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Channel: まにあっく懐パチ・懐スロ
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お知らせ

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「需要」の有無は不明だが…

当ブログでしばしば扱う「90年代ドラマとパチンコ」に興味ある方へのご連絡。


CS放送ではあるが、映画チャンネルNECO(スカパー223ch、ひかりTV261ch、J:COM500ch)にて、以下の90年代ドラマが近日オンエアされる予定。


★2015年5月23日(土)14:00~

「この世の果て」(フジテレビ1994年、脚本:野島伸司、主演:鈴木保奈美、三上博史)
第2話「目の見えぬ純愛」
⇒冒頭、パチンコ店内のシーン。まりあ(鈴木)はフィーバークイーンII(SANKYO)でハマリ中。それを隣で見ていた士郎(三上)は、落ちていた一発の玉を弾くと、ビギナーズラックで見事フィーバー。2人は目覚ましやパジャマといった景品をゲット。ロケ地ホールはJR阿佐ヶ谷駅「PION」(閉店)。
※関連記事http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/0ffa65c35a89b5739b5e4271b25fdd2f


★2015年5月26日(火)14:00~

「家なき子」(日本テレビ1994年、企画:野島伸司、主演:安達祐実)
第5話「涙の約束!強欲スリ老婆の罠!」
⇒冒頭、パチンコ店内のシーン。すず(安達)は、ドル箱山積みで遊技中の老婆(菅井きん)から財布を奪って逃げる。それを追いかけるパチ屋の店員達。ロケ地は小田急線・読売ランド前駅「パチンコランド」(現存)。
※関連記事
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/18c4c1d1e5d111da19d7dcaa25c08558




それと、90年代前半の新宿(歌舞伎町)に思い入れある方には、こちらの映画もオススメ。
(チャンネルNECO)

★2015年5月29日(金)深夜2:20~

「新宿欲望探偵」(1994年公開、主演:寺尾聰)
⇒のんだくれの元刑事・草薙(寺尾)は、恩人である先輩刑事の不審死を契機に、新宿をネジロとする巨大シンジケート組織と対峙する。共演は高品格、森川由加里、大沢たかお(若手時代)など。「大都会」「西部警察」(もちろん「ルビーの指輪」も…)といった80年代の寺尾もカッコいいが、この時期の「煤けた」キャラも、哀愁タップリで味がある。なお、寺尾は本作公開の翌年(1995年)、藤竜也主演のパチンコVシネマ「裏ゴト師」に出演。

★2015年6月10日(水)21:00~
「眠らない街・新宿鮫」(1993年公開、主演:真田広之)
⇒歌舞伎町の悪に目を光らせる、一匹狼の凄腕刑事・鮫島(真田)。連続警官殺しのホシと目される、改造銃密造のエキスパート・木津(奥田瑛二)をマークして、執念で追い詰めていく。マドンナは田中美奈子。若手時代の浅野忠信も出演。パチ絡みのシーンでは、新宿・東南口のパチ屋「平和」(先ごろ閉店)の前でロケが行われており、当時の派手なネオン看板が確認できる。また、冒頭のシーンではコマ劇前のパチ屋「オデヲン」(閉店)も映る。


(参考)その他、90年代の新宿(歌舞伎町)がメインロケ地となった、映画・Vシネマ(抜粋)
「われに撃つ用意あり」(1990年、主演:原田芳雄)
「新宿アウトロー」(1994年、主演:渡辺裕之、中条きよし)
「エンドレスワルツ」(1995年、主演:広田玲央名)
「不夜城」(1998年、主演:金城武)
「犬走る」(1998年、主演:岸谷五朗)
「新宿少年探偵団」(1998年、主演:相葉雅紀、松本潤)
などなど…


※(業務連絡)過日、コメ欄でご紹介頂いた「新宿純愛物語」(1987年、主演:仲村トオル)、VHSにて楽しく拝見しました。映像資料としても大変貴重ですね。マドンナ役の一条寺美奈も、いい味出してました。彼女と同い年で大学の同期(学部は別ですが)だった事を知り、何となく嬉しくなりました。


タコスロ(瑞穂製作所、4号機)

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今回は、1996年(平成8年)に瑞穂製作所から登場した4号機「タコスロ」を振り返る。
(Aタイプ)


(ボーナス確率)

BIG
1/273.1
1/268.6
1/248.2
1/240.9
1/240.9
1/240.9

REG
1/468.1
1/468.1
1/468.1
1/468.1
1/409.6
1/364.1



(払い出し)

BIG(白7、タコの2種類あり)…15枚
REG(BAR)…15枚
スイカ…15枚
プラム…10枚
チェリー…通常時2枚、ビッグ中3枚
タコツボ…リプレイ


(後継機)

「オオタコスロ2」(2002年、エレコ)⇒A600大量出玉タイプ。プラムの押し順をナビする「タコゲーム」(TG)搭載。







1991年(平成3年)11月、3-1号機「コンチネンタルI」にまつわる不正で、「検定取消」の処分を受けてしまった瑞穂。そこから暫く「沈黙」を続けた後、5年経った96年10月に、ようやく同社初の4号機となる本機をリリース。

瑞穂の「復活第1弾」となった本機は、3号機時代と大きく趣が異なり、海洋生物の「タコ」(しかも鉢巻をまいた「タコのはっちゃん風」)がモチーフという、かなり「コミカル」な台に仕上がっていた(後続の「ライトアランプ」や「テンタクルス」も、海洋ネタを継承)。また、「白地に水玉模様」というリールにも、かつての瑞穂と一線を画する「意外性」が感じられた。粋なビッグ中の和風サウンドは、個人的にも好みの音だった。

一方のゲーム性に目を移すと、ズルリと大きくスベる香ばしいリール制御、シンプルそうで多彩なリーチ目、クランキーコンドルを凌ぐ高い技術介入性、甘いボーナス確率など、打ち手を惹きつける特色を多く持ち合わせていた。完成度は高く、「打てば打つほど味が出る」ような奥の深さがあった。

当時、どこかの雑誌が「タコと名乗ってはいるが、まるでスルメのような台」と評したのも、まさに言いえて妙であろう。


目押しの得意な人間にとっては、非常に「甘い台」として知られた本機(設定1でも機械割は100%を超えた)。だが、ビッグ中の正確な「ビタハズシ」が不可欠。ハズシに2コマ余裕があったコンドルよりも条件はキツく、座る時はそれなりの「覚悟」も必要だった。

たとえノーマルでもボーナスの波は荒めの印象が強い。ひたすら投資を重ねた後、ワンチャンスで2000枚くらい取り返す事もザラだった。もちろん、低設定域でもボーナス確率が高めだったからだが、個人的には「状態」を搭載した台だと思っている(笑)。


96年末の新装を経て、翌97年に入ると設置をグイグイ伸ばしていく。当時、技術介入性の高いコンドルが若年層に長くウケていたが、その盤石な「牙城」を崩したのが、同じユニバ系の本機だった。私自身も、コンドルに負けず劣らず、都内・神奈川のホールで多く対峙した。


なかでも、東京・新宿のスロ店「グリンピース」での実戦は印象深い。東南口エリアのシンボル「グリンピース新宿本店」では、3号機「コンチネンタルIII」と共に、地下1Fに長く本機を設置。コンチIIIを触りに地下へ降りたが、目押しを駆使するタコスロの先客に対抗心が芽生えて、思わず隣に座った事も多数。

また、靖国通り沿い(歌舞伎町)の「グリンピースタワー店」(閉店)に出向く機会も多かった。ここは「地下1F~5F」の計6フロアだったが、各階に個人的な「お気に入り台」があったからだ。
5Fはクランキーコンドル(シマには「戦場的」空気が漂った)、レインボークエスト、ワニマル。4Fはピンクパンサー3(CT機)、ゲッターマウスやサクセション。3Fはボーナスショップ(3Fで一番のお気に入り)、チェリー12X、ウルフエムX、それにマンクラといった具合だ。当のタコスロは、ニューパル、バーサス、アレックスらと共に、2Fにあった。そうそう、地下の「ゲゲゲの鬼太郎」(サミー)も、仕事帰りにタクシーで出向いてよく打ったな…。まぁ、いずれのフロアも、大変に味わい深いラインナップだった事は疑いない。名物の絶叫マイクパフォーマンスも懐かしいな。



★★リーチ目について★★

私は、「ここ」と決めた1か所ばかり狙うタイプだったので、リーチ目はさほど詳しくない。狙っていたのは、左リール上段に「BAR」(下にプラム(上にチェリー)が付いた方)。ここを狙えば、全小役をカバーできるし、「ビタ」か「4コマスベリ」時のみ注意すれば良く、ボーナスも察知し易い。特に、ズルリと4コマスベった時(5コマスベリかと思わせる、強烈なスベリ)は激アツだった(目押しが正確なら、「ビッグorスイカ」のハイチャンス。低確率状態らしき時にスベッたりしたら…)。まぁ、通常時が単調になり易い…という「弊害」もあった。


以下は、「左上段BAR」狙い時の主なリーチ目。なお、チェリー付きのものは、いわゆる「後目」(成立後のリーチ目)だが、特にバケの場合、後目で「入り」に気付くことも少なくなかった。

    リール配列



★最初に狙う箇所…左上段に14番(下にプラムの付いた)のBAR


ここを狙えば、全ての小役に対応可能。本機は、適当押しだとリプレイ以外の全小役をこぼす可能性がある為、小役狙い(DDT、KKK)の効果が非常に高かった。

但し、1コマ遅いとメイン小役のプラム(10枚)を取りこぼす為、注意が必要。なお、左上段にこのBARと「チェリー付きのタコ」を交互に狙う、「ロータリー打法」もあった。



A:左を1コマ早く押した場合(枠上にBAR、上段にプラム停止)

      
中段リプレイは鉄板…もちろん「後目」



スイカは、形次第でボーナス代用図柄にもなる。これは、左下段スイカからの「大山型」



B:ビタ止まり…左上段にBAR停止

完全ハズレ時は、必ずこの形で止まる。一方、ボーナス図柄の一直線、L字、逆L字、大V字などがリーチ目を形成。右上段のスイカが代用となる形もアリ(但し、1番のスイカは信頼度低い)。また、中・右リールのスベリでボーナス察知することも多い。目押しが正確なら、左上段にBARがビタ止まっての入り目はバケとなる(ビッグなら、左は4コマスベる)。

  

  

  

  

  

  

  

  

  





C:1コマスベリ…左上段チェリー⇒リーチ目は全て成立後

   
角チェリーの場合、一直線なら鉄板   3連チェリーはライン不問で鉄板



D:2コマスベリ…左中段チェリー⇒リーチ目は全て成立後

     
    鉄板の3連チェリー          中段チェリーなら、ボナ図柄で挟めば鉄板

     
    ハサミ打ちなら二確            BARのハサミ目でもOK


      順押し二確目



E:3コマスベリ…左下段チェリー⇒リーチ目は全て成立後

    
角チェなので、一直線で鉄板          3連チェリーは鉄板


F:4コマスベリ…左下段に白7停止
目押しが正確なら、左がここまでズルッとスベれば「ビッグorスイカ」。つまり、スイカハズレで「入り目」となるので、リーチ目に頼らずともボーナスを察知できる。左上段BAR狙いでは、この瞬間が最もアツい。但し、左の目押しが甘いと、チェリーやプラムのコボシでスベって来る事もある。以下は、「スベリ不問」でリーチ目の形。

  

  

  

  

  



G:左の目押しが遅かった場合、さらに1コマ下の「スイカ・リプ・スイカ」で停止する事アリ

この形がスベリを伴った場合は、ボーナス、スイカ、チェリーコボシ、プラムコボシの可能性あり。但し、以下の形は立派なリーチ目。

  

  


       ハサミ2確目




★★リプレイハズシについて★★

本機はリプレイハズシ効果がきわめて高く、適当押しと比べて約50枚もの差が付いた。但し、先述の通り「ビタハズシ」が不可欠の為、相応の目押し力も要求された。

目押しに自信がある場合、1、2回目の小役ゲームは順押しで小役を狙い、3回目の小役ゲームからハズせばよい。一方、ビタに自信のない人は、保険ハズシで「1回目は残り25G、2回目は残り17G、3回目は残り9G」まで引っ張る手順もあった。

ハズシ手順(中押しと逆押しの手順があるが、今回紹介するのは中押し)。
※逆押し手順はネット上に幾つも紹介例があるので、そちらをご参考に…


(1)

中リール上段に白7をビタ押し。


中上段に白7がそのまま停止したら、ハズレorスイカorチェリー(ほぼハズレ)。左上段にも白7を狙う。左・中とスイカがテンパったら、右にもスイカを狙う。


(2)

目押しが不正確だと、白7が中段に止まる事がある。やはり、ハズレorチェリーorスイカ(ほぼハズレ)なので、左上段に白7を狙い、スイカがテンパったら右も狙う。


(3)
     
目押しが不正確の場合、白7が下段に止まる事もある。この形はプラムなので、右を適当押しでプラムを上段にテンパイさせて、左もプラムを狙う(チェリーで蹴られない箇所を)。


(4)
      
中リールが3コマスベッたら、リプレイorプラム。右リール枠上にはタコをビタ押し。右を適当押しだと、プラムとリプレイがWテンパイする事があり、目押しが難しくなる。それを避けて、単独テンパイに限定する方法。

  
タコがそのまま枠上に止まったら(右上段にプラム停止)、左にもプラムを狙う(チェリーで蹴られないよう注意)。

  
リプレイが上段受けになったら、左枠上に「下にプラム(上にチェリー)の付いたBAR」をビタ。ミスの許されない、緊張の一瞬。
※BARより「タコ」の方が見やすい人は、チェリー付きのタコを左枠上ビタでも良い。


ハズシ成功時は、このようにBARが上段に停止する。


(5)
  
中リールが4コマスベッたらリプレイ確定。右は適当押しで、リプレイをテンパイさせる。


ハズシは、「BARの下のプラム」(タコ下のスイカでも可)をテンパイラインにビタ。何度直面しても、緊張する瞬間。


★★残り8ゲーム以降は、順押し・小役狙いに切り替える。




なお、保険ハズシでも不安な人の為に、「カラ回しハズシ手順」も考案された。
左リールを特定形(準備目)で止めれば、次ゲームでハズす場合、逆押しでリプレイをテンパイさせたら、左リールを約40秒カラ回しさせて、自然停止で勝手にリプレイが外れる、というもの。
手順はやや面倒だったが、相応の効果はあった(流石に40秒待ちは長いが…)。

最初に狙う箇所は、中リール上段に白7をビタ。リプレイを「上段受け」に限定する事で、準備目を最大限生かした格好だ。具体的な手順は、以下の通り。


(A)中リールがそのまま停止(白7上段停止)

この場合の準備目は、左リールに「スイカ・タコ・プラム」
(次プレイ、リプレイが上段受けならカラ回しで外せる)


(B)白7中段停止(最初の中リールビタに失敗すると止まる)


(C)白7が下段停止(中リールのビタに失敗した場合)



(D)中リールが3コマスベッた場合(リプ・プラム・チェリー)





(4)中リールが4コマスベッた場合(タコ・リプ・プラム)




※準備目でビッグを揃えるには(小役Gの1P目にリプが来る事を想定)、左「スイカ・タコ・プラム」から中段タコ揃いでOK。また、最終JACゲームでも左に「スイカ・タコ・プラム」を出しておけば、次ゲームでJACINが来た場合、カラ回しで対処可。

Youtube 90年代動画紹介(8)

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今回は、できるだけ「シンプル」を心がけて…


Youtubeの神投稿者、ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)の1990年代レア映像を紹介。

https://www.youtube.com/watch?v=IrKVPPUjq5o


「JR水道橋駅」界隈をとらえた散策動画。駅西口よりスタートして、後楽園(東京ドーム)エリアに入った後、三崎町、神保町(専大前)、九段下、皇居方面へと進み、地下鉄・桜田門駅に至る。


特に、動画の前半では、「コンドル」「丸十」「オリンピア」など、今はなき水道橋の各ホールの「雄姿」が映っており、当ブログ的にも貴重な「映像資料」となっている。


撮影時期は「1990年(平成2年)6月」とのこと。個人的には、パチを初めて2ヶ月という初心者の頃。当然だが、打つ台打つ台がどれも新鮮だった。自分のパチ・スロ歴の中で、もっとも「郷愁」を感じる時代だ。


(補足説明・・・パチ絡みのシーン中心)

3:36・・・西口改札前のパチンコ店「コンドル」※(閉店)のネオン
※跡地は現在「エクセルシオールカフェ」

3:42~3:49・・・「コンドル」のネオンと入口

3:50~4:19・・・「コンドル」店内
⇒1F上部や2Fのフェンスに、設置台を手書きしたPOPがペタペタと貼ってある。「(スロット)リバティベル」「ベータ」「スタヂアム」「スパンキー」「ブラボーキッド」など。1.5号機「ファイアーバード7U」を遊技中の客も映る。

4:40~4:44・・・「コンドル」のネオン

5:08・・・「コンドル」の赤い看板

(パチ絡みではないが、後楽園(東京ドーム)エリアの懐かしい映像)
5:36~5:52・・・ドーム手前のゲームセンター(パックマンの音が大きく聞こえる)
6:00~6:38・・・ゲーセン並びの「山下書店」(数年前にクローズ)の店内

7:08と7:27・・・いずれも一瞬だが、「みとやA館」(現存)が映る。ここは、4号機時代にニューペガ(白パネル)やコンチIを置いていた(撮影時、コンチは導入前)。

7:49~8:03・・・「パチンコ丸十」※(閉店)の店内(店員のマイクパフォとドリームXのBGMが目立つ)。店を出る時に、道路向かいのパチ屋「オリンピア」※(閉店)のネオンも見える。

※「丸十」跡地は現「日本海庄や」。「オリンピア」跡地は現「ファミリーマート」(はなまるうどん)。


もちろん、他にも見所はわんさとあるので、ぜひ最後まで通してご覧を。なお、かつて神保町にあった香ばしいパチ屋「ポニー」「アリーズ」「バンビ」(「大学院」)の姿は、惜しくも確認できず。

ピンクパンサー3(山佐、4号機)

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1999年(平成11年)に山佐から登場した4号機「ピンクパンサー3」
(Bタイプ、CT搭載)



THE PINK PANTHER and associated marks and characters TM &©1999
United Artists Corporation All rights reserved.
TM©1998 United Artists Pictures Inc.Licensed by MGM Consumer Products.




★払出し
「赤7揃い」「青7揃い」「赤7・赤7・赤ダイヤ」・・・15枚+ビッグボーナス
・「ダイヤ・ダイヤ・赤ダイヤ」・・・15枚
・ダイヤ・・・10枚
・バッジ・・・8枚
・チェリー・・・1枚
・クルーゾー・・・リプレイ


★ビッグボーナス確率 (通常時小役狙い+リプレイハズシ使用時の機械割※)
設定1  1/260.1 (100.138%)
設定2  1/234.1 (105.938%)
設定3  1/210.1 (112.534%)
設定4  1/188.3 (119.911%)
設定5  1/168.9 (128.058%)
設定6  1/147.6 (139.376%)

※「通常時小役狙いとハズシ効果はそれ程高くなく、実際の割はもっと低い」とする説もある。但し、本機は小役カウンター非搭載で、小役狙いの効果はあったし、ハズシについても、手順次第である程度の枚数アップは見込めたと思っている。




★小役確率
(通常時)
・1枚チェリー(中段)・・・1/5.9
・2枚チェリー(角)・・・1/23.4
・8枚(バッジ)・・・1/11.8
・10枚(青ダイヤ)・・・1/252.1
・15枚(青ダイヤ・青ダイヤ・赤ダイヤ)・・・1/1092.3

(ビッグ中)
・8枚・・・1/2.5
・JACIN・・・1/3.3(3枚掛け時)※
・10枚・・・1/252.1
・1枚チェリー・・・1/328.7
・2枚チェリー・・・1/328.7
・15枚・・・1/1092.3
※1枚掛け時=1/4.7、2枚掛け時=1/4.1

・JACハズレ・・・1/8192


★レギュラーボーナス非搭載


★CT(チャレンジタイム)搭載
・抽選契機・・・ビッグボーナス当選
・突入率・・・1/2(全設定共通)
・CT中は、第1、第3停止リールが「無制御」、第2停止リールが「引き込み制御」に変化。
(リプレイとボーナスは、フラグ未成立だとビタ押ししても揃わず)
・終了条件・・・純増200枚オーバー、60プレイ消化、ビッグ成立



(CTに関して)

ご存知の通り、4号機の「CT」(チャレンジタイム)は、役当選でビッグ終了後、リールが「無制御」(又は「無制御+引き込み制御」)となり、目押しで小役を狙い続けて、一定枚数までメダルを増やしたら現状維持でボーナス当選を待つ(規定プレイ消化でCTは終了)・・・というものだった。

このCT機が世に出る「経緯」を簡単に振り返ってみると、そもそも、パチンコに続いてパチスロでも「CR機」の登場が噂された事が契機だった。CRパチスロは、パチンコにならって「ビッグ後の確変機能」が認められると、密かに期待されていた。しかし、当局の方針により認められず(1995年末)、業界は落胆したが、確変に代わる新たなゲーム性を模索した。そして、一定の技術介入を駆使してビッグ後にコインを増やせる、「チャレンジタイム(CT)」という機能を編み出すに至った(1996年10月)。

ビッグ、レギュラー以外でコインを増やす従来機能としては、2号機から搭載された「シングルボーナス集中」があった。また、2号機では「フルーツゲーム」と呼ばれる小役の集中も認められた。一方、4号機の「CT」は、コイン増加を見込める点で集中と類似するが、その仕組みは従来機と大きく異なるものだった。

1997年5月に開催された「’97 パチンコ・パチスロの新型機発表展示会」(於・ホテルパシフィック東京)において、各メーカーは「試作CT機」を出展。このイベントでは、内規変更を受けて、パチンコの「新基準機」(確変リミッター付)が出展されたが、パチスロでも、サミー、ネット、ユニバーサルなど計11社が、「参考出展」という形で独自に試作したCT機を披露した。

この時、山佐も試作機を出したが、他社と同様に機種名はなく、下パネルに「チャレンジタイム/展示用試作機/デモンストレーション中」の文字が、ただ無機質に書かれていた。図柄は、大きなスイカなどがあって「ニュービッグパルサー」に近く、CT終了条件は「40プレイ消化、純増200枚以上、又はビッグ成立」となっていた。

但し、ここで出展された試作CT機は、いずれも保通協の検査で「不合格」となっており、実際ホールに出回る事はなかった。

この展示会から9か月後の1998年2月、千葉の幕張メッセにおいて「’98 パチンコ産業フェア」が開催され、ネットの「クロスCT」とサミーの「ウルトラマン倶楽部3(マンクラ)」の2機種が、「保通協を通過したCT機」として注目された。

なお、時期的に重なる両機だが、保通協通過の早かった「クロスCT」が、「業界初のCT機」(試作機を除く)となる。但し、ホール導入はマンクラの方が先だった為、当時の攻略誌の多くが、マンクラを「CT機第一弾」と紹介している。

同フェアでは、日電協の専務理事(当時)だった上田氏が、CT機開発にまつわる背景を語った。同氏によれば、CT機は96年の「業界自粛騒動」が開発の契機とされるが、実際は、その前から遊技性を向上させるべく、密かに開発が進められていたという。

上記CT2機種は、いずれも適度な「技術介入性」と「瞬発力」を兼ね備えていた。特に、サミーの「マンクラ」は導入率も高く、攻略意欲の高い若者のハートを掴んで大ヒットした。一方、ネットの「クロスCT」はゲーム性こそ優れていたものの、導入率ではマンクラに及ばなかった。これを契機に、他メーカーからもCTを搭載した新機種が続々リリースされた。

こうした流れの中、1999年(平成11年)3月に出た山佐初のCT機が、今回紹介する「ピンクパンサー3」だ。なお、同社は他にCT4号機を出しておらず、まさに最初で最後のCT4号機である。




(当時の実戦店)

本機を最初に打ったのは、小田急線・新百合ヶ丘駅北口の「Z」(現存)というホール(2F)。もともと、隣駅の「J」(現存)という店で、先行機の「ピンクパンサー」(初代、Aタイプ)を頻繁に打っており、大好きなピンパンの後継機がCT搭載で復活した事が、何とも嬉しかった。その後、本機と初代ピンパンを両店で堪能した事は、言うまでもない。

ビッグ中のサウンドは初代譲りのテーマ曲だったが、初代より本機の方がテンポが速く、メロディも微妙に違う箇所があった(JACサウンドも異なる)。

嬉しいような悲しいような「CT突入後の1ゲーム連」も、まさかの「ストレート1000ハマリ」も、「Z店」で最初に体験した事を思い出す。Bタイプでビッグ枚数が少なく、ノーマルビッグだと結構飲まれるのが早く、知らぬ間に投資がかさむこともあった。突入率1/2のCTも、妙なヒキの偏りで立て続けにCTがループしたり、引けども引けどもCTに入らなかったりと、波荒の一面も見せた。

また、新宿・歌舞伎町の「グリンピースタワー店」(4F)にも本機が設置されており、仕事帰りに丸の内からタクシーをすっ飛ばして直行・・・という「愚行」をよくやった。7枚交換のタワー店は、等価のZ店より平均設定は高い筈だったが、夕方の実戦で露骨な高設定を掴むのは容易でなく、適当な空台に座っては「マグレ一発」を狙っていた。それでも、本当にマグレが来ることが幾度もあった。なお、GPタワーは長らく(2006年の前半辺りまで)本機を残してくれた。


シンプルなようで奥深いリーチ目、リール上のLEDを活用した2種類のCT抽選演出、正確な目押しが求められたCT、Bタイプならではの甘いビッグ確率、連チャンでツボにハマった時の爆発力など、今振り返っても完成度の高いマシンだったと思う。

ただ、惜しむらくは、同時期に大ヒットしたアルゼ(当時)のCTマシン「アステカ」と、稼働時期が被ってしまった事だろう。これさえなければ、さらに名の知れた大ヒット機種になった筈だが…今さら嘆いたところで、仕方がない。




(主なリーチ目)

私の場合、いつも左リールは「青7・ダイヤ・バッジ」を狙っていた(チェリーをカバーする位置)。
その為、今回紹介するリーチ目も、そこからの派生型が多いが、ご了承の程を。

また、本機ではリーチ目の他に、リールの「スベリ」でフラグ判別できるケースも少なくなかった(4コマスベリで7がテンパったり、ハサミ打ちで右が4コマスベッて、ダイヤがズレたり・・・)。


ビッグ図柄の一直線なら、どの組合せでも全ライン鉄板。


左・角チェリー付ビッグ図柄の中段ハサミ目(鉄板)。右は赤ダイヤでも可。


左・中段チェリー付きビッグの対角ハサミ目(鉄板)。


ダイヤの「ダイヤ型」(菱型)・・・様式美を感じる形。


バッジのダイヤ型(鉄板)。


リプレイのダイヤ型。左下段にチェリーがなければ鉄板。


ビッグ図柄が対角に止まり、中リールに「ダイヤ・チェリー・ダイヤ」が停止。


中リールの中段ダイヤも、左右対角に7が挟めばリーチ目。


上段青7狙い時、よくお目にかかった「二確目」。但し、中リール青7の下はチェリーが条件。


右「チェリー・チェリー・青7」も超強力な目。青7の対角ハサミは、問答無用で二確。


左中段のダイヤの上が青7なら、右停止を待たずして二確。


ハサミ打ちだと、特にアツい。中リールでダイヤがハズれればOK。


上段青7狙いでハサミ打った時、右「リプレイ・バッジ・リプレイ」が停止すれば二確。


中リールでバッジが外れれば入り。


中段ダイヤハズレ目。


小役のWテンパイ。中リールでダイヤとバッジが外れればOK。


大抵バッジが揃うが、トイレ目にして席を立ち、戻るとバッジが外れてビックリ・・・のパターンも。

   
バッジの下段テンパイは、中・上段が「赤7」以外ならバッジハズレ目。


バッジの右上がりテンパイ+右下段に赤ダイヤが停止。


青7右下がりテンパイから、右枠下に赤ダイヤ停止。コンドルを彷彿とさせる目ともいえる。


中段ダイヤテンパイハズレ。


中段「リプ・リプ・ビッグ図柄」も強力な目。但し、左下段が青7だとNG。


中リールの「リプ・赤7・リプ」(強い形)を絡めた、いかにも山佐らしい小V型のリーチ目。


左上段赤7狙いなら、この形も頻繁にお目にかかる。


トリプルテンパイ・・・小役ハズレ目


小役ハズレ目。


この形は二確。




(CT抽選演出)

本機には二種類のCT抽選演出、即ち(1)ビッグを揃えた時、リール窓上のLED(計12個)ランプが3個まとまって左⇒右に走る「CTセンサー」と、(2)ビッグ終了後、LEDが左⇒右に1個づつ点灯していく「CTジャッジ」が存在した。前者は「ピカ吾郎」、後者は「ビッグウェーブ」(イカチェック)を踏襲したもので、ビッグの前後でCT演出が起こる、香ばしいゲーム性となっていた。前者はチャンス演出(一部は確定演出)、後者は完全告知的な意味合いを持つ。

★CTセンサー
・原則的に、LEDの停止位置が右に行くほど、CT期待度も高くなる。
・LEDのアクションは、ノーマル、ハイ&ロー(一旦停止後、再始動で「123」(ハズレ確定)か「101112」(CT確定)で停止)、ハイパー(CT確定のプレミア)の計3つ。ハイ&ローは、ビッグ後の「CTジャッジ」を待たずして、当否の結果が判る「先告知」パターン。
また、揃えたビッグ図柄によって、LED停止位置の意味合いも異なる。詳細は、以下の表を参照。


※(赤枠)・・・CT確定のLED停止パターン。「10・11・12」停止は、どのビッグ図柄もCT確定。
※いずれのビッグ図柄も、LED停止位置の振り分け率(選択率)と各々の突入率を計算すれば、全体的なCT突入率は、ピッタリ「1/2」となる。

表から判る通り、CTセンサーは、揃えたビッグ図柄によって、停止位置の選択率(振り分け率)が異なる。また、同じ停止位置でも、揃えた図柄でCT突入率が異なる(「10・11・12」を除く)。具体的には、揃えたビッグ図柄毎に、以下の特徴がある。


「赤7」・・・停止位置の振り分け率に極端な差はなく、LEDはどの位置でも万遍なく停止。また、原則通り、LEDが右に行けばいくほど、CT突入率もアップする。

「青7」・・・「10・11・12」の他、「345」「789」で止まってもCT確定。それ以外の箇所で止まった場合は、LEDの一番左が「奇数」ならCT期待度が高い。その分、左奇数の選択率は低い。

「赤7・赤7・赤ダイヤ」・・・CT期待の薄い位置(123、234、345)で停止しやすい反面、CT確定の「101112」で停止する確率も高い(丁半バクチ的な振り分け)。「123」を除いて、「一番左の数字×10」が、ちょうどCT突入率になる。また、LEDアクションは、ノーマルよりもハイ&ローやハイパーになり易い。


★CTジャッジ・・・ビッグ終了後に、ビッグウェーブの「イカチェック」よろしく、左から右にLEDが1つづつ点灯(徐々に高くなる効果音も特徴)。10~12の範囲で止まればCTが発動、9以下ならハズレという「完全告知」演出。LEDアクションは、ノーマル、2段階、スーパー、プレミアの計4つ。スーパーとプレミアはCT確定の演出。



(リプレイハズシ)

「逆押し」と「中押し」の手順があるが、今回は逆押しを紹介。
※時間効率を優先させて、完全順押し(適当打ち)でも可、とする考えもあった。

本機はBタイプで、小役ゲームは2回のみ。1回目は順押し小役狙い、2回目からハズシを行う。

ハズシ手順
(1)右リールの中段or下段に赤ダイヤを狙う。
(2)中リールは適当押し。バッジテンパイなら左にもバッジ狙い。この時、「下にチェリーが付いた赤7or青7」を下段に狙えば、取りこぼす心配はない。
(3)リプレイテンパイ時は、左に「青7下のダイヤorその下のバッジ」をテンパイラインに狙えば、ライン不問で外せる。但し、リプレイ上段受けは、左「チェリー・赤7」で外した方が容易。
(4)残り9Pで、順押しに切り替える。

※一説では、ビッグ中に変則押しをすると、特殊な制御(イジワル制御)が働き、8枚役の取りこぼしが多発するといわれた。逆押し時も、最初に赤ダイヤを「上段」に狙ってしまうと、「中下段」に狙った時より、8枚役の出現率が悪化した実戦データもある(但し、資料不足で真偽は不明)。



(CTの消化手順)

さて、本機最大の「お楽しみ」が、ビッグ後のCTジャッジ、そして当選後の「CT消化」である。
(CTセンサー及びCTジャッジについては既述)

CT中は、第1停止リールと第3停止リールが「無制御」に、第2停止が「引き込み制御」になる。その為、目押しを駆使すれば、15枚役(ダイヤ・ダイヤ・赤ダイヤ)を連続で揃える事も可能。

一方、CTの終了条件は、「純増200枚オーバー、ビッグ後60プレイ消化、ビッグ成立」の3つ。

CTの獲得枚数は、リール上のLEDが20枚単位で示唆。また、リール窓左下の7セグで、残りプレイ数を表示。さらに、ラスト10Pから効果音のテンポが上がり、やはりCT終了の目安になる。


順押しの場合、まず左枠内にダイヤを狙う。第二停止の中リールは引き込み制御が働き、左枠内にダイヤがある場合は、適当押しでも中リールにはダイヤがテンパイする。一方、ダイヤが左枠内にない場合でも、バッジが左枠内にあれば、左⇒中でバッジをテンパイさせる制御になっている。

ダイヤがテンパったら、右リールは、「ダイヤ・赤ダイヤ・ダイヤ」のかたまりを目安に、テンパイラインに赤ダイヤをビタ押し。成功すれば「ダイヤ・ダイヤ・赤ダイヤ」で15枚、±1コマで止めても、ダイヤが揃って10枚獲得となる。

但し、左はビタ制御なので、左枠内に必ずダイヤを狙う(適当押しは厳禁)。この時、チェリー付きダイヤを狙えば、右のビタ押しに失敗しても、ダイヤとチェリーの複合役で12枚となる。

なお、アルゼ系のビタ押しに慣れると、ビタのつもりでも、若干早めに押してしまう傾向があった(気がする・・・)。

そのまま15枚を取り続けると、上部LEDの点灯数が徐々に増えていく。1個点灯毎に「+20枚」で、9個点灯なら(10個目が点滅)、純増「180枚~199枚」を意味する。

但し、純増200枚オーバーでCTは終わってしまう為、そこから「現状維持」に切り替える。手順は色々あるが、例えば「バッジ(8枚)を1回取ったら(純増5枚)、2枚(角)チェリーを5回取る(5枚減)」を繰り返してもOK。とにかく、10個目のLEDが点滅したら、うっかり15枚や10枚を揃えて、CTを終わらせないよう注意する。左・中でダイヤがテンパイしたら、右は赤ダイヤが通り過ぎてから押せばよい。

ちなみに、CT中に「中⇒左」の順で押した場合(中押し)、第二停止時は、左リール中段に「チェリー」(1枚)を引き込む制御が働く(チェリーを下段に狙った場合は、そのまま下段にビタ停止)。左・中段にチェリーが止まれば、15枚は絶対に揃わないので、現状維持中なら「不慮の事態」を避けるべく、中押しも有効だった。

一方、CT中に「右⇒左」の順で押すと(逆ハサミ)、右枠内にバッジがある場合は、左でバッジをテンパイさせる制御が働く(右にバッジがない場合は、中押しと同制御)。よって、枚数調整でバッジを揃えたい場合、逆ハサミも有効。但し、チェリーとバッジが複合テンパイする事もアリ。

なお、本機のCTは「60P」終了と短く(あまりダラダラ長いよりも良い、と評価する声もあった)、CT序盤でモタついたり、目押しが不正確だったりすると、MAX枚数が取れない恐れもあった。やはり、正確な目押しで早くMAXの上限に近づけた後、現状維持を行う方が有利となった。

因みに、CT中は、第2停止リールが「引き込み制御」となり、順押しなら中リールにダイヤを積極的に引き込む(テンパイ制御)。したがって、左枠内にダイヤが止まったが、第二停止で中リールのダイヤがズレたら、リプレイテンパイ時を除いて「二確」となる。何気にドキッとする瞬間だ。



余談・・・ボス・竜吉・ネギ坊のCT機対決(本誌及びスロマガビデオ)

かつて(2000年)、スロマガの攻略軍団「キングコング」新リーダーの座をかけて、ボス・竜吉・ネギ坊(いずれも、当時スロマガ所属)の3名が、人気CT機で「ビッグ50回早掛け対決」を行う企画があった。会場は歌舞伎町・靖国通りの「新宿グリンピースタワー」。ボスは4F「ピンクパンサー3」、竜吉は3F「ウルトラマン倶楽部3」、そしてネギ坊は2F「ワードオブライツ」を対戦台に選択。

結果、3名とも(恐らく設定6)9000枚レベルの大勝ちとなったが、ピンクパンサー3を打ったボスが、現リーダーの「貫録」を見せつけて最速で50回に到達、終日でもビッグ60回を記録して圧勝した。勝者一名がレシート総取りのルールだった為、万枚近いレシートを3枚ゲットしたボスは、まさにウハウハ状態(「財布の中身が空だったのが勝因」と、冗談ぽく発言)。それとは対照的に、終了後、竜吉が力なく発した「また、タダ働きだよ・・・」の台詞も印象的だった。ネギ坊は、前半はCTのヒキが異常に良く、出玉でも突っ走っていたが、終盤にハマってしまい、ビッグ50回に届かず。もしや、当日遅刻したせいで、勝負の神様に怒られた?

(最終結果)
優勝・・・ボス(ピンクパンサー3)・・・ビッグ60回(CT30回) 9889枚獲得
     竜吉(ウルトラマン倶楽部3)・・・ビッグ57回(CT24回) 9793枚獲得
     ネギ坊(ワードオブライツ)・・・ビッグ48回(CT28回) 8863枚獲得

ザ・ローリングアドベンチャー(サミー、アレパチ)

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~平成初期マイナー機列伝~

1990年代前半の、「知る人ぞ知る名機」を振り返るコーナー。




1992年(平成4年)にサミーから登場したアレパチ「ザ・ローリングアドベンチャー」


文字通り、「秘境の冒険」をモチーフにした本機。盤面の「ドクロ」が物騒な感じもしたが、その中身は、デジタルとアナログを融合した香ばしいゲーム性だった。


当時、藤商事、太陽電子、三共といったメーカーが「新要件・連チャンアレパチ旋風」を起こす中、パチスロでお馴染みのサミーが、92年末に本機を「刺客」に送り込んできた。
やや唐突ではあったが、元々サミーは、旧・里見工業の昭和期からアレンジボール、アレンジフィーバー、雀球を製造する「元祖アレンジ」のメーカーで、そうした「本家」の意地もあろう。

デジタル当選⇒(電チュー入賞)⇒ヤクモノ振り分けをクリアして大当りする「3クッションタイプ」。当時のアレパチブームよろしく、デジタルの強力な連チャン性もウリだった。

加えて、この連チャンを延々とループさせる、強力な「攻略ネタ」も発覚、一時期注目を浴びた。但し、自分の活動エリアではマイナー機扱いで、設置を探すのが最大のネックとなった。



★ゲーム性の説明

※本機はアレパチなので、16発打つたびに一旦ゲームオーバー⇒リセットとなる。

盤面左肩に赤い7セグデジタル(2ケタ)、その下に「GO」と書かれたスルーチャッカーがある。

「GO」通過で、7セグが変動を開始。ここに「33」或いは「77」が出ると、天下の電動チューリップが、約3秒開放する。

通常時のデジタル確率は「1/50」と甘め。なお、電チュー開放の途中で16発目を打ち切って入賞しなかった場合、いったん電チューは閉じるものの、次ゲーム開始後に再び開く仕様で、電チュー入賞は容易。

但し、これで最終的な「大当り」ではない。さらに、センター役物による振り分けがある。

電チューに入賞した玉は、その下の一穴クルーン(振分けなし)をしばし回った後、さらに下のメイン役物に落下。役物奥から外周のレールを回るように伝って、手前中央に転がる。
(機種名の「ローリング」は、クルーンとメイン役物での玉の動きを示唆したものだろう)。

役物中央には、一定の間隔で開閉動作を続ける小さな「橋」があって、玉の到達と橋の開閉タイミングがピッタリ合うと、玉は橋に乗って奥へ転がり、V穴に入って権利発生(大当り)となる。

デジタルが甘い分、役物振り分け率は(クセにもよるが)1/7~1/9程度とややキツめだった。

なお、役物に入った時、タイミングを計って「ドツキ」を行い、無理やり橋に乗り易くさせるという荒業(「反則」ともいう)もあった。



大当り中は「右打ち」で消化。盤面右肩にラウンド数を示す2ケタの7セグ、その下に「OPEN」と書かれたスルーチャッカーがある。

「OPEN」通過で、右下の電動チューリップが開放する。電チュー入賞で、下段ナンバーポケットの「11、12、13、15」が点灯して、さらに得点も「2倍」となる。

下段ポケット(右)の「13、14、15、16」が全て点灯すると、ジャックポットで「3点」入る。通常、「13」と「15」に入りにくいゲージだが、電チュー入賞でジャックポットは容易だ。さらに、「11、12」も点灯する為、「11~16」が全点灯して(得点2倍も絡み)、MAXの「10点」(160発)を毎ラウンド獲得できる仕組み※。

※アレパチでは、下段ナンバーポケット(1~16)が4つ連続して点灯すると、通常「1点」入る。大当り中の右打ちで「11~16」が全灯した場合、「11、12、13、14」「12、13、14、15」「13、14、15、16」で「計3点」。また、「13~16」全灯なのでジャックポット=「3点」。さらに、電チュー入賞の「2倍」が絡むので、容易に最大の10点に到達する。

計14ラウンドで出玉は2000発弱。もちろん、連チャンが絡めば一気に箱積みも可能(後述)。



★強力な連チャン性

当時の「連チャンアレパチ」ブームを反映するが如く、本機もデジタルの強力な連チャン性を持ち合わせていた。解析資料が手元になく詳細システムは不明だが、挙動からみて、おそらくは定番の「モード移行」を採用していたハズだ。

連モードに入ると、大当り終了後5回転以内に、再びデジタルに「33」「77」が揃う事が多い。通常の「1/50」から、連モード時は「10倍」程度アップしたハズだ。

もちろん、役物での振分けもあった為、「デジタル当選=即・連チャン」ではないが、一旦役物で外れてもデジタルが繰り返し揃うので、V獲得のチャンスは何度もあった。

モードの振り分けは、大当り毎(最終ラウンド)に行われていた(と思われる)。よって、大当り後、デジタルを15回転ほど回して当らなければ、通常モードと判断して止めるのが賢明。

また、連モードでスタートしても、50回転程度デジタルを回してVに決まらないと、やがてデジタルすら揃わなくなる。連モード滞在中、約1/50で通常に転落する仕様だったのだろう。

因みに、通常時の初当り(デジタル当選)も100回転以内である事が多く(実戦データ上)、露骨な低確率の「ハマリモード」は、搭載していなかったと思われる。



★強力な「攻略法」の存在

本機には、ある特定の「条件」を満たすと、大当り後、必ず連チャンモードに入る特徴があった。

しかも、その条件を、打ち方次第で「意図的に狙えた」のだ。

内容は非常にシンプルで、自力で大当りさせたら、最終の14ラウンド目に、盤面右の電チューを「3回以上」オープンさせる。

たったこれだけの条件で、大当り後は連モードからのスタートとなる。まぁ、内部上、電チューの開放回数が、移行モードと直結していた事は明白だろう。

基本的には、最終ラウンドでOPENチャッカーにタイミング良く3回入れば、電チューも3回開く。但し、電チュー開放中にOPENを通過した玉は、全て「無駄玉」となってしまう。当然、普通に打ち続けていると、リミットの「16発」以内に電チューが3回開かないケースも出てくる。

これを防ぐ為、13ラウンドまでは普通に打ち、14ラウンドになったら「単発打ち」に切り替えて、OPENチャッカーに1個づつ確実に通す。また、1、2回目の電チュー開放中も打ち出しを停止。こうすれば無駄玉も減って、より確実に16発で電チューを「3回」以上開かせることが出来る訳だ。もちろん、OPENチャッカーの釘調整が甘いほど、攻略も成功しやすくなる。

場合によってはデジタルの「半永久的な連チャン」も可能で、このネタで荒稼ぎする攻略プロも現れた。当然、店側も設置を躊躇したり、早急に撤去したりするケースが増えた訳で、結果的には、「マイナー路線」を決定づけるネタとなってしまった。

パチキング(豊丸、権利物)

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1992年(平成4年)に豊丸から登場した新要件権利物「パチキング」

★賞球・・・7&15
★電チュー、回転盤、7セグを使った3クッションタイプ(7セグはラウンド数を決定)
★連チャン性・・・アリ(大半は、大当り終了後1回転での連チャン)


前回紹介したザ・ローリングアドベンチャーもかなりのマイナーだったが、コチラも正直マイナー機だった。機種名「パチキング」は、当時の藤商事の人気アレパチ「アレキング」を意識したようにも思えた。

私自身、新宿東口のスタジオアルタ裏にあった「モナコ」でしか、本機を打った事がない。その「モナコ」でも、半年ほどで姿を消したと記憶。ゲーム性は十分楽しめただけに、もう少し生き延びてくれても良かった気がするが・・・。

当時の豊丸からは、本機や「ビッグウェンズデー」(お馴染みの爆連機、時間で連チャン管理)、「クーベルタン」(3回権利)など、「電チュー、水平回転盤、7セグ」を組み合わせた権利物や一般電役が幾つも登場した。なお、本機登場の翌年にデビューした一般電役「ヤングマン」(1993年、連チャン機)は、「電チュー、3穴クルーン(コンビタイプ)、7セグ」を搭載。



(ゲーム性)



(1)左下のスルーチャッカーA通過で、天下の電チューBが0.3秒開放。チャンスは短め。

(2)Bに拾われた玉は、真下のセンター役物Cに入り、約6秒周期で回り続ける(時計回り)、6穴水平回転盤にアプローチする(ニューギンの「ダブルエース」と同タイプ)。V穴は1つで、残りはハズレ。この手の6穴回転体は、「ダウンタウン2」「ビッグウェンズデー」「クーベルタン」そして本機と、当時の豊丸の「流行り」でもあった。

(3)うまく回転盤のV穴に入ると※、2桁の7セグデジタルDが変動を開始する。
※V穴入賞率は、同じ6穴回転体の「ビッグウェンズデー」よりも、本機の方が低い(クセにもよるが、1/7~1/10程度)。その理由は、(a)「ダウンタウン2」と同様、V穴の周りをガードする突起が付いており入賞しづらく、しかも(b)構造上、V穴が正面付近に回って来た時しか、V入賞のチャンスがなかったからだ(一方のビッグウェンズデーはV穴を囲むガードがなく、また、Vがどの位置でも入賞する可能性があった)。

(4)Dに「33」又は「77」が出れば大当り(16ラウンド)。「11」「55」「77」なら中当り(5ラウンド)。その他の数字は全て小当り(1ラウンド)となる。ハズレはなく、V穴に入れば小当り以上が確定。
⇒内部確率(振り分け率)⇒大当り・・・2/50、中当り・・・3/50、小当り・・・45/50

(5)権利発生後は右打ち。右上の回転体Eと、右下の電チュー式アタッカーFの連動で、出玉を増やす。アタッカーF(10カウント付)は玉の拾いがイマイチで、大当り時は16Rだが約2000発。中当りは5Rで約600発、小当りなら1Rで約120発。なお、小当りと中当りは、通常時の玉持ちに大きく貢献した。


(連チャン)

資料不足で詳細なシステムは不明のままだが(今後も調査を継続)、実戦上、本機は大当り後のデジタル1回転目に、再び「33」「77」が出て大当りが連チャンするのが、顕著な特徴だった。もちろん、V穴に入らないとデジタルは回らない為、その「1回転」に手間取る事もあった。平均で3~4連程度の、どちらかといえば「穏やかな」連チャンだったが、ツボにハマれば7連、8連と伸びる事も(逆に、単発終了のケースも少なくなかった)。果たして、内部的にはどうなっていたのだろうか?


(止め打ち攻略)

ストップボタンによる「止め打ち」が有効だった一発タイプの2回権利物「ダウンタウン2」と同様、本機も止打ちを駆使した「回転盤のV穴狙い」が可能だった。
本機の構造上、回転盤に玉が落ちた時に、V穴が手前付近にいなければ、V穴入賞は厳しい。つまり、電チューが拾った玉が「ノーチャンス」となるタイミングが存在した。その間の「無駄玉」を無くそう、という訳である。
回転盤の周期は「1周=約6秒」だが、V穴が「11時~3時」にいる時のみ玉を打ち出して、それ以外は打ち出しを停止する。これで大幅な節玉になり、初期投資を半減できた。但し、初当りに時間が掛かる事が多く、それなりの辛抱強さも必要とされた。

古いカセットテープが・・・

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自宅クローゼット整理中に出てきた、見覚えある一本の古いカセットテープ。
(AXIAのハイポジ「PS-II・54(分)DC」)
※当時のCMをヨウツベで発見・・・思いっきり覚えていて笑った。ついでに、このテープをパチ屋の余り玉で取った記憶まで蘇った(笑)。当時、カセットはほぼホールで「調達」していたっけ。
https://www.youtube.com/watch?v=IWNburcb4qQ


剥がれかかったラベルには、「Non Stop BGM」の文字が。

実はこのテープ、学生時代のバイト先(書店)で店内のBGMとして使っていたCDを、ダビングさせて貰ったものだ(個人的に、ラインナップが割と好みだった)。90年代初頭のお話。

以前は繰り返し聴いていたが、今やカセットも「化石」扱いで、実に久々の対面と相成った。
(※部屋を整理すると、ちょくちょくカセットを「発掘」する。以前、こんな記事も書いた。)

なお、収録曲は以下の通り。「BGM」の為、歌は入っていない(インストルメンタルVer.)

(Side:A)
「愛しい人よ、Good Night」(B'z、1990年)
「壊れかけのRadio」 (徳永英明、1990年)
「会いたい」(沢田知可子、1990年)
「告白」(竹内まりや、1990年)
「愛は勝つ」(KAN、1990年)
「乾杯(new recording version)」(長渕剛、1988年)

(Side:B)
「丘を越えて」(小泉今日子、1990年)
「オリビアを聴きながら」(杏里、1978年)
「真夏の果実」(サザンオールスターズ、1990年)
「ワインレッドの心」(1983年、安全地帯)
「恋人も濡れる街角」(1982年、中村雅俊)
「歌えなかったラヴ・ソング」(1991年、織田裕二)


ラインナップを見ると、70年代、80年代の名曲もあるが、メインは1990年(平成2年)のヒットナンバー。多分、1991年の後半辺りにリリースされた、前年度の曲から「抽出」したCDだろう。

ケース内に曲目リストはなかったが、どれも有名かつ聴き込んでいたので、イントロが流れた瞬間、タイトルを思い出せた。ただ、竹内まりやの「告白」だけは、メロディを何度聴き直しても、なかなかタイトルが出て来なかった。「あれ、耳に残っているメロディなのに、なんだっけ、なんだっけ・・・」と悩んだ挙句、最後は90年ヒット曲をまとめた外部サイトに頼った(汗)。そこにリストアップされていた曲を、片っ端からYOUTUBEでチェックして、ようやくタイトルを思い出した次第(「火曜サスペンス劇場」主題歌。スロ4号機「ダイナマイト」とも、何気に繋がっている)。


それはともかく、「1990年」という年は、私が学生生活をスタートさせ、件の書店でバイトを始めた年である。同時に、自分にとっての「パチ・スロ元年」でもある。収録曲の多くを、当時カラオケボックスで歌っていたし、パチ屋の店内(有線)でも頻繁に耳にした。もちろん、バイト料の多くがパチ屋の売り上げと化した(笑)。


バイト先の書店では、たいてい夕方5時からの「遅番」担当だった。授業終りに、正門前から始発の都バス(渋谷駅・東口行き)に乗り込み、最寄りの停留所(四谷三丁目)で下車。途中、新宿河田町にあった旧フジテレビ・正門ゲート横を通り過ぎるのが、いつも密かな楽しみだった(河田町時代のフジテレビは面白かったな…)。

で、バイト開始まで時間がある時は、停留所近くにあった2軒のパチ屋(「ザ・リボン」(閉店)と「タイガー」(現存))で、短時間の勝負を楽しんだ。

1990年秋、「ザ・リボン」のスロットシマには、「スーパーウィンクル」(高砂・2-2号機)がズラッと並んでいた。シマはかなり盛況で空台も少なく、適当な台に座っては、3000円で小役の「ハイビスカス」を引けるかという、「おみくじ」的勝負をよくやった。ハイビスカスはリーチ目扱いでアツかったが、ガセもチョイチョイあった(同一フラグのチェリーも同じ)。しかし、たとえガセでも、限られた時間内で芳しい「ビスカス揃い」さえ拝めれば、個人的には「勝ち」に思えた。その後、シオサイなどの沖スロにハマったのも、こうしたビスカスへの「愛着」があったからかもしれない(笑)。

また、等価の「タイガー」では、1Fの連チャンデジパチ「フィーバーボルテックスII」(三共)が、90年当時一番のお気に入りシマだった。言うまでもなく、チャンスタイム(大当り開始時、メッセージが流れる5.6秒)の始動チャッカー入賞が、連チャン獲得の「肝」だった。あいにく、等価で釘はガチガチだったが、入賞に成功すると、却って他店以上に興奮できた。また、ここの常連は気さくな人が多く、コチラが大当りすると、「(チャンスタイムに)玉、入ったの?何個?良かったね、連チャンだなぁ。」と、人懐っこく声をかけてくれた(連チャンがスカると、一緒に悔しがってくれた)。あのホッコリした雰囲気、何気に好きだったな・・・。



それと、四ツ谷ではないが、地元「L」店で初代「アラジン」(ニイガタ2-2)を打っていた時の話。同じ台で粘り続けて、やっと待望のアラチャンに入ったと喜んでいたら、あっという間にバイトの「タイムリミット」が来てしまった(地元からバイト先までは約1時間)。パンクもせず、7も揃わず、ひたすら単チェとシングルの「ラクダ」が揃う展開。しかし、まだ1000枚ちょっとしか出ておらず、「このままバイトをサボるか、アラチャンを捨てるか」と激しく葛藤した。結局、アラチャン中に引いたBARが終わった所で、隣のオッサンに「これ、アラチャン入ってるけど、やります?」と声をかけて、泣く泣く台を譲った。バイト優先で正解だったとは思うが、あの台が、その後どんな挙動を見せたのか、いまだに気になる。


ポッパーキング(IGT、4号機)

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今回は、1998年(平成10年)にIGTから登場したAタイプ4号機「ポッパーキング」を振り返る。






IGTの「新基準機」第一弾となったのがコチラ(「マッスルトマト」の後継機としてデビュー)。
「大量獲得タイプ、簡単目押しで600枚オーバーも可能」との触れ込みで話題となったが、実はビッグ中のハズシが不可で、ジャックインのヒキに負けると、400枚以下で終わる事もしばしば。

その為、「ビンビンカミサマ」(サミー)や「ビーマックス」(アルゼ)など、ハズシを使って安定して大量獲得できる機種に比べると、やや食指が動きづらいとする向きもあった。

ただ、個人的には、派手な予告音や台枠ランプのフラッシュ、香ばしいリーチ目など、本機に惹かれる部分も多かった。また、運次第で大量獲得も可能だったので、仕事帰りによく打った。
赤坂見附の「日拓エスパスA館」が「主戦場」だったが、新宿歌舞伎町の「エルニド3」(3Fに本機、1Fにマッスルトマトを設置)や「グリンピースタワー」でも実戦を重ねた。


なお、本機は「ポッパー」のネーミングよろしくルアー釣りがモチーフ。アングリと大口を開けた魚(ブラックバス)に追われるポッパー君が描かれた、下パネルのデザインもコミカルだった。また、ビッグ中に活躍する15枚役にも、赤と白のポッパー図柄を採用。

余談だが、私は小学5~6年の時分、一時期ルアー釣りにハマった事がある。テレ東の釣り番組「とびだせ、つり仲間」なんかが好きだった。地元ダイエーの中にあった釣具コーナーで、少ない小遣いをはたいて「ラパラ」(フィンランド製)のルアーを買ったり、ホームセンターでバルサ材を調達して自作のルアーをこしらえたり、クラスの友人達と相模湖や河口湖(「震生湖」なんて所にも行ったな…)にバス釣りに出かけたりしていた。

そんな「マイブーム」もいつしか去ってしまったが、本機を思い返すたびに、そんな少年時代の淡い思い出も自然と蘇る。買ったばかりのラパラがモーターボートのスクリューに絡まり、たったの2投目くらいで湖底深く沈んでいった事は、今でも忘れられない…。



(ボーナス確率)

Big Bonus
設定1  1/356.17
設定2  1/341.33
設定3  1/327.68
設定4  1/309.13
設定5  1/292.57
設定6  1/240.94

Reg Bonus
設定1  1/585.14
設定2  1/512.00
設定3  1/481.88
設定4  1/481.88
設定5  1/455.11
設定6  1/364.09

機械割
設定1  93.67%
設定2  96.71%
設定3  99.34%
設定4  102.33%
設定5  105.81%
設定6  119.22%


(払い出し表)

・赤7/緑7・・・15枚+ビッグボーナス
・黒BAR・・・15枚+レギュラーボーナス
・ルアー(ポッパー)・・・15枚
・ベル・・・8枚
・チェリー・・・1枚
・プラム・・・リプレイ(ビッグ中は7枚+ジャックイン)


(通常時の演出)

本機の通常時のゲーム性に大きな「幅」を与えたのが、数々の演出機能である。なかでも、(1)レバーオン時に通常よりも大きな高音が鳴る「予告音(スペシャルスタート音)」、(2)ドラムの回転と同時に台枠ランプが光る「スタートフラッシュ」、(3)第3停止後に台枠ランプが光る「ストップフラッシュ」の3つが、特に際立った演出であった。

予告音やスタートフラッシュは、前機「マッスルトマト」の流れを汲む。また、本機は新たにリール停止後の「ストップフラッシュ」を採用。レバーオン時に「予告音+スタートフラッシュ」、第3リール停止後に「ストップフラッシュ」発生といった、二段階演出が特色だった。これらの演出は、主に成立役を示唆するが、演出と停止目の組合せ次第では、ボーナスが確定するケースもあった。また、同じ小役が揃った場合でも、演出との組合せ次第でボーナス期待度は大きく変化した。


(1)レバーON時の予告音 (3パターン)
(a)予告音なし(通常のスタート音)
(b)予告音あり(派手な効果音が発生)
(c)プレミア予告音(けたたましいBGMが鳴り響く)

(2)スタートフラッシュ (4パターン)
(a)フラッシュなし
(b)点滅(台枠ランプの左右下部がチカチカッと光る)
(c)走行(左右の台枠ランプが下から上にサッと走る(流れる))
(d)プレミア(プレミア予告音時に必ず発生。但し、第1リールをすぐ止めるとキャンセル)

(3)ストップフラッシュ (3パターン)
(a)フラッシュなし
(b)点滅(動きはスタートフラッシュと同じ)
(c)走行(同)

※基本的には、いずれの場合も(a)<(b)<(c)…の順にボーナス期待度がアップ。


これら通常時の演出パターンには、多くの「組合せ」が存在した。即ち、「予告音=2つ」(無/有)×「スタートフラッシュ=3つ」(無/点滅/走行)×「ストップフラッシュ=3つ」(無/点滅/走行)の18パターンに、「プレミア予告音+プレミアフラッシュ」(組合せは1つ)を加えた「計19通り」。なお、演出のパターンは、以下の「成立役別・演出用テーブル」で決定される。


★★演出テーブルについて★★

本機には、「成立役毎の演出決定用テーブル(振り分けテーブル)」が存在する。つまり、成立した役によって、発生する演出パターン(予告音とフラッシュの組合せ)も、予め決まっているのだ。

テーブルの内訳は、ボーナス非成立時が「8つ」(ハズレ時4つ、小役成立時4つ)、ボーナス成立中が「6つ」(ハズレ時2つ、小役成立時4つ)の、計14個。

このテーブルが、成立役に応じて、予告音やフラッシュの有無などを振り分ける。同じ小役でも、ボーナス非成立時とBR成立中では、選択テーブルが異なる。

なかには、「ボーナス非成立だと絶対選ばれず、成立中のみ発生する」パターンもある。その為、予告音・フラッシュ・成立役の組合せ次第で、「鉄板」ボーナス告知に昇格する事もあった。


※テーブルの見方

太字…成立役(ハズレ含む)毎のテーブル(1~14)
細字(上段)…レバーオン時の演出(予告音及びスタートフラッシュ)
・無・無&rArr;予告音無し+フラッシュ無し
・無・点&rArr;予告音無し+点滅フラッシュ
・無・走&rArr;予告音無し+走行フラッシュ
・有・無&rArr;予告音有り+フラッシュなし
・有・点&rArr;予告音有り+点滅フラッシュ
・有・走&rArr;予告音有り+走行フラッシュ
・P・P&rArr;プレミア予告音+プレミアフラッシュ

細字(下段)…第3リール停止後の演出(ストップフラッシュ)
・無=フラッシュ無し
・点=点滅フラッシュ
・走=走行フラッシュ


       ポッパーキング 成立役別・演出テーブル(1)~(14)

(1)ボーナス非成立・ハズレ1
無・無=128/128
無=128/128

(2)ボーナス非成立・ハズレ2
無・無=118/128、無・点=10/128
無=128/128

(3)ボーナス非成立ハズレ3
無・無=111/128、無・点=17/128
無=128/128

(4)ボーナス非成立ハズレ4
無・無=120/128、有・無=8/128
無=118/128、点=10/128

(5)ボーナス非成立・ベル
無・点=102/128、有・無=16/128、有・点=10/128
無=64/128、点=10/128、走=54/128

(6)ボーナス非成立・チェリー
無・無=125/128、無・点=2/128、有・無=1/128
無=64/128、点=64/128

(7)ボーナス非成立・ルアー
有・無=64/128、有・走=63/128 、P・P=1/128
点=128/128

(8)ボーナス非成立・リプレイ
無・点=64/128、無・走=64/128
走=128/128

(9)両ボーナス成立中・ベル
無・無=40/128、無・点/無・走=各10/128、有・無=22/128、有・点/有・走=各23/128
無=64/128、点=10/128、走=54/128

(10)両ボーナス成立中・チェリー
無・無=86/128、有・走=38/128、無・点/無・走/有・無/有・点=各1/128
無=48/128、点=40/128、走=40/128

(11)両ボーナス成立中・ルアー
無・無/無・点/無・走/有・無=各21/128、有・点/有・走=各22/128
無=68/128、点=20/128、走=40/128

(12)両ボーナス成立中・リプレイ
無・無/無・点/無・走=各10/128、有・無=32/128、有・点/有・走=33/128
無=68/128、点=20/128、走=40/128

(13)BIG成立中・ハズレ
無・無/無・点/無・走=各28/128、有・無/有・点/有・走=各14/128、P・P=2/128
無=60/128、点=28/128、走=40/128

(14)REG成立中・ハズレ
無・無=40/128、無・点/無・走=各10/128、有・無=22/128、有・点/有・走=各23/128
無=64/128、点=10/128、走=54/128


細かな数字が並ぶが…例えば「(小役)ハズレ」のテーブルでは、ボーナス非成立時(1~4)に選択されるスタートフラッシュは「無し」か「点滅」。一方、ボーナス成立中(13、14)のハズレは「走行」も選択する。よって、スタートフラッシュが「走行」の場合、小役ハズレでボーナス確定。
特に、「予告音無し+走行」(=無・走)は、ボーナス非成立ならリプレイ時しか選択しないので、リプレイ以外の小役が揃ってもボーナス。

因みに、ビッグ成立中のハズレ時に「2/128」の抽選に当ると、幻の「プレミア予告音」+「プレミアフラッシュ」が出現。但し、予告音発生後、すぐ第1リールを止めると、フラッシュはキャンセルされてしまう。貴重なプレミアフラッシュを見届けるには、けたたましいプレミア予告音を確認したら、ストップボタンからすぐ手を離して、暫くリールを回しておく必要があった。


次に、リプレイのテーブルを見ると、ボーナス非成立時(8)は、「予告音無し+点滅」か「予告音無し+走行」のどちらかを選択。一方、ボーナス成立中(12)は、「予告音有り」の演出も選択する。よって、予告音発生+リプレイ揃いは、鉄板でボーナス。

また、ルアー成立時のテーブルでは、ボーナス非成立(7)だと「予告音有り」しか選ばれない為、「予告音無し」でルアーが揃えばボーナス。なお、ボーナス非成立のルアー成立時に「1/128」で「プレミア予告+プレミアフラッシュ」を選択する為、これを引いてしまうと「ガセプレミア」が発生(ハズレ目ならルアーこぼし確定)。一方、プレミア発生時、ルアーを狙って外れれば、ビッグ確定。


このように、同じ小役(或いはハズレ)の「ボーナス非成立時」と「ボーナス成立時」のテーブルを比較するだけで、鉄板パターンも多く見えてくる。成立時のテーブルのみにあって、非成立のテーブルにないものは、全て小役揃い時の「鉄板演出」となる。
他にも鉄板パターンとなる組合せは幾つもあるので、実機をお持ちなど興味ある方は、テーブルとにらめっこしながら検証して頂きたい。

~その他の鉄板パターン~(抜粋)

・「予告音有+スタートフラッシュ点滅」&rArr;ベルハズレで鉄板
・「スタートフラッシュ点滅or走行」&rArr;チェリー揃いで鉄板
・「予告音無+スタートフラッシュ走行」&rArr;リプレイハズレで鉄板
・「予告音有+スタートフラッシュ点滅」&rArr;リプレイ揃いで鉄板
・チェリー揃いで「ストップフラッシュ走行」&rArr;鉄板
などなど


(主なリーチ目)

今回は、順押し時のリーチ目が中心。この他、予告発生時に「中押し」で中段緑7を狙ったり(止まればビッ確)、「逆押し」で枠上に赤7を狙う方法(右下段までスベればビッグ)などがあった。


「★」&rArr;赤7or緑7orBAR


(1)

赤7or緑7の一直線は、どの組合せでも全ライン有効

(2)

左BAR頭から中段に7図柄が並んだ形

(3)

左「BAR・ルアー・BAR」は一確目

(4)

ボーナス図柄の小V型。右上段は7図柄が条件。

(5)

左下段BARから、ボーナスが右上がりに揃った形。右は7図柄が条件。

(6)
   
ボーナス図柄の小山型も高確率で入りだが、中リールが右の形だとNG

(7)

左中段チェリー(上下どちらかに7図柄)は、ボーナス図柄が対角で挟めばリーチ目

(8)

この場合、右はルアーでも代用図柄となるが、ルアーの下に「BAR」がある事が条件

(9)

左上(下)段チェリーの場合は、右リールの中段にボーナス図柄があればOK

(10)

ルアーの小V字(鉄板)。同時にリプレイが揃ってもOK

(11)

中段赤7テンパイは、中リールの7の下がベルなら二確目

(12)

左&rArr;中とベルがテンパった場合も、形次第では二確となる

(13)

左「BAR・リプ・ベル」は小役ハズレ目。
また、演出との絡みでは、レバーオンで「予告音有り+走行」なら一確(小役揃いでも入り)。

(14)

左「ルアー・ベル・リプ」も、小役ハズレで入り

(15)

左ベル・リプ・ベル(サンド目)。但し、左枠上に赤7があるのでバケ濃厚。
やはり、レバーオン時に「予告音有り+走行」なら一確。

(16)

左リプ・ベル・リプ(サンド目)。但し、左枠上に緑7があるのでバケが濃厚。
こちらもレバーオン時に「予告音有り+走行」なら一確。

(17)

小役揃いのリーチ目(左下段緑7からのベル揃い)。ベルは上段(平行)に揃っても可。

(18)

左下段赤7からの中段ベル揃いも入りとなる

(19)
  
リプレイが上段or下段に揃った形もリーチ目

(20)

やはり下段リプレイ絡みだが、中リール枠下がチェリーなら、テンパイした時点で二確

(21)

左上段赤7からの下段リプテン。右枠内にベルが無ければ鉄板。ベルがあればチャンス目
(ボーナスor小役取りこぼし)。

(22)

左・下段7&rArr;中・上段ベルの形は、右の枠内にルアーが無ければ鉄板、あればチャンス目。

(23)

左・上段緑7&rArr;中・上段ベルでも、(22)と同じ扱い

(24)

左リールの上or下段に7図柄&rArr;中・上段ベルは、ベルの上がチェリーで二確


※通常時の小役確率
(高確時)
1枚チェリー:1/2.73
2枚チェリー:1/4.10
ベル(8枚):1/10.23
リプレイ1/7.30
ルアー(15枚):1/29.79~1/32.77(設定差あり)

(低確時)
1枚チェリー:1/32.77
2枚チェリー:1/23.41
ベル(8枚):1/10.38
リプレイ:1/7.30
ルアー(15枚) 1/131.07~1/136.53(設定差あり)

※減算値…99(全設定共通)




(ビッグボーナス中)

ビッグ中の小役ゲームは、毎回左リール枠内に「BAR・ルアー・BAR」を狙うだけでOK(中・右は適当でも15枚のルアーが揃う)。多少早めでも引き込み制御が働き、遅めに押しても上のBARの3コマ上にルアーがあるので、目押しは楽だった。
当時、技術介入機ももちろん好きだったが、昼間の仕事がキツつく目が疲れた時など、このテの簡易なタイプも好んで打っていた。ネットの「サハラ」(業界初の新基準機)なんかも、やはり同じ理由で打ちこんだ(四ツ谷のスロ専「エース」にて)。

但し、冒頭でも書いたが、配列及び制御上、リプレイハズシは「不可」。変則押しすると、中段にリプレイがテンパイしてしまい、ハズせない上に小役をこぼす。よって、ビッグ中は「3枚掛け・順押し」が必須。

なお、ビッグ中のメイン小役であるルアーには、設定差が存在した。高設定ほど15枚役の確率が高く、ビッグ平均枚数もアップ。ある程度の試行回数を増やせば、15枚役確率とハズレ確率をチェックして、設定判別の材料にもなった。

ハズシ不可の為、ジャックのヒキ次第で獲得枚数は大きく変化する。ただ、いつもいつも速攻でジャックインしてしまった訳ではない。好調が続いて500枚越えが連続することもあり、トータルでは下記の平均枚数に落ち着いていた感じだ。ただ、ハマリ明けでやっと引いたビッグが速攻ジャックイン&rArr;350枚とかだと、心理的なダメージが大きかったのは事実。


★ビッグ中のJACイン確率:1/5.65(全設定共通)

★ビッグ中の15枚役確率
設定1:1/1.66
設定2:1/1.59
設定3:1/1.53
設定4:1/1.49
設定5:1/1.45
設定6:1/1.40

★ビッグ平均獲得枚数
設定1:430.39枚
設定2:434.31枚
設定3:438.29枚
設定4:441.27枚
設定5:444.19枚
設定6:448.09枚

★パンク時の平均獲得枚数(全設定の平均値)
0パン時…237.46枚、1パン時…344.50枚、2パン時…451.53枚


※本機では、ビッグ終了後、台枠ランプの点灯個数で獲得枚数を概算で表示。
・ランプが4つ点灯…399枚以下
・ランプが6つ点灯…499枚以下
・ランプが全点灯…599枚以下
・ランプがグルグル回転(トルネードフラッシュ)…600枚以上


アラシキング(西陣、デジパチ)

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1990年(平成2年)に西陣から登場した旧要件デジパチ「アラシキング」

(このところ「キング」絡みの機種が続くが…特に意図した訳ではなく、単なる偶然。)



うーん、当ブログで、まだ本機を取り扱っていなかったとは…うかつだった。


「1990年」~私にとっての「パチ元年」~に登場したデジパチの中でも、とりわけ思い入れある一台だ。すでに記事を作成したつもりだったが…思い込みとは恐ろしい(前にも使ったな、このフレーズ)。



★上下二段のプロックタイプ液晶
★ワープルート搭載(ファンキーセブンの流れを汲む。ワープ位置は変更)
★賞球…7&13
★大当り確率…1/220 (1/200説もアリ)※
★図柄…0~9、V、¥、W、&Sigma;、X、$、Y、%、Z、?の計20種類
★配列…左と中は同配列。右のみ配列が上下逆。
★有効ライン…上下段(横2ライン)
★最高10ラウンド継続
★アタッカー開放時間…約22秒(ファンキーセブンと同じアタッカー。但し、開放時間はファンキー(約19秒)よりも長め)
★出玉…2000以下~3000発以上(オマケチャッカーの釘次第で大きく変化)


※当時の攻略M誌は、本機の確率を「1/220」と表記(今回はM誌に従った)。
一方、同時期の必勝G誌は「1/200(表示上)」としている。確かに、各デジタル20図柄で上下2段OKなので、表示上は1/200となる。但し、解析資料が手元になく、正確な確率は不明。
ネットでの多数説も「1/200」だが、当時の西陣・旧要件機の大当り確率を考えると、多数説にはやや「疑問」も残る。

・マンハッタン(1/225)
・プレジデント(1/247)
・ファンキーセブン(1/235)
・ラスベガス(1/225)
・リムエイト(1/225)
・スーパールーレット(1/220)
・ルーキーNXP-2(1/225)

1990年前後の西陣・旧要件機の確率を列挙した。大半が「1/225」前後の確率であるのに対し(プレジデントは低確率だが)、アラシキングのみ「1/200」と甘いのは、不自然な気がしないでもない(実戦で、アホみたいにハマった事もあるし)。また、同時発表された「スーパールーレット」の確率が「1/220」(解析資料あり)なので、本機も同数値ではないかと推測。今後も、調査を継続する。





さて、本機との出会いは、1990年11月頃、新宿・東南口の「平和」(閉店)というパチ屋だった。


(当時の「平和」。後に何度か改装されたが、私はこの時代のネオンが一番好き。)


盤面に大きな「KING」の文字(当初「キングアラシ」と読んでいた)、ピンクのデジタル画面(見る角度で色が変わった)、白いブロック液晶、上下2段のデジタル…かなり斬新な「面構え」に興味を惹かれ、思わず腰を下ろした事を思い出す。その後も打つ度に「ツボ」にはまる感じで、すぐにこの店一番の「お気に入り」となった。

確か、この年のクリスマスも、件の「平和」に出向いてアラシキングのシマに陣取った。この日はかなり調子良く当てて、さらに裏のシマのコンチIで勝ち分を増やした。懐はホカホカ温まったが、帰路、大勢の浮かれたカップルとすれ違ううちに、心にちょっぴり隙間風が吹いた(その反動で、翌年のクリスマスは…以下自粛)。

※まさに、90年12月末の新宿…パチ屋の「ハシゴ」で行き来した東口と西口を結ぶ「地下通路」で、一人のミュージシャンが「路上ライブ」を行う映像。この人、当時よく見かけたなぁ…男っぽい声だが、確か女の人だったと思う(ミナミさんという方)。
https://www.youtube.com/watch?v=bNHUzM-EP9E


本機の主戦場は東南口の「平和」だったが、他にも、歌舞伎町・(旧)コマ劇前の「ラスベガス」(閉店)や、ゴールデン街の入口にあった「大番」(閉店)でも、本機をよく打った。私にとっての「アラシキング」は、まさに「新宿」と同義である。
土地柄、露骨にヘソの甘い台こそ少なかったが、ワープ経由でヘソに入りまくる「隠れお宝台」をたまに見つけた(ネカセも絶妙で、ワープ入賞&rArr;ステージ右奥&rArr;ヘソと綺麗に収まる感じ)。通常打ちだとサッパリ回らないが、右打ちするとワープに絡んでブン回る台も…。


そうそう、本機以外にも、「エキサイト123」(ニューギン)や「マジック7D」(大一)、「ニュートランプカード2」(京楽)、「エキサイトワープ」(ニューギン)など、一風変わったデジタルを持つ機種と多く遭遇したのが、この時期(1990年11月~12月)だった。その少し前には、ルーレットとドットの「合わせ技」が新鮮な「フィーバーボルテックスII」(三共)にも出会った。同年10月には、風営法の規則改正などもあって、業界もファンも、まさに「変化」の真っ只中にいた。

  
 エキサイト123(ニューギン、1990年)         マジック7D(大一、1990年)
  (「ノット10打法」が連チャンの肝)     (三方向デジタルで「デジタル酔い」を起こす人も)

 
 ニュートランプカード2(京楽、1990年)      エキサイトワープ(ニューギン、1990年)
   (初のスーパーリーチ搭載機)         (FL管によるカラフルなデジタルが特色)



フィーバーボルテックスII(三共、1990年)
メッセージが出るチャンスタイム5.6秒のチャッカー入賞が連チャンの鍵。


一方、90年当時の西陣は「ハネモノ」が充実していたが、デジパチでも、前年(1989年)登場の「ファンキーセブン」が依然大人気で、多くのホールで「主戦級」の活躍を見せていた。
また、90年春にデビューしたドットデジパチの「ラスベガス」も人気が高く、私自身も大のお気に入りだった(新宿・西口「ジャンボ」地下に、連日通い詰めた)。
さらに、アラシキングと同時期の「スーパールーレット」(1990年)も、ルーレットと7セグの動きが面白く、都電・早稲田駅の「三光堂」(閉店)で、授業の合間によく打った(ファンキーセブンで「ゼロパン」したのもこの店だ)。
なお、西陣は、この年に「リムエイト」(「リムジン」シリーズの後継機)というドットデジパチも出したが、私の知る限り設置率は低かった(小田急・本厚木駅「太平洋」など)。

この年に付き合った西陣のデジパチは、露骨な連チャン性※こそなかったが、何度も「逢いたく」なるような、独特の味わいがあった。

※ファンキーセブンは数珠繋ぎっぽい挙動も見せたが、解析上の裏付けはない。スーパールーレットも「ノット10打法」(アタッカーに10個入れない)で連チャンとの情報があったが、結局そのまま立ち消えとなった。さらに、本機(アラシキング)も、当初は「西陣初の連チャン機登場か?」と騒がれたが、結局はノーマルの可能性が強まった。


         1990年(平成2年)にホールで活躍した西陣デジパチ
  
  ファンキーセブン(西陣、1989年)          ラスベガス(西陣、1990年)

 
  スーパールーレット(西陣、1990年)        リムエイト(西陣、1990年)



さて、今回は「アラシキング」である。

本機最大の特徴といえば、何といっても「全回転リーチ」だろう。言うまでも無く、アラシキングは全回転リーチの「元祖」で、数珠連チャン機「春夏秋冬」の全回転アクションの「原型」も、まさにここにある。

ただ、本機には全回転以外のリーチアクションがなく、いわゆる「SPリーチ」とは趣が異なる
(そもそも、京楽「ニュートランプカード2」以前のデジパチに、SPリーチは存在しない)。

それでも、元々のリーチ確率が低く(表示上は1/40)、リーチを拝むこと自体が難しかった本機。「リーチに辿り着いた」という達成感と期待感は、他機種と一味も二味も違った。


上下二段のデジタルは、しばし高速回転を続けた後、「左&rArr;中&rArr;右」の順で低速に切り替わり、下方にスクロールして停止する。高速回転中、各デジタルの動きが独立しているように見えた。

左・中がゾロ目(シンクロ)になると、リーチ発生の「チャンス」となる。晴れてリーチが掛かると、左・中・右全てのデジタルが、横並びの状態で上から下にゆっくりスクロールを開始。これが、当時としては非常に斬新な動きだった。

オーソドックスな7セグ、ドット、ドラムでは味わう事のできない、「想定外」のリーチアクションが、「何度も体感したい」と思わせる大きな魅力といえた。

但し、「横並び」とはいっても、配列上、最後までゾロ目をキープするのは「左・中」のみ。右だけが「ズレ目」の形が大半で、タテ20列のうち、3つ揃いが並ぶ部分は、わずか「2ヶ所」のみ。

それだけに、画面をスクロールしつつ3つ揃いが近づくと、テンションも自然と上がった。大当り図柄を通り過ぎても、その先にもう一つの「3つ揃いポイント」があった為、引き続き期待できた。

スクロールが停止した時に、有効ライン(上・下段)のどちらかに、3つ揃い図柄があれば大当り。上下段どちらに止まってもOKなので、やはり期待度は2倍となった。

なお、リーチ中は、盤面左右の飾りランプ(「リーチ」と書かれた部分)が点滅。また、「チャッチャカ・チャッチャカ…」という、耳に残るテンポよいBGMが流れた。同時に、デジタルも明滅を繰り返して、打ち手の興奮を煽った。

大当り中は、デジタルの背景がピンク&rArr;ブルーに反転。大当り中に流れるメッセージ(「ヨッ、日本一」など)や、メインキャラの怪しげな「ロボット」の動き(V入賞時にバンザイする)も、チープながらインパクト十分だった。



さて、本機を語る上で忘れてはならないのが、「左・中ゾロ目出現&rArr;右ビタ止まりハズレ」という、本機を打った人なら誰もが体験した、あの口惜しい現象だろう。

先程も書いたが、「左・中」とゾロ目で並んだ瞬間は、あくまでリーチ発生の「チャンス」に過ぎず、必ず(全回転)リーチアクションに繋がった訳ではない。

せっかく左・中がシンクロしても、何事もなかったかのように、右デジが「即止まり」でハズれてしまう事が、少なからずあったのだ。

只でさえリーチが掛かりにくい本機で、その「前兆」ともいえる「左・中ゾロ目」を察知したのに、あっさりと「流されて」しまうのは、やはり勿体なく思えた。


実は、左・中ゾロ目の時にリーチアクションが起こるか否かは、「右デジの停止出目パターン」に左右された。

但し、これを説明するには、本機の「配列」に触れる必要があろう。



ご覧のように、左と中のデジタルは図柄が全く同じで、並び(配列)も同じだ。

一方の右デジタルは、図柄こそ左・中と同じだが、並び(配列)は上下が逆である。

この特殊な配列によって、左・中ゾロ目時の右出目パターンは、以下の「A、B」に分かれる。


即ち、タテ20列のうち、3つ揃い(ゾロ目)が2つの「Aパターン」と、3つ揃いの箇所が1つもない「Bパターン」(右)だ。

なお、上記A、Bは各パターンの「例示」に過ぎず、実際には右デジの図柄20通りに応じて、Aパターンが10通り、Bパターンも10通りとなる(右デジが1コマずれる毎に、A・Bが切り替わる)。

大当りの場合、3つ揃い図柄が必ず有効ラインに停止するので、「Aパターン」を経由する。

しかし、「左・中ゾロ目で右ハズレ」の場合は、A、Bいずれの停止パターンもあり得る。

もし、Bパターンの時にリーチアクションが起きると、全回転スクロールがいくら続いても、絶対に3つ揃いは現れない。言い換えれば、大当り図柄を含まない「カラリーチ」になってしまう。

これは演出上不都合なので、左・中ゾロ目のハズレがBパターンの場合はリーチとみなさず、単なる「ハズレ目」として、右デジも即止まりで処理する訳だ。一方、Aパターンの場合、3つ揃いとなる部分が必ず2ヶ所あるから、リーチになっても演出上問題はない。つまり、リーチが発生するのは、Aパターンの出目が停止する場合に限られる。

一方、内部的にBパターン(10通り)の右出目を拾った場合は、左・中がゾロ目でもリーチには発展しない。また、リーチアクションなしで、いきなり大当りする事も絶対にない。

まぁ、以上の事は、今さら知ったところでどうでもいい情報だが…。

ともかくも、左・中ゾロ目の瞬間は、「このままスクロールが続いて、リーチに発展しろ」と願う他はなかった。

石橋達也の13時間デスマッチ(1990~1991)

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★石橋達也の13時間デスマッチ★

1990年(平成2年)1月~1991年(平成3年)9月にかけて、主力誌の「パチンコ必勝ガイド」(白夜書房)で連載されていた、ホールでの実戦企画。「ボーダー理論」の石橋達也プロ(後にライバル誌「パチンコ攻略マガジン」に移籍するが、当時はガイド誌専属ライター)が実戦を担当した。

毎回、あらかじめ決められた勝負機種で、前日にホール下見を行い、翌日の朝一から閉店まで13時間ぶっ続けで打ち通して、プラス収支を目指す…という内容(ガチンコもの)だった。

当時、ガイド誌では故・田山幸憲プロの「パチプロ日記」が絶大な支持を得ていたが、石橋プロの実戦コーナーも非常に人気が高かった。他にも、銀玉親方こと山崎一夫氏の「銀玉親方の某月某日」や、漫画家・南伸坊氏の「景品交換所ルポ」、こちらも漫画家・蛭子能収さんの「私のパチンコ史」など、クセのある「オッサン」たちが繰り広げる、香ばしい連載コーナー満載であった。

で、今回は、その人気連載「13時間デスマッチ」の第1回から最終回までの流れを、簡単にまとめてみた。皆さんの「記憶の扉」を開く一助となれば、幸いである。


もともと石橋プロは、「13時間デスマッチ」が連載される以前から、ガイド誌において、デジパチ新機種を1000回転まわして大当り回数や連チャン、スランプグラフなどを紹介する、「石橋達也の1000回勝負」という囲み欄を担当していた。

その石橋氏が、初めて「13時間デスマッチ」という名の企画に出たのが、別冊(ヒコーキ台を紹介する図鑑)での平和「ザ・トキオ」対戦であった。実戦ホールは高田馬場「東陽会館」で、収支は惜しくもマイナスだった。これは単発モノで終わったが、1990年1月号からは、ガイド誌の新連載として正式にスタート。


回数  掲載号      対戦機種       実戦ホール        収支(円)

1回 (1990-1)  マジックカーペットI  東陽会館(高田馬場)      +35070

2回 (1990-2)             (欠番のため不明…)

3回 (1990-3)  ブロードウェイI    東陽会館(高田馬場)       -20000

4回 (1990-4)  ファンキーセブン   ニューシスコ(赤羽)         +19000

5回 (1990-5)  魔界組         大和会館(大和市)         +700

6回 (1990-6)  グレートキャノンI   ニュークラウン(東京・綾瀬)    +21800

7回 (1990-7)  タックル※       大都会(名古屋)          +55000

8回 (1990-8)  サイクロン       あたりや(大阪・心斎橋)       -21200

             (9回~18回は「試練の10番勝負」)

9回 (1990-9)  FレクサスIVD    奴センター(新潟・古町)       -11000
                         (やっこ)
10回(1990-10) パチンコ大賞13   胡子センター(広島・八丁堀)    -13000
                         (えびす) 
11回(1990-11)  FボルテックスII   マンハッタン(福岡・天神)      +42300

12回(1990-12) FフラッシュI     ミリオン2(神戸・三宮)             +42000

         (以後、単独での勝負から、ゲストとの「収支対決」に変更)

回数  掲載号   対戦者       対戦機種       対戦ホール         収支

13回(1991-1) 安田一彦  石橋:アラシキング    アラジン(仙台)      +47000
                  安田:FボルテックスII       同             -10500

14回(1991-2)   なし    道路工事I       ダイナム(高田馬場)     +15000

15回(1991-3) 大熊剛弘 石橋:FボルテックスII/コスモII くいーぷ(日ノ出町)     +52000
       (クマちゃん先生)大熊:マジック7I/センチュリーB  プリンス(日ノ出町)   +3000

16回(1991-4) 東堂直樹 石橋:パールセブン     スターホール(上野)  +52400 
          (読者)   東堂:ブラボーエクシード/     ニューセンチュリー/
                     マーブルX/アラシキング   スターホール/グッドラック -29200

17回(1991-5) 伊藤芳孝 石橋:ジョーカー※  サンポーホール(大阪・天神橋)  -17000
                 伊藤:フルーツパンチ       同           +83700

18回(1991-6) 大下洋一 石橋:パラダイスI      山楽会館(池袋)      +55900
       (後の飛鳥一平)大下:ルーキーデルタ      同           +17000

   (「試練の10番勝負」を終えて一旦「完結」を迎えるも、2か月後に再度「復活」)

19回(1991-8) 岩口氏  石橋:バトルロイヤル※   オメガ(京都・四条)   +74900
        (メーカー勤務)岩口:ウルトラセブン        同         -5300       

20回(1991-9) 根本歩※ 石橋:エポック/バレリーナ/   第三新効(群馬・高崎)  +1500
                      ブラボーエクセディア
                  根本:パールセブン/      ニュー名門(群馬・高崎)  +6200

    
第20回をもって、「石橋達也の13時間デスマッチ」は終了。翌・91年10月号より、「サバイバル・旅打ち」(所持金は10万。東京を出発した後、移動先のパチ屋で必要経費を稼ぎながら、ゴールの京都を目指すという、ガチンコ旅打ち企画)が開始される。緒戦の江古田から、川崎&rArr;横浜(軍資金切れで再スタート)&rArr;鶴見&rArr;横浜&rArr;静岡&rArr;浜松&rArr;豊橋&rArr;名古屋と移動して、各地で熱戦を繰り広げた石橋プロ。だが、思うように収支は伸ばせず、途中の名古屋でリタイヤ。惜しくも、ゴールには至らなかった(「サバイバル旅打ち」最終回は、ガイド誌92年5月号)。

(参考)
※タックル…(太陽電子、アレパチ)
※ジョーカー…(マルホン、旧要件デジパチ)
※バトルロイヤル…(豊丸、2回権利物)
※根本歩…1991年、西陣「ラスベガス」で、腕時計を使って大当りを狙う「兜町打法」を編み出し、「月間オリ攻大賞」受賞。石橋プロとの対戦後、同年11月から同誌の攻略ライターとなる。




(前記事に関する「追記」)2015.6.13

前記事のコメ欄で話題が出た、「金角・銀角」のゲーセン企画について

これは、必勝ガイド誌91年1月号(石橋―安田対決と同じ号)の「銀玉共和国」(お笑いの要素を多分に含んだ情報・投稿ページ。「パチバカ天国と地獄」の「原型」といえる)に載っていた、「ゲーセンパチンコ熱闘4時間」ですね(現物確認済み)。

足立区の読者T氏(たこ八郎似の若者)が、地元のボーリング場(東武・竹ノ塚※「フジボール」)に「パンティの出るパチンコ」があるから、ぜひ(金角・銀角の)2人に攻略して欲しいと投稿。
両氏が現地に赴いて実戦したところ、6000円の投資で景品(パンティ)を3枚をゲットしました。

件のパチンコ台ですが、「オープンスカイ」という謎の羽根物(メーカー不明、ゲーセン用?)。
ゲーム性は、オトシ・ヘソどちらに入ってもハネが18回開き、その間に8回V入賞すると景品が出てくる…とあります。

紹介されていた攻略のポイントとしては、(1)人がつぎ込んだ後、不思議とバネが良くなるので、ハイエナ戦法が効果絶大、(2)台を後ろに寝かせるとハネの開閉がスローになる、(3)滅多に入らない右チューリップに玉が入ると、連チャンの前触れ…の3点が挙げられています。しかし、結果的には6000円も使って景品3個だけなので、本当に「攻略」なのかアヤシイ所です(笑)。
※原文は「所ノ塚」でしたが、おそらくは「竹ノ塚」の誤植と思われます。

(追記、ここまで)

Youtube 90年代動画紹介(9)

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Youtubeの神動画投稿者・ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)がアップした、数々の貴重な90年代動画を楽しむコーナー。今回はコチラの動画を取り上げる。

https://www.youtube.com/watch?v=5MDHJnT9z_A


1991年(平成3年)3月、東京下町の「墨田区京島」で、ライルさんがパチンコに興じる映像。

撮影されたパチンコ店だが、京成押上線・京成曳舟駅から少々歩いた「橘銀座商店街」(現在「キラキラ橘商店街」)にかつて存在した、「パチンコたちばな」(閉店)というホール。ときおり映る、レトロ感タップリのネオンが、実にいい味を出している。

(C)Google
パチンコ「たちばな」跡地(墨田区京島3-23-11)


橘商店街を散策中、「たちばな」に立ち寄ったライルさんが、カメラ片手に短時間だがデジパチを遊技する様子が収められている(trying outなので「試し打ち」か)。大変に貴重な映像だ。

台間玉貸機に百円を投入して、ジャラッと筒を押し上げて玉を借りる…そんな何気ない行動に、今ではノスタルジーさえ感じる。自分の場合、いつも「200円」づつ借りていた。玉50発くらいが、ちょうど片手に収まる「適量」だったのだ。
そうやって自ら握りしめた玉を上皿に流し込む時は、「この玉で出てくれよ!」と、自然と気合も入ったものだ。それが、補給レールやCR機の自動補給ボタンに変わり、「泥臭い人間らしさ」を消してしまった気がする。また、隣同士が一台の玉貸機を共有する時は、補給タイミングを巡り、相手との「間合い」を図るのも大切だった。

途中チラッと映る、「連続挑戦中」のプレートや、半透明の赤いドル箱も懐かしいアイテム。赤ん坊をおぶった女性なども打っていて、いかにも「下町の商店街のホール」という感じ。入口には、「出血大奉仕」と書かれたポスターが貼ってある。


因みに、ライルさんの打った台は、旧要件末期(1990年12月)にニューギンから登場した「エキサイトワープ2」というオマケチャッカー付きのデジパチ。当時のニューギン独特の台枠、上皿、下皿が懐かしい。撮影時期とされる91年3月は、旧要件から新要件に移行しようとしている「過渡期」に当る。ちらほらと新要件機も入り始めた頃で、まさに「新旧入り混じり」のラインナップとなっていた(5月辺りから一気に入替が進み、旧要件機の比率が減っていく)。

FL管による、カラフルな7セグ調デジタルが特徴だった「ワープ2」(あの背景画面には、時に「毒々しさ」さえ感じた)。図柄は数字(0~9)のみだが、赤(0~9)と白縁の黒(奇数のみ)の2色があり(計15図柄)、同色の三つ揃いで大当りとなる。デジタル停止順は左&rArr;右&rArr;中。

実は、エキサイトワープには、賞球の異なる2タイプが存在した。「エキサイトワープ」と「エキサイトワープ2」だ。「エキサイトワープ」は、賞球が「6&9&12」。ヘソ6個、アタッカーとオマケチャッカーが12個。オマケの釘次第で出玉は変化したが、基本的に出玉控え目。玉持ちもやや悪い。
一方、動画に映るのは、盤面デザインから「エキサイトワープ2」だと判る。コチラは賞球が「7&10&13」で、ヘソが7個戻し、アタッカーとオマケが13個戻しである。
肝心の大当り確率は両者共通で、「1/204.8」と高い(表面上1/225だが、内部的には異なる)。よって、スペック的には「2」の方が甘いが、換金率や営業方針に応じて、両タイプともに多く出回った。いずれも意図的な連チャンはないが、高確率ゆえの「自力連」が期待できた。


        エキサイトワープ                    エキサイトワープ2



また、店を出る直前に映るスロットシマも、香ばしい雰囲気を醸し出している。左右のシマにズラッと居並ぶのは、2-1号機「バニーガール」(オリンピア)のみ。当時は「一店舗スロ1~2機種」という設置が主流だった。「この店にはこの台」という特色があって、パチ屋・スロ屋のハシゴが、非常に楽しかった事を思い出す。
こちらのシマにも子連れ女性の姿があって、小さな女の子がシマ通路を歩き回る(今では、防犯うんぬんの話もあろうが)。反対のシマでは、若者同士がダベりながら、のんびりバニーを打っている。イスも固定式などではなく、ビニル地の移動式・回転イス。これも、当時ホールでよく見かけたアイテムだ。そんなのどかなシマに響く、バニーの甲高いストップ音や払い出し音も、何とも心地よい。シマ頭上に貼られた「無制限」の赤いプレートにも、やはり時代を感じる(既にスロは無制限営業が多かったが、ビッグが終わる毎にコインを流す1回交換制※(又は定量制)の店も残っていた)。
※店によっては、ビッグ終了後1000円分のコインを買うと、継続遊技可とするルールもあった。


パチ屋以外の店では、鶏肉「鳥よし」(焼鳥の袋が映る)、衣料品「サンプク」(パチ屋「たちばな」向かい)、「鳩屋のパン」(看板が映る)などが確認できる。キラキラ橘商店街公式HPによれば、サンプクは「ブティック・アパルーサ」に変わったが、「鳥よし」と「鳩屋」は現在も営業中とのこと。


それから、「ライル動画」の定番である「ジュース缶」について。動画前半に、UCCの「霧の紅茶」(アップル)をゴミ箱に捨てる場面がある。「霧の紅茶」ブランドは現存するが、自販機で買えるのは、今では沖縄(沖縄UCC)のみだとか…。その昔は、「UCC」ロゴの入った自販機を多く見かけたものだが、これも時代の流れであろう。

Youtube 90年代動画紹介(10)

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前記事コメントで、えむさんからのリクエストがあったので、こちらの動画も紹介させて頂く。
もちろん、Youtube神投稿者・ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)のレア90年代動画だ。

https://www.youtube.com/watch?v=DbFAmNngjbk


前回と同様、1991年(平成3年)3月の「京成曳舟駅」界隈の散策映像。コチラには、えむさんのコメントにあったパチンコ店、即ち、移転前の「イトーヨーカドー・曳舟店」(「曳舟たから通り」沿い)近くで営業していた、「喜楽」というパチンコ店の店内が、ほんの一瞬映っている(0:40~0:50)。

僅か10秒の短いシーンだが、この場所にパチ屋があった事を示す、重要な映像資料だ。
ライルさんの好奇心と撮影意欲には、まさに「脱帽」の一言である。

実は、曳舟・京島界隈に思い入れある方が、前回動画をみて、「喜楽」絡みのコメントを残すかもしれないな…と思って、当方もあらかじめ「続編」を用意しておいた(笑)。

ただ、映像がアップされた当時(2013年3月)、私は店の名前を全く把握していなかった。そこで、地域掲示板で地元民を装い(笑)質問したところ、親切な方がいて教えて下さった。ちょっとだけその話題で盛り上がったので、店名も漢字も「喜楽」で合っているハズ。

残念ながら、「喜楽」は既に閉店。また、同店のあった「曳舟たから通り」沿いも、昨今の再開発で大きく変貌している。貴重な「歴史資料」を提供して下さったライルさんには、感謝感謝だ。

なお、冒頭の映像は「京島二丁目交差点」(横断歩道だらけのスクランブル交差点)。その後、京成曳舟駅に向かって、曳舟たから通り沿いを歩く。ラーメン屋や八百屋を通り過ぎた後、「イトーヨーカドー・曳舟店」(移転前)の前を通過(0:24~)。そして件のパチンコ「喜楽」だ。「営業中」と書かれた店先の回転看板も、いい味を出している。

その後、この界隈の名物ともいわれた「曳舟湯」(銭湯、既に閉店)の姿も映る。入口のノレンには、「カギかけは 家族みんなの あい言葉」という防犯フレーズ(1:15)。さらに、模型マニアにはお馴染み、「原模型店」(閉店)のショーウィンドウ映像も確認できる(1:22~)。ラストの京成曳舟駅の旧改札の映像も、レトロ感いっぱいで楽しめる。


京成曳舟「パチンコ喜楽」跡地(墨田区京島1-35-9)

スパニッシュスターII(平和、ハネモノ)

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1991年(平成3年)に平和から登場した新要件ハネモノ「スパニッシュスターII」

★賞球…7&15
★ハネ開閉時間…オトシ0.3秒、センター0.8秒×2
★最高15ラウンド継続
★大当り中は、下段V手前に玉を1個貯留
★貯留解除…ハズレ6カウント後又はハネ16回開閉後
★小デジ(天下)と電チュー(センター)搭載
★電チュー(小デジ)確率…1/30(表示上)



ご存知の通り、かつてのハネモノ時代には、ヤクモノに様々な「動物(生物)キャラ」を使うのが、定番の手法となっていた(現状は良く知らない)。

愛嬌タップリな個性的キャラ(今なら「ゆるキャラ」か)がセンターヤクモノに身構えて、時には堂々と、時にはひっそりと、その存在感をアピールする。打ち手に親しみやすく、記憶にも刺さり易い…そんな効果を狙った「動物系」のハネモノが、80~90年代には数多く登場した。特に、業界が女性ファン層を強く意識した、90年代前半の機種が多い。


犬…うちのポチI(II)、ブルドッグSP(SPII)
猫…ハッピーキャットI(II)/(ニュー)ラッキーキャット/まねき猫/ゴロニャンマーチ/ボンバーキャット
タヌキ…たぬき丼/ぽんぽこ林/ポンキッド2/たぬ吉くん/たぬ吉くん2
サル…モンキータクシー/孫悟空/もちあげ隊/悟空II(III、SP)/アイランド(3)/モンキー倶楽部
馬…エレックスジョッキー/ダービーキング/じゃじゃ馬キック/キャロットボーイ(リ)&rArr;パカパカダ-ビー/メリーゴーランド2
(メリーゴーランド2の馬は「動物」ではないが)
虎…サーベルタイガー、ライガーP3(虎とライオンのミックス)
ウサギ…ムーンラビット/ペッタンラビット
鳥…バードオブパラダイス/ピーコック/ぺりかん便
鳥&猫…ブンブン丸、ブンブン丸DX
クマ…鮭取伝説/小熊のプータン
サメ…おジョーズランド/サメざんす5
クジラ…くじら君
ペンギン…ビッグウェーブ/ファミリーペンギン
カバ…カバまるI/カバ丸くんP3(P2)
ワニ…アリゲーターI/元祖ワニ道楽(2、3)
ワニ&猿…アマゾンII
ゴリラ…キングコング/ゴリゴ13/キングゴリラI/ジャングルコング(EX)/マイティコングI/ゴリコップ
アシカ…あしかのジョー
ビーバー…ビーバーダム
象…エレファント
マンモス…マンモスくん(ED)、スーパーマンモスくん
コウモリ…こうもりくん、ミスこうもりさん、ドラッキー2
カンガルー…カンガルーチャンピオン
カニ…カニゴン
タコ…たこべぇ~/タコラーズDX
カニ&タコ&フグ…海鮮将軍
ヘビ…レッドスネークカモン/スネークマン
カエル…ピョンピョン丸2
ミツバチ…ハニーバー(II) (ニューギン「サンフラワー」もミツバチ説あり)
恐竜…パックンザウルス(P2)
竜…ドラゴンアタック3/ドラゴンアタックZ/サンダードラゴンGP(EX)
カッパ…カッパブギ(P2)

などなど、枚挙にいとまがない(全てを網羅するのは、到底無理)。

※(リ)…新セル版のリメイク機
※※一部台は原型をとどめぬ程「メカメカしく」デフォルメされているが、一応動物モノに含めた。



今回紹介する「スパニッシュスターII」も、そんな動物系ハネモノの1つだ。ヤクモノのキャラは、過去にあまり例を知らない「闘牛」。「牛」がモチーフのハネモノというと、真っ先に本機が思い浮かぶ(大一のハネモノ「牛若丸」も、デジタルに「牛」が出るので、一応牛繋がりだが)。因みに、デジパチでは、三星の「トリプルキング」(新セルのリメイク版は「モーモーズ」)がピンとくる。


当時、ハネモノが十八番だった平和が、「南欧の暴れ牛」という珍キャラを選んだのは、リリース翌年(1992年)が、スペイン・バルセロナ五輪の開催年だった事と、少なからず関係があろう。まぁ、「時節ネタ」というヤツである。


本機は、センター(ヘソ2チャッカー)に電動チューリップを搭載していた。新要件ハネモノの特性の1つが電チュー(電動役物)だったが、意外にも平和は電チュー参戦が遅い。逆に、早期から積極的に電チューを取り入れたのがマルホンだ。もちろん、西陣も第1弾「ニューモンロー」から電チューをウリにしていたし、三共も電チュー搭載・非搭載の兄弟機を多く出した。

一方の平和といえば、新要件初期の平成3年に「ニュートキオ」「ボイジャー1号」「ボイジャー2号」「ブンブン丸」「バイキングキッド」「バットマン」「ニューヨーカー」「ぽんぽこ林」「ジェットスピナー」など、数々の香ばしいハネモノをリリースしたが、いずれも電チューは非搭載だった。その後、同年末にデビューを飾った本機こそ、「平和初の電チュー付き新要件ハネモノ」である。

本機の導入時期は平成3年12月だが、本格的な設置は翌年に入ってからだった。こうした時期的な背景からか、盤面に付された「NEW VERSION」の円形ロゴ(平和・初期新要件ハネモノの象徴的なマーク)には、「’91」の年号が入っていない(本来ならば「’91 NEW VERSION」と付されるところ)。

因みに、本機の後継機は「スパニッシュスターF」(1993年)である。本機は「BIG HIT」枠だが、「F」は代替わりの「BIG BONUS」枠。役物の作りはほぼ共通だが、後発の「F」は電チュー非搭載。また、賞球も初代の「7&15」に対して、「F」は「8&10」とヤクモノの戻し玉が少ない。なお、スパニッシュスターFについては、実機を紹介する貴重なページがある為、詳細はそちらをご覧頂きたい(リンクは自重)。



(ゲーム性)




センター役物内では、立派な角を生やした赤い牛が、気合十分な表情でこちらを睨みつける。
この牛(特に頭上の角と下段の両前足)が、通常時も大当り中も大いに活躍した。

しかし、まず本機を語る上で外せないのが、独特の構造を有した「ハネ」であろう。


闘牛士を模ったハネは、外側(先端)と内側(根本)で構造・特徴が異なる。

ハネの外側で拾われた玉は、ハネ先端の入口から、ハネ内部をパイプの要領で通り抜けると、下段に直接落ちる(下段ルート)。一方、ハネの内側で玉を拾った場合、平坦ステージのハネに乗った玉は上段奥へと転がり、牛の頭上を通って下段奥へ落ちる(上段ルート)。

つまり、本機のハネは、上下二層構造の「二枚バネ」になっていた(当時、ニューギンが得意だった手法)。したがって、玉を拾ったハネの位置によって、役物内での玉の動きも全く変わった。

玉がハネの先端に拾われて、下段ステージに直接落ちた場合、大半がV左右のハズレ穴へと落ちる(勢いよく落下して、直接Vに入賞する事もあったが…)。一方の上段ルートは、角の間を通り抜ければ、下段で両足の間から出てきて、手前に転がってV獲得のチャンスとなる。

そう、本機はナキも重要だが、「ハネの内側」で玉を拾い易い台ほど、勝ち易くなっていたのだ。

風車下にある計6本の釘が、ハネの内側に流れやすい調整ならば、それだけ有利。逆に、先端付近でしか玉を拾わないと、ナキや拾いがいくら良くても、Vの遠い「性悪台」となる。

ただ、上段ルートが有利とは言っても、そう簡単にVが決まらない「カラクリ」もあった。役物内の牛は、ハネ開閉時に「左&rArr;右&rArr;中」とゆっくり動く。その為、角の間を通過するには、役物への入賞タイミングと牛の動きが、ピッタリ合わなければならない。また、たとえ角の関門をクリアしても、下段で足の間から出て来た玉が、牛のアクションで左右に逸れてしまう事が多い。

このように、V入賞がさほど容易ではなかった本機。だが、センターの2チャッカー入賞時に限っては、V獲得のチャンスが一気に高まった。

実は、ヘソに入賞して、ハネが二回目の開閉を行う時には、牛が左右動作を終えて、正面を向いて停止したのだ。この時、うまくハネの内側で拾えば、角の間を通り易い上に、足の間から出てきた玉がVに直進するので、大当りしやすかったのだ。本機における最大のチャンス、いわば「黄金パターン」といえた。


だが、2チャッカーは「電チュー」の為、入賞しない限りは黄金パターンも実現しない。

センター電チューの真上には、「CHANCE」と書かれたスルーチャッカーがある。スルー通過で、天下にある2ケタデジタルが、約6.3秒変動(保留4つ付き)。「33」「55」「77」のゾロ目が出ると、センターの電チューが2秒開く。ここで電チューに玉が入ると、ハネが0.8秒×2回の開放を行うのだ。

小デジタルは、左が「1~9」の9通り、右が「0~9」の10通りで、計90通り。一方、小デジ当選の出目は上記の3つで、小デジ確率は表示上3/90=「1/30」となる。実戦上、もう少し当りにくかった気もするが、単にヒキ弱だった可能性もアリ(解析値は不明)。

元々がスルーに流れ易いゲージの為、小デジは割と良く回った。だが、「1/30」なので、そう頻繁に当った訳ではない。また、電チューが開いても、寄りが悪いと空振り連発だったので、電チューへの「寄り」も重要なポイントだった。

ともかくも、「小デジ当選&rArr;電チュー開放&rArr;入賞」、そして「2回目のハネ開閉時、ハネ内側から役物に入賞」の条件さえクリアすれば、高確率で大当りが期待できた。ここでVを外すような、「クセ悪台」だと厳しい。



大当りすると、牛は正面を向いて停止する為、上段ルートの玉が角の間を通り易くなる。また、下段Vの手前にストッパーが出現して、足元から出てきた玉を、1個貯留する。貯留個数こそ少ないが、この1個貯留が、V継続を強力にアシストした。

但し、貯留の条件は、ハネに拾われた玉が「上段ルート」から角を通って落下した場合、つまり、ハネの「内側」で玉を拾った場合に限られる。

つまり、通常時のハネの拾いが、そのまま大当り中の継続率にも反映したのだ。もちろん、ハネの内側で拾い易い台ほど、継続率も高くなる訳だ。


貯留解除タイミングは、ハズレ6カウント後(センサーはハズレ穴)、又はハネ16回開閉後。解除された玉は、中央のミゾを伝って真っ直ぐ手前に進むので、貯留があれば高確率でV継続する。

一方、空振り多発で玉を拾わなかったり、ハネの先端でばかり玉を拾ったりすると、貯留できずにパンクする可能性が高くなる。

なお、下段ルートからでも、直接Vに飛びこみやすい「クセ良台」がたまにあった。しかし、そのテの台は、継続し易い代わりに、出玉も少ない。やはり、上段ルートを取り易い台の方が、初当り、継続率、出玉のいずれにおいても、有利だったのは事実だ。

ビバシティ―(西陣、デジパチ)

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1995年(平成7年)に西陣から登場した現金機デジパチ「ビバシティー」

★賞球…7&15
★大当り確率…1/245
★図柄…0~9、リンゴ、オレンジ※、チェリー、ベル、スイカ(15種類)。中デジのみブランク図柄有
★有効ライン…上下2ライン
★最高16ラウンド継続
★出玉…約2300個
★全15図柄中、奇数(1、3、5、7、9)で当ると、次回までの確変(小デジ)に突入(ループ有)
★確変突入率・継続率…1/3
★小デジ確率(「7」で当選)…1/10(通常時)、73/100(確変時)
★小デジ回転時間…29秒(通常時)、6.6秒(確変時)

※「プラム」と呼ぶ攻略誌もあった。


「平成7年」というと、当局の肝いりであるCR機が、ジワジワとその勢力を拡大※していた。また、デジパチの「顔」であるデジタル画面も、すでに「液晶」タイプが主流となっていた。
(※現金機が全く振るわなかった訳ではない。保留連チャン機を残すホールも多く、確変デジパチ、時短デジパチ、権利物なども充実していた)

CRFワールドI、CR球界王EX、CR名画、CR黄門ちゃま2といった前年の人気液晶(一部はブラウン管)機に加え、95年前半はCRウルトラダイナマイト、CRミスパチプロ、CRバトルヒーローV、CRパチプロヒストリーXといった液晶搭載の新台が次々登場。当の西陣も、カラーブラウン管を搭載した新鋭「CRチキチキドリームR」がスマッシュヒットを飾っていた。

そんな折、オーソドックスなドットデジタルで勝負を挑んだ本機。「安易にトレンドに屈しない」といった、気概が感じられた。CRよりも現金機を好んだ私にとって、まさにピッタリの一台だった。当時、新宿東南口の※「平和」(閉店)や、歌舞伎町の「日拓」(現・エスパス)チェーンで打った。
(※「平和」は長らく本機を設置。他にも、三洋「野球拳」、三共「フィーバークイーンII」、ニューギン「エキサイトジャック2」などの現金機を、2000年以降も置いていた)

以前、情報を下さった方もいるが、斉木しげる主演のVシネマ「パチプロ日記」で、冒頭田山プロ(斉木)が京楽ボンバーキャットを打つ場面で、別の客が本機を打つシーンが一瞬出てくる。ロケ地は、本機を実際に設置していた、南武線・稲城長沼駅近くの「スエヒロパート2」(閉店)。



今思えば、ファンキードクター(マルホン)、ブラボー七福神(平和)、ブラボーロイヤル(平和)、スーパー福の神(奥村)、出世街道II(三星)など、1995年に出たドットタイプの現金機(確変機や時短機)には、何かと思い入れのあるものが多い。

同じ年に出た「セブンゲッター」(大一、確変デジパチ)も、やはりドットタイプで、雰囲気的には本機と重なるものがあった(あくまでも個人的感想)。コチラは、SP音からの右スベリがアツかった。故・田山幸憲プロの「パチプロ日記」(桜新町H店)でも、たびたび登場。因みに、田山さんは、当初セブンゲッターを全く打たなかったが、かなり時間が経った後、地下のCR機が度を越した「シメシメルック」になって、ようやく打つようになった(その後、「ナナシー」がメインに)。



さて、本機はスロットマシンのドラムを思わせる、ワイドで立体的なデジタル画面が特徴だった。図柄もチェリー、ベル、オレンジ、スイカ、リンゴと、やはりスロットを意識していた。

そういえば、当時のメーカー仕様書には、「食欲をそそる大型図柄に多彩なリーチアクション」という表現があった。確かに果物図柄が多いが、特に腹が減り易かったという記憶はない(笑)。

一方のリーチアクションは、シンプルながらも非常に秀逸だった。有効ラインは、上下(平行)の2ライン(どちらに揃ってもOK。配列上、両方に図柄が揃う事はない)。

停止順は「左&rArr;右&rArr;中」で、左右テンパイからのリーチには、「ノーマル、スロー、二段階、拡大、全回転」の5つがあった。スローと二段階はノーマルから発展する。また、全デジタルが同時にスクロールする全回転リーチは、先行機に因んで「春夏秋冬リーチ」とも呼ばれた。

先日、当ブログで、その春夏秋冬の全回転の原型となった「アラシキング」を紹介した際、コメントで本機に触れた方がいたが、まさにその通り。西陣の全回転アクションは、「アラシキング&rArr;春夏秋冬&rArr;ビバシティー」と受け継がれて、その後も着実に継承された。

(各リーチの特徴)

ノーマル…中デジが速度を落としてスクロール。スローや二段階発展ならばチャンスはあるが、このままだと、まず当らない。
ノーマルスロー…大当り図柄が近づくと中デジがスローに変化。信頼度は低いが、たまに当る。
ノーマル二段階…ノーマルで一旦ハズレ停止後、中デジが再始動。非常に当たり易かったが、大外れの場合もアリ。実戦上の信頼度は7割ほど。その分、出現率は低い。
拡大…中デジが巨大化してスクロール。アメドリっぽく大当り図柄の手前からスローダウンする動きを、最大で3周繰り返す。こちらも信頼度は高い(実戦上は約50%)。
全回転…左右テンパイの瞬間、中デジにも同じ出目が並んだ場合、そのまま全デジタルが同時スクロールを開始(春夏秋冬リーチ)。配列上、3つ揃いの箇所は一部だが、信頼度は高い。


(拡大リーチ…本機の配列上、左右デジタルが「4と3」「8と7」の2ヶ所で止まると、上下段で数字がテンパイして、「ダブルリーチ」となる(大当り時は、どちらか一方が揃う)。


(ワープルート)

本機は、西陣お得意の「ワープルート」も搭載。天下(デジタル上)にステージ状の入口があり、ここからデジタル左右を通った玉は、下のメインステージに出た後、手前のヘソを目指す。

本機のヘソ入賞パターンは、デジタル左右から誘導釘、ジャンプ釘を伝ってヘソに入る通常ルートの他に、誘導釘で跳ねた玉がデジタル下のステージに乗ってヘソに向かうパターン、そして天下ワープを経由してヘソに入る計3パターンがあった。

当然、ワープに入り易い台ほど有利だが、実際のワープ経由のヘソ入賞率は、台毎の「ネカセ」や「クセ」で大きく変化した。ワープに入れば半分がヘソに入る台があった一方で、ステージから手前に転がった玉がことごとく左右に逸れて、始動チャッカーにさっぱり入らない、極度のクセ悪台もあった。


(ワープ入口…玉が乗り易いステージになっていた)




見事に図柄が揃って大当りとなると、ドット画面では、カジノをイメージさせるスロットマシンが登場する。また、大当り中は、ビートルズの名曲「オブラディ・オブラダ」の軽快な旋律が流れる。




(確変時=止打ち攻略)

先述の通り、全15図柄中、5通りの奇数で当ると、次回までの確変(小デジ)に突入(奇数は赤、偶数は橙と、デジタルが色分けされていた)。

次の大当りも奇数ならば、確変はループする。平均連チャンはともかく、ヒキ次第では、確変が続いて一気にドル箱を積むこともできた。

確変中は、メイン確率こそ不変だが、小デジ当選率が1/10から77/100に大幅アップ。また、小デジの変動時間も、29秒から6.6秒に大幅短縮される。さらに、メインデジタルの変動時間も短縮されるので、時間効率もアップ。

また、本機の確変の特徴として、「確変中は右打ちで消化」という点が挙げられよう。小デジを回すスルーも、始動チャッカーを兼ねた電チューも、共に盤面右に配されていたのだ(デジタル右脇にスルーが、その真下に電チューが配置)。

電チューは、2秒又は2個入賞まで開放。性能は非常に高く、電チュー周りの釘さえ普通なら、開放時は確実に2個拾ってくれた。タイミングが合えば、3個以上入賞する事も少なくなかった。


この特徴を生かして、確変中は「止め打ち」を確実に行い、出玉を増やす事が出来た。しかも、手順はシンプルで、根気さえあれば、誰もが実践可能だった。

具体的には、小デジ周期(電チュー開放周期)に合わせて玉を数発打つ。上部左右枠ランプの点滅を数えて打ち出しのタイミングをはかり、「3回点滅&rArr;4個打ち出し」をひたすら繰り返す。
(小デジの保留が無い時は、連続打ちでもOK)

これだけで、普通に打つとジワジワ減る調整でも、逆に少しづつ玉は増えた。そのままハマり続ければ、ドル箱1つ(それ以上)の上乗せも可能で、地味ではあるが強力な攻略法といえた。確変中もメイン確率は1/245だったので、「ハマリでの玉増えチャンス」は少なからずあった。




最後に余談だが、機種名「シティー」繋がりで、本機と同じ1995年に奥村から出たデジパチ「バーストシティー」シリーズ(バーストシティー、715、CR版の3つ)を思い出したので、ちょっと一言。
ご存知の通り、この年の1月に未曽有の被害を生んだ阪神大震災が発生。まさに、その直前に出た「バーストシティー」(現金機2機種)。全くの偶然とはいえ、震災を連想しかねない盤面デザイン(ビルが吹っ飛ぶイラスト(バーストシティ)、「爆裂都市」の仰々しい漢字ロゴ(715)が不謹慎と判断されて、早々に発売中止が決まった。その後、3月にはデザインの全く異なるCR版が登場(「バーストシティ」の機種名自体、街が爆発するイメージで問題はあろう)。

その数ヶ月後に本機が出た訳だが、コチラは「ビバシティー」(VIVA=万歳)で、盤面にも震災を想起させるものはなく、特に問題視されなかった。確かに、震災後に「万歳都市」とは不謹慎…との批判もあろうが、「VIVA」には復興地を激励するプラスの意味合いも強く、自粛せずの判断は妥当であろう。

これが、もしも震災の直前に「シェイクシティ―」(「SHAKE=揺れる)なんて名前で出ていたら、早期のお蔵入りは確実だった筈だ。言うまでもなく、「機種名」と「登場時期」は、その後の命運を決める重要なポイントといえる。

元住吉駅(東急東横線)パチンコ店マップ(1995年)

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  元住吉駅(東急東横線)のパチンコ店・パチスロ店マップ(1995年)



(西口)


(C)Google

A:ゴールド999 (ダイバーズXX、ニューパルサー)
B:パーラードーム(住吉書房の下) (不明)
C:パチンコTOYOKO (ソレックス、オリエンタルII)
D:ワスケ西口店 (エニイセブンA、ニューパルサー)



(東口)


(C)Google

A:パラダイス21 (ドリームセブンJr.、ザンガスII)
B:パチスロ一千両 (店舗閉鎖中につき不明)
C:ニュージャパン (イブX、プレイガールクイーン)
D:ワスケ会館 (イブX、ニューパルサー)

※カッコ内は当時の主なパチスロ設置機種


昭和の名機「モスラ」(平和、一般電役)

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古き良き、昭和のパチンコ…

1981年(昭和56年)に平和から登場した、一般電役の名機「モスラ」。賞球は「オール13」。

天穴部分には「SUPER MOSURA」のロゴがあり、「スーパーモスラ」と呼ばれる事もあったとか。

残念ながら、現役時に対峙する事は遂に叶わなかったが、その優れたゲーム性は、私も最低限は理解しているつもりだ。

本機は、当時都内で認可されず、主に、東北、東海、北陸、九州などで活躍したという。

1990年(平成2年)から都内・神奈川のパチ屋で活動を開始した私にとって、時代的にも、地域的にも、遭遇が難しい台だった訳だ。そんな状況下でも、設置店まで遠征したレトロフリークの方々を尊敬する。


いわずもがな、怪獣映画でお馴染みのキャラクターを模した、インパクトタップリの役物が特徴。天下の小さい羽根は通常時に、その下の大きい羽根は大当り時に、それぞれ活躍した。

また、モスラの顔の下にある両足(胴体)も、通常時と大当り中で大きく形を変えて、役物内の玉の動きに変化を与えた。特に、大当り中は玉を1個貯留して、ほぼ確実にV継続となった。

V継続回数に制限はなく、「貯留が続く限り、V継続」という電役としては画期的なゲーム性が、大量出玉可能な「夢」をファンに与えて、人気を博した。また、このシステムこそ、その後の貯留タイプのハネモノの「礎」となった(本機は、カテゴリー上「一般電役」だが、ゲーム性はハネモノに近似)。


左右のオトシ(ACTIONチャッカー)入賞で、天下の小さいハネが約1秒開放。ハネに拾われた玉は、モスラの「体内」に取り込まれて、下方に落ちる。通常時、大きなハネと両足は、共に垂直状態で静止。また、ハネ開閉時は、モスラの雄叫びを思わせる、「ワーオ、ワーオ」という電子音が鳴る。

なお、左右オトシの釘の形状には、ハネモノのような「ストレート」タイプと、画像にある「バラ釘」タイプの、計2種類が存在した。前者は北陸、後者は名古屋という風に、設置エリアによって異なるバージョンが設置されたという。

また、盤面デザインも、私の知る限り、画像のような「宇宙空間」をイメージしたものと、盤面右上に「鳳凰」が描かれた2パターンがある。他にも、様々なデザインの台が出回っていたのかもしれない。


天下のハネに拾われた玉は、大ハネと両足(胴体)が形成する役物の空間を通って落下。大抵は、最下段のハズレ穴に到達して「アウト」となる。

一方、ハズレ穴の真上には小さな橋(レール)のような突起があり、玉が落下途中で橋にうまく乗ると、その奥に設けられた小さな丸いV穴に吸い込まれて、大当りとなる。経年劣化で橋が削られて、V入賞もキツくなったとか…。


V穴に入賞すると、大きなハネが垂直からゆっくり左右に広がり、水平近くに開いてから約6秒(始動開始からは約9秒)静止する。同時に、垂直だった二本の足(胴体)も「くの字」に曲がり、「X」字の状態で止まる。ハネ開放中は、「ワワワワ…」と、耳を突くような電子音が鳴り続ける。

ハネの外側から拾われた玉は、ハネ奥に設けられた飛び込み穴に直接入賞。一方、ハネの内側に流れた玉は、役物内に取り込まれる。但し、下段のハズレ穴には入らず、X字の形で停止した両足の間に、玉を1個貯留する(2個貯留の場合もアリ)。あたかも、ハネを大きく拡げたモスラが、ガッチリと玉を抱える感じだ。

開放を続ける大きなハネは、6秒経過後又は役物8カウント後、再び閉鎖して垂直状態に戻る。同時に、くの字に曲がった両足も伸びて、貯留は解除される。モスラが抱えた玉を、おもむろに落下させる感じだ。解除された玉は、ほぼ確実に真下のV穴に入って、大当りは継続する。

貯留玉のV穴入賞率は極めて高く、うまくいけば上記の動きを延々と繰り返して、一撃での大量出玉も可能だった。もちろん、釘調整次第で、「大当りし易く、継続しづらい」マイルドなタイプにしたり、「初当りはキツイが、継続し易い」一発タイプに調整したりと、ゲーム性を多様に変化させる事もできた。

なお、本機は1個貯留だと容易に継続するが、2個貯留だと、貯留状態によってはVを外す危険があった。この時、台をドツいて貯留の位置を変えて、パンクを回避する荒業があったという。


余談だが、以前、有名パチスロ攻略ライターの「BOSS」と、有名スロプロ「しのけん」の両氏が、CS番組と攻略誌の共同企画で「旅打ち」を行った際、福岡・北九州(八幡東区)の「西門会館」という古いホールに立ち寄った事がある(1999年)。

直接のお目当ては、タイヨーの右レバー1.5号機「ハイアップターボ」だったが、店内に貼られた手書きの設置台一覧には、レトロファン垂涎のパチンコ名機が、数多くリストアップされていた。その中に、本機の名前もしっかり入っていた(「モスラ」ではなく、「モスラー」になっていたが)。

因みに、、二人はこの店で豊丸「シーザー」(旧要件デジパチ、保留連チャン機)や、平和「ビッグシューター」(旧要件ハネモノの名機)などを打っていた。特に、しのけんは、着席するや速攻でシーザーを大当りさせるなど、流石のヒキの強さを見せた。

私も一度は訪問したかった「西門会館」だが、惜しくも閉店となり、跡地は既に駐車場と化した。

(C)Google
「西門会館」跡地


(1999年当時、「西門会館」店内に貼られた、手書きの設置機種リスト)
「セブン」…デジパチ、「電役」…一般電役、「羽根」…ハネモノ、「普通」…普通機

         17機種
★奥村 モナコボート 1/227 セブン
★正村 マジカルチェイサー 1/227 セブン
★豊丸 シーザー 1/200 セブン
★京楽 玉ちゃんファイト 電役(※原文ママ。実際は「羽根」)
★三洋 スタヂアム 羽根
★三共 ハイパーボール 普通
★西陣 レッドライオン 羽根
★西陣 ベースボール 羽根
★平和 スーパーキャノン 羽根
★平和 ビッグシューター 羽根
★平和 エアプレーン 羽根
★平和 モスラ― 電役
★平和 エアライオン 普通
★京楽 UFO 電役
★タイヨー ハイアップターボ
★サミー アレンジボール
★サミー 雀球
     綜合遊技場 西門会館


(「旅打ち」ビデオ映像から書き起こしたもの)

田山さん追悼(三洋、サーカスIII)

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明日、7月4日は「ナナシーの日」。

言うまでもなく、名著「パチプロ日記」で有名な、東大出身のパチプロ・作家、田山幸憲氏の命日だ。
(タテから出ようがヨコから出ようが、「東大出身」に変わりはない)

14年前の2001年7月4日午後5時3分、心不全により惜しまれつつ逝去。享年54歳。
(舌癌との闘病中であった)

「ナナシーの日」は、生前、氏が好んだ一般電役「ナナシー」(豊丸)に因んだもの。


当ブログでは、これまでたびたび、田山さんにまつわる記事を書き綴ってきた。

「ナナシーの日」に際して追悼記事をアップするのも、これで3回目となる。

こうして記事を度々上げているうち、故・田山プロに対する親愛の念は、現役時よりも遥かに深くなりつつある。


果たして何を書こうかと、今回も色々悩んだ。そして、当時の田山さんを偲ぶ意味でも、氏と縁の深いパチンコ台で、当ブログでこれまで取り上げていないもの、かつ自分自身も思い入れのある機種を、「パチプロ日記」と絡めて回顧しよう…という気になった。


そして、選んだ台はコチラ。






1991年(平成3年)に三洋から登場した新要件ハネモノ「サーカスIII」

・賞球7&15
・最高15ラウンド継続
・最大貯留数・・・7個
・ヘソチャッカー入賞時のBGM・・・ビビディバビディブー
・大当り中(ラウンド前半※)のBGM
1R~8R スーザ「星条旗よ永遠なれ」(第三旋律)
9R~14R ワルツ調のBGM(曲名不明)
15R エルガー「威風堂々」
※ラウンド後半はBGMが変化


本機は、記念すべき三洋の新要件ハネモノ第一弾だ(同時期には「アマゾンII」や、本機の電チュー搭載VER「サーカスII」などの新要件ハネモノも、同社からデビュー)。

文字通り、サーカスをモチーフにした台である(当時、「サーカス」と名の付く台が、各メーカーから出ていた)。

ご存知の方もいると思うが、このサーカスIII、田山プロが池袋西口の「山楽」(S店)をネグラにした時期に、地下のハネモノシマで、メイン機種の1つとして追った台である。



(当時の「山楽」)


ピエロ、ライオンなどが描かれたメルヘン調の盤面、スライド式のハネ、センターでクルクル回り続ける赤青の回転体、マジカペチックな移動式Vゾーンと、多くの特徴を備えたハネモノ。



90年代初頭の平成3年、新要件初期のハネモノというと、西陣「ニューモンロー」、三共「サンダードラゴンGP」、平和「ニュートキオ」などが人気を博したが、本機も、それらに次ぐヒット機種となった。

私自身、当時の地元(O線Y駅L店)で、導入直後からよく追っかけた。ただ、それまでハネモノシマに並んでいた「遊べる」旧要件機(スーパーブラザース、スタジアム、パチンコ大賞など)が、モンローやニュートキオ(L店にサンダードラゴンは入らず)といった新要件の大量獲得機に「侵食」されていく様子に、一抹の不安がよぎったのも事実。正にホールは、「小銭から大銭の時代」に移行しつつあった。「ハネモノが、遊びにくくなった…」パチ歴一年少々の自分でも、それは痛感せざるをえなかった。

ただ、このサーカスIIIは、初当りの険しいモンローやニュートキオよりも、「取っ付き易い」印象もあった。実際、1000円以内の初期投資で、打ち止め終了に持っていった事も多い。シマには、まだ800個サイズの青い小さなドル箱が並んでいた。もちろん、「出る」と踏んだ台でVに嫌われ続け、返り討ちにあったケースも多いが…。

同時に、他の大量獲得機よりも、途中で「パンク」する頻度が高かった。サーカスIIIとの戦いは、まさにパンクとの戦いでもあった。それを回避する為の「9個止め」攻略も編み出された。

件の「パチプロ日記」でも、本機のパンクに苦しむ場面の描写は多い。以下は、その抜粋。

「続いて、同じ並びの325番へ。単なる横の比較から。と、二百円のオトシ一発でVに来たのは、ラッキー。だが、ア然とするようなパンクをやってくれた。出玉は四百個程度。すぐにまたかかる。「今度こそ!」と力んだら、またもや同じようなパンク。連チャンして、出玉が八百個とは……。そして、当然の如く、その玉を呑まれてしまった。」(91年4月23日の日記より)

「ところが、(ラウンド)五回目あたりで突如ヨリが悪くなって、パンク。出玉は五百個ぐらいか。昨日来の最低新記録。その玉を四百個打ち込んで、またV。と、今度はもっとひどいパンク。上皿も出ない。たちまち最低新記録をぬり変えてしまった。と、またすぐにかかって、また惨めなパンク。三度かかって、五百個を越えられない。とにかくヨリが悪すぎる。」(93年3月15日の日記より)


それでも、好調で15ラウンド完走させれば、2000個近い大量出玉があった。これが連チャンで完走となれば、あっという間に打ち止め終了。ただ、その頻度において、モンローやニュートキオ、サンドラ等と比べると、圧倒的に低かった…ということである。



ではここで、本機のゲーム性を簡単に紹介。

ハネ開閉時間はオトシ0.3秒、ヘソ0.5秒×2。

「サーカス」と書かれたスライド式のハネは、開閉時間の短さもあって、玉を拾いそうで拾わないイメージ。ナキはいいのにハネに乗らず、イライラ、ジリジリさせられたことも多い。

そんなハネに拾われた玉は、上段ステージから下段奥に落ちた後、中央で反時計周り(周期は4秒)を続ける、赤・青二色の小さな回転体にアプローチする。

回転体の外周には、等間隔で6つの突起(柱)が立っており、下段奥から来た玉は、この突起をすり抜けて回転体の中を通るか、突起で外に弾かれるかして、手前に転がる。

ただし、回転体に乗っても、手前に転がる時、突起に弾かれて玉は左右(特に左)に逸れ易い。一方、回転体経由で手前にうまく直進すると、V入賞のチャンスだ。

回転体の手前には、「HIT」と書かれたVゾーンがある。普段は停止しているが、始動チャッカー入賞を機に、マジカペよろしく左右に動く(右&rArr;左&rArr;中と移動)。その回転体を通り抜けた玉が、手前のVにうまく拾われれば大当り。

オトシ入賞時のハネ開放は「0.3秒」と短く、チャンスは一瞬。しかも、ハネに乗った玉が回転体からVにアプローチするタイミングも、大体似たようなものになる。この時、Vゾーンは真ん中に戻っている事が多く、回転体の外側に流れるとVに決まりにくい。やはり、「直進ルート」が大当りの王道パターン。

一方、ヘソ入賞の場合は、「0.5秒×2回」開放と、チャンスはより広がる。しかも、回転体から来た玉が左に流れた時、やはり左に動いていたVと、タイミングがピッタリ合う事がある。「動くVゾーン」の恩恵を受けやすいのは、ヘソ入賞時であろう。それでも、やはり真ん中からVに決まるパターンが最も多かった。奥から来た玉が、回転体の突起をすり抜けて、「矢の如く」直進してVに決まるパターンは、見ていて気持ちがよかった。


大当りになると、役物上部から銀色のリングが降下。回転体(大当り中も回転を続ける)の外周をすっぽり包む格好で、回転体の中に玉を複数貯留。貯留は最大7個。各突起の間に6つと、中央に1つ。只、6個貯留まではスムーズにいっても、7個貯留の成否は、貯留の形と役物入賞のタイミングに左右された。当然、貯留が多いほど、継続もし易い。ヨリの悪い台は貯留もしづらく、パンクの危険も高い。

Vゾーンは、大当り中も左右に動き続ける。7個貯留がある為、Vへの再入賞は基本的に貯留解除後だが、貯留中、後続の玉が回転体を乗り越えてVへ入ることもあった。

役物10個入賞後、若しくはハネ18回開閉後に、貯留は解除。つまり、最後の最後での解除だ。回転体に収まっていた貯留玉も、動くVゾーンめがけて、一斉に手前へ転がる。

ただ、回転体は「反時計回り」なので、貯留解除後は遠心力で左方向に転がり易い。その為、解除の瞬間、Vが中央よりもやや左にあれば、V入賞し易い(クセにもよる)。逆に、Vが大きく左右に寄っている時(特に右端にある時)は、Vを外し易い。

だが、大当り中、普通に打っていては、10カウントで貯留解除の際、Vが右に大きく寄っているケースもあって、パンクの危険も高くなる。

一方、ハネ18回開閉後、貯留が自動解除される瞬間は、Vゾーンが常に「やや左」の理想的なポジションに来るようになっていた。この特性を利用して、役物9個入賞で打ち出しをストップし、ハネ18回開閉後の自動解除を待てば、Vが中央左寄りにいる時に貯留が解除され、継続率も自然とアップする。これが、当時発覚した「9個止め」攻略である。

しかしながら、この9個止めは、パンクの可能性を下げても、「100%V継続した」訳ではない。貯留解除時、玉が不当に暴れる「クセ悪台」もあって、たとえ9個止めしても、いとも簡単にパンクする悲運に泣かされる事が、決して少なくなかった。ことさら完走しにくい「デキワル」である。

また、貯留が解除された瞬間の突起の位置によって、解除された玉の動きも微妙に変わる為、V継続の成否は、運に左右される部分も多かったといえる。ともかくも、できるだけ多くの玉を回転体に乗せる事が、継続には不可欠だった。

因みに、田山プロも日記で「9個止め」に言及しているが、その効果については、少々懐疑的な立場をとっていた。これは、田山氏独特の「矜持」というか、自分なりの「攻略理論」に基づくものだろう。つまり、「タテの比較」と「パターン認識」に勝る攻略は無し、との持論に基づくもの。その姿勢を否定する気など、私には毛頭ない。

「さしたる打ち込みもなく、かかるにはかかるが、前半のパンクばかりで一向にラチがあかない。“九個止め”なんてやったって、ムダな抵抗だ。出玉を減らしてパンクしてりゃあ、世話はない。」(1992年3月22日の日記より)

「二千二百円目のフシを逃して以来、初めてVに来たのが、八千四百円目だったか、とにかく、これもまたゼロパン。九個止めなんかやったって、何にもならない。返ってムカつくだけ。それにしても、何だ、この台は。今までに三度かかって、三度ともゼロパンじゃないか。ふざけてやがる!頭に来たから、ぶん投げてやろうと思った。」(1992年9月9日の日記より)


補足すれば、「9個止め」攻略はパンク回避に一役買ったが、9個以上は役物に入賞しない為、たとえ完走しても、普通に打って完走した時よりも、明らかに出玉は少なくなる。また、本機では、18回目のハネ開放で拾われた玉(或いは玉突きした貯留玉)が、やや遅めにVに入った場合、その直前に始動チャッカーに入賞していれば、再び1ラウンドに戻る「ダブル」の現象が稀に起きた。しかし、「9個止め」をしている限りは、ダブル獲得のチャンスも少なかったのだ。

そこで、9個止めを改良した、新たな「技」も開発された。9個入賞で止打ちを行った後、18回目のハネ開閉に合わせて打ち出しを再開して、タイミングよく玉を拾わせる方法だ。これなら、9個止め本来の目的も果たすし、10個目を拾って出玉も増え、さらにダブル発生の可能性までアップして、「一石三鳥」となった。


なお、大当り中のラウンド数表示は、スライド羽根の上に並んだ、8つのLEDランプで行う。ラウンドが進むごとに、左から一つづつ点灯。赤ランプ8つなら8ラウンド目だ。9ラウンド目からは、再び左が1個だけ点灯するが、この時ランプの色が赤から緑へと変わる。

田山さんの日記でも、ランプの色で大当り中の継続ラウンドを示唆していた。「赤ランプの終りあたりでパンク」とか、「今度はパンクだったが、青ランプの範囲」といった感じだ。「緑」ではなく「青」と表現していたのも面白い。



さて、機種紹介はこの程度にして、ここからは、当時の「パチプロ日記」を中心に、田山さんとサーカスIIIとの「対戦戦歴」などを振り返ってみたい。

なお、本記事を書くに当り、「パチンコ必勝ガイド」誌のバックナンバーを引っ張り出して、「1991年7月号」~「1993年7月3日号」の約30冊分に連載された日記の、ほぼ全てに目を通した。
(単行本に収録されていないものが多い為)

また、「池袋S店末期~溝の口時代」について書かれた単行本「パチプロ日記II」(白夜書房)、平成4年10月の「山楽・特別書き下ろし実戦」が収録された「一攫千金・FINALパチンカー必勝道」(講談社コミックス)、そして、こちらもS店末期と溝の口時代が描かれた、劇画「田山幸憲パチプロ日記4」(溝の口編)(小池書院)なども、少なからず参考にした。


さらに、日記で田山さんがサーカスIIIと対峙(クギ読み、実戦)する場面をピックアップしてワープロに書き出していったところ、四万字近い「長編」が出来上がった。いわば、「パチプロ日記・池袋サーカスIII激闘編」とでもいうべき内容だ。まさに、「世界にただ一つだけ」の読み物。

ただ、これをそっくりアップしてしまっては、著作権上大いに問題があろう。コチラは、あくまでも個人で楽しむにとどめて、本記事での公開は差し控えたい。

ただ、全く何も書かないのでは寂しいから、その「パチプロ日記・サーカスIII編」のまとめとして、91年4月~93年3月までの「対戦履歴」を、簡単な一覧にまとめた。それが、以下のデータだ。


★田山プロと三洋「サーカスIII」との戦い(1991年4月~1993年3月)

1991年

4月初めの新装で、サーカスIIIが新台導入
・それまでローリングマシーン(三共)があったシマに、計20台導入。
・設置個所…池袋「山楽」(S店)地下のハネモノフロア。階段を下りた、壁付きシマ(背中のシマは「パチンコ大賞」だったが、この年の秋に「ニューモンロー」が代わりに入る。以後、サーカスとモンローは背中合わせのシマとなる。)
・台番号…318番(右カド)、320番、321番、322番、323番、325番、326番、327番、328番、330番、331番(シマ中央に玉貸機)、332番、333番、335番、336番、337番、338番、350番、351番、352番、353番(左カド)の、計20台(台番は「4,9」飛ばし)。
・開店は午前10時。換金率は2.5円。ハネモノの終了個数は4000個。


4/23  335番(2000円ヤメ) 325番(200円ノマレ)

(以後、91年度の日記中に、サーカスIIIの実戦記録なし。常連の「赤毛」が、当初サーカスを好んだ話は出てくる)


1992年

(1月、2月分はサーカスの実戦なし)

3/22  338番(1200円&rArr;3200個) 再338番(4600円&rArr;2600個)
3/23  338番(2400円ヤメ)
4/27  351番(2000円ヤメ)
4/30  335番(400円&rArr;3000個) 再335番(2600円ヤメ)
5/27  321番(200円&rArr;1300個)
5/28  321番(200円&rArr;1000個) 352番(400円&rArr;800個)
6/22  318番(1200円ヤメ) 336番(600円ヤメ) 再318番(1000円&rArr;約1000個)
6/23  336番(2600円ノマレ) 再336番(1400円&rArr;1800個)
6/24  338番(800円ノマレ→追加1000円&rArr;4200個) 再338番(1600円&rArr;800個)
6/25  320番(1200円ノマレ→追加600円ノマレ&rArr;追加2200円ヤメ)
7/28  322番(1200円ヤメ) 337番(400円ヤメ) 352番(400円ヤメ)

(8月分は対戦無し)
9/9   338番(2200円ノマレ→追加6200円ノマレ→追加800円&rArr;4200個) 
     再338番(800円ノマレ→追加2000円ヤメ)
9/25  351番(800円ノマレ→追加800円&rArr;4700個) 再351番(600円&rArr;1700個)
9/26  326番(1000円ノマレ)
10/9  327番(400円&rArr;4200個) 再327番(2000円ヤメ)
10/10  351番(1400円ヤメ) 再351番(800円&rArr;3100個)
10/11  330番(800円ヤメ) 351番(3000円&rArr;3200個)
10/23  351番(1200円ノマレ) 323番(200円&rArr;2200個)
10/24  323番(600円ヤメ) 330番(400円&rArr;4000個) 再330番(1400円ヤメ)
351番(800円&rArr;1800個)
10/27  330番、336番、352番と打ちまわる(収支不明)
10/28   330番(1200円ヤメ)、再330番、352番と打ちまわる(収支不明)
10/30  327番(3800円&rArr;800個)
11/16  323番(300円&rArr;残り200個持って、モンロー368に移動)
11/18  330番(1400円ヤメ) 再330番(2200円ノマレ)
12/1   331番(1400円ヤメ) 再331番(1600円ヤメ) 再331番(1000円ノマレ)


1993年

1/25  331番(2000円ヤメ) 330番(400円&rArr;2000個) 
     再331番(持ち玉100個+追加200円&rArr;2000個

2/8   335番(1200円&rArr;4200個) 再335番(3400円&rArr;4500個)
     再々335番(5000円ノマレ→追加1800円ノマレ)

2/9   335番(3400円&rArr;4100個) 再335番(2000円&rArr;4600個)
     再々335番(2600円ノマレ→追加1000円ヤメ)

2/24  327番(200円ノマレ→追加1800円ノマレ→追加2000円&rArr;2300個)
3/13  338番(2000円ノマレ→追加1000円&rArr;4200個) 再338番(2000円ヤメ)
     再々338番(200円&rArr;3000個)
3/15  338番(2200円&rArr;4300個) 再338番(2200円)
3/22  322番(1200円ヤメ)
3/23  323番(200円ノマレ)

(三月末の新装で、サーカスIII撤去。後釜は、1Fで外れたデジパチ「ブルーハワイ」)

※註
「1000円&rArr;4000発」…投資1000円で4000発を獲得
「800円ヤメ」…800円投資して、大当りゼロでヤメ
「800円ノマレ」…800円投資で大当りするも、結局は呑まれてヤメ
「再338番」…一度席を立った338番に、再挑戦
「再々338番」…二度座った338番に、三たび挑戦



91年4月アタマの新規導入後、91年12月までの日記において、田山さんがサーカスIIIを打ったのは、新装当初の1日のみ。その後、全くと言ってよいほど実戦の記述は出て来ない。ただ、その理由は、日記から推測できる。

「(今のところ)、サーカスを打つ場合に限り、以下のようなルールが設けられている。
①他の台から玉を持ち込んではいけない。
②玉を持って他の台に移ってはいけない。
③四千個打止めで、交代。
何だ、このルールは。デジパチの悪い所と一般台の悪い所を取り合わせただけじゃないか!これでは、バカバカしくて、とうてい打つ気になれない。」(1991年4月21日の日記より)

という訳で、この頃の田山さんは、サーカスのシマにさほど魅力を感じず、主に1Fのデジパチ(フィーバーチャレンジII、パラダイスI、ブラボークイーンなど)を頼りとした。また、地下ハネモノでは、依然残っていた旧要件のパチンコ大賞(オヤジ)、ビッグシューター、ローリングマシーン辺りを中心に打ち回っている。

その後、年が変わり、1992年2月24日の日記にて、ようやくサーカスIIIに関する記述が登場。

「ハネモノは相変わらず旧要件の二シマ(オヤジ・ビッグシューター)が中心。新要件はモンローの一シマだけにとどめているのが現状。その背中のサーカスもあらかた釘を呑み込んではいるが、かかってもパンクばかりするので、好きになれない。」

この時点では、サーカスをちょくちょく打っていたにせよ、度重なるパンクに嫌気がさして、「主力機種」にはしたくない感じも見受けられる。一方、後から入ったモンローは、既にして「守備範囲」となっていた。

一方、翌月の日記には、こんな記載がある。

「今朝もまた若干の遅刻でS店着。ジャンパーのポケットに両手をつっこみながら、のろのろと階段を下りた。下りた所がモンローとサーカスのシマ。近ごろはこの二シマから釘を見始めることが多くなっている。(中略)それならば、サーカスの338番の方が堅い。338番は、木・金・土と自分が札を入れている台。食い付いてしまえば、一度は終了する。だが、二度目がきかない。」(92年3月22日の日記)

前月は「好きになれなかった」サーカスの釘を、朝からまめにチェックして、しかも同じ台で3日続けて終了札を入れている。どうやらこの辺りから、ある程度の結果が伴い始めて、田山さんにとって「使える」機種になってきた感じ。実際、日記でもここからほぼ毎月、サーカス実戦の様子が書かれている。設置から実に一年近く経って、やっと本腰が入って来たという事だ。この辺り、大勢が意地汚く殺到する新台を嫌う、田山さんらしい付き合い方だ。

その後、田山さんの勝負機種は、このサーカスIIIと背中のモンローがメインになる。ただ、実戦機会も収支も、明らかにモンローの方が上だった。それでも、辛抱強くサーカスの「アキ」を朝から探し続けて、タテの比較でチャンスを見いだしては、勝負をかける展開が続いた。それは、上記のデータにある通りである。


ただ、データだけを見ると、単に無機質な数字や文字、記号の「羅列」に過ぎない。しかし、実際には「波乱万丈」ともいえる展開の連続であった。順調に予定終了するケースは寧ろ少なく、厳選した勝負台で即パン連続やバネの豹変に泣かされたり、打ち止め寸前からまさかのスランプに捕まって、天国から地獄へ突き落されたり…と、苦労の連続が見てとれる。

そんな中でも、上昇波に入ると、完走パンクを「こき混ぜて」終了まで持っていくことも多かった。パンクの連チャンで出玉が一気に増える事も。また、パターン認識ピッタリの線(1750個落ちなど)で大当りして、台が復活したりすると、「してやったり」と喜びを見せた。

一方で、順調に同じ台を2回終了させた後、3回目の挑戦で3000個以上あった玉を呑まれて、さらに追加投資してギブアップしまった日もある。その「後味の悪さ」が余程こたえたのか、翌日S店に向かう電車の中で、「あの台のクギは、今日どうなっているだろうか」という事ばかり考えるシーンも印象的だ。朝イチの釘見で「据え置き」と判るや、思わず「やった!」と心の中で叫んでいる(93年2月9日の日記より)。


さて、あらためて上記データを計算してみると、(不明分もあるが)総投資額が109500円、総出玉が85000個(2.5円換金で212500円)となり、収支は「プラス10万チョイ」。「日記」という限られた時間での勝負とはいえ、正直「え、そんなもの?」と、物足りなく思える数字ではある。

確かに、この当時の田山さんには、収支的に「スランプ」といえる時期があった。92年9月7日~9月9日までの日記(三日間)では、連載後、初めての「(日記分)トータルマイナス収支」となってしまった。

しかし、田山さんはサーカスIIIだけを追っていたのではなく、寧ろ、本命にしたのは、背中のシマの「ニューモンロー」の方だった。先程も書いたが、コチラの収支はサーカスよりも明らかに上。また、後に入った同じ西陣のハネモノ「カバ丸くん(P3)」でも、割と良好な戦績を残した。それらに比べると、サーカスIIIと闘う田山さんは、当初の思惑通りに行かず、苦戦を強いられるケースが多いようにも思える。

ただし、繰り返すが、これはあくまでも「日記掲載分」の話であり、実際の勝負の内、ほんの一部に過ぎない。この数字だけを以て、サーカスIIIの戦績を評するのは、いかにも短絡的だろう。


事実、田山さんにとってのサーカスIIIは、当時のS店設置台の中でも、「一番安心できる」台であったという。以下は、必勝ガイド誌92年12月5日号の「パチプロ日記」欄外に書かれた、「田山プロ・風の便り」より。

「先月の新装開店で旧要件機のビッグシューター、パチンコ大賞に替わってS店地階ハネモノコーナーに入ったのは、玉ちゃん倶楽部とカバ丸くん。今どきの羽根モノにしてはいずれも比較的おとなしい機種のはずだが、それでも田山プロにいわせれば「カバ丸くんはスランプがきつすぎる」。相変わらず安定志向のパチンコを続ける田山プロにとって、今のところ打っていて一番安心できる機種はサーカスⅢであるとのこと。」



そうそう、田山さんお得意の「タテの比較」(クギを他台と比べる(横の比較)ではなく、その台の前日のクギと比較する)に関して。

当時の「山楽」では、サーカスIIIのクギ調整は、主に「左風車上の誘導クギ(一本釘)」のアケシメで行われており、田山さんのチェックにおいても、この点が重要だった。以下は、日記の抜粋。

「さて、地下へと下りて行くと、今日はサーカスを集中的にアケた感じ。332番、337番、338番と、二台ずつ並べて計四台。例によって、風車上誘導クギ。この店では、サーカスの場合、ここを釘調整のポイントとしている。故に、出るかどうかが覚つかないケースも多いわけだが、デキの良い台ならば、この一点で出てしまう。」(1992年6月24日の日記より)

「やはり今日はサーカスに決めた。351番はこの風車上誘導クギで十分。オトシやヘソに難点もない。食い付きだけの問題だと思う。」(1992年9月25日の日記)

もちろん、ヘソやオトシが無関係ではなく、風車上が同じアキならば、当然ヘソ・オトシのより甘い台を優先した。また、台自体の「デキ」(役物のクセなど)も重視した。たとえクギがアイても、デキワルならば要注意、といった感じだ。



さらに、田山さんが立ち回りの上で強い「拠り所」としたのが、スランプ時に打ち込んだ玉数で、台の状態の変化を掴むという、「パターン認識」である。このサーカスIIIについても、スランプに陥った台が復活する、いわゆる「フシ」(打ち込み玉数)が、幾つも挙げられている。

とりわけ、サーカスでは現金7千円分の「1750個落ち」や、5千円分の「1250個落ち」を強調していた事が印象深い。このフシを目安にして、いったん出玉が呑まれても続行したり、フシに近い空き台の後釜を狙ったりしていた。

「何発打ち込んだから、台の状態が変わる」との考えは、ややもするとオカルトめいた印象を与える。だが、手打ち時代からの長い積み重ねで、田山さんのプロ生活を確実に支えた「経験則」に対して、とやかくケチをつけるのはナンセンスだろう。


結局、池袋「山楽」地下のサーカスIIIは、93年3月末の新装をもって、1Fから移ってきたブルーハワイと入れ替えられて、撤去と相成った。

以前の田山さんなら、こうして長く追い続けた台が外される時は、「ありがとう」「さらば」といった「労い」の言葉をかけたものだが、この時の日記で、そうした言葉は遂になかった。

思うに、当時の田山さんは、住み慣れたブクロの自宅を去って用賀に移ったばかりで、「電車通勤するパチプロ」の状態。さらに、ネグラ自体の移動も、まさに間近に迫っていた。そんな心理的な負担や多忙さもあり、長らく付き合ったサーカスに対する思念も、一時的に薄れてしまったのではないか。決して、サーカスに対する愛情が、完全に失せた訳ではないと思う。
(実際、ガイド93年3月号(2回発行)では、日記が開始して以来、初めて連載を休んだ)。

ともかくも、形式的に約3年、実質約2年の付き合いをしたサーカスIIIとも、これにて「お別れ」となった。末期には、「マグレ台」や「ハンパ台」といった表現が日記でも多く使われ、クギの状態がかなり悪化していたことが窺える。


…とまぁ、書こうと思えばまだまだ書けるが、文字数はすでに25000字を超えてしまった。「追悼記事」としては、少々踏み込みすぎた感もあるので、この辺りで終わりたい。


そんな訳で田山さん、今回は、あなたの好きだったハネモノ「サーカスIII」を、当時の日記と併せて、私なりに振り返ってみました。よろしければ、天国で酒でもチビチビ飲みながら、のんびりと読み返して下さい。合掌。

Youtube 90年代動画紹介(11)

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Youtube神投稿者・ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon )が撮影した、貴重な90年代動画を拡散する、個人的応援コーナー。今回は、こちらの映像をご紹介。

https://www.youtube.com/watch?v=E6_JfaOpOrw


池袋駅西口界隈(夜)をライルさんが撮ったもの。時期は1990年(平成2年)3月20日との事。


何を隠そう、この動画には、パチプロ・田山幸憲さんが長年ネグラにした、「山楽」(池袋のS店)の様子が映っているのだ。この上なく貴重な映像といえよう。

実は、長いこと当ブログでも紹介する事なく、密かに「独り占め」を続けていた動画(笑)。

だが、今年の「ナナシーの日」(7月4日、田山さんの命日)を機に、皆さんにもこの映像の存在を知って頂きたく、記事作成を決意した次第だ(以前、池袋絡みの記事を書いた際、この動画を少なからず参考にした)。


現在、ネット上には無数の映像が散らばっているが、現役時の田山プロが通っていた、まさに「リアルタイム」な山楽の様子を捉えた動画は、他に無いのではないか。
(在りし日の田山さんが居酒屋で喋っている、別のヨウツベ映像も、もちろん貴重だが)


不遜ながら、本記事アップを契機に、本動画の再生回数が大きく跳ね上がる事を期待する。
(記事作成時の再生回数は「260回」)

まるでタイムマシンの如く、我々を平成初期に連れて行ってくれる、懐かしき動画の数々…。
そんな映像をいつも提供してくれるライルさんへの、私なりの恩返し。
ライルさん、本当に有難う(Lyle-san, thanks a lot!)。


で、肝心の「山楽」が出てくる場面は、6:02~6:35の部分だ。30秒少々の短いシーンだが、夜道に煌々と輝く、山楽の赤いネオンなどが、はっきりと確認できる。
(9:13辺りでは、ロサ会館側入口のネオンも映る)

特に、6:27~6:32では、ほんの一瞬ではあるが、ライルさんが山楽の「店内」にフォーカスしている。世界広しといえども、平成2年の山楽内部を映した動画など、これ以外に無いだろう。

映像では、ドア付近の2シマが映るが、画質がやや不鮮明な為、機種までは特定できない。
左側のシマはニューギンの台枠っぽいが、ひょっとしたらマルホンの枠かもしれない。もしもマルホンなら、90年3月14日の日記で、1Fに「パールセブンII」が新台で入ったとの記述がある。そして、これがパールセブンIIとすると、その背中のシマは、田山さんが追っかけた一発台「ジェットライン」という事が判っている。だとすれば、右側のシマが、まさに「ジェットライン」という事になるが…真相は果たしてどうか。

また、店内でチラッと顔の映る若者が、もしや常連仲間の「学生プロ」?と考えたりするが、劇画以外では顔を知らない為、判断のしようがない。

なお、田山さん本人の姿は、流石に映っていない様子。まぁ、大抵は夕方前に「仕事」を切り上げて仲間達と呑みに行っていたのだから、遅い時間帯なら、店内にいなくて当然だろう。

それでも、呑んだ後、翌日に備えて、店へ戻る事もあったかもしれない。で、この日は如何にと、単行本「パチプロ日記I」の90年3月20日(火)の項を確認した所、概してこんな感じだった。

地下のハネモノ「ローリングマシーン」と「ビッグシューター」に翻弄(共に、風車上誘導クギがアイているのに出なかった)された後、1Fに上がって一発台「ジェットライン」の185番に陣取り、悪運強く安ゼニで2回当てる。その後、3回目は一旦断念するも、同じくジェットライン(202番)を打っていた学生プロが大当りした為、終了まで時間潰しに隣の201番をちょこっと打ったら、これまた悪運強く100円で大当り。計3回当ててハネモノの負け分を取り返し、収支はプラス2万の勝利となった。

ただ、日記を見る限り、この日は少なくとも午後3時辺りには店を出た感じで、また、閉店前に店へ戻ったとの記載もない。したがって、動画撮影時、田山さんは店にいなかった可能性が高いと思われる。


それと、6:19辺りでは、山楽の裏口を出て真向いの喫茶店、「ネスパ」(閉店)が映っている。
かつて、末井編集長と田山さんが、原稿の受け渡しや打ち合わせに使ったのが、この店だった。

また、「ネスパ」の隣にあった、妖しくも香ばしい大人のビデオ屋「ロマン」も映る。この店の横の螺旋階段を上がると、山楽の換金所があった。ちょうど撮影時が閉店近くだったようで、特殊景品を抱えた(と思しき)大勢の客が、裏路地で行列を作る様子も確認できる。


ちなみに、動画をよく観察すると、「山楽」以外のパチ屋・スロ屋(池袋西口)も、あちらこちらに映っている事が判る。参考までに、各店舗が映り込んだ時間帯を、ざっとメモしておこう。


「パチスロカメ」…1:39~(ファイアーバード7U)
「モナコ」…2:30~(ニューペガサス)
「コスモ」…4:33~
「山楽」…6:02~(路地側)、9:13~(ロサ会館側)
「パール」(山楽の隣、裏口)…6:40~
「ひかり」…6:55~7:15
「やすだ」(パールの隣)…7:58
「パール」(正面)…8:13
「ビッグプレイ」(ロサの角)…8:27~(アニマル)  8:42~「ポコキュン」音とミュージックホン
「パール」の派手な孔雀ネオン…9:10~
「ロビー」…9:25~

当時の池袋に思い入れある方には、まさに「涙モノ」の映像であろう。なお、ライルさんは、別の動画で「池袋東口」の動画も複数アップしているが、それらは別の機会に譲る。

スーパーザウルス(三洋、デジパチ)

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1994年(平成6年)に三洋から登場した新要件デジパチ「スーパーザウルス」

★賞球…7&15
★大当り確率…1/233
★最高16ラウンド継続
★出玉…約2300個
★小デジタルの確変搭載(333、777で当ると、プラス2回の確変)
★連チャン性…なし

「恐竜系」の各機種(恐竜天国、天地創造、恐竜王国、CR恐竜パーク、パックンザウルスなど)が流行った頃に出た、三洋の確変デジパチ(ドットの現金機)。左右の恐竜二頭が愛らしい。

かの「ダービー物語事件」(1993年10~11月)の数か月後に出た本機。当時、CR主導で現金機に対する規制が強かった為、意図的な連チャンは仕込まれていない。それでも、単発図柄が数珠っぽくポンポンと当ったり、確変と単発が巧く絡んだりして、足下に箱を積むことも少なくなかった。


高田馬場駅前の「国際センター」で、よく打った。あの店では、実戦3度目くらいで、すんなり確変を引いた記憶アリ。ドットにビシッと「777」が揃った時の高揚感は、なかなかのものがあった。向ヶ丘遊園の「ぱちんこ遊園」にも置いてあったな(台数は少なかったが…)。


本機は、全15図柄中「333」又は「777」で当ると、プラス2回の小デジ確変が付いてくる、いわゆる「3回ワンセット機」。突入率は2/15で、メーカーはこの確変を「ザウルスチャンス」と命名。初当りの約13.3%が確変となるが、やはり「狭き門」だった。

確変ループは無く、確変中、2、3回目の当りが3・7でも、さらなる上乗せは無かった。キッチリとワンセットで終わるのが、ちょっぴり残念だった…。まぁ、フルスペックCR機のような爆裂度こそ無いが、その分、CRより当り易い利点があった。

それでも、「2/15」のチャンスさえ掴めば、約7000個の大量出玉が獲得できた訳で、ツボにハマれば大勝ちの期待も。


大当り図柄は、「0~9」の各数字と、恐竜絡みの絵柄5つの、計15通り。オーソドックスな「ティラノザウルス」の他、「割れた卵」とか「サソリ(スコーピオン)」とか、一風変わったデザインも採用。

※恐竜絡みの五図柄…ティラノザウルス、プレシオザウルス、ビッグエッグ(卵)、アンモナイト、スコーピオン(サソリ)

黒をバックにした赤・黄・緑の三色ドットは、色彩が鮮明だった。恐竜図柄はラフな感じもしたが、却って、それが独特の「味わい」になっていた。


なお、数字図柄(0~9)については、3・7以外の通常図柄が「赤背景に緑数字」、確変の3・7が反転の「緑背景に赤数字」と、色分けされていた。



リーチはシンプルな部類で、左・中で図柄がテンパイすると、両デジタルが小刻みに上下に震えつつ、右デジが早めのコマ送り(図柄が次々切り替わる)でスクロール。SPリーチは無し。「リーチが地味」と批評されたりもしたが、シンプルならではの楽しさがあった。

但し、確変図柄でリーチが掛かると、通常図柄とは異なる派手な高音のリーチサウンドが鳴り、周りからジロジロ見られがちだった。出玉の爆発力は違えど、本機の確変リーチは、CR花満開のSPリーチ(「さくらさくら」の花びらリーチ)に通じるものがあった。


確変(小デジ)に入ると、以後2回の大当りが来るまで、電チューの開放確率が10倍アップ(1/24&rArr;1/2.4)。玉減りを抑えつつ、次回(次々回)の大当りを期待できた。確変中は、メインデジタルと小デジタルの変動時間も、大幅に短縮。

小デジ(1ケタ7セグ)を回すには、デジタル左右の風車下にある、「LUCKY」と書かれたスルーチャッカー(肩チャッカー)を通す。小デジが「7」で止まれば、電チューが開放。確変中は、小デジが1/2.4で当るので、電チューパカパカ状態が続く。

但し、メイン確率は「1/233」のままなので、確変消化に手間取る事もあった(閉店間際だと、取り切れない危険も)。まぁ、このテの確変機は、時間に余裕を持って勝負するのも大切だった。

電チュー開放時間は、通常時の「0.3秒×3回」から、「1.4秒×3回」に延長される。基本的に、玉を拾い易く、また小デジの時短も効いた為(小デジ保留が1個以上点灯で、小デジ変動時間が約1秒に短縮)、止め打ちせずとも、メインデジタルはよく回った。


但し、スルーがシマっていたり、電チュー周りがマイナス調整だったりすると、小デジの保留がサッパリつかないとか、電チューの拾いが極端に悪いとか、確変中でもストレスが溜まった。

そんな場合は、スルー通過で打ち出しを停止して、電チュー開放に合わせて数発打ち出す、止打ちの「小技」を使うと、玉の節約になった(クギ次第では玉増えもアリ)。


1990年代の「特殊景品」あれこれ

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先日「モスラ」(平和)の記事をアップした際に、コメ欄で盛り上がった「特殊景品」。

確かに、80~90年代のパチンコシーンを語る上で、「メインツール」だった特殊景品について、無視することは出来ない。また、「金地金」が主流になる以前の、怪しい雰囲気さえ漂う換金アイテム(ライター石、香水など)に、郷愁を覚える方も多いだろう。


 ライター石(FLINTS)


今回は、さすがに「特集」と呼べるような詳細情報は供出できないが、「昔は、こんな特殊景品もあったなぁ」…とアレコレ思い出しつつ、当時出回った景品をザッと書き出した(「モスラ」記事のコメ欄で、情報を提供した頂いたものも含めて)。

もちろん、特殊景品として採用されたアイテムには、他にも様々なものがあった。「こんな景品も、換金用に使っていたよ」という感じで、どんどん補足して頂ければ幸いである。


(平成初期の景品カウンターをとらえた、懐かしの画像。ここで然るべき特殊景品を受け取ると、路地裏などの小さな換金所に出向いた。その昔は、カバンをガサゴソ探ると、玉やメダルの他、こうした紅白の「サイコロキャラメル」や、ウェハースチョコの「GIGA」などがよく出てきた。余り玉景品のチョコを食べ過ぎて、太ってしまった時期もあったっけ。)



★1990年代に出回った「特殊景品」リスト(今後も、適宜追加する予定)

※同種の景品でも、価格に応じて「大(中)小」とサイズを分ける事が多かった。
※大景品を「ライター石」、小景品を「香水」と、異なる景品を組み合わせる店も多数あった。
※商品むき出しより、ケースに入ったタイプが主流(例…金箔入ケース、ネックレス入りケース、コイン入りケースなど)。


(アイテム一覧)

・ライター石(「FLINTS」のロゴ。マルマン社のロゴが入ったものも。)
・ケンシ香水(透明セロファンに包まれた小箱。「麗」「夢」「杰」など、漢字の入ったもの多数。)
・匂い袋(「香りのパック・フローラ」など。これも香水の一種。)
・ケンシのリップクリーム
・タバコのフィルター、パイプ
・金箔
・レコード針
・コーヒー豆
・高級フカヒレ
・文鎮(大阪等で多く流通。丸型、角型。商品の表面には、判り易く「文鎮」と書いてあった)
・毛バリ(釣具。数個並んでケースに入ったものもアリ)
・ヨリモドシ(釣具。「スーパースイベル」のロゴ入り)
・ボールペン(長細い透明ケース入り。埼玉などでは、統一景品として使われた時期も)
・万年筆
・シャープペンの芯(軸)
・しおり(三重県などで多く流通)
・乾燥剤(ビーズ)
・巻尺
・カギ
・キーホルダー
・コイン(メダル)
・ネクタイピン
・ネックレス
・ペンダント
・ブレスレット
・蝶のブローチ
・マグネットピアス
・ゴルフのマーカー
・ゴルフボール
・人工真珠
・指輪
・ハンカチ
・くつした
・財布
・歯磨き粉
・歯ブラシ(携帯用)
・電卓
・電池
・体温・ストレスチェッカー
・体温計
・櫛 (※「鉄製」のものがあった(島根)との追加情報を頂きました。)
・ボタン(カフスボタン)
・缶詰
・マヨネーズ
・味の素
・頬ハケ(大阪)
・香水用のスプレー容器(大阪)

などなど…(補足歓迎)

★追加情報分
・電子ライター


※参考までに書くと、勝手知ったる「新宿」エリア(西口、東口、歌舞伎町、東南口)では、’93年暮れに、「TSR」(東京商業流通組合)の看板を出した景品ショップが、次々と新規開設。
同時に、「ケンシ香水」「ライター石」「ボタン」「ゴルフマーカー」といった従来の特殊景品や、それらを扱った古い換金所を廃止する店舗が相次いだ。

それまでの換金所は、ビル地下、路地裏、アパート内、店裏手のほったて小屋など、かなり陰鬱な立地が多かったが、新たなTSRは、人の多い表通りに、堂々と看板を出していた。
また、換金ブースもガラス張りとなり、小さな受渡口を介した古い換金所のイメージとは、大きく変貌した(個人的には、変わる前の方が好きだったが…)。歌舞伎町「N拓」チェーンの換金所も、この時期、胡散臭いビル地下から、地上ブースに居を移した。

これら古い景品に代わって勢力を伸ばしたのが、現在も使われている「金地金」だった※(薄型カードタイプや、透明プラスチックケース入りなど)。

※金地金の導入を巡っては、1991年(平成3年)、東京・下北沢(成増や碑文谷に続いて、金景品を早期に導入した地区)で起きた、地元の組合と暴力団とのトラブルが有名。
詳しくは、こちらの記事を参照。

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/9744fabb59b21b6979b1a206e207f6a7
(1991年下北沢パチンコ戦争)

これら金景品の中には、偽造防止の為、角度を変えると「般若」の顔が浮き出る、「ホログラム」入りのタイプもあった。しかし、精巧な偽造品だと、こうしたホログラムもしっかり再現していた。当時、そうした「ニセ景品」の持ち込みにより、大損失を被った所も少なくない。


※※当時の景品交換所(換金所)自体に興味ある方の為に、以前書いた過去記事をリンク。

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/7a38c4ffe1eefb4302313669c85c8cd5
「南伸坊の景品交換所所ルポ」(90年代初頭の必勝ガイド誌に連載されたコラム。漫画家の南伸坊氏が、末井さんなどと一緒に特徴的な換金所を訪れて、その様子をレポートする企画。実際にその店で打って、特殊景品を受け取って換金するのがお決まりだった。)

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