それと松方さんといえば、何といっても「釣り」であろう。豪放な性格を表すかの如く、
ハワイやオーストラリア辺りに幾度も出向いては、トローリングで巨大カジキと格闘を
繰り広げた。80~90年代の「松方弘樹・世界を釣る」シリーズでもお馴染みだ。確か、
土曜か日曜の昼下がりに日テレで定期的にやっていて、マーリンを相手にヘトヘトに
なりながらも、必死の形相でリールを巻き上げる松方さんの姿を、茶の間で食い入る
ように見たものだ。ただ、一匹も釣れない回も何度かあったりして、家族で「これじゃ、
『世界を釣れない』だよね」なんて笑ったりもしたが…松方さん、御免なさい。なお、
その後は「マグロ」にシフトしていた(特大サイズを釣ってニュースにもなった)。
時代劇以外にも、数多くのドラマに出演。特に印象的なのは、高嶋政伸主演「HOTEL」
(「姉さん、事件です」でお馴染み)で演じた、「東京プラトン」の東堂マネージャー。
優秀で懐広く温厚だが、時に厳しさも見せる、本作に不可欠なキーパーソンを好演した。
一方で、バラエティにもたびたび顔を出して、「天才たけしの元気が出るテレビ」では、
感動的場面が映る度にウルウルしてしまう、極度の涙もろさでスタジオの笑いを誘った。
当ブログ的観点からは、平成4年にOAされたアサヒ缶コーヒー「J.O」のCMも挙げねば
なるまい(少し前に紹介した事がある)。スロ屋にてコンチIIIを打つ松方さん。調子は
イマイチだが、背後の通路を通った美女の「ヒップアタック」でバランスを崩して倒れ、
思わずストップボタンを押すと「777」が揃って大逆転…というコミカルな内容だった。
また、4号機後期には、公私ともに仲の良い相棒、梅宮辰夫(「世界を釣る」でも
よく共演した)とのコンビで、「梅松ダイナマイトウェーブ」という大量獲得型
ストック機(タイアップ、液晶画面付)がロデオから登場。楽に711枚取れる上、
モード移行方式で連チャンループも期待できた。新百合ヶ丘のZ店で打ったっけ。
なお、パチでも、松方さんタイアップで「金さん」絡みの台がサンセイから
出た(2009年)という話だが、著作権でモメて「販売中止」になったとか。
まぁ、時期的にあまり詳しくないので、多くは語らない。
それにしても、74歳で逝去とは、あまりにも早すぎる。何とか病を克服して、
芸能界の大御所として末長く活躍して頂きたかったが、残念という他はない。
あらためて、松方弘樹さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
今日は松方さんを偲んで、久々に、このゲームでもやろうかな…。
初代プレステ「松方弘樹のワールドフィッシング」(1996、BPS)。
無論、巨大カジキに挑戦するゲームだ。トーナメントに出場して
釣果を競ったりもできる。ブラックマーリン、ブルーマーリン、
セイルフィッシュ、ストライプマーリンの計4種類が獲物だが、
バラクーダやシイラなど、「外道」もバンバン釣れてしまう。
カジキ以外では、淡水で釣るブラックバスモードもあった。
因みに、右画像の松方さんの隣にいる若い女性は、ゲームで
アシスタントだった、グラビアアイドル(当時)の森本智恵子。
ピンクベルR(ベルコ、4号機)
※※(以前にもお願いを致しましたが)記事中、記載ミスや勘違い、誤植などに
お気づきの方は、「非公開コメ」と明記の上、そっと指摘して頂けると有難いです…
今回は、2001年(平成13年)にベルコから登場した
4号機「ピンクベルR」(TYPE-B+AT)を回顧したい。
(同社初のAT機能搭載機)
(ボーナス確率表)
(払い出し表)
東京・町田「PIA(ピア)町田」地下フロアで実戦経験アリ。
駅に近い側の自動ドア付近、景品カウンター前の円形シマに、
5台くらい置いてあったのを覚えている。初遭遇時、「何か
風変りな台で面白そうだな」と直感して、思わず着席した。
(同じ町田の「シルクロード・アネックス」に設置アリ、
との情報をコメントにて頂いた。私自身は、残念ながら
シルアネに足を踏み入れた経験が無いが。あの界隈では、
小野路町の「出玉王福助」に、シオラー30や現金機の
Fクイーンなど目当てに、通った時期がある。)
当時、ピア町田の地下は、美麗(バルテック)、大江戸桜吹雪2(平和)、
エキゾースト(同)、ニューパルサーT(山佐)、M771(同)、花火
(アルゼ)、大花火(同)、スピードチェイサー(岡崎)、銀河伝説R
(テクノコーシン)などお目当ての台が幾つもあって、本機のみを集中
して打っていた訳では無い。基本的な流れは、エスカレーター前の円形
シマに並んだ美麗をメインで打って、調子が悪いと近くの大江戸桜吹雪、
それでもダメなら他の機種へ…という立ち回りだった。そうした流れで、
本機の円形シマにも、たびたび足を延ばした格好だ。
(当時、PIA町田で使用したロボカード)
※その他、PIA町田で打った思い出のスロ(抜粋)
・ビッグボーダー(テクノコーシン)⇒最上階
・キス(パイオニア)⇒地下か1F
・バッドボーイ(ダイドー)⇒地下。攻略が雑誌に載る前、ヒラで打った
・カウントダウンファイアー(サミー)⇒最上階(新装にて大勝ち)
・吉宗(大都技研)⇒地下にズラッと並んでいたイメージ
・大繁盛本舗(オーイズミ)⇒地下。かなりお気に入り。溝の口、向ヶ丘遊園でも実戦。
・ランボー怒りのパチスロ(オリンピア)⇒地下。5号機だが郷愁を覚える。新百合でも実戦。
本機はREG非搭載のBタイプ。「ボーナス」と呼べるものは、ビッグボーナス
(大きなピンクベル、「アステカ」チックな上下二段の黒丸ベルの2種類)と
「ベルチャンス」という名のATのみ。但し、ビッグはJACゲームが1回きりで、
しかも小役が揃わず1G目にジャックインする為、獲得出玉は120枚程しかない
(変則押しだと中段リプテンとなってハズシ自体できない)。出玉的に見れば、
完全に「バケ」扱いである。それでも、投資セーブに欠かせない存在だった上、
ビッグ終了後はAT突入チャンスがアップする為、獲得枚数こそ少ないが重要な
役だった。
一方、本機のメイン役といえるATは、通常時のスイカ(ベルっぽいフォルム)
成立時が発動契機となる。スイカが揃うと、リール右の上段デジタルが作動。
ここに「ー7ー」が出れば、最初の関門クリアとなる(「ーーー」はハズレ)。
「ー7ー」出現後は、「カウントダウン7」と呼ばれるチャンス演出に発展。
「ー6ー」⇒「-5ー」⇒…と1ゲーム減る毎に効果音が鳴るが(レバオン後、
高音⇒低音の順で)、カウントダウン中に効果音が止めば(鳴らないと)、
AT当選となる。当選後、継続ゲーム数抽選に移り、33、111、222、333、
444、555、666、777、888、999の何れかのG数(計10通り)を表示。
大半は33Gだったが、デジタルが一段派手なBGMになって長く回転すると、
プレミアATの3桁ゲーム確定。111、或いは222⇒333⇒と内部決定された
ゲーム数まで昇格していく。この辺りの流れは、後に登場した爆裂AT機
「スーパービンゴ」を実戦した方なら、容易にイメージが沸くと思う。
ATに入ると、通常6択の押し順があって成立時の1/6でしか揃わない
スイカ(ベルっぽい形)を、デジタルで完全ナビする(ベルチャンス)。
後は、ナビ通りに打つだけで、1G辺り約6枚のペースでコインが増加。
最低の33Gで約200枚。111Gだと660枚。555Gなら3300枚となる。
最大の999Gが来れば6000枚と、一撃爆裂の潜在能力を秘めていた。
さらに、所定のゲーム数を消化すると、1G目にAT抽選演出が行われ、
当選すればATの連チャンとなる。抽選で外れても、カウントダウン7
演出に突入して当選⇒連チャンのパターンもアリ。3桁の連チャンなら、
ウハウハである。まぁ、私自身は33Gばかり続く「ショボショボ」の
連ばかりだったから、あまり大きな事は言えない。なお、AT消化中に
ビッグを引いた場合でも、ビッグ消化後にATは再開される。
このように勝敗のカギを握るATだが、先述の通り、ビッグ終了後は
AT突入のチャンスとなった。ビッグ後、最初に揃ったスイカからは、
「順押しorハサミ打ち」を条件に、必ずカウントダウンに突入する
仕様になっていたのだ(なお、変則打ちはスイカがよく揃うが、逆に
AT抽選を受け辛いペナルティがあり、順押しかハサミが必須だった)。
隣がビッグ後0ヤメなどしようものなら、即移動・ハイエナである。
また、ビッグ成立を示唆する存在として、「0枚役」のベルがある。
0枚が揃うと、リール右の下段デジタルが作動。大抵バラケ目だが、
3つ揃いのゾロ目になればビッグ確定。なお、本機は完全告知では
なく、リーチ目も用意されていた。ビッグ図柄の一直線型、2連の
ボーナス図柄と小役のWテンパイハズレなどが存在。
因みに、本機に関する「小ネタ」で、カウントダウンで1,2枚掛けを
すると、演出が一向に終わらない(スロガイ「オリ攻捜査一課24時」
にも掲載された。但し、AT突入率は大幅ダウンして意味なし)とか、
ATナビで左第3停止の時、NGポイントで左を押すと、10枚のスイカが
6枚のチェリーになるので要注意とか、通常時チェリーを避けて押した
方が、スイカ出現率がアップしてコイン持ちが良くなる、などがあった。
今となっては、555ゲーム以上のプレミア(ロング)ATを引けるまで、
もっと打ち込んでおけばよかったと思う。だが、当時の町田エリアは
ピアの他、ダイマツ、桃太郎、エースゾーン、バカラ、ゴードン、
レインボー、スーパースター、ガイア(2軒)、さくら屋、ひまわり(MAX)、
フジ、アルファ、バンブーといった店がひしめいており、打ちたいホールや
打ちたい台が山ほどあった(その後、コンコルドなんかも出来たな)。
ピア地下のピンクベルに執着するには、もっと強いモチベーションが
必要だったのかもしれない…。
(ベルコ「ピンクベルR」の項、了)
全遊協パチンコヒットジョッキー PART6(1988年)
そのうち自然と眠りに落ちてしまう、「子守歌」のような存在である。
その内容が何気に面白いので、皆さんにも紹介したい。実はテープの
状態がかなり悪く、再生中にいつ「ブチッ」と切れてもおかしくない。
本来は、直ちにデジタル変換しておくべきなのだが、現在PCの調子が
イマイチで叶わない。よって、この機会に内容の「文字起こし」敢行。
音声自体は紹介できないが、少しでもテープの雰囲気が伝われば幸いだ。
テープタイトル
「全遊協 パチンコヒットジョッキーPART6」(1988年発売)
・全遊協(全国遊技業協同組合連合会)…以前存在したホール組合の全国組織。
平成初期に解散。その後を引き継ぐ形で組織されたのが、「全日遊連」(現存)。
・「PART6」とある以上、他にもPART1~5が存在するものと思われる。
(初期はレコードで販売されていたという。その後、カセットになった。)
⇒この回は、漫談家の(故)牧伸二氏がMCを担当。流行りの
歌謡曲や演歌などを、ラジオのDJ風に次々と紹介していく。
(パチンコ店の有線でよく流れていた曲を、収録した感じ。
実際、このテープをBGMとして使った店もあったのでは。)
途中で、ゲスト歌手とのトークなども入っている。
⇒牧さんは、数年前に入水して自ら命を絶ってしまったが、
この当時(1988年)は、まさに全盛期。私も事ある毎に、
TV画面を通じて大いに笑わせて貰った。「アンーアーアア、
やんなっちゃった、アーアーアア、驚いた」のウクレレ漫談。
日曜夕方の「笑点」やNHKの演芸番組など、お目にかかる
機会は非常に多かった。「こってりんこ」というカップ麺の
CMも、やたらと印象深い(コンビニのレジで店員に扮して、
「こってりんこ、売り切れんこ」とウクレレでやるヤツ)。
氏のコミカルで皮肉めいた歌は勿論、独特の口調や表情にも
味わいが感じられて、大好きなベテラン芸人さんだったが…。
~内容~
(オープニングBGM)
(牧伸二さん、元気にタイトルコール)
「全遊協、パチンコヒットジョッキー PART6!」
(再びBGM)
牧「パチンコファンの皆様、毎度ご来店頂きまして、誠に有り難うございます。
パチンコ店の業界団体としてお馴染みの、全遊協がお送り致しております、
パチンコヒットジョッキーも数えて6回目、「PART6」であります。
今回も、沢山のレコード会社やプロダクションのご協力を得て、
数々のヒット曲を皆様にお届け致します。申し遅れましたが、
ご案内役は私こと、牧伸二でございます。
では、オープニングでお送り致します曲は、「御身」「豊後水道」
「乱れ花」、三曲続けてお送り致します。」
「御身」(君夕子)
「豊後水道」(川中美幸)
「乱れ花」(大月みやこ)
(曲明け)
牧「御身、豊後水道、乱れ花の三曲をお送りしました。
それでは、ここでお客様です。新曲「こころ花」の
山川豊さんが、このスタジオにお見えになりました。」
山川「こんにちは。」
牧「はい、こんにちは。今頑張っているこの「こころ花」は、
どんなキャンペーンやってますか?」
山川「9月25日に出しました「こころ花」で、一生懸命頑張っているんですけど、
今回、是非とも皆さん方にこの曲を歌って貰いたい、そういう意味で、僕はまぁ、
自分達でタイトルを付けたんですけど、「草の根キャンペーン」といいまして、
ふだん滅多に行けない土地に行って、行ったら「山川豊がこんな所に来てんだ。
ウソー、冗談でしょー?」っていう、そこら辺まで田舎の方に入って、この
「こころ花」を直接ギターで、僕が教えています。」
牧「では早速、その「こころ花」を聴いてみましょう。」
「こころ花」(山川豊)
(ワンコーラス終わって、曲をバックに二人でトーク)
牧「うーん、情緒タップリですねー。ところで山川さん、
パチンコの方はどうなの?」
山川「まぁ、僕はタレントになる前、一応サラリーマンの経験があるんですけど、
その頃は、やっぱり、よくやりましてね。だから、給料貰っても、パチンコ代と
いうのがありましたから、別にね。だから、月にそうですね、まぁ、5000円位
ですかね。その当時は、そんなに高い給料、貰ってませんでしたからね。」
牧「そうですね、その当時の5000円といえば、けっこう大金だったもんね。
まぁ、僕もパチンコ代といえば、5000円が限度だったかな。そのパチンコに
ついては、僕も沢山のいい思い出がありますけどね。山川さんはどうですか、
その、印象深い話ってある?」
山川「まぁ、僕はもうデビューして、今年で8年目になるんですけど。
「函館本線」って曲を出した頃にね、パチンコ屋で歌ったことがあるんですよ。
これは一番、やっぱり印象に残ってますね。やはり皆さん、パチンコに夢中に
なっている中をね、呼び出し用のマイクって言いますかね、「何番、終了ー!」
っていう、あのマイクで、「函館本線」を歌った覚えがありますね。やっぱり、
一番印象に残っているのは、パチンコ屋で歌った事が一番印象に残ってますね。」
牧「そうですか、それは本当に思い出になりますね。
それでは、しっかり頑張って下さい」
山「はい。」
牧「山川さん、有難うございました」
(ここで、若い女性の声で、サウンドステッカー(SS)が入る)
「牧伸二がお送りする、パチンコヒットジョッキーPART6!」
牧「さて、少々古いお話で恐縮ですがね。昭和7~8年頃は、文豪の作品が
各社で競って映画化された時代なんですね。まず昭和7年、「鳴いて血を吐く
ホトトギス」で有名な、徳富蘆花の小説「不如帰(ほととぎす)」が、松竹で
監督・五所平之助、主演・川崎弘子で封切られ、翌・昭和8年には、泉鏡花の
名作「瀧の白糸」が入江プロで、監督・溝口健二、主演・入江たか子で上映
されたんです。
水芸人、瀧の白糸は、高利貸、岩淵剛三を殺害して捕らえられ、裁きの庭に
立った。その法廷で、厳として論告するのは、彼女が立派な法律家にすべく
学資を貢いだ、恋しい村越欣弥の、功成り遂げた凛々しい晴れ姿であった。
欣弥は、苦しみ悩んだ。しかし、情によって法は曲げられない。恋しい彼に
死刑を求刑された白糸は、莞爾(かんじ)として舌をかみ、自ら命を絶った。
その夜、検事・村越欣弥も、恩人・瀧の白糸のあとを追い、前途ある人生を
捨てて、相果てたのである。映画「瀧の白糸」、全巻の終わり。
石川さゆりさんの「滝の白糸」、村上幸子さんの「不如帰」、お聴き下さい。」
「滝の白糸」(石川さゆり)
「不如帰」(村上幸子)
(曲明け)
牧「ここで、ちょっとお時間を頂きまして、牧伸二のコマーシャルを少々。
いい曲ができたんですよー。タイトルが「仕方ないもんね」
歌詞が、またいいのよ。
「惚れた弱みで 今日もまた アンタの嘘に ため息一つ
泣いて笑って 喧嘩して これで最後と もう何度
仕方ないもんね 仕方ないもんね 男と女は こんなもの」
ねぇ、ちょっと聴いてよ。「仕方ないもんね」、歌は牧伸二」
「仕方ないもんね」(牧伸二)
(再び、女性の声でサウンドステッカー)
「牧伸二がお送りする、パチンコヒットジョッキーPART6!」
牧「さて、ここでまた、お客様です。えー、パチンコファンの皆様にはもう
お馴染みの、真咲(まさき)よう子さんです。え、見たことない?ご冗談
でしょう。7年も連続して、お正月のポスター。ほら、パチンコ店の店頭に
貼ってありますよね。そうそう、あのポスターの顔が、この真咲よう子さん
なんです。はい、真咲さん、ようこそ。」
真咲「全国のパチンコファンの皆様、こんにちは、真咲よう子です」
牧「えー、真咲さんは、この「ヒットジョッキー」でも常連ですねー。」
真「はい、おかげさまで。あの、最初はまだレコードだったんですけども、
それ以来、ずっと出させて頂いております。」
牧「ところで、今年の歌は?」
真「はい、今頑張っています。「木曽慕情」です」
牧「うーん、木曽ねぇ。木曽といえば、「木曽路は全て山の中にあり」という、
あの有名な島崎藤村の「夜明け前」、あれを思い出しちゃうんだよなー、僕は。
妻籠(つまご)、馬籠(まごめ)なんて昔の宿場が残っていて、いいですねー。」
真「その木曽路を、一人の女性が旅をするんですね。で、別れた彼の
面影を慕いながら。」
牧「なるほど。目に浮かぶなー、情景が。」
真「私も、しっとりとした味を出そうと、その辺を一生懸命
苦労して、頑張りました。」
牧「はい。では、その真咲さんの、しっとりとした味を、お聴き下さい」
「木曾慕情」(真咲よう子)
(曲明け)
牧「いやー、よかったよ!」
真咲「有難うございます。おかげさまで「木曽慕情」、もうすぐ
10万枚なんです」
牧「やるもんですねー。ボクはね、真咲さんの大ファンですからね。
ぜひ、この曲がもっともっと大ヒットするように。」
真咲「はい、私もしっかり頑張ります」
牧「はい、では最後の曲は、森進一さんの「京都去りがたし」 これも情緒タップリな曲です。お聴き下さい。」
「京都去りがたし」(森進一)
(曲明け)
(エンディングBGM)
牧「山川豊さんと真咲よう子さんをゲストにお迎えして、お送り致しました
「全遊協 パチンコヒットジョッキーPART6」、お名残り惜しい所ですが、
お別れの時間となりました。」
真咲「全国のパチンコファンの皆様、また、ポスターでも
お目にかかれるよう、楽しみにしています。」
山川「それでは、ごきげんよう。」
牧「では、またお耳にかかりましょう。」
(全員で)「さようなら!」
(テープ(Side1)終了)
※現在、Side2「’88 パチンコ感謝デー ヒットジョッキー」の
文字起こしをコツコツ進行中。終了次第、続編記事にて紹介の予定。
’88 パチンコ感謝デー ヒットジョッキー(1988年)
前記事でも予告した、80年代の古いカセットテープの
「文字起こし」が全て終了したので、続編として紹介。
(テープタイトル)
「’88 パチンコ感謝デー ヒットジョッキー」(1988年)
・企画:全遊協(既に解散。現存せず⇒全日遊連が引き継ぐ)
・毎年1回行われる「全国ファン感謝デー」に合わせた内容
(実際、このテープをファン感当日に店内で流したホールも
あるのでは。)
・MC:(故)牧伸二(ラジオのDJ風に、流行りの演歌、歌謡曲を紹介)
(内容)
~オープニングBGM~
牧伸二さん、元気よくタイトルコール
「パチンコ感謝デー、ヒットジョッキー!」
~BGM~
牧「パチンコファンの皆様、毎度、ご来店有難うございます。牧伸二で
ございます。全国のパチンコ店が、感謝の心をもってお客様にご奉仕
申し上げる、パチンコ感謝デーがやってまいりました。」
~BGM~
牧「えー、本年は10回目(の感謝デー)、つまり10周年に当たります。
それで、今日は特に全遊協の松波理事長を、このスタジオにお招きして
おります。一言、ご挨拶を頂く事に致しましょう。松波理事長、どうぞ。」
松波「全国4000万人のパチンコファンの皆様、こんにちは。全遊協
理事長の松波でございます。日頃は、大変皆様にはパチンコをご贔屓
頂きまして、有難うございます。この全国パチンコ感謝デーも数えて
10回目を迎え、ようやく定着致してまいりました。これも、皆様の
お陰と深く感謝致します。どうか、今日も明日も、当店でパチンコを
お楽しみ下さい。」
牧「松波理事長のご挨拶でした。では、景気よく10周年をお祝いして、
賑やかにやってまいりたいと思います。まず最初は、島倉千代子さんが
歌う、「人生いろいろ」であります。」
「人生いろいろ」(島倉千代子)
(曲明け)
牧「全く、人生は色々ですねー。地球上には色々な人生がありますが、
指紋とおんなじで、似通ってはいるが、誰でも一人ひとりが違った
人生を辿ります。牧伸二のような人生も、またあるんですねー。
まぁ、しかし、人生には財津(一郎)さんじゃないけれど、
「さみしいーッ!」って時もありまさぁね。「いやんなっちゃうなー、
もう、これどうなってんだー。アンーアーアー、やんなっちゃった、
アンーアーアア、驚いた」ってね。まぁ、そんな世の中だから、
せめて夢でも見たいですね。
それでは、ここで内堀七美さんの歌う「孤愁」、尾形大作さんの
「いやんなっちゃうな」。桂銀淑さんの「夢おんな」、続けて
お送り致します。」
「孤愁」(内堀七美)
「いやんなっちゃうな」(尾形大作)
「夢おんな」(桂銀淑)
(曲明け)
牧「孤愁、いやんなっちゃうな、夢おんな、でした」
吉村真貴子「こんにちは!」
山下祐美「こんにちは!」
牧「お、元気のいい声がして。88年ミス・パチンコの
吉村、山下、両嬢が現れました。ご紹介しましょう。」
吉村「皆様、こんにちは。吉村真貴子です。」
山下「山下祐美です。」
牧「うーん…。」
吉村「どうかなさったんですか?」
牧「若さというのは、素晴らしいーと思ってね。」
山下「それで、うらやましいーと思われたんですか?」
牧「アハハハ…。お恥ずかしながら、その通り。それでは、
このミス・パチンコが歌う2曲をお聴き下さい。最初は、
山下祐美さんの歌う「ナイトメニュー」、次は、吉村
真貴子さんが歌う「ふらりふらふら」、どうぞ。」
「ナイトメニュー」(山下祐美)
「ふらりふらふら」(吉村真貴子)
(曲明け)
牧「うわー、上手いもんだねー(註:吉村真貴子の歌唱力は
かなりのモノ)。この2曲、セットで発売してるんだって?」
山下「ええ。」
吉村「全国のパチンコファンの皆様、ぜひお買い求め下さい。
お願い致します。」
牧「ところで、お二人とも、映画に出演したって聞いたけど?」
吉村「ええ。」
牧「どういう映画なの?」
吉村「一つは松竹系で、11月26日から全国一斉公開されます、
「ほんの5g」という映画です。」
牧「ほんの5g?一体、それは何のことかね。5g、5gねえ…、
あ、アレかなー?」
山下「白くて、丸いもの。」
牧「パチンコ玉ー!」
吉村「そう、ご名答!」
牧「フフフ。いやー、パチンコの玉が5gとは、なかなか
気が付かないもんだよねー。という事は、パチンコの話?」
吉村「富田靖子さん演ずるところの短大生が、はつらつとして
行動するんです。」
牧「うん、それで?」
山下「その富田さんの短大生を通して、現代というものを
描こうという作品なんですよ。」
牧「うーん。ふむふむ。」
吉村「ですから、現代の社会には、どうしても欠く事の
できないのがパチンコでしょう?」
牧「その通り。」
山下「ですから、パチンコ店のシーンが、半分以上も
あるんですよ。」
牧「ほほう。」
吉村「だから、題名も「ほんの5g」」
牧「納得ー!」
山下「もう一本はね、全遊協で作っている「ゆがんだ青春」
シリーズ(註:非行防止・防犯用に制作された映画)で、
第8作目の「家庭という名のホテル」」
牧「家庭という名のホテル。ほほう?」
山下「牧さんのお宅は、いかがですか?ほとんどの男の方は、
身に覚えがあるようですけど。」
牧「うーん。ハハハ…なんか耳が痛えな、こりゃ。」
吉村・山下「アハハ!」
牧「えー、家庭という名のホテルが、日本中に増えているって
ことでしょ?」
山下「そう、その通りです。」
牧「ねー。今や家庭は「食べる、風呂へ入る、寝る」だけに
なっちまってる。本音をぶつけ合って、お互いの気持ちが
判り合える場所じゃ、なくなってしまってんだよなー。だから、
思いやりもない…。「お母さん。お父さん遅いの?」「さぁね、
何にも言わないから。どうせ、当てにはなんないわよ。一体、
何してんのかねー。」これじゃあね、子供の父親を見る目が
違ってくる。非行にも走る。「お母さん。お父さん遅いの?」
「お父さんねぇ、お仕事だけど、早く帰れるといいわね。」
あのねー、アンタ達はねぇ、こんなお母さんになんなくちゃ
ダメだよー。これならば、お父さんの権威は保たれる。」
吉村・山下「わかっていまーす!」
牧「はい、ではパチンコファンの皆様。松竹映画「ほんの5g」、
ゆがんだ青春(8)「家庭という名のホテル」、これをご覧
頂きまして、このカワイイ吉村、山下の両嬢をご声援下さい
ますよう、お願い致します。」
吉村・山下「お願い致しまーす。」
牧「ではでは、久米小百合さんの「百万本のバラ」、酒井法子
さんの「HAPPY AGAIN」、続けてお聴き下さい。」
「百万本のバラ」(久米小百合)
「HAPPY AGAIN」(酒井法子)
(曲明け)
牧「百万本のバラ、HAPPY AGAIN、でした。
船が港を出る時に、お別れする人と見送る人との間に、
無数のテープが投げ交わされます。やがて、蛍の光と共に
汽笛が鳴り、船は静々と出港します。発つ人、送る人の
間に張られたテープがやがてちぎれ、華やかさの後に
残された、後のわびしさ。これが、港の風景であります。
ハッハハ。ところでね、皆さんだけに、ちょっと耳寄りな
話をしましょう。この出港の時のテープの由来ですが、
これがまた、何と日本人の考え出した事なんであります。
1915年と申しますからね、古く大正4年。サンフランシスコで
行われた万国博覧会の際、日本から出品したテープが大量に
売れ残った。それに目を付けた、森野さんという方が、
「港で、テープによる握手」というキャッチフレーズで
売り出したんです。それが大当りで、それからというものは、
港、港でテープが投げ交わされるという風景が、見られる
ようになった訳であります。
では、南原美佐保さんの歌う「流浪の詩」、五木ひろしさんが
歌う「港の五番町」、続けてお聞き下さい。」
「流浪の詩」(南原美佐保)
「港の五番街」(五木ひろし)
(曲明け)
(エンディングBGM)
牧「全遊協の松波理事長、、ミス・パチンコの吉村真貴子さん、
山下祐美さんをお迎えしてまいりました、パチンコ感謝デー
ヒットジョッキーも、お別れの時間がまいりました。」
(BGM)
牧「では、全国のパチンコファンの皆様。」
吉村・山下「有難うございました!」
牧「ごきげんよう!」
全員「さようなら!」
(テープエンド)
ダブルウルフVCT(ネット、4号機)
ブログを開設して、今日でちょうど「2000日」が経過。
2000日、約5年半。長いような、短いような。
まぁ、元来が飽きっぽい性格の私にしては、随分と辛抱強く
ここまで続けてこられた気もする。
ブログ開始当初から、自分の持ちうる限りの知識と情報を
供出し続け、「90年代パチンコ・パチスロ」研究の一助に
なれば…と思い、拙い文章だがあれこれと書き綴ってきた。
ただ、最近は齢四十半ばを超え、「記憶の劣化」との闘いにも
なってきている。また、パチ・スロ実戦そのものから長いこと
遠ざかった影響で、現役当時ならば「当たり前」と思っていた
事柄さえも、遠い過去の物語になりかけている。
その為か、記事でも信じられないような記載ミスや錯覚を犯す
機会が、しばしば見られるようになった。その都度、「なんで
こんな簡単なこと間違うかな…」と激しい自己嫌悪に襲われる。
(なので、ミス発見の際は非公開コメにて、そっとご指摘を…)
また、ここ最近は、ネットにおけるレトロ情報も、ブログ開設時の
5年半前とは比較できないほど、非常に充実したものになっている。
実機動画しかり、90年代レトロ番組動画しかり、基板解析サイト
しかり…である。果たして、そのような情報氾濫の状況にあって、
一個人の回顧録・備忘録に過ぎないような当ブログに、いか程の
存在価値があるのかと、自問自答することも少なくない。さらに、
近頃はレトロに絡んだ商業主義の波も押し寄せていて、幾ら詳細に
書き連ねたところで、自分には一銭の経済的利益さえ生まれない
このサイトに、ある種の虚しさを覚えたりする(完全にグチだな)。
まぁ、そんな感じで、年頭の強い決意とは裏腹に、このところは
ブログ継続の「意義」そのものを、自身に問い続ける日々が続く。
だが、ここ迄しぶとく続けてきた以上、また、こんなブログでも
楽しみにして下さる読者の方が少しでもいらっしゃる以上、己の
ネタが完全に尽きるまでは、しっかりとやり切るべきであろう。
そんな訳ですので、今後も引き続き、当ブログをご愛顧のほど
どうぞ宜しくお願い致します。
さて、随分と前置きが長くなったが、今回はこの台を振り返る。
(C)Takayoshi Inoue
1998年(平成10年)にネットから登場した
4号機「ダブルウルフVCT」
CT草創期に出回った本機。同名の漫画(井上貴良氏の描いた作品)との
タイアップ機として、98年に登場した。「クロスCT」(業界初のCT機。
コチラも井上氏とタイアップだった。赤坂の「エスパス」で打ったな…)
に次ぐ、ネットのCT機・第二弾である。
なお、パチにおいても同時期、サミーのドラム機「黄龍の耳S」(1998年)で
井上氏とのコラボを果たした。その井上氏というと、かつてヤングジャンプで
連載された「マッドブル34」を、学生時分に通学電車内で毎週楽しんでいた。
さて、「CT」といえば、無論「チャレンジ・タイム」の略称だ。一般ファンである
私の拙い理解だと、CTとは、ビッグボーナス当選時の内部抽選に当たり、ビッグ後に
全リール又は特定のリールが「無制御」となり(各リールの制御の組合わせは6通り)、
一定ゲーム間、目押しで(ボーナス及びリプレイを除いた)小役を自由に揃えられる
状態を指す。
規定では、Bタイプをベースに、最高214枚までのCT純増が許されていた。
また、CT突入率は「8/10」以下とされ(REG搭載なら「9/10」以下)、CT終了
条件は(1)BIG成立時、(2)純増上限枚数(最大214枚)到達時、(3)(最大)
150GのCT消化時とされた。実際は、この規定に基づき、各機種毎にスペックも
様々に異なっていた訳だが。
元々は、1995年に「CRパチスロ」(パチンコのCR機台頭に鑑みて出された案。
カード対応で、パチになぞらえてビッグの「確率変動」機能を搭載)なる構想が
取り沙汰され、一時は実現かと期待されたが、規定の縛り等で立ち消えとなった。
その代替案として、1996年秋にCT機の構想が大々的に報じられた後、1997年5月の
新台発表会(於:パシフィックホテル東京)で、各メーカーはCT付きの「試作機」を
自社ブースに展示(但し、展示機は全て「検定不合格」のもので、機種名もなく、
下パネルに「チャレンジタイム展示用試作機」の無機質な文字のみ書かれていた)。
そして、その発表会から半年以上経った1998年2月、ようやくネット「クロスCT」
とサミー「ウルトラマン倶楽部3」が検定を通過。そして待望のホールデビューを
飾った…という一連の経緯(長い苦労の歴史)がある。
以後、本機やエスプ(瑞穂)、チェリー12X(アルゼ)、ウルフエムX(同)、ジャパン2
(サミー)、トリプルライダー(同)、ハロウィンIIVCT(ネット)、アバロンD
(パイオニア)、スロッティア(タイヨー)、フルーツトリオCT(高砂)、
クレオパトラ(オリンピア)、ピンクパンサー3(山佐)など、個性的なCT機が
立て続けに登場。特に、ECJが1999年に送り出したアステカの大ヒットで、CT機の
人気は頂点に達する。さらに、そのアステカの後継機であるワードオブライツや
デルソル2、NJCT、ディーエイチ2といったアルゼ系機種、北電子のメキシカンCT2、
ネットのフライングアイズVCT、ハロウィンSCT、そして初代マンクラの後を継いだ
ウルトラセブンファイナル(サミー)など多くのCT機が世に出回り、ファンの支持を
得た(り得なかったりした)訳だ。
やがて、RT機、AT機、ART機、ST機など新機種の台頭で、その使命を果たしたかの
如く下火になったが、90年代末~2000年代初めにかけて、CT機は4号機時代における
「一大ブーム」を作ったといえよう。とりわけ、「フラグ成立」が払い出しの大前提
だった従来のスロと比した時、フラグと無関係に目押しで払い出しが得られたCTの
ゲーム性というものが、スロの方向性自体を大きく変えた。そのCTの恩恵を得るには
一定の目押し力が求められた点も、若いスロッター達のチャレンジ精神を強く刺激。
結果、CT時代のスロは、存分に盛り上がりを見せたのだった。
またまた前置きが長くなったが、今回紹介する「ダブルウルフVCT」も、そういった
CT機のパイオニア(メーカー名ではない)として、コアなファンを虜にした一台だ。
存在自体は、かなりマイナーではあったが…。
(ボーナス確率)
(各役払い出し)
個人的には、新宿・歌舞伎町(西武新宿駅近く)の「エルニド3」にて実戦。
真向いの小さなスロ屋「スロットクラブエスパス3」のシオサイ30を堪能後、
まだ物足りぬ…とばかりに、路地向いのエルニド3にハシゴした機会も多い。
エルニド3の1Fには、本機やマンクラ、クレオパトラといったCT機が並び、
さらに一番奥のシマには、アルゼのBCタイプ(CT機ではない)「シルバー
ブレット」なんかも置いてあった(しかもよく打った)。今思えば、相当
「まにあっく」なシマではなかろうか。
この店のCT機は、クレオパトラこそ打ち込まなかったが、定番のマンクラには
好んで座ったし(靖国通りの「グリンピースタワー」3Fにも、大好きだったECJ
「ボーナスショップ」の背後にマンクラがあって、何度も実戦した記憶アリ)、
活動範囲であまり設置のなかった本機も、物珍しさも手伝って何度も対峙した。
(同じくマイナー機のクレオパトラも、しっかり打っておけば良かったと反省…)
因みに、新宿エルニド3は、3Fにもエスプ、ジャパン2、チェリー12Xといった
CT機を設置(チェリー12は「集中付きCT機」だが)。何気にラインナップの
豪華な店であった。余談だが、当時2Fに並んだビーマックスのシマで、「設定6が
ないものか」と、必死に打ち回っていたのも懐かしい(同チェーンは、低換金・
高設定多数がウリだった(次第に信憑性は落ちていった感じだが…))。
本機のボーナスはビッグのみ(先行機クロスCTにはREGも存在)。小役ゲームも
2回までと少ない(Bタイプ)。また、肝心のCTについては、全設定共通で突入率
60%となっており、クロスCTやマンクラの「1/2」よりは高い。ただ、本機との
個人的相性というかヒキは弱く、逆に6割の確率でCTを外していた感じだ。
CT当否の結果は、ビッグ終了後、リール窓右の「スピンラック(インジケータ)」
で告知される。先行機クロスCTにも付いていた抽選用ランプで、その後もネットの
CT機に引き継がれている。時計周りでランプが回転を開始後、上下左右4か所ある
停止位置のうち、上か下(「HIT」の表示)で止まればCTに当選、左右(「OUT」
表示)ならハズレとなる。表示上1/2だが、内部では先述の通り、設定差無しの
60%(3/5)である。
(リール窓右のCT抽選用ランプ「スピンラック」を図解)
上か下の「HIT」にランプが止まればCT。左か右の「OUT」
ならハズレ(上図は上のHITに停止の為、CT当選を意味)。
CTに突入すると、第1、第2リールが「引き込み制御」、第3リールが
「無制御」となって、目押しで小役(ボーナス、リプを除く)を揃える
事が可能。但し、マンクラ(99G)やアステカ(150G)とは違って
CTが最大60ゲームと短い。なるべく早めにMAXの200枚(201枚
到達でパンク)近くまでコインを増やして、現状維持に切り替える。
全図柄の直視は容易ではなかったが、本機の場合、各リールに1か所
「チェリー」が配してあり(左は2連チェリー)、チェリーを基準に
目押しすれば、難易度も下がる。なぜなら、各リールのチェリーのみ
「赤く光っていた」から。別に、赤い蛍光塗料が塗られていた訳では
なく、チェリー図柄のみが「透過式」になっていて、リール奥で赤く
光るランプが、チェリーの隙間から透けて見えた為である。この方式は、
同時期に設置された、同じネットの「サハラ」(時系列上、大量獲得タイプの
元祖とされるが、獲得枚数はA-400に毛の生えた程度)でも採用されており、
目押しのアシストに一役も二役も買った(元々、同社「トリップデビルV」の
BARが発端だが、アチラは配列上見づらかった)。よって、本機のCT中は、
各リールにチェリーを狙うのが基本。CT消化の手順には「順押し」と
「逆押し」があるが、今回は「逆押し手順」を紹介する。
(1)CT中、コイン増加を狙う時
(a)右リール下段or枠下にチェリー狙い
(b)中リール枠内にチェリー狙い
⇒引き込み制御で、8枚役と12枚役が上段受けWテンパイ。
(c)左リール中・下段に2連チェリーをビタ
⇒成功すれば、12枚と2連チェリー(6枚)の複合で15枚。
1コマ遅くても、8枚と角チェリー(4枚)の複合で12枚。
1コマ早いと、2連チェリーの6枚のみ。
(2)CT中、現状維持を狙う時
(a)及び(b)は(1)と同じ
⇒8枚と12枚の上段受けWテンパイ。
(c)左リール上段に赤7をビタ
⇒テンパイラインに赤7を狙えば、8枚も12枚もチェリーも外せる。
なお、CT消化中の獲得枚数は、リール窓右下にあるZ型ランプ(スピン
ラックの真下に配置)で把握。25枚刻みで、緑と赤のランプが上から
下に順次点灯して、打ち手に知らせる仕様だった。
CT枚数表示ランプ(図解)
CT中は、ランプ下段の右から2番目の緑ランプ(175枚以上)が
点灯するまで、上記の15枚獲得手順(1)をひたすら行う。そして、
緑ランプが点灯したら、現状維持手順の(2)に切り替える。後は、
緑ランプ消灯で(1)、点灯で(2)と繰り返せばOK。完璧な手順
ではないが、目押しの負担は少ない。CTが残り6Gになったら、
手順(1)で15枚を連続獲得。201枚以上取ってCTを終了させる。
因みに、CTの残りゲーム数は、リール窓上部の小さな「7セグデジタル」
で表示される為、一目で把握できる。因みに、この7セグが、レバーオン後に
銃声と共に消灯すれば、ビッグ成立=CT連チャン確定となる。この時、成立
ゲームはCT制御のままなので、15枚を1回取ってから次Gでビッグを揃える。
(リプレイハズシ)
ビッグ中のメインは8枚役(取りこぼし無し)。12枚役もたまに揃う
(左のみ取りこぼしアリ)。ハズシはビタだが、一定の効果があった。
CT中と同様に、各リールで「光るチェリー」を目安にすれば判り易い。
1回目の小役ゲームは、順押しで左にチェリー狙い。中・右は適当押しでも
12枚役の取りこぼしは無い。
2回目に入ったら、残り10ゲームまでハズシ実行。「中⇒右⇒左」の順で。
まず、中リール中段にチェリーを狙う。そのまま停止なら、右を適当打ち。
中・右で8枚がテンパイしたら、左枠上or上段に赤7を狙って、8枚ゲット。
一方、中・右でリプレイが下段テンパイしたら、左のテンパイラインに
2連チェリー下の12枚をビタでハズす。難しいが、赤く光るチェリーを
基準にした、タイミング押しも可能だ。
最初に押した中リールが1コマスベった場合、右を適当打ち。中・右で
12枚が上段にテンパイしたら、左はチェリーを目安に12枚狙い。一方、
中・右でリプレイテンパイなら、テンパイラインに2連チェリー下の12枚を
ビタ押し。残り10Gからは、順押し・左12枚狙いに戻す(2連チェリーを
目安に)。
(リーチ目)
0枚役揃いでチャンスとなったが、ラインによっては普通にガセる。但し、
中段と右下がりの0枚揃いは鉄板目(0枚が左右で挟んだ形でもアツい)。
ビッグ図柄の一直線や山佐型もリーチ目を作るが、やはり鉄板ではない。
右上がりの「赤7・WOLF・WOLF」とか、中段「赤7・赤7・WOLF」、
「赤7下段テンパイ⇒右上段WOLF」は鉄板。「左上段WOLF⇒右上段
WOLF」のハサミ目でも入り。また、変則的な形では、左に「上段WOLF、
下段赤7」が止まって、右の中段にWOLFが停止した「ズレ目」も入り。
なお、赤7付きのリプレイが右上がりに揃ったら、成立後のリーチ目だ。
(ネット「ダブルウルフVCT」の項、了)
CR-V(西陣、ハネモノ)
※記事中の記載ミス、勘違い、誤記などにお気付きの方は、
「非公開コメ」と明記の上、そっとご指摘頂けると有難いです。
(問題)
「パチンコ業界初の「CR」といえば?」
…なんだ、そんなの簡単じゃん。1992年夏登場の
初期CR機「CRフラワーショップ」(京楽)でしょ?
…と思った方、残念でした。正解はコチラ。
1990年に西陣から登場した旧要件ハネモノ「CR-V」
(賞球:オール13、別名「CR-Vスペシャル」)である。
(記事タイトルを見れば、すぐお気づきだろう)
なーんて。まぁ、冒頭の問題は他愛もない冗談の類なので、
サラッと聞き流して頂いて結構だ。なお、「初のCR機」は、
冒頭挙げた「CRフラワーショップ」(他にも数機種が
同時に登場)で正解。
CR-V…新宿・歌舞伎町コマ劇向い、今はなき「オデヲン」で打った。
あの店、大きい割には、頭上の呼出しランプがヤケに小さかったな。
赤、青、黄の横長ランプがビカビカ光るタイプではなくて、小さい
黄色の裸電球がゆっくり明滅するだけの、地味で古臭い大当りランプ。
でも、昭和の「風情」が感じられた(当時、向ケ丘遊園駅北口の小店
「銀座スター」も、同じタイプの黄色いランプだったと記憶する)。
そうそう、本機には賞球違いの兄弟機もあった。賞球11個の「CR-V11」。
13個戻しの本機を「CR-Vスペシャル」、11個戻しの方を「CR-V11」と
区別して呼ばれていたっけ。但し、ヤクモノの作りは共通。
兄弟機「CR-V11」(1990年登場)
本機は、ヤクモノでクルクル動き回る「回転盤」に最大の特徴があった。
しかも、通常時と大当り時では、回転盤の動きがガラっと変わるという、
斬新な面白さがあって、西陣の発想力が好きだったな。
ヤクモノ内では、円盤型の垂直回転盤が、正面を向いてタイヤよろしく
時計方向に回転する。この回転盤には、中央に1つ、外周部に等間隔で
6つと、合計7つの「突起」が付いていた。
(CR-Vの回転盤を簡単に図解(正面から見たところ)。赤い部分が
「突起」。突起の高さは、玉の直径と同程度。盤に打たれた「釘」の
ような存在。釘とは違い、回転盤と一体型なので常時動いているが。)
ハネ開閉時間は、オトシ入賞が0.5秒、ヘソ入賞で0.5秒×2回。
ヤクモノは二層構造になっていて、ハネに拾われた玉は、まず
上段の小さなステージ(奥に「CHANGE」と書かれた扉がある)
を経由して、手前中央に開いた小穴から、下段に落ちる。
その下段では、先述の垂直回転盤が時計方向に回っており、
上段からきた玉は、回転盤の前方を通過しながら落下する。
但し、落下の途中で、盤とともに動く「突起」に弾かれて、
方向や軌道を様々に変える。そうして落下した後、下段の
手前中央にあるVゾーンに入れば、大当りとなる訳だ(Vの
両サイドはハズレ)。盤の突起がV入賞を邪魔する事もあれば、
逆に、突起のアシストでV方向に導かれる事も、多分にあった。
この不規則性こそが、本機の大きな魅力の一つだったといえる。
なお、回転盤を通って左右に逸れた玉が、下段両サイドの壁に
ぶつかって、中央に戻ってVに入る「逆転パターン」もあった。
大きな盤面に並んだ釘に当たって、不規則に跳ねていた玉が、
今度は小さなヤクモノの回転盤の突起にも弾かれて、やはり
ランダムに落下していく。その様子は、まるで「大宇宙」と
「小宇宙」の対比・相似を見ているようで、ハネモノ独特の
ロマンさえ感じた(ちょっとオーバーか)。
さて、本機を打って驚かされたのは、やはり大当りの際である。
通常、正面を向いて回る垂直回転盤が、大当りの瞬間、やおら
後方に倒れて水平気味になり(手前に傾斜があるので、完全に
水平ではない)、今度は「反時計回り」に回転を始めるのだ。
即ち、メインヤクモノが垂直状態から水平(気味)に大きく
変貌して、回転方向も逆になる訳だ。このダイナミックかつ
立体的な動きが、打つ者を驚愕させて虜にした。その動きは、
同じ西陣の一発台の「ジェットライン」や、奥村のハネモノ
「ミルキーウェイ」を彷彿とさせるものだった(回転方向は
両者とも「常に時計回り」だったが)。
また、大当りすると上段ステージにも「変化」が現れる。通常時は、
上段で「CHANGE」と書かれた扉の手前の穴から落下するのだが、
大当りを契機に、「CHANGE」扉はパタリと倒れて手前落下穴を
塞いでしまう。同時に、扉のあった背後に、新たなルートが出現。
上段では通常ルートの手前ではなく、上段奥へと続く新ルートを
通って、下段に落ちるようになだ。「CHANGE」とは、かかる
上段ステージにおける、軌道の「変化」を示唆したものだろう。
また、通常時と大当り中では、回転盤の角度や回転方向などが
大きく「CHANGE」する…そんな意味も含まれていたハズだ。
上段奥から落下した玉は、下段奥から折り返すように手前へと転がる。
水平気味に倒れて反時計回りに動く回転盤の奥側にアプローチした後、
盤上の7個の突起をかいくぐるようにして、手前V方向へと向かうのだ。
無論、通常時と同様、玉は突起に弾かれて不規則に動くので、最後に
手前中央Vに収まるか、V両脇のハズレ穴に落ちるかは予想できない。
なお、Vの両サイドには小突起もあって、ハズレ穴に逃げそうな玉を
V方向に戻す(アシスト)ケースも、稀にあった。また、下段に落ちた
玉は、大半が回転盤の上を通って手前に向かうが、時には盤に乗らず、
盤の縁に沿って弧を描くように、手前に転がってくるケースもあった。
ハズレ4カウント後、ヤクモノの動きは変化。反時計回りに回り続けていた
回転盤が、「回転」⇒「一旦停止」の断続パターンに変わる。それと同時に、
倒れていた状態で上段手前の小穴を塞いでいた「CHANGE」扉も、一転して
「開閉動作」を行うようになる。上段を通る際、扉が倒れていれば今までと
同様に「奥」のルートから落ちるし、逆に扉が起き上がった状態ならば、
通常時と同様、「手前」から下段に落ちる。即ち、上段⇒下段へと向かう
ルートが、ハズレ4カウント後からは2通りに増える。これも、「CHANGE」
の一環といえよう。
特に、回転盤が停止している時は、外周の突起2本が丁度Vゾーンの正面に
来て止まるので、盤上の玉を手前Vへと導く「ガイド」の役割を果たした。
回転盤が止まっている一瞬こそ、V継続の大きなチャンスとなった訳だ。
また、上段ステージに着目した場合、ラウンド前半と同様に上段奥ルートで
落下すると、下段で盤と突起の「関門」が控えているから、ハズレも増える。
一方、CHANGE扉が動いて、通常時と同様に手前穴から下段に落ちると、
回転盤の前方に落下する為、回転盤に邪魔されずVに飛び込み易くなる。
このように、扉の開閉タイミング次第でV継続チャンスが生まれる点も、
本機の大きな特性といえた。
但し、回転盤には台ごとの「クセ」もあって、盤が止まった瞬間に、
二本の突起がピッタリ真正面に来ないで、少しズレた状態で停止する
「性悪台」も存在。これだと、折角の突起がVに導くガイドにならず、
Vを逸らす機会が増えてしまう。こうした「トラップ」を見抜くのも、
ハネモノを攻略するうえで、ポイントの一つだった。
件の新宿オデヲンは、場所柄、さほど甘釘で営業していた訳ではない。
ただ、低投資で「遊べる」台なら、そこそこ転がっていた記憶も残る。
本機は、初当りもある程度甘く、継続率も良好な部類に入る。条件と
しては、悪くなかったと思う(よく鳴くクセに寄りがサッパリな台は
ストレスがたまったが…)。当時、始めたばかりのバイト料が頼りで、
財布の中身も不安定だった私にとって、ある程度の投資で付き合える
本機のようなハネモノは、有難い存在であった。朝から晩まで打って、
見返りがたった1000発しかなくても、「安銭でパチを長時間打てる」
というだけで、無条件に嬉しかった。それが例え「ショボ勝ち」でも、
「勝って」家に帰れるというだけで、さらに気分は高揚したものだ。
しかし、今にして思えば、本機の「CR-V」という一風変わった
ネーミングの裏には、どういう意図が隠されていたのだろうか?
無論、当時の機種名には、抽象的で特段の意味を持たぬものもある。
だが、特にハネモノにおいては、機種名が台そのものの特性を明示、
暗示するケースが、決して少なくない。本機の場合も、何か特別な
意味が込められていたのでは、と今更ながらに疑問が生じる。
因みに、カード対応機「CR」の意味については、「Card Reader」
の略称、というのが一般的である(当初は「CaRd」の略とされた)。
ただ、CR機の話が大っぴらに世に出たのは、新要件時代の1992年。
一方、本機デビューの1990年夏といえば、まだ旧要件の頃である。
パッキーカードなどのプリペイドカードこそ存在したが、「CR機」
という名称それ自体や、それに関する具体的な構想などは、まだ
表に出ていなかったハズである。その時期、西陣がCR機を念頭に
本機をネーミングしたとは、正直考えづらい。
ならば、ヤクモノの特性に照らし合わせたらどうか。例えば、回転体は
「円運動」が特徴。英訳すれば「Circle」「Circular」「Circulate」
などが当てはまる。同様に、「回転体」や「回転」を英語で表記すれば、
「Rotator」「Rotation」或いは「Revolution(革命ではないよ)」
などが相当するだろう。「Round」なども円を意味するから、繋がりが
あるのかも…。こうした英語の頭文字を取って、「CR」と命名された
可能性はないだろうか。(「V」はVictory、Vゾーンの意味だろう)。
ひょっとすると、通常時と大当り中で回転体の動き(回転方向や角度)が
「変化」する特性を意味する、「Change Rotation」を略したのかも
しれない(「CHANGE」の文字は、ヤクモノにもあったし)。
因みに、全く同一の名称として、ホンダ四輪車の名称である「CR-V」
が思い浮かぶが、同車が世に出たのは「1995年」の話。本機よりも
5年も後の話なので、関係はないだろう(むしろ、ホンダの開発者が
本機のファンだった…?)。
(西陣「CR-V」の項、了)