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フリークアウト(奥村、権利物)

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権利物の紹介が続いて恐縮だが、今回は1994年(平成6年)初頭に奥村遊機から登場した、新要件権利物「フリークアウト」を取り上げる事にする。



★賞球…6&13
★大当り確率…1/243
★始動チャッカーはスルー式(スルー下の賞球口もなく、玉持ち悪し)
★デジタル停止順…左⇒右⇒中
★図柄…左右デジタル=赤の「0~9、F」(11個) 中デジタル=赤と緑の「0~9、F」(22個)
★同色ゾロ目(中デジ赤)で3回権利、色違いゾロ目(中デジ緑)で1回権利
★出玉…3回権利=約5500発、1回権利=約2000発
★意図的な連チャン性…なし
★都内設置店…渋谷・道玄坂小路「ホワイトバード」(閉店)、溝の口・十字屋近くのバス通り沿い「エース」(閉店)、大塚駅・都電停留所近く「ニューカワイ」(閉店)、中目黒駅そば「マツヤ本店」(現存)、巣鴨駅北口「ニュー太平」(現存)などなど…


この当時、現金機に対する「連チャン規制」(CR機普及を目論む当局の圧力)が強まっていた。その為、「合法的」に出玉ボリューム感を出せる「権利物」が再注目されて、各メーカーも新機種開発に力を注いだ。本機も、そうした流れで登場した、「ポスト連チャン機」の一台といえる。

デジタルは、流行りの液晶モニタではなく、シンプルな7セグを採用。かの一般電役「フルーツパンチ」(大一)を彷彿とさせた。左右デジタルが「赤」で、中デジが「赤・緑の2色」というのも、フルパン譲りだった。

一方、ゲーム性は連チャン一般電役のフルパンと違い、「同色(赤・赤・赤)のゾロ目で揃えば3回権利、色違いのゾロ目(赤・緑・赤)なら1回権利」と、打ち手の「ヒキ」次第で出玉に大きく差がつく、「変則タイプ」の権利物であった。この時期、ニューギン「トリオ」(1993年)や京楽「天国キッス」(1994年)など、図柄によって権利回数が異なる機種は、割と人気があった。

なお、本機はメインアタッカーが13個戻しの為、1回権利の出玉は2000発程度。3回権利だと、途中の出玉ロスを考慮して約5500発。まぁ、高確率中に「妙な」ハマリを見せて、大きく出玉を削られる事もあったが…。

1回/3回の権利回数振り分けは、純粋に「1/2」(後述)。それでも、好調時は3回権利に偏ってドル箱を重ねる一方、ツイていないと1回権利の連発に泣かされるなど、収支もバラつきがちだった。

仕組まれた連チャン性こそなかったが(後述)、元の確率が「1/243」と甘めで、自力での数珠連チャンは十分期待できた。ただ、それはホールも承知で、通常営業でのシブ釘調整も目立った。逆に、新装で釘が甘い時などは、かなり「オイシイ」結果が得られた。

なお、当時の「持ち玉ルール」に関していえば、都内や神奈川では、すでに「全台無制限」の店も増えていた。だが、ホールやシマによっては、「ラッキーナンバー制」や「一回交換」のルールを採る場合も、決して少なくなかった。本機の場合も同様に、「どの図柄で当っても無制限」「3、7揃いで無制限、その他は交換」、「3回権利は継続、1回権利なら交換」、「奇数は継続、偶数交換」など、バラエティに富んだルールが存在した。換金率も「2円」~「等価」と様々で(3円以下が主流、都内は2.5円が多かった。神奈川の地元L店は2.2円)、こうした営業方針の違いは、ホール毎、或いはエリア毎の「個性」を引き出す要素になっていた。





なお、本機の盤面の特徴として挙げられるのが、デジタル真横にある「風車」の存在であった。
通常と異なり、本機はデジタルの左サイドに風車はあるが、右サイドには存在しない(画像参照)。因みに、同じ奥村の権利物「アトラス3」(1994年)も、やはり右側に風車がなかった。

こうした「左右非対称」の作りが、ちょっとした攻略要素にも繋がった。すなわち、風車が露骨にマイナス調整されており、風車の外へ玉が逃げがちな台でも、思い切って右打ちに切り替えると、邪魔な風車が無いお蔭で、デジタルがブン回る事があったのだ。この右打ち攻略、釘にも左右されたが、かなりの効果があった。ちょっとした「創意工夫」が、思わぬ好結果を招いた好例といえる。



★リーチアクション

フルパン同様、「左⇒右⇒中」の順に停止する7セグデジタル。左右テンパイ時、中デジはリーチ図柄の手前5コマからスタートする。フルパンでは、リーチが掛かった瞬間の中デジ図柄を読むと、連チャンするかどうかが予測できたが(勿論、保留点灯が条件)、本機にそのような特徴はない。

ノーマル1周目(リーチ直後)でいきなり当ったり(ショート)、ノーマル2周時に普通に当る事も多かったが、最も期待感を煽ったのは、3周目突入後に3コマ進むと高確率で突入する「SPリーチ」だった。

SP発展時は、大当りの「手前1コマでハズれる」事はあっても、「通り過ぎてハズれる」事は絶対になかった。中デジの各図柄は、「緑」⇒「赤」の順に並んでいる(フルパンとは逆)。つまり、中デジが「緑のゾロ目」まで辿り着けば(手前1コマを超えた時点で)、大当りが確定したのだ。さらに、緑図柄も超えれば、嬉しい3回権利(赤)が約束された。なかなかアツいアクションだったといえる。

この辺り、同時期に大ヒットした、西陣「CR花満開」のSPリーチ(花びらリーチ、1コマ手前の図柄が散れば大当り)に通じるものがあった。

ただ、期待を持たせる割には、1コマ手前でピタッと止まって終了…の哀しいパターンも、案外多かったと記憶する(実戦での信頼度は1/3程度。なお、再始動アクションは無し)。



★メインデジタルが揃った後

デジタルが揃ったら、始動チャッカー真下の電チューが開放。電チューに入賞した玉が、その下にある役物(回転体)のVゾーンに入れば、権利発生。玉切れさえ気をつけていれば、電チューに1個以上入れた時点で、ほぼ確実に権利獲得となる。

権利獲得後は右打ち。右上の回転体と、その下のアタッカーの連動で出玉を稼ぐ。16R継続だが、先述した通りアタッカーが「13個戻し」なので、出玉は約2000個。

3回権利獲得時、2回目・3回目の権利中は確率が10倍アップ(1/24.3)しており、権利獲得は容易…のはずだったが、実戦中、50~60回程度の「2倍以上ハマリ」が結構あった。まぁ、単なるヒキ弱だとは思うが。



★デジタル確率の内部状態切替

・通常時…1/243
・デジタル揃って権利発生…1/243
・デジタル揃って権利発生せず…1/243(救済措置なし)
・1回目権利消化中…1/243
・1回目権利終了後…1/24.3(10倍アップ)
・2回目権利消化中…1/243
・2回目権利終了後…1/24.3(10倍アップ)
・3回目権利消化中…1/243
・3回目権利終了後…1/243

⇒内部では、専用の「確率変動カウンター」によって、上記の状態ごとに、確率の高低が随時切り替わっている。よって、高確率状態を利用した「連チャン打法」等は存在せず。



★大当り判定、連チャンの有無

一発抽選方式を採用。大当り判定カウンターは「0~242」の243コマ。通常時は「6」のみが当選値。一方、高確率中は「6~15」の10通りが当選値となる。よって、大当り確率は、通常時=1/243、高確率時=1/24.3。

時期的な問題もあって、露骨な連チャンプログラムを組み込むのは、メーカーにとって相当「危険」な事だった。本機の解析でも、連チャンが仕込まれていた事実は認められなかった。実戦では、50回転以内の数珠連も起こったが、「1/243」という甘めの確率による「自力連」と思われる。



★権利回数の振り分け

大当り判定に当選すると、「大当り出目カウンター」(「0~10」の計11コマ。赤図柄11個に対応)を使って、大当りの表示出目(0~9、F)を決定(Rレジスタを用いて、ランダムに選択)。

さらに、この時、「中出目カウンター」(「0~21」の22コマ。赤と緑の図柄22個に対応。通常はハズレ中出目作成に用いる)の値も参照する。拾った値が「偶数」なら中デジに赤図柄停止(3回権利)、「奇数」だと緑図柄停止(1回権利)という内部処理が行われる。

即ち、中出目カウンターが「出目そのもの」を決定するのは「ハズレ時」のみであって、大当り時は、カウンター値が「奇数か偶数か」で、中出目の「色」を決定するに過ぎない。

よって、1回/3回の権利回数振り分けは、純粋に「1/2」。また、大当り出目の意図的な偏りもなく、ラッキーナンバー狙いは不可。


お花見

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昨日(日曜)の昼間に訪れた、お花見会場にて。


全体的には「五分咲き~七分咲き」程度だったが、ふと目に留まった一本の桜が、なかなかの咲きっぷりで、コチラにアピールしてきた(気がした)ので、思わずパチリ。





よく見ると、まだまだ蕾も多いが…予報通りの気温だと、数日中に満開を迎えそうな気配。また、日を改めて訪問してみようか。



そんな訳で昨日は、気分転換を兼ねて、芝生の上で安い弁当をつつきながら、ノンビリと観桜。


こんなユッタリとした「癒し」の時間も、時には必要だろう(風が強くて、チト肌寒かったが…)。



さて、本物の桜は散ってしまえば「また来年」と旬は短めだが、「懐パチ」「懐スロ」は、季節不問で「お花見」も可能。という訳で、「桜の花びら」や「桜の木」に因んだ機種を、幾つかピックアップ。

ただ、「チェリー」絡みとなると、大半のスロが当てはまってしまう為(汗)、「お花見」に因んで「花びらor木」に限定した。

もちろん、下記以外にも、桜絡みの機種は数多く存在する。とりあえず、ピンと来たものからザッと羅列してみた。思いつくままに並べた為、時系列的にはバラバラだが…ご了承の程を。





「サクラ」(マックスアライド・4号機、1999年登場)



大江戸桜吹雪2(平和(オリンピア)・4号機、2000年登場)



浪花桜吹雪(平和(オリンピア)・4号機、2001年登場)



花月(カゲツ)(山佐・4号機、1999年登場)



オイチョカバX(山佐・4号機、1999年登場)



梅花月(ウメカゲツ)R(山佐・4号機、2000年登場)


チェリートラベル(エマ・4号機、2001年登場)
⇒リプレイ図柄が「満開の桜の木」(ビッグ中の15枚役にも絡む)。



演歌道(三共・旧要件ハネモノ、1990年登場)



フィーバー花札GP(SANKYO・現金機デジパチ、1996年登場)⇒CR版は「RX」



CR大工の源さん(三洋・CRデジパチ、1996年登場)⇒現金機版は「大工の源さん3」



CR花満開(西陣・CRデジパチ、1993年登場) 「桜」といえばやっぱコレかな。BGMも含めて。



花百景(西陣・現金機デジパチ、1993年登場)



サイタサイタ(西陣・現金機デジパチ、1993年登場)


おっと、90年代の西陣「花びらデジタル」シリーズだと、「花満伝説」(1998年登場、CR版は「Z」「R」、現金機は「SVZ」)を入れない訳には行かないな。画像は…そのうちアップする(汗)。

それから、SANKYO「フィーバーピストル大名GP」(1997年)の名物キャラ、「遠山桜の介」(リーチ中、頭から桜がグングン伸びる)も、「桜絡み」で挙げておこう。過去記事参照。

また、当然ながら、「花札」絡みの台だと、桜を大当り図柄や盤面デザインにしたものが目立つ。ニューギン「エキサイトカムカムAW」(1991年)、西陣「春一番」(1993年)、京楽「CR華観月Z」(1997年)、スロでもダイドーの4号機「ハナフダ」(2001年)など、花札モチーフの機種は多い。

さらに、「盤面に桜」といえば、上の画像で挙げた機種以外にも、例えば西陣「CR満員御礼EX」(1996年)は、「桜・富士・力士(綱)」という、めでたい和風のデザインだった。奥村の「CRヤジキタ」(1996年)、京楽ハネモノ「お竜さん」(1995年)なんかも、盤面に桜の花びらがあった。やはり、桜は「日本人の心の拠り所」なので、和風テイストの台だと定番扱いだったな。

ここまで書いて思い出したが、高尾「CRあっちむいてほい」(1995年)なんてのは、まんま「お花見」がテーマの台だった(デジタルも桜柄)。セル違いのリメイク版「CR花見酒」(1997年)も同じ。

まだまだネタは出てきそうだが…ちょっと脳が疲れてきた(汗)。折角、花見でリフレッシュしたのに(笑)。そうだ、ニューギンの「大江戸日記7」(1997年の液晶時短機。ハリセンとか刀とか連獅子とか全回転のリーチがある奴。ヘソ入賞時に画面が夜に変わると「大当り予告」で(月が出る)、その保留でリーチが掛かればアツかった(ハズレもあったが…)。アレも、「金さん」(お奉行)図柄の肩に、バッチリ桜吹雪が入っていた。CR版だと、盤面に桜の花びらが描いてあったし。

(自分にとって)古い所では、1990年に新宿で「さくら」という名の一発台を打った記憶があるのだが…情報がサッパリ出て来ない。だれか詳しい人いたら、教えて下さい。


また、パチスロでも、エレコの4号機「ガッツだ森の石松」(2004年)は、液晶画面の桜が美麗だった。ボーナスゲーム中の背景が「昼・夕方・夜」と3パターンあるが、、背景が「夜」に切り替わると、嬉しい「石松タイム(IT)」(50G以内の連チャンモード)突入確定。特に、JACゲーム(石松が赤鬼をぶん殴る「押し順ナビ」が発生)では、お花見に打ってつけの「夜桜」が画面に現れた。実戦店は、相模大野駅前の「シティ」や町田駅前「グランドフォーユー」(閉店⇒「オリパサ」)」、それに登戸駅前の「スロットハトヤ」など。そういや、町田「さくら屋」(これも桜繋がり…スロのコインも桜のデザインだった)で沖スロの「シオラー30」を打ってた時、割と露骨に勝ち続けたんで、地元の2ちゃんねるとかで、「あの店にはサクラ(打ち子)がいる」なんて書かれたっけ(笑)。いやいや、サクラどころか、店側の「思惑」とひたすら闘い続けてたんですよ…。
まだ、スロ実戦に対する情熱が残っていた頃の話である。その熱意も、桜の花びらが春風に散る如く、今やすっかり失せてしまったな。

Youtube 90年代動画紹介(3)

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だんだんとシリーズ化の様相を呈してきた、「Youtube 90年代動画紹介」コーナー。


私が「神動画投稿主」と崇めてやまない、ライルさん(Mr. Lyle Hiroshi Saxon)の貴重な90年代初頭の映像を、当ブログに接する多くの人達に紹介すべく、行っているものである。


で、今回取り上げるのは、こちらの動画。

https://www.youtube.com/watch?v=REcrLTJsEoI


1992年(平成4年)の登戸駅(小田急線、南武線)を起点とした、ライル氏散策の映像だ。


いつもにもまして、超ローカルな話題で大変恐縮だが…興味ある方はぜひご覧を。


映像で判る散策ルートは、小田急線・登戸駅前⇒向ヶ丘遊園(遊園地)⇒向ヶ丘遊園(駅)⇒遊園地⇒溝の口界隈となっている(特に、遊園地から溝の口までの散策が非常に長く、結構な距離を歩いている事が判る)。


動画後半には、故・田山幸憲プロ御用達だった「溝の口B店」(PSビッグトップ)の在りし日の姿も確認できる。田山ファンなら、一度は見ておきたい映像だ(田山さんが「ネグラ」にする前の時期)。


賞味1時間以上と映像は長めだが、今回は「冒頭~15:30」(登戸、向ヶ丘遊園)の前半部分と、「42:21~最後」(溝の口界隈~ご帰還)の後半について、私なりの「分析」を重点的に行った。


それでは、さっそく見ていこう。



(前半)



「冒頭~1:00」 ライルさんの地元(当時)と思われる、西武池袋線「ひばりヶ丘駅」周辺の映像が中心。駅から西武線に乗り込む様子や、終点とJR乗換の池袋駅の様子も映る。

「1:02~1:50」 小田急線・登戸駅の下りホーム⇒狭い地上改札口を通過⇒ゴミゴミとした駅前スペースに出る。再開発前の、昭和然とした登戸駅前の光景。小田急改札から続く、南武線への連絡通路と切符売り場も懐かしい。
小田急改札前のパチ屋「玉の家」、南武線改札前のパチ屋「いろは」、「玉の家」隣の立喰いそば「橘」、その隣の左右に分かれた中華・洋食レストラン、電話ボックス、南武線改札前にあった小さなタクシー乗り場など。1:43にスロ専「ラック」店頭のノボリ、1:47にスロ専「ニューハトヤ」の看板も見える。

(当時、登戸駅前では、「玉の家」「いろは」「パチスロラック」「ハトヤ(1Fのみ)」「パチスロニューハトヤ」「パチスロミツワ」と、計6軒のホールが営業。)

1:33は南武線・登戸駅の駅舎。あらためて、近年の登戸駅の「変化」を実感。その背後には、「日能研」の屋上看板がチラッと覗く。小学生時分は、一時期ここに通った事もあったっけ…(成績順に座席を決めるのが性に合わず、すぐ辞めて地元の小さな学習塾に移ったが)。


「1:50~4:10」 焼肉屋「平安郷」のある駅前の通りから、宿河原小学校方面へと進み、小学校手前の五差路を右折。「らーめんはうす」のある通りに入り、宿河原2丁目を経て府中街道と並行する市道(鹿嶋田菅線)の「龍安寺入口」交差点へ出る。2:22は川崎市バスの降車バス停、2:36~2:41は、五差路手前の懐かしきコンビニ「オダキューマルシェ」の看板(現・ひろ接骨院)。3:39は喫茶「コーヒーハウス・テルミー」の看板。3:43は、向ヶ丘遊園のジェットコースターと大観覧車。


「4:12~7:10」 府中街道(二ヶ領本川沿い)。涙が出るほど懐かしい向ヶ丘遊園モノレール(5:20~)や入園ゲート(6:58)など。ロッキード式、シルバーグレーに赤(白)ラインの入った2両編成モノレール(向ヶ丘遊園駅(南口)-向ヶ丘遊園正門を往復)は、かつての遊園のシンボル。ガチャガチャとレール音を立てて頭上を通過するのが、日常の光景だった。遊園地でウルトラマンのイベントがあると、モノレールの前面にウルトラマンの「顔型カバー」を取り付ける事もあった(モノレール自体、ウルトラマンチックな配色だったが)。5:58のボウリングの巨大ピンは、今はなき「向ヶ丘遊園ボウル」。跡地は、現在「藤子F不二雄ミュージアム」。6:14は、遊園地の駐車場入口の車列。6:18は、遊園地の正面大階段脇にあったエスカレーター。


「7:12~11:36」 モノレール乗り場(向ヶ丘遊園正門)改札を通り、モノレールで向ヶ丘遊園駅(南口)に向かう。7:34のハサミの入った小さな乗車券が、郷愁を誘う。乗車中に流れるオルゴール風BGMと自動アナウンスも懐かしい。9:57は、あの界隈の名物でもあった、戦後バラックのようなプレハブの商店(すでに解体。跡地は「ナカヤマ薬局」の入ったビルに)。10:18は、家電「ハイマート」(閉店)の看板。10:56でも、「電気のデパート・ハイマート」の看板が見える。


「11:37~14:39」 向ヶ丘遊園駅・南口の様子。モノレール乗場の周辺、中和ビル、小田急線の南口駅前ロータリー等が映る。11:45では、中和ビル2F「ぱちんこ遊園」の黄色いネオン看板(階段を上がって2F入口前に出ていた、縦長の看板)が一瞬だが映る(!)。11:50は、モノレール階段下の乗車券売場(後方より撮影)。11:51は、ミスタードーナッツ向かいの小さな蕎麦屋「立花」(閉店)の看板(「そば處(どころ)」の文字)。12:04~は、中和ビル1F・右奥の家電ショップ「第一家電」の店内(TV売場など)。12:21は、小田急線の南口改札を出て左手のパチ屋「(レジャー)プラザ(よしざわ)」の屋上看板。12:28では、右上に中和ビル屋上に架かった「第一家電」の看板がチラッと映る。12:39は、「メガネの湘南堂」のコミカルなイラスト看板。13:52~では、接近するモノレールの背後に、ショッピングセンター「ダイエー」敷地内にあった、「ドムドムバーガー・向ヶ丘店」(閉店)の赤い看板(象のマーク)が見える(第一勧銀の看板も懐かしい)。


「14:40~15:30」 再びモノレールに乗り込み、遊園地に戻る。






(中盤)

「15:31~38:40」 遊園地の正門前を起点に、府中街道(二ヶ領本川)を久地・津田山方面へと進む(長尾橋、東名高速下、宿河原6丁目など)。途中で脇道に入り、畑の間や霊園の緑道、草深いヤブの中、工場の裏手、古い長屋に住宅街と、まさに「冒険、探検」の様相を呈している。さらに、JR南武線・津田山駅(31:27)、中華「芳蘭」のある246号線(厚木街道)高架下(34:46~37:28)を経て、溝の口を目指す(35:20~36:35は246号線の風景)。但し、この中盤部分は、詳細な説明を割愛させて頂く。


 



(後半)

「38:50~41:40」 いよいよ待望の「溝の口」エリアだ。下作延から溝の口方向に向い、38:50~39:08では「栄橋」の交差点が映る。そのまま左折して県道14号線(大山街道)に入り、「溝の口駅入口」の交差点方向に進む。39:23~39:46は大山街道沿いの「旧・溝の口大通り商店会」(現・溝の口大山街道振興会)。39:23と39:26は「岡田屋足袋店」の看板。39:47~40:20は溝口神社。40:23はコンビニ「ampm」があった「溝の口駅入口」の交差点だ。

「41:43~42:40」 今度は、田園都市線・高津駅近くの府中街道沿い「高津一番街」の映像。41:49では、「アップルビデオ」(ビデオ・CD店)の赤い看板が見えるが、実は、その背後に「パチンコ ニュースマロ」(知る人ぞ知る高津の名店。尚球社・3号機「ミラクル」を設置。既にクローズ)のネオン看が小さく映っている。41:54は、帝京大医学部溝口病院の看板、及び隣の牛乳店。


「42:50~46:51」 再び、溝の口入口の交差点から、バス通りを溝の口駅方向へと進む。再開発前は、ここが溝の口の駅前へと繋がるメインストリートだった。42:55~45:50は「十字屋マーケット」界隈の、古臭くも活気溢れる光景。44:58では十字屋向かいの「パチンコ ニューコガネ」(現存)の店内が映る(前後に店員のマイクパフォーマンスや平和「麻雀物語」のデジタル回転音が聞こえる)。45:00は、田園都市線ガード下の「東急ストア」。

45:54からは、再びバス通りの映像。46:00、46:11で通り沿いの「パチンコ エース」の姿が映る。46:13の画面左には、ガード下のパチ屋「こがね会館」(現存)のネオン。続く46:15では、はす向かいの「パチンコ日拓・溝の口店(地下が日拓EO)」(現存)。

46:21から「溝の口西口商店街」の古いアーケード(カラオケスタジオ「フレンズ」、定食屋「ハセガワ」の看板など)を通って、田園都市線・溝の口駅の出口(階段下)に出る。46:39は、溝の口駅出口(田山プロは、B店に向かう時、ここを通っていた)。正面奥に「サーティワンアイスクリーム」の赤いネオン、右手に「ショッピングセンター・ヤストモ」出口のパチ屋「パーラーツバメ」(閉店)の花輪やネオンも見える。46:43はヤストモの看板。46:49はヤストモ脇、南武線沿いの連絡通路。


「46:52~49:30」 ヤストモショッピングセンターを通り抜けて、南武線・武蔵溝ノ口駅側に出る。ヤストモ内では、おもちゃ屋「みづほ」、ラーメン「珍来軒」をはじめ、「えんよし」「タカス」「クロカワ」「みどりや」といった看板が見える。文教堂書店(島崎文教堂)の脇を通ってヤストモを出ると、JR武蔵溝ノ口駅前のロータリー(改札前)。

そして、47:11や47:16で映る緑色のネオンのパチ屋が、田山プロが93年5月からネグラにした「P.S.ビッグトップ」(溝の口B店)だ。但し、動画撮影時(92年5月)はまだ池袋S店(山楽)が拠点。92年5月だと、田山さんは山楽1Fで「ブラボークイーン」「パラダイス」、地下ハネモノコーナーでで「パチンコ大賞」「ビッグシューター」「ニューモンロー」「サーカスIII」などを打っていた。B店の隣がゲームセンター「モンブラン」。B店に向かう横断歩道で流れる「とおりゃんせ」(47:18~)は、田山プロも毎日行き帰りに聴いていた筈だ。47:15は南武線・武蔵溝ノ口駅の改札前。

47:20で再びビッグトップが映る場面では、左手に「時計」と「バス停」らしきものがチラッと映る。これを見てふと思い出したが、確かにビッグトップ向かいの奥まった所に、バス発着所があった。学生時代、末長の「富士通ゼネラル」の近くに友人が住んでおり、このバス停から始発に乗って、何度か会いに行った事があるのだ。いやはや、脳の隅で「化石」状態だった小さな記憶が、ワンショットで面白いくらいに蘇ってくる。あらためて、素晴らしい動画をアップして下さったライルさんに、「感謝」したい。


47:22~では、武蔵溝ノ口駅前の横断歩道を渡って、パチ屋「PSビッグトップ」の脇から「溝ノ口駅前商店街」の小さな通り(路地)に入る。こちらも、再開発前の懐かしい映像。B店の並びにあった「味の大関」(居酒屋)、「マクドナルド」、「ラーメン東秀」、「ファーストキッチン」、「呉服の天野屋」などが映る。47:42では、「おもちゃのみづほ」の看板も見える(「みづほ」は、ヤストモ内とコチラの計二店舗あった)。

47:54~は、「マルエツ」と「長崎屋」の間の小さな交差点。48:04~はマルエツ向いの「文教堂書店」店内。48:14で長崎屋の向かい辺りが映るが、画面奥にパチンコ「ニューパレス」のネオンが光る(映像では見えないが、さらに奥には「ピーアーク溝の口」もあった。私はビッグトップ(B店)に入店経験がほとんどなく(店の横を素通りするだけだった…涙)、90年代初頭の溝の口は、「ツバメ」と「ピーアーク」がメインだった)。48:18はムサシボウル。48:22は、その向かいの角地にあった洋食・洋菓子「不二家レストラン」。最後は、商店街通りから武蔵溝ノ口駅へと戻る。49:17の券売機スペースはもちろん、直後に映る天井の「ツバメの巣」も、あの駅を使った者にとっては、大変に思い出深い光景だ。







(ラスト)

その後、武蔵溝ノ口駅の構内からB店周辺を撮影して、南武線(下り・立川方面)に乗り込む(黄色い車体が懐かしい)。府中本町駅で武蔵野線に乗り換え(58:55~59:10)。私も、中・高時代、毎日ここで乗り換えていた。武蔵野線乗車後、いったん「東所沢駅」で降りて構内を撮影(59:33~1:01:10)。そこから府中本町方面へ戻り、隣の「新秋津駅」で下車(1:01:20)、切符の精算を済ませて改札を出ると、西武池袋線の「秋津駅」まで歩き、そのままご帰還…という具合である。1:02:21では、向ヶ丘遊園にもあった「ドムドムバーガー」(新秋津店)の赤い看板。1:02:23では「パチンコ ニューアキツ」のネオン看板。


因みに、新秋津駅での精算場面で、精算機前に無造作に捨てられた、一枚の「馬券」が興味深い(1:02:11)。
実は、撮影が行われた92年5月31日(日)は、府中本町駅そばの東京競馬場で、「第59回・東京優駿(ダービー)」(G1)が行われた日だ。このメインレースでは、ダントツの一番人気、7枠15番「ミホノブルボン」(鞍上・小島貞博)が見事に圧勝、2着には16番人気だった後の名馬、7枠13番「ライスシャワー」(鞍上・的場均)が入った(枠連7-7)。
一方、動画の馬券をよくみると、「東京92年3回4日10レース(日本ダービー)」の「枠番連勝(枠連)」で、「5-5(3000円)」「4-5(4000円)」「5-6(3000円)」の3点買い。4枠は「マチカネタンホイザ」(4着)と「ナリタタイセイ」(7着)、5枠は「ホクセツギンガ」(14着)と「アストロゲート」(13着)、6枠は「ゴッドマウンテン」(16着)と「セキテイリュウオー」(9着)。見事に予想を外しまくったファンが、1万円のハズレ馬券を新秋津駅の精算所前に投げ捨て、それをライルさんが興味津々に撮影して後に動画をアップ、さらに私がほじくり返した…という訳だ(笑)。




(90年代 youtube動画紹介コーナー(3)の項、了)

タンブラー(京楽、一発台)

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1986年(昭和61年)に京楽から登場した一発台の名機「タンブラー」


★賞球…オール13


盤面センターに3つ縦に並んだ、回転式の「カイザーチューリップ」が特徴。いずれのチューリップも、玉が入賞するごとに上下がクルッと反転(普通のチューリップの「開閉」動作とは一線を画した)する仕組みで、躍動感があって楽しい動きだった(左右ソデにも、同じチューリップが存在)。また、大当り中の軽快でウキウキするようなBGMも、耳に心地良かった。


私は平成2年(1990年)のパチ・スロデビュー組だが、上の画像の「元祖・タンブラー」は、実戦の経験があまりない。主に打っていたのは、赤い盤面の「タンブラーA」※(元祖タンブラーのリメイク版。1987年登場)の方で、寧ろそちらを記事にしたかった。ただ、残念ながら「A」の画像が手元になく、レトロゲーセン「殿堂・蕨店」で以前撮った、「元祖」の画像をアップした次第だ。

※元祖タンブラーのセルを変え、さらに大当りチューリップ以外に入賞した時も大当り音(イントロ)が一瞬だけ鳴ると共に、盤面の電飾も点滅するようにしたのが、リメイク版「タンブラーA」。その他の構造やゲーム性は共通である。


90年当時、JR南武線の登戸駅前(前回記事で取り上げたエリア)の「いろは」という年季の入った店に、リメイク版の「A」が設置されていた(既にして年季が入っていた)。2.2円交換の4000発終了だったから、1回当てれば「約9000円」が約束された訳だ(焼肉屋裏の換金所は健在?)。

まぁ、同じ頃、都内では2.5円の5000発終了(12500円換金)や、等価で4000発終了(16000円換金)という一発台設置店もあったが、資金に余裕のないバイト学生にとっては、たとえ9000円でも、立派な「大金」だった。


この時期、2.5円交換メインの「新宿」エリアと、2.2円主体の「登戸」「向ヶ丘遊園」エリアの双方に、頻繁に通っていた。こうした換金差は、当然ながら、「釘」そのものの差となって現れた。新宿で一発台(全般)を打つ機会も少なくなかったが、「V穴に決めた」回数でいえば、遊園や登戸の方が圧倒的に多かったのだ(遊園「ニューギンザにあった三共「ターゲットI」など、たびたび「お座り百円」一発で決まった)。まぁ、新宿自体、元々シブいエリアだった事もあるが…。


在りし日の登戸「いろは」…駅前再開発で店舗は消滅。なお、後身のホールは、場所を変えて現在も営業中(「いろはビル」の建物名に、当時の名残を感じる…)。


そういえば、昔「銀玉マサやん」というパチンコ漫画が好きで、当時掲載していた「プ〇イコミック」(休刊)という漫画誌(パチンコ漫画誌ではない一般誌)を、コンビニや駅の売店でよく買っていた。その本誌だか単行本だかで、マサやんがシブ釘のタンブラーと勝負して、さんざ苦労するも、最後は見事に攻略する…といったシーンを読んだ事がある。
初期のマサやんは大の「一発台フリーク」で、本機やスーパーコンビ、ビッグウェーブといった名機との対戦も多かった(新要件初期には、コンビタイプの一般電役「メドレー」(三共)とも対峙)。あれは、やはり作者・堂上まさ志氏自身の好みが、前面に出ていたのだろう。




さて、本機のゲーム性については、今さら詳しく説明するまでもないだろう。まぁ、簡潔に言えば、盤面センターに上・中・下と回転チューリップが縦に三段並んでおり、命釘を抜けて一番上のチューリップに飛びこめば大当り。振り分け穴もなく、まさに「一発必勝タイプ」といえた。

但し、上チューリップに連続入賞して「パンク」する危険があった為、大当りと同時に、パッと右打ちに切り替える必要があった(それでも、パンクの恐れはあったが…)。


上チューリップに玉が飛びこみ、クルッと上下の向きが反転すると、それまで上チューリップの羽根が塞いでいた、中・下段チューリップへの入賞ルートが「開通」する。

後は、予定終了まで右打ちを続けるだけで、中・下段のチューリップが延々と出玉を稼ぐ。一発調整なら、右打ちでパンクする可能性は、ほぼない。チューリップに描かれた「不思議」な顔が、大当り中クルクルと反転を繰り返す様子が、実に軽快だった。
(なお、中・下段のチューリップは連動しており、中段入賞で、下段も反転する仕組み)


これは、中段チューリップを写したものだが、チューリップの構造はすべて共通。ご覧のように、羽根が下向きの時は、中央に描かれた顔が「王冠を被った、ツルツル・ヒゲモジャ・タレ目の老人(王様)」に見える。


一方、玉が入賞してチューリップが反転すると、「うっすらと笑みを浮かべた、釣り目の若者」に変わる(目の下のクマ(シワ)が、若干気になる)。これがご存知、遊び心タップリの「騙し絵」だ。

なお、本来なら、キチンとひっくり返ったチューリップの画像を出すべきだったが、画像が一枚しかない為、やむなく「上下反転画像」で代用…。)



ここで、本機の「タンブラー」という機種名と、「騙し絵チューリップ」との関係を考えてみたい。

まぁ、英語の「tumbler」の意味を調べれば、大方の予想はつくかな…という訳で、さっそく辞書を引いてみた。


tumbler(英)
1 (取っ手や足のない普通の)大コップ、タンブラー
2 転ぶ人 
3 宙返りする人、(特にとんぼ返りする)曲芸師
4 槓桿(こうかん=錠の中の回転金具)
5 起き上がりこぼし
など


一般的に、「タンブラー」といえば、容器の「タンブラーグラス」辺りがピンと来るが、本機の特性に鑑みれば、恐らく3番目の「宙返りする人」「曲芸師」といった意味が、もっとも適当ではないか。

つまり、チューリップの顔がクルクル反転する様子が、あたかも、身軽な曲芸師が連続で宙返りを決めているように見える…という事だ。

もし、そうだとすれば、やはり「身軽な曲芸師=若者」と考えるのが、自然であろう。

すなわち、この騙し絵の「正体」は、サーカスや大道芸など行う、「若いパフォーマー」ではないか。

身軽な彼(ら)が宙返りを決めた瞬間、ひっくり返った顔が、一転して「年老いた王様の表情」になる。それをお客に見せて楽しませるのが、彼(ら)の特技…という訳だ。

結局、「上向き」「下向き」どちらの顔が本当の姿かといったら、


こちらの「赤い帽子を被った若い曲芸師」が本来の姿で、



得意の宙返りで逆さになると、まるで「貫録タップリな王様の顔」に見える。このギャップこそ、彼の最大の「ウリ」だった…。

つまり、一番上のチューリップは通常「下向き」になっていて、この曲芸師は長時間、逆さ向きの状態でじっと耐え続けている。そして、打ち手がVを決めた瞬間、本来の「上向き」になって活力を取り戻し、大当り中は元気いっぱいに、得意の「宙返り」を繰り返すようになる。目の下のクマも、やはり曲芸師としての「激務」が、疲れた表情として滲み出ているのではないか。


当時の京楽開発陣が、こんなイメージや設定のもとで、本機を「タンブラー(tumbler)」と名付けたとは、考えられないだろうか?

まぁ、これはあくまでも「個人的な推測」に過ぎず、全くの的外れである可能性も、大いにあろう。


皆さんは、「タンブラー」という機種名について、どんな考えをお持ちだろうか。

ビッグボーダー(テクノコーシン、4号機)

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テクノコーシン(元・興進産業、後にラスター⇒昨年に破産)の4号機「ビッグボーダー」
(2000年7月登場)



(ボーナス確率)

・Big Bonus
設定1: 1/341.3
設定2: 1/327.7
設定3: 1/315.1
設定4: 1/292.6
設定5: 1/252.1
設定6: 1/204.8

・Reg Bonus
非搭載

・PAT(パラレルアシストタイム)突入率
設定1~5: 1/2
設定6: 2/3



(払い出し)

・ビッグボーナス(赤7or白7)…15枚
・3連(左・中・右)チェリー…(ビッグ中のみ)15枚
・ハリネズミ(ボーダー)…0枚
・スイカ…14枚
・オレンジ…8枚
・チェリー…2枚
・稲妻…リプレイ



(ゲーム性)

巨大な「ピンクチェリー」が目を引いた。マルホン一発台「ビッグポーター」(1990年)とは無関係。

レギュラーボーナス非搭載(Bタイプ)の本機は、ビッグ終了後の抽選で3ケタデジタルがゾロ目なら突入する「PAT」(パラレルアシストタイム=最大100G継続のRT)が特色だった。

ビッグ中の技術介入(小役狙い、リプレイハズシ)も効果が高い割に容易で、500枚越えも狙える「大量獲得タイプ」だった(MAX575枚)。

他にも、リール窓右に付いた「チャンスルーレット」や、「SPスタート音」「ミュージックスタート音」発生時の「アイラインナビゲーション」(リール間のLED点滅で、成立役を示唆)など演出は多彩で、飽きの来ない作りになっていた。ビッグとPATが絡み合った瞬発力もなかなかだったが、バケがない分ハマリもキツめで、波は荒かった。

テクノコーシンお得意の「多彩なリーチ目」も健在。リーチ目は「3000種類以上」ともいわれたが、私はいつも同じ位置ばかり狙っていたので(上にオレンジの付いた「ハリネズミ」を、左下段狙い)、頭に入っているリーチ目はあまり多くない。

ボーナス図柄の一直線(ガセあり、中段は鉄板)や右リールの「3連チェリーの塊」、ハリネズミ(ボーダー君、0枚役)の一直線、「赤7・オレンジ・リプ」の左・中トリテンハズレ、スイカ付き赤7の右上りテンパイ(2確)といった「基本形」は、一応おさえていた。ただ、左下段に例のハリネズミを狙っていれば、、枠下にネズミが落ちた形(=左枠内にボーナス図柄もネズミもない「小役ハズレ目」)から、サクッと小役がハズれてボーナスを察知できた。

こうした、シンプルで味のあるリーチ目の数々が、本機のゲーム性に一層の「奥行き」を与えた。



★PAT(パラレルアシストタイム)…ネーミングは長いが、要はビッグ後のリプレイタイム(RT)。突入すれば、最大100G間、高確率(1/7.3⇒1/1.56にアップ)でリプレイが揃い続ける。途中でビッグが入ると、PATは強制終了(ビッグ→ビッグの実質連チャン)。設定6のみ突入率が「2/3」と高く(設定5以下は1/2)、重要な設定判別の材料となった(滅多に拾えなかったが)。

PAT抽選演出は、ビッグ終了後に行われる。リール下の3ケタデジタルが作動、「333」「777」「FFF」のゾロ目で止まれば当選。デジタルアクションも多彩だった。左右が同調して動いた後、中デジがそれを追いかける動作が基本で、普通にゾロ目で停止する他に、中デジが一旦ハズレ⇒再始動でゾロ目に昇格したり、変動後いきなりゾロ目で停止したりと、幾つもバリエーションがあって期待感を煽った。

PAT中は、ビッグ開始音にも似た、テケテケテケテケ…で始まるビートの効いたサウンドが鳴り続けるが、途中でビッグを引くと、ピタッと音楽が止まる。これが、CT機の「アステカ」(アルゼ=当時)を彷彿とさせて気持ちよかった。


★アイラインナビゲーションRGB…「スターゲートX」⇒「月夜の鷹姫S」と受け継いだナビ機能。さらに進化した本機は、3個×2のLEDが、緑(G)・赤(R)・青(B)の三色に光る。主に小役ナビの役割を果たしたが、対応役がハズれればビッグ確定となる。点滅パターン毎に名称がついており、それぞれボーナス信頼度が異なる。

SPスタート音(一瞬だけ鳴る)発生時

・ハザード…一番下の「緑」のみ点滅。リプレイ対応(信頼度0%)
・クラッシュ…「緑⇒赤」の順に素早く点滅。オレンジorビッグ対応(信頼度4.76%)
・グランジュール…「緑⇒赤⇒青」の順に素早く点滅。チェリーorビッグ対応(信頼度2.86%)

ミュージックスタート音(第一停止までBGMは鳴り続ける)発生時

・ビーグラッド…「赤⇒緑⇒青」の順でゆっくり光る。スイカorビッグ対応(信頼度2.91%)
・プレジャー…「緑⇒赤⇒青」の順にゆっくり光る。リプレイorビッグ対応(信頼度66.67%)
・エクスペクション…全てのLEDが上下に激しく光る。スイカorビッグ対応(信頼度92.86%)

(信頼度はメーカー発表値)


たとえ信頼度の低い点滅パターンでも、たとえば、ハサミ打ちで「スイカハズレ目」が出た時に、「クラッシュ」(オレンジ対応)だったらボーナス二確…というように、「出目と点滅パターンの組合せ」次第で、俄然アツくなったりもした。



★チャンスルーレット
第2、第3停止時にストップ音が変化した場合、リール窓右にある3つのナビランプ(上から「チェリー」「リプレイ」「B/B」)が、第3停止後にルーレットの如く作動する。ルーレットのアクションには、ランプが上から下に順次点灯⇒消灯を繰り返すパターンと、全てのランプが同時点灯⇒点滅の後、上下(「チェリー」と「B/B」)ランプのみ交互に光るパターンがある。いずれも、最終的に一番下の「B/B」ランプが点灯すれば、ビッグボーナスとなる。
チャンスルーレットは「ボーナスorハズレ」対応なので、第2or第3ストップ音が変わった時に小役ハズレ目が出ていれば、その時点でビッグが確定する。



★ビッグ中の小役狙い、リプレイハズシ

ビッグ中は、リール右のナビランプ(チェリー、リプレイ)が成立役をナビ。但し、Bタイプで小役ゲームは2回のみ。

・チェリー点滅時は、右に3連チェリーを狙い、中オヤジ打ち⇒左チェリー狙いで、15枚獲得。
(稀に、制御で3連チェリーがうまく止まらない事があるが、中をオヤジ打ち⇒左テンパイラインにチェリーをビタで、対処可)
・ランプ消灯時は、スイカorオレンジorハズレ。一応、スイカを全リール目押し。
・リプレイ点滅時は、1回目の小役ゲームなら順押しでJACINさせる。2回目の小役ゲームは、残り8ゲームまでハズす。ハズシ手順は、「右⇒中」の順で適当押し。大抵リプレイは下段受けになるので、左枠内に白7を狙う。ハズシコマ数に9コマ余裕があるので、多少早めに押してもOK。
(稀に、制御でリプが「中・上段受け」になる事があるが、左のテンパイラインに「下にオレンジの付いたチェリー」を狙えばハズせる)
・残り7プレイになったら、リプレイ(JACIN)を揃えるようにする。

平均獲得枚数は約440枚、MAXで575枚



(当時の記憶)

町田の「PIA」(ピア、現存)というホールで追っかけた、思い出の一台だ。当時、スロットは地下(1Fにもスロがあった気がするが、記憶が曖昧)と最上階にあったが、本機は最上階に設置。初めて遭遇した時、美麗で存在感ある筐体に、思わずグッと引き込まれた事を思い出す。

ただ、朝イチから打つ機会はあまりなく、データロボで良さげな台を見つけても、しっかり誰かがおさえていた。空台はせいぜい中間設定といった風情で、「出たり入ったり」の繰り返しが多かった。しかも、「入ったり」のハマリ時には、バケがないぶん「ガツン」とやられたりもした。逆に、ビッグとPATが巧く絡み合った時には、短時間で2000~3000枚程度は平気で吐き出した。トータル収支では、まずまずのプラスだったと思う。

この時期の「PIA町田」では、本機の他にも多くの4号機を打った。最上階に入った「カウントダウンファイアー」(サミー)の新装時に、他の客が撃沈する中、推定設定5、6でバカ勝ちしたものの、それっきり勝ちはなかった。一方、地階はバッドボーイ(ダイドー、タッチの差で攻略しそびれた…)、大江戸桜吹雪2(平和)、ニュートラッド(岡崎産業)、花火(アルゼ)、大花火(アルゼ)、銀河伝説R(テクノコーシン)、M771(山佐)、美麗(バルテック)といった辺りを追っていた。また、パイオニアのマイナー台「キス」と「レッドナイト」を打ったのも、この店だけだった(設置は1Fだと思ったが…もしかしたら地下かも)。

ここでの勝負終りには、店を出てすぐ傍にあった中華屋「瓔珞(ようらく)」で、名物のサンマーメンなんかを食べていた。その後、しばらくして瓔珞は閉店しちゃったんだよな…。



(当時使っていた、「PIA町田」の会員証兼ロボカード)



その他、新宿西口「アラジン」でも本機を打ったが、設定状況は…想像におまかせする。


なお、本機には「裏モノ」もあったようだが、「それ」と判るほど露骨な出方をするタイプには、出会った事がない。なお、ネットでは「本機に裏モノなし」との情報を散見するが、そういう決めつけはヨクナイ…地元民しか知らないようなハウスモノがあった可能性だって、十二分にあるのだから)。





(参考1)

2000年(平成12年)当時、私が町田駅周辺で通ったホール(PIA以外)と、主なスロ対戦台
★(S)はスロット専門店

・桃太郎(S)※…ダイノ2、玉緒でポン、クランキーコンドル、ゲッターマウス、ニューパルサー、ルパン三世、ディスクアップ、花火、ゲゲゲの鬼太郎、ラッキーチャンス、ハットトリック
・エースゾーン…シムケンG、アラベスクR、キャッツアイ、デュエルドラゴンR
・ダイマツ…スーパーセブン(2号機)、リズムボーイズ、ボルキャニックV25
・レインボー(S)…ライトアランプ、ウルトラセブン
・バカラ(旧ナポリ)…ロッキー、サンダーV
・ゴードン…アラベスクR、タイムクロス、ニューパルサー、キングパルサー
・スーパースター…月夜の鷹姫、タンゴブラザー、エイトマン、ツインサーファー、大漁2、タイムクロス、ビートザドラゴン2
・ガイアWEST(ゲーセン横、スロ2F)…タイムクロス、キュロゴス、ディスクアップ、リアルボルテージ2、爆裂大相撲紫
・ガイアEAST(「ぎょうてんや」の傍、スロBF)…大花火、花火、アイスストーリー、キュロゴス、キャッツアイ、ルクソール
・MSC・さくらセンター(S)…アラベスクR、キングジャック、ドンちゃん2、海遊記 (沖スロ設置前)
・ひまわり…花火、大花火、ファイナルミッション、ドンちゃん2、ビーマックス、サンダーV、バーサス、アレックス、ポルカノ
・アルファ…サンダーV
・フジ…ビッグパルサー(2号機)、タコスロ、ゲッターマウス、サンダーV、グランシエル

※「桃太郎」は、この年に一時休業を経て、年末に併設店からスロ専にリニューアル。
※「コンコルド町田」は、この時期まだ開業前。


(参考2)

私が2000年前後に対戦した、主なテクノコーシン4号機と実戦店(裏か表かは伏せる)
()カッコ内の数字は登場年

・ヒートウェバーX(1999)…P-ONE(渋谷、並木橋)、ファイン(渋谷、井の頭ガードそば)
・温泉天国X(1999)…グリンピース5(歌舞伎町、さくら通り)
・男の浪漫X(1999)…グリンピース5
・月夜の鷹姫S(2000)…スーパースター(町田)、NASA(新宿・西口)
・ビッグボーダー(2000)…PIA町田(町田)、アラジン(新宿・西口)
・銀河伝説R(2000)…PIA町田、ノースランド太郎丸(富山、旅打ち時)
・キングオブジャングル(2000)…ミラージュα(溝の口)
・デジタルカウボーイ(2001)…ノースランド太郎丸(旅打ち時)
・ダブルインパクト(2001)…サントロペ赤坂(赤坂見附)
・バイパー(2001)…ニューギンザ(向ヶ丘遊園)、ノースランド太郎丸(旅打ち時)
・キワメ(2001)…ガイア目黒(目黒)、ジェイズビー銀座(有楽町)、アラジン(新宿・西口)

Youtube 90年代動画紹介(4)

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Youtube 90年代動画紹介(4)


当ブログ恒例?…神動画投稿者ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)がYoutubeにアップして下さった、1990年代前半の貴重な動画を楽しむコーナー。
(一部の方には好評か?)


シリーズ第4回目は、コチラの動画を取り上げる。

https://www.youtube.com/watch?v=ppkyh9vPi_s



1992年(平成4年)の「新宿、渋谷」をライルさん自身が撮影した、まさに「映像のタイムマシン」。


但し、今回は、動画後半(6;19~)の「JR渋谷駅周辺」についてのみ、やや踏み込んだ説明を行った。前半の「新宿」(最も馴染みあるエリア)は、別の機会に「分析」したい。



(新宿編)

冒頭~2:00
西武池袋線・ひばりヶ丘駅⇒池袋駅⇒埼京線に乗り換え⇒新宿駅到着

2:01~5:30
新宿駅西口(京王デパート前、モザイク通り、タクシー乗場、小田急デパート前、西口バスターミナル、西口地下ロッカー、JR西口地下改札、京王線改札など)

5:31~5:50
新宿・ヨドバシカメラ西口本店付近(カメラのドイなど)



(原宿編)

5:51~6:18
代々木公園?(※)、JR原宿駅周辺(屋台)、原宿駅ホーム(山手線)

※動画の流れから「新宿中央公園」かな…とも思ったが、雰囲気的には代々木公園だろう。



(渋谷編)

6:19~7:52
渋谷駅西口の歩道橋前、バスターミナル、駅前出口など。
駅前の再開発計画により、東口の東急文化会館跡地が「ヒカリエ」へと変わり、さらに西口のシンボルだった「東急プラザ」も閉店するなど、近年は急速に変化している。そういう意味でも、23年前の「古きよき渋谷の駅前」を再確認できる、格好の資料といえる。



(以下、ちょっと細かく観察)

7:53~10:43

・7:53で、不二家「ミルキー」のパッケージ(現地で貰ったと思しき試供品)が映る。「ライル動画」には、こうした当時の菓子やジュースを接写した映像が、しばしば出てくる。何気に資料的価値が高い。

・7:55は、「109」の三叉路(道玄坂下交差点)を左に入って道玄坂上に向かう、「道玄坂」(道玄坂通り)の光景。実は、撮影日とされる「92年3月20日」は「春分の日」で祝日。この界隈は当時、日曜・祭日のたびに「歩行者天国」になっていた(2003年以降は、成人の日やイベントなど、特別の場合を除き廃止)。映像でも、ホコ天を歩く大勢の人々の様子が確認できる。

・続いて、ライルさんがたまたま遭遇した(と思われる)メガネの男性と、カメラのレンズを和やかに向け合う。よく見ると、7:56でビデオカメラを構えるメガネ氏の左後ろに、パチ屋の入口と花輪が見える。これは、井の頭ガード近くの「柳小路」((ガード脇の柳通りから一本奥に入った路地角にあった。現在は「エスパス」が営業)。路地側にも入口はあったが、映っているのは道玄坂側の入口だ。

・8:07~では、ライルさんとメガネ氏が笑顔でお互いを撮影。その背後に「109」が見える。

・別れ際の8:16辺り、道玄坂下交差点(109前)の映像では、ホコ天名物「いそべ焼き」(醤油の香りが芳しい。新宿にもあった)の小さな屋台が出ており、何とも懐かしい。

・8:30辺りで、去りゆくメガネ氏の後ろに、パチ屋のネオンと赤い看板がチラッと見える。こちらは、センター街入口近く(「フルーツ西村」隣り)にあった「トーオー」という店だ(現在はマツキヨ)。新宿駅南口(甲州街道沿い)にも、同名の系列店があった(「新宿トーオー」は閉店後、「ビッグパソコン館(ビッグカメラ)」⇒「ニューアサヒ新宿店」と変遷。だが、「ニューアサヒ」も先ごろ閉店)。

・8:55~9:14は、道玄坂(109前)から井の頭ガードに抜ける、狭い路地を捉えた映像。先ほどのホール「柳小路」脇の裏通りだ。路地右には、「サッポロラーメン・札幌家」(長いカウンターの店。「柳小路」「大番」「ウチダ」などの勝負終りに、味噌ラーメンをよく食べた)の赤い看板。左奥にはラーメン「平和苑」の看板も見える。その奥には、井の頭線のガードと、古い車体の井の頭線(ホームに停車中)も映る。

・9:15からは、再び道玄坂(109前、道玄坂下交差点)の映像。ここで嬉しい事に、9:16~9:20で、ハチ公口のJRガード脇(角地。現在、「プロミス」等のブースが入ったビル)にあった、「パチスロアルファ」という小さなスロ屋の看板が、鮮明に映っている。90年~92年当時、このアルファは、パイオニア2号機「ムサシ」のみを置く「ムサシ専門店」として知られた(後に、スーパープラネットやミスターマジックなども設置)。同時期、渋谷駅界隈でムサシを置いていたホールは、この「アルファ」と、宮益坂下の「たんぽぽ」(協和、三菱信託、拓銀、安田信託など銀行密集地帯で営業。城南電機・宮路社長行きつけのホール)、そして井の頭ガード脇の「パチスロ55(ゴーゴー)」(大番、ウチダ、柳小路、日拓、ファイン(S)、タイガー(ガード下)のパチ屋密集地帯とは、ガードを挟んで反対側)の、計3軒だったハズだ。

・9:36~では、これまたホコテン風物詩だった、大道芸(ジャグリング)の光景。

・9:45~10:02は、「109」入口付近。目の前の道玄坂の通りを撮影。

・10:03~10:05は、再び、道玄坂と井の頭ガードを結ぶ、「柳小路」脇の細い路地。但し、今度は、ガード側から109方向を撮ったもの。路地左には、先程の「サッポロラーメン・札幌家」の看板。向いの路地右には、「柳小路」の赤い「777」のネオン看板も見える。

・10:06~10:16は、109前の三叉路(道元坂下交差点)を右に入った文化村通りの様子だ。正面奥には、東急百貨店・本店と屋上の看板が見える。

・10:17では、ほんの一瞬だが、道玄坂と文化村通りを結ぶ細い路地(坂道)、通称「道玄坂小路」が映る。路地の右手に見えるのは、「キャット」というパチ屋だ(すぐ傍に「ホワイトバード」というホールもあった)。

・10:18~10:37は、東急百貨店(本店)内を撮ったもの。10:18~10:20は、デパート上階から、足下に見える文化村通り(渋谷駅方向)を撮影。その後、デパート8Fの食堂街フロア(改装中?)の様子も確認できる。10:30で映る和風の店舗は、老舗そば店「永坂更科」(東急本店8F、現在も営業)と思われる。

・10:38~10:43も、文化村通り(東急百貨店沿い、道玄坂2丁目~松濤郵便局前)を撮影。右手の白い建物が東急本店。

(詳細観察、ここまで)



(帰路編)

10:44~ラスト
JR新宿駅ホーム(山手線)⇒池袋駅で西武池袋線・折り返し始発に乗車⇒ひばりヶ丘駅着


(ラストは雨…)


※書き忘れたが、当時の渋谷駅・井の頭ガード界隈では、正規の景品を低価で換金する「インチキ換金所」の存在が問題となった。換金所を知らない初見の客などが、店外で「換金所はこっちだよ」と男に声をかけられて足を向けると、2.5円レートの特殊景品を、2円以下で安く替えられてしまうのだ。まさに、袋小路に仕掛けられた罠という奴で、ガード下の「有難くない名物」であった。



参考:1991年(平成3年)の渋谷駅周辺パチンコ・パチスロ店MAP

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/82afcfbd99ff6297a82b93e18064dee1



A:バンビ B:日拓ビッグプレイ(S) C:たんぽぽ D:ジャンボ E:アルファ(S) F:丸大キング
G:トーオー H:サン(S) I:白鳥 J:ムーンライト(S) K:ホワイトバード L:キャット
M:タイガー N:ウチダ O:大番(2Fはサイバースロット(S)) P:柳小路 Q:日拓 R:ファイン(S)
S:パチスロ55(ゴーゴー)(S) 

※(S)はスロット専門店

フィーバークイーンII(SANKYO、デジパチ)に関する50の質問

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※本記事編集中、「奥村遊機」破産という、まさかまさかの情報が飛び込んできた。
(えむさん、だるまんさん、thanks・・・)

先日のマルホンに続いて、またも老舗メーカー倒れる、との哀しい知らせを受けて、正直ショックはデカい。

かの「ドリームX」でデジパチの楽しさを存分に知った自分にとっては、数あるメーカーの中でも、奥村モナコは特別な存在である。

そういえば、先日紹介した同社の権利物「フリークアウト」の「freak out」には、「気が動転して、パニック状態になる」との意味もあるが、今の気分は、まさにそんな感じだ。

まぁ、近いうちに、感謝や慰労の意味をこめて、奥村の名機を振り返りたいとは思うが…


今回は、コチラの記事をご覧頂きたい。一生懸命作ったんで(汗)。





フィーバークイーンII(SANKYO、新要件デジパチ・現金機)に関する50の質問

※かなり膨大な情報を詰め込んだので、誤記や勘違いが少なからず含まれるかもしれません。
もし発見した際は、「非公開コメ」でこっそり指摘して下さると、大変有難いです。





Q1:登場時期は?

⇒1993年(平成5年)6月です。同社の大ヒット機種「フィーバーキングII」(1992年、デジパチ)の後継機として、連チャンデジパチ隆盛期にデビューしました。


Q2:当時のファンの受け・評判はどうでしたか?

⇒ホールでの評判も大変よく、攻略誌アンケートでも常に上位に入る人気機種でした。しかし、デビュー4カ月後の同年秋、CR主導を目論む当局の圧力で「ダービー物語事件」が発生。以後、連チャン(現金)機への風当たりが強まります。そんなCR台頭の波に揉まれつつも、本機にはファンの心をガッツリと掴み、ホールに残り続けるだけの、強い魅力がありました。

Q3:では、例の「社会的不適合機」リストにも入ったのですか?

⇒はい。1997年(平成9年)9月に決定した「第4次撤去対象機種」にリスト入りしてしまった為、多くのホールから姿を消す要因となりました。個人的には、低確率で金のかかるCR機と比べて、いったい何処が「社会的」に「不適合」なのか、サッパリ判りませんでしたが…。

Q4:すると、1998年以降は、ほとんど本機を見かけなかったのですか?

⇒いえいえ。そんな「逆境」があっても人気は根強く、しぶとく残し続ける「みなし機設置店」も多かったですね。私自身、かつてのホーム「L店」(三共の多くのデジパチを初打ちした店)以来、長く付き合った台ですが、スロメインにシフトした2000年以降も、新宿(歌舞伎町)「トップス」(新橋店も設置)、西早稲田「みよし」(学生時代から馴染みの店)、調布(南口)「ダイヤ」、有楽町(日比谷ガード脇)「ポオル」、三軒茶屋「遊楽」、町田「バカラ」(旧ナポリ)、町田(小野路町)「出玉王福助」、多摩センター「キング」など、首都圏の様々なホールで、本機と戯れました。
もちろん、他にも、多くのみなし機設置店があった訳で、旬を過ぎてもファンから愛された、「不動の名機」といえます。

Q5:同時期に出た兄弟機はありますか?

⇒大同(現・ビスティ)の「フィーバークイーンDI」です。クイーンですから、「姉妹機」と呼んだ方がいいでしょうかね。やはりバリバリの連チャン機でしたが、図柄は「FキングII」譲りでBGMも違いました。大当り確率も、「1/242.55」と本機より少々甘かったです。大当り抽選に関しては、本機と同じく変則的な二段階抽選でした(但し、二次抽選の乱数範囲が「0~21」と、1コマ少ない)。再始動アクションも、本機と一緒でしたし。当時、新宿・中央東口の「メトロ」や歌舞伎町・東通りの「ニューメトロ」なんかでよく打ってました。確率の割に出玉も遜色なく、また、本機でお馴染みの「連チャンNGリーチ(4つ)」もなかった為、連チャン率も高めでオイシイ機種でしたね。



Q6:後継機は出ていますか?

⇒90年代でいえば、1997年(平成9年)に出た「CRフィーバークィーンJX」、現金機版「フィーバークィーンJX」、「CRフィーバーメガクィーンGP」、現金機版「フィーバーメガクィーンEX」などがありますね。リーチアクションがド派手になり、メガクイーンは図柄までも全く変わりました。いずれも、初代クイーンほど魅力は感じなかったものの、現金機は多く打っていましたね。
「クイーン」繋がりでいえば、「CRスーパーアラビアンクイーン」(現金機「スーパーアラビアンクイーン」)も、後継機の部類に入るでしょう。おっと、これは別名の「フィーバーアラビアンDX」として有名でしたね。
さらに、21世紀に入ってもリメイク版が多く出ています。

Q7:パチスロでも、同じような名前の機種が出ましたよね?

⇒2001年(平成13年)、大同(現・ビスティ)から「フィーバークイーンI」という4号機が出ています(経堂駅近くの「ミナミ」で初遭遇)。メインリール上部に「クイーンリール」と呼ばれる演出用リール(本機や後継機のドラムを再現。但し1ライン)があり、「初の6リール搭載機」で話題になりました。クイーンドラムの多彩な演出に加え、ツインビッグ方式を採用、さらにSNT(スーパーナビゲーションタイム=8枚役の押し順をナビするAT)搭載と、今思えば面白い機種でしたが、さほど人気は出ませんでした。ノーマルも爆発力はありましたが、裏〇ノも多かったですね。


Q8:賞球数は?

⇒7&15。ヘソ7個戻し、メインアタッカー15個戻しです。16ラウンドで出玉は2300個ほど。

Q9:メインデジタルの構造は?

⇒三共お馴染みのドラム機です。ステッピングモーターを使った、幅広の大きなドラムが3本。

Q10:ワープルートがありますね?

⇒はい、「三共・初のワープルート搭載機」として知られます。先輩格の「フィーバーキングII」は、ドラム両サイドからステージに玉を導く構造になっており、これを「ワープ」と呼んだ人もいますが、正式なワープとはちょっと異なりますね。
本機の場合、ドラム上部の中央穴に入った玉が、一旦姿を消した後、ステージ上に再び現れるという、正真正銘のワープが存在しました。
因みに、ステージ性能からいえば、FキングIIの方が優秀でした(クセのいい台など、新装で釘が一寸開くと回りっぱなしとなり、現状維持どころか玉増えする事さえありました)。

Q11:図柄は?

⇒大当り図柄は「赤7、JOKER、A、JACK、青7、QUEEN、FEVER、KING」の計8種類。ブランク図柄は「小さなハート(左)、スペード(中)、ダイヤ(右)」の各マークです。

Q12:モチーフは「トランプ」ですね?

⇒その通りです。機種名が「クイーン」で盤面上部には大きな王冠もあり、一応、「クイーン=女王」が主役扱いとなっています。新メラにおいては、盤面右にクイーンのイラストが描かれました。

Q13:各ドラムの図柄の数は?

⇒左・中・右ドラムともに、大当り図柄が8個、ブランク図柄が13個で、計21図柄です。
(下の配列表を参照)
  
                    

Q14:ドラムの停止順は?

⇒左→右→中の順です。リーチ時、中ドラムの挙動を凝視するのがアツかったですね。

Q15:大当り有効ラインは?

→「上段、右下がり、中段、右上がり、下段」の計5ラインです。

Q16:大当りパターンは、全部で何通りですか?

⇒単純計算では、8図柄×5ライン=計40通りとなりますが、配列上「ダブルリーチ」となる組合せが3通りあるので、実際には重複を除いた「計37通り」です。

Q17:ダブルリーチのパターンは?

⇒「赤7右下がりとKING右上がり」、「赤7右上がりとJOKER右下がり」、「青7右下がりとJACK右上がり」の3パターン(下のパターン表を参照)。

              

Q18:リーチ出現率は?

⇒各ドラムの図柄は21個ですから、左右停止パターンの総数は、21×21=441通り。
一方、左右テンパイとなる組合せは、ダブルリーチの重複を除いた37通りです。
よって、表面上のリーチ確率は、37/441≒1/11.92となります。内部数値も同じです。

Q19:大当り判定方式は?

⇒二段階抽選方式を採用しています。他機種とはちょっと違った、独特の手法でしたが…。

Q20:どのような二段階抽選ですか?

⇒当時の二段階抽選といえば、出目カウンタやリーチカウンタとは独立した、専用の大当りカウンタ(大・小)を2つ使って、当否の判定を行うのが主流でした。この場合、当否はチャッカー入賞時に決まっていて、、その結果として、大当りとなるリーチやハズレリーチがセットされるにすぎません。つまり、「リーチが掛かったから惜しい」という仕組みには、なっていなかったのです。
一方、本機では独特な方法で抽選を行っており、二段階に決定される停止出目が、そのまま大当り判定に繋がる仕様でした。

Q21:二段階について、もっと具体的に教えて下さい。

⇒一次抽選は、左・中・右ドラムに対応する出目乱数A・B・C(カウンタ範囲は、いずれも「0~20」の21コマで、図柄の数と同じ)を使って、各ドラムの次回停止図柄を決めます。この時、左右がテンパイ(リーチ)となる形になれば、「一次通過」となります。

一方、二次抽選では、リーチ専用の中出目カウンタD(中出目テーブル)を使って、中ドラムの停止図柄を決定します。結果、テンパイラインに同じ図柄が3つ並べば、「二次当選」=大当りと判定します。

つまり、一次で「左右出目」、二次で「中出目」を決めるだけですが、こうした出目決定が、そのまま二段階の大当り判定にもなっていたのです。当時の新要件機では、珍しい方式でした。

Q22:リーチが掛かれば、本当に惜しかったのですね?

⇒その通りです。リーチは「一次抽選パス」を意味します。大当りに一歩近づいた状態を、実際に目で確認できたのですから、他機種よりも期待が持てました。
旧要件機「ブラボーエクシード」(平和、デジパチ)も二段階判定方式を採っていて、やはり「一次通過=リーチ」だった為、リーチが掛かると他機種以上にアツくなれました。

Q23:乱数A(左)、C(右)が同じ値を拾うと、リーチが掛かるのですか?

⇒いいえ、違います。出目決定用の乱数A(左)、B(中)、C(右)の値は、停止図柄をダイレクトで指定するのではなく、前回出目に数値を加算して、次回停止出目を決める「係数」にすぎません。

たとえば、左ドラム中段に「赤7」が止まったとします。ここで、チャッカー入賞時に拾った乱数A(左)が「5」だったとすると、次回転の左ドラム中段には、赤7の「5コマ」上の「A」が止まります。

これは、右出目(C)も同じですから、たとえAとCが同じ値でも、それは単に「前回左右出目に、同じ数を加える」に過ぎず、必ずリーチになるとは限りません。もちろん、前回の停止形いかんでは、同じ値を足した結果、リーチが掛かることもあります。

まぁ、係数が決まれば、停止図柄も自動的に決まる訳で、結果的に「図柄を指定」していることになりますね。但し、あくまでも「前回出目」が基準で、そこにA、Cを加算した結果、「たまたま」リーチになった場合、「リーチ=一次当選」となる訳です。

係数を加算して次回出目を決める手法は、デジパチでは割と「古臭い」やり方でした(同社の旧要件機「フィーバーレクサスV」(1989年)も、前回出目に係数を加えて次回出目を決定。それが3つ揃いなら、即「大当り」と判定していました)。

但し、新要件以降は、「まず大当り判定に合格」⇒「その後、大当り出目を選択」(不合格ならハズレ出目を表示)といった流れをとる場合が多く、決定出目そのものが当否を決める手法は、「原点回帰」という感じもしましたね。

Q24:一次抽選の当選率は?

⇒一次抽選は「リーチが掛かれば当選」です。停止パターン総数441通りに対し、左右テンパイとなる組合せは37通りなので、リーチ発生率は37/441≒1/11.92となり、これが一次当選率となります。

Q25:二次抽選の方法は?

⇒二次抽選では、リーチ専用の中出目乱数D(出目テーブル)により、中ドラムの最終停止図柄を決定します。
乱数Dは「0~22」の23通りあって、リーチ図柄(8通り)とテンパイライン(5通り)に応じて、計40個の停止図柄が用意されています。つまり、「23×40=920」のテーブルが存在する訳です。
テーブルを参照して、テンパイラインに大当り図柄が止まることが決まれば、同一図柄の三つ揃いが確定して、「二次当選=大当り」と判定されます。

Q26:「中出目テーブル」とは、どんなものですか?

⇒以下の表を参考にして頂ければと思います。




Q27:テーブルの説明をお願いします。

⇒横軸は「中出目決定用の乱数D」で、「0~22」の計23列です。一方、縦軸は「リーチ図柄とテンパイライン」を表し、8図柄×5ラインの計40列です。すなわち、テーブルは「23×40=920個」の値を含み、いずれも中ドラムの最終停止図柄を表します。

具体的には、チャッカー入賞時に拾ったDの値(連続回転中は保留エリアに格納)をチェックして、リーチ図柄とテンパイラインに応じて、テーブルの数値(停止図柄に対応)を参照します。

ここで、テーブルの値は、中ドラムの「中段」に停止する図柄を意味します。なお、数値と図柄の関係は、以下の配列表の中ドラム(No.0~20)を参照。

                  

たとえば、「赤7の上段リーチ」がかかった場合(テーブル最上段)、二次抽選で「D=0」を拾うと、中ドラムの中段に「20番」の図柄=「赤7の1コマ下のブランク」が止まります。必然的に、中ドラムの上段には「赤7」が止まるので、「赤7上段揃い(大当り)」となります。

Q28:テーブルの赤枠で囲った部分は?

⇒中出目が停止した結果、同一図柄の3つ揃い(二次当選)が成立する箇所です。もはや一目瞭然ですが、「D=0」の時、テンパイラインに大当り図柄が停止し易いテーブルになっています。
よって、大半は「D=0」で二次当選ですが(「D=1~21」はハズレ)、「特定の4パターン」では、「D=0」で大当りとはなりません。

Q29:特定の4パターンとは?

⇒テーブルを見れば判りますが、「JOKERの右上がり」「Aの上段」「JACKの右下がり」「FEVERの下段」の4つのリーチは、「D=0」だと、テンパイラインに当り図柄が揃いません。
いずれも、「D=0」は「プラス1コマ」でリーチがハズれます。なお、これら4パターンは、「D=21」の時に大当りとなります(21番テーブルの赤枠を参照)。

Q30:では縦軸の紫色で囲った部分は?

⇒「ダブルリーチ」となるケースです。たとえば、一次抽選で「赤7右下がりとKING右上がり」のWリーチだった場合、二次抽選で選択すべきテーブルが2つダブってしまいますが※、この場合は均等に1/2の振り分けで、「赤7」「KING」いずれかのテーブルを選択します。

まず、「赤7右下がり」テーブルを選んだ場合、「D=0」なら、中ドラムの中段に赤7(0番)が止まり、赤7が右下がりに揃います。さらに、「D=19」でも、中ドラムの中段にKING(19番)が止まり、KINGが右上がりに揃います。
次に、もう一方の「KING右上がり」テーブルを選択した場合、「D=0」でKING(19番)が、「D=2」で赤7(0番)が中ドラムの中段に止まって、どららの値でも大当りとなります。
つまり、ダブルリーチ時は、二次当選する乱数が「2個」存在するのです。
(他のWリーチでも同じ)

なお、「赤7とKING」のダブルリーチにおいて、「赤7(右下がり)」の方が揃うケースを考えると、
(1)「赤7の右下がりテーブル」を選択して、「D=0」を拾った場合
(2)「KINGの右上がりテーブル」を選択して、「D=19」を拾った場合
と、2通りの異なる当選パターンがあるので、注意が必要です(他のWリーチでも同じ)。

Q31:ダブルリーチは、シングルよりも二次当選のチャンスが2倍だったのですね。

⇒その通りです。本来大当りとなる「D=0」の他に、「D=19」(「D=2」)でも当りとなる為、ダブルリーチの二次当選率は2/23です。
一方、シングルリーチの場合、大半が「D=0」のみ当りで、残りはハズレ。特定の4パターンのみ「D=21」で当り(残りはハズレ)となります。いずれにしても、二次当選率は1/23となります。

Q32:これらを踏まえた、トータルの大当り確率はどうなりますか?

⇒一次当選率は「リーチ発生率」と同じですから、シンプルに37/441。
一方、二次当選率はシングルリーチとダブルリーチで異なります。シングルリーチは、二次当選率が1/23で出現率(振り分け率)が34/37。一方のWリーチは、二次当選率が2/23で、出現率(振り分け率)は3/37です。

すなわち、シングル・ダブルの両者を合算した二次当選率は、(1/23×34/37)+(2/23×3/37)=34/851+6/851=40/851となります。

つまり、本機の大当り確率を算出すると、

37/441(一次)×40/851(二次)=1/253.575となる訳です。

よく使われる「1/254」という本機の大当り確率は、この数値を簡略化したものです。

Q33:ハズレ出目の決定方法は、どうなっていますか?

⇒やはり、チャッカー入賞時に拾った出目乱数A(左)、B(中)、C(右)の値(係数)を、各ドラムの前回出目に加算して、次回停止出目を決定します。
(A、B、Cはいずれも「0~20」の21コマ)
この時、左右テンパイなら二次抽選(乱数Dによる中出目判定)に移りますが、バラケ目(非リーチハズレ目)の時は、前回出目にA・B・Cの値をそれぞれ加えたものを、そのままハズレ目として表示するだけです。
すなわち、中出目決定においては、リーチが掛かれば「乱数D」、非リーチならば「乱数B」を、それぞれ参照する事になります。

Q34:ハズレリーチ時の中出目は、どうやって決定するのですか?

⇒二次抽選ですから、乱数Dとリーチパターンに基く「出目テーブル」を参照して決定します。

この時、「D=5」なら3周目(BGMが切り替わる所)に5コマ進んでハズレ、「D=10」なら10コマ進んでハズレ…というように、Dの値が3周目の移行コマ数になる事がほとんどです。但し、以下のような例外もあります。

・D=1→3周目の1コマ目では止まらず(最低2コマ移行)、22コマ進んで「+1コマハズレ」
・D=21→21コマ進むと大当りになってしまう為、22コマ進んで「+1コマハズレ」
・D=22→「D=20」と同じく、3周目は20コマ進んで「-1コマハズレ」
・D=0→大半のリーチが大当りの為、基本的に21コマ進む。但し、2コマ目で当る例外もある。さらに、再始動を含めれば移行コマ数は様々。

Q35:リーチ時の中デジタルの動きに、特徴はありますか?

⇒左右図柄がテンパイすると、中デジタルは、やや速度を落としてスクロール。3周目に入るまでリーチは終わりません。3周目に入った瞬間、さらに音楽が変わって次第に高音となり、最後までジリジリした雰囲気を醸し出します。3周目突入後の中ドラム移行コマ数は、最少2コマ、最大22コマ(1周プラス1コマ、再始動分を除く)です。「ビタ止まり」で大当りする場合は、基本的に21コマ進んで当ります(WリーチのJOKERのみ、2コマ進んで当る→後述)。

また、シングルリーチとダブルリーチでは、2周目までリーチサウンドが異なるのも特徴です
(3周目は共通)。

Q36:左右ドラムの動きから、リーチ予測ができると聞きましたが?

→その通りです。回転中の左右ドラムの位置関係(ズレ、間隔)を把握して、リーチの有無を大方予想できました。右ドラムは、左ドラム停止後5コマ滑って停止する為、左右の回転が巧く同調していて、左に対して右が5コマ上にズレて回っていれば、リーチの可能性が高まります。但し、JOKERは他の図柄と比べて左右の配置が特殊なので、多くの図柄が同調している場合でも、リーチにはなりません(当然、逆のことも言えます)。回転中のドラムを読むのは、パチスロの目押しにも通じて面白かったですね(特に、大当り後の保留消化時は)。

Q37:中ドラムの大当り停止パターンは、全部で幾つありますか?

⇒大当り時の中ドラム停止パターンは、内部的に以下の5つです。

(1)3周目に21コマ進み、ビタ止まりで当る(再始動なし)。
(2)2コマ上(19コマ)で一旦停止後、再始動で2コマ進んで当る。
(3)1コマ上(20コマ)で一旦停止後、再始動で1コマ進んで当る。
(4)1コマ下(22コマ)で一旦停止後、再始動で約1周(20コマ)回って当る。
(5)1コマ下(22コマ)で一旦停止後(完全には止まらない)、1コマ戻って当る。

※カッコ内のコマ数は、3周目突入後の中ドラム移行コマ数

(5)の「戻り」パターンは、先輩格「フィーバーキングII」で「超プレミア、幻のアクション」と噂になりましたが、実際には「非搭載」でした(ガセネタに振り回された…)。しかし、本機ではしっかり備わっており、この動きを待ちわびたキングファンからも絶賛されました。便宜上、「1コマ下」としましたが、厳密には半コマほど下でしたね。

なお、FキングIIでは、「2コマ下で一旦停止後、1周回って当る」再始動パターンもありましたが、本機では採用されていません。

Q38:各停止パターンの選択率は?

⇒大当りが決まると、「中ドラム停止演出カウンタ」の値を参照します。カウンタは「0~6」の7コマで、振り分けは(1)のビタ止まりが3/7(約42.86%)ともっとも高く、(2)~(5)の再始動が各1/7(14.28%)となっています。

Q39:いわゆる「レア停止」の大当りについて、教えて下さい。

⇒レア停止で有名なのが、「赤7右上がりとJOKER右下がり」のダブルリーチで、3周目に2コマ進んでJOKERがビタっといきなり当る、「ショート停止」のパターンですね。

これは、リーチ時の中ドラムの独特な動きと、元々のドラム配列が原因です。

本機のダブルリーチでは、3周目に突入(音楽が変わる)する起点が、必ず「赤7」又は「青7」になっていました。もう一方の図柄(KING、JOKER、JACK)から突入する事はありません。

上記のダブルリーチが「JOKERの右下がり」で当る場合に、中ドラムの停止パターンが(1)「ビタ止まり」を選択したとします。3周目の起点は常に「赤7」なので、通常のビタ止まり(3周目21コマ進行)だと、JOKERをテンパイライン(中ドラム中段)に止めるには、赤7が3周目突入後「23コマ目」となって、最大移行コマ数「22コマ」をオーバーしてしまいます。その為、3周目の2コマでいきなり「ビタ停止」して当るという、レアパターンが選ばれる訳です。

同様に、中ドラムの停止パターンが(4)「1コマ下で停止→1周」、(5)「1コマ下で停止→戻り」だった場合も、一旦停止の箇所が3周目突入の起点(赤7)から「24コマ目」となって、やはり最大移行コマ数22コマをオーバーします。そこで、3周目に突入後して3コマで、いきなりJOKERがプラス1コマで一旦停止して、そこからクイッと戻ったり、1周回ったりというレアな動きを見せたのです。特に、ここからの1コマ戻りは、かなり忙しい動きでした。

一方、(2)の「1コマ手前→再始動」を選択した場合、3周目突入直後に一旦停止させると、最少移行コマ数の「2コマ」より少ない1コマで一旦停止となる為、矛盾が生じます。また、(3)の「2コマ手前」を選択した場合も、3周目突入の瞬間(0コマ目)に一旦停止する、という矛盾が起こります。よって、これらの停止パターン選択時は、通常通り3周目のギリギリ(20コマ)まで進み、そこから再始動が発生する訳です。

なお、(3)の「2コマ手前で一旦停止」のケースでは、「いったん赤7が揃うが、再始動で2コマ上のJOKERがスベって当る」という、LN制ホールでは嬉しくない「格下げ」パターンとなります。

逆に、「赤7とKING」のダブルリーチでは、一旦キングが揃ってから、2コマ上の赤7が滑って当ることもあります。こちらは、嬉しい「格上げ」パターンでした。同様に、青7とJACKのWリーチでも、JACKから青7に昇格する事がありました。


Q40:ドラム上部の「ラッキーナンバーランプ」ですが、各数字の出現率は均等ですか?

いいえ、0~9のLNランプには、意図的な出現率の「偏り」がありました。これは、専用のLNカウンタで決定します。カウンタ値は「0~99」の計100コマで、振り分け率は以下の通りです。
「0、1」が出やすく、「3、5」が出にくいのが特徴でした。

0⇒15/100(15%)  1⇒15/100(15%)   2⇒10/100(10%)  3⇒5/10(5.0%)
4⇒10/100(10%)   5⇒5/100(5.0%)   6⇒10/100(10%)  7⇒10/100(10%)
8⇒10/100(10%)   9⇒10/100(10%) 

Q41:セル(メラ)違いのクイーンは、LNランプの並びが微妙に違いましたが…?



⇒はい、本機が大ヒットして新セル(メラ)を登場させるに当り、ある問題点がありました。それが、上述した「LNの偏り」です。当時は、多くのホールで「LN制」を採用しており、LNランプが「3、5、7」で継続、他の数字(例えば2、4、6、8)なら交換といったルールも一般的でした。
その為、「3、5」の出現率が低いと、持ち玉交換のケースが増えて、客離れの一因となる危険性がありました(ボッタクリ店では大歓迎でしたが…)。
そこで、新セル導入に際して、不利なLN振分け率を改善する為、セルの方のLNランプの並びを、一部変更したのです。
旧セル(メラ)では、左から「0、1、2、3・・・9」と並んでいたのを、新セル(メラ)では左から「1、2、3、4・・・0」の配置に変えました。
但し、ランプの点灯パターンそのものは変わらないので、結果的に、振り分け率は以下の如く変わりました。

1⇒15%、2⇒15%、3⇒10%、4⇒5.0%、5⇒10%、6⇒5%、7=10%、8=10%、
9=10%、0=10%

この変更で、7と同じくLNに指定される事の多い「3、5」の出現率が、5%から10%に倍増。逆に、アンラッキーナンバーになりがちな偶数「4」の出現率が、10%から5%に下がりました。「0」についても、15%から10%に下がりました。但し、「2」は10%から15%に上がっています。
全体的には、客を呼びたい店にとって使い易く、打ち手にも有利な数値に変わった訳です。これが、新メラの大きな利点と言えるでしょう。

Q42:ところで、本機は連チャン機ですよね?

⇒はい、大当たり終了後、保留玉での強い連チャン性が大きな特色でした。

Q43:連チャンパターンの特徴を教えて下さい。

⇒保留玉1~4個目全てにおいて、連チャン発生のチャンスがあります。
なお、実戦データから「数珠繋ぎ連チャン」も疑われましたが、解析では、「数珠連機」と認めるに足る確証は得られませんでした。但し、いまだに数珠連を信じて疑わない人もいるようです。

Q44:保留玉連チャンの「カラクリ」は一体?

⇒まず、保留エリアの特徴からお話しすると、始動チャッカー入賞時、空きの保留エリアには、(1)「各ドラムの出目を決める乱数A・B・C」の値、(2)「リーチ時の中出目用乱数D」の値、という具合に、2種類のデータが格納されます。もちろん、前者が一次判定用、後者が二次判定用ですね。

保留エリアは4つ(現在回転中を含めると5つ)あるので、保留満タン時は全エリアに2つのデータが書き込まれています。そして、大当たり終了は、保留消化毎に両データの再読み込みを行い、大当り(連チャン)の判定を行う訳です。

本機で「大当り」と判定される為には、一次、二次双方の抽選をパスする必要がありますが、実は、大当り終了後の「ある」タイミングで、保1~保4に格納されていた二次判定乱数(D)の値を、全部まとめて「D=0」に書き換える、アヤシイ処理が行われていたのです。

上書きが成功すると、保1~保4の二次判定部分の全エリアが、「D=0」に書き換えられます。こうなれば、中出目テーブルの大半が「大当り」となるので、保留連チャンが発生します。一次抽選(リーチ発生)さえ通過していれば、上書き成功で「ほぼ」大当りが確定する訳です。

Q45:「ほぼ」とは?書換え成功でリーチを引いても、外れる事があったのですか?

⇒先程も書きましたが、中出目テーブルによれば、全リーチパターン中、特定の4パターンは「D=0」でも大当りしません(「D=21」で当り)。これら4パターンは、「D=0」だと、中ドラムが3周目に22コマ進んで、「プラス1コマ」のハズレリーチとなります。よって、上書きが成功していても、大当りとはなりません。逆に、せっかく「D=21」の大当り値を引いていたのに、上書きで「D=0」に書き換えられると、単なるハズレに逆変換されてしまうこともあります。

Q46:乱数上書きのタイミングは?

⇒大当り終了後のデジタルが再び回る直前…盤面ランプの「特殊点滅処理」を行う瞬間が、書換の契機といわれています。本機の挙動を観察すればわかりますが、大当り後、4つの保留を消化する間のみ、盤面のランプ点滅が普段と異なります。

Q47:ランプの点滅が普段と異なる?

はい。具体的には(1)台枠左右上部のランプが、保4消化終了まで赤くピカピカと光り続けます。
また、(2)ドラムを囲む「飾り枠ランプ」の点滅パターンも特殊です。通常は、「ドラム始動で飾りランプが緑点滅⇒リーチ時は緑から赤に切り替わって点滅(テンパイラインをナビ)⇒ドラム停止で飾りランプも消灯⇒ドラム始動で緑点滅⇒」を繰り返します。しかし、大当り後の保留消化中に限っては、飾りランプが切れ目なく「緑点滅」を続けるのです。途中でリーチがかかっても、緑点滅が続くので、赤と緑が交互(同時)に点滅します。さらに、ドラム停止時も、緑ランプは点滅を続けたままです。これは、大当り後の保留消化4回転のみに見られる、特殊な現象です(むろん、連チャン期待の「演出」ですが)。
そして、大当り終了後のデジタル始動直前、この「ランプ点滅処理」を行う瞬間に、全保留エリアに格納されていた二次判定用Dのデータが上書きされて、「D=0」に書き換えられるというのが、本機の連チャンの「カラクリ」だったのです。

Q48:他に、上書き条件はあるのですか?

いえ、基本的には、大当り後の上記タイミングで、保留玉が1個でも点灯していれば、その保留は上書きの対象となります。また、途中でパンクした場合も、連チャンの可能性は十分あります。

Q49:大当り後の上書きは、必ず起こりますか?

⇒いえ、「必ず」ではありません。実機を使ったデータでは、「約75%」の確率で書換えが発生しています。この数値を「標準」とすれば、大当り4回に1回は、上書きされないことになります。
せっかく、NG4パターン以外でリーチが掛かったのに、あっさり外れてしまった場合は、上書きの失敗を意味します。特に、ダブルリーチはNGリーチを否定する為、これが保留消化時に外れると心底ガックリ来ました。

因みに、「ホールによって連チャン率が異なる」、とするデータも、一時期あがった事があります。また、「ROMの製造時期で連チャン率が左右される」という話も出ました。ただ、このテの話は胡散臭い場合も多く、ハッキリ実証された訳ではありません。


Q50:一次抽選のデータ(左右出目乱数A・Cの値)は、書き換えられないのですか?

⇒はい。一次抽選に関しては、完全に「自力」です。大当り後の保留消化時も、通常時と同様に、乱数A(左)とC(右)の値を前回出目に加算した結果、「たまたま」リーチとなった場合に限り、一次通過となります(リーチ発生率=1/11.92)。

まさに、この部分は打ち手の「ヒキ」に左右されましたね。




まぁ、他にも、書きたいことは山ほどありますが…字数の関係もあるので、この辺で失礼します。

福の神(奥村遊機、デジパチ)

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過日、「キンキン」こと愛川欽也さん逝去の報が飛び込んできた。

ここ最近、大阪・新世界の名店「ニュー三共」閉店、老舗メーカー・マルホンの倒産、そして先日の奥村遊機の破産報道と、なんとも哀しいニュースが続く。

そして、今度はキンキンまで…少年時代からTV画面を通じてお馴染みだった、自分にとっての「昭和を代表するテレビスター」。もちろん、平成の世に入っても、愛川さんの姿をテレビで見ない時期はなかった。

また、偉大なテレビマンが一人、この世を去ってしまった…。深い悲しみと共に、強い「喪失感」で一杯だ。

愛川さんといえば、昔からラジオの名DJとして有名だったが、もちろんテレビでも、数々の名物番組の司会者として、テンポよい語り口で、お茶の間を楽しませてくれた。

小学生時分に楽しみだったTBS「人生ゲーム・ハイ&ロー」(トランプのパネルを開く、すごろく風の昇進ゲーム)や、フジテレビの看板番組「なるほど!ザ・ワールド」(世界紀行とクイズ、楠田枝里子とのW司会)、そして、何といっても、テレビ東京の地域紹介・情報バラエティ「出没!アド街ック天国」(当ブログの理念と、相通ずるものを感じる番組)。

いずれも、愛川さんの才覚や人間的な魅力無くしては、決して成り立たなかった筈だ。

そうそう、日テレの「世界ビックリ大賞(木曜スペシャル)」では、超巨乳の金髪女性達がスタジオに登場すると、きまって司会の愛川さんが彼女らの豊満な胸を触り、ニコニコご満悦だった(懐)。

日テレの深夜番組「11PM」では、水曜日MCを担当。中学生時分、親が寝た時限定で、片耳イヤホンでこっそり見たクチだが(笑)、ハキハキとした軽妙な口調で、流れるように番組を進行させて、ゲスト陣とトークを繰り広げたり、時にはウンチクを垂れたりするのが、カバーガールのお色気シーンよりも強く印象に残る。


俳優としても一流で、菅原文太主演の人気映画「トラック野郎」シリーズでは、やもめのジョナサンを好演。また、テレ朝「土曜ワイド劇場」でも、西村京太郎トラベルミステリーの「亀さん」こと亀井刑事がハマリ役だった。他にも、80年代~90年代の2時間ドラマなどで、要所で登場するキーパーソンを演じる、「個性派俳優」としてならした。

声優としても大いに活躍された愛川さん。アニメ「いなかっぺ大将」の「ニャンコ先生」や、「ハクション大魔王」の「それからおじさん」など、印象に残る役の吹替を担当。また、海外映画の日本語吹き替えでも知られた。

そういえば、トラック野郎もいなかっぺ大将もハクション大魔王も、パチ(スロ)と深いつながりがあったんだった…。

さらに、多くのCMにも出演…と、まさに、マルチな才能を存分に発揮して、長い間TVシーンを支えてきた、不世出のタレントであった。

ついでだから書いておくと、芸能人を紹介する雑誌「テレビスター名鑑」では、50音順で、男性スター編の冒頭に顔が出てくるのが、いつもキンキンだった(「アイカワ キンヤ」だから、「哀川翔」よりも前)。だから、いつも「男性芸能人の代表」…みたいな印象を受けた。

あの快活なお姿を、これから画面で見られないかと思うと、なんとも寂しい限り。

愛川さん、今まで本当にお疲れ様でした。そして有難うございました。ご冥福をお祈り致します。










さて、前半は個人的な思い入れもあって、愛川さんの追悼記事を書いた。ここからは、先日の破産報道で我々を驚かせた「奥村遊機」への長年の感謝をこめて、同社のレトロ台を振り返る。


紹介するのは、コメント欄でリクエストがあったコチラの機種。




1993年(平成5年)に奥村遊機から登場したデジパチ「福の神」


★賞球…7&15

★大当り確率…1/217

★図柄…一~九の漢数字、弁財天(顔)、大黒天(顔)、福禄寿(顔)、寿、大吉、
大きな「七」(左のみ)、大きな「福」(中のみ)、大きな「神」(右のみ)

※漢数字の「七」と、左デジタルオンリーの大きな「七」は、別図柄

★大当り…各図柄の三つ揃い、若しくは「七・福・神」の大文字が並んだ形 (計15通り)

★最高16ラウンド継続、出玉は約2500個(ウィングアタッカーで、出玉やや多め)

★ノーマルデジパチ

★蛍光表示管を使った、青白いドットデジタルが特徴


(五・五・五揃い)…デジタルの漢数字は、「宝船の大きな帆に、数字が書かれている」イメージ。
数字の下にあるのは、決して「傘」ではない(笑)。

               

「弁財天」(弁天様)揃いを再現。ドット独特の表現に味があった。他にも、ヒゲを生やした大黒や、ツルツル長頭の福禄寿の図柄も存在。なお、大きな「七・福・神」の文字が並んだ形も大当り。


★当時の設置店(あまり多くは知らない)

都電荒川線・大塚駅前近く「ニューカワイ」など

(C)Google
「ニューカワイ」跡地…現在はOクリニック。右隣の補聴器店は、当時焼鳥屋(飲み屋)だった。
大塚は、(当時としては)高換金エリアで、2.5円主流の都内にあって、3円(以上)が大半。その分、釘はシブく感じられたが、たまによく回る「お宝台」も転がっていた。大学の授業終わりに、荒川線の始発に乗り込み、このエリアまでのんびり出向いた事を思い出す。

※当時、大塚駅周辺で営業していたホール…ニューカワイ(3円)、ひょうたん島(3円)、タイガー(等価)、ヒロキ(3円)、大塚センター(3円)、ロビー(3円)、ワイワイ(2.5円)

→もともと高換金だったエリアに、「ワイワイ」(2.5円)が後発で参入。





やはり「福の神」=「七福神」がモチーフだけあって、盤面全体がめでたいムード一色だった。

同時期、三洋の一般電役「宝船」や、藤商事の「えびすV(III)」「七福神」など、七福神繋がりの先行機種を、しばしばホールで見かけた。いずれも連チャン機として知られていたが、本機は時期的に「冒険」しづらい時期だった事もあって、穏やかなノーマル機だった。なお、本機登場から約1年後、平和から「ブラボー七福神」(1995年)という(小デジ)確変デジパチも登場。



「祝」と書かれたスタートチャッカー。不調時には「呪」に見えた(笑)。

その下のメインアタッカーにも、縁起物の「水引(寿)」がデザインされている。当時の奥村にしては珍しく、三共「フィーバーレジェンドI」を思わせる「ウィング式」で、大当りすると左右ハネが倒れて水平に拡がった。玉を拾い易い仕様で、アタッカー周りの釘次第では、2500個以上出る事も。

Vゾーンは1個入賞でフタが閉じるタイプだが、連続で2、3個入る事もあった。「Vに2個入ると、連チャンするかも?」と思った事もあるが、単なるオカルトに過ぎなかった(笑)。

大当りラウンド表示は、「1ラウンド」「2ラウンド」ではなく、「1福」「2福」「3福」…と表示。ラウンド中、デジタルの背景には「富士山」や「鷹」「ナス」「亀」などが登場。

なお、大当り中はデジタル表示部を取り囲む枠が、黄色に光る。蛍光管表示のの青白いドットと、派手な黄色のコントラストが印象的。



★リーチアクション

デジタルは「左→中→右」の順に停止する。左デジタル停止後、たいてい中デジは「2コマ」進んで停止するので、直前にリーチ予測も可能。

但し、たまに中デジが「3コマ」進む事もあった。変則パターンで期待を持たせたが、別段、大当り信頼度が上がった訳ではない。

リーチは、ノーマル、ノーマル再始動、ロング、ロング戻りの4種類。

・ノーマル…左・中テンパイ後、右が速度を落としてスクロール。大抵は1周以内(6~8コマ程度)ですぐに停止する。ハズレ濃厚だが、たまにビタ止まりで当る事もアリ。

・ノーマル再始動…ノーマルで数コマ進んで大外れ…と思ったら、二段階でスルスルッと動いて大当りする「鉄板」アクション。ノーマルからの当りは、この再始動がメイン。

・ロング…右デジが2周目に入る(リーチ開始から7、8コマ進んだ)辺りで、音楽が派手に変化すればロング確定。ただ、ロングに発展しても、2,3コマ進んですぐハズれてしまう事が多い。その「鬼門」さえ超えれば、大当りか前後1コマでしか止まらないのでアツい。本機はロング発展率が高いのが特徴だったが、その分信頼度も低め。やはり「鬼門」突破が肝だった。

・ロング戻り…大当り図柄の付近までロングが伸びて、1コマ過ぎてハズレ…と思いきや、ピョイッと戻って当る。大当り確定。


※デジタル両脇には、緑色に点灯するドットランプが、縦に5つづつ並ぶ。このランプは、リーチ中に右図柄の位置を示すもので、リーチ図柄から2コマ遠ざかるごとに、下からランプが1個点灯。大当り図柄の6コマ手前から、全灯状態が続く。リーチを盛り上げる演出用のランプ。
(このランプが全灯時のみ2段階発展との説もあったが、実際どうだったかは記憶が曖昧…)



★後継機…「スーパー福の神」(1995年登場)

→図柄表示はウリ二つだが、こちらは時短デジパチ(大当り確率1/247)。
「三三三」「七七七」「七福神」の3種類で、かつ、右デジが「白抜き図柄」(右デジの「三」「七」「神」は、黒抜きと白抜きの2種類アリ)で当ると、時短突入(突入率3/18)。
以後は「二、三、四、六、七、八、七福神(右は黒抜き)」のハズレ7図柄で当るまで、時短は継続(継続率11/18)。
夢幻伝説タイプの「入り易く、抜けにくい」ゲーム性がウリだった。




★福の神…当時の広告より


ちょうど、奥村が本機をイチオシしていた頃の広告が、偶然手元にあった。








奥村遊機さん、本当に有難うございました。モナコは私の中で永遠に不滅です。
不朽のVシネ「パチンコ・グラフィティ」(主演・布川敏和、1992年)で、パチ屋「船橋センター」の常連客だった曽根の爺さん(鈴木清順)が、養老院に行く前日、長年通ったパチ屋に感謝を込めて、「今まで楽しませてくれて、ありがとうよ」と、店員の布川クンにつぶやくシーンが重なりますよ。


ローリングマシンI(三共、ハネモノ)

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1988年(昭和63年)に三共から登場した旧要件ハネモノ「ローリングマシンI」



★賞球オール13
★ハネ開放時間…オトシ0.45秒 ヘソ0.5秒×2
★最高8ラウンド継続(10カウント)
★大当り中のハネ開放回数…最大18回
★兄弟機…ローリングマシンII(ヘソがチューリップ)
★本機の影響を(少なからず)受けたと思われる台…マルホン「アドベンチャー」
(1991年登場、新要件ハネモノ)→コチラは、当時の流行りでヘソが電チューになっていた。




当時コインランドリーでみかけた「乾燥機」の如く、グルグル回る円形のヤクモノ。上下が逆転するカラクリ風のステージ。アナログだがダイナミックな挙動が、何とも楽しかった。出玉も比較的多めで、「勝負の早い台」といった印象も残る。


ただ、私がパチデビューした平成2年(1990年)、本機は既にして「古参」扱いだった。新宿、向ヶ丘遊園といった馴染みのエリアでは、あまり見かけた事がない。

(平成元年だと、新宿「ニューミヤコセンター」、向ヶ丘遊園「ニューギンザ」に設置との資料有り)。

「平成2年」というと、三共からは「スウィングI」「エンタープライズI」「スナイパーI」「うちのポチI、II」「ダンシングヒーローI、II」「道路工事I」「演歌道I、III」「レオパードI、II」「アークタンクI」「汽車ぽっぽII」「タコヤキSP、DX」「ナイトドラゴンVII」など、多くの旧要件ハネモノが立て続けに登場。いずれも、初心者時代から貪るように打った、懐かしの機種だ。

さらに、同社が前年(平成元年、1989年)リリースした「マジシャンI、II、III」「オールスターI、II」「アウトローI」「マジックカーペットI」「ドッキリマンSP、SPII」「スラッガーII」「ストライカーI、II」「ウォリアーII」「パワーフォークII」なども、引き続き活躍していた。特に、マジカペの人気は凄まじかった。

すなわち、三共一社に絞っても、この時期はハネモノの「充実期」だったといえる。ホールにとっては、旧台から新台に入れ替える、絶好の機会となった。

(なお、現在とは「新台入替」の意義が大きく異なる。当時の入替は、夕方開店の「短時間営業」が多く、「お祭り釘」の場合も多かった)。

本機の導入率はかなり高かったようだが、私が「パチ道」に入った「平成2年4月」でいえば、新台に入替済みの店も多かったと思われる。入替ペースが早めの新宿ならば、なおさらであろう。

それでも、池袋・西口「山楽」(田山プロ御用達の「S店」)や、渋谷・井の頭ガード下の「タイガー」、駒込駅近くの「銀玉会館」、小田急・本厚木駅そばの「ロイヤル」など、新台や準新台に混じって本機を残す店も、私の知る範囲では幾つも存在した。「新旧入り混じった、多彩なラインナップ」が、当時のハネモノシマなら普通の光景だった。


田山プロが長くネグラとした池袋「山楽」(地下にハネモノを設置)では、平成3年(10月25日)に、新要件機「ニュートキオ」(平和)に入替えられるまでの間、本機は田山さんにとって、旧要件ハネモノの「メイン機種」の1つだった(他にビッグシューター、ザ・拳法、スーパーレーシング、パチンコ大賞、うちのポチなど)。

本機と対峙した様子は、名著「パチプロ日記」でも繰り返し登場。「池袋時代の田山さん=ローリングマシン」と連想する方も多いだろう。

なお、田山さんは日記で、本機を「ローリングマシン」ではなく「ローリングマシーン」と呼んでいた。私も「マシーン」の方がしっくりくる派だが、メーカーは公式に「~マシン」としているので、記事タイトルはメーカーの表記にしたがった。

因みに、田山プロは同じ三共のハネモノ「スーパーレーシング」も、日記では単に「レーシング」と言っていた。また、パチンコ大賞には「オヤジ」の愛称をつけていた(笑)。


(参考)…平成元年10月・池袋S店(山楽)、田山プロ1週間の立ち回り(概要)

10月20日(金)…S店新装初日(午後五時開店)。上下合わせて16シマ中、入替はたった2シマ。旧台のレーシング(スーパーレーシング)503番台で1800個。4000円勝ち。
10月21日(土)…S店新装二日目(正午開店)。ローリングマシーン350番台、開始40分で終了。その後、レーシング516番台で3300個。16000円勝ち。退店後、ノガミと将棋。
10月22日(日)…S店新装三日目(十時開店)。ローリングマシーン325番台で苦労するも4400個終了。続いてローリングマシーン350番台で3500個。17000円勝ち。ソバケン達と居酒屋へ。
10月23日(月)…前日と同じローリングマシーン325番台。序盤ハマるも12時半終了。その後、ザ・拳法356番台で2000個。7000円勝ち。
10月24日(火)…ビッグシューター555番台で出した600個を持って、ローリングマシーン325番台に移動。トータル4000発となったのを確認してヤメ。9000円勝ち。自宅で日本シリーズ観戦。
10月25日(水)…ローリングマシーン320番台、11時半終了。続いて、レーシング517番台で3600個。さらに、レーシング387番台で3000個。25000円快勝。高校の同級生とウナギ屋。
10月26日(木)…シメシメルック。ザ・拳法366番台で揉まれた挙句、ギブアップ。背中のローリングマシーン335番台で1200個。日本シリーズ目当てで退店。3000円負け。
10月27日(金)…ローリングマシーン335番台、3400個出て引き。その後、ザ・拳法366番台で700個、その玉で同じザ・拳法の356番、ビッグシューター525番台、レーシング518台など打って1000個。パートのおばさんよりも労働時間が短い。7000円勝ち。

ハネモノは地下設置で4000個終了。2.5円交換。

※参考文献…「田山幸憲プロのパチプロ日記」
(白夜書房「パチンコ必勝ガイド」1990年1月号掲載)




さて、本機のゲーム性は、すでに大半の方がご存知だと思うが、一応、簡単に説明する。


盤面センター役物は、円形・可動型で、上下ステージからなる「二段構造」。

但し、「可動型」とはいっても、通常時は停止したままだ。


(役物・通常時)

「▲」マークが目印の上段ステージ。天井部には、玉を左・中・右に振り分ける、二本の突起がついている(田山さんは、この突起を「柱」と呼んだ)。

ハネに拾われた玉は、上段ステージを手前から奥へと転がり、(1)二本の突起の間(センター)、(2)突起の両脇(サイド)何れかのルートを通って、下段奥に落ちる。

一方の下段ステージは、手前の「★」マークが目印。やはり、上部に二枚の突起(仕切り)がある。上段センターから落下した玉は、この仕切り(上段より幅が狭い)の間を通って、下段中央を手前に転がる。サイドから落下した場合は、仕切りの外側を通る。Vゾーンは手前中央(★マーク真下。「COUNT」表示の上)にある為、左右ルートよりも、センタールートの方がVを射止め易い。

但し、センター経由でも、必ず大当りした訳ではない。下段の仕切りは「ハの字型」に開いており、仕切りの間を通過した玉でも、左右にバラつく事があった。反対に、上段ステージで左右両サイドに流れた玉も、下段で両側の壁にぶつかり、絶妙の角度で中央に戻って、Vを射止めることがあった。

さらに、本機は台毎の「クセ」の差も大きかった。センタールートだと9割がたVに決まるとか、下段の壁クッションでVにポンポン飛び込む「ヤクの名機」だと、多少釘がシブくても勝負になった。特に、ヤクモノが傾斜せずキッチリ「水平」に停止する台なら、V入賞率、継続率ともに高かったので有利だった。

もちろん、上記の特徴とは真逆の「クセ悪台」も存在した。普段から回転体が「右ズレ」「左ズレ」で傾いている台だと、センタールートがことごとくVを外して初当りが来づらく、ステージ上下がひっくり返った大当り中もパンクが多発した。それでも、釘さえ甘ければ、粘り強く打ち続けて予定終了まで持って行く事もあったから、当時のハネモノが「良心的」だった証拠といえよう。



首尾よく大当りすると、今まで静かに停止していた円形ヤクモノが、時計方向に回転を始める。

いよいよ、「ローリング」の本領発揮、という訳だ。

因みに、本機はチャッカー入賞時など、効果音が普段から「派手」だったが、Vを決めてからの一連のサウンドも非常に華やかで、むしろ五月蠅く感じられるほどだった。

大当り中は、回転するヤクモノに飛びこんだ玉が、慣性の法則でダイナミックに「躍動」しながら、最後は下段V方向を目指す。

但し、V穴の前(奥)には、プラスチックの突起(ストッパー)が付いている。この突起、通常時は下段ステージがあるお蔭で目立たないが、ヤクモノ全体が回転する大当り中は、V入賞を妨げる強力な「障壁」となった。

よって、ラウンド前半はV入賞率が低めだったが、その分、後半に継続しやすく(クセ悪台を除く)、この「後半主導」の動きが出玉アップにも一役買っていた。


ヤクモノ6カウント、或いはハネ10回開閉で、回転中のヤクモノは停止(音楽も変化)。但し、この時は、通常時と天底(上下)が逆転した状態で止まる。

すなわち、「★」マークの付いた方が上段で、「▼」マーク側が下段という具合だ。


役物(大当り中、6カウント停止後)

ステージの上下が「逆転」する事で、上段ステージ中央に向った玉は、ハの字型の仕切りの間を通って下段に落ちる。もちろん、両サイドにバラければ、仕切りの外側に流れる。

通常時、玉をバラつかせがちなハの字の仕切りも、ひっくり返って上段に来た時は、逆に玉を中央に寄せ易くした。さらに、その後の玉の挙動も安定した為、下段ステージでもブレずに直進する事が多く、Vにも決まり易かった(クセ悪台はパンク多発)。


このように、本機は回転体が止まったラウンド後半に、Vへ入り易い設計になっていた。その為、継続率は高めで出玉も多く、8R完走で1000個近く出る事もあった。立て続けにVが決まって完走すれば、短時間で打ち止め(3000個~4000個主流)まで持って行けた。

もちろん、先述したヤクモノの「クセ」の良し悪しも、継続率に大きく影響した。しかも、ヤクモノに玉を飛びこませるには、寄り釘の調整も重要だった。いくらヤクが良くても、中に入らなければ無意味である。さらに運が悪いと、ヤクモノ停止後、上段センターへ玉が行かず、あえなくパンクする事も。

なお、「ラウンド後半でVに入り易い」とはいっても、それは、ヤクモノの回転が完全に止まった後の話だ。普通に打ち続けて、回転が止まる前に7個目以降を入れれば、その分、パンク確率もアップしてしまう。

そこで、ヤクモノ5カウントの時点で「単発打ち」に切り替えて、6個目が入賞したら一旦打ち出しを停止。、回転体が完全に止まったのを確認してから再び打ち出せば、継続率はアップした。細かいが、こうした「小技」の積み重ねも大切だった。

サーカスロボ(奥村、ハネモノ)

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(奥村遊機よ、有難う…)


1992年(平成4年)に奥村遊機から登場した新要件ハネモノ「サーカスロボ」


★賞球…6&12
★ハネ開放時間…オトシ0.5秒、ヘソ0.5秒×2
★最高15ラウンド継続
★平均出玉…約600個
★当時の実戦店…都電荒川線・町屋駅近く「ネオルビー」(閉店)
★兄弟機…サーカスロボJr.(賞球7&13)


(ヤクモノ内部)


文字通り、サーカスの「ピエロ」を模したロボット=サーカスロボが、何ともコミカルな風貌で、センターヤクモノ内に陣取っていた。

そういえば、この当時、「空中ブランコ」(1991年西陣、旧要件最末期のハネモノ)、「サーカスIII」(1991年三洋、新要件初期ハネモノ)、「サーカス」(1991年銀座、止打ち効果激高のジャンケン確変機)、サーカス(1991年平和、最後の一発台)など、サーカス絡みの先行機がよく知られた。おそらく本機も、そうした「流行り」を受けたのだろう。

なお、奥村で「サーカス」といえば、権利物の「モナコサーカス」シリーズが有名だが、本機はそれよりも「先輩格」である。


(ゲーム性、通常時)

ヤクモノのサーカスロボ(以下、「ロボ」)と略す)は、上半身と下半身の二段構造になっている。上半身は上段ステージ、下半身は下段ステージに、それぞれ深く関係する。

まず上半身だが、左右ハネの根元付近には、ロボの「両腕」(リフト)がある。通常、両腕は停止しているが、ハネが開放すると、左右交互に上下動を行う。

一方、下半身は筒状の「回転体」になっており、振り子の要領で、絶えず左右を半円状に往復。下半身の中心には、アーチ型のV穴が開いており、このV穴も左右に動き続ける。

ハネに拾われた玉が、上段奥からタイミングよく腕に乗ると、上下する腕の動きに合わせて、上段ステージを左右に動いた後(お手玉の要領)、センターに設けられたスロープを手前に転がって、下段にアプローチする。

スロープを落下した玉は、下段センター手前の小さなミゾ(通常、ハネモノのVゾーンがある位置)にいったん収まった後、下段ステージ奥のV方向を目指して直進する。

下段奥に到達した時、左右に動く下半身のV穴が、ちょうど正面を向いていれば、大当りとなる。一方、V穴との角度が大きくズレるとハズレとなるが、わずかな左右のズレがあっても、Vには入り易い。よって、ロボの腕に乗った後、「センタールート」からVを目指すのが、メインの大当りパターンとなる。

因みに、2チャッカー入賞時は、1回目ハネ開放後、玉の乗り易い位置でロボの腕が静止する為、1チャッカーよりも大当りのチャンスが大きい。


一方、ヤクモノ入賞時、運悪くロボの腕に乗らなかった玉は、下段ステージ両サイドに直接落下。

先述の通り、下段ステージ手前中央には、上段スロープから来た玉を受け止めて奥に流す「ミゾ」があるが、下段両サイドの玉にとっては、やっかいな「防波堤」に他ならない。また、下段奥には「ハノ字型」の段差まで付いており、両サイドから来た玉をガッチリとガードしてV入賞を阻む。

したがって、腕に乗らなかった「直接落下ルート」は大半がハズレとなる、但し、下段のミゾに当ってから壁にぶつかって、進行方向を斜め(内向き)に変える事もあり、奥の段差をかわしてVに入るという、変則的な入賞パターンもあった。

即ち、ロボの腕に乗った場合、乗らなかった場合の双方で、V入賞のチャンスはあった。だが、大当りの「王道パターン」は、やはり前者であろう。



(ゲーム性、大当り中)

各ラウンドの開始から前半は、ロボの両腕が交互に上下動を繰り返して、下半身のV穴も左右に半回転を続ける。すなわち、通常時のハネ開閉時と同じ動きだが、絶えず両腕が上下動を続けるので、腕に乗ってセンターのスロープを下る機会も多い。但し、下段のVゾーンも動いており、直進した玉がVに蹴られるケースも少なくない。

一方、ラウンド後半、即ち、ヤクモノ入賞5カウント後、若しくはハネ10回開閉後は、両腕の動きが「左右交互」から「同時(シンクロ)」へと変わる。この動きになると、前半とくらべてハネと腕のタイミングが悪くなり、腕経由でセンタースロープを通る機会も減る。その代りに、下半身は「静止状態」に切り替わり、V穴も中央に固定されるので、うまく腕に乗ってスロープさえ下れば、Vに決まる可能性は極めて高い。

このように、本機では、ラウンドの前後半ともに、V継続のチャンスとパンクの危険とが「併存」していた。特に、ラウンド後半は、必殺の「センタールート」をとりにくく、ピンチになりやすい。

ただ、寄りさえまともなら、継続率は高めといえた。もちろん、個別の「クセ」や「ネカセ」にもよるが、平均すれば9~10ラウンド程度は継続してくれた。但し、ヤクモノが12個戻しなので、さほど出玉は多くない。

Youtube 90年代動画紹介(5)

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Youtube 90年代動画紹介(5)

次第に定番となりつつある、神動画投稿主ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)の貴重なyoutube90年代動画を楽しむコーナー。

今回は、こちらの映像を取り上げる。

https://www.youtube.com/watch?v=HJnl-ezusIs


1990年(平成2年)5月、東京「高田馬場駅」界隈をとらえた動画。

個人的には、ある種特別な「郷愁」を感じる映像だ。

何故なら、私が「パチ道」に足を踏み入れた最初の契機が、まさに「1990年(4月)の高田馬場」だったからである。

同年4月、大学に通い始めた私は、サークル新歓コンパの帰り、駅近くの早稲田通りで営業していた「ダイナム高田馬場」(閉店)というパチ屋に、友人(同じ高校から進学)と足を踏み入れた。


(在りし日の馬場ダイナム)

キツイ受験勉強から開放された反動で、ぜひ「パチンコ」という大人の遊びを、本格体験したいと思ったのだ。これが、私の実質的なパチデビューとなる。

(なお、パチ屋に足を踏み入れたのは、これが最初ではない。小学生時分、パチ好きだった少年野球のF監督に連れられて、地元のホールで落ちている玉や小銭を拾った事はある。この時期、駄菓子屋パチンコ「ピンポンパン」も好きだった(→パチ好きの下地ができていた?)。また、高校の時、クラス一の遊び人である友人K(→薄っぺらい学生鞄に、パチの攻略誌だけ入れていた)と、通学途中に見かけたパチ屋の新装に、一度だけ付き合いで入った。まぁ、自分は店内を一回りするとすぐ外に出て、Kの学生服と鞄を持ったまま、遊び終わるのを待っていたが…(新装にしては釘がイマイチだったらしく、Kも10分足らずで出てきた)。)


馬場ダイナムで、「パチンコど素人」だった私が、見よう見まねで玉を弾いたら、ビギナーズラックという奴で6000円も勝ってしまった。よっぽどの甘釘台に座ったのだろう。その帰り、立ち食いで啜った只の「かけそば」が、勝利の余韻も手伝ってやたらと美味かった。

もちろんその時は、打った機種の名前すら知らなかったが、やがて三共の旧要件ハネモノ「エンタープライズI」と知る。私にとっては、生涯忘れる事のできない、思い出深き台である。


(三共、エンタープライズI)1990年(平成2年)登場。半回転するS字状のハネと、銀色の空母「エンタープライズ」のヤクモノが特徴。サウンドも豪快・派手で楽しかった。


これがきっかけでパチの魅力にとりつかれた私は、授業終りに馬場駅前まで出向いては、近くのパチ屋・スロ屋に出入りするようになった(次第に「活動エリア」を新宿・渋谷・向ヶ丘遊園…と拡げる)。翌年になると、授業をサボって丸一日ホールにいる事も珍しくなくなったが…。

また、受験勉強の反動はパチのみに留まらず、大学や駅の周りに点在した「ゲーセン」の類も、格好の遊び場となった。テトリス、脱衣麻雀(明石家さんまに似たキャラが、「~ざんす」といって牌交換券のアイテムをくれる奴※など)、クイズ(「ゆうゆのクイズにGOGO」が好きだった)、それに定番のスト2など、入学直後にハマったアーケードゲームは多い。
※タイトルが「麻雀ファンクラブ アイドル最前線」(ビデオシステム)と判明。その他、「麻雀狂時代」(サンリツ)、スーパー麻雀マル禁版(YUGA)なんかもよくやった。

さらに、この時期はクラスコンパやサークルの飲み会も多く、その会場は、たいてい馬場駅近くの居酒屋と相場が決まっていた。

そんな感じで、動画の撮影時期である「1990年5月」は、ピカピカの新入生(←死語)だった私が、ワクワクしながら馬場の「プレイスポット」を開拓していた頃だ。それ故に、この映像に対する思い入れも非常に大きい。


では、前置きはこれ位にして…さっそく動画をお楽しみ下さい。

なお、以下のリストは、個人的に特にグッときたシーンを、幾つかピックアップしたもの。



冒頭・・・JR山手線・高田馬場駅ホーム。西武線のガード越しに見える屋上看板も懐かしい。日拓、清酒大関、フロムエー、デリッシュカレー。駅前の見慣れた光景。
0:07・・・「パチスロ白鳥会館」の赤い看板
0:10~…駅前「BIGBOX」が映る。私の中では、ビル外壁の赤いデザインのまま脳内が止まっていたが、現状をググッて確認した所、いつの間にか青い外壁デザインに変わっていた(汗)。
0:23・・・自動化前の改札。当然、駅員がハサミをカチャカチャ鳴らして切符を切っていた。
0:42・・・駅前の学バス乗り場。日常的に利用していたので、何とも懐かしい。
0:52・・・名物レコード店「ムトウ」の看板(名店ビル2Fの方)。ここで、よくジャケ漁りをした。
1:00・・・「ムトウ」に上がるエスカレーター
1:11・・・(やや不鮮明だが)今川焼屋の脇にあったゲーセン(「50円」看板が目印)のネオン
1:57・・・早稲田通りの名物喫茶店(コーヒーショップ)「ユタ(UTAH)」の看板
2:09・・・早稲田通りのゲーセン「ビクトリア」店内(テトリスと麻雀ゲームをよくやった)
2:43・・・学生ローン「フレンド」の看板(別に利用した訳ではないが、徒歩で通学中、必ず目に入った。他にも早稲田通りには学生ローンの看板がやたら多かった。現状は知らない)
2:45・・・日拓本店(地上フロア)の店内。ドリームXの音が懐かしい。スロはセンチュリー21。ちなみに、地下はパッキーカード専用フロアだった。
3:10・・・居酒屋「寿限無」の看板(コンパの定番会場、その1)
3:20~・・・早稲田通り「未来堂書店」(菊月ビル1F)
3:33~・・・早稲田通り「ムトウ」(菊月ビル1Fの方)(コチラは当時、CD、カセット、ビデオ中心)
3:55・・・駅前交差点のパン屋「ムッタローサ」の店内(一瞬)
3:59・・・駅前交差点のファーストフード「ファーストキッチン」の看板
4:02・・・駅前のビルに入っていた映画館「東映パラス」の入口看板
4:07・・・ファーストキッチン店内
4:19~・・・駅前のパチ屋「国際センター」店内。板張りの床が懐かしい。4:32では、赤い小箱の玉を上皿に流し入れる客。スロはアニマル一色(「G」だったかも)。なお、映像にはないが、裏路地を入った民家風の換金所も、通路に飛び石が敷いてあるなど、妙に「風情」があった。
4:52・・・ガード下の写真屋(ブース)の白髪オヤジ
5:18・・・割烹「海乃家」の看板(コンパの定番会場、その2)
5:59・・・パチスロ「白鳥会館」と、向かいのパチ屋「コスモ」
6:07~・・・さかえ通りのアニマル(「G」ではない)設置店「日拓ビッグプレイ」。通りに聞こえるポコポコ、キューンキューンの音が名物だった。2フロアで、階段上に小さな景品カウンター。3Fが学生ローン「アミーゴ」(使った事はない)。左隣が牛めし「松屋」、その左が居酒屋「清瀧」→コンパの定番会場、その3。さらに左隣が、ファミコンショップ「マリオ」)
6:45~・・・さかえ通りのゲーセン「WE’LL TALK TAITO(ウィルトーク・タイトー)」(現在は「タイトーステーション」)。ここもよく入った。6:57からゲーム遊戯中の客を撮影。これは当時流行った疑似3Dシューティングゲーム「ナイトストライカー」(TAITO)。同じさかえ通り沿いには、「ゲームファンタジア」(後に跡地は「アドスロ高田馬場」になるもクローズ)もあった。
7:43・・・画面左に、さかえ通りの喫茶店「ルノアール」(馬場周辺には何軒かあった)の看板
8:17・・・さかえ通りの「パチンコUSA」はまだ無く、「せいわ」のビルが建っていた。
8:18・・・通りに置かれた赤電話(公衆電話)も懐かしい。
8:37・・・さかえ通りのラーメン屋「茶居名ハウス」の看板
8:44・・・さかえ通りの純喫茶「プランタン」の店頭
10:01・・・再び「ビッグプレイ」の前を通過。やはり、アニマルの「キュンポコ音」が通りに響く。
10:23・・・駅ガード下にあった小さなカレー&焼きそばスタンド「ポニー」。安くて早くて重宝した。
11:06~・・・東西線・高田馬場駅の連絡階段→切符売り場→改札→ホーム→東西線車内。たった1駅の移動だが、いつもお世話になった。


ビッグプレイ名物だったアニマル。当時は「アニマルG」への改修が進んでいたが、ここはバリバリ連チャンする普通(笑)のアニマルだった。なお、国際センターのアニマルが、この時期「G」だったは失念。


※映像を隅から隅まで見たが、当時の自分の姿は確認できず。ライル動画には、新宿・馬場界隈の映像が多いので、「ウォーリーを探せ」のノリで、いつの日か見つけたい(笑)。


(参考) 平成初期(1991年)・高田馬場駅周辺のパチンコ店マップ




日拓(併設)、国際センター(併設)、コスモ(併設)、白鳥会館(スロ※)、日拓ビッグプレイ(スロ)、日拓ビッグポット(スロ)、ダイナム(併設)、日拓EO(併設)、東陽会館(併設)

手元の資料によれば、1989年末まで白鳥会館はパチ屋だったが、客が飛んで閉店後、スロ専としてリニューアル。なので、私にとっては、パチ屋時代の白鳥会館は、ある意味「伝説」である。

グレートキャノンI(三共、ハネモノ)

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三共の旧要件ハネモノ「グレートキャノンI」(1989年)



★賞球…オール13

★ハネ開閉時間…オトシ0.35秒、ヘソ0.45秒×2

★最大8ラウンド継続

★当時の実戦店…新宿日拓3号店(歌舞伎町・西武新宿駅近く)、新宿コスモ(歌舞伎町・花道通り)、いろは(登戸駅前)、タイガー(渋谷・井の頭線ガード下)

★ゲーム性

ヤクモノのキャラが個性的、ヤクモノアクションが特徴的、BGMがド派手…そんなハネモノは、時が経っても記憶に「刺さった」ままのものが多いが、本機も、まさにそんな一台といえる。


テーマは「宇宙戦争」で、盤面イラストにデカデカと描かれているように、「キャノン砲」搭載の宇宙戦艦がモチーフだ。いかにも当時のハネモノらしいコンセプトで、特に、この時代の三共や平和のハネモノには、こうした「メカメカしい」ものが多かった。




センター役物は、上、中、下段の三層構造で、Vゾーンは下段の手前中央に位置する。


上・中・下の三層とも大当りと密接な関連性があるが、ビジュアル的に一番インパクトがあったのは、やはり、下段で左右にスイングし続ける、銀色のキャノン砲(大砲)であろう。上が小口径の3連砲、下が大口径の主砲と二段重ねで、互い違いに振り子の要領で左右を往復。これら大砲の動きが、通常時・大当り中ともに、V入賞に多大な影響を与えた事は、言うまでもない。

余談だが、本機の3連砲を見ると、少年時代に精を出した「戦艦模型(プラモデル)」を思い出す。武蔵、大和、信濃、日向など…設計図とにらめっこしながらの細かい作業だったが、当時はワクワク感が先行して、さほど苦にもならなかった。今では、完成させる自信も全くないが…。なお、大口径の主砲は、新要件初期の爆裂ハネモノ「サンダードラゴンGP」に引き継がれた。




(ヤクモノの動き・通常時)

ハネに拾われた玉は、まず、上段ではなく中段ステージに乗る。ヤクモノ内の玉の動きが、「上→中→下」ではなく、「中→上→下」というのが、本機の特徴であった(時には「中→下」と動く)。

「ハネ」といえば、本機は通常のウィング型ではなく、手前にパカッと開くアタッカータイプだった。「スーパーブラザース(旧)」、「おジョーズランド(旧)」、「ふんどし大将(新)」(いずれも西陣)、それに平和「ビッグウェーブ(旧)」も、アタッカーハネの代表格である(おジョーズランドは単独アタッカー)。なお、本機登場後、平和から「スーパーキャノン」という類似名のハネモノも出たが、コチラはアタッカーハネではない(ヤクモノ構造も、本機と大きく異なる)。
※(旧=旧要件、新=新要件)


因みに、本機は先行機「スペースキャノン」(1988年)の改良機である。スペースキャノンも同じアタッカーハネで、三共ハネモノでアタッカー式ハネを初採用したのは、本機ではなくコチラだ。ただ、スペースキャノンはヤクモノに種々の不具合があり(特に、玉を打ち上げる発射装置のバネが劣化し易かった)、またV入賞率もキツめだった為、その「改修版」として本機が登場した…という経緯がある。


このテのアタッカーハネは、長らくハネモノを打ち込んでいたファンにとっては、かなり斬新な印象を受けた筈だ。しかし、私は初心者時代からスーパーブラザース@西陣に傾倒したクチで、同社のおジョーズランドも頻繁に打った。その為、本機のアタッカーハネに、さほど「真新しさ」を感じる事もなかった。ただ、ウィングタイプの羽根に比べて、「玉を拾いにくい」イメージは付きまとった。


中段ステージに乗った玉は、大半がステージ奥に転がる。奥には、左・中・右と3分割された発射装置が待ち構えており、ここに入賞した玉を、バネの力でポーンと上方に打ち上げる。

この発射アクションが個性的かつ豪快で、あたかも宇宙戦艦が搭載する砲台をイメージさせた。前身機スペースキャノンでは1個だった砲台も、ヤクモノ内の動きを多彩にすべく、本機では3つに増やされた(結果的にV入賞率も上昇)。ハネに拾われて中段奥に転がった玉は、3つの砲台の何れかに入った後、上部に発射される。

ただ、ヤクモノに入賞した全ての玉が、中段奥に向かった訳ではない。中段ステージ手前には、軽い傾斜が付いており、ハネに拾われた際に勢いがないと、ステージの手前側に転がる。こうなると砲台を経由せず、ダイレクトで下段に落ちる。


中段奥から砲台に入り、勢いよく打ち上げられた玉は、上段ステージ奥から手前に乗り越えて、そのままV方向に落下する。砲台は左・中・右と3つあるが、一番大当りし易いのは、やはり真ん中の砲台から発射された場合だ。特に、上段ステージ中央にはV字型のレールが付いていて、真ん中から発射された玉は、このレールを通って手前に落下、そのままVに飛びこむパターンが多かった。

但し、Vの真上で左右に動き続ける大砲がちょうど真ん中に来ていて、すんでのところでV入賞を邪魔する事もあり、最後まで油断できなかった。なお、この「黄金ルート」を通って大砲をかいくぐったとしても、V穴の淵に蹴られる事があったが、これは明らかに「クセ悪台」の挙動であろう。

一方、左右の砲台から発射された玉は、上段両サイドから、レールを通らずに手前へ落下する。また、スイングする大砲の動きも受けやすく、Vを外し易かった。しかし、発射された玉の軌道は多彩で、ヤクモノのカベに跳ね返ったり、動く大砲にぶつかったりして、たとえ左右から発射された玉でも、意表をついてVに飛びこむ事があった。


また、中段ステージから手前に直接落下した場合は(砲台を経由しないケース)、下段で動く大砲が邪魔をしてVを逃す事が多かったが、大砲が左右にある時に角度よく当って、V入賞する事もあった。即ち、本機は砲台を経由した玉、手前に直接落下した玉のいずれも、V入賞の可能性があった。



余談だが、本機のセンターチャッカー(ヘソ)の釘配列には、ある特徴があった。通常、ヘソの頂点は「一本釘」だが、本機は、三角釘の頂点が、縦に「二本」打たれていた。平和「プラトーンII」も、同様のゲージ構成だった。もちろん、各所の調整次第ではあるが、見た目では玉が絡み易く見えたのも事実だ。


(ヘソ周辺の釘配列…三角釘の頂点が二本。)





(ヤクモノ内の動き・大当り中)

大当りすると、ヤクモノ奥の砲台は発射を一旦中止。ハネに拾われて中段ステージ奥に流れた玉は、3つの砲台内部に貯留される。また、貯留されて砲台が塞がった後も、その上に積み重なる形で、次々と貯留される。

ハネが7回目の開閉を終えると、砲台が発射を再開、貯留された玉を、立て続けにポーン、ポーンと上部に弾く。この「ダイナミック」で「破壊的」な玉の動きこそ、本機の「真骨頂」といえた。ヤクモノ内を「乱れ飛ぶ」感じで、ド派手なBGMと相まって迫力満点であった。新要件初期に西陣の「ニューナパーム」(やはりヤクモノ内の発射装置が特徴)と出会った時も、これに似たような感覚があった。

この時、貯留が十分(3つの砲台に貯留された状態)なら、貯留解除によるV入賞率は高く、継続率も良好といえた。但し、貯留解除タイミングがやや早め(ハネ7回開閉後)の為、寄りが悪いとピンチになり易い。



(幻のV入賞)

本機を打っていると、砲台から打ち上げられた玉が、せっかくVに入ったのに、大当りする事なくスルー…という不条理な場面に、しばしば出くわした。

これは、当時の規定上、始動チャッカー入賞から2秒以内にVに入らないと「無効」となる、いわゆる「2秒ルール」があった為である。すなわち、様々な要因でヤクモノ内の玉が「もたつく」ことで、砲台から打ち上げられた玉が遅めにV穴へ飛びこんでも、既にチャッカー入賞から2秒以上経っており、「タイムオーバー」で大当りと認められなかったのだ。後に、このルールは「ハネ開閉から2秒以内」に改正されたが、すでに、本機は大半が外された後だった。



(サウンドCD)

本機の通常時・大当り中のサウンドは、三共から1991年(平成3年)にリリースされた、「ザ・パチンコ・ミュージック・フロム・三共II」というパチンコ音楽CDに収録されている。

通常の実機サウンドは、前半の「バイオレンスメドレー」に収録(レオパードI、エンタープライズI、ウォーリアーIIといった「戦闘モノ」のハネモノBGMが、メドレー風に流れる)。

また、本CDのみの特典音源として、RPGテーマソング風にアレンジされた軽快なバージョンも、後半に聴くことができる。今も楽しめるアイテムなので、アマゾンやオークション等で手に入れるのもアリだろう。

有楽町のアレンジボール店「かもめ」を紹介(1993年)

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1993年(平成5年)に地上波でオンエアされた、パチンコ特集番組の1コマ。


「東京・有楽町のアレンジボール専門店『かもめ』紹介」

JR有楽町駅前の「朝日街通り」という路地(再開発で消滅)にあったアレンジボール・雀球専門店「かもめ」(2004年閉店)。私自身、1998年~2000年にかけて(当時の職場が丸の内にあった)、昼休みや仕事終りに足を運んだ、思い出深いホールである。設置台のレトロな盤面、手打ちのハンドル、「トゥルル…、ガッチャン」という独特の電子音、そして奥のカウンターでいつもニコニコしていた店長さんが、強く印象に残る。なお、画像は不鮮明だが、ご了承のほどを。


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(ナレーター(以下「ナレ」))「手打ち台を追って西から東へ※。そして、見つけたのが、なんと東京のど真ん中、有楽町でありました。その名も『かもめ』と、名前からして何ともレトロっぽいこと。」

※このコーナーの直前が、大阪・新世界「ニュー三共」(昨年、惜しくも閉店)の紹介だった




ナレ「しかし、店内の平均年齢が意外と若そうなのは、やっぱり有楽町のせいでしょうか。」



ナレ「この『オール手打ち台』という店で見つけた、アレンジボール。そして、麻雀モノの元祖・雀球と、絶滅して、もうこの世にはないと思われていた機種が、ここでは56台も現役として活躍していたのです。」


ミラクル7II(サトミ)


雀球(サトミ)


(スロットルパワー(太陽電子))


ナレ「ところで、アレンジボールの遊び方、知ってる?まず、コインを買って、それを台に入れると、16個の玉が打てるわけ。その玉を、狙った数字の穴に入れて、タテ・ヨコ・ナナメにラインができれば、コインが出てくるというゲームなんです。」




スリーナイト(スリースター)の手打ちハンドル


スリーナイトのナンバーポケット


スリーナイトのナンバーランプ


スリーナイトの下皿

ナレ「『かもめ』のオープンは昭和26年※。当時としては当り前の規模だったんですが、地価が上がって敷地を広げる事もできず、二代目のY.Oさん(39歳)は、狭い店でも勝負ができる、手打ち台を残す事にしたのです。」

※店のコインには、開業時期を示す「since1951」の文字が、刻印してあったと記憶する。










Y.O店長「(設置台について)一番新しくて(設置から)7、8年です。一番古いので、20年ですね(「20年!?」と、取材班もビックリ)。」




ナレ「これが、20年モノのアレンジボール台です。」


サトミ「ミラクル」


店長「(台の裏側を開けて)年代物で、気合が入ってますけど(笑)。(「故障しません?」の問いに)故障なんか、するんですよね。だから、修理して。(修理箇所を見せて)元は、こういう形じゃないんだけども、針金で手作りしてます。はい。」







ナレ「どんなに丈夫なパチンコ台でも、平均寿命は5,6年。特に、手打ち台では、ひっきりなしに弾かれる、この『ハネ』(ハンドルを弾くたびに動く、関節のようなパーツ)という部分の痛みが激しくなるんですが、部品の手作りは不可能です。」




ナレ「実は、初代のお父様が見守る、この屋根裏部屋が、『かもめ』の生命線。ここには、その命を全うした台から取り外された、様々な部品が収められていて、いざという時の『移植手術』を待っているんです。」


カウンター脇のハシゴを上って屋根裏へ。






(店長、屋根裏部屋から部品を探し出すと、再び店内へ戻って台の修理を行う。)


店長「(件の「ハネ」ではなく、賞球の流れを止める下部ストッパーのバネを交換して)新しいのをセットして。(取材班の「それがマズイと、どうなるんですか?」の問いに)これがマズイと、そうですね、もう、玉が出っ放しになっちゃう(笑)。これで、玉を止めてますんで。」


サトミ「ミラクル7II」






(修理を終えた店長、取材班の「どのくらいもちそうですか?」の問いに)「まぁ、そうですね、あと5年は軽くクリアーと思いますけど(笑)。目標は10年ですね(笑)。やっぱり、やりたいお客さんがいる限りは、なんとかね。」




店長「もう、本当に、ウチにある機械が息してるみたいで、お客さんにも反応しちゃうっていう。で、お客さんと台が、話してるみたいなんですよね、ええ。もう、ホントに話しながら打ってるんじゃないかって(笑)。お客さんもね、ウチに入ってきて、こんな有楽町の都会の真ん中に、まるで『落とし穴』みたいな空間に入ってきて(笑)、それで心が和らいで帰られたらいいなって…そんな気がします。」


クライマックス(太陽電子)


クライマックス(太陽電子)


クライマックス(太陽電子)




(台間コイン貸機の補充に、余念のない店長)


ナレ「心が和らぐ落とし穴なら、大歓迎。部品の続く限り、守り通して下さい、手打ち台のみんな、ガンバレよ!」



(コーナー終了)



(参考:当時の有楽町「かもめ」、設置機種一覧)

★アレンジボール(含アレンジフィーバー)
・ミラクル(サトミ)
・スターファイター(サトミ)
・シャングリラ(サトミ)
・ミラクル7II(サトミ)
・ブラックホール(サトミ)
・エックスライン(サトミ)
・スロットル2号(太陽電子)
・スロットル5号(太陽電子)
・太陽スペシャル(太陽電子)
・スロットルパワー(太陽電子)
・クライマックス(太陽電子)
・大回天(太陽電子)
・大回天2号(太陽電子)
・ラッキーナンバー(太陽電子)
・スリージャック(スリースター)
・スリーナイト(スリースター)
・サイクロンVI(藤商事)

★雀球
・雀球(サトミ)

アレンジ50台、雀球6台、計56台設置

パラダイスI(奥村、デジパチ) ラッキーナンバー狙い打法

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1991年(平成3年)に奥村遊機から登場した新要件デジパチ「パラダイスI」

★賞球…7&15
★大当り確率…1/225
★大当り図柄…15種類(0~9、Fv、¥、$、当、果物)
★デジタル停止順…左→中→右
★最高16ラウンド継続
★出玉…約2300個
★兄弟機
・パラダイス2(賞球7&13、大当り確率1/220)
・パラダイス3(賞球7&15、大当り確率1/218(1/213とする情報もあり))



旧要件の名機「ドリームX」(関西方面は「ドリームW」)の流れを汲んだ、いかにも当時の奥村らしいシンプルなドットデジパチ。デジタルのサイズや図柄は「マーブルX」譲り。

ドリームXからの時系列の流れは、「ドリームX」→「ローリングセブン」→「マーブルX」→「パラダイスI」だが、オマケチャッカー無しの「新要件機」では、本機が「初のドリーム後継機」にあたる。

因みに、本機のすぐ後に、「マーブルDX」というドットの小デジ確変機(マーブルの後継機)もデビュー。なお、パラダイスIより先にリリースされた「リバティI」(1990年、奥村初の新要件デジパチ)は、ドリームXというより、むしろ旧要件機「ビルボード」の後継機であろう(兄弟機リバティII、リバティIIIも同様)。


大当り図柄は、旧要件のローリングセブンやマーブルXを、そのまま踏襲(ドリームXで使われた「V」図柄も、マーブルやローリングと同じく「当」図柄に変更)。非常にシンプルだが、揃うと嬉しい「ツブツブドット」であった。

本機では、デジタル始動の瞬間、ピョコンと勢いをつけて回転を始めるような、独特のアクションも見せた。リーチはノーマルのみとシンプルだったが、ビタ止まりならではの香ばしさ(刹那の興奮)が感じられた。


都内では比較的導入率も高く、ドリームXの「後釜」として本機を入れるケースも多かった。マイホの新宿でも、歌舞伎町の日拓チェーンや、大ガード前のニューミヤコ、ヨドバシ近くのアラジンなど、それまでドリームXが活躍した店に、新装で本機が並ぶのをしばしば見かけた。





さて、本機を語る上で外せないのが、タイトルにもある「ラッキーナンバー狙い打法」であろう。

無制限主流の現在とは違い、当時は、特定図柄で当った場合のみ継続可能、その他は1回交換とする、「ラッキーナンバー(LN)制」※のルールを採る店が、少なくなかった(LNで当ると、「連続挑戦中」などの継続札が頭上に刺さった)。

もちろん地域性も豊かで、無制限主体のエリアや1回交換メインの地域もあった。また、各ホールが独自のカラーを出すべく、店舗ごと・シマごとに、持ち玉ルールが異なったりもした。

※「3、5、7で継続、4、6、8で交換」等、LNと交換No(アンラッキーNo.)をあらかじめ店側が指定。午前中などにサービスタイムを設定して、その間だけLNの数を増やすホールもあった。「3,7で当れば無制限」など、特定の図柄を「無制限No」とした店も、LN制の一態様であろう。


しかも、換金率は都内だと「2.5円」が主流で、持ち玉遊戯と現金投資のギャップが大きかった。

当然、初当りがLNならば、その後の投資を抑えて有利に戦う事ができた訳だ。

本機に確変機能などはなく、どの図柄で当っても出玉的には全く同じだが、LNで当るか否かは、非常に重要だったといえる。


そんな折、「本機で意図的にLNを狙える」という攻略ネタが、平成3年の6月頃から、主力の「必勝G」誌をはじめとする各攻略誌で取り上げられるようになった。
(LN狙いは先行機マーブルXでも可能で、内部システムが類似する本機でも応用可、とされた)


因みに、パラダイスIといえば、故・田山幸憲プロも、池袋S店時代に勝負していた時期がある。劇画版「パチプロ日記」では、夜の飲みの席で、狙いを付けたパラダイス(253番台)を連日追っていた田山さんに、S店の常連「学生プロ」が、LN狙いの手順を得意げに教える場面がある。

ただ、田山さんの方は、「俺が狙ったのは、ラッキーナンバーがどうかなんてのじゃない。デカイ波の時期だ。」とあくまで持論に拘って、このテの攻略ネタに食いつかない様子だった。
(同じS店で、西陣の新要件ハネモノ「カバ丸くんP3」の継続アップ打法を「パチンコ少年」から聞かされた時も、同様の反応を見せている)



さて、LN狙いの手順はさほど難しくもなく、まずは、連続回転(保留1個以上が点灯した状態)に入ったら、最初に右デジに止まった図柄をチェックする。

この右出目を「基準出目」として、そこから「連続回転をキープ」するか、或いは「いったん打ち出しを止めるか」の判断を行う。

たったこれだけでLN狙いが可能だった訳だが…それは、以下の明快な特徴があったからだ。


例えば、連続回転に入って最初に止まった右出目(基準出目)が「8」だったとする。連続回転をキープした場合、その1回転後に大当りする図柄は、基準出目と同じ「8」か、1つ手前の「7」になる。2回転後に当る場合も「8」か「7」で、3回転後だと「7」で揃う…という具合だ。

(もちろん、その回転で「必ず当る」のではなく、仮に当った場合の図柄がそうなる、という事。)

以下、4回転目は「7」or「6」、5回転目も「7」or「6」、6回転目なら「6」…というように、連続回転中の大当り出目には、基準出目を軸にした、明確な「移行法則」が生まれた。

よって、連続回転をキープできれば、基準出目を目安にして、大当り図柄を「逆算」できたのだ。


端的にいえば、連続回転中は、概ねデジタルが3回転する毎に、大当り図柄が基準出目から1つづつ手前に下がる(8→7→6→5→4→という具合に)。

もちろん、大当たりそのものを直撃する技ではない(大当りは「自力」で引く必要あり。なお、兄弟機「パラダイス3」には、体感器や電チュー開放周期を利用した、大当り直撃法が存在)。

しかし、連続回転に入った最初の右出目をチェックするだけで、その後の大当り図柄を逆算できるのだから、体感器などに縁遠い一般ファンでも、とっつきやすいネタといえた(実行する根気があるかは別にして)。


この特性を利用して、例えばLNが「3、5、7」の場合、基準出目が「¥」「Fv」「9」「8」「7」「6」「5」「4」「3」なら、そのまま連続回転をキープして、「射程範囲」にあるLNを積極的に狙う。但し、連続回転を続けるうちに、いずれLNも通り過ぎてしまうので、ある程度回したら、連続回転をいったん切る。
(基準出目が「3」だと、チャンスは2回転しかない。)

もちろん、回りが悪く連続回転が途切れてしまったり、途中でリーチが掛かったりした場合は、移行法則が崩れてしまうので、最初からやり直す(一応、デジタル停止中の飾りランプ点滅や、リーチ時の右デジ移行コマ数から、カウンターの「ズレ」を計算出来たが…)。

一方、LNから遠ざかる位置、即ち「2」「1」「0」「果物」「当」辺りが基準出目だった場合、そこから連続回しを続けても、しばらくは「3,5,7」のLNで当る事はないので、すかさず連続回転を切り、保留消化を待ってから、あらためてデジタルを回した方が効果的となる。

因みに、池袋S店では、パラダイスを含むデジパチは「1、3、5、7、9」(奇数)がLNとなっており、件の「学生プロ」も、劇画の中で「山楽のルールなら、右出目(註:基準出目)が絵柄ならいったん切って、数字で始まったら回せばいいワケです」と、田山さんに解説している。


以上の手順を繰り返すだけで、ただ漫然と打つよりも、LNで当る割合は俄然高くなる。正確な大当り出目を予想せずとも、LNが明らかに期待できない時のみ打ち出しを止めれば、相応の効果があった。「連続回転キープ」が肝要なので、チャッカーのシブい台だと厳しいが、それでも意識してLN狙いをするのとしないのでは、収支に明確な差がついた。


かの石橋達也プロ(平成3年当時は必勝G誌で執筆。後に攻略M誌に移籍)も、このLN狙い打法を駆使して、江古田の「ゴールドラッシュ」等で、連日プラス収支をキープする事に成功している(同店は「3,7で当ると、再度3,7で当るまで継続可」のルールだった)。




ところで、このLN狙い、「内部プログラム」的に考えた場合、一体どうなっていたのだろうか。

これを説明するには、本機の「大当り判定」と「出目決定」の方式を、理解する必要があろう。


★大当り判定
「1~225」の計225コマの乱数カウンターを使って、一発判定する仕組み。当選値は「7」のみで、大当り確率は1/225。乱数の移行速度は1コマ0.0025秒で、1周(225コマ)0.5625秒。これが、大当りカウンターの周期となる。



乱数を取得するタイミングは、始動チャッカーに入賞した瞬間。但し、チャッカーに連続入賞した場合、拾った乱数をいったん保留エリア(1~4)に格納しておく。

この乱数を元に「大当り判定」を行うが、判定タイミングは、単発回し時と連続回転中で異なる。

(単発回し時)
始動チャッカー入賞の瞬間に乱数を拾って、同時に当否の判定も行う。

(連続回転中)
チャッカー入賞時に拾った乱数を、保留エリアにいったん格納。その後、保留消化の瞬間(デジタル始動直後)に再び取り出して、当否の判定を行う。



★出目の決定

ハズレ時と大当り時とで異なるので分説するが、その前に「出目カウンター」について説明。

出目カウンターは、左・中・右の計3つ。いずれも、各デジタルの図柄に対応して「0~14」の計15コマだが、カウンターの移行速度は異なる。
一番速いのが左(1コマ0.0025秒)で、次が中(0.0375秒)、一番遅いのが右のカウンター(0.5625秒)。なお、3つの出目カウンターは、左が1周すると中が1コマ進み、中が1周すると右が1コマ進むという、「ケタ上がり」の関係にある。

カウンターの値(乱数)と図柄の関係は、以下の通り。




各出目カウンターは「反時計回り」に動いており、カウンターが1コマ進む(実際は「戻る」)たびに、デジタルの表示出目は1つづつ下がる(当→$→¥→Fvという具合に)。



なお、大当りカウンター(225コマ)と左・中出目カウンター(15×15=225コマ)は、ピッタリ同調している。これは、先行機「マーブルX」と全く同じ。マーブルの場合、左・中で「0」がテンパイする(0リーチが掛かる)位置と、大当り乱数「0」の位置が重なっていた為、通常時の0リーチは「鉄板」となっていた(大当り後の保留消化時は例外アリ)。
しかし、本機の大当り値は「0」ではなく「7」である(「1~225」なので、そもそも「0」がない)。これを表示出目に置き換えると、左デジタルが「8」(始点の「0」から、反時計回りに7コマ「戻る」)で、中デジが「0」(左が15コマ進んでいないので、「0」のまま)。つまり、「80X(Xは何でもよい)」というバラケ目は「大当り」を意味する。だが、大当り時は右出目カウンターの値をゾロ目で表示するので、「80X」のバラケ目が出る事は、基本的にあり得ない(あるきっかけで内部状態が「豹変」すると「80X」が表示されたが、これについては別の機会に譲る)。


以下、出目決定方式を「ハズレ時」と「大当り時」に分けて説明する。

(1)ハズレ時
チャッカー入賞の瞬間に拾った左・中・右の出目カウンターの値を、ハズレ出目として表示する。但し、偶然3つ揃いになった場合、右デジを+1して強制的に外す(1コマズレのハズレリーチ)。なお、連続回転中は、出目カウンターの値を保留エリアに格納後、保留消化の瞬間(デジタル始動時)に再び取り出してハズレ目を表示。

・ハズレ時=常に「チャッカー入賞時に拾った各出目カウンターの値」を表示


(2)大当り時
左・中のカウンター値は一切参照せず、右カウンターの値を左と中にもコピーして、3つ揃いのゾロ目(大当り図柄)を作成する。

単発回し時は、チャッカー入賞時に拾った右カウンターの値が、そのまま大当り出目になる。但し、連続回転中は、チャッカー入賞時のデータを無視して、保留消化の瞬間(デジタル始動時)に、右カウンターの値を拾い直して、あらためて大当り図柄を決定する。

・大当り(単発回し)=チャッカー入賞時の右出目カウンターの値を、大当り出目として表示

・大当り(連続回転)=チャッカー入賞時ではなく、保留消化時(デジタル始動時)の右出目カウンターの値を、大当り出目として表示



そして、この「右出目カウンターの乱数拾い直し」こそ、LN狙いを可能にする最大の肝だった。

実は、当時の必勝G誌と攻略M誌が、この「乱数の拾い直し」を巡って、激しく対立した事がある(1991年8月頃から数ヶ月)。G誌は拾い直し説を一貫して肯定したが、M誌は「大当り時も、ハズレ時と同様、チャッカー入賞時の右出目カウンターの値が使われる」旨を主張。G誌の拾い直し説を真っ向から否定して、「連続回しでは右カウンターの周期がズレてしまう為、大当り出目の逆算は、単発回し時のみ可能(体感器が必要)」とした。但し、結果的には、明らかにG誌側に軍配が上がった。



と、ここまでが基本的な判定の流れだが、実際にLN狙いが出来た理由とは?

まぁ、簡単にいってしまえば、「デジタル変動時間の周期と、右出目カウンターの移行周期が、非常に近かった」からである。

デジタル変動時間(「変動→静止」)は、リーチが掛からない限り常に一定で、「8.65秒」となっている。

一方、右出目カウンターは「1コマ=0.5625秒」で動く為、15コマ進む(1周する)のに要する時間は、0.5625×15=「8.4375秒」。内部カウンターの周期としては、非常に遅い部類だ。

すなわち、両者は非常に周期が近く、誤差は「0.2125秒」しかない。これは、左出目カウンター(1コマ0.0025秒)に換算して、ちょうど85コマ分である。右出目だと1コマ未満だ。

ただ、両者はピッタリ同調している訳ではなく、デジタル1回転毎に、左カウンター85コマ分のズレが生じる。

各カウンターは「ケタ上がり」の関係にあるから、右の1コマは左の225コマ分に相当する。よって、単純計算では、85×3=255、即ちデジタル3回転で右が1コマ(ちょっと)進む。

但し、最初の左出目カウンターの位置によっては、1回転(85コマ)で右が1コマ進む事もあるし、2回転で右が1コマ進むケースもある。この場合、連続回転が長びけば、予想出目と実際の内部カウンター値との間に、ズレが生じる。ただ、「3回転毎に1づつ下がる」の原則さえ押さえておけば、さほど大きなズレにはならない。



ところで、連続回転に入って最初に現れた右出目を、「基準出目」と定義した。

この基準出目は、チャッカー入賞時に拾った右出目カウンターの値を、そのまま示すものだ。

つまり、右カウンターの位置を外部から知らせる、重要な「手掛かり」となる。

連続回転中は、リーチが来ない限り、デジタルは常に「8.65秒」の周期で回転→停止を繰り返す。

一方、大当り判定に当選した場合、大当り図柄を決める右出目カウンターの乱数を拾う(拾い直す)タイミングも、連続回転中は「デジタル始動の瞬間」と決まっている。やはり、こちらもリーチが掛からない限り、周期は常に「8.65秒」と一定だ。

したがって、最初の基準出目さえ判れば、その後のデジタル回転数と「85コマ」分のズレを計算するだけで、その先の大当り出目を逆算できる事になる(3回転につき図柄は-1)。これが、本機のLN狙いを内部的に見た場合の「根拠」だ。


ただ、注意すべきは、逆算可能なのは「大当りした場合の右出目カウンター値(大当り出目)」であって、連続回転中の「ハズレ目」まで先読みできる訳ではない。
たとえ連続回転中でも、ハズレ時の右出目は始動チャッカーの入賞タイミングでバラつく為、先読みする事は出来ない。あくまでも、連続回転時の「基準出目」を把握すれば、その後のハズレ目とは「無関係」に、大当り図柄の逆算が可能…という事である。




因みに、本機には「特定の条件下では、同一のハズレ出目が数回転後に再び現れる」という特徴もあり、これが実質的な大当り確率を下げる要因となったが、これは別の機会に譲る。



まぁ、今さら感たっぷりの情報ではあるが、中には物好きな方もいるだろうから、こういったネタの供出も、決して無駄ではあるまい。

トリプルエース(ニューギン・3回権利物)

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1992年(平成4年)1月にニューギンから登場した、新要件・3回権利物「トリプルエース」



★3ケタドットデジタル

★賞球…7&9&15

★大当り確率…1/320(高確率中は1/32にアップ)

★図柄…左デジタル=「7、¥、?、3、$」  中・右デジタル=「7、¥、ロ、?、〇、3、X、$」

★大当りパターン…777、¥¥¥、???、333、$$$の計5通り

★出玉…約6000発(釘次第で変動アリ)



1991年(平成3年)の新要件時代に入り、それまで黙認されていた一発台の撤去が本格化すると、大量獲得が可能な「ポスト一発台」として、(新要件)権利物のリリースが相次いだ。
(アメリカンドリームやフルーツパンチ、アニバーサリーなどの「一般電役」も重宝されたが。)

これは、内規変更で、いわゆる権利物の「確率変動」が認められた事によるが、大半のメーカーは、変動を「プラス1回」と解釈した為、当初は「2回権利」タイプしか市場に出回らなかった。したがって、出玉的にも「4000発~4500発」が妥当な線となっていた。

ただ、内規を読むと、「プラス2回の変動を禁止」するという、積極的な記載はなかった。これを「都合よく」解釈した平和は、91年6月に「エポック」という新要件初の3回権利物を登場させる。2回権利が当然とされる中、まさに「コロンブスの卵」といった感じで、他社を驚かせた。

当然、他社も「3回権利」で対抗したいと考えたが、当局としては、ギャンブル性の高い一発台を排除した手前、一撃6000発という荒波の権利物が、多く出回るのを好まなかった。そこで、とりあえず「各社1機種」に限って、3回権利物のリリースを認める事とした。

これを受けて、大同「エトワールDI」(91年12月)、京楽「ラッキーベア」(同)、三共「エトワールI」(92年1月)、藤商事「スキップボール」(同)、西陣「ガンショット」(92年2月)、奥村「スーパースター」(同)、豊丸「ダウンタウン」(同)など、各社こぞって3回権利タイプを送り出した。やがて、「1社1機種のみ」の規制も解除となり、出玉感のある3回権利モノは、さらに存在感を増した。


本機は、そうした3回権利の草創期(92年1月)に登場。「ニューギン初の3回権利物」である。

後の「カーニバル」(92年8月)→「カルメン」(93年5月)→「トリオ」※(93年11月)→「キューティーバニー」(94年2月)といった「ニューギン3回権利物旋風」に先鞭をつけた、記念碑的な台といえる。

※「トリオ」は変則3回権利物(3・7揃いで3回権利、1・5・9揃いで2回、その他は1回)


新要件のニューギン権利物といえば、第1弾が「ダブルエース」(2回権利、1991年)。7セグデジタル(一発台「タイムトラベル」の流用)と回転盤の、2段階振り分けを採用。デジタル確率は1/80と甘めだが、その分、回転体で弾かれるケースも多かった。続く第2弾が「ミルキーエース」(2回権利、1991年)。1/20のデジタルに加えて、内外2つの回転体振り分けがあったが、止め打ちで回転体の当り穴を狙う「技」があった。そして、ニューギン権利物第3弾は「ツインズ」(2回権利、1991年)。コチラも一応2クッションだが、実際は3ケタドットが揃えば、ほぼ確実に権利発生となった。


そして、その「ツインズ」の3回権利版として登場したのが本機だ。「3ケタドット」と「お飾り役物」という二段構えの構造は、ツインズと同じ。但し、名称的には、ダブルエース→ミルキーエースと続く「エース」の名を、こちらが継承している。

但し、メインデジタルの位置は、センター下部から盤面左へと移った。ちょうど、前年に人気を博した三洋の2回権利物「スーパースリー」とよく似た配置で、スーパースリー好きだった私は、好印象を持った。

また、始動チャッカーの配置も、前3機種が全て「左右オトシ」だったのに対し、本機は左袖(デジタル真下)の1か所のみとなった。また、本機のチャッカーは「GO」と書かれた通過式(スルー)で、戻り玉はなかった。当然、投資もかさみがちだったが、スルー下の賞球口の調整が甘いと、玉持ちに貢献した。また、変則的な位置にチャッカーがある為、あまり回らない台でも、ストロークを弱めに変えた途端、ブン回ったりもした。


デジタルは、左が5種類(7、¥、?、3、$)で、これらの3つ揃いが大当りとなる。ツインズは「0~9」とオールマイティ図柄(タコ)だったので、図柄の数は大幅に減った(本機にオールマイティはない)。但し、中・右デジタルには、ハズレ図柄(ロ、〇、X)も配されている。

デジタル停止順は、「左→中→右」。左・中テンパイでリーチだが、本機にSPリーチの類はなく、右デジは1~3周程度でランダムに停止。デジタル確率は1/320。

★大当り抽選方式
2段階判定を採用(一次抽選…1/10、二次抽選…1/32)
一次抽選のタイミングは「始動チャッカー入賞の瞬間」だが、二次抽選は「左デジタルが高速回転からスローになる直前」に行われる。即ち、一次・二次の判定タイミングが異なる。なお、2、3回目の権利中は、1次抽選がフリーパスとなる為、1/32と高確率になる。


デジタルが揃うと、天下の電チューが約6秒開放。ここでは、ほぼ確実に電チュー下のヤクモノに1個貯留→V入賞となり、権利が発生する。この流れもツインズと一緒だ。まぁ、デジタルさえ揃えば、権利は約束されたようなものである。


権利発生後は右打ち。センター下段の「START」チャッカー入賞で、その上のアタッカーが9.9秒開放。但し、本機は回転体を使用しておらず、チャッカーに連続入賞すると、ラウンドロス(出玉減)が起こる。これを防ぐ為、単発打ちでチャッカーに入れると効果的とされた。

1回目の権利終了後は通常打ちに戻し、再びデジタルを揃える。2,3回目の権利中、デジタル確率は1/32と10倍アップしており、デジタルを揃え易い。3回権利で、出玉は約6000発(権利中のハマリ具合で変化)。

ただ、ヒキが弱いと、高確率中でも100回~150回程度はハマる事があった。因みに、当時の「攻略M」誌では、実戦スタッフが2回目権利時に「487回」もハマって(結局当らず、店員がVに手入れ)、続く3回目も150回ハマリ(またも店員が手入れでサポート)、都合「637回」の大ハマリを喰らった。
よほど頭に来たのか、同誌は「臨時掲載・怒りと悲しみのトリプルエース」という特別記事を載せた(1/32のデジタルを637回も外し続けた事に、「フザけるな!」「正規の基板がぶっ壊れた」「裏基板」と、盛んにボヤいていた)。




個人的な初打ちは、向ヶ丘遊園北口の「ニューギンザ」(「ダブルエース」もここが初打ち)。相性は良かったと思う。新装時から頻繁に追った為、甘釘台に座る機会も多く、好結果につながったのだろう。

当時のマイホだった新宿駅周辺でも、ある時期から立て続けに本機が入り、新装で打つ機会も多かった。等価の「日拓II」は、一発当てれば「24000円」の割に、デジタルの回りは良かった。うなぎの寝床のような地下ホール「747」は、すでに客が飛んでガラガラだったが、新装からしばらくは釘を締めず、個人的にオイシイ状況だった。他にも、東口・スタジオアルタ裏の「モナコ」、中央東口の「メトロ」など、本機で勝たせてもらった店は多い。そうそう、ちょうどスロの「アポロン」でも、歌舞伎町のNチェーンを舞台に、「ハイエナ全開」で結果を出していた頃だ。

因みに、新台時期、某・攻略誌が、本機の大当り確率を「1/360」と紹介していて、「幾ら大量出玉とはいえ、ずいぶんと辛い台だなぁ」と思っていた。しかし、実際打つと、そこまでキツイ印象はなく、その後、「1/360」は完全な誤りだと判った。


Youtube 90年代動画紹介(6)

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Youtube 90年代動画紹介(6)


Youtube神動画投稿者・ライルさん(Mr.Lyle.Hiroshi.Saxon)の90年代映像を堪能するコーナー。


今回取り上げるのはコチラ

https://www.youtube.com/watch?v=CBwc1W-po9I


タイトルは「1991 Shinagawa Pachinko」


文字通り、1991年(平成3年)に撮影された、東京・品川のパチンコ店内の様子。


そのパチ屋だが、JR品川駅東口(港南口)にかつて存在した、「ジャンボ会館・品川店」というホール(跡地はパチンコ「エテルナ5」(閉店)→現在は「カラオケ・ビッグエコー」)。

今や、すっかり都会的・近代的なビジュアルに染まった港南口も、大規模な再開発が進む前は、昭和然として、レトロ感・場末感の漂うエリアだった。線路沿いにあったテニスコートも懐かしい。

私自身、父の親戚が古くから北品川に住んでおり、何かと「お呼ばれ」する機会も多かった為、品川駅をよく利用したクチだ。まぁ、大抵はデッカイ「高輪口」を使っていたが、東口にパチ屋があると知ってからは(その親戚に教えて貰った)、たびたび出向くようになった。

当時、品川駅のホームから東口に出るには、構内の長くて暗い地下通路を通り、小さな改札を抜ける必要があった。その駅舎も、近代的な高輪口側とは全く違って、こじんまりとした、昭和の香りに満ちた造りだった。改札脇には、「常盤軒」という小さな立ち食いそば屋もあった。

東口の駅前ロータリーの右手(角地)では、当時「ミナト」というパチ屋が営業(現「ゴリMAX」)。
一方、「ジャンボ会館」は、ミナトの裏路地を入った四つ角にあった。因みに、店のシンボルマークは、「潮吹きクジラ」(動画を0:09で静止すると、扉に描かれたマークが一瞬映る。また、各シマの端にも、オレンジ色のクジラのイラストがある)。

因みに、私はスロ4号機時代(2000年前後)にも、たびたび港南口に足を運んだ。特に、ジャンボ近くの「アサヒ出玉王」(後に「セブンボンバー」→閉店)というスロ屋の実戦が思い出深い。2Fのアルゼ「ドンちゃん2」(複合役狙いを鍛錬)や、1F奥のサミー「玉緒でポンDX」などを追った。私にとって港南口といえば、「ジャンボ、ミナト、出玉王」の3軒である。


さて、件の「ジャンボ」、動画を見れば一目瞭然だが、当時は1Fがパチ、2Fがスロだった。

1Fでは、「フィーバーフラッシュI」(三共、旧要件デジパチ)のデジタル回転音が鳴り響く。「マジックカーペットI」(三共、旧要件ハネモノ)のBGMも、うっすらと聞こえる。さらに、「ラッキーナンバー、おめでとうございます」という、ダミ声のマイクパフォーマンス。

余談だが、この店には、かつて三共の「ターゲットI」(一発台)が置いてあり、三つ穴回転盤の「短穴」「カギ穴」どちらに入っても大当りという、一風変わったルールだった(短穴4000発、カギ穴6000発と終了個数は違う)。
ただ。この時期(客の格好から、1991年「夏」と推測)は、一発台の撤去も進んでおり、既に外されていた可能性もある。

一方、2Fスロコーナーには、「ワイルドキャッツ」(アークテクニコ3-1号機)と「コンチネンタルI」(瑞穂、3-1号機)の「両雄」が居並ぶ。どちらも当時を代表する連チャン機で、思わず涙腺が緩む。まさに、平成初期のパチ屋・スロ屋の「風情」が、存分にみてとれる映像。

そして、この時代のスロブームを表すかの如く、シマはほぼ満席状態。

キャッツ(多分「貯金Ver」)の派手なサウンド(腰が浮く強烈なBIGファンファーレ、猫ふんじゃったの小役ゲーム音、小役払い出し音、JAC音など)。

ややキャッツに押され気味だが、コンチI(この直後、オイタが過ぎて「検定取り消し」となる)のビッグサウンドも聞こえる。こちらもファンファーレは迫力十分だが、「爆音機」のキャッツが隣では、仕方あるまい。

そして、「ヤロー占有率9割以上」という、むさくるしくも香ばしい客層(女性スロッターは、まだ少数の頃)。頭上では、赤いパトランプがクルクル回る。白シャツ、ネクタイ、黒のスラックス、片手でカギをチャラチャラ…という店員のファッションも、当時を偲ばせる。

0:40~0:51の、「両替機に立ち寄る女性」を上から捉えた映像も、個人的にグッとくる。当時は、台間の玉貸機から、百円で玉をジャラッと借りた時代。手元の小銭がなくなれば、シマ端の両替機まで足を運び、札をくずして「補充」した(千円対応で、釣銭の出る玉貸機もあったが)。

0:55~1:17では、コンチIを遊技中の客にライルさんがレンズを向けて、上⇒下⇒上⇒下とカメラを振り、JACゲーム払い出しの模様を撮影(最後は、JACハズレで「フェイント」を喰らう)。

私にとってコンチIは、当時「嫌」というほど打ち込みを重ねた台だ。某・攻略誌に攻略ネタ(と呼べるかは微妙…)を投稿して採用され、幾ばくかの原稿料(賞金)を貰った事もある。そんな思い入れタップリなコンチIの「リアルタイム映像」を残してくれたライルさんには、感謝の思いで一杯だ。

Youtube 90年代動画紹介(7)

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Youtube 90年代動画紹介(7)

(神動画投稿者・ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)のレア動画を拡散するコーナー)


前記事に引き続き、平成初期のパチンコ店内をライルさんが撮った、貴重な映像を紹介。

https://www.youtube.com/watch?v=LjLA3vzA_og


タイトルは「Ginza Pachinko May 1991」

即ち、1991年(平成3年)5月における、東京・銀座のパチ屋の様子である。

動画の長さは約2分。まさに「奇跡の117秒」。


件のホールは、東銀座の三原橋交差点(晴海通りと昭和通りが交差する)にあった、「モンタナ」という店だ。

同店は、残念ながら既に閉店。跡地は、現在「パラッツォ銀座店」となっている。


このモンタナ、個人的には1998年~2000年頃、仕事帰りによく立ち寄っていた。何といっても、2Fにあったスロ3号機「コンチネンタルIII」が名物だった(設定状況はともかく)。

また、1Fには大一の権利物「ラッキーボーイ」「CRエキゾチック」、そして同社のフルスペックCR機「CRバトルヒーローV」などを長く置いた。一方で、「店員チェックの厳しい店」としても知られ、固定ハンドル厳禁、隣の椅子に荷物を置くとマイクでどやされる、他人の台を店員や隣の客が目押しするのもNGなど、やたら「小姑じみた」感じもした(笑)。


さて、動画の撮影時期とされる「1991年5月」は、前年10月の「風営法規則改正」を受けて、旧要件から新要件へとシフトし始めた「過渡期」である。自分の活動エリアでも、ホール設置状況はまさに「新・旧入り混じり」となっていた。この動画でも、それはハッキリ見てとれる。

そんな訳で、今回は映像を私になりに「分析」して、91年5月の銀座「モンタナ」設置ラインナップを、簡単な見取図にしてみた。ご参考まで。


★東銀座「モンタナ」設置機種(1991年5月)



※ライルさんは、晴海通り側の「自動ドアA」から入店後、店内をグルッと1周して、昭和通り側「自動ドアB」から店を出たと思われる。

※当時の設置ラインナップ(左端のシマから順に)
→やはり、三共・平和・西陣の「ビッグ3」(当時)が幅を利かせている。

・タイムショック(三共1991年、新要件2回権利物)ダブル狙いの攻略アリ

・ビッグベンII(平和1990年、旧要件羽根物)賞球7&13(兄弟機「ビッグベン」はオール13)

・ナイトドラゴンVII(三共1990年、旧要件羽根物)

・バニーギャルズ(西陣1990年、旧要件羽根物)判別難。サイドランプの点滅から推測…

・ニューモンローP2(西陣1991年、新要件羽根物)兄弟機「ニューモンロー」と違い、P2は電チュー開放用のチャッカーがヘソ上にある。貯留システムもやや変則的。

・ブラボーエクセディア(平和1991年、新要件デジパチ)ヘソ8個戻し、低確率。数珠連機説有。

・カクテルA(大一1991年、新要件デジパチ)電チューの配置から兄弟機「カクテル」ではない。

・フィーバーレクサスIVD(三共1990年、旧要件デジパチ)ご存知、朝一単発の連チャン機。

・ブラボーセンチュリー(平和1990年、旧要件デジパチ)オマケが2チューリップで大量出玉。

・リバティベルIII(メーシー1989年、2-2号機)「世界全滅打法」(セット)が出回ったのは91年9月。よって、同年5月の段階では、一般客は誰も知らない。もしかすると、セット仕込みに拘った連中(表向きは「部品の不具合によるバグ」とされたが、実は内輪で荒稼ぎする為、開発段階で意図的に仕込んだとの説アリ)が、このシマのどこかで、コッソリ抜いていた可能性もあろう。

・・・

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少し前の記事で、「記事中の明らかな誤記や勘違いについては、※非公開コメント※でこっそりご指摘下さると有難いです(記事作成のモチベーョションが著しく低下する為)」的な事を、恥を忍んでコチラからお頼みしたのですが、そんな思いなど汲むこともなく、相変わらず同じ指摘を繰り返して投稿される方がいらっしゃるようです。


まぁ、そもそも、こちら側の勝手な言い分なので、スルーするのはご自由ですがね。

ターゲットI(三共)の「穴の数」については、当方も過去記事で詳細な説明を行っているところであり、今回の件は明らかな「誤記(単なる勘違い)」です。そして、コメントで指摘された箇所については、コメ非公開の上、速やかに修正(しかも過去記事のリンクも貼りました)したのですが、まさか、それに飽き足らず、全く同じツッコミを繰り返してこられるとは・・・(滝汗)。しかも、該当記事とは別の記事のコメ欄に…。


申し訳ありませんが、過去にどういったコメントを残されたにせよ、そういうスタンスの方とは、当方としても「お付き合い」したくありません。したがって、該当HNの方のコメントは、今後一切公開を控えさせて頂きますので、悪しからずご了承下さい(過去の投稿コメントも、全て非公開とします)。

うーん、これは、全面的にコメント欄を閉じる必要が出てきたかな…(まぁ、開設当初はそうしてたんですがね)。まぁ、今後のコメ欄の扱いについては、方針が固まり次第ご報告します(ただ、今回は「怒り」こそあれ、レトロ記事を発信したいという意欲は、全く衰えておりませんので、ご心配なく)。

※さらに妙な反応をされるのは嫌なので、勝手ながら、本記事のコメ欄は閉じさせて頂きます。



※※非公開コメント送信の方法(質問のコメントがありましたので)

ご存知の通り、当ブログは「認証後に公開」のシステムを採っております。もし、記載誤りの箇所を見つけた場合、コメ欄の「本文」又は「タイトル」にて、「非公開」「非公開で結構です」「非公開でお願いします」といった文言をどこかに入れて頂ければ、コメ自体は公開せず、指摘箇所の修正を行う事ができます。

しかし、「指摘」と「それ以外の内容」が同じコメント内に入っている場合は、こちらとしてもコメを公開しづらくなってしまいます。まず、「指摘」について「非公開」で投稿して頂いた後、通常のコメントを連投して頂ければ、後者のみ公開という形を取る事ができるので、有難いです。

なお、記事で「営業中」と書いた店舗が、既に閉店していた場合など、現状についての情報提供コメントは、こちらとしても大変助かりますので、特に非公開とせず、お気軽に投稿して下さい。

今回の件は、あまりに基本的すぎる内容の記載ミス(もちろん、誤記したコチラが悪いですが…)を、修正後も繰り返し指摘された事に(しかも、正しい内容が記してある過去記事までリンクしたにも拘らず)、正直カチンと来たという感じです。


まぁ、こんなメンタルの持ち主なので、何かとご面倒をおかけしますが、宜しくお願いします。

アレジン(藤商事、アレパチ)

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前記事の件…どうやら投稿した方に悪意は全くなかったようで、スッキリと水に流す事にした。
(色々とお騒がせして、申し訳ない)

私自身、あの日はもともと感情的に荒れていて、帰宅後コメを見てさらに「沸騰」してしまって、少々早合点してしまった部分もあった。その点、率直にお詫びしたい。

ただ、誤記・勘違いの指摘については、今後も、非公開コメにてよろしく…(弱気)。



という訳で、今回は「荒れた」に引っかけて、「荒れ人」=「アレジン」(藤商事)を取り上げたい。



アレジン(アレパチ、藤商事、1992年登場)


もはや、説明も不要だろう。「アレキング」の後釜としてデビュー後、瞬く間に全国中のホールを席巻した、当時を代表する大人気アレパチである。

(そういっても、あれこれ説明するのが、当ブログのクドイところだが…)


流行りの「乱数グループ化」「天国・地獄モード」をベースに、香ばしい連チャンとキツいハマリの「荒波」を我々に見せつけた、筋金入りの「ギャンブル台」。

もちろん、天国モード滞在を示唆する「リーチの集中」も、大変アツかった。連続して「ピュイッ」とテンパイ音が鳴った時の高揚感といったら…。

本機を最初に打ったのは、高田馬場の早稲田通り沿いにある「日拓EO」。名称は変われど、現在も営業している模様。

新装間もない頃、満員のシマで空き台待ちをしていたら、たまたまヤメた台があり、速攻で着席。

新装だし、釘も甘そうだし、周りもガンガン出ているし、「これは貰ったな」と打ち始めたのだが、回せど回せどサッパリ当たらない。しかも、賞球がほとんどなく、投資ペースも異様に早い。

さらに、両隣が爆連の真っ只中で、終始左右から煽られっぱなし。ここでヤメたら、間違いなくオカマを掘られるし、こうなったら財布の中身を全ツッパ…と思っていたら、ホントに有り金そっくりやられてしまった(涙)。

まぁ、最初の出会いとしては、正直「最悪」であった。

その後は、モーニング狙いに積極的に出向くなどして、連チャンで箱を積む展開にも、たびたび恵まれた。しかし、相変わらずスコーンとやられてしまう事も多く、トータルではマイナス収支だった筈だ。後続の「エキサイト」では、割と好結果を残したのだが…。


ここで、「モーニング」の話にちなんで、本機の朝一出目について一考察をば。

アレジンを知る方ならもはや「常識」だが、電源ON後の開直出目は、お馴染みの「7・3・1」。



シマでこの目が落ちていれば、10回ほど回してカニ歩きするのが、朝の立ち回りの基本だった。



では、なぜ、朝一出目が「731」という配列なのだろうか?


そこには、何かしらの「メッセージ性」が込められているのではあるまいか。例えば、三洋の台は朝一が「341」で「サンヨーイチ」と読めた。

そこで一寸調べてみた所、「なるほど」と思える事実を発見したので、報告したい。

当然ながら、本機のモチーフは「アラジン」である。ハッキリいえば、スロの「アラジン」(後継機はアラジンII)だ。

名称もソックリだし、センターには「ラクダ」のヤクモノ(ハネ)もある。そして、何よりもメーカー自身が、当時のカタログで「リーチだ!リーチだ!アレジンチャンス!」というキャッチフレーズを、堂々と使っていた。言うまでもなく、2号機アラジン(3号機アラジンII)の「アラジンチャンス」に因んだ表現であろう。

ところで、「アラジン」といえば、アラブの古い説話を集めた「千夜一夜物語」(千一夜物語、アラビアンナイト)という書物が思い浮かぶ。この中に、「アラジンと魔法のランプ」という、皆がよく知る例の話が収められているからだ。

この「千夜一夜物語」は、もともと王様に夜な夜な読み聞かせる為、様々な説話の類が「第1夜」から「第1001夜」まで、計「1001夜」(※註)に分けて書かれている。

※原本は「二百数十話」程度で、後から色々な話が追加されたらしい。「アラジンと魔法のランプ」の話も、原本にはなかったようだ。


で、よくよく調べてみると、なんと、「第731夜」から「第774夜」までの部分が、ちょうど「アラジンと魔法のランプ」のストーリーだったのだ。即ち、アラジンの物語の「始点」が、まさに「第731話」だったのである。

偶然にしては、あまりに出来過ぎた数字であろう。どうやら、朝一出目「731」のネタ元は、これだったようだ。

うーむ、調べてみるものだな。ひょっとして、この朝一出目の「秘密」に言及したのは、私が初めてかも…と、一寸うぬぼれてみたり(笑)。そういえば、スロのアラジンの過去記事でも、パネルに書かれた「ニョロニョロ文字」の秘密を明かした事があったっけ。


因みに、この事実に気付く前は、「7」はビッグ(大当り)、「3」はレギュラー(中当り)、「1」はシングル(小当り)で、スロのアラジンを意識した出目かな…くらいに思っていた。


と、ここまで断言しておいてアレだが、この解釈が「実は、全然違っていた」なんてこともあろう。まぁ、その時は「御愛嬌」ということで…。



さて、本機のゲーム性は、既に多くの方が知るところだろう。一応、確認の意味で説明すると…


(通常時)

盤面左の「GO」チャッカー通過で、天下の3ケタデジタルが変動。1、3、5、7(奇数)の3つ揃いで止まると、センターヤクモノ(ラクダ)のハネが4.5秒開放する。この時、ヤクモノの中央穴に入れば大当り発生となる。デジタルが揃っても、中央穴に入らなければアウト。この悔しい「お流れ」を、当時は結構喰らった。散々ハマった挙句のお流れなどは、心底ガックリきた。

デジタル変動時間は1.5秒と短く、16発の打ち出し→リセットを繰り返しつつ、デジタルをガンガンまわして、小気味よいテンポでゲームは進んでいく。まぁ、これが知らぬ間にドハマリしている原因でもあったが…。

ちなみに、先行機「アレキング」では、GO通過でハネが開き、ヤクモノ中央穴に入るとデジタルが回って、「7」で大当り(14R)、「3」で中当り(2R)だった。すなわち、「ハネ開放」と「デジタル回転」の順序が、本機とアレキングは「真逆」である。



そして何より、本機では左・中デジが奇数テンパイすると、「ピュイッ」という独特の電子音(リーチ音)が鳴って、打ち手を大いに煽った。このリーチ集中が「天国モード」を示唆した為、大変にアツかったのだ。

繰り返しになるが、当時のメーカーカタログでも、「リーチだ!リーチだ!アレジンチャンス!」というフレーズが使われていた。即ち、スロ2号機アラジンの「アラジンチャンス」にあやかって、本機のリーチ集中を、メーカーが公式に「アレジンチャンス」と呼んでいた訳だ。


ここで、「モード」の話が出てきたので、本機の大当りの仕組みを少々説明しておこう。

基本的には、ブラキンでお馴染みとなった「乱数のグループ化によるモード移行」方式を採用。
後発の「エキサイト」も、この方式を継承している。


本機には、計16個の乱数グループ(No.0~No.15 の計16グループ)があり、大当り乱数を含むグループは1つのみ(No.8)。

他の15個は、全て大当り確率0の「ハズレグループ」で、滞在中は絶対に大当りしない。一方、天国時の大当り確率は1/8と高い。

そして、グループの移行は、デジタル回転毎に約1/17で行われる。

つまり、大当り後は、1/17でモード転落する前に、1/8の大当りを引けば連チャンとなる。

この数字だと、平均連チャン数は約3回と少ないが、ヒキ次第で大連チャンにも繋がった。逆に、ドハマリしてやっと引き当てた大当りが単発終了という事もあった。まさに、「バクチ台」と呼ぶに相応しい挙動を見せた。


また、天国中は、ハズレリーチ確率が1/4(大当りも含めると3/8)にアップ。これが「リーチの集中」(アレジンチャンス)である。「ピュイッ」「ピュイッ」と連続するテンパイ音には、「もう来るか、もう来るか」と嫌でも期待させられた。因みに、ハズレグループから天国グループに移行する際には、必ずハズレリーチが発生する為、たとえ1回のハズレリーチでも、その後の数回転はアツかった。

また、大当り後も必ず天国スタートなので、リーチ音が鳴る度にドキドキであった。運悪く1/4を引けずにバラケ目が5回、10回と続き、「モード落ちたか…」と思わせておいて、引き戻しの様に突然当って、驚かされる事もあった。

逆に、通常時リーチ多発で天国と思わせておいて、一度も大当りを引かず、そのままハズレグループに転落してしまう事も、少なからずあった(なお、リーチ確率1/8の「フェイク」グループも存在⇒後述)。


一方、15個あるハズレグループは、全て大当り確率ゼロの「アリ地獄モード」だ。さらに、ハズレリーチ発生率も、大半が1/16~1/24(1/16~1/32説もアリ)と低い為、まさに「眠くなるようなハズレ目の羅列(田山プロ風)」が繰り返された。

唯一、リーチ確率1/8の「フェイクグループ」(No.0)もあったが、もちろん大当り乱数は含まれておらず、ハズレリーチばかりで大当りする事はない。


(解析的補足)

大当り判定には、周期が異なる2つの乱数カウンターX(「0~255」の計256コマ)とY(こちらも「0~255」の計256コマ)の2つを用いた(Xは周期が早く、Yは遅い。また、XとYの差は一定)。なお、乱数を拾うタイミングは、「GO」チャッカーを通過した瞬間である。

但し、X、Yをそのまま判定には用いず、両者を複雑に加工(Yを16倍してXに加算したり、算出した値の「排他的論理和」を求めたり…詳細は割愛)して、最終的には「0~127」の計128通りの乱数値(Z)が出てくる。この「Z」こそ、大当り抽選用の判定値となる。

判定値Z(128通り)の中で、大当りは「67」のみ。よって、表面上の大当り確率は1/128。

但し、実際は、Zが16個の乱数グループに分かれる為、滞在するグループによって、取得するZの値にも、大きな偏りが生じる。即ち、大当り確率0のグループでは絶対「67」は拾わないし、唯一存在する天国グループならば、1/8の高確率で「67」を拾う…という具合だ。

したがって、実質的な大当り確率は、単純に「1/128」とはならない。

肝心のグループ移行の契機は、カウンターXの値が「16の倍数」だった場合。「0~255」のうち、16の倍数は「16、32、48、64・・・192、208、224、240」の計15個※。つまり、他のグループに移行する確率は、15/256≒1/17.07となる。

以上の事から、地獄⇒天国の移行率は
1/17.07(グループ移行率)×1/16(天国に移行する割合)=1/273.12となる。

また、天国⇒地獄の転落率は
1/17.07×15/16(天国以外に移行する割合)≒1/18.21となる。


天国中の大当り確率「1/8」の根拠だが、天国滞在中は乱数のグループ化によって、どのタイミングでGOを通過しても、Zは「64~71」の8通りの値しかとらない。一方、大当り値は「67」なので、大当り確率も必然的に「1/8」となる。

また、、天国中にハズレリーチが多発したのは、Zが「64」か「66」だった場合に、ハズレリーチが掛かる仕様だったから。つまり、天国グループは乱数が8つのみで、そのうち2つがハズレリーチに指定されていたのだ(発生率=1/4)。

なお、Zが「0」「60」「100」「116」「124」でもハズレリーチは掛かるが、天国中、これらの値を取る事はない(ハズレリーチ乱数を多く含むグループが、「フェイク」となる)。


もちろん、天国滞在時でも、モード転落前に「1/8」の大当りを引かなければ、全く意味がない。よって、実質的な初当り確率は、1/273の天国移行率よりもさらに低い、約1/360となる。確率の「3倍」ハマリなら1080回転もハマる訳で、あのキツイ展開も頷ける…というものだ。



(モーニングについて)

電源立ち上げ直後は、16個ある乱数グループ(No.0~No.15)のうち、8つの「偶数」グループにしか飛ばない。この中には、「天国グループ」(No.8)も含まれる。

よって、朝一は「1/8」で天国モードからスタートとなり、モーニング狙いが有効だった。実戦でも、モーニングから連チャンに繋がって大勝ちしたケースは多い。

但し、一説では、「台の製造時期(ロット)」により、朝一の滞在グループに「偏り」が出る、ともいわれた。どの偶数グループにも万遍なく飛ぶ台、「No.0」のフェイクばかりに偏る台、高確率で「No.8」の天国に行くモーニング台などがあったとされるが、果たして真相はどうだったのか
(一部攻略誌の実験では、そう思わせるようなデータも出ている)。




(大当り中)

大当り中は右打ち(ゴム打ち)で消化。右肩オープンチャッカー通過で、センターヤクモノ下のアタッカーが約4秒開放。ここに入賞すると、下段ポケットの「8、9、11、12」番のナンバーランプが点灯して、さらに得点も「2倍」扱いとなる。通常、「9、12」には入賞しづらいが、アタッカー入賞により、「9、10、11、12」の4つが全点灯して、ジャックポット(3点獲得)となり易い。

さらに「8」番も点灯して、普段から入り易い「7番」も容易に点くから、右打ちで「7~12」のランプが全灯して「F(10点)=160発」を獲得できる訳だ。計14ラウンド消化で、出玉は約2000発。



(Bモノ・セット打法について)

当時の「アレジンブーム」に乗じて、特定の地域(九州など)では、連チャンとハマリに一層メリハリを持たせた、「裏基板」が出回ったといわれる。

それに合わせて、特定の打ち方(「デジタルの回転に合わせて精算ボタンを押す」「大当り中、特定ラウンドでデジタルを再び揃える」、「出目の回数分、玉突きをさせる」など)をすると、連チャンモードに入ったり、爆連に繋がったりという、「セット打法」の噂も、当時は次から次へと出た。

実際、九州の某・攻略会社からネタを買い、大儲けしたファンもいたとか。まぁ、私自身はセットで儲けた経験もなく、どこか「おとぎ話」的な印象を受けていた。果たして、真相はどうだったのか(そういえば、golgoさんの動画で、連チャン時の挙動が?なアレジンがあったような…)。

ローリングマシンI(三共、ハネモノ)

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1988年(昭和63年)に三共から登場した旧要件ハネモノ「ローリングマシンI」



★賞球オール13
★ハネ開放時間…オトシ0.45秒 ヘソ0.5秒×2
★最高8ラウンド継続(10カウント)
★大当り中のハネ開放回数…最大18回
★兄弟機…ローリングマシンII(ヘソがチューリップ)
★本機の影響を(少なからず)受けたと思われる台…マルホン「アドベンチャー」
(1991年登場、新要件ハネモノ)→コチラは、当時の流行りでヘソが電チューになっていた。




当時コインランドリーでみかけた「乾燥機」の如く、グルグル回る円形のヤクモノ。上下が逆転するカラクリ風のステージ。アナログだがダイナミックな挙動が、何とも楽しかった。出玉も比較的多めで、「勝負の早い台」といった印象も残る。


ただ、私がパチデビューした平成2年(1990年)、本機は既にして「古参」扱いだった。新宿、向ヶ丘遊園といった馴染みのエリアでは、あまり見かけた事がない。

(平成元年だと、新宿「ニューミヤコセンター」、向ヶ丘遊園「ニューギンザ」に設置との資料有り)。

「平成2年」というと、三共からは「スウィングI」「エンタープライズI」「スナイパーI」「うちのポチI、II」「ダンシングヒーローI、II」「道路工事I」「演歌道I、III」「レオパードI、II」「アークタンクI」「汽車ぽっぽII」「タコヤキSP、DX」「ナイトドラゴンVII」など、多くの旧要件ハネモノが立て続けに登場。いずれも、初心者時代から貪るように打った、懐かしの機種だ。

さらに、同社が前年(平成元年、1989年)リリースした「マジシャンI、II、III」「オールスターI、II」「アウトローI」「マジックカーペットI」「ドッキリマンSP、SPII」「スラッガーII」「ストライカーI、II」「ウォリアーII」「パワーフォークII」なども、引き続き活躍していた。特に、マジカペの人気は凄まじかった。

すなわち、三共一社に絞っても、この時期はハネモノの「充実期」だったといえる。ホールにとっては、旧台から新台に入れ替える、絶好の機会となった。

(なお、現在とは「新台入替」の意義が大きく異なる。当時の入替は、夕方開店の「短時間営業」が多く、「お祭り釘」の場合も多かった)。

本機の導入率はかなり高かったようだが、私が「パチ道」に入った「平成2年4月」でいえば、新台に入替済みの店も多かったと思われる。入替ペースが早めの新宿ならば、なおさらであろう。

それでも、池袋・西口「山楽」(田山プロ御用達の「S店」)や、渋谷・井の頭ガード下の「タイガー」、駒込駅近くの「銀玉会館」、小田急・本厚木駅そばの「ロイヤル」など、新台や準新台に混じって本機を残す店も、私の知る範囲では幾つも存在した。「新旧入り混じった、多彩なラインナップ」が、当時のハネモノシマなら普通の光景だった。


田山プロが長くネグラとした池袋「山楽」(地下にハネモノを設置)では、平成3年(10月25日)に、新要件機「ニュートキオ」(平和)に入替えられるまでの間、本機は田山さんにとって、旧要件ハネモノの「メイン機種」の1つだった(他にビッグシューター、ザ・拳法、スーパーレーシング、パチンコ大賞、うちのポチなど)。

本機と対峙した様子は、名著「パチプロ日記」でも繰り返し登場。「池袋時代の田山さん=ローリングマシン」と連想する方も多いだろう。

なお、田山さんは日記で、本機を「ローリングマシン」ではなく「ローリングマシーン」と呼んでいた。私も「マシーン」の方がしっくりくる派だが、メーカーは公式に「~マシン」としているので、記事タイトルはメーカーの表記にしたがった。

因みに、田山プロは同じ三共のハネモノ「スーパーレーシング」も、日記では単に「レーシング」と言っていた。また、パチンコ大賞には「オヤジ」の愛称をつけていた(笑)。


(参考)…平成元年10月・池袋S店(山楽)、田山プロ1週間の立ち回り(概要)

10月20日(金)…S店新装初日(午後五時開店)。上下合わせて16シマ中、入替はたった2シマ。旧台のレーシング(スーパーレーシング)503番台で1800個。4000円勝ち。
10月21日(土)…S店新装二日目(正午開店)。ローリングマシーン350番台、開始40分で終了。その後、レーシング516番台で3300個。16000円勝ち。退店後、ノガミと将棋。
10月22日(日)…S店新装三日目(十時開店)。ローリングマシーン325番台で苦労するも4400個終了。続いてローリングマシーン350番台で3500個。17000円勝ち。ソバケン達と居酒屋へ。
10月23日(月)…前日と同じローリングマシーン325番台。序盤ハマるも12時半終了。その後、ザ・拳法356番台で2000個。7000円勝ち。
10月24日(火)…ビッグシューター555番台で出した600個を持って、ローリングマシーン325番台に移動。トータル4000発となったのを確認してヤメ。9000円勝ち。自宅で日本シリーズ観戦。
10月25日(水)…ローリングマシーン320番台、11時半終了。続いて、レーシング517番台で3600個。さらに、レーシング387番台で3000個。25000円快勝。高校の同級生とウナギ屋。
10月26日(木)…シメシメルック。ザ・拳法366番台で揉まれた挙句、ギブアップ。背中のローリングマシーン335番台で1200個。日本シリーズ目当てで退店。3000円負け。
10月27日(金)…ローリングマシーン335番台、3400個出て引き。その後、ザ・拳法366番台で700個、その玉で同じザ・拳法の356番、ビッグシューター525番台、レーシング518台など打って1000個。パートのおばさんよりも労働時間が短い。7000円勝ち。

ハネモノは地下設置で4000個終了。2.5円交換。

※参考文献…「田山幸憲プロのパチプロ日記」
(白夜書房「パチンコ必勝ガイド」1990年1月号掲載)




さて、本機のゲーム性は、すでに大半の方がご存知だと思うが、一応、簡単に説明する。


盤面センター役物は、円形・可動型で、上下ステージからなる「二段構造」。

但し、「可動型」とはいっても、通常時は停止したままだ。


(役物・通常時)

「▲」マークが目印の上段ステージ。天井部には、玉を左・中・右に振り分ける、二本の突起がついている(田山さんは、この突起を「柱」と呼んだ)。

ハネに拾われた玉は、上段ステージを手前から奥へと転がり、(1)二本の突起の間(センター)、(2)突起の両脇(サイド)何れかのルートを通って、下段奥に落ちる。

一方の下段ステージは、手前の「★」マークが目印。やはり、上部に二枚の突起(仕切り)がある。上段センターから落下した玉は、この仕切り(上段より幅が狭い)の間を通って、下段中央を手前に転がる。サイドから落下した場合は、仕切りの外側を通る。Vゾーンは手前中央(★マーク真下。「COUNT」表示の上)にある為、左右ルートよりも、センタールートの方がVを射止め易い。

但し、センター経由でも、必ず大当りした訳ではない。下段の仕切りは「ハの字型」に開いており、仕切りの間を通過した玉でも、左右にバラつく事があった。反対に、上段ステージで左右両サイドに流れた玉も、下段で両側の壁にぶつかり、絶妙の角度で中央に戻って、Vを射止めることがあった。

さらに、本機は台毎の「クセ」の差も大きかった。センタールートだと9割がたVに決まるとか、下段の壁クッションでVにポンポン飛び込む「ヤクの名機」だと、多少釘がシブくても勝負になった。特に、ヤクモノが傾斜せずキッチリ「水平」に停止する台なら、V入賞率、継続率ともに高かったので有利だった。

もちろん、上記の特徴とは真逆の「クセ悪台」も存在した。普段から回転体が「右ズレ」「左ズレ」で傾いている台だと、センタールートがことごとくVを外して初当りが来づらく、ステージ上下がひっくり返った大当り中もパンクが多発した。それでも、釘さえ甘ければ、粘り強く打ち続けて予定終了まで持って行く事もあったから、当時のハネモノが「良心的」だった証拠といえよう。



首尾よく大当りすると、今まで静かに停止していた円形ヤクモノが、時計方向に回転を始める。

いよいよ、「ローリング」の本領発揮、という訳だ。

因みに、本機はチャッカー入賞時など、効果音が普段から「派手」だったが、Vを決めてからの一連のサウンドも非常に華やかで、むしろ五月蠅く感じられるほどだった。

大当り中は、回転するヤクモノに飛びこんだ玉が、慣性の法則でダイナミックに「躍動」しながら、最後は下段V方向を目指す。

但し、V穴の前(奥)には、プラスチックの突起(ストッパー)が付いている。この突起、通常時は下段ステージがあるお蔭で目立たないが、ヤクモノ全体が回転する大当り中は、V入賞を妨げる強力な「障壁」となった。

よって、ラウンド前半はV入賞率が低めだったが、その分、後半に継続しやすく(クセ悪台を除く)、この「後半主導」の動きが出玉アップにも一役買っていた。


ヤクモノ6カウント、或いはハネ10回開閉で、回転中のヤクモノは停止(音楽も変化)。但し、この時は、通常時と天底(上下)が逆転した状態で止まる。

すなわち、「★」マークの付いた方が上段で、「▼」マーク側が下段という具合だ。


役物(大当り中、6カウント停止後)

ステージの上下が「逆転」する事で、上段ステージ中央に向った玉は、ハの字型の仕切りの間を通って下段に落ちる。もちろん、両サイドにバラければ、仕切りの外側に流れる。

通常時、玉をバラつかせがちなハの字の仕切りも、ひっくり返って上段に来た時は、逆に玉を中央に寄せ易くした。さらに、その後の玉の挙動も安定した為、下段ステージでもブレずに直進する事が多く、Vにも決まり易かった(クセ悪台はパンク多発)。


このように、本機は回転体が止まったラウンド後半に、Vへ入り易い設計になっていた。その為、継続率は高めで出玉も多く、8R完走で1000個近く出る事もあった。立て続けにVが決まって完走すれば、短時間で打ち止め(3000個~4000個主流)まで持って行けた。

もちろん、先述したヤクモノの「クセ」の良し悪しも、継続率に大きく影響した。しかも、ヤクモノに玉を飛びこませるには、寄り釘の調整も重要だった。いくらヤクが良くても、中に入らなければ無意味である。さらに運が悪いと、ヤクモノ停止後、上段センターへ玉が行かず、あえなくパンクする事も。

なお、「ラウンド後半でVに入り易い」とはいっても、それは、ヤクモノの回転が完全に止まった後の話だ。普通に打ち続けて、回転が止まる前に7個目以降を入れれば、その分、パンク確率もアップしてしまう。

そこで、ヤクモノ5カウントの時点で「単発打ち」に切り替えて、6個目が入賞したら一旦打ち出しを停止。、回転体が完全に止まったのを確認してから再び打ち出せば、継続率はアップした。細かいが、こうした「小技」の積み重ねも大切だった。

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