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恐竜王国(平和、デジパチ)

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1994年(平成6年)に平和から登場した確変デジパチ「恐竜王国」(新要件、現金機)


★賞球…5&11
★大当り確率…1/189.7
★デジタル停止順…左⇒中⇒右(中デジの停止パターンには、通常停止とスベリ停止あり)
★大当り図柄…0~9、A、B、C、Dの各三つ揃い(14通り)
★最高15ラウンド継続(大当り確率が高い分、通常よりも1R少ない)
★アタッカー開放時間…約29.5秒
★どの図柄で当っても、次回までの確変(小デジタル)に突入(2回ワンセット、ループなし)
★出玉…1回の大当りで約1500発、2回ワンセットで約3000発
★小デジタル確率…通常時=1/10、確変時=99/100
★電チュー(ミニアタッカー)開放時間…通常時=0.5秒、確変時=2.5秒(止打ち効果はあまりなし)
★兄弟機…CR恐竜パーク(1994年、大当り確率=1/288.5)
⇒「3、5、7」でプラス2回の確変(ループ有)。突入率=1/5。液晶は本機と共通。図柄は15通り。
★当時の実戦店…新宿西口「アラジン」(現存)


当時の「アラジン」…現在は外観がだいぶ変わった。近くのスロ屋「マーブル」「NASA」「遊」も懐かしい…



破格の大当り確率1/189.7、しかも出玉はもれなく3000発(2回ワンセット)と、今考えればスペックの甘い台だった。好調時は、数珠連機よろしく100回転以内の初当りを重ねて、一気にドル箱を積む事も出来た。ただ、自分の行動エリアは設置が少なく、実戦店も限られた。また、高スペック故に、通常営業ではヘソもスルーもシブくなりがちだった。ヘソの戻しがCRと同じ「5個」で、玉持ちは悪かった。なお、当時の平和の機種によく見られた、遅いカウンター周期を狙った「体感器攻略」ネタも発覚(後述)。


本機のモチーフは、文字通り「恐竜」である。当時は「恐竜モノ」の機種が幾つも出ており、ちょっとした「流行り」となっていた。これは、以前「恐竜天国」(豊丸、1994年)の項でも触れたが、1993年公開の人気映画「ジュラシック・パーク」(S・スピルバーグ監督)の影響が大きいといえる。

事実、同作の公開をきっかけに、本機や「恐竜天国」が’94年に登場したほか、三洋「スーパーザウルス」(1994年)、奥村「天地創造」(1995年)、サミー「CRガオガオキッズ」(1996年)と、デジパチで多くの「恐竜モノ」が店に並んだのだ。

本機においても、「卵」を模したデジタル図柄(数字には手足がある)や、大当り図柄(A~D)に対応するカラフルな4頭の恐竜など、いたるところに「ジュラシック・テイスト」がちりばめられていた。

しかし、それ以上の存在感を見せたのが、スーパーリーチ時に登場する、3人の男女キャラクターである(盤面右下にも描かれている)。特に男性キャラは、当時の人気映画スター、ジャッキー・チ〇ンとS・スタ〇ーン(ラ〇ボー)を彷彿とさせた(なお、女性に「モデル」がいたかは不明…)。

大当り画面では、この男女3名を中心に「一大ストーリー」が繰り広げられる(恐竜達が棲む平和な「ジュラ島」に伝わる「希望の玉」が悪の手先に奪われるが、3名の活躍で取り戻す)。主人公以外にも、大当り中は随所にハリウッド映画スターっぽいコミカルなキャラが登場。こうなると、「恐竜王国」ではなく「洋画王国」と呼びたくなる(笑)。

「燃えよド〇ゴン」のブルース・リー、「エ〇ム街の悪夢」のフレディ、「13日の〇曜日」のジェイソン、「グ〇ムリン」のモグワイ、「ツイ〇ズ」のジュリアス&ヴィンセント、「リー〇ル・ウェポン」のリッグス&マータフ…他にも「バット〇ン」「ス〇パーマン」「イン〇ィー・ジョーンズ」「スター〇レック」など多彩(ラストラウンドでは、エディー・マー〇ィやジェー〇ス・ボンド、さらにはシャ〇専用ザクといったキャラの姿も…)。なお、白ヒゲを蓄えたジュラ島の「長老」は、スピルバ〇グやジョー〇・ルーカス的な雰囲気も漂うが、何となく「黄門ちゃま」っぽく見える(あくまでも、個人的見解)。ちなみに、悪の親玉は「スター〇ォーズ」のダースベイダー然とした姿だが、最後は巨大な恐竜となって立ちはだかる意外性もアリ。



(リーチアクション)

ノーマルの他に、3種類のスーパーリーチが存在。ジャッキーが空飛ぶ雲に乗って登場した後、右デジに三角蹴りをくらわす「ジャッキーリーチ」(三角蹴りリーチ)、スタローンが右デジに照準を定め、バズーカを豪快にぶっ放す「ランボーリーチ」(バズーカリーチ)、画面左下に金髪女性が登場して、投げキッスで右デジを止める「レディリーチ」(投げキッスリーチ)の三つだ。特に、レディリーチの信頼度は非常に高い(後述)。

★各リーチの出現率

通常ハズレ時     …ノーマル85.6% ジャッキー7.0%  ランボー7.0%  レディ0.4%

確変ハズレ時     …ノーマル98.8% ジャッキー0.4%  ランボー0.4%  レディ0.4%

大当り時(通/確共通)…ノーマル15.6% ジャッキー29.7% ランボー29.7% レディ25%

※確変中は「ハズレSPリーチ」が少ない⇒確変中のSPリーチは高確率で当る。


★各リーチの信頼度

・ノーマル…1.33%
・ジャッキー…23.8%
・ランボー…23.8%
・女の子…82.5%



(大当り判定)

一発判定方式…カウンター範囲は「0~568」の569コマで、大当り値は「7、73、523」の3つ。
よって、正確な大当り確率は3/569≒1/189.7となる。


★体感器攻略

当時の平和の機種には、大当りカウンターの周期が非常に遅く、しかも、複数の大当り乱数を特定箇所に固めて配置したものがあり、こういった台は格好の「体感器ネタ」となった(CR黄門ちゃま2、CRハッピーデート、CR将軍ちゃま3、CRワイワイサーキットなど多数。中には、体感器で確変を狙える機種もあった(CR黄門ちゃま2、トランプ物語SPなど))。
本機も、これと同様の特徴を有しており、やはり体感器攻略の対象とされた、といわれる。ハッキリいって、一般ファンの私には「無縁」の世界だが、一応その仕組みだけは概説しておきたい。

・大当りカウンターの範囲…0~568(569コマ)
・大当りカウンターの移行速度…1コマ=4.096ミリ秒
・大当りカウンターの周期…569×4.096=2.330624秒(約2.33秒)
・大当り乱数の配置…「0~568」の569コマのうち、「7」「73」「523」の3つが当選値。「7」を中心として、直後に「73」、直前に「523」がある為、この3つを大当りの「塊」と考えれば、体感器で狙えるとされた。

但し、「CR黄門ちゃま」などと比べてカウンター周期が短く(CR黄門…約4.846秒)、大当り乱数の間隔も広めという短所もあった。この点について、本機を実際に体感器攻略した方の体験談・感想などを求む。


パーフェクトゲーム(京楽、デジパチ)

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1995年(平成7年)に京楽から登場した新要件デジパチ「パーフェクトゲーム」



★カラー液晶画面(3×3の9分割画面)
★セブンライン機(有効ライン=横3列・縦3列・右下がりの計7本)⇒配列上、「右上がり」は揃わない
★賞球…7&15
★大当り確率…1/205
★図柄…7、王冠、ピン、星(ハズレ図柄=ボウリングのボール)
★大当りパターン…23通り
⇒7、王冠、ピンの各三つ揃い(3×7=21通り)とオールスター(星が9個出現=2通り)
★最高16ラウンド継続
★アタッカー開放時間…約29.5秒
★出玉…約2300個
★意図的な連チャン性のないノーマル機
★現役時の実戦店…小田急・新百合ヶ丘駅北口「ジアス」(現存)
★兄弟機(後続機)…CRパーフェクトゲーム(1995年)


本機から8か月ほど遅れて登場したCR版「CRパーフェクトゲーム」。大当り確率は1/293、確変突入率は9/23(次回まで継続、ループあり)。確変図柄は7、王冠、ピンの「横ライン」揃い(計9通り)。また、現金機でハズレ図柄だった「ボール」が大当り図柄に昇格(2種類の「オールボール」で大当り)。その代わりに、「星」がブランク図柄に降格した。





機種名、盤面、そして液晶からお判りの通り、本機は「ボウリング」をモチーフにしたデジパチである。ボウリング物といえば、本機や権利モノの「ラッキーボウル2(3)」(奥村)、それにダイドーの時短機「フィーバーパンチアウトDX」などが、パッと思い当る(豊丸の権利物「スーパーボウル」はサッカーがモチーフ)。スロットでは、タイヨーの「タイヨーボウリング」だろうか。

私は大学時代のほんの一時期、(準)体育会系のボウリング部に所属していたことがある。練習場所は、高田馬場の「シチズンボウル」という所だった。一通りの練習を終えると、シチズン入口の軽食屋「ミニヨン」(閉店)で打合わせや歓談をした後、高田馬場駅へ戻る途中、早稲田通り沿いのパチ屋やスロ屋~「東陽会館」「日拓EO(イオ)」「ダイナム」「日拓ビッグポット(スロ屋)」「白鳥会館(スロ屋)」「コスモ」~に立ち寄るのが、お決まりのパターンだった(その他、さかえ通り※に「パチスロ日拓」(アニマル設置店)、駅を超えた早稲田通り沿いにも「国際センター」「日拓本店」があり、パチ屋の「ハシゴ」には十分な環境だった)。
※その後、さかえ通りには「パチンコUSA」もオープン(⇒その後「BBステーション」に)。


(JR高田馬場駅近く、早稲田通り沿いにあったスロ専「日拓ビッグポット」…現在は油そば「ぶぶか」に)


その内、ボウリングよりもパチ・スロの方がすっかりメインになってしまい、肝心の部活の方はアッサリと辞めてしまった(汗)。なので、実力的にも大したことない「ヘボ」(⇐死語)部員だ(しかも1年少々で退部…)。

そういえば、当時のパチ・スロ行動エリアには、近くにボウリング場が併存したケースも多い。高田馬場には件のシチズンの他、駅前の「BIGBOX」ビルにもボウリング場があった。馴染みの新宿・歌舞伎町には「ミラノボウル」と「コパボウル」(共にコマ劇そば)があったし、小田急・向ヶ丘遊園には「BIGボウル」(南口・中和ビル内)と「向ヶ丘遊園ボウル」(遊園地の目の前、跡地は「藤子・F・不二雄ミュージアム」に)があった。そして、当時の地元近くでも「よみうりボウル」(よみうりランド内)が営業していた。あの頃は、友人や家族でボウリングに費やす時間も、それなりに多かったのだが、今やすっかりご無沙汰である(既に閉店してしまった店舗もある)。そうそう、ビルの上階なんかだと、レーンが傾いている気がして、思い通りに玉が転がらない感じで苦手だった(単なる錯覚の場合もあったとは思うが…)。




さて、話を「パーフェクトゲーム」に戻そう。パーフェクトといえばノーミス「300点」だが、残念ながら、これまで達成した事はない(マグレの200点越えは、何度かあった)。おっと、また話が逸れるところだった。



本機は、流行りの「カラー液晶画面」を搭載していた。「タテ3×ヨコ3」の9分割画面は外観上、三共の人気液晶連チャン機「フィーバーパワフルIII」を思わせるものがあった。

しかし、パワフルと決定的に違ったのが、「大当り有効ラインの本数」である。

パワフルは、横3列、縦3列、右上がり、右下がりの計8ラインが有効だった。一方の本機は、縦・横の計6ラインと右下がりはOKでも、「右上がり」は図柄が絶対に揃わず、計7ラインが有効となる。その理由は、図柄の停止パターンと配列にあった。


(デジタル停止パターン)

 (最初にAが同時停止)  


(次にBが同時停止…ABテンパイならリーチ) 


(最後にCが同時停止…リーチ時も同じ)



「AB」がテンパイ形になると、右上がりラインの「C」が、3つ同時にスクロールする(リーチ)。この時、Cのデジタル3個は完全に「同調」しており、しかも停止タイミングも同じで、独立した動きとはならない。また、配列上、Cのラインに「7・王冠・ピン」の各図柄が3つ揃った箇所は、1つもない。
よって、右上がりに「7・王冠・ピン」の図柄が並ぶ事は絶対に無く、有効ラインもパワフルより1本少ない「7ライン」となる訳だ。当然、パワフルのような「オールセブン」(「オール王冠」「オールピン」)も揃わない(その代り、「オールスター」揃いがある)。




さらに、本機には、当時としては一種「斬新」な機能も備わっていた。

それは、今でいう「保留先読み」的な存在で、「リーチ予告機能」といわれるものだ。

このリーチ予告は、保留満タン時のみ発動する。通常、保留ランプは赤く点灯しているが、保留満タンになった時、4つの保留ランプが赤⇒緑と交互に点滅を開始する事がある。こうなると、現在回転中のものを含めて、保留の何れかで必ずリーチが掛かる仕組みだった。当時、こういった機能を持ち合わせた機種は、非常に珍しかったのだ(同年登場の豊丸「コマコマ倶楽部2」には、大当りの前兆として保留をハズレリーチ乱数に強制的に書き換える、「連続リーチ予告」があった。仕組みについてはリンク先を参照)。

まぁ、本機の場合、リーチ予告が出たからといって、別段大当りし易くなる事はなかったが、単調になりがちな通常時を盛り上げる「巧妙」な演出といえた。なお、保留全灯時に予告が発生しないのに、リーチが掛かる事もあったと付け加えておく。



★本機のリーチパターン
ノーマル、コマ送り、拡大(回転)の3種類。SPがアツイのは勿論だが、ノーマルで大当りする事もあった。コマ送りと拡大は、ノーマルからの発展(ロング)で、大当り又はその前後で止まる脳汁アクション。なお、1コマ戻りや1コマ手前から再始動で当る「逆転パターン」もあった。





当時、本機は新百合ヶ丘駅北口の「ジアス」(現存)というパチ屋でよく打った。当時は、1Fがパチで2Fがパチ&スロの計2フロアで、本機は1Fの無制限シマ(入口右サイド)に置いてあった筈だ。当時、この店は低換金(2.3円交換)だったが、確率が甘い上に無制限という事で、本機の釘は「そこそこ」だった。大勝ちの記憶はないが、低投資から2、3箱積む感じで「そこそこ」楽しむことはできた。それと、なぜか、出玉を全て飲まれた直後の「追加500円目」に、次の当りが来やすかった記憶も残る(故・田山幸憲プロ風にいえば、この店・この機種独特の「パターン認識」というべきか)。

そういえば、この店は、シマによっては「ラッキーナンバー制」だったが、午前中に「無制限タイムサービス」というのをやっていた事がある。この時間内は、「図柄不問で無制限」となるのでオイシかったが、タイムサービスのBGMとして、「サバイバル・ダンス」(TRF)と「怒りの獣神」(サンダーライガー入場曲)を、エンドレスで流すが定番になっていた(タイムサービスが終わった瞬間、「軍艦マーチ」に切り替わる)。そんな訳で、このビート感あふれる名曲を耳にすると、今も反射的に「パチ屋の喧騒」を思い出すのだ。
(もちろん、「軍艦マーチ」に対する思い入れも大きいが…)

笹塚駅、幡ヶ谷駅(京王新線)のパチンコ店マップ(1990年)

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笹塚駅、幡ヶ谷駅(京王新線)のパチンコ・パチスロ店マップ(1990年=平成2年)

※当時のパチスロ設置機種も併記
※(併)→パチ・スロ併設店 (S)パチスロ専門店 (P)→パチンコのみ設置



★笹塚駅

A:ドラゴン B:笹塚会館 C:マルシン D:リボン 

(C)Google

(北口)

A:「ドラゴン」(併)  (閉店⇒スロットガールズ⇒閉店⇒マルシンslot PART2)
アラジン(ニイガタ電子2-2) ※入替前はアニマル(アークテクニコ2-1)


(ニイガタ電子「アラジン」)


B:「笹塚会館」(P) (’91年に併設店へ移行⇒閉店) 
一発台=ベータ。当時はパチスロ非設置。’91年にスーパープラネット(山佐3-1)とコンチネンタルIII(メーシー3-1)を設置。


(ニューギン「ベータ」)


C:「マルシン」(併) (現存)
ファイアーバード7U(瑞穂1.5号機)


(瑞穂「ファイアーバード7U」)


D:「リボン」(併) (閉店)
スーパーセブン(パイオニア2-1)


(パイオニア「スーパーセブン」)




★幡ヶ谷駅

A:日野会館 B:永幸(えいこう) C:キング D:パチスロVIP(ビップ)

(C)Google

(南口)

A:「日野会館」 (閉店)
スーパーウィンクル(高砂電器2-2)


(高砂「スーパーウィンクル」)


B:「永幸」(併) (現存)
ウィンクル(高砂電器2-1)


(高砂「ウィンクル」)


(北口)

C:「キング」(併) (⇒パチスロ専門店に移行⇒閉店⇒アサヒ幡ヶ谷2号店)
センチュリー21(瑞穂2-2)


(瑞穂「センチュリー21」)


D:「パチスロVIP(ビップ)」(S) (閉店)
デートライン銀河(興進産業2-2)


(※興進産業「デートライン銀河」)
※興進産業…後の「テクノコーシン」⇒「ラスター」。先日のラスター破産報道で、当ブログの「デートライン銀河II」のページにアクセスが急増したが、何だか複雑な気分だったなぁ…。



★なお、幡ヶ谷となりの初台駅(北口)では、’90年当時「みかさ」(閉店)と「あかね」(現存)が営業。ちなみに、「あかね」は藤竜也主演のパチンコVシネマ「裏ゴト師」(中田信一郎※監督、1995年リリース)のメインロケ地にもなった(芳本美代子演ずる恵子がオーナーのパチンコ店「AKANE」)。

※中田信一郎氏は、Vシネマ版「田山幸憲のパチプロ日記」(1997年、主演:斉木しげる)や、「ゴト師株式会社 ルーキーズ THE MOVIE」(1999年、主演:川岡大二郎)などの監督も務めている。

フィーバーアストロンIII(三共、デジパチ)

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1992年(平成4年)にSANKYO(三共)から登場した新要件デジパチ「フィーバーアストロンIII」

★FL管(蛍光表示管、VFD)採用
★賞球…7&15
★大当り確率…1/245
★デジタル停止順…左⇒中⇒右
★大当り図柄…0~9、C、F、P、L、J(計15通り)
★最高16ラウンド継続
★出玉…約2300個
★保留玉連チャン機(強制連チャンは保留1個目で発生、保1連チャン率=20%)
★兄弟機…フィーバーアストロンII(1992年)⇒大当り確率1/225、盤面・賞球などは本機と同じ。
★当時の実戦店…向ヶ丘遊園駅北口「ニューギンザ」、高田馬場「東陽会館」など


(当時のニューギンザ)


(当時の東陽会館)      
            



★連チャンシステムなど

「保1連チャン機」として知られた本機。このタイプは、新要件初期の三共連チャンデジパチの「典型」ともいえる。大当たり終了後の保1でリーチが掛かると、まだ当ってもないのに、連チャンを確信して自分でドル箱を用意した(スカを喰らって、ガックリしたことも多いが)。

レールの上に空箱がない店では(呼び出しランプで店員が箱を持ってくる)、連チャン時のドル箱の確保に気をつかう事もあった(店員の反応が遅いホールだと特に)。シマの端で打っていると、近くに空箱が積んであるので安心だが、シマ中央だと距離がある為、保1リーチの瞬間に席を立って、猛ダッシュでシマ端の空箱を取りに行き、サッと戻ってきたりした。あの敏捷性は、チーターより上だったかもしれない(嘘)。

さて、本機の大当り判定方式は、同時発表された「フィーバーマキシムEXIII」と同じだ。

即ち、一次判定が「2/98=1/49」、二次判定が「15/75=1/5」の二段階判定方式である。トータルでの大当り確率は、1/49×1/5=1/245となる。

そして、大当り終了後の保留1個目に限り、この1次判定がフリーパスとなり、二次判定の1/5さえクリアすれば大当り=連チャンとなる。よって、保1での連チャン率は20%となる。

個人的にはダブル止まりが多く、3連まで伸びればラッキーだった。ただ、店によってはポーンと5連くらいまで伸びる事もあり、ホール毎に出方が違うのかな…なんて思った事もある。




★本機のデジタル表示(FL管)を巡る、三共の「ライバル心」或いは「怒り」(個人的な推測)



ご覧の通り、本機は蛍光表示管(FL管、VFD)を採用している(※三共初のFL管デジタル採用機)。
スケルトン調で暗闇に立体的に浮かぶ、7セグ調のデジタル表示が特徴だった。また、デジタルを取り囲む「宇宙船」や「惑星」、「月」といった派手なデザインも、打ち手の目を引いた。


平成4年(1992年)3月にホールデビューを飾った本機。同年2月に行われた三共の新台発表会で、話題の新型ドラム機「フィーバーマキシム」シリーズと同時に発表された(この時、新枠「’92ステラ枠」も発表)。

この発表会では、マキシム同様に大きな注目を集めた本機だが、実際ホールに多く設置されたのは「マキシム」の方で、本機はその陰にかくれてしまった感が強い。さらに、同年夏には「フィーバーレジェンドI」(ドラム機、ウィングアタッカー、保1連チャン)が新たに登場。コチラはマキシムを凌ぐ大人気台となった。

結局、ホール登場後の本機に派手なスポットライトが当ることはあまりなく、「地味」なまま姿を消してしまった感じだった(設置期間の極端に短いホールも…)。まさに、「不遇の名機」といえよう。


ところで、黒をバックにした7セグ調デジタル、そしてデジタル周囲のカラフルなデザイン群は、ニューギンの新要件機「スターマイン3」(1991年)のデジタル表示を思わせた。果たして、これは単なる「偶然」だろうか。


(平成3年登場、ニューギン「スターマイン3」のデジタル。コチラもFL管を使った派手な表示だった)


元々、三共のデジパチといえばドラム機が十八番(おはこ)だった。それが、旧要件末期~新要件初期になると、まず「フィーバーザウルスII」(1989年、旧)という7セグタイプが登場。次いで「フィーバーザウルスSP」(1990年、旧)、「フィーバーボルテックスII」(1990年、旧)、「フィーバーロボV」(1990年、旧)、「フィーバーチャレンジI(II)」(1991年、新)といったドットデジパチも送り出して、ドラム以外の新たな方向性を見出そうとした。しかし、本機のような「FL管(VFD)を使った、7セグ調のカラーデジタル」というのは、まだ未採用だった。

むしろ、旧要件期からFL管のカラーデジタルを積極的に使ったのは、ニューギンである。1990年(平成2年)登場の旧要件デジパチ「エキサイトワープ」がその代表格だろう。毒々しいほどカラフルな、7セグ調デジタルが話題となった。さらに、新要件期の1991年(平成3年)に入ると、同年上半期に「ジュピター」「ビーナス2」そして「スターマイン3(2)」と、「エキサイトワープの後継機」を立て続けにリリースした。これは、当時のニューギンデジパチにおける、一つの「流れ」ともいえる。

一方の三共は、’91年秋に新要件機「フィーバークリスタルI」をリリースした。同機は、※三共初の液晶デジパチ FL管デジタル採用機だったが、立体的な7セグ調のカラーデジタルは、よくみるとエキサイトワープやスターマインなど、ニューギン各機のデジタルを彷彿とさせた。しかし、FクリスタルIがデビューしたタイミングは、明らかに「スターマイン3」よりも遅かったのだ。

なぜ、ドラム機で鳴らした三共が、わざわざこのタイミングで、ニューギンの「二番煎じ」とも取れるようなデジタルを採用したのか?

単なる「偶然」と捉えるのは容易だが、個人的な考えでは、当時における両社の「確執」が絡んでいたのではないかと思うのだ。どういう事かというと…

旧要件期のニューギンは、7セグやドット、FL管を使ったデジパチこそ出していたが、まだ「ドラム機」とは無縁だった。本家・ドラムの三共に対する「遠慮」というものが、あったかもしれない。

それが、旧要件末期になるや、突如として「グランドエキサイトG」(1990年、トランプがモチーフ)という「ニューギン初のドラム機」で対抗してきた。しかも、直後に「エキサイトポーカー」(1991年)という新要件版まで出した程だ。さらに、「エキサイトカムカムAW」(1991年)という花札のドラム機まで登場させた。


ニューギン初のドラム機「グランドエキサイトG」(1990年、旧)


ドラムの本家・三共にしてみれば、これは自社への明らかな「挑戦」であろう。いや「挑発」といった方がよいかもしれない。

もちろん、三共に対抗してドラム機を出したメーカーは、ニューギンだけではない。マルホンも、旧要件時代に「クールセブン2」(1989年)や「スーパーターボ2」(1990年)といったドラム機を出している。

しかし、マルホンのドラム機といえば、どちらかといえば関西方面で導入される機会が多かった。一方、ニューギンと三共のドラムデジパチは、関東エリアのホールで「バッティング」するケースも、決して少なくなかった。三共とすれば、「新参者」のニューギンドラムが、自らの庭にズカズカ入り込む事を、快く思わなかった可能性もある。

そんな状況で、今度は「ケンカ」を売られた方の三共が、あえてニューギンのFL管デジパチに「似た」新機種で対抗して、逆に「一泡吹かせてやろう」と思ったとしても、別段不思議ではない。

そうした三共の強い「ライバル心」というか「怒り」が、91年秋に「F・クリスタルI」を登場させる契機になったのでは…と勘ぐってしまうのだ。これは、FクリスタルIの兄弟機「フィーバークリスタルII」(1991年、電チュー付きの確変機)も同じである。

そして、デジタル表示部をいっそう進化させ、今度はニューギンお得意のFL管自体を、三共が初めて取り入れたのが本機である。そこには、「スターマイン3」に対するいっそう強い対抗心が窺える。

ちなみに、本機と同時期には、F・クリスタルと同じデジタルを使った「フィーバーアリストI」(1992年、無制限用)も登場している。


そんな訳で、私には、旧要件末期のニューギン・ドラム機「グランドエキサイトG」に端を発する、「三共VSニューギン」の激しい「確執」が、本機のFL管デジタルに垣間見えるのだ。


まぁ、以上の話はあくまでも推測に過ぎない為、全くの「的外れ」である可能性も大いにあるが…(汗)。


ただ、こういった時代背景を考慮した上で、あれこれ妄想を展開することも、レトロパチンコの楽しみ方の1つではないだろうか。実際に、当時なにが起こっていたとしても、すでに「時効」であろう(笑)。



SANKYOパチンコBGM音源CD「ザ・パチンコ・ミュージック・フロム・SANKYO III」(1992年11月)

本機をはじめ、FマキシムEXIII、FレジェンドI、FパワフルIII、FスパークGPといった平成初期の新要件連チャン機のBGMなどを収録。ハネモノ「オロチョンパ」「OL娘」といったタイアップ物の音源もある。リミックスやメドレーなど、一風変わった音源も収録。





※追記(2014.12.16)
「Fクリスタルの表示機は、(蛍光表示管ではなく)液晶ではないか」とのご指摘がありました(GSEさん)。
うーん、手持ち資料に「VFD方式(真空放電)」と堂々と書いてあった上、デジタル表示の鮮やかさ、リーチ中の色の切り替わり方などで、これまで「FL管」と信じ切っていましたが、いわれてみれば確かに…。

ということで資料の「再検証」を行った所、必勝G誌92年4月号のFアストロンIIIの解説に、「ニューギンのエキサイトワープに搭載されていたFL管デジタルを新たに採用」と、しっかり書いてありました(大汗)。つまり、アストロンの先行機であるFクリスタルは、ご指摘通り、まだFL管は使っていない事になりますね。どうやら、以前に読んだ資料が間違っていたようです(一応、業界で名の通った方の説明でしたが…)。
また、YOUTUBEでFクリスタルIIの動画を見た感じでも、FL管にしては発光がやや弱い気もしますね。
(機種名の「クリスタル」も、文字通り「Liquid Crystal」(液晶)から取ったかもしれませんね)

よって、今後は「Fクリスタルは液晶タイプ(蛍光表示管ではない)」との説を取らせて頂きます。同時に、「三共初のFL管デジタル採用機は、フィーバーアストロンIII」とします。これに伴い、本記事の内容に関しても、適宜修正させて頂きました(過去記事の該当箇所も、追って修正します)。
GSEさん、貴重なコメント有難うございました。
(追記、ここまで)

悟空III(三共、ハネモノ)

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1991年(平成3年)に三共から登場した新要件ハネモノ「悟空III」

★賞球…7&15
★ハネ開閉時間…オトシ0.4秒、ヘソ0.6秒×2
★大当り中は最大2個貯留
★最高15ラウンド継続
★平均出玉…約1100個(継続率は良かった)
★当時の実戦店…新宿・西口(大ガード前)「ニューミヤコセンター」(閉店)


(当時のニューミヤコ(夜のネオン)…すぐ先の「歌舞伎町」界隈には、イチゲンからボッタクる気満々のホールも少なくなかった。だが、大ガード交差点の老舗ニューミヤコは、割と良心的な営業だった印象が強い。客層も広く、オッチャン・オバチャンの常連も多かった。朝の開店前には、ジグマプロと思しき連中も並んだ。入口は狭いが店内は案外と広く、店奥の景品陳列コーナーは、コンビニに負けない豊富な品揃えだった。1995年前後に閉店し、跡地には近代的な「新宿カレイドビル」が建った。)


★兄弟機…ヘソが「電チュー」タイプの2機種が存在。賞球数は、共に本機と同じ「7&15」。
・悟空II(1991年)⇒左右オトシに入賞しても、直接ハネは開かない。オトシ入賞で、センター電チュー(2チャッカー)が2回開く。したがって、ハネ開放は常に「2回」。
・悟空SP(1991年)⇒役物両脇のスルー通過で、2ケタ小デジタル変動。奇数のゾロ目で、センター電チュー(2チャッカー)が開放。オトシは通常の1チャッカー。


   (悟空SP…電チュー確率は1/20)





本機は、文字通り「孫悟空」をモチーフにしたハネモノである。

因みに、旧要件後期の1989年(平成元年)、三洋から「孫悟空」というハネモノが出ている。


(三洋「孫悟空」…8R継続、賞球オール13。通常時、ヤクモノ奥で上下動を繰り返す、如意棒を持った悟空が特徴。)



平成3年(新要件黎明期)の三共ハネモノといえば、やはり、大量獲得タイプの「サンダードラゴンGP」が有名だろう。しかし、実はそれ以外にも、多種多様な新台を送り出していた。ザッと挙げるだけでも…

(1991年登場の三共・新要件ハネモノ)

道路工事GP、ロボくん(I、II、GP)、マッドボーイ(GP、SP)、ナイトドラゴンGP、サンダードラゴン(GP、EX)、大明神GPII、ガンコおやじII、名人会(GPA、SPII)、悟空(II、III、SP)、ポンキッドGPII、スパークマンIII

などなど


当時のハネモノらしく、役物のモチーフは「オリジナル」と「アリもの」(パ〇リとはいわない…)に分かれる。本機(孫悟空)や「名人会」(染之助・染太郎)、そして「スパークマンIII」(スーパーマン)は、「アリもの」の典型だろう。「ガンコおやじ」のちゃぶ台オヤジも、「巨〇の星」の星一徹テイストが多分に含まれる。まぁ、他にも、サンダードラゴンの役物が「メカゴ〇ラ」に見えた人もいるかもしれない。



それはともかく、なぜ三共がこの時期、「孫悟空モノ」で勝負したのかは不明だ。ただ、盤面デザインを見ると、その理由がうっすら判る。


(ヘソ付近には、当時の人気漫画&アニメ「ドラゴンボ〇ル」を彷彿とさせる「例の玉」が…。「DBといえば悟空」的な発想だったのかもしれない(未確認)。まぁ、もっと露骨なモノでは、西陣の旧要件ハネモノ「ザ・拳法」のヤクモノキャラは、DBの「ク〇リン」としか思えなかったが…。




本機の特筆すべき特徴としては、まず、一種独特の動きを見せた「ハネ」が挙げられよう。

通常のハネ開閉とは少々異なり、河川にかかる「可動橋」(跳橋)が、パカッと垂直に起き上がるような動きだった。


通常時、役物の「フタ」をする水平なハネが、チャッカー入賞で垂直に持ち上がる。当時、メーカーはこのハネを「悟空ウィング」と命名した。

「ガバッ」という真新しいハネの動きは、見た目こそ珍しかったが、実際打ってみると特段玉を拾い易い感じもなかった。寄り釘の調整のみならず、ハネの開閉時間、開放角、元ゲージなども関係しているだろう。



では次に、ヤクモノ内部に目を移そう。



センターヤクモノは、上・中・下段の「三層構造」からなる。

また、ヤクモノ奥には、主役の「悟空」キャラが鎮座する、小さな「扉」も存在した。

ハネに拾われた玉は、まず透明な上段ステージに乗る。ステージ中央の突起により、玉はいったん左右に散りやすいが、ステージ左右にも突起があって、散った玉を中央に寄せ返す役割を果たした。

上段から落下した玉は、真下にある透明な中段ステージにアプローチする。こちらも中央に突起があり(左右はない)、上段以上に玉は左右にバラケ易い。「左右にバラける=下段ステージでハズれ易い」ので、当時の新要件機らしく、この突起はV入賞率を下げる「仕掛け」といえた。

一方、下段ステージでは、低い半円柱状の箱(お立ち台のような造り)が待ち構える。箱の表面には龍が描かれ、側面はラーメン丼の「四角い渦巻模様」で、いかにも中華風デザインだった。

メーカーは、この怪しい箱を「ワンダーボックス」と命名した。なお、当時の某「F」誌は、仰々しい見た目から「棺桶」と呼んでいた。

ワンダーボックスは、通常閉じた状態だが、始動チャッカー入賞後と大当り中は、手前側が20度ほど開くようになっていた(上の画像は開いた状態のもの)。この独特なアクションが、V入賞の手助けとなった。

開閉の動きを真上から見ると、こんな感じだった(バルタン星人のハサミにも見えた…)。




ヤクモノ上段⇒中段と来た玉が、ステージの障害(突起)を乗り越えて中央ルートから下段に落ちると、パカッと開いたワンダーボックスの間に落ちて、下段ステージを真っ直ぐ手前に転がる。こうなれば、手前中央Vゾーンに入賞し易い。だが、中段で左右に散ってしまうと、ワンダーボックスの上に乗ったり、内側の縁に当ったりして、V両脇にハズれる確率が高い。やはり「中央ルート」がVへの鍵だが、左右に流れた玉でも、そのままヤクモノの壁にぶつかり、絶妙な「反射」でVに飛びこむケースもあった。


なお、ヤクモノ奥にある「扉」(悟空がいる部分)は、通常閉じた状態で(当然、悟空の姿も見えない)、大当りするとパカッと開く(この扉が「貯留装置」になる⇒後述)。但し、通常時でも1チャッカー入賞時のみ、ハネ開閉直後に扉が一瞬だけ開く(2チャッカーでは開かない)。タイミングよく扉の中に入った玉は、下段ステージ奥に直行して、ワンダーボックスの付け根から手前に直進する為、Vを射止め易い(但し、チャンスは一瞬)。

      
通常時の扉(閉鎖時)。扉上部には「三共」の文字。この奥に悟空が隠れている。     


扉が開くと、悟空が姿を現す。この扉が開くのは、主に大当り時。




首尾よく大当りすると、ヤクモノ奥の小さな扉が開き、愛嬌タップリな悟空キャラが出現する。

大当り中は、扉の中に最大「2個」の貯留を行う。ちょうど、悟空の両手に2つの玉が収まる感じだ。

この時、ハネの開閉に合わせて、下段のワンダーボックスもパカパカと開閉を繰り返す。このアシストのお蔭で、貯留玉以外でもVに決まる事があった。

扉に貯留するには、上段ステージ中央からヤクモノ奥にアプローチする必要があった(左右に散ると、扉に入らない)。その為、常に2個貯留できるとは限らず、1個の貯留で解除する事も少なくなかった。


ヤクモノ7カウント後、又はハネ14回開閉後に、貯留は解除。この時、扉の中で「ストッパー」の役割を果たしていた悟空が、奥にスライド移動して(引っ込んで)、体でせき止めていた貯留玉を下に落とす。

解除された玉は、ヤクモノ裏から下段奥に転がり、左右に割れたワンダーボックスの付け根から再び現れた後、下段ステージの中央を通って手前Vゾーンに向かう。この時、ワンダーボックスは開いたままで、貯留が1個でもVに入り易かった。なお、安心なはずの2個貯留でも、解除後に貯留玉同士が「玉突き」してVを外す、まさかのハズレパターンもたまに起こった。但し、運悪く貯留がVを外しても、ワンダーボックスは引き続き左右に割れたまま停止している為、後続の玉がV入賞するチャンスは残っていた。


さらに本機には、当時の三共ハネモノらしく、大当り中「ダブル」がかかる事もあった。18回目のハネ開閉時にヤクモノに入賞して、その直後に始動チャッカーに入ると、ヤクモノ内に残っていた玉がVに入って、初回に戻るというものだ。但し、これは「偶然の産物」であり、止打ち等で意図的に狙うのは難しかった。



なお、今現在において、本機の実機動画をyoutube等にアップされている方はいない。「動く本機を見たい」という方は、1992年(平成4年)公開のVシネマ「パチンコグラフィティ」(主演・布川敏和)のOPタイトル映像で、本機の大当り画面がチラッと一瞬だけ映るので(数回のショット有り)、興味ある方はアマゾン等でご購入を…。

CR花のもぐら組V(大一、CR権利物)

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1996年(平成8年)に大一から登場した権利物「CR花のもぐら組V」


★賞球…6&10&15(アタッカー15個戻し。ヘソはスルーなので玉持ちは悪い)
★大当り確率(3段階設定あり)
・設定1・・・1/257(確変中は1/25.7)
・設定2・・・1/277(確変中は1/27.7)
・設定3・・・1/307(確変中は1/30.7)
★図柄
・左右=0~7の数字(ブランク図柄は★)
・中=0~7の数字(ブランク図柄は★、$、¥)
★有効ライン…「右下がり/右上がり」の2ライン(クロスラインのみ)
★大当り…0~7の三つ揃い(8通り)⇒2ラインで計16通り
★継続ラウンド数…16R
★出玉…約2200個(但し、メインアタッカー周りの釘次第では、2000個を切る)
★確変機能を搭載
・全8図柄中、「1、3、5、7」(赤文字、奇数)で大当りすると、次回までの確変に突入
・突入率&継続率…1/2(ループ有り)
★保留3個以上点灯時、メインデジタルの回転短縮機能(時短機能)が働く(約2秒短縮)





パチンコで「モグラ」というと、真っ先に本機を思い出す。因みに、パチスロでは「スーパーモグモグ2」(ECJ、4号機)や「モグモグ風林火山」(NET、4号機)などが有名だ。


’90年代登場のパチンコをザッと振り返っても、「モグラ」がモチーフの台というのは割と珍しい(’70年代の大昔に、平和から「もぐら叩き」という台が出ている)。なお、2003年に奥村の「モグラもの」デジパチ「CRモグッテお宝」シリーズが登場したが、個人的な思い入れはない…。


但し、90年代のデジパチで、リーチアクションにモグラが登場するのは、探せば結構ある筈だ。前にも書いたが、1995年に出た大一の先行機「ちんじゃら」(現金機デジパチ)や「CRちんじゃらV」(確変1/3の2回ループ)には、「モグラクルーンリーチ」というSPリーチ演出があり、クルーン奥のハズレ穴に玉が落ちそうな時に、モグラがピョコっとハズレ穴から顔を出して、玉を弾いて手前の大当り穴に導く、アツい「逆転」パターンがウリだった(但し、ハズレ⇒ハズレもあり)。

また、やはり大一のデジパチ「CRいれてなんぼWIN2」(1998年、兄弟機多数)では、デジタル画面にヘルメット姿のモグラ(モグ蔵)が登場して、いったん停止した中デジを再始動させたり(これで当れば確変が確定)、バンカーからモグ蔵がひょっこり顔を出したり、といった演出があった。こうして考えると、90年代の大一はモグラと縁が深い。



さて、本機のメインキャラは、黄色い「安全ヘルメット」をかぶった愛嬌タップリなモグラだ。

機種名「花のもぐら組」は、「穴掘り・掘削が得意な、モグラの土木工事会社」といったところか。



因みに、大一の「ヘルメット」ものといえば、1990年に「安全大一」という旧要件ハネモノも出ている。


(大一のハネモノ「安全大一」…ヤクモノ内には工事現場のオッサン風キャラが佇む)



普段はサングラス姿のシブいモグラだが、実は少女漫画チックな「つぶらな瞳」だったりもする。



(このグラサンを取った表情に、すっかりやられたファンも多かった…かも?ウルウルな涙目のモグラは、大当り終了時にも登場。)


なお、本機の「ヘルメットモグラ」は、後に現金機の時短デジパチ「バトルヒーローネオ」(1998年)の「30回時短図柄」に採用されている(同時期登場のCR版(SR、FX、リターンズ、英雄列伝)や、現金機「バトルヒーローブラザーズ」では通常図柄に採用)。


名機「CRバトルヒーローV」の後継機の1つ「バトルヒーローネオ」。画像は「気まぐれデビルリーチ」。コイツは天使(愛のエンジェルリーチ)と違って、期待させる割によく外れやがったな…グサッ。




(ゲーム性)

・ヘソの始動チャッカー(スルー)通過で、メインデジタル始動。


ヘソ左下にスルーの出口(OUT)があり、真下に賞球チャッカーがある。ここの釘調整次第で玉持ちが大きく変わったが、OUT穴の下をガッツリとシメる(上下の二本釘の位置が露骨にズレていて、チャッカーに入賞しづらい)店も多かった。


・デジタル3つ揃いで、下段中央の権利アタッカーが約5.5秒開放。アタッカーのVゾーン入賞で権利発生となる。


ゲーム性を知らずに、デジタル当選⇒即右打ちで無残に「パンク」させる初心者もいた(アタッカー上部の釘が多く、普通に打ってもパンクする事あり)。かつて、斉木しげる名人がMCを務めた深夜のパチンコ番組「パチンコスタジアム」(テレビ東京)でも、ゲストのなぎら健壱(作業服&タオル鉢巻き姿の「職人ファッション」で登場)が本機をパンクさせて、斉木名人からドヤされるという「迷場面」があった筈だ。



・権利発生後は右打ち。右下の回転体とメインアタッカー(電チュー)の連動で、出玉を増やす。


(回転体は盤面右下にあり、真下に電チュー式アタッカーという構造)

・16ラウンド継続(アタッカー開放時間…9.3秒)で出玉は約2200発だが、アタッカー上部の釘次第では、2000発程度(以下)の出玉になるケースも。


・デジタルが「1、3、5、7」で当った場合、確変突入でデジタル確率が10倍アップ。1/2ループで、ヒキさえ強ければ一気の箱積みも可能なスペックだった。但し、ヘソの戻しが期待できない場合も多く、確変時にハマると大きく玉減りした。




(リーチアクション)

デジタル停止順は左⇒右⇒中。配列上、必ずリーチは「対角線」(クロス)で掛かる。シングルリーチとダブルリーチがあり、ダブルリーチは必ず確変図柄を含む。


リーチは「ノーマル」のほか、「噴水」「夕焼け」のSP2パターンが存在。但し、ノーマルのままでは絶対当たらないので、スーパー発展時のみチャンス。

・噴水…中デジタルが噴水の勢いで次々と持ち上がる。右デジの「スベリ」(⇒後述)発生時は、左右テンパイ後、中デジが4コマ進んで発展。スベリがない場合、テンパイ後20コマ目に発展。

・夕焼け…左右テンパイ後、いきなり画面がオレンジ(夕方)に染まり、中デジがゆっくり上方スクロール。こちらは、右デジのスベリ時に発生する事はない。

★右デジタルの「スベリ」
かの「CRバトルヒーローV」でもお馴染みだった、大一お得意の「右スベリ」は本機でも健在。
本機の場合、右デジタルは「4~8コマ」とランダムにスベる。但し、「7コマ」スベった時は100%リーチが掛かり、必ず「噴水リーチ」に発展(但し、大当り確定ではない)。


(噴水リーチ…大当りの瞬間、モグラはサングラスをしていない。)


(夕焼けリーチ…コチラは大当りの瞬間も、モグラはサングラスをしたまま。)


 

個人的には、新宿、渋谷、高田馬場、下北沢、溝の口と、都内・神奈川のあちこちで本機を実戦した事を思い出す。当時は、三洋のCR権利物「CRギンギラパラダイス」が大人気で、このテの「1/2ループ・次回継続型」はウケが良かった。本機も、導入当初はよく姿をみかけたし、フラッと寄ったホールにたまたま置いてあったりもした。そういや、せっかく3、4回数珠繋ぎ連チャンしたのに、全部「単発図柄」という哀しい事もあったな。展開次第では、とても「確変突入率1/2」とは思えなかった…。

比較的導入率は高かった本機だが、その後も長らく設置され続けたかといえば、残存率の高かったギンパラと違い、早い段階で入れ替えるホールも少なくなかった。やはり、ギンパラの「二番煎じ」的なイメージもあり、「主力機種」とまではいかなかった感じだ。個人的には、シンプルでいてアツいリーチや爆発力など、なかなか良くできていたと思うが…。

そんな中、自分の通ったエリアでは、南武線・武蔵溝ノ口駅(東急・溝の口駅)近くの「日拓エスパス溝の口本店」が、2000年を超えてもなお、本機を設置していた。この店には、地下フロアの沖スロ4号機「シオサイ30」目当てで通っていたが、ふとパチりたくなった時など、話題のCR新機種には目もくれず、シマの隅にあった本機やCRギンパラ、それに「CRニューロードスターV」(三洋、三つ揃いで16R、中図柄が「A」で1R)といった「’90年代のCR権利物」をよく打った。その後、沖スロのシマは「ハイハイシオサイ30」「ハナハナ30」「島唄30」「シオラー30」と充実したが、いつの間にか本機の方は姿を消していた。また、やはり日拓系だが、井の頭線・渋谷駅ガード脇の「エスパス日拓3」も、長らく本機を設置。


(溝の口の日拓に通っていた頃のロボカード)



そういえば、故・田山幸憲プロの「パチプロ日記」にも、CR花のもぐら組Vが登場したことがある。東京・桜新町の「H店」(パチーノヒノ)時代、地下フロア(CR機シマ)に新台導入されてからだ。日記では、旧台の「CRフィーバー彩」と「CRフィーバービーチ」(いずれも三共)の一部を外し、本機が7台入ったものの、入替から10日以上が経っても、もぐら組のシマだけに「正午開店」の貼り紙があって、そんなのオレは打たないと言っていた(通常営業になってからは打つ事もあった)。その少し前に、H店は豊丸の名機「ナナシー」(現金機)を導入、田山プロの戦況を改善する契機となったが、末期にはどのシマも釘がガチガチと化し、やむなく青葉台「B店」(ビッグスペース青葉台)に「ネグラ替え」を行った。これらは、全て1997年(平成9年)の話である。

年末特別企画「懐パチ・機種当てクイズ」(ドラム機編)

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(年末特別企画)「懐パチ・機種当てクイズ」(ドラム機編)

★「スマホから解答が丸見えです」とのコメントを頂きました(滝汗…ご指摘、有難うございます)。その為、画像下の解答(白文字)はいったん削除して、まとめて文末に移動しました。御了承下さい。★





     2013年度・懐パチ大学(ドラム学部)入試問題より抜粋

(全50問、1問1点、合格ライン=35点)


問題:次に挙げる各ドラム機(登場時期は1987年~1997年)の画像を見て、「機種名」及び「メーカー」を答えなさい。(50点)

※(現)=現金機 (CR)=CR機




第1問(現)





第2問(現)




第3問(現)




第4問(現)




第5問(現)




第6問(現)




第7問(現)




第8問(CR)




第9問(現)



第10問(現)




第11問(現)



第12問(現)




第13問(CR)




第14問(現)




第15問(現)




第16問(現)




第17問(現)




第18問(現)




第19問(現)




第20問(現)




第21問(現)




第22問(現)




第23問(現)




第24問(現)




第25問(現)




第26問(現)





第27問(現)




第28問(現)




第29問(現)




第30問(現)




第31問(現)




第32問(CR)





第33問(現)




第34問(現)




第35問(現)




第36問(現)




第37問(現)




第38問(現)




第39問(現)




第40問(現)




第41問(現)





第42問(CR)





第43問(現)





第44問(現)






第45問(CR)





第46問(現)





第47問(CR)





第48問(現)




第49問





第50問






大変お疲れ様でした。問題は以上で終了です。皆さんは何問わかりましたか?


「ヒント」が欲しい方は、当ブログの過去記事を念入りに探すのも良いでしょう(笑)
(取り上げてないものも多数ありますが…)



尚、正解は各画像の下に白文字で隠れてますので、マウスなどを使ってうまく見つけて下さい。
文末に載せておきましたのでご確認下さい。


賞品などは特にありませんが…(汗)、年末掃除の合間など、息抜きでチャレンジしてみては?








(解答欄)

第1問: フィーバーロイヤルVI(三共) 旧要件機・1988年
第2問: フィーバールーセントDI(大同) 新要件機・1994年
第3問: フィーバースピリットI(三共) 旧要件機・1990年
第4問: ウルトラセブン(マルホン) 新要件機・1991年
第5問: フィーバーレクサスVII(三共) 旧要件機・1989年
第6問: フィーバーフラッシュI(三共) 旧要件機・1990年
第7問: フィーバーアバンテVII(三共) 旧要件機・1988年
第8問: CRくだもの畑(サミー) 新要件機・1995年
第9問: フィーバーフルーティ―(三共) 新要件機・1995年
第10問:パチパチスタジアム(三共) 新要件機・1995年

第11問:フィーバーギンガSP(三共) 新要件機・1995年
第12問:フィーバーメガポリスSP(三共) 新要件機・1996年
第13問:CRガオガオキッズ4(サミー) 新要件機・1996年
第14問:フィーバーキャッスル(三共) 新要件機・1994年
第15問:フィーバーネプチューン(三共) 新要件機・1994年
第16問:フィーバーニュートロンD(大同) 新要件機・1994年
第17問:フィーバーレジェンドIII(三共) 新要件機・1992年
第18問:フィーバーキングGP(三共) 新要件機・1993年
第19問:フィーバークイーンII(三共) 新要件機・1993年
第20問:フィーバーインパルスII(三共) 新要件機・1993年

第21問:フィーバーオールセブンDI(大同) 新要件機・1993年
第22問:フィーバースパークGP(三共) 新要件機・1991年
第23問:フィーバースパークCX(三共) 新要件機・1991年
第24問:スタークイーン(マルホン) 新要件機・1992年
第25問:エキサイトバニー(ニューギン) 新要件機・1992年
第26問:エキサイトカムカム2AW(ニューギン) 新要件機・1992年
第27問:フィーバースパークED(三共) 新要件機・1991年
第28問:フィーバーフラッシュSP(三共) 新要件機・1991年
第29問:フィーバークイーンDI(大同) 新要件機・1993年
第30問:ライフワークI(三共) 新要件機・1993年

第31問:フィーバーアクシスI(三共) 新要件機・1993年
第32問:CRFウィンダムI(三共) 1992年・新要件機
第33問:スーパージャック(マルホン) 新要件機・1992年
第34問:回転寿司(ニューギン) 新要件機・1991年
第35問:フィーバーレクサスVID(三共) 旧要件機・1990年
第36問:スーパープレミアムI(三共) 新要件機・1992年
第37問:エキサイトビューティー(ニューギン) 新要件機・1992年
第38問:フィーバーアタックGP(三共) 新要件機・1992年
第39問:ジェネシス(ユニバーサル) 新要件機・1992年
第40問:フィーバーレジェンドII(三共) 新要件機・1992年

第41問:フィーバーレクサスVI(三共) 旧要件機・1990年
第42問:CR黄龍の耳S(サミー) 新要件機・1998年
第43問:スーパーターボ2(マルホン) 旧要件機・1990年
第44問:フィーバーアラビアンDX(三共) 新要件機・1996年
第45問:CRフィーバー彩(三共) 新要件機・1995年
第46問:フィーバーコスモI(三共) 旧要件機・1987年
第47問:CRFメガクイーンGP(三共) 新要件機・1997年
第48問:フィーバー億万長者SP(三共) 新要件機・1995年
第49問:フィーバーレクサスV(三共) 旧要件機・1989年
第50問:フィーバーキングⅡ(三共) 新要件機・1992年

(註)
※第26問は「エキサイトカムカムAW」では不正解なので注意
⇒「AW」は3ライン、「2AW」は5ライン。画像は5ラインなので「2AW」

サーカス(銀座、デジパチ)

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1991年(平成3年)に銀座から登場した新要件デジパチ「サーカス」


★賞球:7&15、大当り確率:1/247、最高継続ラウンド数:16(出玉=2300個)



ご存知、確変中の「止打ち」攻略で持ち玉をモリモリと増やせた、平成初期のドットデジパチ。
一般ファンの私でも恩恵にあずかった、大変に有難い機種である。なお、デジタルの停止順は「左⇒中⇒右」で、スーパーリーチの類はない(ノーマル・ビタ止まりの快感)。


初打ちは’91年11月頃、小田急・向ヶ丘遊園駅北口「ニューギンザ」という店だった。「銀座」の台を「ギンザ」で打ったので、よく覚えている(笑)。以後、本機との対戦は大抵このホールだった(新宿のスタジオアルタ真裏にあった「モナコ」でも、何度か打った記憶アリ)。

当時、遊園駅の北口界隈には、同じ系列のチェーンが3店舗あり(ニューギンザ、銀座ホール、銀座スター)、ニューギンザは駅から一番遠いが設置機種は豊富で、釘もそこそこ甘かったのでよく通った。当時は大学2年で、地元駅から終点の新宿⇒JR高田馬場と乗り継ぐ必要があったが、通学途中の向ヶ丘遊園で引っかかり、そのまま講義をサボる事も多かった(後々、エラく苦労したが…)。



本機がニューギンザに入ったのは、旧要件から新要件への入替がピークを越えた頃で、しぶとく残っていたオマケチャッカー機「マーブルX」(奥村)のあったシマに、本機が8台ほど入ったと記憶する。正面ドアを入って一番左のシマ(奥側)で、すぐ傍にはパチスロのシマがあり、当時は連チャン機「コンチネンタルI」(瑞穂・3号機)のシマが盛況だった(サーカスの右端台に座った時、コンチを遠目に眺めていた事なんかを思い出す)。





本機は、当時でいう「確変デジパチ」(「時短」という言葉はまだ存在しない…)で、「0~9、¥、$、A、F、J」の全15図柄中、「1、3、5、7、9」(奇数)の5絵柄で当ると、小デジタル確率が10倍アップして、出玉を減らさずに次の大当りをゲットできる仕様だ(小デジは1/16.5⇒1/1.65にアップ)。一方、メインデジタルの確率は1/247のまま(⇒止打ち攻略にとって有利…後述)。

即ち、確変突入率は1/3で、次の当りも奇数ならば確変は継続した。初当り確率は、当時としては厳しめで、奇数で当てるのも決して容易ではなかったが、確変に入れさえすれば、出玉を大きく増やすチャンスとなった。


本機の小デジタルは、メインデジタル真下にあった。「ジャンケンデジタル」といわれるもので、銀座の機種に代々伝わる「由緒ある」デジタルだ。上下二段構造で、上段が「グー・チョキ・パー」、下段が「パー・グー・チョキ」。この並び方も、昭和期の権利物「ジャンケンポン」以来の銀座の「伝統」だった。

メインデジタル脇の肩スルー通過で、小デジが変動を開始。「上段⇒下段」の順に停止して、下段が上段にジャンケンで勝てば、小デジ当選となる(「負け」や「あいこ」だとハズレ)。その為、小デジ当選時は、必ずランプが縦に2つ並ぶ(画像参照)。確変中は、1/1.65という高確率でジャンケンに勝つので、始動チャッカーを兼ねたヘソの電チューが、パカパカと頻繁に開く。

さらに本機の凄いところは、電チュー開放時間が約5秒(「約3.8秒」とする資料もあり。要確認)と長めで、しかも入賞制限が「6個」と多い為、一度の開放で普通に4、5個程度は拾ってくれたことだ(タイミング次第で7個入賞もあった)。大きくて厚みのある紅白の電チューは、その優れた性能に加えて、私にとって「様式美のツボ」を突くような、何とも香ばしい形をしていた(開いた電チューを上から覗き込んだ時、特にそう感じた)。

この太っ腹な電チューのお蔭で、確変中は打ちっ放しでも玉が減らず、むしろ持ち玉はジワジワと増えた(ヘソは7個戻し)。さらに、小デジ変動中は打ち出しを止めて、電チュー開放時を狙って何発か打ち出す「止打ち」を使うと、ハマればハマるほど持ち玉はモリモリ増えていった。この時ばかりは、1/247の「ハズレ(敢えてこう呼ぶ)」を引かずに、延々とハマって欲しいとさえ思った。

確か、当時私がやっていた止打ち手順は、

(1)左右の肩スルー通過で打ち出しを停止
(2)ジャンケンデジタル始動後、心の中で「1、2、3、4」と4秒数える
(3)4秒経ったら打ち出しを再開
(4)直後にジャンケンデジタルが止まるので、ジャンケンに勝ったら
  そのまま開放した電チューが閉じるまで打つ。負けた場合は(1)又は(2)に戻る。

というものだった筈だ。特に難しい技も要らず、地道な「作業」を続ければ、着実に玉は増えた。なお、4秒数える代わりに、ジャンケンのランプの点滅回数や、反復して鳴る小デジ効果音の回数でタイミングを図る方法もあった(但し、メインデジタル変動中、小デジ効果音は鳴らない)。

もちろん、小デジ用のスルーチャッカー周りの釘がアイている事も、大切な条件だった。ゲージ上、玉は肩スルー方向に流れ易いが、スルー上の三角釘が極端にシマっていたり、風車下の釘がマイナスだったりすると、肝心の小デジがあまり回らず、止打ち効果も半減した。また、スルー⇒電チューに至る道釘の調整が悪すぎると、電チュー入賞率は大きく下がる(電チューに向い易い元ゲージにはなっていたが)。それと、確変中は打ち出しを調整して、なるべくスルーを通り易いストロークにするのも大事なポイントだった。


この止打ち攻略は、導入から暫くは店のチェックも甘く、割と大きな恩恵に与る事が出来た。確変に入り、1/247の「トラップ」をかわして順調にハマる。そして、出玉をタップリ増やした所で、再び奇数で当る…こんな風にうまくループして、ドル箱を3つ、4つ…と積むのが心地よかった。
ただ、確変に突入して「さあ、やるぞ!」と気合を入れたのに、たったの数回転で偶数や英字で当ったりすると、かなり凹んだ。


やがて、本機の止打ちは多くの攻略誌でも取り上げられ、確変中は止打ちの客だらけになった(ニューギンザは土地柄、攻略誌情報に詳しい学生客も多かった)。店もマークを強くした結果、シマには「確変中は止打ちお断り」の貼り紙が出され、ヘソやスルーもガッツリとシメられた。


まぁ、オイシイ思いをしたのは一時期だが、当初は店員の目を気にする事もなく、堂々と止打ち攻略できただけで、一般ファンの自分にとっては大きな収穫だった。

なんせ、当時はスロにしても、「一枚掛け」しただけで、店員が血相を変えてすっ飛んできて、「お客さん!三枚掛けでお願いしますよ!」と、怒鳴るような店も普通にあったのだから…。客の技術介入を極端に警戒するホールが、そこら中にゴロゴロしていた頃だ。

デジパチ等の止打ちは勿論、メモ帳を広げてデータ取りするのだって、下手すれば「出入り禁止」の対象になりかねなかった。今とは違って、あの頃は「打ち手側の制約」がやたら多かった事を思い出す。その分、設置台は色々な意味で「自由奔放」なものが多かったが(笑)。いや、むしろ、台に付け入る「隙」が多かった分、打ち手の「自由」が奪われていた、と言った方が良いだろうか。私にとっては、そんな「隙だらけの時代」が、今となっては懐かしい訳だが…。





(余談)

銀座の「ジャンケン」ものといえば、やはり昭和期に出た権利物「ジャンケンポン」が有名だろう。その後も、同社からは「ジャンケンデジタル」を搭載した機種が複数登場。また、他メーカーが、銀座のジャンケンデジタルを自機に取り入れたケースもあった。

(昭和の名機・銀座「ジャンケンポン」)


ところで、1991年の新要件初期(正しくは、1990年10月の「風営法規則改正」を受けて、翌’91年春に新要件各機が続々デビュー)、銀座から初めて登場した「新要件・ジャンケン」ものが、本機と思っている方もいるだろう。「昭和の名機・ジャンケンポンのデジタルを、平成の世に受け継いだサーカス」などと紹介する攻略誌も多かった。


だが実際は、本機が登場する前に、銀座から「ジャンケン」という先行機の新要件デジパチが既に出ていたのだ。また、ジャンケンとほぼ同時期に出た「サイドウィン」(1991年)という新要件デジパチも、やはりメインデジタル下に本機と同タイプの「ジャンケンデジタル」を採用していた。

つまり、本機(サーカス)は、これら新要件2機種の「後続機」にあたる。



銀座「ジャンケン」(新要件デジパチ、1991年、賞球7&15)。サーカスの「先発機」にあたる。
なお、大当り確率は1/205(「1/201」とする情報もアリ)

画像を見ればお分かりと思うが、この「ジャンケン」は、「サーカス」(本機)と盤面デザインやデジタルなど構造がソックリで、パッと見では区別がつきにくい。

但し、両者には大きな違いがあって、「ジャンケン」には小デジの「確変機能」が付いていない。
電チューも非搭載で、ヘソは普通のチャッカーである。両肩もスルーチャッカーになっていない。その代り、左右のオトシにもスタートチャッカーがある。

では一体、「ジャンケン」の小デジ(ジャンケンデジタル)には、どんな意味があったのだろうか。
それは「ラッキーナンバー機能」である。大当たりが終了すると、おもむろにジャンケンデジタルが変動を開始して、何れかの目で停止する仕組みになっていた。

LN制を採用する店では、「ジャンケンデジタルで勝てば継続可、負ければ交換」といった持ち玉ルールも設定できた訳だ。まぁ、普通にメインデジタルをLNに使えば問題はないが、「遊技」という側面でみれば、こんな機能もアリかも知れない。直接のゲーム性とはあまり関係ない「付随的」な機能だが、この台こそがサーカス登場の「布石」となった訳だ。


なお、適当な画像がなく残念だが、「ジャンケン」と同時期登場のドットデジパチ「サイドウィン」も、やはり「ジャンケン」と同タイプのLN用ジャンケンデジタルを搭載していた。但し、「ジャンケン」との大きな違いは、「スタートチャッカーの位置」である。「サイドウィン」では、メインの始動チャッカーがヘソではなく、「天下」(メインデジタル上部)という珍しい位置に付いていた(ヘソにチャッカーはない。両オトシにも始動チャッカーあり)。なお、大当り確率は「1/225」とされる。

因みに、ジャンケン、サイドウィン共に連チャン性のない「ノーマルデジパチ」といわれた(当時、設置は非常に少なかったが…)。


★おまけ


盤面右上の賞球表示脇にいる「謎の西部劇男」(テンガロンハットを被っているように見える)
この怪しげなデザインは、かつての銀座の機種では、どこかしらに付されていたという…。隠れキャラみたいなものかな?


Red & White

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今日のNHK紅白歌合戦、個人的には、中森明菜の「12年ぶり紅白復帰、10年ぶりTV生出演、5年ぶり歌番組出演」に、ぜひ注目したい(最近の若者向け音楽には、やや食傷気味…)。

今回は、紅白の枠を超えての「ゲスト参加」という形で、約5年半ぶりのオリジナル新曲「Rojo -Tierra-」(ロホ ティエラ)を、アメリカのレコーディングスタジオから生披露するとのこと。


’80年代の小・中・高時代に、レッツゴーヤング(NHK)、ザ・トップテン(日本テレビ)、ザ・ベストテン(TBS)、夜のヒットスタジオ(フジテレビ)、歌謡ドッキリ大放送(テレビ朝日)、ヤンヤン歌うスタジオ(テレビ東京)といった、昭和アイドル全盛の歌謡番組で育った世代としては、今年の紅白で彼女が復帰する事を、本当に嬉しく思う。

スローモーション、少女A、セカンド・ラブ、禁句、北ウィング、サザンウィンド、十戒、飾りじゃないのよ涙は、ミ・アモーレ、SAND BEIGE(サンドベージュ)-砂漠へ-、DESIRE-情熱-、TANGO NOIR、難破船、Tatoo、I missed ”THE SHOCK"、Liar・・・と、当時のヒット曲は枚挙にいとまがない。

TVやラジオから流れる彼女の伸びやかな美声は、いつも自分の心を癒してくれた。まさに「昭和末期の歌姫」的な存在で、ファンから圧倒的支持を受け続けたのも、当然であろう。


(1984年当時のラジオ番組紹介欄より…共演の岩井小百合や斉藤清六も懐かしい…)


プライベートでは大変な時期もあったが、’90年代前半は歌手以外の活動も精力的に行った。「素顔のままで」(1992年)というフジテレビの人気月9ドラマでは、安田成美とのダブル主演を務めている。
(平均視聴率26.4%。主題歌は米米CLUB「君がいるだけで」。共演は東幹久、的場浩司ほか)

当ブログ的観点でいえば、このドラマの第4話「気づかぬ想い」において、月島カンナ(ダンサー)役の彼女が、共演の的場浩司(居酒屋アルバイト、沢田卓郎役。長年カンナに思いを寄せる)と、2人並んでパチンコ打つ場面がある(’92年のパチンコブームを反映したカットといえよう)。

まぁ、内容的には割とサラッとしたシーンで、二人で他愛ない愚痴を言いつつ、のんびりパチンコ玉を弾き、ジェットカウンターで玉を流した後、好みの景品(菓子、CDなど)を物色する…といった流れだ。カンナは親友の香坂優美子(安田)と、ひょんな事からケンカ別れしてしまうが、気晴らしに卓郎と入ったパチ屋では、カンナの言葉の端々に、「本当は優美子が好き」という想いが出てしまう。それを察した卓郎が、虚勢を張るカンナに「ニヤリ」とするのも面白い。

このロケで二人が打った機種は不明だが(背後で京楽の新要件機「トランプエース」のリーチサウンドが聞こえる)、ロケ地となったホールは東京・高田馬場「東陽会館」(現・TOYO104)だ。



(C)フジテレビ


(C)フジテレビ


(C)フジテレビ


(C)フジテレビ


ちなみに、当時大学生だった私は、ドラマ放映時、この店にあったスロ3号機のコンチネンタルⅡやスーパープラネット、それにホールインワンなんかをよく打っていた(デジパチは、ウルトラ麻雀、トランプエース、ブラボーキングダム、旧要件機パールセブンやブラボーセンチュリーなど)。

そういや、少し前に大一から「CR中森明菜・歌姫伝説」という台が出た事もあるが、その時期はパチを完全引退していたので(スロ歴も末期の時期)、中身については全く知らない…。


まぁ、それはともかく…長期休養中だった彼女の歌う姿を、久々に生で見られる紅白が楽しみ。



※年内の更新は、これが最後となります。本年も皆様、大変お世話になりました。また来年も、ダラダラと続けていく予定ですので、どうぞ宜しくお願い致します。
(正月明け、なるべく早い時期に更新できれば…と思います)

フィーバーパワフルV(三共、デジパチ)

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謹賀新年。皆様、本年も当ブログをよろしくお願い致します。

更新ペースは相変わらずのダラダラになるかと思いますが…。



さて、本年最初の記事は、特段の積極的理由もないが(笑)、三共から1993年(平成5年)に登場した現金機デジパチ「フィーバーパワフルV」を取り上げる。

それなりに打ち込んだ台で思い入れもあるので、「ヒツジ」と無関係でも問題ないだろう。
(「メリーさんの羊」がBGMの「メガトロン@藤商事」を、もう一度振り返るテもあるが…)


三共「フィーバーパワフルV」(1993年登場、新要件機)

・賞球…7&15
・大当り確率…1/240
・カラー液晶モニタ画面、9分割デジタル
・有効ライン…8ライン(タテ3、ヨコ3、クロス)
・大当り図柄…「7の3つ揃い」(2ライン以上揃っても同じ)or「オールフルーツ」
・最高16ラウンド継続
・平均出玉…約2300個
・数珠連チャン機(モード移行タイプ)
・大当り後は、無条件で天国モード突入
・センターデジタル絡みのハズレリーチで、通常モード転落(地獄モード無し)
・天国中の大当り確率…1/80
・ラッキーナンバー用サイドランプ(1~8)搭載



可愛らしい女の子キャラクター「夢夢ちゃん」(ムムちゃん)が主人公の液晶デジパチ「フィーバーパワフルIII」が華々しくホールデビューを飾ったのが、確か1992年(平成4年)9月。当時真新しい「タテ3×横3の9分割デジタル」を搭載した同機は、「三共初となるカラー液晶モニタ搭載機」として、大きな話題を集めた。さらに、同社お得意の「保留玉連チャン」もしっかり備わっていた。当然の如く、パワフルIIIは登場後間もなく人気となり、やがては「90年代・連チャンデジパチ」を代表する大きな存在になった。

なお、FパワフルIIIと同時発表された兄弟機「フィーバーパワフルII」(盤面共通、大当り確率1/220)は、全国的に設置の少ない「超マイナー機」であった。


(三共「フィーバーパワフルIII」、1992年登場)


翌1993年(平成5年)に入ると、まず1月にFパワフルIIIのカード対応型「CRFパワフルII」(オールフルーツで確変突入、保留連アリ)が登場。同年6月には、FパワフルIIIの9分割画面を継承した「フィーバーガールズI」もホールにお目見えする。コチラは、江口寿史氏デザインの美少女キャラ「オーロラ五人娘」(おたくの星座)がモチーフで、同名の実写版アイドルグループ(千葉麗子、千葉千恵巳などが参加)も話題となった。連チャンシステムもFパワフルIIIと同じで、保2~保4の各エリアを「1/16」で大当りに書き換えるタイプだった(ダブル発生率=約19%※)。

※保2、保3でダブった場合、トリプル以上に伸びる確率は約21%にアップ(⇒後述)。



こうした流れの中、FガールズIに続いて’93年秋にホールデビューしたのが、今回紹介する「フィーバーパワフルV」である。

名機パワフルIIIの直系後続機で、メインキャラの夢夢ちゃんや9分割液晶デジタルも、そっくり引き継いでいた(「メロン越え」も健在)。


ただ、「三共初のカラー液晶モニタ搭載」として鳴り物入りだったパワフルIIIや、タイアップ機で大きくプッシュされたガールズIと比べると、本機のデビューは若干「地味」な感じもした。

その為、当初は「FパワフルIIIの単なるセル(メラ)違い」と、勘違いされる事もあった程だ。
(実際、人気の高かったFパワフルIIIには、複数のセル(メラ)違いが存在した)



本機は、小田急線・Y駅前の「L」(現存)でよく打った(初打ちも同じ店)。当時、私はこのL店で、FパワフルIIIを頻繁に打っていた。また、FガールズIも新台入替以来、ずっとここで追っていた。

その為、L店における「パワフルIII⇒ガールズI⇒パワフルV」という時間軸は、今も鮮明に記憶に残っている。比較的客付きの良好だったパワフルIIIやガールズIと比べると、本機の人気は「イマイチ」の状態がずっと続いていた。

結局、L店は先輩格のパワフルIIIやガールズIより先に本機を外し、代わりにノーマル機「フィーバービューティフルII」を入れた。当時は、「ダービー物語事件」に象徴される連チャン規制が始まっていたが、なぜかバリバリの保留連チャン機ではない本機が、真っ先にL店から消えたのだった(その直後、ガールズIも撤去されたが、パワフルIIIはしばらく残り続けた)。




さて、本機がホールに並んだ当初は、ゲーム性(数珠連システム)を理解せずに打つ客も、決して少なくはなかった。

特に、先行機のパワフルIIIとガールズIの影響で、「三共の9分割デジタル=保留連チャン機」と思われがちだった背景もあって、本機で保留連チャンしないと、そのまま即止めする者もいた。当然、中身を知る者にとっては格好の「ハイエナ」の対象になった。

暫くすると、攻略誌等を通じて本機が「仕込まれた数珠連チャン機」と、徐々に広まっていった。

それでも、一部のオッチャン・オバチャン連中は、正確なシステムを知らぬまま、大当り後20回転ほど回して当らないと、そのまま台を捨てたりした。そんな後釜をすかさず拾うハイエナは、やはり功を奏した。


一方、肝心の「数珠連チャン」の中身は、当時としては少々「マイルド」な印象も受けた※。
(※但し、実際の数珠連チャン率は、それ程低くなかった。この点、後述の「★補足」を参照。)

本機は、通常「1/240」の確率で抽選されるが、大当たり終了後は無条件で「天国モード」に突入。即ち、「天国突入率=100%」というスペックだった。

天国Mの大当り確率は「1/80」で、通常時より3倍もアップした。ただ、この「1/80」というのが微妙で、同時期の数珠連チャン機と比べると、やや低めの数値ではあった。


(参考)同時期ホールで活躍した、主な数珠連チャン機の大当り確率(天国モード滞在時)

・フィーバーフェスティバルI(三共)・・・1/24
・フィーバー大相撲II(三共)・・・1/53       
・ブラボーキングダム(平和)・・・1/25
・綱取物語(平和)・・・1/37
・パーラーキング(西陣)・・・1/16
・ミラクルフォースSP(西陣)・・・1/15
・春夏秋冬(西陣)・・・1/10
・春一番(西陣)・・・1/8

もちろん、初当り確率や天国突入率、転落率等が各機種で異なる為、単純な比較はできない。
しかし、約50回転以内の連チャンが当然、といった当時の数珠連チャン機において、「1/80」という確率はお世辞にも「甘い」とはいえなかった(※この表現は、やや不正確だった。「★補足」を参照)。


ともかくも、大当り後は必ず天国モードに入った本機。だが、天国滞在時に「特定の条件」を満たすと、通常モードに転落する。

その条件は、「センターデジタル絡みのリーチが外れる事」だった。本機は8ライン機で、センター絡みのハズレリーチは、以下の5パターンとなる。





大当り後、上記いずれかのリーチが外れた場合、天国(1/80)から通常(1/240)に転落する。

これを知らずに止めたオッチャン・オバチャンのハイエナが、オイシイ時期もあった訳だ。

なお、転落の契機となるハズレリーチのトータル出現率は、約1/17.7(⇒1/24.4とする資料もアリ※)。

また、配列上「右上がり」と「オールフルーツ」のハズレリーチが、他の3ラインより出現率が低いのも特徴。

※図柄配列から単純計算すれば「約1/24.4」だが、「ハズレ時に7が出易い」といった出目上の特徴(偏り)があった記憶アリ(FパワフルIIIも同様だったような…)。仮にそうならば、「1/17.7」説が正しいように思われる(要確認)。この点、「★補足」を参照。


つまり、「1/17.7」の転落リーチを引く前に、「1/80」の当りを引けば、数珠連チャンが発生。ヒキ次第では4連、5連とジュズることもあったが、早々に中央リーチが掛かり、あっさり外れてチョン…となるケースも多かった。

特に、出現率の低い「オールフルーツ」や「右上がり」が外れた時の悔しさといったら…普段は滅多に出ない癖に、こんな時ばかりアッサリ出るな!と、何とも恨めしく思ったものだ。

ある時は、「大当り後に単発打ちすると、中央のリーチが掛かりにくい」という噂も出て、自分でも試してみたが、結局は単なるガセネタだった。

もちろん、「数珠連」とはいっても、保留4つで当るケースもある。但し、保連率は約5%と低い。


★補足

あらためて本機の「数珠連チャン率」を計算したところ、天国モード(1/80)滞在時において

(1)大当り後「17.7回転」以内に当る確率≒19.96%
(2)大当り後「24.1回転」以内に当る確率≒26.15%

という数値が出てきた。当時の実体験からいって、(2)の26.15%は、やや高すぎの感がある。とすれば、やはり(1)の19.96%の方が、数珠連率として妥当のようにも思われる(FパワフルIIIの保連率約19%にも近い)。よって、現段階では、本機の転落契機となるハズレリーチの確率は、1/17.7としておく。こうしてみると、当時感じていたよりも、連チャン率は意外と高かった事に気づく。必ず天国モードに入る事を考えれば、「1/80」という値も決して悪くなかった訳だ。

(補足、終わり)



・FパワフルVの連チャンシステム(フィーバーパワフルIIIとの違い)

本機の大当り確率は、先行機のFパワフルIIIと全く同じで、「1/240」である。

但し、FパワフルIIIが一発抽選で当否を決めるのに対し、本機は二段階抽選を採用。

即ち、一次抽選が1/80(「0~79」、当選値「1」)で、二次抽選が1/3(「0~2」、当選値「1」)。

よって、通常時は、両者を合算した「1/80×1/3=1/240」で抽選を行う。

一方、大当り終了後は必ず天国モードに入り、二次抽選(1/3)がフリーパスとなる。つまり、一次抽選の1/80さえクリアすれば、大当り(数珠連チャン)となる訳だ。

もちろん、大当りを引く前に、転落契機の上記ハズレリーチを引けば、即・天国状態は終了。


これに対して、FパワフルIIIの保留連チャンは、大当り終了時に保2~保4の各エリアを「16通り」の乱数(「0~15」)に強制上書きする事で発生する。そのうち大当り乱数は1つ(「4」)なので、上書きされた各エリアでは、それぞれ「1/16」で大当りが期待できる訳だ。
(但し、保1は書き換えられない為、初当り後の保1ダブルは自力のみ)。

したがって、ダブル発生率は約19%となるが、初当り後に保2又は保3でダブった場合、トリプル以上に繋がる確率は約21%とさらにアップする。書き換えられた数値が最終的に保1へ入る為、保1~保4全てに連チャンの可能性が生まれるからだ。一方、保4でダブった場合、トリプル以上となる確率は19%のままとなる。





★余談…故・田山幸憲プロの「パチプロ日記」とフィーバーパワフルV

溝の口B店(「P・Sビッグトップ」)時代、田山さんは「FパワフルIII」(「V」ではない)を好んで打っていた時期がある(特に、「ピカイチ天国V」が撤去された後)。当時の日記を読む限りでは、戦績も相性も良かったようだ。

ただ、ピカイチがメインの頃、パワフルIII自体にそれほど興味はなかったようで、過去の日記を紐解くと、こんな事も書いてある。以下は、当時の日記の引用。


(B店、FパワフルIIIの実戦場面、以下引用)

二回目― 一週間ほど前に読んだ必勝ガイドの「安田一彦・デジパチ速攻診断」に、フィーバーパワフルのことが書いてあったのを思い出す。
しかし、あの時は「パワフルなんか、どうせ打たないんだからどうでもいいや」と、いいかげんに読み流してしまった。こんなことになるのならば、あの時もっと注意深く読んでおくべきだったと、今になって後悔する。
このパワフルにも天国モードが有るのか?確か「大当り後、中央がらみのリーチが外れるまで」とか何とか書いてあったぞ。だとすれば、中央がらみのリーチはかからない方がいい。
-などと考えながら打っていたら、八百円目に早くもそのリーチがかかって、お化けになってしまった。これにて、天国が消滅したということか…。

(「パチンコ必勝ガイド」1994年4.17号、田山幸憲のパチプロ日記(2月14日)より)



当時の田山プロは、B店でハネモノ(ニュービッグシューター、たぬ吉くん2、フライングカーペット、ニューヨーカー、ペッタンラビットなど)を追う一方、デジパチの「ダービー物語」や「ピカイチ天国V」(ダービー物語との入替)もメイン機種として打った。

この時期のB店にはFパワフルIIIも設置されていたが、あくまでピカイチがメインだった田山さんは、ピカイチが健在の間、あまりパワフルIIIには座らなかったと記憶する(その後、B店の常連「ヤカン君」がパワフルにハマった事をきっかけに、次第に実戦頻度も上がっていく)。

上記の日記は、いつもピカイチVを打っていた田山さんが、珍しくパワフルIIIを打った時のもの。どうやら、ピカイチ時代の田山さんは、当初FパワフルIIIのスペックをあまり詳しく知らなかったようだ(ダービー一筋、ピカイチ一筋…と気に入った一機種を打ち込んでいた為、無理もない)。

ただ、自分が今まさに対峙している「パワフルIII」の説明に、ガイド誌で安田プロが書いていた「パワフルV」の特徴(天国モードやセンターリーチ)を引き合いに出したのは、さすがに田山さんの「勘違い」だった可能性が高い。
(なお、「パワフルV」がB店にあったとする記録は、日記その他の資料でも全く確認できず。)

その後は、好んで打っていた贔屓の「ピカイチV」がB店から外されたのを境に、FパワフルIIIのシマをチェックする回数も次第に増えていった。そうして実戦回数を重ねるうちに、やがて、パワフルIIIは溝の口をネグラとする田山さんにとって、「切っても切れないメイン台」となった。

そして、「FガールズI」「エスケープ2」「あんたはエライEX」といった台と共に、溝の口再開発に伴うB店の「終焉」まで、粘り強く打ち続けた(田山さんもB店の閉店が近い事は知っていたが、予告なしの貼り紙一枚による唐突な「前倒し」閉店で、急遽のネグラ替えを余儀なくされた⇒桜新町「H店」(パチーノヒノ)にネグラを移動)。



★追記1★(2015.1.05)
CRフィーバーパワフルIIの画像とスペック情報を追加しました。


CRフィーバーパワフルII(三共、1993年1月登場)

・賞球・・・6&15
・大当り確率
 設定1・・・1/218
 設定2・・・1/240
 設定3・・・1/260
・最高16ラウンド継続、出玉2300個
・有効ライン、大当り図柄はFパワフルIIIと同じ(8ライン、7の三つ揃いとオールフルーツ)
・オールフルーツで当ると、次回までの確変に突入
・確変中は全設定とも確率10倍アップ
・確変突入率&継続率…1/11
・保留玉連チャンもアリ
・アタッカーはFパワフルIIIと違い、FレジェンドIタイプのウィングアタッカー
・従前のCR機は全て「ヘソ5個戻し」だったが、この機種で初めて「6個戻し」を採用

(追記1、ここまで)


★追記2(2015.1.05)
夢夢ちゃんシリーズで、大当り中「結婚の夢オチ」が出てくるのは、1996年登場の「CRFビッグパワフルFX」です(夢夢ちゃんの学生時代から結婚に至るまでの流れが各ラウンドで出るが、最後は全て夢だった…というオチ)。この台は、液晶画面(内部的にサブ扱い)で図柄が揃う前に、小さい3桁7セグ(内部ではメイン扱い)の方が揃ってしまう為、アタッカーがフライングで開くのが大きな特徴でした。
因みに、「結婚つながり」でいえば、同じ1996年に三共から「フィーバー結婚の条件」という現金機のノーマルデジパチも出ています。

(追記2、ここまで)

JR神田駅前パチンコマップ(1994年、再掲)

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JR神田駅前のパチンコ・パチスロ店マップ(1994年)

※以前アップした自作マップを見返した所、位置関係が非常に判り辛かった為、再度アップ。
(これに伴い、旧マップは削除したのでご了承の程を。)



                 (↑秋葉原方面)

               (↓東京方面)
(C)ZENRIN

(各ホールの名称と当時の主なパチスロ設置機種)

A:一声(issei) (アラジンII、チェリーバー)
B:ジャンボ (ドリーム7Jr.、スーパープラネット、ザンガスI、etc)
C:ニュー東京 (アラジン)
D:サンスター (なし)
E:ニュー神田 (トライアンフ、ニューパルサー)
F:ニュー葵(あおい) (コンチネンタルIII、オリエンタルII、etc)
G:ヒカリ(⇒ガード下) (スーパープラネット、オリエンタルII、etc)
H:丸十(⇒ガード下) (なし)
I:丸十2号店 (なし)
J:キング(⇒ガード下) (ミスターマジック、プレイガールV)
K:(S)パチスロオータヤ(⇒ガード下) (マジカルベンハー、ドリーム7Jr.、ザンガスI、etc)
L:神田みとや (ニューペガサス、コンチネンタルI、ペガサス412、トロピカーナ、etc)
M:(S)パチスロ777(スリーセブン) (スーパープラネット、ドリーム7Jr.、ザンガスI、etc)

(S)はパチスロ専門店


※当時の神田駅沿いは、夜ともなるとガード脇のパチ屋のネオンが、そこかしこで眩しく輝いていた(ホームや電車内から見える景色が何とも楽しかった)。そのうち、多くのホールは赤いネオンだったが、西口商店街入口の角地にあった「ニュー葵」は、ブルーのネオンが特徴だった。



在りし日の「パチスロ777(スリーセブン)」(神田駅北口)



★追記(2015.1.07)

神田駅界隈でパル工業2-2号機「F-1」が設置されていた店は、残念ながら判りません…。平成2年ですと、画像で紹介した北口の「スリーセブン」(閉店)に、日活2-2号機「ビッグバン」(パルと技術提携)がありました。(ちなみに、八王子にあった同名のスロ屋「スリーセブン」には、F-1とペガサスラビットIIが設置されていました。)
また、神田ではないですが、新橋駅日比谷口のSL広場近くにあったスロ屋「ダラス」(閉店)に、平成2年の時点でF-1が置いてありました。その他、JR巣鴨駅北口「イブ」(閉店)も、’90年当時F-1を置いていました。現段階で、私が提供できる情報は以上です。
(追記、ここまで)

キューティーガール(マルホン、デジパチ)

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1993年(平成5年)にマルホンから登場した現金機デジパチ「キューティーガール」

★カラー液晶モニタ搭載
★賞球…5&10
★大当り確率…1/209
★上・中・下段とクロスの計5ライン有効
★デジタル停止順…左⇒右⇒中
★大当り図柄…赤7、スイカ、チェリー、バニー、二段BAR、ベル、プラムの計7種類
★最高16ラウンド継続、出玉は約1500個
★どの図柄で当っても、次回大当りまでの確変(小デジタル)に突入
★但し確変ループ無し(2回ワンセット機)
★確変中は、小デジタル確率が1/11から10/11に10倍アップ。小デジ変動時間も短縮。
(但し、メインデジタル確率は不変)
★2回ワンセットで出玉は3000個弱
★意図的な連チャン性…なし(モーニング疑惑もあったが、ノーマル機と判明)



何を隠そう、本機は「マルホン初となる、本格的・カラー液晶モニタ搭載機」である。

ここで、「本格的」としたのは、「カラー液晶デジタル」そのものでいえば、すでに同社は1992年(平成4年)の時点で、カラー液晶を使った新要件機「スーパービジョン」を出しているからだ。

ただ、このスーパービジョン、前年(1991年)登場した業界初・カラー液晶モニタ搭載機「麻雀物語」(平和)に対抗して出たが、技術的な問題か時間的な制約かは判らないが、麻雀物語に比べると液晶完成度はイマイチといわれた(個人的には、あの怪しげなデジタルも好きだったが…)。

スーパービジョンの液晶画面では、通常時も大当り中も、人物や図柄などの細かいグラフィックデザインは見当たらず、7セグを模したような、カラフルで巨大なデジタルが構えていた。一応、カラー液晶独特の派手さ・美麗さ(デジタルや背景)はあったが、「色彩が仰々しくて、しばらくすると目が疲れてくる」と揶揄されたりした。

で、このスーパービジョンは、麻雀物語への対抗心が強すぎたせいか、保留4個目での連チャン率が30%近くあり(私が好んだ最大の理由がコレ)、登場後すぐに「販売自粛」となってしまった(代わりに、兄弟機「ワイドビジョン」「カラービジョン」「ゴールドビジョン」を販売)。


(マルホン初のカラー液晶デジパチ「スーパービジョン」 1992年登場の保4連チャン機)


この間、他メーカーも麻雀物語に追随する形で、カラー液晶モニタを使ったデジパチを、次々にデビューさせた。三共のフィーバーパワフルIII(V)やフィーバーガールズI、西陣の麻王、三洋のブルーハワイ、アメリカンドリーム(II)、野球拳、奥村のナンパ大作戦やドリームGP(II)、豊丸のピカイチ天国(V)、京楽の遊ぶんジャー、三星のポンポンガールと、枚挙にいとまがない。当の平和自身も、ブラボーミリオン(SP)、ダービー物語、プリンセス物語、綱取物語…と「液晶モニタ・連チャン機路線」を継続していた。

当然、液晶の「デキ」自体は千差万別だったが、スーパービジョンの「疑似7セグ」に比べれば、いずれも凝った作りだった。また、当然ながらどの機種も「連チャン」を大きなウリにしていた。

こうした流れの中で、「液晶レース」に先んじたつもりが、むしろ遅れをとってしまったマルホン。だが、ようやく’93年秋に本機を送り出して、本格的な液晶ブームに乗ったのだ。

以前、記念すべき「自社初のカラー液晶機」(スーパービジョン)が、生産中止の憂き目にあったマルホンにとって、本機を世に出した感慨は、相当のものだったに違いない。


だが、しかし…本機がホールに登場した「タイミング」というのが、いかにも悪かった。

本機の直後に出たカラー液晶3回権利モノ「キューティーバニー」(ニューギン、1994年2月)が、その強力な「数珠繋ぎ連チャン」によって、一躍大人気となったからだ。

どのホールも、まさに「キューティーバニー旋風」が吹き荒れた。しかし、そのせいで、似たような名称を持つ本機は、すっかり印象が薄れてしまった※。

※本機と同一液晶を使った「キューティーバニー」という兄弟機も存在したが、設置が少なく知名度も低い。なお、このネーミングが、ニューギンに対する「あてつけ」か否かは不明…。

また、「マルホン=連チャン」と認識されがちだった中、仕込まれた連チャンが無かったことも、ブレイクしなかった要因の1つといえる(ちょうど連チャン規制期に重なった為、やむを得ないが…)。




そんな訳で、本機はホールで特段目立つ「人気台」とはならなかった。しかし、「ゲーム性」という点でみれば、他の液晶デジパチと一味違った「個性」も、しっかり兼ね備えていた。


モチーフ的には、当時ジュリアナなどで流行った「ボディコンブーム」にあやかり、派手な衣装を着たセクシーギャル達が、盤面や液晶画面で大活躍した。

そういえば、この時代(1993年~1994年)、「C.C.ガールズ」「ギリギリガールズ」「イケイケガールズ」「T-Backs」「B.C.G」「シェイプUPガールズ」「セクシーメイツ」「Chu-DOG」「ピンクサターン」「J-KISS」「みるく」「バイブセダクション」などのセクシー系女性グループが、メディアに出ずっぱりだった。もちろん、「荒木師匠」も流行っていた。世の男性共をアツくした彼女達は、今いずこに…。


(本機の大当り画面)

また、大当り中も「スーパービジョン」とは打って変わった凝り様で、ミニスカや水着、バニーなどに身を包んだピチピチギャル(⇐死語)が、ジュリアナのお立ち台よろしく、ガンガン踊っていた。



さて、次に本機のスペックだが、派手な連チャンこそないものの、大当り後は図柄不問で必ず確変(小デジタル)に入る、「2回ワンセット機」となっていた(確変ループ無し)。
普段は単発ばかり引いてしまう「超ヒキ弱」な人間でも、存分に確変を堪能できたのだ。

大当り確率も1/209※※で、良心的な数値といえた。賞球「5&10」で、大当り1回で約1500発、2回ワンセットでも3000発足らず。だが、「確率1/209のノーマル機で、出玉が3000個」と考えれば、むしろ甘いようにも感じた(このスペックを警戒して、ヘソを過剰に締める店も…)。

因みに、本機は液晶デジパチとして、最初に「ヘソ5個戻し」を採用している。その為、玉持ちが他の現金機(7個戻しが大半)よりも少々悪いのも、通常時の特徴だった。


※本機の大当り確率について

現在、ネット情報の大半が、本機の大当り確率を1/216としているが、手元の解析資料では、それよりやや甘い「1/209」である。
(大当り抽選用乱数=「0~208」の209通り、当選値=「60」)
もちろん、「1/216」とする当時の資料も複数あるが、解析データを伴わないものが多い。
よって、当ブログでは、本機の大当り確率について「1/209」説をとる。

因みに、小当り確率は通常時=1/11、確変時=10/11。小当りの抽選用乱数は「0~32」の33通りで、通常時は「0~2」の3コマが当選値(3/33=1/11)。一方、確変中は当選値が「0~29」の30コマに増える為、小当り確率は10倍アップする(30/33=10/11)。



では次に、リーチアクションを振り返ってみよう。デジタルの停止順は「左⇒右⇒中」で、三洋の液晶デジパチ「アメリカンドリーム」などを彷彿とさせたが、「デジタルのスベリ」といった独特なアクションもあった(⇒後述)。

当時流行りのダブルリーチも複数存在した。クロスラインでは「赤7/スイカ」と「二段BAR/ベル」の2つ、平行ラインでは「チェリーとバニー」の1つ(但し、平行ラインは両図柄が揃ってしまう為、あまり意味なし)。

本機のリーチアクションには、
(1)ノーマル
(2)左デジタル再始動(スベリ) (⇒SPリーチ)
(3)右デジタル再始動(スベリ) (⇒SPリーチ)
(4)左右デジタル再始動(スベリ) (⇒SPリーチ)
(5)中デジ2段階
の計5パターンが存在した。いずれのリーチパターンも、大当りの可能性アリ。

特に、デジタルの動きが面白いのは(2)(3)(4)の「再始動」(スベリ)だ。通常の左右停止とは異なり、左右のデジタルが「ズレ目」の状態でいったん停止後、「ピュイ」という効果音と共に、上or下に1コマ動いて、停止位置が変わることがあったのだ。このスベリが起これば、左右ズレ目がテンパイへと変わって、必ずリーチが掛かった。

スベリには、「左デジのみ上or下に1コマ動く」、「右デジのみ上or下に1コマ動く」、そして「左右両方が上or下に1コマ動く」という計3パターンがあった。

しかも嬉しい事に、スベリを伴ったリーチは必ずSPリーチ扱いとなり、中デジが「大当りか前後1コマ」でしか止まらないようになっていたのだ。スベリがアツかったのも当然といえよう。

また、デジタルがスベる瞬間の「ピュイッ」という音も、妙にクセになった。

スベリ以外にも、中デジがいったんハズレ停止後、再始動する「二段階」アクションが存在した。こちらは、100%大当りの「鉄板」アクションだった。

なお、二段階は、中デジが大当りの「9コマ又は12コマ」手前でいったん停止した時のみ発生。中デジの図柄配列さえ頭に入っていれば、二段階が期待できないパターンも先読みできた。

因みに、大当り時におけるリーチ振分率(選択率)は、以下の通り。

ノーマル…1/4、左スベリ…1/8、右スベリ…1/8、左右スベリ…1/4、二段階…1/4





★★当時の実践店…渋谷・道玄坂小路「ホワイトバード」(閉店)など

  
(在りし日の渋谷「ホワイトバード」)


当時、井の頭線渋谷駅ガード脇(下)のホール(タイガー、大番、サイバースロット(⇒大番2F)、ウチダ、柳小路、日拓、パチスロファイン、パチスロ55)でハシゴした後、さらに足を伸ばして、「道玄坂通り」と「文化村通り」を結ぶ、小さな路地(道玄坂小路)に出向くことがよくあった。

この路地の道玄坂通り側入口(角地)には、当時「ユウキ屋」という若者向けの洋服屋があった。そのまま路地の坂を上り、ラブホテル街に抜ける小階段や、レンガ造りの台湾料理店「麗郷」などを左に見ながら奥へ進むと、路地の左側に「キャット」というパチ屋があった。


(在りし日の渋谷「キャット」)

そして、この「キャット」のさらに二軒奥(路地左)に、「ホワイトバード」があった。この狭い路地では、当時2軒のパチ屋が営業していた訳だ。本機をしばしば打ったのは、ホワイトバードの方だ。

昭和チックな古い路地にあったホワイトバードは、規模こそ大きくなかったが、大きなマイクパフォーマンスが通りまで聞こえる程の活気があった。

なお、ホワイトバードの入ったビルの右脇には「日本一安いテレクラ、入会金無料、一時間800円(はぁーっぴゃくえん)!」でお馴染み「テレクラ・リンリンハウス」があった(入った事はない)。

当時のホワイトバードは、「サービスデー」なるイベントをよくやっていた。とりわけ、デジパチの「無制限サービス」が印象に残る。「毎週〇曜日はデジパチ無制限」、「スーツ姿の人は無制限」(⇐学生時代、実際にスーツを着込んで出向いた事アリ)、「レディースデー(あらかじめ店側が決めた数字で当たると、機種不問で女性は無制限)」など、地味だがおいしいイベントをやっていた。表の自動ドアには、そうした類のポスターが、ベタベタとバーゲンセールの如く貼ってあった。


ついでに思い返すと、ホワイトバード周辺(道玄坂小路)には、今はなき香ばしい小店(商店)が幾つも並んでいた。店の向かいには、「アメリカ屋靴店」や「フレッシュマンベーカリー」(パン屋)といった風情ある店舗が営業していた。お好み焼きやもんじゃを出す「清崎」という、こじんまりとした店もこの路地で営業していた。いずれも現存せず、今や随分と趣が変わった感がある。

さらに、道玄坂小路のすぐ先には、「渋谷・道頓堀劇場」という香ばしいストリップ小屋があり(これは現存する)、ホワイトバードで本機を打っていた当時、影山莉菜、星ひかる、渚真琴、花岡舞といった有名どころの写真が店頭を飾っていた(横目に眺めていただけで入った事はない)。



余談だが、グーグルマップ(ストリートビュー)で「ホワイトバード」の跡地を見て、「何か、当時の形跡は残ってないか」と観察したところ、こんなものを見つけたので紹介したい。

(C)google
ストリートビューで見た、渋谷「ホワイトバード」跡地(渋谷区道玄坂2-25-14)

現在は居酒屋「おだいどこ はなれ渋谷道玄坂店」が営業している模様。なお、画像左に海鮮居酒屋「八吉」(道玄坂店)の看板も見えるが、コチラは既に閉店とのこと。)。


この画像をみると、上の白枠で囲った部分(矢印参照)に、何やら看板のようなものがみえる。

「ん?この形は以前どこかで見たような…」と思い、さっそく「ホワイトバード」の店舗画像と見比べてみた。


すると、案の定、ホワイトバードの店先にあった縦長なネオン看板の形状と、ピッタリ符合した。

うーん、閉店からずいぶん経つのに、いまだ撤去されないまま残っていたとは…(感慨深げ)。

まぁ、パチ屋が別の業態に変わった時、看板部分を「再利用」するというのは、結構見かけるが。


そんな訳で、現在もストリートビューを開けば、かつてのホワイトバードの「名残」を確認できる。

90年代の渋谷・道玄坂小路に思い入れのある方は、一度ご覧あれ。


(C)Google
こちらは「キャット」跡地(渋谷区道玄坂2-25、小島ビルと福田ビルの間)。
既に、当時の建物は跡形もなく取り壊され、完全な更地になっている(2013年5月の画像)。



※1991年(平成3年)の渋谷駅周辺パチンコマップはコチラ

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/82afcfbd99ff6297a82b93e18064dee1

90年代パチンコ番組レビュー「安田プロに密着」(1993年)

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90年代パチンコ番組レビュー「パチプロ・安田一彦氏に密着」(1993年放映)



かつて、地上波各局で定期的にオンエアされた「パチンコ特番」の雰囲気を、少しでも味わって頂ければ幸いである。この密着企画は、2時間特番の中の数分という小さなコーナーだったが、今見返しても当時の空気がジンワリ伝わってきて、妙に面白い。すでに放映から「22年」の長い月日が経っており、かつてのパチンコシーンを振り返るには、絶好の資料といえる。



(まずは、初心者向けのパチンコ紹介コーナー)

ナレーター(以下「ナレ」)

「パチンコ」と一口に言っても、様々な機種があります。そこで、初心者に贈る「機種入門編」。」

「ハネモノ」の字幕。三共「OL娘I」の盤面が映る。

ナレ「こちらはハネモノ。ハネのセンターにある入賞口に入れば大当り。」

続いて「デジパチ」の字幕。平和「麻雀物語」の盤面が映る。

ナレ「一番ポピュラーなのが、フィーバー台・セブン機ともいわれる、このデジパチ。とにかく、数字や絵柄が揃えば大当り。」

「権利もの」の字幕。京楽「ピンボール」の盤面が映る。

ナレ「そして、ある一定の条件を満たすと、当りの権利が発生する権利物。なかなか入らないが、入れば大きい。」



「デジパチ人気機種・BEST5(パチンコ必勝ガイド調べ)」の字幕

ナレ「続いては、パチンコファンに贈る、人気デジパチ・ベスト5!」

「5位 麻王(西陣)」の字幕(実機の盤面も映る(以下同じ))

ナレ「第5位、麻王。液晶デジパチ戦争の中、麻雀牌が上下に踊るユニークさが、人気の秘密。」

「4位 アメリカンドリーム(三洋物産)」の字幕

ナレ「第4位、アメリカンドリーム。液晶画面のパフォーマンスがなかなか楽しい。」

「3位 フィーバーキングII(SANKYO)」の字幕

ナレ「第3位、フィーバーキングII。迫力満点の巨大ドラム。上下二段リーチが掛かれば、すぐにフィーバー。」

「2位 ダービー物語(平和)」の字幕

ナレ「第2位、ダービー物語。麻雀物語に続く「物語」シリーズ。一旦連チャンすると、トリプルの可能性が大きい。」

「1位 フィーバーパワフルIII(SANKYO)」の字幕

ナレ「そして、第1位はフィーバーパワフルIII。タテ・ヨコ・ナナメ、どれかが揃えば大当り。喋るキャラクター、夢夢ちゃん。(液晶画面のアップ。夢夢ちゃんの台詞「ラッキー、チャチャチャ、フィーバー!頑張ってね!」)



(ここから、「デジパチ」繋がりで安田プロに密着)

(JR福生駅前のパチンコ店「巨人ホール」(閉店)※。ドアの前で朝の開店を待つ人々。)

※当時のガイド誌連載「パチンコ安田塾」には、しばしば「地元近くのK店」の記載がある。もしかすると、これが「巨人ホール」かも知れない(なお、メインは「N店」となっていた)。

ナレ「人気のデジパチ、その攻略法を知る為、早朝パチンコ店を訪れてみると、パチプロ歴7年の安田さんの姿がありました。」

(タバコ片手に、静かに開店待ちする安田プロ。)




ナレ「まずは、プロのテクニックをじっくり見学させてもらいましょう。」


10時開店。シマを歩いて台のチェックを行う安田プロ。店内には、開店合図の「軍艦マーチ」が鳴り響く。プロは一台に目星を付けると、すかさず着席して台間サンドに千円札投入。玉貸ボタンを押してお釣りが出るタイプ。選んだのは人気の液晶デジパチ「アメリカンドリームII」(三洋)


コチラは元祖「アメリカンドリーム」(1993年、三洋)。これに続いて、液晶モニタのサイズが3.5インチから4インチに拡がった「アメリカンドリームII」が登場した。その他、アタッカー13個戻しの「V」や、低確率タイプの「7」が兄弟機として存在。


安田「朝の釘読みで台を選ぶ段階で、勝負は9割がた決まると言ってよいでしょう。(背後では、店員のマイクパフォーマンスが五月蠅い)」

ナレ「と、さりげなくプロは言い、選んだ台で打ち始めて30分。」

(左「上段7・下段チェリー」⇒右「下段チェリー」のリーチ。中デジの動きにジリジリする「アメドリリーチ」。中デジ下段にチェリーが止まって、待望の大当り。)


(アメドリの場合、「7」や「チェリー」でのリーチは、他図柄よりも信頼度がアップ。両図柄がクロスでテンパイする、激アツのダブルリーチも存在した。)


ナレ「大当りにも顔色を変えず、また静かに打ちだしました。(店員、頭上に「無制限」札を刺す)」



※大当りの瞬間、三共「フィーバーフラッシュI」の大当りBGMが被る。明らかに番組の「演出」で、同社の「パチンコCD」が音源だろう。当時、よくありがちだったパターン。

(大当り終了後、保留玉でリーチが掛かる(左下段ベル⇒右上段ベル)。中デジ中段にもベルが止まって、見事に保4ダブルをゲット。)




ナレ「連続での大当り!台選び以外にも、この人気のアメリカンドリームを攻略する方法なんぞ、あるんでしょうか?」

(「アメリカンドリーム攻略法」の字幕)」

安田「(台に座って)えー、このアメリカンドリームの攻略法として、現在発見されているのは、連チャンを取る打法ですね。この機種の連チャンは、保留玉の4つ目です。大当りした後、デジタルが4回まわりますけれど、その最後の回転でダブルが来易くなっているのが、この台の特徴な訳ですね。その連チャンを効果的に取る為には、大当りした段階で4つ目のランプをつけない。そうする事によって、大当り終了後4周目に、ダブルが来る確率が高くなるという事ですね。
普段からぼーっと打っていて、デジタル回転中に次々(チャッカーに)玉を入れていては、メモリーランプが一杯になってしまいます。こうなると、連チャンは期待できなくなってしまうので、普段からメモリーランプは3つまで点けると。」


(アメドリ・保4空け攻略のポイントを解説する安田プロ(福生「巨人ホール」にて))


ナレ「では、もう一度おさらいをしましょう。保留玉を4つ入れてはダメ(「保留玉を4つ入れない」の字幕)。その為には、手元のハンドルのそばにある、ストップボタンをうまく利用すること(「ストップボタンを利用する」の字幕)。これがマスターできれば、連続の大当りがやってきます。」

※解析的には、保4空けの状態で大当りさせ、V入賞(ラウンド最初のV入賞に限られないので、ラウンド中は何度もチャンスあり)から2秒以内の「チャンスタイム」に保4を点灯させると、スタックオーバーフロー発生によって、保4エリアに大当り乱数「170」が強制上書きされる仕組み。



(所変わって、安田プロの自室。本棚には、自身が連載を持つ「パチンコ必勝ガイド」誌も並ぶ。)

ナレ「こちらは、安田プロの自宅。(小さな手帳を真剣に見ながら、電卓を叩くプロ)一体、何をしているんでしょう?」





(「公開!パチンコ手帳」の字幕)



安田「(手帳のカレンダーに書かれた数字を指差して)パチンコの収支を記録する、と。
例えば、ここの『+776』というのは、下から百円の単位、千円の単位、一万円の単位で、この日は77600円儲かったと。(別の数字を指して)或いは、プラス7万、マイナス、プラス、プラス…(好調な成績が続く)。今年は、良い時は50(万)弱ですか。悪い時は5月が一番悪くて、日当で1万位ですね。15,6日打ってプラス16万。」

(手帳に書かれた別のデータを見せる)
安田「その日打った台のクオリティを調べる為に、1回1回大当りするたびに、使った金額とそれに応じた回転数を、メモしてある訳ですね。(台番号、回転数、投資金額の詳細なデータ)」


ナレ「プロも努力しているんですねぇ。悩みは「腰痛」と「耳鳴り」。座っているだけで、日給一万円(註:あくまでも「調子が悪い月」の数字。平均日給はもっと上だろう)。楽な仕事と思うのは、シロウト考えでした。とはいっても、やめられないパチンコ稼業。本日は7箱出て、大満足の安田プロでした(足下に積み上げたドル箱をジェットカウンターまで運ぶと、ザンザカと玉を流す。)」






※画面に映った「パチンコ手帳」には、稼働日には収支金額が、休養日には「休」の文字が書かれていた。また、収支の数字に混じって、「速攻診断・〆切」「安田塾・〆切」といった書き込みもあった。

実は、番組放映当時(’93年)、安田プロは「パチンコ必勝ガイド」誌にて、「パチンコ安田塾」と「デジパチ速攻診断」の連載二本を抱えていた。それらの締切日も、同じ手帳に書き込んでいたのだろう。

ちなみに、安田プロのガイド初連載は、‘91年春にスタートした「男がパチプロになる瞬(とき)」という自叙伝的なコラム(それ以前にも、何度も単発的に登場。’90年からはパチンコ漫画「ストレートライフ」の原作も担当)。この「男が~」を引き継ぐ形で、’91年末に「パチンコ安田塾」が連載を開始した。以後、安田プロの連載は、故・田山幸憲プロの「パチプロ日誌」や、石橋達也プロの「13時間デスマッチ」「サバイバル旅打ち」「一杯の$箱」「食えるパチンコ実践編」と並ぶ、ガイド誌目玉企画の1つとなった(なお、石橋氏は’93年8月よりライバル誌の「パチンコ攻略マガジン」に移籍。「パチンコPKO」「新・パチンコ概論」などの連載を担当した)。

さらに、’93年には新台検証コーナー「デジパチ速攻診断」が、「安田塾」と並行して連載開始。その後も、「安田一彦の強者に学べ(後に「勝者に学べ」へ改題)」「パチプロ必勝ディベート」「パチプロ開発セミナー」「オールマイティ宣言」といった新コーナーが、90年代のガイド誌で続々誕生した。なお、安田プロは今もご活躍との事だが、近年のガイド等での連載については、既にパチンコを引退した自分には、全く知る由もない。



(90年代パチンコ番組レビュー「パチプロ安田一彦に密着(1993年)」の項、了)

誤植は楽し

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ヨウツベにて90年代の古い動画を閲覧中、ほんの一瞬映った食堂の「メニュー表」に、軽い違和感を覚えたので、すかさず動画を停止。


静止映像をチェックしてみたら、うん、やっぱり変だった(笑)。


昔から、こういう「誤植センサー」がやたら働くんだよな、自分。
(以前アップした誤植ネタの記事)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/070510c369375fdb608ca0395865c689


雑誌「宝島」の読者投稿コーナー「VOW」だったら、もしかして採用されたかな?

(「シーラ・イーストン」「女体入口」「きけ、わだみつおのこえ」程のインパクトはないがw)



まぁ、コーヒーの事を「コーヒ」と表記する程度なら、まだ可愛いけれど、


「トマトジーュス」ってのは、流石に発音しづらいよな。


ジーユス・・・「六本木・ジーユス・スタジオ」か?


そりゃ、「ジーエス(GS)スタジオ」だってば(古い)。


♪とことーん 一人の女ぁ~ 愛するのが 男ぉ~ (by 黒沢博)


’90年代深夜CM好きには判るネタ…気になったら「カラオケ、六本木GSスタジオ」で検索。


六本木スクエアビル・8F社長(当時)の江藤さんが待ってますw


そういえばVOWネタでも、「ジュース」の看板の誤植は定番だったな。「ジュスー」とかね。


ま、それはさておき…


冒頭の「誤植メニュー」が出てくる動画ってのが一寸変わっていて、実は1991年(平成3年)に民放でオンエアされた、「宝塚特集」(舞台裏に密着)の一コマなんですな(当ブログとしては、やや意外な方向…)。


むろん、「清く・正しく・美しく、男子禁制、女の園、華やかな大階段と舞台、歴史と伝統のタカラヅカ」の、有名な「宝塚歌劇団」である。パチ・スロとは、イマイチ関係ないけれど…。


「タカラヅカ」、以前はさほど興味もなかったが、陳腐な懐古ブログを長く書き綴っているうちに、90年代(特に前半)の芸能全般をチェックする機会も、いつの間にやら増えた。


そんな中で、平成初期に地上波でオンエアされた「宝塚特集」の番組も、ヨウツベ等で意識して見るようになった次第だ。あの独特の世界観って、男でも意外とハマるよなぁ。


大浦みずき(故人)、安寿ミラ、真矢みき、愛華みれ、剣幸、涼風真世、天海祐希、久世星佳、真琴つばさ、杜けあき、一路真輝、高嶺ふぶき、轟悠、日向薫、紫苑ゆう、麻路さき、稔幸、姿月あさと、ひびき美都、森奈みはる、純名里沙、千ほさち、こだま愛、麻乃佳世、風花舞、壇れい、鮎ゆうき、紫とも、毬藻えり、白城あやか、星奈優里、月影瞳、花總まり…90年代に名を馳せた、歴代のトップスターと娘役トップの錚々たる面々だ。退団後、芸能界で活躍された(る)方も多い。


そうそう、かつて星組の娘役トップだった白城あやかさんは、日テレ・土曜深夜「DAISUKI」のパチンコ対決でもお馴染みだった、中山秀征と結婚したことで知られる。実は、このお二方とは、過去に妙な巡り合わせ(「接点」…というか、一方的な思い出)を持つ私(需要があれば追記する)。


また、思い返せば一昔前のJR有楽町駅前には、こういった宝塚スターのブロマイドや雑誌を売る、いかにも「昭和然」とした小さな売店もあった…「ふじや・ブロマイド店」。当時、会社の昼休みに駅前の路地にあったアレンジボールと雀球の店「かもめ」で遊んだ後、この「ふじや」の様子もちょいちょい見に行ったのを思い出す(当時は、単なる興味本位)。


で、その「タカラヅカ」と、冒頭の「ジーュス」の誤植の関係だが…(前置き、長すぎ)


実は、このズラッと書かれたメニューは、兵庫県宝塚市の「宝塚歌劇団事務所」(ビル)内にある、「NOVA」(ノバ)というカフェ風の食堂に貼ってあったもの(1991年当時)。

もちろん、現役の団員さん達も、普通に利用していたという(現在もやっているのかな?)。

件のヨウツベ動画でも、稽古室でハードな練習を終えた彼女たちが、ここでおそばを食べたり、飲み物を片手に談笑したりと、思い思いにくつろぐ場面が映る。


ちなみに、この食堂の1991年当時の人気メニューは、3位が親子丼(400円)、2位が冷し中華(350円)、1位がオムライス(350円)とのこと。「ガッツリ系」のメニューばかり並ぶが、いくら「女の園」とはいっても「体力勝負」の世界、けだし当然であろう。


表向きは華やか、艶やかに見えても、礼節や稽古など厳格な気風の「タカラヅカ」(特に、宝塚音楽学校の校風はキビシイ…)。こんな食堂のメニュー一つとっても、細かいチェックで誤植など論外…と思いきや、意外や意外、平成初期にはこんな「お茶目な」ミスもあったんですな。




てな訳で、今回はパチンコとほぼ無関係な記事に終始してしまった。まぁ、「気分転換」というヤツで、たまにはこういった「ユル記事」も書かないとね。

ニュートキオ(平和、ハネモノ)

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1991年(平成3年)に平和から登場した新要件ハネモノ「ニュートキオ」


1990年(平成2年)10月の「風営法規則改正」を受けて、翌年初頭にデビューした「新要件ハネモノの草分け」的な存在(妙な言い回しだが…)。

なお、時を同じくして出た「平和・新要件ハネモノ第一弾」には、「ボイジャー1号」や「カンガルーチャンピオン8」がある。



初打ちは、小田急線Y駅前のL店(現存)。それまでマッタリした旧要件ハネモノがあったシマに、唐突に本機が6台ほど導入された。打ち止め個数は従来の「3000発」と変わらず、ドル箱も800個入りの「小箱」をそのまま使っていた。それでも、一度の大当りで小箱2箱以上を要する出玉のスピード感には、少なからず衝撃を受けた(この時期、L店は西陣「ニューモンロー」も設置。コチラも一度Vが掛かるとモリモリ増えた)。しかし、ひとたび釘が締まってからの「凋落」ぶりは、目を覆うモノがあった(これは、モンローでも同様)。

その他の実戦店で思い出すのは、新宿・歌舞伎町のコマ劇前「オデヲン」や、新宿・西口の「アラジン」など。いずれも、交換率がL店(2.2円)よりも高かった分、釘はイマイチだった記憶も残る(当時、オデヲンは2.5円交換。アラジンは3円交換)。




’90年の規則改正を契機に、旧要件機の「オール13・低投資で遊べるハネモノ」から、一気にギャンブル性が高まった事は、当ブログに目を通される方々ならばご存知だろう。本機の登場は、ハネモノ史における大きな「転換点」でもあった(あまり好意的な意味ではないが…)。

この時期、西陣は「ニューモンロー」、三共は「サンダードラゴンGP」を、新要件・大量獲得ハネモノ「第1号」として、それぞれリリース。さらに本機を含めた3機種が、大量獲得機の「トップ3」と称された。確かに、平成3年の首都圏ホールのハネモノ設置状況を見ても、これら3機種の占有率は極めて高かった。


賞球数は「8&15」で、ヤクモノ15個戻し、始動チャッカーが8個戻しだった。モンローやサンドラは「7&15」だから、チャッカーの戻しが1個多い。波荒なゲーム性からみれば微々たるものだが、たった1個の違いでも、積み重なればバカにはできない。



本機は、先行モデルのないモンローやサンドラGPとは違い、平和の名機「ザ・トキオ」(1989年)のリメイク版として登場。


(平和「ザ・トキオ」…平成元年登場。90年初頭には、有名な「タワー止め攻略」※が発覚。)

※「タワー止め」…大当り中、7ラウンド目は玉を一発も打たず、18回目のハネ開放時にタイミング良く1個拾わせると、一瞬ノーカウントエラーになった後、自力解除(大当りは終了)となる。
 この時、プログラムの不備で、役物内で回転する筈のタワーが、完全に停止状態となる。
(但し、18回目にハネが空振ると、エラー音が鳴り続けて、店員による解除が必要)
 自力解除に成功したら、ハネに拾われた玉が停止したタワーの穴をくぐり抜けて、容易に次の初当りを射止める…というシンプルかつ強力なワザであった。
 当時、「必勝G」誌が現役高校生から3万でネタを買い取り(末井編集長の名著「パチプロ編集長」による)、大スクープ記事として攻略を掲載。これを読んだ多くのファンがホールに群がり、全国的に大混乱が起きたという(なお、件の高校生は、高校卒業後の平成3年初頭に、G誌のオリジナル攻略法大賞(オリ攻大賞)の小当り10万円を獲得)。
 この攻略が発覚した当時、私は高3の受験生で、翌月の入試本番に向けて、最後の追い込みをかけていた。まだパチンコとも縁しておらず、騒動を知る由もない。
 90年4月、大学入学を機に、晴れてパチンカーの仲間入りを果たしたが、その頃には既にザ・トキオを撤去済みの店も多かった。また、残ったトキオの大半も、攻略の通じない「対策台」だった(手元の資料によれば、攻略が効くのは「平成元年11月15日」までの製造台で、以後は全て対策が取られたとのこと)。
 そんな訳で、現役時に叶わなかったタワー止め攻略だが、数年前に埼玉・蕨のパチスロゲームセンター「殿堂・蕨店」にて、存分に堪能する機会があった。運良く、初挑戦であっさりタワー止めに成功したので、「こんな旨いネタが、現役時に使えたら…」と大いに羨ましく思った。




名機「ザ・トキオ」の名を新要件時代に引き継いだ本機。だが、当然に多くの相違点もあった。
ここで、両者の主な違いを比較しよう。


             ザ・トキオ       ニュートキオ
登場時期      平成元年5月     平成3年1月
時代区分       旧要件機        新要件機
賞球          オール13        8&15
継続ラウンド数   最高8ラウンド     最高15ラウンド
ハネ開閉時間   オトシ0.3秒      オトシ0.3秒  
            ヘソ0.6秒×2     ヘソ0.4秒×2
役物貯留数     最大9個         最大7個
平均出玉       約900個        約1900個
タワー止め攻略     可           不可
            (対策台を除く)


こうして比べると、両者のカラーの違いも見えるだろう。ザ・トキオは、当時としては出玉感のある準・大量獲得タイプだったが、「オール13」戻しの為、チャッカー8個戻しのニュートキオより、通常時の玉持ちは遥かに良かった。一方の出玉面では、役物15個戻しで継続15Rのニュートキオが、圧倒的に有利である(無論、タワー止め攻略を使えば、話は別だが…)。

また、ザ・トキオは、センター(ヘソ)入賞時、0.6秒×2回のハネ開放を行うが、ニュートキオは、やや短めの0.4秒×2回の開放だった。やはり、初代よりも出玉が多い分、初当り確率をシブくしている表れといえよう。

さらに、両者の最も大きな相違点が、「攻略の付け入るスキ」であった。新要件版ニュートキオは、元祖ザ・トキオを「陥落」させたタワー止め攻略が、全く効く余地がなかったのだ。
(ラウンド間の4.1秒を止打ちする「節玉攻略」はあったが…)

まぁ、二代続けて「キズネタ」が出たとあっては、メーカーの沽券にも関わるので、けだし当然であろう。



このように、本機は初当りが遠い反面、一撃の爆発力は非常に強く、V2~3回で打ち止め(当時は2500~4000発終了がメイン)となる事も珍しくなかった。「投資はかさむが、一発当てれば大きい」、初期・新要件ハネモノ独特の「荒さ」が際立った訳だ。但し、回収調整の台がたまたま連続の大当りで打ち止めになる「フロック」のケースも多く発生、「打ち止め開放台」の信頼度は旧要件期に比べると大きく低下した。

それと、1回のV完走で約2000発も出ると、そこで止めるか、打ち止めまで続行するか、よく悩まされた(後継「ニューヨーカー」でも同じだった)。Vがキツイので、せっかく大当りで出た玉が、そっくり飲まれてチョン…という展開もしょっちゅう喰らった。



では次に、盤面や役物に注目してみよう。



盤面左では、ピンクの制服を着たバスガイド(と思しき若い女性)が、外国人観光客(と思しき個性的な面々)を引き連れて、「TOKIO」こと首都・東京を案内している。客の中には、鼻や髪に骨をあしらった、アフリカ先住民らしき人物も混じっている。

このデザインは、元祖「ザ・トキオ」の盤面(黄昏時の東京タワー&ビル群の、哀愁漂うイラスト)と比べると、やけにコミカルさが目立った。ひょっとすると、荒いゲーム性や高いギャンブル性を、こうした「おちゃらけ感」でカモフラージュしたのかもしれない(未確認)。



盤面右の赤いタワーも擬人的に描かれており、遊び心タップリ。傍らには、「’91 NEW VERSION」の円形ロゴ。これは、平成3年に出た平和の新要件ハネモノに描かれた、シンボル的なマーク。但し、「ブンブン丸」など同年登場の一部機種には、このマークがない。なお、同社のデジパチには、「NEW VERSION 16 ROUND」の円形ロゴが付された(規則改正で継続ラウンドが「10」から「16」にアップした事をアピール)。





次にセンター役物内に注目すると、いかにも「東京タワー」を模したような鋭角なタワーが、反時計方向にクルクル回っていた。元祖「ザ・トキオ」は赤いタワーだったが、本機は更に女性的な「ピンク」。元祖ザ・トキオとの差を明確にすると同時に、女性ファンを意識したカラーリングの選択なのだろう。

これは余談だが、ピンクのタワーというと、知る人ぞ知る「モンテッソーリ教育法」という英国発祥の知育プログラムで、ピンク色のタワー型おもちゃ(「ピンクタワー」という名の教育用玩具)があるのをご存知か。まぁ、当時の平和開発陣が、このヤクモノタワーを通じて、打ち手の「知育発達」を意図した…とは思わないが(笑)。


役物タワーは一定周期で回転を続けるが、一周毎に、ほんの一瞬だけ正面を向いて停止する。また、タワーの足元には、玉1つ通過できるアーチ状の穴が開いている。タワーが正面を向くと、足下の穴も真正面を向く訳だ。ザ・トキオでもお馴染みだった挙動である。

但し、タワーの停止時間は、まさに「ほんの一瞬」という言葉がピッタリなほど短かった。基本的にザ・トキオとよく似た止まり方をするが、停止時間が元祖トキオの半分以下だった(約0.1秒)。


ハネに拾われた玉は、役物奥から、回転するタワーの穴をくぐり抜けようとしてアプローチする。しかし、クルクルと回り続けるタワーの穴をうまく通り抜けるのは、決して容易ではなかった。

タワーが止まる一瞬のタイミングで穴をくぐれば、そのまま手前Vゾーンに向うチャンスとなるが、タイミングは実にシビアだった。特に、穴へ入るタイミングが少しでもずれると、穴を通過中にタワーが再び回り出して、せっかく穴を通り抜けた玉が、遠心力でVゾーンの右側に逸れてしまう。初当りを掴むのは、ハネモノとしては「至難の業」ともいえた。むしろ、デジパチや権利物のノリで対峙する必要さえあった。

また、タワーには台の個体差(クセ)も存在した。タワー停止時、キッチリ真正面を向かずに、やや左右にズレて停止する「クセ悪台」はV入賞率も継続率も大幅にダウンした。また、タワーの穴に「段差」や「ズレ」がある場合も、穴を通過した玉の挙動がバラついて、V入賞率を低下させた。

これとは逆に、普段からタワーの穴に入り易い「クセ良台」というのもあった。通常、穴に入り易いのはタワーが停止した瞬間だが、こうしたクセの良い台では、タワーの裏側が正面を向いた状態でも(タワーは動いている)、うまく足下の穴に飛びこみ、穴に入った状態で手前に運ばれ、そのままV入賞するという、何とも美味しい大当りパターンにも巡り合えた。


因みに、タワーには「表」と「裏」でデザインが違っている。裏側はこちら向きで停止しないので気づきにくいが、よく見ると、タワーの付け根の色彩が微妙に異なる(下の二枚の画像を参照)。

 
       (タワー表側)                (タワー裏側)




首尾よく大当りすると、通常回っていた役物のタワーが完全停止して、役物奥に最大7個の貯留を行う。元祖ザ・トキオは「9個貯留」なので、それより2個少ない訳だ。この貯留差がV継続率にどう影響したかは、追って説明する。


タワー奥に玉を貯留した状態。元祖トキオの場合、打ち手に貯留状態が見えにくかったが、ニュートキオは貯留が良く見えるようになり、視覚的に改善された(貯留が見えない方が、却ってドキドキする、との反論もあろう)。


貯留解除のタイミングは、ハネ17回開閉後、又はヤクモノ1カウント時である(V入賞か、ハズレ1カウントかは問わない)。

早々に7個貯留すれば、続く8個目が高確率でタワーの穴をくぐってVに入る。つまり、寄り釘良好ならば、継続率は非常に高かった。この場合、「V入賞後に貯留解除」の定番パターンとなる。
(但し、左右のハネから同時に2個拾ったりすると、玉突きして穴をくぐらない事もあった。)

逆に、寄り釘が悪いとなかなかフル貯留(7個)が終わらず、ハラハラ・ドキドキさせられた。ハネ開閉17回までに8個目がタワーの穴を通過しないと、そのまま貯留は解除される。つまり、「V入賞前に貯留解除」となり、まさに大ピンチのケースだ。

この時、9個貯留のザ・トキオとは異なり、最大でも7個貯留のニュートキオでは、貯留解除された全ての玉が、Vを外す事が多かった。最初のV継続チャンスを逃すと、復活は非常に難しくなっていたのだ。

それでも、100%「パンク確定」という訳ではなく、18回目(ラスト)のハネ開閉時に、ヤクモノに入った玉が回転するタワーの穴をうまく通過すれば、V継続の可能性も僅かながらあった。

一方、フル貯留になる前、ラウンド序盤でハズレ玉をカウントして、貯留が解除される「不本意」なケースは、ザ・トキオと比べると格段に減った(ザ・トキオでは、奥に貯留される筈の玉が手前にこぼれて、そのままハズレ入賞で貯留解除となるケースが、少なくなかった)。本機では、安定してヤクモノに玉を入れさえすれば、フル貯留⇒V再入賞を繰り返し、容易に最終ラウンドまで継続させる事ができた。

したがって、本機を打つ際は、始動チャッカーの鳴きは勿論、寄りの細かなチェックも非常に大切だった。


因みに、本機には意図的な「連チャン」(ダブル)は存在しない。なお、本機のゲーム性を引き継ぎつつ、さらに出玉面で過激になった大量獲得の連チャンハネモノが、1991年秋に登場した後続機「ニューヨーカー」である。こちらは、オトシのハネ開閉時間がさらに短く「0.2秒」とシビアだが、うまく連チャンが絡めば、初当りからそのまま打ち止めになる事もあった。




以上、本機の特徴などをとりとめもなく書き連ねた。まぁ、当時は「ハネモノの皮を被った権利物」などと、割と厳しい目で見ていたが、これだけ年月が経ってから振り返ると、妙に愛着を覚えるから不思議だ。

今現在、本機の動画はどこにもアップされていない模様。ただ、当ブログで懐古記事をアップすると、暫くしてヨウツベ等で実機動画がアップされる事もある為、今回も密かに再会を期待…。


(なお、近年では、アムテックス「CRAトキオデラックス」などのリメイク機も出ている。)


ポルカノ2(ECJ、4号機)

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1999年(平成11年)にECJ(エレクトロコインジャパン)から登場したAタイプ4号機「ポルカノ2」


雑誌に出た当初は、「ボルカノ(volcano、火山)」と勘違いしたっけ。まぁ、それなら「ボルケーノ」とする筈だが…。


(ボーナス確率)

Big Bonus
設定1  1/297.9
設定2  1/277.7
設定3  1/264.3
設定4  1/252.1
設定5  1/240.9
設定6  1/240.9

Reg Bonus
設定1  1/528.5
設定2  1/528.5
設定3  1/468.1
設定4  1/399.6
設定5  1/356.2
設定6  1/287.4



(役構成)

・「赤7」又は「ポルカノ」の三つ揃い…ビッグボーナス(3枚)
・「ポルカノ・ポルカノ・宝玉」…レギュラーボーナス(1枚)
・宝玉・リプレイ・リプレイ…12枚
・プラム…8枚
・チェリー…2枚/4枚 ⇒順押し時は角チェリー(4枚)。中段チェリー(2枚)はリーチ目。
・地図…1枚
・リプレイ
(通常時「宝玉の三つ揃い」は0枚役=リーチ目)



(当時の実戦店)

・新宿・東南口「グリンピース新宿本店」(1F、スーパーバニーガールと同フロアに設置)
・JR横浜線・成瀬駅北口「ジャンジャンPart2」(相鉄ローゼン地下)
・JR町田駅近く「ひまわり」(現・ピーアーク町田マックス※)
など

※「ピーアーク町田マックス」は、1月31日をもって閉店との事。





’99年夏にECJがリリースした「ナイン」の後継機種として、同年末にデビュー(2000年初頭より本格導入スタート)。ナインで好評だった3連図柄、リール下のLEDランプ予告、リールフラッシュといった特徴を、発展的に受け継いだ。


通常時やビッグ中の技術介入度も高く、中・上級者好みの台でもあった。ただ、同時期にアルゼ系で人気のあったハナビ、サンダーV、バーサス、グランシェル、バイオメサイア、アステカ、ワードオブライツ、アレックス、ビーマックス、オオハナビ、デュエルドラゴン2(R)、タロットマスターR、マリーンバトル等と比べると、設置率が若干低かった記憶も残る。
(プラズマアタックも好きだったが、やはり設置は少なめだった)


本機のモチーフは、「この世に8つあるといわれる伝説の『ミラクルストーン』を探しに、主人公のポルカノ少年が、道先案内をつとめる謎の生命体・ガイ(リプレイ図柄に採用)と共に、各地を冒険して回る」という、いかにも流行りのアクションRPG的なものだった。
世界中に散らばった宝玉を集める話というと、人気アニメ「ドラ〇ンボー〇」などがピンとくるが、その影響を受けた可能性も、少なからずあろう。

因みに、ポルカノ君の好物は「ラーメン」で、性格はいたって「純」であった(以前、アルゼ時代の公式HPにそう書いてあった)。また、ポルカノ君は下パネルのみならず、ビッグ図柄にも採用されているが、この図柄デザインが奇抜で、パッと見では「鼻に指を突っ込んでいる」ように見えた為、一部で物議をかもした(笑)。


各リールには、「宝玉」※と呼ばれる黒い図柄の塊(3連宝玉)が存在した。これらはリーチ目と密接に絡み、ビッグ中も獲得枚数アップに貢献した。「5ライン・重複当選」(業界初)によって実現した「宝玉複合揃い」(15枚)は、リール窓を埋め尽くしてインパクト大だった。

※メーカーHPでは、宝玉ではなく「ボール」と呼んでいる。また、攻略誌によっては「宝珠」と呼ぶ場合もあった。



宝玉の三つ揃いは通常時「0枚役」で、全ライン有効のリーチ目となるが(3枚掛け・順押し時)、ビッグ中は「3枚役」で払い出しがある(12枚役と共通フラグ)。しかも、上・中・下段・クロスの計5ラインに並ぶと、3×5=15枚の払い出しとなる。ビッグ中は、この複合15枚と、プラム(8枚)がメイン小役だった。各リールとも3連宝玉を枠内に目押ししなければならないが、ダイナマイト(IGT)のようにビタの必要はなく、多少早くでも引き込み制御が働いた。但し、配列上、リプレイハズシはライン限定の必要があった為、右リールのビタ押しが求められた(⇒後述)。






★ミラクルメーターシステム

本機の大きな特徴の1つが、リールパネル下にある8つのLEDランプ(ミラクルメーター)と、最大4段階発展するリールフラッシュを組み合せた、「ミラクルメーターシステム」と呼ばれる告知演出だった。

上記システムは、演出の前半が「予告音+LED予告」で、後半が「リールフラッシュ」となっていた。但し、予告のみでフラッシュしないパターンや、予告なしでフラッシュが発生するパターンもあった。最終的に、リール右上の告知ランプ(宝玉を持ったドラゴン)が点灯すれば、ボーナス確定となる。

告知ランプは、ボーナス成立後毎ゲーム行われる「1/5」の抽選に当った場合、リールフラッシュ演出を経由して点灯。但し、完全告知ではない為、「1/5」を外し続ければ、ボーナスが入っていても、告知ランプは非点灯のままだ。

以下、「LED予告」と「リールフラッシュ」に分けて説明。

(LED予告)

レバーオンで通常と異なる効果音(予告音)が鳴ると同時に、リール下のLEDランプ(ミラクルメーター)が作動。8つのランプの中心を起点に、左右両サイドに向かって光が流れる。

光には「緑、オレンジ、赤」の3色があり、それぞれ予告音も異なる(緑<オレンジ<赤の順で高音に変化。高音になるほど、ボーナス期待度も高まる)。


★LEDの点灯パターン

(A)基本パターン
レバーオン時にLEDが流れるが、そのまま消灯。その後、第1、第2、第3とリールを止めるたびに、ランプが順次点灯する。8個全灯まで伸びる事もあるが、それ以下で終わる方が多い。8個全灯の場合、リールフラッシュ発生の期待も高まる。ただ、全灯でなくてもフラッシュする事はあり、逆に全灯でフラッシュが起きないケースもあった。


(B)レアパターン
レバーオン時に流れた光が消灯せずに、全灯状態で残る。(A)より発生頻度は少ないが、その分アツい演出で、小役(リプレイ含)以上が確定。しかも、必ずリールフラッシュに繋がる(告知ランプ点灯後を除く)。
最初からランプ全灯状態の為、リール停止時に点灯数が変動する事はない。レバーオンで緑のLEDが流れた直後にオレンジに切り替わって全灯したり、「緑&rArr;オレンジ&rArr;赤」と二段階で色が切り替わったりする、「格上げ」の点灯パターンも存在。



(A)の基本パターンでは、停止した図柄とLEDのカラー(緑/オレンジ/赤)によって、ランプ点灯数が変化する。つまり、図柄とLEDが「連動」していた訳だ。これは、先行機「ナイン」で採用された「セブンディスプレイ」(枠内にある7図柄の数に応じて、LEDが点灯)の機能がベースになっている。

以下、各色別にその特性を概説する。


(a)LEDが「緑」…リール停止時、枠内に止まった特定図柄※(7、ポルカノ、宝玉)の数と同じだけランプも点灯する。
(※いずれも「宝玉」に絡む図柄…7図柄には宝玉があしらわれており、ポルカノ君も右手に宝玉を持っている。)
例えば、左に宝玉が2個停止したら、ランプも2個つく。続く中リールも宝玉2個なら、ランプも4つ目まで伸びる。さらに右リールに7が1個なら、ランプは5個点灯となる。もちろん、枠内に特定図柄が一つもなければ、ランプも点灯しない。

(b)LEDが「オレンジ」…「特定図柄の数×2」のランプが点灯
 (例)左に宝玉2個停止だと、ランプは2×2で4個点灯。さらに、中リールも宝玉2個なら、その時点で8個フル点灯。

(c)LEDが「赤」&rArr;「特定図柄の数×3」のランプが点灯
(例)左リールが宝玉2個なら、ランプは2×3で一気に6個点灯。中、右リールも同様の計算。チャンスは緑の3倍で、より期待感を煽った。まぁ、あっさりハズれる事も多かったが。



LED予告が発生したら、なるべく多くの特定図柄が枠内に止まるよう、全リールで「3連宝玉」を積極的に狙ったりした。素人っぽい反応だが、「遊技を楽しむ」という意味では健全な行為。


但し、レバーオンでLED予告が発生しても、必ずランプが点灯する訳ではない。予告発生後、第一停止で特定図柄が止まったのに、LEDが全く反応しないケースも多かった。また、それとは逆に、予告を伴わずにフラッシュが発生する事もあった。こうした「意外性」も、本機の魅力の一つといえよう。



(リールフラッシュ)

第3リール停止後、あっさり演出が終わる事も多いが、バックライトと効果音による「リールフラッシュ」に発展すれば、ボーナス期待度は更に高まる。

リールフラッシュは、以下の「4段階」に分かれる。最終の第4段階まで行けば、必ず告知ランプ点灯&rArr;ボーナス確定となる。

(a)第1段階…「ボワボワボワ」という音と共に、各リールのバックライトが下&rArr;上にフラッシュ。

(b)第2段階…緊張感漂うRPG風サウンドと共に、バックライトが1個ずつ消灯。
(消灯の順序は、「右・上段&rArr;左・中段&rArr;中・下段&rArr;左・上段&rArr;右・中段&rArr;左・下段&rArr;
中・中段&rArr;右・下段&rArr;中・上段」と決まっていた。)

(c)第3段階…「シュワシュワ、ゴロゴロ」音と共に、バックライトが上下に激しくフラッシュ。

(d)第4段階…光が左下から右上にサッと流れて、その先のドラゴン(告知ランプ)を目指す。最後は「ピキーン」と効果音が鳴って、告知ランプ点灯。第4段階に到達すればボーナス確定。


なお、LEDランプ全灯時はフラッシュが発生し易いが、100%発生する訳ではない。また、ランプ点灯が7個以下でも、フラッシュ発生のチャンスはあった。後、繰り返しになるが、LED予告を伴わずにフラッシュのみ発生するケースもあった。

また、リールフラッシュは「完全ハズレ時」には出現しない(フラッシュ発生=小役以上が確定)。大抵は、小役(リプレイ含)の揃った状態でフラッシュが発生、第3段階までで途切れてしまう。

一方、小役ハズレ時にフラッシュが出れば、「取りこぼしがない」限り、全てボーナス確定となる。
但し、配列上、全成立役を取り切るのは難しい(順押しでは不可能)。その為、チェリー、12枚役、1枚役のこぼしによる「ガセフラッシュ」も多発した。

&rArr;上記の難点をカバーすべく、通常時の「中押し小役狙い」が効果大とされた(以下に続く)。



★中押し小役狙い

成立役を取りこぼし易い欠点を補う為、通常時、「中押し」で全小役に対応する打法があった。対応する小役が外れると、ボーナスの可能性が高い。

まず、中リール枠内に「3連の宝玉」を狙う(ビタが望ましい)



(1)中リール「リプレイ・宝玉・宝玉」が停止(1コマスベリ)

&rArr;ハズレor1枚役こぼし。左&rArr;右は適当打ち。


(2)中リール「宝玉・プラム・リプレイ」が停止(3コマスベリ)

&rArr;プラム(8枚)確定。左&rArr;右は適当打ち。


(3)中リール「地図・宝玉・プラム」が停止(4コマスベリ)

&rArr;1枚役なので、左右にも地図を狙う。


(4)中リールに「プラム・リプレイ・宝玉」が停止(2コマスベリ)

&rArr;中押し時は、この形での対応が重要。目押しが正確なら、ここまでスベれば小役以上が確定。だが、小役の場合、「チェリーor12枚orリプレイ」の3択となる。その為、右の停止形に応じて、左を狙い分ける必要があった。まず、右は「下に宝玉の付いたポルカノ」を上段(ビタ)で狙う。

(4-a)右リールに「ポルカノ・宝玉・リプレイ」が停止(ビタ)

&rArr;ビタ停止でリプ右下がりの形は、リプレイ濃厚。リプの取りこぼしを防ぐため、左枠内には3連宝玉を狙う。なお、左枠内にチェリーを狙うと、リプレイを取りこぼす。


(4-b)右リールに「宝玉・リプレイ・プラム」が停止(3コマスベリ)

&rArr;このリプ中段テンパイは、目押しが正確ならチェリー(目押しが甘いと、12枚役の場合アリ)。但し、変則押し時はチェリーが中段停止(2枚)の恐れがある。常に4枚(角)で取る為、左には「赤7下のチェリー」を下段ビタで狙う。


(4-c)右リールに「宝玉・宝玉・リプレイ」が停止(4コマスベリ)

右が4コマスベってリプが右下がり形になったら、12枚役(宝玉・リプ・リプ)の可能性大。左上段には3連宝玉を狙い12枚ゲット。但し、右リールの目押し(「ポルカノ」を上段ビタ)が1コマ遅いと、右には3連宝玉が停止して、12枚役を取りこぼしてしまう。


この「中押し小役狙い」を完璧にこなせば、適当打ちと比べて、1000円当たり約3ゲームも多く回せた。さらにリプレイハズシ(後述)と併用すれば、設定1でもペイアウトは100%を超えた。但し、目押しの労力が相当要るので、長時間の実戦だとやや辛い。また、時間効率も落ちる。



(参考)順押し・逆押しでの楽しみ方

まず、「順押し」には、左リール枠内に「チェリー」を狙う手順や、チェリーよりも12枚役やリーチ目を優先して、左に「3連宝玉」を狙う手順などがあった。今回は「3連宝玉」の方を紹介する。

(1)3連宝玉がビタで停止した場合

&rArr;12枚役(宝玉・リプ・リプ)orボーナスの激アツ目。中リールにリプレイがなければ二確となる。

(2)「プラム・宝玉・宝玉」が停止した場合(1コマスベリ)

&rArr;ハズレorプラムorチェリー(こぼし)orボーナス。通常時、この形が一番出やすく、判りやすいリーチ目も多い(文末のリーチ目一覧を参照)。


(3)「リプレイ・プラム・宝玉」が停止した場合(2コマスベリ)

&rArr;目押しが正確なら、ここまでスベると小役以上が確定する。但し、チェリーこぼしの可能性もある為、小役がハズれてもボーナス確定ではない。

(4)地図・リプレイ・プラムが停止した場合(3コマスベリ)

ほぼ地図(1枚役)が成立。地図を狙って外れればボーナス。また、ここまでスベってリプレイが揃うと、成立後のリーチ目となる。


(5)リプレイ・プラム・リプレイが停止した場合(4コマスベリ)

通常、この目はリプレイハズレ目※だが、左に3連宝玉を狙ってここまでスベったら、嬉しいボーナス確定となる。
(※制御上、ボーナス非成立時に地図が中段に揃う事はない。地図揃いは成立後のリーチ目。)



次に、逆押しについて。コチラも色々な打ち方があるが、個人的に最も単純明快だったのが、右上段に「赤7」をビタ押しで狙う方法。



実は、右押しでこの形を狙ってビタで止まると、その時点でビッグボーナスが確定(順押し時にこの形が止まっても、ボーナス確定となる。但し、中押しだと平気でガセる)。中押し小役狙いに疲れると、予告発生時にここを狙ったりした。


まぁ、大抵は、赤7が中段に停止(1コマスベリ)。ほぼハズレだが、1枚役の取りこぼしもアリ。


赤7が下段まで滑ってくれば、ほぼプラム(2コマスベリ)。残りのリールは適当押しでOK。


3コマスベったら、リプレイ、チェリー、12枚役、いずれの可能性もある。チェリー優先なら左下段にチェリーをビタで狙う。12枚役優先なら、左に3連宝玉を狙う。


4コマ滑ったこの形は、レギュラー確定目。逆ハサミで左下段にポルカノを狙い、中リールにもポルカノを狙えば、そのままバケが揃う。





リプレイハズシ

さて、本機最大の技術介入要素が、ビッグボーナス中の「リプレイハズシ」であった。
適当打ちの場合と比較して、約80枚もの差が付いた。

但し、リプレイを外せるのが、「右下がり」のテンパイ形のみだった。そこで、テンパイラインを限定させる為、右リールをビタ押しする必要があった訳だ。
この点を除けば、ビッグ中の手順は割と単純だったので、ハズシの成否は「正確にビタを決め続けて、残り9Pまでリプレイを外せるか」にかかっていた。

以下、具体的なハズシ手順の一例を解説する。


★1,2回目の小役ゲームは順押し消化。左には、3連宝玉をやや早めに狙う。宝玉が枠内に停止したら、中・右にも3連宝玉を狙って、5ライン複合で15枚をゲット。
&rArr;目押しに失敗した場合、中・右にも3連宝玉を狙ってしまうと、払い出しが6枚や9枚に減るおそれがある。これを防ぐため、左リールの3連宝玉の目押しにしくじったら、中リールは3連宝玉を外して、確実に「宝玉・リプ・リプ」の12枚役を拾う(宝玉と12枚役は同一フラグ)。


★左に3連図柄が止まらなかった時は、ほぼハズレ。中・右は適当打ちでOK。


★左・中段にプラムがスベって来たらほぼプラム。中・右は適当でOK。


★左・中段にリプレイが来たら、ほぼジャックイン。1、2回目の小役ゲームは、そのまま入れる。
(ビタ押しに自信がない場合は、2回目からの保険ハズシもアリ)


★3回目の小役ゲームは中押し。3連宝玉を早めに狙い、止まれば左・右も3連狙いで15枚。


★中段プラムは「プラムorハズレ」。左・右は適当でOK。



★中段リプレイ停止時は、ジャックイン濃厚(稀に、チェリーの場合もあり)。ここが腕の見せ所。



★テンパイラインを「右上がり」に限定させる為、右上段の赤7を上段ビタで狙い、右下段にリプレイを止める。なお、右はどのリプレイでもOKなので、赤7に拘る必要はない。右上がりラインに限定させたら、左に「ポルカノ・チェリー・7」を狙えば、簡単にリプレイが外せる。

なお、キッチリ右下段にリプレイを目押ししても、ライン限定の成功率は98.4375%(63/64)。
何故なら、制御で1.5625%(1/64)の確率でリプレイが中段にテンパイしてしまうから。但し、これは運なので、やむなし。


★残り9P以降は、順押し小役狙いに切り替える。


(ビッグ中の小役確率)
・3枚役・12枚役(共通フラグ)…1/2.98(設定1)~1/2.25(設定6) ※設定差アリ
・プラム(8枚)…1/3.9
・チェリー(2枚/4枚)…1/819.2
・地図(1枚)…1/3276.8
・ジャックイン…1/4.82


(平均獲得枚数)

約447枚(480枚以上になる事も多い。うまくいけば、500枚越えもアリ)


(設定判別要素)

ボーナス出現率の他、ビッグ中の15枚複合役の出現率と、ハズレ出現率に設定差があった。
但し、複合役は、設定1=1/2.98、設定6=1/2.52と差が小さい。一方、ビッグ中のハズレ確率は、設定1=1/5.03、設定6=1/7.25で、複合役に比べて差が大きい。ある程度ゲーム数を稼げば、高設定か低設定かの判別の目安になった。

なお、ビッグ後にクレジットを落とす設定判別については、ノーリセット仕様なので不可。減算値差を用いた判別も、小役高確率状態と低確率状態でメイン小役の確率差が小さい為、判別は難しい。




★ポルカノ2の主なリーチ目一覧

※本文中に取り上げなかった入り目を、幾つかピックアップ。他にも山ほどリーチ目はあるが…

(順押し、3枚掛け時)



(中段チェリー)


(チェリー付き中段ビッグ図柄のハサミテンパイ)


(ビッグ図柄の一直線)


(中リール3連宝玉)


(右リール3連宝玉)


(上段プナテン)


(上段に7・ポルカノが並んだ、プラムとリプレイのWテンパイハズレ)


(7・7・地図の右下がり)


(上段7・地図・7)


(トリプルテンパイハズレ)


(地図の上段テンパイハズレ…左中段はプラム)


(地図・地図・プラムの下段並び・・・左中段はプラム)



(トリプルテンパイからの地図ハズレ)


(トリプルテンパイからの中段リプレイ)


(トリプルテンパイからの上段プラム)


(左リプ・地図・リプからの地図テンパイ)


(左リプ・地図・リプからのリプハズレ)


(宝玉頭からのビッグ図柄一直線)


(上段リプハズレ…左中段はプラム)


(左プラム・宝玉・宝玉&rArr;上段プラムテンパイハズレ)


(宝玉の中・下段Wテンパイ)


(宝玉・宝玉・リプからのハサミリプハズレ)


(宝玉・宝玉・リプから中段ポルカノ)


宝玉・宝玉・リプから中段リプレイ


(下段プラムテンパイハズレ…左上段は宝玉)


(リプ・プラム・地図からの右上がり地図テンパイハズレ)


(サンドイッチ目からのプラムハズレ)


(ポルカノ・地図・赤7の小山型)

久々の訪問

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先日、所用で新宿に寄ったので、久々に歌舞伎町の喜多方ラーメン店「坂内」を訪問。



(坂内・歌舞伎町店) 新宿区歌舞伎町1-24-6

※以前は赤いゲートの「一番街通り」にも店があったが、だいぶ前に閉店してしまった。
現在、新宿界隈では、歌舞伎町店の他に、「思い出横丁店」(かつて、格安うなぎ屋「うな丸」があった所)と、西新宿の「新宿パークタワー店」(地下)の3店舗が営業中。
もちろん、広域チェーン展開しているので(「坂内」と「小法師」(こぼし))、都内以外の出店も多い。
個人的には、有楽町店、四ッ谷店(小法師)、渋谷・並木橋店(小法師)、川崎・東田店(小法師)が馴染み深い(近くのパチ屋とセットで記憶が繋がっている)。




個人的に定番の「ネギチャーシューメン(太麺)」(990円)を注文。アッサリしているがコクのあるスープ。シャキシャキのネギと、とろとろチャーシューの絶妙なバランス。これをシコシコした太麺と共に口中に放り込むと、得も言われぬ満足感・安堵感が拡がる。
ただ、昔よりチャーシューの量が心なしか減った気がするのは、気のせいだろうか。かつては、それこそ「嫌になるくらい」の大量チャーシュー攻撃を喰らっていたのだが…。もちろん、今でも標準よりチャーシューの量は多めである。



一緒にギョーザ(360円)も頼んだ。「ネギチャーシューとギョーザ」…現役時、この界隈のパチ屋で勝つと、決まってここで注文した「鉄板」コンビである。

あ、当時は今より食も太かったから、ネギチャーシューを「大盛り」で頼むことも多かったが。


ここは開業時から長く、現在地の右隣(角地)で営業していたが、数年前に左隣へ「平行移動」。

’90年代に歌舞伎町の各ホールを彷徨った自分にとっては、やはり角地の方が馴染み深いが、これも「時代の流れ」というヤツで、仕方ない。


(角地時代の坂内・歌舞伎町店)


坂内・歌舞伎町店の新規開店は、平成2年(1990年)4月。奇遇にも、私のパチ歴スタートと全く同じ。既に、開業から25年近く経っており、ここまでくれば、立派な「老舗」の仲間入りである。

私自身も、この坂内をオープンから間もない頃から、周辺のパチ屋同様、よく利用したクチだ。

平成2年当時、坂内周辺には多くの香ばしいパチ屋・スロ屋が並び、ハシゴにはうってつけのプレイスポットだった。

現在も、エスパス系のホールがすぐそばで営業しているが、例の「タワー店」のような巨大ホールは、まだ存在しなかった。確かに、この辺りは昔から日拓が幅を利かせていた。ただ、路地沿いには昭和チックな小店が点在していて、雑然とした中にも一種の「風情」が感じられた。

因みに、1990年6月頃の坂内周辺マップはこんな感じ。




赤で囲ったのが当時の坂内で、青枠がパチンコ店orパチスロ店。当然ながら、現在とは全く趣
が異なる(「横浜銀行~磯料理」の全範囲が、今ではエスパスタワーと換金所に変貌)。

そうそう、以前は坂内の左隣で、2軒の怪しい「ビデオ屋」がヒッソリと営業してたっけ…。目隠しの大きなノレンをくぐると、狭い店内の壁一面に作品のサンプル写真がズラッと貼られていた。「浄化運動」とやらで、いつの間にか消えてしまったが…。その跡地に建ったのが、移転後の坂内という事になる。


「1990年」の旧要件末期は、私にとって一種特別な思い出の残る、まさに「古き良き時代」だ。当時のホール状況も、特に強く記憶に刺さる。

  西武新宿駅前通りの「ムサシ」(後の「マイリバー」)は、日拓チェーンに対抗すべく孤軍奮闘していた小店のスロ屋。設置機種は1Fがスーパーセブン(パイオニア2-1)で、2Fがフラッシュ(ニイガタ電子2-1)。後に2Fがスーバニに変わり、3号機時代は1FがアラジンII(青パネル)に入替えられた。アラII時代は、特にお世話になったな…。
  同じ駅前通り「日拓1号店」は、1Fがパチ、2Fがスロで、この界隈では規模も大きめだった。入口付近に大きなモニターTVが何段も重ねて置いてあり、土・日はここで競馬中継を流すので、人だかりができた。2Fには、他店であまり見かけないCタイプ「トロピカーナA」(メーシー2-1)が置いてあった(他にも、センチュリー21やリバIVなどユニバ系が目立った。コンチIIIもよく勝負した。ビッグパルサーやバニーガール、それにムサシも打ったな)。
  坂内の真向かいにあった「日拓2号店」は等価交換がウリ。中二階を上がって目の前にあったドリームX(奥村、デジパチ)が、一番のお気に入りだった。地下のセンチュリー21も懐かしい。
  坂内のはす向かいにあった「日拓ビッグプレイ3(パチスロ日拓)」も等価のスロ店。プレハブ小屋みたいな2階建ての小店で、「パチスロ・日拓・777」の赤いネオンがやけに目立っていた。当時の設置台は、アメリカーナX2(ユニバーサル2-1)1機種のみ。1Fはグルッと壁を取り囲むように、2Fは激狭な通路沿いに4シマ設置してあった。後に、1Fをスーバニに入れ替えた。
  高級風俗店「バルボラ」の前で営業していた「日拓3号店」は、地上と地下の2フロアで、1Fがパチ、地下がスロ(数年後、地下が全面改装でCR専用フロアになったが…)。当時は、お気に入りの一発台「ベータ」や「キャラバン」が1Fにあり、地下では初代アラジンなどを打った。
  坂内の右脇には、10円ポーカー屋の入口を挟んで地下に通じる小階段があり、そのまま薄暗い階段を下りると、地下2Fに日拓の換金所があった(いかにも怪しい、無国籍な雰囲気が漂った)。特殊景品は、プラスチックケースに入ったゴルフのマーカー2個(大)と、ライター石(小)。その後、大景品がマーカーからプラスチックケース入りのボールペンに変わった記憶もある。

 なお、地図には含めていないが、日拓1号店の向かい(エビ通り入口)には、スロ専「日拓ビッグプレイ1」もあった(設置は「ロックンロール」と「リバティベルIV」)。因みに、同じエビ通り沿いには、後に「日拓ビッグポット」というスロ屋も出来たが、この時期はまだ存在しない(開業は91年末)。なお、詳しい事は、コチラのマップを参照。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/02e7d120715b2d1c45944c46c600bb6e
(歌舞伎町のパチンコホール変遷・1987~2002)


★註:上記は基本的に「1990年」時点の状況を描写したもの。その後、スロ3号機全盛期には、この界隈で「アポロン」の5連Verが席巻するなど、状況が一変した事もある。そうそう、日拓3号店地下では、「スペースバトル」のバケがやたらとクレジット連するヤツを打っていたが、あれは単なるノーマル高設定か、それとも〇モノか…。


まぁ、こんな感じで、一勝負終えたら、近くの坂内で腹ごしらえというのも、自然の流れだった。
ただ、こっ酷くやられた時などは、牛めし松屋で味噌汁付きの牛めしをさっさと喰らい、トボトボ帰ることもあったが…。


(昔の松屋の看板…これは、靖国通り沿いにあったデッカイヤツ)


ともかくも、20数年前のアツい活動期に思いを馳せつつ、坂内で懐かしい「青春の味」を堪能。胃袋も心も存分に満たして、帰宅の途についた。

フィーバーウォーズI(SANKYO、デジパチ)

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今回は、1994年(平成6年)にSANKYOから登場した現金機デジパチ「フィーバーウォーズI」を振り返りたい。



フィーバーウォーズI(SANKYO、1994年9月登場)


★賞球…7&15
★大当り確率…1/205
(同時登場の「Fネプチューン」と確率は同じ)
★ワープルート搭載
(ワープ経由のヘソ入賞が非常に多く、命釘のみならず、ワープ周辺釘やネカセも重要)
★デジタル停止順&rArr;左&rArr;右&rArr;中
★大当り図柄…計15種類
(数字の「0~9」と、宇宙絡みの図柄5つ(惑星、宇宙船、戦闘機など))
★最高16ラウンド継続
★アタッカーは10カウント、出玉は約2400個
(9カウントのFネプチューンより、出玉は多い)
★意図的な連チャン性…なし
(但し、個人的には数珠連の経験多し。高確率故の自力連と思われるが…)
★Fネプチューンに搭載された「LNランプ」は、本機は非搭載
★後継機…本機の「CR版」が存在
「CRフィーバーコマンドSP」(1995年10月登場)

※現金機のFネプチューン(94年9月)とそのCR版「CRFネプチューン」(94年10月)は、登場時期がほぼ同じ。一方、ウォーズのCR版「コマンドSP」は、かなり遅めの「95年秋」にデビュー(両者のタイムラグが約1年)。その為、コマンドSPの方が、CRFネプチューンより認知度は低い。


CRFコマンドSP(SANKYO、1995年10月登場)
大当り確率1/391。1/3で確変+2回ループの、フルスペックタイプ。





(新台発表)

1994年9月6日、東京・港区「新高輪プリンスホテル」の大宴会場「飛天の間」において、SANKYOの新台発表会が盛大に開催された。


(当時の会場の様子)


芸能人の結婚式場としてもお馴染み、飛天の間での「お披露目会」。大手メーカー・三共ならではの超豪華イベントとして注目を集めた。


(会場入口では、綺麗なコンパニオン達がお出迎え)



(SANKYO期待の新台を一目見ようと、多くの業界関係者が集った。宴席よろしく、飲食用の大きな丸テーブルも、多数用意された。)


この発表会においてベールを脱いだ最新台は、以下の7機種であった。

・フィーバーネプチューン(現金機、デジパチ、ドラム)
・フィーバーウォーズI(現金機、デジパチ、ブラウン管)
・フィーバーキャッスル(現金機、デジパチ、ドラム)
・CRF・ワールドI(CRデジパチ、ブラウン管)
・ゾンブレロ(現金機、ハネモノ)
・力士I(現金機、ハネモノ)
・CR力士I(CRハネモノ)

中でも、デジパチ2機種(Fネプチューン、FウォーズI)、及びハネモノ1機種(ゾンブレロ)には、最新型の「台枠」が初採用された。そう、新枠「NASUKA」(ナスカ枠)である。
(他の4機種は、従来の「ステラ枠」を使用)


(NASUKA枠)

それまで「角型」が当たり前だった台枠の既成概念を打ち破り、斬新な「円形」枠を採用。
カラフルかつ奇抜なデザイン(潜水艦チックな雰囲気も漂った)は、パチンコの「次世代感」「近未来感」を、打ち手に印象付けた。
また、上部左右スピーカーから流れる音声多重・ステレオサウンドも、臨場感タップリ。
ナスカ枠は、2年以上の長い構想期間を経て開発され、多大な予算が投入されたといわれる。新枠開発に対するSANKYOの強い意気込みが感じられる。
(関係ないが、下皿の玉抜き穴に小銭が入り込み、取れなくなる「ハプニング」も多発したw)


今回紹介する「フィーバーウォーズI」は、この新台発表会で「フィーバーネプチューン」と共に脚光を浴びた、当時話題のデジパチである。



会場の特設シマにて、フィーバーウォーズIの試打を行う女性(1994年9月)



(デジタル)







6インチ・ブラウン管(CRTモニター)※を使った美麗なデジタル画面は、宇宙船(戦闘機)のコックピットから見た視点が特徴。宇宙戦闘を疑似体験する「バーチャルゲーム」感覚で楽しめた。

画面の上半分が宇宙空間、下半分がデジタルとなっていた。上部中央には「照準器」もあって、デジタル回転中は次々と敵が接近、ゲームに負けない迫力があった。

※業界初のCRTモニター採用機は、同年登場の先行機「フィーバーファイターI」(SANKYO)。これに続くCRT第2弾が本機。なお、同時発表された「CRFワールドI」もCRT搭載の為、こちらもやはり「第2弾」。


また、本機では保留4つ目が点灯した瞬間に、「ババーン」という耳に残る派手な効果音が、一瞬鳴るようになっていた。これは、「保留満タン」を打ち手に知らせる「お知らせ機能」で、無駄玉を減らす為のメーカーの「気遣い」といえる。シマを観察中、お知らせ音が頻繁に鳴る台は、保留満タンになり易く、甘釘でワープ入賞率も高い、と予測できた。



(リーチアクション)

左&rArr;右テンパイでリーチ。本機には(1)ノーマルリーチ、(2)ノイズリーチ、(3)ハイパーリーチと、3つのアクションがあった。


★ノーマルリーチ
左右テンパイ後、中デジが速度を落として、上&rArr;下にスクロール(テンパイ直前、画面がフラッシュしてリーチを予告)。
通常、図柄の背景は「緑」だが、リーチ時は「ピンク」に切り替わる。
リーチ中、画面奥から「SP」の文字が、手前に繰り返し迫ってくる。
本機は、ノーマルリーチでも頻繁に当る。ノーマル大当りのパターンは、次の4通り。

・大当り図柄でダイレクトに停止(再始動せず)
・+1コマでいったん停止後、1コマ戻って当る(再始動1)
・-1コマでいったん停止後、1コマ進んで当る(再始動2)
・+1コマでいったん停止後、14コマ(約一周)進んで当る(再始動3)

※再始動(1~3)は大当たり確定



★ノイズリーチ

ノーマルから発展。いったんハズレ停止後、中デジが砂嵐のようなジグザグ画面(画像参照)に切り替わり、シャッター開閉動作を繰り返す。開閉のたびに、中デジも1コマ進む(コマ送り)。
ノイズリーチの大当りは、普通に大当りで停止する「通常パターン」と、大当り図柄出現後にシャッターが閉まって「ハズレ」と思わせて、再びシャッターが開くと大当り図柄が現れる、「フェイントパターン」の計2通りがあった。


★ハイパーリーチ

デジタル回転中、突如けたたましいアラーム音が鳴り響き、画面上部がオレンジに点滅を開始。全デジタルが高速回転した状態で、約20秒間ほど回り続けて、最後は一斉停止。
インパクト的に最も強いリーチで、かなり期待を持たせたが、不調時はハズレまくってガックリ。個人的にも、「ハイパーハズレがハマリの前兆」などと勝手に思い込んでいた(オカルト)。
回せども回せども、ハイパーリーチがサッパリ来ない時も、ハマリが深くなりそうで怖かった。
(オカルト)



★各リーチの振り分け率(解析値)

大当り抽選に当選した場合、必ずリーチ抽選に当選する。
この時は、ノーマル=30%、ノイズ=35%、ハイパー=35%と、ほぼ均等に振り分けられる。
ノーマルの選択率も、かなり高めである。

一方、大当り抽選にハズれると、ハズレ専用の「リーチカウンター」を使い、リーチ抽選とアクションの振り分けが行われる。
このリーチカウンターは「0~134」(135コマ)で、「0~9」(10コマ)ならハズレリーチが発生。よって、ハズレリーチ出現率は1/13.5。
この時は、これまた専用の「ハズレ出目カウンター」で決定した中デジタルの出目と、左右デジタルの出目の関係によって、各リーチの振り分け率が異なる。

(a)中出目が、左右出目に対して「-1コマ~+5コマ」の場合(比較的惜しいリーチ)
ノーマル=80% ノイズ=10% ハイパー=10%

(b)(a)以外の場合(惜しくないリーチ)
ノーマル=100%(ノイズとハイパーは選択されない)


なお、ノーマルリーチの大当りパターンは計4つだが、選択率は次の通り。

・そのまま停止…50%(1/2)
・二段階(1コマ戻る)…約16.67%(1/6)
・二段階(1コマ進む)…約16.67%(1/6)
・二段階(1周進む)…約16.67%(1/6)


また、ノイズリーチの大当りパターンは「通常」と「フェイント」の2通りだが、選択率は通常=57%、フェイント=43%で、やや「通常」パターンの方が出易くなっていた。

なお、上記解析値に照らせば、ノイズリーチとハイパーリーチの出現率と信頼度が、全く同じ事も判る。「ハイパーの方が当り易い」などと感じたとすれば、単なる確率の偏りによるものだ。




(内部抽選方式、連チャン性、実戦の思い出など)

本機は「一発抽選方式」を採用。大当り抽選カウンターは「0~204」の計205コマで、大当り値は「7」のみ。よって、大当り確率は1/205となる。

また、大当り中や大当り後の「乱数上書き」等の現象は見られず、意図的な連チャン性がない「ノーマルデジパチ」ということも、解析結果より判明している。

’94年当時は、現金機の「連チャン規制」真っ只中で、香ばしい保留連や数珠連を搭載した新機種を出すのが、かなり困難な状況にあった。
そこで、本機の様に、ビジュアル面など連チャン以外の面で工夫を凝らした機種が、数多くデビューした訳だ。
また、「疑似連チャン機」といわれる確変デジパチ(小デジタル)も重宝されて、その流れが初の時短機といわれる「エキサイトレディ2」(ニューギン)の登場につながった。



さて、本機は個人的に多くの店で打つ機会があったが、もっとも頻繁に通ったのが、当時の地元近くの私鉄O線・Y駅前にあった「J」(現存)というホール。

本機とF・ネプチューンがちょうど1シマづつ、背中合わせに6台づつ並んでいた。

「当時はネプチューンがメジャーで、本機はマイナーだった」との意見も散見するが、少なくとも、都内・神奈川の活動範囲では、本機の設置率は比較的高かった(当然、地域差もあろうが)。

ちなみに、当時J店は「LN制」だったが、日曜・祝日を除く朝9時半の開店~午前11時の間は、図柄に関係なく「無制限札」を貰えるサービスをやっていた。勝負前日、閉店前に釘をあらかたチェックして、当日は朝から気合を入れて入口前に並んでいた、あの頃が懐かしい…。
(スロはニューパルやダイバーズXX、赤パネルのスープラなどあったが、モーニングはなし)。


「ノーマル」とはいいつつも、個人的には50回転以内にポンポン調子良く当てて、いかにも「数珠連モード」的な展開も多かった。短時間で3,4箱積み上がる事も、しばしばあった。

まぁ、それも「1/205」という甘い確率がなせる業かも知れないが、逆に、1万、2万と追ってもサッパリ当らない展開もあり、「この台、地獄モードじゃないの?」と思う事も…。まぁ、確率のバラつきといってしまえば、それ迄だが。


また、本機には、保留点灯後にチャッカー入賞があると、デジタル回転時間が短縮される「連続回転中の時短機能」が備わっていた(保ゼロでチャッカー入賞しても、時短は効かない)。
すなわち、「回りの良い台ほど、デジタル回転効率が上がる」訳だ。当然、甘釘台では大当り間隔も短めに感じられた。ひょっとすると、これが数珠連ぽく感じた「遠因」かもしれない。

そうそう、本機の場合、今までブン回りだったのが急に回らなくなる事があって、それを契機に、大当りも一気に遠のく(深くハマる)印象も残る。いかにもオカルト然としているが、こうした体に染みついた感触というのは、あながちバカにできない(開き直り)。

それと、「回る、回らない」の話でいえば、通常打ちでサッパリ回らなかった台が、開き直って右打ちしてみると、アホみたいにブン回ることがあった(オカルトではない)。ちょっとした工夫で、こうした「意外なお宝台」に遭遇する事もあったから面白い。




(地上波メディアでの露出)

・パチンコNOW(テレビ神奈川で土曜深夜に放映) 1994年11月放映分。新台紹介コーナー「マル特パチンコ講座」にて本機が紹介。司会は渡辺正行(メイン)と斉藤絵里(サブ)。解説は守屋彰二(守ピー)。ゲストはセクシーメイツ※(斉藤りさ、染谷まさ美、星野かおり)。
※テレビ東京・深夜番組『ギルガメッシュないと』などに出演した、セクシー系の女性ユニット。


・DAISUKI(日本テレビ系で土曜深夜に放映) 1995年1月14日放映分。番組恒例の「パチンコ対決」第1回戦で、本機が対戦台に(所持金3000円、20分対決)。レギュラーは中山秀征、松本明子、飯島直子。ゲストはバカルディ(後の「さまぁ~ず」、大竹一樹と三村勝和)と益子直美。Fウォーズ対決で大当りしたのは、益子と中山の2人(共に1回づつ。益子はノイズリーチ、中山はハイパーリーチから大当り)。2回戦は「CR黄門ちゃま2」、3回戦は「フルーツマシン2A」。ロケ地は東京・八王子の「SAP日野」。


※参考…90年代「パチンコNOW」のMC変遷

91年10月(番組開始)~95年9月 渡辺正行・斉藤絵里  講師:守屋彰二(98年3月まで)
95年10月~97年3月 渡辺正行・中條かな子
97年4月~98年3月(番組終了) 渡辺正行・菊池万理江

(引き続き「パチンコNOW2」にリニューアル)
98年4月(番組開始)~2002年6月 小林千絵(新MC)、守屋彰二(講師&rArr;MCに昇格)

その後も「パチンコNOWTV」などに名称を変更、MCもリニューアルして番組は継続。しかし、当時はパチへの情熱がかなり失せていて(ほぼ、スロ一辺倒)、詳細は不明。
ただ、かつてMCを務めた村上恵梨さんが、2007年に病気で亡くなったというニュースは、ハッキリと覚えている。謹んで、ご冥福をお祈りします。

これは変だ・・・

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’90年代の芸能情報をあれこれと検証中、TVワイドショーでお馴染みの有名芸能レポーター・福岡 翼(ふくおか つばさ)さんの事が気になってググッたところ、こんな検索結果が画面右に出てきてビックリ。










なぜ、「柘植(つげ)の飛猿」が…?


言うまでも無く、コチラの写真は、俳優の「野村将希」さんである(水戸黄門の「飛猿」役が有名)。


ひょっとして、野村さんが「福岡」県の生まれなので、間違ってコチラを載せてしまったとか?




因みに、コチラが芸能レポーター福岡翼さんの正しい画像。ドラマ「水戸黄門」とは、さほど関係もない筈だが…。


うーん、一体どういう経緯で、福岡さんの画像を、野村さんと取り違えてしまったのか。


もちろん、「芸能レポーター」と「俳優」といえば、切っても切れない間柄にある。

だが、それだけの理由で、グーグルやウィキが顔写真を間違えるとは思えない。



ただ、よくよく考えてみると、福岡さんと野村さんには、ある1つの「共通点」があった。


それは、お二方共に、1987年(昭和62年)公開の東宝映画「刑事物語5・やまびこの詩」(主演・武田鉄矢)に出演されていた、ということだ。

(C)東宝

ご存知、武田鉄矢の代表映画作品、「刑事物語」シリーズ。カンフーのアクションスターよろしく、武田さんがハンガーをヌンチャク代わりに、敵をバッタバッタとなぎ倒す格闘シーンは有名だ。
この第5作では、女優の賀来千香子と鈴木保奈美が美人姉妹役で出演。2人のレオタード姿も話題になった(画像を参照)。

この作品で、野村さんは資産家の養子・大神和人役として出演。水戸黄門での正義感溢れる「飛猿」とはうって変わって、親の遺産に異常な執着を見せる、腹黒いヒール役を演じた。ラストは、武田扮する片山刑事と、激しい対決を繰り広げる。このとき、武田さんはいつものハンガーではなく、テニスの「ラケット」をヌンチャク代わりに、見事に敵を撃退。

一方の福岡さんも、本職の「芸能レポーター」役で、チョイ役だが「特別出演」しているのだ。

もしかすると、画像の取り違えは、この辺りの事情が絡んでいるのかも…(未確認)。


因みに、「刑事物語」というと、私はシリーズ第3作「刑事物語3・潮騒の詩」(1984年公開)が、とりわけ印象深い。ヒロインは、当時「東宝シンデレラ」だった沢口靖子(女子高生役)。
(この時、武田さんはハンガーとフラフープを武器にしていた)

とはいっても、封切り時に映画館まで出向いた訳ではなく、TVの映画番組で見たクチだが。

実は、第3作の冒頭で、片山刑事(武田)が地方のホールでパチに興じる場面が出てくる。

映り込んでいる台は、平和のハネモノ「タイガーIII」(ゼロタイガーの後継機)と、同じ平和のデジパチ「ラッキーブラボーB」など。いずれも、昭和の「名機」である。

(以下、パチンコシーン)

ハネモノでやられてしまった武田さん(片山刑事)、そのまま帰るのが悔しくて、シマ通路でわざと財布(小銭入)を足下に落とす。それをしゃがんで拾うフリをして、床に落ちていた数発の玉を、急いで拾い集める。なにか、他人事とは思えないホールでの行動に、思わずニヤけてしまう。

拾った玉を隣のデジパチのシマに持っていくと、「これぞ!」と選んだ一台の上皿へ放り込む。ハンドルを握って打ち始めると、その拾った数発であっさり大当りがかかる。まさかの逆転劇。周りの羨ましげな反応に、「どうだ!」と言わんばかりの表情で、ニヤニヤしながらラッキーブラボーでザンザカと玉を出す武田さん。

両手に景品を山ほど抱えて店を出ると、大衆演劇やサンタの格好をしたチンドン屋が、「チャンチキ・テンツク」とパフォーマンスの真っ只中。すれ違いざま、彼らとぶつかってしまった武田さん、紙袋に入った缶詰や果物をドバっと道路にぶちまける。女形のチンドン屋に「バカッタレ!」とドスの効いた声で怒鳴られると、思わず恐縮しながら、転がる景品を慌てて追いかける…。

パチ屋の撮影シーンはたったこれだけだが、今や立派な「歴史資料」としての価値があろう。


なお、ロケ地ホールは、本作でメインロケが行われた長崎県・五島(福江島)にあった「一二三(ヒフミ)会館」というレトロなパチ屋だ(現在は、営業していない模様)。


そういえば、今思い出したが、武田鉄矢主演の映画とパチンコといえば、90年代にはサミーの「CR織部金次郎」ってのも出ていた(ゴルフの奴ね)。あの台には一時期、妙にハマった(向ヶ丘遊園・南口の「バンバン」で)。ちょうど、ノンリミッター機が出始めの頃だったな(1999年登場)。


一枚の画像ミスの指摘から、ここまで話が脱線してしまったが…果たして「需要」あるのか?

マッドボーイSP(三共、ハネモノ)

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1991年(平成3年)に三共から登場した新要件ハネモノ「マッドボーイSP」



★賞球…7&15
★最大継続ラウンド数…15R
★左右オトシ入賞&rArr;センターの電チュー(2チャッカー)が0.6秒×2回開放
★電チュー入賞&rArr;ハネが0.4秒×2回開放
★1チャッカーは存在せず。ハネは常にセンター入賞で2回開放。
★ラウンド中のハネ開閉回数…最大18回
★役物カウント…10カウント
★大当り中は、役物内のビーカーに最大5個貯留
★貯留解除タイミング…役物センサーが10個目を感知した瞬間、又はハネ18回開閉後
★ダブルあり(1~14ラウンドのどこでも発生&rArr;後述)
★当時の実戦店…新宿・歌舞伎町、旧コマ劇向い「オデヲン」(閉店)


在りし日の新宿「オデヲン」。’91年夏には、本機や「ニューモンロー」(西陣)、「ニュートキオ」(平和)、「サンフラワーE」(ニューギン)といった15R継続の新要件ハネモノと、「パチンコ大賞13」(西陣)、「うちのポチI」(三共)、「ビッグベンII」(平和)などの旧要件機(8R継続)が、仲良く「同居」していた。
(当時は2.5円交換、ハネモノ3000発定量)
オデヲンは2003年に閉店。跡地は2004年、「オリエンタルパサージュ新宿」に変わるも、2013年クローズ。現在は「マルハン新宿歌舞伎町店」が営業。彼処のシンボルだったコマ劇も消え去り、当時とは趣が全く異なる。

★同時発表された兄弟機…「マッドボーイGP」(三共、1991年)


本機と同一役物を使用した「マッドボーイGP」。やはり賞球は7&15で15R継続タイプだが、左右のオトシが1チャッカー、センターが2チャッカーとなっており、電チュー非搭載。
初期・新要件機の目玉機能の一つが、「電動チューリップ(電動役物)」だった為、ハネモノにおいても、電チューの有無で差をつけた類似スペックの兄弟機が、幾つも出ていた。


(本機のモチーフ)

パチンコで機種名に「マッド」(MAD)という言葉が入ったものは、非常に珍しかった(初モノだったかも…)。まぁ、言葉本来の意味を考えれば、それも当然と言えよう。

因みに、スロでは4号機の「マッドドクター」(大都技研、1999年)が有名。あれは、東銀座の「ピーアーク」で、一時期異様に打ち込んだ事があるな…(懐)。

また、機種名ではないが、レトロマニアにはお馴染みの「マッパチ」(アニかつ氏&ガル憎氏)も、正式名称は「ザ・マッド・パチスロ・ブラザーズ」である。


本機の盤面には、クルクルメガネの怪しい少年が描かれており、フラスコ片手に「ドッカーン」と爆発させている。見るからに、「化学実験オタク」のアブナイ子供の姿である。

ヤクモノキャラも「黒縁・丸メガネ」で、手前には実験用の大きな「ビーカー」が置いてある。また、Vゾーン両脇にも、不気味な色の液体入りの試験管やフラスコのイラストがある。機種名の「マッド」は、やはり「マッド・サイエンティスト」の意味合いが強い(ハネにも、「SCIENCE」※の英字ロゴがある)。
※「化学実験なら『chemisty』だろう」といった類の、無粋なツッコミは受け付けない(笑)。


本機は初当りがキツかった為、当らなすぎて打ち手の頭が「マッド」状態に陥ったりもしたが…(汗)

また、ヤクモノキャラの少年は、ピンク(水玉)の蝶ネクタイなんぞ付けていて、どこか「良いとこのお坊ちゃん」といった雰囲気を醸し出していた。

通常時や大当り中、このキャラが「からくり人形」のように表情を崩す仕草も、非常に面白かった。

まぁ、こうした奇抜なキャラをメインに据えるのも、かつてのハネモノにおける、一つの「トレンド」だったといえよう。




(ゲーム性)

一言でいってしまえば、「初当りは厳しいが、継続率は良好、出玉もタップリ。但し、ヤクモノのクセ悪台に捕まると、パンク多発でキツい。」という感じだ。
(もともとパンクし易い仕様ではなく、パンク頻発は、あくまで「クセ悪台」の特徴である。)

ハネに拾われた玉は、上段ステージの左右奥から落下後、真下の役物キャラにアプローチする。



通常時、役物キャラの少年(マッドボーイ)は、両掌を真上に向け、両腕を下げた状態で停止している。一方、ハネ開放中は、一定周期で両腕を垂直に上下させる。

この動きが、ちょうど欧米人が両掌を上に肩をすくめて、「オゥ~、判リマセーン!」とオーバーにリアクションするあの格好に、何となく似ていた。少年の大好きな化学実験が、失敗の連続で困り果てた…そんな雰囲気も伝わってきた。


(黒メガネ男・蝶ネクタイ・両掌を上…3拍子揃ったこの画像で、ニュアンスが伝われば幸いである。)



コミカルなメインキャラの手前には、目盛り付きの大きな「ビーカー」がデンと構える。また、ビーカーの上部には、中央に「突起」が付いた透明なストッパーがあって、通常時はビーカーに「フタ」をする格好になる。このストッパーと突起が、通常時も大当り中も、重要な役割を果たす(&rArr;後述)。


(ビーカー上部のストッパーと突起(通常時)

役物に入賞した玉は、上段左から落ちた場合はキャラの左掌に、右から落ちた玉は右掌に乗ってから、両手の間のビーカーに当り、角度を変えて手前に転がる。

このとき、両腕が下がった状態で玉が掌に乗ると、掌とビーカーとの「段差」がある為、ビーカー上部まで玉が届かず、ビーカーの左右側面に当って外側に跳ね返されて、V両脇のハズレ穴に入り易い。
(典型的なハズレパターン)

一方、腕が上昇した時に掌に乗った場合は、段差が消えてビーカー上部まで玉は到達、そのままストッパーの突起に当たり、左右から角度良くナナメ手前に転がって、V入賞の大きなチャンスとなる。

つまり、通常時に「突起」が果たす主な役割は、ビーカー上部に来た玉を、うまくV方向へ弾くことである。

よって、大当りさせるには、キャラの掌に玉がアプローチした時、タイミング良く両腕が上がっているか否かが、非常に重要なポイントとなった。

但し、これは一瞬のタイミングを捉える必要があるので非常に難しく、また、止打ちなどで腕の上昇タイミングを狙う事も出来なかった。

むしろ、この台の場合は、ヤクモノの「クセ」次第で、初当り確率も大きく変わった。ビーカー内のストッパー(突起)が大きく傾斜したクセ悪台では、両腕が上がった状態で玉が掌に乗っても、突起に弾かれた時の反射角が悪くなって、Vから逸れてしまう事が多かったからだ。

基本的に、本機はV入賞率が非常に辛い仕様で、よく鳴き・よく拾う台でも、初当りはかなり遠かった。加えてクセまで悪いとなれば、初当りを掴むのは、まさに至難の業といえた。もちろん、「経年劣化」によるクセの悪化も考える必要があった。

こうした台のクセ(デキ)を把握する為にも、同じ店のシマに通い続け、いわゆる「タテの比較」で判断する事が、特に重要だった。また、たとえ「クセ悪台」でも、そのクセを逆利用して、右の羽根から拾わせるとV入賞率が大きく上がったりした。本機を攻略する上で、役物のクセの把握は「不可欠」な要素だった。


首尾よく大当りになると、ビーカーを塞いでいた上部のストッパー(突起付き)が垂直に降下して、ビーカー内に完全に隠れる。その為、ビーカー内に一定の「空間」ができる為、最大5個の貯留が可能となる。


(ビーカー内貯留時…大当り中、例の「突起」は下がった状態)


ただ、必ず5個満タンに貯留する訳ではなく、3個や4個の時も事もあった(寄りが悪いとそれ以下も…)。また、4個目や5個目の貯留が、後続の玉に「玉突き」されて、ポロッと落下してしまう事もあった。

大当り中は、降下したストッパーの突起が、貯留の安定と継続率アップに一役買っていた。この突起は、ちょうど玉一つ分収まる「収納スペース」になっていて、ビーカーの中央に玉を1個貯留可能だった。即ち、これが大当り中における突起の役割である。

ビーカーに貯留される最初の3個のうち、1個が中心の「収納」に貯留される。残りの2つがその両脇に貯留され、さらに4個目と5個目が積み上がる格好になる。

即ち、ビーカーは3個まで安定して貯留が可能だが、4個目と5個目の貯留は、やや安定感に欠ける。
(うまく玉が積み上がれば、5個貯留が可能)。

さらに、大当り中は、キャラの両腕(掌)が上昇して停止した状態が続く。その為、通常時と比べると、ビーカーへ玉が向い易くなる為、容易にビーカー内に貯留できる。いちおう、一定周期で腕は下がるものの、玉が掌に乗るタイミングでは上昇(停止)しており、特に問題はなかった。


役物センサーが10個目の入賞を感知した瞬間、又はハネが18回目の開閉を終了すると、下降していたビーカー内のストッパーが再び上昇を開始。ストッパーに下から押し出される格好で、貯留は解除となる。

このとき、あたかも実験中のビーカーが爆発して、中の液体(或いは煙)がドバっと溢れ出す…といった感じが出ていた。

貯留解除時は、ストッパー中央の「収納」に収まっていた1個が、下段ステージど真ん中から手前へと転がり、高確率でV入賞するようになっていた。基本的に、貯留さえしっかりしていれば、継続率は良かった(初当りのキツさを、継続と出玉で補っていた)。なお、貯留解除前に、後続の玉がVに入る事も少なくなかった。


ただ、ここで問題なのは、「クセ悪台」の存在であった。

ビーカー内のストッパーは、上昇時やや左下がりに傾いた状態だが、これはデフォなので、継続率にはそれほど影響しなかった。

だが、この傾斜がことさらキツかったりすると、貯留解除で真ん中から手前に直進すべき中心の玉が、斜めに転がってVをアッサリ外してしまう、不運なケースが多発したのだ。

ただでさえV入賞率がキツイのに、V継続まで悪いクセ悪に捕まれば、鳴きや寄りが甘くとも、キツイ勝負になる事は明白であった。よって、通常時も大当り中も、役物の「クセ」が重要だった訳だ。



(連チャン(ダブル))

実は、本機には大当り中の「ダブル」が存在する(兄弟機の「GP」も同様)。

意図的にダブルを狙うのは不可能だが、「貯留解除の瞬間からVゾーン入賞まで」の僅かな間(チャンスタイム)に、センター電チュー(2チャッカー)に入賞があると、V入賞後は再び1ラウンドから始まるようになっていた(新要件初期のハネモノでは、三共以外にも、このテのダブルが発生する機種が幾つもあった)。

なお、ダブルが発生するラウンドは「特定の〇ラウンド」ではなく、1~14Rいずれも可能性があった。

ただ、「0コンマ何秒」という一瞬のチャンスタイム中、始動チャッカーに玉を飛びこませるのは、まさに「偶然の産物」以外の何物でもなかった。特に、本機はセンター電チューに入賞させる必要があった為※、チャンスはいっそう限られていた。
(※電チュー上の三角釘が甘いと、電チュー閉鎖時でも、直接ヘソに飛びこむゲージになっていた)。

つまり、本機のダブルは狙える「攻略」ではなく、ごく時たま訪れる「臨時ボーナス」の類であった。それでも、役物9カウントで止打ちして、ハネ16回開放後に再び打ち出す方法を使うと、チャンスタイムを僅かに長くする事ができた。

なお、上記特性に鑑みると、左右オトシも始動チャッカーの「GP」の方が、ダブル発生の可能性は高かったといえる(無論、釘にもよるが…)。

当時、有名攻略誌「必勝G」での実験では、攻略ルームの超・甘釘台でダブル狙いをした結果、1回の初当りから、驚愕の「159ラウンド」継続に成功。一方、店舗内の実戦では、神田「P店」で29ラウンド、中野「B店」で20ラウンドと、やや効果は限定的なものに終わった。

なお、これは単なる推測だが、神田「P店」は神保町の名店「ポニー」、中野「B店」はJR中野駅北口「ブロードウェイゲームセンター」ではないか、と思われる(未確認)。



(金角・銀角)

コチラは完全に「ギャグ」の類だが、やはり当時の「必勝G」誌の企画で、同誌の攻略ライターだった板谷氏(金角)とイラストレーターの安藤氏(銀角)の二人が、当時の初期・新要件ハネモノを使った「お笑いネタ」を、誌上コーナー(「NEW銀玉共和国」)で披露した事がある。

それは、「架空のハネモノ」を攻略するもので、実機の役物に何らかの「手」を加えた「パロディ機種」が、計3台登場した。その中に、「マッドボーイSP」をパロッたものもあった。

その名も、「金魚好きDX」。なんと、マッドボーイのヤクモノ内部に水が入っており、キャラの目の前で1匹の金魚が泳いでいる。この金魚の行動次第で、V入賞率や継続率が大幅に左右される。こうなっては、ビーカーの突起の僅かなクセなど、屁みたいなものだ。なかには、金魚がVゾーンにハマって「V入賞率0%」の極悪台や、玉を飲み込んでしまう「ジャンボ金魚」が混ざっている事もあるとか…。また、閉店近くになると金魚が弱るので、そこがねらい目とのこと。


因みに、残る2機種は…

「回転太郎SP」(平和「ニュートキオ」のパロディ)…役物内には、タワーではなく「髭面の和服美人」のイラストが描かれた、大きな「お猪口(おちょこ)」がある。通常時、役物に入った玉は絶対Vに入らず、巨大なお猪口の中に、ひたすら吸い込まれる。貯留25個でお猪口は満タンとなり(天井)、26個目が役物に入った瞬間、上から巨大なアームが出現して、玉を掴んでVに導く(V入賞率は99%)。必然的に、他人が多く貯留して途中で止めた後の「ハイエナ」が有効。大当り中も、お猪口に25個貯留をする為、最大20ラウンド継続で、出玉は約7500個にも及ぶ。貯留解除時は、25個の玉が一度にドバっと手前に倒れてくるので、衝撃に耐えられるよう防弾ガラスを使用。店によっては、あらかじめお猪口に25個の玉を入れておく、モーニングもあるそうだ。

「ニューモンローSM」(西陣「ニューモンロー」のパロディ)…役物内のモンローは、通常時から既に全裸で、インド産の荒縄で全身を縛られている。この縄目の向きによって、玉が跳ね返る方向が全く異なる。いかに「いい縄目の台」を探し当てられるかが大事。大当り中は、ラウンドが進むごとに、BGMの音楽に混じってモンローの喘ぎ声が激しくなる。また、このモンローには、論争必死の「アンダーヘア」が描かれている。



いやはや…今見返しても、彼らの飛びぬけたパロディのセンスには、まさに「脱帽」の一言である。

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