以前、「タカラヅカ」絡みの記事を書いた際、かつて星組の娘役トップスターだった白城あやかさんと、タレントの中山秀征さんがご夫婦である事、そして私はこの二人と奇妙な「接点」がある事を、ほんの少しだけ触れた。
(コチラの記事)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/5e32b835a8ff56b635ee11195328e96d
このときは、「接点」の具体的な内容について、「需要があれば、詳しく追記する」としたものの、残念ながら需要は全くなかった(汗)。
ただ、折角の思い出を、このまま封印するのも何だかアレなので、たとえ需要は無くても記事にすることに決めた(笑)。
…という訳で、いきなりだが、話は1998年(平成10年)まで遡る。
この年の暮れ(12月)のある日、私は不運な「交通事故」に巻き込まれた。
確か、土曜の朝だったと思うが、地元のパチ屋に向かう為、住宅街の細い道を原付バイクで走行中、一時停止を無視して直進してきた一台の軽ワゴン(弁当配達)と、出会いがしらに「ドカーン」とぶつかってしまったのだ。
派手に接触して、空中にポーンと放り出された瞬間は、「俺の人生もこれまでかな…」と、一瞬覚悟した。ただ、そのまま道路の側壁に体がぶつかった時、不思議と強い衝撃を受けた感じはしなかった(若干、首に衝撃を受けたが…)。
おそらくは、側壁に体がぶつかった時の体勢が、ちょうど受け身を取る感じになっていて、ショックが和らいだのだろう。また、バイクのスピードがさほど出ていなかった事や、相手の軽ワゴンが坂をゆっくり上がってきたことも、幸いしたと思われる。こちらがフルフェイスのヘルメット着用だったのも、不幸中の幸いであった。
意識も十分はっきりしていて、「このまま死んだふりして倒れていたら、相手の運転手はさぞかし焦るだろうな」などと、冷静に考えていたくらいだ。実際、意識を失ったふりをして、その場に暫く倒れこんでいた(笑)。運転手の中年女性の悲鳴にも似た呼び声が、ヘルメット越しによく聞こえた。
当然のごとく、私は近くの総合病院へ救急搬送されたが、幸いにも軽度の「頸椎捻挫」で済み、治療の為にその病院に通う事となった。
だが、ここの担当医がムカつく野郎で、3回目くらいの診察の時、自分が頸椎の「後遺症」についてあれこれ質問すると、途端に不機嫌になって「そんなこと、まだ分からないでしょう!!」と酷く声を荒らげた。
おそらくは、私が「事故後の賠償金目当て」で、嘘の症状を騙っているとでも思ったのだろう。こちらは、大事な首の状態が不安だから、率直に聞いただけなのに…。
そんな理不尽な応対をした「ヤブ」医者に、心底腹が立つとともに、強い不信感を持った。
そこで、私は翌1999年(平成11年)1月に転院を決意。当時の職場(東京・丸の内)から通えるエリアにあった、築地の「聖路加国際病院」を紹介してもらった。言うまでも無く、かなり名の通った大病院である。
聖路加の整形外科の先生は、例の地元のヤブ医者とは大違いで、いつも低姿勢かつ親身になってくれたので、こちらも安心して治療に専念できた。
(最近は全くお世話になっていないが、今も聖路加病院に対するイメージは、非常に良い。)
その後、病院内にある「リハビリセンター」に、仕事の合間を縫って通う事となった。
当時、仕事が多忙な時期だったので、病院の往復にはタクシーを使う場合がほとんどだった。
(今回は、その「例外」を書くことになるが…)
リハビリ室では、専用の器具を使って首を牽引・固定して、さらに暖かいコルセットを首に巻く、「温熱治療」を毎回30分ほど行った。
このリハビリが実に気持ち良く、日ごろの仕事の疲れやストレスが、一気にすっ飛ぶほどだった。リハビリというよりは、むしろ「リラクゼーション」に感じられた。
また、私を担当した理学療法士の若い女性が、まことに可愛らしい方で、おまけに人柄も大変よろしく、たいそう居心地がよかった(笑)。
リハビリ終了後は、病院の上階にあった小さな喫茶コーナーで、「ざるそば」と「茶めし」のセットを食べてから、会計を済ませて会社に戻るのが、お決まりのパターンだった。
多分、病院内にはもっと大きな食堂もあった筈だが、どこにあるか皆目判らなかったので、たまたま見つけた静かな喫茶コーナーの片隅で、ひっそりと蕎麦を啜っていた。また、時には病院向いの「聖路加タワー」1階にある中華料理店で、ラーメンやチャーハンを食べたりもした。
さて、1999年(平成11年)3月のある日、いつものように会社を抜け出してタクシーで聖路加に向かい、気持ち良いリハビリを受けて、食事をとって会計を済ませて、いよいよ会社へ戻る段になった。
いつもなら、正面玄関から外に出て、ロータリーに停車中のタクシーに乗り込むのだが、この日は首の具合もだいぶ良く、急ぎの仕事も入っていなかったので、「たまには、近くの築地駅から地下鉄に乗って、のんびり戻ろう」と思い、いつもの正面玄関ではなく、反対側の「裏口」から病院の外に出た。
(「聖路加病院の裏口」というと、90年代半ばに起きた「とある出来事」と関連深いが、今回はできるだけ「楽しく」記事を書き進みたいので、「その事」には触れない。ピンと来た方も、どうかご協力願いたい。)
人気(ひとけ)の少ない裏口から外に出て帰ろうとすると、右手のスペースの一角に、何やらガヤガヤと、人だかりができているのが見えた。
「何かあったのかな?」と思って近づくと、マイクや録音機材などを手に持った20名ほどの男女が、一人の男性をグルッと取り囲んでいた。その男性の正面には、撮影用と思しきTVカメラも見えた。
「いったい、何事か?」と思い、人だかりの後ろから覗いて円陣の中心に目を向けると、なんと、いつもテレビで見ているタレント、中山秀征(秀ちゃん)の姿があった。
当時の秀ちゃんといえば、自分にとっては、やはり日テレ・土曜深夜の「DAISUKI」だったな。お気に入りの「パチンコ対決」がオンエアされる頻度が、だんだん少なくなっていた頃だが…。
どうやら、この日の秀ちゃんは、芸能レポーターや雑誌記者から、「囲み取材」を受けているようだった。そういえば、マイクを向けている女性も、名前こそ知らないが、どこか見覚えのある女性芸能レポーターに思えた。
特に規制線などもなく、さらに近づいて背後から様子を覗くと、マイクを向けられた秀ちゃんが、「お蔭様で…」「…元気です」「…嬉しいですね」などと、満面の笑みで答えていた。
(ビシッと髪型が決まった秀ちゃんを間近で見て、あらためて「芸能人ってカッコいいな」と思ったり…)
「あれ、秀ちゃん、何で今この病院にいるんだ?撮影で怪我したのか?」とも思ったが、次の瞬間、私はある事に「ピン」ときた。
「あ、これってもしかして、ついこのあいだ※秀ちゃんと結婚した、元・宝塚スターの白城あやかさんが、この病院でお子さんを出産したんじゃないの?」
※前年(1998年)6月、中山秀征さんと白城あやかさんがご結婚された。
そして、秀ちゃんと女性インタビュアーのやりとりをしばらく聞いていて、それは「確信」に変わった。
そう、私はこの日、リハビリテーションの帰り際、聖路加病院の裏口で、秀ちゃんの「出産報告インタビュー」に、たまたま出くわしたのだ。1999年3月18日、秀ちゃんとあやかさんの間に、お二人にとって初めてのお子さんとなる、ご長男が誕生したのだった。
そんな記念すべき日に、偶然にも、私は彼らと同じ「空間」で、幾ばくかの時を過ごした事になる。そう思うと、「赤の他人」とはいっても、妙に感慨深いものがあった。
おそらくその日、旦那さんである秀ちゃんは、奥様のあやかさんに病室でずっと付き添っていて、無事に出産したのを見届けた後、病院の裏口で囲み取材に応じたのだろう。
そこへ、同じ聖路加病院の裏口から出てきた私が、たまたま通りかかったという訳だ。
リハビリの日程、病院内で過ごした時間、そして、いつもと違う「裏口」を使ったことなど…多くの「偶然」が重なった結果といえよう。まさに、「不思議な巡り合わせ」という他はない。
まぁ、私の方は事故後の「リハビリ」で、かたや秀ちゃんは、幸せいっぱいの「出産報告」である。その日の状況には、まさに天と地ほどの開きがあったが…(笑)。貴重な場面に出くわした事に少し高揚しながら、日比谷線の築地駅まで歩いたことが懐かしい。
(16年前、治療とリハビリで使っていた、聖路加国際病院の診察券。たまたま手元に残っていた。)
※「St Luke’s」は、「聖路加」の英語名称。
まぁ、よくよく考えてみれば、当の秀ちゃんは、一般人である私の存在に気付くはずもなく、奥さんも病室にいらっしゃった訳だから、この話は彼らとの「接点」というより、単なる「一方的な思い出話」に過ぎない。それでも、こういった場面に立ち会った事の偶然性を思うにつけ、何か特別な親近感が湧いてくるのだ。私にとっては、これでも立派な「接点」である。
そんな訳で、今回は、90年代末の「記憶の小さな引き出し」を、久方ぶりに開けてみた。
おそらく、今回もあまり「需要」はないと思うが…個人的には満足のいく記事が書けたと思う。
中山秀征と遭遇@聖路加国際病院(1999年3月)
カジノGP(SANKYO、ハネモノ)
~忘れ去られた不遇台を振り返るコーナー~
1993年(平成5年)にSANKYOから登場した新要件ハネモノ「カジノGP」
(盤面)かなり不鮮明な画像で申し訳ない…
(センター役物)正面からの視点
(センター役物)上からの視点
兄弟機の「カジノII」も含めると、当時はそれなりに導入店も見かけたが…いつの間にか撤去となり、次第に記憶からも遠のいた。今や、本機を懐かしむブログ・HPの類は、ほぼ皆無である。
個人的な当時の印象では、大量出玉の代わりに初当りはキツく、しかも辛めの釘調整が施されがちでとっつきにくかった。「一撃1900発」という爆発力ゆえに、警戒するホールも多かったのだろう。
因みに、同時期に設置されていた主な新要件ハネモノには、「たぬ吉くん2」(京楽)、「ファイター&スーパーファイター」(京楽)、「フライングカーペットII」(SANKYO)、「オールドファッションGP&SP」(SANKYO)、「ジャズメンI&II」(SANKYO)、「ドラキュラ城&8」(ニューギン)、「湘南物語&2」(ニューギン)、「ジンジンルーレット&2&8」(ニューギン)、「ダービーキング」(西陣)、「キングスライオン」(西陣)、「パックンザウルス」(西陣)、「じゃじゃ馬キック」(西陣)、「ニュービッグシューター」(平和)、「鮭取伝説」(平和)、「お笑い道場」(マルホン)、「ザ・名古屋&2」(大一)、「ゴリコップ」(大一)、「ビックリハウス2」(奥村)、「ピョンピョン丸2」(奥村)、「エア・メール」(奥村)、「ニューファンシー」(三洋)、「福丸I&II」(三洋)などがある。
(こうして機種名をズラッと並べると、当時のホール状況も、思い出し易いのではないか。)
ご覧のように、この時期は非常に多くのハネモノが出ており、記憶に「刺さる」機種も多い(デジタル連チャン機、役物がコミカルなもの、旧要件のリメイク版など…)。その狭間で、本機の印象がやや薄まってしまった感は否めない。
★カジノのルーレットがモチーフ
★賞球…7&15
★ハネ開閉時間…オトシ=0.4秒 ヘソ=1回目0.6秒、2回目0.4秒(1回目の方が長い)
★最高15ラウンド継続
★大当り時の貯留…1個
★貯留解除…役物9カウント時
★平均出玉…約1500個(最大1900個)
★当時の実戦店…井の頭線・渋谷駅ガード下「タイガー」(閉店)、向ヶ丘遊園駅南口「ぱちんこ遊園」
在りし日の「タイガー」…当時、井の頭ガード付近にはパチ・スロ併設店が多かったが(ウチダ、柳小路、大番、日拓など)、タイガーはパチンコのみズラリと設置。しかも、三共の台ばかり並んでいるという、一風変わったホールだった。その後、ガード周辺の再開発に伴い、西口手前の半地下に「平行移動」して存続するも、そのまま完全クローズに至る。
なお、私にとって「タイガー」というと、この渋谷の店と、都電荒川線・大塚駅前近くの「大塚タイガー」(閉店)、それに四谷三丁目の「四谷タイガー」(現存)の三店舗が、よく通ったので印象深い(川崎駅にも「タイガーセブン」があったが、あまり通った店ではない)。当時、大塚と四ッ谷の店は「等価交換」だったが、渋谷タイガーは2.5円交換だった。まぁ、今さらどうでもいい話だが。
一方の「ぱちんこ遊園」(南口・中和ビル内。階段を上って2Fの左奥)の方は、かのスエイ編集長の言を借りれば、「家庭菜園」のように様々な機種を1,2台づつ、バラエティコーナーよろしく設置した店だ。チューリップ台(平台)の設置も多く、小銭元手に小箱(800個)1つ勝てれば満足だった事を思い出す。
スロは北電子フリーク垂涎のラインナップで、当時はスーパーコップとアポロンの3号機コンビ(共にノーマル)を設置。かつては、2号機のガリバーIIにガリバースペシャル、さらに1.5号機のニューキャスターIIなんかも置いてあった。
★兄弟機…カジノII
(同時発表の「カジノII」。賞球オール10。継続は15R※。役物の動きが本機とやや異なる為、初Vは本機より甘め。平均出玉は約1000個。コチラは、小田急線・町田駅前の「エース」(閉店)にあったな。)
※一部サイトでは、カジノGP(本機)とカジノIIは「継続ラウンド数」が異なる、との説明がある。ただ、私の記憶では、両者の主な違いは「盤面、賞球、役物の動き、平均出玉」であって、「継続R」は共に15ラウンドで共通だったと思うが…(当時の資料を複数検証しても、やはりそう記してある)。真相は、実機を所持する方の「再検証」に委ねたい。
なお、「平均継続ラウンド数」で見れば、カジノIIの方がやや多い事は確かだ。
先述したように、本機のセンター役物は、「カジノのルーレット」を模したものだ。
なお、盤面を見ても、天下には大きなルーレットのイラストがあるし、1チャッカーはバニーガール、2チャッカーはルーレットが描かれている。
数字が書かれた役物ルーレット盤の中心には、「ホイールヘッド」(「ターレット」)と呼ばれる、ドーム型の大きな中心軸があり、玉1個通過可能なアーチ状のトンネルが開いている。(ホイールヘッドの上部には、蛇口のような取っ手も付いていた。
(ホイールヘッド(ターレット))
この金色で派手なホイールヘッドとトンネルこそが、本機のゲーム性の大きな「肝」であった。
また、役物奥では、とぼけた表情のディーラー(オヤジ)が、赤いタキシードに身を包み、役物上部から来た玉を待ち構える。大当り中は、このオヤジが貯留に一役買っている(後述)。
ハネに拾われた玉は、上段奥中央の「GO」部分から、下段に鎮座するディーラーの両腕(白いプラスチックでできた、水平な左右アーム)付近に落下した後、手前のホイールヘッド方向に転がる。
金色にピカピカ輝くホイールヘッドは、通常時、トンネルを正面に向けて停止している。
その為、役物に入賞した玉は、このトンネルをくぐって、容易に手前中央のVゾーンへ入りそうに思える。
しかし、実際は、V入賞させるのが非常に困難になっていた。
なぜなら、ハネ開放時(正確には始動チャッカー入賞の瞬間)、ホイールヘッドが反時計方向にクルクルと回転を始めるからだ。
当然、トンネルがタイミングよく正面に来た時でないと、玉はトンネルを通過しない。そのタイミングは極めてシビアである。
役物中央で回転するトンネルに玉を通す…新要件機において、このテのゲーム性でピンと来るのは、やはり平和の「ニュートキオ」と「ニューヨーカー」だろう。本機も、センターのトンネルを通過しなければ、V入賞の可能性はゼロである。しかも、ニュートキオやニューヨーカーとは違って、穴が正面を向いて一時停止することがなかった。
その為、ディーラーのいる役物奥から手前へと転がって来た玉は、大半が回転するホイールヘッドに阻まれて左右へ弾かれ、V両脇のハズレ穴に流れてしまう。
一方、タイミングよくトンネルをくぐった玉は、そのまま一直線に手前Vゾーンに向かいやすい。これが、大当りの王道パターンである。
但し、ホイールヘッドには「遠心力」が働いているので、たとえトンネルをくぐった場合でも、トンネル入賞のタイミングが悪かったりすると、あっさりVを逸れてしまう事もあった。トンネル入賞から穴を抜けてVゾーンに収まるには、非常にシビアなタイミングが要求された。
また、始動チャッカーとの関係でいえば、1チャッカー入賞時(オトシ)よりも、2チャッカー(ヘソ)入賞時の方が、トンネルの周期と役物内の玉の動きが同調し易く、V獲得の可能性が高かった。
特に、ヘソ入賞時は、1回目のハネ開放時の方が、2回目よりも開放時間が長くなっていた(1回目=0.6秒、2回目=0.4秒)。その為、最初のハネ開放時には、複数個の玉を拾う事も多く、その分、トンネルをくぐる確率もアップしたのだ。
こうしたことから、2チャッカーの甘い台は、ある意味「お宝台」であった。
一方、オトシ入賞時は、V獲得の可能性はかなり低いが、ポンポンと立て続けにオトシに入ったりすると、時間差でハネが2回開き、普段は同調しにくいトンネルと役物の玉の動きが、ピッタリ合ったりした。
とはいえ、上記はいずれも「ヘソやオトシの調整が甘いこと」が大前提だった。しかし、本機を設置するホールでは、大量出玉を警戒して釘を絞りがちだった為、上記パターンで初当りを掴むのも、決して容易ではなかった。一向にVを掴めぬまま、財布が先にパンクする事もあった。
なお、チャッカー入賞の瞬間、打ち出しをいったん停止して、タイミングをずらして打ち出しを再開すると、ハネに拾われやすいという「小技」も存在した。
首尾よく大当りすると、役物奥のディーラーの両腕の間に、玉を1個貯留するようになる。本機の構造上、貯留はさほど難しくなかった。
また、大当り中は厄介なホイールヘッドが回転せず、トンネルを正面に向けたまま停止。
その後、役物9カウントで貯留解除となるが、ディーラーの腕にしっかり貯留されていれば、解除された貯留玉は、そのまま手前のトンネルを真っ直ぐくぐり抜けて、高確率でV継続となる(パンクはショック大なので、クセ悪台を掴むとアウト)。
なお、貯留解除時に玉突きなどで不測のパンクが発生するのを防ぐ為、役物8カウントで単発打ちに切り替えて、9個目がハネに拾われたら即・止打ちするのも有効だった。
初当りがかなりキツイ分、完走率は非常に高く(完走時の出玉は約1900個)、平均出玉も約1500個程度と多めだった。釘さえまともなら、かなり期待できるスペックだったが…。調子に乗って打ち続けると、せっかく出た玉を、ソックリお返しする羽目になる事も。たとえチョイ勝ちでも、引くべき時は引く…こういった勇気も時には必要だった事を思い出す。
TVチャンピオン「第2回・全国パチンコ王選手権」(1992年)データ
TVチャンピオン「第2回・全国パチンコ王選手権」データ
1992年(平成4年)12月10日(木)19:30~ テレビ東京系にてOA
MC:田中義剛、東ちづる、松本明子
(第1回大会)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/0b49fb2e9b0677665a522e95dc8df1db
(第4回大会)⇒管理人Mも予選に出場、あえなく敗退。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/2b7daf2ae1474c582c45da09fdb14084
(予選)
・開催日…1992年10月31日(土)
・会場…JR蒲田駅西口「グランプリ」(閉店) ※跡地は現在「ゲーム・アドアーズ」(ジョナサン下)
(C)Google
(「グランプリ」跡地…東京都大田区西蒲田)
・出場者…往復ハガキで番組に出場応募した一般視聴者中、抽選で選ばれた82名(現地集合)
・ルール…持ち玉1000個、制限時間1時間。出玉多い上位4名が決勝進出。持ち玉ゼロで終了。
・対戦台…店内設置のパチンコ台(デジパチ、権利物、ハネモノ)なら、全てOK。
・当日の「グランプリ」設置台…FレジェンドI(三共)、FアタックGP(三共)、麻雀物語(平和)、ブラボーキングダム(平和)、花鳥風月(西陣)、王将百番(豊丸)、ジェネシス(ユニバーサル)、来々軒(三洋)、ニュークーデター(西陣)、サーカスIII(三洋)、ニューヨーカー(平和)など
・結果…82名中55名が出玉切れでリタイヤ。最後まで残った27名中、以下の4名が決勝進出。
1位:石井さん(女性、主婦) 8476個(花鳥風月)
2位:金畑さん(女性、OL) 7565個(麻雀物語)
3位:秋山さん(男性、会社員) 6984個(花鳥風月)
4位:鈴木さん(男性、会社員) 6786個(麻雀物語)
(決勝)
・開催日…1992年11月7日(土)
・会場…小田急線・長後駅「ジャパンニューアルファ綾瀬店」(現存)
(C)Google
(ジャパンニューアルファ綾瀬店…神奈川県綾瀬市上土棚下)
・出場者…予選を勝ち上がった4名に、第1回(前回)大会優勝者の木崎さんを加えた計5名
・進行役…乱一世(タレント)
・決勝の概要
★第1ラウンド…釘読み対決(5名中1名が脱落)
⇒シマ設置の計20台の中から、店長の藤田さんが甘く調整した5台を見抜き、台番号をフリップに書く。(盤面は観察するのみ、打ってはダメ)。使用台は、三洋のハネモノ「ジェットスキーII」。前回チャンピオンの木崎さんと予選4位の鈴木さんが、見事に全問正解で通過。秋山さんと金畑さんは4問正解で次ラウンドに進む。一方、予選1位だった主婦の石井さんは、2問正解にとどまり、残念ながら玉を一発も弾くことなく敗退。
「ジェットスキーII」(1992年、三洋)…賞球は「5&11」、最高15ラウンド継続(10カウント)。ジェットスキーに跨ったアクティブな金髪ギャルと、波のようにウネウネと前後動を繰り返す、独特の下段ステージが特徴。通常時、役物に入賞した玉は、波とジェットスキーの動き、そして落下のタイミングにより多彩な動きを見せて、ステージ手前或いは奥に運ばれる(Vゾーンは手前中央。手前両サイドと奥はハズレ穴)。大当り中は、下段ステージの波が動きを止めて(ジェットスキーは作動)、ステージ上の波間(ミゾ)に玉を貯留する。波が動き出すと貯留解除となり、ステージ上の貯留玉が手前V方向へ一斉に押し出される。
兄弟機には、賞球7&13の「ジェットスキー」(賞球多めだが、途中8ラウンドのみ非貯留)と、賞球5&11の「ジェットスキー7」(ヘソがミニアタッカー、左右オトシ上部がクルーン)がある。いずれも15R継続で10C。なお、ギンパラの「ウネウネ波型役物」は、このジェットスキーからの流用である。
★第2ラウンド…早当て対決(4名中1名が脱落)
⇒対戦台は、三洋の一発タイプ・2回権利物「ダイナマイト」。権利獲得した人から先に勝ち抜け。最後まで残った1名が脱落。OLの金畑さん、一番の甘釘台を見抜くが、全く打ち方が判らず、店の人にレクチャーしてもらう。しかし、その後すぐに大当りして、見事イチ抜け。鈴木さんも、台を次々と移動した末に大当り。残る二名の対決は、秋山さんにVが来てギリギリで最終R進出を果たす。前回優勝の木崎さん、ここで惜しくも脱落。
「ダイナマイト」(三洋、1992年)…同時期に大ヒットした大一の連チャン1回権利物と同名。但し、コチラはアナログな一発タイプの2回権利物でマイナー機だった。コンビゲージからセンター役物に入賞した玉は、上段クルーンを経て、左右にやや反った傾斜付きの下段ステージに落ちる。下段手前では、「BOMB」と書かれた可動チャッカーが、マジカペよろしく規則的に左右を往復している。下段に来た玉は、ステージ上をユラユラと左右に動いた後、次第に勢いを失ってから手前に転がり、BOMBチャッカーにアプローチする。この時、うまくBOMBチャッカーに入賞すれば、真下の電チューが約9.5秒(or5カウント迄)開放する。電チューが3個以上玉を拾うと、そのうち1個が最下部にある振り分け回転盤のV穴に入って、権利獲得となる。権利中は右打ちで消化(16ラウンド継続)。1回目権利が終了したら通常ストロークに戻して、盤面左下の権利チューリップ入賞⇒電チュー開放→回転盤のV穴入賞で、2度目の権利発生。権利2回で出玉は約4500個。
★最終ラウンド…60分出玉対決(最も出玉の多い者が優勝)
⇒対戦台は、三洋の連チャンデジパチ「ブルーハワイ」(当時は新台。決勝の対戦台はいずれも三洋の機種だった)。因みに、「保4空け・連チャン促進打法」は、この時期まだ大っぴらには広まっていない(92年11月~12月に、必勝Gなど各攻略誌が掲載して、ファンに知れ渡る)。勝負は、鈴木さんが真っ先に大当りを決めるが、残念ながら単発に終わる。その後、金畑さんも大当りするが、やはり単発。残り10分を切った所で、台を移った鈴木さんに2度目の大当りが来る。これが見事に保4トリプルまで伸びて、一気に金畑さんを突き放す。一方、秋山さんは最後まで調子が上がらず、ついに一度も大当りする事なく、無念のリタイヤとなる。結果、予選4位の鈴木さんが、土壇場でヒキの強さを見せて優勝、賞金の50万円と優勝カップ、そして栄えある「第二代パチンコ王」の称号を手に入れた。
ブルーハワイ(1992年、三洋)…言わずと知れた保4連チャン機(液晶デジタル)。通常時は保4を必ず空けておいて、大当り中のチャンスタイム(各ラウンドのVゾーン入賞から2秒以内)に保4を点灯させれば、保4エリアの強制上書きが起こり、保4連チャン率が大幅アップする(大当り乱数への書換率…約40%)。当然、ラウンド間の止打ちも重要。
2001年11月のスロ実戦記
今から14年前、2001年(平成13年)の古い手帳を久々に見返したところ、スロ4号機時代の立ち回りが、かなり断片的ではあるが、アレコレと書き込んであった。
まぁ、「10年ひと昔」という位だから、この程度のチョイ過去でも、今となっては随分と懐かしく感じる。
(平成13年11月のスロ実戦データより)
この時期(平成13年11月)は、丸の内の職場を「一身上の都合」で辞めた後で、貯金と失業保険とスロで食い繋いでいた、個人的に「混迷期」ともいえる頃だった。
(翌2002年に、町田「S」店で出会った沖スロのシオラー30で、安定した勝ちが見込めるようになり、人生唯一の「スロ専業期」を約2年過ごす。)
「大好きなスロで勝って、何とかしたい」と、日々もがいていた当時の「苦悩」が、乱雑な走り書きから、薄っすらと読み取れる(気がする…)。
ただ、直前まで「アフター5はパチ屋に直行。ホールへのタクシー通いも、何のその」という怠惰なスロリーマンだった為、負け当然のユルい立ち回りが、完全に抜け切っていない様子も見られる。
また、様々なホールに出向きたがる、生来の「ハシゴ好き」の性格も、立ち回りの随所に見て取れる。
(町田S店に腰を落ち着けた時期は、ある意味「奇跡」だった)
まぁ、今さら恥ずかしいとは思ったが…メモの内容をザッと書き起こしたので、興味ある方はご覧を。
★2001年(平成13年)11月のスロ実戦録★
⇒メモ帳には、スロマガ添付の「設定判別用カンペ」(ハナビ、SJP、ワードラ、キングジャック、シオサイ30、アレックス、ニューパルR、クランコなど)が、無造作に折り畳んで挟んであった。
何気に、お世話になる事の多かった「判別カンペ」。ビッグ後にクレジットを落す判別の他、ノーリセット機用の「SS(セルフサーチ)判別」も載っていた(この時は「バトルナイト」と「ホロQ」)。
H13.11.12(月) 有楽町「DUO(デュオ)」 ゲッターマウス 317番台(G数表示:520G)
5Kでビッグが食いつき、ハマリもなく順調に出玉を伸ばす。バケも多く高設定期待。だが、後半は異様にバケに偏って、出玉をジワジワ削られる。最後はビッグ間900G(バケ4)ハマってヤメ。873枚(4958P、B18R14)⇒換金14.5K(6枚交換)。その後、ゴルゴ13-2K、グランシエル-1K。
トータル収支=プラス6.5K
H13.11.13(火) 有楽町「DUO」 ゲッターマウス 317番台(朝イチから)
いきなり24Kハマって、初ボーナスはバケ。その後も、ノマレ⇒追加⇒単発を繰り返して、負債を増やす。最後はストレートで822Gハマって終了。マイナス38Kの爆死(何故、ここまで追ったのか…謎)。
そのまま山手線で恵比寿に移動。たまたま見つけた駅前の「パーラーエース」でスーパーリノを物色。カド2のG数表示が「980」で空いており、すかさず着席(ストック切れ?バケでリセットされないランプ?)。あっさり2Kで(1130G。2Kで150G回っているので、小役落ちが異様に良かったと思われる)初ビッグ。これが運良く7連(全てビッグ)まで伸びて、連チャン終了後、即ヤメ。2375枚⇒換金39.5K(6枚交換)。何とか大負けを免れる。
トータル収支=マイナス0.5K
H13.11.15(木) 赤坂見附「エスパス赤坂B館」 スーパーリノ カド3、台番不明(G数表示:708)
1K(730G)でビッグ。これが5連(全てビッグ)。連チャン即ヤメ。1640枚。その後、オアシス-4K、スーパーリノ-4K。最後はカブト1Kビッグ⇒途中ヤメ188枚。レシート2枚で計1828枚⇒換金36.5K(等価)。
トータル収支=プラス26.5K
H13.11.19(月) 赤坂見附「エスパス赤坂A館」 スーパーリノ 626番台(G数表示:580)
3K(680G)でビッグ。これが「BBBRRBB」7連チャン。62G回してヤメ。1879枚⇒換金37.5K(等価)。
その後、赤坂見附「サントロペ」でスーパーリノ-2K、キングパルサー-2K、サイバードラゴン+6K。
トータル収支=プラス36.5K
H13.11.20(火) 新宿歌舞伎町「エスパス1号店」
スーパーリノ 角3、台番不明(G数表示:230G、B6R4※)
1Kビッグも連チャンはバケ1のみ。60Gヤメ。419枚、換金8K(等価)。その後オアシスで+2K。
トータル収支=プラス9K
H13.11.21(水) 目黒「百万弗」
ハナハナ30 設定456札、台番不明(G数表示:649G)
7K(849G)でバケ。ノマレ後5Kでビッグ。29R、87Bと続くが、398単発ノマレ。追加19K(1047G)と大ハマリしてビッグ。連せず…持ちコイン204Gで再びビッグも、50Gでヤメ。425枚、換金8.5K(等価)。
目黒「ガイア」に移動。コンチ4X-3K、ゴルゴ13-1K、バクチョウ-1K、スーパーリノ+2Kと、負債を微妙に増やして終了。
トータル収支=マイナス25.5K
H13.11.22(木) 武蔵溝ノ口「ライジングサン」
エコトーフ-3K。直後、ハナビの970Gハマリ(B19R7)を見つけて、興味本位で少しだけ追ってみる。運良く1Kでビッグ!あれよあれよという間にボーナス回数が伸びる。判別結果は4以下。だが、全くハマらずB34R20まで伸びて(個人データはB15R13)、3319枚獲得⇒換金66K(等価)の快勝。
トータル収支=プラス62K
H13.11.23(金)祝日 新百合ヶ丘「ジアス」
スーパーリノ-1Kの後、オアシス左カド2に座る(G数表示:340)
1Kでビッグ。その後も180B、198R、21B、3B、65Bと、調子良く引く。100ゲーム回してヤメ。1275枚⇒換金25.5K(等価)。
トータル収支⇒22.5K
・H13.11.24(土) 新百合ヶ丘「ジアス」 オアシス プラス11K
・H13.11.25(日) 新百合ヶ丘「ジアス」 オアシス マイナス1K
・H13.11.26(月) 新百合ヶ丘「ジアス」 オアシス プラス8.5K
H13.11.27(火)~11.29(木) 名古屋遠征※ 名駅太閤口近く「ウィングレッド」
初日:移動&下見 2日目:シオサイ30 プラス50K 3日目:シオサイ30 プラス6.5K
2日間でプラス56.5K
※宿泊費15960円(ビジホ2泊)、交通費は行きが4830円(小田原⇒浜松⇒名古屋を鈍行で移動)、帰りの旅費はメモっておらず不明。ただ、必要経費をスロの勝ち額で賄ったのは間違いない。
H13.11.30(金) 赤坂「サントロペ」
キングパルサー カド2(台番不明) G数表示:720
7K(937G)でビッグ。30Rと2連するがノマレ。追加1K(380G)で再びビッグ。20B⇒30Rの3連。そのまま続行、586Gまで引っ張られてビッグ⇒20B⇒3Bの3連。128ヤメ。1055枚の換金20K(5.5枚)
トータル収支⇒プラス12K
⇒⇒実働13日間のトータル収支…プラス224K
改めてデータをチェックすると、この月は随分と「ヒキ」に助けられている感じがする(3K以内で初ボーナスが掛かり過ぎ…初期投資が非常に少ない)。
初っ端からゲッタマをしつこく追って酷い目に遭うが、その後はスーパーリノのハイエナ中心に、そこそこ結果も伴っている。なお、実戦エリアは、丸の内勤務時代に馴染み深かった有楽町や赤坂が中心だが、それ以外にも、都内・神奈川のそこかしこを、「放浪者」の如くウロついている(笑)。月の終わり頃には、思いついたように名古屋へ旅打ちを敢行。ほぼ運任せの台選びで、まさかのシオサイ2連勝を飾る(判別結果は4以下だったが…ここでもヒキに助けられた)。
それから、南武線・武蔵溝ノ口駅南口の「ライジングサン」(The Rising Sun)(改札を出て左手奥にあった店。駅構内の通路から入店できた。2008年クローズ)は、この2000年辺りから、頻繁に足を踏み入れていた事を思い出す。パチはほぼ打たず、ジャグラー、ハナビ辺りをよく追いかけた。
一時期、ここにはパイオニアの「カブト」が並んでいて、ボーナス回数や連チャンの履歴が、ノーマルとは思えぬほど凄い事になっていたが(どう考えても〇モノ)、理不尽なハマリを恐れて※、座るのを極力避けていた(シマも異様な熱気で、空き台も極端に少なかった)。その後、シマがガラガラになってようやく打ってみたが、すでにしてノーマル挙動に変わっていた(それでも十分楽しかったが)。
※裏モノを怖がっている割には、同じ溝の口「M」店で、2か月前の9月には「キングオブジャングル」のバリバリBモノを打ち、しっかり快勝(プラス30K)している。また、同じ「M」店では「赤光の剣」の裏モノ(REGから連チャンするヤツ)も平気な顔して打っていた。あのカブトの挙動には、KOJや赤光とは一味違った「怖さ」を感じたのかもしれない(あの心臓ドッキリ告知にビクついた…という意味ではない)。
なお、「ライジングサン」は、故・田山幸憲プロの「パチプロ日記」においても、「溝の口R店」として幾度か取り上げられた(「青葉台B店」(ビッグスペース青葉台)時代を参照。用賀から青葉台に向かう途中、溝の口駅ホームで一服しつつ急行待ちしている時、偶然R店のビルが目に入った…というくだり等)。
日記によれば、田山さんが以前ネグラにしていた「溝の口B店」(P.S.ビッグトップ)の後身の店が、実はR店(ライジングサン)だった、という事である(但し、店舗の所在地は異なるので、北口にあった「B店」閉店後、同じ経営者が南口に「R店」を立ち上げた、ということになる)。なお、R店の新規開店は1997年暮れ(日記による)。
半年ほど前、田山プロの命日(7月4日)を前に、池袋や桜新町といった「ネグラ」巡りをした事がある。
その際、東急・溝の口駅と南武線・武蔵溝ノ口駅を結ぶ連絡通路(デッキ)で、たまたま懐かしの「ライジングサン」の屋上看板が目に入って、思わずシャッターを切った(撮影日:2014年6月30日)。
この時、すでに閉店から5年半も経っていたが、店が入っていたビルの青い屋上看板だけは、そのまま残っていた(現在もあるかは不明)。因みに、こういった類を、私は「スロ世界遺産」と呼んでいる(笑)。
(参考画像)
(C)Google
武蔵溝ノ口駅・南口ロータリー前にあった「ライジングサン」跡地(2014年3月現在)。ビル屋上の青い看板ロゴも見える。このビルの1F~3Fが店舗になっていて、1Fと3Fがパチ、2Fがスロだった。2Fだか3Fの端っこの通路から、駅構内にそのまま出られる出口もあった。
スーパースターダスト2(オリンピア、4号機)
1999年(平成11年)にオリンピアから登場した4号機「スーパースターダスト2」
1号機の名機「スターダスト」(1.5号機「ニュースターダストII」)の4号機リメイク版。ただ、ゲーム性は大幅に変更されており、名称は引き継いでも「全く別の機械」といえる。それでも、ビッグ図柄の黒い「SUPER」(2号機スーバニでもお馴染み)は初代譲り。一方、初代でレギュラー図柄だった「赤7」は、本機でビッグ図柄に「昇格」した。また、初代や2号機バニーガールで使われていた「星」マーク(バケ)は、「STAR」の英表記へと変わった。
2種類のビッグファンファーレ、小役ゲーム中のワクワクさせるBGM、哀愁漂うJACゲーム音など、サウンド面の秀逸さも際立った。リールのスベリ(これも初代スターダストを意識)や香ばしいリーチ目、LED予告や7セグ告知、リール消灯やブルーフラッシュなど、打ち込むほどにその味を知る、4号機の「名機」の1つであろう(個人的見解)。なお、本機の兄弟機は「フライングモモンガ」(平和)。
★ボーナス確率
★払い出し表
★当時の実戦店
・東銀座(昭和通り)「イーストヴィレッジ銀座店」(閉店)⇐仕事帰りにちょくちょく寄った店
・新宿・西口(大ガード西)「カレイド」(現存)⇐こちらも仕事終りにタクシーで直行したりした(汗)
・新宿・歌舞伎町(靖国通り)「グリンピース・タワー店」(閉店)⇐やはりタクシー直行が多かったな…
・井の頭線・明大前駅「スロットみかさ(?)」⇐店名うろ覚え。「パーラー自由席」並びの小さなスロ屋(だったかな…)。2F・一番左のシマで、ビッグを2,3回かけて全部飲まれたという、一度きりの実戦。
コチラは、1998年~2000年にかけて、仕事終りによく通った東銀座・三原橋交差点(歌舞伎座近く)のパチンコマップ。15年ほど前、三原橋周辺では「モンタナ」「ピーアーク銀座」「ラーガ銀座」「イーストヴィレッジ」と、計4軒のパチ屋が営業していた(少し足を伸ばした新富町には「パチーノヒノ」があった)。
モンタナでは名物の3号機「コンチネンタルIII」にハマり、ピーアークでは大都の「マッドドクター」や「フュージョン」、或いはNETの「ラインズセブン」などに魅了され、ラーガ銀座ではパイオニアの「ローズフラッシュ」のスベリにアツくなっていた(いずれも、勝率はイマイチだったが)。まさに、ここは有楽町と同様、私にとってアフター5の定番プレイスポットだった。
特に、昭和通り沿いの「イーストヴィレッジ」(イーストビレッジ)は、日本テレビの深夜バラエティ「DAISUKI」(中山秀征、松本明子、飯島直子)のパチンコ対決で、しばしばロケが取り行われる名物ホールだったので、DAISUKIファンの自分としては思い入れが深い。工藤静香がCRギンパラのマリンリーチに興奮してマリンちゃんの物マネをしたり、酒井法子がニューギンのベルト機「CRグレード1」でハズレ⇒再始動当りとなって唖然としたり、志村けんがゲストの時に、飯島直子がヒゲダンスのヒゲを眉毛に貼ってゲジゲジにしたのも、全てこの店だった。
ただ、当時の私はパチンコよりもスロを好んで打ったので、下のスロットシマで、スーパースターダスト2、サンダーV、グランシエル、ハナビといった辺りを、仕事帰りにペシペシやっていた。上のパチンコシマでは、大同の現金機「フィーバーねずみ小僧D-JP」などを打った事を、うっすら覚えている。
在りし日の「イーストヴィレッジ銀座」(左側、「EAST VILLAGE」の地味な看板ロゴがお判りだろうか)。新宿界隈とは違って派手なネオンもなく、ビルの狭間でひっそりと営業していた。
そういえば、三原橋界隈のホールは、どこもネオンが地味だったな…(条例?その分、内装に力を入れていた店が多い)。なお、イーストヴィレッジが入っていたビルは、既に取り壊されて存在しない…。
おっと…個人的な思い出話にかまけて、本機の解説をすっかり忘れていた(汗)
★★通常時の狙い方★★
本機の場合、「差枚カウンタ」はあるものの、ビッグ後にカウンタがリセットされない為(業界初のボーナス後ノーリセット機)、小役狙いでもオヤジ打ちでも、コイン持ちにほとんど差が付かない。
特に、メイン小役のベル(10枚役。順押しは取りこぼしなし)は、高確率時よりも低確率時の方が出現し易く、目押しの苦手な初心者に配慮した設計になっていた。
まぁ、これはあくまで「コイン持ち」の話で、ハズシや設定判別は、正確な目押しが不可欠だったが…。
とりあえず、通常時はオヤジ打ち全開で、制御や出目や演出を楽しむスタイルでOKだった。もちろん、チェリー付の赤7やSUPERを上段に狙うとか、枠内にチェリーを狙うのもよし。
(通常時の小役確率)
ご覧のように、低確率時のベル確率が高確率時よりも高い為、低確率滞在中でもコイン持ちはほとんど悪くならない。もちろん、ベルのヒキ次第でガンガン回ったり、20ゲームそこそこしか回らない場合もある。それよりも、本機で高確率⇔低確率の差が意味を持つのは、やはり「設定判別」だろう(後述)。
★★リーチ目★★
本機は、リールの「スベリ」でボーナスを察知しやすい。なぜなら、順押し時においては、各リールとも制御上、4コマスベったら必ず「小役かボーナス」が成立しているからだ。通常と異なる「大スベリ」が発生した場合、小役非成立でボーナスの期待が大きい。
但し、ハズレ時でも制御で3コマまでスベる上に、左と中ではスイカをこぼす事もあり、さらに左でチェリーを嫌う3コマスベリも頻繁に起こるので、ボーナス判別が紛らわしい時もある。
リールの如何を問わず、4コマ滑って小役が外れればボーナスの可能性大(但し、左・中ではスイカの取りこぼしアリ)。つまり、(a)左4コマスベリで中が小役ノーテン、(b)中が4コマスベったが小役ノーテン、(c)左・中が小役ノーテンで右4コマスベリは、いずれもゲキアツ。因みに、「3コマ」スベリと「4コマ」スベリの微妙な違いを見極められる人だと、スベリ判別度100%(笑)。
なお、変則押しだと、ハズレ時(orチェリー成立時)は中・右でベルがテンパイする。この「基本形」が崩れた時も、小役ハズレならアツい。但し、変則押しは取りこぼしポイントも多く、ぬか喜びの場合も…。
(特選リーチ目集)
スーバニ等でお馴染みの「中段単チェリー」は、本機でも鉄板。但し、出現率はそれほど高くない。
左チェリー付きビッグ図柄のハサミテンパイ形も鉄板だが、コチラもリーチ目の出現率は高くない。
スイカの中段or右上がりテンパイは、ハズれれば鉄板(右はスイカ引き込み100%)。割とよく出る形。
スイカの中段ハサミ目は、小役ハズレで鉄板(中リールのスイカこぼしに注意)。
上段や右下がりのスイカハズレも入り目となるが、左下段がSTARの場合はガセる。
右リールの「下段赤7」(ベル・チェリー・7)も強力な形。ベルハズレでボーナスとなる。
上段赤7と下段ベルの平行テンパイは、ベルハズレ目。なお、中リールはSUPERでもOK。なお、ベル成立時に左がこの形だと、右上がりにベルが単独テンパイするのが大半なので、平行テンパイしただけでアツい。
SUPERとベルの平行テンパイでも同じ。
ビッグ図柄の一直線形は、全ライン有効の鉄板リーチ目。中リールがズルッとスベッて、ビッグ図柄を引き込んで来ただけでも、かなりアツい。
STAR絡みの一直線はガセも多いが、左下段STAR(上にリプレイが付いたものに限る)から、ビッグ図柄が中・右と真っ直ぐ並べば、鉄板目となる(中・右は、SUPERでも7でも可)。
STARの小V型は、右・中段にリプレイがあればリーチ目。一方、右・上段が赤7だと、左・中段にリプレイがある事が条件となる。
上段STAR、中段リプのハサミテンパイ形は、中リールでリプレイがハズれれば入り目。
左下段STAR(条件なし)から、中リールスイカ停止で2確目。
左下段STAR停止時は、右に「SUPER・スイカ・STAR」でも2確。
ベルとリプレイの平行テンパイ。いずれも小役ハズレ目。なお、右側はリプが揃ってもリーチ目。
左「スイカ・ベル・リプレイ(ス・ベ・リ)」(枠上赤7)は、小役以上確定なので、小役ハズレなら鉄板。まぁ、大抵小役が揃うが…。
同じ左「ス・ベ・リ」でも、枠上がSUPERだと、SUPERの上が「チェリー」なら小役ハズレ目だが、「スイカ」だとガセる。
下段リプレイ揃いは、成立後のリーチ目
★★演出★★
(1)流星フラッシュ(予告演出)
レバーオン時、リール上部に流れ星のような赤いLEDの光が、一瞬左から右に走る。この時、「ジャーン」と予告音が鳴る場合と、無音の場合がある。予告音アリはベルorスイカorボーナスで、無音は超・高確率(99.9985%)でボーナス確定のプレミア。但し、無音でも稀に外れる(出現率約0.0015%の超プレミアハズレ)。
予告音アリの場合、スイカをキッチリ目押しして、左⇒中でベルもスイカがテンパらなければ、その時点で2確となる。また、「成立プレイ」限定演出なので、BR成立の次プレイ以降にフラッシュする事はない。
なお、各役成立時の流星フラッシュ出現率(振り分け率)は、以下の通り。
なお、流星フラッシュ発生時、左に「STAR・リプレイ・7」が止まった場合、枠内にはスイカもベルもないが、一確とはならない。この形だと、左でスイカ取りこぼしの場合もあるからだ。左枠内にきっちりスイカを狙っていれば、こうした紛らわしいガセ目は出ない。
(2)デジタルメーター告知(確定演出)
第2リールor第3リールを止めた瞬間、リール窓下の1ケタ7セグがいきなり始動を始めると、「デジタルメーター告知」でボーナス確定となる。ボーナスフラグ成立以降、毎ゲーム1/4で告知抽選があり、当選すればBR成立ゲームでも小役が揃っても告知が発生。7セグは派手なBGMと共にしばらく回転後、「3」「5」「7」の何れかで停止。「7」ならビッグ、「3」と「5」ならBR共通。第3停止ボタンを離した瞬間、リールが消灯する。
デジタルメーター告知の次ゲームは、ビッグならリールがブルーに変化して、バケなら普通に白く点灯(ジャッジメントフラッシュ)。デジタルが「3」「5」で止まっても、次Pで「7」に昇格してブルーフラッシュする「逆転パターン」があってアツかった。直接「3」「7」が止まるより、告知ゲームで「5」が出た次Pで、「3」か「7」に変化する方が多かった。また、告知ゲームで「3」から「7」に再始動する事もあって、これはビッグ確定のプレミア演出だった。
★ビッグ中の打ち方
(ビッグボーナス中の小役確率)
※JACゲーム中の当選率は1/1.1498
※ビッグ中は、ベルとハズレの出現率に設定差がある為、設定看破の材料になる。但し、後述する「SS判別」を使えば、ほぼ確実に設定5,6が見抜ける為、ベルやハズレを細かくチェックしなくてもOK。
(ビッグ中の手順)
1,2回目の小役ゲームは、左・中にスイカを狙う。
3回目の小役ゲームは逆押しに切り替える。
右はオヤジ打ちでも良いが、右上段SUPER狙いがポピュラーだった(判別時に狙い慣れた箇所)。
右には「SUPER・スイカ・STAR」を狙う。そのまま止まったらスイカ確定。中リールにスイカを狙う。
(スイカは2個あるが、どちらでもOK)
スイカが中段にテンパったら、左は「チェリー付きSUPER(又は赤7)」を枠上or上段に狙う。
(要2コマ目押し)
スイカ12枚ゲット!(なお、引き込み範囲で押しても取りこぼす「バッドポイント」もアリ。)
右上段ベル停止は、ベル確定。中リールオヤジ打ちで、必ずベルが左下がりにテンパイ。
左はスイカ同様、チェリー付きSUPER(赤7)を枠上or上段に狙う。
(要2コマ目押し)
ベル10枚ゲット!こちらもバッドポイントが存在。
右リール中段ベル停止は、ほぼハズレ(稀にチェリー)。中・左はオヤジ打ち。
右リール中段リプレイはJACIN確定。中リールはオヤジ打ちで、リプレイ中段テンパイ。
左は要・ビタハズシ。狙う箇所は、チェリー付きSUPER(又は赤7)を枠上ビタ。緊張の一瞬。
ビタハズシ成功!これが決まるか否かで、その日の疲れ具合を判断していたっけ…。
判別(後述)で設定5以上を確信したら、残り9Gから順押し小役狙いに戻す。一方、低設定濃厚のときは、ベル確率とハズレ出現率を考慮して、残り11Gから順押し。中間設定と判断したら残り10Gから。
※逆押し時、右上段SUPER狙いが面倒なら、適当押しでもOK。
但し、右中段スイカ停止時に加えて、右下段スイカ停止時も、中リールにスイカを狙う。
(中リールのベルは狙う必要なし)
左下がりのベルと中段スイカは、左枠上or上段にチェリー付きSUPERを狙う。
一方、ベルとスイカが左上がりにテンパイしたら、左枠内に「赤7の上のチェリー」を狙う。
実は、この形(右上がり)は左の余裕コマ数が多い為、楽に小役を取れる。
左上がりテンパイ時は、左に「SUPER・チェリー・赤7」のチェリーを枠内に目押し。
この時、左にチェリー付きSUPER(又は赤7)を狙うと、取りこぼすので注意。
★設定判別
(減算値)
設定1…98
設定2…98
設定3…99
設定4…101
設定5…104
設定6…107
本機には上記のように減算値に顕著な設定差があるが、ビッグで差枚カウンタがリセットされない為、ビッグ後にクレジットを落とす判別は不可。その代わり、小役の高確率時と低確率時の設定差を利用したSS判別(セルフサーチ判別)が有効だった。
手順は、さほど難しくはない。まず、通常時クレジットを30辺りまで上げる。後は、ベットボタンを使わずに3枚手入れを繰り返して、逆押しで消化。なお、判別対象小役は、スイカ(12枚)とチェリー(4枚)。差枚カウンタを下げて高確率に持っていく為、メイン小役のベル(10枚)は外す。
最初に狙う箇所は、右・上段にSUPER。
そのまま上段にSUPERが停止したら、ハズシ時と同様の手順で、中段にスイカを揃える。
ベル上段はベル確定。中リール適当でベルテンパイ。但し、判別時はベルを外す必要アリ。
ベルハズシは、左枠内にSUPERの上のチェリー狙い。
⇒⇒⇒
ベルハズシ成功!
中段ベルはハズレorチェリー。ビッグ中はオヤジ打ちだが、判別時はしっかりチェリーを狙う。
中リールオヤジ打ちでベルが中段テンパイするので、左上段にチェリーを狙う。
チェリーフラグが立っていれば、4枚チェリーが停止。
⇒⇒
右中段リプレイはリプレイ確定。取りこぼしは勿体ないので、中リールをオヤジ打ちでリプレイをテンパイさせたら、左枠内にチェリーを狙う。
⇒⇒
中段にリプレイが揃う。
※なお、右が4コマスベって右上段に「STAR」が止まった場合は、逆押し・レギュラー一確目となる。ビッグの場合は、右「SUPER・スイカ・STAR」から、中や右リールでスイカがハズれて気づくことが多い。
さて、肝心の判別方法(SS判別=セルフサーチ判別)だが、上記手順で逆押しを行って、最初にスイカ又はチェリーが成立した時のクレジット(CR)表示を覚えて、これを仮の「リミットCR」(差枚カウンタ0の地点)とする。
注意すべきは、スイカやチェリーを揃えた後ではなく、揃える前のCRという事。逆押しで、右・中段にスイカが止まったら、その瞬間のCR表示(例「23」)を頭に入れておく。チェリーの場合は、揃えた時のCR表示から4を引く。但し、低確率時にたまたまスイカやチェリーを引く事もあるので、ある程度試行回数を重ねる必要アリ。
スイカ又はチェリーが一回落ちたら、その後は「9枚手持ち※」に切り替える。
(※9枚手持ち…コインを9枚持って「2枚手入れ・1BET」を4回繰り返し、最後は「1枚手入れ・2BET」)
以後は、逆押し・9枚手持ちを繰り返して(CRの増減に合わせて、適宜クレジット調整も行う)、スイカやチェリーが成立する度にCR表示をチェックする。プレイを重ねてリミットCRらしき地点を把握したら(例「25」)、その移行ペースがどうなるかを観察する。その後、リミットCRが「26」「27」と徐々に上がっていけば、設定5以上と判断(当然、設定5より6の方が移行ペースは早い)。逆に、リミットCRが徐々に下がっていった場合、設定4以下とする。
上記手順で5以上を見抜いたら、「9枚手持ち」から「7枚手持ち」に切り替えて「6判別」を行う。7枚手持ちを繰り返して、リミットCRが徐々に上がっていけば設定6、逆に下がれば5と判断する。
なお、判別中にビッグやレギュラーが揃った場合は、いずれも「15枚小役」とみなして、ボーナス終了後にクレジットを調整して判別を続行する。
※※余談※※
かつて、スロマガスタッフが参加した「オール設定バトル」において、本機が対戦台となった事がある。
出場者は、麿、かづみ、てつ7A、ふみIGT、竜吉、関根鳶男(読者)の6名。対戦ホールは「サイバースパーク上野」。勝負前の意気込みで「ボク、スターダストのプロフェッショナルなんで、まかせて下さい!」と宣言した麿は、得意のSS判別を駆使して投資3Kで自身の台を6と見抜くも、ビッグ間1300オーバー(バケ8回)のハマリを喰らうなど、ヒキはイマイチ。SSD2初打ちの読者・関根は、バケが少なくハマリもキツイ展開だが、地道にビッグ回数を重ねてビタハズシも巧みにこなす。「今日は寝ません!」と気合を入れて、モカ(内服液)を持ち込んだかづみは、低設定濃厚の展開が続いて、途中でダレてやっぱり寝てしまう。ふみもいきなりハマリスタートから調子が上がらず、途中で設定1を確信。午後8時に追加投資という絶不調っぷりで、リール窓に千円札をベタベタと貼りまくる始末。朝イチ幸先よく16G目にビッグを引いてシマ一番乗りを決めたてつは、序盤は好調も徐々に調子を落として、午後10時に全ノマレ⇒追加投資の厳しい展開に。カメラマンに「うるせぇ」など撮影スタッフにカラみまくりの竜吉は、不機嫌そうな顔をしつつも、何だかんだで高設定らしき台に座り、ボーナス回数を増やしていく。結果は、読者関根が出玉トップ(設定4)、次いで麿(設定6)、竜吉(設定5)、てつ(設定2)、ふみ(設定3)、かづみ(設定1)となった。4以上が勝ちで3以下が負けの妥当な結果に落ち着いたが、設定6で2000枚止まりだった麿と、設定3で頓死したふみのヒキの弱さが目立った(設定発表=公家)。
麻雀王(マルホン、デジパチ)
1993年(平成5年)にマルホンから登場したドットデジパチ「麻雀王」
兄弟機「ミスタートランプ」と比べると設置は低かったが、小田急線沿線の何軒かで打った。ハッキリ記憶に残るのは、経堂駅・南口商店街の「TOYOTA」(現存)と、下北沢駅の線路沿いにあった「下北レジャー」の二店。いずれも、連チャンの恩恵は十分受けたが、低確率で釘もシブめで、初当りには苦労した覚えがある。入替も割と早かったな…。
(C)Google
現在の経堂「TOYOTA」
在りし日の下北沢「下北レジャー」(閉店。現在は「カレイド下北沢」が営業)
(スペック)
★賞球…7&15
★大当り確率…1/249
★大当り図柄…15通り ⇒一萬~九萬、東、南、西、北、中、一索(鳥)
★連チャン性…あり ⇒保1~保4で連チャン(連チャン率=19.93%)
★盤面左右にラッキーナンバー用ランプ(1~8) ⇒「3、7継続、4、8終了」等、LN制ホールで重宝
★兄弟機種=2機種(CRも含めると3機種)
・同時発表=「ミスタートランプ」(1993年)
・後続機=「雀遊記」(1993年)
⇒賞球数(7&15)、ドットモニタ、ゲージ構成、LNランプは、3機種共通(但し、確率や図柄は異なる)。
・ミスタートランプ…大当り確率:1/239 コチラは文字通り、トランプがモチーフのデジパチ。保留連チャンもあり。CR版は「CRトランプマン」。
・雀遊記…大当り確率:1/253。本機と図柄はほとんど同じだが、三元牌の「白」「発」を新たに追加。また、本機で大当り図柄だった一索(鳥)は、中デジタルのみ存在する「チャンス図柄」(ハズレ図柄だが、一索で止まると、大当り確定の再始動になり易い)に変更された。保連率は本機より低めだが、実戦では数珠連も多かった(解析値は調査中)。
(デジタル)
ドットデジタルの「麻雀モノ」というと、旧要件機の代表格の1つ「エキサイト麻雀3」(ニューギン、1989年、後継機は「エキサイト麻雀5」(1990年))がピンとくるが、あのシンプルなドットと比べると、本機のデジタルは、(当時にしては)かなり洗練されていた印象が残る。
(もちろん、「シンプル」にも、シンプルならではの「味」があったが…)
「赤・オレンジ・緑」のマルホンらしい3色カラードットで、麻雀牌(萬子が中心)を巧みに表現。そういえば、本機や兄弟機のカラフルなドット画面は、当時「3D立体デジタル」とよく紹介された。まぁ、実際は、「3D」というほど浮き上がって来ないが、リーチ時の中デジの独特な動きは、それなりに立体感があって面白かった。
因みに、機種名の「麻雀王」は、旧要件機の「麻雀王4号」(京楽、1989年)を想起させるが、本機とは何の関係もない。古い機種と名称が被ることなど、大して珍しくもなかった。
そうそう、京楽の麻雀モノでは、新要件の初期に出たブロック液晶の「ウルトラ麻雀(3)」(1991年)も懐かしい…。また、西陣の麻雀ドット物には、「スーパー麻雀」(1992年)なんてのもあった。
他にも、お馴染みの「麻雀物語(II)」(平和)をはじめ、「麻雀物語・クイーンVer」(ブラボークイーン)(平和)、「麻王」(西陣、セル違いの先行導入機は「ルーキービジョンP5」)、「ドラドラ天国3」(豊丸)、「雀姫物語」(平和)、「大三元」(平和)、「レモン牌」(平和)、「ピーチパイ8」(平和)、「ピーチパイ娘」(平和)、「CRピーチパイシスターズ」(平和)、「CRピーチパイV」(平和)、「CR麻王伝説EX」(西陣)、「雀士ウーロン牌V(V2、V3)」(マルホン)、「CRツモツモ王国南二局」(豊丸)などが、90年代の麻雀モノとして挙げられよう。さらに細かい所では、三星の「杏仁豆腐」「小龍包」や、豊丸「勝負伝説」なども、麻雀牌の「中」が図柄に使われていたので、麻雀絡みといえる。
そうそう、サミーの「雀魔王」も、90年代に出回ったカラー液晶の雀球だった。また、有楽町の名店「かもめ」で打った昭和レトロな手打ち雀球(里見工業=サミーの前身)も、私が90年代に遭遇した思い出の一台だ(中野の「東京プラザ」には、藤商事の手打ち雀球も置いてあったらしい…)。
こうしてみると、90年代・麻雀モノの機種は、デジパチ、権利物等のカテゴリーを問わず、なかなか味わい深く、記憶に刺さるものが多い。
では、話を本題に戻そう。
一方、メインデジタル上部には、「エキサイトメーター」と呼ばれる3色のLEDランプが付いていた。
(当時、「エキサイト」はニューギンの冠名だったが…まぁ、藤商事もアレパチ「エキサイト」を出してたし、大同にも「エキサイトビジョンDII」ってのがあったから、特に問題ないだろう。)
リーチが掛かると、この小さなLEDが、左端から緑⇒オレンジ⇒赤という具合に、徐々に点灯していく。
メーターの動きは、中デジタルの動きと同調していた。大当り図柄が近づくと点灯数も増えて、大当り図柄に到達するとLEDも右端に届き全灯となる。大当りを超えるとランプは消え、再び左から順に点灯する(スーパーリーチ時は全灯が続く)。
ただ、こうした派手な動きの割には、大当り判別にはあまり役立たない、盛り上げ用の「お飾り」であった。
因みに、エキサイトメーターは、兄弟機「ミスタートランプ」「雀遊記」にもあって、動きも全く同じ。
なお、大当り中は、ドットに「孫悟空」にまつわるデモ画面が出てきて、打ち手を楽しませた。
(リーチアクション)
デジタル停止順は左⇒右⇒中の順。
左右テンパイでリーチが掛かると、中デジの麻雀牌が「奥に倒れる⇒起き上がる」の動きを繰り返しつつ、1コマづつ進んでいく(「ミスタートランプ」の場合、中デジがカードのようにパタパタ・クルクルと横回転)。あたかも、中デジが「腹筋運動」しているかのような、コミカルかつ立体的な動きであった。
リーチには、「ノーマル」「ロング」「一索(イーソー)再始動」「二段階」の計4種類が存在する。
ハズレ時はノーマルかロングしか出ない。一方、大当り時は、ロング、一索再始動、二段階の何れかを選択する。ノーマルのままでは当たらない。一索再始動と二段階は、大当り確定のアクション。
(a)ロング…ノーマル2周目にサウンドが変わり突入。大当り手前5コマからスローに切り替わり、大当りか前後1コマで停止する。
(b)一索再始動…中デジが「一索(鳥の図柄)」でいったんハズれた後、再び動き出して大当りとなる。なお、一索リーチの時にこのアクションが選択されると、一索の1コマ手前にある「中」から再始動するので、次に挙げる(c)「二段階」と同じ動きをする(一索⇒一索と再始動する事はない)。
(c)二段階…大当り図柄の1コマ手前でいったんハズレた後、中デジが1コマ「パタン」と進み当る。
※大当り時のリーチ選択率…ロング:64.7%、一索再始動:23.5%、二段階:11.8%
(大当り判定及び連チャン)
本機の大当り抽選は「一発判定方式」である。大当り判定用カウンタは「0~248」の249コマで、当選値は「60」。よって、大当り確率は1/249。
また、連チャン(保留連)については、大当たり後の最初の4回転に限って、無条件で保留エリアの乱数を特定値に書き換える。
この時、新たに上書きされる値は、18/37で「52」(ハズレ乱数)、17/37で「56」(ハズレ乱数)、2/37で「60」(大当り乱数)となる。即ち、保留1つあたりの連チャン率は「2/37」(約5.4%)で、保留4つのトータル連チャン率は、1-(35/37の4乗)≒19.93%となる。
(「連チャン率約26%」とする資料もあるが、解析値による裏付け無し)
なお、本機の上書きの「カラクリ」については、いわゆる「スタックオーバーフロー(スタックパンク)」による書換えではなく、「スタックの起点を意図的にずらす(一時保存データを途中部分から取り出す)」ことで、保留エリアの上書き処理(命令)が行われる、というもの。
また、大当たり終了時、保留が1個もついていない場合でも(現実的には、ほぼあり得ないが)、大当り後の最初の4回転については、強制的に乱数を書き換える仕組み。この辺りは、数珠連的な要素を感じる。
なお、本機には、保4空けやアタッカーフルオープン等、有効な連チャン打法は存在しない。誰が打っても平等に連チャンする(「たそがれ連チャン機」「無差別連チャン機」なんて表現も、当時使っていたな…)。
ザ・ボート(まさむら、デジパチ)
新シリーズ(?)
「にっぽんレトロばなし」
(以下、市原悦子or常田富士男っぽい語りで)
むかーし昔、平成5年(1993年)の初め頃、まさむら遊機から、「ザ・ボート」という名の、一風変わった新要件デジパチが出た事があるんじゃ。
(まさむら「ザ・ボート」 賞球7&15、大当り確率1/235、16ラウンド継続、出玉2400個)
「ザ・ボート」という位じゃから、その名の通り「ボート」がモチーフじゃった。何ともストレートなネーミングじゃのう。
とはいっても、早・慶が隅田川でしのぎを削るあのボートとは違ってな、公営ギャンブルでお馴染みの「競艇」がテーマになっておった。
パチンコ以外のギャンブルをお題にした台は、以前から「競馬」だの「麻雀」だの「ポーカー」だの「花札」だのと、多種多様な機種が各メーカーから出ておったんじゃ。
じゃが、こと「競艇」がテーマとなると、まだ、どのメーカーも作っておらんかった。
そんな折、意外にも京楽系のマイナーメーカー「まさむら」が、初の「競艇モノ」を送り出してきた訳じゃ。
まさに「目の付けどころがシャープ」じゃった。もう少し、この台が歴史に名を残しても良かったと思うが…最初こそ注目されたんじゃが、結局マイナーなまま姿を消してしもうた。
荒めのブロック液晶デジタルは、本家・京楽の6回ワンセット機「宝島」(1992年)を彷彿とさせおった。いや、まさむらの台じゃから、同じ6回ワンセットでも「ペットショップ」の方が適切かのう。
また、「競艇」がテーマという事で、0~9の数字は、五角形の「小型ボート」の中に収まっておった。
(独特な形状のデジタルは、後に、京楽のデジパチ「モンスター」でも再利用されたんじゃ。)
大当り図柄は「0~9」の数字の他、4図柄(「旗」、「ハンドルボート」、「的中」、「顔」)の、計14通り。
「0~9」の数字図柄は、確かにボートを象っていたんじゃが、ブロック液晶には表現の限界もあり、デジタルが止まったままだと、何だか「将棋の駒」っぽくも見えたのう。
中に数字が書いてあって、船尾の出っぱりもボートのエンジンを思わせたから、これは駒などではなく「ボート」だと言われれば、確かにその通りじゃった。
ただ、いかんせん、デジタルの形状が、同時期に人気のあった連チャン機「王将百番」(豊丸、1992年)などを、うっすら連想させたんじゃ。まぁ、これはあくまで「個人的な印象」じゃが…。
しかし、デジタルがひとたび回転を始めた途端、そんな雰囲気はガラリと一変したんじゃ。
なぜなら、このデジタル、通常の「上から下」に流れるのではなく、「下から上」にスクロールしたんじゃよ。
まさに、「鯉の滝登り」を思わせる、個性的なデジタルアクションじゃった。「上から下」の動きがデフォの時代に、これは非常に珍しく思えたのう。
あたかも、「ボートが3台並走して、水を切って直進」という雰囲気を醸し出して、何とも面白かった。
ただ、慣れぬうちは、普段と逆のデジタルの動きに違和感を覚え、軽い「デジタル酔い」を起こしたぞい。
さて、左⇒中と同じ図柄が止まれば、「リーチ」到来じゃ。右デジタルは、やや速度を落としつつ下から上へと登っていく。
通常のノーマルリーチに加えて、周回が進んでサウンドが変われば、京楽系お馴染み「スーパーリーチ」に突入じゃ。スーパーリーチは、大当りか1コマ先でしか止まらないので、アツい事この上なしじゃった。
実は、スーパーリーチには、大当りするパターンが2通りあってな。直接大当り図柄で止まる場合と、半コマ進んでハズレと思わせて、クルッと反転する「戻り」のパターンがあったんじゃ。リーチアクションは至ってシンプルでも、何とも心憎い演出じゃったのう…。
因みに、コチラも京楽系お馴染みの、「デジタル移行法則」も存在したんじゃ。連続回転中に限り、右デジタルは、前回の右出目に対して「+5~+8」の位置で止まるようになっておった。これを否定する目でスーパーリーチが掛かれば、大当りの判別も出来たという訳じゃ。
そうそう、肝心の大当り確率は「1/235」で、当時としては「良くも悪くもない」普通の数値じゃった。
ただ、この時代は「連チャンしてナンボ」じゃから、この数字でノーマルだと、やや「辛い」部類に入ったな。
しかし、この台には、ご多分にもれず、強力な「保留連チャン」が仕込まれておったんじゃ。
初当り確率に連チャン分を上乗せすれば、「1/200」の甘いノーマル機と大差なかったのう。
「ご多分にもれず」とはいったが、従来の京楽系デジパチは、意図的な連チャン性を持たない、正統な「ノーマルデジパチ」ばかり出ておった。
シンプルだが味のあるデジタルや、定番のSPリーチをこよなく愛する「京楽フリーク」が、連チャンの有無など関係なしに、あのマッタリとした京楽デジパチを支えてきた、といってよい。
しかし、この「ザ・ボート」こそ、まさに京楽系・初の「保連デジパチ」として先陣を切ったんじゃ。
京楽としては、記念すべき「連チャンデジパチ1号機」を、提携関係にあった「まさむら」に譲った形じゃが…
これとて、京楽サイドのおっかなびっくりな「お試し感」が、何となく伝わってくるのう。
実際、本機デビューから半年以上経ってから、京楽自身、初の連チャンデジパチ「遊ぶんジャー」を販売しているのじゃ。
「偵察隊を送り出してから、本隊が出向く」といった、ありがちな「戦略」じゃったかもしれんな。
さてさて、この「ザ・ボート」には、さっきも言った通り、強力な「保留連チャン」(実戦上約20%)があった。
しかも、保留1~4個目のどこでもダブったから、大当り後も最後まで目を離せんかった。
ただ、この台に関する連チャンの仕組み(カラクリ)が、なかなか表には出てこなかったんじゃ…。
一応、実戦で判っていた特徴を挙げると、「保1~保4で均等にダブる」事と、時折「数珠っぽく当る」事。
しかも、ダブルが来やすい割には、トリプルまで繋がりにくく、大半が「ダブル止まり」だったんじゃな。
この連チャンパターンが一種謎めいていて、どういう「カラクリ」だったのか、いまだに良く判らんのじゃ。
因みに、京楽「遊ぶんジャー」は、最終ラウンドのV入賞が4~7個だった時、保1~保4の一次抽選(1/10)がフリーパスになって、二次抽選の1/24に当選すれば、見事連チャンする仕組みじゃった。
(連チャン率=15.7%)
同じ京楽系の先行機「ザ・ボート」が、これと同じカラクリで連チャンしていたかは判らん。じゃが、「遊ぶんジャー」の「プロトタイプ」として製造されたとすれば、その可能性も大いにあろうて。
仮に、特定のラウンドで、特定個数のV入賞を条件に、二段階判定の一次がフリーパス…という連チャンシステムなら、「ザ・ボート」は、まさに遊ぶんジャーの「先行隊」的存在といえるじゃろう。
しかも、大当り確率は遊ぶんジャー(1/240)より少しだけ甘い(1/235)。もし、ザ・ボートも二段階抽選方式で、しかも二次抽選確率が遊ぶんジャーより高ければ、保連率も15.7%より高くなる。実戦値の「連チャン率=約20%」という数値も、かなり妥当な線となる筈じゃ。但し、トリプルになりにくい「特別な要因」があった事も疑いないじゃろう。
さらに、「ザ・ボート」の10通りの数字図柄に着目すると、「0~9」のうち「3」と「7」を除く全数字は、普通に白文字をボートが囲むデザインじゃったが、3と7だけは、なぜか「白抜きの反転表示」になっておった。
確変デジパチでもないのに、あえて3・7図柄のみ特別扱いするなど、何だか怪しい感じがしたのう…。
そういえば、遊ぶんジャーは「3・7が確変図柄」じゃったから、「ザ・ボート」との共通点も、この辺りにあるかも判らんな。「ザ・ボート」の場合、3・7で当ると「隠れ数珠連モード」に入る…とか。
ともかく、この機種に関しては、個人的にも謎が多いままじゃ…。物好きな方が、詳細な解析情報でも下さったりすると、実にありがたいが…・まぁ、気長に待つとするかの。
とっぴんぱらりのぷう
有楽町、日比谷、東銀座、新富町、築地パチンコマップ(1999年)
有楽町、日比谷、東銀座、新富町、築地界隈のパチンコ店・パチスロ店マップ
(1999年)
☆JR有楽町駅前(中央口、交通会館向い)
A:DUO(デュオ)(現存)
B:UNO(ウノ)(現存)
C:かもめ(閉店)
A「DUO(デュオ)」では、2Fでアルゼ系4号機(ゲッターマウス、ビーマックス、ジロキチ、バーサス、アレックスなど)を中心に打った。また、2F奥バラエティコーナーでは、平和の「レッドメテオ」「フライングモモンガ」、ネットの「セブンダラーズ」などに興じた。
B「UNO(ウノ)」(現在は、イトシアビル内で営業)では、2Fスロットシマでオリンピア「キャロルクラブ」、サミー「メロディナーレ」「ビンビンカミサマ」、北電子「レジェンダ」、IGT「エルビス」、山佐「コングダム」などを打った。一時期は、岡崎産業の「コア」(小役抜きで有名)もあった。1F・パチンコシマ端のハネモノコーナーにあった、「Mr.ダイナマイト」(大一)も好んで打った。2F階段を上るとトイレがあって、その先がジュースコーナーの休憩スペースになっていた。
C「かもめ」(閉店)では、手打ちのアレンジボールと雀球を、昼休みや仕事終りにマッタリ打つのが楽しみだった。こじんまりとしたシマの一番奥に景品カウンターがあり、店長さんがいつもニコニコしながらお客を眺めて座っていた。まさに、都会の真ん中にポッカリあいた、タイムポケット的な癒しの存在だった。
なお、同じ朝日街通りの「★」の位置では、’99年当時、ゲーセン「ラスベガス(通称「プリクラのメッカ」)」が営業していたが、2001年初頭にパチスロ店「スロットラスベガス 有楽町店」として開業(⇒閉店)。
また、パチ屋以外にも、この駅前路地には、いんでいら(カレースタンド)、中国亭(中華)、百果園(フルーツ)、後楽そば(立ち喰い)、シネラセット(ミニシアター)、ふじや(宝塚歌劇ブロマイド店)、ニュードラゴン(喫茶)、初藤(割烹)、ゴッサムカフェ(喫茶)、可口飯店(コカ・レストラン)、ルーブル(喫茶)、レバンテ(ビアレストラン)などの、いかにも昭和然とした、味わい深い店舗が多く立ち並んでいた。
しかし、有楽町駅前の再開発事業により、現在は路地そのものの大半が消滅。その跡地には、近代的なショッピングビル「イトシア」が建ち、3本あった狭い路地のうち、今も残るのは「中央通り」のみ。
(但し、かつての雑然とした雰囲気は残っていない…)
☆日比谷、JRガード沿い(日比谷シャンテ裏)
(C)Google
A:ポオル(閉店)
B:みゆき(閉店)
帝国ホテル、宝塚劇場(1999年当時は建替工事中※)、日比谷シャンテといったシンボリックな建物の裏手にあったA「ポオル」(閉店)は、パチンコシマに当時フィーバークイーンII(三共)やミルキーバー(ニューギン)、オークス2(三星)などが置いてあり重宝した(スロはニューパルやバーサス、ハナビなど)。一方、B「みゆき」(ガード下の角店。後に「Mゾーン」となるも閉店)では、お決まりのようにサンダーV(アルゼ)ばかりと対峙していた。近くにあった、お気に入りのレトロな喫茶店「純喫茶・日比谷」(閉店)で、レモンティー片手にくつろいでいた日々が懐かしい…。
※宝塚劇場の建替工事中(1998年1月~2001年1月)、宝塚歌劇団の東京公演は、東京交通会館向いの「TAKARAZUKA1000days劇場」という仮設劇場でしばらく行われていた。当時、仕事の昼休みに「銀座インズ」辺りまでランチを食べに行くと、タカラヅカファンと思しき大勢の女性達が、お目当てのスターの入りや出待ちで、仮設劇場の入口前で整然と並んでいたのを思い出す。なお、この仮設劇場は、現在「インフォス有楽町」として使われている(ロフトや無印良品などが入る)。
☆東銀座(三原橋交差点、歌舞伎座周辺)
A:イーストヴィレッジ銀座店(閉店)
B:モンタナ(閉店⇒現在「パラッツォ銀座店」が営業)
C:ピーアーク銀座(現存)
D:ラーガ銀座(アイゼンラーガ)(閉店)
昭和通り沿いのA「イーストヴィレッジ」(イーストビレッジ)では、スロットシマでオリンピアのスーパースターダスト2や、アルゼ系の4号機をよく打った。三原橋交差点のB「モンタナ」は店員チェックの厳しい店だったが、スロ3号機のコンチネンタルIII(メーシー)を長らく置く名物ホールだった。モンタナのパチンコシマには、連チャン権利物ラッキーボーイ、CRデジパチのCRバトルヒーローV、CR権利物の「CRエキゾチック」など、大一の香ばしい名機が、この時期も並んでいた(モンタナは大一のアンテナショップ的な存在で、スロのコインには「ダイナマイト君」のキャラが描かれていた)。モンタナ向かいのC「ピーアーク」は、大都の「マッドドクター」や「フュージョン」、NETの「ラインズセブン」、アルゼの「ハナビ」がメイン機種だった。一方、ウォールビルにあったD「ラーガ銀座」は、頻繁には足を運ばなかったが、パイオニア4号機「ローズフラッシュ」があって、独特な「ズルスベリ」に一時ハマった。
☆地下鉄・新富町駅(築地橋)周辺
(C)Google
A:パチーノ(ヒノ)新富店(日の丸)
レンガっぽい茶色の外壁が印象深い併設店。CRモンスターハウス(竹屋)や現金機のマジカルランプ(奥村、一般電役)などを触った記憶アリ。派手なネオンはないが、「パチーノ」※の赤い看板が出ており、さりげなく表通りにアピールしていた。現在、跡地にはマンションが建っている。
(在りし日のパチーノ新富店)
※「パチーノ」とは、pachinkoから「K(3K=危険、汚い、キツイ)」を除いた造語。1994年、作家・評論家の室伏哲郎氏(故人)が、パチンコに対するイメージを刷新すべく、「パチンコからパチーノへ」を提唱。この理念に同調した都内の「日の丸」チェーンが、「パチーノ・ヒノ」の店名(愛称)を積極採用した。これは、同チェーンの日野和喜会長が、当時「日遊協」会長だった事も大きいと思われる。事実、同チェーンでは、パッキーカードを早期導入する店も多かった。なお、この年(’94年)、ピーアーク社長の庄司正英氏が、日野氏から日遊協の会長職を引き継いでいる。因みに、故・田山幸憲プロが一時期ネグラにした世田谷・桜新町「H店」は「パチーノヒノ桜新町店」で、用賀時代に通った「用賀H店」は「日の丸用賀店」である。
☆築地三丁目付近
(C)Google
A:スクラッチ
個人的に謎多きホール(小店)。店の前を通った事は何度かあるが、ついに入店の機会は無し。現状も不明…。
(その他)
・2001年10月、数寄屋橋近く、マリオン向いの外堀通り(銀座4-2-16)に「J's Bee銀座店」開業
(⇒2009年頃に閉店。現在はカラオケ館に)。
・2003年、東銀座・三原橋交差点のピーアーク銀座隣に「ピーアーク銀座ネオ」開業(現存)。
・2007年5月、日比谷、晴海通りORE有楽町(有楽町2-3-5)内に「ガイア銀座店」開業
(ビルのB2~2Fで営業⇒2008年夏にクローズ)。
(以降のホール事情については、あまり知らない…)
※なお、平成初期(1990年)の有楽町・銀座界隈のホール事情は、コチラの記事を参照。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/b50b0e1c3c1d0714812114d84e82137a
ニューロードスター(三洋、3回権利物)
1996年に三洋から登場した現金機・3回権利物「ニューロードスター」
以前紹介した「CRニューロードスター」(1997年)の兄弟機(先行機種)にあたる。
前にも書いたが、このシリーズは当時、現金機が2機種、CR版が2機種の計4種類が出回った。ゲーム性はそれぞれ異なるが、いずれも個性タップリでファンは多かった。
3回権利の本機は活動エリア内での設置も多く、また寿命も比較的長かった為、2000年以降のスロメインの時期にも、しばしばお世話になった。CRよりこちらの方が、実戦頻度は上だった。
※参考:1996年~1997年に出た三洋から出た「ニューロードスター」シリーズ(4種類)
・ニューロードスター (1996年、現金機・3回権利、確率=1/317)
・ニューロードスター2 (1996年、現金機・2回権利、確率=1/247)※10カウントで出玉は多め
・CRニューロードスター (1997年、CR権利物、確率=1/239、1/263、1/289)
・CRニューロードスターV (1997年、CR権利物(中デジAは1R小当り)、確率=1/119、1/131、1/141)
(基本スペック)
★カラー液晶モニタ搭載
★賞球:7&15
★大当り確率:1/317(2、3回目権利時は1/31.7と10倍アップ)
★デジタル停止順:左⇒右⇒中
★大当り図柄:「1、ベル、2、エンブレム、3、ケン、4、自由の女神、5、車、6、メリー、7」(計13種類)
※兄弟機4機種のうち、本機のみ、デジタルに数字の「1」がある。
★デジタル回転時間の短縮機能あり(保4消化:5.6秒、保3・保2消化:7.5秒、保1消化:10.1秒)
★トータル出玉:約5900個(16R、9カウントor9.5秒開放。メインアタッカーの釘調整で増減)
★大当り時は、メインデジタル上の7セグ(1ケタ)で、ラッキーナンバーを表示
★実戦店…百合ヶ丘「J-ONE」、登戸「ハトヤ」、高田馬場「日拓EO」、調布「リラ」など多数
通常時、デジタルの背景は青。背景には4種類あり、リーチが外れる度に「海」⇒「草原」⇒「岩山」(峡谷)⇒「橋」と変化する。また、2回目、3回目権利時は、背景が「夕焼け」になる。画像は夕焼け(橋)の画面。
★★モチーフ★★
まさに「アメリカン・オールディーズ」という言葉がピッタリで、液晶画面・盤面・サウンドからは、いかにも「古き良き、60年代のアメリカ」的な雰囲気が、プンプン伝わって来た。
それが証拠に、主人公の若い男女は、アメリカの古い青春映画に出てきそうな、美男・美女のカップル。また、彼らの乗る車も、これまたコテコテの古めかしいアメ車(赤いオープンカー=ロードスター)だった。
ちなみに、男女の名前は、男が「ケン」で女が「メリー」。「アメリカ」=「メリケン」=「メリーとケン」的な、シンプルな着想だったと思われる(違ったら失礼…)。
さらに、BGMについても、以下に示すが如く、「50年代~60年代」のオールディーズ・サウンドを、全面に押し出していた。いずれも、三洋らしい軽快なアレンジが加えられている。
・デジタル回転音⇒「サーフィン・サファリ(Aメロ)」(ビーチ・ボーイズ、1962年)
・デジタル大当り時⇒「ラブ・ミー・テンダー」(エルビス・プレスリー、1956年)
・大当り中1~4R⇒「サーフィン・サファリ(サビ)」(ビーチ・ボーイズ、1962年)
・大当り中5~8R⇒「ダイアナ」(ポール・アンカ、1957年)
・大当り中9~12R⇒「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(ビル・ヘイリーと彼のコメッツ、1954年)
・大当り中13~15R⇒「あなたに愛されたいのに」(お熱いのがお好き)(マリリン・モンロー、1959年)
・大当り中16R⇒映画「エデンの東」のテーマ(レナード・ローゼンマン、1955年)
※13~15Rの「あなたに愛されたいのに」(I wanna be loved with you)では、サウンド中、モンローお馴染みの「ププッピドゥー」も表現されていた(気がする)。
★★ゲーム性★★
ヘソのスルーチャッカー通過で、メインデジタル(3ケタ)変動。デジタル大当りで、盤面センター下の権利アタッカーが5.9秒開放。3個以上入賞で、貯留3個目がアタッカー閉鎖後にV入賞して、権利発生。
(デジタルが揃ってから玉を打ち出すと、3個入賞が間に合わずパンクの恐れもあった(但し、パンクしても内部確率は10倍アップ)。図柄が停止する直前に、フライング気味で打ち出した方が安全だった。
ヘソには賞球がなく、投資スピードは早かった。一応、ヘソ出口(盤面左下)の下に賞球口があり、三角釘でガードされていたが、ここが甘い調整なら投資は抑えられた(但し、ガッツリ締める店も多数…)。
ヘソチャッカーへのアプローチは、(1)ギンパラ譲りの「ワープゾーン」経由でステージから手前に転がるパターンと、(2)左右両サイドから直接ヘソに寄るパターンがあった。
権利中は右打ちで消化。右上・回転体と右下・メインアタッカーの連動で、出玉を稼ぐ(16R、9C)。
2,3回目権利時は、デジタル確率が10倍アップ。出玉は、普通に2,3回目が来れば、約5900個(アタッカー上の調整次第で、かなり変化する)。
しかし、2,3回目が「普通に」来ない事もあるから怖かった。もう17年前になるが、高田馬場・早稲田通り沿いの「日拓EO」という店で、前日に3万くらい勝って次の日も気分よく狙ったら、この日も見事1000円以内でお座り一発の当りが来た。頭の中は既に「連勝気分」だったが、2回目権利時に1/31.7とは思えぬほどデジタルがサッパリ当らず、おまけにヘソがシブくて回りも悪く、持ち玉はどんどん減っていった。結局、1回目の玉は全部飲まれてしまい、まさかの現金買い足しでやっと2回目が来た。「今度は大丈夫だろう」と思ったら、再び権利中にハマってしまい、3回目までに持ち玉を半分減らしてしまった。結局、3回権利後の出玉は3000発そこそこで、「二匹目のドジョウはいなかった…」と、ガックリうなだれて店を出た(チョイ勝ちではあったが…)。
一方、百合ヶ丘「J-ONE」は比較的相性も良く、店の左端に本機を一列、比較的長く置いていたので、実戦機会は多かった。無制限で釘はソコソコだったものの、確率「1/317」のハズが数珠連チャンのように100回以内でポンポン当り、あれよあれよという間に4万発近く出た事もあった。その日は、店の上階の洋食屋でハンバーグステーキを食らい、同フロアの中古CD屋で、好みのCDやらゲームソフトやらPS用のジョイスティックコントローラーやらを、大量に買い込んだのを思い出す(パチンコ・パチスロ絡みのゲームソフトも多数買ったな…今度、天井裏を捜索してみようか)。
★★リーチアクション★★
「ノーマル」「スターダスト(SP)」「竜巻(SP)」の3種類が存在。当時は、リーチをかなり凝った機種も多く、シンプルな本機のリーチを、「物足りない」とする評価もあった。しかし、個人的には、サッパリ当らぬ「捨てリーチ」が山程あるよりも、これ位シンプルな方が、むしろアツいとさえ思っていた。
そういえば、デジタル回転中、左右デジタルの間隔(ズレ)を見ながら、「これはリーチが掛かりそうだ」「これはダメだ」と、ある程度の予測ができたのも面白かった。
また、いくら回してもリーチすら来ない「ハズレ目の羅列」となる事が結構あって、「不調時は、リーチ確率が落ちる」と、オカルト的な発想にとらわれたりもした(笑)。
ノーマル(信頼度:0.96%)
背景はそのままで、中デジタルがクルクルと横回転。大当り図柄が近づくと、リーチ音が甲高く変わる。低信頼度で期待こそ出来ないが、意外なところで当ってくれたりして、結構ドキリとさせられた。
スターダスト(信頼度:20.58%)
ノーマルリーチ発生から8.4秒後(横回転で2周進んだ後)、背景が宇宙(黒)に切り替わり、中デジが縦(上⇒下)にスクロール。大当り又は―2~+1コマで停止となるアツいアクション。ただ、これは外れるのがデフォだったので、「当ればいいな」とは思うが、外れても諦めはつく。
竜巻(信頼度:60.20%(前) or 66.85%(後))
やはりノーマルから8.4秒経って、背景が黒い宇宙に切り替わる。スターダストとは違って、コチラは中デジが大当り図柄の前後で、交互に裏⇔表と横回転してジリジリさせた。中デジ上部では小さな星がクルクルと輪を描いて回っていた。これがゲキアツの「竜巻リーチ」で、約6割で大当りに繋がった。
中デジの動きには「大当り図柄⇔1コマ前をウロウロ」、「大当り図柄⇔1コマ後をウロウロ」の2パターンあり、前者は信頼度60.20%、後者は信頼度66.85%と、1コマ後の方が信頼度は高かった。
この竜巻を連続で外したりすると、コチラは諦めがつかず、モヤモヤが募って勝てない気がしたな…。
サンフラワーE(ニューギン、ハネモノ)
1991年(平成3年)にニューギンから登場した新要件ハネモノ「サンフラワーE」
役物内でフワフワと上下に動く、オレンジ色の丸いキャラと、センター(ヘソ)の電チュー(電動役物=初期・新要件機の大きなウリ)が特徴の一台。これは、大学2年の頃に良く打ったな。一番学校をサボった時期なので(笑)、そのぶん思い入れも大きい。
新宿・歌舞伎町コマ劇前の「オデヲン」、新宿西口大ガードの「ジャンボ」(地下フロア)、高田馬場駅脇の「コスモ」(2F)、それに四谷3丁目の「リボン」などが印象に残る。ただ、相次ぐ電チューの「空振り」に、イライラ・ジリジリさせられた記憶も…。
(スペック)
★賞球…7&9&15(オトシとセンターは7個戻し、役物は15個戻し、その他は9個戻し)
★左右オトシ(CHANCE)入賞で、センター電チューが0.5秒×1回開放
★電チュー入賞でハネが0.8秒×2回開放
★1チャッカーは存在せず
★大当り中は、キャラの両脇に2個づつと、下段奥のアームに1個の、計5個を貯留
★貯留解除…キャラ脇=ハズレ3Corハネ9回開閉 アーム=ハズレ7Corハネ15回開閉
★最高15ラウンド継続(継続率は良い)
★兄弟機…サンフラワー(本機より少しだけ前に登場。ニューギンの新要件ハネモノ・第1弾)
サンフラワー(1991年…役物は本機と共通。コチラも15R継続だが、賞球5&8&10で出玉は少なめ。また、オトシが1チャッカー、ヘソが2チャッカーで、電チュー非搭載。)
ご存知、ニューギンの初期・新要件ハネモノ。当時はニューモンロー、サンダードラゴンGP、ニュートキオの台頭が目立ったが、首都圏では、本機(兄弟機含む)の設置も案外に多かった。
平成3年(1991年)1月、ニューギンが初めて送り出した新要件機は、ハネモノ「サンフラワー」(本機と賞球違いの兄弟機)とデジパチ「ジュピター※」だったが、本機もそれらに次いでデビューした「先駆け」だ(※同時期、旧要件ドラム機「グランドエキサイトG」も、遅ればせながら登場)。
なお、某県の当時の公報によると、「サンフラワー」「サンフラワーE」「ジュピター」は、同日に公安委員会の「検定」を通過している。よって、本機を「ニューギン新要件機・第一弾」に含めても、特に問題はないだろう。
(役物)
本機の役物は、「上下2段構造」になっていた。上段ステージは可動型で、中心から下方に折れ曲がる形で、絶えずゆっくりと上下動している。
この時、ステージ中央に付いた愛嬌あるキャラ(サングラスを額に乗せた、オレンジ色の顔)も、上段ステージと一緒に上下動を繰り返す。
この独特なフワフワとした動きが、蝶の羽ばたき等を彷彿とさせて面白かった。
(Vゾーン下にも、蝶のイラストあり)
ただ、あのオレンジ色のコミカルな丸顔は、「蝶」というよりも、むしろ「Dr.スランプアラレちゃん」の太陽キャラぽく見えた(アチラもサングラス姿の時もあったな…)。
実際、あの役物を「太陽」と呼ぶ攻略誌も存在した(本機も兄弟機も、盤面に大きな太陽のイラストあり)。そういえば、「サンフラワー」(ひまわり)に因んで、あのキャラを「ミツバチ」と称した雑誌もあったっけ…。
(C)鳥山明/集英社
一方、下段ステージは、軽く左右に傾斜(スロープ)が付いており、両サイドに流れ易くなっていた。但し、下段奥中央には小さな「アーム」(垣根が描かれている)もあって、このアーム付近に落下した玉は、下段中央を手前に直進して、Vに入り易かった。
ハネに拾われた玉の大半は、上下するキャラ奥の左右ステージに当って、下段に落ちる。但し、遅めにハネに拾われたりすると、下段に直接落下する事もある。
キャラ上昇時、ステージは水平な状態なので、下段に落ちた玉は左右に流されて、ハズレになり易い。
一方、キャラ下降時は、両サイドのステージがV字に折れ曲がる為、V字の中心から落下した玉が、下段中央奥のアームを通って、手前に直進するルートを取り易い。よって、下降時がV入賞のチャンスとなる。
また、ハネに拾われるタイミング次第では、下段ステージに直接落ちて、勢いよくVに飛びこむこともあった。ともかくも、役物に玉が入りさえすれば、V入賞率はそこそこ高かった。
但し、本機の場合、肝心の「ハネに玉を拾わせる」こと自体が、かなり難しくなっていたのだ。
上述の通り、本機には1回開きチャッカーがない。左右オトシの「チャンスチャッカー」に入ると、センターの電チューが0.5秒だけ開放する。この開放時間はいかにも短く、せっかくオトシにポンポン飛びこんだのに、電チューにはサッパリ入らず「空振り」を喰らうケースも目立った。
そんな時は、多少オトシの入賞率が落ちても、ストロークを微妙に変えて、ヘソに流れやすくするのも、一つの手だった。ハンドルをほんの少し弱めるだけで、さっきまでの不調が嘘のように、電チューが玉を拾いまくる事もあった。
電チュー入賞で、ハネが0.8秒×2回の解放を行う。「0.8秒」は良心的な数値で、ハネさえ開いてくれれば、役物に玉をねじ込むのは、さほどキツクもなかった。やはり、本機の「肝」は、いかにして電チューへ玉を放り込むかにかかっていた、といってよい。
大当りすると、役物キャラは上下動を停止、キャラ両脇(左右ステージ上)に、2個づつの貯留を行う。
さらに、下段奥の小さなアームにも、1個貯留する。Vを射止めやすいのは、このアーム貯留の方だった。
(アームが1個貯留した状態)
まず、ハズレ3カウント(orハネ9回開閉)の時点で、左右2個づつの貯留が解除。ここでV入賞する事もあるが、ハズれるケースも多かった。また、右の貯留よりも、左の貯留の方が、Vを射止め易かった。
最初の解除でVを逃しても、今度はハズレ7カウント(orハネ15回開閉)で、下段のアームに貯留された玉が解除されて、そのまま手前に直進する。この時点で、ほぼ継続確実だったが、実際には、このチャンスを逃してしまう事もあった。
それが、後続による「玉突き」パンクである。アームから放たれた玉が真っ直ぐVを目指している時に、後続の玉に弾かれて、Vを逸らしてしまうのだ。初当りがキツめの本機で、このパンクは実に痛かった。
これを防ぐために、貯留解除タイミングを見計らって、打ち出しを停止するのが効果バツグンだった。大当り中は、ハズレ個数とハネ開閉回数を常にチェックして、7C或いは15回目ハネ開閉時は止め打ちして、役物に玉を入れない事が重要だった。但し、キャラ両脇に計4個貯留させていた場合、これらがすべてハズれると、即アーム貯留が解除となるので、注意が必要だった。
なお、一部にはクセ悪台も存在し、せっかくアームに貯留させたのに、Vから逸れてしまう事もあった。これは、下段ステージのスロープが左右非対称で、ステージの中心を転がっても玉が直進しづらかったり、左右アームの開くタイミングに僅かなズレがあって、解除された玉が斜めに転がったりするのが、主な原因だった。
継続率は総じて良好で、完走時の出玉も約1500個とボリュームがあった。馴染みの店では、当時「ハネモノ3000発終了」の所が多く、初当り3回であっさり打ち止めとなる事も少なくなかった。立て続けに当れば、たった2回の当りで終了札が入った。
例えば、新宿「ジャンボ」の地下フロア(階段下りて右の2シマがハネモノ)は、3000発終了(2.5円交換)で7500円が手に入った(学生時代の自分には、大きな金だった)。カウンターで受け取った大景品と小景品(共に香水)を持って、道路向かいのしょんべん横丁にある換金所で金を受け取ると、同じ横丁の立ち食いそば「かめや」、格安うなぎ「うな丸」、ラーメン「ふじしん」などで腹を満たすのが、勝った時の定番になっていた。こうした「ささやかな楽しみ」が、今は随分と少なくなってしまったな…。
スーパーカーブーム
今回は、パチ・スロとほぼ無関係な話(最近、この流れが増えてきたな…汗)
今から36~40年前(1970年代)、「スーパーカーブーム」というのがあったのを、覚えているだろうか。
フェラーリ、カウンタック、ミウラ、ポルシェ、デトマソ・パンテーラといった高級・外国製スポーツカーががぜん注目を浴び、従来のモーターファンはもとより、それまで車と無縁だった小・中学生、幼児まで巻き込んだ、まさに「社会現象」となった一大ブームである。
この火付け役となったのが、当時、漫画家の池沢さとし氏が少年ジャンプで連載した、「サーキットの狼」という、破天荒なカーレースの漫画だった。これが、購読層の少年の心をガッツリ捉えて、「スーパーカー=かっこいい、憧れ」の図式が確立。いったん火が付いてしまえば、後は友人・兄弟などを通じて、輪は一気に広がり、いつしか「スーパーカー」でピンと来ない男子小学生などは、ほぼ皆無となった。
かくいう私も、周りの勢いにすっかり乗せられ、あのセンセーショナルな時代を体感した一人。学校では、友達と机上でスーパーカー消しゴムを「BOXY」のボールペン(パッチンペン)で弾き合った。筆箱や下敷きなどの文房具は、赤いカウンタックの写真入り。家に戻れば、近所の悪友とスーパーカーのメンコ遊びで興じる…という生活を送っていた。
他にも、12チャンネル(テレビ東京)でスーパーカーのクイズ番組(山田隆夫が司会の「対決!スーパーカークイズ」)が放映されたり、コカ・コーラの王冠の裏にスーパーカーの絵が描いてあったり、駄菓子屋でスーパーカーの袋入りカードが売られていたり、ポルシェのミニカー、プラモデル、ラジコンがオモチャ屋に並んでいたり…と、実に様々な形で、我々子供に「誘い」をかけて来た。
その後、いつの間にかブームは消え去ってしまったが、あの「夢のようなひと時」は、いまだ脳裏に焼き付いたまま離れない。
そこで、幼稚園~小学低学年だった当時の私が、「思い出のスーパーカー」達といかに付き合ったかを、いまさらながら一寸振り返りたい。
(スーパーカー消しゴム)
これは、まさに「定番」のアイテムであろう。いうまでも無く、カウンタック、ミウラ、ポルシェ、フェラーリ、マセラティ・メラクといった数々のスーパーカーを象った、小さなゴム状のおもちゃ(塩化ビニル)である。
但し、「消しゴム」とはいっても、「文字を消す」という本来の機能でみればダメダメで、擦った部分が却って黒く汚れてしまう類のものだった。
駄菓子屋などで、1回20円のガチャガチャ(コスモス)を回して、出てきた小さなカプセルを開けると入っていた。ガチャガチャ以外では、やはり駄菓子屋とか街のおもちゃ屋などで、透明なビニール袋に数個まとめて入っている奴を、小遣いをはたいて買いこんだりもした(バラでも売ってたかな…)。
こうして手に入れた「カー消し」(スーパーカー消しゴムの略称)は、そのまま眺めているだけでは、大して面白くもなかった。「車」である以上、やはり動かしたくなるのが人情である。
そこで、家にある「BOXY」のボールペン(通称「パッチンペン」)を引っ張り出し、裏側のノッカーでパチンパチンと弾きながら、板張りの廊下で一人「レースごっこ」を楽しんだ。ワックスの効いた床なら、カー消しのスベリもよく、爽快だった。
やがて、一人で遊ぶだけでは飽き足らず、廊下の直線コースや本を並べた簡易なコースで、友達と競争するようになった(公平を期す為、1回づつ交互にペンを弾くのがルール)。勝ったら相手の車を貰えるとか、「ギャンブル色」が強くなることもあった。
当然、自分のカー消しを速くしたいので(弾いた時、なるべく距離を出したい)、諸々の小技を仕込んだ。定番だったのが、タイヤ部分にボンド、セメダイン、ロウなどを塗り、摩擦を減らしてスベリを良くすること。また、車体の裏にホッチキスをかませて、スピードアップを図ったりもした。タイヤをカッターで削る、なんて事もしたな。
また、結構な「ウラ技」だったのが、ワンカップの空きビンに灯油を入れて、そこにカー消しをポチャンと投げ込む、というものだ。こうして「灯油漬け」にした車は、時間が経つとカチカチになって、サイズも極端に縮む。これをパッチンペンで弾くと、面白いくらいに距離が伸びたのだ。まさに「無敵」のスピードカーが誕生したが、これは流石に「ズルい」という事で、仲間内では禁止になった。
また、「パッチンペン」そのものに、仕掛けを講じたりもした。カー消しを強く弾くには、ペンの中の「バネ」を強力にする必要がある。そこで、バネを2個まとめて入れたり、いったんバネを伸ばして再セットしたりと、バネの強化を図った。
このように、カー消し対決を巡っては、子供ながらの「打算や駆け引き」が、確実に存在した。
それから、レース以外でも、学校の机の上で、お互いのカー消しをパッチンペンで弾いてぶつけ合い、先に机から落ちた方が負け…という、通称「落としっこ」をよくやった。
落としっこの場合、パッチンペンの威力を強める他にも、相手のどの部分に体当たりさせるかとか、いかに重くて安定した車を使うかといった、戦略も重要だった。当時は「磁力入りのカー消し」も出回っていて、これは重めで安定感があったので、カンペンケースに張り付けて、よく学校に持っていった。暫くすると、「勉強の邪魔になる」という理由で、カー消しの持ち込みは禁止されてしまった(発見しだい没収)。
(スーパーカーショー(展示会))
当時の子供達にとって、スーパーカーの「実物」に遭遇する事は、非常にラッキーな事だった。私など、フェラーリやポルシェなどが街中で駐車しているのを偶然見つけると、すぐに駆け寄って、運転席の中をガラス越しに覗こうとして、明らかに不審な態度を取っていた(笑)。
また、格好の遊び相手だった近所の「兄貴分」と連れだって、家から自転車で25分ほどの所にある、某・大学病院の駐車場に通うのも、何気に好きだった。この病院の付属大は、いわゆる「金持ちボンボン」が多く通う事で知られていて、病院近くのだだっ広い駐車場には、高給取りの医師やボンボン学生が所有すると思しき、ポルシェ、フェラーリ、ベンツ、BMWといった高級外車が、常にゴロゴロしていた。兄貴分は安物カメラでパシャパシャやっていたが、自分は実物を眺めるだけで満足だった。
それから、当時馴染みのショッピングセンター「ダイエー」で、「スーパーカー撮影会」というのを催した事もある。子供らに絶大な人気を誇った「ランボルギーニ・ミウラS」(赤)が、入口前の特設スペースに一台だけ止めてあり、緑の森が映った大きな背景パネルもあった。そして、幾ばくかの撮影料を払うと、運転席に乗せて貰い、写真を撮ってくれる…というものだった。わが人生で、名車・ミウラに腰を下ろしたのは、この時だけだ(寂しい話だが…)。
さらに、小学1年生時分、今はなき後楽園球場で行われた「ザ・スーパーカー・ジャンボフェスティバル」(1977年8月)という展示イベントに、祖母や親戚と一緒に出向いた事も、今となっては思い出深い。
このイベントは、来場者が直接グラウンド内に入る事が可能で、展示車の撮影もOKだった。幸い、この様子を収めた画像が手元に幾つか残っており、この場を借りて一部紹介したい。
(当日はあいにくの小雨模様だったが、ズラッと並んだカラフルな名車の数々を、間近で存分に堪能。)
(BMW320(i)レーシング)
(ランボルギーニ・ミウラSV)
(ランボルギーニ・ミウラSと電光掲示板…ピンクレディ「渚のシンドバッド」も懐かしい…)
(イタリアの名車「デトマソ・マングスタ」をバックに。隣は親戚の子(個人情報保護の為、顔は修正)。
後楽園のグラウンドに居並ぶ希少なスーパーカーを前にして、もっともおバカなポーズをとった罰当たり者は、多分この私だろう…。「NTV・紅白歌のベストテン」(歌番組)の看板にも、時代を感じる。)
(メンコ)
これまた、定番アイテム。70年代半ば~後半、メンコのデザインといえば「スーパーカー」「ウルトラマン」「ブルートレイン」の3つが、ダントツで主流だった。
スーパーカーファンの子供にとって、安価で手に入るメンコ(角メン、丸メン)は、有難い存在だった。
今回は、手元に残っている現物の一部を紹介したい。
★フェラーリ編
フェラーリ512BB(赤)
フェラーリ512BB(シルバー)
フェラーリ512BB(シルバー)
フェラーリ308GTB(緑)
フェラーリ308GTB(青)
フェラーリ400GT(黄)
フェラーリ・ディノ308GT(黄)
(ポルシェ編)
ポルシェ930ターボ(黄)
ポルシェ930ターボ(シルバー)
ポルシェ928(赤)
ポルシェ911ターボ(青)
ポルシェカレラRSRターボ(赤、レース仕様)
(ランボルギーニ編)
ランボルギーニ・ミウラP400S(黄)
ランボルギーニ・イオタ(赤)
ランボルギーニ・ウラッコ(シルバー)
ランボルギーニ・エスパーダ(白)
ランボルギーニ・カウンタックLP400(黄)
ランボルギーニ・カウンタックLP400(オレンジ)
ランボルギーニ・カウンタックLP400(赤)
ランボルギーニ・カウンタックLP500(赤)
ランボルギーニ・カウンタックLP500(青)
ランボルギーニ・カウンタックLP500R(黒)
(マセラティ編)
マセラティ・ボーラ(青)
マセラティ・ボーラ(白)
マセラティ・キャラミ(青)
(その他)
ロータス・ヨーロッパ(青)
BMW320iA
ランチア・ストラトス(画像状態は劣悪…)
ここまで画像をアップして気付いたが、多分、メンコの「裏面」に興味ある人もいるだろう。こちらも追加。
「標識、トランプ、宇宙絡みのアイテム、ジャンケン、番号」の組合せが、当時のメンコ裏面の定番だった。
あと、クイズやなぞなぞ、とんちの類が載る事もあった。中日ドラゴンズの選手(谷沢とか高木とか)のメンコだと、裏は大抵「クイズ」だったな…。自分はカープファンだったが。
スーパーカーメンコでは、このように車種や基本仕様を裏面に記すことも多い。左端(フェラーリ400GT)は、表が車の外観で、裏が仕様解説+運転席の画像となっている。また、真ん中(「ポルシェ928)の「西ドイツ」表記に、時の移ろいを感じる。
オアーゼ(パイオニア、4号機)
今回は、ちょい懐かしの12年前、2003年(平成15年)に出たAタイプ4号機「オアーゼ」(パイオニア)を振り返る。このブログでは、かなり「新台」の部類に入るが…。
(「オアーゼ(Oase)とは、ドイツ語で「オアシス」の意)
(ボーナス確率)
BIG REG
設定1 1/315 1/682
設定2 1/297 1/655
設定3 1/282 1/630
設定4 1/264 1/606
設定5 1/244 1/585
設定6 1/240 1/481
(払い出し表)
本機は、2001年登場のハイビスカス告知機「オアシス」(25φ)の後継機である。3種類のビッグ、2種類のバケはオアシスと同様。但し、ビッグファンファーレとBGMが2種類あったオアシスとは異なり、ビッグのサウンドは1パターンのみ。
(オアシス)
さらに、オアシスよりも「後告知」の比重が高くなり、「リーチ目」の存在感が大きく増した。
BRフラグ成立後の「プチストック」機能を搭載、初心者に配慮した設計だった。また、ビッグ中のリプレイハズシや設定6判別などもあり、中・上級者でも十分に楽しめた。
(出会い)
当時、私は東京・町田の「S」(閉店)という小さなスロ専で、シオサイ系の沖スロ「シオラー30」をメインに立ち回っていた。ここでは2002年~2003年の2年弱、効果抜群のリプレイハズシとS店の「台予約システム」「シーサーの置物(設定を示唆)」などを駆使して、かなり満足のいく収支を上げていた。しかし、店が露骨な回収に走った時などは、他店に「プチ遠征」をしていた。
(シオラー30)
そんな折、町田の隣の「相模大野」に出向く機会があった。駅周辺のホールチェックを一通り終えると、さらに郊外まで足を伸ばそうと、当てもなくフラフラと探索を開始。住宅街を抜けて、養鶏場や畑などの田園風景を目にしながら広い幹線道路に出ると、「ブルーホール」という一軒の郊外店を発見した。
この日は、ちょうどリニューアル当日で会員募集をしており、すかさず登録して新装の列に並んだ。入店後、スロのシマで見つけたのは、パイオニアのハイビスカス告知機(25φ)「オアシス」だった。あいにく新台ではなかったが、シオラー同様、オアシスも大の好物だった私は、このシマをいたく気に入り、町田S店の「避難先」として、その後もしばしば利用した。
(その時作ったブルーホール(麻溝台)のロボカード会員証)
※「BLUE HALL」ではなく「BLUE HOLE」の表記
やがて、この店のオアシスは半数が入替となり、代わりに入ったのが「オアーゼ」だった。初めこそ、オアシスほどの魅力は感じられなかったが、打ち込んでいくうちに、ビスカス告知とリーチ目のバランスの良さ、適度な技術介入性、そしてプチストック機能など、意外と面白味の多い台と気付いた。
また、この時期は、シオラーやオアシスの設定を露骨に下げる店も多く、設定が良さげで、粘ればそこそこ稼げる本機は重宝した。
ブルーホール以外でも、小田急・向ヶ丘遊園駅南口の「バンバン」や、井の頭線・渋谷駅ガード脇「日拓」(旧「大番」があった場所)などで、本機と遭遇した(シマはイマイチ人気がなかったが…)。結局、収支は「そこそこ」で終わってしまったが、告知系の楽しさを再認識できた、思い入れある一台だ。
★リールサンド照明
シオラーで初搭載された、パイオニア独特のカラフルな「リールサンド照明」は、本機も採用。但し、あくまで演出用ランプで、シオラーのように、告知演出やビッグ時の成立役ナビとして使われる事はなかった。
★プチストック機能
本機は、BRフラグ成立後もボーナス抽選を行っていた。目押しが苦手で、ボーナスを揃えるまでコインを多くロスする人でも、その間にBRに当選すれば、フラグはいったん内部ストックされて、ボーナス終了後の1プレイ目に放出される(ストック順に放出。先告知のみ)。ストック数は最大で16個。
目押しの得意な人は関係なさげな機能だが、リーチ目を堪能したり、裏モノチックな「1G連」を体感する為、あえてボーナスを延々と外し続けるのも面白かった(但し、200ゲーム以上外したのに、1G目に告知されなかった時のガッカリ感は大)。まぁ、「ストック」とはいっても、あくまでも「補助的」に過ぎない。
★お馴染みの「ハイビスカス」告知…そのタイミング
ボーナス成立すると、リール左右上部の赤いハイビスカス(オアシスより毒々しさが強い)が点滅して、フラグ成立を告知。元祖「シオサイ30」以降、ノーマル・裏を問わず、ビスカス系を好んだ私にとって、本機の告知ランプも「そそる」ものを感じた。
先行機オアシスと同様、告知タイミングは(1)成立Pのレバーオン、(2)成立Pの第3停止後、(3)成立次Pのレバーオン、の計3パターン。
ただ、その振り分け率は、オアシスと大分違っていた。オアシスの場合、(1)が50%(1/2)、(2)が37.5%(3/8)、(3)が12.5%(1/8)と、大半が成立ゲームの告知だった。
一方、本機は(1)が12.5%(1/8)、(2)が37.5%(3/8)、(3)が50%(1/2)へと変わった。つまり、いわゆる「後告知」がメインとなり、成立Pのレバーを叩いた段階では、告知されない場合が多かった。
その為、出目(或いはスベリ)でフラグ成立に気付く機会も増えた。賛否はあろうが、通常時が単調になりがちな告知モノで、リーチ目の存在価値を高めて、ゲーム性に「幅」を持たせた訳だ。新たなファンを取り入れようとする、メーカー側の努力も感じられた。
★プレミアフラッシュ
通常、告知ランプ(ハイビスカス)は、左右交互にチカチカと点滅を行う。これがBR共通の光り方だが、たまに、左右ランプが同じタイミングで、「徐々に明るさを増しながらジンワリ全灯⇒消灯」を繰り返すことがある。これが、ビッグ確定の「プレミアフラッシュ」だった。また、点滅するビスカスの光が通常よりも弱い場合(ボワボワっと寂しげに光る)も、やはりビッ確のフラッシュとなる(オアシス(ハナハナ)はプレミアが1種類だけだった)。これらのプレミアフラッシュは、告知発生時の「1/32」で出現。
★リーチ目
先述の通り、本機では、ボーナス成立の次ゲームで告知されるケースが「50%」もある。その為、リーチ目を察知して、フラグ成立に気付くことも多かった。
各リールにはいわゆる「強い形」が幾つかあり、リーチ目としては判りやすい形が多かった。ただ、スイカこぼしが絡むガセ目もあった為、適当打ちしていると、怪しげな出目に一喜一憂させられた。以下は、本機の代表的なリーチ目より抜粋。
・各リールの「強い形」(特定小役ハズレで入り目)
(左リール)
リ・ス・ス…リプレイorスイカハズレ目 ス・ス・ベ…スイカorベルハズレ目
(中リール)
ハイビスカス・リプレイ・ハイビスカス(ハ・リ・ハ)…リプレイハズレ目。
チェ・ベ・チェ…ベルハズレ目。チェリーで止まる事もあるが、左右のチェリーの位置によっては入り。
(右リール)
ハ・チェ・ナ(チェリー付きの下段赤7=ゲチェナ)…これもリーチ目に良く絡んだ。スイカこぼしもあるが、左にスイカがなければ鉄板(ハサミなら2確)となる。
・主なリーチ目(3枚掛け)
(※「スイカこぼし目」も含む)
赤7と青7の一直線形は、全ライン鉄板。
右リールのチェリーは代用図柄となる。
中リールのスイカも、代用図柄の役割を果たす。これは右上がりだが、右下がりでもOK。但し、中段ラインはガセる。
中段ラインのスイカ絡みでも、「赤7・スイカ・スイカ」の形は強い。
単なる7図柄のズレ目に見えるが、実は鉄板の二確目。
コチラのズレ目は、ベルハズレで入り。
「スイカ・スイカ・チェリー」(ス・ス・チェ)の中段一直線。割とよく出る形。
スイカの大V字。大山型・L字・逆L字でも有効。
スイカ・ベル・リプのトリプルテンパイ…中でスイカを狙って、全小役が外れれば入り目。
スイカとベルのWテンパイは、スイカ平行テンパイならスイカハズレ目。この形は、スイカの逆L字型(リーチ目)も同時形成しやすい。
スイカ・ベルのダブテン型でも、スイカ右上がりだと右リールは条件が付く。右上段にボーナス図柄かチェリーがないとダメ。また、チェリーでも「ゲチェナ」のチェリーはNG。
スイカとリプレイのWテンパイは、スイカが平行テンパイならスイカハズレ目。
スイカ・リプのダブテンでも、スイカ右下がりだと右リールは条件が付く。右下段にボーナス図柄かチェリーがないと、リーチ目にならない。やはり、右ゲチェナのチェリーはNG。
ベル・スイカの平行テンパイは、小役ハズレ目。
強そうに見えて普通にハズレが多い、右リールの2連青7(ナ・ナ・リ)。だが、形次第では強力なリーチ目となる。上はハサミ打ち時、青7とリプレイがWテンパイした形。大抵リプが揃うが、たまにハズれてビックリする(リプハズレ目)。
こちらはハサミ二確目。
やはり見かけ倒しの2連青7(ベ・ナ・ナ)。だが、コチラはハサミでベルハズレ目。
チェリーの一直線形は、ボーナス成立後のリーチ目。常にビスカス点滅を伴うので、あまり感動はない。チェリー絡みのリーチ目は他にも多く存在するが※、いずれも成立後の「アト目」で存在感はイマイチ。
(様式美の優れたものもあるが…)
※左チェリー出現時の主なリーチ目
・チェリー付きボーナス図柄のハサミテンパイ形(ボーナス図柄は全てOK)
・チェリーのダイヤモンド型(中リールに「チェ・べ・チェ」停止)
・チェリーの平行四辺形(中リールに「チェ・ベ・チェ」停止)
・チェリー付き小役のハサミWテンパイハズレ
・左にチェリー付き7が上段に停止して、中リール下段に異色の7が止まった形
などなど
★通常時の4枚チェリー狙い
チェリーは2枚役だが、角だと4枚となる。チェリーを下段ビタで狙えば、必ず4枚チェリーになる。但し、一コマ遅いと取りこぼす。確実に2枚でとるか、目押しを駆使して4枚にするかの二択。
★BRフラグ判別法
手順は幾つかある。リーチ目が出たら、次ゲームは左リール中段に「赤7」、右中段に「ハイビスカス・チェリー・赤7」(ゲチェナ)の赤7を狙って、赤7で挟むのが一般的(右で7がテンパればビッグ、ハイビスカスまでスベればバケ)。プチストックがあるので、3枚掛けで判別しても、コインロスにはならない。
また、「3枚掛け・右押し」でも判別は可能だった。右にゲチェナを狙って、そのまま「ハイビスカス・チェリー・赤7」が止まればビッグ。一方、赤7が枠下に落ちて、ハイビスカスが中段に止まればバケ。
なお、制御上、本機で右押しすると、ビッグフラグが立っていない限り、右リール上段にボーナス図柄は止まらない(小役・リプレイ成立時を除く)。よって、フラグ確認後、右リールに「2連青7」を最初に狙い、青7が上・中段にビタっと止まればビッグ、1コマスベッて中・下段に止まればバケとなる。
★リプレイハズシ(効果大)
1、2回目の小役ゲームは、順押しで消化。左リールは「チェリー」を枠内に狙う。左にスイカが止まったら、中・右にもスイカを狙う。
3回目の小役ゲームに入ったら、中押しに切り替える。中リール枠内に「赤7」を狙い、中段に停止した図柄に応じて右・左を狙い分ける。
・中段ベル停止…ベルorハズレ。左⇒中は適当押し。
・中段スイカ停止…スイカorハズレ。右にスイカを狙い、テンパイしたら、左に2連スイカを狙う。
・中段リプレイ停止…ジャックインorチェリーorハズレ。右は適当押し。中段にリプレイがテンパイしたら、左には、ハイビスカスを上段付近に狙う(6コマの余裕アリ)。但し、この方法では、チェリーが「2枚」(中段)になってしまう。4枚(カド)で取りたい場合は、左に「上にスイカの付いた赤7」を上段or中段に狙う。但し、余裕は2コマしかないので、ハズシミスのリスクも多少ある(ビタが余裕なら問題ないが)。
・中段に上記以外が停止…ハズレ
残り9ゲーム(パンクが嫌なら10Gから)になったら、順押し小役狙いに切り替える。
★設定判別(6判別が可能)
設定6判別
・ビッグ終了後、クレジットを落とす。
・コインを32枚投入(クレジットは29)。
・そのまま1P消化。
・3枚手持ち(2枚投入・1ベット⇒1枚投入・2ベット)
・11枚手持ち(2枚投入・1ベット×5⇒1枚投入・2ベット)
・以後は、11枚手持ちの繰り返し。
・16プレイ目以降、レバーオン時のCR表示が「30」の時が判別プレイ。
・判別Pのチェリーとスイカの出現率が20%以上あれば、設定6と判断。
マーダー(藤商事、アレパチ)
1990年(平成2年)に藤商事から出たアレパチ「マーダー」
今思えば、かなり「物騒」な機種名である。今、本機を取り上げるのは、正直「不謹慎」な気もする。
ただ、刃傷沙汰が連日のように起こる今、「自粛・自粛」と気を遣ってばかりでは、この台をアップする機会など、永遠に来ないだろう。そこで、思い切って記事作成に至った次第。批判は甘んじて受ける。
本機は、初心者~毛が生えた程度の頃、新宿歌舞伎町(西武新宿駅前)の「日拓1号店」(名前を変えて現存)というホールで打った。アレパチとはいっても、この店では完全に「一発台」の調整がされており、一度大当りすれば、自動的に4000発(3円交換で12000円)が手に入る仕様になっていた。
当時は、あまり資金に余裕がなく、途中でタネ銭が尽きてご帰還…のパターンも多かったが、運よく小さなデジタルが3つ揃うと、大いに高揚して右打ち全開⇒予定終了のコースを堪能した。店員が「終りです」とやってくると、ずしりと重いドル箱を担ぎ上げて、ジェットカウンターで自ら玉を流し、景品カウンターで特殊景品(大=プラスチックケースにゴルフのマーカーが2個入ったもの、小=ライター石(フリンツ))に替える。そして、裏路地の階段(「ラーメン坂内」と「TV麻雀道場・貴族」の間)を降りた先の怪しい地下換金所で、学生にとっては「大金」の12000円也を受け取った。胡散臭くも懐かしい平成初期の思い出である。
現在の「新宿日拓1号店」=「エスパス日拓・西武新宿駅前店」。
平成2年当時は、外壁に「パチンコ」の赤い横書きのネオンが出ていた。今は知らないが、当時は1Fがパチ、2Fがスロだった。
1Fは、ブラボーエクシード(平和)やドリームX(奥村)といったデジパチ、キャラバン(マルホン)、ベータ(ニューギン)などの一発台、そして羽根モノのビッグシューターIII(平和)といった、誠に香ばしいラインナップになっていた。
一方の2Fも、センチュリー21(瑞穂)、リバティベルIV(ユニバーサル)、トロピカーナA(メーシー)、ビッグパルサー(山佐)、バニーガール(オリンピア)といった2号機が並んでいた。立地上、客付も良好で、夜7時ともなると、どのシマも満席となり、空き台探しが大変だった。
また、現在の画像では確認できなかったが、90年当時は、1Fの自動ドア横に大型のTVモニタを幾つも重ねて、外から見えるように並べてあった。土・日はここで競馬中継を流していて、モニター前では観戦の人だかりができた(あれは、客寄せも兼ねていた筈)。そういえば、換金所があった路地の10円ポーカー店は、入口に「只今、店内にて競馬実況中」の看板を出して、客寄せしていた。
ただ、私は当時さほど競馬に興味がなく、馬といえば専らデジパチの「ダービー」(京楽)だった(笑)。
なお、新宿日拓以外では、向ヶ丘遊園の「スター」にも置いてあった。但し、ここは私にとって「シャトル21」の実戦がメインで、本機を実戦したことはない。
さて、本機の遊技方法は、アレパチ本来のマッタリしたゲーム性こそ備わっていたが、当時ホールに設置されていたのは、大半が「一発」調整されたものだった。
(メインデジタルとクルーン)
天下には、3ケタの小さな赤い7セグデジタル。その下に、コンビタイプの3つ穴クルーン役物※。
※同社の同じ3つ穴クルーンタイプ「コメット」(アレパチ)と同じ役物を使用。また、既にお気づきとは思うが、このクルーン役物、大同の一発台「アルファローズ」と同タイプである(但し、アルファローズは手前が大当り穴だが、本機は奥に入らないとダメ)。
盤面下には、アレパチ独特の「ナンバーポケット」(1~16)があり、ここに入賞すると、数字下の赤ランプが点灯。この時、「1、2、3、4」のように4連続で並ぶと、得点が1点入る(5連続で2点、6つだと3点)。また、「5、6、7、8」或いは「9、10、11、12」の位置が点灯すると、「ジャックポット」で一気に3点入る。さらに、ヘソの「2倍」チャッカー通過で、得点は2倍になる。1ゲームで計16発打ち、獲得した得点分の賞球が最後に払い出される(1点=16発。1ゲーム最高10点(「F」)=160発)。16発打つごとにリセット⇒再開となるが、ゲームの途中で「精算ボタン」を押すと、その時点でリセットされる。
センターのクルーン役物に入賞した玉は、皿の上をしばし回った後、3つ穴の何れかに入る。穴は手前が1個で、奥が2つ。手前穴は単なるハズレで、そのまま役物外に落下となる。一方、左右奥の何れかに入ると、天下のデジタルが変動。シャトル21と同様、奥は大当り穴ではなく、単なるデジタル始動チャッカーに過ぎない。なお、奥穴への入賞率は、クルーン周辺釘のほか、台のネカセ等によっても変わる。
デジタルは、左・中・右いずれも「0~9」の数字のみで、各数字の三つ揃い(000~999)で大当り。小当りや中当りはない。左・中テンパイでリーチが掛かると、独特のテンパイ音(ピュイ)が鳴ったと記憶する。なお、奥の左右穴に入ると、ナンバーポケット「6」「8」が点灯。
因みに、デジタル確率は、表面上10/10×10×10=1/100となっていて、内部確率も全く同じ。
デジタルが揃うと、盤面左右のチューリップが開放。左のチューリップに入賞すると、ナンバーポケット「2、4、7」が点灯する。ゲージ上、「5、6、8」は入賞し易いが、「7」には入りにくく、左チューリップ入賞で、「5、6、7、8」全灯(ジャックポット=3点)となり易い。但し、左チューリップは1個入賞で閉じる。
一方、右チューリップ入賞時は、ナンバーポケット「10、13、15」が点灯。ゲージ上、「9、11、12」は入賞し易いが、「10」は入りにくく、右チューリップ入賞で「9、10、11、12」全灯(ジャックポット)となり易い。右チューリップも1個入賞で閉じる。
一発台調整の場合、左チューリップは無調整なので入賞により閉じるが、右のチューリップは玉が入って閉じないよう、周りの釘でガッツリとガードされていた。
この状態で大当りして右打ちすると、開放した右チューリップの左先端に玉が当たり、玉の流れが内向きに変わる。その為、通常入りにくいナンバーポケット「10」へ頻繁に飛びこむので、容易にジャックポット(3点)獲得となる。さらに、ヘソの「2倍チャッカー」にもポンポン入るので、「3×2=6点」で出玉を稼ぎやすくなる。その後は、右打ちで店の定めた予定数(新宿・日拓1号店は4000発)まで玉を出す。
因みに、同じ藤商事のアレパチ(アレンジボール)「シャトル21」では、デジタルが揃って大当りした直後、再びクルーン奥入賞でデジタルが回ると、無情の「パンク」となった(精算ボタンで、ある程度回避可能)。私も、シャトル21で初めて大当りした時に、御多分に漏れずパンクさせた経験を持つ。
一方、本機の場合、デジタルが揃ってチューリップがいったん開けば、再びデジタルが回ってもチューリップは閉鎖しない為、シャトル21のようなパンクはない。
因みに、店側が釘調整を失敗すると、大当りしていないのに、右打ちで10番に入ってジャックポット連発となり、延々と出玉が増える「お宝」のケースもあった。
デジタルの「連チャン性」に関しては、あからさまな連チャンの経験こそないが、もともと「1/100」と高確率な為、自力で数珠っぽく当るケースもあった。その分、クルーンに飛びこみ辛い調整も多かったが…。
また、自分の知る限り、デジタル確率をアップさせる攻略の類も、無かったように思う。
なお、旧要件末期の藤商事アレパチでは、名機「シャトル21」の知名度が群を抜いて高かった事は、当ブログをご覧の方なら、よくご存知だろう。
実は、同時期の藤商事は、本機をはじめ、コメット、ダブルアタック、7UP-1、スーパーイーグルI、プラズマX、キャッツアイなど、一発台仕様のアレパチを多く出していた。しかし人気・知名度においては、いずれもシャトルに及ばない。それだけ、シャトルの存在感が大きかった訳だ。
もちろん、上記のアレパチ各機も、決して不出来だった訳ではなく、コアなファンも少なからず存在した。
ただ、同じ頃、ライバルメーカーの太陽電子(現・タイヨーエレック)には、ワイワイワイ、タックル2世、クラッシュ、パラダイス、サンビートなど、攻略や小技の効くアレパチが多かった。一方、藤商事にはそうした類の機種が少なかったので、その分、記憶に残り辛かった点も否めない。
クレイジーホース(奥村、一般電役)
1992年(平成4年)に奥村遊機(モナコ)から登場した一般電役「クレイジーホース」
★新要件機
★賞球…7&15
★デジタル確率…1/225
★図柄…A、2~9、0、J、Q、K、¥、$の3つ揃い(15通り)
★デジタルが揃ったら右打ち。3つの電チューと2回開きチューリップの連動で、出玉を稼ぐ
★出玉…釘調整、電チュー空振り等で変動したが、平均すれば4000発~4300発(出玉は多め)
★大当り中のBGM=「静かな湖畔」(スイス民謡、一発台のスーパーコンビと同じ)
★大当り中、出玉を増やす「小技」があった(後述)
★当時の実戦店…都内の活動エリアでは、割とよく見かけた記憶あり。
特に、新宿・西口大ガード前の「ニューミヤコセンター」と、はす向かいの「ジャンボ」双方に入っており、交差点を挟んで本機の「ハシゴ」に励んだ事もある。ジャンボの本機のシマは無制限で釘はシブく、一回交換のニューミヤコの方が当然ながら釘も甘かった(但し、先に撤去したのもニューミヤコ)。
因みに、当時のスロットシマは、ニューミヤコがムサシIIで、ジャンボ(地下)がスーバニ、コンチIII、コンチIIだった。
(在りし日の新宿ニューミヤコセンター) (新宿ジャンボは現存)
※跡地は「カレイド」
名機「ドリームX」や、新要件初期の確変機「ドリームEX」(後継機は「ドリームZ」)、3回権利物「スーパースター」等を彷彿とさせる、奥村お馴染みの、赤い小さなドットマトリクスが特徴。なんで、あんなに控え目で小さなデジタルなのに、ビシッと揃うと液晶機よりも「感動」が強かったのだろうか…(遠い目)。
機種名の「クレイジーホース」は、パリの老舗ナイトクラブの名前とか、インディアンの酋長の名前とか、「暴れ馬」とか、色んな意味がある。盤面デザインも、何気にアバンギャルドな雰囲気が漂って香ばしかった。「Monako」の筆記体ロゴも、シンプルだがカッコ良かったな…。
本機のゲーム性は、大一の大ヒット一般電役「フルーツパンチ」と同様、メインデジタルが揃ったら右打ちして、電チュー等の連動で出玉を稼ぐタイプ。しかも、出玉は2回権利物並み(4000発オーバー)というボリューム感があった(もちろん、釘にもよるが)。
さらに、大当り確率は「1/225」とデジパチ並みで、出玉が多い割には良心的な数値だった。
まぁ、スペック的には「甘い」ように思えたが、その分、ヘソをガッツリ締める店も多かった(ただ、ストロークを強めにして右サイドから狙うと、妙に回りが良くなる台もあった)。
また、ヘソが通過式(スルー)で戻しがなく、玉持ちは非常に悪かった。一応、ヘソ下に「7個」戻しの入賞口があったが、ここもキッチリ締められるケースが目立った。
上記「ニューミヤコ」では、ヘソ下の入賞率が良い台に遭遇することも稀にあったが、ライバルの「ジャンボ」はハッキリと戻しの命釘をシメていた。
(リーチアクション)
当時、奥村のデジタル台といえば、シンプルなリーチが多く(それがウリでもあった)、明確なロングリーチ(SPリーチ)と類別できるものは、まだ存在しなかった(結果として、移行コマ数が多いのはあったが…)。
本機は、奥村初となる「ロングリーチ」を搭載した、記念すべき機種である。後に出た「ギャラクシー」(1994年、3回権利)やスーパーカブキ3(1995年、3回権利)といったアツいロングリーチの礎は、まさに本機だった訳だ。
デジタル停止順は、「左⇒中⇒右」。左・中テンパイでリーチとなり、右デジは速度を落としてスクロール。
この時、右が2周以内で止まる「ノーマルリーチ」と、3周目に突入する「ロングリーチ」があった。ノーマルのまま当る事もあったが、ロング発展時は期待度も高かった。
ロングに入ると、大当り若しくは前後1コマでしか停止しない。また、当る時は、右デジが直接大当り図柄で停止するパターン以外に、大当り数コマ手前(最大4コマ手前だったか…)で一旦ハズれて、スルッと再始動して当るケースがあった。この再始動は「鉄板」アクションで、本機で最もアツい瞬間といえた。
(大当り中)
メインデジタルが揃ったら、「右打ち」に切り替える。
盤面右サイドには、上から「電チューA」、「2回開きチューリップX」、「電チューB」、「電チューC」と、計4つのチューリップがある(下図を参照)。
大当り中は、右打ちでこの4つを連動させて、出玉を増やしていく訳だ。
(盤面右サイドの概要)
デジタルが揃うと、まず右上(上段)の電チューAが、1.8秒×3回の開放を行う。デジタルが揃った後、Aが開くまで少々タイムラグがある為、止打ちで節玉できた。同時に、玉切れ「パンク」も要注意だった。
実際、デジタルが当って玉切れに気付く客もおり、慌てて隣の人の上皿に手を伸ばし、半ば強引に玉を借りる(奪う)光景も、しばしば目撃した。まぁ、自分の場合、必ず100円玉1枚を手元に残していたので、そんな事はなかったが…。隣のオヤジが玉切れで慌てていれば、無言で上皿に補給する事に、何の抵抗もなかった(玉を返すそぶりすら見せない、図々しいヤツもいたけどね…)。
電チューAに1個入ると、下の2回開きチューリップX(電チューではない)がAと連動して開放。右打ち全開なら、Aが一旦閉鎖した時、Xに2個入る。2個入賞で、Xはいったん閉じる。
上記の要領で、「A開放→A入賞(1.8秒で閉鎖)→X開放⇒X2個入賞(即閉鎖)→A開放…」の連動を、計3回繰り返す。結果、2回開きチューリップXに計6個入賞する(このうち、5個入賞分が下の電チューBにメモリーされる。Xの入賞総数が4個以下だと、出玉は大きく減る。詳細は後述)。これが、大当り序盤のチューリップの動きである。
さて、2回開きチューリップXに1個入ると、下の電チューBに内蔵された2ケタ小デジタルが変動を開始。小デジに「00」以外が出れば当選で、Bは2.8秒×2回の開放を行う。なお、「00」の出現率(空振り)は1/225と低い。224/225の高確率で電チューBは開くが、稀に外れると出玉は減る。また、Bの小デジにはXへの入賞を記憶する保留ランプが4つあり、Xが計5個拾った時点で保留は満タンとなる。
電チューBに1個玉が入ると、最下部の電チューCの2ケタ小デジタルが変動を開始。やはり、「00」以外なら当選で、Cは5.8秒×1回の開放を行う。Cの小デジにも、B入賞を記憶する保留ランプが4つある。Bは「2.8秒×2回」開放だから楽に5個入賞するので、Cの保留も満タンになり易い。以下、全保留を消化し終わるまで、Cは最大5回の開放を行う。
Cの開放が終わると、Bの保留が1つ消えて、2回目の開放が始まる(2.8秒×2回)。同様に、Cも計5回の開放を再び行う(5.8秒×1回×5回)。
こうして、Bの保留が全て消化し終わるまで、BとCは延々と連動を行う仕組みだ。
保留の全灯に失敗せず、小デジも「空振り」しなかった場合、電チューBは合計で「10回」開く。
(2回(×2.8秒)×Xへの入賞5個(現在回転中+保留4個=5個))。
よって、2.8秒×2回の開放で、1回の開放当たり平均4個入賞の場合、Bのみで稼ぐ出玉は、
10(回開放)×4(個入賞)×15(賞球)=600発となる。
同様に、電チューCは合計で「25回」開放する※。
(1回(×5.8秒)×Bへの入賞5個×Bのメモリー5つ)
※但し、Bの2回目開放のタイミング(詳細は不明…)によっては、25回以上の開放だった可能性もある。この点、文末の「追記の追記」を参照。
よって、5.8秒開放で平均9個入賞の場合、Cのみで稼ぐ出玉は
25(回開放)×9(個入賞)×15(賞球)=3375発となる。
すなわち、BとCの連動で、600+3375=3975個の大量出玉となる訳だ。
これに、電チューA及び2回開きチューリップX(共に7個戻し)への入賞分を加えれば、容易に4000発を越える。この出玉の多さも、本機のウリの1つであった。
もちろん、電チューの拾いは良し悪しがあって、電チュー周辺の釘次第で出玉は大きく増減した。
(4500発の時もあるし、4000発を切る事もあった)
また、運悪く小デジが1回空振りすると(小デジ停止時の1/225で発生)、当然に出玉はロスとなる。
電チューCの空振りは大して痛くもないが、Bが空振りすると大幅な出玉減となって痛かった。
(大当り中に出玉を増やす「小技」)
上記の通り、大当り中、電チューAが玉を1個拾うと、連動して2回開きチューリップXが開く。
Aは合計3回開くので、Xには「6個」(2個×3)の入賞が可能となっていた。
(Xへの入賞が4個以下だと、Bの連動が減って出玉減となる)
一方、Xの下にある電チューBはメモリーが「4個」しかなく、現在回転中と保留を合わせても、Xへの入賞個数は「最大5個」までしか反映されない。
(Xに6個目が入賞しても、Bは既に保留満タンなので「無効」となる)
そこで、Aが2回目の開放を行い、Xが2個目(累計で4個目)の玉を拾って閉鎖したら、すかさずストロークを「右打ち全開」から「やや弱め」に切り替え、盤面右上の「風車」付近(盤面上部「Monako」の大きな筆記体ロゴの「ko」の辺り)を狙う。
うまくいけば、Aの開放3回目に、Xに5~6個目の玉を入れずに(Xは開放したまま)、電チューB、Cの連動が始まる(この時、Bのメモリー点灯は3個)。そして、連動が進んでBのメモリーが1つ消えた瞬間(メモリー点灯数は2個になる)、再び右打ち全開に戻して、開いたままのXに2個入れれば、Bのメモリーは2個追加されて満タンになる。
結果、普通に打ち続けるよりも、Bの開放回数が1セット分(2.8秒×2)増えるのだ
(Xへの6個目入賞を有効にする手法)。当然に、Bが1回多く開放すれば、下のCも多く開くので出玉は増える。電チュー周りの釘によっては「5000発越え」も可能な、大変オイシイ「小技」であった。
但し、ストロークを弱めにして右風車を狙っても、必ずしもXへの入賞を回避できた訳ではない。
(釘によっては、弱めに打ってもチューリップの左サイドからXに飛びこむケースもあったから)
それでも、リスクは少なく「やった方が得」だった事は確かで、ダメ元チャレンジの価値は、大いにあった。
(ダブル狙い)
本機については、「大当り中、デジタル確率がアップする」との説が、まことしやかに流れた事がある。
そこで、電チューB、Cの連動が終盤に来たら、通常のストロークに戻してメインデジタルを回し、大当りさせてから再び右打ちに戻す…という「終盤のダブル狙い」が注目された。
なお、本機のメインデジタルにはメモリーが4つあるが、連動が始まるとすぐにデジタルは消化される為、保留玉でダブっても、ほとんど恩恵はなかった)。
このダブル狙い、残念ながら、解析によって明確に「大当り中の確率アップ」が立証された訳ではない。むしろ、大当り中に通常ストロークに戻すと、出玉を大幅に減らしてしまうリスクが高かった。
私自身、この方法を試したのは2、3度程度だが、ハッキリ言って明確な効果は体感できなかった。
(数珠連チャンの謎)
上記「ダブル狙い」とは別に、大当り終了後の早い回転数(50回転程度)で再び当りがくる「数珠連チャン」のケースが、実戦でまま見られた。
その為、本機を「仕込み連チャン機(数珠連機)」と評価する向きも、少なからずあった。
確かに、好調時は50回転以内で2回、3回と数珠り、、4000発越え連発でウハウハな時もあった。
しかし、元々の確率が1/225と甘めだったから、単なる「自力連チャン」ではないかと疑われた。
解析上、本機の大当り判定は「一発抽選方式」で、判定用カウンターは「0~224」の計225コマ。新規に拾った乱数と前回乱数の合計が「7」なら、大当りと判定される。
また、合計値が特定の15個の乱数だった場合、ハズレリーチが掛かる(ハズレリーチ確率は15/225=1/15)。
一方、数珠連チャンを誘発するようなプログラム上の怪しい部分は、解析データからは見て取れない。
ただ、実戦との兼ね合いや当時の「流行り」からいっても、「数珠連チャン機」と捉える事に、何の不思議もなかった。大当り後に即ヤメした客がいれば、すかさずハイエナして50回転くらい回してみるのも、一つの選択肢になっていたのだ。実際、そのパターンでカマ堀りに成功した事も何度かあった。ひょっとして、当時の解析では見抜けなかった、巧妙な「カラクリ」が存在したのかも…。
※なお、本機の後継機「クレイジーホース2」が、1993年(平成5年)に登場している。
(メーカー公式HPの情報による)
★追記★(2015.3.6、GSEさん)
コメント、有難うございます。ご指摘の通り、入賞個数の記載がダブルカウントで間違っていました(滝汗)。脳内で電チューをパカパカやっているうちに、完全に錯覚したようです。大変失礼しました。仰る通り、10回開放の場合、1回当たりの平均入賞は「6個」ではなく、半分の「3個」ですよね(大汗)。
同時に、あの電チュー連動で4000発以上出すには、当初想定したB、Cへの平均入賞個数では、全く足りない事も判りました。そこで、4000発に届く入賞数を考え直したところ、B(2.8秒)は1回当り「4個」(2回で「8個」)、C(5.8秒)は「9個」だと、丁度いい感じになりました。0.6秒間隔の打ち出しであれば、いずれも入賞可能と思います。そんな訳で、当初の数値と差し替えたものを再度掲載しましたので、よろしければご確認下さい(数値を変えた部分は、青で表示しています)。
また、(2回(×2.8秒)×Bへの入賞5個(現在回転中+保留4個=5個))の記載についても、Bの開放回数を決定するのは「Bへの入賞」ではなく、2回開きチューリップ「Xへの入賞」ですので、やはり記載が誤りだった事に気付きました。正しくは、(2回(×2.8秒)×Xへの入賞5個(現在回転中+保留4個=5個))となります。これに関しても、修正させて頂きました。
なお、電チューの「閉鎖時間」については、私も明記しておきたかったのですが、残念ながら正確な数値を把握する資料がなかった為、お知らせする事ができません。「鋭意捜索中」という事でご容赦下さい。
今後、YOUTUBE等の実機映像アップも、期待したいと思います(当ブログで記事作成後に実機動画が後を追って出るパターンも、過去に少なからずありましたので…)。
(追記、ここまで)
★追記の追記(2015.3.6) GSEさん
電チューB、Cの連動について検討し直すうちに、Bの「2.8秒×2回」の開放が、「立て続けに2回開く」のか、或いは「長めの閉鎖(閉止)時間を経て、2回目が開く」のか、少々自信がなくなってきました(汗)。
そもそも、「2.8秒でBに平均4個入賞」とか、「5.8秒でCに平均9個入賞」というのは、決して容易ではありませんよね。よくよく思い返すと、もっと楽に4000発オーバーしていた記憶があります。
とすると、Bは「立て続けに2回開放」ではなく、「1回目の開放後、ある程度長い閉鎖時間を経て、2回目が開いた」のかもしれません。
例えば、Bの最初の開放(2.8秒)でBに「3個」入賞して、その分がCにメモリーされる。そして、Cのメモリー全消化後に、Bがタイミングよく2回目の開放(2.8秒)を行って、再びCにメモリーされる…こんな動きだった可能性もあります。
この場合、Cの総開放回数は「25回」よりも確実に多くなります。例えば、Bへの平均入賞個数が「3個」だった場合、Cの総開放回数は「3(Bの平均入賞3個)×2(計2回の開放)×5(Bのメモリー5個※)」=「30回」。これで、Cに平均「8個」入るとすれば、Cのみが稼ぐ出玉は30×8×15=3600発となります。もしかすると、コチラが正解かもしれません(滝汗)。
※「現在回転中+保留4つ=計5個」
ただ、先程も書いたように、電チューの「閉鎖時間」については、資料もなく、記憶もすでに曖昧です。
あの香ばしい電チューの連動を、何とか文章で正確に「再現」しようと努めましたが、残念ながら限界があったようですね。こうなると、実機による「検証」が不可欠かもしれません。もちろん、当方も出来る限り「真相」を追及したいと思います。
(追記の追記、終り)
Youtube ’90年代動画・まにあっく分析
色々あって、少々更新意欲が萎えていたが…何とか充電して「通常営業」に戻ったので、ご心配なく。
なお、充電中は、コメント欄を一時的に「閉鎖」させて頂いた。書き込めなかった人、御免なさいね。
閉鎖の理由は…何となく察して頂きたい。現在、コメ欄は全て元に戻してあるので、ご自由に書き込んで頂いて結構である。
さて、この充電期間、何を考えていたかというと、「これからは、本当に書きたい記事を、書きたい時に自由に書いて行こう」という、非常にシンプルな事だった。
ただ、「まにあっく」というブログタイトルに執着しすぎて、この「初心」をすっかり忘れていた気がする。
今後は、機種の「詳細データ」に固執する堅苦しいマネはやめて、もっとのびのびと自由気ままにに更新して行く所存だ。その旨、ご了承願いたい。
で、今回は、これまでずっとやりたかったが我慢していた、「90年代・Youtube動画分析」というのを、試みたいと思う。
ご存知の通り、動画共有サイトの「Youtube」には、ン十年前という過去の貴重な動画を、惜しみなく次々とアップする投稿者が、少なからず存在する。
なかでも、90年代前半に個人撮影した「都内・東京近郊」の懐かしい映像を公開してくれる、「ライル(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)」さん(80年代から東京に居住する、外国の方)という投稿者は、私にとって「神」ともいえる存在だ。彼がヨウツベに動画アップを開始した初期(当ブログの開設前)からの「大ファン」である。
当ブログでは、しばしば「タイムマシン」というキーワードが出てくるが、何を隠そう、これが「ライル動画」の事である。「タイムマシンに乗って~」などと書いた時は、大抵が彼の動画に感化されたものだ。
以前、反響があった「渋谷・井の頭ガード下」(立ち食い「陣馬そば」など)の記事も、彼の動画投稿があったからこそ、あのように詳細に「再現」できた。
もちろん、私自身にとっても思い入れあるエリアだからこそ、回顧記事にしたくなる訳だが。
また、ライルさんの動画をくまなくチェックすると、故・田山幸憲プロが通った1990年(平成2年)当時の池袋・西口「S店」(山楽)の様子や、1992年(平成4年、田山さんがネグラにする少し前)の溝の口「B店」(PSビッグトップ、既に再開発により消滅)などの姿も、見事に映りこんでいる。
世界中の動画サイトを探しても、そうした貴重なものが映っているのは、ライルさんの動画以外にないだろう。
なお、過去に当ブログ宛コメントで、ライルさんの動画について、当方に動画リンク先を付けて「情報提供」して下さる方も複数いたが、全て「非公開」扱いとさせて頂いた。無論、いずれの動画も、コメントを頂く以前の段階で、当方チェック済みである。基本的に、動画がアップされた一両日中に、ライルさんの90年代動画に関しては、ほぼ全てに目を通している。
さらに、私の手元には、「ライル動画」を元に作成した「レトロパチンコ店リスト」というのもある。新着動画が上がるたびに、隅から隅まで映像を細かくチェックして、「この動画の〇分〇秒の部分で、〇〇というパチ屋が映っている」という情報を、動画URLとセットで書き溜めてきた。そうやって確認できたホールの数は、すでにのべ300軒を超える。なかには、平成初期の「上野」「品川」「東銀座」「渋谷」などにあるホールに入って内部撮影を敢行した、稀有な映像もある。
この「リスト」を当ブログが公開すれば、レトロファンにとっては、それなりの「歴史資料」ともなろう。
だが、それでは、「他人の褌(ふんどし)で相撲を取る」事になりかねず、動画投稿主であるライルさんに失礼な気がして、今までは極力「自重」していた。
ただ、よくよく考えてみると、動画の「リンク先」を紹介する事自体、共有サイトのヨウツベにおいて、「原則」認められた行為である。
むしろ、多くの動画をリンクして紹介すれば、それだけ投稿動画へのアクセス数も増える訳で、投稿者自身を「支援」する形にもなろう。
こうした「お宝」動画の紹介は、「わんさとマツタケの生えた、裏山の穴場」を簡単に教えてしまう感じで、少々勿体ない気もしていた(笑)。だが、度量の狭い考えはとっとと捨て去り、「神動画」の投稿者ライルさんが発信する、香ばしい90年代レトロ動画の数々を、皆さんと共有していきたい。
てなわけで、今回取り上げるのは、ライルさんが先日アップした、こちらの動画。
https://www.youtube.com/watch?v=WWPzJtUg3jI
動画タイトルにもある通り、1993年(平成5年)の東京やその近郊(新宿、横浜など)の光景を、あちこち撮影したものだ(撮影時間は約12分)。
この映像をサラッと眺めて、当時を懐かしむのもよいが…私の場合、レトロな観察眼を働かせて、動画との「シンクロ率」をアップさせた。
優れた「タイムマシン」に乗る為には、これくらいの労力も必要だろう。また、そうした作業自体、結構楽しかったりする。
という訳で、以下は、この動画を私なりに「分析」したもの。
(0:00~0:09)
いきなりの車窓風景から始まる。「一体どこの路線だろう?」と思うかも知れない。実は、0:00(冒頭)の部分で、高田馬場の線路近くにある「ユーキャン」(通信教育の会社)本社ビルが、一瞬だけ映る。
(当時、私は大学通学で新宿-馬場間を山手線で移動したクチなので、目に焼き付いた光景)。
よって、この車窓シーンは、山手線・内回り(又は埼京線・南行)の「高田馬場駅~新大久保駅」の間だと判る。
(0:10~0:18)
ライルさんの乗った電車が駅に到着。階段を下りた映像の後、オレンジの列車がホームに到着。どこの駅かといえば、ヒントは0:18で流れる「発車チャイム」のメロディ。聞き覚えあるハープ音は、「JR新宿駅・8番線ホーム」(中央線・快速上り)のもの。つまり、山手線若しくは埼京線で新宿駅に到着後、8番線の中央線(東京方面)に乗り換えている訳だ。
(0:19~0:24)
これも車窓風景で、今度は中央線沿いの「お堀」が映る。0:22辺りで、お堀の向こう側に「家の光会館」「レインボービル」の建物が並んでおり、「JR飯田橋駅の手前」の風景だと判る。
(0:25~0:29)
電車がホームに到着する場面。やはり左にお堀が見える。これは「JR中央線・御茶ノ水駅」。
(0:30~0:55)
こちらも御茶ノ水駅か…と思いきや、そうではない。0:31の「徳力」の屋上看板、0:37の地下改札、0:39のガード下風景、0:42の東北新幹線、そして、0:47の「金銀プラチナ 石福」の屋上看板から、撮影場所は「JR神田駅」。つまり、御茶ノ水で山手線に乗り換えて、神田駅で一旦下車したのだろう。
(1:00~1:06)
京浜東北線の懐かしき青い車体が映る。ホームの階段を下りて地下通路を渡り、階段を再び上る。1:04では「7番線」のホーム案内板が映る。入線する列車はオレンジと緑のツートンカラー。明らかに、「JR東京駅の東海道線乗り場」だ。すなわち、神田から山手線・外回り(1:04の下車直後の映像で、京浜東北線が「6番線」に入ってくるのが見えるので、ライルさんは向いの5番線(山手線・外回り)ホームで下車したと思われる)、7番線の東海道線(下り)に乗り換えている。
(1:07~1:19)
東海道線で移動後、「どこかの駅」で下車。駅名把握のヒントは、1:08の東海道線がホームから出る場面。良く見ると、「6(番線)」の案内表示板がチラッと映る。6番線が東海道線・下りのホームなのは「JR横浜駅」。直後の1:09で映る青っぽい電車は、京浜東北線だろう。この時、画面奥に「4(番線)」の案内板が見える。JR横浜駅の4番線は、まさに京浜東北線の上りホームだ。1:12の車窓風景でも、「代々木ゼミナール・横浜校」らしき黄色い看板が、ぼんやりと見える。以上の事から、ライルさんは、東京駅から東海道線で横浜駅まで出た後、4番線の京浜東北線(上り)に乗り換えて、東京方面に「逆戻り」した格好だ。
(1:20~1:29)
1:21で大写しになる精算券をよく見ると、右下に小さく「大森駅」と書いてある。つまり、横浜から京浜東北線(上り)に乗った後、「JR大森駅」で下車した事になる。1:26辺りでは、駅ビル(商業施設)の「PRIMO(プリモ)」(現「アトレ大森」)が映っている。
(1:30~2:16)
1:30や1:37で見える大きな白いビルは、「大森駅東口ビルディング」。その後も、大森駅前界隈の様々なショットが登場。2:08~2:13の映像から、当時の大森駅前にはフルーツの「百果園」があった事も判る。
(2:17~3:08)
東口アーケードの「Milpa」(ミルパ)など、やはり大森駅前の光景がメイン。2:24では、パチ屋のネオンらしきものがチラッと見えるが、店名は不明。当時、この界隈で頻繁にパチった人なら、すぐピンとくるだろう。また、2:54で看板が映る「とんかつ専門 よし川」は、地元で知られた名店のようだが、現在は閉店した模様。さらに、3:00では再開発で消えた名店「西村果実店」(イトーヨーカドー向いの果物屋)の店先の様子が映る。
(3:09~3:30)
開店前の閑散とした飲み屋街。いかにも昭和チックな裏路地が映る。「居酒屋吾作」「スナックおとづれ」「ニュー万里」「CLUB VIVID」「リーベ」「松㐂」などの看板が見える。これは、大森駅前にある通称「地獄谷」(山王小路飲食店街)を撮影したものだ。
(3:31~3:54)
大森駅東口界隈の光景。3:45では区立山王小学校の裏手付近が、3:54では山王歩道橋が映る。
(3:55~4:47)
再びJR大森駅のホーム…ではない事に注意。3:55では、ホームの背後に「品川プリンスホテル」(品川駅・高輪口、現「イーストタワー」)の建物が見える。つまり、この駅は大森駅ではなく、再開発前の「JR品川駅」。多分、大森駅から京浜東北線(上り)に乗り、品川までいったん戻ったのだろう。4:00のホームの映像では、「11(番線)」の案内板が見える。品川駅の11番線は、東海道線・下りのホーム。また、4:09から続く車窓風景も、やはり下り(横浜)方面のものだ。特に、4:37では、今はなき「日清食品・横浜工場(戸塚)」が映りこんでいる。
その直後の4:43で下車したのは「JR戸塚駅」。ホームから出るクリーム色と青の列車は、どうみてもJR横須賀線。ただ、品川から東海道線に乗った後、途中で横須賀線に乗り換えたとは考えにくい(但し、可能性ゼロではない)。おそらく、品川駅の11番線ホームに乗り入れた横須賀線に、直接乗ったのではないか。
(4:48~5:46)
JR戸塚駅ホームの階段を下りて、地下改札を通り、多くの人でごった返す地下通路から、駅外に出る。続く5:04からのシーンは、再開発で消滅した戸塚駅西口の駅前商店街「旭町通り」を映したもの。
「横浜銀行」や「靴のイシイ」といった看板を横目に進み、5:17では「戸塚デパート」(かつて旭町通りに存在した、地元密着型ショッピングセンター)の看板が見える。これは、とりわけ貴重なシーンであろう。
続く5:21では、電気店(ハマヤ電気)のテレビの前に、ちょっとした人だかりができている(画面では相撲の取り組みらしきものが映る)。ちょうど、この動画の撮影日とされる「93年3月27日(土)」は、大相撲3月場所(大阪場所)の開催日(14日目)に当る。若貴ブームや、曙、小錦、武蔵丸のハワイ勢台頭など、相撲人気が高かった頃だ。この日、12勝1敗の小結・若花田(後の横綱・若乃花、現・花田虎上)、11勝2敗の大関・貴ノ花(後の横綱・貴乃花、現親方)、そして10勝3敗の小結・若翔洋(現在はプロレスラー)の3名が、優勝争いをしていた(いずれも二子山部屋(旧・藤島部屋との合併直後)の力士)。そして、若花田が平幕の寺尾に勝って、楽日を待たずに優勝を決めた(ライバルの2力士はともに黒星)。5:15の街頭デジタル時計が「17:33」と示しているので、ちょうど好取組が続く時間帯である事も判る。商店街で買い物中の人たちも、そんな大一番を見ようと、テレビの前でいったん足を止めたのだろう。
なお、5:28では、コーヒーロールが名物だった旭町通りのケーキ店「みどりや」(閉店)の看板が、チラッと映っている。
(5:47~7:08)
戸塚駅西口界隈のバス通りや、駅周辺の住宅・商店の遠景(高台から撮影)が、しばらく映る。
(7:09~8:46)
スーパーマーケットの中をとらえた映像は、戸塚駅西口の業務スーパー「いしぐろ」だろう。7:22では、「いしぐろ」の隣のパチンコ店「桃太郎」(現存)のネオンも見える。7:31~は「靴のハヤカワ」の店内。7:44から映る「いけす」(水槽)は、鮮魚料理店か寿司屋の店頭にあったものだろうか。水槽越しに見えるカウンター席では、ちょうど子連れの家族が食事中。ライルさんのカメラに気付いた子供が、「ビデオで撮ってる」などと反応している。なお、8:35で水槽越しに「しま」という文字が僅かに見えるので、この店は鮮魚料理店の「きじま」かもしれない。
(8:47~10:11)
戸塚駅前の夜景を撮影。
(10:12~10:48)
戸塚駅の地下通路。10:18の改札は、横浜市営地下鉄のものだろう。「マリンカード(プリペイドカード)をご利用の方は…」という女性の自動音声が聞こえる。10:34では、ライルさんが「自撮り」している(「ライル動画」では、しばしば自撮り場面が入る)。「ちょっと疲れてるな…このカメラも良いけど、新しいカメラ買いたいな」とつぶやいている。因みに、ライルさんはご覧の通り、かなりの「イケメン」だ。ビデオ片手にあちこち撮影して回っても、さほど咎められなかったのは、彼がカッコよい(good looking)外国人だった、というのも大きいだろう。ムサ苦しい日本の中年オヤジが、同じように撮影していたら、色々と問題が生じた筈だ(笑)。
(10:49~10:58)
JR戸塚駅ホーム。東海道線の上り電車(東京方面)が到着。帰宅ラッシュで混み合っている模様。
(10:59~11:15)
電車が到着する場面に切り替わるが、このシーンは戸塚駅のものではなく、「7番線」(向いが8番線)の案内表示板から「JR東京駅」だと判る。階段を下りて地下通路を通った後、何かしらの電車に乗り換えている。
(11:16~ラスト)
駅に到着。映っているのは、オレンジ色の中央線。つまり、先ほどの東京駅での乗換場面では、中央線快速(下り)に乗車していた事が判る。11:20で新宿駅南口の改札が映っているので、着いたのは「JR新宿駅」だ。その後、甲州街道やルミネ、駅ホーム、そして新南口の改札近くを撮影。ひょっとすると、当時、新宿のパチ屋やスロ屋を「ホームグラウンド」にしていた私が、東南口の「グリンピース」や「てんとう虫」で一勝負終えた後に、撮影中のライルさんとすれ違った可能性もある(笑)。
まぁ、こんな感じで、動画の「分析」を行った訳だが…
約12分の動画でも、こうして細かく観察すると、非常に密度の濃い映像である事が判る。また、投稿者ライルさんのアクティブさや好奇心の旺盛さも、手に取るように伝わってくる。
仮に、動画の順番通りにライルさんが動いたとすると、この日は「新宿」→「御茶ノ水」→「神田」→「東京」→「横浜」→「大森」→「品川」→「戸塚」→「東京」→「新宿」と、目まぐるしく飛び回っている。
この熱意…かつて、都内のパチ屋・スロ屋をハシゴしまくった、当時の自分と重なるものがある(笑)。
それにしても、「古き良き平成初期」にタイムスリップさせてくれる、素晴らしい映像である。
ライルさんは、この他にも多数の90年代映像をアップしている。皆様も、ぜひYoutubeでご覧頂きたい。私自身、こういった紹介記事の「続編」も考えていきたい。
では、今回はこの辺で…。
パチスロ2号機・3号機、攻略ネタ簡単まとめ
★パチスロ2号機&3号機の攻略ネタ・簡単まとめ★
※機種名の後ろに(2-1)(2-2)(3-1)(3-2)の別を記した。
(それぞれ、2-1号機、2-2号機、3-1号機、3-2号機を意味)
※「攻略」というくくりでいえば、当時の立ち回りの定番である朝一「モーニング」狙い、「イブニング機能」のある機種(ドリセブJr、マジベン、ミラクル、スープラ、アラIIなど)のイブニング狙い、リーチ目(バニーやスーバニではズレ目)を拾う、吸い込みタイプ(アニマル、吸い込みVerの裏モノなど)の連ゾーンや天井・仮天井狙い、「貯金Ver」(アポロン、キャッツ、ビッグバン、銀河II、キューティーフルーツS、トライアンフ、ミスマジ、アラIIなど多数)のハマリ台狙い、連ゾーン止めのハイエナ等も、立派な「攻略法」であった。ただ、当時はゲーム数表示(データランプ)など気の利いた機器はなかった為、シマ状況を逐一チェックする事が、立ち回る上で求められた。
※下記以外にも、当時は「一部の台のみ通用するセット」といった真偽不明のネタが、多数存在した。
例えば、山佐の「スーパープラネット」にもセット打法の噂が広まった事があるが、結局「成功した」と報告した攻略誌はなかったと記憶する(攻略の存在を否定する訳ではないが…)。また、「千葉の某店で、サファリラリーのセットネタ発覚(複数手順でビッグが成立)」などといった「局地ネタ」もたびたび出た(攻略の存在を…以下省略)。今回は、ある程度有名な攻略法や小ネタで、、攻略誌等で「裏付け」が取れたものに絞ってある。あくまでも「簡単まとめ」に過ぎないので、記載漏れも多数あると思う。「こんな攻略法もあった」といった補足情報も歓迎。
ユニバーサル販売 アメリカーナX2(2-1)
リバティベルⅣ(2-2)…21世紀世界全滅打法(対策後、クレジット「49」手順で復活も、二度目の対策により終焉)、集中ハズレ後の60Gを1枚掛け消化(コイン節約、5G連台のみ)、フルーツゲーム中ビッグ・7を外して60G完走(ノーマル台のみ) アメリカーナマグナム(3-1)…世界全滅打法
コンチネンタルⅡ(3-2)…BRシングル成立中の1枚掛けチェリー抜き、通常時オレンジ目押し(小ネタ)、クレジット33枚投入4枚掛けセット(富山発、一部の台のみ通用) 瑞穂製作所 ファイアーバードEX(2-1)
センチュリー21(2-2)…ビッグ中・獲得枚数アップ打法、世界全滅打法、天井(1024G)狙い、ハマリ台の高確率ゾーン狙い(ビッグ後529ゲーム以降。ボーナス確率が4パターン変動)、通常時・オヤジ打ち台ハイエナ&チェリー狙い(小ネタ) コンチネンタルⅠ(3-1)…4枚入れセット(対策⇒復活を何度か繰り返す)、レバー254回コキコキセット(連チャンゾーン突入打法)、BR成立中・1枚掛けチェリー抜き、、BR成立中・3枚掛けリンゴ抜き、REG成立中のBARハズシ(等倍返しで連チャンフラグ待ち。連フラグが立つとREG→BIGに変換)、小役ゲーム中・2枚掛け連チャンゾーン延命打法、通常時のオレンジ目押し(小ネタ)
メーシー販売 トロピカーナA(2-1)
リバティベルⅢ(2-2)…世界全滅打法、特定ゲーム以外を1枚掛けで投資節約(11G連台のみ)、通常時・オヤジ打ち台ハイエナ&チェリー狙い(小ネタ) コンチネンタルⅢ(3-1)…4枚入れセット、小役ゲーム中・2枚掛け連チャン延命打法
山佐 アストロライナー(2-1)…BAR成立中・機関車狙い(等倍返し、小ネタ)
ビッグパルサー(2-2)…BAR成立中・スイカ狙い(等倍返し、小ネタ) スーパープラネット(3-1)…BAR成立中・チェリー30枚抜き、朝一フルーツゲーム設定変更判別(ジリリンセット)、通常時の小役狙い(地引網打法)
ホールインワン(3-2)
オリンピア バニーガール(2-1)…REG終了後の青リンゴ狙い(小ネタ)、フルーツ中ビッグ・連チェリー狙い&7ハズシで60G完走
スーパーバニーガール(2-2)…フルーツゲーム中ビッグ・ハサミ打ち&SUPER外しで60G完走、毎ゲームSUPER目押しで貯金回避&連チャンゲット(貯金Verのみ) バニーXO(3-1)
高砂電器 ウィンクル(2-1)
スーパーウィンクル(2-2) ドリームセブン(3-1)
ドリームセブンJr(3-2)…ビッグ中・2枚掛け(3枚掛けも可)7揃い(1000枚(1100枚)抜き)
大東音響 ベンハー(2-1)
ゴールドベンハー(2-2) ビッグベンハー(3-1)
マジカルベンハー(3-2)…ビッグ中・2枚掛け(3枚掛けも可)7揃い(1000枚(1100枚)抜き) ニイガタ電子 フラッシュ(2-1)…BR成立中・チェリー抜き、ビッグ中・小役抜き、通常時・複合15枚役狙い、通常時・プラム抜き
アラジン(2-2)…BAR外し(チェリー等倍返しでアラチャン待ち)、原爆セット打法(複数手順で強制ビッグ、一部の台のみ通用) リノ(3-1)…ポロリンセット(精算ボタンを使って強制ビッグ。別名カミカゼセット。7の目押しをミスると無音REG開始など怪現象)、BR成立中の10枚役抜き(等倍返し利用。対策⇒復活を繰り返す)、電撃マンボ打法(ビッグ後1枚掛け・連チャン促進)、ビッグ中の特定Pを1枚掛けで連チャン促進、新・電撃マンボ打法(「ビッグ後3枚掛け⇒ゾーン抜けで1枚掛け⇒ゾーン復活で3枚掛け」を繰り返す」)、ムチウチセット打法(「ポロリン」より複雑な手順で強制ビッグ。対策後、新手順発覚)、1枚掛け注射飛ばし(ノーマルに無理やり戻して、小役抜きを復活させる。但し要リセット。)
サミー工業 アペックス301(2-1)…BR成立中のチェリー抜き(改修版⇒アペックスEX)
キューティフルーツS(2-2) アラジンⅡ(3-1)…アラチャン時・左チェリー目押し、通常時・小役抜き(中リール目押しで8枚役が簡単に揃う。一部の台のみ)、裏モノ判別法(通常時、払出し表示のドットがチカッと点滅すれば裏確定(通称「カラジン」)。毎ゲーム7を目押しで貯金回避&連チャンゲット)、クレジット53枚投入セット打法(強制ビッグ、一部の台のみ)
ミスターマジック(3-2)…通常時・1枚掛けチェリー抜き(関西発、一部の台のみ)
パイオニア スーパーセブン(2-1)
ムサシ(2-2)…盤面押し強制ビッグ、ビッグ成立中・1枚掛けムサシ抜き、ホッパー強制作動・コインジャジャ漏れ攻略、フルーツ中ビッグ・中リール7を外して42G完走(「MUSASHI(10枚)」が揃う) ムサシⅡ(3-1)
アークテクニコ アニマル(2-1)…800枚の仮天井狙い、通常時・右リールのオレンジハズシ(吸い込み予定枚数まで早く到達させる小技)、800枚のフルーツ仮天井狙い(⇒アニマルG)
クレイジーバブルス(2-2) ワイルドキャッツ(3-1)…通常時・1枚掛け(2枚追加)チェリー抜き、成立ゲームでビッグを揃えない(成立Gで揃えると貯金放出しない為)
バルテック ジャンプ(2-1)
タッチダウン(2-2) セブンボンバー(3-1)…毎ゲーム7目押しで貯金回避(キャッツと違い、生入りでも連チャンする)
パル工業 ペガサスラビット(2-1)…ビッグ中・1枚掛け小役抜き(改修版⇒ペガサスラビットII)
F-1(2-2) ペガサスEXA(3-1)…通常時・逆押し(順押し手順もアリ)小役狙い(コイン持ち大幅アップ)
ペガサス412(3-2)…通常時・中押し(ハサミ打ち手順もアリ)小役狙い(コイン持ちアップ、吸い込みVerは効果なし) ※永久連チャン打法、セット打法の情報もあったが、詳細不明(補足情報求む)
興進産業 デートラインZ-1(2-1)
デートライン銀河(2-2)…通常時・小役狙い デートライン銀河Ⅱ(3-1)…通常時・小役狙い
日活興業 フルーツチャンス(2-1)
ビッグバン(2-2)…通常時・逆押し小役狙い(効果絶大)、通常時ハマリ台1枚掛け(貯金放出フラグ待ち)、電子ライター部品(カチカチ)を使った注射飛ばし(ノーマル初期設定3にして、逆押し小役狙い)
スペースバトル(3-1)…ボフセット(強制ビッグ。対策⇒復活を繰り返す)、通常時・右リールチェリー外し(確実にベル15枚を取る)、火の玉攻略法(REG図柄の「コロナ」を毎ゲーム狙うと、15枚成立時にコロナが揃う(但し、フラグ持越しは無し)。一部の連チャンVerのみ通用)
スペーススペクター(3-2)…ボフセット、通常時・右リールチェリー外し、マシンガン全滅打法(毎ゲームREG図柄のスペクター(マシンガン)を狙うと、成立Gのみ揃う(揃えないとREGフラグは消滅)。一部の上乗せVerのみ通用) 北電子 ガリバー(2-1)…体感器JACパニック(シングル集中)直撃(対策機⇒ガリバーII)
ガリバースペシャル(2-2) スーパーコップ(3-1)…1G連チャン強制セット(ビッグ中、左リールに特定箇所を狙い続ける)
アポロン(3-2)
タイヨー ガルーダ(2-1)…800枚天井狙い(一部の裏モノ限定)
リスキーダック(2-2)…フルーツ中ビッグ・7ハズシで完走、チェリーを3連で取る(小ネタ) ミラクルUFO(3-1)
トライアンフ(3-2)…セット打法(関西発。複数手順でビッグ成立。一部の台のみ可。)
エーアイ ロックンロール(2-2)…世界全滅打法(ユニバ各機種が二度目の対策で攻略不可となる中、対策の盲点を突いた再復活打法が発覚)、特定ゲーム以外を1枚掛けでコイン節約(11G連台のみ)
サファリラリー(2-1)…REG⇒BIG変換打法(基本1枚掛けだが、2枚掛けでも可。)、通常時・1枚掛けヘッドライト(15枚)狙い、クレジット99セット、通常時・連チャンモード突入打法(2枚掛け、中⇒右⇒左の順でバッテリー狙い。左停止時にコインを数枚連続投入。) ハンター(3-1)…通常時の弾丸(15枚)狙い(コイン持ちアップ)、シングル時にライオン+チェリー複合狙い(小ネタ、必ず揃う訳ではない)、7とライオンのWテンパイ時にシングル取りこぼし回避(小ネタ)、盤面押しビッグ
グレートハンター(3-2)…通常時の弾丸狙い(小ネタ)、シングル時の複合狙い(小ネタ)、Wテンパイ時のライオン取りこぼし回避(小ネタ)
尚球社 チャレンジマン(2-1)…体感器で8枚役直撃(コイン持ち飛躍アップ、ジャンボフルーツ突入率アップ)
チャレンジマンAZ(2-2) ミラクル(3-1)…ビッグ中の15枚役目押し(基本)
チャレンジマン7(3-2)…ビッグ中の15枚役目押し、通常時クレジットUP打法(クレジットON⇒3枚投入⇒レバーオンと同時にコイン1枚投入。成功するとコインが下皿に1枚戻って、クレジットも1上がる。)
※事情により、販売されなかった2号機、3号機
シーザー(エーアイ、2-1号機)
コンチネンタルIV(瑞穂製作所、3-2号機)
アンクルサム(バルテック、3-2号機)
アラジンゴールド(ニイガタ電子、3-2号機) スパイス(アークテクニコ、3-2号機) (当初は「BEE」と紹介)
ビデオ「パチプロ日記」(主演・斉木しげる)映像トリビア
ビデオ「パチプロ日記」(1997年、主演・斉木しげる)映像トリビア
・冒頭、田山プロ(斉木)が打っているパチンコ店(池袋S店(山楽)を想定)
「パーラースエヒロPART2」(東京都稲城市東長沼1079、閉店)
・スエヒロP2で田山プロが打っている台(最後の勝負)
「ボンバーキャット」(京楽・爆裂ハネモノ、1995年)…デジタルにV(15R)が出ると、次にVが出るまで2チャッカー電チュー開放時間が5.6秒に延長されて、実質連チャン。連チャン率=15/16。但し、連チャン継続中は短いラウンド数のみ(1R、3R、5Rの何れか))。
・パチ屋のネオンが消えた後、田山プロが夜道を歩くシーン
「池袋・東口(文芸坐前、明治通り沿い)」
・電車が川を渡る遠景(土手)
「田園都市線・二子新地駅~二子玉川駅間の橋脚(多摩川)」(瀬田少年野球場が見える)
・田山プロが駅のホームで新聞を読みながら、電車到着を待つ「出勤」場面
「二子玉川駅の4番線ホーム(大井町線の折り返し電車が入ってくる(ロケ当時、二子玉川駅は1,4番線が大井町線、2,3番線が田園都市線(1999年に1,4番が田園都市線、2,3番が大井町線に変更)。田山さんが立っているホームは、電車の進行方向と、背後の多摩川土手の位置関係から、大井町線の4番線折り返しホームと思われる)」
・田山さんが新たなネグラに決めたホール「マリオン」
「パーラーマリオン」(埼玉県東松山市材木町21、閉店)…「オボカタ電気商会」左隣。現在は別のビル(吉建ビルA館)が建っている。
・マリオン入店後、田山プロが最初に腰を下ろす台(奥でオバサン(重田千穂子)が台をド突く)
「レディースオープンED」(ニューギン・ハネモノ、1994年)…初V入賞時、2ケタデジタルに「33」「77」が出ると15R継続、「11」「55」「99」だと1R。
・「音符(♪)の3つ揃い」で大当りするドットデジパチ(田山プロが足下に5箱積み上げている)
「ブラボーファイヤー」(平和・デジパチ、1994年)…大当り後、連続回しキープで数珠連率アップ。
・田山プロが「マリオン」地下で打った台(ドツキおばさんの「あの人、作家の先生よ」のくだりの後)
「ピカ五郎」(平和・ハネモノ、1994年)…回転体V穴を狙う「止打ち攻略」が有名(継続率アップ打法も存在)。
・「李丹」(コウさん役)のクレジットの所で、田山プロが線路沿いを歩くシーン
「田園都市線・二子玉川駅~用賀間、「行善寺」下の狭い車道」
・「重田千穂子」「きたろう」(末井編集長役)のクレジットの所で、田山プロが交差点を渡る場面
「二子玉川駅西口・玉川通り(国道246号線)」
・タイトル画面「田山幸憲のパチプロ日記」の背景
「二子玉川駅前・西口」…合流する電車(共に下り)は、右から来るのが大井町線、左から来るのが田園都市線(新玉川線)。再開発前、西口駅前で営業していた「東急ストア」も映る。東急ストア左横にあった「たこ焼き屋」や、その隣りのゲームセンター「ラスベガス」(マクドナルド2F)の看板もチラッと見える。
・タイトル明け、ビル2F・ガラス張りの喫茶店(コーヒー、タバコ、スポーツ紙の3点セットでくつろぐ)
「調布駅南口・原ビル(現:ハラビル・ライオンズマンション調布駅南)2Fにあった喫茶店(店名は不明、閉店。現在「スペースプラン」が入居)…コーヒーを飲む田山さんの後ろに、「調布とうきゅう」が見える。また、田山さんのアップに切り替わる所で、「長崎屋サンバード」の赤い看板も映る。
・朝一の「マリオン」入店シーンで、田山プロがシマをチェックする台
「1F⇒「横綱伝説」(平和・2回権利物、1995年)、地下⇒「球界王」(西陣・現金機デジパチ、1993年)
・朝イチチェック後、田山プロが着席した台
「横綱伝説」…SPリーチは「ドスコイリーチ」(突っ張り)と「シコ踏みリーチ」。但し、ノーマルでも当る。
ドツキおばさんが外したのは「シコ踏み」。田山プロが(強制基盤で)当たったのは「ノーマル」。なお、大当りで札を刺しにきた店員が、「55番台、無制限スタート、お願いします」とマイクで言うが、何を「お願い」しているのか、よく判らない。
・ガタイの良い柔道部の後輩・本田(中山正幻)が、田山プロを待っている間に大当りさせた台
「スタジアムG-V」(三洋・ハネモノ、1994年)…旧要件ハネモノ名機「スタジアム」の新要件リメイク版。兄弟機に「スタジアムG-III」もある。
・東大時代の田山プロがフラッと入ったパチ屋(セピア色の回想場面、手動ドアに「ピエロ」のイラスト)
入店シーンは東京・西巣鴨の「天国」(閉店)。但し、「不敗のノッポ」(神威杏次)と出会う店内シーンは、ロケ地不明(設置機種や設備から、「天国」でない事は確か。追加情報求む…)
・田山プロと不敗のノッポが酒を飲むシーンで、本物の田山さんが「特別出演」(お酒を飲んでいる)。
・泥酔した田山プロが、ツレと肩を組んで、雪の中を千鳥足でフラフラ歩くシーン(チャルメラの音)
「新宿ゴールデン街」(世津子、クラクラ、石の花、鳥よし…といった店の看板が映る)
・サラリーマン時代の田山プロが、踏切を渡る回想シーン
「都電荒川線・雑司ヶ谷駅~鬼子母神前駅の間」
・サラリーマン時代の田山プロが、営業途中、境内で休憩する回想シーン(鳩がバサッと飛び立つ)
「鬼子母神」(威光山・法明寺、豊島区雑司が谷)境内
・田山プロが、サラリーマンからパチプロ生活に戻った直後に打った台(背中越しに盤面アップ)
「スーパーシャトル」(京楽・昭和ハネモノの名機)
・田山プロが不敗のノッポと再会するシーン
「文芸坐前(池袋・東口)」
・田山プロが白夜書房の「熊倉さん」(女性)にインタビューされるシーン
「パチンコ天国」(西巣鴨)…写真撮影時、田山プロが座っているのは「スーパールーレット」(西陣・旧要件デジパチ、1990年)。その左隣は「ドッカン島13」(西陣・旧要件ハネモノ、1990年)
・田山プロと後輩・本田が、酔っぱらって肩を組んでフラフラと歩くシーン
「京王線・つつじヶ丘駅北口、富士見街(飲み屋街)の路地」…田山さんがトラックに轢かれかける場所は、富士見街名物「食堂一休」の前。
・コウさんの店(ノエル)でしこたま飲んだ田山プロが、二日酔いで線路沿いの坂道を歩くシーン
「二子玉川駅-用賀駅間、「行善寺」下の車道(30km道路)」
・田山プロがマリオン地下の「球界王」で出した後、店外で常連の若者(坊やとノッポ君?)と最初に会話する場面(一緒に酒を飲もうとするが、コウさんとの先約を思い出して断念)
「ノザキビル」(東松山市材木町22-16)…ビル入口に「喰いもの市場」のポスターが貼ってあったり、入口横に招き猫が置いてあったりするが、いかにも撮影班が急遽こしらえた「仕込み」っぽく見える。
・換金を終えた田山プロが、車で出向いたスエイ編集長(きたろう)に、声をかけられるシーン
「調布とうきゅう前(調布駅南口)」…田山さんがスエイさんを見送る場面(きたろうが車内から「ロン!」と叫ぶ)では、画面奥に「調布パルコ(駅出口脇)」の白いビルが見える。また、京王バスも映っている。
・日記の締め切りを思い出した田山プロが、喫茶店で原稿の下書きに励むシーン
「調布駅南口、原ビル2Fの喫茶店」…窓の外で、ドツキおばさんが娘をドツいたり、色っぽい「ため息主婦」が歩いたりしている場所は、「調布とうきゅう」前。
・田山プロが「横綱伝説」で出した玉を、ジェットカウンターまで運んで流す場面
ジェット横に「暴力団排除を宣言…東京都遊技(業協同組合)」と書かれた立て看板が見えるが、ロケ地は一応「埼玉県」(東松山市材木町)。
・田山プロが、赤坂のクラブに移ったコウさんを訪ねる場面…赤坂見附の「田町通り」や「丸源ビル」が映る。
・「某月某日、今日はパチンコどころではない」と、田山プロが病気のコウさんに電車で会いに行く場面
「二子玉川駅・西口スクランブル交差点」「二子玉川駅ホーム(1,2番線)」など
・エンディング前、田山プロ、坊や、ノッポ君の3人が、朝からホールに出向く場面
「行善寺下、線路沿いの通り」
・エンディング、田山プロとコウさんが線路上で手を繋いでいるラストカット
「都電荒川線・鬼子母神前駅」そばの踏切
★いまだ掴めないロケ地・人物など(追加情報求む)
・田山さんと不敗のノッポが出会った、手打ち台設置店
・田山さんと本田が最初に飲んだ、カウンター居酒屋
・コウさんが最初に働いていたスナック「ノエル」
・「マリオン」で、玉が出ずに店員を大声で呼ぶ、女性2人組(関西の芸人コンビっぽい)
・「マリオン」にいたロン毛の店員(一部にアニ氏との説もあるが、明らかに別人)
・田山さん、ノッポ君、坊やが、酒を酌み交わす板張り床の居酒屋
その他諸々…
Youtube90年代動画・まにあっく分析(2)
昨年10月の大阪・新世界の名店「ニュー三共」閉店、そして先日の老舗メーカー「マルホン」倒産と、このところレトロファンにとって哀しいニュースが続くが、当ブログは気をしっかり持って、今後も更新を続けたい。
さて、今回は「90年代・神動画投稿者ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)のヨウツベ映像を、ちょっと「まにあっく」な視点で見てみよう」のコーナー(第2弾)。取り上げる動画はコチラ。
https://www.youtube.com/watch?v=jeMeYb_dsow
1990年(平成2年)の東京・上野界隈のパチンコ店を数多く撮影した、大変貴重な映像だ。
既にご覧になった方もいるだろう。タイトルは「パチンコマニア1990(パチンコフィーバー1990年)」との事(実は、この映像を含む「ロングバージョン」動画も存在するが…紹介は別の機会に譲る)。
そういえば、あの時期は、「ガイド」や「パチマガ」をはじめ、様々なパチンコ攻略誌が出ていたが、(「マル秘~」「~ファン」「~術」「~必勝本」「マルカツ~」など)、さすがに「パチンコマニア」っていうタイトルの専門誌は出てなかったな…。かの「神保女史」(隊長)が編集長で、生き字引の「マキノ館長」(この方は昔から「必勝本」と繋がりが深いが…)が監修ならば、大変「濃い」内容の面白い雑誌が出来上がったんではなかろうか(売れるかどうかは別にしてw)。
それはともかく、この動画、平成初期の「古き良きパチンコブーム」を体感できる、格好の「タイムスリップ」映像といえる。上野といえば、私自身も学生パチンカー時分から、「プチ旅打ち」気分でしばしば訪れたエリアで、それなりの思い入れもある。
時期的には、私が上野を初訪問した1991年(平成3年)より少し前の1990年7月の映像だが、雰囲気はほとんど同じなので、どのホールを映したものかは、見ればすぐに判る。今回は、動画に登場したホールと機種をザッと挙げてみたので、よろしければご参考に。以前作成した、こちらの上野マップもどうぞ。
(1992年の上野・御徒町パチンコマップ)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/4c81040cf8c9c14b4aa4c0c3f02efcfb
それでは、ライルさんの操る「タイムマシン」に乗って、平成初期の上野へGO!
0:05~1:32 「パチスロ・オスカー」(上野「アブアブ」裏の通り沿い)
★1階:ニューペガサス(白)@パル工業、アニマルG@アークテクニコ 2階:アニマルG
⇒冒頭、景品入りと思しき紙袋を手に、ニコニコ顔で出てくる若者の姿が印象的。ニューペガのカド台を打っているオヤジが逆押しで7を揃えた瞬間、「ウルトラセブン」のミュージックホーンが店内に鳴り響く。有線の曲もやかましい。2Fは「アニマルG」一色(当時のスロは、一店舗1~2機種が当たり前)。ここは、もともと有名なアニマル設置店だったが、この時期は「G」に改修済み。私が足を踏み入れた1991年の段階でも、アニマルGは健在であった。店員のやかましい「ダミ声マイクパフォーマンス」も、今では心地よく聞こえる。平成初期のパチ屋の活気が、ヒシヒシと伝わる。
1:34 「百万弗」(ムラサキスポーツ本店の隣り)のネオン
1:37~1:51 「オスカー」を店外より撮影
1:52~3:30 「スターホール」(オスカー向かい、御徒町駅寄りの「スター会館」とは別の店)
★中2階:パチンコ大賞13@西陣、パックンロボ@平和 地階:ドリームX@奥村、パールセブン@マルホン、ニューペガサス(白)@パル工業
⇒ビートの効いた有線に混じって、魔界組@西陣の大当り音が聞こえる。若いOL風の女性が打つハネモノ「パックンロボ」には、「優秀台」の三角プレート(打ち止め開放台かもしれないが、全台にプレートを刺す店もあったので、何ともいえない)。パチンコ大賞の大当りサウンド(軍艦マーチ)が心地よい。店隅のジェットカウンターで玉を流す若者。台間には、定番のアイテム「100円用玉貸機」(筒を押してジャラッと玉を借りる)。手元のドル箱は「CABIN」のロゴが入った小箱(800個)。地下はデジパチ(無制限)とスロ。景品カウンター(女性店員2名)の格好に時代を感じる。カウンター周りの雰囲気も、どこか懐かしい。ドリームXで持玉遊戯中のメガネサラリーマンは、銀玉親方(山崎一夫)っぽいが別人だろう。隣のニューペガのシマも盛況。頭上では、赤いパトランプ(ビッグ中に回る。かつては、フラグが立つとランプが半回転する店も存在)がクルクルと回る。シマ端のコイン貸機に足を運んで、千円札を投入する若者。全てが懐かしい…。
3:34~4:22 「パチスロ・アドベンチャー」(JR御徒町駅そば(ガード下))
★バニーガール(青)@オリンピア
⇒店内のどこを見回しても、青パネルのバニーだらけ。甲高いストップ音や払い出し音が、至る所でピュンピュン鳴り響く。スロ専なので、客層は全体的に若い。セカンドバッグを頭上に置いてスロを打つ…当時の定番スタイルだったな(懐)。ディスコ風のクルクル回るストロボ照明が、いかにもバブル末期っぽい(既に株式バブルは崩壊し始めていたが)。この映像には映っていないが、景品カウンターでは、ワンレンのケバイお姉ちゃん店員などが対応していた。
4:24~4:34 「ビクトリー」(アドベンチャーの隣り、ガード下)
★ダービー@京楽、ドリームX@奥村、フィーバーレクサスIVD@三共 など
⇒スロ専アドベンチャーとは打って変わって、併設店のコチラは中年の客が多く、シブい雰囲気。
4:37 上野ガード沿いのパチ屋のネオン(ニューセンチュリーなど)
⇒当時のパチンコ特番(「素敵にドキュメント」など)でも、同じようなネオンの映像がよく使われた。ここは、上野界隈でも特に「激戦区」といわれるエリアで、チャンピオン、ニューセンチュリー、ラスベガス、東京会館といったホールが軒を連ねていた。私が足を運んだ時期には「エッグ」や「オリエンタル」もあったが、本動画を撮影した時点(90年7月)で存在したかは不明。
そういえば、この後に出てくる映像(6:50辺り)をよく見ると、東京会館の右隣(オリエンタルがあった場所)に、建設現場用のフェンスが見える。まだ、オリエンタルは建設中だった?それとも単なるリニューアル?(追加情報を求む)
4:39~4:52 「チャンピオン」(広小路には系列の「チャンピオンPART2」があった)
★ダービー@京楽(デジタル回転音のみ確認できる)
⇒カラフルなネオン、電動式の回転看板。店内の様子は、ガラス越しの為、ハッキリとは判らない。京楽・ダービーの「ポッポロロ、ポッポロロ」という、ラジオの緊急放送的なデジタル音が聞こえる。
4:56~6:35 「ニューセンチュリー」
★地階:ダービー@京楽、ファンキーセブン@西陣、エキサイト麻雀3@ニューギン、ブラボーエクシード@平和、中2階:パチンコ大賞13@西陣、スーパーセブン(赤)@大東音響 など
⇒ここの台間玉貸機は千円札対応で、玉数も3種類から選べてお釣りも出る。当時としては、割と新しいタイプだ(同時期、高田馬場「国際センター」も、同じ玉貸機だった)。中2階のスロコーナーには、赤パネルのスーパーセブンが2シマ。映像では確認できないが、裏のシマは多分バニーガール(払い出し音が聞こえる)。「ピンポーン、係員の方、321番台、開放しました(ハネモノや一発台の打ち止め後の開放処理)」の自動音声に、思わず涙腺が緩む。店を出る直前、6:34辺りに一瞬映る「帽子とグラサン姿」の若者は、バービーボーイズ「イマサ」のファンだろうか(笑)。
6:37~6:47 「パチスロ・ラスベガス」
★リバティベルIII@メーシー
⇒このガード沿いエリア(激戦区)は、比較的設置台数の多い店が多かったが、この「ラスベガス」はこじんまりとしたホールで、台数は60台前後と少なめ(ここは、全台が「リノ」の時期もあった)。
6:50~7:06 「東京会館」
★設置台は映像から確認できず(店の作りは、中二階と地下の2フロア)
⇒91年の上野初訪問時、私のお目当ての店がまさにここだった。テレ朝の「素敵にドキュメント」という番組でパチンコ特集をやった時、MCの故・逸見政孝さんが、ここの地下フロアでダービー2@京楽を打っており、私もぜひ上野に行ってみたいと思ったのだ。その後、実際に上野まで出向いてこの店を見つけ、地下のダービー2で大当りさせたが、無制限ルールの代わりに出玉がたったの2000個弱と少なかった(今は、2000発も出れば御の字?)。地元店(ダービーは2800個くらい出た)とのあまりの違いに、カルチャーショックを受けた事を思い出す。
7:18~7:53 「スプラッシュニューセブン」(ギャンブリングホール)
★ブラボーセンチュリー@平和 など
⇒アラブ宮殿風の赤い派手なネオンが特徴で、あの一帯の「象徴」でもあった。かつて、上野界隈には「ニューセブン」系列の店舗が4つ存在したが、(ニューセブン、スプラッシュニューセブン、パチスロニューセブン(ライジングニューセブン)、ニューセブン2(昭和通り沿い))、今や全て消え去った…。そういえば、スロ専「ライジングニューセブン」も、先述の「ラスベガス」同様、一時期は「リノ」一色だった。入店直後に映る、旧型の青い両替機も懐かしい。7:50辺りで、おばちゃん連中が黄色い特殊景品の箱を持って出てくるが、これはその先の映像に繋がるので、あとで触れる。
7:55~9:15 「ニューセブン」
★中2階:ドリームX@奥村、ブラボーセンチュリー@平和、リバティベルIV@ユニバーサル、トロピカーナ7X@メーシー、3階:ニューペガサス@パル工業 (店は地階、中2階、3階の3フロア)
⇒先程の「スプラッシュニューセブン」と同系列の店(こちらがメイン)。7:56辺りで、さっきの景品を抱えたおばちゃん御一行が、この店に入っていくのが見える。そう、「ニューセブン」と「スプラッシュ~」は、換金所が同じ位置にある。しかも、「パチ屋の店内」という香ばしい立地(厳密には、ホールと換金所がガラス戸で仕切られていたので、「同じ建物内」というべきか)。それが、8:52に映る3Fの換金所だ(窓口横には、この店の特殊景品「レコード針」「ライター石」の貼り紙も見える)。2Fの景品カウンターでは、黄色い制服を着たオバちゃん店員が、大勢の客を相手に甲斐甲斐しく働いている。この制服、いかにも昭和っぽい事務員風デザインで、当時はこんな感じの制服を割と多く見かけたものだ。リバティベルIV(オレンジパネル)の人気っぷりも凄い。
9:20 「パチスロニューセブン」
⇒店先の小さな看板と、店内の様子がチラッと映るのみで、設置機種などは確認できない。それでも、希少映像である事は間違いない。先述の通り、私の知る時期は、店内にリノ1機種だけしか置いていなかった。
※1992年の上野パチンコマップはコチラ
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/4c81040cf8c9c14b4aa4c0c3f02efcfb
JR大井町駅(東急大井町駅)周辺のパチンコマップ(1990年)
JR大井町駅(東急大井町駅)(東京都品川区)周辺のパチンコ店マップ(1990年)
A:ニュートーキョー
B:キルロイ(当時はアレパチを設置、その後、スロ専に変わる)
C:銀座ホール
D:ミクニ
E:ジャンボホール
F:ニューワールド
G:オパール(スープラ、コンチII、チェリーバー、オリII、コブラなどを長く置いた名店)
H:銀嶺(ギンレイ)(アレンジボール設置店)
I:トーコー
※「オパール」の’90年当時のスロラインナップ…「センチュリー21、リバティベルIII、ファイアーバート7U」
※パルク(東大井5-9-9)、ニュートーキョー西口(大井1-15-2)は、この時期まだ営業していない。
(本日のつぶやき)
いや、まぁ・・・できたらでいいんですけどね、もしも、この記事や過去記事の中に、「誤記」(記載ミス)なんかを見つけて下さった時は、「非公開コメ」とかで、こっそり該当箇所を指摘して下さると、大変有難いんですけどね・・・いや、まぁこちらの勝手なお願いなんで、別段スルーして貰っても、全然かまわないんですけどね・・・。どうも最近、コメントの軽い一言で、ガツンとダメージを喰らっちゃうような、極めてヤワな精神状態なんで、やっぱり辛いんですよね・・・。とりあえず、今後「まにあっく」のブログタイトルを返上する事にします。凡ミス大杉・・・
スマイル(マルホン、2回権利物)
★★はじめに★★
ここ数日、皆様より公開・非公開で励ましのコメントなどを多く頂きました。どうも有難うございます。大変励みになります。
記載ミス絡みで更新意欲が萎えてしまうのは、私の悪い「生来癖」かもしれません。変に完璧主義に陥っている気もします。その割には、注意力散漫ですが。
更新前に何度もチェックしたつもりが、一時の思い込みや勘違い、見逃しなどで、記載ミスが残ってしまう事があります。で、記事アップ後、ズバッとピンポイントで指摘される始末…。
本来なら、「ミスを指摘して頂き、有難うございます」とすべきところ、「苦労を重ねて古い情報を多く出したのに、着目点はそこか…しかも、ミスを指摘された事実は、未来永劫コメ欄に残ってしまう」と、気落ちしてしまう。そして、「次の更新も、労力の割に同じパターンで突っ込まれるかも…」と妙に空しくなって、更新意欲がガクッと落ちる。
これが、コメント欄の開設以降、常々私の心にあった「葛藤」です(ブログ開設当初は、これがすごく嫌で、コメ欄をずっと閉じたままでした)。
ただ、今回こうして「心のモヤモヤ」を吐き出した事で、また、皆様から暖かい応援コメントを頂いた事で、気持ちは楽になったように思います。
せっかく掲げた「まにあっく」の看板を、あっさりと引っ込めるのは、やはり不甲斐ないですね。正確な情報提供を心がけて、これからも、従来タイトル通りやっていこうと思います。
皆様、今後とも、当ブログをどうぞ宜しくお願いします。
(なお、記事中の明白な凡ミスは、「非公開コメ」で、そっとご指摘して頂けると有難いです。)
それでは、「通常営業」に戻ります。
1994年(平成6年)1月にマルホンから登場したドット2回権利物「スマイル」
★賞球…7&15
★大当り確率…1/235
★図柄…「0~9」「ネコ(ウサギっぽい)」「ヨット」「キャンディ」。
左デジタルのみ「ス、マ、イ、ル」(ハズレ)と、「ニコニコマーク(オールマイティ)」あり。
★大当り…各図柄の3つ揃いか、左ニコニコマーク+中・右ゾロ目 (計26通り)
★2回権利で出玉は約4400個
★ヘソ始動チャッカーはスルー式で、玉持ちは悪い(ヘソ下・賞球口の釘調整にもよる)
★当時の実戦店…新宿・西口「アラジン」(現存)など
★兄弟機…CR版の権利物「CRスマイル」(1994年3月デビュー)
⇒大当り確率は1/153と高め。但し、アタッカー12個戻しで出玉は約1800個。オールマイティの「ニコニコマーク」は共通。全11図柄(22通り)中、「3、5、7、女の子」(左はニコニコマークでもOK)で当ると、次回までの確変突入(ループ有。ループ率=4/11)。
先日、民事再生法の適用を受けて、残念ながら倒産となった老舗メーカー「マルホン」。
当ブログも、これまで幾度となく、同社のリリースした香ばしいレトロ台を振り返ってきた。
個人的には、1990年(平成2年)、大学1年の春(ほぼ初心者の頃)、スタートチャッカーがガッチガッチだった地元L店のデジパチ「パールセブン」(出玉3500個オーバーの準一発調整の上、例の「いぶし銀攻略」の影響で、釘はシマっていた)に出会って以来の長い付き合いだったから、今般の倒産報道は本当にショックだった。
ただ、こうなってしまった以上、最後は笑って「今まで本当にお疲れ様。心に残る台を沢山作ってくれて、どうもありがとう」と、感謝の「スマイル」で行く末を見守りたい。
という訳で、今回は、マルホンが平成6年にリリースした2回権利物「スマイル」を振り返る。
(1990年登場の旧要件ドットデジパチ「スマイル」(三洋)とは、もちろん別物だ)
現在、ネット上では、既に多くの方が、本機の懐古記事を残している。また、ヨウツベにも、貴重な動画がアップされている(nobさん、thanks)。
なので、今さらゲーム性をこまごまと書いたところで、「二番煎じ」のレッテルを貼られるだけだろう。よって、今回は、既存情報であまり触れていないネタを、補足的に供出したい。
まぁ、そうはいっても、「21年前」の大昔に出た台なので、すでに記憶が遠のいてしまった方もいるかもしれない。簡単なゲーム性は、ざっと振り返っておきたい。
まず、時系列的に見ると、同社の超・爆裂権利物「ソルジャー」(1993年5月)登場の8か月後(94年1月)に出た後続機種という事で、当初は「ソルジャー並みの連チャン性」を備えた爆裂機ではないか、と大いに期待された。
実際、私も新装時などで、初当り「1/235」なのに、露骨に数珠連するケースが度々あった(開〇基盤だったという説もあるが…)。
だが、内部解析の結果、意図的な連チャン性は、遂に確認できなかった。特に、マルホンお得意だった「スタックエリアのパンク」が発生しない仕様の為、連チャン誘発の「カラクリ」は無し、との結論に至った。ただ、地域によっては、本機のBモノが存在したとの情報もある。
さて、いかにもマルホンらしいカラードットのデジタルは、左⇒中⇒右の順に停止。
ここで注目すべきは、左デジのみ存在する「ス・マ・イ・ル」(カタカナ)と、コミカルな「ニコニコマーク」(スマイル)だろう。
前者は、単なるハズレ絵柄で、後者はリーチ確定のオールマイティ図柄。
左デジが高速⇒低速に切り替わる時、普段よりゆっくりスクロールすると(停止音も変化)、「ス」「マ」「イ」「ル」か、その先のニコニコマークで停止する。カタカナならハズレだが、「ル」を超えればオールマイティのリーチが確定する。即ち、左スロー回転時は、「カタカナ超え」がアツいポイントだった。
デジタル停止パターンはこのくらいにして、肝心の「リーチアクション」に移ろう。
本機のリーチは、基本的に「ノーマルリーチ」と「SPリーチ」の2パターンしかない。
但し、ノーマルには、一旦ハズレで止まって再始動する「二段階」(鉄板アクション)もあったから、正確には3パターンともいえる。
SPは、リーチ途中でサウンドが変わり、右デジも超スローとなり、打ち手をジリジリさせた。SP発展時は、大当りか前後1コマでしか停止しないので、大いにアツかった。
プログラム上、ハズレ時は、右デジが「前後1コマ」のハズレならば、必ずSPリーチとなる。それ以外のハズレリーチは、100%ノーマルを選択。
一方、大当り時は、3/4(75%)でSPリーチを選択。この時、右デジの動きは、当り図柄を通り過ぎた後に、ピョコっと戻って当る(この「フェイント」アクションがアツかった)。残る1/4(25%)はノーマルから当たる。
ここで、選択率1/4の「ノーマル当たり」を内部プログラム的(⇐ここ大事)に見ると、「一旦ハズレ停止からの再始動」という、二段階アクションを経由する仕様だった。即ち、二段階は鉄板の大当りアクションである。
なお、一旦停止の図柄は、13個の中からランダムに選択される為、右デジが大ハズレで止まったとしても、再始動の期待が持てた。
ここで、「一旦停止図柄が、大当り図柄と偶然重なった場合、どういう処理になるのか」との疑問が湧くかもしれない。実際、本機ではそういったケースがあった。
実は、この「偶然の一致」が起こった場合にのみ、「ノーマルビタ止まり(再始動せず)」の当り方をする。大当り図柄で一旦止まった後、グルッと一周して同じ絵柄で当るのではなく、「再始動の移行コマ数=0コマ」と判定して、再始動せずに、そのまま大当りする訳だ。
これは、見た目でいえば、普通に「ノーマルビタ」での当りそのものだった。ただ、内部的にみると、(1)大当り時にノーマル当たり(1/4)を選択して、かつ(2)一旦停止図柄が、最終停止図柄(大当り図柄)とたまたま一致した場合に限って、ノーマルビタで当るようになっていた。よって、ビタ当りの選択率は低い。
次に、大当り判定について。
本機は「2段階判定方式」を採用しているが、やや変則的な手法で、判定を行っていた。
・大当り判定用カウンターは、「0~234」の計235コマ。
・カウンターから取り出した値が「7以上」なら、一次当選(⇒「0~6」だとハズレ)。
・二次抽選の判定値はRAMに格納されており、通常は「8」(高確率中は「17」)がセットされる。一次抽選の値が、RAMに格納された判定値よりも下(通常時なら「7」以下、高確率中は「16」以下)なら、二次当選となる。
・結果的に、カウンターから取り出した値が「7」の場合のみ、一次・二次の両方を通過する。よって、本機の大当り確率は1/235となる訳だ。因みに、高確率中は、「7~16」の10通りが一次と二次を通過するので、10/235=1/23.5で、通常時よりも10倍アップする。
このテの判定方式は、RAMの書換で連チャンを誘発させる時に、好都合な仕組みだった。だが、そうした書換による連チャンの「カラクリ」は、本機には存在しなかった。
これはあくまで「推察」だが、当時の「連チャン規制」が原因で、当初予定された連チャンプログラムを急遽ノーマルに組み変えて、こうした変則的な判定方法が、連チャンの名残として残ってしまったのかもしれない…。
続いて、連続回転中の「右出目移行法則」について。
(A)連続回転を条件に、左デジタルにハズレ図柄(ス、マ、イ、ル)以外が止まった場合、次回転の右デジタルには、「前回右出目+3~4」の図柄が止まる。
(ex:前回右出目が「3」なら、次回は「6」か「7」が右デジに停止)
この特徴はハズレリーチ時にも当てはまる為、上記移行法則を利用した「大当り判別」が可能だった。連続回転中のリーチがハズれる時、右デジには「前回右出目+3~4」の図柄が止まって外れる。しかし、大当りの場合は、この法則が崩れるのだ。
つまり、「移行法則崩れ」となるスーパーリーチが掛かれば、その時点で大当りが確定。
例えば、連続回転中、右デジに「3」が出た次の回転で、「2」のリーチが掛かったとする。
このケースは、スーパー発展の瞬間に「大当り」と判断できる。なぜなら、移行法則では、このリーチは右デジに「6」か「7」が止まって外れる事になるが、「2」のスーパーリーチは、右デジが「1、2、3」の何れかでしか止まらない。つまり、「出目法則の矛盾」が生じる為、事前に大当りを察知できた。
さらに、リーチの項でも説明した通り、右デジが「前後1コマ」で外れるリーチの時は、必ずSPリーチが選択され、それ以外のハズレは、全てノーマルリーチになる。この事から、以下のような大当り判別も可能だった。
(例)連続回転中、右デジに「3」が出た次の回転で、「6」のリーチが掛かったとする。
移行法則によれば、右デジには「6」か「7」が停止するから、「大当り」若しくは「+1コマハズレ」になる。ここで、右デジが「7」で外れる時は「+1コマハズレ」となるので、必ずSPリーチが選択される筈だ。だが、リーチがノーマルのままで発展しなかったら、右デジの「+1コマハズレ」は否定されるから、右デジに「7」が止まる可能性はなくなり、必然的に「6」の大当り(ノーマル一旦停止orビタ止まり)が確定する。
(B)一方、左デジタルにハズレ図柄(ス、マ、イ、ル)が止まった場合も、以下の右出目移行法則が存在する(全くランダムになる訳ではなく、一定の法則性はあった)。
「ス」…前回右出目と同じか+1
「マ」…前回右出目+1か+2
「イ」…前回右出目+3か+4
「ル」…前回右出目+5か+6
もちろん、こちらも大当り判別が可能。例えば、連続回転中「ス・5・4」が停止したとする。移行法則(B)によれば、次回転は右デジに「4」(前回と同じ)か「5」(+1)が止まる筈だ。だが、ここで「7」のリーチが掛かってSPに発展すれば、やはり「出目の矛盾」が起こるので、大当りだと察知できる(「7」のSPリーチは、右デジが「6、7、8」の何れかでしか止まらないので、移行法則上の右出目(「4、5」)と矛盾=必ず大当り)。
なお、上記(A)(B)の移行法則は、リーチが掛かった次の回転時、及び連続回転が途切れた時に限って、いったん崩れる(カタカナ停止時は、上記の移行法則(B)が存在)。
さて、メインデジタルが揃ったら、即・右打ちに切り替える。本機の盤面右サイドの構造は、先行機「ソルジャー」と非常に良く似たタイプ。即ち、盤面右上の権利アタッカーに玉を入れ、3個以上入賞でV⇒権利発生(普通に打っていれば、玉切れしない限り、パンクはしない)。その後は、右中段の回転体と、その真下の大きなアーム型の電チューアタッカー(ソルジャーとは形状が異なる。「CRスマイル」はソルジャータイプだった)の連動で出玉を稼ぐ。
因みに、権利中の内部確率は、以下の通り。
・デジタルが揃い、権利アタッカーV入賞で権利発生…1/235
・デジタルは揃ったが、Vに入らず権利未発生…1/23.5(救済措置)
・1回目の権利消化中(1~15R)…1/235
・1回目の権利消化中(16R)…1/23.5(フライング気味に最終Rは確率アップ)
・1回目の権利終了時…1/23.5(確率アップ。二回目の権利獲得は容易)
・2回目の権利消化中(1~16R)…1/235(最終Rも確率アップせず)
・2回目の権利終了後…1/235
⇒内部の高確率状態を利用した連チャン打法等は不可。
なお、権利消化中、再びデジタルが揃ってしまうと、権利アタッカーのV再入賞=パンクの危険があった。特に、本機はデジタルが当ると、即・右打ちするタイプで、保留消化中に回転体へ玉が乗ってしまうケースも多い。右打ち消化中にデジタルが再び揃うと、エラーや出玉減覚悟で打ち出しを止めない限り、パンクする可能性が高かった。
権利消化中の内部確率は、通常通りの「1/235」だったが、それでも無駄引きで「自力連チャン」してしまうケースはあった。一応、保留全消化するまで、打ち出しを完全停止する対処法もあったが、権利獲得前に回転体に玉が乗ってしまえば、それすら難しかった(権利アタッカーに3個きっかり入れて、無駄玉を打たない手もあった)。
今思えば、デジタルが揃った時に、保留が多く点灯していたら、あえて権利アタッカーに玉を入れず、「パンク」させる手もあったかもしれない。たとえパンクしても、内部確率は1/23.5と10倍アップしているので、あらためて単発打ちを行い、再びデジタルを揃えるというのも、パンク回避の意味では「アリ」だったか…(そこで投資がかさむと無意味だが)。
因みに、本機は、権利消化中に再度デジタルが揃うと、ドットに「注意!!」「打つな!」の警告メッセージが出て、打ち手にパンク回避を促してくれた(それでもパンクする人はいたが)。
(「打つな!」の表示は、現在捜索中)